エジプトの革命は、別に民主革命じゃないそうです。なぜなら、エジプトは民主的な国だから。
今回の革命は反米革命なのだって。ムバラクが親米で、それがとにかく許せない、ということ。
日本も状況は同じ。菅さんがダメなら前原で、とかアメリカは考えてるみたいやけど、前原嫌~い。
日本もエジプトに続け。とは思うが、さて続けることができるか?
エジプトの事は、このブログがわかりやすいです。
http://ameblo.jp/fifi2121/entry-10788441634.html
この情報はtwitterで茂木健一郎さんのツイートから知りました。
みんなちゃんとtwitterやりましょうね。
エジプト革命もtwitterと、facebookからデモが起きての出来事ですから。
日本は特に記者クラブの情報カルテルがひどいです。ほんとにひどい。
腐ったマスメディアでは、全然大事な情報が伝わらないからなぁ。
本当に困った事です。
今回の革命は反米革命なのだって。ムバラクが親米で、それがとにかく許せない、ということ。
日本も状況は同じ。菅さんがダメなら前原で、とかアメリカは考えてるみたいやけど、前原嫌~い。
日本もエジプトに続け。とは思うが、さて続けることができるか?
エジプトの事は、このブログがわかりやすいです。
http://ameblo.jp/fifi2121/entry-10788441634.html
この情報はtwitterで茂木健一郎さんのツイートから知りました。
みんなちゃんとtwitterやりましょうね。
エジプト革命もtwitterと、facebookからデモが起きての出来事ですから。
日本は特に記者クラブの情報カルテルがひどいです。ほんとにひどい。
腐ったマスメディアでは、全然大事な情報が伝わらないからなぁ。
本当に困った事です。
かなり遅れましたが、あけましておめでとうございます。
まだしばらく日記はお休みすることになると思いますが、twitterを見ていると面白い情報があったので、ご紹介。
いつもの通りジャーナリストの岩上安身さんのツイートを読んでいると、こういう記事がありました。
(引用開始)----------------------
岡田幹事長が完全に黙殺した、「真の挙党体勢を構築するための質問書」は、一読の価値があります。そのテキストをウェブサイトにアップしたので、ご覧ください。何が、今の菅執行部にとって口をつぐんでいたい、不都合な真実か、よくわかります。
(引用終了)----------------------
ということで、以下が2011年1月21日、川内博史議員と森ゆうこ議員が、岡田幹事長に提出した「『真の挙党体制を構築するため』の党運営について」の質問書のテキスト全文。
森ゆうこ議員は、ほんとうにスパスパと切れる弁論をしてくれて小気味良いです。実にかっこいい。森ゆうこはいいなぁ。川内さんも素敵だけども。
岡田幹事長は、記者会見のオープン化をやったり、外務省の機密文書問題を暴いたりと、なかなか頑張ってたので期待してたんですが、最終的には権力に転んだダメな人という事になるんでしょうね。多分。
ま、いまの民主党執行部、こういう質問にちゃんと答えられないダメダメぶりだってことです。
(以下引用)--------------------------------------------
平成23 年1 月21 日
民主党代表菅直人殿
幹事長岡田克也殿
議員有志一同
平成23 年度予算案並びに関連法案の早期成立を目指す
「真の挙党体制を構築するため」の党運営について
来週1 月24 日に第177 回通常国会が召集されます。私たちは、現下の厳しい経済情勢に置かれている国民生活を守るため、何をさておいても、平成23 年度予算案と関連法案を一日も早く成立させなければなりません。しかし、昨年7 月の参議院選挙大敗により、臨時国会に引き続き「ねじれ国会」という非常に厳しい現実が待ち受けています。
私たちは党所属国会議員皆で心と力を合わせて、この難局に立ち向かっていかなければならないと決意を新たにしております。そのために、何よりもまず挙党体制を築くための党運営が必要であると考えます。菅直人代表をはじめ執行部の皆様におかれましては、私たちの真意をお汲み取りいただき、国会召集日に開催される両院議員総会までに下記の質問にご回答下さいますようお願い致します。
記
【国会運営について】
○小沢元代表の問題については、司法の場で決着させるものであると考えます。執行部が、小沢氏の国会招致についてことさら執着することは、幹事長は否定されていますが、明らかに党内の亀裂を大きくしています。予算審議に集中するために、これ以上この問題を大きくすることはやめていただけないでしょうか。
○小沢元代表が起訴された場合には、離党勧告などの措置も検討するという発言が散見されます。しかし、そもそも所謂「政治とカネ」は麻生政権時代に、政権交代阻止のために始まった「政治弾圧」です。その証拠に西松事件は無罪判決を恐れた検察によって訴因が変更され、すでに裁判はありません。
陸山会事件は冤罪です。1 月21 日付の各紙報道によれば、検察はフロッピー改ざん事件の前田元検事が作った調書を撤回しました。村木厚子さんの事件と同じ構図であり、そもそもこの事件も石井一参議院議員を狙った政権交代阻止の謀略と言われています。
また、石川知裕衆議院議員の取り調べ録音では、調書が恫喝によるねつ造であることが明らかになっています。これが裁判で証拠採用されることになり、激震が走っています。
陸山会事件は冤罪です。党が処分を行い、無罪になったら誰が責任を取るのでしょうか。
○「古い政治は行わない」と幹事長は宣言するだけで満足かもしれませんが、現実には、現場の理事が野党と交渉しなければ先の臨時国会で一つの法案も成立させることはできませんでした。いかがお考えでしょうか。
○現場で大変苦労して日程などを合意したにも関わらず、岡田幹事長の不用意な発言でご破算になったことが一度ならずあったことは、国対関係者の間では周知の事実です。
反省はないのでしょうか。例えば、衆議院予算採決の日程と参議院予算審議入りの日程をセットで合意した昨年11 月12 日に、突然岡田幹事長が幹事長会談を行い、小沢元代表の国会招致について持ち出したため野党が反発し、審議の日程が大幅に遅れました。
○予算委員会の委員を、本人が辞任を拒否しているにも関わらず、辞任させようとする理由は何でしょうか。
○岡田幹事長は1 月19 日の記者ブリーフで、「与党か、野党か分からないようなそういう質疑とかは、せっかくの国民に政府がアピールする機会を奪っている。」と国会が単に政府広報の場であり、国民の代表として真剣な議論を行おうとする議員の質問権を奪うような信じられない発言をしています。真意をお聞かせ下さい。
身内だからこそ、野党に攻撃される前にあえて内閣の方針を明確にするために、野党的な質問を行うという高等戦術が理解できないのでしょうか。
○政治倫理審査会委員を、本人が辞任を拒否しているにも関わらず、辞任させようとしています。理由は何でしょうか。
○衆議院政治倫理審査会規定第八条は「委員に選任された者は、正当の理由がなければ、その任を辞することができない。」と、他の委員会に比べ委員の辞任について特別な規定しています。本人の意に反して辞任を求める正当な理由は何でしょうか。
○慣例に反して、予算委員と政倫審委員への就任希望だけを取らない理由をお示しください。
【党大会の運営について】
○党大会当日、議案の提案後、希望者が挙手しましたが質疑が行われませんでした。民主党規約第6条によれば、党大会は最高議決機関であり、第8項においてその運営は「役員会の議を経て常任役員会の承認にもとづき定める」とあります。党大会において質疑を行わずに議案を採択することについてはその議を経ていないのではないでしょうか。
○特に、民主党規約第12 条以下では、党の主要役員について「代表が選任し、党大会または両院議員総会の承認を得る」と定められております。今回の党大会では、菅代表が「党人事の一任」を当日突如議案とし、質疑を行わずに採択を行いました。
これは党規約に明確に違反すると思われますが、いかがでしょうか。
○当日質疑を行わないことについての事前の説明はありませんでした。前日開催された両院議員総会においても、党大会では質疑の時間を設けていないので両院議員総会で質疑を尽くすようにとの説明はありませんでした。また、両院議員総会長は希望者がまだいましたが、その後の全国幹事長会議の開催時間を理由に質疑を打ち切りました。なぜ説明をしなかったのでしょうか。
○大会は約2時間の日程を組んでおり、質疑を行うに十分な時間がありました。実際、党大会は予定より約40分早く終了しましたが、なぜ質疑を行わなかったのでしょうか。
○何故、非民主的と批判されるような大会運営が行われたのでしょうか。
○岡田幹事長は、大会当日、夜のNHKクローズアップ現代に出演した際、党大会で発
言を求めた議員に非があると述べました。また1 月14 日付のご自身のブログにおいても、民主的な運営を求める議員たちを「混乱をさせることを意図したことではないかと言われても仕方のない行為だった」と事実無根の誹謗中傷とも言えるコメントを掲載しています。訂正し、謝罪していただきたい。
【政策について】
○マニフェスト選挙は菅首相、岡田幹事長が主導して始められたものです。政権交代からわずか1 年数カ月でそのマニフェストの修正を宣言したことで、民主党は約束を簡単に反故にする政党だと、今後選挙で何を約束しても国民から信用されないと考えますがいかがでしょうか。
○TPPへの参加については党内で反対論が多く、慎重に検討することになったにもかかわらず、「平成の開国元年にする」と総理が参加ありきの発言を年頭所感で行ったことは独断専行ではないでしょうか。
○消費税増税については昨年の参議院選挙で国民から時期尚早と理解を得られず、「参議院選挙大敗」の大きな要因であったことは、総理ご自身が認められています。なぜ「逆さにしても鼻血も出なくなるくらい」に無駄の削減を行ったと全く認められていないのに、現在のような経済情勢の中で、また増税を言い出すのでしょうか。
【内閣改造について】
内閣人事は総理の専権事項であることは言うまでもありません。しかし、今回の内閣改造人事については、下記のように、国民からもすでに多くの批判や疑問が噴出しております。国会開会前にどうしても疑問を払拭しておきたいと考えますので、あえて質問致します。
○与謝野大臣について
①小選挙区で海江田大臣を選んだ有権者の投票結果を否定し、民主主義の根幹である選挙そのものを否定することになる。
②与謝野大臣は自民党の比例代表で復活当選しており、その議席は国民が自民党に与えたものであるので、少なくとも議員を辞職してから民間人として入閣するべきである。
③「打倒民主党」を掲げて新党を立ち上げ、民主党の政策を根本から否定していた。
また、1 月20 日出演のBS11 の番組でも、税と社会保障制度改革について自民党の時に考えていたことと同じことをやるつもりと答えていた。これは、自民党から民主党への政権交代を実現してくれた国民の意思に背くことである。
④与謝野大臣は、市場原理万能、財政再建至上主義、増税路線の自民党経済政策の司令塔であった。その経済運営が失敗したからこそ今日の状況がある。なぜそのような人を入閣させるのか。
⑤与謝野大臣は、昨年の予算委員会で、当時の鳩山総理を、口にするのもはばかられる酷い言葉で罵りました。まず謝罪すべきだ。
⑥民主党のホームページにも比例代表で当選した議員に関しては議席を党に返すべきであるという考え方が示されている(2008.8.29)。その考え方を民主党として変更したということか。
以上
(引用終了)--------------------------------------------
まだしばらく日記はお休みすることになると思いますが、twitterを見ていると面白い情報があったので、ご紹介。
いつもの通りジャーナリストの岩上安身さんのツイートを読んでいると、こういう記事がありました。
(引用開始)----------------------
岡田幹事長が完全に黙殺した、「真の挙党体勢を構築するための質問書」は、一読の価値があります。そのテキストをウェブサイトにアップしたので、ご覧ください。何が、今の菅執行部にとって口をつぐんでいたい、不都合な真実か、よくわかります。
(引用終了)----------------------
ということで、以下が2011年1月21日、川内博史議員と森ゆうこ議員が、岡田幹事長に提出した「『真の挙党体制を構築するため』の党運営について」の質問書のテキスト全文。
森ゆうこ議員は、ほんとうにスパスパと切れる弁論をしてくれて小気味良いです。実にかっこいい。森ゆうこはいいなぁ。川内さんも素敵だけども。
岡田幹事長は、記者会見のオープン化をやったり、外務省の機密文書問題を暴いたりと、なかなか頑張ってたので期待してたんですが、最終的には権力に転んだダメな人という事になるんでしょうね。多分。
ま、いまの民主党執行部、こういう質問にちゃんと答えられないダメダメぶりだってことです。
(以下引用)--------------------------------------------
平成23 年1 月21 日
民主党代表菅直人殿
幹事長岡田克也殿
議員有志一同
平成23 年度予算案並びに関連法案の早期成立を目指す
「真の挙党体制を構築するため」の党運営について
来週1 月24 日に第177 回通常国会が召集されます。私たちは、現下の厳しい経済情勢に置かれている国民生活を守るため、何をさておいても、平成23 年度予算案と関連法案を一日も早く成立させなければなりません。しかし、昨年7 月の参議院選挙大敗により、臨時国会に引き続き「ねじれ国会」という非常に厳しい現実が待ち受けています。
私たちは党所属国会議員皆で心と力を合わせて、この難局に立ち向かっていかなければならないと決意を新たにしております。そのために、何よりもまず挙党体制を築くための党運営が必要であると考えます。菅直人代表をはじめ執行部の皆様におかれましては、私たちの真意をお汲み取りいただき、国会召集日に開催される両院議員総会までに下記の質問にご回答下さいますようお願い致します。
記
【国会運営について】
○小沢元代表の問題については、司法の場で決着させるものであると考えます。執行部が、小沢氏の国会招致についてことさら執着することは、幹事長は否定されていますが、明らかに党内の亀裂を大きくしています。予算審議に集中するために、これ以上この問題を大きくすることはやめていただけないでしょうか。
○小沢元代表が起訴された場合には、離党勧告などの措置も検討するという発言が散見されます。しかし、そもそも所謂「政治とカネ」は麻生政権時代に、政権交代阻止のために始まった「政治弾圧」です。その証拠に西松事件は無罪判決を恐れた検察によって訴因が変更され、すでに裁判はありません。
陸山会事件は冤罪です。1 月21 日付の各紙報道によれば、検察はフロッピー改ざん事件の前田元検事が作った調書を撤回しました。村木厚子さんの事件と同じ構図であり、そもそもこの事件も石井一参議院議員を狙った政権交代阻止の謀略と言われています。
また、石川知裕衆議院議員の取り調べ録音では、調書が恫喝によるねつ造であることが明らかになっています。これが裁判で証拠採用されることになり、激震が走っています。
陸山会事件は冤罪です。党が処分を行い、無罪になったら誰が責任を取るのでしょうか。
○「古い政治は行わない」と幹事長は宣言するだけで満足かもしれませんが、現実には、現場の理事が野党と交渉しなければ先の臨時国会で一つの法案も成立させることはできませんでした。いかがお考えでしょうか。
○現場で大変苦労して日程などを合意したにも関わらず、岡田幹事長の不用意な発言でご破算になったことが一度ならずあったことは、国対関係者の間では周知の事実です。
反省はないのでしょうか。例えば、衆議院予算採決の日程と参議院予算審議入りの日程をセットで合意した昨年11 月12 日に、突然岡田幹事長が幹事長会談を行い、小沢元代表の国会招致について持ち出したため野党が反発し、審議の日程が大幅に遅れました。
○予算委員会の委員を、本人が辞任を拒否しているにも関わらず、辞任させようとする理由は何でしょうか。
○岡田幹事長は1 月19 日の記者ブリーフで、「与党か、野党か分からないようなそういう質疑とかは、せっかくの国民に政府がアピールする機会を奪っている。」と国会が単に政府広報の場であり、国民の代表として真剣な議論を行おうとする議員の質問権を奪うような信じられない発言をしています。真意をお聞かせ下さい。
身内だからこそ、野党に攻撃される前にあえて内閣の方針を明確にするために、野党的な質問を行うという高等戦術が理解できないのでしょうか。
○政治倫理審査会委員を、本人が辞任を拒否しているにも関わらず、辞任させようとしています。理由は何でしょうか。
○衆議院政治倫理審査会規定第八条は「委員に選任された者は、正当の理由がなければ、その任を辞することができない。」と、他の委員会に比べ委員の辞任について特別な規定しています。本人の意に反して辞任を求める正当な理由は何でしょうか。
○慣例に反して、予算委員と政倫審委員への就任希望だけを取らない理由をお示しください。
【党大会の運営について】
○党大会当日、議案の提案後、希望者が挙手しましたが質疑が行われませんでした。民主党規約第6条によれば、党大会は最高議決機関であり、第8項においてその運営は「役員会の議を経て常任役員会の承認にもとづき定める」とあります。党大会において質疑を行わずに議案を採択することについてはその議を経ていないのではないでしょうか。
○特に、民主党規約第12 条以下では、党の主要役員について「代表が選任し、党大会または両院議員総会の承認を得る」と定められております。今回の党大会では、菅代表が「党人事の一任」を当日突如議案とし、質疑を行わずに採択を行いました。
これは党規約に明確に違反すると思われますが、いかがでしょうか。
○当日質疑を行わないことについての事前の説明はありませんでした。前日開催された両院議員総会においても、党大会では質疑の時間を設けていないので両院議員総会で質疑を尽くすようにとの説明はありませんでした。また、両院議員総会長は希望者がまだいましたが、その後の全国幹事長会議の開催時間を理由に質疑を打ち切りました。なぜ説明をしなかったのでしょうか。
○大会は約2時間の日程を組んでおり、質疑を行うに十分な時間がありました。実際、党大会は予定より約40分早く終了しましたが、なぜ質疑を行わなかったのでしょうか。
○何故、非民主的と批判されるような大会運営が行われたのでしょうか。
○岡田幹事長は、大会当日、夜のNHKクローズアップ現代に出演した際、党大会で発
言を求めた議員に非があると述べました。また1 月14 日付のご自身のブログにおいても、民主的な運営を求める議員たちを「混乱をさせることを意図したことではないかと言われても仕方のない行為だった」と事実無根の誹謗中傷とも言えるコメントを掲載しています。訂正し、謝罪していただきたい。
【政策について】
○マニフェスト選挙は菅首相、岡田幹事長が主導して始められたものです。政権交代からわずか1 年数カ月でそのマニフェストの修正を宣言したことで、民主党は約束を簡単に反故にする政党だと、今後選挙で何を約束しても国民から信用されないと考えますがいかがでしょうか。
○TPPへの参加については党内で反対論が多く、慎重に検討することになったにもかかわらず、「平成の開国元年にする」と総理が参加ありきの発言を年頭所感で行ったことは独断専行ではないでしょうか。
○消費税増税については昨年の参議院選挙で国民から時期尚早と理解を得られず、「参議院選挙大敗」の大きな要因であったことは、総理ご自身が認められています。なぜ「逆さにしても鼻血も出なくなるくらい」に無駄の削減を行ったと全く認められていないのに、現在のような経済情勢の中で、また増税を言い出すのでしょうか。
【内閣改造について】
内閣人事は総理の専権事項であることは言うまでもありません。しかし、今回の内閣改造人事については、下記のように、国民からもすでに多くの批判や疑問が噴出しております。国会開会前にどうしても疑問を払拭しておきたいと考えますので、あえて質問致します。
○与謝野大臣について
①小選挙区で海江田大臣を選んだ有権者の投票結果を否定し、民主主義の根幹である選挙そのものを否定することになる。
②与謝野大臣は自民党の比例代表で復活当選しており、その議席は国民が自民党に与えたものであるので、少なくとも議員を辞職してから民間人として入閣するべきである。
③「打倒民主党」を掲げて新党を立ち上げ、民主党の政策を根本から否定していた。
また、1 月20 日出演のBS11 の番組でも、税と社会保障制度改革について自民党の時に考えていたことと同じことをやるつもりと答えていた。これは、自民党から民主党への政権交代を実現してくれた国民の意思に背くことである。
④与謝野大臣は、市場原理万能、財政再建至上主義、増税路線の自民党経済政策の司令塔であった。その経済運営が失敗したからこそ今日の状況がある。なぜそのような人を入閣させるのか。
⑤与謝野大臣は、昨年の予算委員会で、当時の鳩山総理を、口にするのもはばかられる酷い言葉で罵りました。まず謝罪すべきだ。
⑥民主党のホームページにも比例代表で当選した議員に関しては議席を党に返すべきであるという考え方が示されている(2008.8.29)。その考え方を民主党として変更したということか。
以上
(引用終了)--------------------------------------------
しばらく日記をお休みします。
2010年12月6日コメント (23)ちょっと日記はお休みしますわ。
変な奴につきまとわれてるので。
有用な意見をやりとりできる方との交流は楽しいのですが、引っかき回しをやるのが好きというようなタイプの人間がいてるので、ちょっと僕には冷静に対処できません。
どうせ、そいつが、ここのコメント欄にいろいろ書くと思いますが、多分、ものすごく低レベルな事を書くと思うんですよ。なので、まぁ、みなさん良く見てやってください。多分、かなり見ものだと思いますよ。
僕としては、アホなこともやっとられんので、とりあえずいったん終了。
デートもせなアカンし、おいしいものも食べたいし、いろんな人にいろいろ教えてもらわないといけないし、自分のやるべき仕事もたくさんあるし。
人生は短い。時間は有効に使わないとね。
ということで、しばらく他のところに行きますわ。
ではでは。
変な奴につきまとわれてるので。
有用な意見をやりとりできる方との交流は楽しいのですが、引っかき回しをやるのが好きというようなタイプの人間がいてるので、ちょっと僕には冷静に対処できません。
どうせ、そいつが、ここのコメント欄にいろいろ書くと思いますが、多分、ものすごく低レベルな事を書くと思うんですよ。なので、まぁ、みなさん良く見てやってください。多分、かなり見ものだと思いますよ。
僕としては、アホなこともやっとられんので、とりあえずいったん終了。
デートもせなアカンし、おいしいものも食べたいし、いろんな人にいろいろ教えてもらわないといけないし、自分のやるべき仕事もたくさんあるし。
人生は短い。時間は有効に使わないとね。
ということで、しばらく他のところに行きますわ。
ではでは。
昨日、名古屋市の市議会リコールに関する署名が署名数が規定に達しなかったので、不成立になったというニュースが流れました。
しかし、何が「1万2000票不足でリコールが不成立に終わった」や。ニュースを聞いていて、事情を多少は知ってる人間として非常に腹が立った。
このリコールを請求する署名というのは、180万市民のうち36万人にもおよぶ署名がなければ成立しない。しかも、それを1ヶ月で達成しないといけないという、ものすごくハードルの高い事を決めているわけです。
で、河村たかしおよび、彼の恒久10%減税、市会議員給与の半減(年俸1600万円を800万円に、という話で世間並みにしましょう、ということです。800万でもかなりの高給で、本来ボランティアでやるべき政治を「職業化」してることこそが、本来は問題なのだ、と河村氏は主張してる。)を求める人たちは、それを大きく上回る46万人分もの署名を1ヶ月で集めきったわけです。
このあたりの事情を知っている人間からすると、ニュース報道における「1万2000件足りず、リコール不成立」という言い方が、非常にゆがんでいると思うわけです。
事情を知らない人が、「1万2000件足りず、リコール不成立」と聞いたら、名古屋市民はあまり怒ってなかったのか、という印象にしかならないわけです。
しかし実際は全然違う。36万人を大幅に上回る46万もの署名が集まったわけですよ。市民の市議会に対する不満は、とんでもなく大きいということです。
ところが、恒久的に10%減税したり、給料を半分に減らされたらかなわん、と思ってる市議側は、市議のOBで占められる選挙管理委員会を通じて、驚くなかれ、12万件にもおよぶ署名を「無効扱い」にしたという事なんです。
こんなもの、この選挙管理委員を徹底糾弾するのが本来の姿です。
その無効というのが、どういう無効性かというと、リコール署名を募っている発起人から署名を求められたのか、それともその発起人を手伝っている委託者から署名を求められたのかを書く欄があって、そこが空白のものが問題だ、という実にくだらない理由。
発起人から直接求められた場合は空欄でも良いが、代理の人間から頼まれた場合は、その代理人の名前が書かれていなければならないという、おかしなルールがあるからなんですよ。
確かにルールはルールだから、仕方ないと言えば仕方ない。
しかし、今回の名古屋のリコール署名は、全国から注目が集まっていて、全国から応援に出かけた人も多いわけです。つまり、その無効にされた12万件というのは、そうやって応援に出かけた人の民意も反映している、ということなんですね。
でも、それを、この選挙管理委員会は無視した。
しかも、その全国で注目されているリコール請求を、大手マスメディアは「1万200件足りず、不成立」と、完全に選挙管理委員の側に立って報道した、ということなわけです。
これは、いま名古屋で起きていることが、全国に飛び火をしてはかなわない、という官僚たちや全国地方自治体の議員・役人の思惑があるからです。
しかし、この話は、ここまで説明しないと、そのひどさというものは、多くの人に伝わらないんですね。
大事なことは「何を言っていないか」なんです。
良く、「メディアリテラシーが大切だ」とか、わかったような事をほざく学者とかいますが、そんなもの、もっとも重要な、肝心のポイントを「言わない」ままだと、問題点に気づくことすらできないわけですよ。
この名古屋市のリコール不成立のニュースが、「1万2000件足りずに不成立」と報道される事自体が、明白で意図的な「問題点隠し」なわけです。
しかし、それに気づける人は、この問題にずっと注目してた人だけでしょう。よく知らずに聞き流す人の方がかなり多い。「名古屋の住民は怒っていないんだ」と思う人の方がどうしても多くなってしまう。
これが官僚+マスメディアによる情報支配の実態なわけです。
こういう言い方で現実の国民の動きが封じられているのです。
かなり悪質な情報操作が行われている、ということであって、それは延々と糾弾し続けないと、みんな訳が分からなくなってしまいます。事態は、あまりにひどいと言わざるを得ない。
こんな馬鹿げた報道は、メディアリテラシーでどうにかなるようなレベルではない、ということです。
メディアリテラシーで判定できるくらいのゆがみなら、誰も本気で怒らないよ。実際。
あまりにひどい。
そう言うしかありません。
だから、このニュースの正しい見出しは、この記事の表題にした
「名古屋のリコール不成立は、市会側に立つ選管の悪質な妨害工作によって11万票が無効扱いされたせいです。」
くらい書くのが本来のはずなんですね。
まぁ、100歩ゆずっても、
「名古屋市リコール不成立。署名46万件中12万件が無効票扱い。」まででしょう。36万件が目標数だ、というのは署名した人みんなが知ってたはずですからね。これなら、事態の本当の姿がはっきりする。
なのになんで、
「名古屋市リコール不成立。1万2000件足りず」が全国紙の見出しになるのか?っちゅうことですわ。
非常に不愉快であります。
しかし、何が「1万2000票不足でリコールが不成立に終わった」や。ニュースを聞いていて、事情を多少は知ってる人間として非常に腹が立った。
このリコールを請求する署名というのは、180万市民のうち36万人にもおよぶ署名がなければ成立しない。しかも、それを1ヶ月で達成しないといけないという、ものすごくハードルの高い事を決めているわけです。
で、河村たかしおよび、彼の恒久10%減税、市会議員給与の半減(年俸1600万円を800万円に、という話で世間並みにしましょう、ということです。800万でもかなりの高給で、本来ボランティアでやるべき政治を「職業化」してることこそが、本来は問題なのだ、と河村氏は主張してる。)を求める人たちは、それを大きく上回る46万人分もの署名を1ヶ月で集めきったわけです。
このあたりの事情を知っている人間からすると、ニュース報道における「1万2000件足りず、リコール不成立」という言い方が、非常にゆがんでいると思うわけです。
事情を知らない人が、「1万2000件足りず、リコール不成立」と聞いたら、名古屋市民はあまり怒ってなかったのか、という印象にしかならないわけです。
しかし実際は全然違う。36万人を大幅に上回る46万もの署名が集まったわけですよ。市民の市議会に対する不満は、とんでもなく大きいということです。
ところが、恒久的に10%減税したり、給料を半分に減らされたらかなわん、と思ってる市議側は、市議のOBで占められる選挙管理委員会を通じて、驚くなかれ、12万件にもおよぶ署名を「無効扱い」にしたという事なんです。
こんなもの、この選挙管理委員を徹底糾弾するのが本来の姿です。
その無効というのが、どういう無効性かというと、リコール署名を募っている発起人から署名を求められたのか、それともその発起人を手伝っている委託者から署名を求められたのかを書く欄があって、そこが空白のものが問題だ、という実にくだらない理由。
発起人から直接求められた場合は空欄でも良いが、代理の人間から頼まれた場合は、その代理人の名前が書かれていなければならないという、おかしなルールがあるからなんですよ。
確かにルールはルールだから、仕方ないと言えば仕方ない。
しかし、今回の名古屋のリコール署名は、全国から注目が集まっていて、全国から応援に出かけた人も多いわけです。つまり、その無効にされた12万件というのは、そうやって応援に出かけた人の民意も反映している、ということなんですね。
でも、それを、この選挙管理委員会は無視した。
しかも、その全国で注目されているリコール請求を、大手マスメディアは「1万200件足りず、不成立」と、完全に選挙管理委員の側に立って報道した、ということなわけです。
これは、いま名古屋で起きていることが、全国に飛び火をしてはかなわない、という官僚たちや全国地方自治体の議員・役人の思惑があるからです。
しかし、この話は、ここまで説明しないと、そのひどさというものは、多くの人に伝わらないんですね。
大事なことは「何を言っていないか」なんです。
良く、「メディアリテラシーが大切だ」とか、わかったような事をほざく学者とかいますが、そんなもの、もっとも重要な、肝心のポイントを「言わない」ままだと、問題点に気づくことすらできないわけですよ。
この名古屋市のリコール不成立のニュースが、「1万2000件足りずに不成立」と報道される事自体が、明白で意図的な「問題点隠し」なわけです。
しかし、それに気づける人は、この問題にずっと注目してた人だけでしょう。よく知らずに聞き流す人の方がかなり多い。「名古屋の住民は怒っていないんだ」と思う人の方がどうしても多くなってしまう。
これが官僚+マスメディアによる情報支配の実態なわけです。
こういう言い方で現実の国民の動きが封じられているのです。
かなり悪質な情報操作が行われている、ということであって、それは延々と糾弾し続けないと、みんな訳が分からなくなってしまいます。事態は、あまりにひどいと言わざるを得ない。
こんな馬鹿げた報道は、メディアリテラシーでどうにかなるようなレベルではない、ということです。
メディアリテラシーで判定できるくらいのゆがみなら、誰も本気で怒らないよ。実際。
あまりにひどい。
そう言うしかありません。
だから、このニュースの正しい見出しは、この記事の表題にした
「名古屋のリコール不成立は、市会側に立つ選管の悪質な妨害工作によって11万票が無効扱いされたせいです。」
くらい書くのが本来のはずなんですね。
まぁ、100歩ゆずっても、
「名古屋市リコール不成立。署名46万件中12万件が無効票扱い。」まででしょう。36万件が目標数だ、というのは署名した人みんなが知ってたはずですからね。これなら、事態の本当の姿がはっきりする。
なのになんで、
「名古屋市リコール不成立。1万2000件足りず」が全国紙の見出しになるのか?っちゅうことですわ。
非常に不愉快であります。
「若者よマスコミなんか信じるな~!」いいシュプレヒコールだなぁ。
2010年11月21日コメント (10)昨日は大阪で、今日は東京と名古屋で、
「検察・マスコミの横暴を抗議する市民デモ」
が、あったそうです。
例のフリージャーナリストの岩上安身さんのやってるユーストリームでその様子が見れます。
東京(渋谷) 11月21日分
http://www.ustream.tv/recorded/10993161
東京は、11月5日にもデモがありまして、それを知った人が「うちでもやろう」と自主的にやりはじめたらしいですね。これはYoutubeに動画があります。
東京 11月5日分
http://www.youtube.com/watch?v=ds_DU90T7KY
この時で1200人の参加だったようです。
で、昨日の土曜日は大阪でもデモがありました。
大阪 20日
http://www.youtube.com/watch?v=QorqRWhbmCw
http://www.youtube.com/watch?v=KEM83GEnNHY&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=ITGiO04ZMy8&NR=1
大阪のデモの様子を報告しているブログもありました。
●ニュース逆さ読み[デモは体にいい]
http://blog.livedoor.jp/nkmrrj04fr/archives/51881528.html
大阪のデモは、僕も参加したかったんですけど、急に仕事の打合せが同時刻に入ってしまって参加できませんでした。
23日には、新潟と福岡でもやるそうですよ。完全に全国レベルですな。いいやー素晴らしい。
連絡の中心になってるのは、このページかな?
