マスキングテープの本。
2008年11月17日 読書 コメント (3)
このあいだ、書店に行くと、
マスキングテープの本
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4072620882
というのを売っていて。
前から住友3Mの
「貼ってはがせるテープ」
http://www.mmm.co.jp/office/tape/811_1.html
というのが好きで使い続けてたんですが、たまたまその書店では、本と一緒にマスキングテープの「mt」も売ってたので、ためしに買ってみたのです。
そしたら!
こんな良いもの、いままで知らなかったのか!
というくらいに良い!
これはいいなぁ。
ほんとうにいい。
しっかりとまるのに、はがしやすくて、糊残りもほとんどない。
で、カラーバリエーションも豊かで、なによりとにかく楽しい。
この「マスキングテープの本」にもマスキングテープの活用例が写真でわんさと紹介されてるのですが、、それはもうとにかく全部楽しい。
中でも、家具にクレヨンで子供がいたずら描きして大変、というのを、全部マスキングテープでさせてる、なんていうのは、なかなかにアイディアですなぁ。
いや、実際、なんでもない小箱でも、マスキングテープでペタペタするだけで、すごく楽しくなる。
この本をパラパラと眺めるだけで、どれほど楽しいことか。
いやー、面白い。
で、このマスキングテープの雑貨向け展開である「mt」って商品が、やたらと良いので、ちょっとネットでぐぐってみたら、
mtのホームページ
http://www.masking-tape.jp/
というのがあって、そこに、この商品開発にいたった経緯とかが書いてあったのですね。
●mt誕生物語
http://www.masking-tape.jp/story/2008/01/1.html
なんかね、この話好きだなぁ。
特に後半、カラフルなマスキングテープが出来て、工場でテープの検品とかしてる人がウキウキしてる話とか、すごくいい。
たぶん「業務用の味気ないもの」を作ってるっていう意識しかなかったんだと思うんだけど、カラフルにバリエーションを揃えて、雑貨展開をすることで「楽しみの提供」をするという作業に変わったんだと思うのですよ。
やっぱり、人は人に喜びを与える事が楽しいのですよね。
そういう意味で、良いお話しだった。
「好き」って事が一番強いなぁって思う。
誰でもみんな、いろんな仕事を一所懸命にしてるんだと思うけど、それって当人は「たいしたことない」と思っていても、キチンと役目を果たすべく努力してるのなら、それはそれは素晴らしい事なんだよ、って思うし、そこには限りない可能性があるんだよなぁって思う。
日本人ってみんな、こんな感じで「業務用だし」と、あまり注目されることもなく、ただコツコツがんばってるだけなのかもしれないけど、でも、それって素晴らしい事なんだよねぇって思う。そういう実例って感じがした。
で、たとえば、「デザイン」っていう発想力が、こんな風に世界を広げていくなら、それはそれは素晴らしい力だよなぁって思う。
具体的には商品の色を少し変えただけの話なんだけど。ね。
マスキングテープの使い方は色々考えられると思うけど、僕はものすごく単純に、2㎝~3cmくらいちぎって、端を折り返して、そこに項目名を書き、ノートの端にピョコンと頭を出してインデックスタブとして使ってます。これがもう、実に便利。すごく便利。
色もきれいだしなぁ。
いきなり色違いで10巻ほど買ってしまいましたよ。10色もあれば、それこそいろいろ活用できますです。
で、また、その色選びがデザイナーさんがやってるだけに絶妙。
「そうだよ、そう! こういう色が欲しかったのよ!」って感じ。
これは久々のヒットだなぁって思います。
いやー、いいもの買った。
マスキングテープの本
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4072620882
というのを売っていて。
前から住友3Mの
「貼ってはがせるテープ」
http://www.mmm.co.jp/office/tape/811_1.html
というのが好きで使い続けてたんですが、たまたまその書店では、本と一緒にマスキングテープの「mt」も売ってたので、ためしに買ってみたのです。
そしたら!
こんな良いもの、いままで知らなかったのか!
というくらいに良い!
これはいいなぁ。
ほんとうにいい。
しっかりとまるのに、はがしやすくて、糊残りもほとんどない。
で、カラーバリエーションも豊かで、なによりとにかく楽しい。
この「マスキングテープの本」にもマスキングテープの活用例が写真でわんさと紹介されてるのですが、、それはもうとにかく全部楽しい。
中でも、家具にクレヨンで子供がいたずら描きして大変、というのを、全部マスキングテープでさせてる、なんていうのは、なかなかにアイディアですなぁ。
いや、実際、なんでもない小箱でも、マスキングテープでペタペタするだけで、すごく楽しくなる。
この本をパラパラと眺めるだけで、どれほど楽しいことか。
いやー、面白い。
で、このマスキングテープの雑貨向け展開である「mt」って商品が、やたらと良いので、ちょっとネットでぐぐってみたら、
mtのホームページ
http://www.masking-tape.jp/
というのがあって、そこに、この商品開発にいたった経緯とかが書いてあったのですね。
●mt誕生物語
http://www.masking-tape.jp/story/2008/01/1.html
なんかね、この話好きだなぁ。
特に後半、カラフルなマスキングテープが出来て、工場でテープの検品とかしてる人がウキウキしてる話とか、すごくいい。
たぶん「業務用の味気ないもの」を作ってるっていう意識しかなかったんだと思うんだけど、カラフルにバリエーションを揃えて、雑貨展開をすることで「楽しみの提供」をするという作業に変わったんだと思うのですよ。
やっぱり、人は人に喜びを与える事が楽しいのですよね。
そういう意味で、良いお話しだった。
「好き」って事が一番強いなぁって思う。
誰でもみんな、いろんな仕事を一所懸命にしてるんだと思うけど、それって当人は「たいしたことない」と思っていても、キチンと役目を果たすべく努力してるのなら、それはそれは素晴らしい事なんだよ、って思うし、そこには限りない可能性があるんだよなぁって思う。
日本人ってみんな、こんな感じで「業務用だし」と、あまり注目されることもなく、ただコツコツがんばってるだけなのかもしれないけど、でも、それって素晴らしい事なんだよねぇって思う。そういう実例って感じがした。
で、たとえば、「デザイン」っていう発想力が、こんな風に世界を広げていくなら、それはそれは素晴らしい力だよなぁって思う。
具体的には商品の色を少し変えただけの話なんだけど。ね。
マスキングテープの使い方は色々考えられると思うけど、僕はものすごく単純に、2㎝~3cmくらいちぎって、端を折り返して、そこに項目名を書き、ノートの端にピョコンと頭を出してインデックスタブとして使ってます。これがもう、実に便利。すごく便利。
色もきれいだしなぁ。
いきなり色違いで10巻ほど買ってしまいましたよ。10色もあれば、それこそいろいろ活用できますです。
で、また、その色選びがデザイナーさんがやってるだけに絶妙。
「そうだよ、そう! こういう色が欲しかったのよ!」って感じ。
これは久々のヒットだなぁって思います。
いやー、いいもの買った。
2兆円もの金をバラまくんだそうです。
で、みんな、「他に何か使い道があるやろ」とは言うのだけど、さて、「この方法が良いゾ!」と言う人がいない。
僕は、ここが困ったものだなぁと思います。なんでもええから、考えてみようよ。解決策を。
で、僕なりに考えてみました。
どこかで読んだのだが、消費を高めるという事と、供給を増やすというのは同じことなのであります。
だから消費者にばらまくのではなく、「供給」側にばらまいたらどうか。
銀行でもいいし、政府系金融機関でもいいのだが、金利をタダ、0円にするのだ。
で、短期返済をしたら、その短さに応じてマイナス金利としてはどうかと思うのだ。
つまり100万借りて、6ヶ月で返す予定が5ヶ月で返したら、返済は90万でいいよ、とかね。
その代わり、審査は厳しくして、返済する時でも、何に使って、どう稼いで返済したのかを帳簿や証明書で出す事を義務づける。
こうすると、「金利部分」だけが政府の使う予算で、そのくせ市中に流れる流動性=お金はうんと増える。つまり経済が活性化するはずなのです。
経済活動に有益な資金の金利部分のみを「バラまき」にすると、2兆円の予算で100兆円分の経済効果が出るのではないか?
しかも短期返済をすればマイナス金利になるとなれば、利益を出すために、その資金を「回そう」とするでしょう。
100万円を借りて、5ヶ月で120万儲けて、1ヶ月分早期返済で10万マイナス金利にしたら差引き30万円儲かる。
でも、経済効果は120万円分はあった、という事ですわね。
で、政府が使ってるお金は通常金利が仮に10%/年であったとしても半年で5万円+早期返済マイナス金利分10万円で15万円しか使っていないというような事になるわけですよ。この15万円を政府から金融機関に振り込むわけです。これで銀行なり政府金融機関も儲かるって事です。社会システム上も問題ないと思う。
で、期間を超えて返済できなかった場合は、この特典はなしとかにしておくわけです。
これでちゃんと、働く人に給料が出て、みんな安心になるし、短期返済できた人というのは、それだけ商売のうまい人なのだから、差額で儲けた分を再投資に回してもうまくやる可能性があります。
こういう供給部分にいっせいにばらまきをすれば、経済活動は一気に前に進むはずだと思う。
同じ2兆円のばらまきをやるなら、そういう事をやったらどうなんだ? って思うんですよね。
こういう事は、あくまで期間限定でやればいいと思うのだ。
いま、何が辛いって、円高で輸出がピタリと止っていて、そのために、さまざまな国内需要まで止ってしまってるというような状況なのだから、その状況を切り抜ける方策が必要なはずで、それはまず、この数ヶ月のみとか暫定でやればいいんだと思う。
で、こういうような事を(本当に効果があるかどうかは別にして)、パパッと手早く考えて、「とにかくやってみましょう」とか動けないような政府の人間が多い、政治家が無能なのが多いって言うようなことが、いまの問題なんじゃないでしょうか。
で、バラマキじゃ意味ないよ、って言うなら、みんなで「意味あるやり方」を知恵を絞って論議したらええんと違うん? 何十年ぶりの世界恐慌かも、って事なんだからみんなで考えないとしょうがないと僕は思うんやけど。
政治家がどうとか役人がどうとか、法律がどうとか言うてる場合やないで。ほんまに。
やらなアカンことを、どんどんやってもらわんと。
いや、ほんまに。
てなことを数日前からツラツラ考えてたら、例の副島さんがやっぱりマイナス金利について言及されてるのですよ。オモロイなぁと思います。
ま、そんなことで。
で、みんな、「他に何か使い道があるやろ」とは言うのだけど、さて、「この方法が良いゾ!」と言う人がいない。
僕は、ここが困ったものだなぁと思います。なんでもええから、考えてみようよ。解決策を。
で、僕なりに考えてみました。
どこかで読んだのだが、消費を高めるという事と、供給を増やすというのは同じことなのであります。
だから消費者にばらまくのではなく、「供給」側にばらまいたらどうか。
銀行でもいいし、政府系金融機関でもいいのだが、金利をタダ、0円にするのだ。
で、短期返済をしたら、その短さに応じてマイナス金利としてはどうかと思うのだ。
つまり100万借りて、6ヶ月で返す予定が5ヶ月で返したら、返済は90万でいいよ、とかね。
その代わり、審査は厳しくして、返済する時でも、何に使って、どう稼いで返済したのかを帳簿や証明書で出す事を義務づける。
こうすると、「金利部分」だけが政府の使う予算で、そのくせ市中に流れる流動性=お金はうんと増える。つまり経済が活性化するはずなのです。
経済活動に有益な資金の金利部分のみを「バラまき」にすると、2兆円の予算で100兆円分の経済効果が出るのではないか?
しかも短期返済をすればマイナス金利になるとなれば、利益を出すために、その資金を「回そう」とするでしょう。
100万円を借りて、5ヶ月で120万儲けて、1ヶ月分早期返済で10万マイナス金利にしたら差引き30万円儲かる。
でも、経済効果は120万円分はあった、という事ですわね。
で、政府が使ってるお金は通常金利が仮に10%/年であったとしても半年で5万円+早期返済マイナス金利分10万円で15万円しか使っていないというような事になるわけですよ。この15万円を政府から金融機関に振り込むわけです。これで銀行なり政府金融機関も儲かるって事です。社会システム上も問題ないと思う。
で、期間を超えて返済できなかった場合は、この特典はなしとかにしておくわけです。
これでちゃんと、働く人に給料が出て、みんな安心になるし、短期返済できた人というのは、それだけ商売のうまい人なのだから、差額で儲けた分を再投資に回してもうまくやる可能性があります。
こういう供給部分にいっせいにばらまきをすれば、経済活動は一気に前に進むはずだと思う。
同じ2兆円のばらまきをやるなら、そういう事をやったらどうなんだ? って思うんですよね。
こういう事は、あくまで期間限定でやればいいと思うのだ。
いま、何が辛いって、円高で輸出がピタリと止っていて、そのために、さまざまな国内需要まで止ってしまってるというような状況なのだから、その状況を切り抜ける方策が必要なはずで、それはまず、この数ヶ月のみとか暫定でやればいいんだと思う。
で、こういうような事を(本当に効果があるかどうかは別にして)、パパッと手早く考えて、「とにかくやってみましょう」とか動けないような政府の人間が多い、政治家が無能なのが多いって言うようなことが、いまの問題なんじゃないでしょうか。
で、バラマキじゃ意味ないよ、って言うなら、みんなで「意味あるやり方」を知恵を絞って論議したらええんと違うん? 何十年ぶりの世界恐慌かも、って事なんだからみんなで考えないとしょうがないと僕は思うんやけど。
政治家がどうとか役人がどうとか、法律がどうとか言うてる場合やないで。ほんまに。
やらなアカンことを、どんどんやってもらわんと。
いや、ほんまに。
てなことを数日前からツラツラ考えてたら、例の副島さんがやっぱりマイナス金利について言及されてるのですよ。オモロイなぁと思います。
ま、そんなことで。
全然どうでもいい話。というか、日常報告。
2008年11月15日●11/2 ウクレレの発表会
この2日に、うちのウクレレの教室のクラスコンサートってのがありまして。
まぁ先生の生徒連が、個人的に集まって演奏する発表会みたいなものでして。
けっこう練習して、よい仕上がりになって。
まぁそれはいいんだけど、司会も誰もいないコンサートなので、出演者自らが司会っちゅうか、MCをやらねばならなくなったわけです。
で、うちのチームは、いちおう私が「リーダー」という事になっていて、で、それは単純に年功序列で、「年上ですしお願いします」みたいなノリでして。わかりましたよ、やりますよ、やったらええんでしょ、という感じでやったわけですが。
ネタはそれなりに考えてしゃべったら、思いの外ウケる。
それはありがたいのだけど、いやーしかしMCなんかやったらあきませんね。
せっかく練習してきたのに、難しいところは完全に、頭から飛んでしまって、数小節まったく弾けずになってしまいました。
なんのためのMCやねん。なんのための練習やねん。
と思いつつも、その後のビールがうまかったので全部チャラ。
ちゅうか、うちのチーム、自分たちの出番が済んだら「さぁここからは観客やぞー」モードになって、いきなりビールを注文。グラスビールのつもりで頼んだら一人一本ビンビールが出てきて、しかも40人くらいしか入らないお店で、店のド真ん中に陣取ってたので、瓶4本、グラス4個が、ものすごい目立つ。
狭い店でウェイターさんがトレンチに乗せて高く掲げながら持ってくるのだもの。
浅ましくも「出番終わったし飲むぞー!」という態度なのが、全観客にばれて恥ずかしいったらない。
いや、そういうユルい面子なんです。ごめんなさい。お許しください。
---------------
●11/8 落語会
8日土曜日は、知り合いのカメラマンさんが、「シゲさん、落語好きでしたよね」と誘ってくれた落語会に行く。
「はいはい好きですよ」と言いつつ出かけたは良いものの、全然知らない落語家さん。あの超うまかった吉朝さん(一回だけ生で観た事あり。亡くなられてほんとに残念。合掌。)のお弟子さんの吉坊さんと、あの小さん師匠の孫の花禄師匠の弟子の初花(しょっぱな)さんの二人会。
初花さん、なんとあの「芝浜」に挑戦。すげぇな。29歳で演るネタではないと思うが、まぁ形にはなってます。笑いの少ない人情話。会場もシーンとしている。聞き入っている。すごいすごい。たいしたもんだと思ってたら、携帯がピーピーと鳴る。誰だよぉ、こういうネタのすごい良いところで、アカンやん! と思ったら、自分の携帯でした。あわてて切る。
すかさず初花さんが「何か鳴ってるなぁ」と、客いじりで拾う。まぁ笑いが少ないネタなので、ちょうど良かったやん、とか上から目線で自分の失敗をなかった事にする。
いやしかし、けっこう面白かったです。この落語会。
次の日だったか、書店で、「落語家はなぜ噺を忘れないのか」柳家花禄・著という新書が出てたので「あ、初花さんの師匠だね」と思って買って読む。なかなか面白い。しかし8つくらいしかトシが離れてないのね、この師弟。へぇ。
---------------
●11/10 自転車届かず
10月24日に頼んだTREKの7.5FXが、まだ納車されない。
納車予定日は本日11月10日だったというのに。
お店まで行ってみたら、おお、7.5FXが、いままさに組み上げられようとしてるではないか!
「あとペダルくらいつけたら出来上がりじゃん!」
と思ったわけです。
「今日は乗って帰れるな」といきおいこんで、お店の人に「取りに来ました」と言うと「すみません、けっこう注文が重なっていて、まだ組み上がってなくて納車できないんですよ、あと2~3日お待ちください。」と言われる。
うーむ。
涼しくて気持ち良い時期に自転車ライフを始めようと思っていたのに、メーカーを決めるのに手間取って、注文が予定より2週間ほど遅れてしまい、なおかつこんな状況になってしまったので、寒くてけっこう辛い時期から自転車ライフを始めねばならない。
どんな服装で乗れば良いのかから考えないといけなくなっちゃったなぁ。しょうがないか。やれやれ。
---------------
●11/14 アドワーズとオーバーチュア
今年は夏以降、売り上げが急激に下がった。世界大恐慌だしねぇ。仕方ない。しばらく、精神的にかなり落ち込んでたのだけれど、落ち込んでいても意味ないので、売上アップの方策をさぐる。
なんだかんだ言っても、今年は自分で作ったホームページから新規の取引先が生まれたし、こっちの方向をもう少しなんとかしないといけないなと思い、グーグルのアドワーズと、ヤフーのオーバーチュアのふたつにネット広告を出すことにする。
っちゅうかね、考えてみたら、私、いままでこういう広告なぞしなくても、ずっと食えてたわけで、考えたらありがたいことですなぁと改めて感謝する。身の回りの人のおかげで食えてきたんだなぁと改めて気付いて、なんと幸せなことかと思う。ああ、ありがたや、ありがたや。
と言うことで、知り合いみんなに還元するくらいの気持ちで、何事もやらねばと気合いを入れて、オーバーチュア、アドワーズとも、たくさんキーワードを入れてみた。
で、その管理画面を見てるとすごく面白い。どんなキーワードにどれだけアクセスがあるのか、また、そのワードに対して、自分の広告がどう届くのかとかが、けっこう良く分かる。自分のページへのクリック率とか数字で出るのが面白くて仕方ない。いやー、こんなに面白いものだったのか! もっと早くにやっておけば良かった。
広告を長年やってきたけど、自分の書いたコピーの反応とかが、ここまでストレートに分る体験なんてはじめてやろなぁ。たぶん。
こうして、世の中って少しずつ変わっていくんだなぁとしみじみと実感した。
11月は一年で一番好きな月。あと残り半分が楽しみです。
この2日に、うちのウクレレの教室のクラスコンサートってのがありまして。
まぁ先生の生徒連が、個人的に集まって演奏する発表会みたいなものでして。
けっこう練習して、よい仕上がりになって。
まぁそれはいいんだけど、司会も誰もいないコンサートなので、出演者自らが司会っちゅうか、MCをやらねばならなくなったわけです。
で、うちのチームは、いちおう私が「リーダー」という事になっていて、で、それは単純に年功序列で、「年上ですしお願いします」みたいなノリでして。わかりましたよ、やりますよ、やったらええんでしょ、という感じでやったわけですが。
ネタはそれなりに考えてしゃべったら、思いの外ウケる。
それはありがたいのだけど、いやーしかしMCなんかやったらあきませんね。
せっかく練習してきたのに、難しいところは完全に、頭から飛んでしまって、数小節まったく弾けずになってしまいました。
なんのためのMCやねん。なんのための練習やねん。
と思いつつも、その後のビールがうまかったので全部チャラ。
ちゅうか、うちのチーム、自分たちの出番が済んだら「さぁここからは観客やぞー」モードになって、いきなりビールを注文。グラスビールのつもりで頼んだら一人一本ビンビールが出てきて、しかも40人くらいしか入らないお店で、店のド真ん中に陣取ってたので、瓶4本、グラス4個が、ものすごい目立つ。
狭い店でウェイターさんがトレンチに乗せて高く掲げながら持ってくるのだもの。
浅ましくも「出番終わったし飲むぞー!」という態度なのが、全観客にばれて恥ずかしいったらない。
いや、そういうユルい面子なんです。ごめんなさい。お許しください。
---------------
●11/8 落語会
8日土曜日は、知り合いのカメラマンさんが、「シゲさん、落語好きでしたよね」と誘ってくれた落語会に行く。
「はいはい好きですよ」と言いつつ出かけたは良いものの、全然知らない落語家さん。あの超うまかった吉朝さん(一回だけ生で観た事あり。亡くなられてほんとに残念。合掌。)のお弟子さんの吉坊さんと、あの小さん師匠の孫の花禄師匠の弟子の初花(しょっぱな)さんの二人会。
初花さん、なんとあの「芝浜」に挑戦。すげぇな。29歳で演るネタではないと思うが、まぁ形にはなってます。笑いの少ない人情話。会場もシーンとしている。聞き入っている。すごいすごい。たいしたもんだと思ってたら、携帯がピーピーと鳴る。誰だよぉ、こういうネタのすごい良いところで、アカンやん! と思ったら、自分の携帯でした。あわてて切る。
すかさず初花さんが「何か鳴ってるなぁ」と、客いじりで拾う。まぁ笑いが少ないネタなので、ちょうど良かったやん、とか上から目線で自分の失敗をなかった事にする。
いやしかし、けっこう面白かったです。この落語会。
次の日だったか、書店で、「落語家はなぜ噺を忘れないのか」柳家花禄・著という新書が出てたので「あ、初花さんの師匠だね」と思って買って読む。なかなか面白い。しかし8つくらいしかトシが離れてないのね、この師弟。へぇ。
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●11/10 自転車届かず
10月24日に頼んだTREKの7.5FXが、まだ納車されない。
納車予定日は本日11月10日だったというのに。
お店まで行ってみたら、おお、7.5FXが、いままさに組み上げられようとしてるではないか!
「あとペダルくらいつけたら出来上がりじゃん!」
と思ったわけです。
「今日は乗って帰れるな」といきおいこんで、お店の人に「取りに来ました」と言うと「すみません、けっこう注文が重なっていて、まだ組み上がってなくて納車できないんですよ、あと2~3日お待ちください。」と言われる。
うーむ。
涼しくて気持ち良い時期に自転車ライフを始めようと思っていたのに、メーカーを決めるのに手間取って、注文が予定より2週間ほど遅れてしまい、なおかつこんな状況になってしまったので、寒くてけっこう辛い時期から自転車ライフを始めねばならない。
どんな服装で乗れば良いのかから考えないといけなくなっちゃったなぁ。しょうがないか。やれやれ。
---------------
●11/14 アドワーズとオーバーチュア
今年は夏以降、売り上げが急激に下がった。世界大恐慌だしねぇ。仕方ない。しばらく、精神的にかなり落ち込んでたのだけれど、落ち込んでいても意味ないので、売上アップの方策をさぐる。
なんだかんだ言っても、今年は自分で作ったホームページから新規の取引先が生まれたし、こっちの方向をもう少しなんとかしないといけないなと思い、グーグルのアドワーズと、ヤフーのオーバーチュアのふたつにネット広告を出すことにする。
っちゅうかね、考えてみたら、私、いままでこういう広告なぞしなくても、ずっと食えてたわけで、考えたらありがたいことですなぁと改めて感謝する。身の回りの人のおかげで食えてきたんだなぁと改めて気付いて、なんと幸せなことかと思う。ああ、ありがたや、ありがたや。
と言うことで、知り合いみんなに還元するくらいの気持ちで、何事もやらねばと気合いを入れて、オーバーチュア、アドワーズとも、たくさんキーワードを入れてみた。
で、その管理画面を見てるとすごく面白い。どんなキーワードにどれだけアクセスがあるのか、また、そのワードに対して、自分の広告がどう届くのかとかが、けっこう良く分かる。自分のページへのクリック率とか数字で出るのが面白くて仕方ない。いやー、こんなに面白いものだったのか! もっと早くにやっておけば良かった。
広告を長年やってきたけど、自分の書いたコピーの反応とかが、ここまでストレートに分る体験なんてはじめてやろなぁ。たぶん。
こうして、世の中って少しずつ変わっていくんだなぁとしみじみと実感した。
11月は一年で一番好きな月。あと残り半分が楽しみです。
ふざけるんじゃねぇよ。放置自転車追放キャンペーン。
2008年11月8日 ■時事 コメント (4)
いま関西圏(大阪市・京都市・神戸市)では放置自転車クリーンキャンペーンというのをやってるわけです。
このキャンペーンのポスターを見ると、どうにもムカムカ腹が立って困ります。
どう考えたっておかしい。
こいつらは何も考えてないバカなんだなぁとしか言いようがないわけです。
写真を貼付けておいたので見て欲しいのですが「絶対許さない」とか、すげー偉そうなわけです。そんな事を言う権利がお前らにあるのか! という事を問いたい。
だいたいね、日本の自転車が、「乗り捨ての道具」になってしまったのは、70年代の道路交通法の改正で「自転車は歩道を走ってよし」という無茶苦茶をやったからなわけですよ。
●歩行者と車両を歩道に押し込めた。
これはつまり、ヨチヨチ歩きの幼児・赤ちゃんを抱いた母親・車椅子の人、ヨボヨボの老人とかの弱者の中に、自転車という「車両」を押しつけたキチガイじみた法律を作った、という事なわけです。
これはかなりおかしな法律で、海外から来た人が日本の歩道を自転車が走ってるのを見たら、「オー、クレイジー!」と驚くくらいに信じられない野蛮な行為に見えるんだそうです。
まず、そういうミスを、40年前に役人がやってるって事です。何も考えずに。
で、そういう弱者と強者を一緒くたにするようなキチガイじみた事をしたおかげで、日本の自転車は、世界中どこを見ても類例のない
●遅くて重くて遠くまで乗れない自転車
として発展せざるをえなくなったんですよ。だって、ヨチヨチ歩きの子供にぶつかってケガさせたくないでしょ? 思いません?
だから、車重が20kgを超えても、誰も文句を言わなかった。いくら重くてスピードが出なくても、現実問題、弱者に気配りしないと走れないという状況ができちゃったわけです。
なので、世界の自転車が、クロームモリブデンとか、アルミ合金とか、カーボンとかを使って軽くして、車道を快適に走る「家から会社まで10km~15kmを走行する道具」になって行ったのに、日本の自転車は「せいぜい自宅から駅までしか走らない道具」にしかなれなかったんですよ。
ママチャリというのは、そういう点で、世界にも類例のない、ものすごく奇妙な自転車で、その原因を作ったのは、明確に警察官僚なわけです。ようは役人。役人が悪いと言うことの代表例なんですね、これは。整理すると、ようは、
●役人の無能によって「乗り捨ての道具」が生み出された。
という事なんです。
これは、他の国の道路行政と、自転車の進化を見れば、もう一目瞭然の事実なわけですよ。自転車好きの人なら、みんな知ってる。日本の役人の無能の象徴なわけです。都市計画とか、そういう発想自体を持っていない、完全にパー、アホ、バカ、マヌケの証拠って事なんです。
しかも、その根本原因が「弱者は守られねばならない」という基本の基本を考え損ねていたという、最悪の間違いなわけです。クルマの問題を考える時に、最優先で考慮すべき点が「弱者保護」なのに、その、一番大事なところの配慮がなかった、ということですから、これはもう役人に弁解の余地はまったくないわけです。純粋に、
●役人の無能によって「乗り捨ての道具」が生み出された。
んです。
他に理由はありません。
まったくない。
一切無い。
全部まるまる、役人が悪い。
このポスターは大阪市、京都市、神戸市の建設局が出してるので「いや、それは警察庁さんのミスでしょう、私たちは知りません」とかぬかしやがる可能性もありますが、都市空間というのは基本的に限定された容量しかないひとつの共有物なわけですから、その共有物の利用ルールを考えるのが役人共通の使命のはずです。
だから、70年代から40年も時間があったにもかかわらず、物事の本質を正しく研究しようともせずに、ただアホの一つ覚えで「放置自転車追放!」しかやらず、正しく縦割り行政の垣根を越えてでも、「道路交通法をより正しく改正せよ」という働きかけをしなかった、こいつらこそが、まさに無能なわけです。縦割り行政くらい超えろよ、バカ! 無能者が。マヌケが。です。
しかも、これだけスポーツ自転車がブームになって専門雑誌もたくさん発行されていて、「日本の道路交通法はおかしい」と言うことが自転車乗りの間で通説になってきているという事実があるにもかかわらず、そういう世間の流れもわかっていない。ようするに、とんでもない勉強不足、ということなわけです。
「放置自転車」に関する対処を考えるなら、自転車に関する書籍の数冊でも読んでみようか、くらい考えても良いはずなのに、そういうリサーチの気持ちはまったくなく、こんな「絶対許さん」しか言ってないパァなポスターを作ってる。まさに無知・無能の証。お前ら、何の大事な仕事をしてないから、とにかくいますぐ、役人をやめろ。税金を返せ、という事です。お前らこそが諸悪の根源で、世の中のムダの本質やねんから、一個の人間に立ち帰って「私が役人をしていてはいけない」と反省して役人を自主的にやめろ! という事ですね。
だからそういう意味でも、重ねて、
●役人の無能
こそが問われるわけです。
ほんとうにこのポスターには、そういうまともさがない。
まったく感じられない。
いまの都市交通の一番の問題が如実に出ている。
ものすごく醜悪です。
それに加えて、もうひとつ大きな問題があります。
というのは、良いですか? 駅前にある放置自転車の死屍累々たる悲惨な光景というのは、
●重いから駅前までしか行かない。
という事と同時に、
●重くてかまわんのなら、安く作れる
という事が理由でもあるんです。クロモリやらアルミ合金を使わないのなら、安くて重たい鉄パイプを加工すれば作れます。なので、「9800円の自転車」みたいなものが生まれてしまったわけです。なので、自転車の価値自体が下がってしまった。300円の使い捨て傘みたいな軽い扱いしかされなくなっちゃったわけです。
最近では6800円のママチャリなんてものまで出てきたそうです。
ここまでの値段になると、人の自転車を平気で盗む奴がでてきます。で、なんのために盗むかというと、「駅までちょっと遠いから」とかなわけです。放置自転車の何割かは、そういう盗難車です。
また、安いから、愛着も持たなくなって雨ざらしでそのままでもかまわないってなって、駅前に置いてる人も多いでしょう。
そういう「どうせ安物」という流れを作ってしまったのも、「世界の開発競争から降りた」自転車だからなんです。
で、そういう開発競争から何故降りたかというと、法律があまりに無茶苦茶だったからです。本当にそれだけのことなんです。純粋に。
もし、日本の道路行政が正しく弱者を守って、「歩道を自転車が走るなんて許されない」という当たり前の分別をつけていれば、こんな「駅前までしか行けないけど、安い自転車」なんてものは生まれなかったわけです。世界と市場が共通であれば、自転車メーカーも世界に対して競争力を持ったでしょうし、いまごろ日本発のすごい自転車が生まれてますよ。
世界の自転車メーカーが軽量化競争で素材開発やら、加工技術開発に投資を続ける中、日本のメーカーだけはそういう高度な技術ではなく、重い鉄パイプを曲げただけの「低価格競争」を主軸にするしかなくなってしまったわけです。
だってそうするしかなかったんだもの!
