twitterは、かなり刺激的で面白くて、「わー、すげー!」と思わされたので、その良さも悪さもよく解るのですが、facebookの方はイマイチよく解らんのですね。「なんじゃこりゃ」という感じ。
4月くらいに登録したんですが、(当然、本名で。)いまだに、どう活用したら良いのか、よく解らない。
でも、そんな適当な使い方でも、自分の出身校とか、職場とかを登録しておくと、昔の知り合いがヒョロヒョロっと表示とかはされるし「へー、おもろいな。」とは思うわけです。
思うけど、「んー、わざわざまた連絡取る気もせんしなー」とほったらかしにしてたのですが、自分の経歴がオープンになっているから、経歴の方から僕に近づいてくるというのがあるわけですな。
経歴の中に専門学校に通っていた事を書いておいたのですよ。まぁ専門学校と言っても、街の文化教室に毛が生えたような小規模のサークルみたいな学校だったんです。
ところが、その文化教室に毛が生えた程度の専門学校出身者の人から「あ、先輩ですね。よろしくお願いします。」と声がかかって、そのままお友達になったわけです。
そうしたら、その人から「今度、卒業生の集いとかありますけど、行きます?」とかお誘いのメールが来て、「ほー、面白そうだなぁ」と、いまでもつきあいのある、当時の同窓生に「こんな集まりがあるらしいよ。」てな話をしてたわけです。
そしたら、何というか、いろいろ懐かしくなって、「あの時、誰々さんって言う人がいてたよなぁ」とか「○○さんと××君は結婚したよねぇ。」と思い出話に花が咲き、「ちょっと久しぶりに連絡してみるわ」と、その友人が昔の電話番号に電話をしたわけです。
そしたらまぁ、そのままつながって、みんなでその卒業生の集いに出ることになってしまいました。
で、これがけっこう楽しい。
昔の知り合いに会うのって良いよねぇ。悪くない。
まぁ文化教室に毛が生えた程度の学校だったので、その友人とは「どうせ、もう潰れてなくなってるんやろけどな」てな事を話してたのですが、ところがどっこい、なんと大阪で34年も続いている、老舗の学校になってたんですね。
「どうせなくなってるやろ」と話しをしてるとは、なんと薄情な卒業生であることか。(笑)
ともあれ、そんなことで、その集まりを教えてくれた方に「同期の人間を何人か誘って参加しますわ。」と連絡をすると、「おお、その世代の先輩方が来てくれるとは、世話人たちがよろこんでくれると思います。」と返事をいただきました。
なんか、多分、facebookの良さって言うのは、おそらくこういう所なんでしょうね。現実の社会とフツーにリンクしてるのが良いなぁと。そう思いました。
本名登録が怖いとかなんとか言う人もたくさんいてますけど、そんなもの、名刺を普通に配ってたら、名刺がコピーされて、どう広がっていくのかも解らないのだし、何より「悪用」されることもあるかも知れないけれど「善用」されることだってあるわけですから、プラスマイナスゼロなんだろうなと思います。
で、携帯電話なんかは、一意に相手が誰だかわかるからこそ有用なわけですし、もっと昔にもどって、普通の固定電話の時代は「電話帳」なんてものがあって、そこから相手の番号を確認することができたわけですよ。電話帳なんて、電話局に全国のものが用意されていて、誰でもが閲覧できたわけですしね。
もともと通信手段というのは、一意に求める相手につながらなければ意味がないわけで、考えてみれば、ハンドルネームなどの通り名でやりとりしているインターネットの世界の方が、本当はイレギュラーと考えた方が話はわかりやすい、って事なんではないでしょうか。
もちろん、落語家が芸名を受け継いでいくように、社会的な役割が明確な場合は「通名」をそのまま活かすような価値観もあって良いのだし、ネットが全部、本名でなければならない、なんてことにはならんと思うのですが、それでも本名で普通に連絡が取れるメリットというのは、どうも想像している以上に大きいのかな? という気はしております。
こりゃ、あれだよなぁ、今後はfacebookの機能が、携帯電話とか、スマートフォンでは「あって当然」のものになって、facebookがこれからの公的な「電話帳」になって行くんやろなぁという感じはありますよね。
ちゅうか、アメリカではfacebookでのメールのやりとりの方がEメールを打つよりラクなので、facebookでばっかり連絡してる、という人が増えてるそうです。まぁネット上の「名刺」と思えば、そうなるかな、とも思いますね。
これは、じんわりとしたおもしろさではあるけれど、現実問題としては、かなり大きな文化転換をそなえた社会的インパクトの大きいサービスなんじゃないかしらん。
多分そのうち「facebookフォン」であることが、携帯電話・スマートフォンのもっとも一般的な基礎機能になるよな、これは。と思ったのであります。
4月くらいに登録したんですが、(当然、本名で。)いまだに、どう活用したら良いのか、よく解らない。
でも、そんな適当な使い方でも、自分の出身校とか、職場とかを登録しておくと、昔の知り合いがヒョロヒョロっと表示とかはされるし「へー、おもろいな。」とは思うわけです。
思うけど、「んー、わざわざまた連絡取る気もせんしなー」とほったらかしにしてたのですが、自分の経歴がオープンになっているから、経歴の方から僕に近づいてくるというのがあるわけですな。
経歴の中に専門学校に通っていた事を書いておいたのですよ。まぁ専門学校と言っても、街の文化教室に毛が生えたような小規模のサークルみたいな学校だったんです。
ところが、その文化教室に毛が生えた程度の専門学校出身者の人から「あ、先輩ですね。よろしくお願いします。」と声がかかって、そのままお友達になったわけです。
そうしたら、その人から「今度、卒業生の集いとかありますけど、行きます?」とかお誘いのメールが来て、「ほー、面白そうだなぁ」と、いまでもつきあいのある、当時の同窓生に「こんな集まりがあるらしいよ。」てな話をしてたわけです。
そしたら、何というか、いろいろ懐かしくなって、「あの時、誰々さんって言う人がいてたよなぁ」とか「○○さんと××君は結婚したよねぇ。」と思い出話に花が咲き、「ちょっと久しぶりに連絡してみるわ」と、その友人が昔の電話番号に電話をしたわけです。
そしたらまぁ、そのままつながって、みんなでその卒業生の集いに出ることになってしまいました。
で、これがけっこう楽しい。
昔の知り合いに会うのって良いよねぇ。悪くない。
まぁ文化教室に毛が生えた程度の学校だったので、その友人とは「どうせ、もう潰れてなくなってるんやろけどな」てな事を話してたのですが、ところがどっこい、なんと大阪で34年も続いている、老舗の学校になってたんですね。
「どうせなくなってるやろ」と話しをしてるとは、なんと薄情な卒業生であることか。(笑)
ともあれ、そんなことで、その集まりを教えてくれた方に「同期の人間を何人か誘って参加しますわ。」と連絡をすると、「おお、その世代の先輩方が来てくれるとは、世話人たちがよろこんでくれると思います。」と返事をいただきました。
なんか、多分、facebookの良さって言うのは、おそらくこういう所なんでしょうね。現実の社会とフツーにリンクしてるのが良いなぁと。そう思いました。
本名登録が怖いとかなんとか言う人もたくさんいてますけど、そんなもの、名刺を普通に配ってたら、名刺がコピーされて、どう広がっていくのかも解らないのだし、何より「悪用」されることもあるかも知れないけれど「善用」されることだってあるわけですから、プラスマイナスゼロなんだろうなと思います。
で、携帯電話なんかは、一意に相手が誰だかわかるからこそ有用なわけですし、もっと昔にもどって、普通の固定電話の時代は「電話帳」なんてものがあって、そこから相手の番号を確認することができたわけですよ。電話帳なんて、電話局に全国のものが用意されていて、誰でもが閲覧できたわけですしね。
もともと通信手段というのは、一意に求める相手につながらなければ意味がないわけで、考えてみれば、ハンドルネームなどの通り名でやりとりしているインターネットの世界の方が、本当はイレギュラーと考えた方が話はわかりやすい、って事なんではないでしょうか。
もちろん、落語家が芸名を受け継いでいくように、社会的な役割が明確な場合は「通名」をそのまま活かすような価値観もあって良いのだし、ネットが全部、本名でなければならない、なんてことにはならんと思うのですが、それでも本名で普通に連絡が取れるメリットというのは、どうも想像している以上に大きいのかな? という気はしております。
こりゃ、あれだよなぁ、今後はfacebookの機能が、携帯電話とか、スマートフォンでは「あって当然」のものになって、facebookがこれからの公的な「電話帳」になって行くんやろなぁという感じはありますよね。
ちゅうか、アメリカではfacebookでのメールのやりとりの方がEメールを打つよりラクなので、facebookでばっかり連絡してる、という人が増えてるそうです。まぁネット上の「名刺」と思えば、そうなるかな、とも思いますね。
これは、じんわりとしたおもしろさではあるけれど、現実問題としては、かなり大きな文化転換をそなえた社会的インパクトの大きいサービスなんじゃないかしらん。
多分そのうち「facebookフォン」であることが、携帯電話・スマートフォンのもっとも一般的な基礎機能になるよな、これは。と思ったのであります。
やっと、「原発を全部止めても、電気はすべてまかなえます」ということを認めましたなぁ。「すべての原発を火力で代替したら3兆円」ちゅうのは、金はかかるけどできる、という話ですがな。
で、「電力足りない」というのは、「電力総量が足りない」という話ではなくて、「電力会社が赤字を出さずに電力供給をしようと思ったら電力足りない」という意味だった、というのが、これで公的にもはっきりした。ばかにするなよ。利権組どもめ。
原発の安全対策が、不出来で火力に頼るしかなくなったのだから、この3兆円の支払い義務は、まずまっさきに電力会社にあります。逆さに振っても一円も出ないくらいまでまず電力会社と、その株主に支払ってもらうのが筋。
送電網も国に売れ!バカモンが。
それでも赤字になって、潰れるなら潰れたらよろしい。まず、そのステップを踏むのが当然でしょ。なんですぐに電気料金に転化なんかできるねん。おかしいわいな。そんなこと。
以下転載----------------------------------------------------
すべての原発停止なら…年間3兆円以上の負担増
電力
海江田経済産業相は7日の新成長戦略実現会議(議長・菅首相)で、国内すべての原子力発電所が運転停止した場合、火力発電で代替すると液化天然ガス(LNG)や石油などの燃料費の負担増が年間3兆円以上になるとの試算を明らかにした。
燃料費の増加分は電気料金に転嫁される仕組みのため、それだけ国民の負担増につながることになる。
国内の原発は13か月ごとの定期検査が義務付けられ、来年4月までに全54基(東京電力福島第一原子力発電所含む)が運転を一時停止する。福島第一原発事故を受け、地元自治体の反対で定期検査終了後に再稼働できない原発が続出している。
海江田経産相は7日の閣議後記者会見で「7月には電力の需要のピークを迎える。安全基準に適応した原発を再稼働して電力の供給に万全を期したい」と述べており、今回の試算もコスト面から原発の安定した運転の重要性を強調した格好だ。
(2011年6月7日22時38分 読売新聞)
転載終了---------------------------------------------------------
ちなみに。
電気代が上がることが「嫌なこと」のように書いてますが、これは実はすばらしいことです。
電気代が上がれば、節電はどんどん進みます。ありとあらゆるエコ製品や省電力技術が、いっせいに「大きな市場」を獲得する、ということです。
企業の自家発電ニーズも高まりますし、前から言ってるコジェネシステムなんかも、どんどん普及することになりますし、当然自然エネルギーの市場価値も高まります。なんせ自然エネルギーはずっと「燃料いらず」ですから。
いままで原発があったせいで、こういう節電技術や省エネ技術が市場を獲得できなかったんですよね。ですから電気代が上がるということに関しては、実は歓迎すべき事です。
ただし、それは「火力の穴埋め代金」ではなく、「次世代エネルギーへの投資代金」とすべきです。今後原発に代わり、数十年にわたる自然エネルギー供給システムを作るための投資代金と。それなら電気代に上乗せでも許してやろう。
まぁ、そういうことですわね。
で、「電力足りない」というのは、「電力総量が足りない」という話ではなくて、「電力会社が赤字を出さずに電力供給をしようと思ったら電力足りない」という意味だった、というのが、これで公的にもはっきりした。ばかにするなよ。利権組どもめ。
原発の安全対策が、不出来で火力に頼るしかなくなったのだから、この3兆円の支払い義務は、まずまっさきに電力会社にあります。逆さに振っても一円も出ないくらいまでまず電力会社と、その株主に支払ってもらうのが筋。
送電網も国に売れ!バカモンが。
それでも赤字になって、潰れるなら潰れたらよろしい。まず、そのステップを踏むのが当然でしょ。なんですぐに電気料金に転化なんかできるねん。おかしいわいな。そんなこと。
以下転載----------------------------------------------------
すべての原発停止なら…年間3兆円以上の負担増
電力
海江田経済産業相は7日の新成長戦略実現会議(議長・菅首相)で、国内すべての原子力発電所が運転停止した場合、火力発電で代替すると液化天然ガス(LNG)や石油などの燃料費の負担増が年間3兆円以上になるとの試算を明らかにした。
燃料費の増加分は電気料金に転嫁される仕組みのため、それだけ国民の負担増につながることになる。
国内の原発は13か月ごとの定期検査が義務付けられ、来年4月までに全54基(東京電力福島第一原子力発電所含む)が運転を一時停止する。福島第一原発事故を受け、地元自治体の反対で定期検査終了後に再稼働できない原発が続出している。
海江田経産相は7日の閣議後記者会見で「7月には電力の需要のピークを迎える。安全基準に適応した原発を再稼働して電力の供給に万全を期したい」と述べており、今回の試算もコスト面から原発の安定した運転の重要性を強調した格好だ。
(2011年6月7日22時38分 読売新聞)
転載終了---------------------------------------------------------
ちなみに。
電気代が上がることが「嫌なこと」のように書いてますが、これは実はすばらしいことです。
電気代が上がれば、節電はどんどん進みます。ありとあらゆるエコ製品や省電力技術が、いっせいに「大きな市場」を獲得する、ということです。
企業の自家発電ニーズも高まりますし、前から言ってるコジェネシステムなんかも、どんどん普及することになりますし、当然自然エネルギーの市場価値も高まります。なんせ自然エネルギーはずっと「燃料いらず」ですから。
いままで原発があったせいで、こういう節電技術や省エネ技術が市場を獲得できなかったんですよね。ですから電気代が上がるということに関しては、実は歓迎すべき事です。
ただし、それは「火力の穴埋め代金」ではなく、「次世代エネルギーへの投資代金」とすべきです。今後原発に代わり、数十年にわたる自然エネルギー供給システムを作るための投資代金と。それなら電気代に上乗せでも許してやろう。
まぁ、そういうことですわね。
マグネシウム文明論 (PHP新書)
2011年6月6日 読書
震災が起き、原発が爆発した数日後、3月の下旬には、すでにこの「マグネシウムを石油の代替エネルギーにする」という発想を、twitterのフォローしている人のtweetから見聞きはしておりまして。
いやもう、この矢部教授の話を聞いてるだけで、エネルギー問題なんぞは屁でもないのだという気になってしまってたんですが、
「いやあ、そうは言っても、どこかに穴があるに違いない」
と、半分眉唾だったんですね。
それで4月の末に、こういう新書が出ているのを知って、すぐに購入して一日で読み切ってしまいました。(で、すでにもう2~3回読み直してます。)
いやー、もう、面白くて仕方ない。
やっぱり、何回読んでも「穴」がないんだよなぁ。本当に。
で、「穴」がないよなぁということを、あのオタキングの岡田斗志夫も言ってるし、博覧強記の小飼弾も言ってる。そうなのよ、どうにも穴がない。
エネルギー問題は人類にとって大問題ですから、それこそキチンと考えている人はたくさんいて、特に日本はエネルギー資源がありませんから(本当は大嘘。地熱の資源埋蔵量は日本は世界第三位だし、風力もかなり強いから、心配ありません。ま、それはさておき。)、資源をなんとか確保しようと知恵をひねる人が、やはりちゃんといてる、と言うことです。
マグネシウムというのは、海の中に大量にあり(石油で起こすエネルギー量から類推できる可採年数は、なんと10万年です!)、そこから取り出して精錬して金属マグネシウムにしてやれば、通常の火力発電所でも燃やす事が可能なんだそうです。その重量あたりの熱量は、ガソリンの44メガジュール/kg に対して、25.5メガジュール/kg。石炭が30メガジュール/kgで木材が15メガジュール/kgですので、ほとんど石炭並みの熱量を得られるわけです。
しかも、マグネシウムは燃やしてもCO2を発生しないそうです。出るのは「酸化マグネシウム」という白い灰だけ。
で、矢部教授がすごいのは、ここからでして、この白い酸化マグネシウムを、再び精錬して、マグネシウムにしてやれば、循環エネルギーのサイクルが作れる、と言っておられます。
ただ、現在のマグネシウム精錬の方法は、ものすごい電圧をかけて精製する方法と、石炭10トンを使ってマグネシウム1トンを作る方法と2つしかなくて、だからそれでは意味がないわけです。
その基本問題を矢部教授は「太陽光励起レーザー」によって解消しようとされてるわけで、すでにそのレーザーの試作品はできていて、かなりの効率で太陽エネルギーをレーザーに変換しているのですね。
この実用化の道筋が、ほぼ見えているというところがまたすごい。
結局、エネルギー問題をある程度考えたことのある人なら、最終的に人類のエネルギー源は「太陽」にするしかないのだ、ということは、分かっていることでして、あとは取り出し方の問題だけ。
いまもっとも実用的なのは、やっぱり太陽電池でして、昼間の暑い日、あるいは空気の澄んだ秋口、春先などは、かなりのエネルギー量が確保できます。しかも無料で! しかも永遠に!
アホで科学知識のない人は、すぐに「太陽電池はコストが」とかいいますけど、太陽電池なんて、まさに半導体そのもの、それもかなりシンプルなPN型の半導体と言って良いものなわけですから、大量生産すればコストは劇的に下がる可能性がものすごく高い。
パソコンのCPUを見てみなさいっちゅうことですね。あんなもの太陽電池よりのはるかに複雑な構造のチップを「光印刷」というような技術で大量生産してるわけです。工場を造るのにはカネはかかりますが、大量生産すればコストはガックーンと落ちます。
で、変換効率がせいぜい15%だからダメとか言うバカも多いのですが、ガソリン車のエネルギー効率なんて8%から18%の間ですぜ? 旦那。 実用性がありゃ、別に効率なんざどうでもいいのさ。あほか。(ちなみに、すでに変換効率40%の太陽電池はドイツ・アメリカでは開発されてます。日本、遅れを取ってたらアカンで!)
変換効率は15%で良いから、どんどん普及させて価格を下げることの方がはるかに重要な局面に入っているのが太陽電池の技術なんですね。だから、科学知識と経済と生活と、全部をひっくるめて考えれば太陽電池を石油と組み合わせて使うというのが、現状ではやはりかなり正しい。(あ、あとベース電力としての風力も必須。)
ただし。
どうしようもない問題は、「電気は保存できない」と言う問題でして、太陽電池は、ここが弱い。
で、だからこそ、この矢部教授の太陽光励起レーザーによる太陽エネルギーの活用方法は意味が大きいのですね。矢部教授の、この精錬の方法なら、太陽エネルギーを「持ち運びの出来る物質」に変換できる、ということなんです。
これは、おそろしく画期的な事なんですよ。太陽エネルギー活用における最重要問題である、「夜の時間をどうすんねん問題」を、根本から解決してしまってるんです。すごい。画期的。
ちなみに、すでにマグネシウムを電池に活用する技術というのも、どんどん開発されていて、マグネシウム空気電池というのが注目されてます。
このマグネシウム空気電池は、電気自動車の燃料としても、かな可能性が高い。マグネシウム空気電池がすごいのは、「充電時間が不要」って事です。コンビニで乾電池を買うようにマグネシウム空気電池を買うと言うことができる。(多分、使い終わった電池と交換で。)
リチウム電池でもそれは可能だろう、と簡単に考えがちなんですが、誰かが充電しなければならないというのは同じ事ですし、なにより重さに対して得られるエネルギー量が違う。
リチウム電池とマグネシウム空気電池のエネルギー密度の違いは、なんと7.5倍です。同じ1キロの電池があれば、マグネシウムが7.5倍長く走れるということになります。
いまのリチウム電池による電気自動車がフル充電で、100km程度。これなら、都市部で街乗りに使うのなら、まぁ充分ですが、「街乗り」程度なら自転車と路面電車に負けます。自動車はこれからは、都市間交通の道具として使えないと意味がないんですね。でも、マグネシウム空気電池なら大丈夫。単純計算しても700キロくらいは走れますから、東京大阪間を1回の電池で余裕で走りきれるわけです。
ちなみに、現在のガソリン車の一回の給油で走れる距離は約200km程度。東京大阪間で、一回給油が必要です。
もひとつ言うならタクシーは天然ガスを使っていて、一回の給油で500km近いので、東京大阪間は無給油で走れます。
これ、けっこう重要な話。
このあたりの車の話は、まずキチンと考えておかないといけないのですが、とにかく車は、もう電気自動車が絶対です。分かってる人は、これも必ず言いますが、電気供給媒体が何になるかは確定していないけれども、自動車は必ず電気自動車になります。
なぜなら、ガソリン車だと上記でも書いたようにエネルギー効率が8-18%程度で、ほとんどがギアやらシャフトやらシフトやらの「摩擦」で消えていってしまうからです。
電気自動車だと、発電所(火力でも原発でもなんでも良いですが)からの送電ロスや充電池によるロスを勘案しても、元の重油からのエネルギー効率は30%以上になるんですね。だから自動車は電気自動車です。
ちなみに、電気自動車なら、慶應義塾大学教授の清水浩さんが作った「エリーカ」を知らないでどうのこうの言う人は、話にならないので勉強してから考えるように。
摩擦を減らすためにタイヤの中にモーターを入れて、6輪とか8輪で車を動かす。ものすごくエネルギー効率の良い車でして、これなら現在のリチウム電池でも航続距離は楽々300km。しかも、最高時速370km。その上、加速はモーターなので、常に最適回転数が出せ、8輪で安定しているから乗り心地も抜群だそうです。
どうですか、これ。ガソリン車なんて話にならないでしょうが?
(日経ビジネスオンラインがアホでして、「原発がダメになったから電気自動車にもかげりが見える」みたいなパァーな記事を書いてる。本当に程度が低いよなぁ、あそこは。まぁ5大紙系列は、基本的に記者クラブメディアなので程度が低いのは仕方ないのですが。)
もしエリーカにマグネシウム空気電池が載ったら、計算上では、一回の給電で本州の端から端まで移動することも可能ということになってしまう。あああ、ものすごいなぁ、これは。
しかも、このマグネシウム文明論の矢部教授のすごいところは、「海水からマグネシウムを取り出せば、残るのは真水であり、人類の水不足問題も解決できてしまう。」としている事。
ひとつの技術で、他の問題も一気に解決してしまってるのがすごい。
いや、その上、この人、その「海水からマグネシウムを取り出す仕組み」まで、作り出していて、しかもそれは「海水淡水化プラント」として事業化までしていて、すでに海外からプラント発注をたくさんうけているというところ。どっひゃーっていう話です。
で、ここまですごい事がなんで話題にならんのかなぁと思ってたんですが、上記の新書を読んでいて、以下の文章があるのを発見して「そりゃ話題にはならんわな」と納得したのです。
いわく、
●マグネシウム循環社会のビジョンを実現するために必要なのは、国からの補助金ではありません。経済的合理性が成り立っていることこそが、なにより重要です。
ということ。
つまり、必要としている人に必要としている技術を提供していけば、必然的に定着するから、マスコミだの何だのでやたら声高にアピールする必要もない、ということなわけです。
ああ、すごい。
これは本物だなぁって思う。
「海水淡水化プラント」は、あくまで「真水」の確保が目的ですから、エネルギーの話にまではなかなか広がりませんわね。でも、ちゃんと稼ぎながら、次のステップの資金やら研究情報などが、どんどんたまっていってるわけです。
肝心の太陽光励起レーザーによるマグネシウム精錬工場は、まだ出来てませんが、この本を読む限り、実現の度合いはかなり高そうで、しかも、マグネシウムは、いまや加工素材としてもニーズが高いから「マグネシウムを燃料として使う」以前に「材料」として売れるんですね。だから、研究開発の過程そのものが、普通に商売として成り立つ、というところがすごいのです。
そうやって太陽光レーザーで精錬をやれば、いままで電気というエネルギーによる力ずくでやってた金属精錬が、自然エネルギーを使った画期的な廉価技術になってしまうわけです。そら、金属が安くなりますよ。
もしマグネシウムがキロあたり円を切れば、石油とも充分競争力のあるエネルギーになるそうですから、ものすごく楽しみです。
このあたり、本当に日本の科学者でマジメにやってる人は、とんでもなくすごい人たちばかりで、この矢部教授もそうだし、上記のエリーカの清水さんもすごい。
これに加えて、オーランチオキトリウムという「身体の中に石油と同じ成分である炭化水素を作る能力がとても高い藻」を発見した、筑波大学大学院生命環境科学研究科の渡邉信教授なんて人もいてます。
このオーランチオキトリウムも画期的なようなので、これももうちょっと調べたいと思ってるんですが、概略、オーランチオキトリウムがあれば、日本が産油国になるということも夢ではない、ということのようですからねぇ。いや、すごい。
今年の夏は、日本全体が「節電だ」「電力不足だ」みたいな、アホな論議でわーわー言うのは、もう目に見えてるんですが、そういう低脳な論議をするヒマがあったら、ぜひとも、ここに紹介した3教授の話をじっくり聞いてみるべきだと思いますねぇ。
こういう視点もなしに、原発がどうたらこうたら言うてもしゃーないやろが。基本をしっかり見据えなさいよ、と言う気がして仕方ないです。はい。
ともあれ、「マグネシウム文明論」は、2011年の日本において、ぜひとも読まねばらならない、必須課題図書であります。
いやもう、この矢部教授の話を聞いてるだけで、エネルギー問題なんぞは屁でもないのだという気になってしまってたんですが、
「いやあ、そうは言っても、どこかに穴があるに違いない」
と、半分眉唾だったんですね。
それで4月の末に、こういう新書が出ているのを知って、すぐに購入して一日で読み切ってしまいました。(で、すでにもう2~3回読み直してます。)
いやー、もう、面白くて仕方ない。
やっぱり、何回読んでも「穴」がないんだよなぁ。本当に。
で、「穴」がないよなぁということを、あのオタキングの岡田斗志夫も言ってるし、博覧強記の小飼弾も言ってる。そうなのよ、どうにも穴がない。
エネルギー問題は人類にとって大問題ですから、それこそキチンと考えている人はたくさんいて、特に日本はエネルギー資源がありませんから(本当は大嘘。地熱の資源埋蔵量は日本は世界第三位だし、風力もかなり強いから、心配ありません。ま、それはさておき。)、資源をなんとか確保しようと知恵をひねる人が、やはりちゃんといてる、と言うことです。
マグネシウムというのは、海の中に大量にあり(石油で起こすエネルギー量から類推できる可採年数は、なんと10万年です!)、そこから取り出して精錬して金属マグネシウムにしてやれば、通常の火力発電所でも燃やす事が可能なんだそうです。その重量あたりの熱量は、ガソリンの44メガジュール/kg に対して、25.5メガジュール/kg。石炭が30メガジュール/kgで木材が15メガジュール/kgですので、ほとんど石炭並みの熱量を得られるわけです。
しかも、マグネシウムは燃やしてもCO2を発生しないそうです。出るのは「酸化マグネシウム」という白い灰だけ。
で、矢部教授がすごいのは、ここからでして、この白い酸化マグネシウムを、再び精錬して、マグネシウムにしてやれば、循環エネルギーのサイクルが作れる、と言っておられます。
ただ、現在のマグネシウム精錬の方法は、ものすごい電圧をかけて精製する方法と、石炭10トンを使ってマグネシウム1トンを作る方法と2つしかなくて、だからそれでは意味がないわけです。
その基本問題を矢部教授は「太陽光励起レーザー」によって解消しようとされてるわけで、すでにそのレーザーの試作品はできていて、かなりの効率で太陽エネルギーをレーザーに変換しているのですね。
この実用化の道筋が、ほぼ見えているというところがまたすごい。
結局、エネルギー問題をある程度考えたことのある人なら、最終的に人類のエネルギー源は「太陽」にするしかないのだ、ということは、分かっていることでして、あとは取り出し方の問題だけ。
いまもっとも実用的なのは、やっぱり太陽電池でして、昼間の暑い日、あるいは空気の澄んだ秋口、春先などは、かなりのエネルギー量が確保できます。しかも無料で! しかも永遠に!
アホで科学知識のない人は、すぐに「太陽電池はコストが」とかいいますけど、太陽電池なんて、まさに半導体そのもの、それもかなりシンプルなPN型の半導体と言って良いものなわけですから、大量生産すればコストは劇的に下がる可能性がものすごく高い。
パソコンのCPUを見てみなさいっちゅうことですね。あんなもの太陽電池よりのはるかに複雑な構造のチップを「光印刷」というような技術で大量生産してるわけです。工場を造るのにはカネはかかりますが、大量生産すればコストはガックーンと落ちます。
で、変換効率がせいぜい15%だからダメとか言うバカも多いのですが、ガソリン車のエネルギー効率なんて8%から18%の間ですぜ? 旦那。 実用性がありゃ、別に効率なんざどうでもいいのさ。あほか。(ちなみに、すでに変換効率40%の太陽電池はドイツ・アメリカでは開発されてます。日本、遅れを取ってたらアカンで!)
変換効率は15%で良いから、どんどん普及させて価格を下げることの方がはるかに重要な局面に入っているのが太陽電池の技術なんですね。だから、科学知識と経済と生活と、全部をひっくるめて考えれば太陽電池を石油と組み合わせて使うというのが、現状ではやはりかなり正しい。(あ、あとベース電力としての風力も必須。)
ただし。
どうしようもない問題は、「電気は保存できない」と言う問題でして、太陽電池は、ここが弱い。
で、だからこそ、この矢部教授の太陽光励起レーザーによる太陽エネルギーの活用方法は意味が大きいのですね。矢部教授の、この精錬の方法なら、太陽エネルギーを「持ち運びの出来る物質」に変換できる、ということなんです。
これは、おそろしく画期的な事なんですよ。太陽エネルギー活用における最重要問題である、「夜の時間をどうすんねん問題」を、根本から解決してしまってるんです。すごい。画期的。
ちなみに、すでにマグネシウムを電池に活用する技術というのも、どんどん開発されていて、マグネシウム空気電池というのが注目されてます。
このマグネシウム空気電池は、電気自動車の燃料としても、かな可能性が高い。マグネシウム空気電池がすごいのは、「充電時間が不要」って事です。コンビニで乾電池を買うようにマグネシウム空気電池を買うと言うことができる。(多分、使い終わった電池と交換で。)
リチウム電池でもそれは可能だろう、と簡単に考えがちなんですが、誰かが充電しなければならないというのは同じ事ですし、なにより重さに対して得られるエネルギー量が違う。
リチウム電池とマグネシウム空気電池のエネルギー密度の違いは、なんと7.5倍です。同じ1キロの電池があれば、マグネシウムが7.5倍長く走れるということになります。
いまのリチウム電池による電気自動車がフル充電で、100km程度。これなら、都市部で街乗りに使うのなら、まぁ充分ですが、「街乗り」程度なら自転車と路面電車に負けます。自動車はこれからは、都市間交通の道具として使えないと意味がないんですね。でも、マグネシウム空気電池なら大丈夫。単純計算しても700キロくらいは走れますから、東京大阪間を1回の電池で余裕で走りきれるわけです。
ちなみに、現在のガソリン車の一回の給油で走れる距離は約200km程度。東京大阪間で、一回給油が必要です。
もひとつ言うならタクシーは天然ガスを使っていて、一回の給油で500km近いので、東京大阪間は無給油で走れます。
これ、けっこう重要な話。
このあたりの車の話は、まずキチンと考えておかないといけないのですが、とにかく車は、もう電気自動車が絶対です。分かってる人は、これも必ず言いますが、電気供給媒体が何になるかは確定していないけれども、自動車は必ず電気自動車になります。
なぜなら、ガソリン車だと上記でも書いたようにエネルギー効率が8-18%程度で、ほとんどがギアやらシャフトやらシフトやらの「摩擦」で消えていってしまうからです。
電気自動車だと、発電所(火力でも原発でもなんでも良いですが)からの送電ロスや充電池によるロスを勘案しても、元の重油からのエネルギー効率は30%以上になるんですね。だから自動車は電気自動車です。
ちなみに、電気自動車なら、慶應義塾大学教授の清水浩さんが作った「エリーカ」を知らないでどうのこうの言う人は、話にならないので勉強してから考えるように。
摩擦を減らすためにタイヤの中にモーターを入れて、6輪とか8輪で車を動かす。ものすごくエネルギー効率の良い車でして、これなら現在のリチウム電池でも航続距離は楽々300km。しかも、最高時速370km。その上、加速はモーターなので、常に最適回転数が出せ、8輪で安定しているから乗り心地も抜群だそうです。
どうですか、これ。ガソリン車なんて話にならないでしょうが?
