iPhone生活一週間。

2010年3月29日
iPhone生活一週間。
使っていた携帯が、実は3Gですらない2Gという古い仕様だったおかげで、この3月末でサービス自体が終わる(電波が止って、携帯自体が使えなくなる。)ということで、携帯を買い換えるしかなく、どうせ買い換えるならと、思い切ってiPhone導入に踏み切ったのであります。

で、そのiPhoneを手に入れて1週間。
いやー、これはなかなか良いです。すごく気に入ってしまっております。

というのは、前に使っていたSONYのpalm機、CLIE PEG-TH55 と、仕様的に通じるところがたくさんあるから、という気もしておるのであります。(写真を参照ください。左がTH55、右がiPhoneです。似てるでしょ?)

実は、まず液晶の画面解像度が同じ。480x320なんですね。5年以上も昔の「電子手帳」と解像度が同じとはどういう事だ!と思ってたんですが、TH55でも480x320でかなり便利だった記憶があるので、まぁ良いかと思うのであります。

というか、iPhoneの場合は人差し指と親指で画面を拡大縮小できるピンチイン/アウトという操作が加わったおかげで、画面解像度以上の便利さがあるのですねぇ。インターネットのブラウズも、実に快適です。

この画面解像度の例が代表例なんですけど、とにかく、palm機でいろいろやっていたノウハウとか文化、快適だったことが、全部蘇って、そのまま生きてる感じがあって、palmファンだった僕としては実に楽しい。

たとえば、iTunesというパソコンとの同期ソフトで各種のオリジナルソフトのインストールをする、という仕様なんかも、まさにpalmと同じ。まぁ、palmの時代と違ってネット機能が標準でついてますから、いきなりAppStore経由で、iPhone本体でソフトが入手できるという点はまったく違いますけども。

その他、デジカメをスケジューラーとともに持ち歩くような感覚とか、mp3プレーヤーも一体化してる便利さとか、なんだかんだがすごく似ていて、そのくせ、当然の事ながら、すべてにおいてTH55より、うんと便利になっているというのがとんでもなく素晴らしい。

TH55の時より、ちょっと不便だなぁと思うのは、

●外部メモリ(SDメモリ等)のスロットがない
●graffity等の文字入力の仕組みがちょっと弱い(フリック入力も悪くはないのだけれど。)
●外付けのキーボードがない

という点くらい。(と言いつつ、外付けキーボードがないのは僕的にはかなり辛い。)
でもまぁ、palmではないのだし、もともと「palm」を期待していたわけでもなくて、あくまで「携帯電話」としての入手だったので、抵抗は少ないのであります。(まぁ、ちょっと気に入らないけど。)

そんな事より「ああ、久しぶりにpalmをいじるような楽しみが戻ってきた!」という、期待していなかった楽しみが増えて、逆に拾い物感覚の方が大きいのであります。
いやまぁ、「電子手帳」的な出来としてはpalmとあんまり変わらない気はするんですがね。

ともあれ、大いに気に入っておるのであります。
いや、なかなか楽しい。

今日、twitterを見ていると、フリージャーナリストの上杉隆さんが、「田原総一朗さんがtwitterをはじめた」とコメント。急いでフォローする。

田原さんっていうのは、これがなかなかに食えない人なんだなぁ。
なんちゅうか、コウモリ人間というか、権力者の側と大衆の側を実に尻尾をつかませずに上手に泳ぐ。

だいたい、田中角栄が「アメリカの陰謀で失脚させられたのだ」という論調は、考えたら田原総一朗さんの「アメリカの虎の尾を踏んだ男達」だっけ?そういう小論から出てきたものだし。

なんでそういうことを知ってるの? あるいは書くの?ってことです。基本的には大衆の味方なんでしょうね。テレビで、官僚主導の「大本営発表」のお先棒担ぎを率先してやってるのは、あくまで「食い扶持稼ぎ」って事なんですかね。よーわからん人だわ。

なんだかんだ言っても、あの検察にはめられた鈴木宗男だって、田原さんには一目置いてたりはするんよなぁ。大枠では官僚やテレビ局の言いなりになるけど、ところどころで大事な情報をちょろりちょろりと出してくれる「内通者」にもなってくれてるという感じがする。

そういう意味で田原さんがtwitterを始めたのは、けっこう面白いですな。いきなり「生方を切った民主党は中央集権的だ!」とか、官僚の代弁発言やってますが。(笑) どこまで本気かわからん人やからなぁ。ああ、ややっこしい。

ともあれ、このふた月くらい、twitterでフリージャーナリストの方々を追いかけていると、テレビや新聞の論調とはまったく異なる、新しい、これからの日本の未来が見える、という感じがします。

郵政選挙の時は、ネットの力も大した事なくて、キチンとした論議が起こらなかったわけですが、それから数年を経て、アルファブロガーと呼ばれる筆力のある個人の書き手が出てきて、ある一定のオピニオングループを生み出したと思うのですよ。

そして、2010年、今年に入って、twitterとustreamという、個人で発信できる「メディア」によって新聞・マスメディアだけでない新たなジャーナリズムが、急速に、ものすごい勢いで勢力を持ち始めた、ということなんだと思います。

実際、このふた月くらいのマスコミの小沢攻撃に対するtwitter上でのフリージャーナリストの方々の取材やら情報提供やらは、小沢批判一色だったマスコミのていたらくとは全然違って、量も質も、ものすごいものだと思いました。本当にすごかった。

知らなかったことをたくさん、たくさん学んだ、という感じでした。

たとえば東京地検特捜部が、小沢を逮捕する!とか言っても、もともと、東京地検特捜部という部署自体が、戦後のGHQの肝いりで、旧軍需物資の隠匿を取り締まる「隠退蔵事件捜査部」として発足したという部署で、本来、そんな部署、いまだに残しておく必要があるか? という部署なのだという話。

なんで、そういう部署が「正義の味方」面して大手を振っているのか?ということですわね。

しかも、出自が、もともとアメリカとのつながりの強い部署である上に、歴代の責任者が必ずアメリカへ長期に渡る出向をしている。大使館とかね。やたらとアメリカとのつながりの大きな部署なわけですよ。なんじゃこりゃ?ですわ。

で、この特捜が流す「リーク」が欲しいものだから、記者クラブの連中は、ひたすら特捜の言いなりになって、誰が言ったかわからないような、あやふやな情報をテレビ・新聞で垂れ流すという始末。誤報とか平気で垂れ流してたわけです。

で、こういうアホな状況が、それこそ、逐一、twitterやらustreamやらで、バンバン紹介される。また、それを知ったフォロワーたちも「これはひどい!」「どうなってるんだマスコミは!」と批判の嵐ですわな。

こんなもん、もう、止めようがないですよ。

いままで必死になってマスコミの側が隠してたような事柄も、どんどん白日の下にさらされていくでしょう。

twitterを読んでて、「へぇ、そうだったの?それはひどいねぇ。」と思ったのは、小沢さんが特捜に事情聴取された日の小沢さんの記者会見。

ネットではustreamで会見の模様が全部生中継されたわけですけど、テレビでは会見がはじまった途端に、中継は中断。スタジオにカメラは戻ってしまって、ひたすら「政治とカネ」の問題をえんえん批判する内容を流し、小沢さんの説明をほとんど流さなかったらしいのですな。で、その後、テレビのコメンテーターが言った一言が「小沢さんは説明不足」だそうです。
どういうことやねん!(笑)
ギャグか。

なんかこれ「ミヤネ屋」での話らしいですけど。まーひどいですわな。国民の知る権利を圧殺しておいて、「小沢さんは説明不足」はなかろう。

結局問題は、政治家の会見という「一次情報」を独占している「記者クラブ」が問題なわけです。どんな情報をメディアに流して、どんな情報を流さないでおくかは、それこそ「記者クラブ」に参加している大手マスコミの上層部のさじ加減ひとつなわけですよ。

しかし、民主党政権に変わって、そこいらも多少は変化がありまして、まずフリージャーナリストの人たちが「我々も国民の知る権利のために会見参加したい」と申し入れたわけですが(というか、これは何年も前から申し入れしてたけど、聞き入れられなかったわけです。情報独り占めの優先権を絶対手放したくなかったわけですよ。マスコミが。)、

「だめ」

と断られたわけです。

記者クラブがフリーを排除した。

しかし民主党は事業仕分けでもそうですが、報道のオープンを売り物にしてるわけなので、twitterなどから「それはおかしい」等の声も高まり、たとえば岡田外務大臣、亀井金融大臣、枝野行政改革担当相とかは、記者クラブ会見とは別に、政府主催でオープンは記者会見を開きだしたわけです。
(ちなみに小沢一郎さんは、昔から記者クラブ制に反対してオープンな記者会見をされてるそうです。)

亀井さんの会見なんて、すごく面白くて、ITメディアとかJCASTニュースとかのネット系の記者を呼んで会見して「ITメディアって何ですか?」とか聞いてきたりしてる。存在自体を知らないわけですよ。実に面白い。

で、そういう独自会見でフリージャーナリストの方々が、それこそマスコミの一方的な報道とは全然切り口の違う取材をどんどん独自にやっている。
これが面白くないわけがないのですな。

そんなね、記者クラブの記者達の、妙なバイアスのかかった情報より、iPhone の動画撮影機能で、リアルタイムに紹介される小沢さんの記者会見の方が、よっぽど面白いって。当然ですやん。
このまま記者クラブ制の殻の中に閉じこもってたら、マスコミが国民からそっぽを向かれるのは、至極当然な話。もう、先は見えております。

具体的に、僕の知る限りそういう、新しい時代のジャーナリズムを、twitterを通じて双方向でやりとりしながら組み上げようとしている方々は、以下の方々。

●上杉隆
http://twitter.com/uesugitakashi
●岩上安身
http://twitter.com/iwakamiyasumi
●畠山理仁
http://twitter.com/hatakezo
●津田大介
http://twitter.com/tsuda

他にも、優れた方はたくさんいらっしゃいますけど、とりあえず僕が注目していて、ちょっとお勧めしたいのは、この4人の方々でしょうか。

で、それぞれにフォロワー数も半端じゃなくて、上杉さんで5万人近いフォロワー数。岩上さんで1万5千。
しかも、このフォロワーの人たちが「このツイートは重要!」と思ったら、リツイートと言って、この人達の意見を自分のフォロワーたちに流すわけですよ。

通常、twitterは「100人以上フォローしてからが面白い」と言われてますから、1万人のフォロワーのうちのほとんどは、これまた100人以上のフォロワーがいてるわけです。だから、本当に重要だ、と感じられたツイートは、1万人×100人で、100万人に伝わるってこともザラってことです。影響力が半端ではない。

だから、もうマスメディアは死に体だって言うのですよ。アホな閉鎖環境のままでいてたら、多分自分の首を絞める事にしかならない。

で、上記の上杉隆さんは、この中でも、その「記者クラブ制」の問題点を徹底的に追求してる方ですね。いまやもうスーパースターに近いです。

でも、岩上安身さんも、すごく精力的に取材活動をしてくださってるし、何より熱血漢であり、誠実さが伝わってきます。確か僕と同い年くらいの方なんですよね、岩上さんは。心情的にもすごく親近感を感じます。

人間、まず、「誠実であること」が大事なんですよね。文章を書く、ということは、自分の誠実さを相手に伝えるためにすることだ、という定義があって、それはとても正しいと思うのです。
不誠実なのは、とにかくダメです。

他の方もそれぞれにしっかり活動されてます。

でまぁ、こういう粒ぞろいのジャーナリストの方々が、八面六臂の活躍をされている状況の中に、田原さんのような「食わせ者」までが、twitter界に乗り込んできた、というわけで、これが面白くないわけがない。タイムラインをただ眺めてるだけでも、とんでもなく面白いわけです。新聞やテレビとは、まったく違う論調がガンガンに流れるんですから。

田原さんのツイートはこちら。

●田原総一朗
http://twitter.com/namatahara

いろんな人が、いろいろに意見を言う環境。
あー、いい時代になったなぁ。良かったなぁ。と、本当に心底思いますわ。


食べ物と心の状態。
少し前から、心とか気分、というものと、食べ物との間の関係がとても気になっております。

どうも、食べ物のチョイスひとつで、やる気や集中力、あるいは発想から生き方にいたるまで、かなり大きな影響があるように思われるのですね。

ところがこれが、自分で意識するのが、なかなかに難しい項目のひとつであるように思われます。

発想が後ろ向きになっていたりというような事は、自分でも注意してコントロールできるから、まだましなのですが、集中力とか、判断スピードというような事は、自覚症状は無いわけです。
同じ作業をするのに、15分しかかかっていない時と、30分以上かかっている場合があっても、主観的には「同じ程度難しかった」という意識だけだったりするとか、そういう事なんですね。

で、そういう要素は、どうもやはり、食べ物と密接に関係しているらしいという気がしてきてるのです。

たとえば、食と心の問題で言うと、食育の話があるのです。

学校給食が栄養素の偏った、ジャンクフードのようなものばかりだったイギリスの小学校では、給食を充実させることで、子供達の集中力や知能に、少なからざる影響があったらしいんですね。

また、菓子パンなど、あまりに小麦粉や砂糖の多い食品ばかりを食べていると、うつ病になりやすいという話もあります。

いや、実は自分の母親が更年期うつ病をやっているので、それをふと思い出すと、ウツが発症する前の数年間、いろいろな条件が重なって、やたらと菓子パンを多く食べていたなぁというのを思いだしていたりもするわけです。

で、どうも、いろいろ自分の体で人体実験(笑)をしてみた限りにおいては、どうもやはり白砂糖だけは、いろんな意味でよろしくないんですな。
まず何より、かなり強い中毒性があるように思うのです。

疲れている時とか、かなり仕事で頭を使った後など、やたらと甘いものが欲しくなるときがありまして、そういう時に甘いものを食べてしまうと、数日の間、ついつい繰り返し甘いものを続けて買ってしまったりしてしまうんですね。

これはやはり、どうにもよろしくない。

だいたい、糖分というのは、血糖値を急激に上げてしまいますから、そのことで気分も急速に良くなるんですね。しかし、この「急速」というのが良くないわけです。

物事には順序というのがあって、しかるべき適切なスピードで対処しないと、精神的に無理がかかりやすいし、急激に血糖値が上がった後は、これまた急激に気分が下がるという不安定さが裏腹にくっついて来てしまいますから、そのあたりがおそらくは問題なのだろうと思われるのであります。

ということで、最近は、血糖値を安定させつつ、集中力や免疫力も高まるようにと、やたらと野菜、フルーツ、魚を多く取るように意識してまして、あげく、なんとも自炊率がえらく高まってしまっております。

アップした写真は、最近よく作ってるメニューのうち、
●ツナとキュウリのマヨネーズ和え
●ニンジンとオレンジのマリネ
●トマトとタマネギのみじんぎりで作る蒸しトマト
であります。

この他、
●ほうれん草のおひたし
●キャベツの甘酢漬け

とかも、けっこうしょっちゅう作っておりまして、上記メニューのうちどれかが、いつも冷蔵庫にストックされてる感じなのであります。外食も最近は、焼きサバ定食だとか、回転寿司とか外食もどんどん魚メニューを増やしておるのであります。

で、どうもこういうことをやっていると、これがやはりかなり良いように思われるのですね。
なんというか、少なくとも、精神的に落ち込むことが、かなり減ってきたように思われます。

まだ、いろいろ「人体実験」の途中なので、なんとも言えないところも多いのですが、やはり「気分」というものと「食べ物」というものの間には、抜き差しならない関係性があるように思えます。

しかも、どうも、かなり「即効性」のある事柄であるように思われるんですよね。1時間や2時間では効果は見えてこないのですが、1~2日あれば、多少なりとも効果が出てくる、というような感じでしょうか。

第二次世界大戦の時、飛行機から自動小銃を撃つような飛行機乗り達は、出陣の前の夜に、目が良くなるというブルーベリーを山のように食べたらしいのですが、それで実際に効果があったらしいんですよね。ようするに食べ物の中に入っている栄養素が、体の機能に影響するまでに、まぁ1日くらいあればOKだ、という話のようなのです。

考えてみれば、風邪を引いたときに薬を飲むのも、いま流行のサプリメントを口にするのも、とどのつまりは「食べ物から栄養をもらう」という事と一直線につながってるわけです。
だから、日々、「食べ物」を薬と同じようなものと認識しつつ、「医食同源」で生活するのが、やっぱり賢いという話にどうしてもなっちゃうんですな。

