なぜ人は砂漠で溺死するのか?
2010年10月1日コメント (14)
今日は、一昨日買って、昨日読み終えてしまった本のご紹介。
●なぜ人は砂漠で溺死するのか?
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4840134952
この本はタイトルも面白いですが、内容も実に面白いです。法医学者の方の実体験に基づいた、現代の日本人の「死」の実態が、「ええええ、そうなんや!」と驚くべき具体例とともに語られていて、実に興味深く読めました。
実は、この本を読みたいと思ったのは、この本の中に、
●風呂溺(ふろでき)
の話が書いてあったからなのです。
風呂溺って知ってますか。お風呂で溺死する人の事なんです。
実は中学からの友人のお父さんが、この「風呂溺」でなくなったんですよ。だからものすごく気になったわけです。そのお父さんは、多少腰痛はあったものの、至って元気だったので誰もそんな「風呂溺」になるなんて思ってなかったわけです。なんせ、ある機械部品メーカーの社長さんでしたからな。現役バリバリで会社を経営されてたんですから。
僕の友人は、自分の父親が少し腰痛があるということも知っていたから、風呂に手すりをつけてやったりしてたわけです。お父さんも喜んで、これでゆっくり風呂に入れると風呂に入れる事を楽しみにしていた。
そんなある日、食事の後、晩酌をして、いつものようにお父さんはお風呂に入ったわけですが、どうも入っている時間が長い。それにお母さんが気づいたわけです。で、どうしたのかしら?と声をかけてみるが、返事がない。おそるおそる風呂場を覗いてみると、湯船でお父さんはぐったりしていた、という話なんですね。
なんじゃ、そりゃ!
てなもんです。体のどこが悪いという事もなかったんですよ?僕の友人もかなり驚いたらしいんですが、僕だって驚きました。「え?あの元気なお父さんが?」って感じです。わけがわからない。
とは言え、こういう原因不明の死亡の場合、大阪だと行政解剖に回されるのです。事件性がないかどうか、ということで。で、その結果、事件性はなし。で、解剖所見による死因は「溺死」となっておるわけです。
ほんとうに、これが釈然としませんで、「どういうことなんや。」と、ずっと気がかりだったんです。
ところが!
この本を読むと、そのあたりの事情が、全部、いっぺんに分かってしまいました。
驚くなかれ、「風呂溺」というのは、いまや交通事故より多い死因のひとつになっているんですね。知らなかった。
人の死因としては、かなりポピュラーなものであるのに、病気でもなければ、事故でもない、「異常死」ということで、「わからないもの」となってしまって、キチンと存在が知られていないだけ、という、とんでもない死因になってしまってるわけです。
実際、その友人も「原因は不明で…」と言うしかなかったんですね。親戚にも、原因不明で風呂で溺死した、という言い方しかできなかった。会社で行われた「お別れの会」でも、おなじく原因不明で風呂で溺死した、という言い方になっていただろうと思われるのです。
しかし、原因は不明ですが、これだけ実例が多ければ、推定はできるわけで、それは、
●食後の飲酒状態で血管が拡張されたまま風呂に入り血流が不足して、脳が虚血状態になって意識を失い、意識のないまま浴槽に沈み込んで溺死した。
ということなんですね。
つまり、
●メシ食って、晩酌して、それから風呂に入ったら溺死するかも。
という、とんでもない「死の危険」が、日常生活の中に存在しているっちゅう話なんですよ。
日本人は風呂好きですからな。しかも、なぜか晩飯、晩酌の後に「ひとっ風呂浴びて寝るか。」というパターンが意外に多いわけです。
でも、その生活パターンこそが、死に直結しているという、とんでもない話なわけです。
これは、まだ大阪や東京のように行政解剖の仕組みのある都道府県なら、少なくとも解剖したお医者さんには「ああ、風呂溺だなぁ」とわかるわけですが、地方だと、実は解剖自体があまり行われないので、「単なる変死」で済まされちゃうわけです。「原因不明の事故死」という感覚の扱いですね。
実は、こういう「異常死」というのは比率としてかなり高くて、全死亡者のうち2割は「異常死」なんだそうです。(異常死には、自殺も含まれます。)
人間は、いったいどこでどんな風にして死ぬか、わかったものではない、という話が、この本のなかではえんえんと続きます。
自殺にしても、「これはいったいどうやって自殺したんだろう?果たして自殺なのか?」というような事案もかなりあるようなんですね。たとえば、二階のベランダから首つり自殺をしたけれど、途中でヒモが外れてどこかに飛んでいってしまったとか。
とにかく「死」というと病死や事故死しか思いつかないわけですが、本当にどこでどんな風に死ぬかわかったものではないんですね。
祭りに出かけたら、人混みがすごくて、そこで階段を踏み外して何十人が死んだとか。こういうのは、圧死とは言いますが、重さで押しつぶされて死ぬのではなくて、上からの重みに、肺を動かす横隔膜などの筋肉が負けてしまって肺を動かせず、呼吸できなくなって窒息するのだそうです。
なんちゅうかたまらん死に方ですが、それも、ちょっとした人混みでなら、いつ起きてもおかしくないわけですね。
------------------
この本の最後にも書かれてましたが、結局、日本人の文化というのは、「嫌なものを直視しない」という弱腰なところがありまして、そういう傾向の結果、死体解剖などの「人の死の原因を特定する」という仕組みが、ものすごく弱くなっているわけです。
でも実際には、病死か事故死かで、下りる保険金額も変わってきますし、本当はものすごく重要な事なんですね。
人の死もまた、人間の重要な権利なわけです。死の権利を正しく認識してないと、良く生きるということもできません。
でも、日本人は「人の死を明確化する」という現実直視が得意でないので、死体解剖の仕組みが東京23区と大阪、横浜など特定の地域でしか充実していないんです。
知ってる人は知ってますが、地方での死亡事故のうち、実は他殺だったというものも見過ごされている場合がけっこうあるのです。警察官がとおりいっぺんの判断で「ああ、これは事故だね」と済ませているような事案が少なからずある。
しかし、欧米では、人が死んだら必ず司法解剖なり行政解剖などが行われるという国も少なくないそうです。なぜなら、それが人間個人の基本的人権だからなんですね。
つまり、日本ではまだまだ、「基本的人権」すら守られていない、というのが実情なんです。これは文化的な習慣ですから、かなり意識して「人権を守るために行政解剖を義務づけよう」というような運動でも起こらない限り、変えていくことは出来ないことだと思います。
日本の文化は、実はかなり「基本的人権」を踏みにじっていて、人間が誕生するときから「母体保護法」などで幼い命が奪われることが合法化されてますし、
中国からやってきた儒教の影響で「年長者を敬うことが礼儀にかなった事だ」という発想が日本人にはあって(でも、それは中国からの直輸入なので、あくまで付け焼き刃でしかありませんけども。)、日本の仕組みや文化では、やたら「年寄り重視」になりすぎてるんですね。
年金の仕組みは重視して、長生きはいいことだ、という言い方はしますが、若い夫婦が子どもを産みやすい環境を作るというところには力を入れていない。また逆に母体保護法のように若い夫婦の矛盾を幼い子どもに押しつけるのを当然としている。本来、年若き人間が年長者を敬い、年長者が幼いものを慈しむという「長幼の序」の考え方が、片方だけの一方通行になっていて、まさに弱者虐待の思想・社会体制になってしまっています。
実は、いまの官僚制度にしても、ようは「年功序列」になっていて、国の体制自体が弱者虐待の仕組みなんですね。
若い役人で安月給で理想の社会システムを、あれこれ想を練っているような人はいてるにはいてると思うのですが、そういう人材は年功序列の仕組みの中で、まったく重用されない。
反小沢と親小沢、とか言ってますけど、そういう解りにくい言い方などをするより、
●年功序列主義の官僚組織対、実力主義の国民・政治家集団
というように色分けした方が、はるかに解りやすいんです。実力主義になれば、官僚の中の有能な人も表に出やすくなる。でも、いまは、それは決して許されていないってことですね。
死体解剖が義務づけられていない、ということと、母体保護法で堕胎が合法化されていると言うことは、
●文句すら言えない「最弱者」である、死者と乳児の権利をふみにじっている。
というだけの話なんですね。
そして、そういう「最弱者」を踏みにじっていたら、結局は、生きている自分たちの間の「格差」も埋まりはしない、ということなんです。
このあたり、実感をもって感じ取れる「例題の書」として、この本は面白かったですね。
あ、ちなみに、砂漠でなぜ人が溺れるのかは、書店で手にとってご確認くださいませ。
●なぜ人は砂漠で溺死するのか?
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4840134952
この本はタイトルも面白いですが、内容も実に面白いです。法医学者の方の実体験に基づいた、現代の日本人の「死」の実態が、「ええええ、そうなんや!」と驚くべき具体例とともに語られていて、実に興味深く読めました。
実は、この本を読みたいと思ったのは、この本の中に、
●風呂溺(ふろでき)
の話が書いてあったからなのです。
風呂溺って知ってますか。お風呂で溺死する人の事なんです。
実は中学からの友人のお父さんが、この「風呂溺」でなくなったんですよ。だからものすごく気になったわけです。そのお父さんは、多少腰痛はあったものの、至って元気だったので誰もそんな「風呂溺」になるなんて思ってなかったわけです。なんせ、ある機械部品メーカーの社長さんでしたからな。現役バリバリで会社を経営されてたんですから。
僕の友人は、自分の父親が少し腰痛があるということも知っていたから、風呂に手すりをつけてやったりしてたわけです。お父さんも喜んで、これでゆっくり風呂に入れると風呂に入れる事を楽しみにしていた。
そんなある日、食事の後、晩酌をして、いつものようにお父さんはお風呂に入ったわけですが、どうも入っている時間が長い。それにお母さんが気づいたわけです。で、どうしたのかしら?と声をかけてみるが、返事がない。おそるおそる風呂場を覗いてみると、湯船でお父さんはぐったりしていた、という話なんですね。
なんじゃ、そりゃ!
てなもんです。体のどこが悪いという事もなかったんですよ?僕の友人もかなり驚いたらしいんですが、僕だって驚きました。「え?あの元気なお父さんが?」って感じです。わけがわからない。
とは言え、こういう原因不明の死亡の場合、大阪だと行政解剖に回されるのです。事件性がないかどうか、ということで。で、その結果、事件性はなし。で、解剖所見による死因は「溺死」となっておるわけです。
ほんとうに、これが釈然としませんで、「どういうことなんや。」と、ずっと気がかりだったんです。
ところが!
この本を読むと、そのあたりの事情が、全部、いっぺんに分かってしまいました。
驚くなかれ、「風呂溺」というのは、いまや交通事故より多い死因のひとつになっているんですね。知らなかった。
人の死因としては、かなりポピュラーなものであるのに、病気でもなければ、事故でもない、「異常死」ということで、「わからないもの」となってしまって、キチンと存在が知られていないだけ、という、とんでもない死因になってしまってるわけです。
実際、その友人も「原因は不明で…」と言うしかなかったんですね。親戚にも、原因不明で風呂で溺死した、という言い方しかできなかった。会社で行われた「お別れの会」でも、おなじく原因不明で風呂で溺死した、という言い方になっていただろうと思われるのです。
しかし、原因は不明ですが、これだけ実例が多ければ、推定はできるわけで、それは、
●食後の飲酒状態で血管が拡張されたまま風呂に入り血流が不足して、脳が虚血状態になって意識を失い、意識のないまま浴槽に沈み込んで溺死した。
ということなんですね。
つまり、
●メシ食って、晩酌して、それから風呂に入ったら溺死するかも。
という、とんでもない「死の危険」が、日常生活の中に存在しているっちゅう話なんですよ。
日本人は風呂好きですからな。しかも、なぜか晩飯、晩酌の後に「ひとっ風呂浴びて寝るか。」というパターンが意外に多いわけです。
でも、その生活パターンこそが、死に直結しているという、とんでもない話なわけです。
これは、まだ大阪や東京のように行政解剖の仕組みのある都道府県なら、少なくとも解剖したお医者さんには「ああ、風呂溺だなぁ」とわかるわけですが、地方だと、実は解剖自体があまり行われないので、「単なる変死」で済まされちゃうわけです。「原因不明の事故死」という感覚の扱いですね。
実は、こういう「異常死」というのは比率としてかなり高くて、全死亡者のうち2割は「異常死」なんだそうです。(異常死には、自殺も含まれます。)
人間は、いったいどこでどんな風にして死ぬか、わかったものではない、という話が、この本のなかではえんえんと続きます。
自殺にしても、「これはいったいどうやって自殺したんだろう?果たして自殺なのか?」というような事案もかなりあるようなんですね。たとえば、二階のベランダから首つり自殺をしたけれど、途中でヒモが外れてどこかに飛んでいってしまったとか。
とにかく「死」というと病死や事故死しか思いつかないわけですが、本当にどこでどんな風に死ぬかわかったものではないんですね。
祭りに出かけたら、人混みがすごくて、そこで階段を踏み外して何十人が死んだとか。こういうのは、圧死とは言いますが、重さで押しつぶされて死ぬのではなくて、上からの重みに、肺を動かす横隔膜などの筋肉が負けてしまって肺を動かせず、呼吸できなくなって窒息するのだそうです。
なんちゅうかたまらん死に方ですが、それも、ちょっとした人混みでなら、いつ起きてもおかしくないわけですね。
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この本の最後にも書かれてましたが、結局、日本人の文化というのは、「嫌なものを直視しない」という弱腰なところがありまして、そういう傾向の結果、死体解剖などの「人の死の原因を特定する」という仕組みが、ものすごく弱くなっているわけです。
でも実際には、病死か事故死かで、下りる保険金額も変わってきますし、本当はものすごく重要な事なんですね。
人の死もまた、人間の重要な権利なわけです。死の権利を正しく認識してないと、良く生きるということもできません。
でも、日本人は「人の死を明確化する」という現実直視が得意でないので、死体解剖の仕組みが東京23区と大阪、横浜など特定の地域でしか充実していないんです。
知ってる人は知ってますが、地方での死亡事故のうち、実は他殺だったというものも見過ごされている場合がけっこうあるのです。警察官がとおりいっぺんの判断で「ああ、これは事故だね」と済ませているような事案が少なからずある。
しかし、欧米では、人が死んだら必ず司法解剖なり行政解剖などが行われるという国も少なくないそうです。なぜなら、それが人間個人の基本的人権だからなんですね。
つまり、日本ではまだまだ、「基本的人権」すら守られていない、というのが実情なんです。これは文化的な習慣ですから、かなり意識して「人権を守るために行政解剖を義務づけよう」というような運動でも起こらない限り、変えていくことは出来ないことだと思います。
日本の文化は、実はかなり「基本的人権」を踏みにじっていて、人間が誕生するときから「母体保護法」などで幼い命が奪われることが合法化されてますし、
中国からやってきた儒教の影響で「年長者を敬うことが礼儀にかなった事だ」という発想が日本人にはあって(でも、それは中国からの直輸入なので、あくまで付け焼き刃でしかありませんけども。)、日本の仕組みや文化では、やたら「年寄り重視」になりすぎてるんですね。
年金の仕組みは重視して、長生きはいいことだ、という言い方はしますが、若い夫婦が子どもを産みやすい環境を作るというところには力を入れていない。また逆に母体保護法のように若い夫婦の矛盾を幼い子どもに押しつけるのを当然としている。本来、年若き人間が年長者を敬い、年長者が幼いものを慈しむという「長幼の序」の考え方が、片方だけの一方通行になっていて、まさに弱者虐待の思想・社会体制になってしまっています。
実は、いまの官僚制度にしても、ようは「年功序列」になっていて、国の体制自体が弱者虐待の仕組みなんですね。
若い役人で安月給で理想の社会システムを、あれこれ想を練っているような人はいてるにはいてると思うのですが、そういう人材は年功序列の仕組みの中で、まったく重用されない。
反小沢と親小沢、とか言ってますけど、そういう解りにくい言い方などをするより、
●年功序列主義の官僚組織対、実力主義の国民・政治家集団
というように色分けした方が、はるかに解りやすいんです。実力主義になれば、官僚の中の有能な人も表に出やすくなる。でも、いまは、それは決して許されていないってことですね。
死体解剖が義務づけられていない、ということと、母体保護法で堕胎が合法化されていると言うことは、
●文句すら言えない「最弱者」である、死者と乳児の権利をふみにじっている。
というだけの話なんですね。
そして、そういう「最弱者」を踏みにじっていたら、結局は、生きている自分たちの間の「格差」も埋まりはしない、ということなんです。
このあたり、実感をもって感じ取れる「例題の書」として、この本は面白かったですね。
あ、ちなみに、砂漠でなぜ人が溺れるのかは、書店で手にとってご確認くださいませ。
捏造首相、菅に、「小沢の政策」をやらせよう。
2010年9月15日
しかしまぁ、ほんまに、菅首相は能なしですなぁ。ちょっとあまりにひどい。
というのは、まずなにより代表選の最後の演説で「私には夢があります」と言ったこと。
おいおい、それは小沢さんのスローガンやないか!スローガンの盗人かよ。あまりにひどいよなぁ。海外だと、選挙戦でそういう事をしたら訴訟ものだそうです。
この選挙戦の過程でいろいろ情報を得たんですが、菅が(とうとう呼び捨て対象に価値が下がりました。)やたらと何度も繰り返す「薬害エイズの解決」。あれもね、政治に詳しい人なら、当時の橋本首相のシナリオに菅が乗っただけなのだというのは明々白々なんだそうですよ。
もともと橋本さんは厚生族で「厚生族のドン」と呼ばれた人。で、あの薬害エイズが発生した原因が生まれた時期にも橋本首相が厚生大臣だったわけです。
だから、その尻ぬぐいを、自分の名前を出さずに(自分の名前を出してやると、自分の責任が問われるわけです。だから責任逃れですわな。)菅直人という、市民運動家あがりの、ちょっとハンサムな若造に「正義の味方」の役割を割り付けただけだったそうです。
だから、あのエイズの成果自体が菅の能力ではないわけ。だからこそ、菅の演説には、何度も何度も、そのエイズの成果の話が出てくる。他に何もやってないからですわ。何の政治的成果も上げてない。まったくのパーです。
で、小沢さんの方は、演説で政策を語った。まぁ、僕からすれば、もう少し経済政策に大きな夢のあるブチ上げ要素があっても良いのにと思いましたが、まぁ小沢さんはそういう派手な事は言わない人なんでしょう。たぶん。着実に実行できるであろう政策ばかりを並べてたわけです。
で、そういう小沢さんが出したキャッチフレーズが、「僕には夢がある」というもの。これはもう、選挙戦が始まった時からのぼりまで作ってやってたわけです。
知ってる人は知ってるでしょうけど、「僕には夢がある」っていうのは、あの「I have a dream.」の引用ですわね。中学校の英語の教科書にも載ってます。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアによって行われた演説の一句。「(いまは黒人と白人が別のパブや別のトイレを使うほどにひどい人種差別があるけれど)私の息子の世代には白人と黒人が同じテーブルで食事をする時代がやってくるだろう」という夢を語る演説です。
だから、わかってる人には「ああ、いまはまだ実現されていない政治主導を、なんとか実現したいという、そういう思いなんだなぁ」というのがよくわかるわけです。
ところが、それを、最後の最後の演説でぱくったわけですよ、菅は。これはかなりひどい。ひどい剽窃なんですがな。でも、それがひどい事なのだ、ということすら理解してないパーのようなんですよ。どうも。どうやら、そういうアホ・バカばっかりが集まってるのが、いまの菅内閣なんですわ。
あー、やれやれ。
でもまぁ、そこまでアホですからな。首相続投が決まったとたんに「小沢さんの政策には深みがある」とか言い出してます。また、パクるつもりかなぁ。いや、本気でパクれるわけはないねんけど、ちょっとでも真似てくれたら、かなりオモロイねんけどなぁ。アホやしあいつ。調子に乗せてやらせてまえ! いやほんま。
ちゅうことで、官僚、マスコミ、および米国の支持を受けている限り、かなり相当、ものすごく強烈なる権力と資金と組織力(闇も含めて)を持っているということですし、アメリカが瀕死の状態であえいでいるいま、大事な財布である日本をぜひとも管理下においておきたいわけですから、それはもう、ものすごい、なりふりかまわぬ総攻撃を仕掛けたに間違いないですわね。
まぁ今更言っても仕方ないけど、まず、菅・小沢の代表選自体が最初から仕組まれた出来レースだったということです。だってあのサポーター投票の数の差は、あまりに大きすぎます。よっぽど仕込みで何か工作しなけりゃ、あんな大差は開かないよなぁ。
と思ってたら、ネットで民主党のサポーター投票の用紙とその仕組みが明らかにされました。
添付した写真がその用紙。
こんなもん点線で切ったあとの部分はいくらでも偽造できるやんけ!
