ちょっと前に、マスキングテープを手帳類のインデックスにオススメしましたが。
●ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/
前言撤回します。
もっと良いモノがあった!
それがコレ!
●丈夫なインデックス 686S
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686s.html
ポストイットフラッグシリーズは、前からいろいろ見てたんですが、なにより素材が薄すぎて、見出しの「耳」として使うには軟弱すぎたんですね。カバンに入れるノートや手帳の場合は「耳」がすぐに折れてしまうのですよ。全然役に立たない。
ノートは本当に繰り返し、繰り返し見るし、普段持ち歩くから、ヤワな「耳」では役に立たないんですよね。
なので、フラッグシリーズ自体を「こんな薄い素材で作りやがって、バカじゃねーの?」とあきれていて(本気でかなりバカだと思う。用途をよく考えろっていうの。)敬遠してたんですが、先日文具屋によると、けっこうしっかりとしたPOPが商品横についていて「折れ曲がらない!丈夫!」とか使用シーンの写真付きで出てたわけです。
で、すぐに「おお!やっと出たか!」と思って使ってみたら、これがもう理想的。
なにより素材自体が「厚い」。
折れ曲がりにくい!
そうよ、そうよ、こういうのが欲しかったんだよーと思いましたね。
かれこれ13~4年は待ったんじゃないの?って思う。
・貼ってはがせる
・文字も書ける
・色数もそこそこある
という基本要素は押さえた上で、
・次々に取り出しやすい
というフラッグシリーズの美点まで引き継いでいるのが、これまた良い!
いつでも気軽に「分類項目」を新設定できるというのは、パソコンで言うところの「フォルダの新規作成」の機能が、紙のノートに加わった感覚なわけです。
これはかなり良いですよ。
と、大感激してたんだけど、でもこれ、どうも新製品というようなものでもないらしいんですよね。
ニュースリリースを見ると、この商品の発売日は、今年の6月だったみたいなんですけど、
http://www.mmm.co.jp/news/2009/info/20090527.html
でも、なんか、前から類似した商品はあったみたいなんですよ。
それがこれ。
●丈夫なインデックス
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686_pgo.html
●丈夫な見出し
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686l.html
これらがどうも2007年くらいから出てたらしいのですな。
しかし、フラッグシリーズの「厚い版」として出てたから、まったく印象に残らなかったんですな。ほんとフラッグシリーズは「次々取り出せる」「薄くて持ち歩きに便利」にするために薄い薄いフィルムを使ってましたから。「こんなもん使えるか~!」と腹を立ててたくらいで。
あんな薄い素材だと、ほんとうにテンポラリな、暫定的な使い方(1週間程度)しか、役に立たないのですよ。せめてこの「丈夫な~」シリーズくらいの厚みがないと、ひと月ふた月と使う「フォルダの耳」として使えない。
で、もともと、この商品って「フォルダの耳部分」の代替商品だと僕は前から思っていて、だからなんで厚みのある素材のを作らないのか不思議でしょうがなかったわけです。
これをフラッグシリーズの「バリエーション」として出してたのか。アホやなぁ。
もう、フラッグシリーズは、全部、この厚い素材に変えろ!とすら言いたくなりますね。
これだけの厚みがあると用途そのものがかなり変わる。用途の幅がすごく広い。
なので、この新しい「丈夫なインデックス 686S」の方は、かなりいろんなところに使えると思います。僕が自信を持っておすすめします。
それと、前から出ていた「丈夫な~」は、枚数も多くて価格も高いのですよ。
これも訳がわからない。
厚いということは長持ちするんだから、一枚の使用期間が長くなる。だから枚数はたくさんは必要ないんよね。なのに、たぶん他のフラッグシリーズと枚数を合わせたんやろなぁと。何をアホなことしてるんやろ?って思う。
どうもスリーエムはやることが良く分からない。
今回の686sは枚数が半分になって、値段も半分になってます。正しい。
やっとマーケティングリサーチができてきたって事ですかね。
商品開発やら、販売促進のケーススタディとしても参考になるお話しですなぁ。前の商品は販売までパッケージで考えてなかったのが失敗の原因だったってことでしょう。そこまで考えるのが当然の時代になってるのに。ふ~。
ともあれ、「丈夫なインデックス 686S」は、かなりオススメできます。
システム手帳など、バインダーノート類を使う人には必須のツールでしょう。
これは良いです。
●ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/
前言撤回します。
もっと良いモノがあった!
それがコレ!
●丈夫なインデックス 686S
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686s.html
ポストイットフラッグシリーズは、前からいろいろ見てたんですが、なにより素材が薄すぎて、見出しの「耳」として使うには軟弱すぎたんですね。カバンに入れるノートや手帳の場合は「耳」がすぐに折れてしまうのですよ。全然役に立たない。
ノートは本当に繰り返し、繰り返し見るし、普段持ち歩くから、ヤワな「耳」では役に立たないんですよね。
なので、フラッグシリーズ自体を「こんな薄い素材で作りやがって、バカじゃねーの?」とあきれていて(本気でかなりバカだと思う。用途をよく考えろっていうの。)敬遠してたんですが、先日文具屋によると、けっこうしっかりとしたPOPが商品横についていて「折れ曲がらない!丈夫!」とか使用シーンの写真付きで出てたわけです。
で、すぐに「おお!やっと出たか!」と思って使ってみたら、これがもう理想的。
なにより素材自体が「厚い」。
折れ曲がりにくい!
そうよ、そうよ、こういうのが欲しかったんだよーと思いましたね。
かれこれ13~4年は待ったんじゃないの?って思う。
・貼ってはがせる
・文字も書ける
・色数もそこそこある
という基本要素は押さえた上で、
・次々に取り出しやすい
というフラッグシリーズの美点まで引き継いでいるのが、これまた良い!
いつでも気軽に「分類項目」を新設定できるというのは、パソコンで言うところの「フォルダの新規作成」の機能が、紙のノートに加わった感覚なわけです。
これはかなり良いですよ。
と、大感激してたんだけど、でもこれ、どうも新製品というようなものでもないらしいんですよね。
ニュースリリースを見ると、この商品の発売日は、今年の6月だったみたいなんですけど、
http://www.mmm.co.jp/news/2009/info/20090527.html
でも、なんか、前から類似した商品はあったみたいなんですよ。
それがこれ。
●丈夫なインデックス
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686_pgo.html
●丈夫な見出し
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686l.html
これらがどうも2007年くらいから出てたらしいのですな。
しかし、フラッグシリーズの「厚い版」として出てたから、まったく印象に残らなかったんですな。ほんとフラッグシリーズは「次々取り出せる」「薄くて持ち歩きに便利」にするために薄い薄いフィルムを使ってましたから。「こんなもん使えるか~!」と腹を立ててたくらいで。
あんな薄い素材だと、ほんとうにテンポラリな、暫定的な使い方(1週間程度)しか、役に立たないのですよ。せめてこの「丈夫な~」シリーズくらいの厚みがないと、ひと月ふた月と使う「フォルダの耳」として使えない。
で、もともと、この商品って「フォルダの耳部分」の代替商品だと僕は前から思っていて、だからなんで厚みのある素材のを作らないのか不思議でしょうがなかったわけです。
これをフラッグシリーズの「バリエーション」として出してたのか。アホやなぁ。
もう、フラッグシリーズは、全部、この厚い素材に変えろ!とすら言いたくなりますね。
これだけの厚みがあると用途そのものがかなり変わる。用途の幅がすごく広い。
なので、この新しい「丈夫なインデックス 686S」の方は、かなりいろんなところに使えると思います。僕が自信を持っておすすめします。
それと、前から出ていた「丈夫な~」は、枚数も多くて価格も高いのですよ。
これも訳がわからない。
厚いということは長持ちするんだから、一枚の使用期間が長くなる。だから枚数はたくさんは必要ないんよね。なのに、たぶん他のフラッグシリーズと枚数を合わせたんやろなぁと。何をアホなことしてるんやろ?って思う。
どうもスリーエムはやることが良く分からない。
今回の686sは枚数が半分になって、値段も半分になってます。正しい。
やっとマーケティングリサーチができてきたって事ですかね。
商品開発やら、販売促進のケーススタディとしても参考になるお話しですなぁ。前の商品は販売までパッケージで考えてなかったのが失敗の原因だったってことでしょう。そこまで考えるのが当然の時代になってるのに。ふ~。
ともあれ、「丈夫なインデックス 686S」は、かなりオススメできます。
システム手帳など、バインダーノート類を使う人には必須のツールでしょう。
これは良いです。
民主党政権に変わってから、いろいろと思うことが多々ありますなぁ。
自民党政権というのは、官僚による支配で、それはつまり官僚たちをアメリカが直接コントロールしていた政権であって、関岡英之さんが『拒否できない日本』で紹介したように、「年次改革要望書」という文書のとおりに日本が改造され、アメリカの属国としての日本、というアプローチしか政策がなかったという事なんだ、というのが、大きな枠組みとしての理解だと思うんですね。
で、最近僕が、「あ、そうか」と気付かされたのは、例の田中宇さんのメルマガに、日本と中国が本気で手を組むことの意味が書いてあったことです。
(引用開始)-----------------
すでに英国の新聞は「明治維新以来の仇敵だった日本と中国が同盟を組む交渉を始めたので、世界は驚いている。世界第2位と3位の経済規模の日中が組めば、世界最強の勢力となる」と報じている。日本人の多くが自覚しないうちに、すでに世界は「日中同盟」を気にしている。
(引用終了)-----------------
ってことなのですな。
だから結局、アメリカは、もう昔から日本と中国が手を組むことを妨害してたんだなぁと、しみじみと実感したわけです。
佐藤栄作の沖縄返還からノーベル賞への流れも、(これはヨーロッパ勢からの牽制もあるでしょうが)、田中角栄の日中国交再開からロッキードによる追い落しまでの流れも、小泉君の靖国参拝から中国非難までの流れも、ようは外国勢による日本・中国の切り離し策としての側面が、かなり大きかったんだなぁって思う。
外からのあやつりに翻弄されるしかないのが日本だったのだなぁと。
いやまぁ、いまの民主党政権もそれなりに海外とのつながりはあるでしょうけどな。でも自民党みたいに、結党時にCIAからお金が出てたとかはないんやろなぁ、とは思います。ヨーロッパの貴族とか、そのあたりからは金が出てそうやけど。
やっぱり、国内文化から世界を見ようと思っても、それは無理なんよねぇ。まず地球をビー玉みたいに、ひとつの環境として見て、その中での関係性を見るとか、大きな世界史の流れの中に日本という国の歴史を位置づけるとかしないと、概略が見えてこないんやなぁとしみじみ実感したというような事ですね。
日本の、若く、貧しい層が痛めつけられていた、ここ数年、そういう層の人たちこそが「反中国!」とかを叫んでいて、「ああ、大きな力にあやつられてるんやろなぁ」という感じが強かったわけです。ネット右翼とかも同じ流れにありますわな。
なんなんやろね、あの、若い貧困層の人たちは。ネット右翼で、なぜか小泉君や麻生君が大好きで、中国攻撃ばっかりしている層。ここしばらくで、えらく増えた。たぶん、世の中の仕組みの変化で、自分たちが一番踏みつけにされていて、そのためにうっぷんは溜まるけど、友達や一般社会は同じ日本人として攻撃する気になれず、その分中国に恨み辛みをぶつけてたとか、そういう事なんやろなぁ。
でも、それはアメリカに都合が良かったから、そういう層が拡大することも、そのままにされてたって事なんよなぁ。
もともと、「死んだら仏さま」になる日本の文化では、「死人=スーパーパワーを持つスピリチュアルな存在」なので、むごたらしい殺し方をしたら、霊に恨み殺されるという宗教文化があって、それゆえに「苦しめずに殺す」というのが政治解決の手法の一つである戦(いくさ)においても当然だったわけです。
しかし、こんな文化は日本だけのものですから、中国の文化とは相容れません。中国人の歴史観では、偉人であれ悪人であれ、それは歴史という壮大な「空間」の中に永遠に生き続ける「人間」そのものなので、歴史的に「悪人」と規定されている人物は、わざわざ悪人の像を作ってツバをみんなで吐きかける、てなことまでします。
なので彼らは、ものすごくむごたらしい殺し方をするし、そういうところが日本人にはものすごく非道に見えて、どうしても国民的に好きになれないっていうのがあるわけです。
けど、それもまた文化なのでねぇ。好悪の感情とは別に、「アジア人同士仲良くする」というのは、しないとダメだと思うのよな。ご近所さんなんだから。
で、こういう文化の違いみたいな事は、実は中国でも日本でもない欧米人からの方が良く見える。丸見え。だから、それを利用されるわけだ。
で、わざと仲を引き裂くようにミスリードする。
南京大虐殺だって、レポートを書いたのは欧米人だしね。後からギャースカ言ってたのも、確か中国系「アメリカ人」だったわけですしな。
南京大虐殺で「30万人もの人が殺された」という一文があるんですが、あれは、もともと中国語を知っている人なら読み間違わないらしい。「30万人」というのは「ものすごく多くの」という意味の接頭語なんだそうです。中国語にはピンインがあるから、次の言葉につなげて修飾するには3万とか一万とかではゴロが悪くて修飾詞として使えず、どうしても30万になっちゃうんだってさ。
でも、それを分っていて「30万人」とわざと英語に誤訳した層というのがいてるわけです。
いや分っていてなのかどうかは、証拠がない。単なる誤訳かも知れない。そういう証拠のない感情操作っていうのをきゃつらはやるわけだ。実にずるい。けど、まぁ頭はいいよなぁ。ズル賢い。
で、「多くの人間が殺された」というのは事実だから、南京大虐殺を否定すると、日本人はウソつきであるかのように、向こうの人は思っちゃうわけですよ。
こういうズル賢い策略にはまったらアカンのです。日本人の宗教心と中国人の宗教心が水と油だ、ということまで、欧米人には見透かされてるんだから。
なので、別に「仲良く」まではしなくてもいいけど、協力したり、手を組んだりするのはどんどんしたら良いんだよなって思う。「アジア人同士争わず」だ。ああ、副島隆彦さんの提言は、やっぱり優れとるなぁ。感服してしまう。
中国の電車の中はゴミ溜めのようだし、中国産の食品は、なんだかんだいってもやっぱり不安だし、どうしても彼らの事はあまり好きにはなれないのですが、でもやっぱりお隣の国とは仲良くしなくちゃアカンのよな。結局はそこに行く。
嫌いだなぁという自分の感情を否定する必要はないと思うけど、そこをわざわざ拡大する必要もない。相性のあわん奴はおるよ。それはしょうがない。ま、是々非々で考えて行きましょうや。
そういう気がする。
自民党政権というのは、官僚による支配で、それはつまり官僚たちをアメリカが直接コントロールしていた政権であって、関岡英之さんが『拒否できない日本』で紹介したように、「年次改革要望書」という文書のとおりに日本が改造され、アメリカの属国としての日本、というアプローチしか政策がなかったという事なんだ、というのが、大きな枠組みとしての理解だと思うんですね。
で、最近僕が、「あ、そうか」と気付かされたのは、例の田中宇さんのメルマガに、日本と中国が本気で手を組むことの意味が書いてあったことです。
(引用開始)-----------------
すでに英国の新聞は「明治維新以来の仇敵だった日本と中国が同盟を組む交渉を始めたので、世界は驚いている。世界第2位と3位の経済規模の日中が組めば、世界最強の勢力となる」と報じている。日本人の多くが自覚しないうちに、すでに世界は「日中同盟」を気にしている。
(引用終了)-----------------
ってことなのですな。
だから結局、アメリカは、もう昔から日本と中国が手を組むことを妨害してたんだなぁと、しみじみと実感したわけです。
佐藤栄作の沖縄返還からノーベル賞への流れも、(これはヨーロッパ勢からの牽制もあるでしょうが)、田中角栄の日中国交再開からロッキードによる追い落しまでの流れも、小泉君の靖国参拝から中国非難までの流れも、ようは外国勢による日本・中国の切り離し策としての側面が、かなり大きかったんだなぁって思う。
外からのあやつりに翻弄されるしかないのが日本だったのだなぁと。
いやまぁ、いまの民主党政権もそれなりに海外とのつながりはあるでしょうけどな。でも自民党みたいに、結党時にCIAからお金が出てたとかはないんやろなぁ、とは思います。ヨーロッパの貴族とか、そのあたりからは金が出てそうやけど。
やっぱり、国内文化から世界を見ようと思っても、それは無理なんよねぇ。まず地球をビー玉みたいに、ひとつの環境として見て、その中での関係性を見るとか、大きな世界史の流れの中に日本という国の歴史を位置づけるとかしないと、概略が見えてこないんやなぁとしみじみ実感したというような事ですね。
日本の、若く、貧しい層が痛めつけられていた、ここ数年、そういう層の人たちこそが「反中国!」とかを叫んでいて、「ああ、大きな力にあやつられてるんやろなぁ」という感じが強かったわけです。ネット右翼とかも同じ流れにありますわな。
なんなんやろね、あの、若い貧困層の人たちは。ネット右翼で、なぜか小泉君や麻生君が大好きで、中国攻撃ばっかりしている層。ここしばらくで、えらく増えた。たぶん、世の中の仕組みの変化で、自分たちが一番踏みつけにされていて、そのためにうっぷんは溜まるけど、友達や一般社会は同じ日本人として攻撃する気になれず、その分中国に恨み辛みをぶつけてたとか、そういう事なんやろなぁ。
でも、それはアメリカに都合が良かったから、そういう層が拡大することも、そのままにされてたって事なんよなぁ。
もともと、「死んだら仏さま」になる日本の文化では、「死人=スーパーパワーを持つスピリチュアルな存在」なので、むごたらしい殺し方をしたら、霊に恨み殺されるという宗教文化があって、それゆえに「苦しめずに殺す」というのが政治解決の手法の一つである戦(いくさ)においても当然だったわけです。
しかし、こんな文化は日本だけのものですから、中国の文化とは相容れません。中国人の歴史観では、偉人であれ悪人であれ、それは歴史という壮大な「空間」の中に永遠に生き続ける「人間」そのものなので、歴史的に「悪人」と規定されている人物は、わざわざ悪人の像を作ってツバをみんなで吐きかける、てなことまでします。
なので彼らは、ものすごくむごたらしい殺し方をするし、そういうところが日本人にはものすごく非道に見えて、どうしても国民的に好きになれないっていうのがあるわけです。
けど、それもまた文化なのでねぇ。好悪の感情とは別に、「アジア人同士仲良くする」というのは、しないとダメだと思うのよな。ご近所さんなんだから。
で、こういう文化の違いみたいな事は、実は中国でも日本でもない欧米人からの方が良く見える。丸見え。だから、それを利用されるわけだ。
で、わざと仲を引き裂くようにミスリードする。
南京大虐殺だって、レポートを書いたのは欧米人だしね。後からギャースカ言ってたのも、確か中国系「アメリカ人」だったわけですしな。
南京大虐殺で「30万人もの人が殺された」という一文があるんですが、あれは、もともと中国語を知っている人なら読み間違わないらしい。「30万人」というのは「ものすごく多くの」という意味の接頭語なんだそうです。中国語にはピンインがあるから、次の言葉につなげて修飾するには3万とか一万とかではゴロが悪くて修飾詞として使えず、どうしても30万になっちゃうんだってさ。
でも、それを分っていて「30万人」とわざと英語に誤訳した層というのがいてるわけです。
いや分っていてなのかどうかは、証拠がない。単なる誤訳かも知れない。そういう証拠のない感情操作っていうのをきゃつらはやるわけだ。実にずるい。けど、まぁ頭はいいよなぁ。ズル賢い。
で、「多くの人間が殺された」というのは事実だから、南京大虐殺を否定すると、日本人はウソつきであるかのように、向こうの人は思っちゃうわけですよ。
こういうズル賢い策略にはまったらアカンのです。日本人の宗教心と中国人の宗教心が水と油だ、ということまで、欧米人には見透かされてるんだから。
なので、別に「仲良く」まではしなくてもいいけど、協力したり、手を組んだりするのはどんどんしたら良いんだよなって思う。「アジア人同士争わず」だ。ああ、副島隆彦さんの提言は、やっぱり優れとるなぁ。感服してしまう。
中国の電車の中はゴミ溜めのようだし、中国産の食品は、なんだかんだいってもやっぱり不安だし、どうしても彼らの事はあまり好きにはなれないのですが、でもやっぱりお隣の国とは仲良くしなくちゃアカンのよな。結局はそこに行く。
嫌いだなぁという自分の感情を否定する必要はないと思うけど、そこをわざわざ拡大する必要もない。相性のあわん奴はおるよ。それはしょうがない。ま、是々非々で考えて行きましょうや。
そういう気がする。
えー、こういう記事がありまして。
(引用開始)--------------------------------------
橋下知事、職員からのメールに激怒 「物言い非常識」厳重注意へ
2009.10.8 13:47
橋下徹大阪府知事 大阪府の橋下徹知事は8日、職員から受けたメールが「物言いが非常識」として、同日付でこの職員を厳重注意にすると明かした。
橋下知事は1日夜に全職員にメールを送信。和歌山市の紀の川大堰からの利水撤退で、府の負担が約380億円にのぼったことに対する府幹部の議会答弁に謝罪の気持ちがなかったことを問題視した。これに対し、職員が反発し、「愚痴は自分のブログでしてほしい」などの内容のメールを返信。橋下知事は「組織のトップに対する物言いとして逸脱している。組織の体をなしていない」などと職員の処分を検討するよう人事担当者に指示した。
(引用終了)-------------------------------------
これねぇ、世間のみなさまの意見でも橋下知事の対応が賛否両論だったりするわけですよ。
(引用開始)--------------------------------------
メールで職員処分 橋下知事に「大人げない」
2009.10.9 16:06
大阪府議会で代表質問に答弁する橋下知事=9月30日 大阪府の橋下徹知事が、不適切な表現のメールを知事に送ったことを理由に女性職員を厳重注意としたことに「知事は大人げない」「(職員は)非常識」などと賛否の声が多数寄せられていることが9日、分かった。
府民課によると、8日夕方までに電話やメールで計93件の意見があり、橋下知事の対応に批判的なものが53件と過半数を占めた。「処分で意見が出にくくなるのではないか」「厳しすぎる」などの声が多かったという。
一方で「トップに対する言葉として失礼だ」「身分が安定している公務員だからこんなことができるのか」と、職員を批判する内容も。意見は9日午前も引き続き寄せられているという。
橋下知事は同日朝、府庁で記者団に「トップの訓示に対する物言いや対応を問題視した。(職員は)府民がわたしを批判することと、上司と部下の関係を勘違いしている」と述べた。
女性職員は2日、橋下知事が全職員に送った税金に対する感覚の違いを批判するメールに対し「愚痴はブログでしてほしい」などと返信。8日に口頭で厳重注意を受けた。
(引用終了)-------------------------------------
でね。
これが普通の会社の上司と部下ならね、確かに橋下くんの処分や言い方は、「ちょっと大人げない」と言われても仕方ないと思うんですよ。それは確かに。
でもね。
これは相手が違うんです。
相手が役人なんです。
はっきり言いますが、
●公務員というのは社会的なカタワである。
んですよ。
言ったらなんですけど、世間一般の、お給料をいただいて、その実績に応じて自分の実力が問われるような「経済的試練」というものを、
●生涯経験することがないという前提で生きている種族。
なんです。
一般の経済的な思考やスキルのある、「フツーの一般人」じゃないんですよ。
はっきりくっきり「異常人」なんです。
その異常さを、世間一般の人間は、甘く見ているから、この橋下くんの処分が「大人げない」というように見えるわけです。
いや、違うって。役人は、それこそ宇宙人ですって。鳩山さんどころの騒ぎではないんです。「コームイン族」という人類以外の生命体と思った方が良いくらいなんですって。
まず、そこのところを、正しく認識しないといけないんです。
ところが!
この「役人と一般人は、思想・信条やライフスタイルまで、根本的に全く異なる別人種なのである。」という、もっとも重要な点を、一般人も役人たちも、どっちも理解していないという、とんでもない不幸が、この国にはあるわけですよ。
だから、橋下くんみたいに、一般庶民の庶民感覚で民事的なもめ事を処理してきた弁護士あがりの知事からすると、こういう「大人げない処分」をせざるを得なくなってくるわけです。
だから、僕は、橋下くんの判断は、かなりマトモかつまっとうだと思いますよ。
だいたいね、役人・公務員が「普通の会社と同じように働いているのだから、給料をもらえて当たり前だ」と思う時点で、そいつらは死刑に匹敵するとんでもない間違った発言をしているんですよ。
役人や公務員の仕事というのは、すべて、どんな仕事でも、全部、経済活動には直接タッチしない仕事なわけです。経済的にペイする仕事なら、公的機関でやるのではなくて、民間が株式会社で、キチンと成功報酬なども含めたまともな人事考課のある仕組みでやればいいことなんです。
でも、そういう仕組みではペイしない事をこそ、役所や政府はやらなきゃいけないわけです。
ですから、役人や公務員の給料は、
●もともと完全に赤字。
なわけですよ。黒字になるような事なら民間でやればいいわけだから。
つまり、もともと公務員のやってることは、
●儲からない仕事
なわけです。どこをどうやったって、
●無駄遣いにしかならない仕事
を、彼らはやってるわけですし、そうでなければ公的機関の意味なんてないわけです。
で、それでも必要なことだから、仕方なしに税金を払って役人たちに事務処理とかそういうことをやってもらってるわけでしょう。
だから役人というのは、
●もともとやっかいもの。
であって、できるならば、
●一刻も早くお払い箱
にしたい存在で、
●毎分毎秒、合理化してでも、必要経費をどんどん削らなければいけない業務。
なわけで、であるからして、
●役人の給料は、どんどんどんどん下げるのが当然
のものなわけです。
であるにも関わらず、「役人の給料が下がったら、モチベーションが下がってしまう」などというバカの極み、とんでもない勘違い野郎が続出しているのが、日本の現状で、しかもなおかつ、そういうバカの極みの発言を聞いて、一般の国民も「まぁ役人も国民なんだから、それなりに働いてもらわないとなぁ」とか言ってしまうていたらくなわけですよ。
そんなものね、給料が下がってモチベーションが下がるような人間は、経済による競争システムを肯定している思想を持った人間なんだから、
●なら、役人をやめて一般企業で働け!バカモン!
ということにしかならないわけです。
役人というのは、
●経済競争ではなく、人間の尊厳そのものを守ることこそが大切だ。
という価値観で生きているような人がなるべき職業なのであって、給与でやる気が上下するような人間は、とにかく真っ先にやめてもらわないと困るわけです。
本来役人というものは、
●「経済の役にも立っていないのに、私のようなものに給料を国民のみなさまがくださって、なんとありがたいのだろう。なんとか、もっと少ない給料で、この仕事を実現することはできないだろうか?もっと少ない人員で、同じ公的サービスを実現することはできないだろうか?」
と考えるのが仕事であって、他に仕事なんかないんですよ。もともと「穀潰し」なんだから。
●もともと「穀潰し」なのである。
という、役人・公務員の本質を、みんながみんな、忘れてる事が問題なんですよ。この国は。
このあたりはねぇ、かなり「考え方の断絶」ってものがあると思いますねぇ。
それは多分、そこいらの中小企業の社長とかが、大阪府知事になったら、もう、毎日役人ひとりひとりの言葉の一言一言が、腹が立って腹が立ってしょうがないくらい違和感を感じるはずですよ。きっとそういう状態なんだと思う。
でも、この記事にある職員は、その自分の「非常識さ」に気づくことすらできないくらいの頭がおかしいというか、世間からずれてるだろうと想像できます。かなりパッパラパーというかズレまくり人間でしょうなぁ。ほんとに。
ということで、橋下くん自体を全面的に支持するわけでもないんですけど、この件に関しては、
●賛否が分かれるということ自体が大問題なのだ。
と言っておきたいです。
こういうことは、はっきり国民として、徹底して、
●完璧、100%、どこをどうとっても、この職員が間違いであり、狂っている。キチガイだ。
と断定すべきなんです。キチガイレベルですよ。ほんとに。
でも、こういう話が出ると、世間的には「賛否が分かれる」という記事が出てしまいまして、この職員は永遠に、死ぬまで「自分がとんでもなく間違っているのだ」ということに気づくことすらできないわけです。「世間でも賛否両論やん」とか思ってるわけです。
あのなぁ、おまえらは、河原乞食と同じで、根っからの穀潰しなんやぞ?
それが、不況でも首切りにあわないだけでも、
●ああ、国民のみなさまのお慈悲で、私は生きながらえさせていただいている、なんてありがたいことなのだろう。
と思うのが筋であり、そういう気持ちを持つことこそが「役人魂」なのだ。これは本質論ですよ。小説家が文章で人をうならせる、歌手が歌声で人を癒すのと同じく、役人は河原乞食として、「こんなに給料をもらってはいけない。税金のムダ使いなどしたら天罰が下る。国民のみなさまに生涯感謝しなければ」と真剣に思うことこそが役人の仕事。そういう事なんです。
本質を踏み外してる人間は、どこへ行っても恥ずかしい存在で、死んでも成仏できまへん。
そういうことでおます。
なので、この件、完全、完璧、絶対的に、橋下君が正しい。
で、この件で、「橋下は大人げない」と、一般国民が言ってしまう事も根本的に間違いなので、ついうっかりそう思ってしまった人は、この機会に、考えを改めてください。
以上。
(引用開始)--------------------------------------
橋下知事、職員からのメールに激怒 「物言い非常識」厳重注意へ
2009.10.8 13:47
橋下徹大阪府知事 大阪府の橋下徹知事は8日、職員から受けたメールが「物言いが非常識」として、同日付でこの職員を厳重注意にすると明かした。
橋下知事は1日夜に全職員にメールを送信。和歌山市の紀の川大堰からの利水撤退で、府の負担が約380億円にのぼったことに対する府幹部の議会答弁に謝罪の気持ちがなかったことを問題視した。これに対し、職員が反発し、「愚痴は自分のブログでしてほしい」などの内容のメールを返信。橋下知事は「組織のトップに対する物言いとして逸脱している。組織の体をなしていない」などと職員の処分を検討するよう人事担当者に指示した。
(引用終了)-------------------------------------
これねぇ、世間のみなさまの意見でも橋下知事の対応が賛否両論だったりするわけですよ。
(引用開始)--------------------------------------
メールで職員処分 橋下知事に「大人げない」
2009.10.9 16:06
大阪府議会で代表質問に答弁する橋下知事=9月30日 大阪府の橋下徹知事が、不適切な表現のメールを知事に送ったことを理由に女性職員を厳重注意としたことに「知事は大人げない」「(職員は)非常識」などと賛否の声が多数寄せられていることが9日、分かった。
府民課によると、8日夕方までに電話やメールで計93件の意見があり、橋下知事の対応に批判的なものが53件と過半数を占めた。「処分で意見が出にくくなるのではないか」「厳しすぎる」などの声が多かったという。
一方で「トップに対する言葉として失礼だ」「身分が安定している公務員だからこんなことができるのか」と、職員を批判する内容も。意見は9日午前も引き続き寄せられているという。
橋下知事は同日朝、府庁で記者団に「トップの訓示に対する物言いや対応を問題視した。(職員は)府民がわたしを批判することと、上司と部下の関係を勘違いしている」と述べた。
女性職員は2日、橋下知事が全職員に送った税金に対する感覚の違いを批判するメールに対し「愚痴はブログでしてほしい」などと返信。8日に口頭で厳重注意を受けた。
(引用終了)-------------------------------------
でね。
これが普通の会社の上司と部下ならね、確かに橋下くんの処分や言い方は、「ちょっと大人げない」と言われても仕方ないと思うんですよ。それは確かに。
でもね。
これは相手が違うんです。
相手が役人なんです。
はっきり言いますが、
●公務員というのは社会的なカタワである。
んですよ。
言ったらなんですけど、世間一般の、お給料をいただいて、その実績に応じて自分の実力が問われるような「経済的試練」というものを、
●生涯経験することがないという前提で生きている種族。
なんです。
一般の経済的な思考やスキルのある、「フツーの一般人」じゃないんですよ。
はっきりくっきり「異常人」なんです。
その異常さを、世間一般の人間は、甘く見ているから、この橋下くんの処分が「大人げない」というように見えるわけです。
いや、違うって。役人は、それこそ宇宙人ですって。鳩山さんどころの騒ぎではないんです。「コームイン族」という人類以外の生命体と思った方が良いくらいなんですって。
まず、そこのところを、正しく認識しないといけないんです。
ところが!
この「役人と一般人は、思想・信条やライフスタイルまで、根本的に全く異なる別人種なのである。」という、もっとも重要な点を、一般人も役人たちも、どっちも理解していないという、とんでもない不幸が、この国にはあるわけですよ。
だから、橋下くんみたいに、一般庶民の庶民感覚で民事的なもめ事を処理してきた弁護士あがりの知事からすると、こういう「大人げない処分」をせざるを得なくなってくるわけです。
だから、僕は、橋下くんの判断は、かなりマトモかつまっとうだと思いますよ。
だいたいね、役人・公務員が「普通の会社と同じように働いているのだから、給料をもらえて当たり前だ」と思う時点で、そいつらは死刑に匹敵するとんでもない間違った発言をしているんですよ。
役人や公務員の仕事というのは、すべて、どんな仕事でも、全部、経済活動には直接タッチしない仕事なわけです。経済的にペイする仕事なら、公的機関でやるのではなくて、民間が株式会社で、キチンと成功報酬なども含めたまともな人事考課のある仕組みでやればいいことなんです。
でも、そういう仕組みではペイしない事をこそ、役所や政府はやらなきゃいけないわけです。
ですから、役人や公務員の給料は、
●もともと完全に赤字。
なわけですよ。黒字になるような事なら民間でやればいいわけだから。
つまり、もともと公務員のやってることは、
●儲からない仕事
なわけです。どこをどうやったって、
●無駄遣いにしかならない仕事
を、彼らはやってるわけですし、そうでなければ公的機関の意味なんてないわけです。
で、それでも必要なことだから、仕方なしに税金を払って役人たちに事務処理とかそういうことをやってもらってるわけでしょう。
だから役人というのは、
●もともとやっかいもの。
であって、できるならば、
●一刻も早くお払い箱
にしたい存在で、
●毎分毎秒、合理化してでも、必要経費をどんどん削らなければいけない業務。
なわけで、であるからして、
●役人の給料は、どんどんどんどん下げるのが当然
のものなわけです。
であるにも関わらず、「役人の給料が下がったら、モチベーションが下がってしまう」などというバカの極み、とんでもない勘違い野郎が続出しているのが、日本の現状で、しかもなおかつ、そういうバカの極みの発言を聞いて、一般の国民も「まぁ役人も国民なんだから、それなりに働いてもらわないとなぁ」とか言ってしまうていたらくなわけですよ。
そんなものね、給料が下がってモチベーションが下がるような人間は、経済による競争システムを肯定している思想を持った人間なんだから、
●なら、役人をやめて一般企業で働け!バカモン!
ということにしかならないわけです。
役人というのは、
●経済競争ではなく、人間の尊厳そのものを守ることこそが大切だ。
という価値観で生きているような人がなるべき職業なのであって、給与でやる気が上下するような人間は、とにかく真っ先にやめてもらわないと困るわけです。
本来役人というものは、
●「経済の役にも立っていないのに、私のようなものに給料を国民のみなさまがくださって、なんとありがたいのだろう。なんとか、もっと少ない給料で、この仕事を実現することはできないだろうか?もっと少ない人員で、同じ公的サービスを実現することはできないだろうか?」
と考えるのが仕事であって、他に仕事なんかないんですよ。もともと「穀潰し」なんだから。
●もともと「穀潰し」なのである。
という、役人・公務員の本質を、みんながみんな、忘れてる事が問題なんですよ。この国は。
このあたりはねぇ、かなり「考え方の断絶」ってものがあると思いますねぇ。
それは多分、そこいらの中小企業の社長とかが、大阪府知事になったら、もう、毎日役人ひとりひとりの言葉の一言一言が、腹が立って腹が立ってしょうがないくらい違和感を感じるはずですよ。きっとそういう状態なんだと思う。
でも、この記事にある職員は、その自分の「非常識さ」に気づくことすらできないくらいの頭がおかしいというか、世間からずれてるだろうと想像できます。かなりパッパラパーというかズレまくり人間でしょうなぁ。ほんとに。
ということで、橋下くん自体を全面的に支持するわけでもないんですけど、この件に関しては、
●賛否が分かれるということ自体が大問題なのだ。
と言っておきたいです。
こういうことは、はっきり国民として、徹底して、
●完璧、100%、どこをどうとっても、この職員が間違いであり、狂っている。キチガイだ。
と断定すべきなんです。キチガイレベルですよ。ほんとに。
でも、こういう話が出ると、世間的には「賛否が分かれる」という記事が出てしまいまして、この職員は永遠に、死ぬまで「自分がとんでもなく間違っているのだ」ということに気づくことすらできないわけです。「世間でも賛否両論やん」とか思ってるわけです。
あのなぁ、おまえらは、河原乞食と同じで、根っからの穀潰しなんやぞ?