車道を走れるような、「まともな自転車」が歩道を走ったら、それはあまりに危険なんだもの!
で、そういう「危険」を行政が押しつけてきてたんだもの!
だから、そういう「安いママチャリ」を作ってきたメーカーに落ち度はありません。
●全て、「役人の無能」が原因。
なのですよ。
なのに、なんで「絶対、許さない!」などと叱られねばならないのか? っちゅうことです。
「自宅から駅までしか走れない道具」だから、駅前に自転車が山のように積み上げられるのであって、これは決して「マナーの問題」ではないんです。だから、こんなバカ丸出しのポスターなんか作ったって、放置自転車問題なんか解決するわけがないんです。
なんで、役人のミスを国民のマナーで補わなければならないのか? そんなアホな話はないでしょう。
------------------
自転車先進国のオランダでは、だいたい「追放」されてるのは自動車です。クルマです。とくに個人の自家用自動車ですね。まずこいつを都市部では「使いにくい道具」として機能制限してます。スピードが出ないように都市設計をしてる。だって、都市部は、人と共存するって事ですからね。それがまず当たり前なわけです。
その代わり、都市と都市を結ぶ、都市間は素晴らしい道路を作ればよろしい。それが自動車が本来性能を発揮すべきポジションです。
大阪市、京都市、神戸市、なんて自動車を追放するくらいの姿勢でないと、まともな都市計画は絶対に無理なのです。もともと。「放置自転車の追放」と言ってる段階で完全にパーなわけですよ。アホの極み。無能の印。バカ。マヌケ。です。
で、自動車が減って、その車道を自転車が走れば、自転車もまともに進化できるようになって、電車に乗らずに直接会社まで行く人が増えます。
そうなれば、必然的に駅前に止める自転車も減ります。でしょ?
で、そうなるために必要なのは、「都市中いたるところに駐輪スペースを」という事になるんです。
自転車の魅力は、自宅から目的地までのドア・トウ・ドアの魅力ですから、とにかくいろんな場所に駐輪スペースを作らねばならない。
それも車道を利用すれば良いのです。車道と歩道の間にどんどん駐輪スペースを作れば良い。一車線を駐輪スペースと自転車専用道路にすれば良いのです。そうすればどんどん自動車が乗りにくくなるので、自動車に乗る人が減って、自転車に乗る人が増えます。自動車と自転車の占有面積比は7:1ですからね。誰か一人が自動車をやめて自転車に乗り換えれば、道路はいきなり7倍広くなるって事です。
実際、オランダやドイツなどの自転車先進国は、都市部においてはそういう方向で街づくりをしてるわけです。どうせ信号を作ってストップアンドゴーから逃れられない都市部で、「自動車優先」をやっていても、矛盾が膨らむばかりでうまく行くわけがないんです。都市部での自動車優先は、とにかく本質的に矛盾してるって事です。ムダ。やめときなはれ、っちゅうことです。
で、そういう、うまく行くはずのない「自動車優先の思想」に凝り固まってる、矛盾の象徴こそが「駅前放置自転車問題」なのであって、あれは発想の根本が間違っている、役人の無能の証なんですよ。
まるで駅前放置自転車問題って「マナーの問題」のように考えられてますけど、決して自転車利用者の「マナーの問題」ではないんです。まず役人の無能が、真っ先に問題なんです。それも世界的に無能って事です。かなりレベルが低い。そこが問題なんです。
この話、根が深いので、今回はここまでにしまして、また続きを書きます。
このキャンペーンのポスターを見ると、どうにもムカムカ腹が立って困ります。
どう考えたっておかしい。
こいつらは何も考えてないバカなんだなぁとしか言いようがないわけです。
写真を貼付けておいたので見て欲しいのですが「絶対許さない」とか、すげー偉そうなわけです。そんな事を言う権利がお前らにあるのか! という事を問いたい。
だいたいね、日本の自転車が、「乗り捨ての道具」になってしまったのは、70年代の道路交通法の改正で「自転車は歩道を走ってよし」という無茶苦茶をやったからなわけですよ。
●歩行者と車両を歩道に押し込めた。
これはつまり、ヨチヨチ歩きの幼児・赤ちゃんを抱いた母親・車椅子の人、ヨボヨボの老人とかの弱者の中に、自転車という「車両」を押しつけたキチガイじみた法律を作った、という事なわけです。
これはかなりおかしな法律で、海外から来た人が日本の歩道を自転車が走ってるのを見たら、「オー、クレイジー!」と驚くくらいに信じられない野蛮な行為に見えるんだそうです。
まず、そういうミスを、40年前に役人がやってるって事です。何も考えずに。
で、そういう弱者と強者を一緒くたにするようなキチガイじみた事をしたおかげで、日本の自転車は、世界中どこを見ても類例のない
●遅くて重くて遠くまで乗れない自転車
として発展せざるをえなくなったんですよ。だって、ヨチヨチ歩きの子供にぶつかってケガさせたくないでしょ? 思いません?
だから、車重が20kgを超えても、誰も文句を言わなかった。いくら重くてスピードが出なくても、現実問題、弱者に気配りしないと走れないという状況ができちゃったわけです。
なので、世界の自転車が、クロームモリブデンとか、アルミ合金とか、カーボンとかを使って軽くして、車道を快適に走る「家から会社まで10km~15kmを走行する道具」になって行ったのに、日本の自転車は「せいぜい自宅から駅までしか走らない道具」にしかなれなかったんですよ。
ママチャリというのは、そういう点で、世界にも類例のない、ものすごく奇妙な自転車で、その原因を作ったのは、明確に警察官僚なわけです。ようは役人。役人が悪いと言うことの代表例なんですね、これは。整理すると、ようは、
●役人の無能によって「乗り捨ての道具」が生み出された。
という事なんです。
これは、他の国の道路行政と、自転車の進化を見れば、もう一目瞭然の事実なわけですよ。自転車好きの人なら、みんな知ってる。日本の役人の無能の象徴なわけです。都市計画とか、そういう発想自体を持っていない、完全にパー、アホ、バカ、マヌケの証拠って事なんです。
しかも、その根本原因が「弱者は守られねばならない」という基本の基本を考え損ねていたという、最悪の間違いなわけです。クルマの問題を考える時に、最優先で考慮すべき点が「弱者保護」なのに、その、一番大事なところの配慮がなかった、ということですから、これはもう役人に弁解の余地はまったくないわけです。純粋に、
●役人の無能によって「乗り捨ての道具」が生み出された。
んです。
他に理由はありません。
まったくない。
一切無い。
全部まるまる、役人が悪い。
このポスターは大阪市、京都市、神戸市の建設局が出してるので「いや、それは警察庁さんのミスでしょう、私たちは知りません」とかぬかしやがる可能性もありますが、都市空間というのは基本的に限定された容量しかないひとつの共有物なわけですから、その共有物の利用ルールを考えるのが役人共通の使命のはずです。
だから、70年代から40年も時間があったにもかかわらず、物事の本質を正しく研究しようともせずに、ただアホの一つ覚えで「放置自転車追放!」しかやらず、正しく縦割り行政の垣根を越えてでも、「道路交通法をより正しく改正せよ」という働きかけをしなかった、こいつらこそが、まさに無能なわけです。縦割り行政くらい超えろよ、バカ! 無能者が。マヌケが。です。
しかも、これだけスポーツ自転車がブームになって専門雑誌もたくさん発行されていて、「日本の道路交通法はおかしい」と言うことが自転車乗りの間で通説になってきているという事実があるにもかかわらず、そういう世間の流れもわかっていない。ようするに、とんでもない勉強不足、ということなわけです。
「放置自転車」に関する対処を考えるなら、自転車に関する書籍の数冊でも読んでみようか、くらい考えても良いはずなのに、そういうリサーチの気持ちはまったくなく、こんな「絶対許さん」しか言ってないパァなポスターを作ってる。まさに無知・無能の証。お前ら、何の大事な仕事をしてないから、とにかくいますぐ、役人をやめろ。税金を返せ、という事です。お前らこそが諸悪の根源で、世の中のムダの本質やねんから、一個の人間に立ち帰って「私が役人をしていてはいけない」と反省して役人を自主的にやめろ! という事ですね。
だからそういう意味でも、重ねて、
●役人の無能
こそが問われるわけです。
ほんとうにこのポスターには、そういうまともさがない。
まったく感じられない。
いまの都市交通の一番の問題が如実に出ている。
ものすごく醜悪です。
それに加えて、もうひとつ大きな問題があります。
というのは、良いですか? 駅前にある放置自転車の死屍累々たる悲惨な光景というのは、
●重いから駅前までしか行かない。
という事と同時に、
●重くてかまわんのなら、安く作れる
という事が理由でもあるんです。クロモリやらアルミ合金を使わないのなら、安くて重たい鉄パイプを加工すれば作れます。なので、「9800円の自転車」みたいなものが生まれてしまったわけです。なので、自転車の価値自体が下がってしまった。300円の使い捨て傘みたいな軽い扱いしかされなくなっちゃったわけです。
最近では6800円のママチャリなんてものまで出てきたそうです。
ここまでの値段になると、人の自転車を平気で盗む奴がでてきます。で、なんのために盗むかというと、「駅までちょっと遠いから」とかなわけです。放置自転車の何割かは、そういう盗難車です。
また、安いから、愛着も持たなくなって雨ざらしでそのままでもかまわないってなって、駅前に置いてる人も多いでしょう。
そういう「どうせ安物」という流れを作ってしまったのも、「世界の開発競争から降りた」自転車だからなんです。
で、そういう開発競争から何故降りたかというと、法律があまりに無茶苦茶だったからです。本当にそれだけのことなんです。純粋に。
もし、日本の道路行政が正しく弱者を守って、「歩道を自転車が走るなんて許されない」という当たり前の分別をつけていれば、こんな「駅前までしか行けないけど、安い自転車」なんてものは生まれなかったわけです。世界と市場が共通であれば、自転車メーカーも世界に対して競争力を持ったでしょうし、いまごろ日本発のすごい自転車が生まれてますよ。
世界の自転車メーカーが軽量化競争で素材開発やら、加工技術開発に投資を続ける中、日本のメーカーだけはそういう高度な技術ではなく、重い鉄パイプを曲げただけの「低価格競争」を主軸にするしかなくなってしまったわけです。
だってそうするしかなかったんだもの!
車道を走れるような、「まともな自転車」が歩道を走ったら、それはあまりに危険なんだもの!
で、そういう「危険」を行政が押しつけてきてたんだもの!
だから、そういう「安いママチャリ」を作ってきたメーカーに落ち度はありません。
●全て、「役人の無能」が原因。
なのですよ。
なのに、なんで「絶対、許さない!」などと叱られねばならないのか? っちゅうことです。
「自宅から駅までしか走れない道具」だから、駅前に自転車が山のように積み上げられるのであって、これは決して「マナーの問題」ではないんです。だから、こんなバカ丸出しのポスターなんか作ったって、放置自転車問題なんか解決するわけがないんです。
なんで、役人のミスを国民のマナーで補わなければならないのか? そんなアホな話はないでしょう。
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自転車先進国のオランダでは、だいたい「追放」されてるのは自動車です。クルマです。とくに個人の自家用自動車ですね。まずこいつを都市部では「使いにくい道具」として機能制限してます。スピードが出ないように都市設計をしてる。だって、都市部は、人と共存するって事ですからね。それがまず当たり前なわけです。
その代わり、都市と都市を結ぶ、都市間は素晴らしい道路を作ればよろしい。それが自動車が本来性能を発揮すべきポジションです。
大阪市、京都市、神戸市、なんて自動車を追放するくらいの姿勢でないと、まともな都市計画は絶対に無理なのです。もともと。「放置自転車の追放」と言ってる段階で完全にパーなわけですよ。アホの極み。無能の印。バカ。マヌケ。です。
で、自動車が減って、その車道を自転車が走れば、自転車もまともに進化できるようになって、電車に乗らずに直接会社まで行く人が増えます。
そうなれば、必然的に駅前に止める自転車も減ります。でしょ?
で、そうなるために必要なのは、「都市中いたるところに駐輪スペースを」という事になるんです。
自転車の魅力は、自宅から目的地までのドア・トウ・ドアの魅力ですから、とにかくいろんな場所に駐輪スペースを作らねばならない。
それも車道を利用すれば良いのです。車道と歩道の間にどんどん駐輪スペースを作れば良い。一車線を駐輪スペースと自転車専用道路にすれば良いのです。そうすればどんどん自動車が乗りにくくなるので、自動車に乗る人が減って、自転車に乗る人が増えます。自動車と自転車の占有面積比は7:1ですからね。誰か一人が自動車をやめて自転車に乗り換えれば、道路はいきなり7倍広くなるって事です。
実際、オランダやドイツなどの自転車先進国は、都市部においてはそういう方向で街づくりをしてるわけです。どうせ信号を作ってストップアンドゴーから逃れられない都市部で、「自動車優先」をやっていても、矛盾が膨らむばかりでうまく行くわけがないんです。都市部での自動車優先は、とにかく本質的に矛盾してるって事です。ムダ。やめときなはれ、っちゅうことです。
で、そういう、うまく行くはずのない「自動車優先の思想」に凝り固まってる、矛盾の象徴こそが「駅前放置自転車問題」なのであって、あれは発想の根本が間違っている、役人の無能の証なんですよ。
まるで駅前放置自転車問題って「マナーの問題」のように考えられてますけど、決して自転車利用者の「マナーの問題」ではないんです。まず役人の無能が、真っ先に問題なんです。それも世界的に無能って事です。かなりレベルが低い。そこが問題なんです。
この話、根が深いので、今回はここまでにしまして、また続きを書きます。
この間から、ノートテイキングに関する話を続けてますが、実は、最近使ってるノートで、大のお気に入りのノートがあるのです。
それは、LIFEのN91というノート。
●LIFE/リングノートのページ
http://www.life-st.jp/productn02.html
●ここの通販のページの方が写真も豊富でわかりやすい
http://www.delta-net.jp/SHOP/N91.html
サイズが小さくてB6です。(同デザインでA5サイズ[N90]も出てますが。)
このサイズがまずお気に入りでして。
実はB6というのはノートとしてはかなり小さいんです。通常はA5が多い。
でも、A5サイズのノートというのは、普段持ち歩くのには、意外に大きいんですね。
というのも、各種のビジネス書などは、一般的にB6サイズなのです。だから、A5サイズのノートだと、ノートの方が大きくて本と一緒に持ち歩くには向かないんですね。
でも、このノートは一般的な書籍と同じサイズなので、本と一緒に持ち歩くのに便利なんです。つまり、本の内容をノートを取るのに都合が良いわけです。
で、もうひとつのお気に入りが、方眼だ、ということ。方眼だと、縦のラインを取りたいときに、すごく便利なんですよ。桁落しして項目出しするとか、そういう時にピタッと揃って気持ち良いのです。
文章的なメモではなくて、キーワードを書き付けて行きたい時とかには、こっちが便利なんですね。
で、もうひとつ好きなのが「ポケット付き」ということ。なんでもないことなんですが、ちょっとした紙の端切れとかを仮保存とかできてありがたいんですね。ネットの情報をプリントして紙を折って保管し、必要項目だけ転記して捨てるとか、あるいはハガキ・郵便のたぐいで、ちょっと保管しないといけないものや、支払い用紙とかを仮保存するのに使ったりしてます。
このポケットが薄いのですが、それがまた良いのですね。すぐ膨らむから、挟んだモノをすぐに処理するようになるのです。
で、このノートを使って、先日紹介した、「思考ノート」の本、
●ノートは再読することが大事。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
に書かれているやり方を応用してるわけです。
アイディアを書き、時折読み返しては書き足し、思索を深めるというか。
そういう作業をするには、「お気に入り」のノートであるって事が、けっこう大事なんですよね。
で、昔から僕はリングノートが好きでよく使ってるんです。リングノートは折り返して使えるのが便利でねぇ。
それと表紙がある程度の固さのある紙であること、というのも重要で。ようは「下敷き」が欲しいんですね。これなら立ったままでもメモできるし、電車の中でメモしたりするにも便利なんですよ。
そんなこんなで、いまは、この思索ノート用途に一冊、日記用に一冊、英語ノート用に一冊、夢日記(睡眠時の夢ね。)に一冊と4冊も使ってるんですよ。
3冊は自宅に置いたまま、ですが、小さいので普段持ち歩いて使うのに、もっとも向いてるように思いますね。どこに持って行くのにも便利ですし。
しかも、このノートは、本文用紙90枚、ページ数で言うと180頁もあるんで、まぁ半年や一年はゆうに使えると思うのですよ。
仕事用にはモレスキンのルールド・ラージを使ってるんですが、
http://www.moleskine.co.jp/moleskine-ruled-notebook-large
これが240頁で、だいたい1年で使い切ります。
こっちのN91の方はプライベートな発想とか、覚え、あるいは読書ノートとかに使うだけなので、まぁ180頁あれば1年は充分に使えるなぁと。
ということで、たまにはこういう「モノ」の紹介も良いかな? と思って書いてみました。
ともあれ、N91はお勧めであります。ぜひお近くの文具店で注文して取り寄せてくださいませ。(お店に置いておいて欲しいのですよ、私は。ネットで買うのじゃなくて。このノートは、そういうノートだと思うのであります。)
ではでは。
それは、LIFEのN91というノート。
●LIFE/リングノートのページ
http://www.life-st.jp/productn02.html
●ここの通販のページの方が写真も豊富でわかりやすい
http://www.delta-net.jp/SHOP/N91.html
サイズが小さくてB6です。(同デザインでA5サイズ[N90]も出てますが。)
このサイズがまずお気に入りでして。
実はB6というのはノートとしてはかなり小さいんです。通常はA5が多い。
でも、A5サイズのノートというのは、普段持ち歩くのには、意外に大きいんですね。
というのも、各種のビジネス書などは、一般的にB6サイズなのです。だから、A5サイズのノートだと、ノートの方が大きくて本と一緒に持ち歩くには向かないんですね。
でも、このノートは一般的な書籍と同じサイズなので、本と一緒に持ち歩くのに便利なんです。つまり、本の内容をノートを取るのに都合が良いわけです。
で、もうひとつのお気に入りが、方眼だ、ということ。方眼だと、縦のラインを取りたいときに、すごく便利なんですよ。桁落しして項目出しするとか、そういう時にピタッと揃って気持ち良いのです。
文章的なメモではなくて、キーワードを書き付けて行きたい時とかには、こっちが便利なんですね。
で、もうひとつ好きなのが「ポケット付き」ということ。なんでもないことなんですが、ちょっとした紙の端切れとかを仮保存とかできてありがたいんですね。ネットの情報をプリントして紙を折って保管し、必要項目だけ転記して捨てるとか、あるいはハガキ・郵便のたぐいで、ちょっと保管しないといけないものや、支払い用紙とかを仮保存するのに使ったりしてます。
このポケットが薄いのですが、それがまた良いのですね。すぐ膨らむから、挟んだモノをすぐに処理するようになるのです。
で、このノートを使って、先日紹介した、「思考ノート」の本、
●ノートは再読することが大事。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
に書かれているやり方を応用してるわけです。
アイディアを書き、時折読み返しては書き足し、思索を深めるというか。
そういう作業をするには、「お気に入り」のノートであるって事が、けっこう大事なんですよね。
で、昔から僕はリングノートが好きでよく使ってるんです。リングノートは折り返して使えるのが便利でねぇ。
それと表紙がある程度の固さのある紙であること、というのも重要で。ようは「下敷き」が欲しいんですね。これなら立ったままでもメモできるし、電車の中でメモしたりするにも便利なんですよ。
そんなこんなで、いまは、この思索ノート用途に一冊、日記用に一冊、英語ノート用に一冊、夢日記(睡眠時の夢ね。)に一冊と4冊も使ってるんですよ。
3冊は自宅に置いたまま、ですが、小さいので普段持ち歩いて使うのに、もっとも向いてるように思いますね。どこに持って行くのにも便利ですし。
しかも、このノートは、本文用紙90枚、ページ数で言うと180頁もあるんで、まぁ半年や一年はゆうに使えると思うのですよ。
仕事用にはモレスキンのルールド・ラージを使ってるんですが、
http://www.moleskine.co.jp/moleskine-ruled-notebook-large
これが240頁で、だいたい1年で使い切ります。
こっちのN91の方はプライベートな発想とか、覚え、あるいは読書ノートとかに使うだけなので、まぁ180頁あれば1年は充分に使えるなぁと。
ということで、たまにはこういう「モノ」の紹介も良いかな? と思って書いてみました。
ともあれ、N91はお勧めであります。ぜひお近くの文具店で注文して取り寄せてくださいませ。(お店に置いておいて欲しいのですよ、私は。ネットで買うのじゃなくて。このノートは、そういうノートだと思うのであります。)
ではでは。
やっぱりオバマ。
2008年11月5日やっぱり結局オバマでした。
すごいなぁと思う。
っちゅうのは副島隆彦さんの事。
よくよく聞いてみると2年とちょっと前から「オバマで決まりだ。他はない。」と断言してたみたいですね。
キツネでも憑いてるんと違うか?
アメリカ発の金融恐慌も「住宅向けローンから火がついておかしくなる」と4年前から言ってたし。
なんなんだ、この人は。ほんとに。
僕は1995年の阪神大震災の時に、「海外から見た日本」がどう見えるのかを本当に知りたくなって、ちょっとずつ英語の勉強をはじめたんですけど、もともと英語が大の苦手だったので簡単な英文でもさっぱりわからずだったし、またいろんな英語の解説書とか読んでも、どうにもよくわからない、ピンと来ないの連続だったのですね。
で、当時はまだ評論家とか大学の先生とかをやってなかった(んだと思う)副島隆彦さんの、英語に関する教則本のたぐいを読んで、かなり英語という言葉の大きな構造がつかめて、まず「英語の先生」として「すごくわかりやすく教えてくれる人」という意味で感激してたんですよ。
副島さんの英語解説本は、それはそれは良く分かった。
(宝島から出てた「道具としての英語」のシリーズに入ってたメアリーポピンズ本です。)
だから、この人の書く英語解説本のたぐいがとても好きでずっと読んでたんですね。「英文法の謎をとく」とか。
ところが、その後、アメリカの政治についての本とかを出し始めたので「おいおい、そういうきな臭いのはやめてよ。実用的な英語の基礎を教える本とか書いてよ。」というのが、僕のいつわらざる、正直な感想だったわけです。
副島さんって、予備校の先生とかやってた人だし、僕から見たら「たかが予備校の先生が世界の政治とか語ったらアカンわ。」というような、実に副島さんを見下した見方しかしてなかったんですね。
たかが予備校の先生やんけ。
これです。
その程度にしか見てなかった。
でも、まぁ英語の教え方はうまいし、そこは大したものだし、試しに政治関係の本もいっちょ読んでみるか。
と思って読んでみたら、かなーーーり面白かった。
へぇ。
てなもんです。
で、いろいろ読んでいくと、政治や社会学、宗教、経済学などなどに関して博学・博識な小室直樹先生の弟子を標榜されてたのですよ、副島隆彦さんは。
ええええ! そうなの? って感じでありました。
あの小室先生のお弟子さんですか。
いや、それはすごい。
ここでまた信用度アップ。
でまぁ、いろいろ読んでると、ブッシュの当選を言い当てて、ブッシュの再選も言い当ててたわけです。それも全部1年以上前から断言。一切ぶれず。
そんな事もあって、どんどん信用度アップ。
それがここに来て、この大恐慌の予言とオバマ当選の予言で、とんでもないなぁ、この人は、という事になってしまった。
副島さんに言わせれば、「景気後退局面に入らざるを得ないのはわかっていたから、黒人暴動を抑えるためにオバマなんだよ。」という事だそうです。
ああ、まぁ、そういう事はあるんかもしらんけど、はぁ、まぁ、よう断言しきってしまえるよなぁ。すげぇ。
結局10年にわたって、この副島さんという人の著書を読んだりしてきたわけですけど、こういう具合に大きな枠組みのところで、ズバリと言い当てて、ブレがなく、しかも全部的確に結果になってたが故に、ずっとウォッチし続けてしまったんだよなぁって思う。
まいりました。と平身低頭するしかない、ですわ。
すごいなぁと思う。
っちゅうのは副島隆彦さんの事。
よくよく聞いてみると2年とちょっと前から「オバマで決まりだ。他はない。」と断言してたみたいですね。
キツネでも憑いてるんと違うか?