しかも!写真をよく見てくださいね、「封筒に入れずにそのままお出しください。」となってるわけです。どうよ、これ。ひどいね。
しかも!送り先は郵便局の局留めです。エロDVDの販売店か!(笑) 一国の総理を決める選挙の仕組みとは思えませんな。
34万人のサポーターがいたのに、実際に計上された票数は20万票くらいだったらしく、かなりの票が廃棄されたんじゃないか?とまで言われてます。
悪い奴はね、そこまでやるのよ。
こういう杜撰な仕組みのままであるなら、現行の執行部は「そういう悪いことやったんと違うの?」と疑われても仕方ないですわな。反論のしようがない。
が、逆に、あまりに杜撰なので、データの捏造があった、という証拠も出せんわけで。まぁ、かなーーーーーーーーーーーり疑わしいけど、いくら汚い事をやっても勝ちは勝ちなんよ。そういうもんだ、政治ってのは。だから、とにかく、そういう奴らである可能性がかなり高い、ということだけは、みんなでしっかり理解しましょう。
はい。
というのは、まずなにより代表選の最後の演説で「私には夢があります」と言ったこと。
おいおい、それは小沢さんのスローガンやないか!スローガンの盗人かよ。あまりにひどいよなぁ。海外だと、選挙戦でそういう事をしたら訴訟ものだそうです。
この選挙戦の過程でいろいろ情報を得たんですが、菅が(とうとう呼び捨て対象に価値が下がりました。)やたらと何度も繰り返す「薬害エイズの解決」。あれもね、政治に詳しい人なら、当時の橋本首相のシナリオに菅が乗っただけなのだというのは明々白々なんだそうですよ。
もともと橋本さんは厚生族で「厚生族のドン」と呼ばれた人。で、あの薬害エイズが発生した原因が生まれた時期にも橋本首相が厚生大臣だったわけです。
だから、その尻ぬぐいを、自分の名前を出さずに(自分の名前を出してやると、自分の責任が問われるわけです。だから責任逃れですわな。)菅直人という、市民運動家あがりの、ちょっとハンサムな若造に「正義の味方」の役割を割り付けただけだったそうです。
だから、あのエイズの成果自体が菅の能力ではないわけ。だからこそ、菅の演説には、何度も何度も、そのエイズの成果の話が出てくる。他に何もやってないからですわ。何の政治的成果も上げてない。まったくのパーです。
で、小沢さんの方は、演説で政策を語った。まぁ、僕からすれば、もう少し経済政策に大きな夢のあるブチ上げ要素があっても良いのにと思いましたが、まぁ小沢さんはそういう派手な事は言わない人なんでしょう。たぶん。着実に実行できるであろう政策ばかりを並べてたわけです。
で、そういう小沢さんが出したキャッチフレーズが、「僕には夢がある」というもの。これはもう、選挙戦が始まった時からのぼりまで作ってやってたわけです。
知ってる人は知ってるでしょうけど、「僕には夢がある」っていうのは、あの「I have a dream.」の引用ですわね。中学校の英語の教科書にも載ってます。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアによって行われた演説の一句。「(いまは黒人と白人が別のパブや別のトイレを使うほどにひどい人種差別があるけれど)私の息子の世代には白人と黒人が同じテーブルで食事をする時代がやってくるだろう」という夢を語る演説です。
だから、わかってる人には「ああ、いまはまだ実現されていない政治主導を、なんとか実現したいという、そういう思いなんだなぁ」というのがよくわかるわけです。
ところが、それを、最後の最後の演説でぱくったわけですよ、菅は。これはかなりひどい。ひどい剽窃なんですがな。でも、それがひどい事なのだ、ということすら理解してないパーのようなんですよ。どうも。どうやら、そういうアホ・バカばっかりが集まってるのが、いまの菅内閣なんですわ。
あー、やれやれ。
でもまぁ、そこまでアホですからな。首相続投が決まったとたんに「小沢さんの政策には深みがある」とか言い出してます。また、パクるつもりかなぁ。いや、本気でパクれるわけはないねんけど、ちょっとでも真似てくれたら、かなりオモロイねんけどなぁ。アホやしあいつ。調子に乗せてやらせてまえ! いやほんま。
ちゅうことで、官僚、マスコミ、および米国の支持を受けている限り、かなり相当、ものすごく強烈なる権力と資金と組織力(闇も含めて)を持っているということですし、アメリカが瀕死の状態であえいでいるいま、大事な財布である日本をぜひとも管理下においておきたいわけですから、それはもう、ものすごい、なりふりかまわぬ総攻撃を仕掛けたに間違いないですわね。
まぁ今更言っても仕方ないけど、まず、菅・小沢の代表選自体が最初から仕組まれた出来レースだったということです。だってあのサポーター投票の数の差は、あまりに大きすぎます。よっぽど仕込みで何か工作しなけりゃ、あんな大差は開かないよなぁ。
と思ってたら、ネットで民主党のサポーター投票の用紙とその仕組みが明らかにされました。
添付した写真がその用紙。
こんなもん点線で切ったあとの部分はいくらでも偽造できるやんけ!
しかも!写真をよく見てくださいね、「封筒に入れずにそのままお出しください。」となってるわけです。どうよ、これ。ひどいね。
しかも!送り先は郵便局の局留めです。エロDVDの販売店か!(笑) 一国の総理を決める選挙の仕組みとは思えませんな。
34万人のサポーターがいたのに、実際に計上された票数は20万票くらいだったらしく、かなりの票が廃棄されたんじゃないか?とまで言われてます。
悪い奴はね、そこまでやるのよ。
こういう杜撰な仕組みのままであるなら、現行の執行部は「そういう悪いことやったんと違うの?」と疑われても仕方ないですわな。反論のしようがない。
が、逆に、あまりに杜撰なので、データの捏造があった、という証拠も出せんわけで。まぁ、かなーーーーーーーーーーーり疑わしいけど、いくら汚い事をやっても勝ちは勝ちなんよ。そういうもんだ、政治ってのは。だから、とにかく、そういう奴らである可能性がかなり高い、ということだけは、みんなでしっかり理解しましょう。
はい。
二番底、決定。みなさん身構えてください。
2010年9月14日やはり、菅総理に決まりました。
マスコミの洗脳キャンペーンが功を奏したということです。
ツイッターでのきっこさんの意見をそのまま貼付けます。
--------------
kikko_no_blog 国会議員票がほぼ同数なのに、全国のサポーター票で大差がついたってことは、小沢に対する検察とマスコミのネガティブキャンペーンが功を奏したってことだね。これで自民党スタイルの官僚政治にUターン決定。マスコミの皆さんは今まで通りに機密費もらえてウハウハ。
--------------
ともあれ、これで政府の景気対策は上っ面になり、子供手当も満額払われるかどうかわからない、中身のない党に民主党は堕落したということです。
官僚主導のクーデターがマスコミとくっついて、ものすごい力を発揮したということです。
民主党議員の半分も、マスコミを味方に付けている方が強い、という事で納得したということでしょう。
この日本がもっとも重要な時に、方向転換できなかった事は、かなりの痛手です。国民1人1人が、しっかり身構えをしておかないと、どんな事になるかわかりません。まず、良い結果にはならないでしょう。強権的に大衆を支配する政府が、これから本格的に牙をむきます。国民経済もボロボロになるでしょう。
まずは、自分の生活を守ることです。それが大事です。
マスコミの洗脳キャンペーンが功を奏したということです。
ツイッターでのきっこさんの意見をそのまま貼付けます。
--------------
kikko_no_blog 国会議員票がほぼ同数なのに、全国のサポーター票で大差がついたってことは、小沢に対する検察とマスコミのネガティブキャンペーンが功を奏したってことだね。これで自民党スタイルの官僚政治にUターン決定。マスコミの皆さんは今まで通りに機密費もらえてウハウハ。
--------------
ともあれ、これで政府の景気対策は上っ面になり、子供手当も満額払われるかどうかわからない、中身のない党に民主党は堕落したということです。
官僚主導のクーデターがマスコミとくっついて、ものすごい力を発揮したということです。
民主党議員の半分も、マスコミを味方に付けている方が強い、という事で納得したということでしょう。
この日本がもっとも重要な時に、方向転換できなかった事は、かなりの痛手です。国民1人1人が、しっかり身構えをしておかないと、どんな事になるかわかりません。まず、良い結果にはならないでしょう。強権的に大衆を支配する政府が、これから本格的に牙をむきます。国民経済もボロボロになるでしょう。
まずは、自分の生活を守ることです。それが大事です。
小室直樹先生が、お亡くなりになりました。
2010年9月14日コメント (2)数日前に、小室直樹先生がお亡くなりになりました。
本当に尊敬している先生でしたので、少々ショックです。まだ78才というお話しですし。
心から、ご冥福をお祈りします。
ツイッターの方で連続ツイートで、その死を悼んだ文章を書いたのですが、何人かの方から同様に残念ですという返信をいただきました。
いま民主党代表選で、日本の民主主義が問われようとしている時に、この訃報。身を引き締めねばと思います。
民主主義の手続きの大切さも分かっていない人は、ぜひとも小室先生の著作を読んで、世界基準の知性に触れ、無知なままでいるということは、自分で自分の首をしめることにしかならないのだ、と言うことを、もう少し自覚して欲しいと思います。
(以下ツイッターより転載:一部加筆)---------------------------------
おはようございます。昨日、小室直樹さんが数日前(9月7日頃)お亡くなりになっていたことを知りました。社会学を中心に、経済、法学、宗教学、歴史、数学と実に幅広い分野での世界レベルでの「基礎素養」を教えていただいた気がします。心からご冥福をお祈りします。
あまりに偉大な方なので、いくつか書いておきたくなります。たとえば政治について語るにしても、たとえば三権分立の精神や、それに基づいた法体系、各部署の役割などを、正しく知っていなければ批判もできなければ、意見もできるわけがありません。そういう大枠を語ったのが小室先生です。
日本人は、政治や社会の仕組み、たとえば「自由」や「民主的」ということを、明治以来学び続けていますが、まだまだ日本人的解釈で適当に考えているところが多いようです。そういう「知ってるつもり」の部分を、懇切ていねいに、分かりやすく教えてくださったのが小室先生です。
生粋の学者さんであり、学者魂のかたまりというような方でしたから、自分の意見をとうとうと述べると言うことは、実は少なく、「学問的に解釈が間違っている」とか、「法の精神の運用を間違えている」というような事に関して厳しく是正する、というご意見が多かったと思います。
どんなにしっかりと考えられた民主的な「手続き」であったとしても、「運用」が間違っていれば、正しい機能を発揮しません。車のオーナーになってもブレーキとアクセルを踏み間違えたらとんでもないことになります。小室先生のご著書には、つねにそういう「本質」が書かれていました。
実は1980年に発刊された小室先生初の一般向け書籍である『ソビエト帝国の崩壊』
●ソビエト帝国の崩壊―瀕死のクマが世界であがく
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B000J8688G/249-9767057-8485143
を当時、僕は読んでいます。1991年のソ連の崩壊を予言した書として、後から評価が高まったようですが、それとは知らず、ただ社会の機能構造分析の考え方の面白さに大変感心したものでした。
その後僕はライターとして仕事を始めて、ある時期に自分の歴史無知を恥ずかしく思い、織田信長関連の書籍を10冊以上一気読みしたことがあるのですが、その最後に読んだのが小室先生の「信長の呪い」
●信長の呪い―かくて、近代日本は生まれた
ISBN:4334005179 新書 小室 直樹 光文社 1992/01 ¥805
でした。それまで読んだどの信長本より、この本がもっとも優れた内容だと深く感心しました。
(この本は、前にこの日記で紹介しています。)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200501040120120000/
日本では、歴史と言えば司馬遼太郎という定番がありますが、司馬遼太郎の信長を扱った小説「国盗り物語」では、「桶狭間の戦い」は谷間での合戦になっています。しかし、もっとも史実に忠実だと言われる「信長公記」には「おけはざまやま」と「山」の記述になっています。
この事実を指摘していたのが小室先生の「信長の呪い」で、資料を読む場合には一文字とて読み過ごしては大きな間違いをすると言うことを学んだ気がします。ライターをやっていて、そういう資料をキチンと読むという態度を身につけるにおいても、多くを学ばせていただいたと思っています。
その後、「痛快!憲法学」
●痛快!憲法学
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797670312
(現在は「憲法原論」というタイトルで出ています。)
●日本人のための憲法原論
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797671459
で、
ヨーロッパの歴史と法、民主主義のあるべき姿を学び、「宗教原論」
●日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4198611688
で世界の重要な宗教の本質について知識をいただきました。どの本もわかりやすく面白いのに、世界基準での学問常識がキチンと学べます。すごい。
「学恩」という言葉があるのですが、小室先生には、まさに「学恩」を感じています。人は死んでしまうと何も残らない事が多いのですが、先生の場合には多くの素晴らしいご著書がありますので、それが今後も多くの方に広く読まれたらいいなぁと思います。
小室直樹先生は、時に奇人という評価が先行してしまう事が多かったのですが、結局、この20年くらいで着実に評価は上がってきていると思いますし、ネットでも10年前とは比べものにならないほど高評価になっているように感じます。
小室先生のご著書は、世界基準での学問を身につけるのに最適で、ひとりでも多くの日本人に読んでもらいたいと感じます。このツイートが気になった方は、ぜひ書店で手にとって読んでみてください。驚天動地の学問体験を得られます。素晴らしいです。ぜひどうぞ。
(ツイッターよりの転載終了)-------------------------------------------
そのほか、この日記でも、小室先生の話は、何度も書いてます。
知るよろこび
http://hitoyomi.diarynote.jp/200801120832090000/
小室直樹先生、老いて、なお軒昂なり。2009年5月17日
http://hitoyomi.diarynote.jp/200905171330001449/
興味のある方はどうぞ。
これからの日本は、我々の肩にかかっているのだ、と言うことを強く感じます。みなさんもゆっくりと自覚していってください。
よろしくお願いします。
本当に尊敬している先生でしたので、少々ショックです。まだ78才というお話しですし。
心から、ご冥福をお祈りします。
ツイッターの方で連続ツイートで、その死を悼んだ文章を書いたのですが、何人かの方から同様に残念ですという返信をいただきました。
いま民主党代表選で、日本の民主主義が問われようとしている時に、この訃報。身を引き締めねばと思います。
民主主義の手続きの大切さも分かっていない人は、ぜひとも小室先生の著作を読んで、世界基準の知性に触れ、無知なままでいるということは、自分で自分の首をしめることにしかならないのだ、と言うことを、もう少し自覚して欲しいと思います。
(以下ツイッターより転載:一部加筆)---------------------------------
おはようございます。昨日、小室直樹さんが数日前(9月7日頃)お亡くなりになっていたことを知りました。社会学を中心に、経済、法学、宗教学、歴史、数学と実に幅広い分野での世界レベルでの「基礎素養」を教えていただいた気がします。心からご冥福をお祈りします。
あまりに偉大な方なので、いくつか書いておきたくなります。たとえば政治について語るにしても、たとえば三権分立の精神や、それに基づいた法体系、各部署の役割などを、正しく知っていなければ批判もできなければ、意見もできるわけがありません。そういう大枠を語ったのが小室先生です。
日本人は、政治や社会の仕組み、たとえば「自由」や「民主的」ということを、明治以来学び続けていますが、まだまだ日本人的解釈で適当に考えているところが多いようです。そういう「知ってるつもり」の部分を、懇切ていねいに、分かりやすく教えてくださったのが小室先生です。
生粋の学者さんであり、学者魂のかたまりというような方でしたから、自分の意見をとうとうと述べると言うことは、実は少なく、「学問的に解釈が間違っている」とか、「法の精神の運用を間違えている」というような事に関して厳しく是正する、というご意見が多かったと思います。
どんなにしっかりと考えられた民主的な「手続き」であったとしても、「運用」が間違っていれば、正しい機能を発揮しません。車のオーナーになってもブレーキとアクセルを踏み間違えたらとんでもないことになります。小室先生のご著書には、つねにそういう「本質」が書かれていました。
実は1980年に発刊された小室先生初の一般向け書籍である『ソビエト帝国の崩壊』
●ソビエト帝国の崩壊―瀕死のクマが世界であがく
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B000J8688G/249-9767057-8485143
を当時、僕は読んでいます。1991年のソ連の崩壊を予言した書として、後から評価が高まったようですが、それとは知らず、ただ社会の機能構造分析の考え方の面白さに大変感心したものでした。
その後僕はライターとして仕事を始めて、ある時期に自分の歴史無知を恥ずかしく思い、織田信長関連の書籍を10冊以上一気読みしたことがあるのですが、その最後に読んだのが小室先生の「信長の呪い」
●信長の呪い―かくて、近代日本は生まれた
ISBN:4334005179 新書 小室 直樹 光文社 1992/01 ¥805
でした。それまで読んだどの信長本より、この本がもっとも優れた内容だと深く感心しました。
(この本は、前にこの日記で紹介しています。)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200501040120120000/