http://togetter.com/li/70588
よくはわかりませんけど、知りたい人は自分でいろいろ調べて参加するのも良いのではないでしょうか。
ともあれ、心ある人、事情を解ってる人、マスコミの嘘っぱちや官僚のごまかしが見抜ける人が、とっても増えてきたようです。うれしい! 胸が熱くなる。いやほんと。
まったく、やっとまともな世の中になってきました。ツイッター、ユーストリームの威力ですな。東京のデモは、3000人くらい集まったそうですよ。
あ、当然というか、いまのマスコミは腐ってますから、こういう市民連帯による「マスコミ批判」の大規模デモがあった事自体が報じられておりません。
自分に都合の悪いことはとりあげない。社会の公器でなきゃいかんのに。まったく…。(ちゅうか、マスコミがそういうひどさだから、このデモが起きたわけですが。)
ですから、テレビなんか見てても、世の中の実際の動きなんか、さーっぱりわからないんですよ。尖閣ビデオも、多分、こういう「マスコミや検察批判」の動きを封じ込めようとする悪巧みという気がします。尖閣ビデオなんか、どうでもいいのだ。まず、マスコミと検察をどうにかしろ。そっちが先。
ということで、デモで叫ばれたシュプレヒコール集。
●若者よマスコミなんか信じるな~!
●マスコミは真実を報道しろ~~!!
●国民はマスコミにだまされるな~!
●嘘つきマスコミは恥を知れ~!
●検察と特捜を解体しろ~!
●おかしいぞ!検察審査会!
●記者クラブを廃止せよ~!
●マスコミはウソをつくな~!
●日本政府は国民のために働け~!
●冤罪をなくせ~~。
●ウソツキマスコミは恥を知れ~~~~!
●検察はどこの国の機関だ~~~!
●マスコミは国民の味方ではありませ~ん。
●小沢一郎は真っ白だ~!
●小沢一郎は無実だ~!
●小沢一郎に仕事をさせろ~!
●政治家を、罪に落として、出世かな。(川柳の読み上げ)
●ウソの報道をするな~!
いやー、良いシュプレヒコールだなぁ。うむうむ。
タイトルの「『若者よマスコミなんか信じるな~!』いいシュプレヒコールだなぁ。」というのは、ツイッターで見かけた、とても共感できるつぶやきを、そのままタイトルとして選んだものです。
ま、現実の日本は、こういう具合になってきてるんです。もう、この流れは止められんでしょう。どうするつもりかね? マスコミのバカやマヌケな官僚たちは。いやほんと。
あ、そうそう、ついでに言うと、柳田法務大臣の「失言問題」も、証拠捏造などの検察不祥事解明に関して、それを暴くための「検察の在り方検討会議」に、郷原信郎さんとか、江川紹子さんなど、検察批判にするどい、気骨のある人が選出されたことへの危機感が、法務官僚にあるという話もあるのですよ。
なんせ、この「検察の在り方検討会議」は、柳田法務大臣直属の諮問機関ですからね。この人の集まりをどうしてもつぶしたいという検察や裁判所などの焦りから、ああいう記事になっている可能性がかなりあります。
マスコミ記事には裏がある。
という事です。
尖閣もいっしょ。
2010年、11月の現在において、大事なのは、尖閣よりも、柳田発言問題よりも、「検察の不祥事と、マスコミ批判を徹底無視する官僚+マスコミ=「官報複合体」のおかしさを暴くことです。
まず、これが何よりも最優先で必要です。
そういうおかしな構造があるのだ!ということを、我々国民が気づき、最優先の問題として、議題に掲げ続けることが大切です。
なので、もう一度書きます。
●マスコミの報道には裏がある。
ということなんです。
そこを、絶対に忘れてはいけません。
いままで、全然取り上げなかったのに、急に柳田法相への一斉攻撃がはじまった、というのは、そういう可能性がかなり高いってことです。
(とはいえ、柳田さんって、かなり中途半端でよくわかってない人だしねぇ。で、よく解ってないから、いきなりものすごく強硬な郷原さんや江川さんを人選しちゃったんでしょう。でも、この会議はつぶしちゃいけません。郷原さんと江川さんは、検察改革にはなくてはならない人たちです。はい。)
まぁ、柳田さん個人の資質は、とりあえず横に置いておいて、柳田さんが直接取り仕切ってる
「検察の在り方検討会議」だけはつぶさせてはいけません。
そういう事であります。
「検察・マスコミの横暴を抗議する市民デモ」
が、あったそうです。
例のフリージャーナリストの岩上安身さんのやってるユーストリームでその様子が見れます。
東京(渋谷) 11月21日分
http://www.ustream.tv/recorded/10993161
東京は、11月5日にもデモがありまして、それを知った人が「うちでもやろう」と自主的にやりはじめたらしいですね。これはYoutubeに動画があります。
東京 11月5日分
http://www.youtube.com/watch?v=ds_DU90T7KY
この時で1200人の参加だったようです。
で、昨日の土曜日は大阪でもデモがありました。
大阪 20日
http://www.youtube.com/watch?v=QorqRWhbmCw
http://www.youtube.com/watch?v=KEM83GEnNHY&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=ITGiO04ZMy8&NR=1
大阪のデモの様子を報告しているブログもありました。
●ニュース逆さ読み[デモは体にいい]
http://blog.livedoor.jp/nkmrrj04fr/archives/51881528.html
大阪のデモは、僕も参加したかったんですけど、急に仕事の打合せが同時刻に入ってしまって参加できませんでした。
23日には、新潟と福岡でもやるそうですよ。完全に全国レベルですな。いいやー素晴らしい。
連絡の中心になってるのは、このページかな?
http://togetter.com/li/70588
よくはわかりませんけど、知りたい人は自分でいろいろ調べて参加するのも良いのではないでしょうか。
ともあれ、心ある人、事情を解ってる人、マスコミの嘘っぱちや官僚のごまかしが見抜ける人が、とっても増えてきたようです。うれしい! 胸が熱くなる。いやほんと。
まったく、やっとまともな世の中になってきました。ツイッター、ユーストリームの威力ですな。東京のデモは、3000人くらい集まったそうですよ。
あ、当然というか、いまのマスコミは腐ってますから、こういう市民連帯による「マスコミ批判」の大規模デモがあった事自体が報じられておりません。
自分に都合の悪いことはとりあげない。社会の公器でなきゃいかんのに。まったく…。(ちゅうか、マスコミがそういうひどさだから、このデモが起きたわけですが。)
ですから、テレビなんか見てても、世の中の実際の動きなんか、さーっぱりわからないんですよ。尖閣ビデオも、多分、こういう「マスコミや検察批判」の動きを封じ込めようとする悪巧みという気がします。尖閣ビデオなんか、どうでもいいのだ。まず、マスコミと検察をどうにかしろ。そっちが先。
ということで、デモで叫ばれたシュプレヒコール集。
●若者よマスコミなんか信じるな~!
●マスコミは真実を報道しろ~~!!
●国民はマスコミにだまされるな~!
●嘘つきマスコミは恥を知れ~!
●検察と特捜を解体しろ~!
●おかしいぞ!検察審査会!
●記者クラブを廃止せよ~!
●マスコミはウソをつくな~!
●日本政府は国民のために働け~!
●冤罪をなくせ~~。
●ウソツキマスコミは恥を知れ~~~~!
●検察はどこの国の機関だ~~~!
●マスコミは国民の味方ではありませ~ん。
●小沢一郎は真っ白だ~!
●小沢一郎は無実だ~!
●小沢一郎に仕事をさせろ~!
●政治家を、罪に落として、出世かな。(川柳の読み上げ)
●ウソの報道をするな~!
いやー、良いシュプレヒコールだなぁ。うむうむ。
タイトルの「『若者よマスコミなんか信じるな~!』いいシュプレヒコールだなぁ。」というのは、ツイッターで見かけた、とても共感できるつぶやきを、そのままタイトルとして選んだものです。
ま、現実の日本は、こういう具合になってきてるんです。もう、この流れは止められんでしょう。どうするつもりかね? マスコミのバカやマヌケな官僚たちは。いやほんと。
あ、そうそう、ついでに言うと、柳田法務大臣の「失言問題」も、証拠捏造などの検察不祥事解明に関して、それを暴くための「検察の在り方検討会議」に、郷原信郎さんとか、江川紹子さんなど、検察批判にするどい、気骨のある人が選出されたことへの危機感が、法務官僚にあるという話もあるのですよ。
なんせ、この「検察の在り方検討会議」は、柳田法務大臣直属の諮問機関ですからね。この人の集まりをどうしてもつぶしたいという検察や裁判所などの焦りから、ああいう記事になっている可能性がかなりあります。
マスコミ記事には裏がある。
という事です。
尖閣もいっしょ。
2010年、11月の現在において、大事なのは、尖閣よりも、柳田発言問題よりも、「検察の不祥事と、マスコミ批判を徹底無視する官僚+マスコミ=「官報複合体」のおかしさを暴くことです。
まず、これが何よりも最優先で必要です。
そういうおかしな構造があるのだ!ということを、我々国民が気づき、最優先の問題として、議題に掲げ続けることが大切です。
なので、もう一度書きます。
●マスコミの報道には裏がある。
ということなんです。
そこを、絶対に忘れてはいけません。
いままで、全然取り上げなかったのに、急に柳田法相への一斉攻撃がはじまった、というのは、そういう可能性がかなり高いってことです。
(とはいえ、柳田さんって、かなり中途半端でよくわかってない人だしねぇ。で、よく解ってないから、いきなりものすごく強硬な郷原さんや江川さんを人選しちゃったんでしょう。でも、この会議はつぶしちゃいけません。郷原さんと江川さんは、検察改革にはなくてはならない人たちです。はい。)
まぁ、柳田さん個人の資質は、とりあえず横に置いておいて、柳田さんが直接取り仕切ってる
「検察の在り方検討会議」だけはつぶさせてはいけません。
そういう事であります。
少し前に朝のNHK「あさイチ」でやってた、「ほめる力」のすごさの特集。
イチおし 人生を変える驚異の“ほめパワー”
http://www.nhk.or.jp/asaichi/2010/11/01/01.html
これがなかなか面白かったので、ちょっといろいろ書きます。
この番組を見て、一番面白いなーと思ったのが、実は「自分を自分でホメるホメ日記を書く」というものだったんですよ。これは面白いなーと思いました。これは、かなり多くの人の問題を解決するぞと感じたんです。
というのは、まず、前々から書いてますけど、アダルトチルドレン(=ACと略記します。)の問題ですね。
ACは、まず何より自分がACであることに気づいてなくて、自分を「普通」だと思ってるわけですが、そのACと「普通」の人の大きな違いが「自己肯定力」にあるんですね。
単純に言ってしまうと、
●失敗しなければいい。(AC)
●成功したい(ふつう)
という願い方の違いがあるわけです。
人間が、何をするにしても、何かを成功させるためには練習が必要で、練習の過程は失敗だらけなわけです。ですよね?
ということは「失敗しないようにしよう」という考え方は、その考え方を持った時点でアウトだ、ということがはっきりとわかります。
スポーツであれ、音楽であれ、練習するというのは失敗を繰り返す、ということなわけですから。
しかし、この「失敗をくりかえす」ということに、ACは、なかなか耐えられないわけです。
なぜか? というと、それは自己肯定力が低いからなんですね。「失敗しても俺は俺。なにもしてない俺でも、俺はすばらしい。」という気分を維持できないからなんです。
自分に自信がないから、ひたすら失敗を避けるし、これが困ったことに、自分が一番大事だ、と思っている事でこそ「失敗したくない」と思うものだから、ずーっと一生、自分が一番大事だと思ってる事で失敗をし続けてしまったりするわけです。
だから、物事がうまくいかないで困ってる人は、まず何よりも失敗してもめげない強い力を持つ必要があって、そのためには、「自己肯定力」を高める必要があるんですね。
普通、というか、まともで良い家庭で育った子供なら、とにかく何度かは親にほめられてがんばったという経験があって、その経験がタネになって失敗してもめげずにがんばるスキルというのが身に付くわけです。たくさんホメられたか、少ししかホメられなかったかの差はありますが、おおむねそれが基準です。
しかしACは、その経験がないので、「叱られない」ように、「失敗しない道」を選ぼうとします。
こうなると、努力が一切できなくなっちゃうんですね。
だから、こういう人種は、(というか、もともと僕もそういう人間でした。)まず自分をほめる必要があるわけです。
「よくがんばってるな、えらい!」「そこまでの努力はなかなかできないよ。」「失敗してもあきらめないんだねぇ。えらいなぁ。」とか。
こういうことをしっかり明確に言葉にして、文字にし、それを自分で読むということをすると、自己肯定力が高まる、ということなんです。
実は、このNHKの番組では、まず他者にほめてもらう事の効果の高さをいろいろ実験で見せた後に「褒められることは、脳においては『喜び』となり、『報酬』としてとしてお金などと共通に受け取られていることが明らかになった」という最近の研究結果を紹介してたんですね。
つまり、お金がもらえるからバイトをするのと同じように、ホメられたいから、良い行動をする、ということがある、ということなんですね。「ホメ」が「お金」と同じだけの力を持つ、ということなんです。
で、この効果を紹介した上で、「実は自分で自分をほめても、その効果はあるのだ」とホメ日記を紹介していたんですね。
おお、そりゃすごい!ということですよ。無からお金を生み出せるようなもんですから。
なので、実際、自分でも小さなメモ帳を持ちあるいて、気づいたときに、できるだけ自分をホメるようにしはじめたんですが、これが意外に効果が高いんですね。
自分で自分をほめるわけですから、「あきらかにおべんちゃら」みたいな事は、こっぱずかしくて書けないわけですよ。自分でほんとうに「これはなかなか大した事なんじゃないの?」という事をほめる。そうするとウソじゃないということが自分でわかってるわけですから、気持ちよいんですね。
これはなかなか良いなぁと思って、これは、多くの人と分かち合うべきことだよなぁと思ったので、書いた、ということです。
で、それと同時に最近思うのは、「夢」を持つことの重要性ですね。
いくらホメても、もともとの目標が小さいとホメるネタがなくなっちゃうんですよね。
しかし、大きな夢を持っていると、なかなか達成されないがゆえにがんばりやすいわけです。
夢は、小さい夢だと、すぐにかなってしまうので、あまり面白くありません。たとえば、スポーツするなら、それこそイチロー選手をめざすとか、そのくらい大きい方が良いわけです。大きい夢は、なかなか叶わないだけに、日々努力をするんですね。目標を小分けにして、小さな小さな単位にして、そしてそれをホメて実行すると。そういう組み合わせですね。どうも、それが良いように思います。
ちょっととっちらかった内容になりましたが、なんか最近は、そういう事をよく考えております。
イチおし 人生を変える驚異の“ほめパワー”
http://www.nhk.or.jp/asaichi/2010/11/01/01.html
これがなかなか面白かったので、ちょっといろいろ書きます。
この番組を見て、一番面白いなーと思ったのが、実は「自分を自分でホメるホメ日記を書く」というものだったんですよ。これは面白いなーと思いました。これは、かなり多くの人の問題を解決するぞと感じたんです。
というのは、まず、前々から書いてますけど、アダルトチルドレン(=ACと略記します。)の問題ですね。
ACは、まず何より自分がACであることに気づいてなくて、自分を「普通」だと思ってるわけですが、そのACと「普通」の人の大きな違いが「自己肯定力」にあるんですね。
単純に言ってしまうと、
●失敗しなければいい。(AC)
●成功したい(ふつう)
という願い方の違いがあるわけです。
人間が、何をするにしても、何かを成功させるためには練習が必要で、練習の過程は失敗だらけなわけです。ですよね?