それが、不況でも首切りにあわないだけでも、
●ああ、国民のみなさまのお慈悲で、私は生きながらえさせていただいている、なんてありがたいことなのだろう。
と思うのが筋であり、そういう気持ちを持つことこそが「役人魂」なのだ。これは本質論ですよ。小説家が文章で人をうならせる、歌手が歌声で人を癒すのと同じく、役人は河原乞食として、「こんなに給料をもらってはいけない。税金のムダ使いなどしたら天罰が下る。国民のみなさまに生涯感謝しなければ」と真剣に思うことこそが役人の仕事。そういう事なんです。
本質を踏み外してる人間は、どこへ行っても恥ずかしい存在で、死んでも成仏できまへん。
そういうことでおます。
なので、この件、完全、完璧、絶対的に、橋下君が正しい。
で、この件で、「橋下は大人げない」と、一般国民が言ってしまう事も根本的に間違いなので、ついうっかりそう思ってしまった人は、この機会に、考えを改めてください。
以上。
トヨタは自転車を作るべきだ。2。
2009年10月8日 自転車 コメント (2)
まえに、
●トヨタは自転車をつくるべきだ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200901130817068576/
という書き込みをしましたが、先日、
自転車会議
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/456977217X
という本を読みまして、よりいっそう、「トヨタは自転車を作るべきだ」と思いましたねぇ。
いや、この本に「トヨタよ自転車を作れ」とは全然書いてないんですけどね。
この本は、自転車好きの有名人の歓談というかワイワイガヤガヤしゃべってる内容で、内容としては薄いんですけど、新しい情報とか、いろんな角度からの切り口とかがあって、そういう意味ではとても面白い本でした。夕方に買ってその日の内に読んでしまった。2時間くらいで充分読めてしまう内容。
ただ、登場人物が、自転車界のご意見番、疋田智さんは当然にしても、いまや時代の寵児となった勝間和代さん、元レーサーの片山右京さん、日本人初のツールドフランス出場者今中大介さん、自民党総裁になられた谷垣禎一さんと、そうそうたるメンバーなのですね。そこがすごい。
で、この人たちは全員、自転車フリークなわけです。なので、話してる内容自体がすごい。
だから読んでると、いろいろぶっ飛んだ事が書いてあるんですよね。たとえば、
●イタリアの高速道路(スーパーストラーダ:準高速という感じのものらしい)では、自転車が走れる。
●ノルウェーでも高速を自転車が通行可能
●オランダには、どんな小さな道にも自転車用レーンが設置されている
●オランダでは自転車専用道路の長さが日本の100倍である
●当然、自転車専用レーンに駐車する車はいない
●デンマーク・フィンランドには自転車専用の早めに切り替わる信号がある
とまぁ、ほへぇ~と目を丸くするしかない話が満載です。海外の自転車事情は本当にうらやましいなぁ~と心底思いますな。
で、これが道路行政の進むべき方向だよなぁって思うわけです。まぁ基本はヨーロッパの話なんですけどね。自転車はやっぱりヨーロッパです。文化の厚みが違うわ。乗り物として、社会的に正しく評価されてるよなぁって思うわけです。
まず、ヨーロッパと日本にこれだけの差があるという事を念頭においていただいて…。
(あ、そうか、自転車がいかに「クルマの代替になりえるすぐれた交通機関であるのか」ということを、ここのページを読んでる人は知らないのですよね。ああ、そうだった。
えー世界標準のスポーツ自転車に乗れば、時速25km~35kmくらいは出せますので、大阪や東京では、地下鉄などの公共交通機関を使うより早くに出発点から到着点まで移動できます。何より早いです。最強です。一方通行は関係ないし、駐車の手間なども不要ですから市内・都内移動なら、自動車なんかほぼナンセンスなのです。雨の日以外は。人間1人が移動するだけなら、まず自転車が最強。荷物を運ぶ、複数人で移動する、などの用事がないかぎり、クルマにアドバンテージは全くありません。)
たとえば、フランスなんかでは、バスと自転車が共有する「バス・自転車専用レーン」というのがあって、このレーンには自動車は入れず、バスも速度が30km/h台で動いてるのだそうです。
都市交通においては信号が絶対に必要になりますから、40km/hを越すスピードというのは、実用上意味がないんですよ。テンポ30、ようするに30km/h台での移動で充分足りるんですね。で、専用レーンでバスが渋滞にまきこまれなくなると、時刻表どおりに発着ができて市民の足として有用になるということです。自転車も同様のスピードで安全に走れれば、かなりの数の市民がストレスなく快適に都市を移動できるということになります。
こういう事を見聞きすると、やっぱり、もっと自転車を優遇した社会にすべきだと本当に思うんですよね。クルマを否定することはしないけども、なんでもかんでもクルマを使うというのではなくて、「ひとりで移動するだけだし自転車やバスで行けばいいや」という選択肢を、きちんと作っておかないとダメだって事です。
で、自転車・バスが実用に足る、市民の足になれば、クルマにとってもかなり大きなメリットが出てくるんです。
というのは、クルマから、バス・自転車に乗り換えると、それだけで道路に空き空間が生まれるからなんですよ。
つまり、道が空いて、クルマが走りやすくなるってことです。
当然でしょ?これ。
どうしてここに、みんなが気がつかないのか。
みんなが必要以上にクルマばっかり使うから、クルマが混雑を引き起こして、不便な社会になってしまってるわけです。
だから都市交通というのは、
●クルマに不便で、自転車やバスに便利な仕組み。
にした方が圧倒的にみんなが快適だってことなんですよ。クルマに乗っている人にも快適なんです。
バスに乗ってる人が全員クルマで移動したら、車間距離まで含めて、そら、ものすご~~い面積が必要になって、道路が大混雑になってしまうに決まってます。当たり前の話です。
だから、バスや自転車はクルマの敵ではなく、非常に大切なクルマの仲間なのだと再認識していただきたいですな。(というか、もともと自転車は軽車両と言って本質的に「クルマ」なんですけども。)
クルマでも、二人以上乗ってるとか、荷物を運んでるというのなら、腹も立たないですけど、ボーっとした人間がひとりでクルマに乗ってるだけというようなのを見ると「お前、何を道路の無駄遣いしとんねん!クルマから降りろ!迷惑や!」と言いたくなってしまうんですよ。
道路は移動したいと思っている人間、みんなのものであって、「クルマのもの」ではないんですよね。
で、こういう事を、すごく、普通の人に知って欲しいよなぁと思ってるわけですけど、この本の中でこれまた面白い事が書いてあって、
●トヨタはそういう人の移動の効率について深い見識がある。
という事を片山右京さんは言うわけですよ。なんちゅうても、元レーサーですからね。ちょっと引用しましょう。
(引用開始)------------------
片山 (略)トヨタなんていうのは、そういうところにものすごい理解が深い。たとえば、奥さんが駅に旦那さんを「ヴィッツ」というちっちゃなクルマで送りますよね。あれは、人間1人を運ぶために1.3トンぐらいのものを動かすということで、エネルギー効率的には非常に矛盾している、ということを言っていますからね。
(引用終了)------------------
という事なんだそうです。
で、実は疋田智さんという方は、テレビ局で番組制作をするのが本業の方なんですけど、実は「自転車に乗ろう!」というような番組を局に提案しても、スポンサーが付かないんだそうです。
そりゃそうですね。日本で自転車に関係している会社といえば、本当に小さな会社ばかりですし、大手でもブリジストンとかタイヤが本業だったりパナソニックみたいに一部門が自転車を作ってるところばっかりで、世界的な自転車関連企業のシマノが存在してるにはしてますが、あくまで部品メーカーなので、一般に広告を打つ必然性がないわけです。だから、そういう番組が成立しなくなっちゃってるんですね。
しかも、疋田さんが言うには、テレビ番組側の、よけいな気の回し方みたいな話があるということなんです。たとえば勝間和代さんが、番組中で「こういうシーンではクルマはやめて自転車に乗ればいいじゃないですか。」とリハーサルで発言したら、プロデューサーが飛んできて「それ本番では勘弁してください。スポンサーが某クルマメーカーなんです。」と規制したりするんだそうです。
くだらない自己規制なんですよね。上記のような「自転車や公共交通機関の利用が増えれば、クルマも走りやすい」という大前提が見えてない。トヨタも、そういう事はわかっているのだ、という知識もない。
つまり、気を回しすぎの自己規制で、みんなが知るべき情報がマスコミには流れていないって事なんです。
このあたりのジレンマは、自転車乗りにはすごく大きくて、ほんとうにどこか力のある団体が、上手に政治を動かしてくれないかなぁと真剣に思ってしまうわけですよ。
で、そういう事を考えると、実はやっぱり、こういう「ゆがみ」が出てしまうのは、トヨタが自転車を作っていない、世界的に遅れた会社だからだって事にしかならないわけです。
本来は「クルマを作る会社」ではなくて「人の移動をサポートする会社」でなければいけないわけです。そういう企業文化とか社会参加意識が低いわけですね。
で、次々に新しいクルマを作っては買い換えさせるという戦略しか採ってない。
でも、ですよ、クルマだけを売るのではなくて、クルマ+自転車を売れば、+アルファがある分儲かるし、こういう不況時にも、経営的にも安定するはずなんですよ。
クルマ一台の値段はどんどん安くなっていて、高い自転車(本当に良い自転車なら一台100万円くらいラクラクでかかります。20万円とか30万円とか、けっこう普通の値段です。)自転車一台とそんなに差がなくなってしまってる。
しかもクルマは、都市部だと一台あったら、それで家族全員が移動しておしまいなわけです。でも自転車ならひとりに一台以外に選択枝はないんですよね。だから「ひとりに一台」というのがまったく無理なく成立するわけですよ。
まぁ田舎だったらひとりに一台とは言わないまでも、2台、3台買うことはよくありますけど、駐車場代やら空間やらムダも多い。だからやっぱり自転車とセットで「生活における移動ツールを総合的に提供する」という方向に企業として進化すべきだと思うんですよね。
仮に最廉価版のスポーツ自転車を5万円として、5人家族なら5×5=25万円にはなるわけですよ。良い自転車なら10万円以上も当たり前ですから、(軽くて実用に足る自転車なら、どうしてもそういう価格になります。)家族5人で50万円は確実に自動車にプラスする形で購入してもらえるわけです。
こうなってくると、自転車の販売だって、バカにはできなくなってくるでしょう。
この不況で買い換えもなかなか進まないかも知れなくても、自転車ならガソリン代・駐車場代すら不要なのだから、その有用性さえアピールできれば、けっこう買ってもらえるはずなのです。
しかも、健康にも良くて、企業イメージの向上に役立つし、エコへの貢献度も一気に高まります。プリウスどころの騒ぎではないのです。
しかも、です。
普段、クルマに乗ってる人が必要に応じて自転車に乗るようになれば、
●道路が空く
んです。
つまり回り回って、クルマの性能が上がったのと同じ結果になるわけですよ。道路なんて、そうそう作れませんからね。でも、クルマのユーザーが、必要に応じて自転車にも乗るというチョイスなら、いまからすぐにでも選べる選択肢なわけです。クルマにも大きなメリットが出てくるわけですよ。
だから、トヨタは道路空間を広くする=クルマの性能を上げるという意味においても、自転車を販売する責任があるはずだと、僕なんかは思うわけです。
トヨタが自転車を作っていないのは、「当社は世界に追いついていない、田舎者の会社でございます。」と公言しているようなものです。旦那の駅へのクルマでの送り届けのムダが分ってるなら、やっぱり自転車を作らなきゃおかしいわけです。実践ができてない。口だけ。「言うだけ番長」。いちばん卑怯だ。
で、トヨタが自転車を作れば、上記のような、勝間さんの「クルマをやめて自転車に乗ればいい」というような発言が自主規制で封殺されることもなくなるわけですし、何より、トヨタが自転車推進の番組のスポンサーに浮上してくるわけです。
そのくらいの番組スポンサーになれよ!トヨタ!世界的企業と言うなら、そのくらいやれ!
とまぁ、僕は思うのです。
ネットでググると自転車乗りからは「トヨタが自転車? そんなださいのは買わないよ、俺は。」という声が多いみたいなんですけど、大きく社会構造を考えたら、トヨタが自転車を作ってない方がよっぽどおかしいのだと僕は思いますねぇ。
だって、街なかを走っていて、国内メーカーの自転車を見ることなんて、本当にまれですから。スポーツ自転車はほとんどが輸入品。ジャイアントとかルイガノとか、トレックとか。
ブリジストンやパナソニックなんて、見つける方が難しいくらいですし。
で、欲しい自転車を注文したら、輸入の船便待ちで2~3週間またされるのが普通なわけです。
それはやっぱり、どこかちょっといびつだよなぁって思う。
それもこれも、やっぱりトヨタが自転車を作ってないのがイカンのだと思うわけです。
それに、「ああ、そうか」と思ったのが、勝間和代さんの発言にある、「女性にとっての自転車のカベはメンテナンス」という話。
自転車というのは、実にシンプルな機械のかたまりで、本当に部品のちょっとした調整で調子がずいぶんと変わるんですね。だから、多少の調整はユーザーがやるのが当然というところがあるんですが、そこが女性にはしんどいわけです。走っていて、なんか変な音がしたら、もう不安で乗ってられないとかになる。
勝間和代さんなんかは、そういう部分は完全に自転車屋さんまかせなんだそうです。苦手な事はやらない。まぁ勝間さんらしい。(笑)
でも、たぶん、世間の女性のほとんどが、やっぱりメンテナンスは苦手なはずです。
なら。
トヨタ、大チャンスじゃないですか。
トヨタのお店で自転車のメンテもできるようにしてごらんなさいよ。
お客さんがどんどん自転車の調整で来店しますよ。
その頻繁な来店こそが、次のクルマ販売の重要な販売ステップになるわけです。
プリウスを飛び越えて、そういう人たちには電気自動車も売れるはずです。
なんと言っても自転車に乗る人はエコ意識が高いんだから。それはもう、すばらしい先進ユーザーがお客さまについてくれて、精緻なる市場調査ができるようにもなるはずです。
なんかね、トヨタ祭りだのなんだの、販売店にお客を呼び込む販促とか山盛りトヨタ系列のお店はやってるわけですけど、トヨタが自転車も作ったら、それこそ毎日のようにお客さんが来ますって。
自転車のメンテナンスの技術も、基礎的な事ならひと月もあれば身に付くはずです。その程度の事なら、修理工場のスタッフだけでなく、営業社員にもおぼえさせたらいいんですよ。
そういう普段の接触の多さが、必ず次のクルマの販売につながるんだから。何の問題もない。
(ザイオン効果というのがあるんです。そこを良く考えるべきだと思う。)
だから、やっぱりトヨタは自転車を作るべきだよなぁってつくづく思う。
いやまぁトヨタだけでなく、ニッサンもホンダもなんですけどね。
でもまぁ、まずトップ企業がやらなくちゃダメなんですよ、こういう事は。
任天堂が「ゲーム市場の拡大」を目指してDSやWiiを成功させたのと同じことです。
ちゃんとやれよ!トヨタ! トップ企業なんだからって事です。
それがトップの責任やねんけどなぁ。
作ってくれ!自転車を。国産でいつもメンテやサポートがしっかりしてるような製品を!
それ、欲しいよなぁ。僕はそういう自転車なら買います。
で、こういう事が進めばね、社会的な投資とかにもつながっていくはずなんですよね。
上記の自転車専用信号機みたいなものが、どんどん必要になってくる。高速道路を自転車を走らせようという話にもなってくるかもしれない。実際、上記の「自転車会議」では、高速道路の下に自動車専用道路を作ったらどうか?というアイディアが出されていました。これは雨の多い日本では、すごく良いアイディアなんですよ。雨の日の交通渋滞の緩和に大きく役立つはずですし。
そうなると、そういうさまざまな「自転車社会実現」への投資が経済効果を高めるわけですよ。なんせ、いままでやってきてなかった事なんだから。まったく新しいニーズが、
●ドッカーン
と化け物のように大きく生まれるって事です。
しかも、最初のハードルはものすごく低い。なんせ高速を造るとかの巨大投資が必要なわけではないからです。新たな社会習慣が生まれる。で、既存の道路交通網というインフラの効率がぐっと上がるわけですよ。
これは本当にすごいですよ。新しい市場整備で、いままでにまったくなかった経済があらたに生まれて活性化していくわけです。だから、本当にトヨタは自転車を作るべきだよなぁって思う。
この本では、谷垣禎一さんが地方の活性化にも自転車を利用できるのではないか?みたいな事を言っておられて、それは可能性としてあるよなぁって思うわけです。
地方だと、大型店舗が「クルマ」用に発達して、駅前の商店街がシャッター通りになってしまっているというのが大きいわけです。
しかし、駅前というのは他の都市との接点でもあるし、自転車が走りやすい環境を整えれば、駅前に、また人が集まってくるきっかけにもなるよなぁって僕は思うのです。
先日も大阪では、道頓堀の放置自転車を一斉に撤去してたんですけど、あれなんか愚策中の愚策でしてね。
あれは撤去しても、どうせまた増えるわけです。酔っぱらって歩くのがしんどくなった不埒な奴が、自転車を盗んでチョイ乗りして乗り捨てていくから、放置自転車が増えるのであって、駐輪用のチェーンロックができる固定ポストのようなものをたくさん作れば、盗難は減るわけですよ。まず最初にやらなければいけないのは、「盗難しやすい環境」の排除で、それを実現するには固定ポストを作るのがベストでしょう。で、それは放置自転車の排除作業を何度も繰り返し行う予算より、たぶんはるかに少ない予算でできるはずです。
年に12回排除作業をしてるのなら、6回に減らして、その分固定ポストを作ればいいのです。そうすれば年々放置自転車(盗難放置車)が減っていきます。確実に。
で、シャッター通りになってしまった駅前商店街も、まずは、固定ポスト方式の駐輪場の設置からやれば良いのです。
いや、いっそ有料の自転車置き場からやったらいい。有料駐輪場は儲かる、あるいは、キチンとペイするんです。駐車場を運営している会社が言ってますから。それで充分OKですよ。駐輪場があれば、人がそこまでやってくる。そこから経済が動き出すんです。だから、まずそれをやらなきゃ。
で、そういう新しい経済の流れを作ることを念頭に、トヨタのような大企業がそれを促進していかないとアカンよなぁって思うのですよ。
いままでのような「ガソリン車の新モデルへの買い換え」ではなくて「電気自動車+家族に一人一台の高機能スポーツ自転車への買い換え」という新しい価値観創造への転換をはからないと。
そういうような事をふくめて、本当にトヨタには自転車を作って欲しいよなぁって思います。
だって、誰も損せんのやから。
トヨタも得。クルマに乗る人も得。自転車に乗る人間も得。どこに問題がありますのん?
自転車を作らないトヨタは、ようするに単なるバカということですな、やっぱし。
●トヨタは自転車をつくるべきだ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200901130817068576/
という書き込みをしましたが、先日、
自転車会議
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/456977217X
という本を読みまして、よりいっそう、「トヨタは自転車を作るべきだ」と思いましたねぇ。
いや、この本に「トヨタよ自転車を作れ」とは全然書いてないんですけどね。
この本は、自転車好きの有名人の歓談というかワイワイガヤガヤしゃべってる内容で、内容としては薄いんですけど、新しい情報とか、いろんな角度からの切り口とかがあって、そういう意味ではとても面白い本でした。夕方に買ってその日の内に読んでしまった。2時間くらいで充分読めてしまう内容。
ただ、登場人物が、自転車界のご意見番、疋田智さんは当然にしても、いまや時代の寵児となった勝間和代さん、元レーサーの片山右京さん、日本人初のツールドフランス出場者今中大介さん、自民党総裁になられた谷垣禎一さんと、そうそうたるメンバーなのですね。そこがすごい。
で、この人たちは全員、自転車フリークなわけです。なので、話してる内容自体がすごい。
だから読んでると、いろいろぶっ飛んだ事が書いてあるんですよね。たとえば、
●イタリアの高速道路(スーパーストラーダ:準高速という感じのものらしい)では、自転車が走れる。
●ノルウェーでも高速を自転車が通行可能
●オランダには、どんな小さな道にも自転車用レーンが設置されている
●オランダでは自転車専用道路の長さが日本の100倍である
●当然、自転車専用レーンに駐車する車はいない
●デンマーク・フィンランドには自転車専用の早めに切り替わる信号がある
とまぁ、ほへぇ~と目を丸くするしかない話が満載です。海外の自転車事情は本当にうらやましいなぁ~と心底思いますな。
で、これが道路行政の進むべき方向だよなぁって思うわけです。まぁ基本はヨーロッパの話なんですけどね。自転車はやっぱりヨーロッパです。文化の厚みが違うわ。乗り物として、社会的に正しく評価されてるよなぁって思うわけです。
まず、ヨーロッパと日本にこれだけの差があるという事を念頭においていただいて…。
(あ、そうか、自転車がいかに「クルマの代替になりえるすぐれた交通機関であるのか」ということを、ここのページを読んでる人は知らないのですよね。ああ、そうだった。
えー世界標準のスポーツ自転車に乗れば、時速25km~35kmくらいは出せますので、大阪や東京では、地下鉄などの公共交通機関を使うより早くに出発点から到着点まで移動できます。何より早いです。最強です。一方通行は関係ないし、駐車の手間なども不要ですから市内・都内移動なら、自動車なんかほぼナンセンスなのです。雨の日以外は。人間1人が移動するだけなら、まず自転車が最強。荷物を運ぶ、複数人で移動する、などの用事がないかぎり、クルマにアドバンテージは全くありません。)
たとえば、フランスなんかでは、バスと自転車が共有する「バス・自転車専用レーン」というのがあって、このレーンには自動車は入れず、バスも速度が30km/h台で動いてるのだそうです。
都市交通においては信号が絶対に必要になりますから、40km/hを越すスピードというのは、実用上意味がないんですよ。テンポ30、ようするに30km/h台での移動で充分足りるんですね。で、専用レーンでバスが渋滞にまきこまれなくなると、時刻表どおりに発着ができて市民の足として有用になるということです。自転車も同様のスピードで安全に走れれば、かなりの数の市民がストレスなく快適に都市を移動できるということになります。
こういう事を見聞きすると、やっぱり、もっと自転車を優遇した社会にすべきだと本当に思うんですよね。クルマを否定することはしないけども、なんでもかんでもクルマを使うというのではなくて、「ひとりで移動するだけだし自転車やバスで行けばいいや」という選択肢を、きちんと作っておかないとダメだって事です。
で、自転車・バスが実用に足る、市民の足になれば、クルマにとってもかなり大きなメリットが出てくるんです。
というのは、クルマから、バス・自転車に乗り換えると、それだけで道路に空き空間が生まれるからなんですよ。
つまり、道が空いて、クルマが走りやすくなるってことです。
当然でしょ?これ。
どうしてここに、みんなが気がつかないのか。
みんなが必要以上にクルマばっかり使うから、クルマが混雑を引き起こして、不便な社会になってしまってるわけです。
だから都市交通というのは、
●クルマに不便で、自転車やバスに便利な仕組み。
にした方が圧倒的にみんなが快適だってことなんですよ。クルマに乗っている人にも快適なんです。
バスに乗ってる人が全員クルマで移動したら、車間距離まで含めて、そら、ものすご~~い面積が必要になって、道路が大混雑になってしまうに決まってます。当たり前の話です。
だから、バスや自転車はクルマの敵ではなく、非常に大切なクルマの仲間なのだと再認識していただきたいですな。(というか、もともと自転車は軽車両と言って本質的に「クルマ」なんですけども。)
クルマでも、二人以上乗ってるとか、荷物を運んでるというのなら、腹も立たないですけど、ボーっとした人間がひとりでクルマに乗ってるだけというようなのを見ると「お前、何を道路の無駄遣いしとんねん!クルマから降りろ!迷惑や!」と言いたくなってしまうんですよ。
道路は移動したいと思っている人間、みんなのものであって、「クルマのもの」ではないんですよね。
で、こういう事を、すごく、普通の人に知って欲しいよなぁと思ってるわけですけど、この本の中でこれまた面白い事が書いてあって、
●トヨタはそういう人の移動の効率について深い見識がある。
という事を片山右京さんは言うわけですよ。なんちゅうても、元レーサーですからね。ちょっと引用しましょう。
(引用開始)------------------
片山 (略)トヨタなんていうのは、そういうところにものすごい理解が深い。たとえば、奥さんが駅に旦那さんを「ヴィッツ」というちっちゃなクルマで送りますよね。あれは、人間1人を運ぶために1.3トンぐらいのものを動かすということで、エネルギー効率的には非常に矛盾している、ということを言っていますからね。
(引用終了)------------------
という事なんだそうです。
で、実は疋田智さんという方は、テレビ局で番組制作をするのが本業の方なんですけど、実は「自転車に乗ろう!」というような番組を局に提案しても、スポンサーが付かないんだそうです。
そりゃそうですね。日本で自転車に関係している会社といえば、本当に小さな会社ばかりですし、大手でもブリジストンとかタイヤが本業だったりパナソニックみたいに一部門が自転車を作ってるところばっかりで、世界的な自転車関連企業のシマノが存在してるにはしてますが、あくまで部品メーカーなので、一般に広告を打つ必然性がないわけです。だから、そういう番組が成立しなくなっちゃってるんですね。
しかも、疋田さんが言うには、テレビ番組側の、よけいな気の回し方みたいな話があるということなんです。たとえば勝間和代さんが、番組中で「こういうシーンではクルマはやめて自転車に乗ればいいじゃないですか。」とリハーサルで発言したら、プロデューサーが飛んできて「それ本番では勘弁してください。スポンサーが某クルマメーカーなんです。」と規制したりするんだそうです。
くだらない自己規制なんですよね。上記のような「自転車や公共交通機関の利用が増えれば、クルマも走りやすい」という大前提が見えてない。トヨタも、そういう事はわかっているのだ、という知識もない。
つまり、気を回しすぎの自己規制で、みんなが知るべき情報がマスコミには流れていないって事なんです。
このあたりのジレンマは、自転車乗りにはすごく大きくて、ほんとうにどこか力のある団体が、上手に政治を動かしてくれないかなぁと真剣に思ってしまうわけですよ。
で、そういう事を考えると、実はやっぱり、こういう「ゆがみ」が出てしまうのは、トヨタが自転車を作っていない、世界的に遅れた会社だからだって事にしかならないわけです。
本来は「クルマを作る会社」ではなくて「人の移動をサポートする会社」でなければいけないわけです。そういう企業文化とか社会参加意識が低いわけですね。
で、次々に新しいクルマを作っては買い換えさせるという戦略しか採ってない。
でも、ですよ、クルマだけを売るのではなくて、クルマ+自転車を売れば、+アルファがある分儲かるし、こういう不況時にも、経営的にも安定するはずなんですよ。
クルマ一台の値段はどんどん安くなっていて、高い自転車(本当に良い自転車なら一台100万円くらいラクラクでかかります。20万円とか30万円とか、けっこう普通の値段です。)自転車一台とそんなに差がなくなってしまってる。
しかもクルマは、都市部だと一台あったら、それで家族全員が移動しておしまいなわけです。でも自転車ならひとりに一台以外に選択枝はないんですよね。だから「ひとりに一台」というのがまったく無理なく成立するわけですよ。
まぁ田舎だったらひとりに一台とは言わないまでも、2台、3台買うことはよくありますけど、駐車場代やら空間やらムダも多い。だからやっぱり自転車とセットで「生活における移動ツールを総合的に提供する」という方向に企業として進化すべきだと思うんですよね。
仮に最廉価版のスポーツ自転車を5万円として、5人家族なら5×5=25万円にはなるわけですよ。良い自転車なら10万円以上も当たり前ですから、(軽くて実用に足る自転車なら、どうしてもそういう価格になります。)家族5人で50万円は確実に自動車にプラスする形で購入してもらえるわけです。
こうなってくると、自転車の販売だって、バカにはできなくなってくるでしょう。
この不況で買い換えもなかなか進まないかも知れなくても、自転車ならガソリン代・駐車場代すら不要なのだから、その有用性さえアピールできれば、けっこう買ってもらえるはずなのです。
しかも、健康にも良くて、企業イメージの向上に役立つし、エコへの貢献度も一気に高まります。プリウスどころの騒ぎではないのです。
しかも、です。
普段、クルマに乗ってる人が必要に応じて自転車に乗るようになれば、
●道路が空く
んです。
つまり回り回って、クルマの性能が上がったのと同じ結果になるわけですよ。道路なんて、そうそう作れませんからね。でも、クルマのユーザーが、必要に応じて自転車にも乗るというチョイスなら、いまからすぐにでも選べる選択肢なわけです。クルマにも大きなメリットが出てくるわけですよ。
だから、トヨタは道路空間を広くする=クルマの性能を上げるという意味においても、自転車を販売する責任があるはずだと、僕なんかは思うわけです。
トヨタが自転車を作っていないのは、「当社は世界に追いついていない、田舎者の会社でございます。」と公言しているようなものです。旦那の駅へのクルマでの送り届けのムダが分ってるなら、やっぱり自転車を作らなきゃおかしいわけです。実践ができてない。口だけ。「言うだけ番長」。いちばん卑怯だ。
で、トヨタが自転車を作れば、上記のような、勝間さんの「クルマをやめて自転車に乗ればいい」というような発言が自主規制で封殺されることもなくなるわけですし、何より、トヨタが自転車推進の番組のスポンサーに浮上してくるわけです。
そのくらいの番組スポンサーになれよ!トヨタ!世界的企業と言うなら、そのくらいやれ!
とまぁ、僕は思うのです。
ネットでググると自転車乗りからは「トヨタが自転車? そんなださいのは買わないよ、俺は。」という声が多いみたいなんですけど、大きく社会構造を考えたら、トヨタが自転車を作ってない方がよっぽどおかしいのだと僕は思いますねぇ。
だって、街なかを走っていて、国内メーカーの自転車を見ることなんて、本当にまれですから。スポーツ自転車はほとんどが輸入品。ジャイアントとかルイガノとか、トレックとか。
ブリジストンやパナソニックなんて、見つける方が難しいくらいですし。
で、欲しい自転車を注文したら、輸入の船便待ちで2~3週間またされるのが普通なわけです。
それはやっぱり、どこかちょっといびつだよなぁって思う。
それもこれも、やっぱりトヨタが自転車を作ってないのがイカンのだと思うわけです。
それに、「ああ、そうか」と思ったのが、勝間和代さんの発言にある、「女性にとっての自転車のカベはメンテナンス」という話。
自転車というのは、実にシンプルな機械のかたまりで、本当に部品のちょっとした調整で調子がずいぶんと変わるんですね。だから、多少の調整はユーザーがやるのが当然というところがあるんですが、そこが女性にはしんどいわけです。走っていて、なんか変な音がしたら、もう不安で乗ってられないとかになる。
勝間和代さんなんかは、そういう部分は完全に自転車屋さんまかせなんだそうです。苦手な事はやらない。まぁ勝間さんらしい。(笑)
でも、たぶん、世間の女性のほとんどが、やっぱりメンテナンスは苦手なはずです。
なら。
トヨタ、大チャンスじゃないですか。
トヨタのお店で自転車のメンテもできるようにしてごらんなさいよ。
お客さんがどんどん自転車の調整で来店しますよ。
その頻繁な来店こそが、次のクルマ販売の重要な販売ステップになるわけです。
プリウスを飛び越えて、そういう人たちには電気自動車も売れるはずです。
なんと言っても自転車に乗る人はエコ意識が高いんだから。それはもう、すばらしい先進ユーザーがお客さまについてくれて、精緻なる市場調査ができるようにもなるはずです。
なんかね、トヨタ祭りだのなんだの、販売店にお客を呼び込む販促とか山盛りトヨタ系列のお店はやってるわけですけど、トヨタが自転車も作ったら、それこそ毎日のようにお客さんが来ますって。
自転車のメンテナンスの技術も、基礎的な事ならひと月もあれば身に付くはずです。その程度の事なら、修理工場のスタッフだけでなく、営業社員にもおぼえさせたらいいんですよ。
そういう普段の接触の多さが、必ず次のクルマの販売につながるんだから。何の問題もない。
(ザイオン効果というのがあるんです。そこを良く考えるべきだと思う。)
だから、やっぱりトヨタは自転車を作るべきだよなぁってつくづく思う。
いやまぁトヨタだけでなく、ニッサンもホンダもなんですけどね。
でもまぁ、まずトップ企業がやらなくちゃダメなんですよ、こういう事は。
任天堂が「ゲーム市場の拡大」を目指してDSやWiiを成功させたのと同じことです。
ちゃんとやれよ!トヨタ! トップ企業なんだからって事です。
それがトップの責任やねんけどなぁ。
作ってくれ!自転車を。国産でいつもメンテやサポートがしっかりしてるような製品を!
それ、欲しいよなぁ。僕はそういう自転車なら買います。
で、こういう事が進めばね、社会的な投資とかにもつながっていくはずなんですよね。
上記の自転車専用信号機みたいなものが、どんどん必要になってくる。高速道路を自転車を走らせようという話にもなってくるかもしれない。実際、上記の「自転車会議」では、高速道路の下に自動車専用道路を作ったらどうか?というアイディアが出されていました。これは雨の多い日本では、すごく良いアイディアなんですよ。雨の日の交通渋滞の緩和に大きく役立つはずですし。
そうなると、そういうさまざまな「自転車社会実現」への投資が経済効果を高めるわけですよ。なんせ、いままでやってきてなかった事なんだから。まったく新しいニーズが、
●ドッカーン
と化け物のように大きく生まれるって事です。
しかも、最初のハードルはものすごく低い。なんせ高速を造るとかの巨大投資が必要なわけではないからです。新たな社会習慣が生まれる。で、既存の道路交通網というインフラの効率がぐっと上がるわけですよ。
これは本当にすごいですよ。新しい市場整備で、いままでにまったくなかった経済があらたに生まれて活性化していくわけです。だから、本当にトヨタは自転車を作るべきだよなぁって思う。
この本では、谷垣禎一さんが地方の活性化にも自転車を利用できるのではないか?みたいな事を言っておられて、それは可能性としてあるよなぁって思うわけです。
地方だと、大型店舗が「クルマ」用に発達して、駅前の商店街がシャッター通りになってしまっているというのが大きいわけです。
しかし、駅前というのは他の都市との接点でもあるし、自転車が走りやすい環境を整えれば、駅前に、また人が集まってくるきっかけにもなるよなぁって僕は思うのです。
先日も大阪では、道頓堀の放置自転車を一斉に撤去してたんですけど、あれなんか愚策中の愚策でしてね。
あれは撤去しても、どうせまた増えるわけです。酔っぱらって歩くのがしんどくなった不埒な奴が、自転車を盗んでチョイ乗りして乗り捨てていくから、放置自転車が増えるのであって、駐輪用のチェーンロックができる固定ポストのようなものをたくさん作れば、盗難は減るわけですよ。まず最初にやらなければいけないのは、「盗難しやすい環境」の排除で、それを実現するには固定ポストを作るのがベストでしょう。で、それは放置自転車の排除作業を何度も繰り返し行う予算より、たぶんはるかに少ない予算でできるはずです。
年に12回排除作業をしてるのなら、6回に減らして、その分固定ポストを作ればいいのです。そうすれば年々放置自転車(盗難放置車)が減っていきます。確実に。
で、シャッター通りになってしまった駅前商店街も、まずは、固定ポスト方式の駐輪場の設置からやれば良いのです。
いや、いっそ有料の自転車置き場からやったらいい。有料駐輪場は儲かる、あるいは、キチンとペイするんです。駐車場を運営している会社が言ってますから。それで充分OKですよ。駐輪場があれば、人がそこまでやってくる。そこから経済が動き出すんです。だから、まずそれをやらなきゃ。
で、そういう新しい経済の流れを作ることを念頭に、トヨタのような大企業がそれを促進していかないとアカンよなぁって思うのですよ。
いままでのような「ガソリン車の新モデルへの買い換え」ではなくて「電気自動車+家族に一人一台の高機能スポーツ自転車への買い換え」という新しい価値観創造への転換をはからないと。
そういうような事をふくめて、本当にトヨタには自転車を作って欲しいよなぁって思います。
だって、誰も損せんのやから。
トヨタも得。クルマに乗る人も得。自転車に乗る人間も得。どこに問題がありますのん?