朝起きたら、バナナ、リンゴ、ミカンなどのフルーツを取るとか。油を使うならオリーブオイルにするとか。魚をガスグリルで焼くとか。ジャガイモをレンジでチンして簡単なポテトサラダを作るとか。どうも最近はそういう事ばかりやってますなぁ。台所に立つとか果物ナイフを使うとかは、いままでは、は面倒で仕方なかったんですが、どういうわけか面倒と思わなくなってきた。なんちゅうか、その方が気分が前向きになるという感じがあるからだと思うのですな。

食と心に関しては、いままでに読んだ本で参考になったものを、いろいろ紹介しようと思ったんですが、なんか面倒くさくなっちゃって。とりあえず、概略、こんな感じです、ということを書きたかったので、まずはざっくりと全体像的な話を書いてみました。

ま、健康が一番だ、っちゅう話ですな。
いや、ほんまのところが。

副島隆彦さんの「世界権力者人物図鑑」は、超弩級にすごい「政治の怪獣図鑑」だ。
副島隆彦さんの「世界権力者人物図鑑」は、超弩級にすごい「政治の怪獣図鑑」だ。
副島隆彦さんの「世界権力者人物図鑑」は、超弩級にすごい「政治の怪獣図鑑」だ。
すごい本が出た。
この本はすごい。

世界権力者 人物図鑑
By 副島 隆彦
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4537257431

著者は件の副島隆彦さん。

長らく氏の著作は紹介してなかったのですが、(というか、読んでなかった。)今回の、この著作に関しては、もうとにかく大絶賛で超強烈にお勧めです。従来の副島さんの著作も良かったけれど、それらとはレベルが違う。これはすごい。

なんちゅうか、明治の時の福沢諭吉の「西洋事情」「学問のススメ」に匹敵するんじゃないか? と感じました。
いや、幕末の、漂巽紀畧(ひょうせんきりゃく:ジョン万次郎のアメリカ生活の談話に絵をつけたもの)なみか。それに匹敵するくらい重要な本なんじゃないか? と思ったわけです。
(漂巽紀畧は、いま人気の「龍馬伝」で、リリー・フランキーが演じた河田小龍が描いてたアレです。)

まぁ、そう感じるくらいにびっくらこいた、すごい本なわけです。

とは言いつつ、内容はの方はというと、超カンタン、かつ単純。
というか、そういうわかりやすいシンプルさこそが、この本(というよりグラビア雑誌か?)の凄さの源泉なんですね。

いま地球上に生きている(一部故人有り)、世界政治を牛耳る権力者たちを、オールカラー・130頁で、76人、顔写真をドッカン、ずら~りと並べ、簡単に一言で解説してるだけなんです。
でも、それが見事に「世界」の一覧になってるわけです。これは本当にすごい。知的分野で、この「人物図鑑」という発想はなかった。そこがすごいのです。

しかも、その紹介写真にしても1頁まるまる全面写真だけ、なんてのが普通なんです。
まるでスポーツ新聞なみのレイアウト。

その重要人物たちの特異なキャラクター・悪人度までもがいやでもドーンと伝わってくる。フルカラー・ビジュアルのド迫力です。百聞は一見にしかずとはこのことかと、納得せざるを得ない内容。

それに加えて、その写真につけられた見出しが秀逸! 一言でその人物を言い表してます。

例を上げると、

●ディビッド・ロックフェラー→「この男が死ぬまで”世界皇帝”」
●ヒラリー・クリントン→「ちゃっかり国務長官になった”性悪女”」
●アル・ゴア→「本当は寒冷化している世界」

てな感じで、本当に「世界」を動かしている76人の人物の、「キンタマ」を握った一言(ヒラリーにキンタマはないけど:笑)になっておるのです。

また紹介内容も多岐にわたっていて、あのブッシュ大統領とコンドリー・ライスとの愛人関係を語る内容があったり、あるいはオバマ婦人であるミシェルとヒラリー・クリントンの女同士の権力戦いがあったりと、それこそテレビドラマの「渡る世間は鬼ばかり」なみの女同士の丁々発止のドラマまで盛り込まれておりまして、実に見事。

そこいらのおばちゃんでも楽しめる内容になっている、ということがすごい。

つまり、一般人誰もが、楽しみながら、世界の実態を一発で、情感込めて、短時間に学べ、しかも印象が強烈であるがゆえに、読んだ後でも「世界の構造」「地球の仕組み」を忘れず頭に叩き込んでおける、というものすごい本です。ものすごいインパクトです。

実際、その印象の強さたるや、本当に強烈です。

たとえば、「ジャパン・ハンドラー(日本操り班)」と呼ばれる、アメリカから日本に直接乗り込んできて、権謀術数を使って現政権に横やりやら、操りを仕掛けてきている人物たちには、

●ジェラルド・カーティス Gerald Curtis ←もう帰れ
●ロバート・フェルドマン Robert Feldman ←気持ちが悪い

と、クソミソ(笑)。でも、だからこそ「世界の構造」という大きな仕掛けが一発でわかるわけです。

もちろん、


「いやいや、そこまで単純化したらアカンやろ」


とも思うのですが、でもしかし、そうやって単純化してあると、ものすご~く理解がしやすい。それはそれはもう、子供の頃に夢中になって読んだ、ウルトラマンなどのスーパーヒーロー物の「怪獣図鑑」そのものなんですよね。「こいつはワル者や、こいつはエエモン(良い者)やねんで。」と絵本を見るように楽しめる。

こうして楽しめる読み物・絵物語になっていると、まぁ、買って隅から隅まで読んでも2時間かからない。だと言うのに、「この世界の構造」がストンと全部把握できてしまう。そういうことなんです。


重要なことは、この本には、いま日本が置かれている状況の、「マスメディア」には出てこない、「もうひとつ上の外側」がシンプルに描かれている、ということです。

テレビで見るオバマも、ヒラリー・クリントンも、ようは「部課長クラス」で、その上の上長がいてる。また、小沢さんや検察にも、それぞれ世界レベルの「上」がいて、そうやってこの地球は動いてる。

それは、良い悪いではなくて、単なる事実としてそこに厳然としてあるんですね。別に隠されているわけでもなんでもない。ちゃんとした政治知識や組織文化の色分けがわかっていて、海外メディアをしっかり読み込んでおけば、概略見えてくることなんです。

でも、我々日本人は、その基礎的知識がないから、とっかかりもなく、「日本の外側に存在している力」を把握する術すらがないわけです。

海外に住んだ事のある人なら誰もが言うのが、日本のテレビ・新聞の海外ニュースの少なさです。国内ニュースが最優先で、海外情報が全然紹介されない。紹介されないから、よけいにわからなくなる。そういう流れなんです。

日本以外の国々では、ニュースの時間は、まず海外のニュースから始まるそうです。まず全体把握があってから、「部分」である国内ニュースに入る。考えてみれば、それが当然なんですよね。

だから、我々日本人には、まずとにかくとっかかり、手がかりとして「世界のミニチュア」みたいなもの、ドラクエのワールドマップにあたるものが、まず必要だ、ということなんです。
そして、その「地球のミニチュア」として提示されたのが、この「世界権力者 人物図鑑」なのだ、ということです。

しっかり理解して欲しいのは、この「人物図鑑」のように、地球を手のひらの飴玉のように見る視点こそが、我々日本人には、まず真っ先に必要なんだ、ということなんですよ。

日本の中からマスコミを通じて、井戸の底から上を見上げるような、空の一部しか見せられない情報環境では、何もわからないし、わかるわけがないんです。

著者の副島隆彦さんは、もう10年以上も前から、ずーっと、「世界7、国内3」という「七三の構え」という考え方を提唱されています。

世界のどこの国であろうと、いくら自国の良さや、自分の国独自の文化を大事にしたいと思っていても、自分たちの都合を優先できるのはせいぜい3割だ、7割はどうせイヤイヤでも世界に合わさざるを得ないのだ、という割り切りの基準値、判断基準が「七三の構え」なんですね。

僕は、この「七三の構え」という考え方に強く賛同しているわけです。チリの地震が日本の津波になるように、地球は小さな手のひらの上のアメ玉であって、相互に関連し合いながら影響されながら動いていくしかないわけです。だから、いくら「海外3の国内7がいいなぁ」と思っていても、結局は「海外7の国内が3」にならざるを得ない。

そして、残せる「自分たちの文化」が3割しかないのであれば、それこそ真剣、慎重に、その良い部分を特定して、磨いていかなければいけない。そういうことなんですね。
で、その3割を残す厳しい目も、「どうせ世界が7割なのだ」というシビアな見方なくして育つわけがないのです。

そうでなくても、世の中には、「世界9の国内1がいい!」というようなグローバリズム(世界一国支配主義)かぶれとか、逆に「世界の事は1、2で良い。国内8~9が一番だ」というような歪んだ愛国主義とかがあふれてるわけです。

でも、そういう比率の歪んだ考えは、どうせうまく行かない。現実的に「73」くらいでしか、やっていけないんだから。現実問題、世界はつながってるんだから。だから「七三の構え」を取ってない考え方は、どうせ失敗するんです。

どうして、その比率を間違えてしまう失敗をするのかと言えば、ようするにこの「手のひらの地球」という視点、「世界構造の理解」という視点が欠けているからなわけです。
この「世界権力者人物図鑑」という本は、その最重要の「構造」を、どんな人でも、ほんとうにたった1~2時間で学習できてしまうという、とんでもない本なわけです。

まず、この基礎知識なしに、本当に大事な「自分たちの大切にしている3割」を守ることはできないんです。

小泉政権というのは、まさにこの知識が我々日本人に欠けていたが故に、「世界9国内1」にまで構造を叩きつぶされてきた時代だったとはっきりしてます。

この構造把握なくして、自国の良さを徹底して守る、「排外主義」やら「自国中心主義のセンチメント」が「何故起きるか」なんか絶対にわかるわけがない。

まず何より先に「世界の構造」を知ることが先決なのです。

世界の構造を知らずに自国中心主義を唱えるから、平気で「世界1の国内9」という非現実的な右翼意見に与してしまうわけです。その逆も又しかり。世界の構造を知らないから、グローバリストたちにいいように乗せられて、「海外9の国内1」とかになってしまう。どっちもダメ。どっちもバカ。パーそのものです。

まず世界構造を把握する。それはつまりは、気持ちよい生活をするためには、まず部屋の広さを把握して、そこから「泣く泣く」捨てるものを決めていくしかない、という事と通じる、絶対的な「手順」なんです。

その「部屋の広さ」を一発で理解できるのが、この「世界権力者 人物図鑑」というわけです。だからすごいのです。

副島隆彦さんは、もう、前々から「私の主著はこの本だ」と言って、まず真っ先に紹介されている本があって、それが

世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%87%E6%A8%A9%E5%9B%BD%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6%E3%81%A8%E7%9F%A5%E8%AD%98%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%EF%BC%8B%CE%B1%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%89%AF%E5%B3%B6-%E9%9A%86%E5%BD%A6/dp/4062563347/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1267838668&sr=8-2

なんですが、実はこの副島さんの、もっとも大切な本を、僕は持ってはいてるのですが、どうしても読了できないままなんですね。
なんでかというと、それは単純に、出てくる人間の数が多くて、しかも顔のイメージが湧かないからなんです。それは読んでいて辛い。いくら「読まなくちゃ」と思っていても、やっぱり読めない。

でも、この「世界権力者人物図鑑」なら、たった1時間強で、だいたい読めてしまう。
そのくせ、「ポピュリズム」「アイソレーショニズム」「リバータリアン」「マネタリズム」などなど、知っておくべき政治的概念もしっかりキチンと身に付きます。
また、アメリカだけでなくて、中国やBRICS、あるいは欧州の流れもざっくりとはつかめるようになっている。

だから本当にすごいんですよ、この本は。

この本の帯に「副島隆彦アメリカ研究30年の成果を凝縮」と書いてありますが、それはまさにそのとおりだと思うのです。欧米の新聞やらメディアの情報をたんねんにコツコツ毎日読み込み、分からないところがあれば欧米の人間に直接質問して知識の穴を埋めてきた副島さんだからこそ書けたすごい本だ、ということです。

ということで、これは30年に一度、出るか出ないかという名著ですので、みなさま、ぜひともお読みください。

っちゅうか、「お眺めください」かなぁ。
そのくらい気軽に読んでもらった方が、この本は真価を発揮しますな。

ということで、この本一冊で日本は変わる、というくらいすごいので、ぜひ読んでいただきたい。

超おすすめの一冊でありました。

今日、朝のNHK「生活ほっとモーニング」で津波に関する特集をやってまして。自分自身の知識不足もあるしと、ちょっと見てました。

そこで知ったのは「津波はバカにできない」という話でありました。
津波と波は全然違うもので、まず波はその波の一点が高いだけなわけですが、津波は高い一点から後にずーっと「高いまま」の状態が続くわけです。

で、これが町中に入ってくるときはそのスピードはパッと見は大したスピードには見えないんですが、実際上は秒速5メートルを超えるそうです。時速で言うと、約18㎞くらい。安物の自転車のちょっと早めの巡航速度という感じですので、

●人間の足ではギリギリ追いつかない速度。

なわけですね。

で、ここまで聞いても、あまり恐怖を感じないかも知れませんが、この津波は力があるので、時と場合によっては自動車などを浮かせて流してしまう可能性もあるわけです。ありとあらゆるゴミなどもドンドン流れてくる。
で、それがまた引き潮で逆戻りすることもあるわけです。
だから、かなり危険なんですよね。

それだけの水量が狭い道、あるいは湾内に入ってきたら大変なことになる場合もあるわけです。

で、それよりなにより大切なのは、

●津波は第1波より第2波の方が大きいことがある。

という部分。
ここ、大事なのは「ことがある」という部分なんですね。
「ことがある」というのは「ない場合もある」ということです。

なので、津波警報に慣れた地域の人でも、第1波が小さいと、安心してしまって、高台への避難をやめて、自宅に戻ってしまったりすることがあるって事なんですね。
実際、昔から津波に悩まされていた地域の人が、今回「第1波が来る時刻には避難したけど、大したことなかったから自宅に戻った」のです。

が、しかし、これは本当に危険なんだそうです。チリのように遠くからやってくる波というのは、太平洋のどこをどう通ってやってくるのかわからず、どんな波の形になっているかもわからないわけです。地震があったと言っても、どういう種類の地震かわからないとシミュレートして日本に届く波の形まではわからないので、いきおい「とにかく避難しておいてください」と言うしかないという部分も大きいようです。

だからやっぱり津波が来たときには、できるだけ高いところに避難しておく必要があるって事ですね。少なくとも表を出歩いたり浜辺に物見遊山で出かけたりはしてはいけない。

で、です。

実は話はここからでして、この津波がやってくるという事に関して、総務省の原口大臣がtwitterでさかんに呼びかけてたんですね。

その内容と、それにまつわる話は、以下のブログによくまとめられています。

原口大臣の津波ツイートと「マスメディア報道の可視化」
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20100303/1267573940

基本的に、なにも大臣が自らツイートしなくても、公的な役人などがまめにつぶやけば良いという話ではあるんですが、twitterは、こういう災害時にこそ役立つメディアでして、それがまだ公的な仕組みに組み込まれていないから、原口大臣自ら国民の利益を考えて自主的にツイートされたということなわけです。
twitterでは「原口大臣のツイートには、国民を思う心が現れていた。」という意見へのリツイート(つぶやきの再送信)がとても多いように、僕は感じました。

しかし、この原口大臣の行為にかみついたのが、実はマスコミだったんですね。曰く「投稿者が総務相の名をかたる、なりすましの危険があったのではないか?」という、大臣がツイートする行為そのものへの批判だったわけです。

が、しかし、これは「そんなもん起こるわけないやん」と、やっていて思うわけですよ。原口さんはもう、毎日朝起きた時に「今日は予算審議です」とかマメにつぶやいてる人で、ツイッター上での知り合いも多い。やりとりもひんぱんにされている。だから、その同じアカウントから流れてきた情報が「なりすまし」になるなんて、考えられない。

でも、この記者は原口大臣にかみついたわけです。

で、その心は、結局、

●警報情報を流すのはマスコミの既得権益じゃ!