アメリカ発の金融恐慌も「住宅向けローンから火がついておかしくなる」と4年前から言ってたし。
なんなんだ、この人は。ほんとに。
僕は1995年の阪神大震災の時に、「海外から見た日本」がどう見えるのかを本当に知りたくなって、ちょっとずつ英語の勉強をはじめたんですけど、もともと英語が大の苦手だったので簡単な英文でもさっぱりわからずだったし、またいろんな英語の解説書とか読んでも、どうにもよくわからない、ピンと来ないの連続だったのですね。
で、当時はまだ評論家とか大学の先生とかをやってなかった(んだと思う)副島隆彦さんの、英語に関する教則本のたぐいを読んで、かなり英語という言葉の大きな構造がつかめて、まず「英語の先生」として「すごくわかりやすく教えてくれる人」という意味で感激してたんですよ。
副島さんの英語解説本は、それはそれは良く分かった。
(宝島から出てた「道具としての英語」のシリーズに入ってたメアリーポピンズ本です。)
だから、この人の書く英語解説本のたぐいがとても好きでずっと読んでたんですね。「英文法の謎をとく」とか。
ところが、その後、アメリカの政治についての本とかを出し始めたので「おいおい、そういうきな臭いのはやめてよ。実用的な英語の基礎を教える本とか書いてよ。」というのが、僕のいつわらざる、正直な感想だったわけです。
副島さんって、予備校の先生とかやってた人だし、僕から見たら「たかが予備校の先生が世界の政治とか語ったらアカンわ。」というような、実に副島さんを見下した見方しかしてなかったんですね。
たかが予備校の先生やんけ。
これです。
その程度にしか見てなかった。
でも、まぁ英語の教え方はうまいし、そこは大したものだし、試しに政治関係の本もいっちょ読んでみるか。
と思って読んでみたら、かなーーーり面白かった。
へぇ。
てなもんです。
で、いろいろ読んでいくと、政治や社会学、宗教、経済学などなどに関して博学・博識な小室直樹先生の弟子を標榜されてたのですよ、副島隆彦さんは。
ええええ! そうなの? って感じでありました。
あの小室先生のお弟子さんですか。
いや、それはすごい。
ここでまた信用度アップ。
でまぁ、いろいろ読んでると、ブッシュの当選を言い当てて、ブッシュの再選も言い当ててたわけです。それも全部1年以上前から断言。一切ぶれず。
そんな事もあって、どんどん信用度アップ。
それがここに来て、この大恐慌の予言とオバマ当選の予言で、とんでもないなぁ、この人は、という事になってしまった。
副島さんに言わせれば、「景気後退局面に入らざるを得ないのはわかっていたから、黒人暴動を抑えるためにオバマなんだよ。」という事だそうです。
ああ、まぁ、そういう事はあるんかもしらんけど、はぁ、まぁ、よう断言しきってしまえるよなぁ。すげぇ。
結局10年にわたって、この副島さんという人の著書を読んだりしてきたわけですけど、こういう具合に大きな枠組みのところで、ズバリと言い当てて、ブレがなく、しかも全部的確に結果になってたが故に、ずっとウォッチし続けてしまったんだよなぁって思う。
まいりました。と平身低頭するしかない、ですわ。
脳を「見える化」する思考ノート
2008年11月4日 読書 コメント (1)
■ノートは再読することが大事。
●脳を「見える化」する思考ノート
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4828414487
今日は、先日紹介した「東大ノート」の本と共通テーマで、ノートテイキングについて。
書店では、あんまり売れてるように見えないんですけど、この本は「ノートというものを、どう使うべきなのか」というのが、キチンと書かれていて、かなりの良書だと僕は思ってます。
この本で書かれているのは、
●自分が解決したい課題やテーマを、
ノートに余白を大目にして書き込み、
繰り返し見る事で何度も考え、
余白にアイディアを書き足して、
解決策や思索を深めていく。
という仕組みの提案で、単純に言うと、ただそれだけの本なんです。
言ってるのはそれだけ。
僕は、仕事のノートとは別に、思考とか発想だけをまとめるノートを、この春から用意して使い始めたのですが、その使い方に役立つところがたくさんありまして、「おお、これは良い!」と即買いしたわけです。
が、どうも世間の評判はあまり良くないみたいなんですねぇ。実際、アマゾンの評価を見ても、あんまり良い事が書いてない。
そうかなぁ? 僕はすごく良いと思ったんやけどなぁ…。
たぶん、
●ふつうの人は、自分のノートをあまり読み返したりしない。
んでしょうね。
メモやノートというのは通常、
1)書くことで覚える。
2)書いて忘れる。
というところに効能があって、だからこそ
●読み返すのはメモした内容を忘れしまった時
になってるんだと思うんです。
でも、メモやノートの効能には、
3)再読して思索を深める。
という部分もありまして、この本は、そういう用途でノートを使いたいと思っている人には、とても良いヒントになる書籍だ、ということになると思います。
この本で紹介されているのは、たとえば、考えるべき事を行間をたっぷりとって箇条書きにして、それを読み返しながら答えを考えていくというような手法です。
まぁ、紙のノートで「アイディア・プロセッサ(アウトラインプロセッサー)」を実現するというようなやり方ですね。
(えー、アイディア・プロセッサについては説明省略。パワーポイントで左に各ページのタイトルが出て、右窓に本文用紙が表示されているような形がアイディア・プロセッサの基本形です。全体の流れを見ながら、細目を考えていく、という文章作成用ツールとでも言いましょうか。)
こういうやり方は、勉強ノートとか、研究ノートとか、思索ノート、あるいは芸人さんならネタ帳ですか。そういうような継続して思考を記録するノートテイキングの手法としては、けっこう基本的で普遍的な方法だと思うのです。あんまりやってる人は少ないのかもしれないけど。
考えるためにノートを取る、と言うことをやっていると、ノートを見ること=考える事になってきて、かなり効果が高いんですね。
「忘れてから見る」わけではないので、どんどん刺激を受けて、発想が回転して行くんです。
そういう意味で、この本で提唱されてる思考を「見える化」するというのは、とても良いと僕は思いますね。
-------------
東大生のノートが美しいというのも、おそらくは忘れる前に見直すという「再読」を考えてのノートテイキングの手法なわけです。
そうするとその記憶は一時記憶・短期記憶から長期記憶に移行しやすいんですよね。短期間にどれだけ回すかって事が大切なわけですから。きれいなノートだと再読した時にパッと頭に情報が蘇りやすいわけです。
このあたりは、「エビングハウスの忘却曲線」をググってください。ネットで検索すれば、この程度の知識はいくらでも出てくる。すごい世の中になったもんですねぇ。
ようは、「忘れないうちに復習してしまう」というのが、長期記憶として定着させるには効果的って事です。
このあたりの人間の頭の仕組みを考えた上での勉強法に関しては、何度も繰り返しての紹介になりますけど、
●だれでも天才になれる科学的な勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4844062034/249-9767057-8485143
がとても参考になります。
90頁くらいの薄い本なので、ぜひとも一読をお勧めしたいですね。
-------------
それはさておき、僕はこの「思考ノート」の考え方を取り入れて、独自にいろいろ活用しやすい方法とか編み出してるんです。
この「思考ノート」の本では、B5のノートなどを使って、1頁で1項目で必ず「タイトル」をつけ、余白をたっぷりとって書きなさい、となってるんですが、僕はB6のノートで見開き活用にして、基本は左頁にだけ書き、読み返して思いついた発想は、右頁にまたがって書く、というやり方にしてます。
その他にも、再読に力を入れるために、
●先にノートに頁数を入れておく
●頁数は必ず赤色で書き込む(検索に便利)
●関連頁は、各項目のタイトル横にページ数を書いておき、
頁ジャンプがしやすいようにする。
●目次・索引の頁を巻末に先に確保
●目次・索引は読み返しをしながら、ポストイットに。
●頁に「耳」をつけるインデックスタグとして「ふせんポストイット」を活用
というような工夫をいろいろやってます。
それぞれ、いろいろ細かく解説したいんですが、あんまりここで書く内容でもないので割愛。
ともあれ、こういう風にすると、それなりに便利に使えて、あんまりノートパソコンを持ち歩こうという気になれなくなっちゃうんですね。
ノートパソコンは「見える化」に関しては、かなり非効率なので。アイディア・プロセッサ以外は、あんまり便利と思わないなぁ。
まぁ、原稿書きにはパソコンは必須なんですけど。
でも、「書く内容」をしっかり固めるには、紙の上で練る方が、何かと便利なように思います。
ということで、この話題は、またそのうち、続きを書きますね。
ではでは。
関連記事---------------
●モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
●抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
●脳を「見える化」する思考ノート
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4828414487
今日は、先日紹介した「東大ノート」の本と共通テーマで、ノートテイキングについて。
書店では、あんまり売れてるように見えないんですけど、この本は「ノートというものを、どう使うべきなのか」というのが、キチンと書かれていて、かなりの良書だと僕は思ってます。
この本で書かれているのは、
●自分が解決したい課題やテーマを、
ノートに余白を大目にして書き込み、
繰り返し見る事で何度も考え、
余白にアイディアを書き足して、
解決策や思索を深めていく。
という仕組みの提案で、単純に言うと、ただそれだけの本なんです。
言ってるのはそれだけ。
僕は、仕事のノートとは別に、思考とか発想だけをまとめるノートを、この春から用意して使い始めたのですが、その使い方に役立つところがたくさんありまして、「おお、これは良い!」と即買いしたわけです。
が、どうも世間の評判はあまり良くないみたいなんですねぇ。実際、アマゾンの評価を見ても、あんまり良い事が書いてない。
そうかなぁ? 僕はすごく良いと思ったんやけどなぁ…。
たぶん、
●ふつうの人は、自分のノートをあまり読み返したりしない。
んでしょうね。
メモやノートというのは通常、
1)書くことで覚える。
2)書いて忘れる。
というところに効能があって、だからこそ
●読み返すのはメモした内容を忘れしまった時
になってるんだと思うんです。
でも、メモやノートの効能には、
3)再読して思索を深める。
という部分もありまして、この本は、そういう用途でノートを使いたいと思っている人には、とても良いヒントになる書籍だ、ということになると思います。
この本で紹介されているのは、たとえば、考えるべき事を行間をたっぷりとって箇条書きにして、それを読み返しながら答えを考えていくというような手法です。
まぁ、紙のノートで「アイディア・プロセッサ(アウトラインプロセッサー)」を実現するというようなやり方ですね。
(えー、アイディア・プロセッサについては説明省略。パワーポイントで左に各ページのタイトルが出て、右窓に本文用紙が表示されているような形がアイディア・プロセッサの基本形です。全体の流れを見ながら、細目を考えていく、という文章作成用ツールとでも言いましょうか。)
こういうやり方は、勉強ノートとか、研究ノートとか、思索ノート、あるいは芸人さんならネタ帳ですか。そういうような継続して思考を記録するノートテイキングの手法としては、けっこう基本的で普遍的な方法だと思うのです。あんまりやってる人は少ないのかもしれないけど。
考えるためにノートを取る、と言うことをやっていると、ノートを見ること=考える事になってきて、かなり効果が高いんですね。
「忘れてから見る」わけではないので、どんどん刺激を受けて、発想が回転して行くんです。
そういう意味で、この本で提唱されてる思考を「見える化」するというのは、とても良いと僕は思いますね。
-------------
東大生のノートが美しいというのも、おそらくは忘れる前に見直すという「再読」を考えてのノートテイキングの手法なわけです。
そうするとその記憶は一時記憶・短期記憶から長期記憶に移行しやすいんですよね。短期間にどれだけ回すかって事が大切なわけですから。きれいなノートだと再読した時にパッと頭に情報が蘇りやすいわけです。
このあたりは、「エビングハウスの忘却曲線」をググってください。ネットで検索すれば、この程度の知識はいくらでも出てくる。すごい世の中になったもんですねぇ。
ようは、「忘れないうちに復習してしまう」というのが、長期記憶として定着させるには効果的って事です。
このあたりの人間の頭の仕組みを考えた上での勉強法に関しては、何度も繰り返しての紹介になりますけど、
●だれでも天才になれる科学的な勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4844062034/249-9767057-8485143
がとても参考になります。
90頁くらいの薄い本なので、ぜひとも一読をお勧めしたいですね。
-------------
それはさておき、僕はこの「思考ノート」の考え方を取り入れて、独自にいろいろ活用しやすい方法とか編み出してるんです。
この「思考ノート」の本では、B5のノートなどを使って、1頁で1項目で必ず「タイトル」をつけ、余白をたっぷりとって書きなさい、となってるんですが、僕はB6のノートで見開き活用にして、基本は左頁にだけ書き、読み返して思いついた発想は、右頁にまたがって書く、というやり方にしてます。
その他にも、再読に力を入れるために、
●先にノートに頁数を入れておく
●頁数は必ず赤色で書き込む(検索に便利)
●関連頁は、各項目のタイトル横にページ数を書いておき、
頁ジャンプがしやすいようにする。
●目次・索引の頁を巻末に先に確保
●目次・索引は読み返しをしながら、ポストイットに。
●頁に「耳」をつけるインデックスタグとして「ふせんポストイット」を活用
というような工夫をいろいろやってます。
それぞれ、いろいろ細かく解説したいんですが、あんまりここで書く内容でもないので割愛。
ともあれ、こういう風にすると、それなりに便利に使えて、あんまりノートパソコンを持ち歩こうという気になれなくなっちゃうんですね。
ノートパソコンは「見える化」に関しては、かなり非効率なので。アイディア・プロセッサ以外は、あんまり便利と思わないなぁ。
まぁ、原稿書きにはパソコンは必須なんですけど。
でも、「書く内容」をしっかり固めるには、紙の上で練る方が、何かと便利なように思います。
ということで、この話題は、またそのうち、続きを書きますね。
ではでは。
関連記事---------------
●モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
●抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
東大合格生のノートはかならず美しい
2008年10月28日 読書 コメント (9)
■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
今日は、
東大合格生のノートはかならず美しい
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4163706208
という本のご紹介。
オビに「偏差値50アップ」「塾はいらない」「ノートさえあれば」と、刺激的な見出しが踊ってますが、まぁ、実際そうだよなぁと思わせる内容であります。
とにかく、この本はいろいろな意味で衝撃的でした。勉強法につながるような本ですが、カラー写真満載で、実際のノートの実例がいくつも出てくるんです。それがすごかった。
著者の太田あやさんは、「進研ゼミ」の編集者からフリーになった方で、東大生のノートを見て、その美しさに驚き、同じように東大生の使っていたノートを集め続けてみたら、どれもがとても美しくてびっくりした、ということらしいんですね。で、その結果をまとめた本なわけです。集めたノート、200冊。表紙の折り返しにその集められたノートの表紙写真がずらりと並んでいます。
で、本の中身も、そのノートの中身の紹介でして、どれもこれも、実に美しく整理されているのです。章や節の良く分かる構造。見開き単位での合理的なフォーマットの作り方。読み直しながら書き込みできるように余白を取ったゆとりの書き方。
どれもこれも、ああ、そうか、頭の良い人というのは、頭の中身がこういう具合に合理的に整理されているのだなぁと感じさせる内容です。
とにかく写真で実物を見せているので、実に強力なインパクトがあります。ぜひご一読ください。
この本を見るだけで、仕事でのメモやノートの取り方が大きく変わると思いますし、この本で紹介されているテクニックを応用したノート取りを続けていくだけで、半年後、1年後に、自分の頭の中身が、必ず変わると実感できる内容です。
当然、受験期の学生にも効果があると思いますから、どんどん見た方が良いです。
が、しかしまぁ、大人の方が、この効果の高さはわかるかもなぁ。
いや、というのは、しかし、アマゾンでのこの本の評価なんです。もう、本当にやっかみだらけなんですよ。やっぱり東大ってのはそういうものなんですねぇ。東大受験して失敗したような人がグチグチ文句ばっかり言ってるっていうのばっかり。
そういう人たちには、「いやいや、あなた、やっぱりノート取りは大事ですよ。社会に出てから、やっと気付きましたよ、私は。あなたがた、それに失敗したから東大受験に失敗したんですよ。で、いまだにノートの取り方の重要性に気付いてないから、そういうやっかみしか言えないんですよ。」と私は言いたいのです。
なんせ、僕なんかは、芸大とかに進んだ人間で、受験自体をパスしたような人だから、そういうブランドに対する偏見はなくて、なにより、ライター稼業をしているので、現実の社会において「取材メモ=ノートテイキング」というテクニックが、いかに重要かを知ってるから、このノートの実例たちに圧倒される、という事なんですね。
で、たぶん、そっちの方がかなり重要な情報でしょう。
東大がうんとかすんとかどうでも良いですよ。
単純な話、やっぱり仕事が良くできる人は、どんどんメモを取っているんですよね。やり方はいろいろだろうけど、見てる限りはやっぱりメモを取るというのは生きる基本とすら言えます。
まえに、映画「ラストサムライ」の中で、インディアン文化を学んだ上で、インディアン文化殲滅に動き、それを悔やみながらも、また日本文化を学びながら、今度はサムライの心を大切にしようとする米国人、トム・クルーズ演ずる主人公ネイサン・オールグレンが、とにかく一冊の手帳を手にしていて、いろいろメモするシーンが出てくるんですね。文化研究としてのノートテイキング。
異文化研究のためには、こういう野帳とか、まぁKJ法もそうですけど、具体的事実をどんどん記帳していって、後から整理していくという過程がどうしても必要なわけですよ。だから、「知らない事を知る」ためには、ノートテイキングは絶対なわけです。そう言うことが象徴的に描かれていて、「ラストサムライ」は、あんまり良い映画とは思わなかったけど、僕にとっては印象的だったんです。あのノートが。
だから、そういう「メモを取る」「ノートを取る」というような基本部分こそが、本当に、国を超え、時代を超えて役立つテクニックでありまして、この本は、まさにそういう基本をズシンとした重みで伝えてくれる良書だなと僕は思うのです。
勉強してない人は、まずこれを立ち読みでいいから見るべきだと思うのです。いやほんとに。
というのは、まぁ確かに、この本は、受験にも役立つだろうし、この本自体ある程度受験市場を見て構成されてるとは思うのですけど、正直言って、このノート群の美しさは、一朝一夕に生まれるものではないと思うんですよ。
小学校の時から物事を整理して考える習慣と、それをつねに紙に書き付けることで、頭の「外部脳」としてノートを使う、という考え方と実際に試して試行錯誤した経験がないと、この美しさは無理だろうなぁ、って思うのです。
実際、この本で紹介されてるノートは、本当にすごく「美しい」んです。
それは別に色を使ってるとか(使ってるノートも多いけど)、図がきれいだとか(手描きですごくきれいな図が描いてあったり、コピーして貼ってあったりするけど)という事ではなくて、なによりも、
●再読したときに見やすいフォーマットを持っている。
という事なんですね。
つまり、再読する必要性を心の底から、体の芯からわかっている人間の取っているノートなんだって事なんです。
それをわかってるからこそ、授業を受けている最中に、「再読するためのノート」をすばやく美しく書くテクニックを身につけてるって事ですね。
それは、つまりは、
●人間は忘れる。
という事を、嫌というほど痛感している、という事です。
で、そしてそれを克服するためには、
●繰り返し覚える以外に道はない
と言うことも分ってる、ということですね。
だから、これだけの美しいノートが取れる。
という事は、それだけ「メモやノートを取らずに復習できず、忘れてしまった苦い経験をキチンと持っている」という事につながるんです。だから、それは小学校からの積み重ねだよなぁって思う。
そこがわかってなければ、これだけ美しい文字で、ていねいにノートを取る、なんて事は絶対にできません。
ほんと、繰り返すしかないんだから。学習なんて。
それ以外に道はない。
だから時間がかかるのよ。
東大へ行くような人間は、それを子供の頃からやってるって事です。
高校になってから、あわてて学習塾とか予備校とか、そういう選択を考えている段階で、実はアウトなんだよなぁっていうのを、ノートの現物という圧倒的な証拠で綴ってくれている、という本なのであります。
だから、このズシリとした重さを、立ち読みで良いから見ましょう!と僕は言いたいわけです。
実は私、この数年で、メモ取りの作業がどんどんアナログ化してきていまして、やたらと紙のノートの数が増えてるんですね。
最初は、仕事でのメモを、それまでは仕事ごとに茶封筒を作って、そこにメモを一緒に入れるというようなやり方をしてたんですけど、それをやめて一冊のノートにずっと書いていくというやり方に変えたわけです。で、それを繰り返し見るようにし始めたんですね。
そしたら、これが実に良いのです。いろんな意味でトータルに良い。仕事のスケジュールやポイントがいつも頭に入っているし、思いついた事を書き加えて、原稿書きにつなげるスピードが上がったりと、とにかく効率がすごく良いのです。
なので、最近はあんまりノートパソコンを持ち歩かなくなってきてしまったくらいで。
で、逆にノートの数がすごく増えてるんですね。
いまつけてるノートは、
●仕事用ノート(モレスキンA5サイズ?)
●思考・発想用ノート(B6ダブルリングノート)
●日記(B6ダブルリングノート)
●手帳(マンダラ手帳)
●アイデァ展開用メモ(マンダラフォーマットメモ帳)
●内面心理記録ノート(手帳に挟み込み:ハンディピック)
●英語用ノート(B6ダブルリングノート)
●夢の記録帳(B6ダブルリングノート)
●胸ポケット専用思いつきメモ(名刺サイズ:ロルバーン)
●各種記録用紙(A4クリアファイルにA4用紙を保管)
と、10種類もあるんです。
でも、これが意外に破綻しないんですねぇ。それぞれに役目もフォーマットも全部違うから。ちょうど、学校に行ってた頃、英語と国語と歴史とでノートが違ってたような感じです。全然ごちゃまぜにならないんですよね。
だいたい、ノートによっては5日に一度くらいしか書かないものも多いし、毎日つけるけど、先にエクセルとかでフォーマットを作っておいて、そこに記帳するだけだから5秒で済むというのもありますからね。
ノートを開いた段階で、すぐ一覧ができて、すぐ書き込める。しかもテーマごとに分かれてるから、最初から整理されてるのと同じ。置き場所などでテーマが違うとかもあるし(日記は寝床ですし、手帳はカバンの中ですからね。)パソコンよりはるかに便利です。
パソコンみたいに、停電で困るとか、そういうのがないし。
だから、紙のノートって大事なんだよなぁって、最近はつくづく思うのでありますよ。
ほんとに。
だから「東大ノート」に感激したって部分も大きいんですよねぇ。
あー、なんかちょっと趣味の文具の話に流れてしまったので、この話はここまでにします。
ではでは。
関連記事--------------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
今日は、
東大合格生のノートはかならず美しい
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4163706208
という本のご紹介。
オビに「偏差値50アップ」「塾はいらない」「ノートさえあれば」と、刺激的な見出しが踊ってますが、まぁ、実際そうだよなぁと思わせる内容であります。
とにかく、この本はいろいろな意味で衝撃的でした。勉強法につながるような本ですが、カラー写真満載で、実際のノートの実例がいくつも出てくるんです。それがすごかった。
著者の太田あやさんは、「進研ゼミ」の編集者からフリーになった方で、東大生のノートを見て、その美しさに驚き、同じように東大生の使っていたノートを集め続けてみたら、どれもがとても美しくてびっくりした、ということらしいんですね。で、その結果をまとめた本なわけです。集めたノート、200冊。表紙の折り返しにその集められたノートの表紙写真がずらりと並んでいます。
で、本の中身も、そのノートの中身の紹介でして、どれもこれも、実に美しく整理されているのです。章や節の良く分かる構造。見開き単位での合理的なフォーマットの作り方。読み直しながら書き込みできるように余白を取ったゆとりの書き方。
どれもこれも、ああ、そうか、頭の良い人というのは、頭の中身がこういう具合に合理的に整理されているのだなぁと感じさせる内容です。
とにかく写真で実物を見せているので、実に強力なインパクトがあります。ぜひご一読ください。
この本を見るだけで、仕事でのメモやノートの取り方が大きく変わると思いますし、この本で紹介されているテクニックを応用したノート取りを続けていくだけで、半年後、1年後に、自分の頭の中身が、必ず変わると実感できる内容です。
当然、受験期の学生にも効果があると思いますから、どんどん見た方が良いです。
が、しかしまぁ、大人の方が、この効果の高さはわかるかもなぁ。
いや、というのは、しかし、アマゾンでのこの本の評価なんです。もう、本当にやっかみだらけなんですよ。やっぱり東大ってのはそういうものなんですねぇ。東大受験して失敗したような人がグチグチ文句ばっかり言ってるっていうのばっかり。
そういう人たちには、「いやいや、あなた、やっぱりノート取りは大事ですよ。社会に出てから、やっと気付きましたよ、私は。あなたがた、それに失敗したから東大受験に失敗したんですよ。で、いまだにノートの取り方の重要性に気付いてないから、そういうやっかみしか言えないんですよ。」と私は言いたいのです。
なんせ、僕なんかは、芸大とかに進んだ人間で、受験自体をパスしたような人だから、そういうブランドに対する偏見はなくて、なにより、ライター稼業をしているので、現実の社会において「取材メモ=ノートテイキング」というテクニックが、いかに重要かを知ってるから、このノートの実例たちに圧倒される、という事なんですね。
で、たぶん、そっちの方がかなり重要な情報でしょう。
東大がうんとかすんとかどうでも良いですよ。
単純な話、やっぱり仕事が良くできる人は、どんどんメモを取っているんですよね。やり方はいろいろだろうけど、見てる限りはやっぱりメモを取るというのは生きる基本とすら言えます。
まえに、映画「ラストサムライ」の中で、インディアン文化を学んだ上で、インディアン文化殲滅に動き、それを悔やみながらも、また日本文化を学びながら、今度はサムライの心を大切にしようとする米国人、トム・クルーズ演ずる主人公ネイサン・オールグレンが、とにかく一冊の手帳を手にしていて、いろいろメモするシーンが出てくるんですね。文化研究としてのノートテイキング。
異文化研究のためには、こういう野帳とか、まぁKJ法もそうですけど、具体的事実をどんどん記帳していって、後から整理していくという過程がどうしても必要なわけですよ。だから、「知らない事を知る」ためには、ノートテイキングは絶対なわけです。そう言うことが象徴的に描かれていて、「ラストサムライ」は、あんまり良い映画とは思わなかったけど、僕にとっては印象的だったんです。あのノートが。
だから、そういう「メモを取る」「ノートを取る」というような基本部分こそが、本当に、国を超え、時代を超えて役立つテクニックでありまして、この本は、まさにそういう基本をズシンとした重みで伝えてくれる良書だなと僕は思うのです。
勉強してない人は、まずこれを立ち読みでいいから見るべきだと思うのです。いやほんとに。
というのは、まぁ確かに、この本は、受験にも役立つだろうし、この本自体ある程度受験市場を見て構成されてるとは思うのですけど、正直言って、このノート群の美しさは、一朝一夕に生まれるものではないと思うんですよ。
小学校の時から物事を整理して考える習慣と、それをつねに紙に書き付けることで、頭の「外部脳」としてノートを使う、という考え方と実際に試して試行錯誤した経験がないと、この美しさは無理だろうなぁ、って思うのです。
実際、この本で紹介されてるノートは、本当にすごく「美しい」んです。
それは別に色を使ってるとか(使ってるノートも多いけど)、図がきれいだとか(手描きですごくきれいな図が描いてあったり、コピーして貼ってあったりするけど)という事ではなくて、なによりも、
●再読したときに見やすいフォーマットを持っている。
という事なんですね。
つまり、再読する必要性を心の底から、体の芯からわかっている人間の取っているノートなんだって事なんです。
それをわかってるからこそ、授業を受けている最中に、「再読するためのノート」をすばやく美しく書くテクニックを身につけてるって事ですね。
それは、つまりは、
●人間は忘れる。
という事を、嫌というほど痛感している、という事です。
で、そしてそれを克服するためには、
●繰り返し覚える以外に道はない
と言うことも分ってる、ということですね。
だから、これだけの美しいノートが取れる。
という事は、それだけ「メモやノートを取らずに復習できず、忘れてしまった苦い経験をキチンと持っている」という事につながるんです。だから、それは小学校からの積み重ねだよなぁって思う。
そこがわかってなければ、これだけ美しい文字で、ていねいにノートを取る、なんて事は絶対にできません。
ほんと、繰り返すしかないんだから。学習なんて。
それ以外に道はない。
だから時間がかかるのよ。
東大へ行くような人間は、それを子供の頃からやってるって事です。
高校になってから、あわてて学習塾とか予備校とか、そういう選択を考えている段階で、実はアウトなんだよなぁっていうのを、ノートの現物という圧倒的な証拠で綴ってくれている、という本なのであります。
だから、このズシリとした重さを、立ち読みで良いから見ましょう!と僕は言いたいわけです。
実は私、この数年で、メモ取りの作業がどんどんアナログ化してきていまして、やたらと紙のノートの数が増えてるんですね。
最初は、仕事でのメモを、それまでは仕事ごとに茶封筒を作って、そこにメモを一緒に入れるというようなやり方をしてたんですけど、それをやめて一冊のノートにずっと書いていくというやり方に変えたわけです。で、それを繰り返し見るようにし始めたんですね。
そしたら、これが実に良いのです。いろんな意味でトータルに良い。仕事のスケジュールやポイントがいつも頭に入っているし、思いついた事を書き加えて、原稿書きにつなげるスピードが上がったりと、とにかく効率がすごく良いのです。
なので、最近はあんまりノートパソコンを持ち歩かなくなってきてしまったくらいで。
で、逆にノートの数がすごく増えてるんですね。
いまつけてるノートは、
●仕事用ノート(モレスキンA5サイズ?)
●思考・発想用ノート(B6ダブルリングノート)
●日記(B6ダブルリングノート)
●手帳(マンダラ手帳)
●アイデァ展開用メモ(マンダラフォーマットメモ帳)
●内面心理記録ノート(手帳に挟み込み:ハンディピック)
●英語用ノート(B6ダブルリングノート)
●夢の記録帳(B6ダブルリングノート)
●胸ポケット専用思いつきメモ(名刺サイズ:ロルバーン)
●各種記録用紙(A4クリアファイルにA4用紙を保管)
と、10種類もあるんです。
でも、これが意外に破綻しないんですねぇ。それぞれに役目もフォーマットも全部違うから。ちょうど、学校に行ってた頃、英語と国語と歴史とでノートが違ってたような感じです。全然ごちゃまぜにならないんですよね。
だいたい、ノートによっては5日に一度くらいしか書かないものも多いし、毎日つけるけど、先にエクセルとかでフォーマットを作っておいて、そこに記帳するだけだから5秒で済むというのもありますからね。
ノートを開いた段階で、すぐ一覧ができて、すぐ書き込める。しかもテーマごとに分かれてるから、最初から整理されてるのと同じ。置き場所などでテーマが違うとかもあるし(日記は寝床ですし、手帳はカバンの中ですからね。)パソコンよりはるかに便利です。
パソコンみたいに、停電で困るとか、そういうのがないし。
だから、紙のノートって大事なんだよなぁって、最近はつくづく思うのでありますよ。
ほんとに。
だから「東大ノート」に感激したって部分も大きいんですよねぇ。
あー、なんかちょっと趣味の文具の話に流れてしまったので、この話はここまでにします。
ではでは。
関連記事--------------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
ここのところ、仕事でちょっといらついてしまったり、事務所、自宅ともパソコンの調子が悪くなったり、なんだかんだと落ち込む事が多かったのです。
なので、つい買うのを伸ばし伸ばしにしていた自転車を、思い切って注文。今月の末には届くんだって。ああ、うれしい。
なんかもう、はやく乗りたくて乗りたくてたまりません。
注文したのは、もうミーハー丸出しなんだけど、アメリカの大手メーカーTrekのクロスバイク7.5FX。ヨーロッパの名門の自転車にしようかなぁとも考えたんですけどね。でもまぁ、初心者だし。とりあえずミーハーで行けば良いや!という事にしました。
初心者なんだから、下のレベルからやる、というのは、けっこう重要な事だと思ってるので。
Trekは、街乗り自転車としてのクロスバイクに関して、ホームページでキチンとわかりやすいアプローチの紹介ページを作ってくれているところが気に入って選んだ、というところがありますね。ようは「ママチャリしか知らない一般人にスポーツ自転車を導入した生活の実際を提案する」という事です。こういう事って、いま一番必要なアプローチだと思うし、それをキチンとやっている、というところを好感してるわけです。
Trekの街乗り自転車FXシリーズの紹介ページはこちら
http://trekfx.jp/
まぁ、例の「ベストセラーの女王」勝間和代さんも、たぶんTrekなんですよね。あの人もミーハーやなぁ。(笑) まぁええけど。
ま、そんな感じで、いまは入荷するのが楽しみで楽しみで仕方ないって状態であります。
自転車に乗るようになるまでの経緯は、
「自転車ツーキニストになるまでの紆余曲折。」
http://hitoyomi.diarynote.jp/200805231106010000/
にも書いたとおりで、知り合いのデザイナー君のおすすめだったわけですが、まぁ、ほんと、少し前から知り合いの方で、乗ってる人がけっこう多かったんですよねぇ。
それも、いろんな意味で尊敬できる方が乗ってるという事が多かった。
だから、すごーく注目だけはしてたのであります。
疋田智さんの著作も、前々から小耳には挟んでいたんですが、今回集中して読んでみて、かなーり影響をうけたのであります。
いや、ほんと、自転車は人類を救いますな。マジで。
環境には絶対良いわけですよ。co2がうんぬんと言っても何を言おうが、絶対良い。なんせガソリンなんか一切使ってないし。
で、メタボとかなんとか、健康の事を考えたって、自転車で毎日通勤するっていうのは、生活に組み込めるのだから、これまた絶対にいい。
ジムに行くとか、ランニングするとか言っても、週に二回の実行がまずしんどいですからなぁ。でも、自転車通勤ならそういう心配もありません。
やっぱりね、こういう事は生活に組み込むことが一番なんだよなぁって思うのであります。
まぁ、ここしばらくはスポーツ自転車に関していろいろ知識を得てしまったが故に、ママチャリに乗る気が起こらず、ちょっと自転車に乗ること自体にご無沙汰してますが。(笑)
あまり知られていないので、ここでちょっと書いておくと、日本のママチャリっていうのは、かなり特殊な存在なんですよね。
mixiで、このあたりの事について、日記のコメントで書いた文章があるので、ちょっとコピペしますね。
(引用開始)----------------------------
えー、自転車なんですが、日本は世界でもマレに見る「ヘンな」自転車大国なんですよ。
世界中どこを探しても、歩行者と自転車が歩道で共存してる国なんてありません。普通、車両と歩行者がごちゃまぜというのは「野蛮」という事になるそうです。
で、なんでそうなってしまうかというと、ママチャリというのが、これまた世界でも類例のない妙な存在でして「わざわざスピードが出ないように作った重たい自転車」だからでして、ママチャリの平均時速12㎞程度というのは、かなりとんでもなく遅く、「自転車としての意義を果たしていない」というのが実態であったりするようなんですねぇ。
これはひとえに国の怠慢が原因。モータリゼーションの流れで、車道が混雑し自転車対自動車での死亡事故が増えた時に、「自転車は歩道通行も可」と言って、ちゃんと道路活用ルールを明確化せずに自転車と歩行者にツケを回してしまったからなんですよ。
世界の「フツー」の自転車は平均時速20㎞から25㎞が出せて、信号機などが必要な都市部では、実は最速の移動手段なんですね。(ドアトウドアで移動でき、駐車場確保も手軽なので人の移動、書類の配達などでは、自転車が最速。まぁバイクもありますが、あれはガソリン食うしなぁ。)世界の最先端都市では、自転車をいかに活用するかこそがこれからの都市交通のカナメを握るとすら言われているそうです。
なのに、日本では人も自転車もごちゃ混ぜで、世にも珍しい「遅い自転車」「歩行行為にちょいと毛の生えた程度」で、「車の代替交通機関」として捉えられていない。ここが問題なんだそうです。
書類一枚のお届け、ちょいとした打合せ、程度の事に使われているクルマがどれほど多い事か。そういうのを全部自転車に代替できれば、渋滞の緩和、大気汚染の防止、市民の健康維持に役立って悪いことなし、良いことだらけ、なんですが。
でもまぁ、アジア全域において「自転車は貧乏くさい」という、昔ながらの価値観が、かなりこびりついておるので、事態はなかなか進展しないという事のようですね。
ともあれ、「クルマを排除し、自転車に置き換える」というのは、都市交通の今後を考えたときに、かなり大切で可能性の高い選択肢のようです。まず、このチョイスを考えねばいけません。はい。
(引用終了)----------------------------------
という事でしてね。
あんまり知られてないけど、ママチャリはだいたい20kg~25kgくらいの重さがあります。
で、スポーツ自転車は、入門用の比較的安いクラスの製品でも10kg~14kgまでなんですね。重さで10kgの差があるわけですよ。
この差を疋田智さん風に表現するなら「ママチャリは5kgの米を二袋くくりつけて走っているようなもの。長距離を走るにはもともと向いてないのだ」という話になるわけです。
だから、ママチャリで走っても、せいぜい3km~5kmしか走れないのですよ。疲れちゃうわけです。まぁ、もともとの設計が、「人間と共存するためにゆっくり走る」だからしょうがないと言えばしょうがないんですけど、自転車は本来「車両」でして、車道を走るのが当たり前なんですよ。人間とは共存させてはいけない乗り物なんです。
だいたい歩道というのは、車椅子の人から子供や老人にいたるまでの幅広い「徒歩」のための道路ですから、そこを30km近くスピードの出せる自転車が走るという事自体がかなりおかしいわけです。
道路というのは、つねに「弱者優先」の論理というのがありまして、歩道なら子供や車椅子をこそ、優先して法規や構造を考えないといけないし、車道なら、もっとも弱者である自転車を最優先に法規や構造を考えるのが当たり前なわけです。世界の常識って奴です。
だから、車に乗ってる人間がすべての道路でもっとも強者なのだから、もっとも萎縮して、「すみません。申し訳ない。通らせていただきます。」と思っていなければいけない存在なわけです。
ところが、日本では、産業育成のために自動車メーカーを優先して自転車を車道から追い出す、なんて事をしてしまったわけでして、それはもう根本からおかしいわけです。
世界の標準的な「道」のルールは、人>自転車>車となっているのに、日本では、車>人>自転車の順に優先されてるわけです。かなりおかしいんですね、これは。
この半年近くママチャリで街の中を走っていると、本当に、このあたりのおかしさは実感せざるを得ません。
ようは単純に、自転車は「存在してないようなモノ」扱いされてるんですよ。日本では。だいたいどこを走って良いのか良く分からないような仕組みになってますから。それはもう、かなりおかしい。
ガソリンを食いまくり、空間もムダに使う自動車を無制限に優先するものだから「交通渋滞」などというお笑いぐさの事態を引き起こしているわけでして。あんなもの「車には出来る限り乗るな!」という法整備をすればそれで良いのです。道が空いて車がスコンスコン走れるようになるんだから。車の値段を3倍くらいにすれば、自動車産業も損しなくていいし、道も空くわけですよ。で、車を都市部で個人所有してる人間からは10倍でも20倍でもいいから税金を取りまくればいいんです。それで別に何の問題もないです。
なぜなら自転車があるから!