日本では、歴史と言えば司馬遼太郎という定番がありますが、司馬遼太郎の信長を扱った小説「国盗り物語」では、「桶狭間の戦い」は谷間での合戦になっています。しかし、もっとも史実に忠実だと言われる「信長公記」には「おけはざまやま」と「山」の記述になっています。
この事実を指摘していたのが小室先生の「信長の呪い」で、資料を読む場合には一文字とて読み過ごしては大きな間違いをすると言うことを学んだ気がします。ライターをやっていて、そういう資料をキチンと読むという態度を身につけるにおいても、多くを学ばせていただいたと思っています。
その後、「痛快!憲法学」
●痛快!憲法学
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797670312
(現在は「憲法原論」というタイトルで出ています。)
●日本人のための憲法原論
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797671459
で、
ヨーロッパの歴史と法、民主主義のあるべき姿を学び、「宗教原論」
●日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4198611688
で世界の重要な宗教の本質について知識をいただきました。どの本もわかりやすく面白いのに、世界基準での学問常識がキチンと学べます。すごい。
「学恩」という言葉があるのですが、小室先生には、まさに「学恩」を感じています。人は死んでしまうと何も残らない事が多いのですが、先生の場合には多くの素晴らしいご著書がありますので、それが今後も多くの方に広く読まれたらいいなぁと思います。
小室直樹先生は、時に奇人という評価が先行してしまう事が多かったのですが、結局、この20年くらいで着実に評価は上がってきていると思いますし、ネットでも10年前とは比べものにならないほど高評価になっているように感じます。
小室先生のご著書は、世界基準での学問を身につけるのに最適で、ひとりでも多くの日本人に読んでもらいたいと感じます。このツイートが気になった方は、ぜひ書店で手にとって読んでみてください。驚天動地の学問体験を得られます。素晴らしいです。ぜひどうぞ。
(ツイッターよりの転載終了)-------------------------------------------
そのほか、この日記でも、小室先生の話は、何度も書いてます。
知るよろこび
http://hitoyomi.diarynote.jp/200801120832090000/
小室直樹先生、老いて、なお軒昂なり。2009年5月17日
http://hitoyomi.diarynote.jp/200905171330001449/
興味のある方はどうぞ。
これからの日本は、我々の肩にかかっているのだ、と言うことを強く感じます。みなさんもゆっくりと自覚していってください。
よろしくお願いします。
マスコミの菅人気捏造は、不正集計のためのアリバイづくりである。
2010年9月9日 ■時事 コメント (5)どうにも、マスコミの情報と、ネットでの情報の差が大きく開きすぎていて気持ち悪い。
そう思って、どうしてこういうことになっているのかを考えてみるに、やはり、
●不正集計が行われる予定なのだ。
という見方しか成立しなくなってきた。
ずっと、「このまま小沢さんが総理になったら、マスコミは自分たちの報道をどうするつもりなのだろう?」と思っていたのだけれど、ここまであからさまに「人気の捏造」をやっているのを見たら、もう、考えられるのは投票の不正集計計画しかありえない。
それがずっと気になっていたのですが、やはり同じ事を言う方があらわれました。
植草一秀さんです。
世論調詐捏造は代表選投票不正集計用アリバイか:植草一秀の『知られざる真実』
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-fe4c.html
もし、民主党の代表選で菅直人が選ばれたら、それは不正集計をしてでも、官僚が自分たちの利権を守り通した、ということなのだと理解しなければなりません。
いま、ネットとマスコミの報道が、ここまで違うというのは、そういう事です。
他に情報の読みようがないです。
だからそういう事なんです。
僕は不正集計を防ごう! とかは言いません。やる奴はやる。ましてやマスコミと官僚はいまや完全に一体化してます。持てる力をフルに使ってくるでしょう。
だから、このネットとマスコミ報道の差があまりに大きいという事実の意味をこそ、いま、我々は正しく把握しておく必要がある、ということです。
どういう結果になったとしても、とにかく、このネットとマスコミの状況のあまりの違いこそが、すべての事実を表している、ということです。
以上。
そう思って、どうしてこういうことになっているのかを考えてみるに、やはり、
●不正集計が行われる予定なのだ。
という見方しか成立しなくなってきた。
ずっと、「このまま小沢さんが総理になったら、マスコミは自分たちの報道をどうするつもりなのだろう?」と思っていたのだけれど、ここまであからさまに「人気の捏造」をやっているのを見たら、もう、考えられるのは投票の不正集計計画しかありえない。
それがずっと気になっていたのですが、やはり同じ事を言う方があらわれました。
植草一秀さんです。
世論調詐捏造は代表選投票不正集計用アリバイか:植草一秀の『知られざる真実』
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-fe4c.html
もし、民主党の代表選で菅直人が選ばれたら、それは不正集計をしてでも、官僚が自分たちの利権を守り通した、ということなのだと理解しなければなりません。
いま、ネットとマスコミの報道が、ここまで違うというのは、そういう事です。
他に情報の読みようがないです。
だからそういう事なんです。
僕は不正集計を防ごう! とかは言いません。やる奴はやる。ましてやマスコミと官僚はいまや完全に一体化してます。持てる力をフルに使ってくるでしょう。
だから、このネットとマスコミ報道の差があまりに大きいという事実の意味をこそ、いま、我々は正しく把握しておく必要がある、ということです。
どういう結果になったとしても、とにかく、このネットとマスコミの状況のあまりの違いこそが、すべての事実を表している、ということです。
以上。
小沢コールが起きた理由は、どうもニコ生のようですな。
2010年9月8日コメント (7)政治の話はしないと言っておきながら、またまた。
ちょっと「へぇ~」と感心したことがあったので。
このあいだの日曜日に、大阪梅田のヨドバシカメラ前で、菅首相と小沢さんの立ち会い演説会があったのだそうです。で、そこで、
「オザワ、オザワ!」
と、オザワコールが何度も起きたんだそうです。それもかなりの熱い支持で、菅支持の人はほとんどいなかったらしい。
このあたりはyoutubeに動画がたくさんあがっています。ちょっと見てみてください。
なんかテレビ局のスタッフがコメントを取ろうとしても、小沢支持のコメントは取れても、菅支持のコメントが取れなくて困った、と言うことがあったようです。(このあたりは日刊ゲンダイ情報。)
この代表選の支持率の現実が、やはりどうも、新聞報道とまったく違います。あまりにギャップが激しすぎます。
で、まぁ確かにネットでは小沢さん支持の声の方が大きいけど、なんでここまで熱っぽいかな?と思ってたら、小沢さん、ニコニコ生動画に出演してたんですね。
以下が、その動画。
●小沢一郎ニコニコ生放送に出演
http://live.nicovideo.jp/watch/lv25848987#60:00
菅さんも、こういう動画があれば紹介するんですけど、少なくともニコニコには出てないみたいですね。ニコニコの方からは出演してくださいとオファーを出してるようですが。
で、その動画ですが、内容が実に良いです。
小沢さんの政策などが、はっきりと良く分かる。
人柄も良く伝わってくる。
鳩山さんの事を「ハトさん」と呼んでたり、鳩山さんによる菅首相へのトロイカ体制の呼びかけの内実を、何隠すことなく普通に、「いや、あれはこうだったんですよ。」としゃべってる事とか、やたらと面白い。
なんだこれは。びっくりした。
多少は小沢さんの事は知ってるつもりだったけど、全然違う。かなり面白い動画です。
それと特に思ったのが、ニコニコ動画ですから、視聴者の反応も平行して分かるわけで、その声で、「反応が早い!」という声が多いのが面白かったんですね。
いろいろ政治に関する質問があって、それに小沢さんが答えているわけですが、その反応速度が早い。特に、肝心な問題、たとえば財源とか、地方分権策の具体案とか、実際に何をどうしようとしているのか? に関するやりとりがスパッスパッと受け答えされてるところに、ニコ動の視聴者は、えらく反応が大きかった。
僕は、そのあたりはあまり感心しなかったんですね。動画の読み込みがちょっとおかしくなっていて、前半はコメント非表示で見てたから。で、後半をコメント表示で見てたわけですが、「ああ、そうか、若い人たちはそこに驚くのか!」と思いました。
たぶん、あまりに官僚的な、「木で鼻を括ったような受け答え」ばかりをテレビ・新聞で見せられるものだから、本気で政策を考えてる人の頭の回転の速度に驚いてしまったということなんでしょう。
僕自身は、小沢さんという人は、民主主義であれ、議会運営であれ、とにかく基本のあり方を大事にていねいにして、普通の事をキチンと普通にやる、普通の政治家、という印象が非常に強くて、あまり「おお、これはすごい」と思うようなことはあまりないんですけど、普通の事を普通にすると言うことは、当たり前のことを日常的にやっているということで、当たり前の事は、反射的にも「普通」に答えられる、ということにもつながるんでしょうね。
(で、日本ではなぜか普通の事を普通に言うと「革命的」とか「剛腕」とか言われたりするのですが。このあたりが、かなり困る。)
そういう意味で行くと、実は小沢さんという人は、インターネットにこそ向いた政治家なのかもしれないなぁと、認識を新たにしましたね。
いや、実際、小沢さんというと記者クラブメディアを通じた「歪んだ像」しか伝えられていないので、僕自身も、あんまり良く分かってないんだなぁ、というのを実感したと言うことです。
このニコ動の番組があったから、よけいに小沢人気が高まったというのがあるようです。
良く知らなかったんですけど、ニコニコ動画って自民党支持者が多いんですってね。
小泉以来の新自由主義肯定派というか。
でも、そういう人たちにもウケた、と言うことらしいです。
ああ、そうか、そういう事かと、ちょっと納得しました。
と言うことで、かなり面白い動画ですので、ぜひご覧ください。
しかし、こんなにネットとマスメディア報道にギャップがあるというのは、どういう事なんでしょうね。
僕はかなりきな臭いものを感じます。
ちょっと「へぇ~」と感心したことがあったので。
このあいだの日曜日に、大阪梅田のヨドバシカメラ前で、菅首相と小沢さんの立ち会い演説会があったのだそうです。で、そこで、
「オザワ、オザワ!」
と、オザワコールが何度も起きたんだそうです。それもかなりの熱い支持で、菅支持の人はほとんどいなかったらしい。
このあたりはyoutubeに動画がたくさんあがっています。ちょっと見てみてください。
なんかテレビ局のスタッフがコメントを取ろうとしても、小沢支持のコメントは取れても、菅支持のコメントが取れなくて困った、と言うことがあったようです。(このあたりは日刊ゲンダイ情報。)
この代表選の支持率の現実が、やはりどうも、新聞報道とまったく違います。あまりにギャップが激しすぎます。
で、まぁ確かにネットでは小沢さん支持の声の方が大きいけど、なんでここまで熱っぽいかな?と思ってたら、小沢さん、ニコニコ生動画に出演してたんですね。
以下が、その動画。
●小沢一郎ニコニコ生放送に出演
http://live.nicovideo.jp/watch/lv25848987#60:00
菅さんも、こういう動画があれば紹介するんですけど、少なくともニコニコには出てないみたいですね。ニコニコの方からは出演してくださいとオファーを出してるようですが。
で、その動画ですが、内容が実に良いです。
小沢さんの政策などが、はっきりと良く分かる。
人柄も良く伝わってくる。
鳩山さんの事を「ハトさん」と呼んでたり、鳩山さんによる菅首相へのトロイカ体制の呼びかけの内実を、何隠すことなく普通に、「いや、あれはこうだったんですよ。」としゃべってる事とか、やたらと面白い。
なんだこれは。びっくりした。
多少は小沢さんの事は知ってるつもりだったけど、全然違う。かなり面白い動画です。
それと特に思ったのが、ニコニコ動画ですから、視聴者の反応も平行して分かるわけで、その声で、「反応が早い!」という声が多いのが面白かったんですね。
いろいろ政治に関する質問があって、それに小沢さんが答えているわけですが、その反応速度が早い。特に、肝心な問題、たとえば財源とか、地方分権策の具体案とか、実際に何をどうしようとしているのか? に関するやりとりがスパッスパッと受け答えされてるところに、ニコ動の視聴者は、えらく反応が大きかった。
僕は、そのあたりはあまり感心しなかったんですね。動画の読み込みがちょっとおかしくなっていて、前半はコメント非表示で見てたから。で、後半をコメント表示で見てたわけですが、「ああ、そうか、若い人たちはそこに驚くのか!」と思いました。
たぶん、あまりに官僚的な、「木で鼻を括ったような受け答え」ばかりをテレビ・新聞で見せられるものだから、本気で政策を考えてる人の頭の回転の速度に驚いてしまったということなんでしょう。
僕自身は、小沢さんという人は、民主主義であれ、議会運営であれ、とにかく基本のあり方を大事にていねいにして、普通の事をキチンと普通にやる、普通の政治家、という印象が非常に強くて、あまり「おお、これはすごい」と思うようなことはあまりないんですけど、普通の事を普通にすると言うことは、当たり前のことを日常的にやっているということで、当たり前の事は、反射的にも「普通」に答えられる、ということにもつながるんでしょうね。
(で、日本ではなぜか普通の事を普通に言うと「革命的」とか「剛腕」とか言われたりするのですが。このあたりが、かなり困る。)
そういう意味で行くと、実は小沢さんという人は、インターネットにこそ向いた政治家なのかもしれないなぁと、認識を新たにしましたね。
いや、実際、小沢さんというと記者クラブメディアを通じた「歪んだ像」しか伝えられていないので、僕自身も、あんまり良く分かってないんだなぁ、というのを実感したと言うことです。
このニコ動の番組があったから、よけいに小沢人気が高まったというのがあるようです。
良く知らなかったんですけど、ニコニコ動画って自民党支持者が多いんですってね。
小泉以来の新自由主義肯定派というか。
でも、そういう人たちにもウケた、と言うことらしいです。
ああ、そうか、そういう事かと、ちょっと納得しました。
と言うことで、かなり面白い動画ですので、ぜひご覧ください。
しかし、こんなにネットとマスメディア報道にギャップがあるというのは、どういう事なんでしょうね。
僕はかなりきな臭いものを感じます。
マスコミは市民の敵です。意識して徹底して疑いましょう。
2010年9月6日 ■時事 コメント (2)
前回「政治のことは書かない」としておきながらも、やはりあまりにマスコミの恣意的な報道、捏造としか言いようのない情報「作成」の状況に、これはネット側の意見も知る人間として、少し書いておかないとアカンなぁと「義務」でちょっと書いておきます。
民主党の代表選の事ですが、あまりにマスコミとネット側での支持率が違いすぎるんですね。いくらなんでもこれはひどいなぁと思うので、その事を少し。
ネットで調べた人がいてるので、その画像を貼付けておきますが、それとは別に、僕なりに調べた結果も書いておきます。
まずマスコミ側。
(データ紹介開始)------------------------------
●共同通信 2010/08/28 19:21
菅氏69%、小沢氏15% 民主代表選で緊急世論調査
--------------------------------------------
●日経新聞社電子版 2010/8/29 21:41
「首相にふさわしい」菅氏73%、小沢氏17% 本社調査
--------------------------------------------
●読売新聞 2010/8/29
代表ふさわしいのは?菅氏67%・小沢氏14%
--------------------------------------------
●JNN 2010/9/6
動画: 新代表に菅氏66%、JNN世論調査
(データ紹介終了)------------------------------
という結果を出してます。
しかし、ここで明確にしておきたいのは、
●菅政権の「支持基盤」は、官僚+マスコミ(記者クラブメディア)である。
ということです。
いちいち細かいことは書きませんが、記者クラブに入っている5大紙+それに連なるテレビ局+NHKは、根本的に全員結託して小沢さんが提案している「改革案」が大嫌いです。自分たちの利権が食い荒らされてしまいますので。
だから、菅政権は、官僚+マスコミに支持されて政権維持をしているのです。
(それもまたひとつの政治勢力なので、そういう流れになってしまうのはある意味必然なのです。マスコミは絶対的に菅さんの味方につく、ということです。)
記者クラブメディアというのは、朝日・毎日・読売・日経・産経の5大紙とそれぞれが持つグループのテレビ局、プラスしてNHKのことです。(プラスして文藝春秋と週刊新潮も入ります。)
基本的には、これらの一派は「同じ釜の飯を食っている仲間」です。
さて、ネット側の調査も見てみましょう。
(データ紹介開始)-----------------------------------------
●ライブドア 2010年8月29日 (日)
ライブドアネット調査支持率 小沢氏61.8% ・ 菅首相 38.2%
【民主代表選】菅首相と小沢氏、どちらをより支持する?(公式)
(この質問作成時点・約9500回答で) 菅首相…38.2%・小沢氏…61.8%
--------------------------------------------
Infoseek 内憂外患アンケート2010年9月3日現在
菅直人首相 185票(5%)
小沢一郎議員 3865票(95%)
棄権する 29票(1%)
--------------------------------------------
きっこのブログ 2010.08.31
緊急アンケートです!