という、権利へのしがみつき発想が、その大もとにはあるとしか思えないわけです。

いま、ツイッター上で、いちばん面白い話は、やっぱりなんといっても記者クラブ制の問題点追求なんですね。マスコミでは全然流れない情報が、ツイッターでドドドドドーと流れていて、それが「世論」をどんどん変質させていってる。

そういう状況があるから、マスコミがものすごい危機感を持ってるわけですよ。自分たちの既得権益が侵される、奪われるのではないか?と戦々恐々としているということです。

このあたりの心情を、上記のブログからもリンクされてますが、ジャーナリストの江川紹子さんが、

江川紹子ジャーナル「新聞とツイッター」
http://www.egawashoko.com/c006/000320.html

というブログでいろいろ書かれてます。
ちょっと引用します。

(引用開始)----------------------------------

 今回のような反応をみると、法廷メモを巡る問題を思い出す。
 かつて、法廷で一般傍聴人はメモをとることが許されなかった。認められているのは、司法記者クラブに所属する大手メディアの記者だけ。それに異議を申し立てたのが、アメリカ人弁護士ローレンス・レペタさん。レペタさんは日本語が流ちょうで、ちゃんとメモも日本語で取れる。日本の経済事件の研究をするために裁判傍聴をしていたが、数字などは書き留めておかなければ忘れてしまう。なのでメモを取ろうとしたら、裁判長に禁じられた。それで、法廷メモ解禁を求めて、裁判を起こしたのだ。
 1審、2審と敗訴。最高裁で争っている時、私はこの裁判を知って、支援を始めた。支援というより、レペタさんに勝ってもらわないと、私自身も困るのだ。私も以前は新聞社にいて、そういう問題があることにすら気がつかずにいたことに、とても恥ずかしい気持ちもあった。
 裁判所がメモを禁じる理由は、今思い出してみても笑ってしまう。「法定内の静けさ(判決文では難しく「静謐」という言葉を使っていたっけ)が乱される恐れがある」とか、「証人が不安を感じて正直に証言しなくなる恐れがある」とか、およそ意味のない、様々な「恐れ」を作り出していたのだった(もちろん、メモを解禁した後、そのために法定内が紙にペンを走らす音でうるさくなったり、証人尋問ができなくなったりなどという事態は起きていない)。
 当時、新聞社はメモ解禁に否定的だった。その理由を聞くと、ある知人の記者がこう言った。
「これまで自分たちだけで座っていた座布団に、誰か知らない人たちがお尻をのっけてきた、そんな感じがする」
 そして今、様々な役所の資料がインターネットを通じて直接国民に公開され、大臣会見がフリーランス記者に開放され、今回のようにツイッターによるリアルタイムの情報公開が行われ……。気づいてみたら座布団に、次々にいろんな人がお尻を載せてきて、居心地が悪い、という気分に陥っている新聞社の人たちは結構いるのではないだろうか。

(引用終了)----------------------------------

この引用で、もっとも重要なのは、

「私も以前は新聞社にいて、そういう問題があることにすら気がつかずにいたことに、とても恥ずかしい気持ちもあった。」

という独白です。

新聞社にいると、既得権益を守ろうとすること自体が「問題なのだ」という問題意識を持てなくなってしまう、ということなんですね。

ツイッターを読んでいて感じるのは、そういうマスコミ業界にいてる人たちの環境が、徐々に慣れによる汚れで、どんどんダメになっていってしまっている状況です。
その中心に「記者クラブ制」という、官僚と報道のズルズルした「官報共同体」ができてしまっているという問題です。

マスコミというと、「NHKだけは大丈夫」とか思ってしまいがちですが、今回小沢さんの報道を見ていて、「ああ、やはりNHKも、ようは官報なんだなぁ」としみじみと思って、マスメディアのダメさかげんをあらためて実感したんですよね。つまり、NHKも「マスゴミ」のひとつなのだ、ということなんです。

このあたり、記者クラブ制の問題を、フリージャーナリストの岩上安身さんが、twitterでツイートされてたのを、少し長くなりますが、ちょっとまとめて引用します。

(引用開始)--------------------------------

●ちょっと続き。たぶん、記者クラブの主催する記者会見の現状というのは、多くの方にはピンとこないと思います。分かりやすく言うと中学生の「シカト」です。徹底的な無視です。そこに僕ら、クラブ外の記者が存在しないかのようにふるまう。そんな現場で、穴をあけていくのは、すごく疲れるんですよ。

●続き。では、彼らがみんな程度の低い、幼稚な人間なのか、といえば、もちろんそんなことはない。個別に会えば、まったく違う顔を見せるでしょう。僕にも、尊敬できる、魅力的な記者の友人・知人はたくさんいます。でも、会見の場という、「情報利権」にかかわる場では、まったく別の顔になるんですよ。

●続き。「シカト」というのは、疎外されている人間に対して、憎悪の感情など抱いていない人でも、その人物と親しく話すだけで、今度は自分も疎外されてしまうという恐怖によって、広がっていきます。同じようなことです。クラブ外の記者というのは、排除の対象であり、アンタッチャブルなんです。

●続き。問題は、そうした排除の論理を徹底させている源をたどっていくと、大ボスにまでたどりつく、ということです。誰も遠慮して言いませんが、世界最大の発行部数を誇る読売新聞のトップである渡邉恒雄氏のトップダウン抜きにして、読売・日テレの、今の論調はありえない。組織として徹底しています。

●続き。昨日のシンポジウムで、安田弁護士が「権力が主力として頼みにするのは読売。読売は組織として動いている」と発言していましたが、同感です。なぜ、組織として動かせるのか。トップである渡邉氏の権力の振るい方の鍵があります。「渡邉恒雄 権力とメディア」の中の一節を引用すると…。

●続き。「渡邉は仕事でミスをした編集局幹部たちを次々と呼びつけ、自分の机の前に立たせたままで怒鳴りつけていた。(中略)『俺は才能のあるやつなんか要らん(中略)俺は社長になる。そのためには才能のある奴なんか邪魔だ。俺にとっちゃ、何でも俺の言うことに忠実に従うやつだけが優秀な社員だ」

●続き。講談社文庫版の398頁からの引用です。同様のエピソードや証言は、いくらでも収集できます。こうしたトップのもとで働く社員は、上を見上げるヒラメにならざるを得ない。逆らえば何もかも失います。記者クラブというカルテルの解体にトップが同意していなければ、現場の記者は何もできません。

●@mankin911>『俺にとっちゃ、何でも俺の言うことに忠実に従うやつだけが優秀な社員だ」
@mankin911> このメディアが小沢独裁と言うことほど滑稽なことはありません。

●@iwakamiyasumi その通り。小沢氏は選挙で落とせても、ナベツネ氏は落選させられないのです。

(引用終了)--------------------------------

ということなんですね。

これを読んでみれば、この「記者クラブ制」というものが、いかに独裁者にとって都合が良いかがよく分かります。

上の岩上安身さんのツイートの最後に書かれている一言が、我々一般国民には、もっとも重要な一言なんじゃないでしょうか。

つまり、

●小沢氏は選挙で落とせても、ナベツネ氏は落選させられないのです。

ということです。

まぁ、まだ新聞は「買わないでおく」という不買運動ができますが、官僚に至っては、生涯官僚のままです。
そして、その官僚が、あることないことを、NHKをはじめマスコミに公務員規則違反である「リーク」を垂れ流して、で、その「根拠のない誹謗中傷」で国民が選挙で選んだ国会議員を辞職させようとしたりするわけです。

これが、いま、この国に存在しているマスコミの実態なんですね。

彼らは、税金でしつらえられた国会内の記者クラブに堂々と席を持っていて(部屋代は支払っていません)で、広く国会外に出て国民の実態を取材することもなく、ただ官僚の流す「リーク」を競い合って(誇張ではなく、現在の新聞記者やテレビの記者は、官僚のリークを取る事をこそ「特ダネ」と勘違いしてるんです。まったくのバカです。)取ることこそが自分たちの仕事だと思ってるわけです。
官僚のリークを他社より早く「抜く」ことに命をかけてたりする。

ものすごい滑稽です。そういう状況は官僚の側からすれば、実にマスコミを操りやすい状況なわけですから。

同じくtwitterからの情報ですが、これまたフリージャーナリストの日垣隆さんのツイートを読んで唖然とした話。

(引用開始)----------------------------
●産経新聞の太田記者から電話。いろいろ聞かせてほしいという。「いいですよ」「ええとですね…」「実物を見て聞いたほうがいいんじゃないですか?」「あ、いや、うちは交通費出ないんです、もう」「それは取材とは言えないねえ」「伝聞でもいいです」「実物見なくて記事にできるの?」「うちでは」
(引用終了)----------------------------

と言う話。

●交通費が出ないから電話による伝聞だけで記事を書く。

これが新聞社の通常業務です。で、そんなアホなと思った他のユーザーから「本物の記者ですか?なりすましなんじゃないですか?」と聞かれて、日垣さん曰く、「他社も似たようなもんです。残念ながら本物。共同や時事や毎日も。」と答えておられる。

僕もいちおう、コピーライターという物書きをやっておりまして、いろんな機械のパンフレットを作ったりしてますが、そんな産業用の原稿だって取材しなけりゃ書ける物ではないのです。
伝聞だけで作られた、かなりええかげんな印刷物が新聞であり、映像表現がテレビのニュースである、ということなんですよ。

こんなアホな事があって良いのか?って思うんですよねぇ。
いちおう「調査報道」の流れも、いまでもちゃんと残ってはいてるとは思うんですけど、この「普段のニュースづくり」の現実を知ると、暗澹たる気持ちになりますな。

ま、おおむね、そういうことを感じた、津波とツイッターとマスコミとの話題でありました。

(こういう内容の濃い情報が日々、どんどこ流れているから、よけいにテレビや新聞よりツイッターを優先したい気持ちになっちゃうんですよね。しっかりしろよ、マスコミ!いやほんとに。)
今日もまたtwitter情報。

ニュースでは、相も変わらず「1mの津波が来るかも知れないので注意」とか「高さ」で危険を喚起してますけど、津波が怖いのは高さではなくて面積なんだそうで。
海全体が隆起した状態でチリから延々やってきてる「水の丘」なんだと考えた方が良いようですね。ようするに水量が違うんだってさ。

twitterだと「1mの津波が来るよ!」と言われて「見に行きたい!」というような人が現れて、それに反応して「バカおっしゃい。そんな危険な事はない!」と上記のような説明とか講義が始まるわけでして。
これひとつとっても、マスメディアじゃだめだ、というのが良く分かる。

しかし、チリの人たちは本当に大丈夫でしょうか。阪神大震災より300倍の力が加わったという報道もあります。日本もどんどん積極的に支援しないといけないです。
世界は津波だけじゃなく、人間同士もつながってるんですから。

トヨタの社長、豊田章男氏がアメリカの公聴会に出席したニュース。

あの論議好きで、そのくせかなり恣意的な議論にもなりがちなアメリカで、損せずに立ち回りできるのか、かなり心配してみていたのでありますが、いやー、なかなか大した対応でしたなぁ。
冒頭で自分の意志や方針に関してはテキストの読み上げとはいえ、ちゃんと英語で発話し、公聴会ではしっかりとデキる通訳をつけてポイントを外さずに答えるという形。

しかも、公聴会後のアメリカのディーラー向けの記者会見では、応援してくれた米国内トヨタディーラーに向けて、またまた読み上げとは言うものの英語で発話し、しかも「応援ありがとうございます」のところで涙ぐむというオマケまでついた。

ほぼ完璧なのではないか?という気がしましたな。

多分、バックには、かなりデキるコーポレートコミュニケーションのコーディネーターがついてると思いますけど、最善の策は取ったということでしょうね。

いやまぁ、トヨタという会社自体は全然好きじゃないんですけど、さすがにこういう対応はうまいなぁと舌を巻かざるを得ないです。

やはり、この会社は「現実対処能力」が高い会社なんだなぁというのが僕の感想です。

「現実対処能力」ということで言えば、まずプリウスという「ハイブリット」なクルマ自体が「現実対処能力」のかたまりですしね。

いま、自動車の世界は電気自動車への流れがどんどん加速しているわけです。
で、その流れの中でもっとも問題なのは、従来のガソリンエンジンというもの自体が、かなりデメリットの多い、「お荷物な技術」になりつつある、ということなわけです。

いま電気自動車を作って売ってるメーカーは、それこそ小さな企業でベンチャーでやってるようなところだったりするんですね。とくにアメリカは。もう、ガソリン車のようにシャーシだクランクだギアだとやっている時代じゃないんです。そんな技術は、もういらない。ガソリンエンジンの電子スロットルなんて、それこそ「前時代の遺物」に今後はなっていくんでしょう。

しかし、トヨタは大企業ですごくたくさんの下請け企業も抱えているわけですから、その影響力を考えれば、いきなり電気自動車を出すわけにはいかない。だからプリウスのように電気とガソリンの両方を折半したようなクルマを販売して、下請け企業のゆるやかな切り捨ても含めたソフトランディングを図っているということも言えるわけです。

ガソリンスタンドの整備やら、修理工場の人のスキルのレベルなどなど、クルマというものは技術だけでは「現実的な利便性」が提供できにくいものなわけですから、ハイブリッドという発想はそういう環境も含めた「トヨタの解」なんだろうとは思うわけです。

そういう意味でプリウスというクルマは「現実対処」の見事な解答と言えます。で、実際それがよく売れているのだから、大したものではあります。
(でも僕は、大きくは電気自動車+自転車というのが、今後のクルマの大きなトレンドだと思いますけどね。まぁ、それはそれとして。)

こういう事を考え合わせると、今回のトヨタバッシングは、電気自動車を作っている新興勢力や、今後次々に現れるであろう電気自動車開発のベンチャー企業創出を目指すような一派と、市場のキャッチアップに追いつけなかったアメリカの自動車メーカーとかがともに手を組んで、市場をハイブリッドから電気自動車に転換させたいという思惑もあったんじゃないかなぁと僕は思ってるわけです。ハイブリッド車なんて、ガソリン車と電気自動車の両方を複雑に組合わせる方式ですから、ものすごく手間ですからね。それこそトヨタくらいしか作れない車なんじゃないかな?と。新興勢力は、そういうところには追いつけないわけですから。

「なら、電気自動車市場で、一から勝負だ。市場の刷新だ。」

と、向こうのメーカーは決めたんじゃないでしょうかね。そんな気がします。なんせ、オバマ政権は「Buy America」ですからね。国内企業優先という考え方ですから。(日本もBuy Japanをもっとやるべきだと思うのだけど。)

しかし、トヨタもアメリカのトヨタは、すでにアメリカの企業に近いくらいまでアメリカに根付いてますし、そういう「現実対処」というのもトヨタは的確にやってるよなぁと、これまた感心してしまうわけです。

トヨタが「現実対処」の企業だなぁというのはそういう意味で、よくも悪くも、とにかく現実対処はすぐれているよなと思わざるを得ないのであります。
で、それはそれとして、企業の方針そのものはあんまり好きではないんだけれども、でもやっぱりアメリカの公聴会に自ら出席した豊田章男氏にはエールを送りたいとは思うんですよねぇ。なかなか大したもんだ、っちゅうことです。

それともう一つ言うなら、なんだかんだ言っても、やっぱりアメリカのマスコミはちゃんとバランス良く報道してるらしいぞ、ということですわ。
日本の新聞やテレビみたいに、一斉に同じ事を言ったりはしてないという感じはありますな。
日本のマスコミは、本当にもう、全然「多様性」がなくなってしまって、政府の役人のペーパーをそのまま垂れ流してるだけの単なる「御用メディア」に成り下がってますからなぁ。
まだ、アメリカの方がはるかにマシという感じはあります。

とまぁ、ほめるべきはほめておいて。

で、それはそれとして、それでもやっぱり、大きくは自動車の大きな流れは「もう、ガソリン車ではない。」ということなんですね。つまり、

●ハイブリッドでも、もう古い。

ということです。で、今回のバッシングの技術に関しても電気とガソリンの切り替えに関する制御の問題で、正直、

●もう、そんな技術、どうでもええやん。

という気がしてます。

やっぱり面白いのは、前に、ここの日記でも紹介した電気自動車エリーカを作った清水教授の話でして、

「みんな勝ち」の未来へ急発進! 時速370kmの電気自動車
エリーカ開発の 清水浩 慶應義塾大学教授インタビュー
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090819/202831/

これを読むと「電気自動車、すげぇ!」と思わざるを得ないのです。

たとえば、加速時の回転制御の直進性とか考えると、圧倒的に電気自動車が効率が良いということはすぐにわかるんですよね。

電気モーターだと、加速する場合には電力を上げればそれに沿って1対1でモーターの回転も上がっていきます。だからそれをベースに各種の制御を行えば良いだけですから、シンプルにクルマの設計ができるわけです。