ということは「失敗しないようにしよう」という考え方は、その考え方を持った時点でアウトだ、ということがはっきりとわかります。
スポーツであれ、音楽であれ、練習するというのは失敗を繰り返す、ということなわけですから。
しかし、この「失敗をくりかえす」ということに、ACは、なかなか耐えられないわけです。
なぜか? というと、それは自己肯定力が低いからなんですね。「失敗しても俺は俺。なにもしてない俺でも、俺はすばらしい。」という気分を維持できないからなんです。
自分に自信がないから、ひたすら失敗を避けるし、これが困ったことに、自分が一番大事だ、と思っている事でこそ「失敗したくない」と思うものだから、ずーっと一生、自分が一番大事だと思ってる事で失敗をし続けてしまったりするわけです。
だから、物事がうまくいかないで困ってる人は、まず何よりも失敗してもめげない強い力を持つ必要があって、そのためには、「自己肯定力」を高める必要があるんですね。
普通、というか、まともで良い家庭で育った子供なら、とにかく何度かは親にほめられてがんばったという経験があって、その経験がタネになって失敗してもめげずにがんばるスキルというのが身に付くわけです。たくさんホメられたか、少ししかホメられなかったかの差はありますが、おおむねそれが基準です。
しかしACは、その経験がないので、「叱られない」ように、「失敗しない道」を選ぼうとします。
こうなると、努力が一切できなくなっちゃうんですね。
だから、こういう人種は、(というか、もともと僕もそういう人間でした。)まず自分をほめる必要があるわけです。
「よくがんばってるな、えらい!」「そこまでの努力はなかなかできないよ。」「失敗してもあきらめないんだねぇ。えらいなぁ。」とか。
こういうことをしっかり明確に言葉にして、文字にし、それを自分で読むということをすると、自己肯定力が高まる、ということなんです。
実は、このNHKの番組では、まず他者にほめてもらう事の効果の高さをいろいろ実験で見せた後に「褒められることは、脳においては『喜び』となり、『報酬』としてとしてお金などと共通に受け取られていることが明らかになった」という最近の研究結果を紹介してたんですね。
つまり、お金がもらえるからバイトをするのと同じように、ホメられたいから、良い行動をする、ということがある、ということなんですね。「ホメ」が「お金」と同じだけの力を持つ、ということなんです。
で、この効果を紹介した上で、「実は自分で自分をほめても、その効果はあるのだ」とホメ日記を紹介していたんですね。
おお、そりゃすごい!ということですよ。無からお金を生み出せるようなもんですから。
なので、実際、自分でも小さなメモ帳を持ちあるいて、気づいたときに、できるだけ自分をホメるようにしはじめたんですが、これが意外に効果が高いんですね。
自分で自分をほめるわけですから、「あきらかにおべんちゃら」みたいな事は、こっぱずかしくて書けないわけですよ。自分でほんとうに「これはなかなか大した事なんじゃないの?」という事をほめる。そうするとウソじゃないということが自分でわかってるわけですから、気持ちよいんですね。
これはなかなか良いなぁと思って、これは、多くの人と分かち合うべきことだよなぁと思ったので、書いた、ということです。
で、それと同時に最近思うのは、「夢」を持つことの重要性ですね。
いくらホメても、もともとの目標が小さいとホメるネタがなくなっちゃうんですよね。
しかし、大きな夢を持っていると、なかなか達成されないがゆえにがんばりやすいわけです。
夢は、小さい夢だと、すぐにかなってしまうので、あまり面白くありません。たとえば、スポーツするなら、それこそイチロー選手をめざすとか、そのくらい大きい方が良いわけです。大きい夢は、なかなか叶わないだけに、日々努力をするんですね。目標を小分けにして、小さな小さな単位にして、そしてそれをホメて実行すると。そういう組み合わせですね。どうも、それが良いように思います。
ちょっととっちらかった内容になりましたが、なんか最近は、そういう事をよく考えております。
黒木昭雄さんの問題は、思っていたより大問題でした。
2010年11月16日コメント (7)先日、
黒木昭雄さんがお亡くなりになった。警察によって暗殺された可能性は、かなり高いと私は記しておきます。
http://hitoyomi.diarynote.jp/?day=20101103
として、ジャーナリストに黒き昭雄さんがお亡くなりになった話を書きましたが、ニコニコ動画で、知り合いだったジャーナリストの方々が集まって、事件の真相について、いろいろと話をしておられました。
結局、司法解剖も行政解剖もされなかったらしいので、やはり事実は闇の中でさっぱりわからないというのが現実で、警察の不祥事を追求していたジャーナリストを、司法解剖にすらしなかった、という意味で、あまりに警察はずさん過ぎるという大問題は変わらないのですが、実際のところはやはり「本当に自殺した」という可能性がけっこう高いようです。
しかし、その自殺に至った経過を知ると、それこそ、まさに警察とマスコミによって「殺された」としか言いようのない、ひどい状況が存在してるんだなぁと思わざるを得ません。
僕が思っていた以上に警察とマスコミの癒着はひどく、状況としては、警察はずさんな仕事をし放題で、それを誰も正そうとすらしていないのだ、ということが見えてきました。これならまだ、「警察が自分たちの不祥事を隠すためにジャーナリストを殺そうとした」方がよっぽどマシなんですねぇ、情けない事に。
いまは、「警察がいくら不祥事を起こしても、マスコミがまったく書かない状況」だから、わざわざ黒木さんを殺害する必要がない、というそういう、もっともっと恐ろしい状況になっている、ということのようです。
だいたい、この黒木さんがジャーナリストになった経緯というのが「警察の腐敗をマスコミが追求しないから」なんですね。黒木さんは、もともと警察官だったそうなんですが、警察がいくら不祥事をしても、マスコミが取り上げないという状況に義憤を感じてジャーナリストになられたそうなんですよ。
しかし、現実問題として、各県の警察には、各地にその所轄警察詰めの記者クラブがあって、「サラリーマン記者」たちは、警察に記事ネタをもらわないと紙面を埋めることができないので、必然的に地元警察と癒着する、ということになって、マスコミが元々持っている公的機関の監視役という役目を果たさなくなってしまってるわけです。
この癒着状況が、それこそもう、日本全体に広がってしまってるわけです。
黒木さんは、その状況を打破しようと、わざわざ警官をやめてジャーナリストになり、数々の警官の不祥事を暴く記事を書こうとしてきたし、書いてきたわけです。
とくに最近では、岩手の殺人事件で、地元警察が犯人の誤認をしている可能性が非常に高いので、その件をしつこく追っていたわけです。
ところが、この事件が全然話題にならない。テレビや新聞で取り上げられないわけです。それこそ全然記事にも番組にもならない。
それで、ネットでこの問題をコツコツと書いては知らせておられて、やっと先日「ザ・スクープ」というテレビ番組で取り上げられたんだそうです。
このザ・スクープという番組も、実は記者クラブとは関係のない長野智子さんやディレクターの独自企画の番組だったそうで、ようは記者クラブはまったく相手にしなかったという事のようなんですね。
で、この「スクープ」で、全国に流れたんだから、ここから火がついて、警察の不祥事に注目が集まるかと、黒木さんはかなり期待しておられたらしいんですが、それがまったく後のアクションにつながらなかったわけです。
記者クラブに参加してるメディアが、一斉に無視をした、という状況なわけなんですね。
黒木さんは、そのメディア状況に、かなり絶望して自殺してしまった可能性が高いのではないか? という話なのです。
だから、先日僕は「黒木さんが死んだ原因がわからないのなら、警察に殺されたのだという疑いを持つことが市民自衛の手段として正しい」という意味の事を書いたし、おおむねはそういう言い方で正しいと思うのですが(実際司法解剖も行われていませんし)、でも現実としては、メディアがもう、本当にダメダメで、もし黒木さんが警察権力によって殺されているとするなら、
●殺されるかもしれないなら、警察批判記事は書かないでおこう。
というように考えるダメ記者しかいないのが現状だという悲惨さなわけです。
もう、ほんとうにどうしようもない。
いや、それどころか、もっと悲惨な状況もあるんですね。
というのも、黒木さんと同じく元警察官で、現在阿久根市の副市長である仙波敏郎氏に対して、ある新聞記者が「次はあなたかも知れないですよ。」と警告した、という話があるからです。
「殺されるかもしれませんから、注意してくださいね。」という意味の事を、黒木さんの事件を引き合いに出して注意した、という話があるのだそうです。
この記者は決して、「脅し」の意味で言ったのではなく、仙波氏を応援し守りたいという気持ちで言ったのだろうとは思うのですが、そういう事を言わざるを得ない状況がマスコミの側にはある、ということでもありますし、それだけ現場の記者が萎縮してしまっている証拠でもあります。
本来なら、警察批判を繰り返していたジャーナリストの死亡であるなら、キチンと司法解剖して、疑念をはらすべきなんですが、国民だれもがキチンと解剖によって死の原因が明らかにされるという仕組みに、日本はなっていないので、物事があやふやになってしまうし、「記者が自ら黙る」というような状況を見越して、わざと司法解剖をしていないという側面すらあるのではないか? という疑いもありますから、あらためて「国民に平等に死因特定の権利を!」と叫んでおきたいと思います。
黒木さんは、うつ病で医者にかかっていたのだ、という話もあります。その場合は、死亡診断書を医師が書いている可能性があって、それなら変死ではなく、病死となりますから、問題はないのかもしれません。そこはちょっと不明です。
しかし、黒木さんが警官をやめて、ジャーナリストとなり、活動を続けて絶望にいたったという過程のすべてに、警察の不祥事の問題と、それを正せない記者クラブの問題が大きく横たわっているわけですから、これは「疑惑」ではなく、はっきりと「警察と記者クラブの癒着構造によって社会的に殺された」という意味では、あさに警察に殺されたと言うにあたいする案件だと思います。
(それに加えて、うつ病の薬として、SSRが与えられていて、そのSSRの副作用によって死んでしまわれたのではないか?という薬害の問題も裏には存在しているのだ!ということを、日垣隆さんなんかは言っておられまして、2重3重に不幸だなぁと思います。日本人誰もに降りかかる、不幸な問題です。)
この間は、警官による自転車の歩道走行が道路交通法違反なのに、それが問題視されていないという事を書きましたが、そういう問題と根っこは完全に同じですね。正しい批判勢力がないから、組織が腐っていくということなわけです。
ということで、黒木さんの変死は、たんに警察の不祥事問題を取り上げていたという事だけではなくて、記者クラブ問題や、司法解剖の問題、うつ病治療薬SSRの問題まで含めて、大きな構図があまりに悲惨で暗い気持ちになります。
いまやたらと尖閣ビデオの問題が話題になってますけれど、そんな話より、こういう国内の法律の不備やら警察の不祥事、薬害問題の方がはるかに重要だと僕は感じます。
ひとりでも多くの人が、尖閣問題よりも、こういう身近に迷惑をこうむりかねない状況の方を気にするようになって欲しいなぁと、しみじみ思います。
そういうことであります。
黒木昭雄さんがお亡くなりになった。警察によって暗殺された可能性は、かなり高いと私は記しておきます。
http://hitoyomi.diarynote.jp/?day=20101103
として、ジャーナリストに黒き昭雄さんがお亡くなりになった話を書きましたが、ニコニコ動画で、知り合いだったジャーナリストの方々が集まって、事件の真相について、いろいろと話をしておられました。
結局、司法解剖も行政解剖もされなかったらしいので、やはり事実は闇の中でさっぱりわからないというのが現実で、警察の不祥事を追求していたジャーナリストを、司法解剖にすらしなかった、という意味で、あまりに警察はずさん過ぎるという大問題は変わらないのですが、実際のところはやはり「本当に自殺した」という可能性がけっこう高いようです。
しかし、その自殺に至った経過を知ると、それこそ、まさに警察とマスコミによって「殺された」としか言いようのない、ひどい状況が存在してるんだなぁと思わざるを得ません。
僕が思っていた以上に警察とマスコミの癒着はひどく、状況としては、警察はずさんな仕事をし放題で、それを誰も正そうとすらしていないのだ、ということが見えてきました。これならまだ、「警察が自分たちの不祥事を隠すためにジャーナリストを殺そうとした」方がよっぽどマシなんですねぇ、情けない事に。
いまは、「警察がいくら不祥事を起こしても、マスコミがまったく書かない状況」だから、わざわざ黒木さんを殺害する必要がない、というそういう、もっともっと恐ろしい状況になっている、ということのようです。
だいたい、この黒木さんがジャーナリストになった経緯というのが「警察の腐敗をマスコミが追求しないから」なんですね。黒木さんは、もともと警察官だったそうなんですが、警察がいくら不祥事をしても、マスコミが取り上げないという状況に義憤を感じてジャーナリストになられたそうなんですよ。
しかし、現実問題として、各県の警察には、各地にその所轄警察詰めの記者クラブがあって、「サラリーマン記者」たちは、警察に記事ネタをもらわないと紙面を埋めることができないので、必然的に地元警察と癒着する、ということになって、マスコミが元々持っている公的機関の監視役という役目を果たさなくなってしまってるわけです。
この癒着状況が、それこそもう、日本全体に広がってしまってるわけです。
黒木さんは、その状況を打破しようと、わざわざ警官をやめてジャーナリストになり、数々の警官の不祥事を暴く記事を書こうとしてきたし、書いてきたわけです。
とくに最近では、岩手の殺人事件で、地元警察が犯人の誤認をしている可能性が非常に高いので、その件をしつこく追っていたわけです。
ところが、この事件が全然話題にならない。テレビや新聞で取り上げられないわけです。それこそ全然記事にも番組にもならない。
それで、ネットでこの問題をコツコツと書いては知らせておられて、やっと先日「ザ・スクープ」というテレビ番組で取り上げられたんだそうです。
このザ・スクープという番組も、実は記者クラブとは関係のない長野智子さんやディレクターの独自企画の番組だったそうで、ようは記者クラブはまったく相手にしなかったという事のようなんですね。
で、この「スクープ」で、全国に流れたんだから、ここから火がついて、警察の不祥事に注目が集まるかと、黒木さんはかなり期待しておられたらしいんですが、それがまったく後のアクションにつながらなかったわけです。
記者クラブに参加してるメディアが、一斉に無視をした、という状況なわけなんですね。
黒木さんは、そのメディア状況に、かなり絶望して自殺してしまった可能性が高いのではないか? という話なのです。
だから、先日僕は「黒木さんが死んだ原因がわからないのなら、警察に殺されたのだという疑いを持つことが市民自衛の手段として正しい」という意味の事を書いたし、おおむねはそういう言い方で正しいと思うのですが(実際司法解剖も行われていませんし)、でも現実としては、メディアがもう、本当にダメダメで、もし黒木さんが警察権力によって殺されているとするなら、
●殺されるかもしれないなら、警察批判記事は書かないでおこう。
というように考えるダメ記者しかいないのが現状だという悲惨さなわけです。
もう、ほんとうにどうしようもない。
いや、それどころか、もっと悲惨な状況もあるんですね。
というのも、黒木さんと同じく元警察官で、現在阿久根市の副市長である仙波敏郎氏に対して、ある新聞記者が「次はあなたかも知れないですよ。」と警告した、という話があるからです。
「殺されるかもしれませんから、注意してくださいね。」という意味の事を、黒木さんの事件を引き合いに出して注意した、という話があるのだそうです。
この記者は決して、「脅し」の意味で言ったのではなく、仙波氏を応援し守りたいという気持ちで言ったのだろうとは思うのですが、そういう事を言わざるを得ない状況がマスコミの側にはある、ということでもありますし、それだけ現場の記者が萎縮してしまっている証拠でもあります。
本来なら、警察批判を繰り返していたジャーナリストの死亡であるなら、キチンと司法解剖して、疑念をはらすべきなんですが、国民だれもがキチンと解剖によって死の原因が明らかにされるという仕組みに、日本はなっていないので、物事があやふやになってしまうし、「記者が自ら黙る」というような状況を見越して、わざと司法解剖をしていないという側面すらあるのではないか? という疑いもありますから、あらためて「国民に平等に死因特定の権利を!」と叫んでおきたいと思います。
黒木さんは、うつ病で医者にかかっていたのだ、という話もあります。その場合は、死亡診断書を医師が書いている可能性があって、それなら変死ではなく、病死となりますから、問題はないのかもしれません。そこはちょっと不明です。
しかし、黒木さんが警官をやめて、ジャーナリストとなり、活動を続けて絶望にいたったという過程のすべてに、警察の不祥事の問題と、それを正せない記者クラブの問題が大きく横たわっているわけですから、これは「疑惑」ではなく、はっきりと「警察と記者クラブの癒着構造によって社会的に殺された」という意味では、あさに警察に殺されたと言うにあたいする案件だと思います。
(それに加えて、うつ病の薬として、SSRが与えられていて、そのSSRの副作用によって死んでしまわれたのではないか?という薬害の問題も裏には存在しているのだ!ということを、日垣隆さんなんかは言っておられまして、2重3重に不幸だなぁと思います。日本人誰もに降りかかる、不幸な問題です。)
この間は、警官による自転車の歩道走行が道路交通法違反なのに、それが問題視されていないという事を書きましたが、そういう問題と根っこは完全に同じですね。正しい批判勢力がないから、組織が腐っていくということなわけです。
ということで、黒木さんの変死は、たんに警察の不祥事問題を取り上げていたという事だけではなくて、記者クラブ問題や、司法解剖の問題、うつ病治療薬SSRの問題まで含めて、大きな構図があまりに悲惨で暗い気持ちになります。
いまやたらと尖閣ビデオの問題が話題になってますけれど、そんな話より、こういう国内の法律の不備やら警察の不祥事、薬害問題の方がはるかに重要だと僕は感じます。
ひとりでも多くの人が、尖閣問題よりも、こういう身近に迷惑をこうむりかねない状況の方を気にするようになって欲しいなぁと、しみじみ思います。
そういうことであります。
尖閣より検察問題。
2010年11月13日尖閣問題は、もともと領土問題なので、あんな話はどうにもならんし、どうしてもいかんし、触らないに限る話なのに、なぜか、えんえんテレビでやってる。
つまりこれは良くも悪くも「やらせ」なのであって、おそらくその心は、前田元検事の問題やら、検察審査会の問題やらが、糊塗することができなくなってきたので、「矛先転換!」と持ち出されたんじゃないか? と疑ってしまう。
尖閣の問題は、クルマにたとえれば、他のクルマとの接触事故の問題であり、ビデオの話は、クルマで言えばバックミラーがちょっと見にくい位置にずれてしまいました、という話でしかない。
しかし、検察の問題は、ブレーキがきかないとか、あるいはアクセルとブレーキの取り付け位置が間違ってました、というレベルの大問題なわけでしょ? 検察機構というのは、民主主義のエンジンコントロール装置のひとつなんだから。
アクセル、ブレーキ、クラッチが、それぞれ頭文字でABC。役割が違って、それを適切に踏むからクルマは動く。おそらく、この仕組みは、電気自動車になっても、大きくはそれほど変わらないはず。(クラッチはなくなるでしょうが。)
民主主義において、そのABCに対応するのが司法、立法、行政の三権分立。検察は、その司法と行政をつなぐ重要なギアなのに、それが完全に摩耗してたのがわかった、という話が、フロッピーデータの改ざん問題やら、検察審査会のうじゃうじゃ出てくるおかしな問題たちなわけです。
バックミラーが多少見にくいとか、曇ってた程度なら、手でちょろっと直せば良いという程度の問題。しかし、アクセルとブレーキの取り付け位置がおかしいとか、ギアが摩耗したということだと、専門家に頼まないとダメというレベル。もともと、重要性が全然違うと思う。
そういう意味で、マスコミの取り上げ方が、根本的におかしいと思うし、検察問題をこそ、もっと徹底的にやらなアカンやろと思うんですがね、いかんせん、いまは官僚とマスコミがなれ合いなので、すぐにこういう「矛先転換報道」がなされるのよなぁ。検察の問題なんか、ここのところ全然取り上げなくなっちゃったもんな。それはアカンやろと思うのですが、どうにもおかしな事は続く。
困ったことです。
つまりこれは良くも悪くも「やらせ」なのであって、おそらくその心は、前田元検事の問題やら、検察審査会の問題やらが、糊塗することができなくなってきたので、「矛先転換!」と持ち出されたんじゃないか? と疑ってしまう。
尖閣の問題は、クルマにたとえれば、他のクルマとの接触事故の問題であり、ビデオの話は、クルマで言えばバックミラーがちょっと見にくい位置にずれてしまいました、という話でしかない。
しかし、検察の問題は、ブレーキがきかないとか、あるいはアクセルとブレーキの取り付け位置が間違ってました、というレベルの大問題なわけでしょ? 検察機構というのは、民主主義のエンジンコントロール装置のひとつなんだから。
アクセル、ブレーキ、クラッチが、それぞれ頭文字でABC。役割が違って、それを適切に踏むからクルマは動く。おそらく、この仕組みは、電気自動車になっても、大きくはそれほど変わらないはず。(クラッチはなくなるでしょうが。)
民主主義において、そのABCに対応するのが司法、立法、行政の三権分立。検察は、その司法と行政をつなぐ重要なギアなのに、それが完全に摩耗してたのがわかった、という話が、フロッピーデータの改ざん問題やら、検察審査会のうじゃうじゃ出てくるおかしな問題たちなわけです。
バックミラーが多少見にくいとか、曇ってた程度なら、手でちょろっと直せば良いという程度の問題。しかし、アクセルとブレーキの取り付け位置がおかしいとか、ギアが摩耗したということだと、専門家に頼まないとダメというレベル。もともと、重要性が全然違うと思う。
そういう意味で、マスコミの取り上げ方が、根本的におかしいと思うし、検察問題をこそ、もっと徹底的にやらなアカンやろと思うんですがね、いかんせん、いまは官僚とマスコミがなれ合いなので、すぐにこういう「矛先転換報道」がなされるのよなぁ。検察の問題なんか、ここのところ全然取り上げなくなっちゃったもんな。それはアカンやろと思うのですが、どうにもおかしな事は続く。
困ったことです。
今日は、またまた、自転車関連の書籍の紹介。
自転車ツーキニストの作法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797358416
という本ですが、先日の日記、
●自転車は車道を走るのが、絶対に安全。歩道を走る自転車は命を失くすために走るようなもの。
http://hitoyomi.diarynote.jp/201010211533568379/
で紹介した名著、「自転車の安全鉄則」の続編というか、あの本で「ぐっとこらえて書かなかった、行政の人間への怒り」を、けっこうそのままさらけ出している本ですね。疋田さん、けっこう怒ってます。すごく穏和な方なんですけど、穏和な人が、「つい本音で毒を吐いてしまった。」という書籍ですな。
ともあれ、まずは「安全鉄則」を読んでないと、この「怒り」というのが、ものすごくまっとうな怒りなのだ、ということが、いまいちわからないかも知れないので、
●自転車の安全鉄則
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4022732474
を、まず、真っ先に、読んでください。
(読みもしないで、ヘラヘラ笑って軽く考えている奴はぶっ飛ばす、ひっぱたく、叱りつけるのに遠慮する必要はまったくないので、徹底的に叩きます。まず、読め。読まない奴は土人だ。土人のままでいたいなら読まなくてよろしい。)
とにかく、この二冊を読むと、日本の自転車環境が、いかにおマヌケで、どうしようもない悲惨な状況で、「なんでゼロどころかマイナスの状態から現状改革をしていかなければいけないのか?」という、絶望的状態にタメイキしか出ないんです。
が、その「最悪やなぁ…。」という環境が、完全に、100%、警察という官僚組織の無能、無知、バカの極み、低脳から生まれていて、そのアホさ加減のおかげで、日本の全国民が世界に類を見ない不幸な自転車環境に貶められているというのが手に取るように解ります。
っちゅうかね、この悲惨さは、実際に自転車で車道を走ってみないとわからんですよ。
みなさん、とにかく自転車で車道を走りなさい。いますぐにでも。それが順法なんだから。
で、法律を守れば、いかに道路行政がおかしいのかが、はっきりわかります。
で、そういう実感を持った上で、上記の二冊を読むと、この国の壊れ具合が、もう、完全に官僚の無能から発生しているのだというのが、嫌というほどわかりますって。
自転車問題と記者クラブ問題って、「世界の常識からはずれてしまっていることで、国民が多大なる損害を受けている」という意味で、まったく問題の本質が同じなんですよね。
それに加えて「とてつもない問題が、そこに存在しているのに、肝心の国民がイマイチ、その不利益に気づいていない」という「日本人が土人だからアカンのや問題」も、これまた同じなんです。
なので、結局、表題のごとく、「自転車に乗っていると、この国の壊れ具合が全部官僚が悪いからなのだ、というのが、ほんっとうに、よく解る。」というところに結論が行かざるを得ないのですが、ただ記者クラブ問題に比べると、自転車問題は、
●道路交通法は、正しく守れば、大枠は問題ない。
という、「対応する法規がまだマトモ」というよりどころがあるだけ、まだマシなんですな。警察の「運用」がパァでアホで、無自覚で、無能で、キチガイで、どうしようもない、というのはあるけど、まぁまぁ法律はマシなのですよ。
逆に言うと、です。
●警察が法律を遵守していない。
という、とんでもない状況というのがある、というのが大問題なんですけどな。
日本中の警官が道路交通法を守っていない。違反している。ほぼ全員犯罪者ですわな。警官が全部犯罪者である、という、そういう状況です。
それはどういうことか?というと、ようは、
●警官が自転車で歩道をチンタラ走っている。
ということです。
あのなー、それ道路交通法の第17条違反やねんぞー。ほんまに。どうにかしてくれ。
まぁ、確かに「緊急の場合には、指定のある歩道なら走っても良い」と、後から付け加えられた64条で歩道通行を許してはおりますけどな。それはあくまで危険を避けなければならない緊急の時であり、なおかつ「自転車通行可」という条件の歩道のみなんですよ。
自転車通行可の歩道というのは、全国の歩道のうちの4割程度なんだそうです。ですから、まぁ、ほとんどの歩道は自転車が走ってはいかんのです。仮に走るにしても、「徐行」が義務づけられております。
ちなみに、では「徐行」というのは何㎞/時の事を言うのかは、規定がないので、疋田さんが警察に問い合わせたら「時速5~6km程度」というアホな答えが返ってきたそうです。
歩行者の時速が4kmくらいでして、それより1~2km/時は速くても良い、という見解なんだって。
ドアホ。
そんなもんね、自転車で5~6kmで走るなんていうのは、よっぽどのバランス感覚のあるサーカスの曲乗りが可能な人にしかできない程度の速度なんですよ。どんなにゆっくり走っても、時速10kmは出さないと自転車は倒れます。それなら、自転車から降りて、押して走った方がよっぽど楽。
(ちなみに自転車を押して歩く、走るというのは歩行者扱いなので、それは問題ありません。)
結局、自転車に乗りもせずに、気分と雰囲気で「徐行はまぁ5~6kmかな」と言うとるだけなわけです。テキトーな事を言うな!ボケ!国家公務員のクセしやがって嘘っぱちだらけやんけ。
1万円を切るような安物のママチャリだと、重量が20kg以上ありますから、それこそある程度のスピードがないと自立して走ること自体が無理なんですね。だから12~16km/時くらいのスピードは、絶対に出てます。普通のママチャリは。
で、もひとつ言うなら、重い自転車は止まりにくいんです。ブレーキをかけても止まらない。体重80kgとかの太ったおっさんおばちゃんあたりが、20kgの自転車に乗って、時速15-20kmくらいで走ってて、歩道を杖をついて歩いてる老人とか、まだ歩き始めたばかりの子ども、あるいは車椅子の必要な人とかにぶつかったら、これ、意外に大きな事故になりますからな。
だから、自転車は、もともと、歩道を走ってはいかんのですよ。車道を走りなさい、車道を。有無を言わさず、車道を走れ! 警察なら、警官なら、国民の安全のために、そう指導するのが当たり前で、世界中どこでもそれが普通になってるわけです。
歩道なんて、生活道路とつながってるんやから、よちよち歩きの子どもが、飛び出してくる事なんかザラですよ。で、自転車と子どもがぶつかったら、絶対転びますわね? 子どもは頭が重いから、頭から倒れます。悪くしたら死にますよ。
歩道を自転車で走るということは、そういう殺人者になる可能性がかなりある、ということなんですよ。あー恐ろしい。
だから、自転車は、車道を走れ。クルマの邪魔になってもかまいません。クルマがのさばってるほうがおかしいんだから。都市部である限り、かならず交差点が必要で、交差点がある限り、自動車の平均時速は、せいぜいがところ30km~40km程度にしかならないんですよ。だから、何もクルマのスピードを阻害しても、何の問題にもならんのです。どうしたって信号にひっかかるんだから。東京や大阪でも、田舎の都市でも同じ。半径20km以内の範囲なら、都市部の自動車はせいぜい30kmくらいでしか走ってないのと同じなのです。だから自転車が車道を走って、クルマの邪魔をしたって、別に何の問題もないんです。
だから、自転車は全部車道を走れ。
であるのに、だ。
警官のバカを見てください。
日本中の警官のバカを見てください。
白チャリ(警官用の自転車)二台が、でかい顔をして、しかも二台が併走して(自転車二台併走は、車道であっても法律違反なんですよ。)、いつ子どもを頭からコンクリートにたたきつけるかわからないような事をして、平気なわけです。
(2台併走されると、道幅が狭くなるので、足もとのしっかりしない子どもには「逃げ場」がなくなって、かなり危険。あわてて変な方向に走って、ビルに頭をぶつけたら、やっぱり死ぬかも、なわけです。警官が子ども殺しに荷担しとるわけだ。最低。)
で。
警官がバカだと、「歩道を自転車で走っても良いんだ。」と思う人間が出てくるのは当然ですわね。だから、歩道は自転車天国になりますわ。
そしたらもう、歩道で子どもを「走らせる」なんてことはできなくなる。となると、よちよち歩きの間から、外に出て遊ばせようと思っても、それができない。大人がいつもついてないとダメ。抱きかかえるとか、そういう事をしなくてはいけない。
とりあえず安全なのは公園くらい、ということになる。
これ、ものすごくおかしいですよ。
思いませんか?