民主党の代表選、あなたは誰を支持しますか?
1.菅 直人
2.小沢 一郎
3.きっこ
2010年9月3日現在
2667票:菅直人
14680票:小沢一郎
--------------------------------------------
読売オンライン:みんなのYES/NO
菅氏26%
小沢氏74%
(データ紹介終わり)----------------------------
ネットの側は、小沢さんの圧勝です。あまりに差がありすぎます。
マスコミでも、スポニチのように縛りの少ないところでは、このネットとマスコミの予想の違いを取り上げたりはしてるようです。
(引用開始)--------------------------------------------
菅首相より小沢新首相…サイト調査で圧倒8割
スポニチ
スポニチは公式サイト「スポニチ・アネックス」で緊急アンケートを実施したところ、有権者からの支持では意外にも?小沢氏が圧倒的な強さをみせている。
スポニチは26日の小沢氏の出馬表明を受け、同日午後4時からアンケートを実施。最終集計では一方的な結果が出た。
1676人から回答があり、「菅首相と小沢氏のどちらが民主党代表(首相)としてふさわしいと思うか?」の問いに対しては、約80%にあたる1336人が小沢氏。「小沢氏が立候補を表明したことについてどう思うか?」の問いでは約82%の1371人が「出馬した方が良い」とした。
(引用終了)--------------------------------------------
これらのことを見てもわかるように、とにかく、マスコミの側は、「一般市民を操作したい」わけで、とにかく恣意的な調査を行って、それで平気なんですね。
ネットで、実際に新聞社の電話調査を受けた人の話も載っておりましたが、もともとの世論調査のやり方自体にかなりの問題があるわけです。
「小沢一郎氏は政治とカネの問題で、検察に事情聴取を受けましたが、この問題に関してあなたは支持しますか」とかやってるわけです。
たとえば、ある調査を受けた人の話をまとめると、
●日本テレビからの質問内容
「アンケート対象年齢がありますが以下に該当しますか?
女性は20歳代~30歳代まで。
男性は30歳代(うろ覚えですが)~50歳代まで。」
(1)支持政党をお答えください
(2)菅内閣を支持しますか?
(3)総理大臣としてふさわしい人は?
(4)小沢一郎氏は日本の財政を立て直すことができると思いますか?
(5)代表選後に民主党が分裂するようですが、分裂した後も民主党を…
という内容だったようです。
この報告をしてた方は、最後の「代表選後に民主党が分裂するようですが」という前提に腹を立てて、日本テレビに抗議の電話をしたそうですが、まぁようするに、こういう恣意的な質問の仕方をしているということです。分裂するかどうかは分からないし、少なくとも菅さんも小沢さんも民主党の挙党態勢をアピールしているのに、こういう質問内容を立てているわけです。
質問の流れもかなりおかしい。代表選に菅さんと小沢さんが立ちました、「次の」民主党代表にはどちらがふさわしいですか?と聞くなら話もわかりますが、まず「菅内閣を支持しますか?」と聞いた上で、総理大臣としてふさわしい人は誰か?と聞いてます。この設問まで小沢さんの名前は出てきませんから、何も考えてない人は、反射的に「菅さん」と言うだろうし、小沢さんの名前もパッとは出てこない。
しかもその後に小沢さんの名前は出てくるけれども、いきなり日本の財政を立て直すことができると思いますか?と聞いてくる。景気じゃなくて財政ですからねぇ。とにかく、質問項目の立て方自体がものすごく偏ってるわけです。
まぁ、そういう仕組みがあって、「菅支持優位」という数字が出ているのだ、ということを、まずは頭に入れてください。
ネットの書き手として、かなり有名な「きっこ」さんの記事、
民意は小沢支持
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2010/09/post-7bfb.html
も、参考にぜひ読んでいただきたいです。
ぼく自身は、きっこさんという人は、少し感情論に走りがちなので、好きな人ではないのですが、この「民意は小沢支持」という一文には全面的に賛同します。
ようするに、ネットを通じて、自分の意志で情報を取得していくような人たちなら、多くは小沢支持だ、ということです。
「民意は小沢支持」というのは事実でしょう。
-----------------
と、ここまでは書きましたが、でも、この間から、僕が政治の事は政治に任せると書いてるのは、実はある意味、あきらめがあるからなのです。
はっきり言って、ここまでひどい情報操作をするなど、とうていまともなジャーナリストとは言えません。でもしかし、「権力者」というのは、そこまでの事をするものなのだ、ということです。
そういう権力者の無茶苦茶さを知らないままに操られてしまう人もまた、僕と同じ国民なのだよな、という嘆きがあるのです。
もちろん、できる限り、知り合いで「騙されている」人には、洗脳を解くように説得はするのですが、そればかりをやってることもできないわけです。
毎日新聞を読んで、それを「正当な情報源」と思って、ネットの情報などゴミための情報で信用ならん、と思っている人も多いわけです。そういう人たちを洗脳から解こうとしたら、日常生活において、ギスギスしたけんか腰の会話をしなければならなくなってしまいます。
それは決して幸福なことではありません。
だから、とりあえずは、自分のやるべきことをやって、人間関係を良くした上で、信用してもらってから、「僕はこう思うよ」と自分の意見として上記のような事を言うしかないわけです。
これは、とても時間がかかる方法なんですけど、でも、そうするより他に「うまく行く方法」がないんですね。
だからそうするしかないんです。
-----------------------
おそらくは、まず間違いなく、官僚+マスコミの後ろには、アメリカ、あるいはニューヨークに拠点を置くユダヤ系金融グループなどの黒幕がいます。でも、そのあたりは、本当に証拠がない。だから、説得力を持って語る術が僕にはありません。
郵政の見直し法案も、この春まではなんとか可決すると思われていたのに、菅政権になって全部流産。ようは500兆円もの資金をアメリカの金融グループなどに貢げ!と言う声が大きいということなんでしょう。
100年に一度と言われた大不況がアメリカを襲っていて、とんでもないこげつきを出してしまった。それはパソコンとネットという発明によって、1995年以降、リーマンショックまで、えんえんと「金融バブル」を新技術によって膨らませ続けてきた結果でして、その実態のないバブルを、まだまだ膨らませ続けたい一群がいてる、ということなんですね。
本来は、そういう人たちは、「山と張って、目が出なかった」人なのだから、市場から退場しなくちゃいけないのに「もっと資金があったら取り返せるがな」と資金の要求をしているということです。
そういう人達が、「もう一度山を張るんだから」と500兆円の郵貯を狙っていて、とりあえず見直し法案の流産でなんとか外資が入る状態を維持できた、ということです。
金額が半端ではありませんから、この資金を確保するためには、それこそ何十億ものお金が投資される可能性があります。
しかも、その投資の仕方は、上のマスコミの恣意的な質問内容のように、すでに常軌を逸しています。つまり、
●目的のためには、なんでもやる。
という非情の世界に入っている、ということです。
裏の力でもなんでも使う、ということです。
バレなければ、何をやってでもやりとげると言うことです。
いや、「多少バレても、やってしまわねばならない」という事にまで至っています。
そこまで、いまの「世界不況」は深刻です。
だから、投票の数字というのも、実はまったくあてにはならないと思っています。
ブッシュが大統領になった時に「集計機のミスがあった」と話題になって、選挙の有効性が問われたりしましたが、それは時の流れの中でいつのまにか話題にもならなくなりました。
いまや投票の集計も機械でやるようになってますから、そのプログラムをどういじるかで、どうなるのか、わかったものではないのです。
で、実は、この間の参院選でも、けっこうな地域で集票機は使われていたんです。
だから、今度の民主党の代表選でも、数字がどうなるか、わかったものではないのです。
テレビや新聞が、ここまでうがった世論調査をあえてやるのは、そのための証拠づくりのためかも知れないのですよ。いや、本当に。
だからこそ、ネットでの支持率も、少なくとも僕は明確にしておきたいなと思いました。
官僚+マスコミには、この他にも、「邪魔な政治家を殺して、それを自殺として処理する」という得意技もあると言われています。警察と裏の世界の人間が手を結べば簡単なことです。
そこまでの最悪の事態も想定した上で、物事は見ないといけないし、日本でもとうとう、そういう見方でみていないとダメな状況になってきているようだな、というのが僕の判断です。
------------------------
とはいえ、これらは全部「かも知れない」という推測情報とか、当て推量の話ばかりです。
本当にしっかりと論議されねばならないのは、政策そのもののはず。
ですので、最後に、菅さんと小沢さんの政策に関する情報を、どちらに偏ることなく紹介しておくことにします。とくに、「民主党代表選候補共同会見」の動画は、とても面白いと僕は思いました。できればじっくりごらんいただきたいと思います。
では。
小沢氏の政権政策
http://www.ozawa-ichiro.jp/policy/policy_0611.htm
菅氏の立候補政見
http://kannaoto.jp/seiken.html
民主党代表選候補共同会見
http://www.ustream.tv/recorded/9279458
民主党の代表選の事ですが、あまりにマスコミとネット側での支持率が違いすぎるんですね。いくらなんでもこれはひどいなぁと思うので、その事を少し。
ネットで調べた人がいてるので、その画像を貼付けておきますが、それとは別に、僕なりに調べた結果も書いておきます。
まずマスコミ側。
(データ紹介開始)------------------------------
●共同通信 2010/08/28 19:21
菅氏69%、小沢氏15% 民主代表選で緊急世論調査
--------------------------------------------
●日経新聞社電子版 2010/8/29 21:41
「首相にふさわしい」菅氏73%、小沢氏17% 本社調査
--------------------------------------------
●読売新聞 2010/8/29
代表ふさわしいのは?菅氏67%・小沢氏14%
--------------------------------------------
●JNN 2010/9/6
動画: 新代表に菅氏66%、JNN世論調査
(データ紹介終了)------------------------------
という結果を出してます。
しかし、ここで明確にしておきたいのは、
●菅政権の「支持基盤」は、官僚+マスコミ(記者クラブメディア)である。
ということです。
いちいち細かいことは書きませんが、記者クラブに入っている5大紙+それに連なるテレビ局+NHKは、根本的に全員結託して小沢さんが提案している「改革案」が大嫌いです。自分たちの利権が食い荒らされてしまいますので。
だから、菅政権は、官僚+マスコミに支持されて政権維持をしているのです。
(それもまたひとつの政治勢力なので、そういう流れになってしまうのはある意味必然なのです。マスコミは絶対的に菅さんの味方につく、ということです。)
記者クラブメディアというのは、朝日・毎日・読売・日経・産経の5大紙とそれぞれが持つグループのテレビ局、プラスしてNHKのことです。(プラスして文藝春秋と週刊新潮も入ります。)
基本的には、これらの一派は「同じ釜の飯を食っている仲間」です。
さて、ネット側の調査も見てみましょう。
(データ紹介開始)-----------------------------------------
●ライブドア 2010年8月29日 (日)
ライブドアネット調査支持率 小沢氏61.8% ・ 菅首相 38.2%
【民主代表選】菅首相と小沢氏、どちらをより支持する?(公式)
(この質問作成時点・約9500回答で) 菅首相…38.2%・小沢氏…61.8%
--------------------------------------------
Infoseek 内憂外患アンケート2010年9月3日現在
菅直人首相 185票(5%)
小沢一郎議員 3865票(95%)
棄権する 29票(1%)
--------------------------------------------
きっこのブログ 2010.08.31
緊急アンケートです!
民主党の代表選、あなたは誰を支持しますか?
1.菅 直人
2.小沢 一郎
3.きっこ
2010年9月3日現在
2667票:菅直人
14680票:小沢一郎
--------------------------------------------
読売オンライン:みんなのYES/NO
菅氏26%
小沢氏74%
(データ紹介終わり)----------------------------
ネットの側は、小沢さんの圧勝です。あまりに差がありすぎます。
マスコミでも、スポニチのように縛りの少ないところでは、このネットとマスコミの予想の違いを取り上げたりはしてるようです。
(引用開始)--------------------------------------------
菅首相より小沢新首相…サイト調査で圧倒8割
スポニチ
スポニチは公式サイト「スポニチ・アネックス」で緊急アンケートを実施したところ、有権者からの支持では意外にも?小沢氏が圧倒的な強さをみせている。
スポニチは26日の小沢氏の出馬表明を受け、同日午後4時からアンケートを実施。最終集計では一方的な結果が出た。
1676人から回答があり、「菅首相と小沢氏のどちらが民主党代表(首相)としてふさわしいと思うか?」の問いに対しては、約80%にあたる1336人が小沢氏。「小沢氏が立候補を表明したことについてどう思うか?」の問いでは約82%の1371人が「出馬した方が良い」とした。
(引用終了)--------------------------------------------
これらのことを見てもわかるように、とにかく、マスコミの側は、「一般市民を操作したい」わけで、とにかく恣意的な調査を行って、それで平気なんですね。
ネットで、実際に新聞社の電話調査を受けた人の話も載っておりましたが、もともとの世論調査のやり方自体にかなりの問題があるわけです。
「小沢一郎氏は政治とカネの問題で、検察に事情聴取を受けましたが、この問題に関してあなたは支持しますか」とかやってるわけです。
たとえば、ある調査を受けた人の話をまとめると、
●日本テレビからの質問内容
「アンケート対象年齢がありますが以下に該当しますか?
女性は20歳代~30歳代まで。
男性は30歳代(うろ覚えですが)~50歳代まで。」
(1)支持政党をお答えください
(2)菅内閣を支持しますか?
(3)総理大臣としてふさわしい人は?
(4)小沢一郎氏は日本の財政を立て直すことができると思いますか?