ですね。
ガソリンを使わず、健康に良くて、しかも、ランニングのように腰に負担をかけることもない。素晴らしい道具であります。
もちろん雨の日には乗れませんが、その分、都市交通を充実させれば良いのです。それだけの話です。
自転車関連の本には良く掲載されてるんですが、地球上で最高にエネルギー効率の良い移動手段が自転車でして、これは本当に画期的なんですよね。何が画期的かというと、同じ[1km]を移動するのに必要なエネルギーを比較すると、ジェット旅客機で0.6カロリー、ヘリコプターで3.8カロリー、クルマで0.8カロリー、馬で0.7カロリーなのに、自転車は0.15カロリーですごく効率的! という事ではあるんですが、問題はその次でして、徒歩で0.75カロリーと、実は徒歩の方が効率が悪い! って事なんですよ。
まぁ、これは重さ1gあたりのエネルギーを考えてるので、異論もあるかも知れない内容ではありますが、それでも「そうかぁ、自転車は徒歩よりエネルギー効率が良いのかぁ」と思うと、いろいろ感じ入ることも多いのですよ。
移動するに際して、これほど効率の良いものはない、という話なんですがね。
しかし、これに加えて、僕がもっと注目するのは、スポーツ障害の問題なのであります。
健康だ! メタボ対策だ! と、みんな簡単にスポーツ、スポーツと言いますがね、本当にスポーツをしてる人は、みんなスポーツ障害にやられてるわけですよ。関節を悪くした、なんて人はザラなわけですね。
実際、いま一緒に仕事をしてるデザイナーさんも、腰が悪くて困っておられるんだけど、それはスポーツジムで足を鍛えるマシンジムをやりすぎたからなわけなんですよ。
健康、健康って言うけど、体を壊したら元も子もない。
で、その点、自転車は、坂を登るときに、体を鍛えるために、無理に強めの変速で登る、というようなおかしな事をしない限り、関節への負担もすごく少ないスポーツなのだ、というところも、ものすごく魅力なわけです。
健康のために、と言うことであれば、毎日やっても問題ないようなスポーツでないと意味ないわけです。ましてや「障害」が出てしまうようなのは論外なんですな。
でも、たとえば徒歩ですら、サンダルで歩くとかしたら、関節を悪くする可能性がありますしな。けっこう難しいものなのです。
膝にかかる重さというのは、普通に立っている状態を1として、歩いて3倍、階段の上り下りで5倍、ランニングで8倍にも達するわけです。
こんなもんを、キチンとトレーナーにつかずに、我流でこなしていたら、長年の継続で膝を悪くしてしまう可能性も出てくるんですね。
ウォーキングドクターーとして有名なデューク更家さんは、お母さんが健康のためにと毎日あるいておられて、でも砂浜という膝に負担のかかるところを歩いていたのに、そういう問題に気付かないまま、医者が「歩くのは良い」と言ってたのを鵜呑みにして、どんどん歩かせて、それで膝を悪くして寝込んでしまい、早くに亡くなられてしまったという事があったらしく、そのことがきっかけでウォーキングの研究に入られたんだそうで。
だから我流で無理に歩くとか走るとか、けっこう危険なんですよね。
ところが!
自転車にはそういう危険がかなり少ない。
なんせ、椅子に座ってるのと同じような条件ですから。
しかも、地面からの震動は自転車のフレーム自体が吸収してくれて、体には比較的小さな振動しか伝わらないのですよ。
でも運動量自体はかなり多いんですね。
というのは、一歩歩く、という距離を、足の回転で代替させてるわけですから、回転運動としての運動量は多いんです。軽い負荷で回数を増やしているような理屈です。だから量そのものは多い。まさに有酸素運動そのものなんですよね。
で、そのくせ、実際の移動距離は、歩くよりも、走るよりも、はるかに多いんです。足を止めてる時も惰性でちゃんと走ってるわけですしね。で、この「距離が稼げる」という事は、「飽きない」って事につながるんですね。同じ時間があっても、距離をたくさん移動できるとなると、コースの選択の幅がものすごく広くなるからです。飽きないって事は、日々続ける事ができるという事で、そこもまた良い点なわけです。
特に都市部は、すでに舗装率は100%に近いですから、ほんとうにどこにだって最小の力で移動できるわけですよ。街の自転車というのは、本当にあらゆる意味で最強の移動手段、健康増進装置なわけです。
人間の筋肉のうち7割が下半身、足にありますから、足を動かす運動が一番効率的な運動なんですけど、自転車はそれが最も顕著に行われるスポーツですからな。そら効果的ですわね。
もう、そういう自転車の良い点ばかりが、頭の中に入っている状態ですから、もう本当に早く自転車に乗りたくてしょうがないのです。
ああ、7.5FXはやく入荷しないかなぁ。乗りたいなぁ。
ま、そんなことであります。
なので、つい買うのを伸ばし伸ばしにしていた自転車を、思い切って注文。今月の末には届くんだって。ああ、うれしい。
なんかもう、はやく乗りたくて乗りたくてたまりません。
注文したのは、もうミーハー丸出しなんだけど、アメリカの大手メーカーTrekのクロスバイク7.5FX。ヨーロッパの名門の自転車にしようかなぁとも考えたんですけどね。でもまぁ、初心者だし。とりあえずミーハーで行けば良いや!という事にしました。
初心者なんだから、下のレベルからやる、というのは、けっこう重要な事だと思ってるので。
Trekは、街乗り自転車としてのクロスバイクに関して、ホームページでキチンとわかりやすいアプローチの紹介ページを作ってくれているところが気に入って選んだ、というところがありますね。ようは「ママチャリしか知らない一般人にスポーツ自転車を導入した生活の実際を提案する」という事です。こういう事って、いま一番必要なアプローチだと思うし、それをキチンとやっている、というところを好感してるわけです。
Trekの街乗り自転車FXシリーズの紹介ページはこちら
http://trekfx.jp/
まぁ、例の「ベストセラーの女王」勝間和代さんも、たぶんTrekなんですよね。あの人もミーハーやなぁ。(笑) まぁええけど。
ま、そんな感じで、いまは入荷するのが楽しみで楽しみで仕方ないって状態であります。
自転車に乗るようになるまでの経緯は、
「自転車ツーキニストになるまでの紆余曲折。」
http://hitoyomi.diarynote.jp/200805231106010000/
にも書いたとおりで、知り合いのデザイナー君のおすすめだったわけですが、まぁ、ほんと、少し前から知り合いの方で、乗ってる人がけっこう多かったんですよねぇ。
それも、いろんな意味で尊敬できる方が乗ってるという事が多かった。
だから、すごーく注目だけはしてたのであります。
疋田智さんの著作も、前々から小耳には挟んでいたんですが、今回集中して読んでみて、かなーり影響をうけたのであります。
いや、ほんと、自転車は人類を救いますな。マジで。
環境には絶対良いわけですよ。co2がうんぬんと言っても何を言おうが、絶対良い。なんせガソリンなんか一切使ってないし。
で、メタボとかなんとか、健康の事を考えたって、自転車で毎日通勤するっていうのは、生活に組み込めるのだから、これまた絶対にいい。
ジムに行くとか、ランニングするとか言っても、週に二回の実行がまずしんどいですからなぁ。でも、自転車通勤ならそういう心配もありません。
やっぱりね、こういう事は生活に組み込むことが一番なんだよなぁって思うのであります。
まぁ、ここしばらくはスポーツ自転車に関していろいろ知識を得てしまったが故に、ママチャリに乗る気が起こらず、ちょっと自転車に乗ること自体にご無沙汰してますが。(笑)
あまり知られていないので、ここでちょっと書いておくと、日本のママチャリっていうのは、かなり特殊な存在なんですよね。
mixiで、このあたりの事について、日記のコメントで書いた文章があるので、ちょっとコピペしますね。
(引用開始)----------------------------
えー、自転車なんですが、日本は世界でもマレに見る「ヘンな」自転車大国なんですよ。
世界中どこを探しても、歩行者と自転車が歩道で共存してる国なんてありません。普通、車両と歩行者がごちゃまぜというのは「野蛮」という事になるそうです。
で、なんでそうなってしまうかというと、ママチャリというのが、これまた世界でも類例のない妙な存在でして「わざわざスピードが出ないように作った重たい自転車」だからでして、ママチャリの平均時速12㎞程度というのは、かなりとんでもなく遅く、「自転車としての意義を果たしていない」というのが実態であったりするようなんですねぇ。
これはひとえに国の怠慢が原因。モータリゼーションの流れで、車道が混雑し自転車対自動車での死亡事故が増えた時に、「自転車は歩道通行も可」と言って、ちゃんと道路活用ルールを明確化せずに自転車と歩行者にツケを回してしまったからなんですよ。
世界の「フツー」の自転車は平均時速20㎞から25㎞が出せて、信号機などが必要な都市部では、実は最速の移動手段なんですね。(ドアトウドアで移動でき、駐車場確保も手軽なので人の移動、書類の配達などでは、自転車が最速。まぁバイクもありますが、あれはガソリン食うしなぁ。)世界の最先端都市では、自転車をいかに活用するかこそがこれからの都市交通のカナメを握るとすら言われているそうです。
なのに、日本では人も自転車もごちゃ混ぜで、世にも珍しい「遅い自転車」「歩行行為にちょいと毛の生えた程度」で、「車の代替交通機関」として捉えられていない。ここが問題なんだそうです。
書類一枚のお届け、ちょいとした打合せ、程度の事に使われているクルマがどれほど多い事か。そういうのを全部自転車に代替できれば、渋滞の緩和、大気汚染の防止、市民の健康維持に役立って悪いことなし、良いことだらけ、なんですが。
でもまぁ、アジア全域において「自転車は貧乏くさい」という、昔ながらの価値観が、かなりこびりついておるので、事態はなかなか進展しないという事のようですね。
ともあれ、「クルマを排除し、自転車に置き換える」というのは、都市交通の今後を考えたときに、かなり大切で可能性の高い選択肢のようです。まず、このチョイスを考えねばいけません。はい。
(引用終了)----------------------------------
という事でしてね。
あんまり知られてないけど、ママチャリはだいたい20kg~25kgくらいの重さがあります。
で、スポーツ自転車は、入門用の比較的安いクラスの製品でも10kg~14kgまでなんですね。重さで10kgの差があるわけですよ。
この差を疋田智さん風に表現するなら「ママチャリは5kgの米を二袋くくりつけて走っているようなもの。長距離を走るにはもともと向いてないのだ」という話になるわけです。
だから、ママチャリで走っても、せいぜい3km~5kmしか走れないのですよ。疲れちゃうわけです。まぁ、もともとの設計が、「人間と共存するためにゆっくり走る」だからしょうがないと言えばしょうがないんですけど、自転車は本来「車両」でして、車道を走るのが当たり前なんですよ。人間とは共存させてはいけない乗り物なんです。
だいたい歩道というのは、車椅子の人から子供や老人にいたるまでの幅広い「徒歩」のための道路ですから、そこを30km近くスピードの出せる自転車が走るという事自体がかなりおかしいわけです。
道路というのは、つねに「弱者優先」の論理というのがありまして、歩道なら子供や車椅子をこそ、優先して法規や構造を考えないといけないし、車道なら、もっとも弱者である自転車を最優先に法規や構造を考えるのが当たり前なわけです。世界の常識って奴です。
だから、車に乗ってる人間がすべての道路でもっとも強者なのだから、もっとも萎縮して、「すみません。申し訳ない。通らせていただきます。」と思っていなければいけない存在なわけです。
ところが、日本では、産業育成のために自動車メーカーを優先して自転車を車道から追い出す、なんて事をしてしまったわけでして、それはもう根本からおかしいわけです。
世界の標準的な「道」のルールは、人>自転車>車となっているのに、日本では、車>人>自転車の順に優先されてるわけです。かなりおかしいんですね、これは。
この半年近くママチャリで街の中を走っていると、本当に、このあたりのおかしさは実感せざるを得ません。
ようは単純に、自転車は「存在してないようなモノ」扱いされてるんですよ。日本では。だいたいどこを走って良いのか良く分からないような仕組みになってますから。それはもう、かなりおかしい。
ガソリンを食いまくり、空間もムダに使う自動車を無制限に優先するものだから「交通渋滞」などというお笑いぐさの事態を引き起こしているわけでして。あんなもの「車には出来る限り乗るな!」という法整備をすればそれで良いのです。道が空いて車がスコンスコン走れるようになるんだから。車の値段を3倍くらいにすれば、自動車産業も損しなくていいし、道も空くわけですよ。で、車を都市部で個人所有してる人間からは10倍でも20倍でもいいから税金を取りまくればいいんです。それで別に何の問題もないです。
なぜなら自転車があるから!
ですね。
ガソリンを使わず、健康に良くて、しかも、ランニングのように腰に負担をかけることもない。素晴らしい道具であります。
もちろん雨の日には乗れませんが、その分、都市交通を充実させれば良いのです。それだけの話です。
自転車関連の本には良く掲載されてるんですが、地球上で最高にエネルギー効率の良い移動手段が自転車でして、これは本当に画期的なんですよね。何が画期的かというと、同じ[1km]を移動するのに必要なエネルギーを比較すると、ジェット旅客機で0.6カロリー、ヘリコプターで3.8カロリー、クルマで0.8カロリー、馬で0.7カロリーなのに、自転車は0.15カロリーですごく効率的! という事ではあるんですが、問題はその次でして、徒歩で0.75カロリーと、実は徒歩の方が効率が悪い! って事なんですよ。
まぁ、これは重さ1gあたりのエネルギーを考えてるので、異論もあるかも知れない内容ではありますが、それでも「そうかぁ、自転車は徒歩よりエネルギー効率が良いのかぁ」と思うと、いろいろ感じ入ることも多いのですよ。
移動するに際して、これほど効率の良いものはない、という話なんですがね。
しかし、これに加えて、僕がもっと注目するのは、スポーツ障害の問題なのであります。
健康だ! メタボ対策だ! と、みんな簡単にスポーツ、スポーツと言いますがね、本当にスポーツをしてる人は、みんなスポーツ障害にやられてるわけですよ。関節を悪くした、なんて人はザラなわけですね。
実際、いま一緒に仕事をしてるデザイナーさんも、腰が悪くて困っておられるんだけど、それはスポーツジムで足を鍛えるマシンジムをやりすぎたからなわけなんですよ。
健康、健康って言うけど、体を壊したら元も子もない。
で、その点、自転車は、坂を登るときに、体を鍛えるために、無理に強めの変速で登る、というようなおかしな事をしない限り、関節への負担もすごく少ないスポーツなのだ、というところも、ものすごく魅力なわけです。
健康のために、と言うことであれば、毎日やっても問題ないようなスポーツでないと意味ないわけです。ましてや「障害」が出てしまうようなのは論外なんですな。
でも、たとえば徒歩ですら、サンダルで歩くとかしたら、関節を悪くする可能性がありますしな。けっこう難しいものなのです。
膝にかかる重さというのは、普通に立っている状態を1として、歩いて3倍、階段の上り下りで5倍、ランニングで8倍にも達するわけです。
こんなもんを、キチンとトレーナーにつかずに、我流でこなしていたら、長年の継続で膝を悪くしてしまう可能性も出てくるんですね。
ウォーキングドクターーとして有名なデューク更家さんは、お母さんが健康のためにと毎日あるいておられて、でも砂浜という膝に負担のかかるところを歩いていたのに、そういう問題に気付かないまま、医者が「歩くのは良い」と言ってたのを鵜呑みにして、どんどん歩かせて、それで膝を悪くして寝込んでしまい、早くに亡くなられてしまったという事があったらしく、そのことがきっかけでウォーキングの研究に入られたんだそうで。
だから我流で無理に歩くとか走るとか、けっこう危険なんですよね。
ところが!
自転車にはそういう危険がかなり少ない。
なんせ、椅子に座ってるのと同じような条件ですから。
しかも、地面からの震動は自転車のフレーム自体が吸収してくれて、体には比較的小さな振動しか伝わらないのですよ。
でも運動量自体はかなり多いんですね。
というのは、一歩歩く、という距離を、足の回転で代替させてるわけですから、回転運動としての運動量は多いんです。軽い負荷で回数を増やしているような理屈です。だから量そのものは多い。まさに有酸素運動そのものなんですよね。
で、そのくせ、実際の移動距離は、歩くよりも、走るよりも、はるかに多いんです。足を止めてる時も惰性でちゃんと走ってるわけですしね。で、この「距離が稼げる」という事は、「飽きない」って事につながるんですね。同じ時間があっても、距離をたくさん移動できるとなると、コースの選択の幅がものすごく広くなるからです。飽きないって事は、日々続ける事ができるという事で、そこもまた良い点なわけです。
特に都市部は、すでに舗装率は100%に近いですから、ほんとうにどこにだって最小の力で移動できるわけですよ。街の自転車というのは、本当にあらゆる意味で最強の移動手段、健康増進装置なわけです。
人間の筋肉のうち7割が下半身、足にありますから、足を動かす運動が一番効率的な運動なんですけど、自転車はそれが最も顕著に行われるスポーツですからな。そら効果的ですわね。
もう、そういう自転車の良い点ばかりが、頭の中に入っている状態ですから、もう本当に早く自転車に乗りたくてしょうがないのです。
ああ、7.5FXはやく入荷しないかなぁ。乗りたいなぁ。
ま、そんなことであります。
この国は議員にいくら使うのか
2008年10月23日 読書 コメント (2)
今回紹介するのは、「9月に読んだ本」でもちょろっと紹介しましたが、政治に関する新書。「この国は議員にいくら使うのか」について。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4827550468
この本を読んで、僕はもう完全に発想が変わってしまったので、そこらあたりをザクっと紹介します。
ずっと、「役人が多すぎるし、まともな仕事をしとらん。まず役人の人員削減せなあかんよな」と思ってたんです。
で、この考え自体は変わってないんだけど、今までは、「だから政治家の権限を高めて、政治家主導にせないかん。」と思ってたし、「いまのように官僚が作った法案に政治家が乗るという形でなく、本来の政治家が法を作る議員立法をもっとやってもらわな困る」と思っていたし、「そのためには政治家には、調査や議員立法のための人員確保も必要だから、それなりの資金を与えないとしょうがないよなぁ」と思ってたんですね。
でも、この考え方こそが、大間違いなのだと、この本を読んで、良く分かりました。
著者の河村たかしさんは、民主党の議員(衆議院)さんですが、僕とはまったく逆で、
●「職業議員」こそ、金の無駄遣いの最たるものだ。政治改革をやるなら、まず議員という仕事はボランティアでやるものだ、という世界標準のやり方にするところからやらねば絶対に無理だ。
と言っておられる方なわけです。
あ、そうか。
そりゃそうだ!
なわけですよ。
議員がボランティアなんてことは、当たり前の話なんです。市民一人一人が経済活動などして生きていて、その生きている経済環境や、目指す活動の方向が違って、ぶつかってしまう時に、「これは話し合って調整せにゃ、埒が行かんぞ。」と考えるのが政治なわけです。
立場の違いを話し合いで調整するっていうのが民主主義だし、それが議会の存在意義だって話しなんですね。問題が起きてる部分だけをうまく解決すれば、本来は「こんな面倒な仕事やっとれんよ。」と言って、さっさと議会から去り、自分の仕事に戻る、っちゅうのが本来的なあり方なわけです。
で、そういう本来的なやり方をやってると、みんなが市民生活と議員を兼業という形になって、たとえば決まり事を整理するとか、こまかい所まで手が回らんから「調整業務専任の人間もいないとちょっと不便だわなぁ」ということで役人、官僚を専任で雇っているわけですよ。
だから、本来は「専任の人間なんて必要最小限で良いよなぁ」と議員の側が思っているのが当たり前なわけです。政治なんてもともと実体経済とかけ離れた、「調整のための話し合い作業」なわけだから、それ専門でやってても利益なんて出ないってのが大前提ですから。「やりたかねぇよ、こんな面倒な仕事。」ってなるのが普通は、というか世界標準の考え方からいけば当たり前なわけです。
ところがこれが、「議員を職業にしている」って人が出てきたから、おかしな事になってるんだ、と河村さんは言うわけですよ。職業になってしまってたら、それは役人と同じ事なわけですな。名前は政治家って事になってても、本質は官僚と一緒って事です。そういう議員ばっかりだから、無駄金を使ったおかしな法案しか出てこないのだ、としてるわけです。
なんでこんな事になってしまったのか? というと、河村さんは、戦後のGHQが主導して作った国会法に問題があるのだ、と指摘されてます。戦前は、この議員はボランティアっていうのが、まだまだ大前提としてあったらしいんですね。
で、だからこそ、戦後の大混乱期には、みんな復興で忙しくて「政治になんか関わっておれんがな」ということで議員に良い人材が集まらないのではないかと懸念されたらしいのですよ。そこで、「議員を高給にせねば!」と言う事になったようなんですね。
(引用開始)-------------------------------------
(引用終了)-------------------------------------
という事なんですって。
ようするに「政治家は、役人より給料が上」というルールが定められてるって事です。
さぁ、このルールを悪用するのはいったい誰? っちゅうことですな。
そら役人ですわな。
ようは、官僚が政治家に近づいて甘い言葉で給料を上げておいて、それから自分がその下に付くって事です。ようは自分の給料を上げるために政治家を金で取り込んでいるんですよ。ああ、恐ろしい。
我々の税金は、そういう最悪な仕組みのために、次々と値上げされてるっちゅうわけです。
とんでもない。
許せん話なわけでして。
政治家を金で縛り付けて、まず甘い汁を吸わせてから、自分の給料も上げる、という事を延々戦後ずっと繰り返してきたってことです。なんちゅうずる賢い奴らなんや、官僚という奴は、っちゅう話しです。
高潔でない政治家は、みんなこの「鼻薬」をかがされて、「歳費の取り放題システム」の側に荷担するようになっちゃったって話でしてね。
だから、本来ボランティアであるべき政治家が、専任化してしまって、「準官僚」に成り下がってるってことなんですね。
河村さんいわく、いまや議会と霞ヶ関で、同じ事を二重でやっとるだけだと。同じ審議を二回くりかえしてるだけってのがほとんどで、こんなムダはなかろうとおっしゃる。だからまず議員改革を先にやらないかんのだと。
まさにその通り! ですなぁ。
この本では、具体的に「文書交通通信滞在費」「地方議員の政務調査費」「議員報酬」「政党助成金」「議員年金」「議員宿舎」「議員会館」「運転手付き黒塗り高級車」と、細目がどのように給付されているのかの実態とムダをつまびらかにしてます。
で、後半では、それでも、わずかにこういうムダそのものを廃絶していってる数少ない地方議会の例とかを対談の形で二、三件紹介してるのですが、読んでて「わー、こらかなわんなぁ」と思うのが、こういう余分な金を「減らしましょう」と言った途端に、回りの甘い汁を吸ってる議員たちから、どれだけいじめられるのか? の実態が書いてあると言うことであります。
ここがね、ほんまにかなわん。
「おまえら、そんなに税金にぶら下がって生きていきたいんか? 最低やな。」
としか思えないわけでね。
そら、「職業議員」なんてのが当たり前の世界で「議員はボランティアじゃ」とかやったら、猛反発くらいますわなぁっちゅうのが、実に陰湿に感じ取れます。
本来的論議で論戦を挑むのではなくて、本筋とは関係ないところから、そういう「議員の金のもらいすぎを正そう」としてる議員をネチネチといじめてるわけですよ。
もう、本当にいやらしくて、最低なのであります。
こいつら、ほんまに根が腐っとるよなぁ、という事です。
あまりに陰湿だわ。
なので、後半の対談部分もぜひお読みください。
ほんまに、この本は必読だと思いますです。はい。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4827550468
この本を読んで、僕はもう完全に発想が変わってしまったので、そこらあたりをザクっと紹介します。
ずっと、「役人が多すぎるし、まともな仕事をしとらん。まず役人の人員削減せなあかんよな」と思ってたんです。
で、この考え自体は変わってないんだけど、今までは、「だから政治家の権限を高めて、政治家主導にせないかん。」と思ってたし、「いまのように官僚が作った法案に政治家が乗るという形でなく、本来の政治家が法を作る議員立法をもっとやってもらわな困る」と思っていたし、「そのためには政治家には、調査や議員立法のための人員確保も必要だから、それなりの資金を与えないとしょうがないよなぁ」と思ってたんですね。
でも、この考え方こそが、大間違いなのだと、この本を読んで、良く分かりました。
著者の河村たかしさんは、民主党の議員(衆議院)さんですが、僕とはまったく逆で、
●「職業議員」こそ、金の無駄遣いの最たるものだ。政治改革をやるなら、まず議員という仕事はボランティアでやるものだ、という世界標準のやり方にするところからやらねば絶対に無理だ。
と言っておられる方なわけです。
あ、そうか。
そりゃそうだ!