しかしガソリンエンジンだと、エンジンパワーをギアを使ったりなんだかんだと制御しながら、低速域から高速域へとつなぐなどの微調整が、まず最初に必要なわけです。加速をどう「パワーと速度の一対一対応」しているかのような形に整えるか?というところから設計していかないといけないわけです。クルマは必ず低速域から高速域へと移行していくわけですから。

だから、この勝負、最初から電気モーターの勝ちなんですよ。

で、なにより、清水教授の話で「ふへー!そうだったのか!」とびっくりしたのは、エネルギー効率の問題なんですね。

電気自動車がいくら家庭用電源で走るからと言っても、クルマはガソリンを直接燃やしているのだし、送電ロスを考えれば、電気自動車もガソリン車もエネルギー効率はさして差がないのだろうと思ってたんですが、なんのなんの。

火力発電所からクルマの走行までの(石油からクルマ走行までの)エネルギー効率は電気自動車の場合は38%なんだそうです。6割くらいは送電とかのロスで失われるってことですね。

しかし、ガソリン車の場合は、ガソリンから走行に対するエネルギー効率は、なんとたったの8%なんだそうです。9割がた、ムダにガソリンを燃やしてるだけだったんですね。

この話には驚かされました。

つまりは、エンジンのパワーを最適化するために、クランクやらシャフトやらギアやらを、ああでもない、こうでもないと組合わせてやってるけれども、それらの工程自体が摩擦やら熱やら、ありとあらゆる「ムダ」をまき散らす工程そのものになっているということな訳です。

なんせ、清水教授の作った「エリーカ」はタイヤの中にモーターを入れて速度コントロールしてますからね。で、電圧を上げれば回転数が一対一で上がっていくわけですから、加速コントロールもラクラクなわけですよ。

今回のプリウスの「急加速・急発進」とか、そういう問題自体が無意味化されてしまうわけです。

そういう意味で行くと、ガソリン車の仕組みや文化を残していこうという発想自体が実は問題をはらんでいるという側面もありますから、なかなかに難しい話だよなぁとは思うのですよ、今回のリコール騒ぎは。

とは言うものの、まぁなんにしろ豊田章男さんは、現実対処方法としては的確にやりはったんとちがいますか?大したものだと思います。

ま、てなことで。


しかし
最近、twitterをはじめて思うこと。それは「自分をどう活かすか?」を考えるという事でありまして。

というか、twitterに関しては本名登録をして、完全オープンでやってるので、そういうオープンなアプローチでネットにつながるという事自体が初めてなので、そこがけっこう面白いんですね。

twitterは掲示板システムのように荒れたりしにくいと言うけれど、それは本当にそうで、フォローするにしてもフォローされるにしても、すごく軽いというか、どんどん気軽にフォローされ、フォローが切られ、もめているヒマもなく、次のツイートがあらわれます。特定の誰かと論争するとか、そういう事自体がほとんど無意味なように感じます。

で、それよりも強く感じるのは、タイトルにも書いた「自分をどう活かすか?」という発想に近づくって事です。そういう環境にいてると、あんまり批判的な事を書いてもしょうがないって事がよくわかるんですね。

僕よりはるかに的確な論点で問題を突いてる人がいてるし、そういう人がちゃんと活動していて、しかも、そのフォロワーが大量にいてるということがわかる。そうしたら、もう僕がわざわざ語る必要もないわけです。せいぜい知り合いに「こんな事を言ってる人がいてるよ」と伝えればそれでいい。
で、twitterをやってる人同士なら、それを伝えるのもリツイートでお気楽にできちゃうわけです。すごくお気楽で、しかも「必要な情報」が伝わる速度も範囲もすごく広い。ブログと組み合わされば、ものすごく強力に情報伝達組織ができあがっちゃう感じがあるわけです。

じゃあ、twitterで自分自身が、いったい何をツイートしたら良いのか?って事になって、で、まぁ基本は「自分がどう感じたか」とか「いまどうしてるか」とかで良いわけですけど、何か意味のある事を語ろうとしたら、結局自分の仕事であったり、毎日やっている作業の自分なりに整理とかまとめみたいな事を語るのが一番良いなぁという事になるんですね。

僕の場合だと、広告関係なので、「販売促進について」だとか「広告文を書くときのポイント」だとか、そういう話について書くのがウソがないし、他の人の役にも立つし、信頼もしてもらえるし、またそういう事を書くことで、自分の中の興味も大きく伸びていきます。
それになにより、毎日やってる事ですから、肩肘張らずに「こう言うときにはこういう判断をするのです」みたいな事を書いた方が自分がラクでもあるわけです。

なんで、いままで、こういう事をしてこなかったのかなぁと不思議にすら思うわけですが、それは結局、「本名で書く」かどうかっていう一点に集約されるのかなぁとい気がしますね。

ハンドルネームを使って、内面的に思っている事を書くというのも、まぁひとつの道ではあるけれど、それとは別に「公的な自分」というものもちゃんとあるわけだし、それはそれでそのまま素直に出していけばいいんだよなぁというのをしみじみと感じているワケであります。

そうやって無理せず、「自分を活かす」をやってれば、まぁ概ね、問題なく人生そのものが膨らんでいくんじゃないかなぁという気がしてきて、いや、しかし、なんちゅうかtwitterは大したものだなぁという気がしております。はい。

テレビで小沢叩きをやってた2月のはじめに、自民党から民主党に田村耕太郎氏が移籍しましたな。
あんまり話題になってないけど、とりあえずこれで参議院の方でも、民主党、国民新党などの会派は過半数になったので、審議は通りやすくなったわけです。

で、そういう数合わせの意味しか感じてなかったんですが、その移籍した田村耕太郎のインタビューを読むと、けっこう、かなり面白い。いまいちばん時代に即したことを言ってる人なんじゃないか?とすら思ってしまう。

僕が自民から民主に「移籍」した理由
田村耕太郎参院議員が本音を語る
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100212/212661/?P=1

とくに面白いなと思ったのは、「税率を上げれば税収が増える時代じゃない」とした、この部分。

(引用開始)-------------
税金の話で言えば『北風と太陽』で、税率を上げれば税収が増える時代じゃないですよね。税率を上げればみんな出ていくから、税収が減ると。逆に税率を下げれば税収が増えるかもしれない。
例えば贈与税なんかをゼロにしたら生前贈与が加速して、消費性向や投資性向が高い層にお金が移転しますから、消費が増えるわけです。消費税だって、下げた方が逆に景気が上向くかもしれない。こういう視点、経営者の感覚が日本の政治には抜けているんです。
(引用終了)-------------

そうなんよ、その通りなんよ、と言いたい。
民主党も自民党も、どっちも官僚が妄想している「均衡財政」の事ばっかり言ってる。
そんなもんな、「経済は投資」なんよ。投資せん限り、経済が上向くなんてこたぁない。
いまは「財政均衡が大事!」という、「官僚のビビリ」にばっかり耳を傾けてるから不況なんですよ。

官僚なんて、「まともな経済行為をした経験もないまま、一生を終えた」一族郎党なんですよ。発想の根本に「経済への信頼=人と人とが協力して生きていくことへの信頼」がないんです。
精神構造そのものが明確に異常な「人種」なんです。
そんな人種の声ばかりがマスコミで喧伝されて大きくなったから、日本は15年も不況のままなんですよ。

●不況の原因は「均衡財政」にあり!

と言いたい。
均衡財政の発想は、「入ってきた税収でなんとかする」という「家計の切りつめ運営」でしかないですからな。そんなもん、経済がシュリンクするに決まってますがな。

ちゅうか、実際、もう10年。いや、小渕さんの一年を除けば、橋本龍太郎が「財政再建」を謳って以来15年。均衡財政策、財政再建策を続けてきたのに、全然良い方向に行ってないじゃないですか。その事実が「均衡財政、財政再建案は効果がない。」ということを、証明しまくっている、というのが事実じゃないですか。

「官僚の言い分」が、えんえんずーーーっと、日本経済をガタガタにしてるんですよ。ええかげん、そこに気付かないと、国が潰れてしまう。

ここはとにかく減税とか積極投資とかをして、経済を回していく方向に舵を切らないとダメです。もう、本当にギリギリのところに来てると僕は思うんですよね。

で、そのあたりの「成長戦略」に関しては自民党もダメだったけど、民主党もイマイチでして、「うーん、ちょっとなぁ」という不満はあったわけです。
子供手当とかは、概ね間違ってないんですけど、あの政策は4年、5年経たないと効果が見えにくいでしょうし、なによりあれは、「投資」と言うより「資産の再分配」の機能の方が大きいですからな。直接経済を回す策というのとはちょっと違う。長期的戦略に属する案であって、いまは即効性のある政策こそが望まれてるわけですよ。そういうのがなくて困るワケです。

しかし、田村耕太郎は、そこいらも「政府主導で海外市場に打って出る」という発想があって、非常に面白いわけです。

(引用開始)--------------------
ですから、グローバルで考える、それと経営センスを持って国家財政を運営していく、この2点を強調したいですね。

 昨年12月の成長戦略策定会議・検討チームの会合で、竹中(平蔵慶應義塾大学教授)さんと菅(直人副総理兼財務相)さんが議論を交わした中で、菅さんは「供給よりも、まず需要を作ることが重要」だと仰っていました。

 けれど、既に膨大な需要が世界中にあるわけですね。だって新興国のインフラ市場だけでも、向こう10年で800兆円。その1割を取ったって80兆円、年間の国家予算ぐらい出る。日本には、高速道路や新幹線やダムや橋梁を造る技術があるんだから、やりようによっては、1割以上取れると思います。

 これを今の民主党政権は「民民」でやれと言っているんですよ。しかし民民でやるには、「ドバイメトロ」の件みたいに非常にリスクが高い(編集部注:今年1月、アラブ首長国連邦ドバイ首長国で、ドバイ政府発注の鉄道工事を進めていた日本企業連合が、代金の支払いが滞ったため、工事の一時停止に踏み切った)。

 やっぱり政府保証とか、在外公館を通じて相手のバックグラウンドをチェックするとか、あるいは外交の場でトップセールスをするとか、政府の後押しが必要。少なくとも、世界中はそうやっているわけです。

(引用終了)--------------------

「外交の場によるトップセールス」。
これです!これ!
日本政府に欠けているのは、これなのですよ。
で、これは政治家こそが旗を振って動かさないと動かない事なんですよね。

商売のネタは、それこそいろいろあるわけです。日本の技術力は高いですからな。っちゅうか、資源のない国ですから、戦後、ずーっとそういう「技術磨き」ばっかりやってきてたわけです。それはそれはすごい技術が山盛りあるわけですよ。

たとえば、海水の淡水化技術(浸透膜技術)なんていうのは日本がトップクラスで、世界が追いつけない分野です。で、水のビジネスというのは、これから人口が爆発していく地球において、非常に重要な市場なわけです。ここを逃す手はない。

それから石油精製技術。石油を掘り出しても、その石油を成分分離して、用途に応じて材料化しなければ活用できないわけで、少し前の石油の価格高騰も、アメリカで石油精製施設が少なくて行き渡らなかったという事が影響して起きた部分もあるそうです。

スーパーの無料ショッピング袋も、もともとは、まさにその精製の過程で生まれた廃物利用製品なわけで、その「廃物利用」をやめて、カバンを持ち歩くようにしてしまったら、逆効果ですがな。実際の話が。石油を単に燃やすだけじゃなくて、精製の過程で余分なものを袋に変えて、それが無料で配られて、しかもそれが家庭に入ってゴミ袋として、またまた再利用される。しかもそれがそのまま焼却炉にほおりこまれるから、焼却炉の燃料にもなって、ものすご~くエコに貢献しとる。そういう技術活用文化までひっくるめて日本の技術はすごい、と考えねばいかんのですよ。

それから当然太陽電池がありますわね。前に紹介した電気自動車エリーカの開発者である清水先生に言わせれば、エネルギーに関しては概ね太陽電池!と言うお話し。作物をエネルギーにするとかあるけど、それは作物を育てるのに大変なエネルギーを使うので、太陽エネルギーの変換方法としてはまったく非効率で結局は太陽電池だ、という話でありました。(原発に関しては「むにょむにょ」と言葉を濁してらしたが、まぁ概ね「ダメ」という意見らしい。やっぱり効率が悪いとかなんとか、そういうことなんでしょうね。)

太陽電池なんて、それこそ、いまや生産量でドイツに抜かれてますけど、それはドイツが政府主導で市場を作ったからこそなわけです。政府が「こっちだ!」と旗を振って動かさないと市場自体ができませんよ。(政府が原子力!と言ってるから困るんやけど。)

そういう「稼げるネタ」を積極投資で支えて、日本が世界に打って出て、そこで稼いだ金に正しく適正な「このくらいの税金なら、腹が立たない」という金額で税をかければ、もっともっと経済が広がって、税収の自然増収につながっていくわけですよ。

このあたりは、以下に引用する田村耕太郎の話がとても参考になるはずです。

(引用開始)------------------
―― 田村さんは、昨年、香港やアブダビなど積極的に海外へ出向いて、世界の経済人や投資家と議論を交わしていますね。グローバルで金儲けを狙う人々と触れて、温度差をすごく感じた?

 まったくその通り。成熟経済こそ成長するんだということを、香港もシンガポールも示してくれている。これからもまだ2ケタ成長するんだという意欲を見せているんです。

 彼らからすると、我々より条件が揃っているのに、何で日本ができないんだろうと不思議がっていますよ。技術も、お金も、文化的コンテンツも揃っているのに、何で儲けようとしないのと。欧米だって、政府高官や経済人が、必死でトップセールスをしていますからね。
(引用終了)------------------

政府高官や経済人が必死でトップセールスをする。そして成熟経済だからこそ「2ケタ成長するんだ」と意欲を持つ。これこそが、あたりまえの「あるべき姿」なんですよ。

実際、上にもあるように、「金も、技術も、文化的コンテンツも、全部日本は持ってるのに、なんでやらないんだ?」と海外からは見られてる。

その「やるべきこと」を止めてるのが官僚で、ほんとうにこいつらはどうしようもないバカだってことです。
そこいらを、もうちょっとしっかり、日本人自身が気付かないとダメなんですよね。

そういう「政府主導」をするためには、とにかく、国会から官僚を排除せよっちゅう小沢さんの発想は、基本的に正しいわけです。「働いたことがない」官僚を、国会に入れたら、こういう成長戦略に対する「ノリ気」が奪われてしまいますよ。

●官僚が勢いを削ぐ。

んです。

つまり、正しく認識しないといけないのは、いつも言うことですが、

●官僚の発想が「異常」

ということです。言葉は悪いが、やっぱり、「あいつらは、基本『キチガイ』やしなぁ」と認識しておくべきことだってことなんです。官僚という人種は税金によって生かされている(自分の力で生きたことのない)「精神的カタワ」なのだ、ということです。
(なのに、日本のマスコミは、その官僚の流すペーパーばかりでニュースを作って流してるんですよ!これが官製不況でなくて、いったい何なんんだ!ということですが。)

だから、今後大切なのは、税額は、あくまで「適正率」を求めると。納税する側が「負担」に感じるような税率なら、市場が冷え込むのは当たり前なんです。
経済が上向きになれば、必然的に税収も増えます。
事実、平成の借金王、小渕さんの時は国債を発行して総合対策を実施し、次の年にすぐに財政黒字になったんですよ!事実がそこにある!それをやらない方がどうかしてるんです。

「消費税アップ」みたいな低脳な発想しかできない官僚にベラベラと「政策」を語らせていたらダメですし、そのお題目みたいな「ビビリ」の理屈を、マスコミを通じて世間に流しまくるという悪癖を、ほんとうになんとかしないといけません。

で、そういう事は、この田村耕太郎みたいに、「ひとりで動く」事でもずいぶんと違うわけです。田村氏ひとりが「こっちで行く!」と決めたから、参院での民主系多数が安定したわけですから。

そういうことを、とても深く感じた情報でありました。

これからの日本。うまく成長していきたいですな。うむ。

上方落語に「天狗裁き」という話がありまして。

---------------
ある夫婦がいて、旦那が寝ています。その寝顔を嫁さんが見ていると、ニヤニヤしたり寝言を言ったりする。そこで起こして「どんな夢を見ていたの?」と聞くと「いやー、夢は見ていない。」と旦那。