(日経ビジネスオンラインがアホでして、「原発がダメになったから電気自動車にもかげりが見える」みたいなパァーな記事を書いてる。本当に程度が低いよなぁ、あそこは。まぁ5大紙系列は、基本的に記者クラブメディアなので程度が低いのは仕方ないのですが。)
もしエリーカにマグネシウム空気電池が載ったら、計算上では、一回の給電で本州の端から端まで移動することも可能ということになってしまう。あああ、ものすごいなぁ、これは。
しかも、このマグネシウム文明論の矢部教授のすごいところは、「海水からマグネシウムを取り出せば、残るのは真水であり、人類の水不足問題も解決できてしまう。」としている事。
ひとつの技術で、他の問題も一気に解決してしまってるのがすごい。
いや、その上、この人、その「海水からマグネシウムを取り出す仕組み」まで、作り出していて、しかもそれは「海水淡水化プラント」として事業化までしていて、すでに海外からプラント発注をたくさんうけているというところ。どっひゃーっていう話です。
で、ここまですごい事がなんで話題にならんのかなぁと思ってたんですが、上記の新書を読んでいて、以下の文章があるのを発見して「そりゃ話題にはならんわな」と納得したのです。
いわく、
●マグネシウム循環社会のビジョンを実現するために必要なのは、国からの補助金ではありません。経済的合理性が成り立っていることこそが、なにより重要です。
ということ。
つまり、必要としている人に必要としている技術を提供していけば、必然的に定着するから、マスコミだの何だのでやたら声高にアピールする必要もない、ということなわけです。
ああ、すごい。
これは本物だなぁって思う。
「海水淡水化プラント」は、あくまで「真水」の確保が目的ですから、エネルギーの話にまではなかなか広がりませんわね。でも、ちゃんと稼ぎながら、次のステップの資金やら研究情報などが、どんどんたまっていってるわけです。
肝心の太陽光励起レーザーによるマグネシウム精錬工場は、まだ出来てませんが、この本を読む限り、実現の度合いはかなり高そうで、しかも、マグネシウムは、いまや加工素材としてもニーズが高いから「マグネシウムを燃料として使う」以前に「材料」として売れるんですね。だから、研究開発の過程そのものが、普通に商売として成り立つ、というところがすごいのです。
そうやって太陽光レーザーで精錬をやれば、いままで電気というエネルギーによる力ずくでやってた金属精錬が、自然エネルギーを使った画期的な廉価技術になってしまうわけです。そら、金属が安くなりますよ。
もしマグネシウムがキロあたり円を切れば、石油とも充分競争力のあるエネルギーになるそうですから、ものすごく楽しみです。
このあたり、本当に日本の科学者でマジメにやってる人は、とんでもなくすごい人たちばかりで、この矢部教授もそうだし、上記のエリーカの清水さんもすごい。
これに加えて、オーランチオキトリウムという「身体の中に石油と同じ成分である炭化水素を作る能力がとても高い藻」を発見した、筑波大学大学院生命環境科学研究科の渡邉信教授なんて人もいてます。
このオーランチオキトリウムも画期的なようなので、これももうちょっと調べたいと思ってるんですが、概略、オーランチオキトリウムがあれば、日本が産油国になるということも夢ではない、ということのようですからねぇ。いや、すごい。
今年の夏は、日本全体が「節電だ」「電力不足だ」みたいな、アホな論議でわーわー言うのは、もう目に見えてるんですが、そういう低脳な論議をするヒマがあったら、ぜひとも、ここに紹介した3教授の話をじっくり聞いてみるべきだと思いますねぇ。
こういう視点もなしに、原発がどうたらこうたら言うてもしゃーないやろが。基本をしっかり見据えなさいよ、と言う気がして仕方ないです。はい。
ともあれ、「マグネシウム文明論」は、2011年の日本において、ぜひとも読まねばらならない、必須課題図書であります。
エコノミスト 2011年 5/24号 [雑誌]
2011年5月28日 読書 コメント (1)
自然エネルギーに関する現状が実に詳しく書かれてます。
おすすめ。
基本的に、エネルギーの未来は前途洋々なんだけどなぁ。だから実は原発はどっちでもいいわけです。
でも、エネルギーっていうのは、もう昔から「利権」として政治の道具にどうしてもなるし、そうなりやすい形態の方が好まれるから、権力者のためのものになりがちなんですよねぇ。
だいたい電気だって、最初は家庭用の発電機とか、そういうのから始まっていたのに「火事が危ない」だのなんだのということが理由になって発電所から各家庭の一括で送るような形になって発展していったわけです。
政治がからんで、利権にならないと社会に定着しないという、実にやっかいな問題があります。
自然エネルギーは、誰もメリットのある素晴らしいものなんですけど、「特定の誰かが得をして、そのことを使って社会を支配する道具として使える」ものにはなりにくいのですよね。あまりに開かれたエネルギーだから。
自然エネルギーは利権にならんって事。ここが自然エネルギーのもっとも弱い点だろうと思います。
こればっかりは、一般民衆ががんばるしかないんやけど…。道は遠いなぁ。
おすすめ。
基本的に、エネルギーの未来は前途洋々なんだけどなぁ。だから実は原発はどっちでもいいわけです。
でも、エネルギーっていうのは、もう昔から「利権」として政治の道具にどうしてもなるし、そうなりやすい形態の方が好まれるから、権力者のためのものになりがちなんですよねぇ。
だいたい電気だって、最初は家庭用の発電機とか、そういうのから始まっていたのに「火事が危ない」だのなんだのということが理由になって発電所から各家庭の一括で送るような形になって発展していったわけです。
政治がからんで、利権にならないと社会に定着しないという、実にやっかいな問題があります。
自然エネルギーは、誰もメリットのある素晴らしいものなんですけど、「特定の誰かが得をして、そのことを使って社会を支配する道具として使える」ものにはなりにくいのですよね。あまりに開かれたエネルギーだから。
自然エネルギーは利権にならんって事。ここが自然エネルギーのもっとも弱い点だろうと思います。
こればっかりは、一般民衆ががんばるしかないんやけど…。道は遠いなぁ。
原発は、時代の要請で不要になったと考えた方が良いのです。
2011年5月17日日本は地震大国なので、もともと原発には向かない国なんですね。だから、いくらよその国が原発で電気をまかなっていても、それがそのまま原発導入の理由にはなりません。
ですから、よその国がどうだとか、そういう理由で原発を擁護するような人は完全にパーです。話にも何もなりません。
じゃあ、なぜ日本で原発が必要と言われてきたかというと、理由は大きく3つではないでしょうか。
●(1)安全保障上の理由→独立国家として原爆をすぐに作れるようにする。
●(2)資源のない国として核燃料サイクルを開発していく。
●(3)経済成長の発展のために、無尽蔵のエネルギーが必要である。
ようは、この3つの理由が「地震大国」であるにもかかわらず原発を推進させてきた理由だったわけです。
で、この理由3つがあったが故に、なかなか原発はなくならなかったんですね。で、実際、僕自身、上の理由の(1)安全保障上の理由という意味で、どうにも原発を否定できなかったんです。
「原爆をすぐに作れる状態にしておく」というのは、表だった理由にはなってませんが、原発推進における理由のひとつとしては必ず考えておかなければならない点ですし、実際スリーマイル以降、海外に原発を売ることもできなくなったアメリカで、それでも原発が利用されてきたのは、安全保障上の意味もあると、冷静に考えられた結果なのだそうです。
で、僕は最近、この安全保障の考え方自体が枠組みから変わってきているなと感じてきたので、明確な「脱原発派」に立場を変えたんですね。いままでは消極的反対派というやつでした。
この(1)の理由は、後述しますが、とにかく、2011年の現代においては、上記の3つの理由ともに説得力を失っているなぁというのが、いま脱原発が叫ばれる大きな背景になってきていると僕は思っています。
(3)から説明していくと、いまやもう高度経済成長の時代ではない、ということですね。何より、人口構成比から考えても、この20年や30年は人口の総量がうなぎのぼりに大きくなるということはないわけです。子供を産める人の数が減ってるわけですから。
だから、もともと、そんなに大量のエネルギーが必要なわけではない。
なにより、戦後の高度成長時代のように「今年より来年、そして10年後、必ず大量のエネルギーが必要になる」というような、切迫したエネルギー需要自体が存在してないわけです。
ここのところが、まず何より、大きな「原発不要」の世論につながるわけです。このあたりは、元原発の設計者もやっておられた大前研一さんですら、原発を止めて行くしかないですねという意見にさせている大きな理由です。ようするに実用上の一番大きな理由がない。
で、(2)の核サイクル開発の話は、これはもう30年研究に予算も時間もかけてきて、1ワットの電力供給もできていない、というのがすべてでしょう。すでに核開発の積極国であるフランスでさえ、高速増殖炉の開発はやめてたはずです。
僕は数年前に高速増殖炉の開発をフランスがやめたと言う話を聞いて「あー、おそらく原発は、今後はもう生き残れなくなるなぁ」と感じたんですね。使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムを取り出してまた燃やすのが高速増殖炉で、それによって1000年でも2000年でもエネルギーがまかなえる、というのが「核燃料サイクル」の夢の構想であって、この構想が崩れてしまったら、原発なんて可採年限87年だったかの「天然資源の乱獲エネルギー」でしかないわけですよ。石油の可採年限40年前後というのと、さして変わらないわけです。
(他の国はすでに原発は核燃料サイクルを考えに入れない「使い切り資源」と認めた上で原発を扱ってますが、日本はいまだに核燃料サイクルの開発をやめてません。これは即刻やめるべきだと僕は思います。金もかかりすぎるし、なによりナトリウムで炉を冷やすとか、あぶなくてしょうがない。やめてくれ、そんなもの。)
ですから、原発を続ける3つの理由、
(1)安全保障
(2)核燃料サイクル開発
(3)高度経済成長
のうち、(2)と(3)は、すでに破綻してると思うんですね。
だから、いま「原発は必要だ」と言っている人の大半は、安全保障上の観点から言ってる(政府の人間とか、よく事情を知ってる人は、という意味です。)のだろうと僕は思っています。ただ、それは日本ではおおっぴらに言えないから「必要だ」だけで終わってるんでしょうけども。(こういう本当のところを言えないというのが、日本という国の幼いところなんだと思いますが。)
あとは、そういう「安全保障上必要だと思うけど、はっきり言えないから、電力不足ということにしておこう」というような言い換えを、そのまま鵜呑みにして「やっぱり原発は必要だ」と言ってるアホか、ですね。
実際、プルサーマルなんて、日本があまりにプルトニウムの保有量が多くて、原爆を作ろうとしているのではないのか? という疑惑を払拭するために行われているだけの、アホな政策なんですから。プルトニウムをウランと混ぜて燃やしても、ウランからまたプルトニウムが出来るのだし、プルトニウム自体は減りません。危険度の高いプルトニウムを混ぜて燃やすMOX燃料なんて、ほんとうにただ危ないだけですしね。
だから問題は(1)の安全保障の問題だけって事になるわけですが、ここがいま、まさに変わりつつあると僕は感じてきてるわけです。
だいたい、まず、原発=安全保障という構図は、米ソの冷戦構造に則った仕組みであり、その構図が壊れたときにすべての政策を見直すべきだった、という意見を言う方がおられまして、それがひとつの大きな見方だろうと思います。
石油の取り合いという構図があって、冷戦構造があって、そのなかで原爆を持つ事で優位性を保ちながら国際政治を有利に持って行こうという意図ですね。
これが冷戦が終わって、意味をなさなくなったわけです。少なくとも日本以外では、冷戦が終わった途端に、核の問題は「拡散」の問題に変わりましたから。すでに本当は、この時点で日本の政治は世界についていけていなかった、ということでもあるわけですが。
で、現実を見てみると、日本の隣の中国は、すでに陸・海・空とも、武力自体で見てみれば、日本を越えてるんですね。アメリカも越えてる。だから、原爆だけ持っても、もう多分あまり意味がない。安全保障上は、アメリカの核の傘の中に入っておくというのが現実的選択として賢いとも言えます。
で、もっと言うと、別に中国の核の傘の中に入ってもかまわないわけです。どっちでもいいんです。なんでかというと、いまや、すでに「核の傘」という安全保障の考え方自体がゆっくりと力を失って行ってると感じるからです。
多分、すでに地球は、安全保障の問題を「武力」ではなくて「情報」で考えないといけない段階に入ってるんだと思うんですね。ウィキリークスの登場もそうだし、ジャスミン革命・エジプト革命がツイッターやフェイスブックによって起こったと言うことを見ても明らかです。もう、武力で脅す時代は終わりつつある、という気がするんです。
このあたりの時代の変化があるから、僕は(1)の原発の安全保障の意味を「それほど有用かつ重要だろうか?」と疑問視するようになってきたんです。
それよりも、今後40年なり50年なりの国際社会の事を考えれば、太陽光発電や風力発電、あるいはバイオマスやらコジェネシステム、それからスマートグリッドやら電気自動車などやらの節電的利用技術などなどを積極的に開発して、それを平和外交の道具として使っていく方が、はるかに安全保障にも効果的という気がするわけです。とくにモノづくりが得意な日本においては、その方がはるかに現実的で、達成可能で、なにより危険が少ない。
この「武力でなく平和外交で安全保障を」という考え方は、たぶんインターネットが普及する前は、それこそ絵に描いた餅という側面が大きかったと思うのですね。しかし、いまはもう時代が違うと思います。
たとえば太陽光発電において「地球の昼間側の地域から夜側の地域に電気を供給する」というやり方が考案されてますが、これは国境を越えた電力供給の安定手法で、夢物語のようにも思えますが、やってやれない事ではないし、それが実現すれば地球の多様な国がそれぞれに相互依存するので、安全保障上も非常に効果が高い。決して夢物語ではないわけです。とくにインターネットがあれば、ほとんどリアルタイムに近い形でやりとりもできるわけですから、実現できない方法ではないんですね。昔だとちょっと難しかったでしょうけど。
で、「フクシマ」以降、世界は、大きくはそっちの方に動かざるを得ないのだと思うのです。
原発は危険だということで、今後は天然ガスや石油の需要が高まるでしょう。そして石油の値段があがる。
でも、それは必然的に、「新しいエネルギー技術の必要度が増す」ということでもあるんです。いままで石油は安すぎたとも言えます。石油の値段があがれば、今後は石油の採掘技術も多少コスト高でも、新しい技術を使って眠っていた石油を掘り起こすことになるかも知れません。
そうなれば、石油の可採年限だって、「採掘技術」によって40年が80年にも100年にも伸びます。
電気が高値になれば、スマートグリッドのような送電・配電部分における効率化だって進むでしょう。そうなれば、結果的に石油の使用可能年限はもっと伸びるということにもなります。
そこに太陽光発電や風力発電による電気を足し上げ、生ゴミまで資源にできるような新しいバイオマスエタノールとか、同じ石油でより多くの発電ができるガスコンバインド発電、発電時の熱拡散まで取り込む地域発電のコジェネシステムによる効率化、リチウム電池やマグネシウム電池などによる蓄電技術の発展、完全にリサイクルできて太陽光エネルギーも利用できるマグネシウム発電の開発、あるいはオーランチオキトリウムなどの「石油をつくる藻」で原油そのものを生み出しても良いし、そういうものまで全部含めて、エネルギーのベストミックスを推進して、その技術交流・交換を平和外交の基軸にすれば、安全保障の部分でも世界から信頼を得ることができて、もう原発の出る幕はまったくないわけです。
で、多分、日本の技術力を考えれば、そういう「新しいエネルギー体系」に、積極的に、勇猛果敢に取り組んだ方が、原発を使っておびえながら生きるより、はるかに自分たちの才能を活かせて、成功の可能性も高いと思うのですね。
このあたりは、本当に重要だと思っていて、日本には、そういう新しいエネルギー体系に貢献する技術が山のように眠っているんです。石油を効率的に使う石油精製技術も高いし(アメリカはそれが弱い。)、風力発電の風車は海外から購入することが多いらしいのですが、でも、あの大きな羽根を作るための金型技術は、日本ならではであったりするんです。
とにかく新しいエネルギーと、それを効率的に使う技術は、日本はとても優れている。そこを震災復興のテコにするのが一番いいし、そのためには「原発は不要」と正しく知って、上記の(1)(2)(3)の理由を全部駆逐していかないといけないんですね。
で、政府はまだまだそういう新しい方向に舵を切っていませんが、意外にも各種経済雑誌などは「脱原発」を大きく掲げはじめています。
「おおー」と感心するんですが、これは多分、フクシマがいまも問題を出し続けていて、いっこうに終息しないからでしょうね。
長く同じ問題に、しつこく取り組めば、おのずから解決策は集約されていくわけで、たぶんフクシマが問題を出し続ける限り、我々は「脱原発」の意志を忘れずにいれます。フクシマがあるからこそ、真剣に「脱原発を基軸とした新しいエネルギー体系」を、日本人は探り続けることになるのだ、と僕は思っております。
ですから、よその国がどうだとか、そういう理由で原発を擁護するような人は完全にパーです。話にも何もなりません。
じゃあ、なぜ日本で原発が必要と言われてきたかというと、理由は大きく3つではないでしょうか。
●(1)安全保障上の理由→独立国家として原爆をすぐに作れるようにする。
●(2)資源のない国として核燃料サイクルを開発していく。
●(3)経済成長の発展のために、無尽蔵のエネルギーが必要である。
ようは、この3つの理由が「地震大国」であるにもかかわらず原発を推進させてきた理由だったわけです。
で、この理由3つがあったが故に、なかなか原発はなくならなかったんですね。で、実際、僕自身、上の理由の(1)安全保障上の理由という意味で、どうにも原発を否定できなかったんです。
「原爆をすぐに作れる状態にしておく」というのは、表だった理由にはなってませんが、原発推進における理由のひとつとしては必ず考えておかなければならない点ですし、実際スリーマイル以降、海外に原発を売ることもできなくなったアメリカで、それでも原発が利用されてきたのは、安全保障上の意味もあると、冷静に考えられた結果なのだそうです。
で、僕は最近、この安全保障の考え方自体が枠組みから変わってきているなと感じてきたので、明確な「脱原発派」に立場を変えたんですね。いままでは消極的反対派というやつでした。
この(1)の理由は、後述しますが、とにかく、2011年の現代においては、上記の3つの理由ともに説得力を失っているなぁというのが、いま脱原発が叫ばれる大きな背景になってきていると僕は思っています。
(3)から説明していくと、いまやもう高度経済成長の時代ではない、ということですね。何より、人口構成比から考えても、この20年や30年は人口の総量がうなぎのぼりに大きくなるということはないわけです。子供を産める人の数が減ってるわけですから。
だから、もともと、そんなに大量のエネルギーが必要なわけではない。
なにより、戦後の高度成長時代のように「今年より来年、そして10年後、必ず大量のエネルギーが必要になる」というような、切迫したエネルギー需要自体が存在してないわけです。
ここのところが、まず何より、大きな「原発不要」の世論につながるわけです。このあたりは、元原発の設計者もやっておられた大前研一さんですら、原発を止めて行くしかないですねという意見にさせている大きな理由です。ようするに実用上の一番大きな理由がない。
で、(2)の核サイクル開発の話は、これはもう30年研究に予算も時間もかけてきて、1ワットの電力供給もできていない、というのがすべてでしょう。すでに核開発の積極国であるフランスでさえ、高速増殖炉の開発はやめてたはずです。
僕は数年前に高速増殖炉の開発をフランスがやめたと言う話を聞いて「あー、おそらく原発は、今後はもう生き残れなくなるなぁ」と感じたんですね。使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムを取り出してまた燃やすのが高速増殖炉で、それによって1000年でも2000年でもエネルギーがまかなえる、というのが「核燃料サイクル」の夢の構想であって、この構想が崩れてしまったら、原発なんて可採年限87年だったかの「天然資源の乱獲エネルギー」でしかないわけですよ。石油の可採年限40年前後というのと、さして変わらないわけです。
(他の国はすでに原発は核燃料サイクルを考えに入れない「使い切り資源」と認めた上で原発を扱ってますが、日本はいまだに核燃料サイクルの開発をやめてません。これは即刻やめるべきだと僕は思います。金もかかりすぎるし、なによりナトリウムで炉を冷やすとか、あぶなくてしょうがない。やめてくれ、そんなもの。)
ですから、原発を続ける3つの理由、
(1)安全保障
(2)核燃料サイクル開発
(3)高度経済成長
のうち、(2)と(3)は、すでに破綻してると思うんですね。
だから、いま「原発は必要だ」と言っている人の大半は、安全保障上の観点から言ってる(政府の人間とか、よく事情を知ってる人は、という意味です。)のだろうと僕は思っています。ただ、それは日本ではおおっぴらに言えないから「必要だ」だけで終わってるんでしょうけども。(こういう本当のところを言えないというのが、日本という国の幼いところなんだと思いますが。)
あとは、そういう「安全保障上必要だと思うけど、はっきり言えないから、電力不足ということにしておこう」というような言い換えを、そのまま鵜呑みにして「やっぱり原発は必要だ」と言ってるアホか、ですね。
実際、プルサーマルなんて、日本があまりにプルトニウムの保有量が多くて、原爆を作ろうとしているのではないのか? という疑惑を払拭するために行われているだけの、アホな政策なんですから。プルトニウムをウランと混ぜて燃やしても、ウランからまたプルトニウムが出来るのだし、プルトニウム自体は減りません。危険度の高いプルトニウムを混ぜて燃やすMOX燃料なんて、ほんとうにただ危ないだけですしね。
だから問題は(1)の安全保障の問題だけって事になるわけですが、ここがいま、まさに変わりつつあると僕は感じてきてるわけです。
だいたい、まず、原発=安全保障という構図は、米ソの冷戦構造に則った仕組みであり、その構図が壊れたときにすべての政策を見直すべきだった、という意見を言う方がおられまして、それがひとつの大きな見方だろうと思います。
石油の取り合いという構図があって、冷戦構造があって、そのなかで原爆を持つ事で優位性を保ちながら国際政治を有利に持って行こうという意図ですね。
これが冷戦が終わって、意味をなさなくなったわけです。少なくとも日本以外では、冷戦が終わった途端に、核の問題は「拡散」の問題に変わりましたから。すでに本当は、この時点で日本の政治は世界についていけていなかった、ということでもあるわけですが。
で、現実を見てみると、日本の隣の中国は、すでに陸・海・空とも、武力自体で見てみれば、日本を越えてるんですね。アメリカも越えてる。だから、原爆だけ持っても、もう多分あまり意味がない。安全保障上は、アメリカの核の傘の中に入っておくというのが現実的選択として賢いとも言えます。
で、もっと言うと、別に中国の核の傘の中に入ってもかまわないわけです。どっちでもいいんです。なんでかというと、いまや、すでに「核の傘」という安全保障の考え方自体がゆっくりと力を失って行ってると感じるからです。
多分、すでに地球は、安全保障の問題を「武力」ではなくて「情報」で考えないといけない段階に入ってるんだと思うんですね。ウィキリークスの登場もそうだし、ジャスミン革命・エジプト革命がツイッターやフェイスブックによって起こったと言うことを見ても明らかです。もう、武力で脅す時代は終わりつつある、という気がするんです。
このあたりの時代の変化があるから、僕は(1)の原発の安全保障の意味を「それほど有用かつ重要だろうか?」と疑問視するようになってきたんです。
それよりも、今後40年なり50年なりの国際社会の事を考えれば、太陽光発電や風力発電、あるいはバイオマスやらコジェネシステム、それからスマートグリッドやら電気自動車などやらの節電的利用技術などなどを積極的に開発して、それを平和外交の道具として使っていく方が、はるかに安全保障にも効果的という気がするわけです。とくにモノづくりが得意な日本においては、その方がはるかに現実的で、達成可能で、なにより危険が少ない。
この「武力でなく平和外交で安全保障を」という考え方は、たぶんインターネットが普及する前は、それこそ絵に描いた餅という側面が大きかったと思うのですね。しかし、いまはもう時代が違うと思います。
たとえば太陽光発電において「地球の昼間側の地域から夜側の地域に電気を供給する」というやり方が考案されてますが、これは国境を越えた電力供給の安定手法で、夢物語のようにも思えますが、やってやれない事ではないし、それが実現すれば地球の多様な国がそれぞれに相互依存するので、安全保障上も非常に効果が高い。決して夢物語ではないわけです。とくにインターネットがあれば、ほとんどリアルタイムに近い形でやりとりもできるわけですから、実現できない方法ではないんですね。昔だとちょっと難しかったでしょうけど。
で、「フクシマ」以降、世界は、大きくはそっちの方に動かざるを得ないのだと思うのです。
原発は危険だということで、今後は天然ガスや石油の需要が高まるでしょう。そして石油の値段があがる。
でも、それは必然的に、「新しいエネルギー技術の必要度が増す」ということでもあるんです。いままで石油は安すぎたとも言えます。石油の値段があがれば、今後は石油の採掘技術も多少コスト高でも、新しい技術を使って眠っていた石油を掘り起こすことになるかも知れません。
そうなれば、石油の可採年限だって、「採掘技術」によって40年が80年にも100年にも伸びます。
電気が高値になれば、スマートグリッドのような送電・配電部分における効率化だって進むでしょう。そうなれば、結果的に石油の使用可能年限はもっと伸びるということにもなります。
そこに太陽光発電や風力発電による電気を足し上げ、生ゴミまで資源にできるような新しいバイオマスエタノールとか、同じ石油でより多くの発電ができるガスコンバインド発電、発電時の熱拡散まで取り込む地域発電のコジェネシステムによる効率化、リチウム電池やマグネシウム電池などによる蓄電技術の発展、完全にリサイクルできて太陽光エネルギーも利用できるマグネシウム発電の開発、あるいはオーランチオキトリウムなどの「石油をつくる藻」で原油そのものを生み出しても良いし、そういうものまで全部含めて、エネルギーのベストミックスを推進して、その技術交流・交換を平和外交の基軸にすれば、安全保障の部分でも世界から信頼を得ることができて、もう原発の出る幕はまったくないわけです。
で、多分、日本の技術力を考えれば、そういう「新しいエネルギー体系」に、積極的に、勇猛果敢に取り組んだ方が、原発を使っておびえながら生きるより、はるかに自分たちの才能を活かせて、成功の可能性も高いと思うのですね。
このあたりは、本当に重要だと思っていて、日本には、そういう新しいエネルギー体系に貢献する技術が山のように眠っているんです。石油を効率的に使う石油精製技術も高いし(アメリカはそれが弱い。)、風力発電の風車は海外から購入することが多いらしいのですが、でも、あの大きな羽根を作るための金型技術は、日本ならではであったりするんです。
とにかく新しいエネルギーと、それを効率的に使う技術は、日本はとても優れている。そこを震災復興のテコにするのが一番いいし、そのためには「原発は不要」と正しく知って、上記の(1)(2)(3)の理由を全部駆逐していかないといけないんですね。
で、政府はまだまだそういう新しい方向に舵を切っていませんが、意外にも各種経済雑誌などは「脱原発」を大きく掲げはじめています。
「おおー」と感心するんですが、これは多分、フクシマがいまも問題を出し続けていて、いっこうに終息しないからでしょうね。
長く同じ問題に、しつこく取り組めば、おのずから解決策は集約されていくわけで、たぶんフクシマが問題を出し続ける限り、我々は「脱原発」の意志を忘れずにいれます。フクシマがあるからこそ、真剣に「脱原発を基軸とした新しいエネルギー体系」を、日本人は探り続けることになるのだ、と僕は思っております。
真の東電救済策とは何か。
2011年5月13日コメント (1)東電の立場になってあげましょう。
「利益率は3.5%」に決まってるんです。
そら、何より、どんどん発電所を作って(必要以上に。いくらでも。)そこに3.5%の利益を上乗せしないと、自分の子ども達を良い学校にやることもできないわけです。
そら「新しい原発を建てたい」とも思いますわな。
100万キロワットの火力発電所が3000億円で、同じ出力の原発が4500億円なら、同じ利益率ならコストアップした方が儲かる。だから原発を建てたいわけです。
だから、本当の東電救済策とは、
●本物のちゃんとした企業になってもらう
ことですよ。
そのためには、
●電気料金は一切上げずに、電気供給量を確保する。
事を企業使命とすることです。
で、その実現のためには、3.5%の利益率制限はとっぱらってもいい。
そうしたらどうなるか?
同じ電気を供給するのに「どれだけコストを下げられるか?」に組織の目的が変わります。
そうなれば、送電網で発熱ロスなんてしたら、自分たちの儲けにならないから、必要とされる場所で発電を行うコジェネなんかにどんどん力を入れるようになります。
自然エネルギーも燃料費がゼロなんですから、どんどんやるようになるはずです。どこの地方自治体よりも先んじて「うちがやらねば、儲けが増えない!」と必死になって開発するでしょう。
だから、本当に東電を救済したいなら、3.5%の制限をとっぱらった上で、
●電気料金の値上げは一切認めない
ということです。
で、どうしても「赤字」になった時だけ、国が補填してやればいい。
それが筋でしょう。
とにかく、東電という会社、というか、電力会社はすべて「コストを抑えれば、それが自分たちの利益につながる」という、世間一般の基礎ルールを、一切学ぶことなく、戦後の日本で組織を生きながらえさせてきたわけです。
その「3.5%固定」の根本ルールこそが諸悪の根源なのであって、そこを変えない限り、東電だって救われない。狂ったルールの狂った頭で、世間からの厳しい批判を浴びるばかりです。
そういう事をやっていても意味はない。
ここは、福島瑞穂が言うように、はっきりと「政治の出番」なのです。
電気事業法や電源三法などの、法律そのものを根底から書き換えなければ、賠償スキームなど考えられるはずもないのです。
でも、最悪なことに、いま、日本の首相は、歴代最低の「アホ首相」なんですよ。ここが痛い。かなり痛い。相当に痛い。とんでもなく痛い。
いったい、「従来のエネルギー計画を白紙から見直す」「自然エネルギーを推進する」と言った次の日に、「従来組織のあり方にのっとった賠償スキーム」を発表するバカがいるでしょうか?
「これからは東に進んでいくぞ!」と言った次の日に、「西に向かって全速力!」という命令を出すという、根本的なハチャメチャぶり。
で、しかも、自分たちがそういうハチャメチャをやっているのだ、という自覚すらないわけです。
あー、やれやれ。
どうしてこうなった。
こんな首相を選んだ国民がバカなのだ。
いやー、私も国民なんですがね。
あー、忸怩たる思いがあります。
やれやれ。
「利益率は3.5%」に決まってるんです。
そら、何より、どんどん発電所を作って(必要以上に。いくらでも。)そこに3.5%の利益を上乗せしないと、自分の子ども達を良い学校にやることもできないわけです。
そら「新しい原発を建てたい」とも思いますわな。
100万キロワットの火力発電所が3000億円で、同じ出力の原発が4500億円なら、同じ利益率ならコストアップした方が儲かる。だから原発を建てたいわけです。
だから、本当の東電救済策とは、
●本物のちゃんとした企業になってもらう
ことですよ。
そのためには、
●電気料金は一切上げずに、電気供給量を確保する。
事を企業使命とすることです。
で、その実現のためには、3.5%の利益率制限はとっぱらってもいい。
そうしたらどうなるか?