なわけですよ。
議員がボランティアなんてことは、当たり前の話なんです。市民一人一人が経済活動などして生きていて、その生きている経済環境や、目指す活動の方向が違って、ぶつかってしまう時に、「これは話し合って調整せにゃ、埒が行かんぞ。」と考えるのが政治なわけです。
立場の違いを話し合いで調整するっていうのが民主主義だし、それが議会の存在意義だって話しなんですね。問題が起きてる部分だけをうまく解決すれば、本来は「こんな面倒な仕事やっとれんよ。」と言って、さっさと議会から去り、自分の仕事に戻る、っちゅうのが本来的なあり方なわけです。
で、そういう本来的なやり方をやってると、みんなが市民生活と議員を兼業という形になって、たとえば決まり事を整理するとか、こまかい所まで手が回らんから「調整業務専任の人間もいないとちょっと不便だわなぁ」ということで役人、官僚を専任で雇っているわけですよ。
だから、本来は「専任の人間なんて必要最小限で良いよなぁ」と議員の側が思っているのが当たり前なわけです。政治なんてもともと実体経済とかけ離れた、「調整のための話し合い作業」なわけだから、それ専門でやってても利益なんて出ないってのが大前提ですから。「やりたかねぇよ、こんな面倒な仕事。」ってなるのが普通は、というか世界標準の考え方からいけば当たり前なわけです。
ところがこれが、「議員を職業にしている」って人が出てきたから、おかしな事になってるんだ、と河村さんは言うわけですよ。職業になってしまってたら、それは役人と同じ事なわけですな。名前は政治家って事になってても、本質は官僚と一緒って事です。そういう議員ばっかりだから、無駄金を使ったおかしな法案しか出てこないのだ、としてるわけです。
なんでこんな事になってしまったのか? というと、河村さんは、戦後のGHQが主導して作った国会法に問題があるのだ、と指摘されてます。戦前は、この議員はボランティアっていうのが、まだまだ大前提としてあったらしいんですね。
で、だからこそ、戦後の大混乱期には、みんな復興で忙しくて「政治になんか関わっておれんがな」ということで議員に良い人材が集まらないのではないかと懸念されたらしいのですよ。そこで、「議員を高給にせねば!」と言う事になったようなんですね。
(引用開始)-------------------------------------
このGHQの議会改革で「議員=高級」という歳費の高額化を招く法律が成文化された。昭和22年(1947年)に施行された国会法の第35条がそれだ。
●議員は、一般職の国家公務員の最高の給料額より少なくない歳費を受ける
これはつまり「国会議員は高級官僚、事務次官クラスよりもワンランク上の給料をもらえる」と言うことを意味している。
裏を返せば、事務次官をはじめとする高級官僚たちは、国会議員の歳費が上がらなければ自分たちの給料を上げられないということだ。
こうして、国会議員と国家公務員という、本来であれば税金の使い道をチェックする側とされる側の両者の思惑が一致し、「お手盛り」の高額歳費が生まれる流れが出来てしまった。
(引用終了)-------------------------------------
という事なんですって。
ようするに「政治家は、役人より給料が上」というルールが定められてるって事です。
さぁ、このルールを悪用するのはいったい誰? っちゅうことですな。
そら役人ですわな。
ようは、官僚が政治家に近づいて甘い言葉で給料を上げておいて、それから自分がその下に付くって事です。ようは自分の給料を上げるために政治家を金で取り込んでいるんですよ。ああ、恐ろしい。
我々の税金は、そういう最悪な仕組みのために、次々と値上げされてるっちゅうわけです。
とんでもない。
許せん話なわけでして。
政治家を金で縛り付けて、まず甘い汁を吸わせてから、自分の給料も上げる、という事を延々戦後ずっと繰り返してきたってことです。なんちゅうずる賢い奴らなんや、官僚という奴は、っちゅう話しです。
高潔でない政治家は、みんなこの「鼻薬」をかがされて、「歳費の取り放題システム」の側に荷担するようになっちゃったって話でしてね。
だから、本来ボランティアであるべき政治家が、専任化してしまって、「準官僚」に成り下がってるってことなんですね。
河村さんいわく、いまや議会と霞ヶ関で、同じ事を二重でやっとるだけだと。同じ審議を二回くりかえしてるだけってのがほとんどで、こんなムダはなかろうとおっしゃる。だからまず議員改革を先にやらないかんのだと。
まさにその通り! ですなぁ。
この本では、具体的に「文書交通通信滞在費」「地方議員の政務調査費」「議員報酬」「政党助成金」「議員年金」「議員宿舎」「議員会館」「運転手付き黒塗り高級車」と、細目がどのように給付されているのかの実態とムダをつまびらかにしてます。
で、後半では、それでも、わずかにこういうムダそのものを廃絶していってる数少ない地方議会の例とかを対談の形で二、三件紹介してるのですが、読んでて「わー、こらかなわんなぁ」と思うのが、こういう余分な金を「減らしましょう」と言った途端に、回りの甘い汁を吸ってる議員たちから、どれだけいじめられるのか? の実態が書いてあると言うことであります。
ここがね、ほんまにかなわん。
「おまえら、そんなに税金にぶら下がって生きていきたいんか? 最低やな。」
としか思えないわけでね。
そら、「職業議員」なんてのが当たり前の世界で「議員はボランティアじゃ」とかやったら、猛反発くらいますわなぁっちゅうのが、実に陰湿に感じ取れます。
本来的論議で論戦を挑むのではなくて、本筋とは関係ないところから、そういう「議員の金のもらいすぎを正そう」としてる議員をネチネチといじめてるわけですよ。
もう、本当にいやらしくて、最低なのであります。
こいつら、ほんまに根が腐っとるよなぁ、という事です。
あまりに陰湿だわ。
なので、後半の対談部分もぜひお読みください。
ほんまに、この本は必読だと思いますです。はい。
ちょっと落ち込んだ事があったので、友人と飲みに行く。
英語にまつわる問題だったので、ちょっと愚痴半分に相談してみる。
その男、いちおう英検準一級で、貿易業務をやってた時期もあるもので。
で、話していてわかったのは、ようは僕にかなり英語の「感覚」が身に付いて来たことが問題だったのだなぁと言うこと。
和製英語の言葉っていうのが、前は「雰囲気と気分」で理解できてたのに、いまは「理解しよう」という気持ちより先に「なんか気持ち悪くてすっきりしない」が先に来るようになってしまってるんですな。
ある程度英文に触れていると、なんかそういう和製英語って「すっきりしなくて気持ち悪い」という感覚を無性にかき立てさせてしまうものらしい。あー、確かに。しょうがないよなぁ、こればっかりは。もうすでに感覚が切り変わってしまってるから、元にも戻らんのかなぁ。うーん。ちょっと困った。
もう、「雰囲気と気分」での、ナンチャッテ英語は、理解できなくなってしまってるんやなぁ、多分。前は「わかって」たのに。と思う。
別にTOEIC900点以上とか、そういう最低限の実力ができた、というわけでもなく、中学英語の基礎文法が、それなりに体に入った、という程度だから、「英語ができる!」と言えるほどでもなく。実に中途半端なのだ。
これまで、仕事で英語の良くできる方と話しているときに、その人が、英語に関して、いつも「いやー、その表現はちょっと…。」と不快感を示したりするんですよ。でも、そのくせ、「こういう言い方なら良いと思うんですが」と言う対案は出さなかったりして、困ったもんだなぁ、ああいう態度は、と思ってたんだけど、考えてみたら今回は、自分がそうなってしまっていて、驚く。で、「それはちょっと…」とつい言ってしまった、その人の気持ちが、痛いほどわかる。
生理的に気持ち悪くなってたんや!あれは!!!
知らんかった!
そうだったのか!
であります。
でもネイティブやないから、「これが正解!」とまでは言えなくて、すごく中途半端な、グダグダした思いになってしまうシンドサなんやなぁ。と気付く。
ああ、大変やなぁ。しみじみ。
学習をして、何かを身につけていく過程で、どうやらこういう事はどうしても起こる事みたいですなぁ。そういう事がわかっただけでも、昨日の友人との雑談は有効でした。
あー、しかし、これはこれで大変な問題であります。
そういえば、前はなんともなかったのに、電車の中とか、誰かが鼻風邪をひいてズズズズーと鼻をすすってたりすると、もう気持ち悪くて仕方なくなるんですよね、私。あれ、すごく気持ち悪い。なんでかわからんけど。
前は別に気にもならなかったのに、最近では耐えられなくなってきていて、電車とかだと車両を移ったりするんですよ。そこまで気持ち悪くなってしまってる。
で、つらつら考えるに、どうも英語の聞き取りの練習とかを一定期間やって以降に、この感覚になってきたように思うんですよね。いまはまだ蕎麦屋さんでの「すすり音」は耐えられるんですがね。そのうち耐えられなくなるんやろか?
英語のできるビジネスマンが、よく、「海外へ向かう飛行機の中でスープをすする音を立てるのは最悪だから辞めて欲しい」とかキツク言ってるのも同じ事なんだろうなぁって思うんですよ。多分、生理的に嫌悪感が出ちゃうんだろうなぁ、きっと。たぶんそうなのだろうと思う。
で、それは多分、英語のthの発音とかzの発音とかを聞き分けるような練習をしてることの反動なんだろうと思うのですよね。
でも、それが余裕もって聞き分けられるようになったら、「鼻すすり」が気にならなくなるんだろうか? いや、無理なんと違うかなぁ? 生理的嫌悪感はそのまま残ってしまうような気がする。
どうなんやろ?
未知の領域なので、さっぱりわかりません。はい。
英語にまつわる問題だったので、ちょっと愚痴半分に相談してみる。
その男、いちおう英検準一級で、貿易業務をやってた時期もあるもので。
で、話していてわかったのは、ようは僕にかなり英語の「感覚」が身に付いて来たことが問題だったのだなぁと言うこと。
和製英語の言葉っていうのが、前は「雰囲気と気分」で理解できてたのに、いまは「理解しよう」という気持ちより先に「なんか気持ち悪くてすっきりしない」が先に来るようになってしまってるんですな。
ある程度英文に触れていると、なんかそういう和製英語って「すっきりしなくて気持ち悪い」という感覚を無性にかき立てさせてしまうものらしい。あー、確かに。しょうがないよなぁ、こればっかりは。もうすでに感覚が切り変わってしまってるから、元にも戻らんのかなぁ。うーん。ちょっと困った。
もう、「雰囲気と気分」での、ナンチャッテ英語は、理解できなくなってしまってるんやなぁ、多分。前は「わかって」たのに。と思う。
別にTOEIC900点以上とか、そういう最低限の実力ができた、というわけでもなく、中学英語の基礎文法が、それなりに体に入った、という程度だから、「英語ができる!」と言えるほどでもなく。実に中途半端なのだ。
これまで、仕事で英語の良くできる方と話しているときに、その人が、英語に関して、いつも「いやー、その表現はちょっと…。」と不快感を示したりするんですよ。でも、そのくせ、「こういう言い方なら良いと思うんですが」と言う対案は出さなかったりして、困ったもんだなぁ、ああいう態度は、と思ってたんだけど、考えてみたら今回は、自分がそうなってしまっていて、驚く。で、「それはちょっと…」とつい言ってしまった、その人の気持ちが、痛いほどわかる。
生理的に気持ち悪くなってたんや!あれは!!!
知らんかった!
そうだったのか!
であります。
でもネイティブやないから、「これが正解!」とまでは言えなくて、すごく中途半端な、グダグダした思いになってしまうシンドサなんやなぁ。と気付く。
ああ、大変やなぁ。しみじみ。
学習をして、何かを身につけていく過程で、どうやらこういう事はどうしても起こる事みたいですなぁ。そういう事がわかっただけでも、昨日の友人との雑談は有効でした。
あー、しかし、これはこれで大変な問題であります。
そういえば、前はなんともなかったのに、電車の中とか、誰かが鼻風邪をひいてズズズズーと鼻をすすってたりすると、もう気持ち悪くて仕方なくなるんですよね、私。あれ、すごく気持ち悪い。なんでかわからんけど。
前は別に気にもならなかったのに、最近では耐えられなくなってきていて、電車とかだと車両を移ったりするんですよ。そこまで気持ち悪くなってしまってる。
で、つらつら考えるに、どうも英語の聞き取りの練習とかを一定期間やって以降に、この感覚になってきたように思うんですよね。いまはまだ蕎麦屋さんでの「すすり音」は耐えられるんですがね。そのうち耐えられなくなるんやろか?
英語のできるビジネスマンが、よく、「海外へ向かう飛行機の中でスープをすする音を立てるのは最悪だから辞めて欲しい」とかキツク言ってるのも同じ事なんだろうなぁって思うんですよ。多分、生理的に嫌悪感が出ちゃうんだろうなぁ、きっと。たぶんそうなのだろうと思う。
で、それは多分、英語のthの発音とかzの発音とかを聞き分けるような練習をしてることの反動なんだろうと思うのですよね。
でも、それが余裕もって聞き分けられるようになったら、「鼻すすり」が気にならなくなるんだろうか? いや、無理なんと違うかなぁ? 生理的嫌悪感はそのまま残ってしまうような気がする。
どうなんやろ?
未知の領域なので、さっぱりわかりません。はい。
落ち込んでます。
2008年10月21日ちょっと最近落ち込み気味なんですねぇ。
まぁ、原因はいろいろあるんで、それはまぁ個別に対処してるわけですが。
ただ、いろいろ考えていて、大きく落ち込みを回復させる手法というか、やり方ってのはあるなぁと少し思ったので、ちょっとシェアする気持ちで書いてみます。
いろいろ成功法とかありますけど、なんだかんだ言っても、自分が動かないと何事も実現しないわけですわ。
で、この「自分が動く」って事を、あんまり論理的に考えると「しんどい」とか「面倒くさい」という「気分」の方に落ち込んでしまうので、そこは結びつけない方がいいように思うのですよ。
いや、何をどう実現するかとか、ステップやつながりは全部論理的に考えないと無意味な計画しか生まれないので、そこは論理的で良いと思うんですが、「自分が動く」という部分は、やはり論理より感情だ、という気がしますな。
ウキウキ、ワクワクしながら動く。
これがやっぱり一番効率的です。
だから、こういう「やる気」に関してはビジュアルじゃないかなぁと思うわけで。
「こんな状態になっていたいよなぁ」というのを、イメージで思い浮かべる。
すると、まぁウキウキ・ワクワクは維持しやすいですな。
それも、たぶん、ものすごく小さい、手軽な、なんでもないイメージが、けっこう大切かと。
たとえば、机の上が片付いてないのなら、片付いたところをイメージするとか。
で、実際に片付ける行動を始めるよりも、まず先にそういうイメージをしっかりと「楽しむ」って事ではないかと思うのですよ。
このイメージを「楽しむ」の部分がないと、やらされ仕事になって、苦痛になると思うんですね。何事であれ、ウキウキ・ワクワクやりたいじゃないですか。だから、ようはイメージ力が大事だよなぁって思う。
極端な話、机は全然片付いてないけど、綺麗な机の上のイメージを思い浮かべて、毎日ニコニコしていられるなら、それでも基本はかまわないと思うのです。いちおう幸せではあるわけだから。
でもまぁ、イメージがしっかりしてれば、そのうち動き出すって思うんですよねぇ。自然と体が動くんじゃないだろうか。
あとは、これに「私は必ずやります。」というコミットメントでしょうね。自分自身への信頼というか。私自身にまかせておけば大丈夫。必ず到達してくれるよ。って言う自己信頼ですね。そこのゴールを明確にしておく。
で、最近思うのは、夢なんですよ、夢。
夢と言っても、寝た時に見る夢。
あれをね、ちょっとメモっておいて、夢の中で見たビジュアルの「雰囲気」を、このイメージングするビジュアルと結びつけておくと、自分の中で違和感がなくていいなぁって事なんですよ。
具体的に説明がしにくいんですけど、夢の中で人間関係がメインで大きく出てきて、それが楽しい感じだったら、人が出てるシーンをベースにイメージを作ればいいし、やたらと風景が印象的で、それが何かを切りひらいてくれる感じがあるなら、まず風景をベースに、達成イメージを考えてみるとか、なんかそういう事なんですよ。
夢の中で自然に出てきて、前向きな感情を起こさせた「絵」の雰囲気とか印象をベースに到達イメージを作ると、あんまり違和感ないよなぁって気付いたんですよ。
あんまりにも現実と遠いビジュアルをイメージすると重荷になってしんどくなるじゃないですか? でも夢で見た楽しい雰囲気とかをイメージのタネにすると、あんまりしんどくないんですよね。
なんか、これって、けっこう良いかもと思って、ちょっと書いてみました。
けっこう落ち込みが軽減できた気がするので。
はい。
まぁ、原因はいろいろあるんで、それはまぁ個別に対処してるわけですが。
ただ、いろいろ考えていて、大きく落ち込みを回復させる手法というか、やり方ってのはあるなぁと少し思ったので、ちょっとシェアする気持ちで書いてみます。
いろいろ成功法とかありますけど、なんだかんだ言っても、自分が動かないと何事も実現しないわけですわ。
で、この「自分が動く」って事を、あんまり論理的に考えると「しんどい」とか「面倒くさい」という「気分」の方に落ち込んでしまうので、そこは結びつけない方がいいように思うのですよ。
いや、何をどう実現するかとか、ステップやつながりは全部論理的に考えないと無意味な計画しか生まれないので、そこは論理的で良いと思うんですが、「自分が動く」という部分は、やはり論理より感情だ、という気がしますな。
ウキウキ、ワクワクしながら動く。
これがやっぱり一番効率的です。
だから、こういう「やる気」に関してはビジュアルじゃないかなぁと思うわけで。
「こんな状態になっていたいよなぁ」というのを、イメージで思い浮かべる。
すると、まぁウキウキ・ワクワクは維持しやすいですな。
それも、たぶん、ものすごく小さい、手軽な、なんでもないイメージが、けっこう大切かと。
たとえば、机の上が片付いてないのなら、片付いたところをイメージするとか。
で、実際に片付ける行動を始めるよりも、まず先にそういうイメージをしっかりと「楽しむ」って事ではないかと思うのですよ。
このイメージを「楽しむ」の部分がないと、やらされ仕事になって、苦痛になると思うんですね。何事であれ、ウキウキ・ワクワクやりたいじゃないですか。だから、ようはイメージ力が大事だよなぁって思う。
極端な話、机は全然片付いてないけど、綺麗な机の上のイメージを思い浮かべて、毎日ニコニコしていられるなら、それでも基本はかまわないと思うのです。いちおう幸せではあるわけだから。
でもまぁ、イメージがしっかりしてれば、そのうち動き出すって思うんですよねぇ。自然と体が動くんじゃないだろうか。
あとは、これに「私は必ずやります。」というコミットメントでしょうね。自分自身への信頼というか。私自身にまかせておけば大丈夫。必ず到達してくれるよ。って言う自己信頼ですね。そこのゴールを明確にしておく。
で、最近思うのは、夢なんですよ、夢。
夢と言っても、寝た時に見る夢。
あれをね、ちょっとメモっておいて、夢の中で見たビジュアルの「雰囲気」を、このイメージングするビジュアルと結びつけておくと、自分の中で違和感がなくていいなぁって事なんですよ。
具体的に説明がしにくいんですけど、夢の中で人間関係がメインで大きく出てきて、それが楽しい感じだったら、人が出てるシーンをベースにイメージを作ればいいし、やたらと風景が印象的で、それが何かを切りひらいてくれる感じがあるなら、まず風景をベースに、達成イメージを考えてみるとか、なんかそういう事なんですよ。
夢の中で自然に出てきて、前向きな感情を起こさせた「絵」の雰囲気とか印象をベースに到達イメージを作ると、あんまり違和感ないよなぁって気付いたんですよ。
あんまりにも現実と遠いビジュアルをイメージすると重荷になってしんどくなるじゃないですか? でも夢で見た楽しい雰囲気とかをイメージのタネにすると、あんまりしんどくないんですよね。
なんか、これって、けっこう良いかもと思って、ちょっと書いてみました。
けっこう落ち込みが軽減できた気がするので。
はい。
どうでもいいなぁ。
2008年10月15日最近思うのは、良いのか悪いのかわからんけど、「どうでもいいなぁ」ってこと。
アホな人間を見ても、「しゃーないな、アホは」と思うだけ。
なんでかと言うと、自分もアホやから。
スターウォーズに繰り返し出てくる「上には上がある」って話を思い出すからなんですが。
主人公たちが、海底を進む。
後ろから、巨大な魚が追いかけてくる。
あわや、危機一髪!
という時に、もっともっともっと大きな魚が、その巨大魚を食ってくれて助かる。
ちゅうような話。
それが、この世界なのだなぁと、実感を持ってわかってきたというか、なんと言うか。
私より、アホな人間は、そらもう、とんでもなくアホな訳ですけど、私より賢い人は、これまたとんでもなく賢い人がいたりするわけですね。
そのラティチュードというか、レンジの広さというか、膨大・広大・巨大なる差というか、そういうものは、ものすごいものなのだ、というように感じてきたわけでして。
井の中のカワズは、それはもう、やっぱりどこまで行っても井の中のカワズだったりするわけですよ。
それはまぁ、もう、それでええんとちゃうの? とか思う。相手しててもしゃーない。
私から見て小さい井戸は、とんでもない数で身の回りに広がっていて、ものすごい数の「井の中のカワズ」がいてるんですけど、そういう認識をしている僕自体が、これまた、もっと上のレベルの人から見れば、とんでもない「井の中のカワズ」に見える事だろうなぁと。そう思うわけです。
だから、井の中のカワズに向かって「お前は井の中のカワズだよ」と言うより、自分のいてる井戸の端っこまで歩いて行って、その「壁」を登らないと行けないんだって思うのですよ。
もう、井の中のカワズの相手をしていても仕方ない。
だって、こんなに広い広い場所ですら、もっともっと大きな「井戸の中」だとは、思いもしなかった、という感じでありますな。
最近、たくさん本を読む、という事に関して、ちょっと指標が変わってきたので、そういう事を思うのですなぁ。すごく。
自転車の事でもそうだし、速読の事でもそうです。政治の事だってそう。
上には上があって、で、実は、その「上」には行こうと思えばいくらでも行けるんだと思えてきたって事です。
自転車も、「世界標準」の世界が、いまここにちゃんとあるし、政治だって世界標準のボランティアの考え方をしてる河村たかし議員のような人がいてるし、僕自身だってヨーロッパの広告制作会社と競合コンペをやってたりするし。全部地続きだし、それは「行ける場所」なんだってことですね。別に「よそはよそ」と思う必要もないし、そういう広がりを認識できない人の事を「視野が狭い」と責める必要もない。
たまたま見えるようになって、行けるようになった人が、やれるだけやってみたら良い、というだけの話なんだなぁと。
たとえば、本にしても、読んでる人は、月数十冊、読んでるよなって思うのです。
でも、いままでは、「そんなに大量に読むなんてのは、私に関係のない世界の話だ」と思ってたんですけど、どうも実はそうでもないみたいだ、というのが分ってきたって言うか、なんと言うか。
情報を取捨選択する能力と、得た情報を活用する能力が高ければ、月数十冊を「活かす」という事も、別に別世界の事でもないんだろうな、と思えてきたからかも知れません。
上には上の世界が、やっぱりあるんだ、という事ですねぇ。
井戸から出て「広い世界に出た~!」と思ってたけど、その広い世界ですらまだ「井戸の中」なのであって、あまりに広いが故に、どこが壁なのかすらわからなくて、そにかくそれを探しに移動するしかないんだよなぁって感じなんですね。
なんか、足元にいてる井の中のカワズなんてどうでもいいや。
世界は広いし、もうちょっと色々試してみるのが最優先なんじゃないかなぁって感じですね。
もう、そういう足元の事はどうでもいいです。
マジに。
世界は、本当に広いんだと、つくづく思うのであります。
で、それは、歩いていれば、とりあえず壁までたどりつく程度の距離ではあるんだ、というのは素直に思うようになってきた、という事ですね。
実際、そういう世界の果てまで行ってる人もたくさんいてるんだから。
そっちへ行ってみたら、ええんとちゃうの? って思うようになってきましたね。
なんでかしらんけど。
うん。
おもしろいもんだ。
アホな人間を見ても、「しゃーないな、アホは」と思うだけ。
なんでかと言うと、自分もアホやから。
スターウォーズに繰り返し出てくる「上には上がある」って話を思い出すからなんですが。
主人公たちが、海底を進む。
後ろから、巨大な魚が追いかけてくる。
あわや、危機一髪!
という時に、もっともっともっと大きな魚が、その巨大魚を食ってくれて助かる。
ちゅうような話。
それが、この世界なのだなぁと、実感を持ってわかってきたというか、なんと言うか。
私より、アホな人間は、そらもう、とんでもなくアホな訳ですけど、私より賢い人は、これまたとんでもなく賢い人がいたりするわけですね。
そのラティチュードというか、レンジの広さというか、膨大・広大・巨大なる差というか、そういうものは、ものすごいものなのだ、というように感じてきたわけでして。
井の中のカワズは、それはもう、やっぱりどこまで行っても井の中のカワズだったりするわけですよ。
それはまぁ、もう、それでええんとちゃうの? とか思う。相手しててもしゃーない。
私から見て小さい井戸は、とんでもない数で身の回りに広がっていて、ものすごい数の「井の中のカワズ」がいてるんですけど、そういう認識をしている僕自体が、これまた、もっと上のレベルの人から見れば、とんでもない「井の中のカワズ」に見える事だろうなぁと。そう思うわけです。
だから、井の中のカワズに向かって「お前は井の中のカワズだよ」と言うより、自分のいてる井戸の端っこまで歩いて行って、その「壁」を登らないと行けないんだって思うのですよ。
もう、井の中のカワズの相手をしていても仕方ない。
だって、こんなに広い広い場所ですら、もっともっと大きな「井戸の中」だとは、思いもしなかった、という感じでありますな。
最近、たくさん本を読む、という事に関して、ちょっと指標が変わってきたので、そういう事を思うのですなぁ。すごく。
自転車の事でもそうだし、速読の事でもそうです。政治の事だってそう。
上には上があって、で、実は、その「上」には行こうと思えばいくらでも行けるんだと思えてきたって事です。
自転車も、「世界標準」の世界が、いまここにちゃんとあるし、政治だって世界標準のボランティアの考え方をしてる河村たかし議員のような人がいてるし、僕自身だってヨーロッパの広告制作会社と競合コンペをやってたりするし。全部地続きだし、それは「行ける場所」なんだってことですね。別に「よそはよそ」と思う必要もないし、そういう広がりを認識できない人の事を「視野が狭い」と責める必要もない。
たまたま見えるようになって、行けるようになった人が、やれるだけやってみたら良い、というだけの話なんだなぁと。
たとえば、本にしても、読んでる人は、月数十冊、読んでるよなって思うのです。
でも、いままでは、「そんなに大量に読むなんてのは、私に関係のない世界の話だ」と思ってたんですけど、どうも実はそうでもないみたいだ、というのが分ってきたって言うか、なんと言うか。
情報を取捨選択する能力と、得た情報を活用する能力が高ければ、月数十冊を「活かす」という事も、別に別世界の事でもないんだろうな、と思えてきたからかも知れません。
上には上の世界が、やっぱりあるんだ、という事ですねぇ。
井戸から出て「広い世界に出た~!」と思ってたけど、その広い世界ですらまだ「井戸の中」なのであって、あまりに広いが故に、どこが壁なのかすらわからなくて、そにかくそれを探しに移動するしかないんだよなぁって感じなんですね。
なんか、足元にいてる井の中のカワズなんてどうでもいいや。
世界は広いし、もうちょっと色々試してみるのが最優先なんじゃないかなぁって感じですね。
もう、そういう足元の事はどうでもいいです。
マジに。
世界は、本当に広いんだと、つくづく思うのであります。
で、それは、歩いていれば、とりあえず壁までたどりつく程度の距離ではあるんだ、というのは素直に思うようになってきた、という事ですね。
実際、そういう世界の果てまで行ってる人もたくさんいてるんだから。
そっちへ行ってみたら、ええんとちゃうの? って思うようになってきましたね。
なんでかしらんけど。
うん。
おもしろいもんだ。
また、「今月読んだ本」を自分の覚えがてら書こうと思ったのですが、今月は読書に関しては、すごく読み方などが変わってしまった、とんでもない月だったので、どう紹介したらいいか悩みますね。
なにしろ紹介できる冊数が多い(読了13冊、流し読み15冊)のです。
なので、ジャンルごとに紹介することにしますね。で、コメントはジャンルごとに簡単に。
こまかい話は、また書きます。
そうするしかないもんなぁ。うーむ。
■社会関係-----------------------------
●この国は議員にいくら使うのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4827550468
先に一冊だけ、紹介。
これは、いまの政治の仕組みの根本を議員の給料から考えた、超弩級の重要書であります。僕は、はっきりくっきりと考え方が変わりましたね。官僚批判をずっとやってたんですが、いまや政治家が官僚化していて、本物の政治家がいないんですね。
なんでか?それは
●国会議員の給料が高すぎるから
です。
この本を読んで、そのあたりが、実に良く分かりました。
もう議員すら官僚と一緒なんだ。そここそが、この国の大問題なんだって事です。
もう、官僚批判はやめますわ。
議員はボランティア。
そういう欧米社会と同じ、当たり前の地平に立たないと、やっぱりダメだわ。
うん。
もう、絶対の必読書ですので、これは改めて紹介します。
■自転車関係---------------------------------
[読了分]----------------------------
●自転車ツーキニスト
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4334782264
●自転車生活の愉しみ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4022615303
●大人の自転車ライフ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4334783619
●それでも自転車に乗り続ける7つの理由
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4022579951
●まちがいだらけの自転車えらび
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4575300365
●自転車生活スタートガイド
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4880651737
●自転車でカラダとココロのシェイプアップ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4777909824
[流し読み]----------------------------
●大阪・神戸周辺自転車散歩
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4635242099
●大阪自転車ホリデー
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/483810393X
●ZAKKAな大阪
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4901908340
●大阪のカフェランチ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4903822834
ママチャリで通勤しはじめて快適だったので、もうちょっと良い自転車が買いたくなってきたのであります。なので、ちょっとお勉強をすることにしました。そしたら、このくらいの冊数はするすると読めてしまいました。
自転車通勤なら、なんと言っても疋田智さん。この人の本が上から4冊です。どの本も圧倒的に面白かったです。
それから早稲田出身で文才豊かな自転車屋さん、エンゾ早川さんの「まちがいだらけの自転車えらび」。これは自転車をオーダーメイドで組む側からの重要な提言が書かれた本で、かなり売れてるように思います。かなり重要本と思われますな。ま、僕は初心者なのでオーダーメイドで自転車を創るところまでは行きませんけど。完成車でいいや。
あと、自転車業界では有名な健康管理士でもあるタレントの絹代さん著の「自転車でカラダとココロのシェイプアップ」。これはダイエットレシピまで載っていて健康には良いです。
ともあれ、自転車は実に素晴らしい。みんな自転車に乗ろう!という感じですねぇ。
ランニングとかよりいいよなぁ。膝に負担とかかからないにも関わらず移動距離は圧倒的に多くて、生活にも組み込みやすく、しかも自由でラクで楽しくて、ダイエット効果もむちゃ高い。悪いところなし。
ちゅうことで、ただいま「良い自転車」を買うべく検討中なんですが、メーカーとかもすごく多くて、悩みまくり。はてさてどうしたものか。個人的にはTREKのFXシリーズとかいいなぁとか思ってるんですが。
自転車関連に関しては、また書きましょう。
■英語関係-----------------------------------
[読了]------------------------------
●東大生が書いたつながる英文法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4887596588
●世界一わかりやすい英文法の授業
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4806129461
英語は、文法がいまいち弱いとわかっていたので、あらためて英文法の本をもう一度、という感じで読んでみたのであります。
が!
ここに出ている「東大生が書いたつながる英文法」。
これは良かった!
ものすごく良かった!