自転車を作らないトヨタは、ようするに単なるバカということですな、やっぱし。
ウクレレのおまつり2009&自転車散歩。
2009年10月5日たまにはここでも個人的な話を書かねばと、ふと思いまして。
この土日が、例年のごとく参加している、近畿圏のウクレレ教室合同の発表会イベントでありました。
毎年参加者が増えてきて、今年はなんと400人を越す大所帯になってしまいました。
会場が小さいので、100人ずつの4回分割での催しでありまして、我々は第二部、土曜日の夕方から開演の部への参加。
とは言うものの、ここまで規模が大きくなってくると、もう、もともと全部を見ることは難しいので、参加意欲がかなり落ちておるのであります。ということで、最初から自分たちの発表が終わったら、さっさと抜けてみんなで打ち上げ(と称する飲み会)にしようという話が早々に決まっておりました。
まぁ、1部~4部まで、各部ごとのしめくくりに講師演奏というのがありまして、ここがなかなかに見所聞き所なので、それが見れないのは残念だなぁと思ってたのですが、それは早めに出かけたので1部の分を見ることができたし、問題なし。演奏終了と同時にふけるぞ!といきおいこんでおったのです。
が、しかし、問題がひとつだけ発生。
いちおうライブハウスでの開催なので、参加費は1ドリンクがついての値段ということになっておりました。でも、この1ドリンクをいつ飲むのか?というのが問題になってしまったのでした。いつもは自分たちの演奏が終わった後で、他の人の演奏を聴きながら飲んで楽しむというノリだったのですが、それができない。しかし、出場前に飲むとなると、酔っぱらって演奏するってなことになってしまう。
うーむ。と考えましたが「まぁええやん」と先飲み決定。みんなで酔っぱらって演奏ってなことになってしまったのでありました。
でもまぁ、今年は演奏の完成度は高く、(なんせ半年も前から、えんえん授業で同じ曲を丁寧に丁寧に練習し続けてきた曲なので。)演奏としては問題なし。満足感を持って演奏したのでありました。
その後は中華街へと繰りだして食事兼飲み会。えんえんと飲んで飲み過ぎの世界でありましたが。
いや、なかなか楽しかったのであります。
------------------
で、日曜日は自転車散歩に出かけたのでありまして。
ここしばらく雨続きだったので快晴の日曜日は、実に貴重だったのですよ。もう、雲一つない快晴で、自転車で走るには最適の日でした。
まぁ、気持ちよいなんてものではないですね。
こういう日に自転車で走ると、どこへ行って走っていても、風や光が心地よいのです。
とにかく大阪市内の緑のあるところ、川沿いの自転車道などを延々と走った一日だったのですが、こうして走ってみると、意外にも知らない道や場所がたくさんあるんですねぇ。
毛馬の水門なんて、名前は知ってたけど、横を通るのははじめてでした。
で、意外に川沿いはサイクリングロードがそれなりに整備されていて、日曜日の少し長めに自転車で走る、というのには最適かも知れないですね。
やっぱり電車で走っているだけでは、なかなか行かないところもあるし、通勤で移動するだけだと、どうしても同じコースになりがちだから、時折はこういう事もした方がいいなぁ。
でもまぁ、実際にサイクリングコースを走ってみると、本当に自転車は、こういう川沿いのような、通常の「道路」から追い出されたところしか走らせてもらえないのだという事を、よりいっそう強く感じて、いまの道路行政のいびつさを、体感せざるを得ないというのが、これまたマイナス面ではあるのですが。
サイクリングコースの整備をする金があったら、街なかに自転車の公共駐輪場をたくさん作って欲しいもんだよなぁとしみじみと思います。
数日前に大阪市では道頓堀の路上駐輪している自転車を、一斉に撤去したんですが、あれは本当に愚策でありまして、バカとしか言いようがないんですよねぇ。
そんなことをせずにキチンとチェーンロックで自転車を固定できるような駐輪ポストを、公共の設備として設置すればいいんです。そうすれば撤去の人員の給料より安い値段で、この手の問題は解決するんです。
ま、この話は別アーティクルにした方が良いのでそのうち書くとして、日本の道路行政のアホくささは感じながらも、気候は大変気持ちよく、それなりに楽しく走れた一日でありました。
はい。
この土日が、例年のごとく参加している、近畿圏のウクレレ教室合同の発表会イベントでありました。
毎年参加者が増えてきて、今年はなんと400人を越す大所帯になってしまいました。
会場が小さいので、100人ずつの4回分割での催しでありまして、我々は第二部、土曜日の夕方から開演の部への参加。
とは言うものの、ここまで規模が大きくなってくると、もう、もともと全部を見ることは難しいので、参加意欲がかなり落ちておるのであります。ということで、最初から自分たちの発表が終わったら、さっさと抜けてみんなで打ち上げ(と称する飲み会)にしようという話が早々に決まっておりました。
まぁ、1部~4部まで、各部ごとのしめくくりに講師演奏というのがありまして、ここがなかなかに見所聞き所なので、それが見れないのは残念だなぁと思ってたのですが、それは早めに出かけたので1部の分を見ることができたし、問題なし。演奏終了と同時にふけるぞ!といきおいこんでおったのです。
が、しかし、問題がひとつだけ発生。
いちおうライブハウスでの開催なので、参加費は1ドリンクがついての値段ということになっておりました。でも、この1ドリンクをいつ飲むのか?というのが問題になってしまったのでした。いつもは自分たちの演奏が終わった後で、他の人の演奏を聴きながら飲んで楽しむというノリだったのですが、それができない。しかし、出場前に飲むとなると、酔っぱらって演奏するってなことになってしまう。
うーむ。と考えましたが「まぁええやん」と先飲み決定。みんなで酔っぱらって演奏ってなことになってしまったのでありました。
でもまぁ、今年は演奏の完成度は高く、(なんせ半年も前から、えんえん授業で同じ曲を丁寧に丁寧に練習し続けてきた曲なので。)演奏としては問題なし。満足感を持って演奏したのでありました。
その後は中華街へと繰りだして食事兼飲み会。えんえんと飲んで飲み過ぎの世界でありましたが。
いや、なかなか楽しかったのであります。
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で、日曜日は自転車散歩に出かけたのでありまして。
ここしばらく雨続きだったので快晴の日曜日は、実に貴重だったのですよ。もう、雲一つない快晴で、自転車で走るには最適の日でした。
まぁ、気持ちよいなんてものではないですね。
こういう日に自転車で走ると、どこへ行って走っていても、風や光が心地よいのです。
とにかく大阪市内の緑のあるところ、川沿いの自転車道などを延々と走った一日だったのですが、こうして走ってみると、意外にも知らない道や場所がたくさんあるんですねぇ。
毛馬の水門なんて、名前は知ってたけど、横を通るのははじめてでした。
で、意外に川沿いはサイクリングロードがそれなりに整備されていて、日曜日の少し長めに自転車で走る、というのには最適かも知れないですね。
やっぱり電車で走っているだけでは、なかなか行かないところもあるし、通勤で移動するだけだと、どうしても同じコースになりがちだから、時折はこういう事もした方がいいなぁ。
でもまぁ、実際にサイクリングコースを走ってみると、本当に自転車は、こういう川沿いのような、通常の「道路」から追い出されたところしか走らせてもらえないのだという事を、よりいっそう強く感じて、いまの道路行政のいびつさを、体感せざるを得ないというのが、これまたマイナス面ではあるのですが。
サイクリングコースの整備をする金があったら、街なかに自転車の公共駐輪場をたくさん作って欲しいもんだよなぁとしみじみと思います。
数日前に大阪市では道頓堀の路上駐輪している自転車を、一斉に撤去したんですが、あれは本当に愚策でありまして、バカとしか言いようがないんですよねぇ。
そんなことをせずにキチンとチェーンロックで自転車を固定できるような駐輪ポストを、公共の設備として設置すればいいんです。そうすれば撤去の人員の給料より安い値段で、この手の問題は解決するんです。
ま、この話は別アーティクルにした方が良いのでそのうち書くとして、日本の道路行政のアホくささは感じながらも、気候は大変気持ちよく、それなりに楽しく走れた一日でありました。
はい。
アクセス解析を見てみると、意外にも「民主圧勝の理由」で検索してる人がちらほらいてるんですね。
前に書いた
●民主党圧勝の理由。「自民がひどかったから民主が勝った」というのは、大嘘だなぁ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200908311845476563/
が、けっこう検索でひっかかってるらしいんです。グーグルで「民主圧勝の理由」での検索で1ページ目に入ってるみたいで。
で、へぇ~と思いまして、同じ「民主圧勝の理由」で書かれている記事を読んでみると、想像してたより、他の記事の内容が浅い。あら、そうなの?という感じ。
圧勝、圧勝と言うけど、もともと「選挙区で1位の人間しか当選しない」という小選挙区制は、極端に言えば1万票と1万1票の1票差でも多い方だけが勝ってしまう選挙制度で、前回の郵政選挙の時だって「得票数で見れば僅差」と言われてたわけです。
郵政選挙って奴は郵政のものすごい金額の貯金が民営化されて、世界金融筋が運用できるようになるかも知れないって事で、かなりの金が動いた選挙だったわけですね。テレビなんか番組自体が「郵政イエスかノーか」ばっかりやってたし。巨大広告代理店がCM合戦をやって、考えのない人間を洗脳することで時局を動かそうとした選挙だった。
でも、そうやってマスコミを動かして動く投票行動というのは、実はわずかなわけです。
郵政選挙の時だって得票数では僅差だったわけで。
なので、今回の選挙だとて、もしかしたら、郵政選挙の時とおなじく「僅差で大勝」とかになってしまうかもなぁと僕は思ってたんですね。
で、あの副島隆彦さんですら「勝ちすぎは良くない」と言っておられるし、世間の風評では「民主勝ちすぎ」が定番の言い方になってるんですが、僕はそうは思ってないんですね。
これは大きなパラダイムシフトであるわけなのだし、大事なのは選挙後の実際の運営なのだから、僅差で大勝というのではなく、「国民の熱い支持があっての政権交代」という実質がなければ意味がないと思ってたわけです。そうでないと、すぐまた官僚にあやつられて、民主党が第二の自民党化するだけですから。(すでにチラホラと自民党化の傾向も見えます。)
やはり政権というものは、国民からの信任が厚いかどうかというのは、すごく重要だと思うわけですよ。選挙もせず、「禅定」で譲り受けた安倍くんなんか、ブッシュとの会談がなかなか実現しなかったし。
ところが、鳩山さんはオバマから電話がかかってきたりして、首相に選ばれて10日で会談。
扱いが違うわけですよ。それはやっぱり。
ひとえに「国民からの信任を得ているかどうか」が問われるわけです。
あのクリントンの嫁はん国務長官をごらんなさいな。民主党政権になる前には、日本に来て「自衛隊の給油活動を継続してね。」と小沢さんに申し入れて、小沢さんに蹴られて、で、西松建設みたいな事が起きたりしたわけです。それがいまでは「給油活動でなくてもいい」とか発言してる。えらい違いや。
外から見てた方がわかりやすいわけですよ。「日本を動かしてるのは官僚だ。官僚を手なづければ、この国は動かしやすい。」と、むこうの政治家はわかってるわけです。
実際、コロコロ変わる政治家と太いパイプを作るより、日本の場合はずっと変わらず政策作成をしている官僚を支配したほうが思い通りに動かしやすいわけですからな。
だから「拒否できない日本」の関岡さんがあばいたように「年次改革要望書」というような文書による日本改造計画がそのまままかり通っていたわけです。
でも、日本国民が一丸となって「ノー」と言ったら、これはもう「年次改革要望書があるから、それに沿って政策つくるのが筋でしょ」というような官僚操り策は通用せんわけですな。
だって日本は日本国民のものなんだから。肝心の国民が「イヤ!」と言ったら、それはどうしようもない。
田中宇さんなんかは、「それはアメリカが多極化を目指しているからだ、アメリカの方向が変わったんだ」とか言う話になるわけですけど、そういう難しい話かなぁ? それより何より国民全体の大きなうねりとかがあったら、よその国の人間にはどうしようもないというそういうこと何じゃないの?って僕は思う。
で、世間を見渡しても、いまだに民主圧勝の理由は、きまぐれな国民がフラフラしていた結果だ、みたいな論調が見えたりするんですけど、それは違うよなぁってつくづく思うわけです。
前回の郵政選挙だって、得票数では僅差で、まさにフラフラしていた層をとりこんだ事で「大勝」になったわけです。
しかし、今回はテレビで「政権交代がやってくる!」とかを大々的にキャンペーンしていたかというと、全然そんな事はないわけですね。やってたのは、警察のリーク情報を垂れ流しにしてただけの「のりピー事件の顛末」ばっかりだったわけです。
これは、日本の権力構造が変わってしまって官僚が「悪者扱い」される事を嫌がった警察が「警察は正義」という印象を国民に持ってもらうために、えんえん、えんえん、選挙期間中ずっと、しつこいくらいに、マスコミにリークし続けた、官僚の側の一大キャンペーンだったわけですよ。
で、この結果どうなったかというと、実は、かなりの「フラフラした層」が、自民にころんでしまったんだと、僕は見てます。
というのは、選挙前は各メディアが議席予想で「民主最大320議席、自民は100を割る危険性」と言ってたのに、実際は308:119だったわけです。
これ、かなり自民党が勝ってるよ。
いやほんとに。
この予想に関しては、かなりの新聞社が外してしまってるんです。新聞社は「外れました」などとは言いませんから、注目されず、「民主大勝!」で済ませてますけどね。
ともあれ、そういう事だから、「フラフラした層」が民主に流れたというような話は、あんまり説得力がないよなぁって思うわけです。
実際、今回自民党総裁選に出馬して、谷垣さんに破れた河野太郎さんなんかは、「今回自民党は勝ちすぎました」と言ってたらしいんですね。「は?」って思うじゃないですか。こんなにボロ負けで。
でも、そうじゃないんですよ。古手の議員が残っちゃったわけです。森元総理もそうだし、まぁ他いろいろ。もうね、古い政治家はいらんと。そういう事が言いたかったらしい。負けるなら、どっか~んと負けて、完全に世代交代が完了した方が、巻き返しもしやすいって話な訳です。
比例代表と小選挙区の二つの仕組みで選挙は行われますけど、政治家の間では、比例で勝ったところで、大きな顔はできないわけです。小選挙区で勝たないとダメ。
今回、河野太郎なんて誰も知らなかったのに、総裁候補で出てきて(出てきただけでも大したものなんですよ。推薦人20人集めたって事だから。)それで144票もなんで取ったかというと、この人は小選挙区で勝ったからです。
石破さんも自民党の中で発言力が大きくなってますが、この人も小選挙区で勝ったからです。
総裁が谷垣さんになりましたけど、この人も小選挙区で勝ったからです。くしくも、あの比例代表でやっとこひっかかってギリギリ議員として残れた小池百合子が「小選挙区で勝った人が総裁になるのよ」と言ったらしいですが、その通りなんですね。
ようは、国民の信任を得たかどうかなんです。
で。
その「信任」は、どうやって得たか?
それは河野太郎を見ればわかりやすい。
この人は駅立ちをやった。
毎日やった。
朝は「いってらっしゃい。河野太郎です。」、夕方は「おかえりなさい。河野太郎です。」
これをえんえんやり続けた。
ようはどぶ板選挙を徹底的にやったわけです。
今回自民党で生き残ってるのは、そういう、どぶ板選挙を本気でやった人だけなんです。
ようは国民の側を向いた人だけ。
ここがものすごく大事です。
郵政選挙みたいに大きなお金が絡んでるときは、マスコミを使ったマスメディア選挙で「風評で政権が動く」みたいな事もあるでしょうけど、今回のように、そういう巨額資金の取り合い合戦もみえていないと、それはもう、ひたすら「どぶ板選挙」しかないわけです。
で、前の「民主圧勝の理由。『自民がひどかったから民主が勝った』というのは、大嘘だなぁ。」でも書いたように、今回民主党が勝った理由も、河野太郎とまったく一緒なんですよ。
ひたすら「どぶ板」です。
選挙後、いろいろ雑誌やブログを読んでみたけど、やっぱり民主党議員のどぶ板が半端ではなかった。
前に書いた記事のコメントに付け加えた情報の再録になりますが、例の中田安彦さんのブログでは、「小沢は新人の候補に駅立ちを一日数十回、戸別訪問三万件をするように言っていたという。」という話が載ってました。
また、アエラによれば、愛媛の永江孝子の場合、
(引用開始)-----------------
昨秋以降、街頭演説が1300回。約30ある中学校区での集会は2巡した。
(引用終了)-----------------
という事らしい。
半端じゃないんですよ。回数が。
これを、僕はもう、8/30日の選挙の開票報道を見てた時に直観的に気付いてたわけです。
だって、民主党の議員の多くが「小泉チルドレン」とは違う、堂々たる政治家という受け答えの人が多かったからなんです。
当選してすぐの時は、コメンテーターから、ちょっと意地悪な質問とかも出ますけど、そういう質問へのあしらいの仕方が慣れてる議員とかがけっこう多かったんですね。
それはやっぱり、この「どぶ板」を山盛りやって、現場で国民からのヤジやら怒号やら痛烈なる批判やらを、えんえん浴びながらも、どぶ板をやり続けてきたからだろうと。そういう事なわけです。
前の記事にも書いたけど、ひたすら角栄さんのやり方そのままなんですよ。まさに田中角栄直系の弟子小沢一郎の指示があったからこそなわけです。
これも前の記事の繰り返しになりますが、
「民主党は、国民と顔を合わせ、その回数を重ねることで、マーケティングリサーチと、新人育成とを同時に行ったのだ。だから大勝したのだ。」
って事です。
民主党の議員の言葉の裏には、
●駅立ち一日数十回
●戸別訪問 三万件
●街頭演説1300回
●中学校区での集会30×2=60回
というような膨大な数の国民との接触回数がある。
これこそが民主大勝の、一番大きな理由で、他の理由はかなり小さいんです。
そうでなきゃ、もっと他の党に票が流れてるはずなわけです。
国民の不満を「聞く」人間がいて、そこに票が流れた、ということです。
なにより、それが一番大きな理由でしょう。
で、小選挙区制というのは、郵政選挙の時のように、そして今回のように、優勢な側が大勝することが簡単に起きる選挙制度なわけです。
それを日本人は正しく体験してしまったわけです。郵政と民主大勝と。2回の両極を見た。
一回はマスコミ主導で、二回目はどぶ板主導。
どちらにせよ、がんばった側が大勝する。
そして政権交代は可能な仕組みである。
それを学んだ。
ということは、次が民主党になるとは限らないって事です。
また自民党が大勝する可能性だっていくらでもある。
民主党が政権運営を失敗したら、「自民党にやらせろ」ってなる。
それは、国民の側が本気でそう思ったら、そうなるって事です。(思わせたら、かな?)
それを国民の側が学んだって事が、今回の選挙では一番大きかったのではないか?という気がします。
まぁ本当の事を言うと、小沢さんが農協に頼らずに農家に個別補償しますよと言ったり、子ども手当だしますよと言ったりした「国民へのバラマキ政策」が、すごく支持されたというのは大きいんですけどね。直接バラマキが組織票を崩したっていうのはある。
あと、あんまり公明党が自民党と長く付き合って、宗教政党が本来受け持つべきだった「平和の党」としての役割が果たせず、他の宗教団体が不満に感じだしたっていうのもけっこう大きいわけですが。立正校正会が自民党応援に回らなかったとか、そういうのが大きいって言うのもある。
あと稲森さんも民主応援だったし。稲森さんの下には中小企業がごちゃまんと付いてますからねぇ。もの凄い数やから。
それと、大阪の橋本府知事が民主支持を表明したのも、少なくとも大阪では大きかったんじゃないかなぁ。
そういうキーパーソンが、心情的に民主に傾いたというのはかなり大きかったでしょう。
日本は本当に「組織票」の世界ですから。実は「フラフラした層」の動きは、それほど大きくはないわけです。そういうキーパーソンを小沢さんがからめ手で直接落としていったというのも理由としては大きいでしょう。
しかし、それでもやっぱり、一番大きい理由は、「どぶ板」ですわ。
それが今回の選挙では、一番大きかった。
なんか、副島隆彦さんの学問道場の有料会員向けのページに書かれてたんですが、昔は小沢さんは、議員に金をばらまいて選挙運動をしてたんだそうですよ。その資金調達こそが、彼の「剛腕」の源泉だったらしいんですね。
でも、ある時から、そういう金を配るというのをやめて、議員には「地盤を配る」に変更したんだそうです。「この地域はお前にやる。自分で刈り取れ。」という事らしいですね。
で、よくよく考えてみたら、金をいくらもらったところで票にならなかったらうれしくもなんともないわけですよ。金をもらうより票が欲しい。それが政治家でしょう。それが本質なんだから。「小選挙区で勝った人が総裁になるのよ」という小池百合子のセリフこそが真実なわけです。
金より票だ。
時代が変わるとか、世の中が動くとか言う時は、やっぱり「金より票」なわけですよ。
金を取りに行くのではなく票を取りに行く。
そういう姿勢を持つか持たないかこそが運命を分けたって事じゃないですかね。
まさに本質回帰でしょう。
で、小沢さんは地盤だけ渡して「票は自分で刈り取れ。駅立ち一日数十回。戸別訪問3万軒。それをやれ。」と言ったわけです。つまりは票を取る取り方だけ教えた。(+国民へのバラマキ戦略なんだけど。)
こういう部分をマスコミはあんまり言わない感じがすごくある。新聞にせよ、テレビにせよ、「小沢チルドレン・小沢ガールズで、小沢の力が増す」という話ばっかり。
いやー、それも違うでしょって思うんですよね。
地元回りをしたのは小沢さんじゃなくて、各議員なわけですよ。票を握ったのは、各議員なんですよ。で、票さえ取ったら、議員は強いんですよ。「小選挙区で勝った人が総裁になるのよ」という小池百合子のセリフがすべて。
だから、今後大変なのは、小沢チルドレンvs小沢一郎なんですよ。国民の信任を得た議員なんて、古手議員の言う事なんて、そうそう聞かないですよ。河野太郎を見よ、ってことです。票さえ手に入れたら、こっちのもんだって事で。もちろん小泉さんみたいに党内で刺客を立てるとか、そういう「党の動き」ってことでは小沢さんが剛腕をふるうでしょうけど、もうすでに衆議院戦をかいくぐってきた個別の議員や小沢ガールズは、国民を背負ってるって思ってるからねぇ。いくら小沢さんでも筋が通ってなかったりしたら反感を持つはずだし、たぶん、「国民の信任」を背景に党の支配層=小沢さんを批判することになるはずです。
(なんでこういう、当たり前のダイナミクスを、いまのマスコミは読めないのか?本当にマスコミの質が下がってると情けなく思いますな。見た目の女子アナばっかりちやほやするからアカンのやと思う。)
やっぱりだから、「どぶ板」で国民の顔をとにかく見る。それが本質回帰で一番重要な事だし、今回の選挙での民主党大勝の一番の理由でもあるって事です。
いまは、その本質回帰を、本当に自民党にやってもらいたい。
正しい批判勢力が育たないと、それこそ民主党が、また官僚にあやつられるような事になっておしまいなんだし。
がんばれ自民党って思う。谷垣さんは自転車乗りやし。(関係ないか。)
いやほんま自民党の再生がいまの日本の命運を握ってるんやけど。
はたしてどうなりますことか。
前に書いた
●民主党圧勝の理由。「自民がひどかったから民主が勝った」というのは、大嘘だなぁ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200908311845476563/
が、けっこう検索でひっかかってるらしいんです。グーグルで「民主圧勝の理由」での検索で1ページ目に入ってるみたいで。
で、へぇ~と思いまして、同じ「民主圧勝の理由」で書かれている記事を読んでみると、想像してたより、他の記事の内容が浅い。あら、そうなの?という感じ。
圧勝、圧勝と言うけど、もともと「選挙区で1位の人間しか当選しない」という小選挙区制は、極端に言えば1万票と1万1票の1票差でも多い方だけが勝ってしまう選挙制度で、前回の郵政選挙の時だって「得票数で見れば僅差」と言われてたわけです。
郵政選挙って奴は郵政のものすごい金額の貯金が民営化されて、世界金融筋が運用できるようになるかも知れないって事で、かなりの金が動いた選挙だったわけですね。テレビなんか番組自体が「郵政イエスかノーか」ばっかりやってたし。巨大広告代理店がCM合戦をやって、考えのない人間を洗脳することで時局を動かそうとした選挙だった。
でも、そうやってマスコミを動かして動く投票行動というのは、実はわずかなわけです。
郵政選挙の時だって得票数では僅差だったわけで。
なので、今回の選挙だとて、もしかしたら、郵政選挙の時とおなじく「僅差で大勝」とかになってしまうかもなぁと僕は思ってたんですね。
で、あの副島隆彦さんですら「勝ちすぎは良くない」と言っておられるし、世間の風評では「民主勝ちすぎ」が定番の言い方になってるんですが、僕はそうは思ってないんですね。
これは大きなパラダイムシフトであるわけなのだし、大事なのは選挙後の実際の運営なのだから、僅差で大勝というのではなく、「国民の熱い支持があっての政権交代」という実質がなければ意味がないと思ってたわけです。そうでないと、すぐまた官僚にあやつられて、民主党が第二の自民党化するだけですから。(すでにチラホラと自民党化の傾向も見えます。)
やはり政権というものは、国民からの信任が厚いかどうかというのは、すごく重要だと思うわけですよ。選挙もせず、「禅定」で譲り受けた安倍くんなんか、ブッシュとの会談がなかなか実現しなかったし。
ところが、鳩山さんはオバマから電話がかかってきたりして、首相に選ばれて10日で会談。
扱いが違うわけですよ。それはやっぱり。
ひとえに「国民からの信任を得ているかどうか」が問われるわけです。
あのクリントンの嫁はん国務長官をごらんなさいな。民主党政権になる前には、日本に来て「自衛隊の給油活動を継続してね。」と小沢さんに申し入れて、小沢さんに蹴られて、で、西松建設みたいな事が起きたりしたわけです。それがいまでは「給油活動でなくてもいい」とか発言してる。えらい違いや。
外から見てた方がわかりやすいわけですよ。「日本を動かしてるのは官僚だ。官僚を手なづければ、この国は動かしやすい。」と、むこうの政治家はわかってるわけです。
実際、コロコロ変わる政治家と太いパイプを作るより、日本の場合はずっと変わらず政策作成をしている官僚を支配したほうが思い通りに動かしやすいわけですからな。
だから「拒否できない日本」の関岡さんがあばいたように「年次改革要望書」というような文書による日本改造計画がそのまままかり通っていたわけです。
でも、日本国民が一丸となって「ノー」と言ったら、これはもう「年次改革要望書があるから、それに沿って政策つくるのが筋でしょ」というような官僚操り策は通用せんわけですな。
だって日本は日本国民のものなんだから。肝心の国民が「イヤ!」と言ったら、それはどうしようもない。
田中宇さんなんかは、「それはアメリカが多極化を目指しているからだ、アメリカの方向が変わったんだ」とか言う話になるわけですけど、そういう難しい話かなぁ? それより何より国民全体の大きなうねりとかがあったら、よその国の人間にはどうしようもないというそういうこと何じゃないの?って僕は思う。
で、世間を見渡しても、いまだに民主圧勝の理由は、きまぐれな国民がフラフラしていた結果だ、みたいな論調が見えたりするんですけど、それは違うよなぁってつくづく思うわけです。
前回の郵政選挙だって、得票数では僅差で、まさにフラフラしていた層をとりこんだ事で「大勝」になったわけです。
しかし、今回はテレビで「政権交代がやってくる!」とかを大々的にキャンペーンしていたかというと、全然そんな事はないわけですね。やってたのは、警察のリーク情報を垂れ流しにしてただけの「のりピー事件の顛末」ばっかりだったわけです。
これは、日本の権力構造が変わってしまって官僚が「悪者扱い」される事を嫌がった警察が「警察は正義」という印象を国民に持ってもらうために、えんえん、えんえん、選挙期間中ずっと、しつこいくらいに、マスコミにリークし続けた、官僚の側の一大キャンペーンだったわけですよ。
で、この結果どうなったかというと、実は、かなりの「フラフラした層」が、自民にころんでしまったんだと、僕は見てます。
というのは、選挙前は各メディアが議席予想で「民主最大320議席、自民は100を割る危険性」と言ってたのに、実際は308:119だったわけです。
これ、かなり自民党が勝ってるよ。
いやほんとに。
この予想に関しては、かなりの新聞社が外してしまってるんです。新聞社は「外れました」などとは言いませんから、注目されず、「民主大勝!」で済ませてますけどね。
ともあれ、そういう事だから、「フラフラした層」が民主に流れたというような話は、あんまり説得力がないよなぁって思うわけです。
実際、今回自民党総裁選に出馬して、谷垣さんに破れた河野太郎さんなんかは、「今回自民党は勝ちすぎました」と言ってたらしいんですね。「は?」って思うじゃないですか。こんなにボロ負けで。
でも、そうじゃないんですよ。古手の議員が残っちゃったわけです。森元総理もそうだし、まぁ他いろいろ。もうね、古い政治家はいらんと。そういう事が言いたかったらしい。負けるなら、どっか~んと負けて、完全に世代交代が完了した方が、巻き返しもしやすいって話な訳です。
比例代表と小選挙区の二つの仕組みで選挙は行われますけど、政治家の間では、比例で勝ったところで、大きな顔はできないわけです。小選挙区で勝たないとダメ。
今回、河野太郎なんて誰も知らなかったのに、総裁候補で出てきて(出てきただけでも大したものなんですよ。推薦人20人集めたって事だから。)それで144票もなんで取ったかというと、この人は小選挙区で勝ったからです。
石破さんも自民党の中で発言力が大きくなってますが、この人も小選挙区で勝ったからです。
総裁が谷垣さんになりましたけど、この人も小選挙区で勝ったからです。くしくも、あの比例代表でやっとこひっかかってギリギリ議員として残れた小池百合子が「小選挙区で勝った人が総裁になるのよ」と言ったらしいですが、その通りなんですね。
ようは、国民の信任を得たかどうかなんです。
で。
その「信任」は、どうやって得たか?
それは河野太郎を見ればわかりやすい。
この人は駅立ちをやった。
毎日やった。
朝は「いってらっしゃい。河野太郎です。」、夕方は「おかえりなさい。河野太郎です。」
これをえんえんやり続けた。
ようはどぶ板選挙を徹底的にやったわけです。
今回自民党で生き残ってるのは、そういう、どぶ板選挙を本気でやった人だけなんです。
ようは国民の側を向いた人だけ。
ここがものすごく大事です。
郵政選挙みたいに大きなお金が絡んでるときは、マスコミを使ったマスメディア選挙で「風評で政権が動く」みたいな事もあるでしょうけど、今回のように、そういう巨額資金の取り合い合戦もみえていないと、それはもう、ひたすら「どぶ板選挙」しかないわけです。
で、前の「民主圧勝の理由。『自民がひどかったから民主が勝った』というのは、大嘘だなぁ。」でも書いたように、今回民主党が勝った理由も、河野太郎とまったく一緒なんですよ。
ひたすら「どぶ板」です。
選挙後、いろいろ雑誌やブログを読んでみたけど、やっぱり民主党議員のどぶ板が半端ではなかった。
前に書いた記事のコメントに付け加えた情報の再録になりますが、例の中田安彦さんのブログでは、「小沢は新人の候補に駅立ちを一日数十回、戸別訪問三万件をするように言っていたという。」という話が載ってました。
また、アエラによれば、愛媛の永江孝子の場合、
(引用開始)-----------------
昨秋以降、街頭演説が1300回。約30ある中学校区での集会は2巡した。
(引用終了)-----------------
という事らしい。
半端じゃないんですよ。回数が。
これを、僕はもう、8/30日の選挙の開票報道を見てた時に直観的に気付いてたわけです。
だって、民主党の議員の多くが「小泉チルドレン」とは違う、堂々たる政治家という受け答えの人が多かったからなんです。
当選してすぐの時は、コメンテーターから、ちょっと意地悪な質問とかも出ますけど、そういう質問へのあしらいの仕方が慣れてる議員とかがけっこう多かったんですね。
それはやっぱり、この「どぶ板」を山盛りやって、現場で国民からのヤジやら怒号やら痛烈なる批判やらを、えんえん浴びながらも、どぶ板をやり続けてきたからだろうと。そういう事なわけです。
前の記事にも書いたけど、ひたすら角栄さんのやり方そのままなんですよ。まさに田中角栄直系の弟子小沢一郎の指示があったからこそなわけです。
これも前の記事の繰り返しになりますが、
「民主党は、国民と顔を合わせ、その回数を重ねることで、マーケティングリサーチと、新人育成とを同時に行ったのだ。だから大勝したのだ。」
って事です。
民主党の議員の言葉の裏には、
●駅立ち一日数十回
●戸別訪問 三万件
●街頭演説1300回
●中学校区での集会30×2=60回
というような膨大な数の国民との接触回数がある。
これこそが民主大勝の、一番大きな理由で、他の理由はかなり小さいんです。
そうでなきゃ、もっと他の党に票が流れてるはずなわけです。
国民の不満を「聞く」人間がいて、そこに票が流れた、ということです。
なにより、それが一番大きな理由でしょう。
で、小選挙区制というのは、郵政選挙の時のように、そして今回のように、優勢な側が大勝することが簡単に起きる選挙制度なわけです。
それを日本人は正しく体験してしまったわけです。郵政と民主大勝と。2回の両極を見た。
一回はマスコミ主導で、二回目はどぶ板主導。
どちらにせよ、がんばった側が大勝する。
そして政権交代は可能な仕組みである。
それを学んだ。
ということは、次が民主党になるとは限らないって事です。
また自民党が大勝する可能性だっていくらでもある。
民主党が政権運営を失敗したら、「自民党にやらせろ」ってなる。
それは、国民の側が本気でそう思ったら、そうなるって事です。(思わせたら、かな?)
それを国民の側が学んだって事が、今回の選挙では一番大きかったのではないか?という気がします。
まぁ本当の事を言うと、小沢さんが農協に頼らずに農家に個別補償しますよと言ったり、子ども手当だしますよと言ったりした「国民へのバラマキ政策」が、すごく支持されたというのは大きいんですけどね。直接バラマキが組織票を崩したっていうのはある。
あと、あんまり公明党が自民党と長く付き合って、宗教政党が本来受け持つべきだった「平和の党」としての役割が果たせず、他の宗教団体が不満に感じだしたっていうのもけっこう大きいわけですが。立正校正会が自民党応援に回らなかったとか、そういうのが大きいって言うのもある。
あと稲森さんも民主応援だったし。稲森さんの下には中小企業がごちゃまんと付いてますからねぇ。もの凄い数やから。
それと、大阪の橋本府知事が民主支持を表明したのも、少なくとも大阪では大きかったんじゃないかなぁ。
そういうキーパーソンが、心情的に民主に傾いたというのはかなり大きかったでしょう。
日本は本当に「組織票」の世界ですから。実は「フラフラした層」の動きは、それほど大きくはないわけです。そういうキーパーソンを小沢さんがからめ手で直接落としていったというのも理由としては大きいでしょう。
しかし、それでもやっぱり、一番大きい理由は、「どぶ板」ですわ。
それが今回の選挙では、一番大きかった。
なんか、副島隆彦さんの学問道場の有料会員向けのページに書かれてたんですが、昔は小沢さんは、議員に金をばらまいて選挙運動をしてたんだそうですよ。その資金調達こそが、彼の「剛腕」の源泉だったらしいんですね。
でも、ある時から、そういう金を配るというのをやめて、議員には「地盤を配る」に変更したんだそうです。「この地域はお前にやる。自分で刈り取れ。」という事らしいですね。
で、よくよく考えてみたら、金をいくらもらったところで票にならなかったらうれしくもなんともないわけですよ。金をもらうより票が欲しい。それが政治家でしょう。それが本質なんだから。「小選挙区で勝った人が総裁になるのよ」という小池百合子のセリフこそが真実なわけです。
金より票だ。
時代が変わるとか、世の中が動くとか言う時は、やっぱり「金より票」なわけですよ。
金を取りに行くのではなく票を取りに行く。
そういう姿勢を持つか持たないかこそが運命を分けたって事じゃないですかね。
まさに本質回帰でしょう。
で、小沢さんは地盤だけ渡して「票は自分で刈り取れ。駅立ち一日数十回。戸別訪問3万軒。それをやれ。」と言ったわけです。つまりは票を取る取り方だけ教えた。(+国民へのバラマキ戦略なんだけど。)
こういう部分をマスコミはあんまり言わない感じがすごくある。新聞にせよ、テレビにせよ、「小沢チルドレン・小沢ガールズで、小沢の力が増す」という話ばっかり。
いやー、それも違うでしょって思うんですよね。
地元回りをしたのは小沢さんじゃなくて、各議員なわけですよ。票を握ったのは、各議員なんですよ。で、票さえ取ったら、議員は強いんですよ。「小選挙区で勝った人が総裁になるのよ」という小池百合子のセリフがすべて。
だから、今後大変なのは、小沢チルドレンvs小沢一郎なんですよ。国民の信任を得た議員なんて、古手議員の言う事なんて、そうそう聞かないですよ。河野太郎を見よ、ってことです。票さえ手に入れたら、こっちのもんだって事で。もちろん小泉さんみたいに党内で刺客を立てるとか、そういう「党の動き」ってことでは小沢さんが剛腕をふるうでしょうけど、もうすでに衆議院戦をかいくぐってきた個別の議員や小沢ガールズは、国民を背負ってるって思ってるからねぇ。いくら小沢さんでも筋が通ってなかったりしたら反感を持つはずだし、たぶん、「国民の信任」を背景に党の支配層=小沢さんを批判することになるはずです。
(なんでこういう、当たり前のダイナミクスを、いまのマスコミは読めないのか?本当にマスコミの質が下がってると情けなく思いますな。見た目の女子アナばっかりちやほやするからアカンのやと思う。)
やっぱりだから、「どぶ板」で国民の顔をとにかく見る。それが本質回帰で一番重要な事だし、今回の選挙での民主党大勝の一番の理由でもあるって事です。
いまは、その本質回帰を、本当に自民党にやってもらいたい。
正しい批判勢力が育たないと、それこそ民主党が、また官僚にあやつられるような事になっておしまいなんだし。
がんばれ自民党って思う。谷垣さんは自転車乗りやし。(関係ないか。)
いやほんま自民党の再生がいまの日本の命運を握ってるんやけど。
はたしてどうなりますことか。
タイトルはえらく牧歌的ですが。
実は内容は「スポーツについて」という話です。
いや、わたしね、正直、多分、スポーツ音痴なんだと思うのですよ。
なにがスポーツ音痴かというと、
●スポーツ自体が好きではない。
のですね。
どうにも好かん。
友人にテニスをやってる奴とかもいてて、スポーツファンというのがいてるのもわかるのですが、それでもやっぱり、スポーツというもの自体が、どうにも怪しげでおかしなものに思えて仕方ないんですよ。
まぁ確かにテニスにせよ、サッカーにせよ、野球にせよ、そういう点数を競う競技が、点数を取る、勝ち負けを競うというのが面白いというのは、まぁわかるんですけど、でも、たかが点数やん、それがどうした? という気にしかなれないわけです。
自分が成長したとか言うのなら、まぁ面白みもあるけど、なんか勝ち負けのためにやるって幼稚というか、子供っぽいというか、実はあんまり面白いと思わないんですよね。
なんで、点数にために体をヘトヘトになるまで動かしたりするんやろ? 頭おかしいんと違うか?って思ってしまう。
って言うか、はっきり言って、頭がおかしいんだろうというのが僕の結論なんですけども。(笑)
っていうのはですね、昔、山の中の段々畑を借りて、趣味で農作物を作っていた時期があったんですよ。けっこう広い面積を借りていたので、山の下から上まで上るだけで一、二分はかかるくらいの距離なんですね。
段々畑ですから、ちょっと鎌やスキ・クワとかの農具を取りに戻るだけでも、そこいらの駅の階段を何度も上り下りするような負荷がかかっていたわけです。
でね。
こういう体の動かし方っていうのは、体を動かしているという意識がまったくないわけです。
まず「目的」がありますから。
自分の目的があって、それを達成するために体を動かしているわけです。ここがスポーツとは違う。まったく違うポイントなんです。
やりたいことがあって、それをやっていたら、結果として体も動かしていた、ということですね。
体を動かす、というのは、本来そういうもののはずなわけですよ。
さっき「スポーツしてるというのは、頭がどこかおかしい。」と書いたのは、ここなんです。道具を取りに坂道を上るというような、目的が明確で、そのために体を動かしている作業は、通常「スポーツ」とは呼びませんからな。頭は目的のために使ってるわけです。
スポーツというのは、頭をスポーツのために使っている。
ここがおかしいわけです。
意識と行動のズレがあるというのが、本来かなりおかしいって思うわけですよ。
なので、その極端な例が「ボディビル」ということになるのかなぁって思うわけです。あれはもう、あくまで見せるための筋肉で、モノを持ち上げたり運んだりするための筋肉ではないですからなぁ。
いやまぁ、実際、現代社会というのは、徹底して体の動きを低減させるように仕組みができてしまってますから、「健康のためにスポーツをする」ということを、どこかで取り入れるしかないわけですね。これはもう、どうしてもしょうがない。
でも、本来「スポーツするために体を動かす」というのは人間本来のあり方として、どこかやっぱり「おかしい」と思っていることが、とても大事だよなぁと、僕は思っているのです。
●目的を持たない運動は、精神がおかしくなる。
というのが、僕の偽らざる気持ちなわけです。
スポーツ、スポーツと言うけれど、やっぱり僕は、スポーツと聞くと、まず「スポーツ障害」というのをイメージするんですよね。
荷物を運ぶために筋肉が太くなるのと、テニスでラケットを振って筋肉が太くなるのとでは、やっぱりそれは正常と異常の差が、必ずあると思ってるわけです。
だって、あんなラケットを振る作業なんて、そんなもの、日常生活に必要あるわけないじゃないですか。
で、しかも目的が「勝ち負け」なんだから、やっぱりどこかでちょっと無理したりとか、ついしがちになってしまうのが当然だと思うわけですよ。
だから、どんなスポーツをやっても、僕の場合は、農作業をやってた時の「合目的感」という気持ちよさを思い出して、いまいちスキッとした気分になれないんですね。
農作業をしている時の気持ちよさは、スポーツと違って、頭の論理構造が気持ち良いって事なんです。この気持ちよさはスポーツにはない。残念ながら存在しません。「スポーツ」では無理です。スポーツしかやってない人は、この心身一如の気持ちよさを知らないんだろうなぁ、不幸な話よなぁと思ってしまうんですね。
で、です。
そういうことを考え合わせると、現代社会で合目的的に、無理なく運動するとなると、「通勤における徒歩」というのが、非常に重要になるわけです。
歩く、というのは、目的がありますからね。
どこへ行くのかという、自分の頭の中の合目的感があって、その欲求に沿って動く。歩く。
だから精神構造として健康で、快適で、すっきりするんです。
なので、ずっと歩くことを大切にして、エレベーターより階段、エスカレーターを使わずに階段、時間があるなら一駅程度は電車に乗らずに徒歩。打合せがあれば、ちょっと早めに出て歩く。とかをやってたわけです。
これを、たとえばジョギングをするとかマラソンをするとかしたとたんに、「運動のための運動」ということになるわけですね。目的が空虚化する。運動が生活とか自然の行いとか普段のふるまいから離れてしまう。
それは、僕に言わせると、一直線に「キチガイ」への道だと思ってるんです。
いや、言い方は極端なんですけど、大きくはそういう事だと思う。
スポーツ障害だって、ようは「生活」とか「目的」から外れてしまった、暴走の結果です。
それはやっぱりおかしな事だよなぁって思うのですね。
雑草を刈り取らないと目的の作物が育たないし、そのためにしゃがんで鎌で草を刈る。この行為をスポーツにしようと思えばできるんでしょうけど、そんな事しておもろいか?っちゅう話なんですよ。
なので、どうにもスポーツというもの自体が好きになれなくて、なかなか何かをやる気にはなれなかったんですが、やっと「合目的」でありながら「運動」にもなるもの、が見つかったのが自転車だったわけです。
自転車は通勤に使いますし、行きたい場所への移動に使います。
つねに、まず自分の「目的」という精神の健康があった上に、「手段としての運動」があるわけですね。
だから良いのです。
無理がない。
心に無理がないのです。
ストレスがない。
フリー。
気持ちがいい。
最高。
そういう事です。
去年の夏とか、歩くだけでは、ちょっと運動量が足りないかなぁと思って、一時期プールに通ってた時期もあったんですがね。
あの、わざわざプールに行くという行為がすでにもう病気な気がして、私には無理でしたなぁ。アホくさくて、とてもやないけど続ける気になれない。
さてどうしたものか?と思ってたところに、スポーツ自転車、というか、世界標準のちゃんとした自転車の豊かな世界を知った、ということなわけです。
テニスも野球も、筋トレも、ジョギングもマラソンもボディビルも、サッカーも、まぁたいていのスポーツが、まともな精神の人間がやるものではないと、ここで断じてしまうのです。
え? 言い過ぎやって?