歩道は、歩行者のものです。歩行者だけが使えばよろしい。弱者のための道路なのです。そういう弱者保護の視点がまったく欠けてるわけです。
で、そういう「弱者保護の視点」が何故欠けたか? というと、その視点が「警察には存在していなかったから」なんですよ。わかります? この悲惨な状況。
警察は「クルマ」という図体だけがでかくて危険な「強いもの」の味方しかしてこなかったんですよ。公僕にあるまじき思想です。危険思想です。きゃつらは思想犯なわけです。火あぶりの刑にしてしまうしか、他に退治のしようがない「危険思想犯」なわけです。
警官は弱者保護を徹底せよ! それがお前らの役目じゃ! ボケ!
ということなわけです。
本当にどうしようもないんですね。
で、あまりにどうしようもない事なので、この間、大阪府警に「なんで警官が歩道を自転車で走るという道路交通法違反をするのか」という質問状をメールで送りつけたんですけど、2週間も返事がなくて、昨日やっと電話がかかってきた。
こらぁ! ちゃんとやりとりが残るメールで返事をしろ! ボケ!
と怒鳴り倒して電話を切りましたが、さてどうなるか。メールがこなかった場合は、またもう一度「警官が法律違反をしている」件に関して質問状を送るつもりです。
ということで、この件に関して、「その通りだよなぁ」と思う方は、どんどん警察にメールして、問題を追及しましょう。
アホは叱らないとダメです。自分に問題があるのだ、ということがわからないのですから。まず、それを気づかせないとだめです。
とくに自転車問題は、道路交通法にキチンと則って、警官が車道を自転車で走るだけで、かなりの問題が解決するんです。
たとえば、車道の路肩近くに自動車を止めている違法駐車。あれを、本当に徹底して警察に取り締まってもらわないといけない。自転車の無灯火はやたらと注意するんやけど、そんな事してるヒマがあったら、もっともっと違法駐車を徹底して取り締まれっちゅうねん。違法やねんから。
警官が車道を自転車で走るようになれば、この違法駐車が、いかに大問題であるかが、すぐにわかるんです。車道を走らんから、その問題に気づけないわけですよ。
何、警官が歩道を自転車で走っとんねん。なにをヨチヨチ歩きの子どもの邪魔しとんねん、ふざけとったら承知せんぞ。頭を銅にめりこませて、腹から世間覗かせたろか。それとも手と足とを固結びに結んだろか。ふざけるのもたいがいにせいっちゅうことです。
警官がこのように危険思想の、子ども殺し集団ですから、そら世間もおかしくなりますわ。
それは一重に、「無能」ということなんです。
ただそれだけのこと。
「無能」なのに、それに気づいてないんです。
この「無能なのに気づいてない」と言うことほど迷惑な事はないんですな。ほんとに。
警官はニコニコ笑って、「そこの自転車、危ないから、歩道に上がりなさい」とか平気でキチガイみたいな事を言いよりますからな。
ちゅうか、完全にキチガイなんですよ。はっきり。官僚は必然的にキチガイにしかならない構造なんです。世の中と「真剣」にはつながってませんから。税金で生きてる「居候」ですから。屁の役にも立たない屁理屈しか考えられない運命を背負ってるんですから。
記者クラブの問題も同じような事だし、検察審査会のおかしな動向も同じ事。
日本中がものすごく狂ってるのは、社会とつながっていないからキチガイになるしかない「居候」官僚が、そのままキチガイになってしまったというだけの事ですから、「おまえらはキチガイだ」と徹底的に市民の側から叱りつけないとしょうがないわけです。そうするしかない。でも、困ったことに日本人には「お上意識」というやっかいなものがあって、「お上はしっかりやってるから、まかせておけば大丈夫」とか思ってるわけですよ、一般国民の側が。
これが本当に間違いでしてねぇ。
世界史を見ても、いま現在の世界の先進国を見ても、「腐らない官僚組織はない」というのが常識中の常識なのに、その常識が日本にはまだ全然定着してないわけです。僕自身も自戒を込めて、そういう問題を意識したいと思うのです。
だから、もっとバンバン、アホでキチガイな官僚に文句を言って叱りつけてやらないとダメなんですね。とにかくそういう事です。
自転車ツーキニストの作法
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という本ですが、先日の日記、
●自転車は車道を走るのが、絶対に安全。歩道を走る自転車は命を失くすために走るようなもの。
http://hitoyomi.diarynote.jp/201010211533568379/
で紹介した名著、「自転車の安全鉄則」の続編というか、あの本で「ぐっとこらえて書かなかった、行政の人間への怒り」を、けっこうそのままさらけ出している本ですね。疋田さん、けっこう怒ってます。すごく穏和な方なんですけど、穏和な人が、「つい本音で毒を吐いてしまった。」という書籍ですな。
ともあれ、まずは「安全鉄則」を読んでないと、この「怒り」というのが、ものすごくまっとうな怒りなのだ、ということが、いまいちわからないかも知れないので、
●自転車の安全鉄則
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4022732474
を、まず、真っ先に、読んでください。
(読みもしないで、ヘラヘラ笑って軽く考えている奴はぶっ飛ばす、ひっぱたく、叱りつけるのに遠慮する必要はまったくないので、徹底的に叩きます。まず、読め。読まない奴は土人だ。土人のままでいたいなら読まなくてよろしい。)
とにかく、この二冊を読むと、日本の自転車環境が、いかにおマヌケで、どうしようもない悲惨な状況で、「なんでゼロどころかマイナスの状態から現状改革をしていかなければいけないのか?」という、絶望的状態にタメイキしか出ないんです。
が、その「最悪やなぁ…。」という環境が、完全に、100%、警察という官僚組織の無能、無知、バカの極み、低脳から生まれていて、そのアホさ加減のおかげで、日本の全国民が世界に類を見ない不幸な自転車環境に貶められているというのが手に取るように解ります。
っちゅうかね、この悲惨さは、実際に自転車で車道を走ってみないとわからんですよ。
みなさん、とにかく自転車で車道を走りなさい。いますぐにでも。それが順法なんだから。
で、法律を守れば、いかに道路行政がおかしいのかが、はっきりわかります。
で、そういう実感を持った上で、上記の二冊を読むと、この国の壊れ具合が、もう、完全に官僚の無能から発生しているのだというのが、嫌というほどわかりますって。
自転車問題と記者クラブ問題って、「世界の常識からはずれてしまっていることで、国民が多大なる損害を受けている」という意味で、まったく問題の本質が同じなんですよね。
それに加えて「とてつもない問題が、そこに存在しているのに、肝心の国民がイマイチ、その不利益に気づいていない」という「日本人が土人だからアカンのや問題」も、これまた同じなんです。
なので、結局、表題のごとく、「自転車に乗っていると、この国の壊れ具合が全部官僚が悪いからなのだ、というのが、ほんっとうに、よく解る。」というところに結論が行かざるを得ないのですが、ただ記者クラブ問題に比べると、自転車問題は、
●道路交通法は、正しく守れば、大枠は問題ない。
という、「対応する法規がまだマトモ」というよりどころがあるだけ、まだマシなんですな。警察の「運用」がパァでアホで、無自覚で、無能で、キチガイで、どうしようもない、というのはあるけど、まぁまぁ法律はマシなのですよ。
逆に言うと、です。
●警察が法律を遵守していない。
という、とんでもない状況というのがある、というのが大問題なんですけどな。
日本中の警官が道路交通法を守っていない。違反している。ほぼ全員犯罪者ですわな。警官が全部犯罪者である、という、そういう状況です。
それはどういうことか?というと、ようは、
●警官が自転車で歩道をチンタラ走っている。
ということです。
あのなー、それ道路交通法の第17条違反やねんぞー。ほんまに。どうにかしてくれ。
まぁ、確かに「緊急の場合には、指定のある歩道なら走っても良い」と、後から付け加えられた64条で歩道通行を許してはおりますけどな。それはあくまで危険を避けなければならない緊急の時であり、なおかつ「自転車通行可」という条件の歩道のみなんですよ。
自転車通行可の歩道というのは、全国の歩道のうちの4割程度なんだそうです。ですから、まぁ、ほとんどの歩道は自転車が走ってはいかんのです。仮に走るにしても、「徐行」が義務づけられております。
ちなみに、では「徐行」というのは何㎞/時の事を言うのかは、規定がないので、疋田さんが警察に問い合わせたら「時速5~6km程度」というアホな答えが返ってきたそうです。
歩行者の時速が4kmくらいでして、それより1~2km/時は速くても良い、という見解なんだって。
ドアホ。
そんなもんね、自転車で5~6kmで走るなんていうのは、よっぽどのバランス感覚のあるサーカスの曲乗りが可能な人にしかできない程度の速度なんですよ。どんなにゆっくり走っても、時速10kmは出さないと自転車は倒れます。それなら、自転車から降りて、押して走った方がよっぽど楽。
(ちなみに自転車を押して歩く、走るというのは歩行者扱いなので、それは問題ありません。)
結局、自転車に乗りもせずに、気分と雰囲気で「徐行はまぁ5~6kmかな」と言うとるだけなわけです。テキトーな事を言うな!ボケ!国家公務員のクセしやがって嘘っぱちだらけやんけ。
1万円を切るような安物のママチャリだと、重量が20kg以上ありますから、それこそある程度のスピードがないと自立して走ること自体が無理なんですね。だから12~16km/時くらいのスピードは、絶対に出てます。普通のママチャリは。
で、もひとつ言うなら、重い自転車は止まりにくいんです。ブレーキをかけても止まらない。体重80kgとかの太ったおっさんおばちゃんあたりが、20kgの自転車に乗って、時速15-20kmくらいで走ってて、歩道を杖をついて歩いてる老人とか、まだ歩き始めたばかりの子ども、あるいは車椅子の必要な人とかにぶつかったら、これ、意外に大きな事故になりますからな。
だから、自転車は、もともと、歩道を走ってはいかんのですよ。車道を走りなさい、車道を。有無を言わさず、車道を走れ! 警察なら、警官なら、国民の安全のために、そう指導するのが当たり前で、世界中どこでもそれが普通になってるわけです。
歩道なんて、生活道路とつながってるんやから、よちよち歩きの子どもが、飛び出してくる事なんかザラですよ。で、自転車と子どもがぶつかったら、絶対転びますわね? 子どもは頭が重いから、頭から倒れます。悪くしたら死にますよ。
歩道を自転車で走るということは、そういう殺人者になる可能性がかなりある、ということなんですよ。あー恐ろしい。
だから、自転車は、車道を走れ。クルマの邪魔になってもかまいません。クルマがのさばってるほうがおかしいんだから。都市部である限り、かならず交差点が必要で、交差点がある限り、自動車の平均時速は、せいぜいがところ30km~40km程度にしかならないんですよ。だから、何もクルマのスピードを阻害しても、何の問題にもならんのです。どうしたって信号にひっかかるんだから。東京や大阪でも、田舎の都市でも同じ。半径20km以内の範囲なら、都市部の自動車はせいぜい30kmくらいでしか走ってないのと同じなのです。だから自転車が車道を走って、クルマの邪魔をしたって、別に何の問題もないんです。
だから、自転車は全部車道を走れ。
であるのに、だ。
警官のバカを見てください。
日本中の警官のバカを見てください。
白チャリ(警官用の自転車)二台が、でかい顔をして、しかも二台が併走して(自転車二台併走は、車道であっても法律違反なんですよ。)、いつ子どもを頭からコンクリートにたたきつけるかわからないような事をして、平気なわけです。
(2台併走されると、道幅が狭くなるので、足もとのしっかりしない子どもには「逃げ場」がなくなって、かなり危険。あわてて変な方向に走って、ビルに頭をぶつけたら、やっぱり死ぬかも、なわけです。警官が子ども殺しに荷担しとるわけだ。最低。)
で。
警官がバカだと、「歩道を自転車で走っても良いんだ。」と思う人間が出てくるのは当然ですわね。だから、歩道は自転車天国になりますわ。
そしたらもう、歩道で子どもを「走らせる」なんてことはできなくなる。となると、よちよち歩きの間から、外に出て遊ばせようと思っても、それができない。大人がいつもついてないとダメ。抱きかかえるとか、そういう事をしなくてはいけない。
とりあえず安全なのは公園くらい、ということになる。
これ、ものすごくおかしいですよ。
思いませんか?
歩道は、歩行者のものです。歩行者だけが使えばよろしい。弱者のための道路なのです。そういう弱者保護の視点がまったく欠けてるわけです。
で、そういう「弱者保護の視点」が何故欠けたか? というと、その視点が「警察には存在していなかったから」なんですよ。わかります? この悲惨な状況。
警察は「クルマ」という図体だけがでかくて危険な「強いもの」の味方しかしてこなかったんですよ。公僕にあるまじき思想です。危険思想です。きゃつらは思想犯なわけです。火あぶりの刑にしてしまうしか、他に退治のしようがない「危険思想犯」なわけです。
警官は弱者保護を徹底せよ! それがお前らの役目じゃ! ボケ!
ということなわけです。
本当にどうしようもないんですね。
で、あまりにどうしようもない事なので、この間、大阪府警に「なんで警官が歩道を自転車で走るという道路交通法違反をするのか」という質問状をメールで送りつけたんですけど、2週間も返事がなくて、昨日やっと電話がかかってきた。
こらぁ! ちゃんとやりとりが残るメールで返事をしろ! ボケ!
と怒鳴り倒して電話を切りましたが、さてどうなるか。メールがこなかった場合は、またもう一度「警官が法律違反をしている」件に関して質問状を送るつもりです。
ということで、この件に関して、「その通りだよなぁ」と思う方は、どんどん警察にメールして、問題を追及しましょう。
アホは叱らないとダメです。自分に問題があるのだ、ということがわからないのですから。まず、それを気づかせないとだめです。
とくに自転車問題は、道路交通法にキチンと則って、警官が車道を自転車で走るだけで、かなりの問題が解決するんです。
たとえば、車道の路肩近くに自動車を止めている違法駐車。あれを、本当に徹底して警察に取り締まってもらわないといけない。自転車の無灯火はやたらと注意するんやけど、そんな事してるヒマがあったら、もっともっと違法駐車を徹底して取り締まれっちゅうねん。違法やねんから。
警官が車道を自転車で走るようになれば、この違法駐車が、いかに大問題であるかが、すぐにわかるんです。車道を走らんから、その問題に気づけないわけですよ。
何、警官が歩道を自転車で走っとんねん。なにをヨチヨチ歩きの子どもの邪魔しとんねん、ふざけとったら承知せんぞ。頭を銅にめりこませて、腹から世間覗かせたろか。それとも手と足とを固結びに結んだろか。ふざけるのもたいがいにせいっちゅうことです。
警官がこのように危険思想の、子ども殺し集団ですから、そら世間もおかしくなりますわ。
それは一重に、「無能」ということなんです。
ただそれだけのこと。
「無能」なのに、それに気づいてないんです。
この「無能なのに気づいてない」と言うことほど迷惑な事はないんですな。ほんとに。
警官はニコニコ笑って、「そこの自転車、危ないから、歩道に上がりなさい」とか平気でキチガイみたいな事を言いよりますからな。
ちゅうか、完全にキチガイなんですよ。はっきり。官僚は必然的にキチガイにしかならない構造なんです。世の中と「真剣」にはつながってませんから。税金で生きてる「居候」ですから。屁の役にも立たない屁理屈しか考えられない運命を背負ってるんですから。
記者クラブの問題も同じような事だし、検察審査会のおかしな動向も同じ事。
日本中がものすごく狂ってるのは、社会とつながっていないからキチガイになるしかない「居候」官僚が、そのままキチガイになってしまったというだけの事ですから、「おまえらはキチガイだ」と徹底的に市民の側から叱りつけないとしょうがないわけです。そうするしかない。でも、困ったことに日本人には「お上意識」というやっかいなものがあって、「お上はしっかりやってるから、まかせておけば大丈夫」とか思ってるわけですよ、一般国民の側が。
これが本当に間違いでしてねぇ。
世界史を見ても、いま現在の世界の先進国を見ても、「腐らない官僚組織はない」というのが常識中の常識なのに、その常識が日本にはまだ全然定着してないわけです。僕自身も自戒を込めて、そういう問題を意識したいと思うのです。
だから、もっとバンバン、アホでキチガイな官僚に文句を言って叱りつけてやらないとダメなんですね。とにかくそういう事です。
クロスオーナーシップ規制が、放送法改正から削られてしまいました。
しかも、削除要求を出したのが、民主党自身だというから、目もあてられん。
やっぱり寄せ集め政党っていうのは、こういう時に困るなぁ。前総務相の原口さんもすごく悔しいだろうと思う。
もう、ずっとここでメディアの問題を書いてますが、最初は自分がライターだから「いまのメディアっておかしくない?」という疑問からはじまった事なんですね。
たとえば、取材の基本である5Wと1H(いつ、どこで、誰が、何を、何故、どのように)とかを守った記事とかが全然ないとか、そういうような「基本ルールの壊れ」が気になった、というような事だったわけです。
で、おかしいなぁといろいろ思ってたら、twitterを通じて記者クラブ問題のあまりのひどさとか、クロスメディアオーナーシップの問題とかを知ったわけです。
これらの問題は、メディア自身の問題であって、メディアがメディア自身を叩くという自己検証能力がまったくないので、世間で全然知られていない問題だったわけです。
だから僕も全然知らなかった。twitterがなかったら「クロスオーナーシップ規制」という概念自体を知り得なかったと思うわけです。記者クラブの問題もテレビや新聞を観ているだけでは絶対にわからない。だって報道しないんだもん。
ということで、いまのメディアは「自分に都合の悪い問題は一切取り上げない」という、どうしようもないカスメディアだから、政治の側から、その規制をいろいろとやっていこうというのが放送法の改正の話なわけです。
で、クロスオーナーシップ規制というのは、ようするに「ひとりの社主がテレビとメディアとか複数メディアの権力を握ってはいけません法」なわけです。多様なメディア、多様な意見を持つメディア環境を作りなさい法律なんですね。
具体的には特定のオーナーに資本の集中が起こらないようにする規制なんです。
これはぜひとも必要で、日本以外の先進国には、まぁ常識的に存在するんです。しかし、日本にはない。
日本という国は、良く「横並びで、同じ価値観を共有していて、そこが強いところだ」などという意見もあったりしますが、それは大嘘で、メディアの金主が、横つながりで「このネタはこういう意見で統一しましょう」と結託してつながって、あとは、どの報道機関も同じ事を一斉に流すというアホな事しかしてないという、ただそれだけの事なんですね。
そのひどさは、たとえば、読売新聞のナベツネこと渡邉恒夫氏などは、記者上がりのくせに読売の経営権を握って、大物政治家の記者発表の時には、記者席にいるのではなく、その政治家の横に座って、記者達をにらみつけ、変な質問をしないか見張っていたというトンデモ野郎だったりするわけです。
こんな状況で「多様な意見」なんか生まれてくるわけがない。
しかも、このナベツネが経営者でもあるから、社の意見としてナベツネの意向に沿わない記事を勝手に書いたら、読売新聞では決して出世できないわけですよ。そりゃ、記者もサラリーマン化して、上の意向に沿った意見しか書きませんわね。
大手新聞社は全部同じです。
だから、いまなんかテレビで一斉に尖閣ビデオのネタをやってるけど、そんなもん、どんな裏があるかわかったもんじゃないんだから、どうでもよろしい。中国にせよ、韓国にせよ、北朝鮮にせよ、台湾にせよ、副島隆彦が唱えた「アジア人同士争わず」を、しっかり大方針として持っていれば、それでオーケーと僕は思っております。だって日本人に中国の事はいじれないんだから。でしょ? そんな事考えてもしょうがない。
そんな事より、こういう大騒ぎの中でクロスオーナーシップ制が放送法改正から削られたと言うことの方が、はるかに、はるかに、はるかに大問題で、そこをなんとかしなくてはいけない。
クロスオーナーシップ規制がキチンと働けば、何年か後には、欧米のメディアと同じように「報道機関は経営権と編集権の完全分離が不可欠」という世界の常識にも到達できるはずなんですね。
これは、簡単に言うと、「経営者は編集に口出しできない」という仕組みの話なわけです。記者である間は、自由に編集権を使って、意見を言ったり言わなかったり、情報の編集をしたりしなかったり、記事を作る側として振る舞えるけれども、いったん経営者側になったら、その権利はなくなりますよ、と言うことです。
これは、世界のあらゆるメディアで、報道における基本中の基本となる重要なルールとして定着しているものなんだそうです。
でも、そういう事を知らないからさ。我々日本人は。アジアの辺境の田舎者、土人だから。メディアがいかに重要なのか?ということを知らない。第二次世界大戦の時の日本の大本営発表が、いかに世界から劣った仕組みであったのかを、戦後何十年も経ってるのに、いまだに知らないって事なんですから。
(アメリカはGHQが統治していた時代に「大本営発表? おお、思想支配するのに、こんなに便利なものはねぇなぁ。」と思って、わざと改革せんかったわけですよ。で、アメリカの言うことを聞く人間を社主に据えた。それがナベツネ。だから読売新聞はいつまでたっても、えんえんキッシンジャーが出てきて、勝手な事を書いてるし、それを日本人の多くがありがたがってる。朝日の船橋洋一も都合良くあてがわれた「やとわれ主筆」くさい。まぁろくなもんではないんです。)
僕自身は、あんまり好きな雑誌じゃないけど、「サイゾー」という雑誌があって、あの雑誌は実は経営と編集の分離がちゃんとしてるらしいんですな。まぁ、これ以上は書かないけど。あの雑誌は、内容はくだらないけど、それでも自由闊達という感じはありますわね。
そういう風に、自分たちで積極的にクロスオーナーシップを確立しようとしてるようなところは良いのだけれど、5大新聞とテレビあたりは、もうどうしようもなくズブズブに「上の意向に従うサラリーマン記者」ばっかりで、ほんっとうに、もう、どうでもいい存在です。
いま我々にできるのは、本当にもう、「新聞の不買運動」くらいしかないわけですよ。
情報の収集のメインをtwitterと書籍に大きく、大きく、大きくシフトする以外に、まともな「頭」が作れないんです。
悲しいかな、それが現実なんですね。
尖閣問題なんてどうでもいい。それより記者クラブとクロスオーナーシップ規制。そっちが大事。そういう感覚を持てるかどうか。
ここを、しっかり考えましょう。
しかも、削除要求を出したのが、民主党自身だというから、目もあてられん。
やっぱり寄せ集め政党っていうのは、こういう時に困るなぁ。前総務相の原口さんもすごく悔しいだろうと思う。
もう、ずっとここでメディアの問題を書いてますが、最初は自分がライターだから「いまのメディアっておかしくない?」という疑問からはじまった事なんですね。
たとえば、取材の基本である5Wと1H(いつ、どこで、誰が、何を、何故、どのように)とかを守った記事とかが全然ないとか、そういうような「基本ルールの壊れ」が気になった、というような事だったわけです。
で、おかしいなぁといろいろ思ってたら、twitterを通じて記者クラブ問題のあまりのひどさとか、クロスメディアオーナーシップの問題とかを知ったわけです。
これらの問題は、メディア自身の問題であって、メディアがメディア自身を叩くという自己検証能力がまったくないので、世間で全然知られていない問題だったわけです。
だから僕も全然知らなかった。twitterがなかったら「クロスオーナーシップ規制」という概念自体を知り得なかったと思うわけです。記者クラブの問題もテレビや新聞を観ているだけでは絶対にわからない。だって報道しないんだもん。
ということで、いまのメディアは「自分に都合の悪い問題は一切取り上げない」という、どうしようもないカスメディアだから、政治の側から、その規制をいろいろとやっていこうというのが放送法の改正の話なわけです。
で、クロスオーナーシップ規制というのは、ようするに「ひとりの社主がテレビとメディアとか複数メディアの権力を握ってはいけません法」なわけです。多様なメディア、多様な意見を持つメディア環境を作りなさい法律なんですね。
具体的には特定のオーナーに資本の集中が起こらないようにする規制なんです。
これはぜひとも必要で、日本以外の先進国には、まぁ常識的に存在するんです。しかし、日本にはない。