同じ電気を供給するのに「どれだけコストを下げられるか?」に組織の目的が変わります。
そうなれば、送電網で発熱ロスなんてしたら、自分たちの儲けにならないから、必要とされる場所で発電を行うコジェネなんかにどんどん力を入れるようになります。
自然エネルギーも燃料費がゼロなんですから、どんどんやるようになるはずです。どこの地方自治体よりも先んじて「うちがやらねば、儲けが増えない!」と必死になって開発するでしょう。
だから、本当に東電を救済したいなら、3.5%の制限をとっぱらった上で、
●電気料金の値上げは一切認めない
ということです。
で、どうしても「赤字」になった時だけ、国が補填してやればいい。
それが筋でしょう。
とにかく、東電という会社、というか、電力会社はすべて「コストを抑えれば、それが自分たちの利益につながる」という、世間一般の基礎ルールを、一切学ぶことなく、戦後の日本で組織を生きながらえさせてきたわけです。
その「3.5%固定」の根本ルールこそが諸悪の根源なのであって、そこを変えない限り、東電だって救われない。狂ったルールの狂った頭で、世間からの厳しい批判を浴びるばかりです。
そういう事をやっていても意味はない。
ここは、福島瑞穂が言うように、はっきりと「政治の出番」なのです。
電気事業法や電源三法などの、法律そのものを根底から書き換えなければ、賠償スキームなど考えられるはずもないのです。
でも、最悪なことに、いま、日本の首相は、歴代最低の「アホ首相」なんですよ。ここが痛い。かなり痛い。相当に痛い。とんでもなく痛い。
いったい、「従来のエネルギー計画を白紙から見直す」「自然エネルギーを推進する」と言った次の日に、「従来組織のあり方にのっとった賠償スキーム」を発表するバカがいるでしょうか?
「これからは東に進んでいくぞ!」と言った次の日に、「西に向かって全速力!」という命令を出すという、根本的なハチャメチャぶり。
で、しかも、自分たちがそういうハチャメチャをやっているのだ、という自覚すらないわけです。
あー、やれやれ。
どうしてこうなった。
こんな首相を選んだ国民がバカなのだ。
いやー、私も国民なんですがね。
あー、忸怩たる思いがあります。
やれやれ。
震災の被災者救済の第二次予算案も決まってないうちに、東電の救済策は5兆円と決まってる。
なんでやねん!
こういうところがどうしようもないよなぁ。
アメリカ国債を担保に、まず100兆円くらい震災・復興計画で予算をどうにかしろっちゅうに。増税とかアホな話を言うとるし。
東電の処理にしても、まずは資産売却は送電網の国への売却と、それによる送電・発電の分離が、まず大前提やと思うが、そういう話は全然出ない。
発電、送電の分離なくしてエネルギー政策の見直しなどあり得ない。
電気事業法の見直しをして、統括原価方式を考え直さないと原発漬けの国策転換もできるわけがない。
そこをやらずして何も変わりはしないよ。
ほんまに、なんでやねんと思う。
なんでやねん!
こういうところがどうしようもないよなぁ。
アメリカ国債を担保に、まず100兆円くらい震災・復興計画で予算をどうにかしろっちゅうに。増税とかアホな話を言うとるし。
東電の処理にしても、まずは資産売却は送電網の国への売却と、それによる送電・発電の分離が、まず大前提やと思うが、そういう話は全然出ない。
発電、送電の分離なくしてエネルギー政策の見直しなどあり得ない。
電気事業法の見直しをして、統括原価方式を考え直さないと原発漬けの国策転換もできるわけがない。
そこをやらずして何も変わりはしないよ。
ほんまに、なんでやねんと思う。
軽薄なジャーナリストにはなりたくない。
2011年5月12日忌野清志郎の 「軽薄なジャーナリストにはなりたくない」
http://www.youtube.com/watch?v=m3gNOh4-Sh4
これはすごいですなー。問題の本質を、一番よく分かってた人だったんだと、いま改めて知りました。
反原発の歌はいくつか知ってますが、ちょっと僕にはしっくりこなかったんですよ。
でも、これはすごい。昨日、この歌の存在を知って、びっくらこいた。
情報の重要性をよく分かってる。
当時より、いまの方が「軽薄なジャーナリスト」は激増してますからなぁ。
清志郎さんは、自転車乗りという点でも尊敬できますしなぁ。
いやぁ、すごいわ。
http://www.youtube.com/watch?v=m3gNOh4-Sh4
これはすごいですなー。問題の本質を、一番よく分かってた人だったんだと、いま改めて知りました。
反原発の歌はいくつか知ってますが、ちょっと僕にはしっくりこなかったんですよ。
でも、これはすごい。昨日、この歌の存在を知って、びっくらこいた。
情報の重要性をよく分かってる。
当時より、いまの方が「軽薄なジャーナリスト」は激増してますからなぁ。
清志郎さんは、自転車乗りという点でも尊敬できますしなぁ。
いやぁ、すごいわ。
あー、長々書いたけど、操作ミスで消えてしまったわ。
やれやれ。
思い出すのも大変なので、ポイントだけかいつまんで書きます。
震災後に原発の事しか書いてない人は、結局自分が可愛いだけなんだよなぁと、すごく反省してるんです、って事です。
いま本当に大変なのは、被災地の方々。それをよく考えようってことです。
で、もうひとつどうしても考えないといけないのは、原発問題は「地域格差」の問題そのものだってことですね。
福島の人たちの犠牲の上に、都市部の人間の自堕落な生活は成り立っているんです。電力三法による交付金の事を考えてもそれは明らかと。金だけ渡していてどうにかなるものではない。
そういうことですね。
で、自然エネルギーというのは、地方の風や光を「地方の生産物」として出せるから地方経済にとっても良いのだ、ということです。交付税漬けは結局、産業が興りませんでした。原発も雇用力は低い。
でも自然エネルギーは、海外から買っていた燃料を、地方の風や光に置き換えると言うことだから、地方も潤うんです。
で、そのためには「余った電力を買う」仕組みが必要で、そのためには電力会社の「送電と発電の分離」がどうしても必要です。
ほかにもいろいろ書いたんですけど、
●石油は化石燃料で、限りある資源だ。
と言うこと自体、「ほんまか?」と考え直すべきでしょうね。
「石油を生み出す藻」である、
オーランチオキトリウム
なんていうのも発見されてますから。
この藻による石油(炭化水素:重油に近いもの)生産プールを、塩害に悩む東北沿岸部に作ろう!と言う話もあるんですよね。
これなら交付金のような一時的な施策ではなく、継続的な収入源、雇用の創出につながるんですよ。
こういうところから、ちゃんと見直さないといけない。
やはり、3月11日から、もう時代は「世界的に変わった」と言うしかないんだと思います。
福島原発だって、工程表通りに作業が進んでも1年以上の時間がかかるし。
「人の噂も75日」とかいいますけど、もうすでに60日たってるのに、全然福島原発は収束していない。
プルトニウムの半減期は二万四千年でしたっけ?
そういう期間、この問題は尾を引き続けるわけです。ずーっと考え続けないとしょうがない。忘れたくても忘れられない。ずーっと続く。
そういう時代の中で、昨日と同じ日常は続かないと見た方がいいのだと思います。
菅首相の浜岡停止にせよ、原子力政策の見直しにしろ、当人は政権にしがみつくためのパフォーマンス的に、場当たりにやってるに過ぎないだろうと僕は思うんですよ。最近は小沢さんも菅批判を正面から口にするようになったし。
でもそれは、もう「世界の趨勢」なんだとも思います。
「世界の中の日本」であって、日本だけでごちゃごちゃできる状態ではないですからね。
「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」ですよ。それが世界の目でしょう。
だから、とにかく転換を言うしかない。
で、首相が一度言ったら、この言葉は大きいんです。事は動く。いくらその場限りのつもりでも、世間の声が大きく変わりますから。
この間も、たまたま2ちゃんねるを見てたら菅総理の「浜岡停止」に関するスレッドがすごく面白かった。
知識のない、バカな、情弱人間は、だいたい何故浜岡を停めるのか、その意味がわかってないんですね。だから、いつものように「アホ菅がまた、わけのわからない事を言い出したぞ! 事故を起こしてるのは福島だろうが! 浜岡は関係ないじゃないか!」とか騒ぐわけです。
しかし、物事をわかってる人間は「おお、やっと菅がまともな事をした」と書き込む。すると、アホが「へ? なんで?」とあっけにとられてるわけです。
だって、昨日まで「なんでもいいから菅の事を悪く言ってうっぷんばらしをするのだ」という程度の相手としか思ってなかった菅首相が、なぜか浜岡に関しては、かなりの人が「やっとまともな事をした」とか言ってるわけです。情弱には意味がわからない。
で、優しい人が教えてあげるわけですわ。「いや、あそこは地震が起きやすい場所で危ないから、一刻も早く停めなきゃいけなかったんだよ。」とかね。
で、そういう事が起きているというのが面白い。
で、またバカが「そんなことしたら電気が足りなくて困るじゃん」とか言う。
するとまた、よく分かってる人が「足りるよ。休眠してる火力発電所なんて山ほどあるんだから」という解説をしてるわけです。
で、実際、浜岡は数日で停止です。
で、いま、日本にある54基の原発中41基が停止中なわけです。
で? 何が問題? 数日で停止できるんよ? 「電力量が…」とか言ってるけど、そんなもんはポーズです。
原発などいらなかった。
ということが、事実としてわかっちゃった。
浜岡停めるのに数日ですよ。
電力の需給計画を立て直すとか、そういう作業もない。停めても別に問題はない。
問題は原発由来でない電気を売ると、電力会社が儲からなくて赤字になっちゃう、ということなわけ。それだけ。
そのあたりは電気事業法の見直しをやればいいでしょう。そういう別問題です。
ともあれ、
浜岡は「停めろ」と言われて、数日で停められた
わけです。それが日本全国にさらされた。原発なくてもオーケーやんか、ということが白日の下に晒されていくわけです。
今度は夏のピークでしょう。
これも、電力会社の料金体系の問題でしかないということは、すぐに明らかになります。
こんなもんね、もともと電気というのは、蓄電がほとんどできないので「需要の瞬間風速」が、いくら大きくなるか?の問題でしかないんですよ。
「電力が足りなくなる」というのは「瞬間風速が××を越えます」と言ってるのと同じ事です。
でしょ?
越えなきゃいいんですよ。
そんなもん。
だから、いま大丈夫なら、まぁ明日も大丈夫なんですって。
だいたい、「電力が足りなくなる」危険があるのは、「夏のピーク」だけなんですよ。その時の瞬間風速だけが問題なんです。
年間365日×24時間=8760時間ですが、その8760時間のうち、「夏のピーク」と呼ばれているのはたったの10時間程度なんですよ。
そこが乗り切れるかどうか、だけです。
しかも、そのピークというのは、
(1)夏の
(2)晴天の日の
(3)平日で
(4)気温が31度を超える日の
(5)午後2時から3時
と決まってるんです。
台風みたいにいつやってくるかわからないものではない。
対策なんか、いくらでも取れる。
一番簡単なのは、上の5条件にあてあはまる時は電気料金を3倍にします、とかやればいいんです。それも法人向けだけに対して。
いまの日本でもっとも電気を使ってるのは企業です。それが夏のピーク時に一斉に操業してるから、電力量がはねあがるんです。
これがみんな朝から操業して、昼休みを2時からに変更したらどうなるか? あっという間にピークの解消が達成されるんです。
それだけのことです。
だいたい、「電力が足りなくなる!」という考え方自体が、電力会社の「演出」なんだから。
「夏のピークに電気が足りなくなる!」とさんざん言っておきながら、企業には「大口需要家には割引します」という、とんでもない料金体系を作っていて、電気ジャボジャボ使いたい放題システムにしてるのが、いまの電力会社の経営スタイルですから。
電気をたくさん使ってもらえば、夏のピークが発生して「電気が足りない」という幻想が発生して、それで「原発を作る」理由が作れるわけです。
だって利益率3.5%なのよ? 電力会社の人間が良い暮らしをするためには、3000億の火力より、4500億の原発を建てなきゃだめなのよ。生活が破綻しちゃうわ、っちゅう話でしかないのだから。
同じ原油、というかLNGを使って倍の電気を作れるガスコンバイン発電所も、効率はいいけど、建設費が従来の火力発電所と同等か、あるいは、その半額で作れてしまうのだけれど、それでは電力会社の利益率3.5%の中では利益が半分以下に落ちるからダメなのよ。
という話でしょうが。
原発なんか、はなからいらんのです。
でも、そういう知識も、情弱には通用しないわけです。テレビや新聞の悪辣な洗脳に染まってるから。
ここが問題。
バカは勉強しないから。
で、福島とか東北の被災地の人まで救える方法はないか?とか考えないから。
「大丈夫だ」って言っても、信用しない。都市伝説のたぐいとか思ってる。いや、それ、お前が勉強せんからアカンのやけど? って思うんですが、これが勉強しない奴はどこまで行っても勉強しませんからな。
かくいう私も原発に関しては「核燃料サイクルは破綻してるし、どこかで破綻するよ。」と思って勉強を止めてたところがあって、今回、ものすごく反省したんですけど。
でも、菅が「停めてくれ」と言って、それで数日で止まって、それで生活に支障を来さなくなると、「ありゃ、なんじゃこりゃ」ということになる。
いくら情弱でも、「原発、やっぱりいらんのと違うん?」という話になってくる。
ここが大事。
実際に電気は足りてるんやから。
それがはっきりとわかる。
ほかにもエネルギーとしてのマグネシウムの話とか、石油の有効利用のために電気自動車がいかに重要であるかとか、石油の可採年数の話とか、いろいろ書きたい事はあるんですが、またにします。
とにかく、
●原子力なんかなくても、問題はない。
ということであります。
はい。
やれやれ。
思い出すのも大変なので、ポイントだけかいつまんで書きます。
震災後に原発の事しか書いてない人は、結局自分が可愛いだけなんだよなぁと、すごく反省してるんです、って事です。
いま本当に大変なのは、被災地の方々。それをよく考えようってことです。
で、もうひとつどうしても考えないといけないのは、原発問題は「地域格差」の問題そのものだってことですね。
福島の人たちの犠牲の上に、都市部の人間の自堕落な生活は成り立っているんです。電力三法による交付金の事を考えてもそれは明らかと。金だけ渡していてどうにかなるものではない。
そういうことですね。
で、自然エネルギーというのは、地方の風や光を「地方の生産物」として出せるから地方経済にとっても良いのだ、ということです。交付税漬けは結局、産業が興りませんでした。原発も雇用力は低い。
でも自然エネルギーは、海外から買っていた燃料を、地方の風や光に置き換えると言うことだから、地方も潤うんです。
で、そのためには「余った電力を買う」仕組みが必要で、そのためには電力会社の「送電と発電の分離」がどうしても必要です。
ほかにもいろいろ書いたんですけど、
●石油は化石燃料で、限りある資源だ。
と言うこと自体、「ほんまか?」と考え直すべきでしょうね。
「石油を生み出す藻」である、
オーランチオキトリウム
なんていうのも発見されてますから。
この藻による石油(炭化水素:重油に近いもの)生産プールを、塩害に悩む東北沿岸部に作ろう!と言う話もあるんですよね。
これなら交付金のような一時的な施策ではなく、継続的な収入源、雇用の創出につながるんですよ。
こういうところから、ちゃんと見直さないといけない。
やはり、3月11日から、もう時代は「世界的に変わった」と言うしかないんだと思います。
福島原発だって、工程表通りに作業が進んでも1年以上の時間がかかるし。
「人の噂も75日」とかいいますけど、もうすでに60日たってるのに、全然福島原発は収束していない。
プルトニウムの半減期は二万四千年でしたっけ?
そういう期間、この問題は尾を引き続けるわけです。ずーっと考え続けないとしょうがない。忘れたくても忘れられない。ずーっと続く。
そういう時代の中で、昨日と同じ日常は続かないと見た方がいいのだと思います。
菅首相の浜岡停止にせよ、原子力政策の見直しにしろ、当人は政権にしがみつくためのパフォーマンス的に、場当たりにやってるに過ぎないだろうと僕は思うんですよ。最近は小沢さんも菅批判を正面から口にするようになったし。
でもそれは、もう「世界の趨勢」なんだとも思います。
「世界の中の日本」であって、日本だけでごちゃごちゃできる状態ではないですからね。
「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」ですよ。それが世界の目でしょう。
だから、とにかく転換を言うしかない。
で、首相が一度言ったら、この言葉は大きいんです。事は動く。いくらその場限りのつもりでも、世間の声が大きく変わりますから。
この間も、たまたま2ちゃんねるを見てたら菅総理の「浜岡停止」に関するスレッドがすごく面白かった。
知識のない、バカな、情弱人間は、だいたい何故浜岡を停めるのか、その意味がわかってないんですね。だから、いつものように「アホ菅がまた、わけのわからない事を言い出したぞ! 事故を起こしてるのは福島だろうが! 浜岡は関係ないじゃないか!」とか騒ぐわけです。
しかし、物事をわかってる人間は「おお、やっと菅がまともな事をした」と書き込む。すると、アホが「へ? なんで?」とあっけにとられてるわけです。
だって、昨日まで「なんでもいいから菅の事を悪く言ってうっぷんばらしをするのだ」という程度の相手としか思ってなかった菅首相が、なぜか浜岡に関しては、かなりの人が「やっとまともな事をした」とか言ってるわけです。情弱には意味がわからない。
で、優しい人が教えてあげるわけですわ。「いや、あそこは地震が起きやすい場所で危ないから、一刻も早く停めなきゃいけなかったんだよ。」とかね。
で、そういう事が起きているというのが面白い。
で、またバカが「そんなことしたら電気が足りなくて困るじゃん」とか言う。
するとまた、よく分かってる人が「足りるよ。休眠してる火力発電所なんて山ほどあるんだから」という解説をしてるわけです。
で、実際、浜岡は数日で停止です。
で、いま、日本にある54基の原発中41基が停止中なわけです。
で? 何が問題? 数日で停止できるんよ? 「電力量が…」とか言ってるけど、そんなもんはポーズです。
原発などいらなかった。
ということが、事実としてわかっちゃった。
浜岡停めるのに数日ですよ。
電力の需給計画を立て直すとか、そういう作業もない。停めても別に問題はない。
問題は原発由来でない電気を売ると、電力会社が儲からなくて赤字になっちゃう、ということなわけ。それだけ。
そのあたりは電気事業法の見直しをやればいいでしょう。そういう別問題です。
ともあれ、
浜岡は「停めろ」と言われて、数日で停められた
わけです。それが日本全国にさらされた。原発なくてもオーケーやんか、ということが白日の下に晒されていくわけです。
今度は夏のピークでしょう。
これも、電力会社の料金体系の問題でしかないということは、すぐに明らかになります。
こんなもんね、もともと電気というのは、蓄電がほとんどできないので「需要の瞬間風速」が、いくら大きくなるか?の問題でしかないんですよ。
「電力が足りなくなる」というのは「瞬間風速が××を越えます」と言ってるのと同じ事です。
でしょ?
越えなきゃいいんですよ。
そんなもん。
だから、いま大丈夫なら、まぁ明日も大丈夫なんですって。
だいたい、「電力が足りなくなる」危険があるのは、「夏のピーク」だけなんですよ。その時の瞬間風速だけが問題なんです。
年間365日×24時間=8760時間ですが、その8760時間のうち、「夏のピーク」と呼ばれているのはたったの10時間程度なんですよ。
そこが乗り切れるかどうか、だけです。
しかも、そのピークというのは、
(1)夏の
(2)晴天の日の
(3)平日で
(4)気温が31度を超える日の
(5)午後2時から3時
と決まってるんです。
台風みたいにいつやってくるかわからないものではない。
対策なんか、いくらでも取れる。
一番簡単なのは、上の5条件にあてあはまる時は電気料金を3倍にします、とかやればいいんです。それも法人向けだけに対して。
いまの日本でもっとも電気を使ってるのは企業です。それが夏のピーク時に一斉に操業してるから、電力量がはねあがるんです。
これがみんな朝から操業して、昼休みを2時からに変更したらどうなるか? あっという間にピークの解消が達成されるんです。
それだけのことです。
だいたい、「電力が足りなくなる!」という考え方自体が、電力会社の「演出」なんだから。
「夏のピークに電気が足りなくなる!」とさんざん言っておきながら、企業には「大口需要家には割引します」という、とんでもない料金体系を作っていて、電気ジャボジャボ使いたい放題システムにしてるのが、いまの電力会社の経営スタイルですから。
電気をたくさん使ってもらえば、夏のピークが発生して「電気が足りない」という幻想が発生して、それで「原発を作る」理由が作れるわけです。
だって利益率3.5%なのよ? 電力会社の人間が良い暮らしをするためには、3000億の火力より、4500億の原発を建てなきゃだめなのよ。生活が破綻しちゃうわ、っちゅう話でしかないのだから。
同じ原油、というかLNGを使って倍の電気を作れるガスコンバイン発電所も、効率はいいけど、建設費が従来の火力発電所と同等か、あるいは、その半額で作れてしまうのだけれど、それでは電力会社の利益率3.5%の中では利益が半分以下に落ちるからダメなのよ。
という話でしょうが。
原発なんか、はなからいらんのです。
でも、そういう知識も、情弱には通用しないわけです。テレビや新聞の悪辣な洗脳に染まってるから。
ここが問題。
バカは勉強しないから。
で、福島とか東北の被災地の人まで救える方法はないか?とか考えないから。
「大丈夫だ」って言っても、信用しない。都市伝説のたぐいとか思ってる。いや、それ、お前が勉強せんからアカンのやけど? って思うんですが、これが勉強しない奴はどこまで行っても勉強しませんからな。
かくいう私も原発に関しては「核燃料サイクルは破綻してるし、どこかで破綻するよ。」と思って勉強を止めてたところがあって、今回、ものすごく反省したんですけど。
でも、菅が「停めてくれ」と言って、それで数日で止まって、それで生活に支障を来さなくなると、「ありゃ、なんじゃこりゃ」ということになる。
いくら情弱でも、「原発、やっぱりいらんのと違うん?」という話になってくる。
ここが大事。
実際に電気は足りてるんやから。
それがはっきりとわかる。
ほかにもエネルギーとしてのマグネシウムの話とか、石油の有効利用のために電気自動車がいかに重要であるかとか、石油の可採年数の話とか、いろいろ書きたい事はあるんですが、またにします。
とにかく、
●原子力なんかなくても、問題はない。
ということであります。
はい。
菅総理の浜岡原発停止要請は、何はともあれ、評価します。
2011年5月7日 ■時事 コメント (1)あのアホ菅のことだから、国民の人気取りだ、という事はよーくわかってるんですが、それでも、危ないものは危ない。
だから、浜岡原発停止要請に関しては、いちおう、「素晴らしい。画期的判断だ。」という評価にしておきます。
人気取りであろうが、選挙対策であろうが、唐突すぎるやり方だろうが、問題点には全部目をつぶってでも、「国民の安心・安全」を優先するという事には、それだけの意義があると僕は思います。
本来なら、福島の原発事故を受けて、ドイツのように「40年で原発ゼロを目指し自然エネルギー開発に集中します。」というような、大きなグランドデザインを提出した上で、個別案件としての原発の停止と、その優先順位などを出す、というのが、本来のあり方で、代替エネルギー開発による経済効果などの良い面のアピールと平行して「原発の停止」などをやっていかねば説得力に欠けるところはあるのです。
でも、それでも、稚拙でもいい。拙速でもいい。とにかく「国民の安心・安全」を優先したことは高く評価しておきたいです。
菅はアホやからこそできたんかも知れませんしな。
いや、はっきり言って「要請」ってなんやねん、弱腰な、なんで「命令」とちゃうねん、とか、「ほんまにもう、なんでこんなに中途半端で思いつきの、行き当たりばったりのやり方でやるかなぁ」とあきれてしまうんですが、それでも、アホでも「安心・安全の優先」をやった事に関しては、正しく評価しなければいけない。
●経済政策より、まずは「命の安全」が優先する。
という事を、はっきりさせないといけないのです。
●命の次に大事なカネの話。
であって、
●命より大事なカネの話。
なんてものはないのです。
そういう話をしている奴は、やはり蔑まれてしまうのですよ。
だから、菅総理の停止要請は、背景もなければ背骨もない、ふにゃふにゃの頼りない決断ではあるけれども、「それこそが国民の望んでいる事である!」と、国民の側から「良いことをされました」と評価してあげなければならないのです。
そうやって評価してやらないと、本当に、せっかくの「要請」を、地元や経済界が受け入れないとかいうアホな話にもなりかねない。だって菅はアホやから、そこまで根回しした上でやってる事ではないですから。
だから国民が支えてやらんとアカンのです。
●浜岡停止は素晴らしいぞー
と大きく叫ばなければなりません。
とくに浜岡原発は、「停めても電力不足におちいらない」原発の代表選手ですからな。そういう意味では停めた方が良い原発のシンボルとしての意味が大きい。
今回の菅総理の要請を社民党の福島瑞穂は、画期的な決断として高く評価してますが、それはそういう意味なんですよ。とにかく安全の側にスイッチを入れたのだ、ということが大事で、稚拙で拙速すぎるやり方ではあるけども、そこは割り引いて評価しないといけないと思います。
こういう話が出てきてはじめて、国民的論議になって、ここから、
●原発は停止しても大丈夫なんだ。
という事実をはじめて知る人も多いと思うんですね。
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
という、発電設備の現実を、まず国民みんなが知らないといけないのです。そこをみんなが知らないから「原発は必要なんじゃないの?」という話に揺り戻しが出てしまうわけです。
ですから、繰り返し書きますけど、
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
という事を、もっと一般の人は、それこそ床屋談義ででも、どんどん話題として出すべきなんです。すべてはまずそこからでしょう。
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
という事です。
どうせついでなので、もう一回強調しておきましょう。
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
んですよ。
もちろん、補助金で食べてた地域の人たちの生活をどう担保していくのか、とか、「火力と推力だけでまかなえるのに、なんで原発みたいな危ないものを何十基も作ってたの?」という国民の側の疑問とかは、残るんでしょうが、とにかくそれは後から対処する、という事で良いのです。
人間が生きて、死なずにいてれば、論議する機会もあります。
しかし、地震で原発が破壊されて命の不安にさらされたら、その論議や議論をしている余裕もなくなってしまう。
そういう事を、福島の原発事故で、我々は学んだのではないですかね?
というか、それを学ばなければ、いったい何を学ぶのでしょうか。
●命の危険にさらされていたら、まともな論議もできない。
のです。
だから、とりあえず「浜岡停止は素晴らしいぞー」とだけは言っておきます。
というか、言わないと、わかってない人から、いろいろ反発の声が出るのですよ。
で、重要な事をひとつ書いておくと、実は浜岡に関しては原子力保安院は「安全対策をキチンと取ってから運転せよ」となっていて、実は本来稼働できる状態じゃないんですよね。保安院の認可が下りてないのに、勝手に動かしている状態になってるんです。
だから、その意味では即時停止して当然の状態なんです。
で、逆に福島の方は、40年という使用期限を過ぎてるのに、稼働していて、その認可を保安院は去年出してるんですよね。
ですから、この保安院の責任は、かなり重い。
であるのに、命令系統が正しく機能していないのではないか? という問題もあるわけです。仮に「原発は必要だ」という立場の人間であっても、この保安院の責任については徹底追求すべき課題ですから、そこは明確にしないといけないですよね。
●浜岡は、保安院からの許可を無視して稼働させている原発だ。
と言うことも、この際、正しく認識しましょう。
電力不足の話に関しては、新たな電力供給の考え方がいくつもあるのに、そのそれぞれがキチンと国民的な論議の対象にすらなってなくて、それゆえに「市場」が形成されないのが一番の問題なんだ、ということも、この際、不勉強な人には知ってもらいたいです。
国民の側がキチンと勉強しないと、安心・安全をカネで買われてしまって、フクシマみたいなことになるんだ、と言うことを、正しく認識すべきですね。
火力と水力だけでまかなえる、という話は、あくまで既存の発電所の余力の問題だけですが、これからは「新規に建てる発電所は、どんなものにするか」という議論も必要で、そこについては、広瀬正さんあたりはガスコンバインド発電所を推してるわけです。
これは従来の火力発電所を、より効率化させた設備で、エネルギー効率自体がとても高いわけです。そのくせ、建設費用は原発の半分程度で良いのだそうです。
すばらしい! と思うのが普通ですが、電気事業法で「利益率3.5%」と定められている電力会社にしたら、「えーーー!建設費用が半分というこをは上乗せできる利益も半分になってしまうじゃないですか。それは我々の生活をおびやかすことだから嫌です」という話になってしまって、「そんなものよりコストの高い原発にしましょう。その方が利益がたくさん出るから」という話になって、「それより新規原発を!」てな判断になっちゃうんですよね。
だから、本来は電気事業法の見直しも必要だし、いろいろ考えないといけないんですけどね。でも、ともかくそういう法的な事情も、この際キチンと国民の側が学習していかないといけません。
自然エネルギーに関しても、たとえば太陽光発電というのは、国民のひとりひとりが「発電主」になるわけで、電力会社にしてみれば、そこから電気を買い取らねばならないわけです。
でも、発電と送電が一体化してる会社としては、いわば個人発電主は、商売敵ですからな、そら自然エネルギーの事をよく言うわけがないのですよ。必ず「自然エネルギーは不安定だから良くない」とか言います。
いやいや、それは電力会社が発電も送電も独占していて、自然な送発分離の形になってないから、そう言うだけでしょ? ということも、我々国民の側が勉強しないといけません。
テレビはおおむね電力会社寄りの意見しか出さないので、テレビでは自然エネルギーは必ず「不安定なエネルギー」という偏見付きでしか紹介されないわけですよ。
まぁ、ライオン提供の「いただきます(古い!)」とか「ごきげんよう」で、出演者が花王の石けんの話や化粧品の話をしないのと同じで、電力会社にとっては、太陽光や風力は「競合他社」なわけです。だから、テレビや新聞で、まともに自然エネルギーの話なんか出てこないのです。
そういう事も国民は、正しく認識すべきですしね。
自然エネルギーが安定しない、というのは、本来送電・配電が電気を買って、安定させるのが仕事なわけです。自然エネルギーも数が増えればある程度の安定感は出てくるはずなのですよ。そんなの当然じゃないですか。でも、それを電力会社がやってないわけです。
特に、風力と太陽光なら補完しあう関係にもなるはずだから(天気が良い時は太陽電池は強く、天気が悪い時は風力が強い)、上記のガスコンバインド発電所と組み合わせれば、かなり現実的な電力供給の見込みも立つはずです。
とくに電気の地産地消化を進めれば、電気を使う場所で電気を起こすわけですから、送電線から熱となって逃げていく電気というのが節約できます。原発は一基作って大量の電力を地域全体に配る、というやり方ですから、電線の上で熱となってムダがやたらと増えるのですよ。
でも、自然エネルギーを使った電力供給などという事をすると、電気事業法で利益率3.5%と定められていて、送電と発電が一体化している電力会社は「発電所を新規に作るコスト分」の上乗せができなくなるわけですよ。
儲からない。
社員がまともな暮らしを維持できなくなる。
だから、「自然エネルギーは不安定だからダメ」という宣伝をするわけです。
良いですか? 利益は3.5%と決められていたら、ウランにしろ、石油にしろ、何かを「仕入れ」たら、その仕入れ値に応じて利益が取れるから、電力会社は儲かるわけです。
でも、太陽光発電や風力発電で、そんな「仕入れ」が発生しますか?
自然エネルギーでは、そんな「仕入れ」は発生しない。永遠に「燃料購入費」が発生しないのですよ。
燃料購入費が発生しないということは、そこに上乗せできる「利益」が発生しない、ということです。
だから、電力会社は「自然エネルギー」が嫌いなんですよ。
そこのところを、正しく正しく、国民の側が気づかないといけないですね。
他にもいろいろ国民の側が勉強しないといけない項目は多々ありますが、とにかく「民主主義」というのは、国民が主権者として判定・判断をする社会の事であって、それを維持するには「国民が勉強し続ける」というリスクを喜んで取っていくというスタンスが不可欠なんです。
ここのところは絶対に必要なことですから、みんなで頑張って勉強しましょう。
勉強しないということは、ヒトラーのような独裁者が出てきても、その善し悪しが判定できず、搾取されても気づけない、と言うことを示します。
そして、真の民主主義国家を目指すなら、僕だけが勉強しててもダメなんです。
これを読んでるあなた! あなたも勉強しなきゃ、ダメ。ヒトラーが出てきたときに気づけなくなりますよ!
ということです。
日本人は気づいてないですけど、まず欧米では、そういう「国民の義務としての勉強」を、国民が一人残らずとはいわないまでも、まぁ8割から9割の人がキチンとやってるそうです。
(だからこそ、新聞社などの「編集権の独立」がシステムとして守られているわけです。)
日本人は、そこがダメ。
何故勉強しなければいけないのかの、根本がわかっていない。
「カネより命が大切」と思うなら、キチンと勉強しないといけない。
そういうことです。
だから、とりあえずアホ菅の人気取り決定は、我々国民が勉強する良いきっかけとなります。
だから、勉強しましょう。
送電と発電の分離が何故必要なのか?
電気事業法とはどんなものなのか?