いやー、そうは思わないのですよ。農作業の「まともさ」を知ってると。いや、ほんとに。
点数とか数値のために体を動かすってのは、やっぱり異常ですわ。
本当にスポーツが好きな人は、でも実は、その「異常さ」はわかってるんですよね。
プロのアスリートの場合は、いかに効果的に点数を得るか?のために緻密な訓練を組み立てているのだから(しかも、かなり個別に特殊なプログラムを。)その「合目的性」は正しく理解してますし、ゆっくり休むことをも含めて、とても効率的にトレーニングをしているわけです。
問題は、わかってない一般の素人なわけです。
聞きかじりの思いつき、気分と雰囲気でスポーツしている一般人。
これがおかしいんだと思う。
そこに「合目的」というのはないんですよね。
数字だけをおいかけていたり、カッコや雰囲気だけを求めていたり、すっきりしない。
まぁ、現代においては、どうしたって運動不足になってしまうわけだから、どこかでそういう「異常な行為」というのをやらざるを得ないのはしょうがないんですけど、やっぱりそこは、そういう運動が「異常なのだ」という意識は持ってないとアカンよなぁって思うんですね。
で、付け加えて言うと、スポーツをするというのは、本来異常な行為なんだから、やっぱりまともな「コーチ」を付けてやるべきだって事なんですね。
これはウクレレを習いに行ってよく分かりましたけど、やっぱり学校の先生はプロです。ひとりひとりの目的と実力と楽しさのバランスをよ~く勘案して、最適の課題を出してくださる。
ちょっとしんどいかな?と思える課題でも「あなたの現状の実力なら大丈夫」とかなり難しい課題を出すかと思えば、「え?こんな簡単なことを何度もさせるの?」という事を嫌というほど何度もさせたりします。
でも、それが実に良いバランスなわけですね。
自分で仕事とは関係ない「運動」を自分で設定してしまうと、基準値がなくて、どこまでも暴走する危険とつねに隣り合わせなのが、実は「スポーツ」というもので、そこを客観視して暴走を防ぎ、効率的に「目的」に導いてくれるのがトレーナーだなぁと思うのです。
前に、少しだけ
●仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980867
という本を紹介しましたけど、この本ではそういう、筋トレに関する「個人トレーナー」の必要性を説いていて、そういう意味で「とても良い本だなぁ」と思ったんですね。
いま、自転車だと下半身だけしか運動できないので、筋トレも始めようかなぁとも思ってるんですが、やるとしたら、やっぱり個人トレーナーをつけてやらないといけないなぁって思っております。
で、現代社会においては、スポーツってものは「やらざるを得ないもの」になってきてるんだから、精神異常にならないためにも、やっぱり個人トレーナーに付いて積み重ねるというのが一番いいだろうなぁって考えてるんですね。
それは別に超有名な俳優が肉体改造をするような特殊なトレーニングではなくて、それこそ「どういう目的で運動されたいのですか?」というコンサルテーションから始まって、具体的な身体能力や心肺能力の測定まで含めて、適切で、やっていて楽しいメニューを紹介してもらう、というような事ですね。
(このあたりのメニューの豊富さ、組み立てこそがトレーナーの腕でしょうね。ウクレレを習いにいってても、いまの先生は、メンバーの実力を見てアレンジ譜を書いてくださるのですが、それが実に適切なわけです。そういう事がとても大事だと思う。)
こういう具合にノウハウを確かに持ったトレーナー、コーチがいてるなら、スポーツもやっても良いと思うのですよ。つねに「合目的」から外れることがないし、おもしろくもないメニューとか、あるいは自分にとって効果の少ないメニューを無駄に行うとか、そのメニューを考えるために無駄に時間を使うとかがない。すごく大事なポイントだろうと思うのです。
で、また自転車の話に戻るのですが、実は自転車には、このトレーナーのいてない状態での暴走とか、「異常」っていうのが少ないわけです。
だってもともと、「移動の道具である」という、合目的性があるからですね。
自分の行為が、「浮く」「空回りする」って事が少ない。
それはそれは、ものすごく少ない。
ここがすごく良いのです。
自転車は、そこの部分で脳みそがおかしなモードにならないのが良いよなぁってつくづく思うのです。いつも「自分の自然な望み(移動の必要性)」と寄り添った行為として運動がある。
そこがいいよなぁ。
ほんとうに。
考える頭が、まともに動いている。
考える頭が、「スポーツのためのスポーツ」に侵されていない。
どの瞬間でも、いつも「どこに行こうか?」という自分への根源的で自然な問いかけと一緒に連れ立って動ける。
その自然さと気持ちよさこそが自転車の本当の素晴らしさなんですね。
それが実は自転車の、一番の魅力なんだと思うのです。
まぁ、ちょっとお洒落に言うなら「頭のために良いスポーツ」とでも言いますかね。
いやほんと。自転車。よろしおまっせ。
実は内容は「スポーツについて」という話です。
いや、わたしね、正直、多分、スポーツ音痴なんだと思うのですよ。
なにがスポーツ音痴かというと、
●スポーツ自体が好きではない。
のですね。
どうにも好かん。
友人にテニスをやってる奴とかもいてて、スポーツファンというのがいてるのもわかるのですが、それでもやっぱり、スポーツというもの自体が、どうにも怪しげでおかしなものに思えて仕方ないんですよ。
まぁ確かにテニスにせよ、サッカーにせよ、野球にせよ、そういう点数を競う競技が、点数を取る、勝ち負けを競うというのが面白いというのは、まぁわかるんですけど、でも、たかが点数やん、それがどうした? という気にしかなれないわけです。
自分が成長したとか言うのなら、まぁ面白みもあるけど、なんか勝ち負けのためにやるって幼稚というか、子供っぽいというか、実はあんまり面白いと思わないんですよね。
なんで、点数にために体をヘトヘトになるまで動かしたりするんやろ? 頭おかしいんと違うか?って思ってしまう。
って言うか、はっきり言って、頭がおかしいんだろうというのが僕の結論なんですけども。(笑)
っていうのはですね、昔、山の中の段々畑を借りて、趣味で農作物を作っていた時期があったんですよ。けっこう広い面積を借りていたので、山の下から上まで上るだけで一、二分はかかるくらいの距離なんですね。
段々畑ですから、ちょっと鎌やスキ・クワとかの農具を取りに戻るだけでも、そこいらの駅の階段を何度も上り下りするような負荷がかかっていたわけです。
でね。
こういう体の動かし方っていうのは、体を動かしているという意識がまったくないわけです。
まず「目的」がありますから。
自分の目的があって、それを達成するために体を動かしているわけです。ここがスポーツとは違う。まったく違うポイントなんです。
やりたいことがあって、それをやっていたら、結果として体も動かしていた、ということですね。
体を動かす、というのは、本来そういうもののはずなわけですよ。
さっき「スポーツしてるというのは、頭がどこかおかしい。」と書いたのは、ここなんです。道具を取りに坂道を上るというような、目的が明確で、そのために体を動かしている作業は、通常「スポーツ」とは呼びませんからな。頭は目的のために使ってるわけです。
スポーツというのは、頭をスポーツのために使っている。
ここがおかしいわけです。
意識と行動のズレがあるというのが、本来かなりおかしいって思うわけですよ。
なので、その極端な例が「ボディビル」ということになるのかなぁって思うわけです。あれはもう、あくまで見せるための筋肉で、モノを持ち上げたり運んだりするための筋肉ではないですからなぁ。
いやまぁ、実際、現代社会というのは、徹底して体の動きを低減させるように仕組みができてしまってますから、「健康のためにスポーツをする」ということを、どこかで取り入れるしかないわけですね。これはもう、どうしてもしょうがない。
でも、本来「スポーツするために体を動かす」というのは人間本来のあり方として、どこかやっぱり「おかしい」と思っていることが、とても大事だよなぁと、僕は思っているのです。
●目的を持たない運動は、精神がおかしくなる。
というのが、僕の偽らざる気持ちなわけです。
スポーツ、スポーツと言うけれど、やっぱり僕は、スポーツと聞くと、まず「スポーツ障害」というのをイメージするんですよね。
荷物を運ぶために筋肉が太くなるのと、テニスでラケットを振って筋肉が太くなるのとでは、やっぱりそれは正常と異常の差が、必ずあると思ってるわけです。
だって、あんなラケットを振る作業なんて、そんなもの、日常生活に必要あるわけないじゃないですか。
で、しかも目的が「勝ち負け」なんだから、やっぱりどこかでちょっと無理したりとか、ついしがちになってしまうのが当然だと思うわけですよ。
だから、どんなスポーツをやっても、僕の場合は、農作業をやってた時の「合目的感」という気持ちよさを思い出して、いまいちスキッとした気分になれないんですね。
農作業をしている時の気持ちよさは、スポーツと違って、頭の論理構造が気持ち良いって事なんです。この気持ちよさはスポーツにはない。残念ながら存在しません。「スポーツ」では無理です。スポーツしかやってない人は、この心身一如の気持ちよさを知らないんだろうなぁ、不幸な話よなぁと思ってしまうんですね。
で、です。
そういうことを考え合わせると、現代社会で合目的的に、無理なく運動するとなると、「通勤における徒歩」というのが、非常に重要になるわけです。
歩く、というのは、目的がありますからね。
どこへ行くのかという、自分の頭の中の合目的感があって、その欲求に沿って動く。歩く。
だから精神構造として健康で、快適で、すっきりするんです。
なので、ずっと歩くことを大切にして、エレベーターより階段、エスカレーターを使わずに階段、時間があるなら一駅程度は電車に乗らずに徒歩。打合せがあれば、ちょっと早めに出て歩く。とかをやってたわけです。
これを、たとえばジョギングをするとかマラソンをするとかしたとたんに、「運動のための運動」ということになるわけですね。目的が空虚化する。運動が生活とか自然の行いとか普段のふるまいから離れてしまう。
それは、僕に言わせると、一直線に「キチガイ」への道だと思ってるんです。
いや、言い方は極端なんですけど、大きくはそういう事だと思う。
スポーツ障害だって、ようは「生活」とか「目的」から外れてしまった、暴走の結果です。
それはやっぱりおかしな事だよなぁって思うのですね。
雑草を刈り取らないと目的の作物が育たないし、そのためにしゃがんで鎌で草を刈る。この行為をスポーツにしようと思えばできるんでしょうけど、そんな事しておもろいか?っちゅう話なんですよ。
なので、どうにもスポーツというもの自体が好きになれなくて、なかなか何かをやる気にはなれなかったんですが、やっと「合目的」でありながら「運動」にもなるもの、が見つかったのが自転車だったわけです。
自転車は通勤に使いますし、行きたい場所への移動に使います。
つねに、まず自分の「目的」という精神の健康があった上に、「手段としての運動」があるわけですね。
だから良いのです。
無理がない。
心に無理がないのです。
ストレスがない。
フリー。
気持ちがいい。
最高。
そういう事です。
去年の夏とか、歩くだけでは、ちょっと運動量が足りないかなぁと思って、一時期プールに通ってた時期もあったんですがね。
あの、わざわざプールに行くという行為がすでにもう病気な気がして、私には無理でしたなぁ。アホくさくて、とてもやないけど続ける気になれない。
さてどうしたものか?と思ってたところに、スポーツ自転車、というか、世界標準のちゃんとした自転車の豊かな世界を知った、ということなわけです。
テニスも野球も、筋トレも、ジョギングもマラソンもボディビルも、サッカーも、まぁたいていのスポーツが、まともな精神の人間がやるものではないと、ここで断じてしまうのです。
え? 言い過ぎやって?
いやー、そうは思わないのですよ。農作業の「まともさ」を知ってると。いや、ほんとに。
点数とか数値のために体を動かすってのは、やっぱり異常ですわ。
本当にスポーツが好きな人は、でも実は、その「異常さ」はわかってるんですよね。
プロのアスリートの場合は、いかに効果的に点数を得るか?のために緻密な訓練を組み立てているのだから(しかも、かなり個別に特殊なプログラムを。)その「合目的性」は正しく理解してますし、ゆっくり休むことをも含めて、とても効率的にトレーニングをしているわけです。
問題は、わかってない一般の素人なわけです。
聞きかじりの思いつき、気分と雰囲気でスポーツしている一般人。
これがおかしいんだと思う。
そこに「合目的」というのはないんですよね。
数字だけをおいかけていたり、カッコや雰囲気だけを求めていたり、すっきりしない。
まぁ、現代においては、どうしたって運動不足になってしまうわけだから、どこかでそういう「異常な行為」というのをやらざるを得ないのはしょうがないんですけど、やっぱりそこは、そういう運動が「異常なのだ」という意識は持ってないとアカンよなぁって思うんですね。
で、付け加えて言うと、スポーツをするというのは、本来異常な行為なんだから、やっぱりまともな「コーチ」を付けてやるべきだって事なんですね。
これはウクレレを習いに行ってよく分かりましたけど、やっぱり学校の先生はプロです。ひとりひとりの目的と実力と楽しさのバランスをよ~く勘案して、最適の課題を出してくださる。
ちょっとしんどいかな?と思える課題でも「あなたの現状の実力なら大丈夫」とかなり難しい課題を出すかと思えば、「え?こんな簡単なことを何度もさせるの?」という事を嫌というほど何度もさせたりします。
でも、それが実に良いバランスなわけですね。
自分で仕事とは関係ない「運動」を自分で設定してしまうと、基準値がなくて、どこまでも暴走する危険とつねに隣り合わせなのが、実は「スポーツ」というもので、そこを客観視して暴走を防ぎ、効率的に「目的」に導いてくれるのがトレーナーだなぁと思うのです。
前に、少しだけ
●仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980867
という本を紹介しましたけど、この本ではそういう、筋トレに関する「個人トレーナー」の必要性を説いていて、そういう意味で「とても良い本だなぁ」と思ったんですね。
いま、自転車だと下半身だけしか運動できないので、筋トレも始めようかなぁとも思ってるんですが、やるとしたら、やっぱり個人トレーナーをつけてやらないといけないなぁって思っております。
で、現代社会においては、スポーツってものは「やらざるを得ないもの」になってきてるんだから、精神異常にならないためにも、やっぱり個人トレーナーに付いて積み重ねるというのが一番いいだろうなぁって考えてるんですね。
それは別に超有名な俳優が肉体改造をするような特殊なトレーニングではなくて、それこそ「どういう目的で運動されたいのですか?」というコンサルテーションから始まって、具体的な身体能力や心肺能力の測定まで含めて、適切で、やっていて楽しいメニューを紹介してもらう、というような事ですね。
(このあたりのメニューの豊富さ、組み立てこそがトレーナーの腕でしょうね。ウクレレを習いにいってても、いまの先生は、メンバーの実力を見てアレンジ譜を書いてくださるのですが、それが実に適切なわけです。そういう事がとても大事だと思う。)
こういう具合にノウハウを確かに持ったトレーナー、コーチがいてるなら、スポーツもやっても良いと思うのですよ。つねに「合目的」から外れることがないし、おもしろくもないメニューとか、あるいは自分にとって効果の少ないメニューを無駄に行うとか、そのメニューを考えるために無駄に時間を使うとかがない。すごく大事なポイントだろうと思うのです。
で、また自転車の話に戻るのですが、実は自転車には、このトレーナーのいてない状態での暴走とか、「異常」っていうのが少ないわけです。
だってもともと、「移動の道具である」という、合目的性があるからですね。
自分の行為が、「浮く」「空回りする」って事が少ない。
それはそれは、ものすごく少ない。
ここがすごく良いのです。
自転車は、そこの部分で脳みそがおかしなモードにならないのが良いよなぁってつくづく思うのです。いつも「自分の自然な望み(移動の必要性)」と寄り添った行為として運動がある。
そこがいいよなぁ。
ほんとうに。
考える頭が、まともに動いている。
考える頭が、「スポーツのためのスポーツ」に侵されていない。
どの瞬間でも、いつも「どこに行こうか?」という自分への根源的で自然な問いかけと一緒に連れ立って動ける。
その自然さと気持ちよさこそが自転車の本当の素晴らしさなんですね。
それが実は自転車の、一番の魅力なんだと思うのです。
まぁ、ちょっとお洒落に言うなら「頭のために良いスポーツ」とでも言いますかね。
いやほんと。自転車。よろしおまっせ。
高速道路の無料化が、あまり評価されてないので、なんでかな?とちょっと調べてみたら、いろいろわかったことがあります。
単純化して書くとこうなります。
●A点からB点の移動。
>>>いままで
高速:90分で移動
一般:120分で移動
時間差を金で買っていた。
>>>無料化後
高速:110分で移動
一般:110分で移動
時間もお金も均衡するところで止る。
ということだそうです。
で、これ、みんな「高速90分が110分になるんなら無意味!」と反対してるわけですな。
けど、僕は自転車乗りですからな。一般道が120分から110分に短くなるというところを高く評価しますけど。
台数で言うと、
>>>いままで
高速:1200台
一般:450台
だったのが、
>>>無料化後
高速:1300台
一般:350台
になるよ、というようなことだそうです。
ええやん!
一般道が空く!
素晴らしい!
自転車で走りやすい街になる!
最高!
やっぱりね、概ねの総論として、「自動車は自動車専用道を走る」のが本筋ですよ。だから無料化は正しいと思う。
一般道が空いたら、都市部での年寄りや子どもに優しい街になりますがな。その方がええと思うけどなぁ。
高速が混んでブーブー文句言う人は、車から降りなさいって。電車を使えばよろしい。
高速は概ね物流に使うべきです。
そんなもんね、道幅は一定なんやねんから、車が増えたら混むがな。当たり前。
みんな車に乗らないようにすればいいんです。
自転車に乗りなさい!
で、高速を無料化したら「そうか、私が車から降りるしか他に選択肢がなかったんか」とか、「あれ?自転車と公共交通だけで、相当に便利じゃん?」って気付くことの方が重要ですよ。
CO2削減25%なんやし、みんな車から降りましょう。一般道が空くんだし、自転車で走った方が快適だぞ。
田舎でもこれは同じだと思う。都市部だけの事じゃないと思う。
だいたい田舎でも通勤で車を使ってる人は15分とか20分くらいの道のりを自動車移動とか多いんですよね。車で30分以上のところから通うというのは少ない。
それは自転車で代用可能です。車で15分なら自転車で30分かかりません。それで体に良いのだから、どんどん自転車に乗り換えましょう。
車は「雨の日・買い物専用」にすればよろしい。充分置き換え可能です。
まぁ坂道がちょっと辛いけどねぇ。でも山越えしてまで通勤してるような人が果たしてどれだけいてるのか?って思う。
で、そういう人は無料の高速を使えば良いわけですよ。
自転車の使う空間は自動車の7分の1以下なんですよね。
上記の計算で100台分の車が一般道で減ったとしたら、700人以上の人間が自転車で移動できることになります。通勤での自家用車なんて、まぁたいてい1人しか乗ってないし。ムダの極みですよ。
車通勤なんていらん。
そういう事。
あとは公共交通網を充実させるべきやねんけどなぁ。
田舎のバスとか高すぎるよなぁ。
あれはどうしたらよいのか?よーわからんけど。
とにかく年寄りに車運転させるとかは危ないからよろしくない。
で、年寄りにも移動の自由を満喫させてやるには公共交通網の充実が大切なのですよ。
みんなが車に乗らずにバスや路面電車に乗るような施策をどんどん進めないといけないんですがねぇ。
どうやれば良いかは良く分からんです。
でも、とにかく、一般道が空くなら賛成。世間の58%がブータレてても、僕は賛成。
そういうことです。
単純化して書くとこうなります。
●A点からB点の移動。
>>>いままで
高速:90分で移動
一般:120分で移動
時間差を金で買っていた。
>>>無料化後
高速:110分で移動
一般:110分で移動
時間もお金も均衡するところで止る。
ということだそうです。
で、これ、みんな「高速90分が110分になるんなら無意味!」と反対してるわけですな。
けど、僕は自転車乗りですからな。一般道が120分から110分に短くなるというところを高く評価しますけど。
台数で言うと、
>>>いままで
高速:1200台
一般:450台
だったのが、
>>>無料化後
高速:1300台
一般:350台
になるよ、というようなことだそうです。
ええやん!
一般道が空く!
素晴らしい!
自転車で走りやすい街になる!
最高!
やっぱりね、概ねの総論として、「自動車は自動車専用道を走る」のが本筋ですよ。だから無料化は正しいと思う。
一般道が空いたら、都市部での年寄りや子どもに優しい街になりますがな。その方がええと思うけどなぁ。
高速が混んでブーブー文句言う人は、車から降りなさいって。電車を使えばよろしい。
高速は概ね物流に使うべきです。
そんなもんね、道幅は一定なんやねんから、車が増えたら混むがな。当たり前。
みんな車に乗らないようにすればいいんです。
自転車に乗りなさい!
で、高速を無料化したら「そうか、私が車から降りるしか他に選択肢がなかったんか」とか、「あれ?自転車と公共交通だけで、相当に便利じゃん?」って気付くことの方が重要ですよ。
CO2削減25%なんやし、みんな車から降りましょう。一般道が空くんだし、自転車で走った方が快適だぞ。
田舎でもこれは同じだと思う。都市部だけの事じゃないと思う。
だいたい田舎でも通勤で車を使ってる人は15分とか20分くらいの道のりを自動車移動とか多いんですよね。車で30分以上のところから通うというのは少ない。
それは自転車で代用可能です。車で15分なら自転車で30分かかりません。それで体に良いのだから、どんどん自転車に乗り換えましょう。
車は「雨の日・買い物専用」にすればよろしい。充分置き換え可能です。
まぁ坂道がちょっと辛いけどねぇ。でも山越えしてまで通勤してるような人が果たしてどれだけいてるのか?って思う。
で、そういう人は無料の高速を使えば良いわけですよ。
自転車の使う空間は自動車の7分の1以下なんですよね。
上記の計算で100台分の車が一般道で減ったとしたら、700人以上の人間が自転車で移動できることになります。通勤での自家用車なんて、まぁたいてい1人しか乗ってないし。ムダの極みですよ。
車通勤なんていらん。
そういう事。
あとは公共交通網を充実させるべきやねんけどなぁ。
田舎のバスとか高すぎるよなぁ。
あれはどうしたらよいのか?よーわからんけど。
とにかく年寄りに車運転させるとかは危ないからよろしくない。
で、年寄りにも移動の自由を満喫させてやるには公共交通網の充実が大切なのですよ。
みんなが車に乗らずにバスや路面電車に乗るような施策をどんどん進めないといけないんですがねぇ。
どうやれば良いかは良く分からんです。
でも、とにかく、一般道が空くなら賛成。世間の58%がブータレてても、僕は賛成。
そういうことです。
今日もまた、わかる人にはタイトルを読んだらすべてわかってしまうような話。
えーと、ドキュメントスキャナというものがあります。こういうものですな。
■富士通:ScanSnap (スキャンスナップ)
http://scansnap.fujitsu.com/jp/product/s1500/
■キャノン:ドキュメントスキャナ
http://cweb.canon.jp/imageformula/lineup/dr/dr-2510c-2010c/
■コクヨ:キャミナックス
http://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/kws/caminacs.html
これらはみな、
●書類を複数枚自動的にフィードして、表面・裏面ともにスキャニングする。
装置でして、書類のデジタル化に興味のある方には注目の品です。
で、僕は前からスキャンスナップが欲しかったので買ったんですが、
ScanSnap-S1500
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B001QXCZ12
この手のドキュメントスキャナって、
●本や綴じノートのスキャニングには向かない
という大問題がありまして、綴じノートを使ってた僕は、いま流行のスキャプリ(スキャナー一体型プリンタ)を買って事務所の机の上に置いてスキャニングしてたんですね。(オートシートフィーダー[自動紙送り機]付き)
スキャプリは、いまや1万円くらいで売ってる機種もあるくらいなので(インクで稼ぐから本体は安くても良いのです。)実用性は高く、それはもう、大変満足しておったのですよ。
前は、FAXが仕事の道具として必須だったのですが、いまではそれが、完全にスキャプリに置き換えられておりまして、広告のレイアウトをまとめた手書きの下書き(業界用語で「サムネイル」と言います。)なんかもひょいひょいと送れる。なくてはならない道具になっておるんですね。
でも、いかんせん、いくらオートシートフィーダーがついていても、やっぱり読み取り速度は遅いし、本とか綴じノートは、どうしても1見開きごとにスキャンするしかなくて、いまいち利便性が高くないのです。
で、スキャプリを使っていて実感したのは、「印刷物とWORDなどのデジタル文書の一括管理」とか「印刷物の文字をテキスト読み取りしたい」とかの世間の一般的な印刷物読み取りニーズとは随分違う世界になってしまうんですが、
●手書き情報をスキャニングして読み込むと、かなり便利。
という事なんです。
上に書いた、「手書きの広告レイアウトの下書き」なんてものが代表例ですが、そういう手書きの情報って1次情報なので、誰かに伝える意味はけっこう大きくて、PDFにしておけば、メール添付で送信できるし、複写するのもラクだし、保存して読み直す場合にもいろいろ便利なわけです。意外に便利、なんですね。
で、どうも、この「手書き情報のデジタル化」の利便性が、かなり高いぞと分ってきたこともあって、実は綴じノートからバインダーノートである「ツイストリングノート」に乗り換えたという部分もあるんですね。
リフィル形式だと、それこそオートシートフィーダーでまとめて読み取れるから便利なんですよ。見開きで一枚ずつスキャニングする必要がないわけです。
で、一度デジタル化してしまえば、あとはいかようにでも編集自在なんですよね。
ノートとかメモというのは、基本的に「忘れないように、読み返すために取る」ものですから、もともと再読したいものなわけです。
で、通常、仕事の打合せのメモとかは、せいぜい1~2ヶ月くらい紙で残しておけばそれで充分なんですけど、長期にわたって書きためたり、自分の考えなどを繰り返し読み直して固めていくという作業をしたい内容などは、デジタル化してしまった方が得なんですね。ときおり読み直したいというような長期スパンのメモを再読するのに便利だなぁと思うのです。まぁ、このあたりは、個人的な欲求で、一般的ではないでしょうけど。
で、そういう手書き情報をデジタル化すると、
●物理的空間がいらない。(何冊もノートを持ち歩かなくて済む)
●紙の表・裏に書いた情報を気にせず閲覧できる。
●ページの組み替え・複写が簡単
●フォルダ等での管理がしやすい
というようなメリットが生まれてくるわけです。
こうすると、綴じノートだとバラバラになっていたり、バインダー形式でも表裏の関係で読みにくくなっていた手書き情報が、キチンとしたひとまとまりになりまして、紙特有の、「読みにくさ」「扱いにくさ」の解消にもつながるんですね。
こういうことを前提にした紙のノートで、
●マルマン:ニーモシネ
http://www.e-maruman.co.jp/products/notebook/mnysn/
なんてものも出てきてます。
このノートの場合はミシン目が入っていて、ピッと破ってシート単位で情報カードのように扱って、で、すぐにスキャニングしてしまう、という考え方であるようです。
まぁ、そういうやり方でも良いのかも知れないんですが、やっぱり「紙での閲覧」という部分がニーモシネだと弱いんですよね。ページを組み替えると、紙をちぎってシート状のまま持ち歩くとかになるし。シートにしちゃうと読まなくなるんだよなぁ。いやホント。大事なのは「再読」なんです。それをしないと、あまり意味がない。
ツイストリングノートだと、普段使いは、完全に普通のリングノートでして、何の問題もなく、リングノートとして使えばいいわけです。不要なノートは外してしまってもいいし、ページの組み替えもニーモシネと違ってページめくりできる形で気軽に行えます。
で、デジタル化した手書き情報も、PC上で再編集して整理して読みやすくした後に、手書き情報のまま(テキスト入力とかはしなくても良いのです。読みなおすだけだから。)、また紙にプリントして持ち歩いても良いと、僕は思ってるんです。
で、ここまで書いて、やっと「ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い」という話にたどりつくわけであります。
プリントしたデータを、またリングにまとめて読み返すのにも、リングノートは便利なわけです。読み直しに便利な道具なんですね。リングノートは。半分に折れるし。そこが良いところです。
メモする。
↓
たまったメモをデジタル編集する。
↓
リングノートにまとめて読み直す。
というサイクルができあがるわけで、こういう側面で、ツイストリングノート+ドキュメントスキャナの組み合わせが生きてくるというわけです。
ということで、実はスキャンスナップを数週間前に買ったんですよ、はい。
で、いま、いろいろとスキャンし始めたところなんですね。
そうすると、実はこれ、かなり便利で。
持ち歩き用のノートパソコンに、いままでのノートが全部画像データで入れられるし。
活用法はまたそのうち書きますが、いやー、これは良いなぁと思っておるところであります。
あ、iPhoneを持ってる人なら、iPhoneで資料管理とかも出来てしまうから、よりいっそう便利でしょうな。僕は持ってないけど。
この話は、また書きますが、ともあれ、ツイストリングノートだと、リフィル一枚ずつが気軽にドキュメントスキャナに読み込めるので、デジタル化するにも、かなり相性が良いのです。
そのくせ、普通のリングノートとして使えるし。かな~り便利でお気に入りなのであります。
まぁ、このあたり、書き出すとドンドン長くなるので、今日はここまで。
まぁそんなことで。
ではでは。
関連記事--------------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
■ツイストリング・ノート、その後。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907130854311462/
■ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/
■ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/
■ツイストリングノートを半分折りにしたB5の横幅は、手帳の見開きサイズとあまり変わらない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907290827471613/
----------------
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/
えーと、ドキュメントスキャナというものがあります。こういうものですな。
■富士通:ScanSnap (スキャンスナップ)
http://scansnap.fujitsu.com/jp/product/s1500/
■キャノン:ドキュメントスキャナ
http://cweb.canon.jp/imageformula/lineup/dr/dr-2510c-2010c/
■コクヨ:キャミナックス
http://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/kws/caminacs.html
これらはみな、
●書類を複数枚自動的にフィードして、表面・裏面ともにスキャニングする。
装置でして、書類のデジタル化に興味のある方には注目の品です。
で、僕は前からスキャンスナップが欲しかったので買ったんですが、
ScanSnap-S1500
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B001QXCZ12
この手のドキュメントスキャナって、
●本や綴じノートのスキャニングには向かない
という大問題がありまして、綴じノートを使ってた僕は、いま流行のスキャプリ(スキャナー一体型プリンタ)を買って事務所の机の上に置いてスキャニングしてたんですね。(オートシートフィーダー[自動紙送り機]付き)
スキャプリは、いまや1万円くらいで売ってる機種もあるくらいなので(インクで稼ぐから本体は安くても良いのです。)実用性は高く、それはもう、大変満足しておったのですよ。
前は、FAXが仕事の道具として必須だったのですが、いまではそれが、完全にスキャプリに置き換えられておりまして、広告のレイアウトをまとめた手書きの下書き(業界用語で「サムネイル」と言います。)なんかもひょいひょいと送れる。なくてはならない道具になっておるんですね。
でも、いかんせん、いくらオートシートフィーダーがついていても、やっぱり読み取り速度は遅いし、本とか綴じノートは、どうしても1見開きごとにスキャンするしかなくて、いまいち利便性が高くないのです。
で、スキャプリを使っていて実感したのは、「印刷物とWORDなどのデジタル文書の一括管理」とか「印刷物の文字をテキスト読み取りしたい」とかの世間の一般的な印刷物読み取りニーズとは随分違う世界になってしまうんですが、
●手書き情報をスキャニングして読み込むと、かなり便利。
という事なんです。
上に書いた、「手書きの広告レイアウトの下書き」なんてものが代表例ですが、そういう手書きの情報って1次情報なので、誰かに伝える意味はけっこう大きくて、PDFにしておけば、メール添付で送信できるし、複写するのもラクだし、保存して読み直す場合にもいろいろ便利なわけです。意外に便利、なんですね。
で、どうも、この「手書き情報のデジタル化」の利便性が、かなり高いぞと分ってきたこともあって、実は綴じノートからバインダーノートである「ツイストリングノート」に乗り換えたという部分もあるんですね。
リフィル形式だと、それこそオートシートフィーダーでまとめて読み取れるから便利なんですよ。見開きで一枚ずつスキャニングする必要がないわけです。
で、一度デジタル化してしまえば、あとはいかようにでも編集自在なんですよね。
ノートとかメモというのは、基本的に「忘れないように、読み返すために取る」ものですから、もともと再読したいものなわけです。
で、通常、仕事の打合せのメモとかは、せいぜい1~2ヶ月くらい紙で残しておけばそれで充分なんですけど、長期にわたって書きためたり、自分の考えなどを繰り返し読み直して固めていくという作業をしたい内容などは、デジタル化してしまった方が得なんですね。ときおり読み直したいというような長期スパンのメモを再読するのに便利だなぁと思うのです。まぁ、このあたりは、個人的な欲求で、一般的ではないでしょうけど。
で、そういう手書き情報をデジタル化すると、
●物理的空間がいらない。(何冊もノートを持ち歩かなくて済む)
●紙の表・裏に書いた情報を気にせず閲覧できる。
●ページの組み替え・複写が簡単
●フォルダ等での管理がしやすい
というようなメリットが生まれてくるわけです。
こうすると、綴じノートだとバラバラになっていたり、バインダー形式でも表裏の関係で読みにくくなっていた手書き情報が、キチンとしたひとまとまりになりまして、紙特有の、「読みにくさ」「扱いにくさ」の解消にもつながるんですね。
こういうことを前提にした紙のノートで、
●マルマン:ニーモシネ
http://www.e-maruman.co.jp/products/notebook/mnysn/
なんてものも出てきてます。
このノートの場合はミシン目が入っていて、ピッと破ってシート単位で情報カードのように扱って、で、すぐにスキャニングしてしまう、という考え方であるようです。
まぁ、そういうやり方でも良いのかも知れないんですが、やっぱり「紙での閲覧」という部分がニーモシネだと弱いんですよね。ページを組み替えると、紙をちぎってシート状のまま持ち歩くとかになるし。シートにしちゃうと読まなくなるんだよなぁ。いやホント。大事なのは「再読」なんです。それをしないと、あまり意味がない。
ツイストリングノートだと、普段使いは、完全に普通のリングノートでして、何の問題もなく、リングノートとして使えばいいわけです。不要なノートは外してしまってもいいし、ページの組み替えもニーモシネと違ってページめくりできる形で気軽に行えます。
で、デジタル化した手書き情報も、PC上で再編集して整理して読みやすくした後に、手書き情報のまま(テキスト入力とかはしなくても良いのです。読みなおすだけだから。)、また紙にプリントして持ち歩いても良いと、僕は思ってるんです。
で、ここまで書いて、やっと「ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い」という話にたどりつくわけであります。
プリントしたデータを、またリングにまとめて読み返すのにも、リングノートは便利なわけです。読み直しに便利な道具なんですね。リングノートは。半分に折れるし。そこが良いところです。
メモする。
↓
たまったメモをデジタル編集する。
↓
リングノートにまとめて読み直す。
というサイクルができあがるわけで、こういう側面で、ツイストリングノート+ドキュメントスキャナの組み合わせが生きてくるというわけです。
ということで、実はスキャンスナップを数週間前に買ったんですよ、はい。
で、いま、いろいろとスキャンし始めたところなんですね。
そうすると、実はこれ、かなり便利で。
持ち歩き用のノートパソコンに、いままでのノートが全部画像データで入れられるし。
活用法はまたそのうち書きますが、いやー、これは良いなぁと思っておるところであります。
あ、iPhoneを持ってる人なら、iPhoneで資料管理とかも出来てしまうから、よりいっそう便利でしょうな。僕は持ってないけど。
この話は、また書きますが、ともあれ、ツイストリングノートだと、リフィル一枚ずつが気軽にドキュメントスキャナに読み込めるので、デジタル化するにも、かなり相性が良いのです。
そのくせ、普通のリングノートとして使えるし。かな~り便利でお気に入りなのであります。
まぁ、このあたり、書き出すとドンドン長くなるので、今日はここまで。
まぁそんなことで。
ではでは。
関連記事--------------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
■ツイストリング・ノート、その後。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907130854311462/
■ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/
■ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/
■ツイストリングノートを半分折りにしたB5の横幅は、手帳の見開きサイズとあまり変わらない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907290827471613/
----------------
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/
穴の空いてないバケツなどないのだ。だから、大切な事は水を足し続ける事だ。
2009年9月11日今日の日記は、ほぼタイトルのみ。
なんとなく、そういう事を思う日々です。
人間関係であれ、政治であれ、それこそ僕の好きな文具活用であれ、完璧なことなどなく、漏れのない仕組みなんかは存在しないということですね。
だから、「穴が空いてるから水も汲めない」と思うのではなく、「穴があいてるかも知れないから、とにかくどんどん水を汲め」と考える事だと思う。
必要なのは水であって、水が手に入ればいいのだ。
もちろん、穴は小さい方がいいし、ダダ漏れでは徒労感も高い。
どの穴が一番大きくて、どれを最優先でふさがないといけないか?と言うことも考えなくちゃ行けません。
でもね、とどのつまりは、水を汲むということをしないといけないって事です。
経済の問題なら、まず自分が稼ぐ。あるいはムダ使いをしない。
愛情の問題なら、まず自分が愛情を与える。もらう事を後回しにする。
文具の話なら、まずアイディアを考えたり、自分の考えを言葉にしてみるなどの作業をする。
そういう「真水」こそが大事なのであって、バケツの話ばっかりしていてもしょうがないんだよなぁって思います。
●なぜ間違ってしまったのか?