日本という国は、良く「横並びで、同じ価値観を共有していて、そこが強いところだ」などという意見もあったりしますが、それは大嘘で、メディアの金主が、横つながりで「このネタはこういう意見で統一しましょう」と結託してつながって、あとは、どの報道機関も同じ事を一斉に流すというアホな事しかしてないという、ただそれだけの事なんですね。
そのひどさは、たとえば、読売新聞のナベツネこと渡邉恒夫氏などは、記者上がりのくせに読売の経営権を握って、大物政治家の記者発表の時には、記者席にいるのではなく、その政治家の横に座って、記者達をにらみつけ、変な質問をしないか見張っていたというトンデモ野郎だったりするわけです。
こんな状況で「多様な意見」なんか生まれてくるわけがない。
しかも、このナベツネが経営者でもあるから、社の意見としてナベツネの意向に沿わない記事を勝手に書いたら、読売新聞では決して出世できないわけですよ。そりゃ、記者もサラリーマン化して、上の意向に沿った意見しか書きませんわね。
大手新聞社は全部同じです。
だから、いまなんかテレビで一斉に尖閣ビデオのネタをやってるけど、そんなもん、どんな裏があるかわかったもんじゃないんだから、どうでもよろしい。中国にせよ、韓国にせよ、北朝鮮にせよ、台湾にせよ、副島隆彦が唱えた「アジア人同士争わず」を、しっかり大方針として持っていれば、それでオーケーと僕は思っております。だって日本人に中国の事はいじれないんだから。でしょ? そんな事考えてもしょうがない。
そんな事より、こういう大騒ぎの中でクロスオーナーシップ制が放送法改正から削られたと言うことの方が、はるかに、はるかに、はるかに大問題で、そこをなんとかしなくてはいけない。
クロスオーナーシップ規制がキチンと働けば、何年か後には、欧米のメディアと同じように「報道機関は経営権と編集権の完全分離が不可欠」という世界の常識にも到達できるはずなんですね。
これは、簡単に言うと、「経営者は編集に口出しできない」という仕組みの話なわけです。記者である間は、自由に編集権を使って、意見を言ったり言わなかったり、情報の編集をしたりしなかったり、記事を作る側として振る舞えるけれども、いったん経営者側になったら、その権利はなくなりますよ、と言うことです。
これは、世界のあらゆるメディアで、報道における基本中の基本となる重要なルールとして定着しているものなんだそうです。
でも、そういう事を知らないからさ。我々日本人は。アジアの辺境の田舎者、土人だから。メディアがいかに重要なのか?ということを知らない。第二次世界大戦の時の日本の大本営発表が、いかに世界から劣った仕組みであったのかを、戦後何十年も経ってるのに、いまだに知らないって事なんですから。
(アメリカはGHQが統治していた時代に「大本営発表? おお、思想支配するのに、こんなに便利なものはねぇなぁ。」と思って、わざと改革せんかったわけですよ。で、アメリカの言うことを聞く人間を社主に据えた。それがナベツネ。だから読売新聞はいつまでたっても、えんえんキッシンジャーが出てきて、勝手な事を書いてるし、それを日本人の多くがありがたがってる。朝日の船橋洋一も都合良くあてがわれた「やとわれ主筆」くさい。まぁろくなもんではないんです。)
僕自身は、あんまり好きな雑誌じゃないけど、「サイゾー」という雑誌があって、あの雑誌は実は経営と編集の分離がちゃんとしてるらしいんですな。まぁ、これ以上は書かないけど。あの雑誌は、内容はくだらないけど、それでも自由闊達という感じはありますわね。
そういう風に、自分たちで積極的にクロスオーナーシップを確立しようとしてるようなところは良いのだけれど、5大新聞とテレビあたりは、もうどうしようもなくズブズブに「上の意向に従うサラリーマン記者」ばっかりで、ほんっとうに、もう、どうでもいい存在です。
いま我々にできるのは、本当にもう、「新聞の不買運動」くらいしかないわけですよ。
情報の収集のメインをtwitterと書籍に大きく、大きく、大きくシフトする以外に、まともな「頭」が作れないんです。
悲しいかな、それが現実なんですね。
尖閣問題なんてどうでもいい。それより記者クラブとクロスオーナーシップ規制。そっちが大事。そういう感覚を持てるかどうか。
ここを、しっかり考えましょう。
ジャーナリストの黒木昭雄さんがなくなられました。
警察の誤認捜査などを徹底追求されていた方で、僕はあまり積極的に黒木さんの事を追いかけていた訳ではないですが、ツイッターでフォローだけはしてたのです。
ほかにもいろいろジャーナリストの方をツイッターでフォローしてるのですが、みなさん一様に「そんなバカな」「信じられない」という反応で、人によってはやはり「殺されたのではないか?」という憶測を語る人もいます。
とりあえず、記事はこれ。
(引用開始)-----------------------------
黒木昭雄さん自殺か 元警察官でジャーナリスト
2010年11月2日 19時06分
2日午前11時10分ごろ、千葉県市原市今富の寺の敷地内で、元警察官でジャーナリストの黒木昭雄さん(52)=市原市郡本=が乗用車内で死亡しているのを黒木さんの息子が発見、119番した。市原署は、車内に燃えた練炭があったことから自殺とみて動機を調べている。
市原署や消防によると、黒木さんは助手席に横たわり、救急隊員が現場に着いた時には既に亡くなっていた。練炭は後部座席に置かれていた。
黒木さんの事務所によると、1日に「仕事の打ち合わせに行く」と家族に言い残して外出し、帰宅しなかったという。
黒木さんは元警視庁巡査部長で、警察組織内部の問題や事件、防犯などをテーマに執筆活動していた。
(共同)
(引用終了)-----------------------------
言ったら悪いですけど、黒木さんが追いかけていたのは、地方の警察の不始末という種類のもので、僕自身あまり注視してなかったわけです。
でも、だからこそ、「殺してしまえばおしまい」になってしまう訳です。なんせ千葉でしょ? 司法解剖が義務づけられていないはずですからね。現場検証をした警察が「事件性なし」と言ってしまえば、それですべて闇に葬り去る事ができるんです。
こんなばかなことがあってたまるか、と思うので、法的な仕組みの杜撰さとあわせて、「疑い」は疑いとして、ここに明記しておこうと思います。
かなり疑わしい。だから僕は「警察が殺した」と踏み込んで疑義を強化して書き込んでおきます。権力はつねに監視されねばならない。その仕組みが不備なのだから、いくら「怪しい」と疑われても、警察に潔白を証明する力もないと言うことです。
あやふやな法処理は、つねに権力者に都合の良いように利用される怖れがあります。
だから、こういう場合は「警察がやったに違いない」と疑って責めまくるのが正しいというか、唯一の防護手段なのですよ。
それが見当違いであるなら、そういう見当違いが起こらない仕組みにしてもらうしかないでしょう。
そういうことです。
警察の誤認捜査などを徹底追求されていた方で、僕はあまり積極的に黒木さんの事を追いかけていた訳ではないですが、ツイッターでフォローだけはしてたのです。
ほかにもいろいろジャーナリストの方をツイッターでフォローしてるのですが、みなさん一様に「そんなバカな」「信じられない」という反応で、人によってはやはり「殺されたのではないか?」という憶測を語る人もいます。
とりあえず、記事はこれ。
(引用開始)-----------------------------
黒木昭雄さん自殺か 元警察官でジャーナリスト
2010年11月2日 19時06分
2日午前11時10分ごろ、千葉県市原市今富の寺の敷地内で、元警察官でジャーナリストの黒木昭雄さん(52)=市原市郡本=が乗用車内で死亡しているのを黒木さんの息子が発見、119番した。市原署は、車内に燃えた練炭があったことから自殺とみて動機を調べている。
市原署や消防によると、黒木さんは助手席に横たわり、救急隊員が現場に着いた時には既に亡くなっていた。練炭は後部座席に置かれていた。
黒木さんの事務所によると、1日に「仕事の打ち合わせに行く」と家族に言い残して外出し、帰宅しなかったという。
黒木さんは元警視庁巡査部長で、警察組織内部の問題や事件、防犯などをテーマに執筆活動していた。
(共同)
(引用終了)-----------------------------
言ったら悪いですけど、黒木さんが追いかけていたのは、地方の警察の不始末という種類のもので、僕自身あまり注視してなかったわけです。
でも、だからこそ、「殺してしまえばおしまい」になってしまう訳です。なんせ千葉でしょ? 司法解剖が義務づけられていないはずですからね。現場検証をした警察が「事件性なし」と言ってしまえば、それですべて闇に葬り去る事ができるんです。
こんなばかなことがあってたまるか、と思うので、法的な仕組みの杜撰さとあわせて、「疑い」は疑いとして、ここに明記しておこうと思います。
かなり疑わしい。だから僕は「警察が殺した」と踏み込んで疑義を強化して書き込んでおきます。権力はつねに監視されねばならない。その仕組みが不備なのだから、いくら「怪しい」と疑われても、警察に潔白を証明する力もないと言うことです。
あやふやな法処理は、つねに権力者に都合の良いように利用される怖れがあります。
だから、こういう場合は「警察がやったに違いない」と疑って責めまくるのが正しいというか、唯一の防護手段なのですよ。
それが見当違いであるなら、そういう見当違いが起こらない仕組みにしてもらうしかないでしょう。
そういうことです。
やはり検察審議会は、かなりおかしな組織だ。長瀬事務局長と手嶋総務課長は説明責任を果たせ。
2010年10月26日先日、検察審議会がどうにもおかしいという話を書きましたが、同じ思いの人は多いようで、まったく個人として、単なる一市民として、検察審議会に事情を確認に出かけた方がおられます。
しかも、その報告を、以下のブログでていねいにやってくれてます。
必読。
みなさんもぜひ、お読みください。
一市民が斬る!! 10月26日 検察審査会事務局に乗り込みました。 疑惑だらけでした。
http://civilopinions.main.jp/2010/10/1026.html
我々の自由と権利は、かのようにかなり怪しい権力の側の恣意的な都合によって危険にさらされているのだ、と私は思います。
そして、こういうように、新聞報道を疑い、個人の努力で事実に迫り、権利と自由を守ってくださるような方がいるから、ネットでの言論も豊かになるのだと思います。
努力せずして、自由な発言環境など生まれるはずもありません。そういう事です。
実にありがたい。この「一市民」さんに感謝。
これで、少なくとも小沢問題に関しては、検察審査会はまともな審議も行っていないと言うことが、透けて見えてきました。
もっと徹底して、杜撰な点を暴いていかねばなりません。
こういう情報は、新聞・テレビは報道しません。だからこそ、この情報は重要です。みなさんも、どんどん拡散してください。新聞・テレビの報道より、よほど重要な情報です。
よろしくお願いします。
しかも、その報告を、以下のブログでていねいにやってくれてます。
必読。
みなさんもぜひ、お読みください。
一市民が斬る!! 10月26日 検察審査会事務局に乗り込みました。 疑惑だらけでした。
http://civilopinions.main.jp/2010/10/1026.html
我々の自由と権利は、かのようにかなり怪しい権力の側の恣意的な都合によって危険にさらされているのだ、と私は思います。
そして、こういうように、新聞報道を疑い、個人の努力で事実に迫り、権利と自由を守ってくださるような方がいるから、ネットでの言論も豊かになるのだと思います。
努力せずして、自由な発言環境など生まれるはずもありません。そういう事です。
実にありがたい。この「一市民」さんに感謝。
これで、少なくとも小沢問題に関しては、検察審査会はまともな審議も行っていないと言うことが、透けて見えてきました。
もっと徹底して、杜撰な点を暴いていかねばなりません。
こういう情報は、新聞・テレビは報道しません。だからこそ、この情報は重要です。みなさんも、どんどん拡散してください。新聞・テレビの報道より、よほど重要な情報です。
よろしくお願いします。
一昨日だったか、また一日で読んでしまった本。
もう、とにかく素晴らしい。全国民必読の、いますぐみんなが身につけなければいけない基礎知識読本ですな、これ。
この本の知識を知らないと、死にますよ。
いや、ホント。
●自転車の安全鉄則
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4022732474
なんでもいいから、日本人全員、いますぐ読め! 自転車に乗れない人も、常識と知っておくべきだから、必ず読め! と言わざるを得ない、最重要の名著です。
まず、あなたの子供が自転車に乗るとして、こういう事を言ってないですか?
「あぶないから、車道には出ないでね。歩道を走りなさい。」
とか。
それ、危険ですから。即死の可能性が高まる事を、子供に対して言いつけてるのと同じですから。いますぐ考えを改めてください。
なぜ、そうなるかの解説はちょっと置いといて、先に最も重要な事を言っておくと、日本は世界で一番、
●自転車の交通事故死
が多い国なんですよ。比率として突出して高いんですね。全交通事故数の中で14%、年間で800人ほど亡くなってますし、これが年々増えてきています。
(ちなみに交通事故死自体は年々減っていて、年間で6000人程度。この間紹介した風呂溺が年間1万人くらいで、風呂溺がいかに多いか、ということがわかりますが、それを上回って自殺者が年間1万5000~1万8000人いてるという事は、頭に入れておいてもいいです。)
で、おそらく、この800人のうち、少なくとも半分は交通法規などをキチンと遵守して自転車が歩道を走らずに、車道を走っていれば起こらなかった事故だろう、と言うことを、この本ではこんせつていねいに、図解も入れて解説してくれてます。
とにかく、世の子供を持つ日本のお母さん! 「車道はあぶないから歩道を走りなさい」という考え方自体が、大きな間違いなのだ、ということを正しく自覚してください。
なぜ、自転車で歩道を走ると危ないかというと、歩道を走ると「車は左側通行」という、もっとも重要で、何より優先しなければならない基本ルールを学べなくなるからです。
考えてみましょう。
あなたは自転車で歩道を走っています。
左手に車道があります。
さて、これは左側通行ですか? 右側通行ですか?
歩道の左端を走ってるから左側通行? いいえ、違います。これは右側通行なんですよ。
左手に車道がある、ということは、その車道を走っている自動車は自分に向かって走ってくる自動車です。仮に、その自動車が歩道に突っ込んできたとしたら、自転車と自動車の正面衝突になる位置関係なわけです。
まず、こういう位置関係で走るという状態自体が、とんでもなく危険なのだ、ということを正しく認識しないとダメです。
自転車の時速は、安いママチャリでも、まぁ時速12キロ~18キロは出てます。自動車が60キロだとすると、その両方の衝撃が加算(実際には乗算だから、もっと巨大なパワーの差なんですが、ここでは簡単にしときます)されます。
しかし、これが「右手に車道がある方向」で走っていたらどうなるか?というと、正面衝突ではなく「追突事故」になります。この場合は60キロ-18キロだったとして、うんと少ない力のかかり方になるわけです。
ですから、「追突なら助かる事はあっても、正面衝突では助からない」ということになるわけです。
歩道を走ると、行きも帰りも同じ歩道を走る、なんてことを普通にしますから、行きは追突方向だけども、帰りは正面衝突方向、なんてことが普通になってしまうわけです。
自転車というのは慣性で走ってますから、走り出したら止らないという側面があります。歩いている時のように、さっと90度方向転換して逃げる、なんて事ができません。だから、歩道を自転車で走っていて、もしどこかで自動車と正面衝突したら、間違いなくよけきれずに死ぬ、と考えてください。
で、こういう事を言うと「歩道は車道と区切られているから安心だ、そんな、歩道を越えて車が突っ込んでくることなんかないよ。」と反論する人もいてるでしょう。
しかし、ポイントは「歩道に車が突っ込んでくる」事ではないのです。一番可能性が高いのは、「自転車が車道に突っ込んでいく」という状況なのです。そして、それは、毎日のように起きてるんです。
いまさっきのイメージトレーニングを、もう少し続けましょう。
あなたは自転車で歩道を走っています。
左手に車道があります。
交差点が近づいてきました。信号のない交差点です。車の通行も少ない道なので、そのまま渡りました。
これ、まさに「右側通行のまま、自転車という車両が、車道にいきなり突っ込んでいった状態」そのものなんですね。
この場合で言うと、右手方向からやってくる車には、あなたの自転車の姿は見えません。だから、車の側からすると、「見えないところから、いきない自転車が飛び出してきた」という事にしかならないわけです。
ちょっと、車の側の立場になって、これをシミュレートすると、車は左右の車道から車両がやってこないかを注視して慎重に車を進めます。スピードを落として、60キロだったものを50キロ、40キロに落とします。でも左右の「車道内の」車両は少ない。だから、本来一旦停止しないといけないのに、「まぁせいぜい30キロくらいだからいいか、歩行者が来てもブレーキを踏めば止まれるし」と、気がゆるんでそのまま交差点に入ります。
そこに時速18キロの自転車が突っ込んでくる。歩行者を想定してしかスピードを落としてなかったので、30キロ、ぶつかる。時速差48キロだと、止ってる人間に50キロで車がぶつかったのと同じ損傷になります。まぁ死にますわね。
これが、おそらく、いま日本で起きている「自動車と自転車の衝突による死亡事故」のいちばんリアルな現実だろうと思います。
これね、勘違いしたらアカンのですが、
●自転車が、歩道を走らずに、車道を走っていれば、起こらなかった事故
なんですよ。
こういう事故は、必ず「自動車の一旦停止義務違反」と言うことで、車が悪い、というように処理されるだろうし、みんなそこで思考停止になってるんでしょうが、ちょっと待て!!!!と言わねばならんわけです。
●そもそも、歩道を自転車が走ってしまう事が問題
なんですよ。
人間の徒歩の速度は時速4キロから5キロです。自転車は15キロとしたら三倍。20キロ近くスピードを上げられますから、20キロなら4倍ものスピードで走っているわけです。
そういう速度差のある「移動物」を、同じ歩行者扱いしていたら、そりゃ車の側も予測できませんって。
車道を走っている車というのは、自転車以外は全部免許が必要なんですね。だから、そういう「予測」に関しても授業で習う。
でも、残念ながら、歩道を右側通行してくる自転車の予測までは習わないんですよ。そんな事は道路交通法上、本来認められていないんですから。
道路交通法上で言えば、自転車は車道を走るのが標準です。歩道は「指定された歩道」のみ走っても良い、あるいは、身の危険を感じたときに避難のために走るというくらいしか、本来は認められていないんです。
ですから、そういうルールが、キチンと守られている車道の中では、自転車で走っていても安心感があります。
なんせ、みんないちおう免許を取るために勉強して、そのルールを守って走ってるわけですから。車道には「ルールに則った安全」というものがキチンとあるんですよ。
交通法規上で言うなら、自転車は車道の左端を走る、ということになってますから、左側通行を自転車が守っていれば、自転車が交差点の左側から運転手の目に飛び込んでくるのは、道路を渡りきった、向こう側の端、に決まっているわけですよ。
自転車が、車道をキチンと走っていれば、あの危険がもっとも大きい交差点での「出会い頭にぶつかる危険」は、格段に少ないわけです。
わかりますか?この理屈。
だから、歩道を自転車が走る、なんていうのは、もっての他なんです。危なくて仕方ない。危険極まりない。即刻、いますぐ、何があろうとやめるべきなんですよ。
何が問題かと言えば、結局は「結果として右側通行をしているのに、それに気付いていない」と言うことが、もっとも危険な事なわけです。
まぁ、これは、この本に書かれている内容からすると、ほんの一部にしか過ぎないんですが、それでも、優先的に、まず考えなければならない問題ですので、あえてしっかりと書きました。(ちなみに、この本の中身より詳しく、「自転車に乗っていない人にもわかるように」書きました。わかってない人は、このくらい書かないとわからんやろなぁと思ったんで。)
とにかく自転車が歩道を走ることは、とんでもなく危険なんです。そこは正しく理解しましょう。とくに「右側通行」のクセがつくのが、大変まずいです。車道の左端を走る。これを日々徹底しないと、この感覚は身に付かないと思います。左側通行は、かなり重要な絶対ルールなんですよ。そこを身体感覚に落とし込んでおかないと、本当に危険です。死にます。
あと、車道に出ていれば、他の車から注視されるから安全、というのもかなり大きいのです。後ろから来ている車は、自転車の存在を意識してます。だから安全なんです。
しかし、車に乗っている人は、実は歩道を走っている自転車にまでは、気が回っていないんです。ましてや車道と歩道の間に看板があったり、信号機や樹木があったりして、歩道の状況が目隠しされていると、左折しようとした時に自転車に気付けないというのがあって、そういう意味でも、歩道を自転車が走るというのは、たとえ歩道内で左側通行をしていても危険なんです。
だから、とにかく車道を左側通行。それが自転車に乗るときの安全策として、最優先なわけです。
この本には、こういう話だけではなく、世界の自転車先進国が、都市部から車を追いだして、自転車と公共交通機関(バスや路面バスなど)を充実させて、そのことにより、
●車削減による省エネの達成
●市民の健康回復による医療費の削減
●都市交通の効率化達成(都市内の移動効率は自転車がベストです。)
●渋滞の解消による経済活動の好転
●車が減ったことによる安心感からの中心街の活性化
●それらの総合効果による経済発展
といういくつもの、たくさんの果実が得られているのだ、という話が書かれています。
もうね、ようは「モータリゼーション」は時代遅れ、ということなんですよ。
車は都市内部の交通機関としては不向き。あくまで「都市間交通」にこそ使うように限定していかないといけない。
で、都市部においては、自転車こそが、もっとも最適、効率的な移動手段で、そこを重視して都市計画を考えない限り、これからの都市として生き残ることすら難しだろう、ということになってきているようです。
そんな事までひっくるめて、とにかくとても面白い本です。超おすすめ。みなさん、こぞってお読みください。目から鱗がポロポロこぼれ落ちまくりますよ。いやほんと。
もう、とにかく素晴らしい。全国民必読の、いますぐみんなが身につけなければいけない基礎知識読本ですな、これ。
この本の知識を知らないと、死にますよ。
いや、ホント。
●自転車の安全鉄則
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4022732474
なんでもいいから、日本人全員、いますぐ読め! 自転車に乗れない人も、常識と知っておくべきだから、必ず読め! と言わざるを得ない、最重要の名著です。
まず、あなたの子供が自転車に乗るとして、こういう事を言ってないですか?
「あぶないから、車道には出ないでね。歩道を走りなさい。」
とか。
それ、危険ですから。即死の可能性が高まる事を、子供に対して言いつけてるのと同じですから。いますぐ考えを改めてください。
なぜ、そうなるかの解説はちょっと置いといて、先に最も重要な事を言っておくと、日本は世界で一番、
●自転車の交通事故死
が多い国なんですよ。比率として突出して高いんですね。全交通事故数の中で14%、年間で800人ほど亡くなってますし、これが年々増えてきています。
(ちなみに交通事故死自体は年々減っていて、年間で6000人程度。この間紹介した風呂溺が年間1万人くらいで、風呂溺がいかに多いか、ということがわかりますが、それを上回って自殺者が年間1万5000~1万8000人いてるという事は、頭に入れておいてもいいです。)
で、おそらく、この800人のうち、少なくとも半分は交通法規などをキチンと遵守して自転車が歩道を走らずに、車道を走っていれば起こらなかった事故だろう、と言うことを、この本ではこんせつていねいに、図解も入れて解説してくれてます。
とにかく、世の子供を持つ日本のお母さん! 「車道はあぶないから歩道を走りなさい」という考え方自体が、大きな間違いなのだ、ということを正しく自覚してください。
なぜ、自転車で歩道を走ると危ないかというと、歩道を走ると「車は左側通行」という、もっとも重要で、何より優先しなければならない基本ルールを学べなくなるからです。
考えてみましょう。
あなたは自転車で歩道を走っています。
左手に車道があります。
さて、これは左側通行ですか? 右側通行ですか?