(5)代表選後に民主党が分裂するようですが、分裂した後も民主党を…
という内容だったようです。
この報告をしてた方は、最後の「代表選後に民主党が分裂するようですが」という前提に腹を立てて、日本テレビに抗議の電話をしたそうですが、まぁようするに、こういう恣意的な質問の仕方をしているということです。分裂するかどうかは分からないし、少なくとも菅さんも小沢さんも民主党の挙党態勢をアピールしているのに、こういう質問内容を立てているわけです。
質問の流れもかなりおかしい。代表選に菅さんと小沢さんが立ちました、「次の」民主党代表にはどちらがふさわしいですか?と聞くなら話もわかりますが、まず「菅内閣を支持しますか?」と聞いた上で、総理大臣としてふさわしい人は誰か?と聞いてます。この設問まで小沢さんの名前は出てきませんから、何も考えてない人は、反射的に「菅さん」と言うだろうし、小沢さんの名前もパッとは出てこない。
しかもその後に小沢さんの名前は出てくるけれども、いきなり日本の財政を立て直すことができると思いますか?と聞いてくる。景気じゃなくて財政ですからねぇ。とにかく、質問項目の立て方自体がものすごく偏ってるわけです。
まぁ、そういう仕組みがあって、「菅支持優位」という数字が出ているのだ、ということを、まずは頭に入れてください。
ネットの書き手として、かなり有名な「きっこ」さんの記事、
民意は小沢支持
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2010/09/post-7bfb.html
も、参考にぜひ読んでいただきたいです。
ぼく自身は、きっこさんという人は、少し感情論に走りがちなので、好きな人ではないのですが、この「民意は小沢支持」という一文には全面的に賛同します。
ようするに、ネットを通じて、自分の意志で情報を取得していくような人たちなら、多くは小沢支持だ、ということです。
「民意は小沢支持」というのは事実でしょう。
-----------------
と、ここまでは書きましたが、でも、この間から、僕が政治の事は政治に任せると書いてるのは、実はある意味、あきらめがあるからなのです。
はっきり言って、ここまでひどい情報操作をするなど、とうていまともなジャーナリストとは言えません。でもしかし、「権力者」というのは、そこまでの事をするものなのだ、ということです。
そういう権力者の無茶苦茶さを知らないままに操られてしまう人もまた、僕と同じ国民なのだよな、という嘆きがあるのです。
もちろん、できる限り、知り合いで「騙されている」人には、洗脳を解くように説得はするのですが、そればかりをやってることもできないわけです。
毎日新聞を読んで、それを「正当な情報源」と思って、ネットの情報などゴミための情報で信用ならん、と思っている人も多いわけです。そういう人たちを洗脳から解こうとしたら、日常生活において、ギスギスしたけんか腰の会話をしなければならなくなってしまいます。
それは決して幸福なことではありません。
だから、とりあえずは、自分のやるべきことをやって、人間関係を良くした上で、信用してもらってから、「僕はこう思うよ」と自分の意見として上記のような事を言うしかないわけです。
これは、とても時間がかかる方法なんですけど、でも、そうするより他に「うまく行く方法」がないんですね。
だからそうするしかないんです。
-----------------------
おそらくは、まず間違いなく、官僚+マスコミの後ろには、アメリカ、あるいはニューヨークに拠点を置くユダヤ系金融グループなどの黒幕がいます。でも、そのあたりは、本当に証拠がない。だから、説得力を持って語る術が僕にはありません。
郵政の見直し法案も、この春まではなんとか可決すると思われていたのに、菅政権になって全部流産。ようは500兆円もの資金をアメリカの金融グループなどに貢げ!と言う声が大きいということなんでしょう。
100年に一度と言われた大不況がアメリカを襲っていて、とんでもないこげつきを出してしまった。それはパソコンとネットという発明によって、1995年以降、リーマンショックまで、えんえんと「金融バブル」を新技術によって膨らませ続けてきた結果でして、その実態のないバブルを、まだまだ膨らませ続けたい一群がいてる、ということなんですね。
本来は、そういう人たちは、「山と張って、目が出なかった」人なのだから、市場から退場しなくちゃいけないのに「もっと資金があったら取り返せるがな」と資金の要求をしているということです。
そういう人達が、「もう一度山を張るんだから」と500兆円の郵貯を狙っていて、とりあえず見直し法案の流産でなんとか外資が入る状態を維持できた、ということです。
金額が半端ではありませんから、この資金を確保するためには、それこそ何十億ものお金が投資される可能性があります。
しかも、その投資の仕方は、上のマスコミの恣意的な質問内容のように、すでに常軌を逸しています。つまり、
●目的のためには、なんでもやる。
という非情の世界に入っている、ということです。
裏の力でもなんでも使う、ということです。
バレなければ、何をやってでもやりとげると言うことです。
いや、「多少バレても、やってしまわねばならない」という事にまで至っています。
そこまで、いまの「世界不況」は深刻です。
だから、投票の数字というのも、実はまったくあてにはならないと思っています。
ブッシュが大統領になった時に「集計機のミスがあった」と話題になって、選挙の有効性が問われたりしましたが、それは時の流れの中でいつのまにか話題にもならなくなりました。
いまや投票の集計も機械でやるようになってますから、そのプログラムをどういじるかで、どうなるのか、わかったものではないのです。
で、実は、この間の参院選でも、けっこうな地域で集票機は使われていたんです。
だから、今度の民主党の代表選でも、数字がどうなるか、わかったものではないのです。
テレビや新聞が、ここまでうがった世論調査をあえてやるのは、そのための証拠づくりのためかも知れないのですよ。いや、本当に。
だからこそ、ネットでの支持率も、少なくとも僕は明確にしておきたいなと思いました。
官僚+マスコミには、この他にも、「邪魔な政治家を殺して、それを自殺として処理する」という得意技もあると言われています。警察と裏の世界の人間が手を結べば簡単なことです。
そこまでの最悪の事態も想定した上で、物事は見ないといけないし、日本でもとうとう、そういう見方でみていないとダメな状況になってきているようだな、というのが僕の判断です。
------------------------
とはいえ、これらは全部「かも知れない」という推測情報とか、当て推量の話ばかりです。
本当にしっかりと論議されねばならないのは、政策そのもののはず。
ですので、最後に、菅さんと小沢さんの政策に関する情報を、どちらに偏ることなく紹介しておくことにします。とくに、「民主党代表選候補共同会見」の動画は、とても面白いと僕は思いました。できればじっくりごらんいただきたいと思います。
では。
小沢氏の政権政策
http://www.ozawa-ichiro.jp/policy/policy_0611.htm
菅氏の立候補政見
http://kannaoto.jp/seiken.html
民主党代表選候補共同会見
http://www.ustream.tv/recorded/9279458
9月になりました。
2010年9月1日9月になったと、タイトルでは書きましたが、暦の上では秋、という感じは全然ないですねぇ。
いやま、コオロギはけっこう鳴いてるらしいんですけど。
政治は菅と小沢の一騎打ちになって、やっと参院選の結果のまとめに入ってます。
この参議院選以降、僕自身の考え方がかなり変わったので、もうあまり政治の話は書かないような気がします。議員代議制でやってるんだから、まかせるしかないというのが、まぁ建前としての結論です。
ずっと気にしてたマスコミによる大衆洗脳運動も、いまだに続いてはおりますが、まぁ長い目で見れば、ネットやツイッターで洗脳は解かれていくしかほかに道はないんだしと僕的には結論が出てるので、もう、あまり書くこともないのです。
菅対小沢も、ようは「国民の生活が第一」さえ守られるのなら、どっちがやってもかまわないのですが、菅さんは「国民の生活が第一」とは言いませんから多分ダメですよね。
こまかい話はどうでもええのだ。本筋をどう考えてるのか?っちゅうことです。スローガンって大事やなぁと最近はよく思う。いまはやっぱり「国民の生活が第一」なんやと思う。それを考えて行動してくれえるなら、それで良いです。
まぁ、そういう話も、どうでもよろしい。政治のことは政治家にまかせよう。彼らは彼らなりに一所懸命なんでしょうから。
それより、もう、もっと自分ができる事をやろう、という気がします。
自分の限界を、もう少し超えていけるように努力しよう。
そう思います。
自分の限界を超えるには、方法はたったふたつだけでして、時間分割するか空間分割するかなんですね。
空間分割とは、他の人とコミュニケーションを取って協力すること。自分の代わりに何かをやってもらうこと。同じ空間で自分を分割して並行作業をしてもらう、ということです。
もちろん、誰かの代わりに何かをやってあげることも、これです。
もうひとつの時間分割は、毎日コツコツやること。だらっとしない。1日30分でいいから、大きな志に向けた「行動」を起こすこと。勉強するのでもいいし、なんでもいいけど、ようは、自分の限界を超える夢を持ってるかどうかということですね。それは自分を信じる事でもあるし、自分に依頼すること、自分に頼ることでもあります。未来の自分と仲良くして作業を分担するということです。
このたった2つの方法論には、たった一つの入り口がありまして、それは「わし、何もやってないやん!」という自分の居場所に気づくことなんですな。
自分のありのままの姿に気づいて、より良い場所に行きたいと思うことなんですね。ようは。
行こうとするかどうか。
地図を見て、まず真っ先にしないといけないのは、自分の居場所の確認ですから。それさえできれば、あとは地図を見てどうにかやっていけるように、世の中はできてます。
政治の事について、うだうだ書くのは、ようは、何もやってないから、他人のせいにしたいというだけだなぁと最近は思うようになりました。
もっとちゃんと自分の仕事をしよう。政治は政治家にまかせよう。たとえそれが、どんなにレベルが低く見えても、と思います。まぁ託すに足りる政治家がいてるかどうか?という問題はあるんですけどな。それはそれとして。
とにかく、今年も、残りは4ヶ月。
世間がどうとか言う前に、まず自分にできることを、日々、無理せず、コツコツとやるということにしました。
人間、できることしかできないのでありますし、それで良いのだとも思います。
本を読み、何か書き、誰かに伝える。
具体的な話はここでは書きませんが、それをとにかくコツコツやることだと思う。自分にできることを、ただやる。それ。それが一番です。
いやま、コオロギはけっこう鳴いてるらしいんですけど。
政治は菅と小沢の一騎打ちになって、やっと参院選の結果のまとめに入ってます。
この参議院選以降、僕自身の考え方がかなり変わったので、もうあまり政治の話は書かないような気がします。議員代議制でやってるんだから、まかせるしかないというのが、まぁ建前としての結論です。
ずっと気にしてたマスコミによる大衆洗脳運動も、いまだに続いてはおりますが、まぁ長い目で見れば、ネットやツイッターで洗脳は解かれていくしかほかに道はないんだしと僕的には結論が出てるので、もう、あまり書くこともないのです。
菅対小沢も、ようは「国民の生活が第一」さえ守られるのなら、どっちがやってもかまわないのですが、菅さんは「国民の生活が第一」とは言いませんから多分ダメですよね。
こまかい話はどうでもええのだ。本筋をどう考えてるのか?っちゅうことです。スローガンって大事やなぁと最近はよく思う。いまはやっぱり「国民の生活が第一」なんやと思う。それを考えて行動してくれえるなら、それで良いです。
まぁ、そういう話も、どうでもよろしい。政治のことは政治家にまかせよう。彼らは彼らなりに一所懸命なんでしょうから。
それより、もう、もっと自分ができる事をやろう、という気がします。
自分の限界を、もう少し超えていけるように努力しよう。
そう思います。
自分の限界を超えるには、方法はたったふたつだけでして、時間分割するか空間分割するかなんですね。
空間分割とは、他の人とコミュニケーションを取って協力すること。自分の代わりに何かをやってもらうこと。同じ空間で自分を分割して並行作業をしてもらう、ということです。
もちろん、誰かの代わりに何かをやってあげることも、これです。
もうひとつの時間分割は、毎日コツコツやること。だらっとしない。1日30分でいいから、大きな志に向けた「行動」を起こすこと。勉強するのでもいいし、なんでもいいけど、ようは、自分の限界を超える夢を持ってるかどうかということですね。それは自分を信じる事でもあるし、自分に依頼すること、自分に頼ることでもあります。未来の自分と仲良くして作業を分担するということです。
このたった2つの方法論には、たった一つの入り口がありまして、それは「わし、何もやってないやん!」という自分の居場所に気づくことなんですな。
自分のありのままの姿に気づいて、より良い場所に行きたいと思うことなんですね。ようは。
行こうとするかどうか。
地図を見て、まず真っ先にしないといけないのは、自分の居場所の確認ですから。それさえできれば、あとは地図を見てどうにかやっていけるように、世の中はできてます。
政治の事について、うだうだ書くのは、ようは、何もやってないから、他人のせいにしたいというだけだなぁと最近は思うようになりました。
もっとちゃんと自分の仕事をしよう。政治は政治家にまかせよう。たとえそれが、どんなにレベルが低く見えても、と思います。まぁ託すに足りる政治家がいてるかどうか?という問題はあるんですけどな。それはそれとして。
とにかく、今年も、残りは4ヶ月。
世間がどうとか言う前に、まず自分にできることを、日々、無理せず、コツコツとやるということにしました。
人間、できることしかできないのでありますし、それで良いのだとも思います。
本を読み、何か書き、誰かに伝える。
具体的な話はここでは書きませんが、それをとにかくコツコツやることだと思う。自分にできることを、ただやる。それ。それが一番です。
1分間自己革命―自分を大切に生きる心のトレーニング
2010年8月27日 読書
まえに紹介したはずだと思っていたのですが、検索してみると、どうもキチンと紹介した頁が出てこないので、こんなに大事に思っている本なのに、紹介しそこねているようです。なので、ちゃんと紹介しようと思います。
1分間自己革命―自分を大切に生きる心のトレーニング
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4478730350
です。
初版が1986年。もう25年も前の古い本です。
今年は、年初から少し読書量を増やそうと思っていて7月までで70冊くらい読んだのですが、そういう読み飛ばす感覚とは別に、じっくり味わいながら再読するという事もしようと思って、もう、何度も読んでいるこの本を、また読み直しました。
自己啓発書の類は、それこそ何冊も読んでいるんですが、とどのつまりは、この本に帰ってくるなぁとしみじみ思います。結局、この本を越えてる自己啓発書には、いまのところ出会っていない、というのが本当のところです。
内容は、ストーリー仕立てになっていて、人生をより良く生きたいと考えたひとりの男が、人生の師として、身近なところで幸せそうに暮らしている「おじさん」にその秘訣を聞きに行く、というものになっています。
一冊を通して語られているのは、気ぜわしい毎日でも、意識して立ち止まり、判断を停止して「自分のための1分間」をとりなさい、ということです。
たった1分間でいい。
そのほんの少しの「自分のための1分間」で、「いますぐ自分のために実践できる、もっとも単純な事はなんだろう?」と自分に問いかけ、それを行う、ということをやりなさいと勧めているのですね。
なんでもない事のように感じられるかも知れませんが、これはとても効果的です。
簡単に言えば、禅で行う内観を、日常でも活用しましょうという事ですね。あるいは、瞑想の簡易版を1分間に限定して、一日に何度もやってみてはどうですか? という提案でしょう。
しかし、そういう技法は、あくまで技法であって、この本が良いのは、その技法がなぜ効果的で、人生に大きな影響を与えるのか? という事を、シンプルな言葉でまとめてあることです。なぜ「自分のための1分間を取ると良いのか?」ということが、ていねいに描かれているところが、無理なくテーマが染みこんでくるポイントだと思います。
たとえば、ストーリーに沿って、大切なポイントが太書きで示されるのですが、それはこんな感じ。
============================
まず自分自身を大切にしなければ、
どんなことも、また何人をも
大切にすることはできない。
============================
考えてみれば当たり前なんですけれども、単純ではあるけれど、物事の本質を突いたひと言です。
あるいは、こんな感じ。
============================
ほかの人々に
自分をこう扱ってほしいと思うように、
自分自身のことも扱う。
============================
このひと言も、どうと言うことはないように見えますが、「お客さまをもてなすように自分を扱う」ではなく、「他者から、自分をこう扱って欲しいと思うように、自分を扱う」であるところがすごく重要なんです。
「お客さまを扱うように自分を扱う」だと、自分を他人扱いしてるわけだから、自己疎外が始まってしまうんですよね。そうではなくて、「他の人から、こういうように扱ってもらったらうれしいよなぁ。」という自分の希望を、自分の手で、自分に対して行う、ということが大事なわけです。
先日書いた日記、
ひとり暮らしと自己責任。
http://hitoyomi.diarynote.jp/201008101717005209/
とも内容は重なりますが、このあたりは同じですね。いつもきれいな下着があったら気持ちいいな、と思って洗濯をするというのと同じ事です。そこに自分自身への「ケア」があるということが大事なんですね。自分への「ケア」を自分でやる、ということです。
こういう事の大切さは、ひとり暮らしをしないと、なかなか身に付かない部分も大きいのですが、ひとり暮らしをしていなくても、
一日に何度も「自分のための1分間」を取る。
と言うことをしていれば、ひとり暮らしをしているのに近い効果はあるはずです。
大事なことは、その「自分のための1分間」を取ってから後の行動は、何をしたにせよ、自分自身に「充足」をもたらす、ということなんですね。
満ち足りる。
自己充足があるから、他者との関係においても、多くを期待せず、相手の状況をそのまま受け入れる余裕が出てくるという流れなのです。
その流れを、自分から生み出すことが出来る、ということなんですね。
これは、まだまだ僕にはできていない事ですが、
============================
1分間で自分の態度は変えられる。
しかも、この1分間で、
自分の一日の全てを変えられる。
============================
という事も、この本には入っています。イライラしたら、自分のための1分間を取って、悪い考え方に凝り固まっていないかを自己チェックする、という事なんですね。そして、良い考え方に入れ替える。
まぁ、これは1分間ではなかなかできないと思いますが、それでも、その変更を1分間くらい試してみるのは悪くはないはずです。たった1分なんですから。
1分というのは、短いようでいて、意外と使いでのある、有用な時間単位なんですよね。
それを知る、というだけでも、かなり重要な事です。
その1分間を「自分自身の叡智に問いかける」ために使う。
それだけで、かなり結果の異なる人生が生まれてくるんです。
だから、1日に何度も、「自分のための1分間」をとりなさい、と言う結論になってくるわけです。
人は、いつのまにか、自分ではない、「世間の風潮」や、「世の流れ」のためにかけずり回っていたりするんです。
でも、そんなあなたの人生は、いったい誰のための人生ですか?
世間のためのもの? 家族のためのもの? 人類社会のためのもの?