総括原価方式って何?
コジェネシステムって何?
電気自動車とガソリン自動車のエネルギー効率はどのくらい違うの?
などなど、エネルギーに関して学ぶべき事は山のようにあります。僕もまだまだ勉強の途中です。教えあって、学びあう気持ちを持つことが、「安心・安全」な環境を生み出すために、どうしても必要なことです。
勉強しましょう。
みんなで。
だから、浜岡原発停止要請に関しては、いちおう、「素晴らしい。画期的判断だ。」という評価にしておきます。
人気取りであろうが、選挙対策であろうが、唐突すぎるやり方だろうが、問題点には全部目をつぶってでも、「国民の安心・安全」を優先するという事には、それだけの意義があると僕は思います。
本来なら、福島の原発事故を受けて、ドイツのように「40年で原発ゼロを目指し自然エネルギー開発に集中します。」というような、大きなグランドデザインを提出した上で、個別案件としての原発の停止と、その優先順位などを出す、というのが、本来のあり方で、代替エネルギー開発による経済効果などの良い面のアピールと平行して「原発の停止」などをやっていかねば説得力に欠けるところはあるのです。
でも、それでも、稚拙でもいい。拙速でもいい。とにかく「国民の安心・安全」を優先したことは高く評価しておきたいです。
菅はアホやからこそできたんかも知れませんしな。
いや、はっきり言って「要請」ってなんやねん、弱腰な、なんで「命令」とちゃうねん、とか、「ほんまにもう、なんでこんなに中途半端で思いつきの、行き当たりばったりのやり方でやるかなぁ」とあきれてしまうんですが、それでも、アホでも「安心・安全の優先」をやった事に関しては、正しく評価しなければいけない。
●経済政策より、まずは「命の安全」が優先する。
という事を、はっきりさせないといけないのです。
●命の次に大事なカネの話。
であって、
●命より大事なカネの話。
なんてものはないのです。
そういう話をしている奴は、やはり蔑まれてしまうのですよ。
だから、菅総理の停止要請は、背景もなければ背骨もない、ふにゃふにゃの頼りない決断ではあるけれども、「それこそが国民の望んでいる事である!」と、国民の側から「良いことをされました」と評価してあげなければならないのです。
そうやって評価してやらないと、本当に、せっかくの「要請」を、地元や経済界が受け入れないとかいうアホな話にもなりかねない。だって菅はアホやから、そこまで根回しした上でやってる事ではないですから。
だから国民が支えてやらんとアカンのです。
●浜岡停止は素晴らしいぞー
と大きく叫ばなければなりません。
とくに浜岡原発は、「停めても電力不足におちいらない」原発の代表選手ですからな。そういう意味では停めた方が良い原発のシンボルとしての意味が大きい。
今回の菅総理の要請を社民党の福島瑞穂は、画期的な決断として高く評価してますが、それはそういう意味なんですよ。とにかく安全の側にスイッチを入れたのだ、ということが大事で、稚拙で拙速すぎるやり方ではあるけども、そこは割り引いて評価しないといけないと思います。
こういう話が出てきてはじめて、国民的論議になって、ここから、
●原発は停止しても大丈夫なんだ。
という事実をはじめて知る人も多いと思うんですね。
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
という、発電設備の現実を、まず国民みんなが知らないといけないのです。そこをみんなが知らないから「原発は必要なんじゃないの?」という話に揺り戻しが出てしまうわけです。
ですから、繰り返し書きますけど、
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
という事を、もっと一般の人は、それこそ床屋談義ででも、どんどん話題として出すべきなんです。すべてはまずそこからでしょう。
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
という事です。
どうせついでなので、もう一回強調しておきましょう。
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
んですよ。
もちろん、補助金で食べてた地域の人たちの生活をどう担保していくのか、とか、「火力と推力だけでまかなえるのに、なんで原発みたいな危ないものを何十基も作ってたの?」という国民の側の疑問とかは、残るんでしょうが、とにかくそれは後から対処する、という事で良いのです。
人間が生きて、死なずにいてれば、論議する機会もあります。
しかし、地震で原発が破壊されて命の不安にさらされたら、その論議や議論をしている余裕もなくなってしまう。
そういう事を、福島の原発事故で、我々は学んだのではないですかね?
というか、それを学ばなければ、いったい何を学ぶのでしょうか。
●命の危険にさらされていたら、まともな論議もできない。
のです。
だから、とりあえず「浜岡停止は素晴らしいぞー」とだけは言っておきます。
というか、言わないと、わかってない人から、いろいろ反発の声が出るのですよ。
で、重要な事をひとつ書いておくと、実は浜岡に関しては原子力保安院は「安全対策をキチンと取ってから運転せよ」となっていて、実は本来稼働できる状態じゃないんですよね。保安院の認可が下りてないのに、勝手に動かしている状態になってるんです。
だから、その意味では即時停止して当然の状態なんです。
で、逆に福島の方は、40年という使用期限を過ぎてるのに、稼働していて、その認可を保安院は去年出してるんですよね。
ですから、この保安院の責任は、かなり重い。
であるのに、命令系統が正しく機能していないのではないか? という問題もあるわけです。仮に「原発は必要だ」という立場の人間であっても、この保安院の責任については徹底追求すべき課題ですから、そこは明確にしないといけないですよね。
●浜岡は、保安院からの許可を無視して稼働させている原発だ。
と言うことも、この際、正しく認識しましょう。
電力不足の話に関しては、新たな電力供給の考え方がいくつもあるのに、そのそれぞれがキチンと国民的な論議の対象にすらなってなくて、それゆえに「市場」が形成されないのが一番の問題なんだ、ということも、この際、不勉強な人には知ってもらいたいです。
国民の側がキチンと勉強しないと、安心・安全をカネで買われてしまって、フクシマみたいなことになるんだ、と言うことを、正しく認識すべきですね。
火力と水力だけでまかなえる、という話は、あくまで既存の発電所の余力の問題だけですが、これからは「新規に建てる発電所は、どんなものにするか」という議論も必要で、そこについては、広瀬正さんあたりはガスコンバインド発電所を推してるわけです。
これは従来の火力発電所を、より効率化させた設備で、エネルギー効率自体がとても高いわけです。そのくせ、建設費用は原発の半分程度で良いのだそうです。
すばらしい! と思うのが普通ですが、電気事業法で「利益率3.5%」と定められている電力会社にしたら、「えーーー!建設費用が半分というこをは上乗せできる利益も半分になってしまうじゃないですか。それは我々の生活をおびやかすことだから嫌です」という話になってしまって、「そんなものよりコストの高い原発にしましょう。その方が利益がたくさん出るから」という話になって、「それより新規原発を!」てな判断になっちゃうんですよね。
だから、本来は電気事業法の見直しも必要だし、いろいろ考えないといけないんですけどね。でも、ともかくそういう法的な事情も、この際キチンと国民の側が学習していかないといけません。
自然エネルギーに関しても、たとえば太陽光発電というのは、国民のひとりひとりが「発電主」になるわけで、電力会社にしてみれば、そこから電気を買い取らねばならないわけです。
でも、発電と送電が一体化してる会社としては、いわば個人発電主は、商売敵ですからな、そら自然エネルギーの事をよく言うわけがないのですよ。必ず「自然エネルギーは不安定だから良くない」とか言います。
いやいや、それは電力会社が発電も送電も独占していて、自然な送発分離の形になってないから、そう言うだけでしょ? ということも、我々国民の側が勉強しないといけません。
テレビはおおむね電力会社寄りの意見しか出さないので、テレビでは自然エネルギーは必ず「不安定なエネルギー」という偏見付きでしか紹介されないわけですよ。
まぁ、ライオン提供の「いただきます(古い!)」とか「ごきげんよう」で、出演者が花王の石けんの話や化粧品の話をしないのと同じで、電力会社にとっては、太陽光や風力は「競合他社」なわけです。だから、テレビや新聞で、まともに自然エネルギーの話なんか出てこないのです。
そういう事も国民は、正しく認識すべきですしね。
自然エネルギーが安定しない、というのは、本来送電・配電が電気を買って、安定させるのが仕事なわけです。自然エネルギーも数が増えればある程度の安定感は出てくるはずなのですよ。そんなの当然じゃないですか。でも、それを電力会社がやってないわけです。
特に、風力と太陽光なら補完しあう関係にもなるはずだから(天気が良い時は太陽電池は強く、天気が悪い時は風力が強い)、上記のガスコンバインド発電所と組み合わせれば、かなり現実的な電力供給の見込みも立つはずです。
とくに電気の地産地消化を進めれば、電気を使う場所で電気を起こすわけですから、送電線から熱となって逃げていく電気というのが節約できます。原発は一基作って大量の電力を地域全体に配る、というやり方ですから、電線の上で熱となってムダがやたらと増えるのですよ。
でも、自然エネルギーを使った電力供給などという事をすると、電気事業法で利益率3.5%と定められていて、送電と発電が一体化している電力会社は「発電所を新規に作るコスト分」の上乗せができなくなるわけですよ。
儲からない。
社員がまともな暮らしを維持できなくなる。
だから、「自然エネルギーは不安定だからダメ」という宣伝をするわけです。
良いですか? 利益は3.5%と決められていたら、ウランにしろ、石油にしろ、何かを「仕入れ」たら、その仕入れ値に応じて利益が取れるから、電力会社は儲かるわけです。
でも、太陽光発電や風力発電で、そんな「仕入れ」が発生しますか?
自然エネルギーでは、そんな「仕入れ」は発生しない。永遠に「燃料購入費」が発生しないのですよ。
燃料購入費が発生しないということは、そこに上乗せできる「利益」が発生しない、ということです。
だから、電力会社は「自然エネルギー」が嫌いなんですよ。
そこのところを、正しく正しく、国民の側が気づかないといけないですね。
他にもいろいろ国民の側が勉強しないといけない項目は多々ありますが、とにかく「民主主義」というのは、国民が主権者として判定・判断をする社会の事であって、それを維持するには「国民が勉強し続ける」というリスクを喜んで取っていくというスタンスが不可欠なんです。
ここのところは絶対に必要なことですから、みんなで頑張って勉強しましょう。
勉強しないということは、ヒトラーのような独裁者が出てきても、その善し悪しが判定できず、搾取されても気づけない、と言うことを示します。
そして、真の民主主義国家を目指すなら、僕だけが勉強しててもダメなんです。
これを読んでるあなた! あなたも勉強しなきゃ、ダメ。ヒトラーが出てきたときに気づけなくなりますよ!
ということです。
日本人は気づいてないですけど、まず欧米では、そういう「国民の義務としての勉強」を、国民が一人残らずとはいわないまでも、まぁ8割から9割の人がキチンとやってるそうです。
(だからこそ、新聞社などの「編集権の独立」がシステムとして守られているわけです。)
日本人は、そこがダメ。
何故勉強しなければいけないのかの、根本がわかっていない。
「カネより命が大切」と思うなら、キチンと勉強しないといけない。
そういうことです。
だから、とりあえずアホ菅の人気取り決定は、我々国民が勉強する良いきっかけとなります。
だから、勉強しましょう。
送電と発電の分離が何故必要なのか?
電気事業法とはどんなものなのか?
総括原価方式って何?
コジェネシステムって何?
電気自動車とガソリン自動車のエネルギー効率はどのくらい違うの?
などなど、エネルギーに関して学ぶべき事は山のようにあります。僕もまだまだ勉強の途中です。教えあって、学びあう気持ちを持つことが、「安心・安全」な環境を生み出すために、どうしても必要なことです。
勉強しましょう。
みんなで。
原発の事なら、河野太郎と福島瑞穂をまず追いかけよう。
2011年4月24日 ■時事 コメント (2)原発に関しては、このひと月、いろいろ勉強してきました。
あまりに無関心なままであった自分を反省。国民として情けない。
えっ? と驚くような話もいくつもありましたが、全部本当でした。
●原子力がなくても火力だけで日本の電気はまかなえる。
●日本の電気は世界に比べて割高。(しかも燃料の処理などの価格はこれから上乗せ。)
●世界は自然エネルギーの流れ。
●海外では20年前後で自然エネルギー100%を目指すという話も出ている。
●洋上風力発電をやれば東電の一年分の発電量がまかなえるという試算も。
●日本の自然エネルギーの技術は世界一。
●しかし、自然エネルギーの市場はまったく育たず。
●なぜなら、電力会社が自然エネルギーの電気を買わないから。
●電力会社が自然エネルギーを買わないのは、自分たちが儲からないから。
●電力会社は利益率3.5%と電気事業法で定められているのでコストが上がったほうが得。
●一基3000億の火力では105億しか利益が取れない。原発は4500億で157億の利益。
ということなんですね。
本質はそういうことなんです。
だから、こんな事故があっても新規原発の計画が廃案にもならない。「また動かしたい」と言っている。それは単に法律の縛りから言うと、電力会社が稼ぐ方法は「よりコストのかかる仕組みで電気を作る」しか方法がないからなんです。そうしないと、自分たちの生活が破綻するわけです。
この利益3.5%を上乗せする方法を、「統括原価」というそうです。詳しく知りたい方は「統括原価」のキーワードで検索してください。なんで東電が、この期に及んでいまだに新規に原発を作ろうとするのかがさっぱりわからなかったのですが、この「統括原価」のことが分かって、「こらあかん」と思いました。「統括原価」こそが諸悪の根源だと僕は思います。
ですから、解決方法としては、電気事業法の改正を行うより他に手はないはずです。
だからこれは「政治」の問題で、「政治」が国民の意見を集約して国を動かさねばなりません。
それしか方法はないんです。
(本当は核エネルギーサイクル開発からの撤退ということを政府方針として閣議決定しないとアカンと思うのですが、それはまぁ付随問題ということにしておきます。)
国は、この期に及んで、いまだに復興財源をどうするかとか馬鹿なことを言ってます。そんなもの建設国債でも特別国債でもなんでもいいから、さっさと国民から借金して、困っている人たちを早急に救うことが最優先であるのに、何を馬鹿な論議をしているのか、ということです。
(復興増税などキチガイの言説です。頭がおかしい。国家予算の割付構造の事しか考えてなくて、経済の仕組みがまったくわかってない馬鹿の発言です。)
でも、政治家が国民不在の論議をしているのは、われわれが政治家に正しく意見を伝えていないからだ、という事もいえます。
表題の河野太郎は、自民党の政治家で、あの河野洋平の息子ですが、自民党の政治家なのに骨の髄から反原発という人です。
この人の意見がとにかくよろしい。
まず、このブログを読んでください。
●救済されるべきは東電ではない
http://bit.ly/f5L1I3
東京電力は賠償の金を電気料金に上乗せしようとしているが、それは駄目。まず自分たちが持っている資産などを全部吐き出してから考えろ、と言っていて、これは正論だと思います。(正論ではあるけど、現実的落としどころは、またちょっと違うのかも、ですが。でも、まずは正論を通さないとグダグダになるのです。)
で、送電網を国に売れ、と言っている。そうして実質的に送電と発電の分離を行う、という手順の提案です。これも非常に正しいと僕は思います。
日本の高い技術を、自然エネルギーに振り向けるには、国内に自然エネルギーの「市場」ができないと駄目なんです。そのためには送電網が一企業の独占物ではなくて、広く国民全部に開かれていないと駄目です。
なぜなら、たとえば太陽電池を家庭で導入するときには、あなたが作った電気を売る先がないとメリットが出てこないからです。
このあたりは電気の固定料金買い取り制度(これが日本版のフィードインタリフだったんですねぇ。知らなかった。でも率とかが悪いと思うけど。)というのはできてますが、どうも電力会社による買取は任意らしいのですな。話にならん。
だから、こういう話にならない事を、どうすれば実現できるのか?
という話になって、その点でも河野太郎は正しい事を言っております。
●声を上げますか、それとも泣き寝入りですか
http://bit.ly/eYGjHG
のブログで書いてるんですが、「とにかく、あなたの地域にいてる参議院や衆議院の議員に個人として意見を言いに行け」と言ってるんですね。
デモをするのも悪くないが、まず国会議員に直接文句を言えと。
それも、自分が住んでいる地域の議員に言えと。
そうか!その方法があったか!
なんで気づかなかったのか!
という気分です。
僕も民主党本部などにはメールで文句を送りつけたりしていたのですが、(当然本名で。本名でないと軽く扱われて効果が薄い。)直接議員に言う方が、そりゃ効果は高いわなと。
で、これはもう国家存亡の危機なんですから、民主党であろうが自民党であろうが社民党であろうが、なんでもかまわん。
とにかく衆議院や参議院で議決する、一票を持っている議員に直接文句を言うというのが、一番正しいし、効果も高いと思います。
反原発デモが東京中で起きているというのに、東電から広告費をもらっているマスコミは全然それを報道しません。だからマスコミに頼っていては結果が出ないわけです。
だからまず国民が動く。直接政治家に意見を言う。
これが正しいですわな。
ずっとどうしたらよいのか分からなかったのですが、これはかなり効果的な方法です。
いま、上記の河野太郎さんのブログは通常の4倍のアクセスで閲覧が進んでいるそうです。分かっている人は、着実に情報を得ています。このあたりtwitterの威力ですわね。僕もこういう情報はtwitterで得ております。
(twitterをこれからはじめようと言う人は、とにかくフォロー数を増やしてください。世間の風がどう吹いているのかを知る、くらいのつもりで、最低100人です。この最低100人の壁を越えないと、まともに情報が入ってきません。僕で現在1000人くらいです。)
まぁ、なかなか政治家の事務所まで出かけていって、話をするというところまではできないかも知れませんが、政治家にメールで意見を言うというくらいなら、まずはできると思うのでやってみようと思ってます。これは僕もいままでにも何度かやってます。内容によりますが、かなり批判的なことを書いて送っても、時間がかかっても返事をくれたりします。個人対個人という事になりますから。文句を言って「ぷい」と横を向いて返事もしないというような、お子ちゃまは政治家にはなれないでしょうし。なんだかんだ言っても、政治家になる、というような人は偉いのです。責任、という事をわきまえているのです。
(わきまえていない議員は落としてやればよろしい。このあたりが役人とは違うのです。政治家は落とされるのがいやだから、国民の意見をキチンと聞くのです。そこを正しく認識しましょう。)
それから、表題で書きました福島瑞穂がけっこうがんばっています。
識者との対談とかやってます。
さすがは反原発の社民党ですね。こういうときは頼りになる。
いまの民主党は民社党出身議員も多くて電力会社とはもともとズブズブなわけですから、もともとかなり原発問題には大鉈を振るうことができない体質なわけです。
だからこそ、たとえ民社党であっても議員に直接文句を言うというのが効果が高いわけです。それも地元の声として出すのがよい。
ご近所の人たちと意見をまとめて持っていければ一番なんでしょう。
「とにかくもう原発はいりません」という事を言わないと駄目なんです。
で、まずそういう人たちはマスメディアに洗脳されていて「え? 原発がないと今の暮らしが支えられないんでしょ?」とか言うに決まってるんですが、そうじゃないんですよ。休眠している火力発電所を全部動かしたら、とりあえず日本の電気は全部まかなえるんです。
で、自然エネルギーもかなり可能性が高くて、しかも、その導入や開発などをすれば、日本経済が上を向く可能性もかなり高いんですよ。
で、そういう話を福島瑞穂はこつこつと教えてくれてるわけです。
以下の動画を見てみましょう。
(お急ぎの方は「対談1」だけでよいです。)
●福島みずほ対談1 田中優さん「原発に頼らない社会へ」
http://www.youtube.com/watch?v=KhEEwZ7xKyE
●福島みずほ対談2 飯田哲也さん「中央集権から地方分権型へ」
http://www.youtube.com/watch?v=57R64qe1nwI&feature=relmfu
●福島みずほ対談3 西尾獏さん「自然エネルギーへの転換を」
http://www.youtube.com/watch?v=Dhqi5BxqVYE&feature=relmfu
●福島みずほ対談4 ドイツの脱原発・自然エネルギーの現状
http://www.youtube.com/watch?v=-3frIrHKwes&feature=relmfu
あと、「火力発電所だけで電力はまかなえる」という話に関しては、やはり小出先生のグラフが一番わかりやすいので、それもリンクしておきます。
■原発なしでも電力は足りてる 小出裕章
http://www.tweetbuzz.jp/entry/37024539/www.youtube.com/watch?v=PLJVLul6Wz0
「よくわからんわ」という人は、まず、こういう基本情報をしっかりと頭に叩き込んでおかねばなりません。そうしないとマスコミの洗脳攻勢にあっという間にやられてしまいます。味方と思ってた人が腰砕けになるとかするわけです。そういう効果をこそ、きゃつらは狙ってるわけですから、そういう地盤固めをしておかないといけません。
なにより僕自身が「原発がないとやっていけないんでしょ?」と思わされてきてましたから、よほど注意して「それは違うのだ」ということを理解しておかないと、本当に足元をすくわれると思います。
実際、こういう恥さらしな特集もあるわけです。
●原子力発電の代替エネルギーは何か
「空想エネルギー論」を蔓延させないための本質的コスト論
石井 彰
http://cmad.nikkeibp.co.jp/bin/checker?mode=4&mo=11&m=100016&d=0&e=0&s=0&c=&et=20110422040000&q=140362&o=23&url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110413/219422/
この特集のサブタイトルになっている「空想エネルギー論」の「空想」というのは自然エネルギーのことを指しています。なんちゅうか、実にいやらしいタイトルのつけ方ですが、原発は核エネルギーサイクルと一体化してはじめて安くて長く使えるエネルギー源になるわけで、高速増殖炉の稼動すらまともにできていない原発こそが「空想エネルギー論なのだ」という視点が、この特集にはまったくないわけですよ。本当に馬鹿そのものです。
でも、こういう特集を日経ビジネスという雑誌が、上下にわけて大キャンペーンを打つわけです。経団連とずぶずぶなんやろなぁ、ということで、この記事は本当にひどいと思いました。
まぁ、とにかく、いくらデモをやっても、マスコミが取り上げないというのは、どうしようもない最悪状態です。電力会社に買収されてるわけです。
だいたい「ぽぽぽぽーん」のACだって、役員は電力会社の人間ばっかりですから。
マスコミはもう、本当に全然役に立たないのです。
前の戦争の時に日本全体を戦争に駆り立てたのもマスコミですから。
そこのところを忘れずにおきましょう。
いまだと「増税」と「TPP」ですかね。前者は役人のためのもの。後者はアメリカのためのもの。そういう利益団体に政治家が操られているわけです。
だから、キチンと情報を得て、政治家に直接かけあう、ということをしなければなりません。毎日顔を洗ったり、布団をあげたり、ゴミ出ししたりするのと同じことです。そういう感覚で「わしはこれは嫌」という事を政治家に言っておくということをしないといけない。役人もアメリカ高官も、それをしてるわけです。で、我々国民がそれをしないから、役人天国、アメリカの言いなりになってしまうわけですから。
ずっといろいろ調べていて、どうしたらいいのかよく分からなくて、ずっと考えていたのですが、この河野太郎さんの呼びかけが、もっとも現実的かつ正しい方法だと思いました。
みなさんも、地域の国会議員にいろいろと意見を言いましょう。まず人間対人間として、真摯に接するということをしないと駄目なんだと思います。
結局はそういうことが力を持つのだと思います。
書かねば、書かねばと思いつつ、でも具体的な行動策がわからなくて書けないままだったのですが、河野太郎さんの書き込みを見て、「そうか!」と思い立ち、あわてて、書きました。
ようは、もう行動するときだ、ということですね。
少なくとも僕は国会議員あてにメールは送ります。議員事務所に行くパワーのある人はぜひ行ってください。
(こういう事は、それぞれの人ができる範囲でできる範囲のことをすればいいんです。みんなが議員事務所に行く必要はないんです。だから「やってないから駄目だ」とかは言わないでください。1億円を出せる人は一人で一億円を出す。100円しか出せない人は仲間を募って100円を増やす。そのどちらも正しいのです。とにかく何らかのアクションを起こすこと。それしか言いようがありません。で、何もしないより、したほうがうんとよいのです。)
あまりに無関心なままであった自分を反省。国民として情けない。
えっ? と驚くような話もいくつもありましたが、全部本当でした。
●原子力がなくても火力だけで日本の電気はまかなえる。
●日本の電気は世界に比べて割高。(しかも燃料の処理などの価格はこれから上乗せ。)
●世界は自然エネルギーの流れ。
●海外では20年前後で自然エネルギー100%を目指すという話も出ている。
●洋上風力発電をやれば東電の一年分の発電量がまかなえるという試算も。
●日本の自然エネルギーの技術は世界一。
●しかし、自然エネルギーの市場はまったく育たず。
●なぜなら、電力会社が自然エネルギーの電気を買わないから。
●電力会社が自然エネルギーを買わないのは、自分たちが儲からないから。
●電力会社は利益率3.5%と電気事業法で定められているのでコストが上がったほうが得。
●一基3000億の火力では105億しか利益が取れない。原発は4500億で157億の利益。
ということなんですね。
本質はそういうことなんです。
だから、こんな事故があっても新規原発の計画が廃案にもならない。「また動かしたい」と言っている。それは単に法律の縛りから言うと、電力会社が稼ぐ方法は「よりコストのかかる仕組みで電気を作る」しか方法がないからなんです。そうしないと、自分たちの生活が破綻するわけです。
この利益3.5%を上乗せする方法を、「統括原価」というそうです。詳しく知りたい方は「統括原価」のキーワードで検索してください。なんで東電が、この期に及んでいまだに新規に原発を作ろうとするのかがさっぱりわからなかったのですが、この「統括原価」のことが分かって、「こらあかん」と思いました。「統括原価」こそが諸悪の根源だと僕は思います。
ですから、解決方法としては、電気事業法の改正を行うより他に手はないはずです。
だからこれは「政治」の問題で、「政治」が国民の意見を集約して国を動かさねばなりません。
それしか方法はないんです。
(本当は核エネルギーサイクル開発からの撤退ということを政府方針として閣議決定しないとアカンと思うのですが、それはまぁ付随問題ということにしておきます。)
国は、この期に及んで、いまだに復興財源をどうするかとか馬鹿なことを言ってます。そんなもの建設国債でも特別国債でもなんでもいいから、さっさと国民から借金して、困っている人たちを早急に救うことが最優先であるのに、何を馬鹿な論議をしているのか、ということです。
(復興増税などキチガイの言説です。頭がおかしい。国家予算の割付構造の事しか考えてなくて、経済の仕組みがまったくわかってない馬鹿の発言です。)
でも、政治家が国民不在の論議をしているのは、われわれが政治家に正しく意見を伝えていないからだ、という事もいえます。
表題の河野太郎は、自民党の政治家で、あの河野洋平の息子ですが、自民党の政治家なのに骨の髄から反原発という人です。
この人の意見がとにかくよろしい。
まず、このブログを読んでください。
●救済されるべきは東電ではない
http://bit.ly/f5L1I3
東京電力は賠償の金を電気料金に上乗せしようとしているが、それは駄目。まず自分たちが持っている資産などを全部吐き出してから考えろ、と言っていて、これは正論だと思います。(正論ではあるけど、現実的落としどころは、またちょっと違うのかも、ですが。でも、まずは正論を通さないとグダグダになるのです。)
で、送電網を国に売れ、と言っている。そうして実質的に送電と発電の分離を行う、という手順の提案です。これも非常に正しいと僕は思います。
日本の高い技術を、自然エネルギーに振り向けるには、国内に自然エネルギーの「市場」ができないと駄目なんです。そのためには送電網が一企業の独占物ではなくて、広く国民全部に開かれていないと駄目です。
なぜなら、たとえば太陽電池を家庭で導入するときには、あなたが作った電気を売る先がないとメリットが出てこないからです。
このあたりは電気の固定料金買い取り制度(これが日本版のフィードインタリフだったんですねぇ。知らなかった。でも率とかが悪いと思うけど。)というのはできてますが、どうも電力会社による買取は任意らしいのですな。話にならん。
だから、こういう話にならない事を、どうすれば実現できるのか?
という話になって、その点でも河野太郎は正しい事を言っております。
●声を上げますか、それとも泣き寝入りですか
http://bit.ly/eYGjHG
のブログで書いてるんですが、「とにかく、あなたの地域にいてる参議院や衆議院の議員に個人として意見を言いに行け」と言ってるんですね。
デモをするのも悪くないが、まず国会議員に直接文句を言えと。
それも、自分が住んでいる地域の議員に言えと。
そうか!その方法があったか!
なんで気づかなかったのか!