なんていうんでしょうか、英文法の「体系」を、改めて構築しなおした感じで、その「体系」の整理のされ方が、実にわかりやすいし、気持ちよいのです。
とくに、この本は、目次もありますが、それと平行して、一冊全体を1枚のマインドマップにまとめてくれてあるんですよ。英語全体を一本の樹に、花や鳥がついている絵でたとえているんですが、これが素晴らしい。
「主語+動詞」という幹に「なくてはならない言葉(目的語や補語など)」という枝があって、そこに「花(文章の飾り)」と「鳥(その他の要素)」がつくという大きな分類わけになっていて、これだけのシンプルな要素に中学英語の英文法項目がキチンと整理されてるんですね。
このマップがあれば、文法の復習をするのに、ものすごく効果が高いわけです。
いままでバラバラに勉強してきたことが、このマップを見ながら、この本一冊を読んだだけで「体系」として、頭に再インストールされたって感じなんですね。
で、僕は「世界一わかりやすい」の方で出てきた文法項目を、このつながる英文法にプロットして、「つながる」の本をノート代わりに使ってみたりしてます。
というのは、「世界一わかりやすい」の方もなかなか良い本だからなんですね。
たとえば、進行形にできない動詞ってのがありますが、それをいちいち覚えさせるのではなくて、
・5秒おきに中断・再開ができない動詞は進行形にできない。
という中心ルールに言い換えてくれてるわけです。これなら手間なく覚えられる! どうして、こういう「ルールの抽出」を、いままでの参考書ではやらなかったんだ! って思うのですよね。単に場合分けだけして、「例外は覚えとけ」では文法ではないのだ!こういうルールの抽出をやってはじめて文法じゃろが! と思うのです。ともあれ、この「世界一」の方は、そういうのが実にうまい。
という事で、今月は、この2冊で、英文法の知識がかなり整理できました。いままでムダに力使ってたよなぁと思うことしきり。
■自己啓発関係]--------------------------
[読了]------------------
●1分間勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4806131067
●息を吸って吐くように目標達成できる本
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4591104281
●新しい自分に出会う本
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4887595891
自己啓発関係では、「1分間勉強法」が、僕にかなりの変革を与えてくれました。
いや、書籍としては、あざとい表現が多いし、僕としてはあまりお勧めしたくない匂いがプンプンする本なんですが、まぁ、それでもとにかく書いてあることは実際にやって試してみる人で、とりあえず書いてあるとおりにためしたんですよ。
単純に言うと、「1分間勉強法」という本は、書籍の「流し読みをどんどんやりましょう」という内容の本です。
でも、そうはっきり書けばいいものを、なんだか特別の秘法があるかのようにいろいろ気を引こうとしているような書き方なのが、かなりまずい。なので本としてはお勧めしかねるんですが、でも、この本に書いてあるとおり、「一日で9冊ほどを、全ページスキャンする感じで強制頁めくりをして、一冊あたり15分~20分で二三度流し読みする」ということを、集中してやってみると、そういう「全ページスキャンする流し読み」というのが、いかに効果的なのかが良く分かるんです。
これはかなり便利。
インターネットでも、一頁だけの長~~い頁で、それを頭から最後まで、とりあえずどんな事が書いてあるか、ザザザザザっとスクロールして見たことないですか? 僕は良くやるんですが、それと同じ事を本でもやれば良いって事です。それだけで、かなり効果がありますね。それが良く分かった。
本によっては、その流し読みだけで7割~8割何を言いたいのかがわかってしまって、熟読する必要がないというのがわかる本もありますし、逆に20分くらいでは到底概略もつかめないけど、熟読する必要があるぞ! とわかる本もあります。
という事で1日半ほどかけてざーっと流し読みしてみたのが、以下の本です。
[流し読み:いろいろ]----------------------------
●超・自分マネジメント整理術
●東大生が教える集中術
●40歳からの肉体改造
●なぜか「人の心をつかむ人」
●世界を動かす人脈
●ビジネス頭を創る7つのフレームワーク力
●勝間式「利益の方程式」
●打たれ強くなるための読書術
●デザインのデザイン
●イチローは何故打率ではなくヒット数にこだわるのか
●言葉と声の磨き方
買うだけ買って読んでなかった本なんですが、流し読みしただけで捨てるのを決定した本もありましたし、「読まねば」と思った本も多いです。
しかしなんですな、こういう全ページスキャンをすると、勝間女史の本が、いかにすぐれているか、読みたくなる内容であるかが、はっきりわかりますなぁ。他の本を圧倒して、今すぐ読みたい!という気分にさせてくれましたね。「ベストセラーの女王」ってのはまさにその通りだわなぁって思う。
ともあれ、そんなこんなで「流し読み」の効用がかなり大きいことに気付きまして、まさにドラクエとかのRPGゲームで言うなら「シゲは流し読みのスキルを覚えた!ピラリラリ~~ン」と言う感じ。ファンファーレが鳴ったなぁって思う感じなのでありますよ。
多分、読む量をずっと増やそうとしてきたから、そういう基礎力の上に、できたスキルだろうと思いますね。読書習慣がない人にはイライラするだけのスキルかもしれないんですが、読みたい本がどんどんたまる僕には、ものすごく効果のあるスキルでありまして、実はこれ、立ち読みでも活かせるスキルなんですよね。全ページスキャンしちゃうと、かなりの構成とか内容とかわかってしまう。
という事で、かなり今月は、僕にとっていろんな事が大きく変わる予兆の多い月でありました。
で、実は、「今月読んだ本」をずっと書いてきて、今日でちょうど一年なんですよねぇ。そういう意味でも感慨深い。
最初は「とにかく、いま読んでる量の倍量読んでみよう」という、それだけの発想だったんですけどね。読んでみたら世界が違う。で、一年経ったら、スキルの種類が変わってしまった。という事で、なんだかすごいなぁって思いますです。
本なんて一冊1500円くらいのものですから、どんどん読みましょう。これほど効果のあるものは、他にはないですわ。うむうむ。
しかし、どうも来月あたりからは、この「今月読んだ本」もスタイルを変更しないといけないかなぁって思います。
さて、どうしようか。ちょっと考えますね。
なにしろ紹介できる冊数が多い(読了13冊、流し読み15冊)のです。
なので、ジャンルごとに紹介することにしますね。で、コメントはジャンルごとに簡単に。
こまかい話は、また書きます。
そうするしかないもんなぁ。うーむ。
■社会関係-----------------------------
●この国は議員にいくら使うのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4827550468
先に一冊だけ、紹介。
これは、いまの政治の仕組みの根本を議員の給料から考えた、超弩級の重要書であります。僕は、はっきりくっきりと考え方が変わりましたね。官僚批判をずっとやってたんですが、いまや政治家が官僚化していて、本物の政治家がいないんですね。
なんでか?それは
●国会議員の給料が高すぎるから
です。
この本を読んで、そのあたりが、実に良く分かりました。
もう議員すら官僚と一緒なんだ。そここそが、この国の大問題なんだって事です。
もう、官僚批判はやめますわ。
議員はボランティア。
そういう欧米社会と同じ、当たり前の地平に立たないと、やっぱりダメだわ。
うん。
もう、絶対の必読書ですので、これは改めて紹介します。
■自転車関係---------------------------------
[読了分]----------------------------
●自転車ツーキニスト
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4334782264
●自転車生活の愉しみ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4022615303
●大人の自転車ライフ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4334783619
●それでも自転車に乗り続ける7つの理由
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4022579951
●まちがいだらけの自転車えらび
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4575300365
●自転車生活スタートガイド
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4880651737
●自転車でカラダとココロのシェイプアップ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4777909824
[流し読み]----------------------------
●大阪・神戸周辺自転車散歩
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4635242099
●大阪自転車ホリデー
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/483810393X
●ZAKKAな大阪
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4901908340
●大阪のカフェランチ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4903822834
ママチャリで通勤しはじめて快適だったので、もうちょっと良い自転車が買いたくなってきたのであります。なので、ちょっとお勉強をすることにしました。そしたら、このくらいの冊数はするすると読めてしまいました。
自転車通勤なら、なんと言っても疋田智さん。この人の本が上から4冊です。どの本も圧倒的に面白かったです。
それから早稲田出身で文才豊かな自転車屋さん、エンゾ早川さんの「まちがいだらけの自転車えらび」。これは自転車をオーダーメイドで組む側からの重要な提言が書かれた本で、かなり売れてるように思います。かなり重要本と思われますな。ま、僕は初心者なのでオーダーメイドで自転車を創るところまでは行きませんけど。完成車でいいや。
あと、自転車業界では有名な健康管理士でもあるタレントの絹代さん著の「自転車でカラダとココロのシェイプアップ」。これはダイエットレシピまで載っていて健康には良いです。
ともあれ、自転車は実に素晴らしい。みんな自転車に乗ろう!という感じですねぇ。
ランニングとかよりいいよなぁ。膝に負担とかかからないにも関わらず移動距離は圧倒的に多くて、生活にも組み込みやすく、しかも自由でラクで楽しくて、ダイエット効果もむちゃ高い。悪いところなし。
ちゅうことで、ただいま「良い自転車」を買うべく検討中なんですが、メーカーとかもすごく多くて、悩みまくり。はてさてどうしたものか。個人的にはTREKのFXシリーズとかいいなぁとか思ってるんですが。
自転車関連に関しては、また書きましょう。
■英語関係-----------------------------------
[読了]------------------------------
●東大生が書いたつながる英文法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4887596588
●世界一わかりやすい英文法の授業
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4806129461
英語は、文法がいまいち弱いとわかっていたので、あらためて英文法の本をもう一度、という感じで読んでみたのであります。
が!
ここに出ている「東大生が書いたつながる英文法」。
これは良かった!
ものすごく良かった!
なんていうんでしょうか、英文法の「体系」を、改めて構築しなおした感じで、その「体系」の整理のされ方が、実にわかりやすいし、気持ちよいのです。
とくに、この本は、目次もありますが、それと平行して、一冊全体を1枚のマインドマップにまとめてくれてあるんですよ。英語全体を一本の樹に、花や鳥がついている絵でたとえているんですが、これが素晴らしい。
「主語+動詞」という幹に「なくてはならない言葉(目的語や補語など)」という枝があって、そこに「花(文章の飾り)」と「鳥(その他の要素)」がつくという大きな分類わけになっていて、これだけのシンプルな要素に中学英語の英文法項目がキチンと整理されてるんですね。
このマップがあれば、文法の復習をするのに、ものすごく効果が高いわけです。
いままでバラバラに勉強してきたことが、このマップを見ながら、この本一冊を読んだだけで「体系」として、頭に再インストールされたって感じなんですね。
で、僕は「世界一わかりやすい」の方で出てきた文法項目を、このつながる英文法にプロットして、「つながる」の本をノート代わりに使ってみたりしてます。
というのは、「世界一わかりやすい」の方もなかなか良い本だからなんですね。
たとえば、進行形にできない動詞ってのがありますが、それをいちいち覚えさせるのではなくて、
・5秒おきに中断・再開ができない動詞は進行形にできない。
という中心ルールに言い換えてくれてるわけです。これなら手間なく覚えられる! どうして、こういう「ルールの抽出」を、いままでの参考書ではやらなかったんだ! って思うのですよね。単に場合分けだけして、「例外は覚えとけ」では文法ではないのだ!こういうルールの抽出をやってはじめて文法じゃろが! と思うのです。ともあれ、この「世界一」の方は、そういうのが実にうまい。
という事で、今月は、この2冊で、英文法の知識がかなり整理できました。いままでムダに力使ってたよなぁと思うことしきり。
■自己啓発関係]--------------------------
[読了]------------------
●1分間勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4806131067
●息を吸って吐くように目標達成できる本
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4591104281
●新しい自分に出会う本
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4887595891
自己啓発関係では、「1分間勉強法」が、僕にかなりの変革を与えてくれました。
いや、書籍としては、あざとい表現が多いし、僕としてはあまりお勧めしたくない匂いがプンプンする本なんですが、まぁ、それでもとにかく書いてあることは実際にやって試してみる人で、とりあえず書いてあるとおりにためしたんですよ。
単純に言うと、「1分間勉強法」という本は、書籍の「流し読みをどんどんやりましょう」という内容の本です。
でも、そうはっきり書けばいいものを、なんだか特別の秘法があるかのようにいろいろ気を引こうとしているような書き方なのが、かなりまずい。なので本としてはお勧めしかねるんですが、でも、この本に書いてあるとおり、「一日で9冊ほどを、全ページスキャンする感じで強制頁めくりをして、一冊あたり15分~20分で二三度流し読みする」ということを、集中してやってみると、そういう「全ページスキャンする流し読み」というのが、いかに効果的なのかが良く分かるんです。
これはかなり便利。
インターネットでも、一頁だけの長~~い頁で、それを頭から最後まで、とりあえずどんな事が書いてあるか、ザザザザザっとスクロールして見たことないですか? 僕は良くやるんですが、それと同じ事を本でもやれば良いって事です。それだけで、かなり効果がありますね。それが良く分かった。
本によっては、その流し読みだけで7割~8割何を言いたいのかがわかってしまって、熟読する必要がないというのがわかる本もありますし、逆に20分くらいでは到底概略もつかめないけど、熟読する必要があるぞ! とわかる本もあります。
という事で1日半ほどかけてざーっと流し読みしてみたのが、以下の本です。
[流し読み:いろいろ]----------------------------
●超・自分マネジメント整理術
●東大生が教える集中術
●40歳からの肉体改造
●なぜか「人の心をつかむ人」
●世界を動かす人脈
●ビジネス頭を創る7つのフレームワーク力
●勝間式「利益の方程式」
●打たれ強くなるための読書術
●デザインのデザイン
●イチローは何故打率ではなくヒット数にこだわるのか
●言葉と声の磨き方
買うだけ買って読んでなかった本なんですが、流し読みしただけで捨てるのを決定した本もありましたし、「読まねば」と思った本も多いです。
しかしなんですな、こういう全ページスキャンをすると、勝間女史の本が、いかにすぐれているか、読みたくなる内容であるかが、はっきりわかりますなぁ。他の本を圧倒して、今すぐ読みたい!という気分にさせてくれましたね。「ベストセラーの女王」ってのはまさにその通りだわなぁって思う。
ともあれ、そんなこんなで「流し読み」の効用がかなり大きいことに気付きまして、まさにドラクエとかのRPGゲームで言うなら「シゲは流し読みのスキルを覚えた!ピラリラリ~~ン」と言う感じ。ファンファーレが鳴ったなぁって思う感じなのでありますよ。
多分、読む量をずっと増やそうとしてきたから、そういう基礎力の上に、できたスキルだろうと思いますね。読書習慣がない人にはイライラするだけのスキルかもしれないんですが、読みたい本がどんどんたまる僕には、ものすごく効果のあるスキルでありまして、実はこれ、立ち読みでも活かせるスキルなんですよね。全ページスキャンしちゃうと、かなりの構成とか内容とかわかってしまう。
という事で、かなり今月は、僕にとっていろんな事が大きく変わる予兆の多い月でありました。
で、実は、「今月読んだ本」をずっと書いてきて、今日でちょうど一年なんですよねぇ。そういう意味でも感慨深い。
最初は「とにかく、いま読んでる量の倍量読んでみよう」という、それだけの発想だったんですけどね。読んでみたら世界が違う。で、一年経ったら、スキルの種類が変わってしまった。という事で、なんだかすごいなぁって思いますです。
本なんて一冊1500円くらいのものですから、どんどん読みましょう。これほど効果のあるものは、他にはないですわ。うむうむ。
しかし、どうも来月あたりからは、この「今月読んだ本」もスタイルを変更しないといけないかなぁって思います。
さて、どうしようか。ちょっと考えますね。
我ながらほれぼれする。
2008年10月5日今日はなんとなく、自慢?話。
いや、お得意から広告の発注を受けたんですがね。
この不況のおり、予算もなく、しかし効果的な広告は打たねばならず、という話で、いままで決め打でずっとお仕事をいただいていたのですが、今回は競合プレゼン。
ようするに提案しても、通らなかったらお金にならないというお話しなわけです。
まぁあんまり良い話ではありませんわな。
しかも、予算の都合上、世界各地で独自に展開していた広告予算を見直して、統一イメージで展開するという話なわけですよ。
うげー、なんじゃいそりゃぁ。大変やなぁ、それ。
とか思いつつ、しかしながら。
そういう打合せというかヒアリングをしている間に、すでにキーワードとビジュアルをひょいと思いつき、「ああ、この仕事は企画書勝負だよなぁ」と思い至って、その次の日だかに手書きでひょひょひょいと企画書仕上げ。
そのままパワーポイントで見栄えを整えて、平行して進めていた具体的なデザイン案をパワポにペタリンコと貼付けたら、見事な企画書のできあがりでありまして、その内容の整理のできばえに、自分でほれぼれとしてしまったのでありました。
いや、まだ結果は出てないんですけどね。当然、勝てないって場合もあるでしょうけど、それはそれでまぁいいや。こんだけ論旨明快で僕自身が「良く書けてる」と思える企画書が作れたら本望であります。
一緒に仕事をしてるデザイナーさんも「ようできてるなぁ」と感心することしきり。
でもって、こういう機会だしと、企画書の主要ポイント、キーワードには英語も併記。ちゅうても、間違ってる言葉とかあるかもしらんし、ええかげんなもんなんですけどな。
でも、世界各地の事業所の人が見るんだし、まぁ概略だけでもわかった方がええやん? と適当な英文をひょこひょこいれてある。いや、なにより広告のキャッチとかも適当に思いつきで英語のキャッチフレーズまで入れてたりするんですが。
まぁ、どうせ、ネイティブチェックは入るんだし、叩き台っちゅうことで入れておきゃいいやってなもんですね。
そのうえ!
どうせ、この企画書自体ではお金が取れないってのは分ってるので、転んでもただでは起きないと、自社の宣伝を企画書の最後のページにちょろっと入れておく。どこで誰が見てるか分りませんからな。誰か偉いさんから、直接別のお仕事のお声がかかるやもしれませんしな。
そういう事までひっくるめて、適当かつ、的確なる企画書が、ほんの1日二日で作れたっていうのがなかなかに気持ち良くてねぇ。いやー大したもんだ。(自分で言うなよ!)
この間から、その企画書を、何度も読み返していたりするのであります。「わー、こらええなぁ」っちゅう感じで。(頭に虫でも、わいてるんと違うか、わし。笑)
で、企画書見ながら「ああ、ここはこう書いておいた方が良かったか。あ、こっちはこうしといた方が良かったなぁ。」などと、ふり返りもするのですが、これまた楽しい。次につながる。
明石家さんまが、自分の出演した番組を録画しておいて、その自分の出た番組の自分のシーンを見ながら「いまのツッコミ最高!」とかやってるらしいですけど、いや、それ、わかるわ。
上手いことできた!と言うものであれば、そら、何度でも見直したいで。いやほんま。
こういう事が、意外に小さな積み重ねとして大事な気がするんよなぁ。自己肯定力というか。あー、しかし、我ながら天才と違うか? と思うなぁ。(笑)
ちゅうことで、ま、自画自賛メッセージでありました。
いや、お得意から広告の発注を受けたんですがね。
この不況のおり、予算もなく、しかし効果的な広告は打たねばならず、という話で、いままで決め打でずっとお仕事をいただいていたのですが、今回は競合プレゼン。
ようするに提案しても、通らなかったらお金にならないというお話しなわけです。
まぁあんまり良い話ではありませんわな。
しかも、予算の都合上、世界各地で独自に展開していた広告予算を見直して、統一イメージで展開するという話なわけですよ。
うげー、なんじゃいそりゃぁ。大変やなぁ、それ。
とか思いつつ、しかしながら。
そういう打合せというかヒアリングをしている間に、すでにキーワードとビジュアルをひょいと思いつき、「ああ、この仕事は企画書勝負だよなぁ」と思い至って、その次の日だかに手書きでひょひょひょいと企画書仕上げ。
そのままパワーポイントで見栄えを整えて、平行して進めていた具体的なデザイン案をパワポにペタリンコと貼付けたら、見事な企画書のできあがりでありまして、その内容の整理のできばえに、自分でほれぼれとしてしまったのでありました。
いや、まだ結果は出てないんですけどね。当然、勝てないって場合もあるでしょうけど、それはそれでまぁいいや。こんだけ論旨明快で僕自身が「良く書けてる」と思える企画書が作れたら本望であります。
一緒に仕事をしてるデザイナーさんも「ようできてるなぁ」と感心することしきり。
でもって、こういう機会だしと、企画書の主要ポイント、キーワードには英語も併記。ちゅうても、間違ってる言葉とかあるかもしらんし、ええかげんなもんなんですけどな。
でも、世界各地の事業所の人が見るんだし、まぁ概略だけでもわかった方がええやん? と適当な英文をひょこひょこいれてある。いや、なにより広告のキャッチとかも適当に思いつきで英語のキャッチフレーズまで入れてたりするんですが。
まぁ、どうせ、ネイティブチェックは入るんだし、叩き台っちゅうことで入れておきゃいいやってなもんですね。
そのうえ!
どうせ、この企画書自体ではお金が取れないってのは分ってるので、転んでもただでは起きないと、自社の宣伝を企画書の最後のページにちょろっと入れておく。どこで誰が見てるか分りませんからな。誰か偉いさんから、直接別のお仕事のお声がかかるやもしれませんしな。
そういう事までひっくるめて、適当かつ、的確なる企画書が、ほんの1日二日で作れたっていうのがなかなかに気持ち良くてねぇ。いやー大したもんだ。(自分で言うなよ!)
この間から、その企画書を、何度も読み返していたりするのであります。「わー、こらええなぁ」っちゅう感じで。(頭に虫でも、わいてるんと違うか、わし。笑)
で、企画書見ながら「ああ、ここはこう書いておいた方が良かったか。あ、こっちはこうしといた方が良かったなぁ。」などと、ふり返りもするのですが、これまた楽しい。次につながる。
明石家さんまが、自分の出演した番組を録画しておいて、その自分の出た番組の自分のシーンを見ながら「いまのツッコミ最高!」とかやってるらしいですけど、いや、それ、わかるわ。
上手いことできた!と言うものであれば、そら、何度でも見直したいで。いやほんま。
こういう事が、意外に小さな積み重ねとして大事な気がするんよなぁ。自己肯定力というか。あー、しかし、我ながら天才と違うか? と思うなぁ。(笑)
ちゅうことで、ま、自画自賛メッセージでありました。
ウクレレから学んだこと
2008年10月2日 ●ウクレレ-------------
●失敗を生きる
-------------
ウクレレをやっていて、いちばん大きく学んだことは、「失敗を生きる」って事だと思う。
ウクレレという楽器は弦が4本しかないんですよね。で、本来はあくまでフラの伴奏用として発展してきたから、サブの楽器であることが使命で、この一本で何かがどうにかできるというものでは、本来ないんです。
単純に言ってしまえば、コード。
コードというのは、通常は3音でひとつの和音となっていて、(ドミソでCコードだとか。)それに7thとか6thとかの音が上乗せになり、また基底音としてのベース音が必要なわけです。(ドミソならドの音がベース音で、一番低い音になってる方が安定性は良いとか言うこと。)
でも、ウクレレは4本しか弦がないので、ちょっと凝ったコードとか弾こうとすると、キチンと基本に則った和音構成にすることができないわけです。
とくにハイGチューニングって言って、もっともポピュラーなチューニングのウクレレだと、4本の弦があっても、1弦と4弦のカバーする音の差がすごく小さく設定されてるんですね。ソとラだから隣同士の音と言っても良いくらい近い音になってます。(で、だからユニゾン的音の響きがあって、そこがウクレレの可愛らしさの秘密だったりもするんだけど。)
だから、実質、ウクレレは3弦しか弦がないのとおなじなので、まともな音楽をかなでる事ができない、もともと「失敗している楽器」なわけです。
なんせ、楽譜・楽典上は、まったく別のコードなのに、ウクレレで弾くと、弦の数の少なさから、「同じ押え方やん!」となってしまうコードがかなりあるのです。作・編曲者の意図を無視してます。
ちゅうか、意図をキチンと再現できません。(笑)
でもね。
だから良いのだ、っていう部分があるわけですよ。
それは、「最初から失敗しているのだから、もう失敗のしようがない」というような安心感なわけです。
どんなコードを弾いても、似たような音にしかならない。だから、気合い入れて頑張っても、気を抜いて適当にやっても、出てくる音に、差はあまりない。みたいなところがウクレレにはあるわけです。
でもね、だからと言って、努力してその努力が報われないか? というと、これがけっこう、そこそこ報われたりするんですよね。
それは、ウクレレの神様と言われてるハーブ・オオタさんのソロ演奏なんかを聴いてると感じる。「こんなハンデのある楽器で、ここまでできるのか!」って言う驚きというか。
ちゅうか、多分、音楽の事を全然分ってない素人が聞いたら、たぶん「普通の楽器が普通の演奏している」ってだけにしか感じないだろうなぁって思う。
でも、しかし、そこが本当はすごいわけなんだよね。
でも、そういう「上」の世界はあるけど、「下」は本当にどうしようもなく「失敗」している楽器だから、まぁそれはそれで、失敗そのものを受け入れて生きる、というのが、この楽器好きの基本的態度になっていくわけです。
そういう部分から学んだ事は多いのですよね。
●できない事はあきらめる。
●できることは、より上手にやる。
みたいな事でしょうか。
そういう事がすごく大事なんだよなぁ。
生きていく上で。
それはたぶん、「限界があるなかで精一杯生きる」ってことなんだろうなって思う。
この「限界を知った上で」って言うのが、かなり大事な事なんですよ。
その限界を身近に感じておくこと。
それが幸せの秘訣なんだと思う。
所与の条件というものが人間にはあるんです。こればっかりは仕方ないって思う。アダルトチルドレンの話でも同じ事。親の人格その他に問題がある、なんてことはザラにある。だから、そういう所与の条件として「私は基本的な生きるスキルに不足部分があるぞ」とわかった上で生きるってのが大事なんですよね。
限界を知った上で努力する。
そうすると、ウクレレの神様、ハーブ・オオタさんが弾く演奏のように、パッと聞くと素人見には「普通の楽器やん」ってところまでは行ける。
いや、そこまで行けなくても、フラと一緒になれば伴奏楽器として、とても重宝されるわけです。
この他者と補い合うってところも、ウクレレを習いに行って学んだ部分ですなぁ。
合奏がね、良いんですよ。
とにかくいい。
個々のパートは、さして難しくないんだけれど、だから簡単に弾けてしまうわけですが、それが一曲にまとまると、ハーモニーになる。
よく「なんちゃらとなんちゃらのハーモニー」なんて言いますけど、自分で実際に弾いて、それでハーモニーを感じると、本当に幸せ感が大きいのですよ。
ひとりひとりは限界があってもいい。
ただ、やれる範囲の事をていねいにやるって事が大事なんだよなってつくづく思う。
ウクレレはピアノじゃないから、低音から高音まで全部が出てくるようなアレンジは無理。
そこを理解した上で、先生はアレンジ譜を書いてくれるし、その範囲で充分に楽しい。
でも、世間の人間には、ウクレレはピアノみたいにすべての音が出ないからダメとか思っちゃう人も多いよなって思う。
あるいは、自分がウクレレなのに、必死になってピアノ曲の楽譜を弾こうとして失敗してる人とか。
この手の失敗は自分が下手なのでもないし、楽譜が悪いわけでもない。自分の持ってる楽器がウクレレなのだと気付いてない事が問題なわけですよ。そこに気づきさえすれば、可能性はいくらでも広がっている。
------------------------
●難しい課題と失敗と練習と。
------------------------
それと、ウクレレから学んだ事で、かなり重要だったのが、「難しい課題に挑戦する意味」なんですな。
簡単な曲とか難しい曲とか、世の中にいろいろありますけど、やっぱり課題の中には難しいものもあるわけです。コードの押え方がしんどいとか。
ま、それは聞いてる人にはわからない事で、そういう難しいところでつまづいたとしても、逆に聞いてる側は失敗とは気付かない、てな事もあるわけですよ。だから、そこはできる範囲でサラッとスルーしても別に悪くはないわけです。
でも、やっぱり一曲の中で2、3カ所難しいところがあると、それはなんとか弾けるようになりたくて必死に練習するんですね。
で、練習するとどうなるか?
これが素人の僕程度では、そう簡単には克服できないわけです。(笑)
弾いても弾いても、同じところでつまづく。難しいところは、やっぱり難しいんだよねー。
でも、そうやって弾いていくと、簡単なところはどんどん上手くなるんですな。リズムキープするとか、和音の響きがキチンと出るようになってるとか。
それは、自分にとっては、「すでに出来ること」だから、あんまり進歩の実感がないわけです。「そのくらいはできらーな」と思ってる部分なわけで。こっちとしては克服したいところが克服できてないのだから、意味がないわけです。なので、また難しい所を含めて頭から練習するわけで。
で、結果、難しいところは弾けないんですよ。でも、素人の人間が聞くと「おお、えらい上手くなったなぁ」って思うわけです。「どこがどうとかわからんけど、上手くなったよ。」ってほめられる。
そういう事なんですね。苦手克服にチャレンジするって事は。
別に苦手が克服できなくても良いのです。出来ることが上手になってるなら。
でも、その「出来ることをより上手にやるために練習する」なんて事を、実は人間はあまりやらないのですよ。だって「すでにできてる」と思ってるから。本当は「キチン」とはできてないんやけど、そこには気付けないのですなぁ。まぁそういうもんなんです。
------------------------
●島国文化のこと。
------------------------
で、こういう限界を知るって部分は、ウクレレがハワイという島国で生まれたという事と無縁ではないって気がするわけです。まさに「島の文化」だなぁって思う。
日本は島国ですが、ほんとうの小島に行くと、島国がいかに視界が良いかが良く分かる。瀬戸内海の小島に遊びで移動したら、四国も神戸も大阪も広島も全部見れたんですね。でも、そういう視界の良さを、それぞれの都市の人はあまり知らないのです。
島国文化というと狭苦しい、偏狭さを持っているように感じるけど、それは半分当りで、半分は間違いなんだよなぁって思うのです。
日本の固有の音楽は、ヨナ抜き音階と言って、ドレミファソラシという7つの音のうち、4番目のファと7番目のシの音を抜いたスケールになってます。だから、ドレミソラドの音だけで曲を作ったら、すぐに演歌っぽい曲が作れる。
これは西洋音楽からしたら、特定の音を抜いてるだけだから、すぐわかるし、幼稚に見えることだろうと思います。
で、沖縄の音楽は、「ニロ抜き」でレとラを抜く。「ドミファソシド」です。
日本人はいまや、ヨナ抜き音階なんて忘れてるけど、沖縄は小さな島だから忘れてない。
「島唄」を作った宮本誰だっけ?は、だから、当初は沖縄の古老たちからは嫌われたらしい。出だしと最後はいいけど、真ん中の「ウージヌ森で、あなたと出会い」のところは沖縄音階ではないのですな。だから「この歌は沖縄の歌ではない」と言われた。
でも教科書とかにも載ったらしいんだよね、この歌は。だから若い世代が「島唄」も沖縄の歌だ、沖縄の人間ではない人が沖縄を愛してくれて作ったのだから沖縄の歌だと言って、いまでは沖縄でも認められてるそうです。
でも多分「○○抜き音階」っていうのは「○○がない」って所に存在価値があるわけだから、他の音が入ってしまったら、それは雑音なのであって、美しくなく、音楽自体でなくなってしまうのだろうとも思う。音楽の概念そのものが変質してしまう危機なんだろうなぁと。
これが本当の意味でのアイデンティティの崩壊なのだろうと思うのです。いままでなかったものが存在することで、ある体系が壊れてしまうのだ。
ウクレレで言えば、実はウクレレの神様と呼ばれるハーブ・オオタさんは、それまで伴奏楽器でしかなかったウクレレでソロを弾いて、それでソロウクレレというジャンルを世界に広めた偉大な人なんだけど、多分、そういう事はハワイでは最初、「ウクレレの本道を外してる」と言われたに違いないって思う。
なにせウクレレは、本来伴奏楽器だったのだから。
ハワイにはフラという「言葉」があった。
踊りじゃないですよ。言葉です。
その言葉によるメッセージを補強するというのが楽器の役割だから、ウクレレが一人でしゃべったら、そらアカン、という事になるんやろなぁって思う。
でもハーブ・オオタさんはそれをやぶった。
やぶったけど、島国に住んでる人たちは、島国から抜け出る事はできないのです。
と言うことは、世界を席巻している標準的な音楽の考え方を、甘んじて受入ながら、それでも、「○○抜き」ではなくなった音の世界で、なんとか「○○」を抜きながら、自分たちの文化を上手に守っていくしかない。それは「○○」の音を受入ながらね。
ハワイの音楽はエルビスプレスリーのブルーハワイでもそうですが、アメリカ本土でも人気が出て、アメリカの作曲家が「ハワイ風の曲」というのをいくつも作って、そんでまた、そういう曲が人気が出た。アメリカン・ハワイアン。
だからハワイに旅行に出かけた人は、そういう事も知らずに、「あの曲やって!」とか言うだろうし、それを多分ハワイの人は、だまって受け入れて、ちゃんと弾くんだろうなって思う。
でも、そうやって旅人と仲良くなっても、別れの時には絶対アロハ・オエだ。別れの曲は、アロハ・オエというハワイの心の曲でないと許されない。旅人は、やってきて去る。どんなに良い関係を結べていても、島国に来た人は去る。だからアロハ・オエは大切な島の歌なんじゃないのかなって思う。
島国の人たちは、自分たちの世界が狭い事を良く知っている。だから、自分たちの文化が翻弄されても、もっと広くて大きな社会の流れの中に、なんとかゆったりと抵抗しながら付き合っていくしかないと言うことを、良く知っているのだろうと思う。
島国は回りを見渡しやすいのだ。本来は。
でも、日本はダメよな。大国日本だとか勘違いしてる。本当は小さいのに。もっとハワイや沖縄の人たちの生き方から学ばないとダメだろう。
ハワイの人がアロハ・オエを守るような事ができてないって思う。日本人は。
世界の真似は一生懸命やるけど、「それでも残さなきゃ」という、アロハ・オエがない。
そこは、やっぱりちょっと寂しい。
それもこれも、結局は「限界を知ってる」かどうかだと思うのです。
ウクレレしか持ってないのに、ピアノ譜を見て「弾けない!何故?」とか言ってるのが、やっぱり今の日本人なんだよなぁっていうことを、すごく強く思います。
それは自分を含めてなんだけど。
日本は超大国? そんなんホンマか?