歩道の左端を走ってるから左側通行? いいえ、違います。これは右側通行なんですよ。
左手に車道がある、ということは、その車道を走っている自動車は自分に向かって走ってくる自動車です。仮に、その自動車が歩道に突っ込んできたとしたら、自転車と自動車の正面衝突になる位置関係なわけです。
まず、こういう位置関係で走るという状態自体が、とんでもなく危険なのだ、ということを正しく認識しないとダメです。
自転車の時速は、安いママチャリでも、まぁ時速12キロ~18キロは出てます。自動車が60キロだとすると、その両方の衝撃が加算(実際には乗算だから、もっと巨大なパワーの差なんですが、ここでは簡単にしときます)されます。
しかし、これが「右手に車道がある方向」で走っていたらどうなるか?というと、正面衝突ではなく「追突事故」になります。この場合は60キロ-18キロだったとして、うんと少ない力のかかり方になるわけです。
ですから、「追突なら助かる事はあっても、正面衝突では助からない」ということになるわけです。
歩道を走ると、行きも帰りも同じ歩道を走る、なんてことを普通にしますから、行きは追突方向だけども、帰りは正面衝突方向、なんてことが普通になってしまうわけです。
自転車というのは慣性で走ってますから、走り出したら止らないという側面があります。歩いている時のように、さっと90度方向転換して逃げる、なんて事ができません。だから、歩道を自転車で走っていて、もしどこかで自動車と正面衝突したら、間違いなくよけきれずに死ぬ、と考えてください。
で、こういう事を言うと「歩道は車道と区切られているから安心だ、そんな、歩道を越えて車が突っ込んでくることなんかないよ。」と反論する人もいてるでしょう。
しかし、ポイントは「歩道に車が突っ込んでくる」事ではないのです。一番可能性が高いのは、「自転車が車道に突っ込んでいく」という状況なのです。そして、それは、毎日のように起きてるんです。
いまさっきのイメージトレーニングを、もう少し続けましょう。
あなたは自転車で歩道を走っています。
左手に車道があります。
交差点が近づいてきました。信号のない交差点です。車の通行も少ない道なので、そのまま渡りました。
これ、まさに「右側通行のまま、自転車という車両が、車道にいきなり突っ込んでいった状態」そのものなんですね。
この場合で言うと、右手方向からやってくる車には、あなたの自転車の姿は見えません。だから、車の側からすると、「見えないところから、いきない自転車が飛び出してきた」という事にしかならないわけです。
ちょっと、車の側の立場になって、これをシミュレートすると、車は左右の車道から車両がやってこないかを注視して慎重に車を進めます。スピードを落として、60キロだったものを50キロ、40キロに落とします。でも左右の「車道内の」車両は少ない。だから、本来一旦停止しないといけないのに、「まぁせいぜい30キロくらいだからいいか、歩行者が来てもブレーキを踏めば止まれるし」と、気がゆるんでそのまま交差点に入ります。
そこに時速18キロの自転車が突っ込んでくる。歩行者を想定してしかスピードを落としてなかったので、30キロ、ぶつかる。時速差48キロだと、止ってる人間に50キロで車がぶつかったのと同じ損傷になります。まぁ死にますわね。
これが、おそらく、いま日本で起きている「自動車と自転車の衝突による死亡事故」のいちばんリアルな現実だろうと思います。
これね、勘違いしたらアカンのですが、
●自転車が、歩道を走らずに、車道を走っていれば、起こらなかった事故
なんですよ。
こういう事故は、必ず「自動車の一旦停止義務違反」と言うことで、車が悪い、というように処理されるだろうし、みんなそこで思考停止になってるんでしょうが、ちょっと待て!!!!と言わねばならんわけです。
●そもそも、歩道を自転車が走ってしまう事が問題
なんですよ。
人間の徒歩の速度は時速4キロから5キロです。自転車は15キロとしたら三倍。20キロ近くスピードを上げられますから、20キロなら4倍ものスピードで走っているわけです。
そういう速度差のある「移動物」を、同じ歩行者扱いしていたら、そりゃ車の側も予測できませんって。
車道を走っている車というのは、自転車以外は全部免許が必要なんですね。だから、そういう「予測」に関しても授業で習う。
でも、残念ながら、歩道を右側通行してくる自転車の予測までは習わないんですよ。そんな事は道路交通法上、本来認められていないんですから。
道路交通法上で言えば、自転車は車道を走るのが標準です。歩道は「指定された歩道」のみ走っても良い、あるいは、身の危険を感じたときに避難のために走るというくらいしか、本来は認められていないんです。
ですから、そういうルールが、キチンと守られている車道の中では、自転車で走っていても安心感があります。
なんせ、みんないちおう免許を取るために勉強して、そのルールを守って走ってるわけですから。車道には「ルールに則った安全」というものがキチンとあるんですよ。
交通法規上で言うなら、自転車は車道の左端を走る、ということになってますから、左側通行を自転車が守っていれば、自転車が交差点の左側から運転手の目に飛び込んでくるのは、道路を渡りきった、向こう側の端、に決まっているわけですよ。
自転車が、車道をキチンと走っていれば、あの危険がもっとも大きい交差点での「出会い頭にぶつかる危険」は、格段に少ないわけです。
わかりますか?この理屈。
だから、歩道を自転車が走る、なんていうのは、もっての他なんです。危なくて仕方ない。危険極まりない。即刻、いますぐ、何があろうとやめるべきなんですよ。
何が問題かと言えば、結局は「結果として右側通行をしているのに、それに気付いていない」と言うことが、もっとも危険な事なわけです。
まぁ、これは、この本に書かれている内容からすると、ほんの一部にしか過ぎないんですが、それでも、優先的に、まず考えなければならない問題ですので、あえてしっかりと書きました。(ちなみに、この本の中身より詳しく、「自転車に乗っていない人にもわかるように」書きました。わかってない人は、このくらい書かないとわからんやろなぁと思ったんで。)
とにかく自転車が歩道を走ることは、とんでもなく危険なんです。そこは正しく理解しましょう。とくに「右側通行」のクセがつくのが、大変まずいです。車道の左端を走る。これを日々徹底しないと、この感覚は身に付かないと思います。左側通行は、かなり重要な絶対ルールなんですよ。そこを身体感覚に落とし込んでおかないと、本当に危険です。死にます。
あと、車道に出ていれば、他の車から注視されるから安全、というのもかなり大きいのです。後ろから来ている車は、自転車の存在を意識してます。だから安全なんです。
しかし、車に乗っている人は、実は歩道を走っている自転車にまでは、気が回っていないんです。ましてや車道と歩道の間に看板があったり、信号機や樹木があったりして、歩道の状況が目隠しされていると、左折しようとした時に自転車に気付けないというのがあって、そういう意味でも、歩道を自転車が走るというのは、たとえ歩道内で左側通行をしていても危険なんです。
だから、とにかく車道を左側通行。それが自転車に乗るときの安全策として、最優先なわけです。
この本には、こういう話だけではなく、世界の自転車先進国が、都市部から車を追いだして、自転車と公共交通機関(バスや路面バスなど)を充実させて、そのことにより、
●車削減による省エネの達成
●市民の健康回復による医療費の削減
●都市交通の効率化達成(都市内の移動効率は自転車がベストです。)
●渋滞の解消による経済活動の好転
●車が減ったことによる安心感からの中心街の活性化
●それらの総合効果による経済発展
といういくつもの、たくさんの果実が得られているのだ、という話が書かれています。
もうね、ようは「モータリゼーション」は時代遅れ、ということなんですよ。
車は都市内部の交通機関としては不向き。あくまで「都市間交通」にこそ使うように限定していかないといけない。
で、都市部においては、自転車こそが、もっとも最適、効率的な移動手段で、そこを重視して都市計画を考えない限り、これからの都市として生き残ることすら難しだろう、ということになってきているようです。
そんな事までひっくるめて、とにかくとても面白い本です。超おすすめ。みなさん、こぞってお読みください。目から鱗がポロポロこぼれ落ちまくりますよ。いやほんと。
朝日、800万部割れ。そろそろ、一般市民がマスメディアのおかしさに気づき始めてますね。
2010年10月19日こんな記事を見つけました。
(引用開始)--------------------------------
朝日新聞社「希望退職」に記者が大量応募
2010年10月7日 リベラルタイム
新聞・雑誌の実売部数を調査する日本ABC協会の、いわゆる「ABC調査」で、『読売新聞』が一千万部を維持している一方で、『朝日新聞』が朝刊で八百万部を割ったことが、六月末の調査で明らかになった。かねて、朝日新聞社の秋山耿太郎社長は「八百万部は絶対に維持しなくてはならない」と明言していただけに、八百万部割れは、同社にとってショッキングな結果だった。
朝日新聞社は二期連続の営業赤字に転落しているが、今期に入っても広告売上は相変わらず低迷。その上、販売売上も減少していることから、来年三月期決算も、三期連続の営業赤字になる可能性が高い。
そこで、こうした苦境を乗り切ろうと、同社では、六月から同社の「転進支援制度」に基づき、社員の早期退職を募集した。期限は九月三十日で、四十五歳以上が対象。同制度は、定年の六十歳まで勤続すれば得られる収入の半分を、退職金に上乗せすることが特徴。たとえば、現在五十歳で年収が一千五百万円の人が今回の早期退職に応じた場合、定年までの十年間分の収入である一億五千万円の半分の七千五百万円が通常の退職金(約二千万円)に上乗せされるため、合計九千五百万円になる計算だ。
このように、有利な制度であることから、七十名ほどが応募した模様だ。内訳は、編集所属が四十人前後で、残りが広告や販売。大阪の編集のナンバー2とされた記者も含まれている、といわれている。編集部門からの大量応募は予想外だったようで、人事部門は記者の穴埋めに慌てているようだ。
会社側は十一月頃を目途に「転進支援制度」の第二次募集をかけ、来年三月末までに三十名程度を追加募集。一次と二次を合わせて百名規模の人員削減を目指す方針だ。広告、販売ともにじり貧の中では、人員削減等の社内合理化を進めるしかなく、「社員の士気は落ちる一方」と、ある同社社員は嘆いている。
リベラルタイム11月号「confidential」
(引用終了)---------------------------
いろんな理由はあるでしょうけど、何にしろ、最近の新聞は「官報」でしかなく、国民の側に立った記事を書いてない。そこが部数を落とした最大の原因でしょう。
官僚のリークをいかにもらうか? だけに身をやつしているから、そういう事になるのです。新聞の真の金主は読者なのに。
上記の記事の中で「読売新聞が一千万部を維持している」という事が書かれていますが、それも本当かどうだかわかったものではないのです。
「押し紙」というのがあるのを知ってますか?
これは新聞を刷るだけは刷って販売店まで運ぶのだけれども、実際には宅配する部数よりも多く販売店に押しつけて、販売店で預からせ、その後回収するという「部数の詐称行為」の事を言います。
この「押し紙」が、かなりあるんじゃないか? という噂が、随分前から言われ続けてるんですね。だから、これだけ新聞記事の内容が横並びで、どの新聞社も、こと政治の局面局面で、わけのわからない恣意的な「意識調査」を各社が一斉にやるというワンパターンだというのに、読売が朝日に200万部も差を付けているというのは、あんまり信用できませんなぁ、少なくとも私は。
この2~3年で、悪くすると各紙、500万部も切ってしまうんじゃないですかね? どの新聞社でも意識調査しかやってない上に、同じような事しか言ってないんだから、まぁグーグルニュースで、いちばん平均的にうまくまとめてる記事だけ読めば、まぁそれで充分だと思う。
新聞社がなくなる、なんてことはないんでしょうけど、インターネットとの相克の中で、かなり社会的な発言力は低下していかざるを得ないでしょう。とくに、いまのままの偏向報道を続けているなら確実に読者は離れてしまってインターネットで「より深く検索してみる」というところへ行ってしまうと思う。
昔は、新聞社の「意識調査」というのは、本当に国論を二分するようなテーマに対して、国民がどう思っているのかを正確に測るために行われていたと思います。実際、調査も調査会社に委託して、一回の調査で1500万円前後の金をかけてやっていたんだそうです。
しかし、最近では二ヶ月に一回は「支持率調査」をやる。なんだ?その支持率調査ってのは?国民の意識を探るのではなくて、国民が政権を支持してるかどうか「だけ」を見るわけです。この考え方から、すでに、ものすごく偏ってると思うのですが、この調査の費用が、なんとせいぜい100万円から150万円程度という「お手軽」なものに成り下がってるらしいんですね。
当然、統計学的な信頼性というのは、かなり低い、非常に恣意的な調査です。予算をかけずに「欲しい結果」が出てくるように設計された調査を、ごくごく少ないサンプル、特定の偏ったサンプルを選んで行っている。それが実状です。
だいたい金がないから電話調査だし、昼間に電話帳でオープンにしている自宅の固定電話にかける、という手法がほとんどですから、そこからすでにかなりの偏りがあるわけです。相当に杜撰です。
昼に自宅にいて、固定電話に出る人、というだけで、かなり特定されてしまいますよねぇ。実際のアクティブに仕事をしている日本人全体の姿とかなり離れている。
でも、そういう支持率調査の数字でバンバンに政権批判やらなにやらを、延々わめき続けるわけでして、正直、もういい加減にして欲しいと思います。
とは言え、それでもやはり大新聞メディアは、メインストリートの「世論」になってしまってます。かなりひどいのだけれど、それでも年寄りや田舎の金持とかは、大新聞こそ正確、とか思ってる。頭の悪い大衆、自民党がターゲットにしていた、いわゆるB層なども、けっこうまだまだ新聞が一番正確な情報だと思ってるでしょう。そもそも新聞なんか読んでないのに、新聞に書いてあることが世間の大きな常識なのだと思ってると思う。
今後、大メディアがどうなっていくのかわかりませんが、少なくとも僕は、もうそろそろ新聞を買わなくなって10年、テレビを見なくなって10年です。
最近では、NHKのドラマくらいは見てますが、基本的に、書籍で一つのテーマを深く知り、(1テーマ3冊~10冊くらい読みます。)その知識を元にネット検索をする、とかしていく方が、新聞記事などより、かなり深くて面白く、実状に沿った情報が手に入りますからねぇ。新聞の薄っぺらさは、あまりにヒドイです。
だいたい、月に4、5千円も新聞に金を出すなら、書籍を数冊でも買って読んだ方が、はるかに有用性が高いですから。物事の「体系」というのがわかります。新聞では部分部分の切り貼り情報しかわからないので、「体系」が見えない。
あのフロッピーディスクの改竄事件を引き起こした前田元検事が、陸山会の政治資金規正法の事件にも深く関わっていて、海外ならその段階で陸山会事件も、一切起訴内容が信用されないのが普通だ、ということなどは、マスコミには全然出てこないですしね。
いや、何より、記者クラブ問題なんか、前田の事件より、もっと大問題なんだけど、マスメディアでは一切出ない。
ようは自浄作用自体が、すでになくなっている、と言うことでしょう。
そりゃ、800万部割れ、当然ですよね。「押し紙」の噂だって、どんどん広がりますわね。
「押し紙」の事に関しては、広告を出す企業の側が、かなりシビアに問題視しているわけです。読者の購読料もさることながら、企業からの広告こそが資金として一番重要なわけです。
「押し紙」なんてされたら、それこそ、広告効果の追跡調査がまるでできないわけです。「メディア」として機能してない。
でも、たとえばGoogleなんかのアドセンスなどの広告は、見込み客がクリックしたかどうかまでが1クリックの時間帯まで含めてわかるわけですしね。
そういうことを考えると、もう、大きくは新聞に「大メディア」としての豊かな未来はないわけです。
いまは、ある意味、断末魔の叫びかも知れません。
そろそろ、方針転換した方がいいと思うけどなぁ。
まぁ、記者クラブ問題くらいはつまびらかにしないと、ちょっと信用できませんわ、いやほんま。
(引用開始)--------------------------------
朝日新聞社「希望退職」に記者が大量応募
2010年10月7日 リベラルタイム
新聞・雑誌の実売部数を調査する日本ABC協会の、いわゆる「ABC調査」で、『読売新聞』が一千万部を維持している一方で、『朝日新聞』が朝刊で八百万部を割ったことが、六月末の調査で明らかになった。かねて、朝日新聞社の秋山耿太郎社長は「八百万部は絶対に維持しなくてはならない」と明言していただけに、八百万部割れは、同社にとってショッキングな結果だった。
朝日新聞社は二期連続の営業赤字に転落しているが、今期に入っても広告売上は相変わらず低迷。その上、販売売上も減少していることから、来年三月期決算も、三期連続の営業赤字になる可能性が高い。
そこで、こうした苦境を乗り切ろうと、同社では、六月から同社の「転進支援制度」に基づき、社員の早期退職を募集した。期限は九月三十日で、四十五歳以上が対象。同制度は、定年の六十歳まで勤続すれば得られる収入の半分を、退職金に上乗せすることが特徴。たとえば、現在五十歳で年収が一千五百万円の人が今回の早期退職に応じた場合、定年までの十年間分の収入である一億五千万円の半分の七千五百万円が通常の退職金(約二千万円)に上乗せされるため、合計九千五百万円になる計算だ。
このように、有利な制度であることから、七十名ほどが応募した模様だ。内訳は、編集所属が四十人前後で、残りが広告や販売。大阪の編集のナンバー2とされた記者も含まれている、といわれている。編集部門からの大量応募は予想外だったようで、人事部門は記者の穴埋めに慌てているようだ。
会社側は十一月頃を目途に「転進支援制度」の第二次募集をかけ、来年三月末までに三十名程度を追加募集。一次と二次を合わせて百名規模の人員削減を目指す方針だ。広告、販売ともにじり貧の中では、人員削減等の社内合理化を進めるしかなく、「社員の士気は落ちる一方」と、ある同社社員は嘆いている。
リベラルタイム11月号「confidential」
(引用終了)---------------------------
いろんな理由はあるでしょうけど、何にしろ、最近の新聞は「官報」でしかなく、国民の側に立った記事を書いてない。そこが部数を落とした最大の原因でしょう。
官僚のリークをいかにもらうか? だけに身をやつしているから、そういう事になるのです。新聞の真の金主は読者なのに。
上記の記事の中で「読売新聞が一千万部を維持している」という事が書かれていますが、それも本当かどうだかわかったものではないのです。
「押し紙」というのがあるのを知ってますか?
これは新聞を刷るだけは刷って販売店まで運ぶのだけれども、実際には宅配する部数よりも多く販売店に押しつけて、販売店で預からせ、その後回収するという「部数の詐称行為」の事を言います。
この「押し紙」が、かなりあるんじゃないか? という噂が、随分前から言われ続けてるんですね。だから、これだけ新聞記事の内容が横並びで、どの新聞社も、こと政治の局面局面で、わけのわからない恣意的な「意識調査」を各社が一斉にやるというワンパターンだというのに、読売が朝日に200万部も差を付けているというのは、あんまり信用できませんなぁ、少なくとも私は。
この2~3年で、悪くすると各紙、500万部も切ってしまうんじゃないですかね? どの新聞社でも意識調査しかやってない上に、同じような事しか言ってないんだから、まぁグーグルニュースで、いちばん平均的にうまくまとめてる記事だけ読めば、まぁそれで充分だと思う。
新聞社がなくなる、なんてことはないんでしょうけど、インターネットとの相克の中で、かなり社会的な発言力は低下していかざるを得ないでしょう。とくに、いまのままの偏向報道を続けているなら確実に読者は離れてしまってインターネットで「より深く検索してみる」というところへ行ってしまうと思う。
昔は、新聞社の「意識調査」というのは、本当に国論を二分するようなテーマに対して、国民がどう思っているのかを正確に測るために行われていたと思います。実際、調査も調査会社に委託して、一回の調査で1500万円前後の金をかけてやっていたんだそうです。
しかし、最近では二ヶ月に一回は「支持率調査」をやる。なんだ?その支持率調査ってのは?国民の意識を探るのではなくて、国民が政権を支持してるかどうか「だけ」を見るわけです。この考え方から、すでに、ものすごく偏ってると思うのですが、この調査の費用が、なんとせいぜい100万円から150万円程度という「お手軽」なものに成り下がってるらしいんですね。
当然、統計学的な信頼性というのは、かなり低い、非常に恣意的な調査です。予算をかけずに「欲しい結果」が出てくるように設計された調査を、ごくごく少ないサンプル、特定の偏ったサンプルを選んで行っている。それが実状です。
だいたい金がないから電話調査だし、昼間に電話帳でオープンにしている自宅の固定電話にかける、という手法がほとんどですから、そこからすでにかなりの偏りがあるわけです。相当に杜撰です。
昼に自宅にいて、固定電話に出る人、というだけで、かなり特定されてしまいますよねぇ。実際のアクティブに仕事をしている日本人全体の姿とかなり離れている。
でも、そういう支持率調査の数字でバンバンに政権批判やらなにやらを、延々わめき続けるわけでして、正直、もういい加減にして欲しいと思います。
とは言え、それでもやはり大新聞メディアは、メインストリートの「世論」になってしまってます。かなりひどいのだけれど、それでも年寄りや田舎の金持とかは、大新聞こそ正確、とか思ってる。頭の悪い大衆、自民党がターゲットにしていた、いわゆるB層なども、けっこうまだまだ新聞が一番正確な情報だと思ってるでしょう。そもそも新聞なんか読んでないのに、新聞に書いてあることが世間の大きな常識なのだと思ってると思う。
今後、大メディアがどうなっていくのかわかりませんが、少なくとも僕は、もうそろそろ新聞を買わなくなって10年、テレビを見なくなって10年です。
最近では、NHKのドラマくらいは見てますが、基本的に、書籍で一つのテーマを深く知り、(1テーマ3冊~10冊くらい読みます。)その知識を元にネット検索をする、とかしていく方が、新聞記事などより、かなり深くて面白く、実状に沿った情報が手に入りますからねぇ。新聞の薄っぺらさは、あまりにヒドイです。
だいたい、月に4、5千円も新聞に金を出すなら、書籍を数冊でも買って読んだ方が、はるかに有用性が高いですから。物事の「体系」というのがわかります。新聞では部分部分の切り貼り情報しかわからないので、「体系」が見えない。
あのフロッピーディスクの改竄事件を引き起こした前田元検事が、陸山会の政治資金規正法の事件にも深く関わっていて、海外ならその段階で陸山会事件も、一切起訴内容が信用されないのが普通だ、ということなどは、マスコミには全然出てこないですしね。
いや、何より、記者クラブ問題なんか、前田の事件より、もっと大問題なんだけど、マスメディアでは一切出ない。
ようは自浄作用自体が、すでになくなっている、と言うことでしょう。
そりゃ、800万部割れ、当然ですよね。「押し紙」の噂だって、どんどん広がりますわね。
「押し紙」の事に関しては、広告を出す企業の側が、かなりシビアに問題視しているわけです。読者の購読料もさることながら、企業からの広告こそが資金として一番重要なわけです。
「押し紙」なんてされたら、それこそ、広告効果の追跡調査がまるでできないわけです。「メディア」として機能してない。
でも、たとえばGoogleなんかのアドセンスなどの広告は、見込み客がクリックしたかどうかまでが1クリックの時間帯まで含めてわかるわけですしね。
そういうことを考えると、もう、大きくは新聞に「大メディア」としての豊かな未来はないわけです。
いまは、ある意味、断末魔の叫びかも知れません。
そろそろ、方針転換した方がいいと思うけどなぁ。
まぁ、記者クラブ問題くらいはつまびらかにしないと、ちょっと信用できませんわ、いやほんま。
記者クラブ制はタチの悪い情報カルテル。マスコミ報道には、なんか、もう、ただただ呆れる。
2010年10月16日いまから思えば、今年2月頃からはじめたツイッター。
これが、ものすごく大きかったですねぇ。情報の種類と質と量が、通常のマスコミ情報と、あまりに違う。その具体的事実が、次々にびっくりするようなスピードと正確さで、僕の頭に飛び込んできたわけです。
半年で事態がかなり正確にわかるようになりました。
だいたい、数年前、小泉政権が出来た頃から「テレビの報道がおかしい。」と思い始めて、だんだんとテレビを見なくなったんですが、その代わりにインターネットがあったので、たとえば国会中継とかは政府のサイトとかでちょろちょろ見るようになったわけです。
ようは、テレビ・新聞の「編集権」っちゅう奴が邪魔でしょーがなく感じだしたわけですわ。「おいおい、なんか報道の中心がズレてるんと違うのん?」というのがやたら目に付くように感じたからです。
で、自分なりに信用できるサイトや、政府の公的な資料などを中心に、情報は読むようになって、ほんとうに新聞・テレビは見なくなったわけです。
で、ときおり、やたらと世間が騒ぐ事件とかあったりするわけですが、そういうものは、嫌でも見聞きせざるを得なくなって、テレビや新聞報道に触れたりもするわけです。
そうするともう、「なんか、おかしいよなぁ。」という事だらけに感じてきたわけです。
で、昨年の春とか、自民党政権の末期とかには、わからんなりにマスコミはおかしい!という話を良く、ここにも書いてたわけです。それは単に自分が広告の仕事をするにおいて、事実と異なる事を書くことが、いかに良くない事かを実感しているからなんですね。あまりに事実と違うことを書くのは、職業倫理観から許せないよなぁ、というのがあったわけです。市井の、どこにでもいる、そんじょそこいらのコピーライターではありますが、やっぱりそういう意識はどうしても出ます。自分の経験上「それはアカンやろ!」と思うような報道が多すぎた。
で、何やら、よーわからんなぁ、このマスコミのタチの悪さは、いったい何なんだろう?と思ってたんですが、そこでツイッターです。
いやー、記者クラブ! こんなアホでマヌケな誤報製造装置自体が、ドドーンとこの国のメインストリートに鎮座ましましているのだ、ということに、いままでまったく気づいていなかった自分を恥じました。
いやー、ひどいですわ。記者クラブ。