そのどれもが正解でしょうけれど、まず最初は「自分自身のためのもの」から始めないと始まらないんです。
自分が不幸せで、不機嫌になってる人の話は、結局誰も聞いてくれはしないものなのです。
だからこの本では、自分が充足したら、身の回りの人にも、「まず自分を大切にする態度を身につけてもらうようにしましょう。」という提案をしています。
============================
ほかの人たちが自分のことを大切にすれば、
彼ら自身が幸せになるだけでなく、
わたしも幸せになる。
============================
ということなんです。
単純に言って、身の回りにいてる、「不機嫌な人間」がひとりでも減れば、それは自分にとってもありがたい事だ、ということなんですね。
で、その人の不機嫌は、その人自身で解決してもらうしかないわけですから。
このあと、この本には、「愛されることよりも愛する事を優先しよう」とか、「良い人間関係は、自分を大切にしている人間同士の間で生まれる」というような話に進展していきますし、そういう「お互いを大切に生きる」生き方が、広く社会に広がる事を望む話にもつながっていくのですが、まぁ、このあたりは、かなり高度な話なので、僕にはまだまだ実感できません。(だからこそ、何度も読んでるわけですが。)
それでも、やっぱり、ひとりひとりが、まず最初に何をすべきか?というと、とどのつまりは、
「自分自身のための1分間を取る」
というところに戻るんですね。
すべては、そこからしか始まらないわけです。やっぱり。
とにかく、まず自分自身の叡智に問いかける。
「いますぐできることで、私自身を大切にできる事は何だろうか?」と。
その答えこそが、次の1分間にするべきことなんです。
この自己の内観的態度を忘れていると、人間はいつのまにか、「社会的うわべ」だけのために働くロボットのようになってしまい、不機嫌でやる気の出ない、つまらない毎日がやってきてしまうわけです。
そういうようなことで、僕は、この本を、ことあるごとに読み返してます。通読したのは数回ですけど、お気に入りの部分は、それこそ何度も読み直しているんですね。とくに、この1~2年は。
「やっぱり名著だよなぁ」と、しみじみ思います。
とても良い本です。
もう絶版のようで、アマゾンのマーケットプレイス(古本取り次ぎサービス)とかでしか手に入らないようですし、値段も中古取り扱いで50円とかの投げ売り価格と、コレクター商品扱いでの1980円とかの、とんでもない混在になってしまっている本ですが、興味のある方はぜひ。
僕にとっては、フリーランスのライターとして仕事をすることになったきっかけを作ってくれた本でもあるので、とても思い出深い本なのです。
おすすめです。
1分間自己革命―自分を大切に生きる心のトレーニング
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4478730350
です。
初版が1986年。もう25年も前の古い本です。
今年は、年初から少し読書量を増やそうと思っていて7月までで70冊くらい読んだのですが、そういう読み飛ばす感覚とは別に、じっくり味わいながら再読するという事もしようと思って、もう、何度も読んでいるこの本を、また読み直しました。
自己啓発書の類は、それこそ何冊も読んでいるんですが、とどのつまりは、この本に帰ってくるなぁとしみじみ思います。結局、この本を越えてる自己啓発書には、いまのところ出会っていない、というのが本当のところです。
内容は、ストーリー仕立てになっていて、人生をより良く生きたいと考えたひとりの男が、人生の師として、身近なところで幸せそうに暮らしている「おじさん」にその秘訣を聞きに行く、というものになっています。
一冊を通して語られているのは、気ぜわしい毎日でも、意識して立ち止まり、判断を停止して「自分のための1分間」をとりなさい、ということです。
たった1分間でいい。
そのほんの少しの「自分のための1分間」で、「いますぐ自分のために実践できる、もっとも単純な事はなんだろう?」と自分に問いかけ、それを行う、ということをやりなさいと勧めているのですね。
なんでもない事のように感じられるかも知れませんが、これはとても効果的です。
簡単に言えば、禅で行う内観を、日常でも活用しましょうという事ですね。あるいは、瞑想の簡易版を1分間に限定して、一日に何度もやってみてはどうですか? という提案でしょう。
しかし、そういう技法は、あくまで技法であって、この本が良いのは、その技法がなぜ効果的で、人生に大きな影響を与えるのか? という事を、シンプルな言葉でまとめてあることです。なぜ「自分のための1分間を取ると良いのか?」ということが、ていねいに描かれているところが、無理なくテーマが染みこんでくるポイントだと思います。
たとえば、ストーリーに沿って、大切なポイントが太書きで示されるのですが、それはこんな感じ。
============================
まず自分自身を大切にしなければ、
どんなことも、また何人をも
大切にすることはできない。
============================
考えてみれば当たり前なんですけれども、単純ではあるけれど、物事の本質を突いたひと言です。
あるいは、こんな感じ。
============================
ほかの人々に
自分をこう扱ってほしいと思うように、
自分自身のことも扱う。
============================
このひと言も、どうと言うことはないように見えますが、「お客さまをもてなすように自分を扱う」ではなく、「他者から、自分をこう扱って欲しいと思うように、自分を扱う」であるところがすごく重要なんです。
「お客さまを扱うように自分を扱う」だと、自分を他人扱いしてるわけだから、自己疎外が始まってしまうんですよね。そうではなくて、「他の人から、こういうように扱ってもらったらうれしいよなぁ。」という自分の希望を、自分の手で、自分に対して行う、ということが大事なわけです。
先日書いた日記、
ひとり暮らしと自己責任。
http://hitoyomi.diarynote.jp/201008101717005209/
とも内容は重なりますが、このあたりは同じですね。いつもきれいな下着があったら気持ちいいな、と思って洗濯をするというのと同じ事です。そこに自分自身への「ケア」があるということが大事なんですね。自分への「ケア」を自分でやる、ということです。
こういう事の大切さは、ひとり暮らしをしないと、なかなか身に付かない部分も大きいのですが、ひとり暮らしをしていなくても、
一日に何度も「自分のための1分間」を取る。
と言うことをしていれば、ひとり暮らしをしているのに近い効果はあるはずです。
大事なことは、その「自分のための1分間」を取ってから後の行動は、何をしたにせよ、自分自身に「充足」をもたらす、ということなんですね。
満ち足りる。
自己充足があるから、他者との関係においても、多くを期待せず、相手の状況をそのまま受け入れる余裕が出てくるという流れなのです。
その流れを、自分から生み出すことが出来る、ということなんですね。
これは、まだまだ僕にはできていない事ですが、
============================
1分間で自分の態度は変えられる。
しかも、この1分間で、
自分の一日の全てを変えられる。
============================
という事も、この本には入っています。イライラしたら、自分のための1分間を取って、悪い考え方に凝り固まっていないかを自己チェックする、という事なんですね。そして、良い考え方に入れ替える。
まぁ、これは1分間ではなかなかできないと思いますが、それでも、その変更を1分間くらい試してみるのは悪くはないはずです。たった1分なんですから。
1分というのは、短いようでいて、意外と使いでのある、有用な時間単位なんですよね。
それを知る、というだけでも、かなり重要な事です。
その1分間を「自分自身の叡智に問いかける」ために使う。
それだけで、かなり結果の異なる人生が生まれてくるんです。
だから、1日に何度も、「自分のための1分間」をとりなさい、と言う結論になってくるわけです。
人は、いつのまにか、自分ではない、「世間の風潮」や、「世の流れ」のためにかけずり回っていたりするんです。
でも、そんなあなたの人生は、いったい誰のための人生ですか?
世間のためのもの? 家族のためのもの? 人類社会のためのもの?
そのどれもが正解でしょうけれど、まず最初は「自分自身のためのもの」から始めないと始まらないんです。
自分が不幸せで、不機嫌になってる人の話は、結局誰も聞いてくれはしないものなのです。
だからこの本では、自分が充足したら、身の回りの人にも、「まず自分を大切にする態度を身につけてもらうようにしましょう。」という提案をしています。
============================
ほかの人たちが自分のことを大切にすれば、
彼ら自身が幸せになるだけでなく、
わたしも幸せになる。
============================
ということなんです。
単純に言って、身の回りにいてる、「不機嫌な人間」がひとりでも減れば、それは自分にとってもありがたい事だ、ということなんですね。
で、その人の不機嫌は、その人自身で解決してもらうしかないわけですから。
このあと、この本には、「愛されることよりも愛する事を優先しよう」とか、「良い人間関係は、自分を大切にしている人間同士の間で生まれる」というような話に進展していきますし、そういう「お互いを大切に生きる」生き方が、広く社会に広がる事を望む話にもつながっていくのですが、まぁ、このあたりは、かなり高度な話なので、僕にはまだまだ実感できません。(だからこそ、何度も読んでるわけですが。)
それでも、やっぱり、ひとりひとりが、まず最初に何をすべきか?というと、とどのつまりは、
「自分自身のための1分間を取る」
というところに戻るんですね。
すべては、そこからしか始まらないわけです。やっぱり。
とにかく、まず自分自身の叡智に問いかける。
「いますぐできることで、私自身を大切にできる事は何だろうか?」と。
その答えこそが、次の1分間にするべきことなんです。
この自己の内観的態度を忘れていると、人間はいつのまにか、「社会的うわべ」だけのために働くロボットのようになってしまい、不機嫌でやる気の出ない、つまらない毎日がやってきてしまうわけです。
そういうようなことで、僕は、この本を、ことあるごとに読み返してます。通読したのは数回ですけど、お気に入りの部分は、それこそ何度も読み直しているんですね。とくに、この1~2年は。
「やっぱり名著だよなぁ」と、しみじみ思います。
とても良い本です。
もう絶版のようで、アマゾンのマーケットプレイス(古本取り次ぎサービス)とかでしか手に入らないようですし、値段も中古取り扱いで50円とかの投げ売り価格と、コレクター商品扱いでの1980円とかの、とんでもない混在になってしまっている本ですが、興味のある方はぜひ。
僕にとっては、フリーランスのライターとして仕事をすることになったきっかけを作ってくれた本でもあるので、とても思い出深い本なのです。
おすすめです。
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千本松の渡しから新木津川大橋へ。
2010年8月18日
暑くてたまらんなぁ、とは思いつつ、とにかく天気だけは良いわけですから、自転車には乗りたくなってしまうわけです。
そこで、先週は、ちょいと堺の方まで片道15分ほどのサイクリングをしてみたんですね。
すると、ひとつ重要な発見をしました。それは、
●自転車用ヘルメットは涼しい。
ということでありました。
なんせ発泡スチロール性で断熱効果が高く、そのくせ通風性を考えて穴だらけですからな。自転車で走ると、スースーして気持が良いくらいであります。小さな日傘を頭に乗せてるような感覚で、かなり快適なのです。
去年は、夏の間は自転車にほとんど乗らなかったうえに、ヘルメットは暑いだろうという思いこみで、ヘルメットをつけずに乗ってたんですよ。まぁ!知らないと言うことはどれだけバカであることか。あるいは、専用の道具がどれだけ良く考えられていることか。あるいは、知らないうちは、世間様の言うとおりにやるというのが、どれだけ大事であることか、というような話であります。
知らないくせに知ったかぶったをしておるそこのあなた!気をつけな、あきまへんで!! いやまぁ、けっこう思いこみって強烈ですからな、僕も良くやるんですけどな。(笑)
さて、夏の自転車行には、ヘルメットが快適で、熱中症も防げるし、メリット大!という事がわかったので、調子に乗って、またまた「ご近所サイクリング」をやってみました。
いや、サイクリングというよりかはポタリングに近いですかね。なんせ、知ってる人は知っている、大阪は千本松渡しに乗って、川を渡ったりしたわけですから。
「千本松の渡し」っちゅうのは、ようは渡し船です。生活のための渡し船でして、自転車でそのまま乗り込めます。15分に1本の間隔で出ていて、それに乗って来たわけです。この渡し船には何度も乗ってるんですが、これが楽しくてねぇ。実に味わい深い。
輪行で電車に自転車を乗せるのもそうですが、渡し船に自転車を乗せるのも、実に楽しい。
大阪で言うと、安治川には川底にトンネルがあって、そこではエレベーターで地下トンネルに降りるんですが、あれも自転車を「乗り物」に載せる行為でして、こういう別の乗り物に自転車を乗せる、というのが実に楽しいのですねぇ。クルマでは、こういう事は、そうそうできゃしませんからな。
クルマに自転車を積んで、目的地まで運んでポタリングするとかをやる人もいてますが、それも楽しいだろうなぁと思います。自転車は、他の乗り物と組合わせる事ができるというのが楽しいのでありますね。
とはいえ、夏です。暑いです。
あんまり無理したら熱中症になります。
なので、渡し船で渡ってすぐに戻る方向に移動して、木津川大橋を渡る事にしました。それが写真にある、らせん状の道路のところです。
ちゅうか、このらせんループを登る事自体が目的だったんですがね。
あたりは、大きな製鋼所がありまして、なんちゅうか工場ヲタクというかプラントヲタクみたいな人が狂喜乱舞しそうな、パイプだらけの建物がドドドドドーンと道沿いに存在しておりまして、それだけでもかなり不思議かつ異様な風景でして、これがまた実に楽しい!
長年、近くに住んでるんですが、こういう面白い風景があるなんて、ちーとも知らなかった。まぁ、実に楽しい。
自分の住んでいる街の再発見があるというのも自転車の良いところでして、これが自転車の、もうひとつの大きな魅力なのであります。もう、自転車で走りながら「楽しーい!」と叫んでしまいましたねぇ。いやー、自転車は良いわ、ほんとに。
で、そのらせん橋ですが、地図で見てたから分かってはいたんですけど、っちゅうか、その橋を登ることが目的のひとつだったんですが、グルグルグルグルと同じところを回りながら自転車で登っていくわけでして、これがまた風景が少しずつ変わっていって、実に楽しいのでありますねぇ。
30段変速の自転車なら、クルクルとペダルを回しながら、ゆっくりと、こんな長い坂道もラクラク登っていけるわけです。チンタラとペダルを回していれば、それに合わせて見える風景も変わっていきます。だんだんと遠くが見渡せるようになって、最後は数十メートルの高さの橋の上に出ますから、近所の建物を見下ろすようにしながら移動できるわけです。
これがまた実に楽しいわけでして。
必要で作られた、こういう一般の建造物が、そのままエンタテインメント用アトラクションになってしまう感覚があるんですよね。このらせん橋は、見通しが良い分よけいに楽しかったのであります。
そうそう、帰宅後、Googleのストリートビューで「登った風景を確認できるかな?」と思って試してみたら、完全にこのらせん橋をパソコン上で登れるのですな。
これはこれでなかなか楽しいものであります。良かったらストリートビューで見てみたらよろしいですぞ。
ともあれ、ゆったりと長~い坂道を登っていって、それなりに運動にもなって、景色も楽しく、気分もいい。こんな場所、電車やバスも走ってないし、仕事での関わりもまずないので、普段の日常生活でやってくることもない場所でありまして、自転車でなければ来たはずもない空間なのでありました。あーやっぱり自転車はええあぁと、つくづく自転車の魅力を心から実感したものでありました。
橋を渡れば、地下鉄北加賀屋まではすぐ。そこからは自宅まで見知った道のりで、実に安心。ちょっと曇っていて、ポツポツと雨粒も落ちたりして、あわや「雨か!」と思ったのですが、降られることもなく帰宅。こういうドキドキ感もまた自然と一体化する自転車の楽しさなんですけど、安心と緊張のメリハリがあって、これまた楽しい。
いやー、地球に自転車があって良かった。
ほんとうに良かった。
そう思うのであります。
そこで、先週は、ちょいと堺の方まで片道15分ほどのサイクリングをしてみたんですね。
すると、ひとつ重要な発見をしました。それは、
●自転車用ヘルメットは涼しい。
ということでありました。
なんせ発泡スチロール性で断熱効果が高く、そのくせ通風性を考えて穴だらけですからな。自転車で走ると、スースーして気持が良いくらいであります。小さな日傘を頭に乗せてるような感覚で、かなり快適なのです。
去年は、夏の間は自転車にほとんど乗らなかったうえに、ヘルメットは暑いだろうという思いこみで、ヘルメットをつけずに乗ってたんですよ。まぁ!知らないと言うことはどれだけバカであることか。あるいは、専用の道具がどれだけ良く考えられていることか。あるいは、知らないうちは、世間様の言うとおりにやるというのが、どれだけ大事であることか、というような話であります。
知らないくせに知ったかぶったをしておるそこのあなた!気をつけな、あきまへんで!! いやまぁ、けっこう思いこみって強烈ですからな、僕も良くやるんですけどな。(笑)
さて、夏の自転車行には、ヘルメットが快適で、熱中症も防げるし、メリット大!という事がわかったので、調子に乗って、またまた「ご近所サイクリング」をやってみました。
いや、サイクリングというよりかはポタリングに近いですかね。なんせ、知ってる人は知っている、大阪は千本松渡しに乗って、川を渡ったりしたわけですから。
「千本松の渡し」っちゅうのは、ようは渡し船です。生活のための渡し船でして、自転車でそのまま乗り込めます。15分に1本の間隔で出ていて、それに乗って来たわけです。この渡し船には何度も乗ってるんですが、これが楽しくてねぇ。実に味わい深い。
輪行で電車に自転車を乗せるのもそうですが、渡し船に自転車を乗せるのも、実に楽しい。
大阪で言うと、安治川には川底にトンネルがあって、そこではエレベーターで地下トンネルに降りるんですが、あれも自転車を「乗り物」に載せる行為でして、こういう別の乗り物に自転車を乗せる、というのが実に楽しいのですねぇ。クルマでは、こういう事は、そうそうできゃしませんからな。
クルマに自転車を積んで、目的地まで運んでポタリングするとかをやる人もいてますが、それも楽しいだろうなぁと思います。自転車は、他の乗り物と組合わせる事ができるというのが楽しいのでありますね。
とはいえ、夏です。暑いです。
あんまり無理したら熱中症になります。
なので、渡し船で渡ってすぐに戻る方向に移動して、木津川大橋を渡る事にしました。それが写真にある、らせん状の道路のところです。
ちゅうか、このらせんループを登る事自体が目的だったんですがね。
あたりは、大きな製鋼所がありまして、なんちゅうか工場ヲタクというかプラントヲタクみたいな人が狂喜乱舞しそうな、パイプだらけの建物がドドドドドーンと道沿いに存在しておりまして、それだけでもかなり不思議かつ異様な風景でして、これがまた実に楽しい!