で、そういう超大国であることが幸せにつながることなんか?
ほんまにピアノ譜、弾けるの?
ウクレレ用のアレンジの方が良くない?
とかって思うんやけど、なんか日本人ってアメリカン・ハワイアンみたいな曲ばっかり弾いてるよなぁって思う。それがアメリカン・ハワイアンやと気づきもせずにさぁ。
ああ、なんかウクレレから学ぶというより社会時評になってきたので、これでやめます。
●失敗を生きる
-------------
ウクレレをやっていて、いちばん大きく学んだことは、「失敗を生きる」って事だと思う。
ウクレレという楽器は弦が4本しかないんですよね。で、本来はあくまでフラの伴奏用として発展してきたから、サブの楽器であることが使命で、この一本で何かがどうにかできるというものでは、本来ないんです。
単純に言ってしまえば、コード。
コードというのは、通常は3音でひとつの和音となっていて、(ドミソでCコードだとか。)それに7thとか6thとかの音が上乗せになり、また基底音としてのベース音が必要なわけです。(ドミソならドの音がベース音で、一番低い音になってる方が安定性は良いとか言うこと。)
でも、ウクレレは4本しか弦がないので、ちょっと凝ったコードとか弾こうとすると、キチンと基本に則った和音構成にすることができないわけです。
とくにハイGチューニングって言って、もっともポピュラーなチューニングのウクレレだと、4本の弦があっても、1弦と4弦のカバーする音の差がすごく小さく設定されてるんですね。ソとラだから隣同士の音と言っても良いくらい近い音になってます。(で、だからユニゾン的音の響きがあって、そこがウクレレの可愛らしさの秘密だったりもするんだけど。)
だから、実質、ウクレレは3弦しか弦がないのとおなじなので、まともな音楽をかなでる事ができない、もともと「失敗している楽器」なわけです。
なんせ、楽譜・楽典上は、まったく別のコードなのに、ウクレレで弾くと、弦の数の少なさから、「同じ押え方やん!」となってしまうコードがかなりあるのです。作・編曲者の意図を無視してます。
ちゅうか、意図をキチンと再現できません。(笑)
でもね。
だから良いのだ、っていう部分があるわけですよ。
それは、「最初から失敗しているのだから、もう失敗のしようがない」というような安心感なわけです。
どんなコードを弾いても、似たような音にしかならない。だから、気合い入れて頑張っても、気を抜いて適当にやっても、出てくる音に、差はあまりない。みたいなところがウクレレにはあるわけです。
でもね、だからと言って、努力してその努力が報われないか? というと、これがけっこう、そこそこ報われたりするんですよね。
それは、ウクレレの神様と言われてるハーブ・オオタさんのソロ演奏なんかを聴いてると感じる。「こんなハンデのある楽器で、ここまでできるのか!」って言う驚きというか。
ちゅうか、多分、音楽の事を全然分ってない素人が聞いたら、たぶん「普通の楽器が普通の演奏している」ってだけにしか感じないだろうなぁって思う。
でも、しかし、そこが本当はすごいわけなんだよね。
でも、そういう「上」の世界はあるけど、「下」は本当にどうしようもなく「失敗」している楽器だから、まぁそれはそれで、失敗そのものを受け入れて生きる、というのが、この楽器好きの基本的態度になっていくわけです。
そういう部分から学んだ事は多いのですよね。
●できない事はあきらめる。
●できることは、より上手にやる。
みたいな事でしょうか。
そういう事がすごく大事なんだよなぁ。
生きていく上で。
それはたぶん、「限界があるなかで精一杯生きる」ってことなんだろうなって思う。
この「限界を知った上で」って言うのが、かなり大事な事なんですよ。
その限界を身近に感じておくこと。
それが幸せの秘訣なんだと思う。
所与の条件というものが人間にはあるんです。こればっかりは仕方ないって思う。アダルトチルドレンの話でも同じ事。親の人格その他に問題がある、なんてことはザラにある。だから、そういう所与の条件として「私は基本的な生きるスキルに不足部分があるぞ」とわかった上で生きるってのが大事なんですよね。
限界を知った上で努力する。
そうすると、ウクレレの神様、ハーブ・オオタさんが弾く演奏のように、パッと聞くと素人見には「普通の楽器やん」ってところまでは行ける。
いや、そこまで行けなくても、フラと一緒になれば伴奏楽器として、とても重宝されるわけです。
この他者と補い合うってところも、ウクレレを習いに行って学んだ部分ですなぁ。
合奏がね、良いんですよ。
とにかくいい。
個々のパートは、さして難しくないんだけれど、だから簡単に弾けてしまうわけですが、それが一曲にまとまると、ハーモニーになる。
よく「なんちゃらとなんちゃらのハーモニー」なんて言いますけど、自分で実際に弾いて、それでハーモニーを感じると、本当に幸せ感が大きいのですよ。
ひとりひとりは限界があってもいい。
ただ、やれる範囲の事をていねいにやるって事が大事なんだよなってつくづく思う。
ウクレレはピアノじゃないから、低音から高音まで全部が出てくるようなアレンジは無理。
そこを理解した上で、先生はアレンジ譜を書いてくれるし、その範囲で充分に楽しい。
でも、世間の人間には、ウクレレはピアノみたいにすべての音が出ないからダメとか思っちゃう人も多いよなって思う。
あるいは、自分がウクレレなのに、必死になってピアノ曲の楽譜を弾こうとして失敗してる人とか。
この手の失敗は自分が下手なのでもないし、楽譜が悪いわけでもない。自分の持ってる楽器がウクレレなのだと気付いてない事が問題なわけですよ。そこに気づきさえすれば、可能性はいくらでも広がっている。
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●難しい課題と失敗と練習と。
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それと、ウクレレから学んだ事で、かなり重要だったのが、「難しい課題に挑戦する意味」なんですな。
簡単な曲とか難しい曲とか、世の中にいろいろありますけど、やっぱり課題の中には難しいものもあるわけです。コードの押え方がしんどいとか。
ま、それは聞いてる人にはわからない事で、そういう難しいところでつまづいたとしても、逆に聞いてる側は失敗とは気付かない、てな事もあるわけですよ。だから、そこはできる範囲でサラッとスルーしても別に悪くはないわけです。
でも、やっぱり一曲の中で2、3カ所難しいところがあると、それはなんとか弾けるようになりたくて必死に練習するんですね。
で、練習するとどうなるか?
これが素人の僕程度では、そう簡単には克服できないわけです。(笑)
弾いても弾いても、同じところでつまづく。難しいところは、やっぱり難しいんだよねー。
でも、そうやって弾いていくと、簡単なところはどんどん上手くなるんですな。リズムキープするとか、和音の響きがキチンと出るようになってるとか。
それは、自分にとっては、「すでに出来ること」だから、あんまり進歩の実感がないわけです。「そのくらいはできらーな」と思ってる部分なわけで。こっちとしては克服したいところが克服できてないのだから、意味がないわけです。なので、また難しい所を含めて頭から練習するわけで。
で、結果、難しいところは弾けないんですよ。でも、素人の人間が聞くと「おお、えらい上手くなったなぁ」って思うわけです。「どこがどうとかわからんけど、上手くなったよ。」ってほめられる。
そういう事なんですね。苦手克服にチャレンジするって事は。
別に苦手が克服できなくても良いのです。出来ることが上手になってるなら。
でも、その「出来ることをより上手にやるために練習する」なんて事を、実は人間はあまりやらないのですよ。だって「すでにできてる」と思ってるから。本当は「キチン」とはできてないんやけど、そこには気付けないのですなぁ。まぁそういうもんなんです。
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●島国文化のこと。
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で、こういう限界を知るって部分は、ウクレレがハワイという島国で生まれたという事と無縁ではないって気がするわけです。まさに「島の文化」だなぁって思う。
日本は島国ですが、ほんとうの小島に行くと、島国がいかに視界が良いかが良く分かる。瀬戸内海の小島に遊びで移動したら、四国も神戸も大阪も広島も全部見れたんですね。でも、そういう視界の良さを、それぞれの都市の人はあまり知らないのです。
島国文化というと狭苦しい、偏狭さを持っているように感じるけど、それは半分当りで、半分は間違いなんだよなぁって思うのです。
日本の固有の音楽は、ヨナ抜き音階と言って、ドレミファソラシという7つの音のうち、4番目のファと7番目のシの音を抜いたスケールになってます。だから、ドレミソラドの音だけで曲を作ったら、すぐに演歌っぽい曲が作れる。
これは西洋音楽からしたら、特定の音を抜いてるだけだから、すぐわかるし、幼稚に見えることだろうと思います。
で、沖縄の音楽は、「ニロ抜き」でレとラを抜く。「ドミファソシド」です。
日本人はいまや、ヨナ抜き音階なんて忘れてるけど、沖縄は小さな島だから忘れてない。
「島唄」を作った宮本誰だっけ?は、だから、当初は沖縄の古老たちからは嫌われたらしい。出だしと最後はいいけど、真ん中の「ウージヌ森で、あなたと出会い」のところは沖縄音階ではないのですな。だから「この歌は沖縄の歌ではない」と言われた。
でも教科書とかにも載ったらしいんだよね、この歌は。だから若い世代が「島唄」も沖縄の歌だ、沖縄の人間ではない人が沖縄を愛してくれて作ったのだから沖縄の歌だと言って、いまでは沖縄でも認められてるそうです。
でも多分「○○抜き音階」っていうのは「○○がない」って所に存在価値があるわけだから、他の音が入ってしまったら、それは雑音なのであって、美しくなく、音楽自体でなくなってしまうのだろうとも思う。音楽の概念そのものが変質してしまう危機なんだろうなぁと。
これが本当の意味でのアイデンティティの崩壊なのだろうと思うのです。いままでなかったものが存在することで、ある体系が壊れてしまうのだ。
ウクレレで言えば、実はウクレレの神様と呼ばれるハーブ・オオタさんは、それまで伴奏楽器でしかなかったウクレレでソロを弾いて、それでソロウクレレというジャンルを世界に広めた偉大な人なんだけど、多分、そういう事はハワイでは最初、「ウクレレの本道を外してる」と言われたに違いないって思う。
なにせウクレレは、本来伴奏楽器だったのだから。
ハワイにはフラという「言葉」があった。
踊りじゃないですよ。言葉です。
その言葉によるメッセージを補強するというのが楽器の役割だから、ウクレレが一人でしゃべったら、そらアカン、という事になるんやろなぁって思う。
でもハーブ・オオタさんはそれをやぶった。
やぶったけど、島国に住んでる人たちは、島国から抜け出る事はできないのです。
と言うことは、世界を席巻している標準的な音楽の考え方を、甘んじて受入ながら、それでも、「○○抜き」ではなくなった音の世界で、なんとか「○○」を抜きながら、自分たちの文化を上手に守っていくしかない。それは「○○」の音を受入ながらね。
ハワイの音楽はエルビスプレスリーのブルーハワイでもそうですが、アメリカ本土でも人気が出て、アメリカの作曲家が「ハワイ風の曲」というのをいくつも作って、そんでまた、そういう曲が人気が出た。アメリカン・ハワイアン。
だからハワイに旅行に出かけた人は、そういう事も知らずに、「あの曲やって!」とか言うだろうし、それを多分ハワイの人は、だまって受け入れて、ちゃんと弾くんだろうなって思う。
でも、そうやって旅人と仲良くなっても、別れの時には絶対アロハ・オエだ。別れの曲は、アロハ・オエというハワイの心の曲でないと許されない。旅人は、やってきて去る。どんなに良い関係を結べていても、島国に来た人は去る。だからアロハ・オエは大切な島の歌なんじゃないのかなって思う。
島国の人たちは、自分たちの世界が狭い事を良く知っている。だから、自分たちの文化が翻弄されても、もっと広くて大きな社会の流れの中に、なんとかゆったりと抵抗しながら付き合っていくしかないと言うことを、良く知っているのだろうと思う。
島国は回りを見渡しやすいのだ。本来は。
でも、日本はダメよな。大国日本だとか勘違いしてる。本当は小さいのに。もっとハワイや沖縄の人たちの生き方から学ばないとダメだろう。
ハワイの人がアロハ・オエを守るような事ができてないって思う。日本人は。
世界の真似は一生懸命やるけど、「それでも残さなきゃ」という、アロハ・オエがない。
そこは、やっぱりちょっと寂しい。
それもこれも、結局は「限界を知ってる」かどうかだと思うのです。
ウクレレしか持ってないのに、ピアノ譜を見て「弾けない!何故?」とか言ってるのが、やっぱり今の日本人なんだよなぁっていうことを、すごく強く思います。
それは自分を含めてなんだけど。
日本は超大国? そんなんホンマか?
で、そういう超大国であることが幸せにつながることなんか?
ほんまにピアノ譜、弾けるの?
ウクレレ用のアレンジの方が良くない?
とかって思うんやけど、なんか日本人ってアメリカン・ハワイアンみたいな曲ばっかり弾いてるよなぁって思う。それがアメリカン・ハワイアンやと気づきもせずにさぁ。
ああ、なんかウクレレから学ぶというより社会時評になってきたので、これでやめます。
さぁ徹底的に小泉を叩こう!
2008年9月26日コメント (2)小泉くんが引退を表明しましたな。
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小泉元首相:町村派幹部に引退を伝える
自民党の小泉純一郎元首相は26日午前、東京都内の町村派事務所を訪れ、同派幹部の森喜朗元首相、安倍晋三元首相、町村信孝前官房長官に次期衆院選で立候補せずに引退する考えを正式に伝えた。
小泉氏は「今期で引退することを決断した。清和会(現町村派)には初当選以来、福田赳夫(元首相)先生にご指導をいただくなどずっとお世話になった」と表明。「とにかくこの選挙は絶対に負けてはいけないから、麻生太郎首相のために一致団結してやろう」と付け加えた。
小泉氏は27日、地元の神奈川県横須賀市でも後援会の会合で引退を表明する。【近藤大介】
毎日新聞 2008年9月26日 東京夕刊
---------------------------------------
いろんな意見がありましょうが、「うまい時期にやめやがったなぁ」と、彼の天性のこすっからさ、逃げの判断の確かさに舌を巻きます。
この世界不況時に、選挙になれば、嫌でも「小泉改革」の総決算=小泉の大罪が明確にならざるを得ない時期ですからな。
だから、麻生ちゃんを(麻生太郎に関しては「ちゃん」づけがちょうど良いと思います。)「すべてはまかせた。麻生首相で一致団結!」と持ち上げるのが、あまり物事を深く考えない「大衆」レベルには「美しく」見えて、ウケが良いという判断なわけですよ。
ようは、自分の保身のみしか考えてないわけですな。
ネットで見ると、まぁ小泉をほめてる人もいて、(拉致問題に関しては、実は僕は評価してます。ウソでも数人は取り返した。あれは偉い。でも、それが「思いつき」なところが、この人の一番良くない点です。あと、改革をウソでも進めたというのも、実はけっこう偉い。でもそれも、「理屈抜きのワンフレーズポリティクス」だったところが、いけない。だからこそ改革できた、という部分もあるでしょうが、やはりスジが通っていないのは無茶苦茶でしかない。)それはそれで良いのですが、キチンと「敵前逃亡だね」と、本質を見抜いてる人もいてます。
で、だからこそ、ここで小泉君を徹底的に叩きたいと思うのだけど、それは実は、世間で言ってるような「グローバル経済に荷担した」とか「格差を広げた」とかのあたりではないと思ってるんです。
それは、どんな人間が首相をやっても、ああいう方向に行かざるを得なかっただろうと思うのですよ。日本とアメリカの関係を考えれば。
だから、そこをして「小泉の責任だ!」と言う気はない。
問題は「ワンフレーズポリティクス」だった、と僕はしたいです。
彼の一番の問題は、これだ。
ようは筋が通っていないのに、雰囲気とかけ声で、さも正しいかのように押し切ってしまう無茶苦茶さを、政治という利害関係の調整システムの中で「通して」しまった事です。ようは「背景と論理」が欠けている、という事です。それを「当たり前」にしてしまって、しかも「制度」にまで落とし込んでしまったという、この無茶苦茶さ加減。
これこそが、この人の、最大の罪です。
グローバル経済の問題でも、「とにかくやっちゃえ」ではなく、「キチンとセーフティネットも考えた上で検討して導入する」という事をやっていれば、格差が拡大した後でも、その考え方をベースに仕切り直しや微調整は可能なのです。
でも、小泉君は、それをしなかった。ワンフレーズポリティクスで押し切った。
だからいま、それを再構築するのが、とんでもなく大変になってしまってるわけです。
だいたい、ここまで自民党が政権政党でありながら、実務対応力がなくなっているのは、小泉君が、派閥構造をぶっ壊して、物事を派閥間で精査するような仕組みが自民党内で消えちゃったからですしね。
もう民主党とオープンに、やっさもっさ政策論議をするしか道はないんやけど、その王道こそが必要なのだ、と考えてるまともな人材が自民党にはもう、いてないわけですから。そういう人材育成の事は純ちゃんはな~んも考えてなかったもんねー。そんな事考えても、自分の人気につながらないんだから、しょうがないよー。自民党がどうなってもいいんだもん。純ちゃんは。自分の人気さえ保てれば。可哀想に自民党。なんにも考えてない(自分の事しか考えてない)人を総裁にいただいてしまって。あー、やれやれ。
そんなもんね、利害関係のバランスを「一切考えない」で推し進めたら、そらなんでも簡単に進むに決まってますやん。あたりまえですやん。
このあいだ、自転車関係の本(「それでも自転車に乗り続ける7つの理由」疋田智・著)を読んでたら、平成15年の1月2日に、小泉君がこういう事を言ってたんだそうです。
「私は新年を迎え、今後10年間をめどに、交通事故死者数をさらに半減する決意を固めました。この目標を達成できれば、我が国は道路交通に関して、世界で一番安全な国になります。」
って。で、これ。ものすごくおかしな言いぐさがあるのだけど、わかりますか? 疋田智さんは東大卒で、さすがにそれをちゃんと見つけてる。引用します。
(引用開始)-------------------
ちょっと失笑してしまったのは、「(交通事故死者数半減という)目標を達成できれば、我が国は道路交通に関して世界で一番安全な国になります。」の部分だ。こういうのを世間一般では「当たり前」と言うのではないかと思う。
「ガンによる死亡者が半減すれば、我が国は悪性新生物に関して、世界で一番健康な国になります。」「殺人事件の発生件数が半減すれば、我が国は凶悪犯罪に関して、世界で一番治安のいい国になります。」
当たり前である。何だって言える。だが、こういう風に絵の餅を描きまくったって仕方がない。問題はどうやって半減(減少)させるかだろう。実効性と意味のない目標値を掲げたって、何も出てこない。
でも我らが総理は、そういうことをチャラッと言ってしまう人なのだ。で、言うだけ言った後は、例によって「後はよろしく」の「丸投げ」である。警察庁だってたまったもんじゃない。だが総理の言うことだ。取り組まざるを得ない。
(引用終了)-------------------
ってことです。
ねぇ。
「もし、日本人が火星に到着すれば、我が国は世界で最初に火星に到着した人類になります。」って言ってるのと同じって事ですよ。
わかります? この無茶苦茶さ加減。
小泉君の無茶苦茶さは、そういう種類の無茶苦茶さなんです。やめてくれよ、ほんまに。ちゅうことです。
で、ありとあらゆる重要案件に関して、そういうキチガイみたいな事しか、この人はやってないんです。これが問題でなくて、何が問題やねん、ちゅうことですわ。
こここそが、この人の責任で、もうひとつ言うなら、それを許してしまった我々日本人の大罪です。
だから、この部分は、明確に小泉君の責任です。彼が悪い。
これは、もう、彼が政界を引退したのだからこそ、徹底して、しつこくしつこく、「小泉のワンフレーズポリティクスが日本社会を混乱に陥れた」と明確化し続けないといけないと思います。
グローバル経済には、現実問題逆らえなかったでしょう。それはそうだ。誰がやっても、そこは変わらん。
しかし、ワンフレーズポリティクスは小泉君の責任だ。そこははっきりさせないといけないって思う。
で、それは本当に最悪のやり方で、それはパァのやり方、キチガイのやり方なんだと言うことを、一般国民である我々が正しく理解しないといけないと思います。
そこがものすごく重要であり、また、小泉が残したとんでもない負の遺産なんですよ。
この不況時に、また、小泉に似たような「ワンフレーズポリティクス」みたいな事を続けられたら、それこそ、もう、坂道を転がり落ちるどころか、落下傘なしのスカイダイビングのように、日本はもっと悪い状況に真っ逆さまですよ。
●ワンフレーズポリティクスこそが、いまの不況の根本原因
と言うことをこそ、明確に、明確に、明確にしないといけないんです。
徹底的に叩くべきは、ワンフレーズポリティクス。
そして、それを「何も考えずに支持してしまった、我々日本国民」です。
そこをこそ反省しましょう。
きちんとひとりひとりが考える、という事をしましょう。
小泉みたいな、自分の保身しか考えてない奴はどうでもよろしい。
(見てご覧なさいな。小泉チルドレンたちを。誰も面倒みないもんね。で、当の小泉は地盤を息子に譲っておしまい。もともと情に薄い人なんですよ。自分の人気維持だけが興味項目で、それ以外に何も考えてないのだから。)
●日本国民、ひとりひとりがきちんと考える
それがなにより大事な事です。
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小泉元首相:町村派幹部に引退を伝える
自民党の小泉純一郎元首相は26日午前、東京都内の町村派事務所を訪れ、同派幹部の森喜朗元首相、安倍晋三元首相、町村信孝前官房長官に次期衆院選で立候補せずに引退する考えを正式に伝えた。
小泉氏は「今期で引退することを決断した。清和会(現町村派)には初当選以来、福田赳夫(元首相)先生にご指導をいただくなどずっとお世話になった」と表明。「とにかくこの選挙は絶対に負けてはいけないから、麻生太郎首相のために一致団結してやろう」と付け加えた。
小泉氏は27日、地元の神奈川県横須賀市でも後援会の会合で引退を表明する。【近藤大介】
毎日新聞 2008年9月26日 東京夕刊
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いろんな意見がありましょうが、「うまい時期にやめやがったなぁ」と、彼の天性のこすっからさ、逃げの判断の確かさに舌を巻きます。
この世界不況時に、選挙になれば、嫌でも「小泉改革」の総決算=小泉の大罪が明確にならざるを得ない時期ですからな。
だから、麻生ちゃんを(麻生太郎に関しては「ちゃん」づけがちょうど良いと思います。)「すべてはまかせた。麻生首相で一致団結!」と持ち上げるのが、あまり物事を深く考えない「大衆」レベルには「美しく」見えて、ウケが良いという判断なわけですよ。
ようは、自分の保身のみしか考えてないわけですな。
ネットで見ると、まぁ小泉をほめてる人もいて、(拉致問題に関しては、実は僕は評価してます。ウソでも数人は取り返した。あれは偉い。でも、それが「思いつき」なところが、この人の一番良くない点です。あと、改革をウソでも進めたというのも、実はけっこう偉い。でもそれも、「理屈抜きのワンフレーズポリティクス」だったところが、いけない。だからこそ改革できた、という部分もあるでしょうが、やはりスジが通っていないのは無茶苦茶でしかない。)それはそれで良いのですが、キチンと「敵前逃亡だね」と、本質を見抜いてる人もいてます。
で、だからこそ、ここで小泉君を徹底的に叩きたいと思うのだけど、それは実は、世間で言ってるような「グローバル経済に荷担した」とか「格差を広げた」とかのあたりではないと思ってるんです。
それは、どんな人間が首相をやっても、ああいう方向に行かざるを得なかっただろうと思うのですよ。日本とアメリカの関係を考えれば。
だから、そこをして「小泉の責任だ!」と言う気はない。
問題は「ワンフレーズポリティクス」だった、と僕はしたいです。
彼の一番の問題は、これだ。
ようは筋が通っていないのに、雰囲気とかけ声で、さも正しいかのように押し切ってしまう無茶苦茶さを、政治という利害関係の調整システムの中で「通して」しまった事です。ようは「背景と論理」が欠けている、という事です。それを「当たり前」にしてしまって、しかも「制度」にまで落とし込んでしまったという、この無茶苦茶さ加減。
これこそが、この人の、最大の罪です。
グローバル経済の問題でも、「とにかくやっちゃえ」ではなく、「キチンとセーフティネットも考えた上で検討して導入する」という事をやっていれば、格差が拡大した後でも、その考え方をベースに仕切り直しや微調整は可能なのです。
でも、小泉君は、それをしなかった。ワンフレーズポリティクスで押し切った。
だからいま、それを再構築するのが、とんでもなく大変になってしまってるわけです。
だいたい、ここまで自民党が政権政党でありながら、実務対応力がなくなっているのは、小泉君が、派閥構造をぶっ壊して、物事を派閥間で精査するような仕組みが自民党内で消えちゃったからですしね。
もう民主党とオープンに、やっさもっさ政策論議をするしか道はないんやけど、その王道こそが必要なのだ、と考えてるまともな人材が自民党にはもう、いてないわけですから。そういう人材育成の事は純ちゃんはな~んも考えてなかったもんねー。そんな事考えても、自分の人気につながらないんだから、しょうがないよー。自民党がどうなってもいいんだもん。純ちゃんは。自分の人気さえ保てれば。可哀想に自民党。なんにも考えてない(自分の事しか考えてない)人を総裁にいただいてしまって。あー、やれやれ。
そんなもんね、利害関係のバランスを「一切考えない」で推し進めたら、そらなんでも簡単に進むに決まってますやん。あたりまえですやん。
このあいだ、自転車関係の本(「それでも自転車に乗り続ける7つの理由」疋田智・著)を読んでたら、平成15年の1月2日に、小泉君がこういう事を言ってたんだそうです。
「私は新年を迎え、今後10年間をめどに、交通事故死者数をさらに半減する決意を固めました。この目標を達成できれば、我が国は道路交通に関して、世界で一番安全な国になります。」
って。で、これ。ものすごくおかしな言いぐさがあるのだけど、わかりますか? 疋田智さんは東大卒で、さすがにそれをちゃんと見つけてる。引用します。
(引用開始)-------------------
ちょっと失笑してしまったのは、「(交通事故死者数半減という)目標を達成できれば、我が国は道路交通に関して世界で一番安全な国になります。」の部分だ。こういうのを世間一般では「当たり前」と言うのではないかと思う。
「ガンによる死亡者が半減すれば、我が国は悪性新生物に関して、世界で一番健康な国になります。」「殺人事件の発生件数が半減すれば、我が国は凶悪犯罪に関して、世界で一番治安のいい国になります。」
当たり前である。何だって言える。だが、こういう風に絵の餅を描きまくったって仕方がない。問題はどうやって半減(減少)させるかだろう。実効性と意味のない目標値を掲げたって、何も出てこない。
でも我らが総理は、そういうことをチャラッと言ってしまう人なのだ。で、言うだけ言った後は、例によって「後はよろしく」の「丸投げ」である。警察庁だってたまったもんじゃない。だが総理の言うことだ。取り組まざるを得ない。
(引用終了)-------------------
ってことです。
ねぇ。
「もし、日本人が火星に到着すれば、我が国は世界で最初に火星に到着した人類になります。」って言ってるのと同じって事ですよ。
わかります? この無茶苦茶さ加減。
小泉君の無茶苦茶さは、そういう種類の無茶苦茶さなんです。やめてくれよ、ほんまに。ちゅうことです。
で、ありとあらゆる重要案件に関して、そういうキチガイみたいな事しか、この人はやってないんです。これが問題でなくて、何が問題やねん、ちゅうことですわ。
こここそが、この人の責任で、もうひとつ言うなら、それを許してしまった我々日本人の大罪です。
だから、この部分は、明確に小泉君の責任です。彼が悪い。
これは、もう、彼が政界を引退したのだからこそ、徹底して、しつこくしつこく、「小泉のワンフレーズポリティクスが日本社会を混乱に陥れた」と明確化し続けないといけないと思います。
グローバル経済には、現実問題逆らえなかったでしょう。それはそうだ。誰がやっても、そこは変わらん。
しかし、ワンフレーズポリティクスは小泉君の責任だ。そこははっきりさせないといけないって思う。
で、それは本当に最悪のやり方で、それはパァのやり方、キチガイのやり方なんだと言うことを、一般国民である我々が正しく理解しないといけないと思います。
そこがものすごく重要であり、また、小泉が残したとんでもない負の遺産なんですよ。
この不況時に、また、小泉に似たような「ワンフレーズポリティクス」みたいな事を続けられたら、それこそ、もう、坂道を転がり落ちるどころか、落下傘なしのスカイダイビングのように、日本はもっと悪い状況に真っ逆さまですよ。
●ワンフレーズポリティクスこそが、いまの不況の根本原因
と言うことをこそ、明確に、明確に、明確にしないといけないんです。
徹底的に叩くべきは、ワンフレーズポリティクス。
そして、それを「何も考えずに支持してしまった、我々日本国民」です。
そこをこそ反省しましょう。
きちんとひとりひとりが考える、という事をしましょう。
小泉みたいな、自分の保身しか考えてない奴はどうでもよろしい。
(見てご覧なさいな。小泉チルドレンたちを。誰も面倒みないもんね。で、当の小泉は地盤を息子に譲っておしまい。もともと情に薄い人なんですよ。自分の人気維持だけが興味項目で、それ以外に何も考えてないのだから。)
●日本国民、ひとりひとりがきちんと考える
それがなにより大事な事です。
なんでかしら。/ひとよみにっき人気タイトル(笑)
2008年9月22日時たま、ここのアクセス解析を見たりすることがあるんですけど、実に妙なキーワードでアクセスされたりするんですよね。
それはいいけど、やたら同じキーワードで検索が来ることがあって、「なんでかしら?」とか思う事が良くあったのですよ。
で、グーグルから来てる人とか見てみたら、なんと、そのワードでグーグルで一番に表示されてるから、なんて事があったりするわけですよ。
近々では「コップ半分の水」ですね。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200809060642290000/
ちょっと突っ込んで書いたら、意外にも、あんまりこういう事を考えてる人が少なかったという事なのかしらん? わからん。何故に1位?