ほんとうにどうしようもない。
NHKをはじめ、朝日、読売、毎日、産経、日経の5大紙と、それに付随するテレビ局、加えて雑誌では新潮、文春というのが記者クラブメンバーですが、ようは官僚と報道が手を結んだ「官報複合体(ジャーナリスト上杉隆さんはこの言い方にされてます。)」(=Japan’s Media Bureaucracy Complex と、副島隆彦さんは英語名を命名。)です。
とにかく、記者クラブ制度っていうのが、日本においては、とてつもなく弊害が大きいのだ、ということを、近年、骨身にしみて理解しました。いや、ほんま。記者クラブ制。百害あって一利なしです。
具体例を挙げて、ひとつずつ潰すのが本来なんですが、そんなことしてたら夜が明ける。っちゅうか延々毎日、誤報やら偏向報道だらけなので、指摘のしようがないというようなものなわけです。なんだこりゃ。ここまでひどかったのか、と驚くばかり。
だいたい、あのNHKからして、信用ならない。
誤報・情報捏造・改変のトップバッターですよ。NHKは。まず、ここを勘違いしている人が多い。「NHKが言うのだから間違いない」とか思っている。そんなことはありません。政治関係のニュースは、恐ろしいほどの偏向報道であります。まぁもともと「官僚放送」ですからな。とてつもなく歪んでいる、という前提で読むのが正しい見方なんですが。
おおっぴらにやってる扇動報道としては、Youtubeの事を「動画投稿サイト」、2ちゃんねるのことを「インターネット上の巨大掲示板」としか決して言わない。これがまず、とんでもない偏向報道ですわね。
「NHKはおかしい!」と、はっきり書いてあるサイトの事を、田舎でテレビを見るようなじいさんばぁさんに知られたくないから、そういう言い方をしてごまかそうとしているわけです。それ以外の目的はございません。
とんでもない偏向報道。
っていうか、メディア名を言わないというのは引用元を明示しないということだから、もうはっきりとジャーナリズム失格ということにしかならないわけです。
それに、すでにYoutubeにしろUstreamにしろTwitterにしろ、社会的に一定の意見を発信するツール、仕組みとして定着しつつありますし、「メディア」の一角として尊重しなければ、時代とそぐわない。つまりは、「メディア名」を意識的に抹殺しているのがNHKだ、ということです。
抹殺ですよ、抹殺。
すでに存在しているものを、存在していないかのように扱う、醜悪さ。その偏向報道ぶりは、人殺しをしているのと、全く等価と言ってかまわないと思う。そのくらいひどいことを、平気でやってるわけです。NHKは。
また、読売新聞では、ツイッターで新聞批判が出ている事を踏まえて、平気でバンバンにツイッター攻撃の記事を連発してましたからね。もう、いちいち細かい記事をあげたりはしませんが、そう言うことを平気でやる。
実際、記者クラブ問題というのは、インターネットでしか見聞きできない問題なんです。新聞やテレビでは決して取りざたされない。だって自分たちの一番痛いところを突かれるわけですから、嫌ですわな。だから報道しない。本当にひどい。
書きたい事はやまほどあるけど、あまりにひどくて、どこから手をつけたらいいのかわからないというくらいひどい。
とにかく、まず、国民の側としては「新聞・テレビは信用できない」ということを、はっきりと自覚するのが先だと思いますね。
で、新聞は不買運動を推進する。
テレビは見ない。
これです。
まず、それが最優先で重要ですわ。
いや、ほんまに。
これが、ものすごく大きかったですねぇ。情報の種類と質と量が、通常のマスコミ情報と、あまりに違う。その具体的事実が、次々にびっくりするようなスピードと正確さで、僕の頭に飛び込んできたわけです。
半年で事態がかなり正確にわかるようになりました。
だいたい、数年前、小泉政権が出来た頃から「テレビの報道がおかしい。」と思い始めて、だんだんとテレビを見なくなったんですが、その代わりにインターネットがあったので、たとえば国会中継とかは政府のサイトとかでちょろちょろ見るようになったわけです。
ようは、テレビ・新聞の「編集権」っちゅう奴が邪魔でしょーがなく感じだしたわけですわ。「おいおい、なんか報道の中心がズレてるんと違うのん?」というのがやたら目に付くように感じたからです。
で、自分なりに信用できるサイトや、政府の公的な資料などを中心に、情報は読むようになって、ほんとうに新聞・テレビは見なくなったわけです。
で、ときおり、やたらと世間が騒ぐ事件とかあったりするわけですが、そういうものは、嫌でも見聞きせざるを得なくなって、テレビや新聞報道に触れたりもするわけです。
そうするともう、「なんか、おかしいよなぁ。」という事だらけに感じてきたわけです。
で、昨年の春とか、自民党政権の末期とかには、わからんなりにマスコミはおかしい!という話を良く、ここにも書いてたわけです。それは単に自分が広告の仕事をするにおいて、事実と異なる事を書くことが、いかに良くない事かを実感しているからなんですね。あまりに事実と違うことを書くのは、職業倫理観から許せないよなぁ、というのがあったわけです。市井の、どこにでもいる、そんじょそこいらのコピーライターではありますが、やっぱりそういう意識はどうしても出ます。自分の経験上「それはアカンやろ!」と思うような報道が多すぎた。
で、何やら、よーわからんなぁ、このマスコミのタチの悪さは、いったい何なんだろう?と思ってたんですが、そこでツイッターです。
いやー、記者クラブ! こんなアホでマヌケな誤報製造装置自体が、ドドーンとこの国のメインストリートに鎮座ましましているのだ、ということに、いままでまったく気づいていなかった自分を恥じました。
いやー、ひどいですわ。記者クラブ。
ほんとうにどうしようもない。
NHKをはじめ、朝日、読売、毎日、産経、日経の5大紙と、それに付随するテレビ局、加えて雑誌では新潮、文春というのが記者クラブメンバーですが、ようは官僚と報道が手を結んだ「官報複合体(ジャーナリスト上杉隆さんはこの言い方にされてます。)」(=Japan’s Media Bureaucracy Complex と、副島隆彦さんは英語名を命名。)です。
とにかく、記者クラブ制度っていうのが、日本においては、とてつもなく弊害が大きいのだ、ということを、近年、骨身にしみて理解しました。いや、ほんま。記者クラブ制。百害あって一利なしです。
具体例を挙げて、ひとつずつ潰すのが本来なんですが、そんなことしてたら夜が明ける。っちゅうか延々毎日、誤報やら偏向報道だらけなので、指摘のしようがないというようなものなわけです。なんだこりゃ。ここまでひどかったのか、と驚くばかり。
だいたい、あのNHKからして、信用ならない。
誤報・情報捏造・改変のトップバッターですよ。NHKは。まず、ここを勘違いしている人が多い。「NHKが言うのだから間違いない」とか思っている。そんなことはありません。政治関係のニュースは、恐ろしいほどの偏向報道であります。まぁもともと「官僚放送」ですからな。とてつもなく歪んでいる、という前提で読むのが正しい見方なんですが。
おおっぴらにやってる扇動報道としては、Youtubeの事を「動画投稿サイト」、2ちゃんねるのことを「インターネット上の巨大掲示板」としか決して言わない。これがまず、とんでもない偏向報道ですわね。
「NHKはおかしい!」と、はっきり書いてあるサイトの事を、田舎でテレビを見るようなじいさんばぁさんに知られたくないから、そういう言い方をしてごまかそうとしているわけです。それ以外の目的はございません。
とんでもない偏向報道。
っていうか、メディア名を言わないというのは引用元を明示しないということだから、もうはっきりとジャーナリズム失格ということにしかならないわけです。
それに、すでにYoutubeにしろUstreamにしろTwitterにしろ、社会的に一定の意見を発信するツール、仕組みとして定着しつつありますし、「メディア」の一角として尊重しなければ、時代とそぐわない。つまりは、「メディア名」を意識的に抹殺しているのがNHKだ、ということです。
抹殺ですよ、抹殺。
すでに存在しているものを、存在していないかのように扱う、醜悪さ。その偏向報道ぶりは、人殺しをしているのと、全く等価と言ってかまわないと思う。そのくらいひどいことを、平気でやってるわけです。NHKは。
また、読売新聞では、ツイッターで新聞批判が出ている事を踏まえて、平気でバンバンにツイッター攻撃の記事を連発してましたからね。もう、いちいち細かい記事をあげたりはしませんが、そう言うことを平気でやる。
実際、記者クラブ問題というのは、インターネットでしか見聞きできない問題なんです。新聞やテレビでは決して取りざたされない。だって自分たちの一番痛いところを突かれるわけですから、嫌ですわな。だから報道しない。本当にひどい。
書きたい事はやまほどあるけど、あまりにひどくて、どこから手をつけたらいいのかわからないというくらいひどい。
とにかく、まず、国民の側としては「新聞・テレビは信用できない」ということを、はっきりと自覚するのが先だと思いますね。
で、新聞は不買運動を推進する。
テレビは見ない。
これです。
まず、それが最優先で重要ですわ。
いや、ほんまに。
前田検事の証拠捏造問題に関しては、なぜか村木さんの事件の話しか出ないですな。
しかし、前田検事は小沢一郎氏の政治資金規正法違反の取り調べに関わっていたはずです。確か石川元秘書(いまは、れっきとした政治家さんですが。)を直接取り調べているはずです。
えー、普通ですね。諸外国で、検事が「証拠捏造」などという、とんでもない極悪事件を起こしたら、
●前田検事が関わった事件はすべて「証拠捏造の疑いあり」
となって、最低でも前田が関わった全審議のはじめからのやりなおしをするのが当然なんだそうです。(これは記者クラブ問題を徹底追求している上杉隆さんの指摘。上杉さんは元政治家秘書であり、その後ニューヨークタイムスの記者になり、現在は現場取材を信条とする、世界標準の取材手法を採用している政治ジャーナリスト。)
再審議が最初から行われるのは、おそらく、よほどその他の物的証拠などが確実で、どこからどうみても有罪が確定的な案件のみであって、通常は前田が関わった全事件は「無罪」となるのが当然なのですね。こういう事案でこそ「推定無罪の原則」というのが生きてくるわけです。
この「推定無罪」という事が、いかに民主主義に取って重要であるか、ということが、馬鹿な日本人には全然わかってないので、あえて説明しますけれども、オザワであろうが、トザワであろうが、クザワであろうが、とにかく「検事によって証拠捏造される裁判」などにかけられたら、勝ち目がないに決まっているから、です。そんな恐ろしい事が行われたら「法の前に平等」という大前提そのものが崩れてしまいます。
ですから、まともな裁判制度を取り入れている国なら、「検事による証拠捏造」は、それが発覚した段階で、その検事による裁判は全部無効のするのが当然、ということになるわけです。仮に、それで極悪犯を取り逃がしたとしても、その事で国民が受ける不利益よりも「信用できない検察」という存在があると言うことの方が、はるかに大きな不利益を国民が受けるからです。
つまり、証拠の改竄とか捏造をやられたら、
●全国民が、無実であっても、社会的に抹殺される。
という可能性が発生するからです。
だから、前田検事がフロッピーディスクの書き換えを行った、と言うことが分かった段階で、即、「小沢の政治とカネ問題もこれで無罪確定へ」となるのが、当然であるし、そうすることこそが、正しい民主主義だってことなんです。
ところが!
ところが、ところが!
マスコミはもう、本当にバカだから、前田検事の問題を取り上げながらも、いまだに「小沢の政治とカネ」問題をえんえん報道し続けてるわけです。
まぁなんちゅうか、世界に恥をさらし続けているようなものなのですね。
なんでこういうことになっちゃうか?というと、日本には「記者クラブ制度」というのがありまして、幅広く、多くの雑誌社や一般庶民のメディアへの参入を制限しているからなんですね。
こんなおかしな仕組みを持っている国は、先進諸国の中では日本だけです。
日本以外ではジンバブエと、どこだっけ?名前も忘れてしまうような国が採用してるだけです。
まともに巨大なマスコミなどの報道機関が機能している国なら、「記者クラブ制度」なんてものは、「第一次情報を特定企業だけが独占する既得権益を守るカルテル」ということで、ものすごく批判され、そういうカルテルを結んでいる大手企業そのものが、社会的制裁を受ける、というものなわけです。
で、実際、記者クラブは、海外メディアから、完全に無視されているのです。
どう言うことかというと、日本の駐留していた海外メディアの駐在員は、記者クラブの一員として認めてもらえなかったので、世界のメディアがどんどん日本から駐在員を引き揚げてしまっているんだそうです。
だって政治家の記者会見とかが完全に記者クラブの内々の人間内でしか行われなくて、政治家がどんな事を言ったのかがわからないわけですから、記事の書きようがないわけです。
本当にね、このメディアの問題というのは、とんでもなくマズイわけですよ。
僕はこのあたり、全然気づいてませんでしたが、21世紀になってからこっち、あまりに報道の質が低く、どんどん無茶苦茶になってきているなぁと感じていて、どうしてこうなっちゃったのか?といろいろ本やネットを調べているうちに、この記者クラブ問題にたどりついた、というわけです。
もうね、記者クラブ制度自体が、諸悪の根源なわけですよ。
それは、いろいろ分かってくると、もう、ものすごくはっきりする。
官僚と報道のなれ合いのベタベタしたくっつき方なんていうのは、完全に「官報複合体」というべきもので、この極悪な仕組みをこそ、徹底的にたたき壊さないと、まともな日本は作れないというのは、はっきりしていると思います。
記者クラブ制度というのは、国会だと省庁ごとに別の記者クラブがありますし、地方自治体だと、自治体ごとに別の記者クラブがあって、そこで「一般のメディアからの取材」をはじき出してるわけです。
もう、ここから全部ダメってことなんですね。どうしようもない。
そうい問題があるということ自体を、僕は知りませんでしたから。
なんで知らなかったのか? 当然なんですよ。記者クラブ問題は大手メディア(朝日・読売・毎日・産経・日経の5大紙と、それに付随するテレビ局+週刊文春+週刊新潮)すべてで、
●絶対に取り扱われないタブー
だからです。日本は、5大紙に取り上げられないと「問題」にすらならない事が多いわけですが、もっとも問題にしなければいけない記者クラブ問題を、問題としてメディアが取り上げないわけです。なぜなら、それが自分たちの腐っている部分そのものだから。
これが、はっきりしてきたのが、今年、2010年の、もっとも大きな時代の変化だと僕は思います。
で、この問題がはっきりくっきりしてきたのは、やはりツイッターです。ツイッターによる、「マスコミなみの規模を持つ口コミ」があったから、国民の側に立った問題は一気に広まったわけです。
ただし、ネットの中だけで。
この、
●ネットの中だけ。
というのが、問題なんですね。それでは広く一般社会に力が広まらない。
しかし、この前田検事の話などは、全国民にとって不利益につながる話ですから、それを歪曲して報道することは絶対に許されない事なのです。
ですから、今後はツイッターによる「世論の形成」というものが、嫌でも大きな勢力になっていきます。
いくら記者クラブでカルテルを結んでいても、全国民の目をごまかすことは、もうできないわけです。
で、このことは、おそらく、ペレストロイカでソ連がロシアになったのと同程度の大革命のはずです。そのくらい日本の情報環境は閉鎖的だ、ということなんですね。
そういう閉鎖性に気づいてない人は、いまだに平気で「小沢の政治とカネは問題だ」とか、どうでもいいことをグダグダ言い続けます。
そんなこたぁ、どうでもいいのだ。それより、「全国民の利益のために、証拠捏造疑惑のある小沢問題は無罪確定だ。」と報道することこそが、全国民のためになることなのだ、ということを、ちょっとは考えろ、ということです。
前田検事の問題に続いて、検察審査会の問題もかなりのおかしな話になってますし、この問題は、そう簡単にカタの付くことではありません。おそらくは、地熱のような一般民衆の声が延々とうねり続け、政府のあり方そのものを問い直すということになるでしょう。
であるのに、報道も検察も、かなりの不手際を延々連発しているわけです。
前田の問題が出た段階で、「小沢の政治とカネも無効」と報道すべきをしなかった。このねじれは、とんでもないものになっていくでしょうし、この間書いた検察審査会の年齢の問題も実におかしな事になっています。
ちょっといろいろはっきりしてきたので書くと、20才以上の日本国民の平均年齢は50才くらいになるのだそうです。そして、不作為に11人の審査員を選んで、その平均年齢が30.9才になる可能性は100万分の7なんだそうです。
それはいくらなんでも、偏りすぎですわ。
それも、一国の首相になろうかという人を裁く審査で、その偏りはあまりにおかしい。
100万分の7はいくらなんでもなかろう。
と、そういう声が議員の中から上がってきたら、今度は急に「実際には平均年齢はもう少し高かったのです。10人の年齢を11で割ってしまっていました。」とか言って、ちょっと年齢が上がった報告がなされました。
ちょっと待てぇ!!!
そんな基本的なところでミスするんかぁ!
小学生か、お前らは!
その段階でおかしいやろ!
ほんまに、11人の審査員がおったんか? 自分らでお手盛りでやったんと違うんか? あまりに怪しすぎるやろ!
しかも、その足し忘れていた人の年齢が37才やと言う。でも、それを足して平均を出しても、修正した34才にならんというおかしさ。
なんやねん、これ。
検察審査会。おかしすぎ。
もともと、検察がおかしな事をしないか、国民の目線で審査するという仕組みのはずが、あまりに内容が不明確すぎです。
いったいどういうことになっているのか。
ともかく、おかしなことだらけになっているのが現状で、そのおかしさについては、「記者クラブ問題」がある大手メディアでは知り得ない、ということは、みなさん、頭の中にいれておいてください。
自ら、問題意識を持って、勉強し、学習し、自らネット検索を繰り返して、正解に近づくと言うことをやらない限り、この土人なみの仕組みしかない日本のメディアと司法の世界では、真実に近づくこともできないのだ、ということです。
みんな目隠しされた馬車馬なのだ、ということに、ひとりでも多くの人が気づいて欲しいと願ってやみません。
しかし、前田検事は小沢一郎氏の政治資金規正法違反の取り調べに関わっていたはずです。確か石川元秘書(いまは、れっきとした政治家さんですが。)を直接取り調べているはずです。
えー、普通ですね。諸外国で、検事が「証拠捏造」などという、とんでもない極悪事件を起こしたら、
●前田検事が関わった事件はすべて「証拠捏造の疑いあり」
となって、最低でも前田が関わった全審議のはじめからのやりなおしをするのが当然なんだそうです。(これは記者クラブ問題を徹底追求している上杉隆さんの指摘。上杉さんは元政治家秘書であり、その後ニューヨークタイムスの記者になり、現在は現場取材を信条とする、世界標準の取材手法を採用している政治ジャーナリスト。)
再審議が最初から行われるのは、おそらく、よほどその他の物的証拠などが確実で、どこからどうみても有罪が確定的な案件のみであって、通常は前田が関わった全事件は「無罪」となるのが当然なのですね。こういう事案でこそ「推定無罪の原則」というのが生きてくるわけです。
この「推定無罪」という事が、いかに民主主義に取って重要であるか、ということが、馬鹿な日本人には全然わかってないので、あえて説明しますけれども、オザワであろうが、トザワであろうが、クザワであろうが、とにかく「検事によって証拠捏造される裁判」などにかけられたら、勝ち目がないに決まっているから、です。そんな恐ろしい事が行われたら「法の前に平等」という大前提そのものが崩れてしまいます。
ですから、まともな裁判制度を取り入れている国なら、「検事による証拠捏造」は、それが発覚した段階で、その検事による裁判は全部無効のするのが当然、ということになるわけです。仮に、それで極悪犯を取り逃がしたとしても、その事で国民が受ける不利益よりも「信用できない検察」という存在があると言うことの方が、はるかに大きな不利益を国民が受けるからです。
つまり、証拠の改竄とか捏造をやられたら、
●全国民が、無実であっても、社会的に抹殺される。
という可能性が発生するからです。
だから、前田検事がフロッピーディスクの書き換えを行った、と言うことが分かった段階で、即、「小沢の政治とカネ問題もこれで無罪確定へ」となるのが、当然であるし、そうすることこそが、正しい民主主義だってことなんです。
ところが!
ところが、ところが!
マスコミはもう、本当にバカだから、前田検事の問題を取り上げながらも、いまだに「小沢の政治とカネ」問題をえんえん報道し続けてるわけです。
まぁなんちゅうか、世界に恥をさらし続けているようなものなのですね。
なんでこういうことになっちゃうか?というと、日本には「記者クラブ制度」というのがありまして、幅広く、多くの雑誌社や一般庶民のメディアへの参入を制限しているからなんですね。
こんなおかしな仕組みを持っている国は、先進諸国の中では日本だけです。
日本以外ではジンバブエと、どこだっけ?名前も忘れてしまうような国が採用してるだけです。
まともに巨大なマスコミなどの報道機関が機能している国なら、「記者クラブ制度」なんてものは、「第一次情報を特定企業だけが独占する既得権益を守るカルテル」ということで、ものすごく批判され、そういうカルテルを結んでいる大手企業そのものが、社会的制裁を受ける、というものなわけです。
で、実際、記者クラブは、海外メディアから、完全に無視されているのです。
どう言うことかというと、日本の駐留していた海外メディアの駐在員は、記者クラブの一員として認めてもらえなかったので、世界のメディアがどんどん日本から駐在員を引き揚げてしまっているんだそうです。
だって政治家の記者会見とかが完全に記者クラブの内々の人間内でしか行われなくて、政治家がどんな事を言ったのかがわからないわけですから、記事の書きようがないわけです。
本当にね、このメディアの問題というのは、とんでもなくマズイわけですよ。
僕はこのあたり、全然気づいてませんでしたが、21世紀になってからこっち、あまりに報道の質が低く、どんどん無茶苦茶になってきているなぁと感じていて、どうしてこうなっちゃったのか?といろいろ本やネットを調べているうちに、この記者クラブ問題にたどりついた、というわけです。
もうね、記者クラブ制度自体が、諸悪の根源なわけですよ。
それは、いろいろ分かってくると、もう、ものすごくはっきりする。
官僚と報道のなれ合いのベタベタしたくっつき方なんていうのは、完全に「官報複合体」というべきもので、この極悪な仕組みをこそ、徹底的にたたき壊さないと、まともな日本は作れないというのは、はっきりしていると思います。
記者クラブ制度というのは、国会だと省庁ごとに別の記者クラブがありますし、地方自治体だと、自治体ごとに別の記者クラブがあって、そこで「一般のメディアからの取材」をはじき出してるわけです。
もう、ここから全部ダメってことなんですね。どうしようもない。
そうい問題があるということ自体を、僕は知りませんでしたから。
なんで知らなかったのか? 当然なんですよ。記者クラブ問題は大手メディア(朝日・読売・毎日・産経・日経の5大紙と、それに付随するテレビ局+週刊文春+週刊新潮)すべてで、
●絶対に取り扱われないタブー
だからです。日本は、5大紙に取り上げられないと「問題」にすらならない事が多いわけですが、もっとも問題にしなければいけない記者クラブ問題を、問題としてメディアが取り上げないわけです。なぜなら、それが自分たちの腐っている部分そのものだから。
これが、はっきりしてきたのが、今年、2010年の、もっとも大きな時代の変化だと僕は思います。
で、この問題がはっきりくっきりしてきたのは、やはりツイッターです。ツイッターによる、「マスコミなみの規模を持つ口コミ」があったから、国民の側に立った問題は一気に広まったわけです。
ただし、ネットの中だけで。
この、
●ネットの中だけ。
というのが、問題なんですね。それでは広く一般社会に力が広まらない。
しかし、この前田検事の話などは、全国民にとって不利益につながる話ですから、それを歪曲して報道することは絶対に許されない事なのです。
ですから、今後はツイッターによる「世論の形成」というものが、嫌でも大きな勢力になっていきます。
いくら記者クラブでカルテルを結んでいても、全国民の目をごまかすことは、もうできないわけです。
で、このことは、おそらく、ペレストロイカでソ連がロシアになったのと同程度の大革命のはずです。そのくらい日本の情報環境は閉鎖的だ、ということなんですね。
そういう閉鎖性に気づいてない人は、いまだに平気で「小沢の政治とカネは問題だ」とか、どうでもいいことをグダグダ言い続けます。
そんなこたぁ、どうでもいいのだ。それより、「全国民の利益のために、証拠捏造疑惑のある小沢問題は無罪確定だ。」と報道することこそが、全国民のためになることなのだ、ということを、ちょっとは考えろ、ということです。
前田検事の問題に続いて、検察審査会の問題もかなりのおかしな話になってますし、この問題は、そう簡単にカタの付くことではありません。おそらくは、地熱のような一般民衆の声が延々とうねり続け、政府のあり方そのものを問い直すということになるでしょう。
であるのに、報道も検察も、かなりの不手際を延々連発しているわけです。
前田の問題が出た段階で、「小沢の政治とカネも無効」と報道すべきをしなかった。このねじれは、とんでもないものになっていくでしょうし、この間書いた検察審査会の年齢の問題も実におかしな事になっています。
ちょっといろいろはっきりしてきたので書くと、20才以上の日本国民の平均年齢は50才くらいになるのだそうです。そして、不作為に11人の審査員を選んで、その平均年齢が30.9才になる可能性は100万分の7なんだそうです。
それはいくらなんでも、偏りすぎですわ。
それも、一国の首相になろうかという人を裁く審査で、その偏りはあまりにおかしい。
100万分の7はいくらなんでもなかろう。
と、そういう声が議員の中から上がってきたら、今度は急に「実際には平均年齢はもう少し高かったのです。10人の年齢を11で割ってしまっていました。」とか言って、ちょっと年齢が上がった報告がなされました。
ちょっと待てぇ!!!
そんな基本的なところでミスするんかぁ!
小学生か、お前らは!
その段階でおかしいやろ!
ほんまに、11人の審査員がおったんか? 自分らでお手盛りでやったんと違うんか? あまりに怪しすぎるやろ!