を考えるより、
●どうすればうまく行くのか?
を優先した方が、やっぱりどうも、何事にせよ、うまく行くようです。
多分、「どうすればうまく行くのか?」という設問の中には「なぜ間違ってしまったのか?」という設問が含まれているからでしょうね。
大は小を兼ねる。と言う奴です。(使い方、おかしくないか?:笑)
なにをして「うまく行った」とするかは人それぞれでしょうけれど、ともかくまずは、「どうすればうまく行くか?」を考えるというのが、概ねは幸せにつながる考え方であるように思いますね。
なんか、最近は、そういう事をよく思います。
みなさまが幸せでありますように。(当然、僕自身の幸せも含みます。)
ではでは。
なんとなく、そういう事を思う日々です。
人間関係であれ、政治であれ、それこそ僕の好きな文具活用であれ、完璧なことなどなく、漏れのない仕組みなんかは存在しないということですね。
だから、「穴が空いてるから水も汲めない」と思うのではなく、「穴があいてるかも知れないから、とにかくどんどん水を汲め」と考える事だと思う。
必要なのは水であって、水が手に入ればいいのだ。
もちろん、穴は小さい方がいいし、ダダ漏れでは徒労感も高い。
どの穴が一番大きくて、どれを最優先でふさがないといけないか?と言うことも考えなくちゃ行けません。
でもね、とどのつまりは、水を汲むということをしないといけないって事です。
経済の問題なら、まず自分が稼ぐ。あるいはムダ使いをしない。
愛情の問題なら、まず自分が愛情を与える。もらう事を後回しにする。
文具の話なら、まずアイディアを考えたり、自分の考えを言葉にしてみるなどの作業をする。
そういう「真水」こそが大事なのであって、バケツの話ばっかりしていてもしょうがないんだよなぁって思います。
●なぜ間違ってしまったのか?
を考えるより、
●どうすればうまく行くのか?
を優先した方が、やっぱりどうも、何事にせよ、うまく行くようです。
多分、「どうすればうまく行くのか?」という設問の中には「なぜ間違ってしまったのか?」という設問が含まれているからでしょうね。
大は小を兼ねる。と言う奴です。(使い方、おかしくないか?:笑)
なにをして「うまく行った」とするかは人それぞれでしょうけれど、ともかくまずは、「どうすればうまく行くか?」を考えるというのが、概ねは幸せにつながる考え方であるように思いますね。
なんか、最近は、そういう事をよく思います。
みなさまが幸せでありますように。(当然、僕自身の幸せも含みます。)
ではでは。
子ども手当は配偶者控除がなくなるから、子どものいない家庭や、すでに子どもが高校生以上になっている家庭では増税になるわけです。
で、いろいろ意見を聞いてみると、増税になる家庭の人も、実は、それは分った上で「子ども手当は良いのじゃないか?」と言ってる人がけっこういてます。
なんでそうなるのか?というと、
(1)同じバラマキでも「国民全員にバラマキ」
だからでしょう。特定の業界にばらまいてきた、いままでのバラマキとはちょっと違う。なおかつ、増税になる人も反対しないというのは、
(2)人口増加はGDP増加に直結する
からでしょう。日本のGDPが下がっているのは、いろいろな理由がありますが、人口縮小経済に突入しているという側面がかなり大きいのは事実です。だから、これが根本問題の解決につながるかも知れないと思うから支持するという人がけっこういてます。
で、こういう事を見ていて、ふと気付いたのが「我々国民だとて、まともな増税策なら反対はしないのだよな」という事です。配偶者控除に児童手当がなくなるわけだから、かなりの増税と考えても良いはずです。
でも、けっこう子育ての終わった年寄り夫婦とかが「まぁ、それは良いのではないか。」と暖かい目で見てます。
それはやはり、税金で金を取られても、それがどこにどう役立つのかがはっきり見えるからでしょうね。
いわば、お店に出かけて、安くて機能の低い商品と、高くて高機能の商品がならんでいて、高機能な商品は値段が高いと、はっきりとわかるからでしょう。
で、そういう事を考え合わせていくと、どうにも消費税というのが「おかしな存在」に思えて仕方ないわけです。
いったい何のために徴収されている税金なのかがはっきりしない。なんだか知らないけれどもドッカンドッカン取られる。なのに、自民党も民主党も「いずれ上げる」と、こう来る。
鳩山さんとて、「4年間の凍結はするが、いずれかの時には消費税上げも考えねばならない」とか言ってる。
いやー、それは納得でけへんなぁ。
だって、子どもが増えるということは、そこで消費が増えるということですよ? それも、半端な増え方ではありません。死ぬまでずっと消費するわけです。ということは、子どもが1人増えただけで、
(3)必ず消費税の自然増収もある。
ということです。
だから、子ども手当を本当に導入するのなら、その子どもが死ぬまでの期間、約80年~100年は「子ども手当による増税効果」が効くはずなわけですよ。
(4)子ども手当による増税効果は80年~100年である。
なら、消費税上げなんか必要ないやんけ。
逆に消費税の減額、あるいは廃止を考えても良いはずでしょう。
子どもが増えるというのは、そのくらいの大きな経済効果のはずです。
だから、子ども手当をする限りは、消費税上げなど、言えないのですよ。
このあたり、誰か試算してくれんかなぁ。税の自然増収。かなり大きいはずやねんけど。
どのくらい新生児が増えたかが分れば、それだけで税の自然増収がパッと出るはずですからな。
そしたら消費税なんかいらんやんけ。っちゅう話です。
だいたい、消費税がこれほど一般庶民から嫌われるのは、やっぱり「なんでも一律」というところに、「しっかり考えた跡がない」という部分なのだと思うのですよ。
なんか官僚が、「不景気になっても、わしらの給料だけは減らないようにする方法はないか?」と考え出した、トンデモ税法としか思えない。
というか、ただそれだけの存在ですな。正直。
ちなみに、この「100年に一度の大不況」時では、各種税収は軒並み下がってますが、消費税だけは総税額が増えたそうです。
なんやと!そんな理不尽な仕組みが、そのままでええと思ってるのか! っちゅうことですな。
「子ども手当」のような「個別課題を解決するために増税を含む政策を実行する」ということなら、いくらでも国民は協力するけど、「不景気の時でも公務員の給料下げがないようにする消費税」などという、「考えなし」「政策なし」の税金は、払いたくなくなるということです。
細川政権の時だって、結局は「国民福祉税の導入」の一言で政権が潰れたんだし、本当に民主党には消費税上げには注意してもらいたいです。
●子ども手当は増税だが、支持された。だから消費税は減額あるいは廃止すべき。
なんですよ。
もし、世の中が不況になって公務員の給料が払えないような状況になったら、その時に対策を考えたらよろしい。(当然、官僚の首切り・リストラという選択肢を含みます。そのくらいのリスクは負えよ、官僚ども。おまえらも日本人なんやから。わかってんの?)
結局、
消費税というのは、「現実問題に対する税による解決策」をスポイルしてしまうことだから、税の仕組みとして間違っているのではないか? と僕には思えてきましたね。
まぁ国家運営を安定させるための目的税という意味はあるでしょうから、ほんのわずかならあっても良いのかもしれませんが、消費税でおおまかに国家財政のあらかたがまかなえる、てなことになったら、それこそ官僚も政治家も、何も考えなくなりますがな。
税の仕組みによって国家の問題を解決していく。
なんてことは、政治の根本課題じゃないですか。
企業で言えば、商品開発して、それをいくらで売り出せばヒットするか?とかそういう話でしょう。
それを消費税に頼るということは、すべての商品が一律100円の100円ショップと同じ事ですから、世の中に100円ショップしか存在しないような、そういうアンバランスな発想にしかならないわけですよ。
そうではなくて、
●しっかり税収の仕組みを考えないと、公務員の給料が減ってしまう。
というような状況こそを作らないと、官僚も政治家もさぼってしまうだけでしょう。
なので、消費税はアカンよなぁってつくづく思ったのであります。官僚や政治家をダメにする税制やね。いやほんまに。これは廃止すべきやと思うわ。
---------------
それと、子ども手当ですが、「子どもを作らない夫婦」は、まぁ自分の選択だから増税は良いとしても、「子どもができない夫婦」にとっては不公平感のかなり強い税制だと思うのですよ。
だから、子ども手当を導入するなら、平行して養子縁組に関する仕組みの強化もすべきだと思うんですよね。
なにより母体保護法(昔の優生保護法です。)を変更して、ここに子育て手当を10か月投入できないかを考えて欲しいですな。子どもが生まれるまでの10ヶ月を国が保証し(あるいは、子どもが欲しいと思っている夫婦が小額でもいいから援助するとか)そこで産まれた子供を養子縁組するような仕組みですな。そういうのを作った方が良いのではないか?って思う。
いま、生涯出産率が低いとか言われてますけど、いまだに母体保護法を前提とした堕胎が普通に行われてるわけです。産婦人科のホームページなんかを見てみれば、そのあたりすぐにわかりますよ。基本は母体保護法では、「母胎に危険がともなうような場合、母胎保護のために堕胎も仕方なし。」という事で堕胎が認められているわけです。でも、これを拡大解釈して、「親が生活苦に陥るから堕胎」になってるわけですね。
で、産婦人科などのホームページでは「断っても、そういう人は他の産婦人科で堕胎をします。それくらいなら、うちで安全にやるほうがより良いと考えます。」というスタンスなわけです。
この部分をほったらかしにしておいて、生涯出産率がうんたら言うのも、かなりおかしいと思うんですよね。
で、それとは別に「子どもは欲しいがなかなかできない」という夫婦もけっこうたくさんいてますし。
ただ、この問題、実は、女性が「自分のお腹を痛めたわけではない子どもを自分の子どもとは思えない」という、けっこう根深い問題があるんですよ。
日本の社会は母系社会でして、けっこう女性の実感を大事にした社会の仕組みになってるんです。
欧米だと、父性社会なので、父親になるに際して別に腹を痛めるわけでもない男の側の意見が大きく影響するわけです。「子どもに罪はない。自分の子として育てよう。」と考えて、それで納得できるのは男ですからな。女性は、ここが納得できにくい。
だから、子ども手当の不公平部分を、多少なりともなんとかしようと考えるなら、ちょっと男が頑張らないとアカンということになるんですよ。
このあたりは宗教観とかを整える必要とかもあるかも知れない問題でして、なかなか難しいんですがね。欧米だとキリスト教が基本的に堕胎を悪と設定してますしな。
このあたりは本当にちゃんと考えて損はないテーマだと、僕は思うのですが。
さて、どうでしょう?
で、いろいろ意見を聞いてみると、増税になる家庭の人も、実は、それは分った上で「子ども手当は良いのじゃないか?」と言ってる人がけっこういてます。
なんでそうなるのか?というと、
(1)同じバラマキでも「国民全員にバラマキ」
だからでしょう。特定の業界にばらまいてきた、いままでのバラマキとはちょっと違う。なおかつ、増税になる人も反対しないというのは、
(2)人口増加はGDP増加に直結する
からでしょう。日本のGDPが下がっているのは、いろいろな理由がありますが、人口縮小経済に突入しているという側面がかなり大きいのは事実です。だから、これが根本問題の解決につながるかも知れないと思うから支持するという人がけっこういてます。
で、こういう事を見ていて、ふと気付いたのが「我々国民だとて、まともな増税策なら反対はしないのだよな」という事です。配偶者控除に児童手当がなくなるわけだから、かなりの増税と考えても良いはずです。
でも、けっこう子育ての終わった年寄り夫婦とかが「まぁ、それは良いのではないか。」と暖かい目で見てます。
それはやはり、税金で金を取られても、それがどこにどう役立つのかがはっきり見えるからでしょうね。
いわば、お店に出かけて、安くて機能の低い商品と、高くて高機能の商品がならんでいて、高機能な商品は値段が高いと、はっきりとわかるからでしょう。
で、そういう事を考え合わせていくと、どうにも消費税というのが「おかしな存在」に思えて仕方ないわけです。
いったい何のために徴収されている税金なのかがはっきりしない。なんだか知らないけれどもドッカンドッカン取られる。なのに、自民党も民主党も「いずれ上げる」と、こう来る。
鳩山さんとて、「4年間の凍結はするが、いずれかの時には消費税上げも考えねばならない」とか言ってる。
いやー、それは納得でけへんなぁ。
だって、子どもが増えるということは、そこで消費が増えるということですよ? それも、半端な増え方ではありません。死ぬまでずっと消費するわけです。ということは、子どもが1人増えただけで、
(3)必ず消費税の自然増収もある。
ということです。
だから、子ども手当を本当に導入するのなら、その子どもが死ぬまでの期間、約80年~100年は「子ども手当による増税効果」が効くはずなわけですよ。
(4)子ども手当による増税効果は80年~100年である。
なら、消費税上げなんか必要ないやんけ。
逆に消費税の減額、あるいは廃止を考えても良いはずでしょう。
子どもが増えるというのは、そのくらいの大きな経済効果のはずです。
だから、子ども手当をする限りは、消費税上げなど、言えないのですよ。
このあたり、誰か試算してくれんかなぁ。税の自然増収。かなり大きいはずやねんけど。
どのくらい新生児が増えたかが分れば、それだけで税の自然増収がパッと出るはずですからな。
そしたら消費税なんかいらんやんけ。っちゅう話です。
だいたい、消費税がこれほど一般庶民から嫌われるのは、やっぱり「なんでも一律」というところに、「しっかり考えた跡がない」という部分なのだと思うのですよ。
なんか官僚が、「不景気になっても、わしらの給料だけは減らないようにする方法はないか?」と考え出した、トンデモ税法としか思えない。
というか、ただそれだけの存在ですな。正直。
ちなみに、この「100年に一度の大不況」時では、各種税収は軒並み下がってますが、消費税だけは総税額が増えたそうです。
なんやと!そんな理不尽な仕組みが、そのままでええと思ってるのか! っちゅうことですな。
「子ども手当」のような「個別課題を解決するために増税を含む政策を実行する」ということなら、いくらでも国民は協力するけど、「不景気の時でも公務員の給料下げがないようにする消費税」などという、「考えなし」「政策なし」の税金は、払いたくなくなるということです。
細川政権の時だって、結局は「国民福祉税の導入」の一言で政権が潰れたんだし、本当に民主党には消費税上げには注意してもらいたいです。
●子ども手当は増税だが、支持された。だから消費税は減額あるいは廃止すべき。
なんですよ。
もし、世の中が不況になって公務員の給料が払えないような状況になったら、その時に対策を考えたらよろしい。(当然、官僚の首切り・リストラという選択肢を含みます。そのくらいのリスクは負えよ、官僚ども。おまえらも日本人なんやから。わかってんの?)
結局、
消費税というのは、「現実問題に対する税による解決策」をスポイルしてしまうことだから、税の仕組みとして間違っているのではないか? と僕には思えてきましたね。
まぁ国家運営を安定させるための目的税という意味はあるでしょうから、ほんのわずかならあっても良いのかもしれませんが、消費税でおおまかに国家財政のあらかたがまかなえる、てなことになったら、それこそ官僚も政治家も、何も考えなくなりますがな。
税の仕組みによって国家の問題を解決していく。
なんてことは、政治の根本課題じゃないですか。
企業で言えば、商品開発して、それをいくらで売り出せばヒットするか?とかそういう話でしょう。
それを消費税に頼るということは、すべての商品が一律100円の100円ショップと同じ事ですから、世の中に100円ショップしか存在しないような、そういうアンバランスな発想にしかならないわけですよ。
そうではなくて、
●しっかり税収の仕組みを考えないと、公務員の給料が減ってしまう。
というような状況こそを作らないと、官僚も政治家もさぼってしまうだけでしょう。
なので、消費税はアカンよなぁってつくづく思ったのであります。官僚や政治家をダメにする税制やね。いやほんまに。これは廃止すべきやと思うわ。
---------------
それと、子ども手当ですが、「子どもを作らない夫婦」は、まぁ自分の選択だから増税は良いとしても、「子どもができない夫婦」にとっては不公平感のかなり強い税制だと思うのですよ。
だから、子ども手当を導入するなら、平行して養子縁組に関する仕組みの強化もすべきだと思うんですよね。
なにより母体保護法(昔の優生保護法です。)を変更して、ここに子育て手当を10か月投入できないかを考えて欲しいですな。子どもが生まれるまでの10ヶ月を国が保証し(あるいは、子どもが欲しいと思っている夫婦が小額でもいいから援助するとか)そこで産まれた子供を養子縁組するような仕組みですな。そういうのを作った方が良いのではないか?って思う。
いま、生涯出産率が低いとか言われてますけど、いまだに母体保護法を前提とした堕胎が普通に行われてるわけです。産婦人科のホームページなんかを見てみれば、そのあたりすぐにわかりますよ。基本は母体保護法では、「母胎に危険がともなうような場合、母胎保護のために堕胎も仕方なし。」という事で堕胎が認められているわけです。でも、これを拡大解釈して、「親が生活苦に陥るから堕胎」になってるわけですね。
で、産婦人科などのホームページでは「断っても、そういう人は他の産婦人科で堕胎をします。それくらいなら、うちで安全にやるほうがより良いと考えます。」というスタンスなわけです。
この部分をほったらかしにしておいて、生涯出産率がうんたら言うのも、かなりおかしいと思うんですよね。
で、それとは別に「子どもは欲しいがなかなかできない」という夫婦もけっこうたくさんいてますし。
ただ、この問題、実は、女性が「自分のお腹を痛めたわけではない子どもを自分の子どもとは思えない」という、けっこう根深い問題があるんですよ。
日本の社会は母系社会でして、けっこう女性の実感を大事にした社会の仕組みになってるんです。
欧米だと、父性社会なので、父親になるに際して別に腹を痛めるわけでもない男の側の意見が大きく影響するわけです。「子どもに罪はない。自分の子として育てよう。」と考えて、それで納得できるのは男ですからな。女性は、ここが納得できにくい。
だから、子ども手当の不公平部分を、多少なりともなんとかしようと考えるなら、ちょっと男が頑張らないとアカンということになるんですよ。
このあたりは宗教観とかを整える必要とかもあるかも知れない問題でして、なかなか難しいんですがね。欧米だとキリスト教が基本的に堕胎を悪と設定してますしな。
このあたりは本当にちゃんと考えて損はないテーマだと、僕は思うのですが。
さて、どうでしょう?
ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
2009年9月5日 ●ノート・文具
ということで、久しぶりにツイストリングノートのお話し。
なんか、好きな事について書くのは楽しいですな。
まぁ、それはそれとして。
ツイストリングノートが便利なので、ずっと使ってるわけですが、やってるうちにスケジュールとかも書き込むようになってきて、けっこう頻繁にノートを開くようになってきたんですね。
でも、さすがに手帳じゃないので、機動性は悪いです。電車で移動中とかに、立ったままメモするとかにはあまり向かない。いくら半分折りができるリングノートタイプだとは言え、やはりB5サイズですからな。手帳のようにポケットに収めるってことはできないわけで。
で、ある時、ドタバタしてたので、とりあえずノートに今日のTODOを書き上げたはいいけど、頻繁に見直したり書き加えたりができないなと思って、リフィルを外して八折りにして、胸ポケットに入れて持ち歩いたんですよ。その日だけ。
そしたら、これがけっこう快適で。なんせ、B5サイズの用紙を八折りにしたら、ほとんど名刺サイズなんですね。ちょっとしたシャツの胸ポケットにもラクラクおさまるサイズになるんですよ。
ここまでくると、下手に手帳に書き込むより、よっぽどラク。
特に、夏場は上着とか着ませんからな。胸ポケット程度のところにおさまるのが、実にお気楽で良いのです。
しかも、折りたたんだメモを広げてやれば、またツイストリングノートに戻してやることができるんですね。
これがいい!
TODOを毎日書く習慣があるなら、それをチェックしたかどうかとかが、そのまま「日記」として残せるわけです。日々の覚えに使える。
ということで、よくよく見直して見ると、8つ折りで片面に1週間がまるまるおさまるではないか!と気付いて、B5片面に1週間、両面で2週間という割り振りにして、スケジューラー兼TODO用紙として、この「胸ポケメモ」を、この夏中使い続けておりました。
これがね。
なかなかに便利でして。
いまのところ、かなりお気に入りなんですよ。
一日のちょっとした覚えを記録するのにも良いし、街を歩いてる時にケータイが鳴って、ちょろっとメモするにも重宝するんですね。
仕事帰りに買い物がある時とか、レコーディングダイエットをするとか、家計簿の覚えに今日の買い物額をメモするとか、いろいろ使える。
思いつきで始めたことなんですが、実に便利で、かなりおすすめなので、紹介することにしました。
単純に8つ折りにするだけでもかなり便利だと思うのですが、「一枚の用紙に切れ目を入れるだけで冊子にできる」という折り方・切り方というのがありまして、それをちょっと応用してやると、いちいち広げてたたみ直しするという作業をせずに一週間ずっと使えて、前日分の参照とかも、グンとラクになるので、切れ目だけは入れてるんですよ。簡単だし。(切れ目を入れるのは2週間に1度で済みますしね。一カ所チョキンと切るだけだし。切れ目の入れ方は、添付の画像を参照してください。)
どうせ2週間に一度しか作らないので、作業の手間もわずかで済むし、そうとうズボラな人でも続けられる方法だなぁと思います。いや、自分がズボラなもので、こういうことは手間が少なけりゃ、少ないほど良いってのを、すごく重視してるんですけど。
ということで、良かったら参考にしてください。
ツイストリングノートだけじゃなくて、B5・26穴ノートでも使えると思いますし、世間一般でよく使われてるA4・コピー用紙とかでも、やってやれない事はないと思います。
僕はTODO・スケジュール用に使ってますけど、日付を入れずに、アイディア出しとか、単なる普段使いのメモとして使っても良いかもしれません。
僕の印象で行くと、ツイストリングノートがリングノートとバインダーの両方の魅力を併せ持った事にプラスして、この「胸ポケメモ」の機動性の補完で、カバーできる範囲がとてつもなく広がったように思います。ほんとにもう、手帳のたぐいが不要になっちゃったんですよねぇ。
しかも、保管するのもバインダーですから、時間順にならべて整理してもいいし、他のツイストリングノートの書き込みと連動させて整理しても良いわけで、そういう部分でもメリットが大きくて良いのです。
ということで、興味がある方はぜひお試しくださいまし。
報告とかももらえるとうれしいんですが。
よろしくお願いいたしますです。
関連記事-------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/
■ツイストリング・ノート、その後。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907130854311462/
■ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/
■ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909131056294519/
■ツイストリングノートを半分折りにしたB5の横幅は、手帳の見開きサイズとあまり変わらない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907290827471613/
----------------------------
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/
なんか、好きな事について書くのは楽しいですな。
まぁ、それはそれとして。
ツイストリングノートが便利なので、ずっと使ってるわけですが、やってるうちにスケジュールとかも書き込むようになってきて、けっこう頻繁にノートを開くようになってきたんですね。
でも、さすがに手帳じゃないので、機動性は悪いです。電車で移動中とかに、立ったままメモするとかにはあまり向かない。いくら半分折りができるリングノートタイプだとは言え、やはりB5サイズですからな。手帳のようにポケットに収めるってことはできないわけで。
で、ある時、ドタバタしてたので、とりあえずノートに今日のTODOを書き上げたはいいけど、頻繁に見直したり書き加えたりができないなと思って、リフィルを外して八折りにして、胸ポケットに入れて持ち歩いたんですよ。その日だけ。
そしたら、これがけっこう快適で。なんせ、B5サイズの用紙を八折りにしたら、ほとんど名刺サイズなんですね。ちょっとしたシャツの胸ポケットにもラクラクおさまるサイズになるんですよ。
ここまでくると、下手に手帳に書き込むより、よっぽどラク。
特に、夏場は上着とか着ませんからな。胸ポケット程度のところにおさまるのが、実にお気楽で良いのです。
しかも、折りたたんだメモを広げてやれば、またツイストリングノートに戻してやることができるんですね。
これがいい!
TODOを毎日書く習慣があるなら、それをチェックしたかどうかとかが、そのまま「日記」として残せるわけです。日々の覚えに使える。
ということで、よくよく見直して見ると、8つ折りで片面に1週間がまるまるおさまるではないか!と気付いて、B5片面に1週間、両面で2週間という割り振りにして、スケジューラー兼TODO用紙として、この「胸ポケメモ」を、この夏中使い続けておりました。
これがね。
なかなかに便利でして。
いまのところ、かなりお気に入りなんですよ。
一日のちょっとした覚えを記録するのにも良いし、街を歩いてる時にケータイが鳴って、ちょろっとメモするにも重宝するんですね。
仕事帰りに買い物がある時とか、レコーディングダイエットをするとか、家計簿の覚えに今日の買い物額をメモするとか、いろいろ使える。
思いつきで始めたことなんですが、実に便利で、かなりおすすめなので、紹介することにしました。
単純に8つ折りにするだけでもかなり便利だと思うのですが、「一枚の用紙に切れ目を入れるだけで冊子にできる」という折り方・切り方というのがありまして、それをちょっと応用してやると、いちいち広げてたたみ直しするという作業をせずに一週間ずっと使えて、前日分の参照とかも、グンとラクになるので、切れ目だけは入れてるんですよ。簡単だし。(切れ目を入れるのは2週間に1度で済みますしね。一カ所チョキンと切るだけだし。切れ目の入れ方は、添付の画像を参照してください。)
どうせ2週間に一度しか作らないので、作業の手間もわずかで済むし、そうとうズボラな人でも続けられる方法だなぁと思います。いや、自分がズボラなもので、こういうことは手間が少なけりゃ、少ないほど良いってのを、すごく重視してるんですけど。
ということで、良かったら参考にしてください。
ツイストリングノートだけじゃなくて、B5・26穴ノートでも使えると思いますし、世間一般でよく使われてるA4・コピー用紙とかでも、やってやれない事はないと思います。
僕はTODO・スケジュール用に使ってますけど、日付を入れずに、アイディア出しとか、単なる普段使いのメモとして使っても良いかもしれません。
僕の印象で行くと、ツイストリングノートがリングノートとバインダーの両方の魅力を併せ持った事にプラスして、この「胸ポケメモ」の機動性の補完で、カバーできる範囲がとてつもなく広がったように思います。ほんとにもう、手帳のたぐいが不要になっちゃったんですよねぇ。
しかも、保管するのもバインダーですから、時間順にならべて整理してもいいし、他のツイストリングノートの書き込みと連動させて整理しても良いわけで、そういう部分でもメリットが大きくて良いのです。
ということで、興味がある方はぜひお試しくださいまし。
報告とかももらえるとうれしいんですが。
よろしくお願いいたしますです。
関連記事-------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/
■ツイストリング・ノート、その後。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907130854311462/
■ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/
■ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909131056294519/
■ツイストリングノートを半分折りにしたB5の横幅は、手帳の見開きサイズとあまり変わらない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907290827471613/
----------------------------
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/
いろいろ報道等を見てまして。
みんな「自民党政治があまりにひどかったから、民主を選んだ」という言い方をしてるんですよね。
いろんなコメンテーターも、評論家も、肝心の鳩山代表もそういう事をおっしゃる。
けど、どうもそれは違うように思うのですよ。
前回の郵政選挙の時は、「郵政にイエスかノーか!」という宣伝が、それこそテレビ、新聞、雑誌で、えんえん繰り広げられて、「刺客が送り込まれた!」とか、「郵政民営化造反者の恨み」とか、それこそやたらとマスコミでずーっと流され続けて、それで洗脳された国民が、つい自民党に入れちゃったという事だったわけですね。
しかし、今回はずーっと「酒井法子」だったわけですよ。マスコミは。えんえん。
だから実質は、都議選で答えが出てたと言っていいわけです。
で、それがここまでの大差。
それも日本全国で、です。
これねぇ、単に自民党への反感だけだったら起こらない結果だと思うのです。
で、長崎2区で、あの久間議員を破った福田衣里子の話を読んでみると、とにかく現地の有権者を訪ねまくってるわけですよ。軽自動車でこまめに回ったらしい。離島にも3回行ったとか書いてある。
で、それが「小沢一郎の指示だった」と言ってるんですね。
ああ、そうかと思ったわけです。
これは田中角栄だ。
雪深い新潟の地を、ひたすら歩いて、ひとりひとりの人間の顔を覚えて、集会に出て、演説では人を笑わせて、泣かせて、切々と訴え、ひとりひとりを着実にファンにしていく。
そういう田中角栄のやり方が、そのまま生きてる。その結果が、この大勝だったのだと確信しました。
ようは、小沢一郎だったんですな。
田中角栄の愛弟子、小沢一郎が、選挙の勝ち方を、若い世代に延々と手ほどきし続けたのだと。
ひたすらそれを思ったわけですよ。
郵政選挙の時の、あのマスコミの「郵政選挙、イエスかノーか」というワンパターン報道の繰り返しとお祭り騒ぎ。あの露出量の多さ。あれがあったから、自民党は勝った。大勝した。
で、今回は、あの露出量と同等数の「どぶ板」を民主の若手議員は、えんえん去年からずっと、ずっと、ずっと、ずっと続けていたって事でしょう。
だから、麻生ちゃんが敗北を怖がって、選挙の時期を延ばせば延ばすほど「実質露出量」が増えてしまったって事だと思う。
きっと小沢一郎は、若い民主党の議員に、ひたすら「地元を回れ。裏路地まで回れ。何度でも回れ。顔なじみになるまで回れ。」と言い続けていたに違いないし、たぶん、それしか言ってないんだと思う。
これこそ、田中角栄から連なる、国民宰相のDNAでしょう。
そういう地道な活動を、民主の若手議員はみんなやってたに違いないです。
そうでなければ、ここまでの圧勝にはならない。
そこまでやったところで、有権者全員に会えるわけではないんですからね。
会ったことのない人には、やっぱり投票はしない。
特に、じいさんばぁさんなんかは絶対ですな。顔を見せたかどうかで判断する。ひたすらそれ。
そういうことを、民主党はやったのだって事です。少なくとも小沢一郎はずっと、それしかやってないんだと思う。
考えてみたら、まず2007年の参議院選挙の勝利が、同じパターンでしょ。小沢一郎はひたすら地元回り。テレビとか全然出ない。そんなもんに出てるヒマがあったら、有権者と会う。10人と会えば、1票くらいは増える。
それをひたすらやり続ける。若い議員にもそれをさせる。
そういう事でしょ。
ようは。
そういう事を、自民党の議員は選挙戦が始まってからしかしなかったということでしょ。
たぶんそれが一番の原因だと思うな。
まぁマニフェストとかもあるけど、本当の本当は、あんまり関係ないんだろうと思う。
人間なんて単純なもので、会った事のある人には親近感を持つのですよ。だからとにかく会えと。選挙区を歩けと。ひたすらそれを言い続けたんだと思う。
で、そういう事を延々やってきてるから、
●企業献金の全面廃止
●個人献金だけでの選挙
って事を言うわけですよ。それだけでどうにかなるって事ですね。実際、田中角栄はそれをひたすらやってたわけですから。
「まず、人と会うのが基本。」
っちゅうのを、やってるかやってないかだなぁ多分。本当にそれだけだと思う。会って話せば、国民の不満は勝手に頭に入る。聞く気がなくても、何度も同じ事を言われたら、嫌でも頭に残る。国民の事を心から思いやる、なんてことをしなくても、一番大きな不満は何なのかを「数字」で把握できる。それも紙の資料とか数字じゃない。人の声とか真剣味とかで把握できる。
で、それだけで良い。っちゅうことでしょう。
テレビも、新聞も、インターネットもいらん。顔を合わせて「聞いてるふり」をしてるだけで、すべての事が把握できて、票も獲得できて、政敵との論争においても、国民意識とズレないところでの意見が言える。だから信用される。
ただそれだけのことでしょう。
「とにかく有権者に会え。」
なんか、角栄さんの声が聞こえるようです。
みんな「自民党政治があまりにひどかったから、民主を選んだ」という言い方をしてるんですよね。
いろんなコメンテーターも、評論家も、肝心の鳩山代表もそういう事をおっしゃる。
けど、どうもそれは違うように思うのですよ。
前回の郵政選挙の時は、「郵政にイエスかノーか!」という宣伝が、それこそテレビ、新聞、雑誌で、えんえん繰り広げられて、「刺客が送り込まれた!」とか、「郵政民営化造反者の恨み」とか、それこそやたらとマスコミでずーっと流され続けて、それで洗脳された国民が、つい自民党に入れちゃったという事だったわけですね。
しかし、今回はずーっと「酒井法子」だったわけですよ。マスコミは。えんえん。
だから実質は、都議選で答えが出てたと言っていいわけです。
で、それがここまでの大差。
それも日本全国で、です。
これねぇ、単に自民党への反感だけだったら起こらない結果だと思うのです。
で、長崎2区で、あの久間議員を破った福田衣里子の話を読んでみると、とにかく現地の有権者を訪ねまくってるわけですよ。軽自動車でこまめに回ったらしい。離島にも3回行ったとか書いてある。
で、それが「小沢一郎の指示だった」と言ってるんですね。
ああ、そうかと思ったわけです。
これは田中角栄だ。
雪深い新潟の地を、ひたすら歩いて、ひとりひとりの人間の顔を覚えて、集会に出て、演説では人を笑わせて、泣かせて、切々と訴え、ひとりひとりを着実にファンにしていく。
そういう田中角栄のやり方が、そのまま生きてる。その結果が、この大勝だったのだと確信しました。
ようは、小沢一郎だったんですな。
田中角栄の愛弟子、小沢一郎が、選挙の勝ち方を、若い世代に延々と手ほどきし続けたのだと。
ひたすらそれを思ったわけですよ。
郵政選挙の時の、あのマスコミの「郵政選挙、イエスかノーか」というワンパターン報道の繰り返しとお祭り騒ぎ。あの露出量の多さ。あれがあったから、自民党は勝った。大勝した。
で、今回は、あの露出量と同等数の「どぶ板」を民主の若手議員は、えんえん去年からずっと、ずっと、ずっと、ずっと続けていたって事でしょう。
だから、麻生ちゃんが敗北を怖がって、選挙の時期を延ばせば延ばすほど「実質露出量」が増えてしまったって事だと思う。
きっと小沢一郎は、若い民主党の議員に、ひたすら「地元を回れ。裏路地まで回れ。何度でも回れ。顔なじみになるまで回れ。」と言い続けていたに違いないし、たぶん、それしか言ってないんだと思う。
これこそ、田中角栄から連なる、国民宰相のDNAでしょう。
そういう地道な活動を、民主の若手議員はみんなやってたに違いないです。
そうでなければ、ここまでの圧勝にはならない。
そこまでやったところで、有権者全員に会えるわけではないんですからね。
会ったことのない人には、やっぱり投票はしない。
特に、じいさんばぁさんなんかは絶対ですな。顔を見せたかどうかで判断する。ひたすらそれ。
そういうことを、民主党はやったのだって事です。少なくとも小沢一郎はずっと、それしかやってないんだと思う。
考えてみたら、まず2007年の参議院選挙の勝利が、同じパターンでしょ。小沢一郎はひたすら地元回り。テレビとか全然出ない。そんなもんに出てるヒマがあったら、有権者と会う。10人と会えば、1票くらいは増える。
それをひたすらやり続ける。若い議員にもそれをさせる。
そういう事でしょ。
ようは。
そういう事を、自民党の議員は選挙戦が始まってからしかしなかったということでしょ。
たぶんそれが一番の原因だと思うな。
まぁマニフェストとかもあるけど、本当の本当は、あんまり関係ないんだろうと思う。
人間なんて単純なもので、会った事のある人には親近感を持つのですよ。だからとにかく会えと。選挙区を歩けと。ひたすらそれを言い続けたんだと思う。
で、そういう事を延々やってきてるから、
●企業献金の全面廃止
●個人献金だけでの選挙
って事を言うわけですよ。それだけでどうにかなるって事ですね。実際、田中角栄はそれをひたすらやってたわけですから。
「まず、人と会うのが基本。」
っちゅうのを、やってるかやってないかだなぁ多分。本当にそれだけだと思う。会って話せば、国民の不満は勝手に頭に入る。聞く気がなくても、何度も同じ事を言われたら、嫌でも頭に残る。国民の事を心から思いやる、なんてことをしなくても、一番大きな不満は何なのかを「数字」で把握できる。それも紙の資料とか数字じゃない。人の声とか真剣味とかで把握できる。
で、それだけで良い。っちゅうことでしょう。
テレビも、新聞も、インターネットもいらん。顔を合わせて「聞いてるふり」をしてるだけで、すべての事が把握できて、票も獲得できて、政敵との論争においても、国民意識とズレないところでの意見が言える。だから信用される。
ただそれだけのことでしょう。
「とにかく有権者に会え。」
なんか、角栄さんの声が聞こえるようです。
今日こそが、私たち国民が、自ら日本をどうにかしていこうと考える日々のはじまりです。
このひと月、結局現政権の人間と官僚のトップがやってきた事は、せいぜいがところ酒井法子に悪態をつくくらいのことでした。正しくこれからの日本について語るということができなかった。
アメリカでニューヨークタイムスが経営危機に陥ったように、この数年で日本の大新聞社やテレビ局も倒産・崩壊の憂き目にあうでしょう。国民のため、大衆のため、真に必要な報道をしなかったメディアは、肝心のお客様である国民からそっぽを向かれるのです。当たり前の話です。
今のマスコミは、官僚からの情報をもらって垂れ流してるだけの手先機関にしかすぎません。だから、つぶれてもらってけっこうです。
つぶれた後は、自分たちでどうにかしましょう。
今回の選挙にしても、何かを考えるのなら、ネットのブログやホームページなど、個人が頑張っている情報のほうが、マスコミより有益だったと思います。
郵政選挙から5年。あの信じられないようなトンデモ選挙の愚をくりかえすことはもうないでしょう。多分、少しは国民が賢くなったんだと思います。
民主党に財源や責任がないと考えている人に伝えます。
小沢一郎が「政権についた後、官僚の隠し予算を叩けば出てくる」と言ったそうですが、まさにその通りだと思います。
たとえば警察なら、この何年も、えんえんと痴漢冤罪事件を作り続けてきています。
痴漢と間違われて「おまえは逮捕されたんだ。拘束する。それがイヤなら罪を認めて罰金を払え」と警察におどされ、罰金を払って仕事に戻った人がどれほど多いのか。
その罰金はすべて、税収とは別会計でしょう。
そうでしょ?