という気分です。
僕も民主党本部などにはメールで文句を送りつけたりしていたのですが、(当然本名で。本名でないと軽く扱われて効果が薄い。)直接議員に言う方が、そりゃ効果は高いわなと。
で、これはもう国家存亡の危機なんですから、民主党であろうが自民党であろうが社民党であろうが、なんでもかまわん。
とにかく衆議院や参議院で議決する、一票を持っている議員に直接文句を言うというのが、一番正しいし、効果も高いと思います。
反原発デモが東京中で起きているというのに、東電から広告費をもらっているマスコミは全然それを報道しません。だからマスコミに頼っていては結果が出ないわけです。
だからまず国民が動く。直接政治家に意見を言う。
これが正しいですわな。
ずっとどうしたらよいのか分からなかったのですが、これはかなり効果的な方法です。
いま、上記の河野太郎さんのブログは通常の4倍のアクセスで閲覧が進んでいるそうです。分かっている人は、着実に情報を得ています。このあたりtwitterの威力ですわね。僕もこういう情報はtwitterで得ております。
(twitterをこれからはじめようと言う人は、とにかくフォロー数を増やしてください。世間の風がどう吹いているのかを知る、くらいのつもりで、最低100人です。この最低100人の壁を越えないと、まともに情報が入ってきません。僕で現在1000人くらいです。)
まぁ、なかなか政治家の事務所まで出かけていって、話をするというところまではできないかも知れませんが、政治家にメールで意見を言うというくらいなら、まずはできると思うのでやってみようと思ってます。これは僕もいままでにも何度かやってます。内容によりますが、かなり批判的なことを書いて送っても、時間がかかっても返事をくれたりします。個人対個人という事になりますから。文句を言って「ぷい」と横を向いて返事もしないというような、お子ちゃまは政治家にはなれないでしょうし。なんだかんだ言っても、政治家になる、というような人は偉いのです。責任、という事をわきまえているのです。
(わきまえていない議員は落としてやればよろしい。このあたりが役人とは違うのです。政治家は落とされるのがいやだから、国民の意見をキチンと聞くのです。そこを正しく認識しましょう。)
それから、表題で書きました福島瑞穂がけっこうがんばっています。
識者との対談とかやってます。
さすがは反原発の社民党ですね。こういうときは頼りになる。
いまの民主党は民社党出身議員も多くて電力会社とはもともとズブズブなわけですから、もともとかなり原発問題には大鉈を振るうことができない体質なわけです。
だからこそ、たとえ民社党であっても議員に直接文句を言うというのが効果が高いわけです。それも地元の声として出すのがよい。
ご近所の人たちと意見をまとめて持っていければ一番なんでしょう。
「とにかくもう原発はいりません」という事を言わないと駄目なんです。
で、まずそういう人たちはマスメディアに洗脳されていて「え? 原発がないと今の暮らしが支えられないんでしょ?」とか言うに決まってるんですが、そうじゃないんですよ。休眠している火力発電所を全部動かしたら、とりあえず日本の電気は全部まかなえるんです。
で、自然エネルギーもかなり可能性が高くて、しかも、その導入や開発などをすれば、日本経済が上を向く可能性もかなり高いんですよ。
で、そういう話を福島瑞穂はこつこつと教えてくれてるわけです。
以下の動画を見てみましょう。
(お急ぎの方は「対談1」だけでよいです。)
●福島みずほ対談1 田中優さん「原発に頼らない社会へ」
http://www.youtube.com/watch?v=KhEEwZ7xKyE
●福島みずほ対談2 飯田哲也さん「中央集権から地方分権型へ」
http://www.youtube.com/watch?v=57R64qe1nwI&feature=relmfu
●福島みずほ対談3 西尾獏さん「自然エネルギーへの転換を」
http://www.youtube.com/watch?v=Dhqi5BxqVYE&feature=relmfu
●福島みずほ対談4 ドイツの脱原発・自然エネルギーの現状
http://www.youtube.com/watch?v=-3frIrHKwes&feature=relmfu
あと、「火力発電所だけで電力はまかなえる」という話に関しては、やはり小出先生のグラフが一番わかりやすいので、それもリンクしておきます。
■原発なしでも電力は足りてる 小出裕章
http://www.tweetbuzz.jp/entry/37024539/www.youtube.com/watch?v=PLJVLul6Wz0
「よくわからんわ」という人は、まず、こういう基本情報をしっかりと頭に叩き込んでおかねばなりません。そうしないとマスコミの洗脳攻勢にあっという間にやられてしまいます。味方と思ってた人が腰砕けになるとかするわけです。そういう効果をこそ、きゃつらは狙ってるわけですから、そういう地盤固めをしておかないといけません。
なにより僕自身が「原発がないとやっていけないんでしょ?」と思わされてきてましたから、よほど注意して「それは違うのだ」ということを理解しておかないと、本当に足元をすくわれると思います。
実際、こういう恥さらしな特集もあるわけです。
●原子力発電の代替エネルギーは何か
「空想エネルギー論」を蔓延させないための本質的コスト論
石井 彰
http://cmad.nikkeibp.co.jp/bin/checker?mode=4&mo=11&m=100016&d=0&e=0&s=0&c=&et=20110422040000&q=140362&o=23&url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110413/219422/
この特集のサブタイトルになっている「空想エネルギー論」の「空想」というのは自然エネルギーのことを指しています。なんちゅうか、実にいやらしいタイトルのつけ方ですが、原発は核エネルギーサイクルと一体化してはじめて安くて長く使えるエネルギー源になるわけで、高速増殖炉の稼動すらまともにできていない原発こそが「空想エネルギー論なのだ」という視点が、この特集にはまったくないわけですよ。本当に馬鹿そのものです。
でも、こういう特集を日経ビジネスという雑誌が、上下にわけて大キャンペーンを打つわけです。経団連とずぶずぶなんやろなぁ、ということで、この記事は本当にひどいと思いました。
まぁ、とにかく、いくらデモをやっても、マスコミが取り上げないというのは、どうしようもない最悪状態です。電力会社に買収されてるわけです。
だいたい「ぽぽぽぽーん」のACだって、役員は電力会社の人間ばっかりですから。
マスコミはもう、本当に全然役に立たないのです。
前の戦争の時に日本全体を戦争に駆り立てたのもマスコミですから。
そこのところを忘れずにおきましょう。
いまだと「増税」と「TPP」ですかね。前者は役人のためのもの。後者はアメリカのためのもの。そういう利益団体に政治家が操られているわけです。
だから、キチンと情報を得て、政治家に直接かけあう、ということをしなければなりません。毎日顔を洗ったり、布団をあげたり、ゴミ出ししたりするのと同じことです。そういう感覚で「わしはこれは嫌」という事を政治家に言っておくということをしないといけない。役人もアメリカ高官も、それをしてるわけです。で、我々国民がそれをしないから、役人天国、アメリカの言いなりになってしまうわけですから。
ずっといろいろ調べていて、どうしたらいいのかよく分からなくて、ずっと考えていたのですが、この河野太郎さんの呼びかけが、もっとも現実的かつ正しい方法だと思いました。
みなさんも、地域の国会議員にいろいろと意見を言いましょう。まず人間対人間として、真摯に接するということをしないと駄目なんだと思います。
結局はそういうことが力を持つのだと思います。
書かねば、書かねばと思いつつ、でも具体的な行動策がわからなくて書けないままだったのですが、河野太郎さんの書き込みを見て、「そうか!」と思い立ち、あわてて、書きました。
ようは、もう行動するときだ、ということですね。
少なくとも僕は国会議員あてにメールは送ります。議員事務所に行くパワーのある人はぜひ行ってください。
(こういう事は、それぞれの人ができる範囲でできる範囲のことをすればいいんです。みんなが議員事務所に行く必要はないんです。だから「やってないから駄目だ」とかは言わないでください。1億円を出せる人は一人で一億円を出す。100円しか出せない人は仲間を募って100円を増やす。そのどちらも正しいのです。とにかく何らかのアクションを起こすこと。それしか言いようがありません。で、何もしないより、したほうがうんとよいのです。)
阪神大震災で学んだ事は生きているのか。
2011年4月22日コメント (3)関西に住んでいると、震災と聞くと、どうしても阪神大震災のことを思い出してしまいます。
阪神大震災の時に学んだことはけっこう多いのです。でも、多分、関西の人間が学んだことを、東京や東北周辺の方達は、これから学んでいくということなんだろうなと思うので、自分にとっては復習というような事を少し書いてみたいと思います。
先の日記でも書きましたが、地震という災害は、どうしても地域災害なんです。阪神大震災が起きたとき、「こんな恐ろしい巨大地震が起きたということは、日本人みんなが共有していて当然なんだ」と無意識に思っていました。
しかし、それこそ思いこみなんですね。たった一週間です。たった一週間で関西地域と東京の温度差は出てきてしまいました。おそらく、東北と東京でも、その温度差はものすごく大きいだろうと思います。極端な話、「原発なんかどうでもいい。とにかく俺たちの暮らしをなんとかしてくれ」というのが本音になるんじゃないでしょうか。
実際、こういう意識の差は、被害を受けた地域でも大きく違うものなんです。阪神大震災の時は大阪と神戸だけでもかなりの温度差がありました。道路が寸断されているので、手助けに行こうと思っても簡単には行けず、逆に物見遊山で何かお手伝いができるものでもありませんから、大阪の人間はすぐに日常に戻るしかなかったんですね。
まぁせいぜい、地下鉄の階段なんかにひび割れができていて、そこから水漏れがあったりして、「ああ、地震があったんだなぁ」と思うくらいなんです。
いま、多分東北でも、津波に襲われた地域と、その被害を受けなかった地域との温度差はかなり大きいだろうと思います。
で、これが辛いのは、人間には日常生活というものがあって、その日常のくり返しを、やはりせねばならない、ということなんです。
ほんの数㎞、あるいは東北だったら数十メートルかも知れませんが、たったそれだけの距離で天国と地獄ほどの環境の違いがある。なんとかその差を埋めてあげたい。心からそう思うのですが、それでもあまりに差があって埋めようがないんですね。ほんとうにそういうとき、仕事をしている人間だと、何もできない。
阪神大震災の時は学生とか、若い人がこぞって被災地に入っていってくれました。だからそういう人を、何もできない僕なんかは言葉にはしないけれども、「僕の代わりに頑張ってくれ」という気持ちで応援していたわけです。
特に、いまのようにツイッターとかがなかったので、被災地の情報源はラジオくらいしかなく、関西の地元ラジオは力一杯そういう若い人をバックアップしていたと思います。FM放送もAM放送も一緒になって被災地情報を流していました。
今回、その阪神大震災でのボランティア経験がある田中康夫は、311が起きてすぐに、食料や毛布とともに、乾電池とラジオをセットにして、自衛隊のヘリから現地にばらまけ!と即座に提案したそうですが、どうも、そういう声が活かされなかったようです。それはとても残念です。
阪神大震災の時に比べて良かったなぁと思うのは、自衛隊が即座に動けたことでしょう。阪神大震災の時は、これができなかった。ボランティアより、消防より、自衛隊が強力です。彼らは道がなければ道を造るところからやりますから。本当にこういうときは頼りになる。ありがたいことだと思います。
で、話は戻ってボランティアですが、「がんばってくれよ」と思っていた若い人が被災地に入ってどうなったかというと、これが実は被災地の人とのコミュニケーションがうまくつながらないということがたくさんあったわけです。
ボランティアというのは、実は「余裕のある人」なんです。そして「良いことをしている」という意識のある人なんです。普通の環境でなら、余裕のある人が良いことをしているのは褒められる事ではあっても罵倒されることはありません。
でも、本当に被災した人は、「余裕のある奴が良い子チャンぶっている」ということにすごくイライラさせられたりするわけです。
だから、「なんだよ、お前らは。お前らにこの街を元に戻せるっていうのか」とか言う被災者の人もいたわけです。
そして、そういう反応や罵倒を聞いて、良いことをしているつもりだった若いボランティアの人たちはとても深く傷つくということになったりしたんですね。
ここにも、「地震が地域災害だ」ということの本質が見えています。
だから僕は、くり返し、「地震は地域災害だ」ということをしつこく言うのです。片側から見ただけの正義感では、簡単に答えは出ないことがたくさんあるわけです。
そういう、どう解決していいのかわからない問題が毎日のようにあって、それが地域の情報として関西圏のテレビやラジオや新聞で紹介され、そのニュースを聞いて、仕事を一緒にしている人が、「いや実は僕の知り合いも被災地に入ってね…」という、別の実例を聞く、ということになります。
災害というのは、モノの破壊だけではなくて、人の価値観まで、一時的にではあるのですが、ひっくり返してズタズタにしてしまうんですね。
それでも、時間が経てば、少しずつ秩序やルールが復活してきます。
「正しい事をやっている」と思っていた若者も、自分の気持ちは横に置いておいて、被災者の方に「いま、何が一番困っているんですか?」と聞く余裕が出てきます。被災者の方も、素直に何に困っていて、どうしてもらいたいかを整理して話せるようになってくる。
おそらく、いま東北に入っているボランティアの方々は、すでに阪神大震災での、こういう経験をしっかりと積み重ねているような人たちでしょうから、被災地に入っても、まず被災者の方が一番何を必要としているのかを確実に解って行動していて、阪神大震災の時のような混乱はないだろうと思います。
でも多分、東京で阪神大震災を遠くから見ていただけの人だと、このあたりの「地域災害だ」=「私とは環境そのものが違う別の国の方なのだ」という良い意味での距離の保ち方、などということは実感ではわからないだろうと思います。
で、そういう「僕に何ができるんだろう?」というたまらない気持ちも、実は少しずつ解消されていくんですね。僕の場合で言えば、お仕事を発注いただいていた方が兵庫県の西よりに住んでいた方で、大阪の職場まで出てこれなくなったんですね。だから、その人の代わりに仕事の現場の仕切りみたいなことを、電話連絡しながら1週間だか2週間だかやっていたんです。
で、実は、こういう「自分にできることをしっかりやる」ということこそ、大切なサポート行動なのだ、ということを、僕は後から学びました。
たとえば、被災地に出かけるボランティアのお医者さんがいますが、彼らはたった一人でボランティア行動を取っているのではないわけです。町医者であったとしたら、普段の毎日診察している患者さんがいますから、そういう人たちの面倒を誰が見るのか?という問題が残ります。
それを、ボランティアで出かけるお医者さんは、見知ったお医者さんに託した上で被災地に入られているんですね。
だから、街で残ったお医者さんも、実は被災地に入ったお医者さんを支えているわけです。だから、みんながみんなを支えているわけで、そういう意味では、誰一人として、ムダな事をしている人なんていないとも言えるわけです。
「僕は何をしてるんだろう? 何もできていないじゃないか。」
と思っている人でも、たとえば、少し何かのお手伝いを日常の中でやっていれば、それはめぐりめぐって被災地に届いているんですね。もちろんものすごく迂回する動きもあるだろうし、すぐに効果の出る動きもあるでしょうけど、でもそれはどちらも必要な事なわけです。
このあたりが多分、被災して一ヶ月くらいたった時までに感じた事だったと思います。
で、そうこうしているうちに、ライフラインも復旧しはじめ、交通網も少しずつ元に戻ってくると、今度は本格的に「何を失ってしまったのか」がはっきり解ってきて、それをいかにして取り戻していくのか? という話に変わってきます。
しかし、ここでも、いろいろな課題や問題が出てくるわけです。たとえば、震災でヒビが入ってしまった分譲マンション。
これをいかにして復旧するのか。いや、しないのか。どうするのか。
分譲マンションは区分所有ですから、それぞれのオーナーごとでどうすべきかという意見がまとまりません。国の補償が出るのかどうかとかもわからない。自治会で討議をしても、すぐに紛糾するということになってしまうんですね。そういう話をたくさん新聞で読んだし、身近な人からもたくさん話を聞きました。
「どうするんやろ?そんなもん、解決策、あるんか?」
と、人ごとながら、けっこう心配した記憶があります。
でも、それも半年とか一年とかすると何らかの道筋がついてきます。
いろんなそういう問題が片付いてきたという話を耳にすることになります。
で、そういう自治会の問題を、なんとかまとめた人の体験談なんかがいろんなところで紹介されたりするのですが、それが「ポイントは共通の利益を優先することです。」という答えだったのが、とても印象的でした。
「私の利益」を優先していてはダメなんですね。
「共通の利益」を優先しないといけないんです。
自分で「これは絶対●●が一番最優先に決まってる」と思って、それを掲げると、大もめにもめてしまう。
そうではなくて、「私が一番に望む事はこれ、二番はこれ、三番はこれ」と、きちんと優先順位、プライオリティを、ひとりひとりがはっきりと表明して、その中で「共通の利益」になることを優先していくわけです。
だから、一番に思うことは実現しなくて二番目しか実現しない事もあるわけですが、三番目よりは優先されたのだから二番目の項目でもいいか、と考えるようになっていくし、していく。そういう事が大事なんだそうです。
本当の危機に陥った時、人間はそういう素敵な知恵が働くものなんだなぁと思ったことを思い出します。
おそらく、こういう事は、地方自治体単位で情報が集約されて、全国の自治体ですでにある程度は共有されているんじゃないかな?と僕はテレビのニュースなどを見ていても思うのです。
小泉改革による地方の切り捨て以降、地方自治体には本当に予算がなくなってしまいましたから、こういう「スキル」とか「ノウハウ」とかの金がかからずに情報でなんとかできる部分に関しては「せめて」という感じで横つながりで地方自治体同士で共有されているんじゃないでしょうか。そういう事しかできない、という側面もあるかもしれません。
阪神大震災の後にも、いくつもの地震や災害が起きて、そのたびに、ここで書いたような「地域の温度差」「立場の違い」というようなものが発生して、それをすりあわせ、共通の利益を優先しながら解決法が探られてきたでしょうし、おそらくそういう流れはマニュアルとしてひとつにまとめられているはずです。
しかしどうも、菅政権は、というか菅首相は、そういう積み上げられてきたマニュアルを全く知らずに、それを踏みにじるような事をしているように思えてなりません。
いちいち、問題点を指摘する気はないですが、いくら現場でボランティアや地方自治体がコツコツとノウハウを積み上げていても、トップがそれを正しく受け止めて、的確に指示ができないのであれば、この十数年の日本国民の努力が踏みにじられたと言っても過言ではないと思います。
そういう意味で、いまの菅首相には、とても失望しているというのが正直なところですね。
まだ書きたいこともありましたが、ここまで書いたら、あまりに腹立たしいというか、それを通り越して呆れてしまって書く気がなくなってしまいました。
そんなことで。
阪神大震災の時に学んだことはけっこう多いのです。でも、多分、関西の人間が学んだことを、東京や東北周辺の方達は、これから学んでいくということなんだろうなと思うので、自分にとっては復習というような事を少し書いてみたいと思います。
先の日記でも書きましたが、地震という災害は、どうしても地域災害なんです。阪神大震災が起きたとき、「こんな恐ろしい巨大地震が起きたということは、日本人みんなが共有していて当然なんだ」と無意識に思っていました。
しかし、それこそ思いこみなんですね。たった一週間です。たった一週間で関西地域と東京の温度差は出てきてしまいました。おそらく、東北と東京でも、その温度差はものすごく大きいだろうと思います。極端な話、「原発なんかどうでもいい。とにかく俺たちの暮らしをなんとかしてくれ」というのが本音になるんじゃないでしょうか。
実際、こういう意識の差は、被害を受けた地域でも大きく違うものなんです。阪神大震災の時は大阪と神戸だけでもかなりの温度差がありました。道路が寸断されているので、手助けに行こうと思っても簡単には行けず、逆に物見遊山で何かお手伝いができるものでもありませんから、大阪の人間はすぐに日常に戻るしかなかったんですね。
まぁせいぜい、地下鉄の階段なんかにひび割れができていて、そこから水漏れがあったりして、「ああ、地震があったんだなぁ」と思うくらいなんです。
いま、多分東北でも、津波に襲われた地域と、その被害を受けなかった地域との温度差はかなり大きいだろうと思います。
で、これが辛いのは、人間には日常生活というものがあって、その日常のくり返しを、やはりせねばならない、ということなんです。
ほんの数㎞、あるいは東北だったら数十メートルかも知れませんが、たったそれだけの距離で天国と地獄ほどの環境の違いがある。なんとかその差を埋めてあげたい。心からそう思うのですが、それでもあまりに差があって埋めようがないんですね。ほんとうにそういうとき、仕事をしている人間だと、何もできない。
阪神大震災の時は学生とか、若い人がこぞって被災地に入っていってくれました。だからそういう人を、何もできない僕なんかは言葉にはしないけれども、「僕の代わりに頑張ってくれ」という気持ちで応援していたわけです。
特に、いまのようにツイッターとかがなかったので、被災地の情報源はラジオくらいしかなく、関西の地元ラジオは力一杯そういう若い人をバックアップしていたと思います。FM放送もAM放送も一緒になって被災地情報を流していました。
今回、その阪神大震災でのボランティア経験がある田中康夫は、311が起きてすぐに、食料や毛布とともに、乾電池とラジオをセットにして、自衛隊のヘリから現地にばらまけ!と即座に提案したそうですが、どうも、そういう声が活かされなかったようです。それはとても残念です。
阪神大震災の時に比べて良かったなぁと思うのは、自衛隊が即座に動けたことでしょう。阪神大震災の時は、これができなかった。ボランティアより、消防より、自衛隊が強力です。彼らは道がなければ道を造るところからやりますから。本当にこういうときは頼りになる。ありがたいことだと思います。
で、話は戻ってボランティアですが、「がんばってくれよ」と思っていた若い人が被災地に入ってどうなったかというと、これが実は被災地の人とのコミュニケーションがうまくつながらないということがたくさんあったわけです。
ボランティアというのは、実は「余裕のある人」なんです。そして「良いことをしている」という意識のある人なんです。普通の環境でなら、余裕のある人が良いことをしているのは褒められる事ではあっても罵倒されることはありません。
でも、本当に被災した人は、「余裕のある奴が良い子チャンぶっている」ということにすごくイライラさせられたりするわけです。
だから、「なんだよ、お前らは。お前らにこの街を元に戻せるっていうのか」とか言う被災者の人もいたわけです。
そして、そういう反応や罵倒を聞いて、良いことをしているつもりだった若いボランティアの人たちはとても深く傷つくということになったりしたんですね。
ここにも、「地震が地域災害だ」ということの本質が見えています。
だから僕は、くり返し、「地震は地域災害だ」ということをしつこく言うのです。片側から見ただけの正義感では、簡単に答えは出ないことがたくさんあるわけです。
そういう、どう解決していいのかわからない問題が毎日のようにあって、それが地域の情報として関西圏のテレビやラジオや新聞で紹介され、そのニュースを聞いて、仕事を一緒にしている人が、「いや実は僕の知り合いも被災地に入ってね…」という、別の実例を聞く、ということになります。
災害というのは、モノの破壊だけではなくて、人の価値観まで、一時的にではあるのですが、ひっくり返してズタズタにしてしまうんですね。
それでも、時間が経てば、少しずつ秩序やルールが復活してきます。
「正しい事をやっている」と思っていた若者も、自分の気持ちは横に置いておいて、被災者の方に「いま、何が一番困っているんですか?」と聞く余裕が出てきます。被災者の方も、素直に何に困っていて、どうしてもらいたいかを整理して話せるようになってくる。
おそらく、いま東北に入っているボランティアの方々は、すでに阪神大震災での、こういう経験をしっかりと積み重ねているような人たちでしょうから、被災地に入っても、まず被災者の方が一番何を必要としているのかを確実に解って行動していて、阪神大震災の時のような混乱はないだろうと思います。
でも多分、東京で阪神大震災を遠くから見ていただけの人だと、このあたりの「地域災害だ」=「私とは環境そのものが違う別の国の方なのだ」という良い意味での距離の保ち方、などということは実感ではわからないだろうと思います。
で、そういう「僕に何ができるんだろう?」というたまらない気持ちも、実は少しずつ解消されていくんですね。僕の場合で言えば、お仕事を発注いただいていた方が兵庫県の西よりに住んでいた方で、大阪の職場まで出てこれなくなったんですね。だから、その人の代わりに仕事の現場の仕切りみたいなことを、電話連絡しながら1週間だか2週間だかやっていたんです。
で、実は、こういう「自分にできることをしっかりやる」ということこそ、大切なサポート行動なのだ、ということを、僕は後から学びました。
たとえば、被災地に出かけるボランティアのお医者さんがいますが、彼らはたった一人でボランティア行動を取っているのではないわけです。町医者であったとしたら、普段の毎日診察している患者さんがいますから、そういう人たちの面倒を誰が見るのか?という問題が残ります。
それを、ボランティアで出かけるお医者さんは、見知ったお医者さんに託した上で被災地に入られているんですね。
だから、街で残ったお医者さんも、実は被災地に入ったお医者さんを支えているわけです。だから、みんながみんなを支えているわけで、そういう意味では、誰一人として、ムダな事をしている人なんていないとも言えるわけです。
「僕は何をしてるんだろう? 何もできていないじゃないか。」
と思っている人でも、たとえば、少し何かのお手伝いを日常の中でやっていれば、それはめぐりめぐって被災地に届いているんですね。もちろんものすごく迂回する動きもあるだろうし、すぐに効果の出る動きもあるでしょうけど、でもそれはどちらも必要な事なわけです。
このあたりが多分、被災して一ヶ月くらいたった時までに感じた事だったと思います。
で、そうこうしているうちに、ライフラインも復旧しはじめ、交通網も少しずつ元に戻ってくると、今度は本格的に「何を失ってしまったのか」がはっきり解ってきて、それをいかにして取り戻していくのか? という話に変わってきます。
しかし、ここでも、いろいろな課題や問題が出てくるわけです。たとえば、震災でヒビが入ってしまった分譲マンション。
これをいかにして復旧するのか。いや、しないのか。どうするのか。
分譲マンションは区分所有ですから、それぞれのオーナーごとでどうすべきかという意見がまとまりません。国の補償が出るのかどうかとかもわからない。自治会で討議をしても、すぐに紛糾するということになってしまうんですね。そういう話をたくさん新聞で読んだし、身近な人からもたくさん話を聞きました。
「どうするんやろ?そんなもん、解決策、あるんか?」
と、人ごとながら、けっこう心配した記憶があります。
でも、それも半年とか一年とかすると何らかの道筋がついてきます。
いろんなそういう問題が片付いてきたという話を耳にすることになります。
で、そういう自治会の問題を、なんとかまとめた人の体験談なんかがいろんなところで紹介されたりするのですが、それが「ポイントは共通の利益を優先することです。」という答えだったのが、とても印象的でした。
「私の利益」を優先していてはダメなんですね。
「共通の利益」を優先しないといけないんです。
自分で「これは絶対●●が一番最優先に決まってる」と思って、それを掲げると、大もめにもめてしまう。
そうではなくて、「私が一番に望む事はこれ、二番はこれ、三番はこれ」と、きちんと優先順位、プライオリティを、ひとりひとりがはっきりと表明して、その中で「共通の利益」になることを優先していくわけです。
だから、一番に思うことは実現しなくて二番目しか実現しない事もあるわけですが、三番目よりは優先されたのだから二番目の項目でもいいか、と考えるようになっていくし、していく。そういう事が大事なんだそうです。
本当の危機に陥った時、人間はそういう素敵な知恵が働くものなんだなぁと思ったことを思い出します。
おそらく、こういう事は、地方自治体単位で情報が集約されて、全国の自治体ですでにある程度は共有されているんじゃないかな?と僕はテレビのニュースなどを見ていても思うのです。
小泉改革による地方の切り捨て以降、地方自治体には本当に予算がなくなってしまいましたから、こういう「スキル」とか「ノウハウ」とかの金がかからずに情報でなんとかできる部分に関しては「せめて」という感じで横つながりで地方自治体同士で共有されているんじゃないでしょうか。そういう事しかできない、という側面もあるかもしれません。
阪神大震災の後にも、いくつもの地震や災害が起きて、そのたびに、ここで書いたような「地域の温度差」「立場の違い」というようなものが発生して、それをすりあわせ、共通の利益を優先しながら解決法が探られてきたでしょうし、おそらくそういう流れはマニュアルとしてひとつにまとめられているはずです。
しかしどうも、菅政権は、というか菅首相は、そういう積み上げられてきたマニュアルを全く知らずに、それを踏みにじるような事をしているように思えてなりません。
いちいち、問題点を指摘する気はないですが、いくら現場でボランティアや地方自治体がコツコツとノウハウを積み上げていても、トップがそれを正しく受け止めて、的確に指示ができないのであれば、この十数年の日本国民の努力が踏みにじられたと言っても過言ではないと思います。
そういう意味で、いまの菅首相には、とても失望しているというのが正直なところですね。
まだ書きたいこともありましたが、ここまで書いたら、あまりに腹立たしいというか、それを通り越して呆れてしまって書く気がなくなってしまいました。
そんなことで。
福島原発周囲20km圏内を太陽電池発電プラントにすれば良いのだ。
2011年4月11日コメント (2)非常に高い放射能汚染水が出ているということは、おそらくメルトダウンはすでに起こっていて、原発問題に厳しい目を向けている京大原子炉実験所の小出裕章さんの推測によれば再臨界もありうる、というか、すでに臨界している可能性もある、という話。
このあたりのことは、大阪ローカルのラジオ放送などには普通に出ていて、街のおっちゃん連中が「水素爆発があるかも知らんな」という話を、昼飯の会話でやっているのです。
しかし、こういう事実を、おそらく東京の人たちは知らない。
なんでこうなるかというと、地震という災害が、どこまで行っても地域災害だからです。
この「地震が地域災害だ」という冷徹な事実を、実は、地震被害に遭った地域の人はよく知っているのです。関西の場合は阪神大震災があったから、みんな身に染みて分かっている。
震災から1週間とか2週間、あるいはひと月たった頃なんて言うのは、電車の線路も復活していなくて、日常で一緒に仕事をしていた人とすら「ちょっと会えないよなぁ」という感じで、まさに被害のまっただ中だったのに、東京の朝ナマとかでは、「復興したあとの経済は?」みたいな話しかしてなくて、その温度差に唖然としたくらいです。
また、その後、NHKで「阪神淡路大震災から5年」という特集番組があった時、関西の人間は、「当然全国放送だよな」と思っていたのですが、あにはからんや、関西だけのローカル放送でした。阪神間では、5年というと、友人知人を失った悲しみや、思い出の場所が新しい建物に変わってしまったような出来事を、どう受け止めていけばいいのかまだわからない、というような状況だったわけですが、そんなもの、東京や、それよりもっと遠いところからしたら、それこそどうでも良い話だったわけです。
当時は、「この温度差はなんだ!」と、ずいぶん腹も立ったのですが、いま東北関東大震災の状況を大阪という多少距離のあるところから見ていて思うのは、「ある意味、地域災害だから良かったのだよな。」という事です。
阪神大震災の時だって、東京という経済圏がしっかり日常を支えてくれていたから、阪神の復旧が進んだという面は大きかったでしょうし、今回の状況も関西・大阪が冷徹に物事を見れるから良いのだというところはあると思います。
上記の小出さんの話にしても、関西は原発の被害を直接には受けないからこそラジオ放送では厳しい見方も冷静に受け止められるというところはあると思います。
そういう意味で行くと、もっと厳しい見方をしている広瀬隆さんの話なんかは、少なくとも僕はこと「日本は地震頻発地域である」「今後は地震の活動期に入っていくのである」という意見は重く見るべきだと思いますので、
●他国の動向とは関係なく、地震国家日本では原発はストップさせる。
というのが正しいと思います。
だから、現実問題、もうすでに我々日本人には「原発で電気を供給していく生活」というのは成立しなくなっている、と考えた方が良いと、関西に住む僕は思います。
が、しかし。
すでに情報統制に入ってしまっていると言っても過言ではない東京以北では、この「もう原発では無理だわな」という感覚、というか意見が、いまいち分かっていないのだろうな、と思うのです。
福島の後も、オバマは「原発推進」を叫んでいたし、フランスだって電気の75%以上を原発でまかない、ヨーロッパ各国に売電しているわけですから、原発推進の立場を崩しはしません。
また、またもや都知事におさまってしまった石原都知事あたりも「復興のためには電力が必要で、原発というものも、うんたらかんたら」と、ある程度は使っていくしかないと言うことを言ってたりする。
で、どれも別に間違ってはいないと思うのですが、それでもやっぱり、「もう原発はダメ」なんですね。少なくとも地震活動期に入った日本では無理。国土の狭い日本では無理なんです。
中国の地盤が岩盤で地震が起こらないというようなところに原発を建てて、そこからの電気を買うというのは有りでしょうけど、国内に原発は、もう国民感情として成立しないでしょう。
東京は、いまだ災害のさなかで、冷静に考えられる人も少ないし、たとえば斉藤和義が原発に関する正直な感想を歌った「みんなウソだったんだぜ」をyoutubeに流しても、いきものがかりの水野君がそれを「とてもいや」と表明するとか、とても感情的でとりとめもない話に終始してます。
でも、そういう事柄もひっくるめて、大阪から東京を見ていると「ああ、いま、まさにパニックの最中なんだなぁ」というのを冷徹に感じ取るという事でしかないわけですね。
斉藤和義の気持ちはとても素直な気持ちだと思うし、水野君が言ってる事も、そりゃそうだわねと思う。震災前にああいう歌を歌ってたんなら、反発も出なかったんだろうけど、でも、まさに事故が起きてしまったから腹が立つというのも当然の話ですよ。どっちが悪いということもないです。
で、一つ前の日記で原発に関する情報統制が起きているというような事を書きましたけど、ここの日記をずっと読んでくださっている方ならわかると思いますが、僕は別に「原発に関してだけ情報統制が行われている」と言ってるわけではないのですね。まえからずっと、いろんな問題に対して情報統制が行われていて、それが日本をかなり悪くしているという話をしてるわけです。
だから問題点は日本のマスメディアが独自取材をして、それを経営層が「ダメだ」と言っても放送するような「編集権の独立」がされていないのが問題なのだ、という根本問題に話しをシフトしておきたいと思うわけです。
この部分こそは、「地域の問題」ではなくて「全国民の問題」だからです。
この「地域の問題ではなく全国民の問題なのだ」という問いの立て方をしない話には、僕はあまり乗りたいとは思わないのですよ。
で、この話は「全国民=日本人」の話だから、オバマやフランスの政府がどうしたというのも関係ないわけですね。
だって世界の国家すべてが「地震多発地域」であるわけではないのですから。
でも日本は「地震多発地域」であり、少なくともこの国では、もう原発は無理なんですよ。
このあたりは、元原発の設計者であった大前研一さんの見通しが優れていると思うのです。スリーマイルを起こした後、アメリカは海外に原発を売るということ自体ができなくなったわけです。だから日本の原発産業も、もう国際競争力はなくなったと見るべきなんでしょう。
実際、日本の原発においては、もともと地域住民の反対が強く、土地の取得自体に大変な手間がかかります。福島にあれだけ原子炉が密集して建っていたのも、他に受け入れてくれるところがなかったからです。使用済み燃料が何千本も仮置きされていたのも、中間処理施設の土地取得ができなかったからです。もともと無理があったんです。
それが、この事故で「失敗は起こりうる」と全国ではっきりわかったのだから、もう日本中どこっへ行っても、どんな施設の土地取得は無理でしょう。原子力発電の運用自体もかなり条件付きでない限りは難しいと思います。
僕自身は経済活動も維持しつつ原発は全廃炉と思ってますが、それは数年から10年くらいのスパンを想定していて、どうしても無理だったら、夏のピークの時だけは1ヶ月くらいは動かしてもいいよ、という程度です。