長年、近くに住んでるんですが、こういう面白い風景があるなんて、ちーとも知らなかった。まぁ、実に楽しい。
自分の住んでいる街の再発見があるというのも自転車の良いところでして、これが自転車の、もうひとつの大きな魅力なのであります。もう、自転車で走りながら「楽しーい!」と叫んでしまいましたねぇ。いやー、自転車は良いわ、ほんとに。
で、そのらせん橋ですが、地図で見てたから分かってはいたんですけど、っちゅうか、その橋を登ることが目的のひとつだったんですが、グルグルグルグルと同じところを回りながら自転車で登っていくわけでして、これがまた風景が少しずつ変わっていって、実に楽しいのでありますねぇ。
30段変速の自転車なら、クルクルとペダルを回しながら、ゆっくりと、こんな長い坂道もラクラク登っていけるわけです。チンタラとペダルを回していれば、それに合わせて見える風景も変わっていきます。だんだんと遠くが見渡せるようになって、最後は数十メートルの高さの橋の上に出ますから、近所の建物を見下ろすようにしながら移動できるわけです。
これがまた実に楽しいわけでして。
必要で作られた、こういう一般の建造物が、そのままエンタテインメント用アトラクションになってしまう感覚があるんですよね。このらせん橋は、見通しが良い分よけいに楽しかったのであります。
そうそう、帰宅後、Googleのストリートビューで「登った風景を確認できるかな?」と思って試してみたら、完全にこのらせん橋をパソコン上で登れるのですな。
これはこれでなかなか楽しいものであります。良かったらストリートビューで見てみたらよろしいですぞ。
ともあれ、ゆったりと長~い坂道を登っていって、それなりに運動にもなって、景色も楽しく、気分もいい。こんな場所、電車やバスも走ってないし、仕事での関わりもまずないので、普段の日常生活でやってくることもない場所でありまして、自転車でなければ来たはずもない空間なのでありました。あーやっぱり自転車はええあぁと、つくづく自転車の魅力を心から実感したものでありました。
橋を渡れば、地下鉄北加賀屋まではすぐ。そこからは自宅まで見知った道のりで、実に安心。ちょっと曇っていて、ポツポツと雨粒も落ちたりして、あわや「雨か!」と思ったのですが、降られることもなく帰宅。こういうドキドキ感もまた自然と一体化する自転車の楽しさなんですけど、安心と緊張のメリハリがあって、これまた楽しい。
いやー、地球に自転車があって良かった。
ほんとうに良かった。
そう思うのであります。
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日本に「化かすキツネ」がいた頃。
2010年8月16日コメント (2)昔の落語には、人をだますキツネ、というのが登場していました。
タヌキも人を騙していたし、キツネ憑きと言って、人がキツネにたぶらかされるという事まであったわけです。
で、そのクセ、「お稲荷さん」と言う、キツネを祀った神社などというものもあって、キツネをあがめる風潮もあったわけです。
良いのか悪いのか、どっちやねん! と突っ込みたくなりますが、これはまさに「どっちつかず」であることが大事、ということの証しなわけですね。
結局、その昔の日本では、科学的に論理的に考える事を、日常生活では良しとしなかったんだろうと思われるのですよ。なんでも、そこそこ曖昧にしておいて、明確さをなくして、生きやすい世の中にしておく。
そのためのショックアブソーバーや、クッションが「人を化かすキツネ」という存在であって、そういう存在がとても必要だったのでしょう。そうしないと、人の生活が回っていかなかった。
たとえば、祭りに必要なボタ餅がひとつなくなったとする。「いったい誰が盗ったんだ!」と理詰めでつきつめていけば、どうしても犯人をつかまえなくてはいけなくなりますが、「キツネが盗った」とか、それがうまく言えないなら「キツネに化かされた」と言っておけば、とりあえず、その場は丸くおさまった、ということなのでしょう。
人々の暮らしにうっそうとした森や、灯りのない真っ暗な闇夜のあった頃には、そういう「化かすキツネ」も、まさに生きてうごめいている存在として、人間生活の中にしっかりとポジションがあったのでしょう。
誰かのポケットマネーでなんとかごまかしの効く範囲の帳簿の帳尻あわせなら、キツネのせいにしておいたほうが、「全体」としてうまく行ってた、ということでしょう。
ぼた餅の数より、祭りを楽しく過ごせることの方が、それはやはり、はるかに重要な事だったのだろうと思います。
ところが、本来は異文化の価値観など、そう簡単に交換できるはずもないのに、「1ドルは360円」だとか「1ドルは今日は120円」というような、異文化の価値の違いを1円の違いまで数字化してしまうようなユダヤの文化が、この地球を席巻してしまって、ポケットマネーで養っていた「人を化かすキツネ」も、この国では住処をなくしてしまったようです。
住処をなくしてしまって、もう、どこにも「人を化かすキツネ」がいなくなってしまっているのに、いまだに、「キツネがボタ餅を持っていったんだ!」と言い張るような人がいるのを見ると、さすがに可哀想になりますが、さりとて、キツネを追いやった地球規模の計算機の文化にも、これはやっぱり疑問を持つしかないわけで。
なんとかうまく、現代版の「化かすキツネ」を復権させることはできないものかなぁと、最近では、そろそろ考え始めておるのです。
なんちゅうか、人を化かすキツネのお話しを書いてみたいよなぁって、最近は良く思うのであります。
うーん。
さて、どうしたものか。
タヌキも人を騙していたし、キツネ憑きと言って、人がキツネにたぶらかされるという事まであったわけです。
で、そのクセ、「お稲荷さん」と言う、キツネを祀った神社などというものもあって、キツネをあがめる風潮もあったわけです。
良いのか悪いのか、どっちやねん! と突っ込みたくなりますが、これはまさに「どっちつかず」であることが大事、ということの証しなわけですね。
結局、その昔の日本では、科学的に論理的に考える事を、日常生活では良しとしなかったんだろうと思われるのですよ。なんでも、そこそこ曖昧にしておいて、明確さをなくして、生きやすい世の中にしておく。
そのためのショックアブソーバーや、クッションが「人を化かすキツネ」という存在であって、そういう存在がとても必要だったのでしょう。そうしないと、人の生活が回っていかなかった。
たとえば、祭りに必要なボタ餅がひとつなくなったとする。「いったい誰が盗ったんだ!」と理詰めでつきつめていけば、どうしても犯人をつかまえなくてはいけなくなりますが、「キツネが盗った」とか、それがうまく言えないなら「キツネに化かされた」と言っておけば、とりあえず、その場は丸くおさまった、ということなのでしょう。
人々の暮らしにうっそうとした森や、灯りのない真っ暗な闇夜のあった頃には、そういう「化かすキツネ」も、まさに生きてうごめいている存在として、人間生活の中にしっかりとポジションがあったのでしょう。
誰かのポケットマネーでなんとかごまかしの効く範囲の帳簿の帳尻あわせなら、キツネのせいにしておいたほうが、「全体」としてうまく行ってた、ということでしょう。
ぼた餅の数より、祭りを楽しく過ごせることの方が、それはやはり、はるかに重要な事だったのだろうと思います。
ところが、本来は異文化の価値観など、そう簡単に交換できるはずもないのに、「1ドルは360円」だとか「1ドルは今日は120円」というような、異文化の価値の違いを1円の違いまで数字化してしまうようなユダヤの文化が、この地球を席巻してしまって、ポケットマネーで養っていた「人を化かすキツネ」も、この国では住処をなくしてしまったようです。
住処をなくしてしまって、もう、どこにも「人を化かすキツネ」がいなくなってしまっているのに、いまだに、「キツネがボタ餅を持っていったんだ!」と言い張るような人がいるのを見ると、さすがに可哀想になりますが、さりとて、キツネを追いやった地球規模の計算機の文化にも、これはやっぱり疑問を持つしかないわけで。
なんとかうまく、現代版の「化かすキツネ」を復権させることはできないものかなぁと、最近では、そろそろ考え始めておるのです。
なんちゅうか、人を化かすキツネのお話しを書いてみたいよなぁって、最近は良く思うのであります。
うーん。
さて、どうしたものか。
ひとり暮らしと自己責任。
2010年8月10日コメント (2)前から思ってるのですが、「自己責任」っちゅうのは、ひとり暮らしをしてると、嫌でも自覚せざるを得なくなりますわね。
何か食っても、食器などは洗わずにおけば、そのまま。いつの間にか片付いてる、なんてことはない。
服だって脱ぎ散らかしていれば、そのままで、服が自分で自分を洗って乾かして、棚に入っておく、なんてことはしてくれない。
しかし。
考えてみると、この当たり前の事を、一生体験しないタイプの人間がいたりするのだなぁと思って、大変だなぁと考えるわけです。
両親のもとで育って、通学、通勤している間も親がかりで、結婚したら結婚相手が洗濯やら食器洗いやらをやってくれるような環境にいてる男。
いやー、これ、かなり多いのか。
そうですなー、多いですよねぇ。そういう男。
おー、ぶるぶるっ。寒気がしてきた。
パソコンが日本に入ってきて「自己責任でお使いください」というスタンスだったのを見て「はぁ、自己責任ですか。面倒やけど、まぁしゃーないですわな。」と、あまり抵抗なく受け入れられたのも、考えてみたら、僕がかなり長くひとり暮らしをやってきたからという気がします。
もうね、ひとり暮らしをしてると、家に帰るたびに「あ、しまった。」というのがあって、「誰が悪いねん!あ、俺か。」ばっかりなわけでして。
エアコンを消し忘れて植物を枯らしたとか。
洗濯物を洗ったまま、洗濯機の中に入れっぱなしにして、ものすごい匂いになってしまったとか。
まぁ、そんな事ばっかりですわね。
で、そういう事を繰り返して、結果として何を学ぶか?というと、もちろん、合理的に生活する術も学んでいくわけですけど、それと平行して「失敗する自分を許す」と言うことも学んでいきますし、「あんまり無理せず、そこそこやっていく」というユルさも学んでいくわけです。
このあたりは、やっぱり基礎の基礎に「自分のことは自分でする」というのがあって、そのうえで「ま、出来る限りはね。」と緩やかさを付け加えるという感じでしょうかね。
とは言うものの、たぶん、ひとり暮らしなんていうのは、日本の文化にはそぐわないんだろうなぁとも思います。もともと「個の確立」なんて考え自体がありませんからな。
「個の確立」なんて、木も生えていない荒涼たる地で、神と自分のつながりだけを考えて生きてきたキリスト教徒が生み出した妄想という側面が大きいですしねぇ。神と個人がつながっていて、個人と個人はあくまで「神との約束」との間でつながっているのが基本だそうですから。
それはそれで「なんだかなぁ」とも思うわけです。
とはいえ、日本の法体系も、政治体系も、いちおうは欧米の仕組み(社会的な意味で「技術」と考えて良いです。まぁパソコンソフトの使い方と同じですわ。)を踏襲しているわけですから、まぁ「個人主義的発想」で、物事を見るしかないわけでねぇ。
面倒くせぇなぁとは思うけど、そうなっちゃってるんだからしょうがないじゃん。ねぇ?
でも、ひとり暮らしもしたことがない人には、こういうのって、かなりストレスなのかもしれませんな。
下着は棚にちゃんと入ってるのが当たり前。
ズボンはいつも良い匂い。
布団もふわふわ。
でも、全部、僕はなんにもやってないよ。
って感覚ね。
そりゃ、快適だわなぁ。自分でなぁ~んもやらんでええんだから。
それをいきなり、「布団干しなさいよ」「洗濯機の使い方も知らんのか?」「食器洗うのに、そんなに洗剤は要らん!」とか、ガミガミ言われたら、まぁたまったものやないでしょうなぁ。
でも、やってる人はやってるんやもん。しゃーないやん。
なぁ~んもせんでも、実は「いつもすまんね、ありがとね。」と感謝してる人なら、それはそれでOKなんですけどな。
でも、ひとり暮らしもしたことない人に限って、
「どうでもええやろ、そんなこと」
という事をグチグチと文句言ったりするわけですわ。なぜか? それは、「自分でやったことがない」からなんですな。だから、ものすごくトンチンカンな文句を言っていて、で、それがまっとうだと思ってるわけです。
どこがまっとうやねん。何も知らんくせに。
と、嫁は思ってたりするのでしょうかねぇ。そのあたりは良く分かりません。
でも、年食ってから離婚されるというのは、なんかこのあたりの「トンチンカンさ」が後々、尾を引いてる気がしてしょうがないですわ。だっていくら言ったところで「やったことがない人」には、何も分からんし、のれんに腕押しなわけでしょ? 議論すること自体が不毛なわけです。
(ただし、女性も「キッチンは女の城よ。入ってこないで。」と防御壁を作ってたりするので、実はおあいこである部分もあるんですけどな。)
数年前に、友人のお母さんが、急病でなくなりまして、その旦那であるお父さんだけが家にひとり残されるという状況になった事があったのですよ。
ふたりの子供のうち、娘は結婚して嫁いでいるし、息子は単身赴任で他県にいてる、と言う状況。
で、葬式が終わった後に、友人一同(とくに女性たち)の間から、一度そのお父さんのいてる家で焼き肉パーティーでもやろう!という話が出ましてな。
「なんでまたそんな事するんやろ?」と、僕はよく分かってなかったんですが、実はそのパーティーは、台所の道具のありかも知らないお父さんに、何がどこにあって、どれをどう使えばいいのかなどを教えてあげる、というのが主たる目的だったわけなのでありました。
「へー、よお気ぃつくなぁ。」と感心したんですがね。
知り合いの女性たちは、焼き肉パーティーの準備がてら、台所の道具一式を徹底点検して逐一、残されたお父さんに確認とりながら、使い方とかも教えておりました。
いやー、たいしたもんやね。えらいね。
とは思ったんですけど、考えたら、そこに気づかなかったのは、僕がひとり暮らしをしてたからかも、とも思うわけで。「そんなん、どうにかなるで。」とか思ってるわけです。実際にはどうにもならんのですけど。
生活能力って、実は一朝一夕に身に付くものではないですからなぁ。いやほんま。
自分を愛する能力と、自分を許す能力と、両方をバランス良く身につけつつ、いろんなノウハウを溜めていかないとうまくやっていけないですしね。
で、そのパーティーが終わった後に、そういうパーティーを企画した、僕の友人の嫁が「お供えどうしよ?」とか聞いてきたわけですわ。
「え?花とか饅頭とかでええんやろ?」というと、「何言うてるの。そんな食べられへんもん、腐りやすいもんはアカンって。残ってるの、お父さんひとりやで。あ、レトルトのカレーにしよか。そうしよ。」
と、言われて「はぁ、なるほどねぇ。そらそうだ。」と、これまた感心することしきりだったわけですが。
いや、しかし、こういう風に気の回る女性がいてる、ということは、逆に言えば、生活能力のない男が、それだけたくさんいてるのが、この国なのだ、ということでもあるんでしょうね。
なんちゅうかねぇ。
坂本龍馬が、「この国を洗濯するがじゃ!」と言うた、とされてますが、いやいや、龍馬さん!洗濯の仕方を知らん男の方が多いですけん。ちょっとそこから考えてごしなんせ。
とまぁ、私は、最近は良く思うのでありますよ。
はい。
何か食っても、食器などは洗わずにおけば、そのまま。いつの間にか片付いてる、なんてことはない。
服だって脱ぎ散らかしていれば、そのままで、服が自分で自分を洗って乾かして、棚に入っておく、なんてことはしてくれない。
しかし。
考えてみると、この当たり前の事を、一生体験しないタイプの人間がいたりするのだなぁと思って、大変だなぁと考えるわけです。
両親のもとで育って、通学、通勤している間も親がかりで、結婚したら結婚相手が洗濯やら食器洗いやらをやってくれるような環境にいてる男。
いやー、これ、かなり多いのか。
そうですなー、多いですよねぇ。そういう男。
おー、ぶるぶるっ。寒気がしてきた。
パソコンが日本に入ってきて「自己責任でお使いください」というスタンスだったのを見て「はぁ、自己責任ですか。面倒やけど、まぁしゃーないですわな。」と、あまり抵抗なく受け入れられたのも、考えてみたら、僕がかなり長くひとり暮らしをやってきたからという気がします。
もうね、ひとり暮らしをしてると、家に帰るたびに「あ、しまった。」というのがあって、「誰が悪いねん!あ、俺か。」ばっかりなわけでして。
エアコンを消し忘れて植物を枯らしたとか。
洗濯物を洗ったまま、洗濯機の中に入れっぱなしにして、ものすごい匂いになってしまったとか。
まぁ、そんな事ばっかりですわね。
で、そういう事を繰り返して、結果として何を学ぶか?というと、もちろん、合理的に生活する術も学んでいくわけですけど、それと平行して「失敗する自分を許す」と言うことも学んでいきますし、「あんまり無理せず、そこそこやっていく」というユルさも学んでいくわけです。
このあたりは、やっぱり基礎の基礎に「自分のことは自分でする」というのがあって、そのうえで「ま、出来る限りはね。」と緩やかさを付け加えるという感じでしょうかね。
とは言うものの、たぶん、ひとり暮らしなんていうのは、日本の文化にはそぐわないんだろうなぁとも思います。もともと「個の確立」なんて考え自体がありませんからな。
「個の確立」なんて、木も生えていない荒涼たる地で、神と自分のつながりだけを考えて生きてきたキリスト教徒が生み出した妄想という側面が大きいですしねぇ。神と個人がつながっていて、個人と個人はあくまで「神との約束」との間でつながっているのが基本だそうですから。
それはそれで「なんだかなぁ」とも思うわけです。
とはいえ、日本の法体系も、政治体系も、いちおうは欧米の仕組み(社会的な意味で「技術」と考えて良いです。まぁパソコンソフトの使い方と同じですわ。)を踏襲しているわけですから、まぁ「個人主義的発想」で、物事を見るしかないわけでねぇ。
面倒くせぇなぁとは思うけど、そうなっちゃってるんだからしょうがないじゃん。ねぇ?