どれだけの財源があるのですか。
そんな金がごちゃまんとあるに決まっているのです。
それに加えて、官僚の退職金と高い給与という、「本質的財源」があります。
これは手元にある資料を写真で添付しておきます。
愛知県庁の高卒職員の退職金が2800万円で、おなじく愛知県の世界的企業トヨタの高卒の社員の退職金2100万円よりはるかに上です。
ここを削ればよろしい。
不況でも職の心配のない官僚は、トヨタどころか、一般庶民と同程度の退職金でも多く取りすぎなのです。中小企業の退職金で700万円~800万円。そこまでごっそり削っても、まだ多いくらいなんです。なぜなら、役人の仕事は必要な仕事ではあるけれど、経済に貢献しているわけではないからです。役人の数は少ない方がいいくらいですから、かなり大胆に削ってもかまいません。
高卒の退職者1人で1000万円やそこいらの予算が浮きます。100人分で10億です。1000人で100億。1万人で1兆円です。
実際、天下り官僚は毎年2万5千人いて、その関係各所に毎年12兆円もの予算が出て行ってるそうです。これも削りましょう。本当にムダです。
ほら、数兆円規模の財源など、あっと言う間に生み出せるのですよ。
これが毎年ですから。簡単なものです。
それでも、「日本の経営層を支えてきたのは自民党だ。本当に日本を回す実力があるのは自民党の政治家なんだ」と考えている人もいてるでしょう。その考え方も基本的には正しいと思います。
しかし、今回は、そういう優れた政治家さんに対してでも、地方の老人たちが、「今回はあなた落選しなさい」と真顔で言ってます。
若い人に職がないとか、不況がここまで蔓延しているという時は、まず国民全体の生活をキチンとまともにする必要があります。
老人にとっての日本の明日とは、今日の孫の表情です。若い孫達に職がなくて暗い顔をしていたら、「なんとかせなアカン」と思います。いま、民主党が支持されて勢いがあるのは、こういう「本来自民党に投票してきた人」が、重い腰をあげて、「今回だけはお灸をすえる」と考えているからです。ここが相当に大きいのです。
だからまず数年は民主党政権でよろしい。まず、若い人や貧しい人が、とりあえず安心できる社会環境を作ることです。とりあえずはそれが必要です。そのためには官僚の給料を財源にして取り崩せばよろしい。そこで給料を減らされるのがイヤという官僚には、役人をやめてもらいましょう。安月給でもかまわないという清廉潔白な人だけに役人をやってもらうことが肝心です。本来役人というのは、そういう人こそがなるべき職種です。
で、若い役人はいまも安月給です。40以上にならないとおいしい目にあえないように給与体系ができあがっているんです。
だから、逆に言うと官僚の退職金、天下り予算こそが青天井でとてつもない金額になっているということです。
だから、そこを削ればいいんです。
だから、自民党支持の人も、今回は年寄りの言う言葉に耳を傾けなさい。世の中には天の時というものがあるのです。
日本政府は借金漬けで、それをなんとかしなくちゃいけないと思ってた人もいてるでしょう。でもそれも、ほとんどは官僚の給与支払いのための借金です。だから、官僚の放蕩三昧を、まずなんとかするのが、最優先かつ最重要なのです。
そして、それをなんとかできるのは小沢一郎のいてる民主党だけです。
今一度、小沢一郎が個人として出した新政権の基本案を再掲載しておきます。
http://www.dpj.or.jp/news/files/080908ozawa2seiken.pdf
この政策案の8番目に、
(引用開始)----------------------------------------------
8、国民自身が政治を行う仕組み
①国会審議は、国民の代表である国会議員だけで行う。
②与党議員を100人以上、副大臣、政務官などとして政府の中に入れる。
③政府を担う議員が政策・法案の立案、作成、決定を主導する。
(引用終了)-----------------------------------------------
というのがあります。
大事なのは、この2番目の項目「与党議員を100人以上、副大臣、政務官などとして政府の中に入れる。」です。
官僚の親玉のクビを切って政治家をそのトップに据えると明言しています。
これをやれば、官僚組織がガラガラと音を立てて崩れ落ちます。
これこそ本来の政治家の専権事項です。
いままでの自民党議員は、これをやらなかった。だからダメだったんです。
でも、今日から時代は変わるでしょう。
自民党に入れたいと思っている人も、今回だけは民主党にいれてください。
よりよい経営層のための政党は3年後くらいに作ればよろしい。いまは、まず「国民が主役」を優先する時です。
ということで、これから投票所に行ってきます。
みなさまもご健勝であられることを祈ります。
このひと月、結局現政権の人間と官僚のトップがやってきた事は、せいぜいがところ酒井法子に悪態をつくくらいのことでした。正しくこれからの日本について語るということができなかった。
アメリカでニューヨークタイムスが経営危機に陥ったように、この数年で日本の大新聞社やテレビ局も倒産・崩壊の憂き目にあうでしょう。国民のため、大衆のため、真に必要な報道をしなかったメディアは、肝心のお客様である国民からそっぽを向かれるのです。当たり前の話です。
今のマスコミは、官僚からの情報をもらって垂れ流してるだけの手先機関にしかすぎません。だから、つぶれてもらってけっこうです。
つぶれた後は、自分たちでどうにかしましょう。
今回の選挙にしても、何かを考えるのなら、ネットのブログやホームページなど、個人が頑張っている情報のほうが、マスコミより有益だったと思います。
郵政選挙から5年。あの信じられないようなトンデモ選挙の愚をくりかえすことはもうないでしょう。多分、少しは国民が賢くなったんだと思います。
民主党に財源や責任がないと考えている人に伝えます。
小沢一郎が「政権についた後、官僚の隠し予算を叩けば出てくる」と言ったそうですが、まさにその通りだと思います。
たとえば警察なら、この何年も、えんえんと痴漢冤罪事件を作り続けてきています。
痴漢と間違われて「おまえは逮捕されたんだ。拘束する。それがイヤなら罪を認めて罰金を払え」と警察におどされ、罰金を払って仕事に戻った人がどれほど多いのか。
その罰金はすべて、税収とは別会計でしょう。
そうでしょ?
どれだけの財源があるのですか。
そんな金がごちゃまんとあるに決まっているのです。
それに加えて、官僚の退職金と高い給与という、「本質的財源」があります。
これは手元にある資料を写真で添付しておきます。
愛知県庁の高卒職員の退職金が2800万円で、おなじく愛知県の世界的企業トヨタの高卒の社員の退職金2100万円よりはるかに上です。
ここを削ればよろしい。
不況でも職の心配のない官僚は、トヨタどころか、一般庶民と同程度の退職金でも多く取りすぎなのです。中小企業の退職金で700万円~800万円。そこまでごっそり削っても、まだ多いくらいなんです。なぜなら、役人の仕事は必要な仕事ではあるけれど、経済に貢献しているわけではないからです。役人の数は少ない方がいいくらいですから、かなり大胆に削ってもかまいません。
高卒の退職者1人で1000万円やそこいらの予算が浮きます。100人分で10億です。1000人で100億。1万人で1兆円です。
実際、天下り官僚は毎年2万5千人いて、その関係各所に毎年12兆円もの予算が出て行ってるそうです。これも削りましょう。本当にムダです。
ほら、数兆円規模の財源など、あっと言う間に生み出せるのですよ。
これが毎年ですから。簡単なものです。
それでも、「日本の経営層を支えてきたのは自民党だ。本当に日本を回す実力があるのは自民党の政治家なんだ」と考えている人もいてるでしょう。その考え方も基本的には正しいと思います。
しかし、今回は、そういう優れた政治家さんに対してでも、地方の老人たちが、「今回はあなた落選しなさい」と真顔で言ってます。
若い人に職がないとか、不況がここまで蔓延しているという時は、まず国民全体の生活をキチンとまともにする必要があります。
老人にとっての日本の明日とは、今日の孫の表情です。若い孫達に職がなくて暗い顔をしていたら、「なんとかせなアカン」と思います。いま、民主党が支持されて勢いがあるのは、こういう「本来自民党に投票してきた人」が、重い腰をあげて、「今回だけはお灸をすえる」と考えているからです。ここが相当に大きいのです。
だからまず数年は民主党政権でよろしい。まず、若い人や貧しい人が、とりあえず安心できる社会環境を作ることです。とりあえずはそれが必要です。そのためには官僚の給料を財源にして取り崩せばよろしい。そこで給料を減らされるのがイヤという官僚には、役人をやめてもらいましょう。安月給でもかまわないという清廉潔白な人だけに役人をやってもらうことが肝心です。本来役人というのは、そういう人こそがなるべき職種です。
で、若い役人はいまも安月給です。40以上にならないとおいしい目にあえないように給与体系ができあがっているんです。
だから、逆に言うと官僚の退職金、天下り予算こそが青天井でとてつもない金額になっているということです。
だから、そこを削ればいいんです。
だから、自民党支持の人も、今回は年寄りの言う言葉に耳を傾けなさい。世の中には天の時というものがあるのです。
日本政府は借金漬けで、それをなんとかしなくちゃいけないと思ってた人もいてるでしょう。でもそれも、ほとんどは官僚の給与支払いのための借金です。だから、官僚の放蕩三昧を、まずなんとかするのが、最優先かつ最重要なのです。
そして、それをなんとかできるのは小沢一郎のいてる民主党だけです。
今一度、小沢一郎が個人として出した新政権の基本案を再掲載しておきます。
http://www.dpj.or.jp/news/files/080908ozawa2seiken.pdf
この政策案の8番目に、
(引用開始)----------------------------------------------
8、国民自身が政治を行う仕組み
①国会審議は、国民の代表である国会議員だけで行う。
②与党議員を100人以上、副大臣、政務官などとして政府の中に入れる。
③政府を担う議員が政策・法案の立案、作成、決定を主導する。
(引用終了)-----------------------------------------------
というのがあります。
大事なのは、この2番目の項目「与党議員を100人以上、副大臣、政務官などとして政府の中に入れる。」です。
官僚の親玉のクビを切って政治家をそのトップに据えると明言しています。
これをやれば、官僚組織がガラガラと音を立てて崩れ落ちます。
これこそ本来の政治家の専権事項です。
いままでの自民党議員は、これをやらなかった。だからダメだったんです。
でも、今日から時代は変わるでしょう。
自民党に入れたいと思っている人も、今回だけは民主党にいれてください。
よりよい経営層のための政党は3年後くらいに作ればよろしい。いまは、まず「国民が主役」を優先する時です。
ということで、これから投票所に行ってきます。
みなさまもご健勝であられることを祈ります。
明日の選挙では、裁判官の審査投票で「全員に×」をつけましょう。
2009年8月29日「それでもボクはやってない」について、えんえん書いてきました。
見た人には、えんえん書いているということの意味の重要さが分ってもらえると思いますが、やはり見ていない方にはなかんか理解されないようです。
だから、とにかく選挙後でもいいから見てくださいとお願いしておいて、僕個人としては、ここで多くの方々に「明日の選挙では裁判官の審査投票がありますが、そこで必ず全員に×をつけましょう」という提案をしておきます。
国民審査に関しては、いろいろなところで「キチンと×をつけましょう!」という運動が盛り上がっているようですし、私の尊敬する副島隆彦さんも、
●来たる8月30日の衆院選と同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査で、「4人の最高裁裁判官に×(バツ)を与える国民運動」を行うことを提案します。
というアーティクルを書いておられます。
が、しかし。
●4人? そんなもんでは甘すぎる! 全員×に決まっている!
というのが私の意見です。
なぜなら、まず、この投票が「○をつけたら無効になる」などという、こすっからい、イヤな仕組みになっていたりするからです。
これはどういうことかというと、上記のように「キチンと審査をしましょう」という呼びかけ潰しなんですよ。国民審査というのは、200票入った場合に、100票以上の罷免要求が出たら罷免されるという仕組みになってます。
ですから、単に「×をつけましょう!」と呼びかけて、大挙して審査で「×」をつけても、勘違いして×以外のマス目に「○」をつける人が出てきたら、それらは無効票としてカウントされます。200票のうち、120票で「×」があっても、40票に「○」が入っていると結果として80票しか有効ではなくなるので、国民運動を起こした時にこそ勘違いが山盛り出て、裁判官が助かる、という仕組みになってるんです。
なんとずる賢い!
ここがすでに許せない。
だから、とにかく「全員に×」を心がけてください。確かに「まともな裁判官に×をつけるかもしれないから、それはイヤ」という人もいてるでしょうが、そういうまともな裁判官が仮にいたとしたら、それは「連帯責任でやめてもらう」という事で良いです。
事態はそこまでひどいですから。
なぜそういうことを言うかというと
この間から書いてきた映画「それでもボクはやってない」の中で、
●不見当(ふけんとう)
なる単語が出てくるからです。
この言葉の意味を知ってますか? 知らないですよね。まずここが大問題なんです。
この不見当という言葉は「見あたらない」という意味です。で、この「不見当」なる言葉を発するのは検察側の人間なんです。で、どういうシチュエーションで言うのかというと、前回の公判で「被疑者側の主張では、この立ち位置では痴漢ができないとの事だったが、こちらで実験してみた結果、できるとわかりました。」と言っていたので、弁護側が「では、その実験結果を提出してください」と要求していたわけです。(まず、ここで実験結果を出してないのがおかしいんですがね。口先だけで「実験した」と言ってるだけ。)
で、その実験結果の提出がなかったから「どうなってるんだ」と弁護士が詰め寄ったら、検察側が、たった一言「不見当です」と言って終わりなんですよ。
で、それを聞いて、裁判官が「そうですか。わかりました。」と言ってすませてしまう。どういうことやねん、それ!と思うのですが、みなさん、この無茶苦茶さのどこが無茶苦茶かわかりますか?
ひとつは
●証明責任の問題
です。
だいたい、「この人が犯人である」と断定したのなら、証拠が必要です。そして、その証拠提出の責任は検察側にあります。
逆に言うと、「犯人である」と言われても、被疑者側が「私は犯人ではありません、なぜならこういう証拠があるからです。」という証拠を出す必要はない、という事です。
まず、断定した側がキチンと判断に足る材料を出す必要があるわけです。こんな事は当たり前です。単なるあて推量で裁判をされたらたまったものではありません。
しかし、ここでは「不見当です。」と言って、あったはずに「証拠」が出てきもしないわけです。
これはあまりにひどい。
で、二つめは、
●不見当という業界用語が定着している
という事です。
これは、検察の側がしょっちゅう「見あたらない」というような事をやっているということを示します。しょっちゅうやってなけりゃ、こんな専門用語が生まれるわけがない。
しかも!
●その専門用語を裁判官が見逃している
という、大問題があります。
個人を罪に陥れる証拠がある!と言いながら、出せ!と言うと「見あたりませんでした」ですよ? で、本来なら、そこで「審理終了。証拠不十分により、被疑者は無罪。」と判定しなければいけないのが、裁判官です。証拠の不揃いというのは、起訴の基礎要件を満たしていないという事ですから裁判自体が成立しません。「疑わしきは罰せず」であるなら、証拠が見あたらなかったら、そこで裁判は終わりです。被疑者は無罪。これが当たり前の姿です。
であるのに!
●裁判官が「不見当」という言い訳語を見逃している。
んです。
こういう業界用語というのは、そういう事柄が日常的に行われていることを示します。決して痴漢えん罪だけの話ではないわけです。ほとんどの裁判で、そういう警察と検察のひどい癒着、「グル」の構造が存在すると言うことの、強力な証拠になります。
だから、裁判官は全員×。罷免してかまいません。当然です。
-------------
で、だいたい、ちょっと考えてもらえばよくわかるはずですが、どうして立候補する政治家には顔写真のポスターがたくさん並んでいるのに、裁判官の顔写真はおろか、判定してきた実績の一覧すら、投票所にはないのか? って事です。
政治家は立候補する側ですから、現職と新人を公平に選択するために情報なしでも仕方ないですが、裁判官は違います。公的な仕事・実績は公的に記録されてるわけですから、とりまとめもできる。ちゃんとした判断材料を投票所に設置するのが筋ってもんです。でも、それすらされていない。
この段階で、仕組みとしての要件を満たしていないのだから、これまた、そんな仕組みで審査をしようとしている裁判官全員×です。
で、ネットで国民審査のページをみてもらったらわかりますが、国がやってるページには「国民審査をしましょう」とは書いてあるけれども、裁判官の実績がわかるような作りにはなっていない。ここがまたおかしい。裁判所のホームページへのリンクが張られているだけなんですよ。
でリンク先に行ってみると裁判官の名前が14人並んでいます。でも、これ、全員が今回の審査の対象者じゃないですからね。なんやねんそれ。ちゃんと審査してもらおうとは全然考えてないやろ、おまえら!っちゅう話です。
このうちの8人が対象なんですけど、これが相当さがさないとわからない。
しかも、その名前をクリックしたところで、顔写真と経歴はいろいろ載ってるんですが、肝心のどの裁判を担当したのかは、もう一度クリックしないとわからないんですよ。あまりにおかしすぎる。わざとわかりにくくしているとしか思えない。
民主主義というのは、多様な意見を同等にきちんと聞くのが大前提ですから、そこでもっとも重要になるのは「公平な手続き」なんですよ。その「手続き」があまりにひどい。
だから、こういう事を平気でやってる裁判官は全員×でかまわないんです。連帯責任で全員やめてもらいましょう。
---------------
今回の選挙は、日本の仕組みが変わる選挙でして、大きなポイントは「官僚政治の打破」ということです。
小沢一郎は、「それボク」の周防監督が数百の痴漢えん罪を見てきたのと同じく、田中角栄の濡れ衣裁判をすべて見ています。
だから、裁判の仕組みのひどさも良くわかっているはずで、そういうヒドイ仕組みを、今回は根っこからひっくり返そうとしてます。
官僚組織のトップに若い政治家を押し込むということをしようとしてますからね。
なので、実は、いま、もっとも戦々恐々としているのは、官僚たちなんです。どんな改革が行われて、自分の立場が危うくなるのかわからない。
だからこそ、小沢一郎が怖くて、西松建設問題のような「警察のリークと、その情報を流すしか能力のない、マスコミ操作」だけで小沢一郎を党首の座から追いやったわけです。
で、いま、まだ、いまだにマスコミネタでひっぱっている酒井法子の記事もまったく同じ。全部警察のリーク情報です。
構造はまったく同じです。覚醒剤関係のしょっぴきをやれば、警察がヒーローになれる。そういうイメージづくりをして、国民の側を味方につけようという、実にくだらないアリバイ工作なわけです。
で、このアリバイ工作は、本当にひどくて、たとえば、この間は太陽電池による発電の買電を法制化する話がいきなりバババババっと出てきました。
言っておきますが、日本は太陽電池に関しては世界に冠たる技術を持っているのですが、官僚がアホな政策でこの固定買い取り制度を選択せずに別方式を強力に推し進めたせいで、定着が遅れ、実はいまやドイツや他の国に技術的にも追い越されようとしてるわけです。
だから、いま本当に問われなければならないのは、官僚たちが取っていた政策のミス、その失敗をこそ正しく批判することが必要なタイミングなわけです。
ところが、そこが選挙の争点になって欲しくないし、仮に民主党政権になった時にも「いやいや、我々は、幅広く対応してましたよ。」というアリバイ作りをするために、大急ぎでこういう買い取り制度の法制化を発表したりしてるわけです。
ほんとうにもう、みっともないったらありゃしない。
酒井法子も、太陽電池の買い取り制度の話も、ようは全部、官僚のアリバイ工作でしかないんです。
だからこそ、官僚とつるむ事しか考えていない裁判官は全員罷免しましょう!と僕は提案するわけです。
だいたい、この選挙の、ひと月前というタイミングで、あの植草一秀さんの最高裁上告が棄却されております。これがだいたいあやしい。
植草さんは、官僚とマスコミとの結託による問題点を、ずっとブログで書き続けていて、毎日何千人もの人のアクセスがあった人です。
で、その植草さんが、選挙の2週間前、というタイミングで、収監されてるわけです。ブタ箱に入れられたわけです。こんなもの、完全に言論統制ですがな。許されるもんではないですよ。選挙前の時期に官僚の問題点を暴きたてることのできる重要な人間をブタ箱にほおりこむ。
こういう、実にいやらしいことを、やってるんです。
だから全員×で良いんです。
しかも、この植草さんの収監の日は、例の「裁判員制度」の、最初の判決が出た日なんですね。どこでも裁判員制度の話で持ちきり。植草さんが指摘している裁判の現状の問題点の追求はすっ飛ばしです。
こういうひどい事をしてるんですから、全員×で当然なんですよ。
この話、まだまだ書きたい事があるんですけど、まぁ、とりあえずは選挙前といいうことなので、とにかく「国民審査は全員×で良いのだ!」という提案だけは、しっかりとやっておこうと思います。
てなことで。
見た人には、えんえん書いているということの意味の重要さが分ってもらえると思いますが、やはり見ていない方にはなかんか理解されないようです。
だから、とにかく選挙後でもいいから見てくださいとお願いしておいて、僕個人としては、ここで多くの方々に「明日の選挙では裁判官の審査投票がありますが、そこで必ず全員に×をつけましょう」という提案をしておきます。
国民審査に関しては、いろいろなところで「キチンと×をつけましょう!」という運動が盛り上がっているようですし、私の尊敬する副島隆彦さんも、
●来たる8月30日の衆院選と同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査で、「4人の最高裁裁判官に×(バツ)を与える国民運動」を行うことを提案します。
というアーティクルを書いておられます。
が、しかし。
●4人? そんなもんでは甘すぎる! 全員×に決まっている!
というのが私の意見です。
なぜなら、まず、この投票が「○をつけたら無効になる」などという、こすっからい、イヤな仕組みになっていたりするからです。
これはどういうことかというと、上記のように「キチンと審査をしましょう」という呼びかけ潰しなんですよ。国民審査というのは、200票入った場合に、100票以上の罷免要求が出たら罷免されるという仕組みになってます。
ですから、単に「×をつけましょう!」と呼びかけて、大挙して審査で「×」をつけても、勘違いして×以外のマス目に「○」をつける人が出てきたら、それらは無効票としてカウントされます。200票のうち、120票で「×」があっても、40票に「○」が入っていると結果として80票しか有効ではなくなるので、国民運動を起こした時にこそ勘違いが山盛り出て、裁判官が助かる、という仕組みになってるんです。
なんとずる賢い!
ここがすでに許せない。
だから、とにかく「全員に×」を心がけてください。確かに「まともな裁判官に×をつけるかもしれないから、それはイヤ」という人もいてるでしょうが、そういうまともな裁判官が仮にいたとしたら、それは「連帯責任でやめてもらう」という事で良いです。
事態はそこまでひどいですから。
なぜそういうことを言うかというと
この間から書いてきた映画「それでもボクはやってない」の中で、
●不見当(ふけんとう)
なる単語が出てくるからです。
この言葉の意味を知ってますか? 知らないですよね。まずここが大問題なんです。
この不見当という言葉は「見あたらない」という意味です。で、この「不見当」なる言葉を発するのは検察側の人間なんです。で、どういうシチュエーションで言うのかというと、前回の公判で「被疑者側の主張では、この立ち位置では痴漢ができないとの事だったが、こちらで実験してみた結果、できるとわかりました。」と言っていたので、弁護側が「では、その実験結果を提出してください」と要求していたわけです。(まず、ここで実験結果を出してないのがおかしいんですがね。口先だけで「実験した」と言ってるだけ。)
で、その実験結果の提出がなかったから「どうなってるんだ」と弁護士が詰め寄ったら、検察側が、たった一言「不見当です」と言って終わりなんですよ。
で、それを聞いて、裁判官が「そうですか。わかりました。」と言ってすませてしまう。どういうことやねん、それ!と思うのですが、みなさん、この無茶苦茶さのどこが無茶苦茶かわかりますか?
ひとつは
●証明責任の問題
です。
だいたい、「この人が犯人である」と断定したのなら、証拠が必要です。そして、その証拠提出の責任は検察側にあります。
逆に言うと、「犯人である」と言われても、被疑者側が「私は犯人ではありません、なぜならこういう証拠があるからです。」という証拠を出す必要はない、という事です。
まず、断定した側がキチンと判断に足る材料を出す必要があるわけです。こんな事は当たり前です。単なるあて推量で裁判をされたらたまったものではありません。
しかし、ここでは「不見当です。」と言って、あったはずに「証拠」が出てきもしないわけです。
これはあまりにひどい。
で、二つめは、
●不見当という業界用語が定着している
という事です。
これは、検察の側がしょっちゅう「見あたらない」というような事をやっているということを示します。しょっちゅうやってなけりゃ、こんな専門用語が生まれるわけがない。
しかも!
●その専門用語を裁判官が見逃している
という、大問題があります。
個人を罪に陥れる証拠がある!と言いながら、出せ!と言うと「見あたりませんでした」ですよ? で、本来なら、そこで「審理終了。証拠不十分により、被疑者は無罪。」と判定しなければいけないのが、裁判官です。証拠の不揃いというのは、起訴の基礎要件を満たしていないという事ですから裁判自体が成立しません。「疑わしきは罰せず」であるなら、証拠が見あたらなかったら、そこで裁判は終わりです。被疑者は無罪。これが当たり前の姿です。
であるのに!
●裁判官が「不見当」という言い訳語を見逃している。
んです。
こういう業界用語というのは、そういう事柄が日常的に行われていることを示します。決して痴漢えん罪だけの話ではないわけです。ほとんどの裁判で、そういう警察と検察のひどい癒着、「グル」の構造が存在すると言うことの、強力な証拠になります。
だから、裁判官は全員×。罷免してかまいません。当然です。
-------------
で、だいたい、ちょっと考えてもらえばよくわかるはずですが、どうして立候補する政治家には顔写真のポスターがたくさん並んでいるのに、裁判官の顔写真はおろか、判定してきた実績の一覧すら、投票所にはないのか? って事です。
政治家は立候補する側ですから、現職と新人を公平に選択するために情報なしでも仕方ないですが、裁判官は違います。公的な仕事・実績は公的に記録されてるわけですから、とりまとめもできる。ちゃんとした判断材料を投票所に設置するのが筋ってもんです。でも、それすらされていない。
この段階で、仕組みとしての要件を満たしていないのだから、これまた、そんな仕組みで審査をしようとしている裁判官全員×です。
で、ネットで国民審査のページをみてもらったらわかりますが、国がやってるページには「国民審査をしましょう」とは書いてあるけれども、裁判官の実績がわかるような作りにはなっていない。ここがまたおかしい。裁判所のホームページへのリンクが張られているだけなんですよ。
でリンク先に行ってみると裁判官の名前が14人並んでいます。でも、これ、全員が今回の審査の対象者じゃないですからね。なんやねんそれ。ちゃんと審査してもらおうとは全然考えてないやろ、おまえら!っちゅう話です。
このうちの8人が対象なんですけど、これが相当さがさないとわからない。
しかも、その名前をクリックしたところで、顔写真と経歴はいろいろ載ってるんですが、肝心のどの裁判を担当したのかは、もう一度クリックしないとわからないんですよ。あまりにおかしすぎる。わざとわかりにくくしているとしか思えない。
民主主義というのは、多様な意見を同等にきちんと聞くのが大前提ですから、そこでもっとも重要になるのは「公平な手続き」なんですよ。その「手続き」があまりにひどい。
だから、こういう事を平気でやってる裁判官は全員×でかまわないんです。連帯責任で全員やめてもらいましょう。
---------------
今回の選挙は、日本の仕組みが変わる選挙でして、大きなポイントは「官僚政治の打破」ということです。
小沢一郎は、「それボク」の周防監督が数百の痴漢えん罪を見てきたのと同じく、田中角栄の濡れ衣裁判をすべて見ています。
だから、裁判の仕組みのひどさも良くわかっているはずで、そういうヒドイ仕組みを、今回は根っこからひっくり返そうとしてます。
官僚組織のトップに若い政治家を押し込むということをしようとしてますからね。
なので、実は、いま、もっとも戦々恐々としているのは、官僚たちなんです。どんな改革が行われて、自分の立場が危うくなるのかわからない。
だからこそ、小沢一郎が怖くて、西松建設問題のような「警察のリークと、その情報を流すしか能力のない、マスコミ操作」だけで小沢一郎を党首の座から追いやったわけです。
で、いま、まだ、いまだにマスコミネタでひっぱっている酒井法子の記事もまったく同じ。全部警察のリーク情報です。
構造はまったく同じです。覚醒剤関係のしょっぴきをやれば、警察がヒーローになれる。そういうイメージづくりをして、国民の側を味方につけようという、実にくだらないアリバイ工作なわけです。
で、このアリバイ工作は、本当にひどくて、たとえば、この間は太陽電池による発電の買電を法制化する話がいきなりバババババっと出てきました。
言っておきますが、日本は太陽電池に関しては世界に冠たる技術を持っているのですが、官僚がアホな政策でこの固定買い取り制度を選択せずに別方式を強力に推し進めたせいで、定着が遅れ、実はいまやドイツや他の国に技術的にも追い越されようとしてるわけです。
だから、いま本当に問われなければならないのは、官僚たちが取っていた政策のミス、その失敗をこそ正しく批判することが必要なタイミングなわけです。
ところが、そこが選挙の争点になって欲しくないし、仮に民主党政権になった時にも「いやいや、我々は、幅広く対応してましたよ。」というアリバイ作りをするために、大急ぎでこういう買い取り制度の法制化を発表したりしてるわけです。
ほんとうにもう、みっともないったらありゃしない。
酒井法子も、太陽電池の買い取り制度の話も、ようは全部、官僚のアリバイ工作でしかないんです。
だからこそ、官僚とつるむ事しか考えていない裁判官は全員罷免しましょう!と僕は提案するわけです。
だいたい、この選挙の、ひと月前というタイミングで、あの植草一秀さんの最高裁上告が棄却されております。これがだいたいあやしい。
植草さんは、官僚とマスコミとの結託による問題点を、ずっとブログで書き続けていて、毎日何千人もの人のアクセスがあった人です。
で、その植草さんが、選挙の2週間前、というタイミングで、収監されてるわけです。ブタ箱に入れられたわけです。こんなもの、完全に言論統制ですがな。許されるもんではないですよ。選挙前の時期に官僚の問題点を暴きたてることのできる重要な人間をブタ箱にほおりこむ。
こういう、実にいやらしいことを、やってるんです。
だから全員×で良いんです。
しかも、この植草さんの収監の日は、例の「裁判員制度」の、最初の判決が出た日なんですね。どこでも裁判員制度の話で持ちきり。植草さんが指摘している裁判の現状の問題点の追求はすっ飛ばしです。
こういうひどい事をしてるんですから、全員×で当然なんですよ。
この話、まだまだ書きたい事があるんですけど、まぁ、とりあえずは選挙前といいうことなので、とにかく「国民審査は全員×で良いのだ!」という提案だけは、しっかりとやっておこうと思います。
てなことで。
ということで、「それでもボクはやってない」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B000QJLROI
のストーリーを追いながら、日本の警察や裁判のあり方の問題を考えるシリーズの続きです。
警察に関しては、
●「私人による逮捕」の仕組みを政治的に悪用している疑いがある。
という話を書こうと思ったのですが、それより先に、警察と裁判所が一体になって、冤罪を次々に生み出しかねない、大きな仕組みの問題点を先に書いた方が良いなと思いまして、ちょっと話を前後させることにしました。
ということで、またまたネタバレを含みますので「それでもボクはやってない」を見る気のある方は先に見てください。
------------
…ということで、書きかけたんですが、ここまでの話で、映画の最初の30分くらいは書いたんじゃないかな?と思って、買ってあったシナリオ集を見直してみたら、驚くなかれ!「私人による逮捕」という驚きは、タイトルバックよりまだ前の話でありました。
ええええー!って感じで。
えんえん書いてたけど、まだタイトルバックにすらたどり着いていなかったのだ分って呆然としたのでありますよ。
で、なんか書くのがしんどくなって、ちょっと休んでしまってたのです。
で、ここから後の事もちょっと書いていきますけども、それは、もう、「いくらなんでも、それはないやろ!」というような、おかしな裁判の様子が、この映画の中では延々続くという事になりまして、3~5分ごとに「それはないやろ!」「それはアカンやろ!」「裁判になってへんがな!」と唖然・呆然とするのです。
それはそれは、日本の裁判の実態が、あまりに非常識すぎて、あっけにとられるという、ことなんですね。
延々、「え? そんなアホな」が続くというびっくり箱ムービーなんです。ほんまに。
だから、ほんとうに、この映画、2時間30分近くあるんですが、そういう驚きだけで、ストーリーが過ぎ去って行きまして、びっくりするほど上映時間が短く感じるのです。なんじゃこりゃぁぁぁぁ!と叫び続けて、はい終了。
で、悲しいことに、その「そんなアホな!」というのが映画の中だけのフィクションではなくて、現実の裁判そのものなんだ、ということなんです。
ああ、なんと恐ろしいことか!
---------(以下ネタバレ。)-------------
ともあれ、ストーリーに沿ってちょっと進めましょう。
警察につれて来られた主人公、徹平くんは、刑事に事情聴取されるわけですが、ノートパソコンで議事を取る刑事がひとりいて、質問する刑事がもう一人いるわけです。で、
「おまえ、女の子に手を捕まれたんだってな」と言われて「手はつかまれてませんよ、服の裾はひっぱられましたけど。」と言ったら、急にその刑事が、「私は混雑する通勤電車内で、女子中学生のお尻を触り、袖を掴まれました。」と、いきなり供述調書の口述筆記が始まるわけです。
「え?どういう事?」って思うでしょ?だって主人公の徹平君が被害者の女の子に袖を掴まれたのは、ホームに降りてからなんですよ? 何より、徹平君は「やってない」って言ってるんですよ?
あまりにおかしいじゃないですか。
でも、これ、映画用に脚色した話ではないんだそうです。実際にこれくらいの「決めつけ」で、刑事の勝手な「作文」である供述調書が作られているんだそうです。
周防監督は、裁判はたくさん見たんだそうですが、刑事の取調室での態度とかは見ることができないので、いろいろ資料を集めて書いたらしいんですが、体験者がこの映画を見たら、
●この程度の刑事なら、かなりマシな方。
だそうです。
どう思います?みなさん?
で、酒井法子の話題がバンバンにマスコミをにぎわしましたけど、ああいう情報は全部この手の刑事が流した「という事らしいぜ」という憶測です。それをマスコミの記者が「関係者によると」という、わけのわからない情報源からの情報として、テレビや新聞に垂れ流してるんですよ。
あんなもんを見て喜んでる方がバカを見るっちゅうことですよ。
徹平君は、あまりに馬鹿馬鹿しい取り調べなので、「こんな事に付き合ってられません。帰ります。」と言って帰ろうとするんですが、そこで初めて、この刑事が「おっと、それはできないんだなぁ。おまえはすでに、あの中学生に逮捕されてるんだよ。私人による逮捕って言ってな。」と、供述調書を取り始めて、やっと「逮捕された」という事実を知るんですね。徹平君は。
信じられます?
逮捕する!とかの宣言なしに、いきなり拘留して、でたらめな調書を取り始めてから「逮捕されてます」ですよ!
ふざけるな!
っちゅう話ですよ。
なんやそれ!
おかしいやろ。
頭腐ってるやろ。
っちゅう話ですよ。
でも、それが現実の警察の仕組みなんですよ。
で、この「お前は、私人によって逮捕されたんだよ。」というセリフが出たところで、タイトルバック、「それでもボクはやってない」が出ます。
やっとタイトルバックです。
やれやれ。
ここまでだけでも、「これが本当に現代社会の警察の取り調べなのか?」と呆然とするでしょ?
アメリカのテレビドラマとかで、犯人が逮捕された時に権利の読み上げを刑事がするじゃないですか?犯人に手錠をかけながら、「おまえには黙秘する権利がある。○○する権利がある。」とかなんとか。そういうの一切なしですから。
それで、いきなり、でたらめな調書作成ですから。
中世の魔女裁判か!っちゅう話ですよ。
で、タイトルバック明け、徹平君は牢屋に入れられてますからね。どうなってるんやという茫然自失。で、牢屋の中に「常連」がいるわけですよ。何の犯罪を犯したかは知らないけども、やたらと詳しい囚人が。その人間に「えん罪かい?なら、弁護士を呼んだらいいよ。」と言われて初めて、弁護士を呼ぶことができるんだ!とわかるわけです。
このあたりもひどい話で、ようは牢屋にぶちこんで、身柄拘束と、罪を認めて解放されるのとどっちが良いか?という二者択一に追い込んでるわけです。「正直に認めればすぐ出られるんだ。略式で罰金払って釈放だ。」と刑事も言ってるわけです。
でも徹平君は弁護士を呼んだ。
で、話をした。
こういう事情です、と。
そしたら!
ここは少し、映画独自の脚色かもしれないけれど、この弁護士までが、
「裁判は大変だよ。罪を認めて、被害者との示談ですませた方が簡単だ。」と「罪を認めろ」「嘘をつけ」と言うのです。
ここでまた、「えええええー!」ですわね。
なんやねん、それ! 弁護士までが「やったと言え」かよ!
そしたら真実追究を考える人間はどこにおるねん? どこにもおらんやんけ! と、唖然とするわけです。
実際には、さすがに、こういう事を言う弁護士はいないのかも知れませんが(いや、痴漢冤罪に関してはかなりいてる気もする)、少なくとも裁判の大変さに関してだけはしっかり告知して、「それでも裁判をしますか?」くらいは言うはずです。
なぜなら、
●この手の裁判を起こしても、勝つことがほぼない。
からなのです。
ここでまた「ええええー!」です。
やってないんやから。冤罪やねんもん。証拠もないねんで?
キチンと事実関係を明確にして闘ったら勝てるやろ! と思うのですが、これが勝てない。
なんと、痴漢冤罪で検察と闘って裁判をしても、
●有罪率99.9㌫
で、ほぼ負けることが確定、なんですよ。
1000件に1件しか勝てない。
なに? それ?
おかしいやろ。それ。
なにが「裁判員制度でござい」や。
そんな事より、自分たちの「異常さ」を訂正せんか、ボケ。
裁判官が先にこのおかしな状況を反省せぇ!アホが。
っちゅう話ですよ。
「私はやってない」と痴漢の濡れ衣を、検察・警察と争っても、ほとんどの場合、裁判をしたところで裁判官は「おまえは痴漢。有罪。」と言う気しかないんですよ。
なんやそれ?
ほんまに検討してるんか?
99.9%って言うと、1000件に一件ですよ?
ええ?