(基本、原発は動かさなくても休眠している火力発電所を稼働させれば、ほとんどの電力はまかなえると思います。足りないのは夏のピークだけです。そこは多様な電気のミックスでやっていくべきでしょう。)
こまかい話は抜きますが、必要電力6000万キロワット/時でしたか?という「必要電力」の数値は、あくまで発電所の発電能力の積算です。
しかし「発電所からの電力供給」というのは、電線による熱放出ロスが40%はあるわけですから、真の利用者側の必要電力は、せいぜい4000万キロワット/時くらいのはずです。
これは、先の日記でも書きましたが、送電ロスが少ないコジェネや太陽電池を組み合わせてやれば、カバーできなくもない数値なんじゃないか?と僕は思ってます。専門家じゃないのでわかりませんけど、単純に考えても太陽電池システムは「売電」が導入メリットのひとつに掲げられております。つまり家一軒分以上の発電ができる、ということです。
ということは、東京電力側から見た「節電効果」は恐ろしく高いのですよ。
しかも、太陽電池は弱点として「年中電力が充分にまかなえるわけではない」と言うことを言われるわけですが、それは裏返して言うと「夏場の電力は充分にまかなえる」と言う事なんですね。
ということは、ピークカット効果がものすごく高いってことになる。
そうでしょ? 冷房をガンガンに回す時って、まさに太陽がガンガンに照りつけてるわけですから。太陽電池はフル稼働で使えます。「蓄電できない」というデメリットも、夏の暑い日には何の関係もないんです。
もちろん、太陽電池がもっとも効率的なのは昼の12時で、もっとも体感温度があがるのは昼2時前後というズレはあるんですけど、このあたりは氷を作って蓄熱するとかのシステムで充分に対応可能なわけです。
で、僕が言いたい「マスコミがダメ」というのは、こういう「太陽電池の原子力に取って代わることが出来る可能性」というのを、東電に遠慮して流さない、ということを言うのです。
だって、太陽電池システムがバンバンできるということは、東電から電気を買わないでも良い、ということですから。だからそこをバンバンにテレビで取り上げることははばかられるわけですよ。これはもう、どうしてもそうなってしまう。
ちょっと考えれば分かるのですが、既存のエネルギー供給体制の側は、資金も潤沢ですから、原発の良さであるとか、安全対策であるとか、そっちにはカネを使いますが、自分が儲けを失うことになる太陽発電にカネをかけて宣伝することはないわけです。
せいぜいシャープが太陽電池を訴えるくらいしか勢力がない。
なので、太陽電池には未来がないかのようなイメージが蔓延してるんですね。でも、いろいろ調べていくと、太陽電池というのは欠点も多いわけですけれども、「夏場の暑い時期に電気が足りなくなる可能性」に対して、もっとも効果的な「対処療法」としての能力は高いとしか、僕には思えないわけです。
もちろん、価格が高いと言う問題があるにはあるんですが、これはすでにドイツがフィードインタリフという「太陽電池の開発コストを、従来発電システムだけに頼っている家庭の電気代に上乗せする価格体系」の導入で解決できることがわかってるわけですよ。前例がすでにある。残ってるのは政治的決断だけです。
だから、東電を配電・送電・発電の3社分割にして、配電会社ではフィードインタリフで太陽発電推進をさせ、ガスタービンとかのコジェネなども導入するようにすればエネルギー問題は、当面はそれほど心配する必要はないはずだと僕は思います。
原子力が電気の30%を担ってる、というのも休眠させている火力発電所の発電能力は入れない計算ですからね。原発が担っていた部分は20%とか15%とかだったかも知れないわけです。このあたりも「電気生産コストに対して8%の利益しか取れないという縛りがあるから、原子炉のような大規模発電所を作った方が利益が大きくなる」という電力会社が元々持っている根本問題から出てくる話ですし。
で、大事なのは、上記で示した斉藤和義と水野君の考え方、行動の仕方の違い、というのも、こういう「いままでとは違う、別の見方」の提示が欠けていたが故の問題なのだということなのですよ。
「こっちの方のやりかたでうまくいくかもよ」というのがあれば、希望がありますから、どうなんだ? と考える余裕も出てくる。
まぁ、いま東京に住む人達は、たとえば放射線量などの「地域情報」に右往左往しているような状態ですから、そこまで客観的な見方をする余裕はないのでしょうけど、大きく考えるなら、そういう方向にしかならないと僕は思います。
でも、こういう「国難」の時に大事なのは、国民が一致団結できるテーマをキチンと見据えることだと思うわけです。「地域情報」にまどわされてはいけないのですね。
そういう事をつらつら考えていたら、ふと思いついたのが福島原発の周囲の土地の事です。プルトニウムの半減期は24000年ですし、あの炉は、まだまだ、何年もあのままか、多少はマシにはなっても、おそらく半径10キロ20キロは人の住める地域にはならないと思われます。
(実際にはそれほど線量は高くない事も多いようですけれど。)
であるなら、この災害を奇禍として、失われてしまった国土を、よりよく活かすためにも、使用済み燃料の中間処理施設と、大規模な太陽電池発電プラントを、あの土地に作ったらどうなのか?と僕は思います。
太陽電池は日本では土地がないから無理だとかいいますが、福島の原発周辺なら大丈夫でしょう。で、そこでの売電収入を福島にプレゼントしてあげればいい。非難した人たちの生活資金に転化していけばいい。
これも、福島から何百キロも離れていて、生まれた土地を捨てる辛さに想いが至らない関西人だからこその発想だと思ってるんです。
でも、たぶんこれだけの国難を乗り越えると言うことは、そういう立場の違いをそのまま活かして一致団結するということだと思うんですよね。
別に、誰かが悪いと責めても意味も進展もあれへんし意味ないやん。斉藤和義も水野君も、別に悪いことも何もないと思う。素直に普通の日本人をやってるだけのことでしょう。
重要なのは、いま、自分がおかれた状況で、知っておいたら得になる情報を見過ごしているのではないか?という視点です。
それを補うには、マスメディアはあまりに制限が多すぎ、欠点が多すぎるメディアです。
マスメディアでは必要な情報を得ることができない。ということを、多くの日本人が知って欲しいと僕は思います。
このあたりのことは、大阪ローカルのラジオ放送などには普通に出ていて、街のおっちゃん連中が「水素爆発があるかも知らんな」という話を、昼飯の会話でやっているのです。
しかし、こういう事実を、おそらく東京の人たちは知らない。
なんでこうなるかというと、地震という災害が、どこまで行っても地域災害だからです。
この「地震が地域災害だ」という冷徹な事実を、実は、地震被害に遭った地域の人はよく知っているのです。関西の場合は阪神大震災があったから、みんな身に染みて分かっている。
震災から1週間とか2週間、あるいはひと月たった頃なんて言うのは、電車の線路も復活していなくて、日常で一緒に仕事をしていた人とすら「ちょっと会えないよなぁ」という感じで、まさに被害のまっただ中だったのに、東京の朝ナマとかでは、「復興したあとの経済は?」みたいな話しかしてなくて、その温度差に唖然としたくらいです。
また、その後、NHKで「阪神淡路大震災から5年」という特集番組があった時、関西の人間は、「当然全国放送だよな」と思っていたのですが、あにはからんや、関西だけのローカル放送でした。阪神間では、5年というと、友人知人を失った悲しみや、思い出の場所が新しい建物に変わってしまったような出来事を、どう受け止めていけばいいのかまだわからない、というような状況だったわけですが、そんなもの、東京や、それよりもっと遠いところからしたら、それこそどうでも良い話だったわけです。
当時は、「この温度差はなんだ!」と、ずいぶん腹も立ったのですが、いま東北関東大震災の状況を大阪という多少距離のあるところから見ていて思うのは、「ある意味、地域災害だから良かったのだよな。」という事です。
阪神大震災の時だって、東京という経済圏がしっかり日常を支えてくれていたから、阪神の復旧が進んだという面は大きかったでしょうし、今回の状況も関西・大阪が冷徹に物事を見れるから良いのだというところはあると思います。
上記の小出さんの話にしても、関西は原発の被害を直接には受けないからこそラジオ放送では厳しい見方も冷静に受け止められるというところはあると思います。
そういう意味で行くと、もっと厳しい見方をしている広瀬隆さんの話なんかは、少なくとも僕はこと「日本は地震頻発地域である」「今後は地震の活動期に入っていくのである」という意見は重く見るべきだと思いますので、
●他国の動向とは関係なく、地震国家日本では原発はストップさせる。
というのが正しいと思います。
だから、現実問題、もうすでに我々日本人には「原発で電気を供給していく生活」というのは成立しなくなっている、と考えた方が良いと、関西に住む僕は思います。
が、しかし。
すでに情報統制に入ってしまっていると言っても過言ではない東京以北では、この「もう原発では無理だわな」という感覚、というか意見が、いまいち分かっていないのだろうな、と思うのです。
福島の後も、オバマは「原発推進」を叫んでいたし、フランスだって電気の75%以上を原発でまかない、ヨーロッパ各国に売電しているわけですから、原発推進の立場を崩しはしません。
また、またもや都知事におさまってしまった石原都知事あたりも「復興のためには電力が必要で、原発というものも、うんたらかんたら」と、ある程度は使っていくしかないと言うことを言ってたりする。
で、どれも別に間違ってはいないと思うのですが、それでもやっぱり、「もう原発はダメ」なんですね。少なくとも地震活動期に入った日本では無理。国土の狭い日本では無理なんです。
中国の地盤が岩盤で地震が起こらないというようなところに原発を建てて、そこからの電気を買うというのは有りでしょうけど、国内に原発は、もう国民感情として成立しないでしょう。
東京は、いまだ災害のさなかで、冷静に考えられる人も少ないし、たとえば斉藤和義が原発に関する正直な感想を歌った「みんなウソだったんだぜ」をyoutubeに流しても、いきものがかりの水野君がそれを「とてもいや」と表明するとか、とても感情的でとりとめもない話に終始してます。
でも、そういう事柄もひっくるめて、大阪から東京を見ていると「ああ、いま、まさにパニックの最中なんだなぁ」というのを冷徹に感じ取るという事でしかないわけですね。
斉藤和義の気持ちはとても素直な気持ちだと思うし、水野君が言ってる事も、そりゃそうだわねと思う。震災前にああいう歌を歌ってたんなら、反発も出なかったんだろうけど、でも、まさに事故が起きてしまったから腹が立つというのも当然の話ですよ。どっちが悪いということもないです。
で、一つ前の日記で原発に関する情報統制が起きているというような事を書きましたけど、ここの日記をずっと読んでくださっている方ならわかると思いますが、僕は別に「原発に関してだけ情報統制が行われている」と言ってるわけではないのですね。まえからずっと、いろんな問題に対して情報統制が行われていて、それが日本をかなり悪くしているという話をしてるわけです。
だから問題点は日本のマスメディアが独自取材をして、それを経営層が「ダメだ」と言っても放送するような「編集権の独立」がされていないのが問題なのだ、という根本問題に話しをシフトしておきたいと思うわけです。
この部分こそは、「地域の問題」ではなくて「全国民の問題」だからです。
この「地域の問題ではなく全国民の問題なのだ」という問いの立て方をしない話には、僕はあまり乗りたいとは思わないのですよ。
で、この話は「全国民=日本人」の話だから、オバマやフランスの政府がどうしたというのも関係ないわけですね。
だって世界の国家すべてが「地震多発地域」であるわけではないのですから。
でも日本は「地震多発地域」であり、少なくともこの国では、もう原発は無理なんですよ。
このあたりは、元原発の設計者であった大前研一さんの見通しが優れていると思うのです。スリーマイルを起こした後、アメリカは海外に原発を売るということ自体ができなくなったわけです。だから日本の原発産業も、もう国際競争力はなくなったと見るべきなんでしょう。
実際、日本の原発においては、もともと地域住民の反対が強く、土地の取得自体に大変な手間がかかります。福島にあれだけ原子炉が密集して建っていたのも、他に受け入れてくれるところがなかったからです。使用済み燃料が何千本も仮置きされていたのも、中間処理施設の土地取得ができなかったからです。もともと無理があったんです。
それが、この事故で「失敗は起こりうる」と全国ではっきりわかったのだから、もう日本中どこっへ行っても、どんな施設の土地取得は無理でしょう。原子力発電の運用自体もかなり条件付きでない限りは難しいと思います。
僕自身は経済活動も維持しつつ原発は全廃炉と思ってますが、それは数年から10年くらいのスパンを想定していて、どうしても無理だったら、夏のピークの時だけは1ヶ月くらいは動かしてもいいよ、という程度です。
(基本、原発は動かさなくても休眠している火力発電所を稼働させれば、ほとんどの電力はまかなえると思います。足りないのは夏のピークだけです。そこは多様な電気のミックスでやっていくべきでしょう。)
こまかい話は抜きますが、必要電力6000万キロワット/時でしたか?という「必要電力」の数値は、あくまで発電所の発電能力の積算です。
しかし「発電所からの電力供給」というのは、電線による熱放出ロスが40%はあるわけですから、真の利用者側の必要電力は、せいぜい4000万キロワット/時くらいのはずです。
これは、先の日記でも書きましたが、送電ロスが少ないコジェネや太陽電池を組み合わせてやれば、カバーできなくもない数値なんじゃないか?と僕は思ってます。専門家じゃないのでわかりませんけど、単純に考えても太陽電池システムは「売電」が導入メリットのひとつに掲げられております。つまり家一軒分以上の発電ができる、ということです。
ということは、東京電力側から見た「節電効果」は恐ろしく高いのですよ。
しかも、太陽電池は弱点として「年中電力が充分にまかなえるわけではない」と言うことを言われるわけですが、それは裏返して言うと「夏場の電力は充分にまかなえる」と言う事なんですね。
ということは、ピークカット効果がものすごく高いってことになる。
そうでしょ? 冷房をガンガンに回す時って、まさに太陽がガンガンに照りつけてるわけですから。太陽電池はフル稼働で使えます。「蓄電できない」というデメリットも、夏の暑い日には何の関係もないんです。
もちろん、太陽電池がもっとも効率的なのは昼の12時で、もっとも体感温度があがるのは昼2時前後というズレはあるんですけど、このあたりは氷を作って蓄熱するとかのシステムで充分に対応可能なわけです。
で、僕が言いたい「マスコミがダメ」というのは、こういう「太陽電池の原子力に取って代わることが出来る可能性」というのを、東電に遠慮して流さない、ということを言うのです。
だって、太陽電池システムがバンバンできるということは、東電から電気を買わないでも良い、ということですから。だからそこをバンバンにテレビで取り上げることははばかられるわけですよ。これはもう、どうしてもそうなってしまう。
ちょっと考えれば分かるのですが、既存のエネルギー供給体制の側は、資金も潤沢ですから、原発の良さであるとか、安全対策であるとか、そっちにはカネを使いますが、自分が儲けを失うことになる太陽発電にカネをかけて宣伝することはないわけです。
せいぜいシャープが太陽電池を訴えるくらいしか勢力がない。
なので、太陽電池には未来がないかのようなイメージが蔓延してるんですね。でも、いろいろ調べていくと、太陽電池というのは欠点も多いわけですけれども、「夏場の暑い時期に電気が足りなくなる可能性」に対して、もっとも効果的な「対処療法」としての能力は高いとしか、僕には思えないわけです。
もちろん、価格が高いと言う問題があるにはあるんですが、これはすでにドイツがフィードインタリフという「太陽電池の開発コストを、従来発電システムだけに頼っている家庭の電気代に上乗せする価格体系」の導入で解決できることがわかってるわけですよ。前例がすでにある。残ってるのは政治的決断だけです。
だから、東電を配電・送電・発電の3社分割にして、配電会社ではフィードインタリフで太陽発電推進をさせ、ガスタービンとかのコジェネなども導入するようにすればエネルギー問題は、当面はそれほど心配する必要はないはずだと僕は思います。
原子力が電気の30%を担ってる、というのも休眠させている火力発電所の発電能力は入れない計算ですからね。原発が担っていた部分は20%とか15%とかだったかも知れないわけです。このあたりも「電気生産コストに対して8%の利益しか取れないという縛りがあるから、原子炉のような大規模発電所を作った方が利益が大きくなる」という電力会社が元々持っている根本問題から出てくる話ですし。
で、大事なのは、上記で示した斉藤和義と水野君の考え方、行動の仕方の違い、というのも、こういう「いままでとは違う、別の見方」の提示が欠けていたが故の問題なのだということなのですよ。
「こっちの方のやりかたでうまくいくかもよ」というのがあれば、希望がありますから、どうなんだ? と考える余裕も出てくる。
まぁ、いま東京に住む人達は、たとえば放射線量などの「地域情報」に右往左往しているような状態ですから、そこまで客観的な見方をする余裕はないのでしょうけど、大きく考えるなら、そういう方向にしかならないと僕は思います。
でも、こういう「国難」の時に大事なのは、国民が一致団結できるテーマをキチンと見据えることだと思うわけです。「地域情報」にまどわされてはいけないのですね。
そういう事をつらつら考えていたら、ふと思いついたのが福島原発の周囲の土地の事です。プルトニウムの半減期は24000年ですし、あの炉は、まだまだ、何年もあのままか、多少はマシにはなっても、おそらく半径10キロ20キロは人の住める地域にはならないと思われます。
(実際にはそれほど線量は高くない事も多いようですけれど。)
であるなら、この災害を奇禍として、失われてしまった国土を、よりよく活かすためにも、使用済み燃料の中間処理施設と、大規模な太陽電池発電プラントを、あの土地に作ったらどうなのか?と僕は思います。
太陽電池は日本では土地がないから無理だとかいいますが、福島の原発周辺なら大丈夫でしょう。で、そこでの売電収入を福島にプレゼントしてあげればいい。非難した人たちの生活資金に転化していけばいい。
これも、福島から何百キロも離れていて、生まれた土地を捨てる辛さに想いが至らない関西人だからこその発想だと思ってるんです。
でも、たぶんこれだけの国難を乗り越えると言うことは、そういう立場の違いをそのまま活かして一致団結するということだと思うんですよね。
別に、誰かが悪いと責めても意味も進展もあれへんし意味ないやん。斉藤和義も水野君も、別に悪いことも何もないと思う。素直に普通の日本人をやってるだけのことでしょう。
重要なのは、いま、自分がおかれた状況で、知っておいたら得になる情報を見過ごしているのではないか?という視点です。
それを補うには、マスメディアはあまりに制限が多すぎ、欠点が多すぎるメディアです。
マスメディアでは必要な情報を得ることができない。ということを、多くの日本人が知って欲しいと僕は思います。
原発に関する重要情報は、テレビには絶対に流れない。
2011年4月5日コメント (11)ずいぶん長い間、この日記を書かないままにしてました。
まぁなんせ、震災はあったわ、原発はぶっ壊れるわ、プライベートでも葬儀があったわ、風邪はひくわで、まともに考える時間自体がとれなかったのであります。
ちゅうことで、今日は概略だけ、ちらりと書くことにします。
原発事故による今後の電力供給をどうするか?という話ですが、先に技術的な話と必要電力の事だけ確認しておきます。
基本的に、
●原発がなくても電力が足りなくなることはない。
ということです。
これはいろいろな側面から充分に考えられることでして、それほどおかしな意見ではありません。
いま東日本では電力不足で計画停電が実施されたりしてますが、あれは別に原発が壊れたから、という単純な事ではなくて、火力発電所や、途中の送電施設など、多様な電力システム全体がやられたから、というのが一番大きな理由です。
しかし、この肝心なことを、あまりテレビでは言わない。原発のニュースをバンバンやって、次に計画停電のニュースをやって、という順番になると、どうしても「原発が壊れたせいで電力不足」という風に思いこまされてしまう。
ここがかなり問題です。
いま現在、日本人の多くはテレビを主たる情報源にしていて、とくにこういう震災の時などは、速報性で勝り、映像というセンセーショナルな手法を使う媒体にたよりがちになってしまうのですね。
しかし、多くの皆さんに伝えたいのですが、基本、
●東京電力はテレビ局の重要スポンサーである。
ということです。
だから、東京電力に不利になる言説はテレビには全然登場しないのですよ。東電の副社長ばっかり出てきて、社長が全然顔を出さず、会長のカツマタ君という化け物が登場するまで、テレビでは「どうなってるんだ東電!」の声すらあがらなかった。なんだこれ? あまりにおかしかろう。この国難のさなかでも批判すべきを批判できないテレビ。話にならない。
で、このことに関してもっともっと明確にしたいのは、
●日本のマスメディアは「編集権の確立」がなされていない。
と言うことです。
編集権の確立というのはどういう事かというと、「コンテンツ内容が経営権とは連動しない」ということでして、たとえばスポンサーに不利な情報でも、番組制作上必要なら放映する、ということです。
残念ながら、この重要な機能を日本のマスメディアは持っていません。
欧米の新聞社とか出版社は、多くの場合、経営権と編集権は、完全に独立していて、いくら経営側が「東京電力を悪く言うような情報は流すな」と言っても、編集側は「それは出来ません。記事を作成する上でどうしても必要ですから情報として流します。」ということができるわけです。
でも、日本のマスメディアがそれができない。
だから、いまだに、原発の情報をテレビで流しても福島第一の3号炉がMOX燃料(プルトニウムを混ぜたプルサーマルという奴)を使っていて、再臨界(悪くすると核爆発?)の危険があるという話は前面には出てこないわけです。
(いや、まぁ、実際にはプルトニウムがかなり一カ所に集約しないと再臨界は起きないようなので、可能性は低いようですが。)
このあたりの情報は、「もっと知らせるべき情報」のはずなのに、テレビでは全然流れないわけですね。
で、その流さない理由として「知らせてパニックが起きたら、その方がよほど問題だからだ」という言い訳をメディア側はするわけですけど、ウソつけ!と思う。
最悪の事態がどうなのかを知った上で、自分の行動の選択をすれば、安心して暮らせるけど、なにがなんだかわからないままだと、不安ばかりでどうしようもなくなるのだ。それはちょっと嫌なんだよ私は。
そういう事なわけです。
ということで、いま日本人の多くの人が「原発の情報は8割をテレビに頼っている」という状況があるということ自体を、私は大変憂うのであります。
ということで、テレビに出ない重要情報を以下にいくつか並べます。
●2003年に原発の点検のために17基の原発が一斉に止まったが停電は起こらなかった。
http://ameblo.jp/tensaij/entry-10833696958.html
東海村原発事故の年ですね。原発止めても大丈夫です。問題なし。
それから、必要電力が6400万キロワットで、供給できるのが4000万キロワット、各種の休眠中の火力を復活させて5000万キロワットで1000~1400万キロワットくらいが不足する、てなことを言っていて、まぁおおむねウソではないとは思うのですが、この数字を私は、ものすごーーーーーく眉唾だと考えております。
というのは、電気というのは、電線を通して供給する限り、必ず電線による熱放出ロスが発生するからです。その比率は30%とも40%とも言われてます。ここで話題になっている電力量は発電所の供給能力の単純加算でしかないから、実際に電気を使用している現場では、この7割くらいしか必要としてないはずなんですね。
だから、「中央で一括して発電して、それを電線で一括供給する」という仕組み自体を見直すということをすれば、かなりの無駄が省けて、充分に電力はまかなえるはずなんですよ。
たとえていえば、コジェネレーションシステム。コジェネとも略されてますが、電熱併設とも言うのかな? 大型のショッピングセンターとか、地域電力システムとかで採用されているところも多いようです。これは単純に言ってしまえば電気の地産地消で、必要な場所で電気を作り、その地域や施設内で「効率的に」供給するという仕組みです。
「効率的に」というのは、発電の時に発生する熱をお湯の供給やら、ヒートポンプを使って冷房やらにも活用するという仕組みでして、元のエネルギーから使用状態に持って行くまでの効率がものすごく良いわけです。
デメリットとしては、いわば発電所が足下にあるわけですから、地震の時に火事に見舞われる率が高いという事です。でも、これは規模が小さいから前もっての対処もしやすいはずです。
このコジェネを、別に石油で動かす必要もなくて、ガスタービンとかで回す方法だってあるはずなんですよ。なんなら石油と天然ガスの併設にしたっていいでしょう。その方が管理は大変だろうけど、一気に全面ストップするという危険は避けられるわけです。
ガスに関して言えば、家庭のコンロの根本まで、少なくとも熱放出ロスは使わずに供給されてます。(そのかわり、これも地震の時にはガス噴出→火事のリスクはある。)
このあたりの地域電力システムみたいなのが、なんで成立しないかというと、それこそ日本の電力会社が「地域独占体制」だからなんですよ。
僕はまだ勉強が追いついてないので、詳しくはないですけども、海外の場合は「発電・送電・配電」が厳しく別権利として分割されてるようなんですね。
それは多分、上に書いた「編集権の独立」と言うことと同じ事です。
電気というのは、いまだに効果的な蓄積手法が見つかっておらず、(せいぜいリチウム電池くらい。今後の電気自動車に期待したい。電気自動車では使えなくなった電池を家庭用としてなら使えるからリサイクルするという計画がすでにあるようです。)送電線で発電所を結びあって、電気のやりとりをして、必要なところに送電するという仕組みが、どうしても必要というのはよく分かるのですが、それはあくまで「送電システム」として独立してればいいことで、家庭用の太陽電池の余った電気を購入する事と、原発の電気を流すことを、両方同じ「電気」として差別せずに扱うという責任が電力会社に発生するように、仕組みから変えないといけないはずです。
でも、そういう事が、テレビでは全然話題として出てこない。
どういうこと?
いや、それどころか、ラジオで、「東京電力は問題だ!」と発言しただけで、あの上杉隆は番組を降板させられちゃったんですよ。
■上杉隆 緊急インタビュー
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2754
たかがラジオで、これですよ。どう思います? みなさん。 テレビなら推して知るべしであります。
だから本当に、テレビというのが、いま日本人にとっては、大問題の存在なんです。情報を握られてしまっているという大問題。ここのところにこそ、するどく気づいて欲しい。
とにかくいまは、ネットのいろいろな情報をまめに漁り、どの情報が正確度が高くて、どの情報が正確度が低いのか?ということを、自分で体当たりで調べていくしか、他に方法がないのです。
あと書籍とね。書籍は読むのに時間がかかるのが辛い。
それから、電気供給量が足りないと言う話で出てくるのが夏場だ、ということがありますが、基本的に原発は「ピークの解消」に効果的というだけの話で、夏場のピーク電力自体が年に一回の特別なことなんだから、そこにすべてを集中して電力形態を整えるという発想自体がおかしい。
なんでそういう体制になるかといえば、一言で言えば、
●そうしたほうが電力会社が儲かるから。
でしかないんですけど、その話は置いておきます。
それよりも、言いたいのは「ピークをいかにやりすごすか」の施策はいろいろ考えられるということですね。
まず工場などがサマータイムとか土日操業とかでピークをずらすと言う手がありますし、夏のピークが「甲子園の高校野球をクーラーの効いた部屋で見る」という事で生まれている要因が大きいのだから甲子園を秋口にずらしてやってもらう(今後永遠に)というのも手です。
しかし何より、ピーク時の電力供給という観点でだけ見れば「太陽電池」ほど効率的なものはないはずなんですよね。太陽が照っていれば、発電量も増える太陽電池。まさにピーク時の電力の枯渇を補うには最適です。
なのに、こういう「ピーク時の緩和策としての太陽電池」という視点が全然語られない。なんで? たぶんそれはやっぱり「ピークのために原発がある」という事になってるからでしょう。ちょっとまってくれよー、それは理屈としておかしかろう。
あと、待機電源のムダなんかも原発と直結している問題やねんけどなー。
・電気保温ポット
・電気炊飯器ジャー
・便座ウォーマー・ウォシュレット
・テレビがボタン一つでパットつく
などなど。
こんなもんいらん。
ものすごく小さいメリットのために原発をずっと動かして、危険を抱え込んでるわけでして、まさに愚の骨頂。
ウォシュレットなんて、トイレに小型スプレーを用意して、水をいれておいて、トイレットペーパーにシュッと一ふきすれば、充分に代用になるし、便座ウォーマーは「はってはがせる便座カバー」のたぐいで充分に代用可能。
電気炊飯器などより圧力鍋の方が、利便性も時間の活用もおいしさも圧倒的に上だし、お湯をわかすのも最近はやりの「大電力で一分でお湯が沸く」タイプのもののほうが利便性も高いしムダも少ない。ちゅうか、1人分のお湯ならガスコンロで湧かした方が速いよ。
こういうことも、キチンと反省せねばなりませんわね。
ともあれ、そんなこんなを見ていけば、数字的にも、仕組み的にも、原発なしの電力供給というのは充分可能です。
しかし、そこに行き着く前の問題が、あまりに大きい。
それは、
●情報の独占体制をいかに崩すか?
ということです。
こっちの方が、はるかに重要。
でも、それを言う人も少ないし気づいていない人の方がはるかに多い。
だから「嫌いだけどしょうがないよね原発」になっちゃってるし、多分日本全体がそうなっていくんでしょう。
だってみんなテレビしか見てないもん。
あかんねんってテレビは。ほんまに。
しつこく言うけど。
テレビがあかん。
テレビを消せ。
それが一番の節電だ、っちゅうことであります。
まぁなんせ、震災はあったわ、原発はぶっ壊れるわ、プライベートでも葬儀があったわ、風邪はひくわで、まともに考える時間自体がとれなかったのであります。
ちゅうことで、今日は概略だけ、ちらりと書くことにします。
原発事故による今後の電力供給をどうするか?という話ですが、先に技術的な話と必要電力の事だけ確認しておきます。
基本的に、
●原発がなくても電力が足りなくなることはない。
ということです。
これはいろいろな側面から充分に考えられることでして、それほどおかしな意見ではありません。
いま東日本では電力不足で計画停電が実施されたりしてますが、あれは別に原発が壊れたから、という単純な事ではなくて、火力発電所や、途中の送電施設など、多様な電力システム全体がやられたから、というのが一番大きな理由です。
しかし、この肝心なことを、あまりテレビでは言わない。原発のニュースをバンバンやって、次に計画停電のニュースをやって、という順番になると、どうしても「原発が壊れたせいで電力不足」という風に思いこまされてしまう。
ここがかなり問題です。
いま現在、日本人の多くはテレビを主たる情報源にしていて、とくにこういう震災の時などは、速報性で勝り、映像というセンセーショナルな手法を使う媒体にたよりがちになってしまうのですね。
しかし、多くの皆さんに伝えたいのですが、基本、
●東京電力はテレビ局の重要スポンサーである。
ということです。
だから、東京電力に不利になる言説はテレビには全然登場しないのですよ。東電の副社長ばっかり出てきて、社長が全然顔を出さず、会長のカツマタ君という化け物が登場するまで、テレビでは「どうなってるんだ東電!」の声すらあがらなかった。なんだこれ? あまりにおかしかろう。この国難のさなかでも批判すべきを批判できないテレビ。話にならない。
で、このことに関してもっともっと明確にしたいのは、
●日本のマスメディアは「編集権の確立」がなされていない。
と言うことです。
編集権の確立というのはどういう事かというと、「コンテンツ内容が経営権とは連動しない」ということでして、たとえばスポンサーに不利な情報でも、番組制作上必要なら放映する、ということです。
残念ながら、この重要な機能を日本のマスメディアは持っていません。
欧米の新聞社とか出版社は、多くの場合、経営権と編集権は、完全に独立していて、いくら経営側が「東京電力を悪く言うような情報は流すな」と言っても、編集側は「それは出来ません。記事を作成する上でどうしても必要ですから情報として流します。」ということができるわけです。
でも、日本のマスメディアがそれができない。
だから、いまだに、原発の情報をテレビで流しても福島第一の3号炉がMOX燃料(プルトニウムを混ぜたプルサーマルという奴)を使っていて、再臨界(悪くすると核爆発?)の危険があるという話は前面には出てこないわけです。
(いや、まぁ、実際にはプルトニウムがかなり一カ所に集約しないと再臨界は起きないようなので、可能性は低いようですが。)
このあたりの情報は、「もっと知らせるべき情報」のはずなのに、テレビでは全然流れないわけですね。
で、その流さない理由として「知らせてパニックが起きたら、その方がよほど問題だからだ」という言い訳をメディア側はするわけですけど、ウソつけ!と思う。
最悪の事態がどうなのかを知った上で、自分の行動の選択をすれば、安心して暮らせるけど、なにがなんだかわからないままだと、不安ばかりでどうしようもなくなるのだ。それはちょっと嫌なんだよ私は。
そういう事なわけです。
ということで、いま日本人の多くの人が「原発の情報は8割をテレビに頼っている」という状況があるということ自体を、私は大変憂うのであります。
ということで、テレビに出ない重要情報を以下にいくつか並べます。
●2003年に原発の点検のために17基の原発が一斉に止まったが停電は起こらなかった。
http://ameblo.jp/tensaij/entry-10833696958.html
東海村原発事故の年ですね。原発止めても大丈夫です。問題なし。
それから、必要電力が6400万キロワットで、供給できるのが4000万キロワット、各種の休眠中の火力を復活させて5000万キロワットで1000~1400万キロワットくらいが不足する、てなことを言っていて、まぁおおむねウソではないとは思うのですが、この数字を私は、ものすごーーーーーく眉唾だと考えております。
というのは、電気というのは、電線を通して供給する限り、必ず電線による熱放出ロスが発生するからです。その比率は30%とも40%とも言われてます。ここで話題になっている電力量は発電所の供給能力の単純加算でしかないから、実際に電気を使用している現場では、この7割くらいしか必要としてないはずなんですね。
だから、「中央で一括して発電して、それを電線で一括供給する」という仕組み自体を見直すということをすれば、かなりの無駄が省けて、充分に電力はまかなえるはずなんですよ。
たとえていえば、コジェネレーションシステム。コジェネとも略されてますが、電熱併設とも言うのかな? 大型のショッピングセンターとか、地域電力システムとかで採用されているところも多いようです。これは単純に言ってしまえば電気の地産地消で、必要な場所で電気を作り、その地域や施設内で「効率的に」供給するという仕組みです。
「効率的に」というのは、発電の時に発生する熱をお湯の供給やら、ヒートポンプを使って冷房やらにも活用するという仕組みでして、元のエネルギーから使用状態に持って行くまでの効率がものすごく良いわけです。
デメリットとしては、いわば発電所が足下にあるわけですから、地震の時に火事に見舞われる率が高いという事です。でも、これは規模が小さいから前もっての対処もしやすいはずです。
このコジェネを、別に石油で動かす必要もなくて、ガスタービンとかで回す方法だってあるはずなんですよ。なんなら石油と天然ガスの併設にしたっていいでしょう。その方が管理は大変だろうけど、一気に全面ストップするという危険は避けられるわけです。
ガスに関して言えば、家庭のコンロの根本まで、少なくとも熱放出ロスは使わずに供給されてます。(そのかわり、これも地震の時にはガス噴出→火事のリスクはある。)
このあたりの地域電力システムみたいなのが、なんで成立しないかというと、それこそ日本の電力会社が「地域独占体制」だからなんですよ。
僕はまだ勉強が追いついてないので、詳しくはないですけども、海外の場合は「発電・送電・配電」が厳しく別権利として分割されてるようなんですね。
それは多分、上に書いた「編集権の独立」と言うことと同じ事です。
電気というのは、いまだに効果的な蓄積手法が見つかっておらず、(せいぜいリチウム電池くらい。今後の電気自動車に期待したい。電気自動車では使えなくなった電池を家庭用としてなら使えるからリサイクルするという計画がすでにあるようです。)送電線で発電所を結びあって、電気のやりとりをして、必要なところに送電するという仕組みが、どうしても必要というのはよく分かるのですが、それはあくまで「送電システム」として独立してればいいことで、家庭用の太陽電池の余った電気を購入する事と、原発の電気を流すことを、両方同じ「電気」として差別せずに扱うという責任が電力会社に発生するように、仕組みから変えないといけないはずです。
でも、そういう事が、テレビでは全然話題として出てこない。
どういうこと?