「なによ!言ってくれてもいいじゃないの!」と夫婦喧嘩になるんですが、同じ長屋のなじみの男が仲裁に入って、泣いてる嫁さんを自分の女房のところへ追いやり、なんとか一件落着。

男同士になって、旦那の方が「ありがとう」と礼を述べると、このなじみの男が「うむ。しかし、本当のところどんな夢を見たんだ?」と聞いてくる。
「いや、本当に夢は見ていない。」と言うと、「お前!俺とお前の仲で、そういうことを言うか!」と、これまた喧嘩になります。

しかし、ここに大家がやってきて、仲裁に入って、また一件落着するんです。が、この大家がまた「で、本当に見た夢は?」と聞いてくる。

「いや、見てまへん。」「何?大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然。そう思うからこそ情けもかけてやってるのに、夢の一つも話せんっちゅうのか!ああ、もうええ、出て行け!」と、とうとう家を追い出されかける。

そんな事で追い出されたらたまらんので、奉行所に願って出る(訴える)と、奉行が「なんと馬鹿馬鹿しい事で争うておることか」と大家を処罰。助かった主人公はほっとするんですが、そこへ、このお奉行、

「ところで、お前の見た夢というのは、どういう内容だったのじゃ?」
と聞いてくる。

「いや、見てないものは話しようがおまへん」と言うと、

「なんじゃと!大家との間を取りなしてやったわしにも言えんのか!」とお白州にある松の木に縛り上げられて吊されます。
「えらいことになったなぁ」と思っていると、一陣の風、天に舞い上がって縄がほどけている。目の前には天狗がいる。

「天下の奉行ともあろう者が、たかが町人の見た夢の話を聞きたがり、拷問にかけるとは極悪非道。あのような者に人は裁けん。」と、天狗が言う。

「わしは、そのような夢の話、聞きたくもない。が、おぬしが話したいと言うなら聞いてやっても良いぞ。」
「いやいや、わたいは何も見てまへんねん~。」
「何、天狗に逆らったものは五体をバラバラにして、杉の木に突き刺してくれるわ!」と天狗が怒り、その尖った爪が腹にグググググーっと差し込んでくる。

「わぁ~助けてくれ~」と叫ぶと、嫁に起こされたところ。

「ちょっとあんた、えらいうなされて。いったいどんな夢見てたん?」
------------------

という話なんですがな。

いやー、いまのマスコミは、もう完全に「天狗裁き」ですなぁ。落語なら笑えるけど、現実なので笑えませんな。

で、思うのは、こういう落語が存在しているというのは、まさに日本の裁判制度が、かなりテキトーで、この落語のようなものだったからこそなんでしょうな。
そうでなければ、こういう話が生まれてきたりしませんよ。

律令時代から「お裁き」は、何も変わってない。まず「○○したはず!」という思いこみがあって、その思いこみにあわせて「しゃべらされる」という仕組みがあるわけですわ。

言わば、律令時代からずーーーーーーっと同じだってことです。

特に、この落語では「拷問」っていうのが繰り返して出てきてますわね。考えたら、こんな異常な事はない。自分の思い通りの事をしゃべらないからと、権威を盾に相手を拷問にかけようとするんですよ。奉行も天狗も。これはたまったもんやおまへんで。

で、マスコミでは全然話題にもなってませんが、今回の小沢さんの事件に際して、東京地検は、かなり悪辣な捜査をしてるんですよ。

2004年に小沢さんの秘書をしていた石川議員が逮捕されましたが(この逮捕自体が完全に不当逮捕なんですけど、まぁそれは置いといて)その石川議員の事務所にいた女性事務員が東京地検に呼び出されて10時間も休憩なし、外への連絡もほぼなしで取り調べされたわけです。

だいたいね、この女性事務員さんって、最近になって石川議員の事務所で働いてた人で、2004年には石川さんの存在自体を知らないまったくの他人なんですよね。そんな人を拘束してどうするの?意味不明です。

(いや、意味不明って事で言えば、自自公時代の10ヶ月を除いて、ずっと野党で職務権限自体がなかった小沢さんを「何かやってるに違いない」と嫌疑をかける事自体が、突拍子もない。もともと、かなり狂った判断なんですが。)

細かい事は書いてもしょうがないので書かないですけど、とにかく、ほぼ無関係としか言いようのない女性を無理矢理拘束して取り調べたのは、完全に拷問ですわ。このあたり気になる人は自分で検索してください。すぐにいろいろ情報が出てきます。週刊朝日で上杉隆さんが記事にしたりしましたし。

(この記事に対して、抗議文を地検は朝日新聞社に対して送りつけてるんですが、その中で、いろいろ「○○はやっていない事実無根だ」と否定してるんですが、肝心の「連続しての取り調べで4時間を超えてはならない」という規定違反があった、という部分に関しては一切触れず。こういう抗議文でその部分に触れていないというのは、それは「やりました」と宣言してるのと同じ事なんですが、そういう事もわかってないバカなんですよ。いやホンマに。やれやれ。)

まぁ、とにかく、いまのマスコミには、「一切でない情報」っちゅうのが多すぎますわ。twitterをやってると、そういう情報が、いくらでも、毎日のように、いろんなルートで入ってきますし、その内容に多くの人がどう感じてるのかも手に取るようにわかる。原口大臣とかも、どう動いてるかわかるし、その他のtwitter議員の話もわかります。

もうね、天狗裁きみたいな滑稽な事は終わりにして欲しいですな。で、拷問も勘弁してくれ。マスコミも同じような話ばっかり書くのはやめて欲しい。ほんまに。

いまの日本経済、そんなチンタラしたことをやってられるような状態やおまへんねんで。ちゃいまっか?
そういう気分で一杯ですわ。

お後がよろしいようで…と、行きますかどうですか。
あー、やれやれ。

なんか、最近twitterをやり出してから、本当に完全に発想が変わってしまって、どうしたものかと思います。

なんか、ここでごちゃごちゃ書くのが馬鹿らしいという気になっちゃうんですね。

たとえば政治の話なんかでも、いまの検察とかマスコミのひどさとか、そりゃもう、かなりいろんな情報がネット上には「ちゃんと現実を検証した形」で飛び交ってるわけですよ。
「この人!」と思える有名人をフォローしてれば、かなり本当に近い話がわかります。

逆に言うと、日本のテレビや新聞が、いかにダメダメであるのか、ウソばっかりなのか、恣意的すぎるほどに恣意的で、ものすご~く歪んでるのか、ということが、嫌でもすっきりくっきり見えてきます。

で、twitterには「リツイート」という機能があって、「これは良いツイートだ!」と思ったら、それがどんどん自分の知り合いに広がっていく機能があるわけです。
で、そのリツイートされたツイートには、「このブログにすごいことが書いてある!」ってな話題も紹介されていて、そういうのを読むと「うむむむー、そうだったのか!」とうならざるを得ません。

で、そういう「これは!」というツイートは、それぞれの参加している人の「判断」がされた上で広がっていくわけです。だから、その情報自体に「強さ」があるわけです。
それこそマスコミが流す「関係者によると」という、誰が言ったのかわからない(本当は検察や警察による公務員義務違反のリークに決まってるんですが)情報なんかより、よっぽど伝播力があるわけです。内容にしっかりした「中身」があるわけですね。

ちゅうかtwitterでは「中身のあるツイート」とか「本当に面白いツイート」とかしか、リツイートされないですからねぇ。
誰も「関係者によると」というような、誰が言ったのかわからない、無責任な情報なんかリツイートしない。

我々日本人は「引用」という事に関する文化や必要性、重要性が、「情報活用リテラシー」として、全然身に付いてませんが、(だから日本人は未開文化民なんです。本当は。誰が言ったかわからないような情報という「雰囲気」に踊らされる「土人」だって事です。)欧米では「引用」というものの重要性は、ものすごく大切だとすでにみなが知っていますから、「引用」はごく当たり前の習慣にすらなっているのです。

HTMLの文法をいろいろ学んだ事のある人なら、あのHTMLに「引用」のためのタグが存在していることをご存じだとおもいます。

<q>~</q>という短い引用と<blockquote>~</blockquote>の長い文章用の2つがあります。

引用のためのタグが2つもある、ということ自体の欧米と日本のメディア文化の意識の違いが、ここに見て取れると僕は思うのです。

日本人だと(僕を含めて、です。反省しつつ書いてます。)この「引用タグが2つもある」ということの意味が、さーーーーっぱりわからないんですよ。その重要性がわからない。
だから、我々日本人は「関係者によると」という「どの関係者なんだよ!」というわけのわからない「トンデモ報道」であっても「そうなんやー」と、あたかも事実であるかのように信じてしまうわけです。

これは、かなりかっこわるい話です。

この引用のタグで見るべきは、もうひとつありまして、短い方の引用タグが<q>~</q>と、qの一文字だけだ、ということがあります。

知っている人は知っているように、HTMLにおいては「改行」を表すタグでも<br>と二文字です。でも、引用に関しては<q>~</q>と、たったの一文字なんですよ!

それはつまり、それだけ「引用」が、はっきりと明示されているのが当然だから。ものすごく頻繁に、「明示的に引用を紹介する」という習慣が定着しているから、なんです。


この<q>の「q」は、quoteのqですね。ようは「引用」の英語です。

で、これが実は、テレビのニュースでも、ごく普通に使われているのです。
引用開始は 「quote」、引用終了は 「unquote」 でして、海外ニュースのアナウンサーのしゃべっているのを聞いていると、けっこう頻繁に「quote」、「unquote」を発音してるんですね。それはもう、意外なほどに多い。

おそらく、欧米の文化は「個人」の文化ですから、「私の発言」と「私以外の人の発言」というものを、厳しく峻別しているのでしょう。欧米人は神様と個人が直接契約して人生を過ごすという考え方を持っていますからね。そういう事なんだと思います。

で、実際、誰かの発言を「要約」してしまうと、意味がかなりぼやける事が多いんです。
でも、日本人は、そういうぼやけた「要約」が好きですね。
で、検察なんて、「要約の総元締め」みたいなところですから、もうむちゃくちゃですわ。検察のストーリーにあわせて、被疑者の発言がむりくりに「要約」されて、まったく逆の意味に使われたりするわけです。

ひどい。

しかし、実は言葉の一言一言の選び方にこそ、その発話者の思いや考え方というのはしっかりと刷り込まれておりまして、「なぜこの単語を選んだのか?」ということをこそ勘案してはじめて、相手の思いの深さがわかる、なんてこともすごく多いんですよね。
だからやはり報道などでは「引用」ということがすごく大事なんです。

で、twitterには、そのあたりまえの、基本の基本が、ものすごくベーシックな機能として標準搭載されてるわけです。
そこが、やはりすごいわけで、それを考えたら、いまの日本のマスコミの「関係者によると」という、引用にすらなっていない出来損ない報道では、絶対にtwitterには太刀打ちできないんですよ。

絶対に太刀打ちできません。

もう、そういうことが、はっきり見えてしまった。

ぜーーーーーったいにマスコミは勝てませんって。twitterによる情報伝達には。
絶対無理です。

で、それがはっきりわかったので、もうマスコミ批判をする気持ちすらなくなっちゃったんですね。意味ないもんなぁ。

まぁ、すぐに日本人がどうこうなるとかそんなこたぁないけど、まぁ時間の問題ですわね。

NHKもダメ。民法もダメ。大手新聞社も全部ダメ。
全部twitterに負けます。

そういうことが、はっきり見えてしまったので、僕がここでごちゃごちゃ書く気を失っちゃった、ということなんです。

ほんとにテレビなんか見てたらダメよなぁって思う。
政府(官僚)の国民洗脳ツールでしかないものなぁ。

そういうことが、はっきりわかって、で、これからは日本国民も、みんなそのことに気づかざるを得なくなるわけですわ。

これはもう、別に主義主張とか、思想とか、そういう話じゃないんですよ。

「VGAよりXGAの方が精度が高い」とか「徒歩よりクルマの方が速度が速い」というレベル。
単に「そうならざるを得ない」という、単なる事実ですわ。

まぁもちろん、日本人は僕も含めて「引用」の大事さが、さーーぱりわかっていない、未開拓民の土人ですから、時代の変化には時間がかかる部分もあるでしょうが、まぁもう「既定路線」と言って良いです。

こういう事を言ってる人がいてるかどうかはわかりませんけど、私はそう捉えました。で、まず間違いなく、そういうことです。構造の違いですから。確定した事です。

さぁ、次の日本というものを考えましょうや。
ねぇ、みなさん。

去年の途中から、「読了した本のタイトルだけは記帳しておく」という事にし始めました。
これがなかなかに調子がよろしくて、月に読む本の冊数がとりあえずは増えるのです。

何冊も読んでいるとわかりますが、同ジャンルの本を数冊(10冊前後)読むと、それだけでその分野に関してはかなりの知識がつきます。

とはいえ、同じジャンルの本を読むのが効率的とはいえ、やっぱり飽きてしまうので、いろいろ平行して読むのが飽きなくて良いわけです。
で、あっち読み、こっち読みというのを繰り返して行くんですね。

でも、それを続けていると、何を読んだのか読んでないのかさっぱりわからなくなりますので、とりあえずは記帳するようになってきたわけです。

で、ある程度リストがたまってきたところで、「この本は面白かったなぁ」とか「この本はイマイチだったなぁ」などの評価をする。…と言っても、そのリストのタイトルのところにちょろっと赤丸をつけるとか、その程度のことなんですけどね。

あるいは、読了した本の中で、同ジャンルの本をチョイスして、一カ所にまとめるとかします。で、書き込みしたり線を引いたりした部分をざっと見直して、再読の価値があれば、傍線を引いたところだけを何度か読み直して、それが残すに値すればノートに書き写す。そうでなければそのまま捨てる、というようにしてます。

ようするに、保存・活用・廃棄のために、この「読了リスト」がすごく役立つんですよ。

最近はアマゾンとかもありますので、タイトルさえ間違っていなければ、細かな情報はネットで検索できるので、とりあえずはタイトルさえ控えておけばそれで良いわけです。

僕の場合はB5のツイストリングノートをタテ3分割にして、左端から順に書いてるだけでして、このノートがタテ36行ありますので、3分割すると約100冊分くらいのタイトルは記帳できることになります。まぁ、この一枚で1年分というところでしょうか。もう少しスピードを上げて、今年はなんとか120冊から150冊は読むようにしたいと思っているのですが、それでも表裏の両面を使い切るには至らないと思うのですね。なので、B5一枚で1年というパターンは変わらないかなぁと。

手間はものすごく少ない割に、読書量を増やすためのモチベーションアップに効果が高く、しかも、自分の学習過程の把握にも大きく役立ち、メモした後のリストの活用範囲も大きいので、僕は多くの皆様に、この方法をお勧めしたいです。なかなかにメリット大であります。

「読了リスト」ぜひご活用ください。


なんと言えばいいのか…。

優れた人だなぁと思ってる人を、何人かフォローしてツイートを見ておくとtwitterのタイムラインに、とんでもなく面白い情報が、次々に流れてきます。

小沢さんの不起訴に話にしても、いろんな見方があって、それぞれになるほどという話が多様にわかる。
いろいろ書きたいんですけど、とにかく先に書きたいのは「ツイッターをしよう!」ということですねぇ。

テレビ・新聞の報道が、いかに表面的で薄っぺらいか。
もちろんネットの情報には、勘ぐりとか噂だけの情報もあるけれども、それでも、何十人もの人のつながりという検証過程をくぐり抜けて広がるツイートには、そういう「怪しさ」をくぐり抜けてきた力があるってものです。

小沢さんの不起訴は「当然やん」と思うし、検察もマスコミもかなりひどいとは思うのですが、しかし、それよりもっと思うのは「小沢さんはツイッターしてないしなぁ。良くも悪くも古いタイプの政治家って事なんやろなぁ。」という事です。

メディアの問題にはクロスメディアオーナーシップの問題もあるし、ツイッターによる民衆の側の情報共有環境という対抗的仕組みもあり、記者クラブという日本独自の慣行の問題もある。
で、小沢さんはそういう新しい仕組みには全然通じてないし、そういうところで「説明不足」という感じは、どうしても残ってしまうわけですわな。

とは言うものの、政治もまた職人芸のところがあって、徒弟制度のように弟子として秘書を雇って、その住居を与えて一緒に過ごす時間を増やしながら民主主義を叩き込むという部分も、おそらく必要で、そういう意味で小沢さんは不動産を購入したんでしょう、きっと。