あと、座頭市DVD版/ラストシーンの裏の裏。(ネタバレ注意)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200404020155510000/
も、アクセスが多くて、なんでやろ? と思ったら、「はてな」で、あの映画のラストシーンの意味がわからんで質問した人がいて、「こういう見方をしてる人もいてるよ」と引用されてたのでした。
えええ! あの意味の取り方って、そんなに濃かった?
うーん。悩む。
私はおおいに悩む。
いやー、そういう意味でなきゃ、「金髪の座頭市」の意味ないやん、って思うねんけど。どうなんざましょ。
それから、いまはもう人気がなくなってしまいましたが、一時期、
かっこいい男の子
http://hitoyomi.diarynote.jp/200402271825060000/
も、アクセスが多くて、これまたグーグルで、この「かっこいい男の子」での検索が1番だったんですよね。
いやー、面白いもんやなぁって思いますです。
まぁ、それなりに読んでおもろい内容だったという事なんですかね? ようわかりませんが。
ちゅうことで、ふと気になったもんで。
ご興味ある方は、読んでみてくださいませ。
あ、そうそう、うちのサブドメインは「ひとよみ」にしました。hitoyomi。
http://hitoyomi.diarynote.jp/
でアクセスできる。
これでネットカフェとかで簡単にアクセスできる! って「ひとよみにっき」でググる方が早いけど。(笑)
ちゅうか、ネットカフェなんざ、年に一度行くかどうかですが。
ということで、基本、当ひとよみにっきの宣伝日記でした。
それはいいけど、やたら同じキーワードで検索が来ることがあって、「なんでかしら?」とか思う事が良くあったのですよ。
で、グーグルから来てる人とか見てみたら、なんと、そのワードでグーグルで一番に表示されてるから、なんて事があったりするわけですよ。
近々では「コップ半分の水」ですね。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200809060642290000/
ちょっと突っ込んで書いたら、意外にも、あんまりこういう事を考えてる人が少なかったという事なのかしらん? わからん。何故に1位?
あと、座頭市DVD版/ラストシーンの裏の裏。(ネタバレ注意)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200404020155510000/
も、アクセスが多くて、なんでやろ? と思ったら、「はてな」で、あの映画のラストシーンの意味がわからんで質問した人がいて、「こういう見方をしてる人もいてるよ」と引用されてたのでした。
えええ! あの意味の取り方って、そんなに濃かった?
うーん。悩む。
私はおおいに悩む。
いやー、そういう意味でなきゃ、「金髪の座頭市」の意味ないやん、って思うねんけど。どうなんざましょ。
それから、いまはもう人気がなくなってしまいましたが、一時期、
かっこいい男の子
http://hitoyomi.diarynote.jp/200402271825060000/
も、アクセスが多くて、これまたグーグルで、この「かっこいい男の子」での検索が1番だったんですよね。
いやー、面白いもんやなぁって思いますです。
まぁ、それなりに読んでおもろい内容だったという事なんですかね? ようわかりませんが。
ちゅうことで、ふと気になったもんで。
ご興味ある方は、読んでみてくださいませ。
あ、そうそう、うちのサブドメインは「ひとよみ」にしました。hitoyomi。
http://hitoyomi.diarynote.jp/
でアクセスできる。
これでネットカフェとかで簡単にアクセスできる! って「ひとよみにっき」でググる方が早いけど。(笑)
ちゅうか、ネットカフェなんざ、年に一度行くかどうかですが。
ということで、基本、当ひとよみにっきの宣伝日記でした。
世界恐慌なんですってば。
2008年9月17日 ■時事なんちゅうか、リーマン・ブラザーズの破たんがあってはじめて、日本のマスコミは、やっと世界経済に注目しだしたって感じですね。
もう、去年の8月のサブプライム問題の時から、世界はズルズルズルズルと、ずーっと恐慌状態へと大突入してたっていうのに、日本のマスコミは、全然そういう事を書かない。
なんなんだ? これは。
9月の1日に福田さんが辞めた時に「いまは世界恐慌で、もっとひどくなるから、福田はやめたんじゃないか?」と書きましたけど、もう見えてた事ですから。世界を見てれば。
でも、日本のマスコミは全然そういう事を書かない。
ある程度、ワールドワイドな仕事をしている会社の人なら、(とくに経営陣でしょうが)そう言うことは見えてたはずなんですが。
なのに、この世界的難局に自民総裁が小池百合子とかありえないでしょう。地方の自民党員にも世界を相手に商売してる人は山ほどいてるんだから、いまの面子なら麻生しかないよ。でも多分勝てないよなぁ、自民党。小沢さんを首相にして、全国民が一致団結するしかないって。現状。そういう事だと思う。
本当は自民党でも民主党でも、さして大きな変革はできないのかも知れないんだけど、それでもまだ、小沢さんの方が世界に対して粘ってくれるからねぇ。「スジ論」の人だから、あの人。スジが通ってるかどうかで粘るから。
でもまぁ、こういう事を書いてるのも、ずっと副島隆彦氏の「学問道場」を覗いてたからなんですよねぇ。
あの人はすごいわ。副島さん。
前にこの「ひとよみにっき」で、副島さんのご著書を紹介した日記を書きました。
●やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる
http://diarynote.jp/d/12917/20040402.html
これが4年前です。
で、この本こそ、まさにアメリカのサブプライムローンの破綻から、アメリカ発の大恐慌が起きると「予言」してた本なんですよ。アメリカの好景気が住宅ローンをきっかけに崩れて、それが発端で世界恐慌になるとはっきり書いてあったんですよ。まぁ「サブプライムローン」とまでは明記されてなかったし、「2年くらいで来る!」と書いておられたのが、もう二年ずれちゃったわけですが。そんな事は些末なことで。
で、この本、他の副島さんの本は、僕はあまり紹介しなかったけど、この本に関してだけは「安心して紹介できます」と太鼓判を押して紹介しました。実にその破綻へのシナリオがストンと胸落ちする内容だったからなんですが。
でも、見てごらんなさい。
もうまったくその通りじゃないですか。
いろんな本を乱読してるとね、本当に正しい事が書いてあるかどうかとか、けっこう読み取れるんですよ。そういう事なんです。だから本は読まないといけない。読んでないと、そういうのがわからないんです。チマチマした話にだまされる。
まぁ、日本の国民は小泉にだまされてしまったクチなので、しょうがねぇなぁとしか言いようがないんですが。
副島さんは、実に恐ろしい人で、アメリカ大統領選挙の予想も、ずっと当て続けてるんですよね。ダテに「アメリカ政治評論が本業」とは言ってないって事です。ブッシュの当選も、再選も、投票が始まる半年から1年前に「ブッシュで決まりだ」とか「ブッシュの再選で決まりだ。他はない。」と断言して、で、その結果が出るまで一切ブレませんでした。すごいね、どうも。
で、さて次の米大統領ですが、副島さんは、2007年の春ごろから、つまり去年の春だよ、今年の春じゃないよ、1年以上前から「オバマだ。こいつで決まりだ。」と断言されていました。
「は?オバマ? 誰それ?」って、私は首をかしげましたがね。
でもまぁ、もうオバマで決まりでしょう。
なんで、そんな事ができんの? って思うけど、副島さん、政治の裏の汚いお手盛りまで含めて読んではりますからな。いろんな状況を見てたら手に取るようにわかるんでしょう。
笑ってしまうのは、「こいつだ。こいつで次の大統領は決まりだ。」と思った理由です。なんと「バカみたいな顔してるから」ですよ。いやほんと。すんません、正確な引用してません。でも、そういう意味の事を言っておられた。で、そういう判断こそが実に優れてると思うのですよね。ようは、裏にいてる、巨大なる「金主」に上手に操られるだけの「中身の無さ」があると、読み切ったわけです。
困った人だ。ちゅうかすごい人だ。
で、副島さんは、もう何年も前からずーっと、「小沢一郎こそが日本国王なのである」と、これまた断言されてきたんですよねぇ。まぁ、その理由までは書かないけど、で、それもまた現実を見れば、さもありなん。この1年くらいは、まるで小沢国王に仕える従者福田という有様であったではないですか。
で、新聞の記事を見てたら、国民新党が民主党と一緒になるらしいのですよ。で、その大前提に、あの「郵政改革の見直し」が条件として入っていて、そこで合意したからというのがあるらしいんですよね。ああ、それはいいなぁって僕は思います。
大恐慌が来るんだよ? 郵貯の巨大資金くらい、外資に渡さずに国民の資産として握りしめておこうよ。これ、かなりの重要案件として検討して良いんじゃないか?リーマンすらぶっつぶれなんだからさぁ。こういう肝心のところで、オバマの金主にアッカンベーしてやろうよって僕は思うのだが、さてどうか?
ちゅうて、こういう物語を、あまり誰もちゃんと理解しようとしてくれないのが困りものなんですよねぇ。みんな国内マスコミしか見聞きしてないから。女性首相が誕生したら、とか、女性大統領が誕生したらとか、そういう「目くらまし」に振り回されてる。そんなん、勘のするどい女性をこそだまくらかそうとする、単なる撒き餌でんがな。食いついたらあきませんって。
はぁ。やれやれ。
しかし、さて、これから世界は、どうなりますことやら。
もう、去年の8月のサブプライム問題の時から、世界はズルズルズルズルと、ずーっと恐慌状態へと大突入してたっていうのに、日本のマスコミは、全然そういう事を書かない。
なんなんだ? これは。
9月の1日に福田さんが辞めた時に「いまは世界恐慌で、もっとひどくなるから、福田はやめたんじゃないか?」と書きましたけど、もう見えてた事ですから。世界を見てれば。
でも、日本のマスコミは全然そういう事を書かない。
ある程度、ワールドワイドな仕事をしている会社の人なら、(とくに経営陣でしょうが)そう言うことは見えてたはずなんですが。
なのに、この世界的難局に自民総裁が小池百合子とかありえないでしょう。地方の自民党員にも世界を相手に商売してる人は山ほどいてるんだから、いまの面子なら麻生しかないよ。でも多分勝てないよなぁ、自民党。小沢さんを首相にして、全国民が一致団結するしかないって。現状。そういう事だと思う。
本当は自民党でも民主党でも、さして大きな変革はできないのかも知れないんだけど、それでもまだ、小沢さんの方が世界に対して粘ってくれるからねぇ。「スジ論」の人だから、あの人。スジが通ってるかどうかで粘るから。
でもまぁ、こういう事を書いてるのも、ずっと副島隆彦氏の「学問道場」を覗いてたからなんですよねぇ。
あの人はすごいわ。副島さん。
前にこの「ひとよみにっき」で、副島さんのご著書を紹介した日記を書きました。
●やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる
http://diarynote.jp/d/12917/20040402.html
これが4年前です。
で、この本こそ、まさにアメリカのサブプライムローンの破綻から、アメリカ発の大恐慌が起きると「予言」してた本なんですよ。アメリカの好景気が住宅ローンをきっかけに崩れて、それが発端で世界恐慌になるとはっきり書いてあったんですよ。まぁ「サブプライムローン」とまでは明記されてなかったし、「2年くらいで来る!」と書いておられたのが、もう二年ずれちゃったわけですが。そんな事は些末なことで。
で、この本、他の副島さんの本は、僕はあまり紹介しなかったけど、この本に関してだけは「安心して紹介できます」と太鼓判を押して紹介しました。実にその破綻へのシナリオがストンと胸落ちする内容だったからなんですが。
でも、見てごらんなさい。
もうまったくその通りじゃないですか。
いろんな本を乱読してるとね、本当に正しい事が書いてあるかどうかとか、けっこう読み取れるんですよ。そういう事なんです。だから本は読まないといけない。読んでないと、そういうのがわからないんです。チマチマした話にだまされる。
まぁ、日本の国民は小泉にだまされてしまったクチなので、しょうがねぇなぁとしか言いようがないんですが。
副島さんは、実に恐ろしい人で、アメリカ大統領選挙の予想も、ずっと当て続けてるんですよね。ダテに「アメリカ政治評論が本業」とは言ってないって事です。ブッシュの当選も、再選も、投票が始まる半年から1年前に「ブッシュで決まりだ」とか「ブッシュの再選で決まりだ。他はない。」と断言して、で、その結果が出るまで一切ブレませんでした。すごいね、どうも。
で、さて次の米大統領ですが、副島さんは、2007年の春ごろから、つまり去年の春だよ、今年の春じゃないよ、1年以上前から「オバマだ。こいつで決まりだ。」と断言されていました。
「は?オバマ? 誰それ?」って、私は首をかしげましたがね。
でもまぁ、もうオバマで決まりでしょう。
なんで、そんな事ができんの? って思うけど、副島さん、政治の裏の汚いお手盛りまで含めて読んではりますからな。いろんな状況を見てたら手に取るようにわかるんでしょう。
笑ってしまうのは、「こいつだ。こいつで次の大統領は決まりだ。」と思った理由です。なんと「バカみたいな顔してるから」ですよ。いやほんと。すんません、正確な引用してません。でも、そういう意味の事を言っておられた。で、そういう判断こそが実に優れてると思うのですよね。ようは、裏にいてる、巨大なる「金主」に上手に操られるだけの「中身の無さ」があると、読み切ったわけです。
困った人だ。ちゅうかすごい人だ。
で、副島さんは、もう何年も前からずーっと、「小沢一郎こそが日本国王なのである」と、これまた断言されてきたんですよねぇ。まぁ、その理由までは書かないけど、で、それもまた現実を見れば、さもありなん。この1年くらいは、まるで小沢国王に仕える従者福田という有様であったではないですか。
で、新聞の記事を見てたら、国民新党が民主党と一緒になるらしいのですよ。で、その大前提に、あの「郵政改革の見直し」が条件として入っていて、そこで合意したからというのがあるらしいんですよね。ああ、それはいいなぁって僕は思います。
大恐慌が来るんだよ? 郵貯の巨大資金くらい、外資に渡さずに国民の資産として握りしめておこうよ。これ、かなりの重要案件として検討して良いんじゃないか?リーマンすらぶっつぶれなんだからさぁ。こういう肝心のところで、オバマの金主にアッカンベーしてやろうよって僕は思うのだが、さてどうか?
ちゅうて、こういう物語を、あまり誰もちゃんと理解しようとしてくれないのが困りものなんですよねぇ。みんな国内マスコミしか見聞きしてないから。女性首相が誕生したら、とか、女性大統領が誕生したらとか、そういう「目くらまし」に振り回されてる。そんなん、勘のするどい女性をこそだまくらかそうとする、単なる撒き餌でんがな。食いついたらあきませんって。
はぁ。やれやれ。
しかし、さて、これから世界は、どうなりますことやら。
都市のクルマは不要品だなぁ。
2008年9月16日 日常 コメント (1)ちょっと、このところ自転車、それもスポーツ自転車っちゅうか、そういうのが欲しくて、自転車関係の本をちょこちょこ読みあさってるんですが、そういう中から分ってきたことは、
都市で車に乗ってる奴はバカだ。
という事でしたねぇ。
う~ん、他に言いようがない。
特に石油の無駄遣いという観点からはどうしようもなくダメダメだねぇ。レジ袋の削減とかエコバッグとか言う前に、「クルマから降りよ、自転車に乗れ」なんだねぇ。
いやほんとに。
これからは
都市部でクルマに乗ることは恥ずかしいこと。
にならざるを得ないんだろうなぁって思います。
なんちゅうかね、都市部ってのは、信号機があるわけですよ。で、これは高速道路みたいに信号なしにするわけにはいかないわけですわね。ということは必然的にストップアンドゴーを繰り返すことになるわけです。なので、都市部でのクルマの速度なんて平均で25㎞くらいなんだってさ。
いや、実は、渋滞がなければもうちょっとは速いんだろうとは思うのですが、渋滞してるから。いろんなところで。そういう事を考えると、まぁ25㎞なんだってさ。
でね、「なんで渋滞してるの?」っちゅうと、これが「クルマが多いから」だもの。原因はクルマ自身なわけですから。そら、まずクルマの数を減らすことが、クルマの性能を活かすためにも必要って事な訳です。
で、しかも、都市部での乗車率っていうのは、平均1.5人なんだってさ。これにバスが入ってるのかどうかは知らないけど、まぁバスは入ってない数字でしょうな。タクシーは入ってると思う。
1.5人だよ? でも、これ、都市部としてはまだ多い方らしい。ドイツかどこかだと1.2人とかね、そんなことらしいです。
まぁなんちゅうか、書類一枚届けるのにクルマに乗ってるアホウばっかりってことですわな。
いやー、まずそれを削減しなけりゃイカンですよ。
約二年ほど前に、大阪の市内の下町も下町っていうような場所に18年ぶりくらいで引っ越したんですがね、路地っちゅうか、通りの雰囲気が、なんかすごく変わってるわけです。家が新築でたくさん建ってるんですな。
それが新築のほとんどが3階建てで、一階が車庫付きなわけですよ。
これがね。
どうも好きじゃない。
見るだけで醜い。醜悪なんだよなぁ、すごく。
何が醜悪かというと、玄関という家の顔がクルマという「機械」に占領されていて、どうにも人の暮らしている、イキイキとした印象が生まれないわけです。なんか狭っくるしい感じがする。「クルマさま」に土地の相当部分を明け渡して、人間さまがその横を申し訳なさそうに入っていくというイメージがすごく強いんですよ。なんかイビツな気がする。
で、クルマがそうやってデカイ面をさらすとね、下町特有の「路地の植木」というのを置く場所が無くなっちゃうんです。だから、昔と比べると、すごく殺風景なんだよなぁ、これが。
あれはイカンって思うんですよ。なんか根本的な事が大きく間違ってるって思う。
たしかに、大型のホームセンターとかが市内に出来ていて、それこそクルマがあれば、かなりの生活雑貨はそこで調達できるし便利は便利だろうって思うんですよ。でも、それって本当に幸せ?なんか違う気がする。
和歌山の田舎へ通うこと2年、暮らすこと半年という期間を経て、田舎の生活にとってクルマがなければどうしようもないっていう事が嫌でもわかったわけなんですが、それって、僕はやっぱり「仕方なく」することだと思うのですよ。本質的には「貧しい暮らし」だと思う。
徒歩と公共交通(電車・地下鉄・路面電車・バス・タクシー)が充実していて、お年寄りから子供まで移動の自由がキチンと担保されているっていうのが、まず「都会の重要要件」だと思うのですよね。そこに「自家用車」っていうチョイスが本当に必要なのか? って事です。
イラん!そんなものは必要ない!
のですよ。
ちゅうのはね、自転車とクルマの投影面積比を考えたら分るんです。自転車って、クルマのなんと7分の一の面積しか必要ないんですよ。知ってました? 奥さん!
で、その面積で1/7という自転車(ただしスポーツ自転車ね。ママチャリじゃダメ。)の平均時速はっていうと、交通法規を遵守して20㎞~25㎞なんだってさ。なんと渋滞を含む、都市部の車の移動速度とほぼ同等なんですな。
しかも! です。
たとえば書類一枚を届けるのなら、クルマだと駐車場確保のために、かなりの時間ロスが生まれるわけですよ。で、都市部の「お客さま用駐車場」の完備されてないビルなんかに出向く時なんてのは、近くのコインパークに止めて、そこからえっちらおっちら歩く! 歩く! 歩く!
でも自転車なら、ビルの前に駐輪して、サッと上に上がっていけばオーケーなんですよね。
(ここで、「それは違法駐輪なんじゃないのか? 景観上問題があるんじゃないか?」とか考えた人は、間違ってないけど、世界の大きな流れには取り残されてる人なので、そのことについては考えるな。無知なまま考えても意味はない。)
だから実は、メッセンジャー(都市部で自転車便をやっているニイチャンたち)は「都市部では自転車が最速っすよ。断言します。」と言うのだそうです。
僕は乗ってないからなんとも言えないんですけどね。でも、事実みたいよ。クルマは現実問題、「遅い乗り物」なんだってさ。
で、もっと恐ろしいことを言うなら、クルマって図体がデカイから、制動距離が長いんですよね。わかりますか?制動距離。 ようするに車間距離のことです。ブレーキを踏んでから止るまでの距離。同じ25㎞で走っていても、クルマだと
余分に空間が必要。
なんですよね。つまり、駐車スペース(自宅;会社)+制動距離 を考えると、都市の「空間コスト」が恐ろしく大きい。って事な訳です。
ようするに、遅いは、空間はムダに食うわで、完全に、
柄がデカイだけのバカ。
なんですよ。
そんなものに乗っていて「ああ、道が混んでるな。」もないものなんですよ。「お前がクルマに乗ってるから道が混むんじゃ、ボケ! 用もないのに乗るな!マヌケ。さっさとクルマから降りろ!」ちゅうことですわ。
で、ガソリンは燃やし倒し。で、その実、自転車より低機能。遅い。
だから、どう考えても、都市部でのクルマ利用(自家用車)っていうのは、ムダの極みなんですよ。
もちろん、お年寄りのドアトウドアの移動(介護とかね)とかにはクルマが最適なので、そういう部分にはクルマを利用すればいいんですけどね。でも、そういう「必要なところにクルマを使う」にしても、いまの個人所有の自家用車の多さではクルマのメリット自体が生きてこない。
ようはクルマが増えすぎってことなんですよね。
ちゅうことで、今後10年か20年かはわかりませんが、おそらく少なくとも都市部の道路の2車線中1車線は「自転車専用レーン」になっていくだろうと思われます。
なんかとんでもない夢想社会のように聞こえるかもしれないんですが、この2週間くらい、いろいろ読んでいくと、最終的にそういう結論にしかならないのよなぁ。ほんまに。
どう考えても、
個人所有の車が多すぎる。
というところにしか、原因を見つけられないんだもの。いまの状況が異常なんですよ。
実は、すでに道路交通法が昨年の6月から一部変わりまして、「自転車の車道走行の原則」が徹底されはじめております。
都市交通っていうのを考えれば、そうならざるを得ないのですよ。
考えてもみてくださいまし。誰かがクルマから降りて自転車に乗る。たったそれだけの事で、道路の利用可能空間が7倍広がるって事なんですから。自家用車に勝ち目はまったくなしなんです。ちゅうか、クルマの本来の性能を出すためにも、書類一枚のためにクルマに乗ってる人間はクルマから降りなきゃダメって事ですな。
それに加えて、環境、メタボ、高齢化、などなどの問題を総合的に見ていくと、そこにしか道がないって事になるのですなぁ。
いやホンマに。
他に選択肢、ないもん。
このままクルマが増えても、メリットまったくなしなんよなぁ。ほんとに。
自家用車をお持ちの方。ちょっと真剣にお悩みくだされ。
都市で車に乗ってる奴はバカだ。
という事でしたねぇ。
う~ん、他に言いようがない。
特に石油の無駄遣いという観点からはどうしようもなくダメダメだねぇ。レジ袋の削減とかエコバッグとか言う前に、「クルマから降りよ、自転車に乗れ」なんだねぇ。
いやほんとに。
これからは
都市部でクルマに乗ることは恥ずかしいこと。
にならざるを得ないんだろうなぁって思います。
なんちゅうかね、都市部ってのは、信号機があるわけですよ。で、これは高速道路みたいに信号なしにするわけにはいかないわけですわね。ということは必然的にストップアンドゴーを繰り返すことになるわけです。なので、都市部でのクルマの速度なんて平均で25㎞くらいなんだってさ。
いや、実は、渋滞がなければもうちょっとは速いんだろうとは思うのですが、渋滞してるから。いろんなところで。そういう事を考えると、まぁ25㎞なんだってさ。
でね、「なんで渋滞してるの?」っちゅうと、これが「クルマが多いから」だもの。原因はクルマ自身なわけですから。そら、まずクルマの数を減らすことが、クルマの性能を活かすためにも必要って事な訳です。
で、しかも、都市部での乗車率っていうのは、平均1.5人なんだってさ。これにバスが入ってるのかどうかは知らないけど、まぁバスは入ってない数字でしょうな。タクシーは入ってると思う。
1.5人だよ? でも、これ、都市部としてはまだ多い方らしい。ドイツかどこかだと1.2人とかね、そんなことらしいです。
まぁなんちゅうか、書類一枚届けるのにクルマに乗ってるアホウばっかりってことですわな。
いやー、まずそれを削減しなけりゃイカンですよ。
約二年ほど前に、大阪の市内の下町も下町っていうような場所に18年ぶりくらいで引っ越したんですがね、路地っちゅうか、通りの雰囲気が、なんかすごく変わってるわけです。家が新築でたくさん建ってるんですな。
それが新築のほとんどが3階建てで、一階が車庫付きなわけですよ。
これがね。
どうも好きじゃない。
見るだけで醜い。醜悪なんだよなぁ、すごく。
何が醜悪かというと、玄関という家の顔がクルマという「機械」に占領されていて、どうにも人の暮らしている、イキイキとした印象が生まれないわけです。なんか狭っくるしい感じがする。「クルマさま」に土地の相当部分を明け渡して、人間さまがその横を申し訳なさそうに入っていくというイメージがすごく強いんですよ。なんかイビツな気がする。
で、クルマがそうやってデカイ面をさらすとね、下町特有の「路地の植木」というのを置く場所が無くなっちゃうんです。だから、昔と比べると、すごく殺風景なんだよなぁ、これが。
あれはイカンって思うんですよ。なんか根本的な事が大きく間違ってるって思う。
たしかに、大型のホームセンターとかが市内に出来ていて、それこそクルマがあれば、かなりの生活雑貨はそこで調達できるし便利は便利だろうって思うんですよ。でも、それって本当に幸せ?なんか違う気がする。
和歌山の田舎へ通うこと2年、暮らすこと半年という期間を経て、田舎の生活にとってクルマがなければどうしようもないっていう事が嫌でもわかったわけなんですが、それって、僕はやっぱり「仕方なく」することだと思うのですよ。本質的には「貧しい暮らし」だと思う。
徒歩と公共交通(電車・地下鉄・路面電車・バス・タクシー)が充実していて、お年寄りから子供まで移動の自由がキチンと担保されているっていうのが、まず「都会の重要要件」だと思うのですよね。そこに「自家用車」っていうチョイスが本当に必要なのか? って事です。
イラん!そんなものは必要ない!
のですよ。
ちゅうのはね、自転車とクルマの投影面積比を考えたら分るんです。自転車って、クルマのなんと7分の一の面積しか必要ないんですよ。知ってました? 奥さん!
で、その面積で1/7という自転車(ただしスポーツ自転車ね。ママチャリじゃダメ。)の平均時速はっていうと、交通法規を遵守して20㎞~25㎞なんだってさ。なんと渋滞を含む、都市部の車の移動速度とほぼ同等なんですな。
しかも! です。
たとえば書類一枚を届けるのなら、クルマだと駐車場確保のために、かなりの時間ロスが生まれるわけですよ。で、都市部の「お客さま用駐車場」の完備されてないビルなんかに出向く時なんてのは、近くのコインパークに止めて、そこからえっちらおっちら歩く! 歩く! 歩く!
でも自転車なら、ビルの前に駐輪して、サッと上に上がっていけばオーケーなんですよね。
(ここで、「それは違法駐輪なんじゃないのか? 景観上問題があるんじゃないか?」とか考えた人は、間違ってないけど、世界の大きな流れには取り残されてる人なので、そのことについては考えるな。無知なまま考えても意味はない。)
だから実は、メッセンジャー(都市部で自転車便をやっているニイチャンたち)は「都市部では自転車が最速っすよ。断言します。」と言うのだそうです。
僕は乗ってないからなんとも言えないんですけどね。でも、事実みたいよ。クルマは現実問題、「遅い乗り物」なんだってさ。
で、もっと恐ろしいことを言うなら、クルマって図体がデカイから、制動距離が長いんですよね。わかりますか?制動距離。 ようするに車間距離のことです。ブレーキを踏んでから止るまでの距離。同じ25㎞で走っていても、クルマだと
余分に空間が必要。
なんですよね。つまり、駐車スペース(自宅;会社)+制動距離 を考えると、都市の「空間コスト」が恐ろしく大きい。って事な訳です。
ようするに、遅いは、空間はムダに食うわで、完全に、
柄がデカイだけのバカ。
なんですよ。
そんなものに乗っていて「ああ、道が混んでるな。」もないものなんですよ。「お前がクルマに乗ってるから道が混むんじゃ、ボケ! 用もないのに乗るな!マヌケ。さっさとクルマから降りろ!」ちゅうことですわ。
で、ガソリンは燃やし倒し。で、その実、自転車より低機能。遅い。
だから、どう考えても、都市部でのクルマ利用(自家用車)っていうのは、ムダの極みなんですよ。
もちろん、お年寄りのドアトウドアの移動(介護とかね)とかにはクルマが最適なので、そういう部分にはクルマを利用すればいいんですけどね。でも、そういう「必要なところにクルマを使う」にしても、いまの個人所有の自家用車の多さではクルマのメリット自体が生きてこない。
ようはクルマが増えすぎってことなんですよね。
ちゅうことで、今後10年か20年かはわかりませんが、おそらく少なくとも都市部の道路の2車線中1車線は「自転車専用レーン」になっていくだろうと思われます。
なんかとんでもない夢想社会のように聞こえるかもしれないんですが、この2週間くらい、いろいろ読んでいくと、最終的にそういう結論にしかならないのよなぁ。ほんまに。
どう考えても、
個人所有の車が多すぎる。
というところにしか、原因を見つけられないんだもの。いまの状況が異常なんですよ。
実は、すでに道路交通法が昨年の6月から一部変わりまして、「自転車の車道走行の原則」が徹底されはじめております。
都市交通っていうのを考えれば、そうならざるを得ないのですよ。
考えてもみてくださいまし。誰かがクルマから降りて自転車に乗る。たったそれだけの事で、道路の利用可能空間が7倍広がるって事なんですから。自家用車に勝ち目はまったくなしなんです。ちゅうか、クルマの本来の性能を出すためにも、書類一枚のためにクルマに乗ってる人間はクルマから降りなきゃダメって事ですな。
それに加えて、環境、メタボ、高齢化、などなどの問題を総合的に見ていくと、そこにしか道がないって事になるのですなぁ。
いやホンマに。
他に選択肢、ないもん。
このままクルマが増えても、メリットまったくなしなんよなぁ。ほんとに。
自家用車をお持ちの方。ちょっと真剣にお悩みくだされ。