しかも、その足し忘れていた人の年齢が37才やと言う。でも、それを足して平均を出しても、修正した34才にならんというおかしさ。
なんやねん、これ。
検察審査会。おかしすぎ。
もともと、検察がおかしな事をしないか、国民の目線で審査するという仕組みのはずが、あまりに内容が不明確すぎです。
いったいどういうことになっているのか。
ともかく、おかしなことだらけになっているのが現状で、そのおかしさについては、「記者クラブ問題」がある大手メディアでは知り得ない、ということは、みなさん、頭の中にいれておいてください。
自ら、問題意識を持って、勉強し、学習し、自らネット検索を繰り返して、正解に近づくと言うことをやらない限り、この土人なみの仕組みしかない日本のメディアと司法の世界では、真実に近づくこともできないのだ、ということです。
みんな目隠しされた馬車馬なのだ、ということに、ひとりでも多くの人が気づいて欲しいと願ってやみません。
政治に関しては、テレビ新聞が、やたらとやいのやいの言ってます。
しかし、どうにも、本質が見えない。特にわからんのが、
●小沢vs反小沢
という言い方。
考えたら、ものすごーーーーーーーーくおかしい。
対立軸がさっぱり見えない。
鈴木対反鈴木とか山下対反山下とか、仮に日常の会話で言い出したら「お前、何が言いたいの?」と聞き返さざるをえないわけです。
で、ずーっと、その対立軸って何やねん?って思ってたんですが、集約するとタイトルのように、
●実力主義vs年功序列
なんだ、ということが分かってきたわけです。
で、「実力主義対年功序列」なら、まぁ論議のしようもあるわけですよ。ある程度年長者に敬意は払いつつも、重要なところでは実力主義で行かなければならない、ということで。
しかし、この経済が落ち込んでいる日本の状況を考えれば、とにかく「実力主義」で、実力のある人に要職を担ってもらうしか答えはないんですね。答えは見えている。
で、答えが見えているからこそ、論点を明確にしたくなくて「小沢vs反小沢」という言い方をしているわけです。
このあたりのことが、先日の民主党の代表選の演説を見ていて良く分かりました。
小沢さんは「決して官僚組織を否定しているのではありません。官僚の中にも良い改革案を考えてくれる人はおりますから、そういう方を抜擢して活用したい。」と言っている。一般人から見れば、ごく穏当な判断に聞こえるわけですが、「年功序列組」からしたら、こんな恐ろしい「思想」はないわけですよ。なんせ「実力主義」ですから。「うわ、こいつ、とんでもないこと言いよる。かなわん。恐ろしい。」なわけですね。
でも、世間一般では、やはり実力主義は普通に存在しているわけですから、その対立軸を「実力主義対年功序列」なのだとはっきりさせたくないわけですよ。そこがはっきりしたら「実力のある人を要職につけないとまずいでしょ。」と言う話にすぐなってしまうわけですから。
だから、「実力主義対年功序列」という対立構造を見せないようにして、「小沢対反小沢」にしているわけです。実に官僚+報道組織というのはこすっからい。
はっきり言いますが、官僚に実力はありません。特に、いま「順送り人事」で要職に就いている人間には、ほとんど実力がない。だって実力で判断してないんやもん、「年功序列」やねんもん、それはしゃーない。
で、マスメディアも一緒。こっちは官僚が言った事は間違いがない、という発想で自分たちで取材せずに、リーク情報だけで記事を書いてる力のない記者ばっかりなわけです。それは「記者クラブ」という政府情報の独占システムを握ってるからなんですね。たぶん、いまの新聞記者、とくに偉いさんになればなるほど取材力はないでしょう。小理屈屁理屈を考え出す能力はあっても、まぁ、そこどまり。市井のコピーライターとしてやってきた、僕の方がおそらくはるかに高い取材能力を持ってるはずです。本当にマスメディアは、この10年くらいで急速に能力が低下したと言わざるを得ません。大手新聞は、すでに死に体です。
●「小沢」とは、実力主義の事である。「反小沢」とは年功序列の事である。
くらいの事は、本来新聞社とかが明確に定義して、国民的議論を巻き起こさないといけないことなんですけどね。
まぁ、その程度の「定義力」すらないのが実情だなぁ。バカの集まりです。と、切って捨てましょう。
みなさん、本当に新聞、テレビを見てたらバカになりますよ。注意しましょう。
いや、ほんま。
しかし、どうにも、本質が見えない。特にわからんのが、
●小沢vs反小沢
という言い方。
考えたら、ものすごーーーーーーーーくおかしい。
対立軸がさっぱり見えない。
鈴木対反鈴木とか山下対反山下とか、仮に日常の会話で言い出したら「お前、何が言いたいの?」と聞き返さざるをえないわけです。
で、ずーっと、その対立軸って何やねん?って思ってたんですが、集約するとタイトルのように、
●実力主義vs年功序列
なんだ、ということが分かってきたわけです。
で、「実力主義対年功序列」なら、まぁ論議のしようもあるわけですよ。ある程度年長者に敬意は払いつつも、重要なところでは実力主義で行かなければならない、ということで。
しかし、この経済が落ち込んでいる日本の状況を考えれば、とにかく「実力主義」で、実力のある人に要職を担ってもらうしか答えはないんですね。答えは見えている。
で、答えが見えているからこそ、論点を明確にしたくなくて「小沢vs反小沢」という言い方をしているわけです。
このあたりのことが、先日の民主党の代表選の演説を見ていて良く分かりました。
小沢さんは「決して官僚組織を否定しているのではありません。官僚の中にも良い改革案を考えてくれる人はおりますから、そういう方を抜擢して活用したい。」と言っている。一般人から見れば、ごく穏当な判断に聞こえるわけですが、「年功序列組」からしたら、こんな恐ろしい「思想」はないわけですよ。なんせ「実力主義」ですから。「うわ、こいつ、とんでもないこと言いよる。かなわん。恐ろしい。」なわけですね。
でも、世間一般では、やはり実力主義は普通に存在しているわけですから、その対立軸を「実力主義対年功序列」なのだとはっきりさせたくないわけですよ。そこがはっきりしたら「実力のある人を要職につけないとまずいでしょ。」と言う話にすぐなってしまうわけですから。
だから、「実力主義対年功序列」という対立構造を見せないようにして、「小沢対反小沢」にしているわけです。実に官僚+報道組織というのはこすっからい。
はっきり言いますが、官僚に実力はありません。特に、いま「順送り人事」で要職に就いている人間には、ほとんど実力がない。だって実力で判断してないんやもん、「年功序列」やねんもん、それはしゃーない。
で、マスメディアも一緒。こっちは官僚が言った事は間違いがない、という発想で自分たちで取材せずに、リーク情報だけで記事を書いてる力のない記者ばっかりなわけです。それは「記者クラブ」という政府情報の独占システムを握ってるからなんですね。たぶん、いまの新聞記者、とくに偉いさんになればなるほど取材力はないでしょう。小理屈屁理屈を考え出す能力はあっても、まぁ、そこどまり。市井のコピーライターとしてやってきた、僕の方がおそらくはるかに高い取材能力を持ってるはずです。本当にマスメディアは、この10年くらいで急速に能力が低下したと言わざるを得ません。大手新聞は、すでに死に体です。
●「小沢」とは、実力主義の事である。「反小沢」とは年功序列の事である。
くらいの事は、本来新聞社とかが明確に定義して、国民的議論を巻き起こさないといけないことなんですけどね。
まぁ、その程度の「定義力」すらないのが実情だなぁ。バカの集まりです。と、切って捨てましょう。
みなさん、本当に新聞、テレビを見てたらバカになりますよ。注意しましょう。
いや、ほんま。
さっき民主党の有田芳生(ありたよしふ)さんのツイッターを見てたら、かなり重要な事が書かれてました。
(引用開始)---------------
日本の総人口(もちろん零歳児から)の平均年齢は43・3歳。検察審査会に無作為で選ばれるのは成人だから、年齢はさらに上がるのが一般的。11人の平均年齢が30・9歳になる確率をいま調べている。
(引用終了)---------------
という事です。
そうか!そりゃそうだよな、とつくづく実感。
選挙権のある人の平均年齢を取れば、絶対に43.3歳は越えるわけです。なのに30.9歳という平均年齢というのは、「作為的に若い人だけを選んだ」としか考えようがないですわね。
有田さんは、この参議院選で民主党から議員になったばかりの一年生議員です。で、みなさんご存じの通りテレビにもたくさん出ておられるフリーのジャーナリストさんでもあります。
このあいだの民主党の代表戦でも、菅、小沢のどちらに投票するかは最後まで明確にせず、有田さん自身が政治家として追求していきたいと考えている北朝鮮の拉致問題に対して、どういう対応をするのか?という公開質問状を菅さん小沢さんの両名に送って、最終的にトータルな判断で小沢さんに投票された、という人です。
ものすごくバランス感覚の優れた方と言えるでしょう。議員になっても、実際に議員活動で実現できるテーマは少ない。だから、自分を応援してくれた人のために動いてくれる人を選ぶという、実に筋の通った判断で、そういうところはとても好感します。
で、有田さんは本当に小沢でもなく菅でもない人で、ただ淡々と自分のテーマに邁進されてる人なんですね。
しかし、ここに来て、こういことを書いてる。
中国の問題でも、沖縄の問題でもそうですが、何か言い争いが始まったとき、両方の言い分を正確に理解できる人の言葉は強いのです。
たとえば、沖縄はいま、本当に基地を「いらない」と考えています。そしてそういう運動の先頭に立っているのは、実は沖縄にずっと住んでいる人ではなくて、若いときに沖縄を出、本土で働いて、また地元に戻ったような人だそうです。両方の立場がわかるから、主張すべきポイントもよくわかるわけです。
「沖縄だけが踏みつけにされてるんだ」というのは、本土に行ったことのある人だ、ということです。
沖縄や普天間の事は、僕は「沖縄の人たちを中心に据えて、日本人全体が団結すべきだ。」と思ってるんですけど、たぶん多くの日本人は「地元」の事しか知らないわけで、道は遠いな、とは思います。
世界標準の考え方がどうなのか、日本国内はどうなのか。
中国の考え方はどうなのか?アメリカの考え方はどうなのか?
そういうことを両方ともに見ないと「自分にとってどれがベストか」はわからないって事です。
有田さんの対応は、まさにその「両方を見る」態度そのもので、とても好感を持ちます。
そういうバランス感覚を持っている人からすれば、やはり検察審査会の11人の選ばれた一般国民の平均年齢が「30.9歳」というのは、それだけでかなりアンバランスに感じるんでしょうね。
ちなみに、新聞テレビなどの「世論調査」も、かなり多くの調査が「30歳以下の男女に固定電話で自宅に電話調査」してるんですね。若くて、家にいてる人に「限定」して調査してる。
汗水たらして働いてる中小企業の経営層という、おっさんの意見はくみ取られてもいないってことです。
いろいろ、いろいろ、ありとあらゆる「作為」を、この1年、2年のマスコミや政治の動きには感じざるを得ないのですが、ほんとうにもう、いい加減にして欲しいとあきれるばかりです。
(引用開始)---------------
日本の総人口(もちろん零歳児から)の平均年齢は43・3歳。検察審査会に無作為で選ばれるのは成人だから、年齢はさらに上がるのが一般的。11人の平均年齢が30・9歳になる確率をいま調べている。
(引用終了)---------------
という事です。
そうか!そりゃそうだよな、とつくづく実感。
選挙権のある人の平均年齢を取れば、絶対に43.3歳は越えるわけです。なのに30.9歳という平均年齢というのは、「作為的に若い人だけを選んだ」としか考えようがないですわね。
有田さんは、この参議院選で民主党から議員になったばかりの一年生議員です。で、みなさんご存じの通りテレビにもたくさん出ておられるフリーのジャーナリストさんでもあります。
このあいだの民主党の代表戦でも、菅、小沢のどちらに投票するかは最後まで明確にせず、有田さん自身が政治家として追求していきたいと考えている北朝鮮の拉致問題に対して、どういう対応をするのか?という公開質問状を菅さん小沢さんの両名に送って、最終的にトータルな判断で小沢さんに投票された、という人です。
ものすごくバランス感覚の優れた方と言えるでしょう。議員になっても、実際に議員活動で実現できるテーマは少ない。だから、自分を応援してくれた人のために動いてくれる人を選ぶという、実に筋の通った判断で、そういうところはとても好感します。
で、有田さんは本当に小沢でもなく菅でもない人で、ただ淡々と自分のテーマに邁進されてる人なんですね。
しかし、ここに来て、こういことを書いてる。
中国の問題でも、沖縄の問題でもそうですが、何か言い争いが始まったとき、両方の言い分を正確に理解できる人の言葉は強いのです。
たとえば、沖縄はいま、本当に基地を「いらない」と考えています。そしてそういう運動の先頭に立っているのは、実は沖縄にずっと住んでいる人ではなくて、若いときに沖縄を出、本土で働いて、また地元に戻ったような人だそうです。両方の立場がわかるから、主張すべきポイントもよくわかるわけです。
「沖縄だけが踏みつけにされてるんだ」というのは、本土に行ったことのある人だ、ということです。
沖縄や普天間の事は、僕は「沖縄の人たちを中心に据えて、日本人全体が団結すべきだ。」と思ってるんですけど、たぶん多くの日本人は「地元」の事しか知らないわけで、道は遠いな、とは思います。
世界標準の考え方がどうなのか、日本国内はどうなのか。
中国の考え方はどうなのか?アメリカの考え方はどうなのか?
そういうことを両方ともに見ないと「自分にとってどれがベストか」はわからないって事です。
有田さんの対応は、まさにその「両方を見る」態度そのもので、とても好感を持ちます。
そういうバランス感覚を持っている人からすれば、やはり検察審査会の11人の選ばれた一般国民の平均年齢が「30.9歳」というのは、それだけでかなりアンバランスに感じるんでしょうね。
ちなみに、新聞テレビなどの「世論調査」も、かなり多くの調査が「30歳以下の男女に固定電話で自宅に電話調査」してるんですね。若くて、家にいてる人に「限定」して調査してる。
汗水たらして働いてる中小企業の経営層という、おっさんの意見はくみ取られてもいないってことです。
いろいろ、いろいろ、ありとあらゆる「作為」を、この1年、2年のマスコミや政治の動きには感じざるを得ないのですが、ほんとうにもう、いい加減にして欲しいとあきれるばかりです。
追悼、小室直樹先生。あなたのおっしゃるとおり。「特捜は廃止」が筋ですよね。
2010年10月5日Twitterを見ていたら、中田安彦さんが、小室直樹先生について語る宮台真司の音声データの紹介をしてくださっておりました。
●追悼・小室直樹。弟子が語る、小室さんの本当の功績とは
http://www.tbs.co.jp/radio/dc/fri/
その内容が、思ってたよりまともに小室先生の偉大さを表現していたし、内容的にも、あまりに無茶苦茶な「小沢強制起訴」が行われた、いまの時期にばっちりだったので、半分くらいテキスト起ししてみました。
これを読んで、この強制起訴をされた小沢さんに「離党も」とか言ってる議員が、いかに無茶苦茶で、とんでもないアホ・バカかを知っていただきたいです。岡田さんはまだまともだと思っていただけにかなり失望は大きい。前野、仙石、枝野、あたりは完全に低脳ですわ。
(テキスト起し開始:以下宮台真司のしゃべりです。)-----------------------
(司会の女性アナが小室先生の紹介文を読み、その中で「評論家、小室直樹さんは」となっていたのを受けて…)評論家という肩書きには異論があって、やっぱり社会科学者、政治社会学者、政治経済学者というのが良いと思います。
小室先生は、田中角栄裁判の時に、まずは検察の捜査のやり方が滅茶苦茶、つまり特捜検察がいかに近代法の原則を守っていないのかを縷々語った。あるいはそれだけじゃなくて、コーチャンの嘱託尋問調書という反対尋問のないこれを、証拠採用した裁判所が、いかに近代法の原則をわきまえていないのかと言うことを徹底的に糺弾をされた方なんですよね。
加えて言うならば、それを全部横に置いて、田中角栄さんがたとえ有罪、つまり黒であったにしても、マックスウェーバーの政治倫理の議論を持ち出しまして、最終的に一国の運命を左右する力のある人間であれば、市民法の適応を除外するべきだ、すなわち、即、指揮権発動して、田中角栄を釈放するべきだ、という事を、堂々論陣を張られた方なんですよ。
こうした議論はですね、まぁ当時から考えて、ま、30年遅れでやっといま特捜問題が、こういうふうにして、話題になったことによって、僕たち議論できるようになった。でも、くやしいです。僕はもう昔から特捜検察は廃止論です。それは小室先生から意志を引き継いだものです。
それだけじゃない。たとえば、「ソビエト帝国の崩壊」は1983年、つまりソビエト帝国が崩壊する、事実上、1991年崩壊ですからですね、7年前にお書きになってらっしゃるんですね。で、これは予言ではなくて、どうしてソビエト帝国が崩壊せざるを得ないのかって事を理論的に緻密に検証したんです。さらに、その2年後だと思いますが、その続編を書かれて、ソビエト帝国が崩壊してロシアになった後、どうなるのか? 資本主義になるのか? ならない。マフィア経済がはびこって、どうなる、こうなるって事を事細かにシミュレーションされた。
完璧にその通りのロシアになりましたよね。
つまりこれは予言ではない、水晶玉じゃなくって学問的な業績なんですよ。
で、僕はやっぱり、この小室先生のですね、博覧強記な学問への情熱、これに打たれました。
たとえばですよ、普通経済学、東大の経済学部、二年間で専門課程学びますよね? 小室ゼミはその中身を一週間でやるんですよ。
あるいはウェーバーの宗教社会学、社会学の講座では、大学院、大学等では普通一年間かけてやるんだけれど、二日間でやるんですよ。その代わり朝から晩までやるわけで、ほとんど徹夜状態で、トランス状態になる感じですか? それで学ぶんですよね。
なので僕はもう、当時からですね、自分は社会学者が専門ですとかっていう風に、学生の分際で言えなくなりました。つまり、東大の社会学とか、東大の経済学程度のね、簡単に言えば低レベルであれば、本気でやれば全部できるわけです。
経済学も、社会学も、政治学も、政治哲学も、哲学も、文化人類学も、民俗学も、社会学も、全部出来て当たり前なんだ!っていう風なメッセージを受け取りました。
だから実際、僕も一生懸命、その彼のメッセージに応えようと思って、いろんな学問を学生時代に勉強した記憶があり、それがすごく、いまにも役立っています。
(テキスト起し終了)-----------------------
ということです。
わかってる人はわかってますが、田中角栄は特捜という中世以前の暗黒時代の仕組みをもった機関に刺されて、政治生命を失った、国民的英雄だってことなんです。
そして、角栄が刺されたときに、実は日本の民主主義の崩壊と、経済的な没落は決定づけられたと言ってもいいのです。
以降、日本国民は、僕自身を含めて「クリーンな政治」などという、まぁ科学で言えば「永久機関」とか、「不老不死」みたいなお題目に振り回されて、国民から真に支持されてきた国民的代議士を次々と政治的に葬り去られてきたわけです。
そして、延々、官僚どもによる暗黒の支配が続いた。
で、現管内閣も同じです。
前に天下りの話でも書きましたけど、問題は、彼らが無能だ、ということなんです。有能なら税金なんかつけなくても、企業が高給を払います。でも無能だから税金付きのおみやげにしないと誰もやとわない。そこが問題なんです。
その無能の根幹は「東大の無能」にあります。
実は東大なぞ、入試こそ厳しいですが、授業内容に関しては、世界のキックアウト式の大学から比べたら鼻くそなんですよ。それが上に書いてある「小室ゼミ」の話。
宮台さんという人は、ケレンの好きな人だから小室がすごい!と持ち上げることで自分の価値を上げようとしてますが、別に小室さんの小室ゼミが強烈なのではなくて、世界標準の大学のゼミなら、まぁ、その程度はやるって事です。それが現実なんです。(さすがに徹夜ってのはないでしょうから、かなり厳しめではあると思いますが。)
いまの日本は無能の寄り集まりが政権を運営していて、こんなもの、小室先生ほどの素晴らしい頭を持っていない僕ですら「日本国の崩壊」を予言できます。まぁ1年持たないわなぁ、ここまでひどい政権だと。
ともあれ、民主党の代表選が終わった後でも、週刊誌やら夕刊紙やらでは、えんえん「小沢待望論」がえんえんと続いて書かれてました。こんなことも珍しいでしょう。まぁ、おそらく多くのメディアが「あれは捏造だったんだろうなぁ」と薄々感づいてるということでしょう。証拠がないから、何とも言えないけど。
今回の検察審査会にしたって、本当に「平均年齢30才」の、一般国民から選別された「審査会」があったのかどうかすらわかりゃしない。かなり杜撰な状態です。
ようは小沢さんが怖いから、だまってて欲しいというだけ。これで裁判に忙殺されてしまうので、小沢さんは完全に死に筋に立たされてしまった。政治謀略以外の何ものでもない。ここまでするか?菅よ、仙石よ。おまえら、あまりに能なしすぎるぞ、ッちゅう話でねぇ。ほんまにひどいです。
ま、もう、他に語ることもないです。いまの政府はどうしようもないバカ、無能ということで、ただ黙って見てるしかない。
やれやれ。
それもこれも、我々日本人がバカだからいかんのです。
せめて小室先生のご著書くらいは、キチンと読みましょう。
そうすれば、特捜があまりにひどいということも分かってきます。
まずは世界標準で、日本国民自身が政治の仕組みや理念自体を、まるきり分かってないのが大問題なんだ、我々が未開の地の土人だから、まともな政治が行われないんだ、という自覚を持ちましょう。
それしか他に言うことがないです。
はい。
●追悼・小室直樹。弟子が語る、小室さんの本当の功績とは
http://www.tbs.co.jp/radio/dc/fri/
その内容が、思ってたよりまともに小室先生の偉大さを表現していたし、内容的にも、あまりに無茶苦茶な「小沢強制起訴」が行われた、いまの時期にばっちりだったので、半分くらいテキスト起ししてみました。
これを読んで、この強制起訴をされた小沢さんに「離党も」とか言ってる議員が、いかに無茶苦茶で、とんでもないアホ・バカかを知っていただきたいです。岡田さんはまだまともだと思っていただけにかなり失望は大きい。前野、仙石、枝野、あたりは完全に低脳ですわ。
(テキスト起し開始:以下宮台真司のしゃべりです。)-----------------------
(司会の女性アナが小室先生の紹介文を読み、その中で「評論家、小室直樹さんは」となっていたのを受けて…)評論家という肩書きには異論があって、やっぱり社会科学者、政治社会学者、政治経済学者というのが良いと思います。
小室先生は、田中角栄裁判の時に、まずは検察の捜査のやり方が滅茶苦茶、つまり特捜検察がいかに近代法の原則を守っていないのかを縷々語った。あるいはそれだけじゃなくて、コーチャンの嘱託尋問調書という反対尋問のないこれを、証拠採用した裁判所が、いかに近代法の原則をわきまえていないのかと言うことを徹底的に糺弾をされた方なんですよね。
加えて言うならば、それを全部横に置いて、田中角栄さんがたとえ有罪、つまり黒であったにしても、マックスウェーバーの政治倫理の議論を持ち出しまして、最終的に一国の運命を左右する力のある人間であれば、市民法の適応を除外するべきだ、すなわち、即、指揮権発動して、田中角栄を釈放するべきだ、という事を、堂々論陣を張られた方なんですよ。
こうした議論はですね、まぁ当時から考えて、ま、30年遅れでやっといま特捜問題が、こういうふうにして、話題になったことによって、僕たち議論できるようになった。でも、くやしいです。僕はもう昔から特捜検察は廃止論です。それは小室先生から意志を引き継いだものです。
それだけじゃない。たとえば、「ソビエト帝国の崩壊」は1983年、つまりソビエト帝国が崩壊する、事実上、1991年崩壊ですからですね、7年前にお書きになってらっしゃるんですね。で、これは予言ではなくて、どうしてソビエト帝国が崩壊せざるを得ないのかって事を理論的に緻密に検証したんです。さらに、その2年後だと思いますが、その続編を書かれて、ソビエト帝国が崩壊してロシアになった後、どうなるのか? 資本主義になるのか? ならない。マフィア経済がはびこって、どうなる、こうなるって事を事細かにシミュレーションされた。
完璧にその通りのロシアになりましたよね。
つまりこれは予言ではない、水晶玉じゃなくって学問的な業績なんですよ。
で、僕はやっぱり、この小室先生のですね、博覧強記な学問への情熱、これに打たれました。
たとえばですよ、普通経済学、東大の経済学部、二年間で専門課程学びますよね? 小室ゼミはその中身を一週間でやるんですよ。
あるいはウェーバーの宗教社会学、社会学の講座では、大学院、大学等では普通一年間かけてやるんだけれど、二日間でやるんですよ。その代わり朝から晩までやるわけで、ほとんど徹夜状態で、トランス状態になる感じですか? それで学ぶんですよね。
なので僕はもう、当時からですね、自分は社会学者が専門ですとかっていう風に、学生の分際で言えなくなりました。つまり、東大の社会学とか、東大の経済学程度のね、簡単に言えば低レベルであれば、本気でやれば全部できるわけです。
経済学も、社会学も、政治学も、政治哲学も、哲学も、文化人類学も、民俗学も、社会学も、全部出来て当たり前なんだ!っていう風なメッセージを受け取りました。
だから実際、僕も一生懸命、その彼のメッセージに応えようと思って、いろんな学問を学生時代に勉強した記憶があり、それがすごく、いまにも役立っています。
(テキスト起し終了)-----------------------
ということです。
わかってる人はわかってますが、田中角栄は特捜という中世以前の暗黒時代の仕組みをもった機関に刺されて、政治生命を失った、国民的英雄だってことなんです。
そして、角栄が刺されたときに、実は日本の民主主義の崩壊と、経済的な没落は決定づけられたと言ってもいいのです。
以降、日本国民は、僕自身を含めて「クリーンな政治」などという、まぁ科学で言えば「永久機関」とか、「不老不死」みたいなお題目に振り回されて、国民から真に支持されてきた国民的代議士を次々と政治的に葬り去られてきたわけです。
そして、延々、官僚どもによる暗黒の支配が続いた。
で、現管内閣も同じです。
前に天下りの話でも書きましたけど、問題は、彼らが無能だ、ということなんです。有能なら税金なんかつけなくても、企業が高給を払います。でも無能だから税金付きのおみやげにしないと誰もやとわない。そこが問題なんです。
その無能の根幹は「東大の無能」にあります。
実は東大なぞ、入試こそ厳しいですが、授業内容に関しては、世界のキックアウト式の大学から比べたら鼻くそなんですよ。それが上に書いてある「小室ゼミ」の話。
宮台さんという人は、ケレンの好きな人だから小室がすごい!と持ち上げることで自分の価値を上げようとしてますが、別に小室さんの小室ゼミが強烈なのではなくて、世界標準の大学のゼミなら、まぁ、その程度はやるって事です。それが現実なんです。(さすがに徹夜ってのはないでしょうから、かなり厳しめではあると思いますが。)
いまの日本は無能の寄り集まりが政権を運営していて、こんなもの、小室先生ほどの素晴らしい頭を持っていない僕ですら「日本国の崩壊」を予言できます。まぁ1年持たないわなぁ、ここまでひどい政権だと。
ともあれ、民主党の代表選が終わった後でも、週刊誌やら夕刊紙やらでは、えんえん「小沢待望論」がえんえんと続いて書かれてました。こんなことも珍しいでしょう。まぁ、おそらく多くのメディアが「あれは捏造だったんだろうなぁ」と薄々感づいてるということでしょう。証拠がないから、何とも言えないけど。
今回の検察審査会にしたって、本当に「平均年齢30才」の、一般国民から選別された「審査会」があったのかどうかすらわかりゃしない。かなり杜撰な状態です。
ようは小沢さんが怖いから、だまってて欲しいというだけ。これで裁判に忙殺されてしまうので、小沢さんは完全に死に筋に立たされてしまった。政治謀略以外の何ものでもない。ここまでするか?菅よ、仙石よ。おまえら、あまりに能なしすぎるぞ、ッちゅう話でねぇ。ほんまにひどいです。
ま、もう、他に語ることもないです。いまの政府はどうしようもないバカ、無能ということで、ただ黙って見てるしかない。
やれやれ。
それもこれも、我々日本人がバカだからいかんのです。
せめて小室先生のご著書くらいは、キチンと読みましょう。
そうすれば、特捜があまりにひどいということも分かってきます。
まずは世界標準で、日本国民自身が政治の仕組みや理念自体を、まるきり分かってないのが大問題なんだ、我々が未開の地の土人だから、まともな政治が行われないんだ、という自覚を持ちましょう。
それしか他に言うことがないです。
はい。