しかし、そういう徒弟制度みたいな事が成り立たなくなってきているような社会事情もあるわけだし、そこの「いまの風」みたいな事も、うまく取込んでもらわないと、政権が安定しないじゃんかさー、というのは、やっぱり思っちゃうわけですわね。

徒弟制度と、奇しくも書きましたが、twitterって、徒弟制度の現代的ライト化システムという側面があって、日々つぶやきに触れていると、やっぱりそういう人の意識に感化されていきますわな。学習していくというか、受け入れていく過程というか。回りの人の生き方そのものを、「ふむふむ。まぁ、それもアリでええんと違うか?」という気持ちになってくる。

で、そういう下地があった上で、情報提供があると、「なるほどなぁ」と、これまた積極的に評価できていってしまったりする。
ザイオン効果が自動的に働くわけですわね。

また、ある情報に対して、ピンと気付くか? あるいは大事だからこそ、しっかり腰を据えて情報を集めるか、あるいは即抗議をするか、などなどの「その時に適切な反応」というのがあるわけです。それは自分のキャラクターによって、変わってもくるし、いちがいにどう反応するのが良いのか?まではわからないですが、そういう事をいくつも事例を中心に見ていけるわけですから、そういう意味でもtwitterは面白いわけです。落語で兄弟弟子を見ながら学ぶ仕組みにも近いものがあるかも知れません。

ともあれ、そんなこんなで、twitterでいろいろの人のツイートを流し読みしていて、いま気になるのは、
●石川議員を起訴したという事自体がかなり無茶でっせ、この公判をしっかり見つめていかないとあきませんな。
とか、
●小沢さんはアメリカと不起訴前にどんな取引をして手打ちにしたんやろか? 気になるなぁ。
とか、
●朝青龍の引退劇は、小沢不起訴による検察批判・マスコミ批判隠しのための工作なのではないか?酒井法子と一緒やんけ。
とか、
●そんな事より、テレビのアナログ放送を廃止してデジタルだけにしたら、実放送と3秒差が生まれて、時報も、津波情報も、地震情報も、テポドン警報も、全部でけんようになってまうで。それって国民の生命安全の危機なんと違うの?
とか、
その他いろいろあるんですけど、(たとえば、経世会系の政治家は次々に不審死してるし地検からも狙われてるのに、清和会系はずっと安泰で不審死もないとか)そういうことよりなによりも、


●まずはツイッターが大事でっせ。


ということになるんですよね。そういうことを、かなり強く感じてしまってるんですよねぇ、この数日。

うーん、書いてて自分で気付いて驚いたけど、

「twitterは徒弟制度の現代的ライト化システムである。」

まさに、これだなぁ。ほんとに。

これが一番感じることだわ。

ちゅうことで、日々ツイッターするために、やっぱりiPhoneを導入することにしようと思います。
はい。

最近、人脈を広げようと思って、異業種交流会に出たり、いろいろしてるんですけど、世の中って広いし、すごい面白いですね。

で、その人間関係のつなぎに良いかな?と思って、いまはやりの twitter をやってみてます。

そしたら、これがすごくいい!
特に、「人」を介してニュースが入ってくる感覚がすごく良いのです。こっちからブログを見に行く必要がない。なのに大事なニュースはちゃんと入ってくる。

ですから、twitterでちゃんと情報公開をしているような人をフォローしておけば、世の中のちゃんとした情報がちゃんと入ってきます。
なので、とりあえず、政治を中心に取材活動をしている上杉隆さんと、現総務大臣でありながらtwitterしている原口一博さんとを、いちおう見てたんですが、そしたら、昨日、すごく画期的なことをやってました。

説明が面倒なんで、以下の動画を見てください。

http://www.ustream.tv/recorded/4393054

1時間あります。
ほんとうに大事なことが何かっていうのが、かなり鮮明にわかります。
いまのテレビ新聞が、どこの誰かすらわからない「関係者」の話をダダ漏れに流しっぱなしなのと、どこの誰かがはっきりと分かっているtwitterの人の集まりとなら、圧倒的にtwitterの方が信頼できるニュースソースだって言うのがイヤでもわかってしまいますな。

この間「twitter革命」って本も読み終えたところでして、津田大介さんの「津田ってる」というtwitterを使った同時進行レポートなんかも、かなり有用かつ、社会的インパクトは大きいでしょう。

もう、多分、この動きは止められない。
マスコミの腐った部分は多分、もう機能しなくなるでしょう。

テレビを、(それもNHKという国営放送ですら)ダラダラと見ているだけでは「ある片方の情報」しかわからない偏った状態になってしまうんだ、という恐ろしい現実がハッキリと見えてきますね。

「関係者」というのが、検察の関係者なのか、小沢事務所の関係者なのか。それすら、視聴者には「伝えられていない」という状態が、国民の「知る権利」を大きく奪われているのだ、ということを正しく理解するべきですね。

いまのマスコミは、ある断片情報だけを取り上げて、事実をひん曲げて書くというとんでもない事ばかりやってる信用のできないメディアです。
今回の小沢叩きとtwitterによって、完全にマスメディアは国民からの信頼を失うでしょう。これはかなりメディアにとっての痛手です。信頼回復までに相当の時間を必要とします。

で、その間に、少なくとも日本では、twitterの広がりが、恐ろしい勢いで信頼を獲得していくに違いないです。
新聞・テレビがアホだから、その欠けてるところを埋める形で定着していくんじゃないかなぁと。僕はそんな感じがしてます。

記者クラブの問題なんて、前々から言われてはいたけど、マスコミで取り上げられる事なんて一切なかったわけです。でも、いまはそうじゃない。ものすごい勢いで「これはアカンやろ」という動きが出てきてるんですね。

ここで僕がブログでゴチャゴチャ書くより、みんながtwitterする方が、うんといいとすら思います。
みなさんtwitterしましょう。

どうせなら、東京地検の樋渡氏も佐久間氏も大鶴基成氏も、twitterされたらどうですか?
いやまぁ私人の立場でしか何も言えないでしょうから、それは無理ですか。ははははは。

でもせめて、公的な記者会見にはtwitterをやってる記者に入ってもらう、くらいの事はして欲しいもんですな。

ともあれ、上に貼付けた動画、まぁ見てください。
かなり面白いです。

原口さん面白いよなぁ。ちょっと太りすぎやけど。ダイエットがんばれ。朝からカレー食ってたらアカンと思うわ。まぁ、仕事をちゃんとやってるからええけど。

そんな事もわかるtwitterでした。

消費税は0%にできる。
消費税は0%にできる。
今日は、先日も書きましたが、

消費税は0%にできる。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4478009848

という書籍の書評を書きます。

えー、だいたい、1997年でしたか、バブル崩壊の後に橋本龍太郎が首相になって緊縮財政をやって「あれは失敗でした。私の政策ミスで金融恐慌を作ってしまってすみませんでした。」と明確に謝ったわけです。

だから、その次はちゃんと積極財政に向かうのが正しいわけで、実は後を受けた小渕総理はちゃんと積極財政に転じて、いやまぁ、公共投資の内容は昔ながらのハコモノばっかりだったかも知れないですけど、ウソでもちゃんと国の財政を黒字に転換させたわけです。
ちゃんと黒字になったんですから。いやほんまに。積極財政にしたら黒字になるっちゅうねん。ほんまに。

が。

しかし、たぶん、官僚たちは、財政均衡(=税収の範囲で歳出を決めるという考え方)を、しつこくしつこく小渕さんに吹き込んで、いじめにいじめ抜いたんでしょうな。たぶんそういう事なんだと思うんですが、小渕さんは、自分の経済政策が正しいのだ!という確信も得られないまま、
「世界一の借金王」と自己卑下して、結果、死んでしまった。

まぁ、官僚が殺したんです。これは。はっきりそうです。
官僚は人殺しですな。
人殺しの官僚どもめ。お前らが死んでわびろっちゅうことですわ。

しかし、当の官僚たちは、悪いことをしたとは、ちーとも思ってないでしょうが。(そこがまた、この国のものすごく不幸なところです。)

このあたりが、もうどうにも、ずーーーーっと変よなぁって思ってたんですね。
「不況時には減税と公共投資」と相場が決まっているのに、どうにも「財政難でそれも出来ない」という話が喧伝される。

「日本は借金国家で、ひとりあたりにすると、すごい借金になる。だから税金でそれを返していかねばならない。」

という理屈。

これがどうにも、おかしいよなぁーと思えてしょうがなかったわけです。

そんなもんね、国債を買ってるのは銀行でして、その銀行の資金は国民の貯金ですよ?という事は、国民が税金で国債の支払いをするっていうのは、「自分が貸した金を自分で返す」というおかしな事にしかならないじゃないですか。
ここがどうにもおかしい。話が変です。

そりゃもちろん、アルゼンチンみたいに、国債を発行しても海外から資金を調達しなけりゃどうしようもない国とかなら、国が破綻するって事もあるかもしれませんが、国内で国債を消化できてる日本で、その理屈はおかしいんと違うん?

というのがずっっとありまして。

なのに、世間的にはテレビ・新聞では「国の借金を返すためには消費税アップも仕方ない」という話ばっかりになってしまったわけです。

で、あやうく僕も「そーなんかなぁ」と騙されかかってたんですが、この1年、西松建設問題から始まって、SMAPの草なぎ君の「逮捕」、自民党(=官僚の操り人形政治集団)を批判した北野誠が干された事件、選挙期間中だと言うのに官僚の問題を取り上げもせずに酒井法子の事件ばっかり報道したテレビ・新聞と、マスメディアの異常さがどんどんヒートアップしてきたので、「なんだこれ?おかしくはないか?」と思っていろいろ調べるようになってきたんですよね。

それでわかったのは、まず官僚とマスメディアというのは、戦後何十年も経って、互いにつるみあっていて、いまや完全に一体化してしまっているという事実でした。
これはもう、どうしようもないくらいにくっついちゃってるんですよね。

だから、まともな意見とか論議とかはマスメディアには存在してないわけですよ。本当に正しい意見とか、政府の意見を完全に否定するような話は、マスメディアには登場してこないんです。

で、政治家も少なくとも自民党の上の方の人とかは、官僚にべったりなので、すでにもう「狂って」しまってるわけです。
いや、実際、官僚は、あらゆる数字や情報を、圧倒的な量で持っているから、とにかく、その情報量で絶対的優位になってるわけです。

ということなので、頼れるのは書籍くらいしかないので、けっこう僕は本を読むわけです。
で、政府が言ってる事と正反対の事を言ってる人の話を聞くと、やっぱりかなり面白い。「そうか!なるほど!」と納得するわけですわ。

で、先日

●国債を刷れ!「国の借金は税金で返せ」のウソ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4883926788

という本を読んで、「国の借金が膨大になっている」という喧伝こそが、かなりおかしいのだ、ということを、ようやくだんだんと理解できるようになってきたんですね。

たとえば、借金と言うことで言えば、僕もマンション所有者ですから、すごい借金を背負っております。しかしですね、いくら数千万円の借金を背負っていても、マンションは資産なのだから、帳簿上はちゃらなわけですよ。

で、それは日本の国家財政でも同じ事でして、借金に匹敵する資産があるなら、それは別に問題はないわけです。
こんなことは簿記の基礎をやっていればわかることです。
実際日本の場合、土地とか建物とか資産部分はかなり大きいらしいのですね。だから、そういう資産部分を考えもせずに「借金」だけを取り上げて「こんなに借金があるから消費税で返さなきゃいけない!」という言い方はかなり変なわけです。

しかもなおかつ、その借金は国民が国民から借りている借金で、この「国債を刷れ!」という本の言い方を借りるなら「日本家という家があって、お父さんがお母さんのへそくりを借りているような状態」というだけの話でして、別にローン会社(他国からの借り入れや海外投資家からの借り入れ)から借りてるような状態ではありません。
というか、実は日本はアメリカや他の国に膨大な金を貸している、お金持ちの国なわけです。
(ただし、貸してる金が貸し倒れになる可能性はあるんですが。まぁ、これは別の話。)
だから、それだけでも、政府が言う「国の借金は税金で返さなければいけない」という理屈は、かなりおかしいわけです。

で、「国の借金を税金で返す」というのが、かなりおかしい話なのだ、というのは、この「国債を刷れ」で納得したんですが、それでもこの本には経済政策全体のあり方を問い直す力強さが感じられなかったんですね。

で、たまたま、またまた副島隆彦先生のお弟子さんのアルルこと中田安彦さんのお話しになりますが、あの方のブログに、この「消費税は0%にできる」の紹介がありまして、ちょっと読んでみようという気になったわけです。

で、じっくり読んでみると、いやー、実にすっきり。前々からおかしいよなぁ、変だよなぁと思っていたことが氷塊するように良く分かって。「そうやんけ!こういう経済政策を取れば、全然問題ないやんけ!」という結論に至った、ということなのです。

この「消費税は0%にできる」では、後書きの項目で主張を以下の10ポイントにまとめておられます。

(1)日本は財政危機ではない
(2)経済成長率を向上させれば、増税なしで社会保障費をまかなえる。
(3)財政規律の指標は純債務を名目GDPで控除した数字
(4)財政改革の数字目標は世界中ですべて大失敗
(5)経済を活性化させれば財政規律は改善する
(6)特別会計の債務は国民の債務ではない
(7)「10年ゼロ成長・10年デフレ」の元凶は「基礎的財政収支均衡策」にある
(8)一国の財政収支を家計にたとえるのは誤りだ
(9)現在の政府債務残高は子供の世代に引き継がれる。これを現世代で圧縮するため経済成長を抑制して債務の回収に走るのは大きな誤りである
(10)公共投資を5兆円出せば、4年目でほぼ5兆円の財政支出を税収の増加で回復できる。

どれもこれもまともな話なんですが、詳しく解説するより読んでいただいた方が良いと思うので、ここでは僕が理解した大きな流れだけをざっくりと書いておきます。

まず、僕がずっとおかしいと思ってたのは「赤字国債は経済を成長させて、税の自然増収で返すのが本筋やろ」という事でした。
国民が儲かってもいないのに、税率だけ上げたって、そら返せませんで。無い袖は振れんっちゅう奴です。当たり前の話ですがな。

なのに、消費税アップで返さないといけない!とか言ってる。


でも、ちょっと考えて欲しいんですけどね、たとえば、この数年で、年収100万円ちょっとという貧困層がかなり増えてきてるんですよ。それはいろんなところで見聞きして、良く知ってるんです。この数年ですごーーーく増えた。

じゃ、年収100万円だったとしたら、月当たりにしたらいくらになるかというと、8万円ちょっとなわけです。たった8万円で生活をやりくりしないといけない。
で、年収100万円の消費税5%というと、5万円なんですよ? これ、すでにおかしいと思いませんか? 月8万円で生活してる人間に、年間で5万円も払えと言う方がおかしい。
年収100万で一人暮らしだったら、部屋代を4万におさえても食費が4万円ですよ。そんな生活の人間に「年5万円払え」っていうのはあまりにひどかろう。

でも、いま、現実にこの社会ではそれが起きてるわけですよ。消費税は食い物や寝るところにもかかってきますからね。

こういう時は減税を言うのが当たり前なのに、消費税を12%にする、なんて話が出てきてます。これを政府の言うように年収100万円の人から12%取ったら、年間で12万円、月二万円ですよ。食費4万でカツカツなのに、そこから2万円取る。

そんなもんキチガイ沙汰でしょう。
言うてる事がおかしい。
頭が狂ってる。
異常や。

で、このあたりを、この「消費税は0%にできる」では、外国と比較して、日本があまりに高税であることを、しっかりと暴いてくれてます。
だいたい、消費税と言っても、日本みたいに食品から何から全てに税金をかけるなんてことはしてないんですよね。
生活必需品に消費税はかけず、嗜好品・贅沢品と考えられるものを中心に課税してるんだそうです。そういう具合に考えていくと、生活必需品にかかっている税金を免除して、その他の品目に上乗せしたとしたら、総額で嗜好品・贅沢品に10%の消費税をかけてるのと同じような状態なのではないか?というお話しなわけです。

消費税はこういう具合に低所得者層に「厳しい」税制ですから、もともとあまりに積極的に活用しないで、贅沢税的に活用するのが正しい使い方なのではないか?と僕は感じますけどねぇ。