いや、それどころか、ラジオで、「東京電力は問題だ!」と発言しただけで、あの上杉隆は番組を降板させられちゃったんですよ。
■上杉隆 緊急インタビュー
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2754
たかがラジオで、これですよ。どう思います? みなさん。 テレビなら推して知るべしであります。
だから本当に、テレビというのが、いま日本人にとっては、大問題の存在なんです。情報を握られてしまっているという大問題。ここのところにこそ、するどく気づいて欲しい。
とにかくいまは、ネットのいろいろな情報をまめに漁り、どの情報が正確度が高くて、どの情報が正確度が低いのか?ということを、自分で体当たりで調べていくしか、他に方法がないのです。
あと書籍とね。書籍は読むのに時間がかかるのが辛い。
それから、電気供給量が足りないと言う話で出てくるのが夏場だ、ということがありますが、基本的に原発は「ピークの解消」に効果的というだけの話で、夏場のピーク電力自体が年に一回の特別なことなんだから、そこにすべてを集中して電力形態を整えるという発想自体がおかしい。
なんでそういう体制になるかといえば、一言で言えば、
●そうしたほうが電力会社が儲かるから。
でしかないんですけど、その話は置いておきます。
それよりも、言いたいのは「ピークをいかにやりすごすか」の施策はいろいろ考えられるということですね。
まず工場などがサマータイムとか土日操業とかでピークをずらすと言う手がありますし、夏のピークが「甲子園の高校野球をクーラーの効いた部屋で見る」という事で生まれている要因が大きいのだから甲子園を秋口にずらしてやってもらう(今後永遠に)というのも手です。
しかし何より、ピーク時の電力供給という観点でだけ見れば「太陽電池」ほど効率的なものはないはずなんですよね。太陽が照っていれば、発電量も増える太陽電池。まさにピーク時の電力の枯渇を補うには最適です。
なのに、こういう「ピーク時の緩和策としての太陽電池」という視点が全然語られない。なんで? たぶんそれはやっぱり「ピークのために原発がある」という事になってるからでしょう。ちょっとまってくれよー、それは理屈としておかしかろう。
あと、待機電源のムダなんかも原発と直結している問題やねんけどなー。
・電気保温ポット
・電気炊飯器ジャー
・便座ウォーマー・ウォシュレット
・テレビがボタン一つでパットつく
などなど。
こんなもんいらん。
ものすごく小さいメリットのために原発をずっと動かして、危険を抱え込んでるわけでして、まさに愚の骨頂。
ウォシュレットなんて、トイレに小型スプレーを用意して、水をいれておいて、トイレットペーパーにシュッと一ふきすれば、充分に代用になるし、便座ウォーマーは「はってはがせる便座カバー」のたぐいで充分に代用可能。
電気炊飯器などより圧力鍋の方が、利便性も時間の活用もおいしさも圧倒的に上だし、お湯をわかすのも最近はやりの「大電力で一分でお湯が沸く」タイプのもののほうが利便性も高いしムダも少ない。ちゅうか、1人分のお湯ならガスコンロで湧かした方が速いよ。
こういうことも、キチンと反省せねばなりませんわね。
ともあれ、そんなこんなを見ていけば、数字的にも、仕組み的にも、原発なしの電力供給というのは充分可能です。
しかし、そこに行き着く前の問題が、あまりに大きい。
それは、
●情報の独占体制をいかに崩すか?
ということです。
こっちの方が、はるかに重要。
でも、それを言う人も少ないし気づいていない人の方がはるかに多い。
だから「嫌いだけどしょうがないよね原発」になっちゃってるし、多分日本全体がそうなっていくんでしょう。
だってみんなテレビしか見てないもん。
あかんねんってテレビは。ほんまに。
しつこく言うけど。
テレビがあかん。
テレビを消せ。
それが一番の節電だ、っちゅうことであります。
小沢さんが何故マスコミに叩かれるのか。
2011年3月8日 ■時事なんというか、小沢一郎氏の事については、とにかくやたらとマスコミが叩く。
それが一体何故なのかが、どうにもよくわからなくて、かなり長く悩んできました。
でも、それが最近、かなりわかってきたので、ちょっと書きます。
言ったら悪いけども、小沢さんはブオトコなので、見た目で嫌いだ、というつまらん理由も、一般大衆の側にはあるわけですが、しかし、それ以前に、だいたい小沢さんがニコニコ笑っているところを、マスコミはもともと報道しないわけですね。写真の選び方から、すでに偏向している。
で、これが何なのか? なんでそういう偏ったことばかりするのかが、とにかくわからんかったわけです。ずっと謎であった。
もちろん、アメリカの陰謀説とかいろいろあるわけですけど、それはそれとして、それとは別にマスコミ自身にとって、何らかの思惑があるはずだ、というのがあって、そこが全然わからんかったんですね。
で、ネットでいろいろ見ていて、ひとつ「これはあるやろなぁ」と思ったのは「悪ということになっているから、そう扱う。」という、もう、実にヒドイ、低脳な判断がある、ということですね。
とにかく、新人の記者やらアナウンサーとかは「小沢は悪ということになっている」という刷り込みがされてるという感じなわけです。そういう判断をしないと「カイシャ」の中にいてられない空気みたいなもんがあるんでしょうね。
この空気がまずもってバカの極みなのだけれども、じゃあ、なんで、「カイシャ全体で悪人と認定しているのか?」というのが課題になってくるわけです。
空気にまでなっている事というのは、無批判に受け入れるべき「文化」になってしまっている、ということなんですね。そこには「マスコミ全体での共同価値観」が働いているはずなんです。
つまり、僕に見えないのは、そのマスコミの「共同価値観」が一体何なのか?ということなんですね。
小沢=悪と認定するには、それなりの理由が必ずあるはずなのに、実はそこの構造だけが明らかにされていない。
だから、ヒステリックな「政治とカネ」報道のエスカレートぶりが、いまいちよく分からないわけです。
マスコミの人間たちが、ここまで小沢を毛嫌いするには、マスコミの側に「嫌う理由」が必ずあるはずだ、ということなんです。
ここのところを、よーーーーーく、よーーーーーーく、考えて欲しい訳です。
人間、自分の得にならない事はしないんですよ。
だから、行動の理由は必ずある、ということですね。
で、その理由とは何か?
答えは、ものすごく簡単でした。答えは、
●小沢一郎はマスコミの力を借りずに選挙に勝てるから。
だったんですよ。
ここのところが、全然僕にはわからんかった。テレビ報道を見ているだけでは全然分からない。
僕も知らなかったのですが、ようはテレビ新聞などのマスコミは「政治家の人気」を放送・報道でどうにでもイメージ付けできるから、その「権力」をカサにきて、政治家に対して偉そうにふんぞり返って、いろいろと無心してるらしいんですね。
そういうもともとのマスコミの「体質」こそが小沢さんが叩かれる原因だったわけです。
このあたりは、小沢さんが40代の若さで、自民党の幹事長になったときからの因縁の確執だったわけです。
通常、党の幹事長というのは、選挙対策の責任者、ということになります。あからさまに言うなら、「選挙戦の指揮官」という役割を担うことになります。
ですから、党の幹事長ともなれば、選挙の前後でマスコミに叩かれないように、各新聞社やテレビ局などに挨拶回りをして、「うちの党の事を悪く書かないでね」とお願いに回るわけです。
お願いと言えば聞こえはいいですが、ようは袖の下を渡しに行くんですね。新聞、テレビのお偉いさんは、それで私腹を肥やしていた時期があったわけです。っちゅうか、多分いまでもあるんでしょうな。情けないことに。
ところが、小沢さんは、たかだか40代の名前もない若造政治家だったのに、マスコミの挨拶回りを全然しなかった。つまりはマスコミに「袖の下」を渡さなかったわけです。
で、小沢さんが何をしたかというと、「投票するのは国民なのだから、地元の人や組織にお願いに行こう」と考えて、それを実行したわけです。そっちに袖の下を渡したのかどうかまではわかりませんけど、とにかく現場第一主義で選挙を取り仕切って、マスコミ対策はほとんどしなかった。
で、どうなったか? というと、マスコミの記者たちは小沢さんがどこをどうかけずり回っているかを取材することもなく、デスクでふんぞり返っていたから、「どうせ自民党は負けるよ」と予想をしていたわけです。宇野総理の頃の話らしいですけど。
そしたら、小沢さんが幹事長になって最初の地方選挙(千葉の方だったかなぁ)で、自民党が勝っちゃったわけです。
宇野総理が女性スキャンダルでえらいことになって、自民党の人気がものすごく落ちてた時なんですよ? 新聞・マスコミも当然自民党の事は叩きまくっていた時です。肝心の自民党の新人幹事長が「あいさつ」にも来なかったのだから、かなりの自民党叩きキャンペーンをやっていたわけです。
なのに、選挙で勝った。
マスコミの力なんか不要。
そういう事実を見せつけられたわけです。
マスコミの力を借りずに選挙に勝つ。それが小沢さんなわけですよ。これは、田中角栄仕込みの「国民との直接対話」路線なわけです。
で、その「国民との直接対話」というのを、マスコミは「きっと有力者などにカネをばらまいてるに違いない」あるいは、「いろいろと便宜供与をしているに違いない」と勘ぐって報道してるだけなんですね。
なんでそういう話になるかというと、マスコミの上の方の人間が、まさに「人に言えないお金」をもらいまくってるから、なんですよ。
たとえば、政権与党になりますと、官房機密費、というカネの出入りを明らかにしなくて良いお金をある程度自由に使っても良いということになっているんです。
この官房機密費は、かなりのところがマスコミ対策、ということで大手マスコミである新聞社やテレビ局に流れて行ってる可能性が高い。
これ、税金ですからね。官房機密費。
で、出入りをはっきりさせなくて良い金が結局どこへ行くかというと、「個人」に行くわけですよ。まさに袖の下ですね。
テレビ局や新聞社、あるいはそういうテレビの政治番組に出ている政治評論家のたぐいのところに流れて行ってる。
もう、はっきり書きますけど、テレビに出ている政治評論家の三宅なんちゃらとか岩見なんちゃらあたりは、もらったことがあるのは確実だと思うね。バレバレやもん。いろいろ状況証拠とか見ると。
だから、小沢さんが「政治とカネ」で叩かれるのは、まさに新聞・テレビに袖の下を渡さなかったからこそなんですよ。
「あいつはわしらに袖の下も渡さない。なら、絶対に良いことなんか書いてやるもんか。」
というのが、マスコミトップの偽らざる本音なのであります。
こういう事が、この一年くらいで、ツイッターとか読んでいて分かったことであります。
2009年の夏に、民主党が大勝したときだって、おそらく小沢さんはマスコミにあいさつにはいかなかった。40代で自民党の幹事長になった時と同じです。一切マスコミに「良く書いてね」とはおもねらなかった。
でも、小沢民主党が勝つことは見えていた。そういう記事を書かねばならない。それはくやしい。イヤだ。袖の下ももらってないのに、なんでアイツの宣伝をせねばならんのか! ということで、警察とグルになって「のりピー事件」なるものを延々2週間にも渡って報道し続けた、ということなんですよ。
田中角栄を80点の政治家とすれば、小沢さんなんて、たかだか60点くらいの小物だと僕は思います。
だから、小沢一郎をことさら持ち上げる気持ちなんか全然ないんですが、それでも、あの時のノリピー報道はあまりに異常だった。
なんでそういうどうでもいい芸人の話が、あそこまで大きく取り上げられなければならなかったのか?
それは、大きくは、こういう大前提があったからなんですよ。
で、この「新聞のトップ」というところに、はっきりと「読売のナベツネ」がいてます。ナベツネが新聞報道を牛耳ってるのですよ。
まずは、こういう、大きな、大きな構造というものに、やっと僕は気づくことができたし、こういうことを、少なくとも身の回りの人には知って欲しいな、という感じはしますね。
ま、そういうことであります。
それが一体何故なのかが、どうにもよくわからなくて、かなり長く悩んできました。
でも、それが最近、かなりわかってきたので、ちょっと書きます。
言ったら悪いけども、小沢さんはブオトコなので、見た目で嫌いだ、というつまらん理由も、一般大衆の側にはあるわけですが、しかし、それ以前に、だいたい小沢さんがニコニコ笑っているところを、マスコミはもともと報道しないわけですね。写真の選び方から、すでに偏向している。
で、これが何なのか? なんでそういう偏ったことばかりするのかが、とにかくわからんかったわけです。ずっと謎であった。
もちろん、アメリカの陰謀説とかいろいろあるわけですけど、それはそれとして、それとは別にマスコミ自身にとって、何らかの思惑があるはずだ、というのがあって、そこが全然わからんかったんですね。
で、ネットでいろいろ見ていて、ひとつ「これはあるやろなぁ」と思ったのは「悪ということになっているから、そう扱う。」という、もう、実にヒドイ、低脳な判断がある、ということですね。
とにかく、新人の記者やらアナウンサーとかは「小沢は悪ということになっている」という刷り込みがされてるという感じなわけです。そういう判断をしないと「カイシャ」の中にいてられない空気みたいなもんがあるんでしょうね。
この空気がまずもってバカの極みなのだけれども、じゃあ、なんで、「カイシャ全体で悪人と認定しているのか?」というのが課題になってくるわけです。
空気にまでなっている事というのは、無批判に受け入れるべき「文化」になってしまっている、ということなんですね。そこには「マスコミ全体での共同価値観」が働いているはずなんです。
つまり、僕に見えないのは、そのマスコミの「共同価値観」が一体何なのか?ということなんですね。
小沢=悪と認定するには、それなりの理由が必ずあるはずなのに、実はそこの構造だけが明らかにされていない。
だから、ヒステリックな「政治とカネ」報道のエスカレートぶりが、いまいちよく分からないわけです。
マスコミの人間たちが、ここまで小沢を毛嫌いするには、マスコミの側に「嫌う理由」が必ずあるはずだ、ということなんです。
ここのところを、よーーーーーく、よーーーーーーく、考えて欲しい訳です。
人間、自分の得にならない事はしないんですよ。
だから、行動の理由は必ずある、ということですね。
で、その理由とは何か?
答えは、ものすごく簡単でした。答えは、
●小沢一郎はマスコミの力を借りずに選挙に勝てるから。
だったんですよ。
ここのところが、全然僕にはわからんかった。テレビ報道を見ているだけでは全然分からない。
僕も知らなかったのですが、ようはテレビ新聞などのマスコミは「政治家の人気」を放送・報道でどうにでもイメージ付けできるから、その「権力」をカサにきて、政治家に対して偉そうにふんぞり返って、いろいろと無心してるらしいんですね。
そういうもともとのマスコミの「体質」こそが小沢さんが叩かれる原因だったわけです。
このあたりは、小沢さんが40代の若さで、自民党の幹事長になったときからの因縁の確執だったわけです。
通常、党の幹事長というのは、選挙対策の責任者、ということになります。あからさまに言うなら、「選挙戦の指揮官」という役割を担うことになります。
ですから、党の幹事長ともなれば、選挙の前後でマスコミに叩かれないように、各新聞社やテレビ局などに挨拶回りをして、「うちの党の事を悪く書かないでね」とお願いに回るわけです。
お願いと言えば聞こえはいいですが、ようは袖の下を渡しに行くんですね。新聞、テレビのお偉いさんは、それで私腹を肥やしていた時期があったわけです。っちゅうか、多分いまでもあるんでしょうな。情けないことに。
ところが、小沢さんは、たかだか40代の名前もない若造政治家だったのに、マスコミの挨拶回りを全然しなかった。つまりはマスコミに「袖の下」を渡さなかったわけです。
で、小沢さんが何をしたかというと、「投票するのは国民なのだから、地元の人や組織にお願いに行こう」と考えて、それを実行したわけです。そっちに袖の下を渡したのかどうかまではわかりませんけど、とにかく現場第一主義で選挙を取り仕切って、マスコミ対策はほとんどしなかった。
で、どうなったか? というと、マスコミの記者たちは小沢さんがどこをどうかけずり回っているかを取材することもなく、デスクでふんぞり返っていたから、「どうせ自民党は負けるよ」と予想をしていたわけです。宇野総理の頃の話らしいですけど。
そしたら、小沢さんが幹事長になって最初の地方選挙(千葉の方だったかなぁ)で、自民党が勝っちゃったわけです。
宇野総理が女性スキャンダルでえらいことになって、自民党の人気がものすごく落ちてた時なんですよ? 新聞・マスコミも当然自民党の事は叩きまくっていた時です。肝心の自民党の新人幹事長が「あいさつ」にも来なかったのだから、かなりの自民党叩きキャンペーンをやっていたわけです。
なのに、選挙で勝った。
マスコミの力なんか不要。
そういう事実を見せつけられたわけです。
マスコミの力を借りずに選挙に勝つ。それが小沢さんなわけですよ。これは、田中角栄仕込みの「国民との直接対話」路線なわけです。
で、その「国民との直接対話」というのを、マスコミは「きっと有力者などにカネをばらまいてるに違いない」あるいは、「いろいろと便宜供与をしているに違いない」と勘ぐって報道してるだけなんですね。
なんでそういう話になるかというと、マスコミの上の方の人間が、まさに「人に言えないお金」をもらいまくってるから、なんですよ。
たとえば、政権与党になりますと、官房機密費、というカネの出入りを明らかにしなくて良いお金をある程度自由に使っても良いということになっているんです。
この官房機密費は、かなりのところがマスコミ対策、ということで大手マスコミである新聞社やテレビ局に流れて行ってる可能性が高い。
これ、税金ですからね。官房機密費。
で、出入りをはっきりさせなくて良い金が結局どこへ行くかというと、「個人」に行くわけですよ。まさに袖の下ですね。
テレビ局や新聞社、あるいはそういうテレビの政治番組に出ている政治評論家のたぐいのところに流れて行ってる。
もう、はっきり書きますけど、テレビに出ている政治評論家の三宅なんちゃらとか岩見なんちゃらあたりは、もらったことがあるのは確実だと思うね。バレバレやもん。いろいろ状況証拠とか見ると。
だから、小沢さんが「政治とカネ」で叩かれるのは、まさに新聞・テレビに袖の下を渡さなかったからこそなんですよ。
「あいつはわしらに袖の下も渡さない。なら、絶対に良いことなんか書いてやるもんか。」
というのが、マスコミトップの偽らざる本音なのであります。
こういう事が、この一年くらいで、ツイッターとか読んでいて分かったことであります。
2009年の夏に、民主党が大勝したときだって、おそらく小沢さんはマスコミにあいさつにはいかなかった。40代で自民党の幹事長になった時と同じです。一切マスコミに「良く書いてね」とはおもねらなかった。
でも、小沢民主党が勝つことは見えていた。そういう記事を書かねばならない。それはくやしい。イヤだ。袖の下ももらってないのに、なんでアイツの宣伝をせねばならんのか! ということで、警察とグルになって「のりピー事件」なるものを延々2週間にも渡って報道し続けた、ということなんですよ。
田中角栄を80点の政治家とすれば、小沢さんなんて、たかだか60点くらいの小物だと僕は思います。
だから、小沢一郎をことさら持ち上げる気持ちなんか全然ないんですが、それでも、あの時のノリピー報道はあまりに異常だった。
なんでそういうどうでもいい芸人の話が、あそこまで大きく取り上げられなければならなかったのか?
それは、大きくは、こういう大前提があったからなんですよ。
で、この「新聞のトップ」というところに、はっきりと「読売のナベツネ」がいてます。ナベツネが新聞報道を牛耳ってるのですよ。
まずは、こういう、大きな、大きな構造というものに、やっと僕は気づくことができたし、こういうことを、少なくとも身の回りの人には知って欲しいな、という感じはしますね。
ま、そういうことであります。
写真はプリントして貼ろう。
2011年3月7日コメント (2)人の心は移ろいやすい。
人間の顔の筋肉は43種類ほどあって、その各部の力の入れ具合で表情は作られています。
その組み合わせは、数千にも数万にもなるわけで、これらの組み合わせから、幸せやら怒りやら、大笑いに大泣き、果ては絶望やたくらみ、羨望やらねたみにいたるまで、すべての感情が表現されてしまっています。
でも、どれか特定の表情をすぐに出そうと思っても、実はなかなか思い通りに筋肉が動かせるわけでもなく、やっぱり悲しい表情をつづけていると、その表情が固定化されやすいものでもあると思います。
この表情が表す感情を研究した学者の報告によれば、特定の表情を自分で筋肉を動かして自分の顔で再現してみると、恐ろしいことに、「気分」までが、表情とともに内面に芽生えたのだそうです。
だからそれは、「悲しいから泣く」という理屈が成立すると同時に、実は「泣くから悲しい」という理屈も成立するという話なのでありますね。
「へー、やっぱりそうだったのか。」と思うと同時に、人の表情はウソをつけないということもよくよくわかりました。おおむね、その人の顔の表情をじっと見つめていれば、言葉や明確な論理ではなく、直感とか無意識で「こいつは怪しい」というような事が読み取れてしまうわけです。
で、もうひとつ言えるのは、たとえば不幸を抱えている人は、いくら表情を明るく保っても、肝心の筋肉のどこかがちゃんと幸せそうに動いていないので不幸な気分が伝わってしまいますし、たぶんおそらく、そういう気分を感じ取っているときには、大なり小なり、自分の不幸に感ずる筋肉を軽く動かしてシミュレーションして、その「気分」を察知しているんだと思います。
つまり、顔の表情から「気分」が伝染していくって事ですね。
で、やっと冒頭の話につながるのですが「人の心は移ろいやすい」という事の大切なポイントが「気分は伝染する」というところに関係してくるわけです。
いくら、食事に気を使ったり、筋トレをして気分を前向きにしたり、お笑い番組などで大笑いしてみたところで、日々の周りからの影響というものの大きさは、これはやはり無視できないくらい大きなものなわけです。
なので、やっぱり不幸な考えなどを抱いている人には、あまり近づかない方がいいでしょうし、本当に幸せそうにしている人には、できるだけ近づいた方が賢いわけです。
しかし、人間関係というのは、自分の一存だけで決められない部分もありますから、そういうときの大事なリフレッシュ方法として、「自分が幸せそうにしている状態の写真を撮って、壁に貼るとか、写真立てに立てておく、というやり方がありまして、僕はこれ、かなり良い方法だよなぁと思っておるのであります。
自分の顔の筋肉ですら、簡単にはコントロールするのはなかなかに難しいわけですが、それでも自分がもっとも幸せそうに笑った顔というのは、誰にとっても必ず再現可能な表情なわけですから、そういう幸せな表情の写真を部屋の中に飾っておくと、それを見るたびに、顔の表情が再生され、幸せな気分に「自動的に」戻っていくのですね。
この「自動的」というところが、多分、かなり重要なのであります。
そんなもんね、「はい、笑顔を作ってー。笑ってみましょう!」と言われたって、無意識のうちに固まってしまった表情筋なんて、そう簡単には動かせないわけですよ。
でも、写真が飾ってあって、そういう表情を再生するというのは、大なり小なり無意識のうちにやってしまうものなのです。
だから、幸せな自分の表情の写真を飾っておくというのは、コントロールしにくい「気分」というものを、無理せず上向きにしてくれる、なかなかに素敵なツールだよなぁと僕は思っておるのであります。
しかも、ですね。
デジカメのプリントなんて、1枚18円から30円前後のものなわけです。無茶苦茶に安い。
こんなに安いのに、自分に幸せな気分の維持に効果があるわけですから、これは是非とも多くの方に実践していただきたい手法だよなぁと、私は思っておるのであります。
欧米だと、家族の写真を自分の仕事場のデスクの上にまで飾っている、なんてパターンがあったりします。(ダイハードの1なんかはそういう話が入ってましたわね。まぁあれは離婚した嫁との写真を後生大事に飾っているというような、ちょっとどうだろうか?というネタではありましたが。)
別に顔の表情でなくても、自分が「ああキレイだな」と感じた風景の写真を部屋に飾っておくだけでも、精神衛生上は、かなり豊かな気分になりますので、もしデジカメで、いろいろな撮影をするのが好きな方は、パソコン画面で見るだけでなく、是非是非、部屋の中で飾る、ということをやってみていただきたいなぁと私は思うのであります。
毎日、自宅に戻ってくるたびに、気分の良くなる方向に自分の感情面が再セットされる感じがあって良いものです。
ぜひみなさんも、お試しあれ。
人間の顔の筋肉は43種類ほどあって、その各部の力の入れ具合で表情は作られています。
その組み合わせは、数千にも数万にもなるわけで、これらの組み合わせから、幸せやら怒りやら、大笑いに大泣き、果ては絶望やたくらみ、羨望やらねたみにいたるまで、すべての感情が表現されてしまっています。
でも、どれか特定の表情をすぐに出そうと思っても、実はなかなか思い通りに筋肉が動かせるわけでもなく、やっぱり悲しい表情をつづけていると、その表情が固定化されやすいものでもあると思います。
この表情が表す感情を研究した学者の報告によれば、特定の表情を自分で筋肉を動かして自分の顔で再現してみると、恐ろしいことに、「気分」までが、表情とともに内面に芽生えたのだそうです。
だからそれは、「悲しいから泣く」という理屈が成立すると同時に、実は「泣くから悲しい」という理屈も成立するという話なのでありますね。
「へー、やっぱりそうだったのか。」と思うと同時に、人の表情はウソをつけないということもよくよくわかりました。おおむね、その人の顔の表情をじっと見つめていれば、言葉や明確な論理ではなく、直感とか無意識で「こいつは怪しい」というような事が読み取れてしまうわけです。
で、もうひとつ言えるのは、たとえば不幸を抱えている人は、いくら表情を明るく保っても、肝心の筋肉のどこかがちゃんと幸せそうに動いていないので不幸な気分が伝わってしまいますし、たぶんおそらく、そういう気分を感じ取っているときには、大なり小なり、自分の不幸に感ずる筋肉を軽く動かしてシミュレーションして、その「気分」を察知しているんだと思います。
つまり、顔の表情から「気分」が伝染していくって事ですね。
で、やっと冒頭の話につながるのですが「人の心は移ろいやすい」という事の大切なポイントが「気分は伝染する」というところに関係してくるわけです。
いくら、食事に気を使ったり、筋トレをして気分を前向きにしたり、お笑い番組などで大笑いしてみたところで、日々の周りからの影響というものの大きさは、これはやはり無視できないくらい大きなものなわけです。
なので、やっぱり不幸な考えなどを抱いている人には、あまり近づかない方がいいでしょうし、本当に幸せそうにしている人には、できるだけ近づいた方が賢いわけです。
しかし、人間関係というのは、自分の一存だけで決められない部分もありますから、そういうときの大事なリフレッシュ方法として、「自分が幸せそうにしている状態の写真を撮って、壁に貼るとか、写真立てに立てておく、というやり方がありまして、僕はこれ、かなり良い方法だよなぁと思っておるのであります。
自分の顔の筋肉ですら、簡単にはコントロールするのはなかなかに難しいわけですが、それでも自分がもっとも幸せそうに笑った顔というのは、誰にとっても必ず再現可能な表情なわけですから、そういう幸せな表情の写真を部屋の中に飾っておくと、それを見るたびに、顔の表情が再生され、幸せな気分に「自動的に」戻っていくのですね。
この「自動的」というところが、多分、かなり重要なのであります。
そんなもんね、「はい、笑顔を作ってー。笑ってみましょう!」と言われたって、無意識のうちに固まってしまった表情筋なんて、そう簡単には動かせないわけですよ。
でも、写真が飾ってあって、そういう表情を再生するというのは、大なり小なり無意識のうちにやってしまうものなのです。
だから、幸せな自分の表情の写真を飾っておくというのは、コントロールしにくい「気分」というものを、無理せず上向きにしてくれる、なかなかに素敵なツールだよなぁと僕は思っておるのであります。
しかも、ですね。
デジカメのプリントなんて、1枚18円から30円前後のものなわけです。無茶苦茶に安い。
こんなに安いのに、自分に幸せな気分の維持に効果があるわけですから、これは是非とも多くの方に実践していただきたい手法だよなぁと、私は思っておるのであります。
欧米だと、家族の写真を自分の仕事場のデスクの上にまで飾っている、なんてパターンがあったりします。(ダイハードの1なんかはそういう話が入ってましたわね。まぁあれは離婚した嫁との写真を後生大事に飾っているというような、ちょっとどうだろうか?というネタではありましたが。)
別に顔の表情でなくても、自分が「ああキレイだな」と感じた風景の写真を部屋に飾っておくだけでも、精神衛生上は、かなり豊かな気分になりますので、もしデジカメで、いろいろな撮影をするのが好きな方は、パソコン画面で見るだけでなく、是非是非、部屋の中で飾る、ということをやってみていただきたいなぁと私は思うのであります。
毎日、自宅に戻ってくるたびに、気分の良くなる方向に自分の感情面が再セットされる感じがあって良いものです。
ぜひみなさんも、お試しあれ。
知ってる人には普通の事なのかも知れませんが、マスコミで話題になる事件の多くが、マスコミの都合で作られてる、というのがあります。
近年で言えば、やはり酒井法子と朝青龍。
酒井法子の時は、選挙戦のまっただなか。自民党から民主党に変わる、という時で、まともに考えれば、自民党・民主党のマニフェストの紹介やら、もし政権が変わったら、社会がどうなるのか、あるいはどうしていくべきなのか、などを書かねばなりません。
しかし、それを紙面を全面的に使って書くことは、官僚たちが嫌がったし、官僚の広報担当官になり果てているマスコミは、もっと困った。
だって、「書くな」と言われても、新聞は発行しなくちゃいけないし、テレビのニュース枠もちゃんとあるわけですから。
だから「埋め草」と言いますが空いた部分を埋める記事がどうしても欲しい。
そういう必然性から、おそらく酒井法子は生け贄にされたわけです。
もう、このあたりは断定しきって良いと僕は思う。
で、朝青龍の引退。
これは、いまにして思えばこそ、イヤでもはっきりせざるを得ないのですが、小沢さんの不起訴が決まった日でした。
不起訴というのはどういうことか? それは検察という、とんでもなく厳しい(非人道的ですらある、とてもまともな人間の集まりとは言えない「特捜」の取り調べですよ。)が、結局、まともな証拠はおろか、脅しすかして、暴力団まがいのことまでしても、事実は事実で、証拠に相当するような発言もとれなかった、ということです。
でも、当時から、小沢さんは、検察が不起訴にしても、検察審査会によって起訴される事がシナリオとして決まっていたに違いないのです。(決まっている事自体が大問題なんですよ、これは。はっきり憲法違反です。)
検察審査会というのは、「検察をチェックする」という名目で作られた組織で、「ちゃんと裁判してくれなきゃ困る」とか、「まぁ、そこまでしなくていいんじゃないの?」とかを国民の立場から審査するという組織です。
だから純粋に国民が審査して議決をださねばおかしいわけですよ。
ところが、小沢さんが不起訴になる前から、ここに書いていたシナリオが、どうも決まっていたらしいのですよ。(これは逮捕された小沢さんの元秘書の石川知裕さんを取り調べた人間が「いずれそうなっちゃうよー」と脅した台詞にあった事。明確な証拠まであるんですよ!)