現場の確認もせず、でっちあげ調書を勝手に作っておいて、それで1000件に一件しか誤謬がないとぬかすのか?!眠たい事言うてたら、はったおすぞ!っちゅう話です。
検察・警察は「行政」の立場で、裁判官は、「司法」。三権分立で、お互いに不可侵で、いくら警察や検察がでっちあげの犯罪を作り出しても、その「冤罪」を、ことごとく暴いて、真実追究をしなければ、「司法」という存在に意味はないのです。99.9%有罪というのは、何の判定もせずにメクラ判を押して「全部有罪ね~」と言ってるのと、まったく一緒なんですよ。
一体、これは、どういうことなのか?
ようは裁判所と、警察がグルだってことです。
ここで「グルだ」と書いたら、「そんな事はない」と否定する人もたくさん出てくるはずなんです。
確かに、裁判官は、出された証拠をもとにいろいろ検討するし、真剣に精査もしている。裁判官はおそらく、捜査手順等も詳しくは知らないはずです。だからグルとは言えないと言い張るでしょう。
しかし、罪の判断の基準が、
●疑わしきは罰せよ。
なんですよ。
しかも、大前提として、「警察・検察の調べに間違いは少ない」というとらえ方をしてるんです。
司法としての裁判所は行政としての検察・警察とは独立した部署だから、独自判断をしていると言えば、それは確かに独自判断をしてるわけです。
が、しかし!
そんなもんな、
●疑わしきは罰せよ。
●警察・検察の調べに間違いは少ない
などという前提・予断があるというのは、これはもうハッキリ、
●司法と検察・警察がグルである。
のと、何ら代わりはないわけですよ。まったくイコール。完璧に同一組織ですよ。こんなもの。どこに独立性があるんやっちゅう話です。
それが、わかってない裁判官に裁判官の資格なんか、はじめからないんです。
おまえら裁判官やめろ。ボケ。
そういう話でしかない。
で、それが、この国の裁判の現実なんですよ。まさに、
●そこまで現実の裁判がひどい。
という話なんです。
で、
●司法と検察・警察がグルである。
のと同様の状態になると、どういう事になってしまうかというと、
●弁護士までが、裁判官の顔色をうかがう。
という事になってしまうんですよ。
もともと、痴漢事件の場合、立件の根拠のほとんどが、被害者の「私人による逮捕」と、「被疑者の自白」という
●警察がまったく関与してない事柄
だけで成立してますから、裁判になると警察・検察の側の立件の証拠自体がほとんどないわけです。
その少ない情報の中で裁判官は判断することになるから、判定のしようがない。なので、被疑者の訴えよりも警察・検察の声を優先してしまう、という仕組みなわけです。
だからこそ!
真に冤罪事件の被害者の力になってあげたいと思っている弁護士こそ、
●裁判官の顔色をうかがう。
ということになるわけですよ。
わかりますか? この倒錯した状況。
現実問題として三権分立が壊れているのに、形だけは「別権力」ということになっているから、法廷では弁護士ですらが、裁判官さまさまでへいこらするしかないわけです。
●ここは、私の法廷です。
と、バカな事を平然と言う裁判官もいてるそうです。何寝ぼけたことを言うとんねん、法廷は国民のものに決まってるやろがボケ!っちゅう話なんですが、こういうことがまかり通る雰囲気が裁判所にはあるのです。
(そのあたりの異様さも映画ではキチンと描かれています。)
映画を、そのまま先の方まで進めて見ていくと、先述の「罪を認めろ」と言った弁護士が、なぜ、そんなとんでもない事を言ってしまったのかを、後を受けて弁護を担当した女性弁護士が詰め寄って問いただすシーンがあるんですが、そこでの弁護士の吐露が、実に嫌な現実を如実に描いてます。ちょっと引用しましょう。
(引用開始)-----------------------
「あの日の接見は、できたら誰かに代わってもらいたかったんだ。午後にね、判決があってね。懲役一年三月(さんげつ)の実刑だった。酷い裁判だよ。何しろ通勤電車内のワイセツ容疑なのに、保釈金が500万円。もちろん前科はないし、妻も子供もいる本当に真面目なサラリーマンだ。被害者尋問が終わって、裁判官に会いに行ったら、なんて言われたと思う? 500万円出せるなら今すぐ被害者のところに行って示談してこい。そしたら執行猶予にしてやる。信じられるか? こっちは真摯に無罪を争ってるんだ。それが裁判の最中にそんな事を言う。無罪推定どころか有罪推定だ。すぐその場で罵倒してやりたかったよ。だけど、一瞬、裁判官の機嫌をそこねたらもっと不利になると思ったんだ。それからは、必死だった。何しろ裁判官の心証を知っちゃったんだからね。でもダメだった。俺はね、示談を勧めるつもりはなかったんだよ。ただね、無実であるなら裁判で明らかになる、裁判官は分ってくれる、そんな風に考えてたら、とんでもないことになるっていうのを…」
(引用終了)-----------------------
です。
まぁ、あくまで、これは映画の中のセリフではありますが、ようは、
●弁護士は裁判官の顔色をうかがうしかない。
ということなんですよ。
いくら、あまりにひどい判定をしていようとも、です。
関係者だからこそ、
●罵倒ができない
んですよ。
だからこそ、です。
ボクは、ここで罵倒しまくってるわけです。
本来罵倒されるべきタイミングで、彼らは罵倒されてない。
●叱られたこともない、お子ちゃま。
が、裁判官であり、検察であり、警察であるってことです。
このシリーズ、まだ続きます。
が、あまりに疲れるので、次回でちょっとまとめをして終わりにします。
本当に書いてて腹が立ってしまって、精神衛生上よろしくないのですよ、このシリーズ。
だからいつも
●とにかく「それでもボクはやってない」を見てくれ。話はそれからよ。
としか言えなくなっちゃうんですな。
その、あまりの酷さに唖然として。
ともあれ、まだちょっと話は続きます。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B000QJLROI
のストーリーを追いながら、日本の警察や裁判のあり方の問題を考えるシリーズの続きです。
警察に関しては、
●「私人による逮捕」の仕組みを政治的に悪用している疑いがある。
という話を書こうと思ったのですが、それより先に、警察と裁判所が一体になって、冤罪を次々に生み出しかねない、大きな仕組みの問題点を先に書いた方が良いなと思いまして、ちょっと話を前後させることにしました。
ということで、またまたネタバレを含みますので「それでもボクはやってない」を見る気のある方は先に見てください。
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…ということで、書きかけたんですが、ここまでの話で、映画の最初の30分くらいは書いたんじゃないかな?と思って、買ってあったシナリオ集を見直してみたら、驚くなかれ!「私人による逮捕」という驚きは、タイトルバックよりまだ前の話でありました。
ええええー!って感じで。
えんえん書いてたけど、まだタイトルバックにすらたどり着いていなかったのだ分って呆然としたのでありますよ。
で、なんか書くのがしんどくなって、ちょっと休んでしまってたのです。
で、ここから後の事もちょっと書いていきますけども、それは、もう、「いくらなんでも、それはないやろ!」というような、おかしな裁判の様子が、この映画の中では延々続くという事になりまして、3~5分ごとに「それはないやろ!」「それはアカンやろ!」「裁判になってへんがな!」と唖然・呆然とするのです。
それはそれは、日本の裁判の実態が、あまりに非常識すぎて、あっけにとられるという、ことなんですね。
延々、「え? そんなアホな」が続くというびっくり箱ムービーなんです。ほんまに。
だから、ほんとうに、この映画、2時間30分近くあるんですが、そういう驚きだけで、ストーリーが過ぎ去って行きまして、びっくりするほど上映時間が短く感じるのです。なんじゃこりゃぁぁぁぁ!と叫び続けて、はい終了。
で、悲しいことに、その「そんなアホな!」というのが映画の中だけのフィクションではなくて、現実の裁判そのものなんだ、ということなんです。
ああ、なんと恐ろしいことか!
---------(以下ネタバレ。)-------------
ともあれ、ストーリーに沿ってちょっと進めましょう。
警察につれて来られた主人公、徹平くんは、刑事に事情聴取されるわけですが、ノートパソコンで議事を取る刑事がひとりいて、質問する刑事がもう一人いるわけです。で、
「おまえ、女の子に手を捕まれたんだってな」と言われて「手はつかまれてませんよ、服の裾はひっぱられましたけど。」と言ったら、急にその刑事が、「私は混雑する通勤電車内で、女子中学生のお尻を触り、袖を掴まれました。」と、いきなり供述調書の口述筆記が始まるわけです。
「え?どういう事?」って思うでしょ?だって主人公の徹平君が被害者の女の子に袖を掴まれたのは、ホームに降りてからなんですよ? 何より、徹平君は「やってない」って言ってるんですよ?
あまりにおかしいじゃないですか。
でも、これ、映画用に脚色した話ではないんだそうです。実際にこれくらいの「決めつけ」で、刑事の勝手な「作文」である供述調書が作られているんだそうです。
周防監督は、裁判はたくさん見たんだそうですが、刑事の取調室での態度とかは見ることができないので、いろいろ資料を集めて書いたらしいんですが、体験者がこの映画を見たら、
●この程度の刑事なら、かなりマシな方。
だそうです。
どう思います?みなさん?
で、酒井法子の話題がバンバンにマスコミをにぎわしましたけど、ああいう情報は全部この手の刑事が流した「という事らしいぜ」という憶測です。それをマスコミの記者が「関係者によると」という、わけのわからない情報源からの情報として、テレビや新聞に垂れ流してるんですよ。
あんなもんを見て喜んでる方がバカを見るっちゅうことですよ。
徹平君は、あまりに馬鹿馬鹿しい取り調べなので、「こんな事に付き合ってられません。帰ります。」と言って帰ろうとするんですが、そこで初めて、この刑事が「おっと、それはできないんだなぁ。おまえはすでに、あの中学生に逮捕されてるんだよ。私人による逮捕って言ってな。」と、供述調書を取り始めて、やっと「逮捕された」という事実を知るんですね。徹平君は。
信じられます?
逮捕する!とかの宣言なしに、いきなり拘留して、でたらめな調書を取り始めてから「逮捕されてます」ですよ!
ふざけるな!
っちゅう話ですよ。
なんやそれ!
おかしいやろ。
頭腐ってるやろ。
っちゅう話ですよ。
でも、それが現実の警察の仕組みなんですよ。
で、この「お前は、私人によって逮捕されたんだよ。」というセリフが出たところで、タイトルバック、「それでもボクはやってない」が出ます。
やっとタイトルバックです。
やれやれ。
ここまでだけでも、「これが本当に現代社会の警察の取り調べなのか?」と呆然とするでしょ?
アメリカのテレビドラマとかで、犯人が逮捕された時に権利の読み上げを刑事がするじゃないですか?犯人に手錠をかけながら、「おまえには黙秘する権利がある。○○する権利がある。」とかなんとか。そういうの一切なしですから。
それで、いきなり、でたらめな調書作成ですから。
中世の魔女裁判か!っちゅう話ですよ。
で、タイトルバック明け、徹平君は牢屋に入れられてますからね。どうなってるんやという茫然自失。で、牢屋の中に「常連」がいるわけですよ。何の犯罪を犯したかは知らないけども、やたらと詳しい囚人が。その人間に「えん罪かい?なら、弁護士を呼んだらいいよ。」と言われて初めて、弁護士を呼ぶことができるんだ!とわかるわけです。
このあたりもひどい話で、ようは牢屋にぶちこんで、身柄拘束と、罪を認めて解放されるのとどっちが良いか?という二者択一に追い込んでるわけです。「正直に認めればすぐ出られるんだ。略式で罰金払って釈放だ。」と刑事も言ってるわけです。
でも徹平君は弁護士を呼んだ。
で、話をした。
こういう事情です、と。
そしたら!
ここは少し、映画独自の脚色かもしれないけれど、この弁護士までが、
「裁判は大変だよ。罪を認めて、被害者との示談ですませた方が簡単だ。」と「罪を認めろ」「嘘をつけ」と言うのです。
ここでまた、「えええええー!」ですわね。
なんやねん、それ! 弁護士までが「やったと言え」かよ!
そしたら真実追究を考える人間はどこにおるねん? どこにもおらんやんけ! と、唖然とするわけです。
実際には、さすがに、こういう事を言う弁護士はいないのかも知れませんが(いや、痴漢冤罪に関してはかなりいてる気もする)、少なくとも裁判の大変さに関してだけはしっかり告知して、「それでも裁判をしますか?」くらいは言うはずです。
なぜなら、
●この手の裁判を起こしても、勝つことがほぼない。
からなのです。
ここでまた「ええええー!」です。
やってないんやから。冤罪やねんもん。証拠もないねんで?
キチンと事実関係を明確にして闘ったら勝てるやろ! と思うのですが、これが勝てない。
なんと、痴漢冤罪で検察と闘って裁判をしても、
●有罪率99.9㌫
で、ほぼ負けることが確定、なんですよ。
1000件に1件しか勝てない。
なに? それ?
おかしいやろ。それ。
なにが「裁判員制度でござい」や。
そんな事より、自分たちの「異常さ」を訂正せんか、ボケ。
裁判官が先にこのおかしな状況を反省せぇ!アホが。
っちゅう話ですよ。
「私はやってない」と痴漢の濡れ衣を、検察・警察と争っても、ほとんどの場合、裁判をしたところで裁判官は「おまえは痴漢。有罪。」と言う気しかないんですよ。
なんやそれ?
ほんまに検討してるんか?
99.9%って言うと、1000件に一件ですよ?
ええ?
現場の確認もせず、でっちあげ調書を勝手に作っておいて、それで1000件に一件しか誤謬がないとぬかすのか?!眠たい事言うてたら、はったおすぞ!っちゅう話です。
検察・警察は「行政」の立場で、裁判官は、「司法」。三権分立で、お互いに不可侵で、いくら警察や検察がでっちあげの犯罪を作り出しても、その「冤罪」を、ことごとく暴いて、真実追究をしなければ、「司法」という存在に意味はないのです。99.9%有罪というのは、何の判定もせずにメクラ判を押して「全部有罪ね~」と言ってるのと、まったく一緒なんですよ。
一体、これは、どういうことなのか?
ようは裁判所と、警察がグルだってことです。
ここで「グルだ」と書いたら、「そんな事はない」と否定する人もたくさん出てくるはずなんです。
確かに、裁判官は、出された証拠をもとにいろいろ検討するし、真剣に精査もしている。裁判官はおそらく、捜査手順等も詳しくは知らないはずです。だからグルとは言えないと言い張るでしょう。
しかし、罪の判断の基準が、
●疑わしきは罰せよ。
なんですよ。
しかも、大前提として、「警察・検察の調べに間違いは少ない」というとらえ方をしてるんです。
司法としての裁判所は行政としての検察・警察とは独立した部署だから、独自判断をしていると言えば、それは確かに独自判断をしてるわけです。
が、しかし!
そんなもんな、
●疑わしきは罰せよ。
●警察・検察の調べに間違いは少ない
などという前提・予断があるというのは、これはもうハッキリ、
●司法と検察・警察がグルである。
のと、何ら代わりはないわけですよ。まったくイコール。完璧に同一組織ですよ。こんなもの。どこに独立性があるんやっちゅう話です。
それが、わかってない裁判官に裁判官の資格なんか、はじめからないんです。
おまえら裁判官やめろ。ボケ。
そういう話でしかない。
で、それが、この国の裁判の現実なんですよ。まさに、
●そこまで現実の裁判がひどい。
という話なんです。
で、
●司法と検察・警察がグルである。
のと同様の状態になると、どういう事になってしまうかというと、
●弁護士までが、裁判官の顔色をうかがう。
という事になってしまうんですよ。
もともと、痴漢事件の場合、立件の根拠のほとんどが、被害者の「私人による逮捕」と、「被疑者の自白」という
●警察がまったく関与してない事柄
だけで成立してますから、裁判になると警察・検察の側の立件の証拠自体がほとんどないわけです。
その少ない情報の中で裁判官は判断することになるから、判定のしようがない。なので、被疑者の訴えよりも警察・検察の声を優先してしまう、という仕組みなわけです。
だからこそ!
真に冤罪事件の被害者の力になってあげたいと思っている弁護士こそ、
●裁判官の顔色をうかがう。
ということになるわけですよ。
わかりますか? この倒錯した状況。
現実問題として三権分立が壊れているのに、形だけは「別権力」ということになっているから、法廷では弁護士ですらが、裁判官さまさまでへいこらするしかないわけです。
●ここは、私の法廷です。
と、バカな事を平然と言う裁判官もいてるそうです。何寝ぼけたことを言うとんねん、法廷は国民のものに決まってるやろがボケ!っちゅう話なんですが、こういうことがまかり通る雰囲気が裁判所にはあるのです。
(そのあたりの異様さも映画ではキチンと描かれています。)
映画を、そのまま先の方まで進めて見ていくと、先述の「罪を認めろ」と言った弁護士が、なぜ、そんなとんでもない事を言ってしまったのかを、後を受けて弁護を担当した女性弁護士が詰め寄って問いただすシーンがあるんですが、そこでの弁護士の吐露が、実に嫌な現実を如実に描いてます。ちょっと引用しましょう。
(引用開始)-----------------------
「あの日の接見は、できたら誰かに代わってもらいたかったんだ。午後にね、判決があってね。懲役一年三月(さんげつ)の実刑だった。酷い裁判だよ。何しろ通勤電車内のワイセツ容疑なのに、保釈金が500万円。もちろん前科はないし、妻も子供もいる本当に真面目なサラリーマンだ。被害者尋問が終わって、裁判官に会いに行ったら、なんて言われたと思う? 500万円出せるなら今すぐ被害者のところに行って示談してこい。そしたら執行猶予にしてやる。信じられるか? こっちは真摯に無罪を争ってるんだ。それが裁判の最中にそんな事を言う。無罪推定どころか有罪推定だ。すぐその場で罵倒してやりたかったよ。だけど、一瞬、裁判官の機嫌をそこねたらもっと不利になると思ったんだ。それからは、必死だった。何しろ裁判官の心証を知っちゃったんだからね。でもダメだった。俺はね、示談を勧めるつもりはなかったんだよ。ただね、無実であるなら裁判で明らかになる、裁判官は分ってくれる、そんな風に考えてたら、とんでもないことになるっていうのを…」
(引用終了)-----------------------
です。
まぁ、あくまで、これは映画の中のセリフではありますが、ようは、
●弁護士は裁判官の顔色をうかがうしかない。
ということなんですよ。
いくら、あまりにひどい判定をしていようとも、です。
関係者だからこそ、
●罵倒ができない
んですよ。
だからこそ、です。
ボクは、ここで罵倒しまくってるわけです。
本来罵倒されるべきタイミングで、彼らは罵倒されてない。
●叱られたこともない、お子ちゃま。
が、裁判官であり、検察であり、警察であるってことです。
このシリーズ、まだ続きます。
が、あまりに疲れるので、次回でちょっとまとめをして終わりにします。
本当に書いてて腹が立ってしまって、精神衛生上よろしくないのですよ、このシリーズ。
だからいつも
●とにかく「それでもボクはやってない」を見てくれ。話はそれからよ。
としか言えなくなっちゃうんですな。
その、あまりの酷さに唖然として。
ともあれ、まだちょっと話は続きます。
さて、昨日書いた、
映画「それでもボクはやってない」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B000QJLROI
を選挙前にもう一度精査して、よく考えるためのお話の続き。
前回リストアップした、
●痴漢犯を無理矢理増産して検挙率の水増しをしている。
●痴漢犯を捕まえる能力自体が欠損している。
●痴漢事件を予防する責任を果たしていない。
●「私人による逮捕」の仕組みを政治的に悪用している疑いがある。
の4点について大急ぎで書いていきます。
映画の内容のバラシにもなるので、以下ネタバレ。
---------(以下ネタバレ。)-------------
さて、警察に送還された主人公(加瀬亮)は、警察の人間から、「やってないだと?罪を認めないのなら家に帰すわけにはいかない。ずっといてもらうからな。」と言われます。
で、これがウソではなくて本当なのは、昨日書いたとおり。ずっと半年とか拘留されることになるんですが、主人公は基本的に、そこまでの事はわかっていないので、やってないと主張するわけです。
すると、驚くべき事を、この刑事が言います。「罪を認めたら、帰ってもいいんだよ。痴漢なんて微罪だ。認めたところで、書類がちょっと残るだけで普段の生活には何の影響もない。さっさと認めて帰ったらどうだ。」と。
なんだ?これは?
思いませんか?
取り調べでもなんでもなくて、これは「自白の強要」なんですね。
こういう事を警察はやっている。
こういうのを、「人質司法」と言うのだそうです。
人質司法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E5%8F%B8%E6%B3%95
「自白は証拠の女王」と言われていて、刑事事件では、非常に有利な証拠とされてるわけです。だから、容疑者が犯行を認めていない場合、警察に拘留して、家に帰らせず、「帰りたいなら自白せよ」とやるわけです。
これね、仮に痴漢犯に間違われた40代の妻も子供も仕事の責任もあるおじさんなら、「微罪というなら、どうでもいいや」と思って「ハイハイ、やりましたよ。そういう事にしときますわ。仕事ありますねん、こんな事につきあってられますかいな。」と言って罪を認めてしまったりするわけですよ。やってなくても。
世間で、「日本の警察は優秀」とかいうような風評が立ってますけど、それはこういう書面だけの検挙率の水増し行為があって、それをカウントしてるだけの話なわけですよ。
これが、
●痴漢犯を無理矢理増産して検挙率の水増しをしている。
という話なわけです。
どこが「日本の警察は世界一優秀」やねん! 「世界一最低」の間違いやろが! 検挙率とかの数字だけいじくりやがって。この薄汚れた官僚どもが。
仮に、自分の身を人質に取られて、一週間でも拘束されたら、働き盛りの人間だったらたまらない!って事になりますからね。得意先にも家族にも大迷惑をかける。
だから、こういう「痴漢なんて微罪、書類だけの事」と言われて「前科者」にさせられた無実の罪の人が、いったいどれだけたくさんいてるのかと思うと、ぞっとするのです。
これが、いままさに、我々の目の前にいてる、警察という組織の実態なわけですよ。
本当にとんでもない話です。
世の中で、普通に仕事をしているお父さんたちの中に、たくさんたくさん「痴漢の前歴のある人」が量産されてるわけです。
だから、本当に「痴漢冤罪事件」の社会派ドラマを作りたかったら、そういうお父さん達の話をいくつも描かないといけないんですが、周防監督は、警察もさることながら、司法のひどさ、裁判のひどさを描きたかったので、主人公に「いや、ボクはやってないです。」と言ってもらう必要があったわけですね。
ここで主人公が、いやいやながらでも「やりました」と言ってしまったら裁判の話にまで到達させるのが大変ですから。周防監督は、裁判の実態こそを描きたかったそうですから。
だから、主人公は家族も仕事も持っていない、26歳のフリーターという設定になっているんです。守るべきものは、自分の身の潔白だけです。そうでなくても仕事がないのに、これで痴漢犯という前科までついたのでは就職したくてもできない。だから、やってないものはやってないと主張するのです。
で、そうなると、そのまま拘留される、ということになるんですよ。まったくひどい話です。キチンとした事実関係を取り調べるとか、そういう事をするのではありません。要するに警察は「自白」が欲しいだけで、本来自分たちがやらねばならない、事実や真実を追究するための
●「捜査」自体をやっていない。
んですよ。
なんですか? これは。
事実関係を調べるとか、証拠を探し出すとか、そういう事は一切やらない。ひたすら「自白」を取ることしか考えてないわけです。
まさに、
●痴漢犯を捕まえる能力自体が欠損している。
という事ですね。
「自白取り」しか考えていないから、事実関係を洗い、きちんと真実にたどりつく、という本来警察に期待される仕事をしていない。つまり、
●給料泥棒
ということです。はっきり言えば、
●警察が泥棒だ。
ということです。
本当にひどい。
ここで、ちょっと映画のストーリーを離れて、僕個人の体験談を話させてください。
実は、僕がいつも一緒に仕事をしている5歳上のデザイナーさんと、それから、定期的に仕事をいただいている印刷会社の社長さんの二人が、あやうく痴漢に間違われかけたという体験をされてるんですね。
デザイナーさんとは年収の半分を支えているA社さんの仕事をしていて、もうひとりの印刷会社の社長さんは、その他さまざまな仕事の発注をいただいていて、これまた年収の半分を支えてもらってるわけです。
つまり、この二人が痴漢えん罪でつかまってしまったら、僕の収入は完全に干上がってしまっていた、ということです。
だから、とてもじゃないけど、この「痴漢えん罪」という話は、他人事ではないんです。
実際にはデザイナーさんは、隣にいた真犯人に気づいて「おい、こらおまえやろ」と問いつめることができたので助かりましたし、社長さんの方は冬場でコートのポケットにずっと手を入れていて、それをとなりにいたおばさんが見ていて「この人は違うわよ」と言ってくれたので助かった、というお話でした。本当に紙一重だったわけです。
が、この二つの出来事で、僕にははっきりわかったことがあるんです。それは、
●本物の痴漢は、罪を他人になすりつける。
という事なんです。
このふたりともに、被害者女性の「勘違い」で「やったでしょ!」と言われているんです。で、デザイナーさんの体験をここで書くと被害を受けた女性が泣き出したらしいんですが、そのときに、デザイナーさんのお腹のあたりを、すっと動く手のようなものを感じたんだそうです。
その被害女性は彼氏と一緒にいたらしく、デザイナーさんは何か恋愛話のもつれかな?とも思ったらしいのですが、その雰囲気と手の動きが妙に感じて隣の男も意識してバス(この事件は電車ではなくバスが舞台でした。)を降りたら、その女性の連れの男性から「あなた痴漢をしたんですか」と言われたらしいんですね。
それで、「あ、じゃあこいつだ!」とすぐさまその犯人を取り押さえたということなんです。
つまり
●間にひとり男性を盾にした上で痴漢を働いていた。
ということなんですよ。
これが痴漢の手口なんです。
だから、痴漢被害にあって、気が動転している女性に、そんな離れた場所から触られているなんてことがわかるわけがないんですよ。
その、「わかるわけがない」ということまで計算に入れた上で、本物の痴漢は痴漢を働いているっていうことです。
おそらく、「本物の痴漢」は、こういう隠れ蓑手法を使って、バレもせずに、次から次へと痴漢を働いているに違いないのです。
警察がキチンと「捜査」もしないから、こういう「犯罪者の手口」自体が明らかになっていないんです。あきらかに
●警察の無能
が原因で、「本物の痴漢」はみすみす取り逃がされているということです。
で、犯人の「盾」にされた男性が、駅で「私人による逮捕」をされ、「人質司法」によって無実の罪を受け入れさせられ、その結果、女性の敵である痴漢はのうのうと痴漢行為を繰り返しているということなんですよ。
「パンツ泥棒」が捕まった時に、ものすごい数のパンツが画面に出ることがありますが、性犯罪というものは、あのように「人の目を盗んで執拗に繰り返される」ものですから、おそらく痴漢犯も、
●朝の混雑に5人を触り、夜の混雑に5人を触る。
というような事をやっているに違いないのです。一日に10人くらいを、ひとりの痴漢犯が触ってるだろうと僕は想像してます。
これが365日だと3600人にもおよぶ被害者です。
よく、痴漢の被害者と捕まった犯人の数があわない、もっとたくさんの犯人がいるはずだ!と女性の側から意見が出るのですが、男の側からすれば、社会的地位を失いかねない痴漢行為など、そんなにたくさんの男がやっているとは思えないんですよ。
だから、こういう特殊な人間がとんでもない数の犯罪を犯しているんだろうと僕は思うわけです。
ということは、です。
こういう本物の痴漢をキチンと捕まえていれば、痴漢被害は激減するはずなんですよ。
でも、被害は減っていない。
なぜか?
それは簡単な話ですね。
●警察が本気で痴漢を捕まえようと思っていない。
からです。
この僕の体験談から感じたことは、痴漢犯が「他人を盾にして行為を行う」という実態さえ把握していれば、
●痴漢は他人を盾にして行為を行います。注意して検挙しましょう。
という告知を駅ポスターなどで行うはずです。
しかし!
駅ポスターで張り出されているのは、
●痴漢は犯罪です。
という間の抜けたポスターばかり。(このポスターは、東京でも大阪でも、デザイン等は違っても駅に張り出されています。地方では見かけないかもしれませんが、東京・大阪圏ではけっこうよく見ます。)
わかっとるわ!ボケ! そんな当たり前の事を、なんでわざわざポスターにせなアカンねん? おまえら警察は低脳か? 国民の知能をそこまで低いと考えてるのか?
っちゅう話です。
つまり、痴漢が「他人を盾にする」という実態さえわかっているなら、そのことを知らせるポスターを張り出すのが犯罪予防の責務でしょうし、それすらしていないというのは、痴漢犯の実態を調べてすらいないということの証拠にしかならないってことです。
ですから、あの「痴漢は犯罪です」という、ポスターは、まさに警察が、
●痴漢犯の実態を把握すらしていない証拠そのもの
という事になるのですよ。
つまり、あのポスターこそ、
●痴漢事件を予防する責任を果たしていない。
ということの証なんですね。
犯罪を予防することもできず、犯罪の実態を調べもせず、ただ「自白の強要」だけをやって、仕事をしたことにしていて、それでいて、この大不況時に給料が下がることもなく、それどころか定期的な昇級まであるという、とんでもない奴らが警察官だってことです。
あのポスターが、その明らかな証拠なのです。
許せるものか。
が、しかし、話は、これだけでは終わりません。
警察に関しては、
●「私人による逮捕」の仕組みを政治的に悪用している疑いがある。
という、もっとも大きな疑いがあります。
が、話は長くなるので、また次回に続きます。
映画「それでもボクはやってない」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B000QJLROI
を選挙前にもう一度精査して、よく考えるためのお話の続き。
前回リストアップした、
●痴漢犯を無理矢理増産して検挙率の水増しをしている。
●痴漢犯を捕まえる能力自体が欠損している。
●痴漢事件を予防する責任を果たしていない。
●「私人による逮捕」の仕組みを政治的に悪用している疑いがある。
の4点について大急ぎで書いていきます。
映画の内容のバラシにもなるので、以下ネタバレ。
---------(以下ネタバレ。)-------------
さて、警察に送還された主人公(加瀬亮)は、警察の人間から、「やってないだと?罪を認めないのなら家に帰すわけにはいかない。ずっといてもらうからな。」と言われます。
で、これがウソではなくて本当なのは、昨日書いたとおり。ずっと半年とか拘留されることになるんですが、主人公は基本的に、そこまでの事はわかっていないので、やってないと主張するわけです。
すると、驚くべき事を、この刑事が言います。「罪を認めたら、帰ってもいいんだよ。痴漢なんて微罪だ。認めたところで、書類がちょっと残るだけで普段の生活には何の影響もない。さっさと認めて帰ったらどうだ。」と。
なんだ?これは?
思いませんか?
取り調べでもなんでもなくて、これは「自白の強要」なんですね。
こういう事を警察はやっている。
こういうのを、「人質司法」と言うのだそうです。
人質司法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E5%8F%B8%E6%B3%95
「自白は証拠の女王」と言われていて、刑事事件では、非常に有利な証拠とされてるわけです。だから、容疑者が犯行を認めていない場合、警察に拘留して、家に帰らせず、「帰りたいなら自白せよ」とやるわけです。
これね、仮に痴漢犯に間違われた40代の妻も子供も仕事の責任もあるおじさんなら、「微罪というなら、どうでもいいや」と思って「ハイハイ、やりましたよ。そういう事にしときますわ。仕事ありますねん、こんな事につきあってられますかいな。」と言って罪を認めてしまったりするわけですよ。やってなくても。
世間で、「日本の警察は優秀」とかいうような風評が立ってますけど、それはこういう書面だけの検挙率の水増し行為があって、それをカウントしてるだけの話なわけですよ。
これが、
●痴漢犯を無理矢理増産して検挙率の水増しをしている。
という話なわけです。
どこが「日本の警察は世界一優秀」やねん! 「世界一最低」の間違いやろが! 検挙率とかの数字だけいじくりやがって。この薄汚れた官僚どもが。
仮に、自分の身を人質に取られて、一週間でも拘束されたら、働き盛りの人間だったらたまらない!って事になりますからね。得意先にも家族にも大迷惑をかける。
だから、こういう「痴漢なんて微罪、書類だけの事」と言われて「前科者」にさせられた無実の罪の人が、いったいどれだけたくさんいてるのかと思うと、ぞっとするのです。
これが、いままさに、我々の目の前にいてる、警察という組織の実態なわけですよ。
本当にとんでもない話です。
世の中で、普通に仕事をしているお父さんたちの中に、たくさんたくさん「痴漢の前歴のある人」が量産されてるわけです。
だから、本当に「痴漢冤罪事件」の社会派ドラマを作りたかったら、そういうお父さん達の話をいくつも描かないといけないんですが、周防監督は、警察もさることながら、司法のひどさ、裁判のひどさを描きたかったので、主人公に「いや、ボクはやってないです。」と言ってもらう必要があったわけですね。
ここで主人公が、いやいやながらでも「やりました」と言ってしまったら裁判の話にまで到達させるのが大変ですから。周防監督は、裁判の実態こそを描きたかったそうですから。
だから、主人公は家族も仕事も持っていない、26歳のフリーターという設定になっているんです。守るべきものは、自分の身の潔白だけです。そうでなくても仕事がないのに、これで痴漢犯という前科までついたのでは就職したくてもできない。だから、やってないものはやってないと主張するのです。
で、そうなると、そのまま拘留される、ということになるんですよ。まったくひどい話です。キチンとした事実関係を取り調べるとか、そういう事をするのではありません。要するに警察は「自白」が欲しいだけで、本来自分たちがやらねばならない、事実や真実を追究するための
●「捜査」自体をやっていない。
んですよ。
なんですか? これは。
事実関係を調べるとか、証拠を探し出すとか、そういう事は一切やらない。ひたすら「自白」を取ることしか考えてないわけです。
まさに、
●痴漢犯を捕まえる能力自体が欠損している。
という事ですね。
「自白取り」しか考えていないから、事実関係を洗い、きちんと真実にたどりつく、という本来警察に期待される仕事をしていない。つまり、
●給料泥棒
ということです。はっきり言えば、
●警察が泥棒だ。
ということです。
本当にひどい。
ここで、ちょっと映画のストーリーを離れて、僕個人の体験談を話させてください。
実は、僕がいつも一緒に仕事をしている5歳上のデザイナーさんと、それから、定期的に仕事をいただいている印刷会社の社長さんの二人が、あやうく痴漢に間違われかけたという体験をされてるんですね。
デザイナーさんとは年収の半分を支えているA社さんの仕事をしていて、もうひとりの印刷会社の社長さんは、その他さまざまな仕事の発注をいただいていて、これまた年収の半分を支えてもらってるわけです。
つまり、この二人が痴漢えん罪でつかまってしまったら、僕の収入は完全に干上がってしまっていた、ということです。
だから、とてもじゃないけど、この「痴漢えん罪」という話は、他人事ではないんです。
実際にはデザイナーさんは、隣にいた真犯人に気づいて「おい、こらおまえやろ」と問いつめることができたので助かりましたし、社長さんの方は冬場でコートのポケットにずっと手を入れていて、それをとなりにいたおばさんが見ていて「この人は違うわよ」と言ってくれたので助かった、というお話でした。本当に紙一重だったわけです。
が、この二つの出来事で、僕にははっきりわかったことがあるんです。それは、
●本物の痴漢は、罪を他人になすりつける。
という事なんです。
このふたりともに、被害者女性の「勘違い」で「やったでしょ!」と言われているんです。で、デザイナーさんの体験をここで書くと被害を受けた女性が泣き出したらしいんですが、そのときに、デザイナーさんのお腹のあたりを、すっと動く手のようなものを感じたんだそうです。
その被害女性は彼氏と一緒にいたらしく、デザイナーさんは何か恋愛話のもつれかな?とも思ったらしいのですが、その雰囲気と手の動きが妙に感じて隣の男も意識してバス(この事件は電車ではなくバスが舞台でした。)を降りたら、その女性の連れの男性から「あなた痴漢をしたんですか」と言われたらしいんですね。
それで、「あ、じゃあこいつだ!」とすぐさまその犯人を取り押さえたということなんです。
つまり
●間にひとり男性を盾にした上で痴漢を働いていた。
ということなんですよ。
これが痴漢の手口なんです。
だから、痴漢被害にあって、気が動転している女性に、そんな離れた場所から触られているなんてことがわかるわけがないんですよ。
その、「わかるわけがない」ということまで計算に入れた上で、本物の痴漢は痴漢を働いているっていうことです。
おそらく、「本物の痴漢」は、こういう隠れ蓑手法を使って、バレもせずに、次から次へと痴漢を働いているに違いないのです。
警察がキチンと「捜査」もしないから、こういう「犯罪者の手口」自体が明らかになっていないんです。あきらかに
●警察の無能
が原因で、「本物の痴漢」はみすみす取り逃がされているということです。
で、犯人の「盾」にされた男性が、駅で「私人による逮捕」をされ、「人質司法」によって無実の罪を受け入れさせられ、その結果、女性の敵である痴漢はのうのうと痴漢行為を繰り返しているということなんですよ。
「パンツ泥棒」が捕まった時に、ものすごい数のパンツが画面に出ることがありますが、性犯罪というものは、あのように「人の目を盗んで執拗に繰り返される」ものですから、おそらく痴漢犯も、
●朝の混雑に5人を触り、夜の混雑に5人を触る。
というような事をやっているに違いないのです。一日に10人くらいを、ひとりの痴漢犯が触ってるだろうと僕は想像してます。
これが365日だと3600人にもおよぶ被害者です。
よく、痴漢の被害者と捕まった犯人の数があわない、もっとたくさんの犯人がいるはずだ!と女性の側から意見が出るのですが、男の側からすれば、社会的地位を失いかねない痴漢行為など、そんなにたくさんの男がやっているとは思えないんですよ。
だから、こういう特殊な人間がとんでもない数の犯罪を犯しているんだろうと僕は思うわけです。
ということは、です。
こういう本物の痴漢をキチンと捕まえていれば、痴漢被害は激減するはずなんですよ。
でも、被害は減っていない。
なぜか?
それは簡単な話ですね。
●警察が本気で痴漢を捕まえようと思っていない。
からです。
この僕の体験談から感じたことは、痴漢犯が「他人を盾にして行為を行う」という実態さえ把握していれば、
●痴漢は他人を盾にして行為を行います。注意して検挙しましょう。
という告知を駅ポスターなどで行うはずです。
しかし!
駅ポスターで張り出されているのは、
●痴漢は犯罪です。
という間の抜けたポスターばかり。(このポスターは、東京でも大阪でも、デザイン等は違っても駅に張り出されています。地方では見かけないかもしれませんが、東京・大阪圏ではけっこうよく見ます。)
わかっとるわ!ボケ! そんな当たり前の事を、なんでわざわざポスターにせなアカンねん? おまえら警察は低脳か? 国民の知能をそこまで低いと考えてるのか?