ところが!ですよ。現在の日本では、消費税は、輸出業の会社には免税措置が取られているのだそうですね。輸出企業を積極的にサポートするという体制になってるんです。

ところが、たとえば、お医者さんが医療用の機械や材料を仕入れる時には消費税を支払わねばならず、そういう事が結果として逆進性(貧乏人に厳しく、金持に甘い税の仕組み)を生み出してしまっているという事も起きているそうで、この指摘も、しごくもっともだと思います。

で、問題なのは、この「輸出企業を国として応援する」という考え方が、果たして正しいのかどうか?なんですね。

このあたりは前出の「国債を刷れ!」の方が詳しいですが、ようは日本のGDPにおいて、純粋な輸出産業の比率は数%にしか過ぎないんですよね。
いや、もちろん、海外に送って売った製品の売り上げだけでして、たとえば、その製品を国内で輸送した輸送費などは含まれてはおりません。ですから、国内の景気に全然関係ないかといえば、そんなことはないわけです。

が、しかし、そういう製造コスト・輸送コストもひっくるめて海外へ輸出した売上で支払っているわけですから、そういう意味では数字的には大きなものではないということは変わらないんですよ。

GDPから、法人による投資やら、いろんな要素を排除していっても、日本の場合は個人消費が6割を占めます。ですから、消費税なんかを上げたら、いきなり経済が停滞するのは当然なんですね。

ですから「消費税12%を!」と叫んでる財務省は、正真正銘のキチガイそのものなんですよ。
頭がおかしい。
はっきりと。

では、なぜ彼らは、そういう「おかしな考え」を持つに至ったか?というと、ようは、官僚達の机上の論理である「均衡財政=税収の規模に応じて歳出を決める」という考え方に、かなり深く冒されてしまっているからなんですよ。

「税収の入りに合わせて、歳出を決めるのがまともな考え方だ!」

と、ひたすら思ってるわけです。
心底信じてるわけです。
これを、心から信じてるからやっかいなんですね。

この考え方を実現することが、「国民のためになるんだ」と思ってるから、さぁ大変です。

官僚の言いなりになるテレビ・新聞まで、この狂った考え方を大宣伝してしまっている、というわけなんですよ。

けども、この「財政均衡策」をやって成功した国とか政府とか、全然ないんだそうです。で、借金を作ってでも経済を回した政権の方が経済的にはうまく回っている。
それを、この「消費税は0%にできる」では、キチンと書いてます。

たとえば、1930年代のアメリカのニューディール政策による公共投資による不況脱出の過程。逆に、レーガンの緊縮財政による経済施策の失敗。そしてその後を受けたクリントンの積極財政の成功。
また日本においても、金本位制への回帰(緊縮財政)の失敗から、その後の高橋是清(ダルマ宰相)の積極財政の成功と、歴史の検証をしています。

ようは、結局は積極財政を取った方が成功してるわけです。後で黒字になる。

もちろん、公共投資って言っても、何に投資するかは大事ですよ。それが今後の社会資本になるようなものなら、それこそ借金してでも実現しておいた方が良いわけです。

「赤字国債は子供達に負の遺産を残す」とか言いますけど、仮に50年前に赤字国債で新幹線を作ってですね、その借金をJRが新幹線の運賃で返済したとして、それが子供にとって「負の遺産」なのか?っちゅう話ですがな。
もちろん、赤字路線だったらどえらい負の遺産になるでしょうけど、有益だったら「負」というよりは「正」の遺産でしょ。
そういうことの精査をしなくちゃ、何の意味もありゃしませんって。

この「消費税は0%にできる」においては、その投資するべき項目を「社会共通資本」に絞って、
●自然環境(大気・森林・水・土壌などの保全)
●社会的インフラ(道路・交通機関・上下水道・電力・ガス)
●制度資本(教育・医療・司法・金融制度)
の三分野に投資すべきだ、としてます。

実はこのあたりは、小泉「構造改革」によって、地方交付税が削られる事によって、この10年どんどん予算がなくなってきた項目なんですよ。
いまの医療の現場の悲惨さは、目に余ります。
特に3年ほど前から、本当にひどくなってます。
もう、ええかげんにしてくれ!という感じでしょう。地方は青息吐息ですからね。
鳩山政権になって、多少は地方交付税を戻してきたのは、まぁ良かったんじゃないでしょうか。まぁ、現場ではまだまだだとか、配り方が問題とか、いろいろ意見はあるでしょうけど。

こういう事をすれば、経済が上向きになって、税収が上がります。自然増収になるんです。それこそが正常な国のお金の回り方というものです。

しかし、いま現在の官僚たちは「景気が良くなると、金利が上がって国債の金利が支払えなくなる」と真剣に恐怖してるみたいなんですよ。

ここがね、僕がずっっっっっっと分からなかった点だったんです。普通は「国民が富めば、政府も富む」と考えるのが当たり前なのに、どうしてそういう考えを採らないのか?そこがまったくわからなかったんです。

でも、ようは、「国民に投資をしても、金利が上がるだけで、税収は増えず、国の財政が破綻する。」という危険だけを考えてただけなわけですよ。官僚は。

なんでそうなるかというと、彼らは働いたことがないからです。

税金というのは、それこそ「ムダ金」なんです。経済行為として支払われているお金ではありません。だから、彼らの生活費として支給されている「棒給」も、正しい経済行為の結果として価格決定されているわけではなくて、彼ら自身が勝手に法律を作って決めている。
だから、彼らは生まれてから死ぬまで「はたらく」という経験をせずに過ごす人間のあつまりなわけです。

だから経済行為が「喜びの交換」であり、健全な形であれば自然に拡大していく行為なのだ、という「社会への信頼」がないんですよ。

つまり、正真正銘の「精神的カタワ」なんです。

社会を信頼していない人間が、この国の法律を作り、運営している。だから「財政均衡」という政府の金蔵の出入りしか見れなくて、そのキチガイの発想である「財政均衡」にしたがった構造改革、小泉改革路線が続いた10年が、こうも無惨な結果になった、ということなんです。

これは、正しく、彼ら官僚が「精神的カタワである」ということを、官僚自身も気付かないといけないし、国民の側もマスメディア(=単なる官僚のお先棒担ぎ)に踊らされずに気付かないといけないんです。
どっちも、その異常性に気付いていないということが、この国をこんなにも不幸にし、痛めつけてきたのですから。

で、こういう積極財政をするためには、実は赤字国債を発行しなくても大丈夫なんだ!と言ってるのが、この「消費税は0%にできる」のすごいところでもあります。

というのは、何より官僚が言う「政府の赤字」は、全省庁に一括して配られる「一般会計」の粗債務だけの話だ、と見破っているからです。

政府の予算には、一般会計だけではなくて、各省庁ごとでの特別会計というものもあるわけです。

この特別会計を総合すると、「事業継続性」を維持するために剰余金を取っても良いとしているために、かなりの額の予算の余裕ができているわけです。仮に税収が少なくても政府の施策では実行せねばならんものもあるわけですから、まぁ当然と言えば当然かも知れません。

が、しかし、その剰余金をすべて合計すると、一般会計で借りた赤字国債の額を上回るって話なわけですよ。
特別会計においては、各省庁ごとで別個の収入枠もありますから、そういう事になってるわけですね。もちろん特定財源とかもあるから、簡単に右のものを左に動かすということはできないにしても、


総額で黒字。


であるなら、どうにかなるに決まってるじゃないですか。
それをどうにもしないのがおかしいわけです。
そういうものは、どんどん使えば良いわけです。

いま日本では、輸出産業が優遇されているので、法人税が下げられ、その下げられた分の税が消費税に上乗せさせられて、一般市民の負担になっているんですね。

で、小泉純一郎が言ってた「改革なくして成長なし!」というのは、ようは企業が伸びれば、景気が回復する、という理屈だったわけです。だから法人税を下げて消費税に頼るという形になった。

でもね。そんなもん、個人消費が6割を占める日本で消費税を上げたら、国内市場が冷え込むのは当然で、そうなれば、企業は「国内で稼げないから海外で稼ぐ」という話にしかなりません。

そうなると、「投資」はどんどん海外に向くわけです。50年前なら、新幹線という国内投資にお金が向けられて、その利益・公益を、いま我々は受け取っているわけですが、いまは日本のお金で、橋もビルも道路もクルマも、どんどん海外にできてるだけなわけです。その利便性やメリットを我々国民が享受できないということにしかなっていない。

だから我々国民が「豊かさ」を感じられないのですよ。
そういう事なのです。

いまだに官僚たちは消費税を12%に!などとほざいていますが、そんなことをしたら、それこそ国内市場がより落ち込んで、日本はより一層ひどい状態になるのは目に見えてます。

いま必要なのは、消費税のUPではなくて、医薬品や食料品などの必需品を消費税対象から外すような「弱者保護の税制」「消費税減税」なんですよ。
それが当たり前の施策です。

年収100万円の人間から、年12万円も分捕ろうと言ってるような人間は全員鬼であり、そういう考え方に冒されている官僚+マスコミは、すでに、まともな理屈を自分でキチンと考えられない、暴走したキチガイ、カタワでしかないんです。

ここのところを、正しく理解しない限り、我々には幸せはやってこないよなと、少なくとも僕は思います。

ですから、ぜひとも多くの人がこの本を読んで「消費税はなくすべきもので、消費税増税などもっての他だ」という意識を、ぜひとも持って欲しいなと思うのであります。

それは、マスコミによって作られた「大いなる幻影」なのです。

「こども手当」の次は「同居手当」だそうです。
「こども手当」の次は「同居手当」だそうです。
いつものように本屋に行くと、月刊誌「ゲーテ」(幻冬舎)の表紙がドーンと小沢一郎だったのであります。

いやー、この時期に実に面白い。
幻冬舎はやっぱりやりよるなぁ、という感じ。幻冬舎と言えば見城徹。著者に自ら会って口説き落として原稿を書かせる天才です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E5%9F%8E%E5%BE%B9

いやしくも文章を書いたり、マスコミに従事している人間なら、人と会って直接取材するということの大切さとおもしろさとスゴさを、ちゃんと実感してもらいたいなぁとつくづく思う。

検察のリーク情報をだらだらと垂れ流してばかりの「記者」なんて、何の仕事もしてないよなぁ。いや、ほんまに。

で、そのゲーテが面白そうだったので、買って読んでみると、小沢一郎が、

「子ども手当のあとは、同居手当をやりたいなぁ」

と言ってるんですね。
うひゃー、すごい!
実に正しいなぁって思う。

いま、世の中にあふれてる賃貸物件は、まぁたいていが「新婚向け2DK」とか「親子で暮らす3LDK」とかしかないわけです。
ここで同居手当をやれば、4LDKとか二世帯同居用の賃貸物件が生まれてきますがな!
その経済効果たるや、どれほどのものか!

で、しかも、同居するぞ! という気持ちにさえなれば、後はメリットが山盛りある。いま、世間で問題になってるあれやこれやの問題が、かなり一気に解決するんですよね。
子ども手当はええけど、子育てのノウハウ自体が消滅しかかっていて、それが緊張するだけの母親を作り、子どもの心理状態もよろしくなくなる。
でも、子育てに慣れた老いた母などがいれば、おおむね「こうすりゃええわい」とアドバイスがもらえて、若いお母さんも安心する。そういうような仕組み作りこそが大切なわけです。
同居すれば、そういう事がうまく緩和される。
介護の問題にせよ、こころの問題にせよ、いろんな事が「同居」することで、じんわりと溶けていくように思うのです。

そんな事を思うと、やっぱりすぐれてるよなぁ、この人はって思わざるをえないのです。
いつも、言ってる事があまりに当たり前で普通だから、いまいちピンと来てなかったんですけど、この「子ども手当の次は同居手当」という一言で全部がパシっとつながって「そらええわ!」と思いましたな。

いま、「消費税は0%にできる」という本を読んでいるんですけど、で、この本はかなり重要だと思うので、またあらためてレビューしますけど、やっぱり日本の不況は、官僚が均衡財政をやたらと求めて公共投資を抑えてしまった事がかなり大きな原因になっているよなぁって思うわけです。
この本を読むと、そのあたりが本当によくわかります。
「財政難だ!」とかやたらと宣伝されてるけど、そんなものは官僚の「だまし」であって、一般会計の荒債務だけをとりあげて「予算がない」と言ってるだけで、特別会計では毎年、剰余金がわんさと出てるんじゃないか!
しかも国債で調達してる額より多い額の剰余金が出ている。

こんなもん、バンバン公的な投資に使わないとダメですよ。
余った金で、同居手当をやればいい。
特別会計をしっかり腑分けしないとあきませんわ。積極財政、公共投資ですよ。

結局、この15年を見ても、日本の経済が上向きになったのは、「借金王」と自嘲気味に自分の事を語った小渕首相が積極財政をやった後の1年くらいなわけです。で、経済が回ったおかげで税収が伸びて、ちゃんと黒字になってたんですね。あのときは。

だから、内容はどうあれ、やっぱり公共投資をすれば経済は回っていくわけです。
小渕さんのことは、ちょっとバカにしてたけど、それでも官僚が「財政の健全化を!」と要求してくるのを必死で突っぱね、財政健全化策を凍結したんだから、本当に偉い。改めて評価しなおさないといけませんわね。

で、その小渕さんの積極財政への道を開いたのが梶山静六さんでした。「財源がない」と公共投資を嫌がる官僚に対して政府保有株を担保に交付国債を発行してでも経済を回せ!と言ってたわけですから。

高橋是清の昔から、経済がうまく回るのは、たいてい積極財政なのですよ。
公共投資をキチンとやれば、経済が回り、税金は自然増収となって、国家運営も黒字になるんです。
投資を抑えたレーガンは失敗して、積極財政にしたクリントンは成功した。
歴史を見れば、そういう例ばかりなわけですよ。
官僚にだまされちゃいけません。

だから、そういう意味では「同居手当」も、かなり良いなーと、僕は思いますねぇ。
やっぱり政治家は、こういう具合にちゃんと「旗」を立ててくれないと困りますな。
「こっちだ!」と方向を指し示す。
まずそれが大事でしょう。

そういえば、小沢一郎が「世界の指導者10人」の中に入った、という記事もありましたな。

(引用開始)---------------------

注目すべき指導者で小沢氏堂々世界3位!