そういう前提があったからこそ「小沢不起訴」の記事と印象を小さく、小さく、小さくしなければならなかったわけです。
小沢さんは、ごく普通に世界標準の政府のあり方にせなアカンと考えてる程度の、普通にまともな政治家だと思います。でもそれが、このゆがんだ正義をいつまでも抱え続けようとしているバカな官僚や、マヌケで上に従うだけのアホマスコミから見れば「過激で危険な改革思考の持ち主である」と見えてしまうわけです。(いろいろ既得権益を取られちゃうからねぇ。このあたりは、また改めて書きましょうか。)
こういう、とんでもない仕組みが、この1月末に小沢さんの強制起訴が決まった事で、より一層はっきりした。
だって、それに合わせて、また「相撲が事件です!」とかやってるんやもん。かなりおかしい。
こんなもん、こいつら、完全に計画犯罪ですがな。
もう、疑うとかなんとかのレベルではないと思う。ほぼ確定です。
だから、今回の相撲の八百長疑惑は、マスコミが「検察審査会とは何か?」ということを、ひたすら国民の目からそらすために仕組まれた「スピン」であって、こういう卑劣な事を許してはいかんのです。
ホリエモンだったかが、まともな事を言ってましたが「相撲が公的な賭博場であったのなら、八百長というのも成立するけど、そうではなくて興業なんだから八百長は成立しない。」ってことです。誰も不利益をこうむっていないのに、罪に問えるはずがない。実にその通り。なんでこんなくだらん事に紙面を割くのか。
ようは検察審査会(特に小沢さんの強制起訴を決めた第五検察審査会)は、とんでもなく怪しい。
怪しくて、怪しくて、怪しくて、とんでもない。
とんでもないことを、つつかれたくないから、相撲の八百長疑惑などという「事件」を作って、世間の目をごまかそうとしているのだ!!!
こんなもんを許しておいて良いはずがない。
しったかぶったをして、「相撲の八百長はよー」とかブログで書いてるみなさん!
あんたがたは全員、官僚どものクソヤローたちに、いいように転がされてる「バカ」なんですよ!!!
そこ、いますぐ気づいてください。
「検察審査会の疑惑」というキーワードで、ガンガンに検索をかけてください。
ガンガンにです。
もう僕は説明とかしません。
法務省は許せん。
相撲協会もマスコミもグルだ。
小沢、相撲。なんで同時期に同じような組み合わせになるのか! おかしいやろ!
それは悪巧みをたくらんでる奴らが同一だからです!!!!
他に答えはありません。
それだけのこと。
徹底して検察審査会(東京第五審査会)を叩け! エジプトの民と同じように立ち上がらないとダメです。
特に大相撲が好きな人なら絶対です。どんどん声をあげましょう! どんどんです!
ここが、菅内閣をぶっつぶす、重要ポイントになります。
おそらく民主党内のまともな議員も、集結するはず。
八百長疑惑とは検察審査会の闇隠しである。
はっきりしてる。
国民がバカにされているんです。「これでだませるやろ。」と思ってる奴らがいるんです。許せないでしょ? 違いますか?
まず、真実を知るようにしましょう。
まず、あなたがグーグル検索をガンガンにかけて、この裏の闇を徹底的に「自ら」知ることです。
なので、関連リンクは一切無しです。
まず、自ら動きましょう。
近年で言えば、やはり酒井法子と朝青龍。
酒井法子の時は、選挙戦のまっただなか。自民党から民主党に変わる、という時で、まともに考えれば、自民党・民主党のマニフェストの紹介やら、もし政権が変わったら、社会がどうなるのか、あるいはどうしていくべきなのか、などを書かねばなりません。
しかし、それを紙面を全面的に使って書くことは、官僚たちが嫌がったし、官僚の広報担当官になり果てているマスコミは、もっと困った。
だって、「書くな」と言われても、新聞は発行しなくちゃいけないし、テレビのニュース枠もちゃんとあるわけですから。
だから「埋め草」と言いますが空いた部分を埋める記事がどうしても欲しい。
そういう必然性から、おそらく酒井法子は生け贄にされたわけです。
もう、このあたりは断定しきって良いと僕は思う。
で、朝青龍の引退。
これは、いまにして思えばこそ、イヤでもはっきりせざるを得ないのですが、小沢さんの不起訴が決まった日でした。
不起訴というのはどういうことか? それは検察という、とんでもなく厳しい(非人道的ですらある、とてもまともな人間の集まりとは言えない「特捜」の取り調べですよ。)が、結局、まともな証拠はおろか、脅しすかして、暴力団まがいのことまでしても、事実は事実で、証拠に相当するような発言もとれなかった、ということです。
でも、当時から、小沢さんは、検察が不起訴にしても、検察審査会によって起訴される事がシナリオとして決まっていたに違いないのです。(決まっている事自体が大問題なんですよ、これは。はっきり憲法違反です。)
検察審査会というのは、「検察をチェックする」という名目で作られた組織で、「ちゃんと裁判してくれなきゃ困る」とか、「まぁ、そこまでしなくていいんじゃないの?」とかを国民の立場から審査するという組織です。
だから純粋に国民が審査して議決をださねばおかしいわけですよ。
ところが、小沢さんが不起訴になる前から、ここに書いていたシナリオが、どうも決まっていたらしいのですよ。(これは逮捕された小沢さんの元秘書の石川知裕さんを取り調べた人間が「いずれそうなっちゃうよー」と脅した台詞にあった事。明確な証拠まであるんですよ!)
そういう前提があったからこそ「小沢不起訴」の記事と印象を小さく、小さく、小さくしなければならなかったわけです。
小沢さんは、ごく普通に世界標準の政府のあり方にせなアカンと考えてる程度の、普通にまともな政治家だと思います。でもそれが、このゆがんだ正義をいつまでも抱え続けようとしているバカな官僚や、マヌケで上に従うだけのアホマスコミから見れば「過激で危険な改革思考の持ち主である」と見えてしまうわけです。(いろいろ既得権益を取られちゃうからねぇ。このあたりは、また改めて書きましょうか。)
こういう、とんでもない仕組みが、この1月末に小沢さんの強制起訴が決まった事で、より一層はっきりした。
だって、それに合わせて、また「相撲が事件です!」とかやってるんやもん。かなりおかしい。
こんなもん、こいつら、完全に計画犯罪ですがな。
もう、疑うとかなんとかのレベルではないと思う。ほぼ確定です。
だから、今回の相撲の八百長疑惑は、マスコミが「検察審査会とは何か?」ということを、ひたすら国民の目からそらすために仕組まれた「スピン」であって、こういう卑劣な事を許してはいかんのです。
ホリエモンだったかが、まともな事を言ってましたが「相撲が公的な賭博場であったのなら、八百長というのも成立するけど、そうではなくて興業なんだから八百長は成立しない。」ってことです。誰も不利益をこうむっていないのに、罪に問えるはずがない。実にその通り。なんでこんなくだらん事に紙面を割くのか。
ようは検察審査会(特に小沢さんの強制起訴を決めた第五検察審査会)は、とんでもなく怪しい。
怪しくて、怪しくて、怪しくて、とんでもない。
とんでもないことを、つつかれたくないから、相撲の八百長疑惑などという「事件」を作って、世間の目をごまかそうとしているのだ!!!
こんなもんを許しておいて良いはずがない。
しったかぶったをして、「相撲の八百長はよー」とかブログで書いてるみなさん!
あんたがたは全員、官僚どものクソヤローたちに、いいように転がされてる「バカ」なんですよ!!!
そこ、いますぐ気づいてください。
「検察審査会の疑惑」というキーワードで、ガンガンに検索をかけてください。
ガンガンにです。
もう僕は説明とかしません。
法務省は許せん。
相撲協会もマスコミもグルだ。
小沢、相撲。なんで同時期に同じような組み合わせになるのか! おかしいやろ!
それは悪巧みをたくらんでる奴らが同一だからです!!!!
他に答えはありません。
それだけのこと。
徹底して検察審査会(東京第五審査会)を叩け! エジプトの民と同じように立ち上がらないとダメです。
特に大相撲が好きな人なら絶対です。どんどん声をあげましょう! どんどんです!
ここが、菅内閣をぶっつぶす、重要ポイントになります。
おそらく民主党内のまともな議員も、集結するはず。
八百長疑惑とは検察審査会の闇隠しである。
はっきりしてる。
国民がバカにされているんです。「これでだませるやろ。」と思ってる奴らがいるんです。許せないでしょ? 違いますか?
まず、真実を知るようにしましょう。
まず、あなたがグーグル検索をガンガンにかけて、この裏の闇を徹底的に「自ら」知ることです。
なので、関連リンクは一切無しです。
まず、自ら動きましょう。
現代において、最重要なのは「情報」です。
お金より、情報が大事なんだ。
で、日本のマスコミはウソばっかり流して、国民をだまそうとばかりしてる。本当に信用できない。
そんなマスコミが存在していること自体が犯罪行為なんです。記者クラブなんて完璧な「情報のカルテル組織」だよなぁ。
フリージャーナリストの田中龍作さんが、エジプトに飛んで、向こうの様子を伝えてくれてます。マスコミじゃなんにもわからん。
http://tanakaryusaku.seesaa.net/
これを見よ。
日本とまったく同じじゃないか!
http://tanakaryusaku.seesaa.net/article/184901222.html
「国営テレビは政府のコントロール下にある。民間の新聞も政府の圧力でウソばっかし書く。Nobody believe Egyptian Press。誰もエジプトのメディアを信じちゃいない」。
この写真の彼は、国営テレビが信じられないから「誰もエジプトのプレスを信じちゃいない」とわざわざ英語で書いたプラカードを持って、世界中のどこかの誰かがyoutubeなどで流してくれる事を期待して立ってるんだ。
これが、いまの時代の革命なんです。
だから、いまこれを見ているあなた!
新聞・テレビを信じるな!
ウソばっかりだ。
エジプトを信じろ。
いま、まさに革命が起きているんだ。
お金より、情報が大事なんだ。
で、日本のマスコミはウソばっかり流して、国民をだまそうとばかりしてる。本当に信用できない。
そんなマスコミが存在していること自体が犯罪行為なんです。記者クラブなんて完璧な「情報のカルテル組織」だよなぁ。
フリージャーナリストの田中龍作さんが、エジプトに飛んで、向こうの様子を伝えてくれてます。マスコミじゃなんにもわからん。
http://tanakaryusaku.seesaa.net/
これを見よ。
日本とまったく同じじゃないか!
http://tanakaryusaku.seesaa.net/article/184901222.html
「国営テレビは政府のコントロール下にある。民間の新聞も政府の圧力でウソばっかし書く。Nobody believe Egyptian Press。誰もエジプトのメディアを信じちゃいない」。
この写真の彼は、国営テレビが信じられないから「誰もエジプトのプレスを信じちゃいない」とわざわざ英語で書いたプラカードを持って、世界中のどこかの誰かがyoutubeなどで流してくれる事を期待して立ってるんだ。
これが、いまの時代の革命なんです。
だから、いまこれを見ているあなた!
新聞・テレビを信じるな!
ウソばっかりだ。
エジプトを信じろ。
いま、まさに革命が起きているんだ。
減税か増税か、それが問題だ。河村さんが当選したんだから。
2011年2月7日これからは、「まず減税」の時代だ、ということです。
http://ht.ly/3Rl3Z
増税とか言うのはバカ。
議会も国民の代表だけど、こういう具合にわかってない。
http://ht.ly/3RlhN
国民がだまされてるから、こういう議員がのさばる。
まず減税する。そして公共サービスの質は下げない。
そうしろ、ということです。
役所は純粋に「事務方」であって、この10年で事務処理の技術革新はものすごかったんだ。
パソコンもインターネットもいくらでも使い放題だ。
いろんな値段がどっかんどっかん下がったんだ。
なんで「事務処理」でしかない公共サービス「だけ」が「増税=値上げ」やねん。根本的におかしい。筋が通ってない。
そういうことですよ。
恵まれない人のために100万円集めて、分配のためにこまかいこまかいこまかいこまかい、どーーーーーーーでもいいようなルールと書類ばーーーーっかり作って、どうでもいい「方便」ばっかり言う役人が70万円無駄遣いして、残り30万円が恵まれない人に還元される、みたいなことを、えんえんやってるのだ。
はっきりしてるのは、
●税金は、元々悪。
ということです。
恵まれない人にお金をあげる、というのは、街なかにお乞食さんが立っていて、その人の財布に10円でも100円でも入れてあげれば、それで成り立つことなのだ。
ところが、「風紀のために乞食を排除する」という役人が出てきて、そいつがどうでもいいような高い税金で暮らしてるなら、そんな奴はいらんやろ。
タイガーマスク運動っていうのが、あそこまで広がったというのは、本質的にそういうことです。
「もう、国の『富の再分配機能』が、ちゃんと働いてないから、わしら自分でやらなしゃーないやんけ。」
っちゅうことですわ。
まず、国民が、
●税金は、本来悪である。
●役人は国家的ないそうろうである。
●いそうろうは、ちゃんと役人をやめてはじめて、まともな「国民」だ。
というような事を、真剣に考えるべきだと思う。
このあたりの意識が変わらないと、「増税も仕方ないのかな」というアホな洗脳にだまされる事になると思います。
まず国民の意識から育てていかないとねぇ。
名古屋に続け!
減税こそが、まず必要なのだ。
それは地方自治も、国家運営も、企業経営も同じ事なのだ。
そして、エジプトに学ぼう!
なんかテレビではエジプト革命の事を、テロリスト運動みたいに言ってるけど違うよ。
100万人もの人がテロリスト運動なんかしないよ。
親米の一派も登場してないよ。
おかしな暴力行為を働いてる奴が現政権にやとわれた「ひっかき回し屋」なんですよ。
だまされちゃだめだ。
ちゃんと見よう。
エジプトは反米革命。
日本では減税革命。
だから、名古屋に学ぼう! エジプトに学ぼう!
エジプトに学ぼう!
エジプトに学ぼう!
エジプトに学ぼう!
http://ht.ly/3Rl3Z
増税とか言うのはバカ。
議会も国民の代表だけど、こういう具合にわかってない。
http://ht.ly/3RlhN
国民がだまされてるから、こういう議員がのさばる。
まず減税する。そして公共サービスの質は下げない。
そうしろ、ということです。
役所は純粋に「事務方」であって、この10年で事務処理の技術革新はものすごかったんだ。
パソコンもインターネットもいくらでも使い放題だ。
いろんな値段がどっかんどっかん下がったんだ。
なんで「事務処理」でしかない公共サービス「だけ」が「増税=値上げ」やねん。根本的におかしい。筋が通ってない。
そういうことですよ。
恵まれない人のために100万円集めて、分配のためにこまかいこまかいこまかいこまかい、どーーーーーーーでもいいようなルールと書類ばーーーーっかり作って、どうでもいい「方便」ばっかり言う役人が70万円無駄遣いして、残り30万円が恵まれない人に還元される、みたいなことを、えんえんやってるのだ。
はっきりしてるのは、
●税金は、元々悪。
ということです。
恵まれない人にお金をあげる、というのは、街なかにお乞食さんが立っていて、その人の財布に10円でも100円でも入れてあげれば、それで成り立つことなのだ。
ところが、「風紀のために乞食を排除する」という役人が出てきて、そいつがどうでもいいような高い税金で暮らしてるなら、そんな奴はいらんやろ。
タイガーマスク運動っていうのが、あそこまで広がったというのは、本質的にそういうことです。
「もう、国の『富の再分配機能』が、ちゃんと働いてないから、わしら自分でやらなしゃーないやんけ。」
っちゅうことですわ。
まず、国民が、
●税金は、本来悪である。
●役人は国家的ないそうろうである。
●いそうろうは、ちゃんと役人をやめてはじめて、まともな「国民」だ。
というような事を、真剣に考えるべきだと思う。
このあたりの意識が変わらないと、「増税も仕方ないのかな」というアホな洗脳にだまされる事になると思います。
まず国民の意識から育てていかないとねぇ。
名古屋に続け!
減税こそが、まず必要なのだ。
それは地方自治も、国家運営も、企業経営も同じ事なのだ。
そして、エジプトに学ぼう!
なんかテレビではエジプト革命の事を、テロリスト運動みたいに言ってるけど違うよ。
100万人もの人がテロリスト運動なんかしないよ。
親米の一派も登場してないよ。
おかしな暴力行為を働いてる奴が現政権にやとわれた「ひっかき回し屋」なんですよ。
だまされちゃだめだ。
ちゃんと見よう。
エジプトは反米革命。
日本では減税革命。
だから、名古屋に学ぼう! エジプトに学ぼう!
エジプトに学ぼう!
エジプトに学ぼう!
エジプトに学ぼう!
この間、ちょいと梅田まで出て、文具コーナーを覗いたら、写真のような「メモ帳」が出ておりました。
「んん? なんだこれ?」と一瞬、不思議なデジャビュを感じたのですが、そのメモ帳が、かのツイストリングノートのミニミニサイズなのだと気がついた途端に、
ギョエ~!!!
と叫んでしまいましたね。
いやー、これは良いわ。素晴らしいわ。待ってました!と言うしかない。
先に、ツイストリングノートを知らない人のために、ざっくり説明しておくと、「二つ折りできるリングノートなのに、システム手帳みたいに用紙の差し替えが出来るノート」なわけです。
システム手帳を使ったことがある人なら解ると思いますが、システム手帳は、リングノートみたいに半分折りにして、「書く面だけを表側に出して書く」ということができないんですよね。意外に「書き込み」には向いてないのがシステム手帳というか、抜き差し可能な手帳なら、ほとんどのものが持っている残念なデメリットなわけです。
で、ツイストリングノートは、そこを実にうまくクリアしていて、普通のリングノートと同じ感覚で二つ折りで使えるのに、ノート(=リフィル)の差し替えもできるというところが素晴らしかったわけです。
このあたりは、
●抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/
で書いたことなのですが、この<メモ>は、そのツイストリングノートと同じ構造を、そのままポケットにも入れられる、ほぼ5×3カードサイズのメモ帳で実現してくれたものなんですね。
つまり、どんどんメモを書いて、あとからリフィル単位で入れ替えられる! ということです。
これがいかに画期的な商品であることか!
商品説明にも、あんまりしっかり書いてなかったから、これはちゃんと解説しないといかんなぁと思って、ちょっと記事を書く気になったのであります。
というのも、実は、ここ2年くらい、ずっとB5サイズのツイストリングノートを使ってきていて、その機動性やら、分類の便利さには満足していたものの、ほんとうにちょっとした「メモ」を書くのに良いシステムがなかったからなんです。
ほんとうに、ちょっこっとメモを取って、それを確実に処理するなり、まとめるなりしたい!と思うと、良いやり方がなかったんですよ。
このあたりはもう、ずーっと課題でして、ずいぶん前から、いろいろ書いてるんですね。
●ヒップスターPDA(デジアナプロジェクト:私がよそで書いてる文具系のブログです。)
http://blog.livedoor.jp/kids1226/archives/50621432.html#
とか、
●ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/
とか、
●単語帳(1穴リング・カード式)は、最小のバインダーノート。
http://hitoyomi.diarynote.jp/201004011432346102/
とか、
●みんな冬に手帳を買ってるけど、夏の事も考えてる? 名刺サイズのカードなら夏場も乗り越えますぞ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200910271206547657/
とかで、いろいろ書いてきたわけです。(しかし、我ながら、かなりいろいろ試し続けてますなぁ。)
私としては、ようは「歩いてる時などに思いついたことをメモでまとめる。」ということを、やりたくて、こういうことを考えてきたわけです。
で、実は。
今回紹介している「ツイストリングノート<メモ>」のようなメモ帳を、自分で「自作」までしてたんですね。ほんの3か月ほど前の話なんですけども。
A5サイズのツイストリングノートを買ってきまして、そのリング部分の両端をペンチで切り落として、市販のリングメモをそのリングに通す、ということをやってたわけです。
で感想は、「あー、これ、むちゃくちゃ便利だ!」というものでして、LIHIT LABさんに、「こういう商品を作ってください!」とメールしようかと思ってたくらいなんです。
だから、まさに、店頭でこの「ツイストリングノート<メモ>」を見たときにギョエー! っというデジャビュ感覚が湧いたわけです。
まさに僕が試作してみたそのものの商品が店頭に並んでいるのですねぇ。いやー、うれしかった。
と、長い前振りをしましたが、大事なのは、ここからです。
この商品が画期的なのは、「メモが取り外せて、並べ替えられる」という点が大きいというのはあるんですが、それよりも大事なのは、
●B5・29穴と、A5・24穴と、5×3インチメモ・8穴のピッチがまったく同じで等間隔リングフォーマットである。
ということなのですよ。
ここが、画期的に新しい。
意味が全然分からないかもしれませんけど、これは要するに、
●B5ノートとA5ノートとメモサイズとを、自由に行き来できるメモが誕生した。
ということなんです。
つまり、このメモ用紙は「B5またはA5ノートに、そのまま自由位置でバインドできる」ということなんですね。
なんでわざわざ「自由位置」のところを大きく赤字にしたかというと、実は、これで、メモ用紙によるアナログ版の「アウトラインプロセッサ」を実現できるからなのですよ。
この「ツイストリングノート<メモ>」は、用紙が方眼罫ですので、縦位置でも横位置でも使えますから、これを本当に5×3インチカードみたいに横位置で使うと、
ここの写真の二枚目みたいな感じで使えます。
このカードを、三枚目の写真のように、B5またはA5サイズのノートに「重ねて」バインドできるわけです。
この「重ねて」というところが良いのです。パソコンのフォルダ管理でツリー構造を折りたたむように、「本文」を隠して、見出しのみの一覧が出来てしまうわけです。
これ、なんでもないことのようですけど、かなり画期的ですよ。
たとえば、ToDoをリストアップするにしても、一枚のメモに複数項目を書き出すのではなくて、カード1枚に1項目を「見出し」だけ書き出して、こういう具合に大きなノートに一覧してやっても良いわけです。(この一覧だけをiPhoneのカメラで撮影する、という手も使える。)
で、作業が進むたびに、進行状況を、それぞれのメモに書き付けて残していく、なんてこともできる。
いやまぁ、こういう使い方は机上の空論にしか過ぎないですけど、そういう精緻な使い方もできるし、そうではなくて、「とりあえず、なんとなくこのメモは大判ノートの、このページあたりにバインドしとくと便利そう」という感じで保存ができます。
それも重要だと思うメモは、ちゃんと読めるように配置して、関連メモは重ねて綴じ込む、みたいなことができるわけです。
B5もA5も、メモも、全部一冊のノートに自由配置で保管できるんです。
で、大事なのは、こういうリングバインダーは「閲覧にすぐれている」という事なんですね。読み直し、見直しがいつでも気軽に、気持ちよくできる。
ここがかなり重要なんです。それこそ、思いつきで書いたような自分のメモを、本を読むかのようにどこでも再読できるのです。
これがたぶん、かなり大事。
「カード」というものを、それなりに使ったことのある人なら、その機動性の高さは納得できると思うんですが、逆にカードというものの欠点は「再読がしんどい」というところにあるわけです。このあたりは、使ったことのある人なら絶対わかると思います。
普通はカードの保管と再読というのは、カードボックスを使ってやるくらいしか手がないんですね。でも、このカードボックスというのが、これまたカードの死蔵を引き起こしやすい道具でして、カードというのはその再読のしにくさとの戦いとも言えるわけです。
しかし、このツイストリングノートの体系においては、ふだんのノートの再読作業の中に「カード」の機動性が加わる、ということになるので、これはかなり強力なんですよ。
しかも、糊ではりつける手間も不要だし、クリアファイルで管理するような「書き込みのしにくさ」もないわけです。
自由に書き込んで、順序を入れ替えて、編集しながら再読ができる、ということなんです。
こういうツールは、いままでまったくなかったと考えて良いと思います。
多分、かなり便利なはずです。
なんちゅうか、このノートを使った、新しい発想の方法論まで考えても良いくらいだよなぁと私は思いますよ。
これもそれも「等ピッチで間欠部分のないリングバインダー」だからこそのメリットでしょう。
(システム手帳だと6穴の上3穴と下3穴の間の間欠部分は等ピッチではないので、こういう事ができなかったのです。)
ともあれ、これはかなり画期的な商品だと思います。
みなさん、上手に使いこなしてくださいませ。
ではでは。
「んん? なんだこれ?」と一瞬、不思議なデジャビュを感じたのですが、そのメモ帳が、かのツイストリングノートのミニミニサイズなのだと気がついた途端に、
ギョエ~!!!
と叫んでしまいましたね。
いやー、これは良いわ。素晴らしいわ。待ってました!と言うしかない。
先に、ツイストリングノートを知らない人のために、ざっくり説明しておくと、「二つ折りできるリングノートなのに、システム手帳みたいに用紙の差し替えが出来るノート」なわけです。
システム手帳を使ったことがある人なら解ると思いますが、システム手帳は、リングノートみたいに半分折りにして、「書く面だけを表側に出して書く」ということができないんですよね。意外に「書き込み」には向いてないのがシステム手帳というか、抜き差し可能な手帳なら、ほとんどのものが持っている残念なデメリットなわけです。
で、ツイストリングノートは、そこを実にうまくクリアしていて、普通のリングノートと同じ感覚で二つ折りで使えるのに、ノート(=リフィル)の差し替えもできるというところが素晴らしかったわけです。
このあたりは、
●抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/
で書いたことなのですが、この<メモ>は、そのツイストリングノートと同じ構造を、そのままポケットにも入れられる、ほぼ5×3カードサイズのメモ帳で実現してくれたものなんですね。
つまり、どんどんメモを書いて、あとからリフィル単位で入れ替えられる! ということです。
これがいかに画期的な商品であることか!
商品説明にも、あんまりしっかり書いてなかったから、これはちゃんと解説しないといかんなぁと思って、ちょっと記事を書く気になったのであります。
というのも、実は、ここ2年くらい、ずっとB5サイズのツイストリングノートを使ってきていて、その機動性やら、分類の便利さには満足していたものの、ほんとうにちょっとした「メモ」を書くのに良いシステムがなかったからなんです。
ほんとうに、ちょっこっとメモを取って、それを確実に処理するなり、まとめるなりしたい!と思うと、良いやり方がなかったんですよ。
このあたりはもう、ずーっと課題でして、ずいぶん前から、いろいろ書いてるんですね。
●ヒップスターPDA(デジアナプロジェクト:私がよそで書いてる文具系のブログです。)
http://blog.livedoor.jp/kids1226/archives/50621432.html#
とか、
●ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/
とか、
●単語帳(1穴リング・カード式)は、最小のバインダーノート。
http://hitoyomi.diarynote.jp/201004011432346102/
とか、
●みんな冬に手帳を買ってるけど、夏の事も考えてる? 名刺サイズのカードなら夏場も乗り越えますぞ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200910271206547657/
とかで、いろいろ書いてきたわけです。(しかし、我ながら、かなりいろいろ試し続けてますなぁ。)
私としては、ようは「歩いてる時などに思いついたことをメモでまとめる。」ということを、やりたくて、こういうことを考えてきたわけです。
で、実は。
今回紹介している「ツイストリングノート<メモ>」のようなメモ帳を、自分で「自作」までしてたんですね。ほんの3か月ほど前の話なんですけども。
A5サイズのツイストリングノートを買ってきまして、そのリング部分の両端をペンチで切り落として、市販のリングメモをそのリングに通す、ということをやってたわけです。
で感想は、「あー、これ、むちゃくちゃ便利だ!」というものでして、LIHIT LABさんに、「こういう商品を作ってください!」とメールしようかと思ってたくらいなんです。
だから、まさに、店頭でこの「ツイストリングノート<メモ>」を見たときにギョエー! っというデジャビュ感覚が湧いたわけです。
まさに僕が試作してみたそのものの商品が店頭に並んでいるのですねぇ。いやー、うれしかった。
と、長い前振りをしましたが、大事なのは、ここからです。
この商品が画期的なのは、「メモが取り外せて、並べ替えられる」という点が大きいというのはあるんですが、それよりも大事なのは、
●B5・29穴と、A5・24穴と、5×3インチメモ・8穴のピッチがまったく同じで等間隔リングフォーマットである。
ということなのですよ。
ここが、画期的に新しい。
意味が全然分からないかもしれませんけど、これは要するに、
●B5ノートとA5ノートとメモサイズとを、自由に行き来できるメモが誕生した。
ということなんです。
つまり、このメモ用紙は「B5またはA5ノートに、そのまま自由位置でバインドできる」ということなんですね。
なんでわざわざ「自由位置」のところを大きく赤字にしたかというと、実は、これで、メモ用紙によるアナログ版の「アウトラインプロセッサ」を実現できるからなのですよ。
この「ツイストリングノート<メモ>」は、用紙が方眼罫ですので、縦位置でも横位置でも使えますから、これを本当に5×3インチカードみたいに横位置で使うと、
ここの写真の二枚目みたいな感じで使えます。
このカードを、三枚目の写真のように、B5またはA5サイズのノートに「重ねて」バインドできるわけです。
この「重ねて」というところが良いのです。パソコンのフォルダ管理でツリー構造を折りたたむように、「本文」を隠して、見出しのみの一覧が出来てしまうわけです。
これ、なんでもないことのようですけど、かなり画期的ですよ。
たとえば、ToDoをリストアップするにしても、一枚のメモに複数項目を書き出すのではなくて、カード1枚に1項目を「見出し」だけ書き出して、こういう具合に大きなノートに一覧してやっても良いわけです。(この一覧だけをiPhoneのカメラで撮影する、という手も使える。)
で、作業が進むたびに、進行状況を、それぞれのメモに書き付けて残していく、なんてこともできる。
いやまぁ、こういう使い方は机上の空論にしか過ぎないですけど、そういう精緻な使い方もできるし、そうではなくて、「とりあえず、なんとなくこのメモは大判ノートの、このページあたりにバインドしとくと便利そう」という感じで保存ができます。
それも重要だと思うメモは、ちゃんと読めるように配置して、関連メモは重ねて綴じ込む、みたいなことができるわけです。
B5もA5も、メモも、全部一冊のノートに自由配置で保管できるんです。
で、大事なのは、こういうリングバインダーは「閲覧にすぐれている」という事なんですね。読み直し、見直しがいつでも気軽に、気持ちよくできる。
ここがかなり重要なんです。それこそ、思いつきで書いたような自分のメモを、本を読むかのようにどこでも再読できるのです。
これがたぶん、かなり大事。
「カード」というものを、それなりに使ったことのある人なら、その機動性の高さは納得できると思うんですが、逆にカードというものの欠点は「再読がしんどい」というところにあるわけです。このあたりは、使ったことのある人なら絶対わかると思います。
普通はカードの保管と再読というのは、カードボックスを使ってやるくらいしか手がないんですね。でも、このカードボックスというのが、これまたカードの死蔵を引き起こしやすい道具でして、カードというのはその再読のしにくさとの戦いとも言えるわけです。
しかし、このツイストリングノートの体系においては、ふだんのノートの再読作業の中に「カード」の機動性が加わる、ということになるので、これはかなり強力なんですよ。
しかも、糊ではりつける手間も不要だし、クリアファイルで管理するような「書き込みのしにくさ」もないわけです。
自由に書き込んで、順序を入れ替えて、編集しながら再読ができる、ということなんです。
こういうツールは、いままでまったくなかったと考えて良いと思います。
多分、かなり便利なはずです。
なんちゅうか、このノートを使った、新しい発想の方法論まで考えても良いくらいだよなぁと私は思いますよ。
これもそれも「等ピッチで間欠部分のないリングバインダー」だからこそのメリットでしょう。
(システム手帳だと6穴の上3穴と下3穴の間の間欠部分は等ピッチではないので、こういう事ができなかったのです。)
ともあれ、これはかなり画期的な商品だと思います。
みなさん、上手に使いこなしてくださいませ。
ではでは。