っちゅう話です。
つまり、痴漢が「他人を盾にする」という実態さえわかっているなら、そのことを知らせるポスターを張り出すのが犯罪予防の責務でしょうし、それすらしていないというのは、痴漢犯の実態を調べてすらいないということの証拠にしかならないってことです。
ですから、あの「痴漢は犯罪です」という、ポスターは、まさに警察が、
●痴漢犯の実態を把握すらしていない証拠そのもの
という事になるのですよ。
つまり、あのポスターこそ、
●痴漢事件を予防する責任を果たしていない。
ということの証なんですね。
犯罪を予防することもできず、犯罪の実態を調べもせず、ただ「自白の強要」だけをやって、仕事をしたことにしていて、それでいて、この大不況時に給料が下がることもなく、それどころか定期的な昇級まであるという、とんでもない奴らが警察官だってことです。
あのポスターが、その明らかな証拠なのです。
許せるものか。
が、しかし、話は、これだけでは終わりません。
警察に関しては、
●「私人による逮捕」の仕組みを政治的に悪用している疑いがある。
という、もっとも大きな疑いがあります。
が、話は長くなるので、また次回に続きます。
日本の政治が変わる投票日まで、少しになってきました。
ここで、少し大きな問題を整理しておきたいなと思いまして。
それで、痴漢えん罪事件を取り扱った、周防正行監督作品の「それでもボクはやってない。」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B000QJLROI
●wikiでの解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A7%E3%82%82%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%84
を、今一度とりあげたいと思ったのです。
「それでもボクはやってない。」は、「Shall We ダンス?」(96年、日)という大傑作映画(大ヒットして、リチャード・ギア主演のアメリカ版も作られました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/Shall_we_%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%3F
を撮った周防正行監督が、その次に放った渾身の社会派ドラマです。これもまた大傑作で、社会派ドラマだけど、全然堅苦しくなく、あっという間に2時間半が過ぎてしまうというサスペンスドラマ仕立てになっています。本当に、あれよあれよと最後まで見てしまいます。
今回の選挙の大きなポイントは民主党vs.自民党というようなことではなくて、「官僚政治を良しとするか、否定するか」という事なんだと昨日の日記に書きました。
●衆議院選挙スペシャル:(1)「失われた10年」官僚の給料は上がり続けた。「財源」はそこにある。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200908191800549325/
で、その官僚の腐り方を実に見事な「おもしろいドラマ」に仕立ててあるのが、この映画なんですね。
でも、いかんせん、「電車の中の痴漢に間違われる」というシチュエーションは、都市部に住んでる人にしかリアリティがないわけです。地方に行けば行くほどクルマ社会になるので、この映画自体、興味を持ってもらいにくい。
でも、官僚政治の打破っていうのは、都市部の人間だけのものではなくて、日本全国の国民の問題であり、もっと言えば、本当に影響を受けるのは地方に住んでいる方がたの毎日の暮らしの方なんですよね。日本の官僚政治のゆがみは地方にこそ大きな負担を背負わせていると思う。
なので、この際ネタバレになっても良いから、キチンと紹介しようと思ったわけです。
---------(以下、完全にネタバレ。)-------------
この映画では26歳のフリーターの男の子が主人公で、会社に就職すべく、面接に出かけるところから話がはじまります。
はじめて行く場所なので、すごくあわてていて、間違えて反対方向行きの準急か何かに乗ってしまうわけです。
すごく混んだ車内。でも、各停じゃないので、数駅分はそのままの状態になるわけですね。
で、あわてて降りて乗り換えようとしたら、中学生の女の子が「あなた、私をさわりましたね。どうして触るんですか!」と詰め寄ってくるんです。
「いや、そんなことしてないよ。」と主人公は否定するわけですけど、彼女はどうしても納得しない。で、駅員さんにキチンと話を聞いてもらおうと思ったら、駅員さんも一切話を受け付けない。もう、頭から犯人扱いなわけです。
どう考えたって勘違いなんだから、キチンと話せばわかってくれるだろうと、この段階では主人公の彼は思ってるわけです。
が、あにはからんや、彼はこのまま駅務室に連れて行かれて、そこから警察に送還、そのまま拘置所まで一直線です。誰も彼の言葉を聞いてくれません。
「どうなってるんだ? これは?」と思う。
実は、彼はこのまま「ボクはやってません」と言い続けて、半年以上拘留されることになります。
ここが映画のネタバレ、というところなわけです。事前知識なしにこの映画を見ると、
●えええええ? うそ!
となります。まさに急転直下、ジェットコースター並の急展開です。
でも、痴漢で疑われたら、現実に、こういうとんでもない状況に巻き込まれるんです。それが日本の現実なんです。この映画を見ると、いきなりそこに巻き込まれていきます。
言っておきますが、「いったん家に帰って体制を整える」なんてことは一切できません。駅務室から警察のブタ箱まで一直線で、そのまま半年です。
知ってました?
知ってたなら良いですが、知らなかったら、いま、キチンと認識してください。
日本の痴漢取り締まりにおいて、えん罪が発生し、本当にやっていない、無実の人が「やっていない」と主張したら、延々、ずっと警察に拘留されることになるんです。
ここで、ネタバラシをまたやります。
なんでここで、彼が「やってない」と言ってるのに、駅員も警察も一切取り合わず、そのまま拘留になってしまうのか? には、秘密があります。
それは「私人による逮捕」という考え方です。
彼は、実は、駅で中学生の女の子に呼び止められた時点で、この中学生の女の子に逮捕されたと、法の上ではみなされてしまっているんです。すでに「逮捕」された「容疑者」だから、ほぼ犯人扱いで、「やってない」という主張が通らないわけです。
「私人による逮捕」というのは警察官などによる逮捕ではなく、一般人による逮捕ってことですね。この場合は、その一般人が中学生の女の子だった、ということです。
通常、「私人による逮捕」というのは、たとえば公園で暴漢に襲われて、殺されかけたとして、その暴漢を取り押さえたような場合に「警察を呼んでくれ~!」と言うじゃないですか? そういう状況を想定して、現行犯逮捕の権限を、そういう状況下においては認めるという事なわけです。
たまたま銀行に行った時に銀行強盗に出会って、その強盗を捕まえたとかね。
こういうのは状況から、その犯人が罪を犯したということははっきりしてるわけですから、「私人による逮捕」で良いのです。
が、そういう状況と、痴漢の現行犯をいっしょくたにしたら、それはおかしい。
というか、日本の満員電車というのは、そりゃたくさんの人はいてるかもしれないし、公衆の面前ではあるけれども、誰もが、その「痴漢だ!」と指指された人が痴漢をしたのだとは把握できないわけですよ。
「え?そうなの?まぁ、女の子がそう言ってるんならそうなんだろうな」という事でしかないわけです。
でも、法律的には「私人による逮捕」でありまして、現行犯逮捕でありまして、現行犯逮捕である限り、その時点で「勘違いによるえん罪」という可能性自体が、まったく考慮されていないのですよ。
だから、この主人公くんは、いくら「やっていない」と言っても誰も話しを聞いてくれないわけです。そのまま拘留され、何ヶ月も家にも帰れないという異常な扱いをされてしまうわけです。それこそ殺人未遂犯や銀行強盗とまったく同じ扱いなわけです。
で、これが日本の現実なんですね。
こんなものね、はっきりと、
●法の不備
ですよ。
頭おかしいんと違うか? こら、官僚ども。
なんで、こんなおかしな、実情にそぐわない法律が、そのまま残ってんねん。
裁判員制度がうんぬんと言いますが、
●法律そのものがおかしい。
場合はどうすんねん! っちゅう話です。
欧米の場合なら、法律を作ったのは国民の代表たる政治家ですから、それこそ選挙で政策を述べている政治家を選べば、それなりに納得も行きます。
しかし、日本の場合は、法律を作ってるのが官僚なんですよ。
だから、こういう「私人による逮捕」という事例の、あるべき姿の判定ということ自体が、官僚の恣意的な思惑で確定されてしまうということにしかならないわけです。
そこが何より大問題なんですね。
まず、そこが問題なんです。
●おかしな法律を作って、平気な顔をしている。
ということがまず、厳しく、厳しく、厳しく、厳しく、厳しく、厳しく問われなければならない。本来官僚が法律を作ってはいけないんですから。
「なんで警察が、法律作っとんねん。
勝手な事さらすなや。
法律作るのは国民(=の代表である政治家)
の専権事項やないか。
おまえらに法律作る権利なんかあるかぁボケ。
まったくない!
それを勝手に法律作ってるという段階で、
おまえらが国家的犯罪人やないけ。
わかっとんのか、こらぁ。極悪犯罪人めらが。」
ということなんですよ。
わかりますか?
これは現実として、ストレートに、官僚は全員、
●国家的犯罪人
という事なんです。法律を作っているという時点で。
ここ、大事なところですから、メモしておいてください。
「官僚が法律を作ること自体が大犯罪である。」です。
本来的には。
あああ、しかし、ほんの入り口だけで、これだけ書かないといけない。
うげー、大変だなぁ。
この映画で取り上げられている問題のうち、警察というブロックの、たったひとつの入り口の問題をとりあげただけで、ものすごい量になってしまった。
でも、警察にはこの後、まだ、
●痴漢犯を無理矢理増産して検挙率の水増しをしている。
●痴漢犯を捕まえる能力自体が欠損している。
●痴漢事件を予防する責任を果たしていない。
●「私人による逮捕」の仕組みを政治的に悪用している疑いがある。
という4点くらいを書かねばならない。あまりにひどすぎて、何も知らない普通の一般人に解説するのが無茶苦茶に大変だということに、今気づきました。
で、この映画に出てくるネタで、僕なりに気づいたことを書くなら、
●裁判官が「疑わしきは罰せよ」になっている
●裁判官は国民に信任されているとは言い難い。
●なにより裁判官の資格審査がとてもいいかげんだ。
●裁判官が検事の意向に沿った判決を出す。
●裁判官が警察の誤謬を認めない。
というような話まで書かねばならず、先があまりに長すぎるのですわ。
うー、困った。
とりあえず、この話、長くなるので、ここで一端終わらせまして、次に続きます。
ここで、少し大きな問題を整理しておきたいなと思いまして。
それで、痴漢えん罪事件を取り扱った、周防正行監督作品の「それでもボクはやってない。」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B000QJLROI
●wikiでの解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A7%E3%82%82%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%84
を、今一度とりあげたいと思ったのです。
「それでもボクはやってない。」は、「Shall We ダンス?」(96年、日)という大傑作映画(大ヒットして、リチャード・ギア主演のアメリカ版も作られました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/Shall_we_%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%3F
を撮った周防正行監督が、その次に放った渾身の社会派ドラマです。これもまた大傑作で、社会派ドラマだけど、全然堅苦しくなく、あっという間に2時間半が過ぎてしまうというサスペンスドラマ仕立てになっています。本当に、あれよあれよと最後まで見てしまいます。
今回の選挙の大きなポイントは民主党vs.自民党というようなことではなくて、「官僚政治を良しとするか、否定するか」という事なんだと昨日の日記に書きました。
●衆議院選挙スペシャル:(1)「失われた10年」官僚の給料は上がり続けた。「財源」はそこにある。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200908191800549325/
で、その官僚の腐り方を実に見事な「おもしろいドラマ」に仕立ててあるのが、この映画なんですね。
でも、いかんせん、「電車の中の痴漢に間違われる」というシチュエーションは、都市部に住んでる人にしかリアリティがないわけです。地方に行けば行くほどクルマ社会になるので、この映画自体、興味を持ってもらいにくい。
でも、官僚政治の打破っていうのは、都市部の人間だけのものではなくて、日本全国の国民の問題であり、もっと言えば、本当に影響を受けるのは地方に住んでいる方がたの毎日の暮らしの方なんですよね。日本の官僚政治のゆがみは地方にこそ大きな負担を背負わせていると思う。
なので、この際ネタバレになっても良いから、キチンと紹介しようと思ったわけです。
---------(以下、完全にネタバレ。)-------------
この映画では26歳のフリーターの男の子が主人公で、会社に就職すべく、面接に出かけるところから話がはじまります。
はじめて行く場所なので、すごくあわてていて、間違えて反対方向行きの準急か何かに乗ってしまうわけです。
すごく混んだ車内。でも、各停じゃないので、数駅分はそのままの状態になるわけですね。
で、あわてて降りて乗り換えようとしたら、中学生の女の子が「あなた、私をさわりましたね。どうして触るんですか!」と詰め寄ってくるんです。
「いや、そんなことしてないよ。」と主人公は否定するわけですけど、彼女はどうしても納得しない。で、駅員さんにキチンと話を聞いてもらおうと思ったら、駅員さんも一切話を受け付けない。もう、頭から犯人扱いなわけです。
どう考えたって勘違いなんだから、キチンと話せばわかってくれるだろうと、この段階では主人公の彼は思ってるわけです。
が、あにはからんや、彼はこのまま駅務室に連れて行かれて、そこから警察に送還、そのまま拘置所まで一直線です。誰も彼の言葉を聞いてくれません。
「どうなってるんだ? これは?」と思う。
実は、彼はこのまま「ボクはやってません」と言い続けて、半年以上拘留されることになります。
ここが映画のネタバレ、というところなわけです。事前知識なしにこの映画を見ると、
●えええええ? うそ!
となります。まさに急転直下、ジェットコースター並の急展開です。
でも、痴漢で疑われたら、現実に、こういうとんでもない状況に巻き込まれるんです。それが日本の現実なんです。この映画を見ると、いきなりそこに巻き込まれていきます。
言っておきますが、「いったん家に帰って体制を整える」なんてことは一切できません。駅務室から警察のブタ箱まで一直線で、そのまま半年です。
知ってました?
知ってたなら良いですが、知らなかったら、いま、キチンと認識してください。
日本の痴漢取り締まりにおいて、えん罪が発生し、本当にやっていない、無実の人が「やっていない」と主張したら、延々、ずっと警察に拘留されることになるんです。
ここで、ネタバラシをまたやります。
なんでここで、彼が「やってない」と言ってるのに、駅員も警察も一切取り合わず、そのまま拘留になってしまうのか? には、秘密があります。
それは「私人による逮捕」という考え方です。
彼は、実は、駅で中学生の女の子に呼び止められた時点で、この中学生の女の子に逮捕されたと、法の上ではみなされてしまっているんです。すでに「逮捕」された「容疑者」だから、ほぼ犯人扱いで、「やってない」という主張が通らないわけです。
「私人による逮捕」というのは警察官などによる逮捕ではなく、一般人による逮捕ってことですね。この場合は、その一般人が中学生の女の子だった、ということです。
通常、「私人による逮捕」というのは、たとえば公園で暴漢に襲われて、殺されかけたとして、その暴漢を取り押さえたような場合に「警察を呼んでくれ~!」と言うじゃないですか? そういう状況を想定して、現行犯逮捕の権限を、そういう状況下においては認めるという事なわけです。
たまたま銀行に行った時に銀行強盗に出会って、その強盗を捕まえたとかね。
こういうのは状況から、その犯人が罪を犯したということははっきりしてるわけですから、「私人による逮捕」で良いのです。
が、そういう状況と、痴漢の現行犯をいっしょくたにしたら、それはおかしい。
というか、日本の満員電車というのは、そりゃたくさんの人はいてるかもしれないし、公衆の面前ではあるけれども、誰もが、その「痴漢だ!」と指指された人が痴漢をしたのだとは把握できないわけですよ。
「え?そうなの?まぁ、女の子がそう言ってるんならそうなんだろうな」という事でしかないわけです。
でも、法律的には「私人による逮捕」でありまして、現行犯逮捕でありまして、現行犯逮捕である限り、その時点で「勘違いによるえん罪」という可能性自体が、まったく考慮されていないのですよ。
だから、この主人公くんは、いくら「やっていない」と言っても誰も話しを聞いてくれないわけです。そのまま拘留され、何ヶ月も家にも帰れないという異常な扱いをされてしまうわけです。それこそ殺人未遂犯や銀行強盗とまったく同じ扱いなわけです。
で、これが日本の現実なんですね。
こんなものね、はっきりと、
●法の不備
ですよ。
頭おかしいんと違うか? こら、官僚ども。
なんで、こんなおかしな、実情にそぐわない法律が、そのまま残ってんねん。
裁判員制度がうんぬんと言いますが、
●法律そのものがおかしい。
場合はどうすんねん! っちゅう話です。
欧米の場合なら、法律を作ったのは国民の代表たる政治家ですから、それこそ選挙で政策を述べている政治家を選べば、それなりに納得も行きます。
しかし、日本の場合は、法律を作ってるのが官僚なんですよ。
だから、こういう「私人による逮捕」という事例の、あるべき姿の判定ということ自体が、官僚の恣意的な思惑で確定されてしまうということにしかならないわけです。
そこが何より大問題なんですね。
まず、そこが問題なんです。
●おかしな法律を作って、平気な顔をしている。
ということがまず、厳しく、厳しく、厳しく、厳しく、厳しく、厳しく問われなければならない。本来官僚が法律を作ってはいけないんですから。
「なんで警察が、法律作っとんねん。
勝手な事さらすなや。
法律作るのは国民(=の代表である政治家)
の専権事項やないか。
おまえらに法律作る権利なんかあるかぁボケ。
まったくない!
それを勝手に法律作ってるという段階で、
おまえらが国家的犯罪人やないけ。
わかっとんのか、こらぁ。極悪犯罪人めらが。」
ということなんですよ。
わかりますか?
これは現実として、ストレートに、官僚は全員、
●国家的犯罪人
という事なんです。法律を作っているという時点で。
ここ、大事なところですから、メモしておいてください。
「官僚が法律を作ること自体が大犯罪である。」です。
本来的には。
あああ、しかし、ほんの入り口だけで、これだけ書かないといけない。
うげー、大変だなぁ。
この映画で取り上げられている問題のうち、警察というブロックの、たったひとつの入り口の問題をとりあげただけで、ものすごい量になってしまった。
でも、警察にはこの後、まだ、
●痴漢犯を無理矢理増産して検挙率の水増しをしている。
●痴漢犯を捕まえる能力自体が欠損している。
●痴漢事件を予防する責任を果たしていない。
●「私人による逮捕」の仕組みを政治的に悪用している疑いがある。
という4点くらいを書かねばならない。あまりにひどすぎて、何も知らない普通の一般人に解説するのが無茶苦茶に大変だということに、今気づきました。
で、この映画に出てくるネタで、僕なりに気づいたことを書くなら、
●裁判官が「疑わしきは罰せよ」になっている
●裁判官は国民に信任されているとは言い難い。
●なにより裁判官の資格審査がとてもいいかげんだ。
●裁判官が検事の意向に沿った判決を出す。
●裁判官が警察の誤謬を認めない。
というような話まで書かねばならず、先があまりに長すぎるのですわ。
うー、困った。
とりあえず、この話、長くなるので、ここで一端終わらせまして、次に続きます。
今週号の週刊文春が、酒井法子の話題と、選挙の当落予想の2本立てでしかなく、そこには見事に、
●官僚政治の打破!
という、もっとも重要な、今回の選挙の争点が隠れてしまっています。まったくズル賢い官僚の思うつぼの結果です。官僚批判の記事を出させないために酒井法子は生け贄にされたわけです。
だいたい文春によれば、1年前から酒井法子が覚醒剤をやっていたという情報があったらしい。
ということは、今回の「逃亡」は、
●逮捕の失敗
か、
●わざと逃がした
かのどちらかでしかないということになります。どっちであっても警察の失点。(僕はわざと逃がしたと見てます。そうなればヤク抜きの期間、えんえんつまらない覚醒剤女優の話題で「官僚政治の問題」までは、政治的アジェンダとして表出しないですから。そこを読み込んでの「見過ごし」をしたのですよ。警察は。)
逮捕の失敗であれ、わざと逃がしたのであれ、自分の仕事をしていないのだから、カスです。人間として最低で、生きている価値がない。腹を切れ。それが嫌なら、「日本経済:失われた10年」の景気の落ち込み分の給与を国に返却せよ。それが筋というものです。
今回の選挙は、世間的には
●自民党 対 民主党
ということになってますが、そういう見方をすること自体が、官僚の思うつぼです。
ほんとうは、
●小沢一郎の官僚打破政治 対 司法・立法・行政の全権力を握る官僚たち
という構図です。自民党も民主党も、この受け皿にしかすぎません。
実際、自民党は、いまや官僚の言いなり政党でしかありません。自民党の言い分を聞いてみてください。徹底して官僚組織を守る政策ばっかりですよ。政策提言自体が、官僚の案をそのまま鵜呑みにしてるだけです。
だから、自民党が言う、「日本を守る、責任力」というのは、
●国民が、官僚に給料を払う責任。
の話であって、我々国民の幸せを守るとか、経済の苦しさを守るとか、そういう話ではないのです。
あの「責任」という言葉は、どこまで行っても、国民が官僚に、
●税金を払う責任
の話なのですよ。馬鹿馬鹿しい。
みなさん、ここのところを間違えないようにしてください。
ポイントはすべてそこにあります。
「責任」というのは、国民が官僚に給料を払う責任の話ですし、「財源」というのは、仕事もせずに「見過ごし」をやって、それで目くらましの芸能ニュースを作って、のうのうと暮らして、100年に一度と言われる不況の中でも、減俸されることもなく、人事院というお手盛りの「給与査定機関」によって給料が上がり続け、トヨタの退職金より多い退職金をもらった上に、天下りでまったく能力のない人間が民間企業でこれまた多額の給料をもらうという、官僚天国を維持するための「財源」です。
そんなもんいらん。
だから、最初の表題に戻るわけですが、
●「失われた10年」にすら上がり続けた官僚の給料こそが「財源」だ!!!!!
と言うのです。
今回、自民党の政策提言で、やたらと「責任」やら「財源」が話題に出るのはつまりは、官僚自身が、
●給料もらいすぎ。
という事を、うすうす知ってるからです。で、その甘い汁を吸える仕組みだけは、なんとか温存しようとしたいからこそです。
だから、酒井法子をわざと逃亡させて、この大きな官僚による国民財産の泥棒行為をひた隠しに隠してるんです。
だまそうったってそうはいかない。ここに、裏読みを得意とする私という人間がいてる。そう疑われてもしょうがないような事しかしてないのだから、そこを叩く。ボロが出ているのだから叩く。徹底して叩く。ごまかせると思うなよ、官僚ども。
なんと言っても、この西松建設問題からこっち、あまりにおかしな事が続きすぎましたからな。で、その「おかしな事」を指示したと思われるウルマとか言う奴は、いまだにトップに居座ってるわけですからな。
この選挙の前になって、何をやりよるかと思ったら、こんなくだらん事だったというわけです。恥を知れ、恥を。
まともに逮捕することもせずに、リーク情報で国民をだまくらかすような警察に対して、もう、国民が給料を払ってやる責任などあるわけがない。
どうでもええわ、そんなこと。
私ら国民は、もう十分に官僚に給料を払った。なのに、まともな逮捕もせず、リーク情報を流すという公務員規定違反をやるだけやって平気の平左。そんなアホなことがありますか?
年金も公務員は別立てで高い金額になってます。それも国民の税金です。
ある町では、役所の退職者に支払う退職金が市だか町だかの運営を圧迫しているという。そんな本末転倒がありますか?
そんな高い金額を払う「責任」は、国民にはない。
だから、
●「責任」も「財源」も、官僚のクビを全部切ってから口にしろ。
という事にしかならないのですよ。
話の筋、順番が違いすぎる。
麻生君が可哀想なのは、「日本を守る、責任力」という言葉が、本来「官僚を守る、責任力」という意味しか持たないのだ、ということに、どうやら気付いてさえいない点です。
アホやなぁ、麻生。官僚にええようにダマされとるやんけ。まったく。
官僚に「日本を守る責任力ということを言えば、民主党を叩けますよ。」「財源問題を突けば、彼らに良い策などないですよ。」とそそのかされて、言わされているに過ぎないのです。
自分の頭で考えないからそうなるのですよ。
「日本を守る、責任力」
というのは、正しくは、
「日本=官僚組織を守る、(国民の)責任力。」
ということであって、もっとわかりやすく書くと、
●「官僚の高給を、今後も保証する、国民の責任力」
ということなわけですよ。
いらんわ! そんなもん。何寝言言うとんねん。しばくぞ、しまいに。
というような事なので、「国民が主役の政治」を掲げている小沢一郎率いる民主党が、いかにまともであるか、というのがよくわかる話です。
いや、民主党自体は中身は寄り合い所帯で、かなり頼りないけどね。
でも、
「日本を守る責任力」と、「国民が主役の政治」なら、官僚支配の入るスキのない「国民が主役の政治」が圧倒的にまともだって事です。
スローガンとして正しい。
この選挙、自民党と民主党の戦いになって、僅差で民主党が勝つと言われてますが、そんなんじゃ駄目なんですよ。
官僚たちの出先機関にしかなっていない自民党が、徹底的に、ボロボロに、立ち直れないほど潰れないと意味がないんです。
もちろん、権力を握った小沢一郎が官僚となぁなぁになってしまう危険はあるでしょうが、それでも、中途半端に自民党政治が残るよりはましです。
自民党は小泉のアホが「派閥政治」自体を叩きつぶしてしまったがゆえに、本来複数派閥でもみ合ってきた政策検討集団としての機能をなくしてしまってるんですね。だから、もう完全に意味のない組織です。
官僚が前に出たら叩かれるから、代わりに叩かれるためのスケープゴートの意味しか持ってないんですよ。いまや。
そういうくだらない組織を作った、というのが、あの小泉のもっとも大きなあやまちでしょう。犯罪よりひどです。唯一残っていた日本のまともな政策検討機能を破壊したわけですから。最悪や、あいつは。ほんまに。
とにかく、そういう意味で自民党に存在価値自体がないのです。
だからこそ選挙もできずに、安倍、福田、麻生とズルズルと小泉政治の尻拭きを逃げてきたわけでね。
もう自民党には「官僚の悪さを隠すための仮面」としての役割しかありません。で、今度の選挙は、はっきりと、
●国民 対 官僚
の戦いなんです。
選挙のテーマ、アジェンダは、そこにしかない。
だから、国民代表の民主党が徹底勝利をしなければ意味がないのです。
みんなで「日本を守る責任」を叩きつぶしましょう。
●官僚政治の打破!
という、もっとも重要な、今回の選挙の争点が隠れてしまっています。まったくズル賢い官僚の思うつぼの結果です。官僚批判の記事を出させないために酒井法子は生け贄にされたわけです。
だいたい文春によれば、1年前から酒井法子が覚醒剤をやっていたという情報があったらしい。
ということは、今回の「逃亡」は、
●逮捕の失敗
か、
●わざと逃がした
かのどちらかでしかないということになります。どっちであっても警察の失点。(僕はわざと逃がしたと見てます。そうなればヤク抜きの期間、えんえんつまらない覚醒剤女優の話題で「官僚政治の問題」までは、政治的アジェンダとして表出しないですから。そこを読み込んでの「見過ごし」をしたのですよ。警察は。)
逮捕の失敗であれ、わざと逃がしたのであれ、自分の仕事をしていないのだから、カスです。人間として最低で、生きている価値がない。腹を切れ。それが嫌なら、「日本経済:失われた10年」の景気の落ち込み分の給与を国に返却せよ。それが筋というものです。
今回の選挙は、世間的には
●自民党 対 民主党
ということになってますが、そういう見方をすること自体が、官僚の思うつぼです。
ほんとうは、
●小沢一郎の官僚打破政治 対 司法・立法・行政の全権力を握る官僚たち
という構図です。自民党も民主党も、この受け皿にしかすぎません。
実際、自民党は、いまや官僚の言いなり政党でしかありません。自民党の言い分を聞いてみてください。徹底して官僚組織を守る政策ばっかりですよ。政策提言自体が、官僚の案をそのまま鵜呑みにしてるだけです。
だから、自民党が言う、「日本を守る、責任力」というのは、
●国民が、官僚に給料を払う責任。
の話であって、我々国民の幸せを守るとか、経済の苦しさを守るとか、そういう話ではないのです。
あの「責任」という言葉は、どこまで行っても、国民が官僚に、
●税金を払う責任
の話なのですよ。馬鹿馬鹿しい。
みなさん、ここのところを間違えないようにしてください。
ポイントはすべてそこにあります。
「責任」というのは、国民が官僚に給料を払う責任の話ですし、「財源」というのは、仕事もせずに「見過ごし」をやって、それで目くらましの芸能ニュースを作って、のうのうと暮らして、100年に一度と言われる不況の中でも、減俸されることもなく、人事院というお手盛りの「給与査定機関」によって給料が上がり続け、トヨタの退職金より多い退職金をもらった上に、天下りでまったく能力のない人間が民間企業でこれまた多額の給料をもらうという、官僚天国を維持するための「財源」です。
そんなもんいらん。
だから、最初の表題に戻るわけですが、
●「失われた10年」にすら上がり続けた官僚の給料こそが「財源」だ!!!!!
と言うのです。
今回、自民党の政策提言で、やたらと「責任」やら「財源」が話題に出るのはつまりは、官僚自身が、
●給料もらいすぎ。
という事を、うすうす知ってるからです。で、その甘い汁を吸える仕組みだけは、なんとか温存しようとしたいからこそです。
だから、酒井法子をわざと逃亡させて、この大きな官僚による国民財産の泥棒行為をひた隠しに隠してるんです。
だまそうったってそうはいかない。ここに、裏読みを得意とする私という人間がいてる。そう疑われてもしょうがないような事しかしてないのだから、そこを叩く。ボロが出ているのだから叩く。徹底して叩く。ごまかせると思うなよ、官僚ども。
なんと言っても、この西松建設問題からこっち、あまりにおかしな事が続きすぎましたからな。で、その「おかしな事」を指示したと思われるウルマとか言う奴は、いまだにトップに居座ってるわけですからな。
この選挙の前になって、何をやりよるかと思ったら、こんなくだらん事だったというわけです。恥を知れ、恥を。
まともに逮捕することもせずに、リーク情報で国民をだまくらかすような警察に対して、もう、国民が給料を払ってやる責任などあるわけがない。
どうでもええわ、そんなこと。
私ら国民は、もう十分に官僚に給料を払った。なのに、まともな逮捕もせず、リーク情報を流すという公務員規定違反をやるだけやって平気の平左。そんなアホなことがありますか?
年金も公務員は別立てで高い金額になってます。それも国民の税金です。
ある町では、役所の退職者に支払う退職金が市だか町だかの運営を圧迫しているという。そんな本末転倒がありますか?
そんな高い金額を払う「責任」は、国民にはない。
だから、
●「責任」も「財源」も、官僚のクビを全部切ってから口にしろ。
という事にしかならないのですよ。
話の筋、順番が違いすぎる。
麻生君が可哀想なのは、「日本を守る、責任力」という言葉が、本来「官僚を守る、責任力」という意味しか持たないのだ、ということに、どうやら気付いてさえいない点です。
アホやなぁ、麻生。官僚にええようにダマされとるやんけ。まったく。
官僚に「日本を守る責任力ということを言えば、民主党を叩けますよ。」「財源問題を突けば、彼らに良い策などないですよ。」とそそのかされて、言わされているに過ぎないのです。
自分の頭で考えないからそうなるのですよ。
「日本を守る、責任力」
というのは、正しくは、
「日本=官僚組織を守る、(国民の)責任力。」
ということであって、もっとわかりやすく書くと、
●「官僚の高給を、今後も保証する、国民の責任力」
ということなわけですよ。
いらんわ! そんなもん。何寝言言うとんねん。しばくぞ、しまいに。
というような事なので、「国民が主役の政治」を掲げている小沢一郎率いる民主党が、いかにまともであるか、というのがよくわかる話です。
いや、民主党自体は中身は寄り合い所帯で、かなり頼りないけどね。
でも、
「日本を守る責任力」と、「国民が主役の政治」なら、官僚支配の入るスキのない「国民が主役の政治」が圧倒的にまともだって事です。
スローガンとして正しい。
この選挙、自民党と民主党の戦いになって、僅差で民主党が勝つと言われてますが、そんなんじゃ駄目なんですよ。
官僚たちの出先機関にしかなっていない自民党が、徹底的に、ボロボロに、立ち直れないほど潰れないと意味がないんです。
もちろん、権力を握った小沢一郎が官僚となぁなぁになってしまう危険はあるでしょうが、それでも、中途半端に自民党政治が残るよりはましです。
自民党は小泉のアホが「派閥政治」自体を叩きつぶしてしまったがゆえに、本来複数派閥でもみ合ってきた政策検討集団としての機能をなくしてしまってるんですね。だから、もう完全に意味のない組織です。
官僚が前に出たら叩かれるから、代わりに叩かれるためのスケープゴートの意味しか持ってないんですよ。いまや。
そういうくだらない組織を作った、というのが、あの小泉のもっとも大きなあやまちでしょう。犯罪よりひどです。唯一残っていた日本のまともな政策検討機能を破壊したわけですから。最悪や、あいつは。ほんまに。
とにかく、そういう意味で自民党に存在価値自体がないのです。
だからこそ選挙もできずに、安倍、福田、麻生とズルズルと小泉政治の尻拭きを逃げてきたわけでね。
もう自民党には「官僚の悪さを隠すための仮面」としての役割しかありません。で、今度の選挙は、はっきりと、
●国民 対 官僚
の戦いなんです。
選挙のテーマ、アジェンダは、そこにしかない。
だから、国民代表の民主党が徹底勝利をしなければ意味がないのです。
みんなで「日本を守る責任」を叩きつぶしましょう。
大阪の名喫茶店「サザンクロス」閉店:ショックやなー。
2009年8月16日コメント (7)
昨日、自転車での帰り道、ちょっと寄り道して心斎橋を東から西に抜けたのですが。
そしたら、心斎橋の交差点にある喫茶店、「サザンクロス」がなくなっていた!
ええええ!
って思って。
あわてて検索してみたら、この3月22日に土地オーナーの値上げに対応できず閉店になってしまったそうで。
うそー。
信じられん。
かれこれ30年も前に、この店がオープンしたときにバイトで仕事してたんですよ、私。
以来、数年に一度は来店してたしなぁ。
なにより、このお店の社長は、このあたりの商店街の集まりの会長とかもしてた、かなり地域に貢献された人なんですがねぇ。
うーん。
そーかぁ。
閉店かぁ。
まいったな、どうも。
(2009/08/19:追記)------------------------
写真がないのが、あまりに寂しかったので、「まちかど逍遙」のぷにょさんに許可をいただいて転載させてもらいました。ぷにょさんありがとうございました。
●まちかど逍遙
http://blog.goo.ne.jp/punyor
(2009/08/18:追記)------------------------
ネットで検索したら、けっこういろいろ情報もありました。
みなさん閉店を惜しんでおられますねぇ。
うーん、愛されてたんやなぁと感慨深い。
こんな名店に、その昔、スタッフとして関わってた時期がある事自体、とても光栄です。
ちょっと勝手にリンクしときます。
http://www.pierre-record.com/blog/index.php?e=19
http://blog.goo.ne.jp/punyor/e/d57861bb5a03ac75d57258f5e36c1840
http://bldg-mania.blogspot.com/2009/03/blog-post.html
http://ameblo.jp/sunrise-history/entry-10221291243.html
http://silverfox6110.seesaa.net/article/116664347.html
http://www.k-two.jp/stylist/add_fujino/2009/03/post-82.html
http://mdnlvng.exblog.jp/11127518/
http://blogs.yahoo.co.jp/ks02644/25853322.html
http://plaza.rakuten.co.jp/teaspoon/diary/200904130000/
ほほぉ、サザンクロスのコーヒーとメニューを引き継ぐお店もできてるんですね。さすが!
http://profile.ameba.jp/cafe-stay-gold/
あ、マスターの横顔が写ってるブログがあった!
http://yaplog.jp/flower-miki/archive/20
名物だった天井の絵画(ヒューズ・ロジャー・マシュー氏の作品)
http://www.art-hrm.com/art-works/scafe.html
高野孟さんも来店されてたんですね。
http://www.the-journal.jp/contents/takano/2008/08/post_164.html
ビジネスエッセイのネタにもなってます。
(真ん中よりちょっと下あたりに10行ほど少し辛口目の記述があります。)
http://analog-corp.com/wn0501.html
そしたら、心斎橋の交差点にある喫茶店、「サザンクロス」がなくなっていた!
ええええ!
って思って。
あわてて検索してみたら、この3月22日に土地オーナーの値上げに対応できず閉店になってしまったそうで。
うそー。
信じられん。
かれこれ30年も前に、この店がオープンしたときにバイトで仕事してたんですよ、私。
以来、数年に一度は来店してたしなぁ。
なにより、このお店の社長は、このあたりの商店街の集まりの会長とかもしてた、かなり地域に貢献された人なんですがねぇ。
うーん。
そーかぁ。
閉店かぁ。
まいったな、どうも。
(2009/08/19:追記)------------------------
写真がないのが、あまりに寂しかったので、「まちかど逍遙」のぷにょさんに許可をいただいて転載させてもらいました。ぷにょさんありがとうございました。
●まちかど逍遙
http://blog.goo.ne.jp/punyor
(2009/08/18:追記)------------------------
ネットで検索したら、けっこういろいろ情報もありました。
みなさん閉店を惜しんでおられますねぇ。
うーん、愛されてたんやなぁと感慨深い。
こんな名店に、その昔、スタッフとして関わってた時期がある事自体、とても光栄です。
ちょっと勝手にリンクしときます。
http://www.pierre-record.com/blog/index.php?e=19
http://blog.goo.ne.jp/punyor/e/d57861bb5a03ac75d57258f5e36c1840
http://bldg-mania.blogspot.com/2009/03/blog-post.html
http://ameblo.jp/sunrise-history/entry-10221291243.html
http://silverfox6110.seesaa.net/article/116664347.html
http://www.k-two.jp/stylist/add_fujino/2009/03/post-82.html
http://mdnlvng.exblog.jp/11127518/
http://blogs.yahoo.co.jp/ks02644/25853322.html
http://plaza.rakuten.co.jp/teaspoon/diary/200904130000/
ほほぉ、サザンクロスのコーヒーとメニューを引き継ぐお店もできてるんですね。さすが!
http://profile.ameba.jp/cafe-stay-gold/
あ、マスターの横顔が写ってるブログがあった!
http://yaplog.jp/flower-miki/archive/20
名物だった天井の絵画(ヒューズ・ロジャー・マシュー氏の作品)
http://www.art-hrm.com/art-works/scafe.html
高野孟さんも来店されてたんですね。
http://www.the-journal.jp/contents/takano/2008/08/post_164.html
ビジネスエッセイのネタにもなってます。
(真ん中よりちょっと下あたりに10行ほど少し辛口目の記述があります。)
http://analog-corp.com/wn0501.html