 国際政治上のリスクを分析する米調査分析会社「ユーラシア・グループ」が19日(日本時間20日)、「今年の注目するべき世界の指導者10人」を公表し、政治資金問題で渦中の民主党の小沢一郎幹事長(67)を3位にランク付けした。1位は中国の温家宝首相、2位はオバマ米大統領。4位には今年の総選挙で政権交代の可能性がある英国の最大野党保守党のキャメロン党首が続いた。同調査は小沢氏を「党内最強の政治家」とし、党代表の鳩山由紀夫首相(62)はランク外だった。

(引用終了)---------------------

いやまぁ、私は鳩山さんも、かなり大した政治家だと思ってますけどね。かなりすごいと思いますよ。鳩山さんも。
でも、やっぱり小沢さんやなぁ。というか「子ども手当」&「同居手当」やなぁ。小沢がどんな人間でも、そんなこたぁどうでもいい。それより、こういう民衆の側に立った、「経済が回っていくような政策」こそが大事なわけですよ。それさえあれば、別に誰がやったってよろしい。

とにかく、まず我々国民が幸せになれない限り、国の財政だってまともになるわきゃないのだよ。わかっとるかね?アホで無責任な官僚たち。消費税でまかなうことを考えるより先に、自然増収で稼ぐことを優先課題にしろっちゅうの。ほんまに。

ま、ともかく、大事なのは政策でっせという話です。

これから日本がどうなっていくか、なかなかに楽しみですな。

ほぼ、まる一年前に、

●すべての事は、カンタンである。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200902212031127679/

という日記を書きましたが、最近、改めて、この標語の力を再認識しておるのであります。

なんて言うのでしょう。



●恐怖感が消える、秘密の呪文。



という気がしてしょうがないです。
前の日記にも書きましたけど、「あなた、ビルを建てられますか?」と聞かれたら、ビルのオーナーや工事現場に従事してる人以外は、「ブルブルブル、とんでもない!」と最初から否定すると思うんですよね。

でも、ビルは建ってます。

つまり立てる方法はちゃんとあって、ただ、その方法を知らないから「無理だ」と思っているだけなんですね。

この事実は、かなり重要な事なんだよなぁと、最近はしみじみと思うのです。実現方法を知らないと、「無理だ」とか「難しい」とか、そういうマイナスの気持ちがどんどん前に出てきてしまうわけですね。

無理だ。
できない。
いまより悪くなる。

とか思ってしまう。

いやー、それはおかしい。それは単に、やってない、あるいは、やり方を知らないから、どうなるのかがわからなくて、怖がってるだけでしょ? って思うわけです。
だから、ひとつ言えるのは、


●無知は恐怖を温存させる。


ということなんですよね。
わかってしまえば、どうってことない話でも、わかってない時はものすごく恐怖感とか、イラつきとか、不思議な気持ちとか、そういうものに支配されてしまうわけです。コントロールのしようがないから。

このあたり、手品のタネ明かしがそうですよね。
タネがわかる前は、不思議で仕方ないわけですけど、わかってしまえば、ものすごくカンタンで馬鹿らしいくらいなわけです。
世の中って、そういう手品の種明かしみたいな事ばかりで出来てるよなぁってすごく思うのです。ほんと。わかってしまえばカンタンなのに、わからない人からは恐怖されているというような事柄が、どれほど多いことか。

ある手品師が、未開の村に出かけて、マジックを村人に見せるというのをテレビでやってたんですよね。で、やってた手品も、ものすごくカンタンなものだったんです。人間が物陰に隠れていて、手品師が大きな布を動かしているスキに、その布の後ろに移動して、準備が整ったら、布をパッと取る。ただそれだけの手品なんですけど、移動のタイミングをすばやくやることで、本当に、何もない空間に人間がいきなりパッとあらわれたように見えるんですね。

ものすごくカンタンな手品なのに、見ている側は「そんなことはできない」という否定の気持ちで見ているから、信じられないわけです。「できない」と思われることを手品師は練習して、やってるわけですよ。カードマジックだってそうだし、たいていの手品はそういうものです。ちょっと練習すればできる。でも、普通の人は「練習すればできる」という事が分からないから、「魔術を使った」ということになってしまうんですね。ようは、そういう仕組みを知らないから、不思議に思って「魔術だ」と言って自分を納得させようとする、ということなわけです。

あげくの果ては「あいつは魔術を使う悪い奴」とかまでなってしまったりとかしますわね。
まぁ、無知な人はそういう風に、自分の中で「合理化」するしかないわけですよ。「できない」「できるわけがない」を前提に考えていたら、そう思うしか他に道はなくなりますからね。

そんなこんなを考えていると、結局、いろんな事は、四の五の言わずに、さっさとやってしまう、というのが、正しいよなぁって思うんです。
何事につけ、知識を得て、実際にやってみるって言うことが、心の問題に対する最良の処方箋なんだよな、って思うんですよ。

で、その「四の五の言わずにさっさとやる」という時に、


●すべてのことは、カンタンである。


という考え方が、かなり、相当、非常に効果的であるように思いますねぇ。
「怖い」と思うから、腰が引けて動けなくなっちゃうんだし、動かないから、よけいに怖くなっちゃうわけで、まずは動いて確かめるって事をしなくちゃいけないわけです。

で、その「怖い」という思いは、結局は、自分が動いてなくて無知だからこそ生まれている事なわけですよ。

なら、動こう。

そう思うわけです。

まず、動いて、この世の仕組みを見てみよう。

そう思う。

そうすると、「ははーん、なるほど、こうなっていたのか。」と仕組みが分かってきて、安心感も増えてくる。

その、動き出すための、第一歩を、よりスムーズにさせてくれる言葉、考え方が、


●すべてのことは、カンタンである。


だよなぁって思うのです。

とにかく、何かを実現している人は、まぁ大抵の場合、「カンタン」にやってるわけです。額に脂汗を流しながら、必死に努力して、ヒーハー言って実現してるって事は少ない。そういう「しんどい努力」は続きませんからな。

まぁ、ちょっと気軽に「カンタンやと思うし、やってみよ。」と動き出すという、そういう事ですな。

それこそ、本を一冊読むのだって、難しいと思ったら読めませんからな。いやほんま。

とにかく、すべてのことは、カンタンなのだ。
だから、さっさとやってしまうのだ。
やってるうちにカンタンになってくることも多いし。
そう考えるのが、心に対して「吉」だと思うのですよ、私は。

いや、ホンマ。

実は歌舞伎というものを見たことがなかったので、人間国宝坂田藤十郎の仮名手本忠臣蔵を見に行くことにしました。

しかし、最初から、通し狂言を丸一日見るという事をやったので、かなりヘビーでしたなー。
11:00から夜の8:00まで、ずっと見ていたわけですから。
でも、大序からはじまって、兜あらため、松の廊下、塩谷判官の切腹、おかる勘平、一力茶屋、討ち入りと、ほぼ主要なところは見れましたから、大変満足ですねぇ。仮名手本忠臣蔵とはどういう内容であるのかというのが、概ねわかったので、楽しかったです。

イヤホンガイドを利用していたので、幕間の解説で、屋敷引き払いの演出が、あの戦艦ポチョムキンを作ったエイゼンシュタインに影響を与えて、映画におけるモンタージュ理論が生まれたというような話が聞けたのですが、これがまた面白かったですね。イヤホンガイドはいいなぁ。

良くは知らないのですが、仮名手本忠臣蔵の通し講演をやる事自体、かなり豪華なことらしく、どうも不況だからこそやってるというような感じらしいんですね。「へぇ~そうなんや」とは思いましたが、そうなると不況もまた有り難い、ということになりますな。
いや、なかなか歌舞伎も良いものだとわかりました。

しかし、坂田藤十郎(4代目。三代目 中村 鴈治郎であり、二代目中村扇雀でもあります。保守党党首・参議院議長だった扇千景の旦那さんと言った方がわかりやすい人もいてるでしょう。)一日中出ずっぱりですよ。78歳だそうですよ。なのに、やっぱり、どの出演者よりも、所作の安定感とか色っぽさとか一番魅力的なんですよねぇ感心する。いや、ほんま。
すごいですねー。いやーびっくりする。人間、こうでなくっちゃ!

まぁ、いろんな意味で面白かったのであります。

いやぁ、自民党にも、まともな人間がいた。
なんで河野太郎が自民党総裁にならなかったんだ。

いや、というのは、河野太郎さんが、検察批判・マスコミ批判をビシバシにやってるからです。
ブログで、

「検察のリークで紙面や番組を作っている新聞やテレビに検察批判ができるのか。
検察がもし間違ったことをしたときに、マスコミがどれだけそれを報道できるのか。」

という、正論中の正論を、正しく真正面から突きつけてます。

河野太郎ブログより「副大臣がやり残したこと」
http://www.taro.org/2010/01/post-698.php

偉いなぁ、河野太郎。
自民党だよ、この人。なのに、民主主義の本質論から、民主党に利する発言をしている。

河野太郎曰く、

(引用開始)------------------
日本の司法制度では、有罪が確定するまでは無罪である。被疑者の段階で、あたかも被疑者が悪人であるというような世論を作らんが為のリークを検察がするのは間違っている。(そんなリークをする弁護士は懲戒の対象になるかもしれない)。
被疑者の人権問題になりかねない。
(引用終了)------------------

そう!その通り!

河野太郎曰く、
(引用開始)------------------
検察のリークがあったと思われる場合には、法務大臣が検事総長なりに記者会見を開かせ、そうした事実があったかどうかを確認させるべきだ。もしそうした供述はなかったというならば、その後、裁判でそれに反する供述は使えなくなるし、そうした供述があったというならば、取り調べた検事が処罰されなければならない。
(引用終了)------------------

まさに正論!
正論中の正論!
出てこい!樋渡秋利!国会で弁明せよ!
なんで、検察以外に知りようのない事実がマスコミにダダ漏れなんだ!

河野太郎曰く、
(引用開始)------------------
日本の司法制度をもう一度きちんとあるべき姿にしていく必要がある。
(引用終了)------------------

そう!その通り!
「あるべき姿にする」必要があるのですよ!

偉い!
こういうまともな事を言う、河野太郎は偉い!

これぞ男だ!
立派な人間というのは、こういう人の事を言うのだ。
褒め称えるよ、私は。

いや、本当は、全議員がこうでなけりゃイカンのですよ。
反小沢か、親小沢かを超えて、「代議士=国民の代表」であるなら、全員このことを問題視しなければいけないのです。問題視して当然だし、これを問題視しないのなら、


●政治家をやめろ。


ということにしかならない。そのくらい指摘して当然の話でしょう。基本中の基本じゃないですか。あたりまえのことです。いくら敵対する政党であったとしても、民主主義の根幹が問われるような事態なのだから、「それはおかしい!」と声を上げなければ政治家ではない。

なのに、谷垣自民党総裁などは、そういう指摘を全然してませんからな。

僕は自転車乗りなので、心情的には谷垣総裁を応援したいのだけど、なんちゅうか、マスコミのダメダメさに相乗りして小沢批判をするだけの谷垣さんには、正直、かなり、ものすごく、大幅に、幻滅しているのです。正直、「だめだこりゃ」と、昔のドリフのいかりや長介みたいに言いたくなってしまうんですよね。

いやしくも政治家なら、いまの現状を見て、この河野太郎のような、まともな正論をこそ発信しなくちゃ国民の信任なんか得られやしませんって。

これは「最低限のライン」ですよ。民主主義を守るための最低限のライン。マスコミが腐ってきてるんだから、「いまのマスコミは腐ってる」とはっきり言うべきだし、検察がマスコミとなぁなぁでアホな権力闘争に明け暮れている状態なんだから、そこをこそ、ビシッと指摘してこそ、「代議士」=「国民に代わって議事を検討する人」なんじゃないですかね。

そこが最低ラインだと僕は思います。

河野太郎は、この記事の最初に、「小沢一郎なんかちゃんちゃらおかしいと思うし、その小沢一郎という人間を崇め奉り、恐れ、ものを言わない、ものが言えない民主党という組織は薄気味悪いと思う。」てなことを平然と書いてる訳で、そこいらあたりは僕とは意見は異なりますけど、それでも代議士として最低限の事はビシッと言ってるところは本当に偉いと思うなぁ。
いまの自民党の中で、これを言えるというのは、本当に大したものだと思いますよ。

まぁ、かなり偏屈ではあるんでしょうが。(笑)
でも、偏屈なくらい「信条に忠実」という方が、政治家としては正しいですよ。
そうでなくっちゃ。

民主党の力が強くなりすぎてもいけないと思いますから、反対勢力は必要だと思うのですが、しかし、いまの自民党では、とても応援する気にはなれないわけです。
で、そういう中で、河野太郎のような、こういう意見を言う人が出てくると、自民党の議員全員が、こういう人間だったら良かったのになぁと思わざるを得ないわけです。

河野太郎以外の自民党政治家は、全部ダメ。失格。話にならん。どうしようもない。民主主義の基本もわかっていない。政治家以前。バッジを外せ。ということですよ。

河野太郎。
えらいです。



ここのところ、ネットでいろいろな情報を漁っているのですが、調べれば調べるほどに、事態はとんでもないところに至っているのだ、という事がわかってきて、愕然としますな。

いや、本当に、この国に自由も民主主義も無いんだということがわかりました。
この国は官僚によって支配されている、国民踏みつけ国家だったんだと、リアルな現実が、はっきり見えてきたんですよ。

検察とマスコミは、もうはっきりと完全にグルです。
それは、このあいだ紹介した、田原総一朗と大谷昭宏のシンポジウムでの発言で良く分かりました。

●infoseekNews内憂外患(低帯域版)|「新撰組」化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!
http://www.ustream.tv/recorded/4065526

で、今度は逮捕された小沢さんの元秘書で国会議員の石川知裕さんが「小沢氏の
事件への関与を認める供述をしている」というテレビ・新聞での報道が、


●完全に誤報


であることがはっきりしてきました。
石川議員の弁護人が報道各社に「完全な誤報である」と、ファックスで文書を送付したそうです。


(引用開始)--------------

●「完全な誤報」石川議員の弁護人が報道各社に文書

 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる収支報告書虚偽記入事件で逮捕された衆院議員石川知裕容疑者(36)=政治資金規正法違反容疑=の弁護人は20日、石川容疑者が小沢氏の事件への関与を認める供述をしているとの一部報道について、「完全な誤報」とする文書を報道各社にファクスで送付した。

 弁護人は安田好弘、岩井信両弁護士。連名で「石川氏がそのような供述をしたことは全くない」としている。

[ 2010年01月20日 21:27 ]
(引用終了)--------------

いやー、しかし、本当に検察はひどいですな。

これは、誤報というようなものではなく、検察による、意図的な「謝った情報による世論のミスリード」なわけですよ。

検察が「石川は小沢の指示でウソの記載をしたと言ってるよ。」と検察に都合のいい情報をメディアに流して、で、それがあたかも本当の事であるかのように印象操作をしてるわけです。
それで世論が「小沢は悪い!」となれば、それで良いという、ただそれだけなんですね。

ほんとうに検察は腐ってる。

こんな「完全なる誤報」というか、「小沢を悪者に仕立て上げるためだけのウソ情報のリーク」を、全民法テレビ局はおろか、NHKまで平気で流してるわけですから、たまったものではないですよ。そら、全国民が「洗脳」されてしまいますわね。

ほんまにひどい。

言っておきますが、こういう状況は、新聞もまったく同じですから。新聞も検察の「御用広報紙」でしかありません。

そういう状況の中に我々国民は、全員置かれているんだ、という事を、みなさんどうか、正しく認識してください。


●検察とマスコミは完全にグルです。


そういうことなんですから。「小沢は悪いに違いない」とかの判断を、こういう「ウソ情報」を元に判断しないでください。
これはかなり悪質です。

こうなってくると、本当にいま頼れる情報源はネットだけ、ということになります。

たとえば、現職閣僚である、総務大臣の原口さんは、ツイッターで、この状況のおかしさをせっせと発信してます。

http://twitter.com/kharaguchi

また、★阿修羅♪掲示板でも、テレビ・新聞などでは出てこない視点の情報が次々に書き込まれてます。

http://asyura2.com/

せめて、まずはこういう情報に触れて、それから、自分の頭で考える、ということを、みなさんにはして欲しいと思いますね。本当に。
いまの検察は、とにかく、

●国会審議が始まる前に、現職の国会議員を、たかが帳簿の付け間違いで逮捕した。

というとんでもない暴挙を、すでにやっているのですよ。

ここがものすごく重要なわけです。

国会議員の議員活動は、その議員を支持した何万人もの人間の意見を国会で述べる役割と責任があるわけです。
だから、国会議員には不逮捕特権と言って、国会開催中は逮捕されないという特権があるわけです。
(だから、小沢さんの逮捕も国会審議中にはありません。)

で、「逮捕」というのは、別に法的に悪いことをした人であることを指し示す行為ではなくて、


●取り調べに際して、逃亡や証拠隠滅の怖れがある場合に行う身柄拘束


のことなわけです。
しかし、石川さんは、すでに検察の捜査に協力して、家宅捜索を受けてるわけですよ。また事情聴取にも何度も応じてるわけです。
だから、証拠隠滅の怖れなんかまるっきりない。

ましてや、国会議員という「顔を売るのが商売」である人間が、いったいどこに逃亡する怖れがあるんでしょう?

検察は、イケシャーシャーと、「自殺の怖れがあった」とかぬかしてやがりますけど、逮捕前日に石川さんと会った佐藤優が「自殺するようなそぶりはまったくなかった」と言ってますしね。
だいたい具体的に賄賂性のある金の流れを明確にして操作・逮捕したんではなくて「合計金額に不備なところがあった」という、とんでもなくアヤフヤな要件で逮捕してるんですよね。
いくらなんでも、こんな要件で立件すること自体が無茶苦茶です。

でも、検察は逮捕した。石川議員の後ろにいてる何万人もの支持者の声を国会から消し去るという愚挙まで重ねて、逮捕したわけです。

この段階で狂気なんですよ。
完璧に検察がダメ。
狂ってる。
おかしい。
異常。
キチガイ。

そういうことを、テレビや新聞のマスメディアは、わかっていながら、全然書かないわけです。
記事ネタが欲しいから。

本当に腐ってます。

だから、これははっきりと、


●検察による国家転覆事件


なんですよ。
ただ、マスコミがそれを指摘しないから、表沙汰になってないだけです。
とんでもないことが起きている。
そういう事なんです。

ともあれ、マスコミでは、もうまともな情報は、全然得られませんから、せめてネットを見ている人は、こういうマスコミに流れない情報を、しっかりと調べて、どんどん広めていって欲しいと思います。

ほんとうに、この国はどうなっちゃってるんでしょうか。
イヤになります。

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