でも、ひとり暮らしもしたことがない人には、こういうのって、かなりストレスなのかもしれませんな。
下着は棚にちゃんと入ってるのが当たり前。
ズボンはいつも良い匂い。
布団もふわふわ。
でも、全部、僕はなんにもやってないよ。
って感覚ね。
そりゃ、快適だわなぁ。自分でなぁ~んもやらんでええんだから。
それをいきなり、「布団干しなさいよ」「洗濯機の使い方も知らんのか?」「食器洗うのに、そんなに洗剤は要らん!」とか、ガミガミ言われたら、まぁたまったものやないでしょうなぁ。
でも、やってる人はやってるんやもん。しゃーないやん。
なぁ~んもせんでも、実は「いつもすまんね、ありがとね。」と感謝してる人なら、それはそれでOKなんですけどな。
でも、ひとり暮らしもしたことない人に限って、
「どうでもええやろ、そんなこと」
という事をグチグチと文句言ったりするわけですわ。なぜか? それは、「自分でやったことがない」からなんですな。だから、ものすごくトンチンカンな文句を言っていて、で、それがまっとうだと思ってるわけです。
どこがまっとうやねん。何も知らんくせに。
と、嫁は思ってたりするのでしょうかねぇ。そのあたりは良く分かりません。
でも、年食ってから離婚されるというのは、なんかこのあたりの「トンチンカンさ」が後々、尾を引いてる気がしてしょうがないですわ。だっていくら言ったところで「やったことがない人」には、何も分からんし、のれんに腕押しなわけでしょ? 議論すること自体が不毛なわけです。
(ただし、女性も「キッチンは女の城よ。入ってこないで。」と防御壁を作ってたりするので、実はおあいこである部分もあるんですけどな。)
数年前に、友人のお母さんが、急病でなくなりまして、その旦那であるお父さんだけが家にひとり残されるという状況になった事があったのですよ。
ふたりの子供のうち、娘は結婚して嫁いでいるし、息子は単身赴任で他県にいてる、と言う状況。
で、葬式が終わった後に、友人一同(とくに女性たち)の間から、一度そのお父さんのいてる家で焼き肉パーティーでもやろう!という話が出ましてな。
「なんでまたそんな事するんやろ?」と、僕はよく分かってなかったんですが、実はそのパーティーは、台所の道具のありかも知らないお父さんに、何がどこにあって、どれをどう使えばいいのかなどを教えてあげる、というのが主たる目的だったわけなのでありました。
「へー、よお気ぃつくなぁ。」と感心したんですがね。
知り合いの女性たちは、焼き肉パーティーの準備がてら、台所の道具一式を徹底点検して逐一、残されたお父さんに確認とりながら、使い方とかも教えておりました。
いやー、たいしたもんやね。えらいね。
とは思ったんですけど、考えたら、そこに気づかなかったのは、僕がひとり暮らしをしてたからかも、とも思うわけで。「そんなん、どうにかなるで。」とか思ってるわけです。実際にはどうにもならんのですけど。
生活能力って、実は一朝一夕に身に付くものではないですからなぁ。いやほんま。
自分を愛する能力と、自分を許す能力と、両方をバランス良く身につけつつ、いろんなノウハウを溜めていかないとうまくやっていけないですしね。
で、そのパーティーが終わった後に、そういうパーティーを企画した、僕の友人の嫁が「お供えどうしよ?」とか聞いてきたわけですわ。
「え?花とか饅頭とかでええんやろ?」というと、「何言うてるの。そんな食べられへんもん、腐りやすいもんはアカンって。残ってるの、お父さんひとりやで。あ、レトルトのカレーにしよか。そうしよ。」
と、言われて「はぁ、なるほどねぇ。そらそうだ。」と、これまた感心することしきりだったわけですが。
いや、しかし、こういう風に気の回る女性がいてる、ということは、逆に言えば、生活能力のない男が、それだけたくさんいてるのが、この国なのだ、ということでもあるんでしょうね。
なんちゅうかねぇ。
坂本龍馬が、「この国を洗濯するがじゃ!」と言うた、とされてますが、いやいや、龍馬さん!洗濯の仕方を知らん男の方が多いですけん。ちょっとそこから考えてごしなんせ。
とまぁ、私は、最近は良く思うのでありますよ。
はい。
日米同盟の正体
2010年8月6日
今日は、「日米同盟の正体」という、全日本人必読の素晴らしい書籍を紹介します。
日米同盟の正体
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062879859
参議院選挙が終わって、政局および、日本の社会の方向性その他を、いろいろ考えているのですが、やっぱりまだまだ分かりません。
いったい我々日本人に、どんな情報が「欠けているのか?」が、ですね。
情報が欠けたまま、世の中を見ても、ただひたすら「釈然としない」というモヤモヤ感が残るだけなんです。
この「釈然としないモヤモヤ感」というのは、いろいろな出来事を、キチンと「ああ、なるほど!」と、本質を捕まえながら生きてこないと、なかなか育たないものでして、だからいつも戦争というものは、「誰もに分かりやすい正義」を振りかざして、人生経験の少ない若者を戦地にほおりこむわけです。
日々の仕事や、日常を、ていねいに生きていれば、ひとつの物事が起こるに際して、いかに社会というものが準備周到に用意を重ねているかがわかるはずなのです。
僕は、コピーライターとして、中小の企業さんをいくつもいくつも取材して会社案内などを作ってきたので、そのあたりのリアルな感覚というのが、(かなり中小企業の社長さん寄りではありますが)けっこう身に付いていると思うのですよ。
たとえば、コンデンサ一個作るにしても、バネ(スプリング)一個を作るにしても、クルマ用のブザー一個を作るにしても、いかに現場の工場のひとりひとりの社員が創意工夫をこらさなければ、世界市場を席巻できないか?ということが身にしみてわかります。
「派遣社員の使い捨てで、価格競争に勝つ」みたいな事をやっていて、世界に通用する品質や企業の信頼感、ブランドは創り出せるものではないのです。
だから、「釈然としないモヤモヤ感」というのを感じ取ると、すぐに「は? なんじゃそりゃ? お前、頭おかしくない?」と、かなりキツイ突っ込みを、どうしても入れたくなってしまうんですね。
今日の朝のNHKで、広島の原爆慰霊祭の中継があって、で、そのせいで、楽しみに見ている「ゲゲゲの女房」が38分も遅れたわけですが、それにしたって、わざわざ「ゲゲゲ」をずらさせて、菅首相の挨拶の最末尾部分で「被爆された方の補償についても面倒をしっかりと見ていきます」という「約束」が多くの国民に耳目に触れるようにしとるなぁ、姑息だなぁと感じたわけですが、まぁこれも、なんとも釈然としませんわな。菅さん、本当に「書面を読む首相」に成り下がっちゃったなぁ、というのが、一番の感想で、そういう人が何を言っても、そりゃ伝わらないって。
ゲゲゲの力を借りても、まぁ無力だわ。
その慰霊祭に、今年はじめて、アメリカの駐日大使が参列して「核のない世界」をアピールした、と言う話なんですけど、うーむ、さて、これをいったいどう評価したら良いモノか。
ここに紹介する「日米同盟の正体」という素晴らしい本を読んだ後で、なおかつオバマが「核廃絶」というテーマでノーベル平和賞をもらうという「追い込まれ」状態になっている事とも合わせて考えないといかんから、すごい難しいよなぁって思います。
ともあれ、平均的な日本人だと「核なき世界」と聞いて、諸手を挙げて賛成ってことになるわけですけど、でも、オバマ政権は、クリントン政権以来、ずーっと続いてる「テロとの戦い」政策を、いまだに強力に実行し続けてるわけですから、元々すごい矛盾なわけですよ。
そういう、「アメリカの軍事的方針の現実」みたいな事が、この「日米同盟の正体」には、キチンと書いてあって、実に面白いのです。とても有意義な本です。
特に、日本人は「日米における軍事的な関係」というと、昔々の「日米安保条約」の事しか頭に入っていない人の方が多いから、なおさら、この本は重要なんですね。
この本のタイトルは、キチンと、
●日米同盟
と書いてあります。
もうね、日本とアメリカはね、あの小泉のドアホの時代にね、完全に「軍事同盟化」させられてるわけですよ。
2005年10月29日の2プラス2での合意、と言う奴です。
これね、本当に国民的議論もないままに締結してるわけですよ、ほんまにヒドイと僕は前から思ってたわけですけど、この「日米同盟の正体」を読んで、なおさら、そのアメリカの「大きな戦略的流れ」がわかって、暗澹たる気持にならざるを得ないわけです。
そういう大前提を、日本人は全然わかってないですからな。
僕は2+2の合意なんか、「国民的合意がないから無効である。」と、はっきり言う政治家が出てきて欲しいと思ってるんですけどね。
どうやろ? 鳩山さんなら言ってたかもしれない。あの人、無茶な人やから。小沢さんは「それはそれとして、まずは国連の議決の有無で動く」という賢い逃げ方をする感じですな。どっちが良いとも悪いとも言えませんけど、だいたいそれ以前に日米はすでに「安保」ではなく「軍事同盟」になっちゃってるんだ、ということ自体を、みんなわかってないんじゃないですかね?
この、「日米同盟の正体」には、そういう大前提の当たり前の知識は、もうキチンとはっきり書いてあるわけですが、この本がすばらしいのは、それ以前に、身につけておかなければいけない、世界的な国家間交渉における「幅広い選択肢」についても、キチンと紹介してくれてる事です。
戦略と戦術なら、戦略レベルの「大きな枠組みでの交渉」という事をしっかりと考えた上での書籍になっている、ということです。
そこが、この本の素晴らしいところです。
ただ、正直言って、全8章中の7章までは、いまのアメリカの戦略がどういう方向性であり、日本がいかにその危険性を理解していないかの裏書きをしているような内容なので、読んでいて辛い、というのが実際なんですけどね。
●日本政府、あまりにアホ。
というのが、手に取るようにわかってしまうのが、ものすごく辛い。
アメリカのしたたかな戦略に乗せられて、とんでもなく危険な領域に突っ込んで行きかねない状況に、いまや追いやられてるんですよ、という話ですな。
ところが、第8章だけは、トーンがまるで違うんですよ。そういう最悪の状況はわかった上で、それでも日本人なら実現可能な、平和で健全なる社会貢献による「国家間交渉」を提言してるわけです。もう、8章だけ方向性違いすぎ! というくらいに違う。
1章から7章までの、現実認識の厳しさがあるからこそ、8章の提言がとても素晴らしいんですよねぇ。
とにかく、この本を読まずして、日本の防衛は語れないです。
ぜひぜひ一読を。
超、おすすめです。
日米同盟の正体
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062879859
参議院選挙が終わって、政局および、日本の社会の方向性その他を、いろいろ考えているのですが、やっぱりまだまだ分かりません。
いったい我々日本人に、どんな情報が「欠けているのか?」が、ですね。
情報が欠けたまま、世の中を見ても、ただひたすら「釈然としない」というモヤモヤ感が残るだけなんです。
この「釈然としないモヤモヤ感」というのは、いろいろな出来事を、キチンと「ああ、なるほど!」と、本質を捕まえながら生きてこないと、なかなか育たないものでして、だからいつも戦争というものは、「誰もに分かりやすい正義」を振りかざして、人生経験の少ない若者を戦地にほおりこむわけです。
日々の仕事や、日常を、ていねいに生きていれば、ひとつの物事が起こるに際して、いかに社会というものが準備周到に用意を重ねているかがわかるはずなのです。
僕は、コピーライターとして、中小の企業さんをいくつもいくつも取材して会社案内などを作ってきたので、そのあたりのリアルな感覚というのが、(かなり中小企業の社長さん寄りではありますが)けっこう身に付いていると思うのですよ。
たとえば、コンデンサ一個作るにしても、バネ(スプリング)一個を作るにしても、クルマ用のブザー一個を作るにしても、いかに現場の工場のひとりひとりの社員が創意工夫をこらさなければ、世界市場を席巻できないか?ということが身にしみてわかります。
「派遣社員の使い捨てで、価格競争に勝つ」みたいな事をやっていて、世界に通用する品質や企業の信頼感、ブランドは創り出せるものではないのです。
だから、「釈然としないモヤモヤ感」というのを感じ取ると、すぐに「は? なんじゃそりゃ? お前、頭おかしくない?」と、かなりキツイ突っ込みを、どうしても入れたくなってしまうんですね。
今日の朝のNHKで、広島の原爆慰霊祭の中継があって、で、そのせいで、楽しみに見ている「ゲゲゲの女房」が38分も遅れたわけですが、それにしたって、わざわざ「ゲゲゲ」をずらさせて、菅首相の挨拶の最末尾部分で「被爆された方の補償についても面倒をしっかりと見ていきます」という「約束」が多くの国民に耳目に触れるようにしとるなぁ、姑息だなぁと感じたわけですが、まぁこれも、なんとも釈然としませんわな。菅さん、本当に「書面を読む首相」に成り下がっちゃったなぁ、というのが、一番の感想で、そういう人が何を言っても、そりゃ伝わらないって。
ゲゲゲの力を借りても、まぁ無力だわ。
その慰霊祭に、今年はじめて、アメリカの駐日大使が参列して「核のない世界」をアピールした、と言う話なんですけど、うーむ、さて、これをいったいどう評価したら良いモノか。
ここに紹介する「日米同盟の正体」という素晴らしい本を読んだ後で、なおかつオバマが「核廃絶」というテーマでノーベル平和賞をもらうという「追い込まれ」状態になっている事とも合わせて考えないといかんから、すごい難しいよなぁって思います。
ともあれ、平均的な日本人だと「核なき世界」と聞いて、諸手を挙げて賛成ってことになるわけですけど、でも、オバマ政権は、クリントン政権以来、ずーっと続いてる「テロとの戦い」政策を、いまだに強力に実行し続けてるわけですから、元々すごい矛盾なわけですよ。
そういう、「アメリカの軍事的方針の現実」みたいな事が、この「日米同盟の正体」には、キチンと書いてあって、実に面白いのです。とても有意義な本です。
特に、日本人は「日米における軍事的な関係」というと、昔々の「日米安保条約」の事しか頭に入っていない人の方が多いから、なおさら、この本は重要なんですね。
この本のタイトルは、キチンと、
●日米同盟
と書いてあります。
もうね、日本とアメリカはね、あの小泉のドアホの時代にね、完全に「軍事同盟化」させられてるわけですよ。
2005年10月29日の2プラス2での合意、と言う奴です。
これね、本当に国民的議論もないままに締結してるわけですよ、ほんまにヒドイと僕は前から思ってたわけですけど、この「日米同盟の正体」を読んで、なおさら、そのアメリカの「大きな戦略的流れ」がわかって、暗澹たる気持にならざるを得ないわけです。
そういう大前提を、日本人は全然わかってないですからな。
僕は2+2の合意なんか、「国民的合意がないから無効である。」と、はっきり言う政治家が出てきて欲しいと思ってるんですけどね。
どうやろ? 鳩山さんなら言ってたかもしれない。あの人、無茶な人やから。小沢さんは「それはそれとして、まずは国連の議決の有無で動く」という賢い逃げ方をする感じですな。どっちが良いとも悪いとも言えませんけど、だいたいそれ以前に日米はすでに「安保」ではなく「軍事同盟」になっちゃってるんだ、ということ自体を、みんなわかってないんじゃないですかね?
この、「日米同盟の正体」には、そういう大前提の当たり前の知識は、もうキチンとはっきり書いてあるわけですが、この本がすばらしいのは、それ以前に、身につけておかなければいけない、世界的な国家間交渉における「幅広い選択肢」についても、キチンと紹介してくれてる事です。
戦略と戦術なら、戦略レベルの「大きな枠組みでの交渉」という事をしっかりと考えた上での書籍になっている、ということです。
そこが、この本の素晴らしいところです。
ただ、正直言って、全8章中の7章までは、いまのアメリカの戦略がどういう方向性であり、日本がいかにその危険性を理解していないかの裏書きをしているような内容なので、読んでいて辛い、というのが実際なんですけどね。
●日本政府、あまりにアホ。
というのが、手に取るようにわかってしまうのが、ものすごく辛い。
アメリカのしたたかな戦略に乗せられて、とんでもなく危険な領域に突っ込んで行きかねない状況に、いまや追いやられてるんですよ、という話ですな。
ところが、第8章だけは、トーンがまるで違うんですよ。そういう最悪の状況はわかった上で、それでも日本人なら実現可能な、平和で健全なる社会貢献による「国家間交渉」を提言してるわけです。もう、8章だけ方向性違いすぎ! というくらいに違う。
1章から7章までの、現実認識の厳しさがあるからこそ、8章の提言がとても素晴らしいんですよねぇ。
とにかく、この本を読まずして、日本の防衛は語れないです。
ぜひぜひ一読を。
超、おすすめです。
今日は、ちょっとテーマがない話を。
「ない」というとちょっと変ですが、まぁ最近、自分なりに、大きく理解した事柄を少し。
人類の歴史は、結局、大きく二つの見方、考え方で成立していて、つねにその揺れの中で進化してきたんじゃないかなぁ、という、僕なりの哲学というか、考え方の基本が整理されてきたんです。
ざっくり言うと、不況に対する対処方法と言い換えてもいいかもしれませんが、人口が増えて、食い扶持が減ってきたときに選ぶ手段が2つあるということですね。
ひとつは戦争です。人を殺して食い扶持を保つというやり方。
もうひとつは技術革新です。狩猟生活から農耕文化に転換するようなやり方です。
結局、人類は、これを繰り返してきたんだろうな、という事ですね。
ここで大事なのは、「予測性」ということの違いです。
戦争をして人を殺すやり方は、実は簡単に予測可能なんです。とても確実、堅実に見えてしまう。いまの社会情勢が変わらないという前提で、戦争による破壊からその復興に関するまでの経済効果が、ある程度そろばんずくで算出できるわけです。
だから、戦争をやりたがる一派というのはなくならないのでしょう。
しかし逆に、技術革新によるやり方は、その効果が「予測不能」なんですよね。
たとえば、水田の技術を知らない狩猟民族に「タネを植えて、その実が出来るまで育てる」という考え方を伝えても、米俵一俵の収穫は想像外のはずです。
「土地が少ないなら、上に積み上げて行けばいいんだ!」と縄文時代の人間に言ったとしても、50階建てのビルなど、想像すること自体が困難だということです。
●真の技術革新は、常に想定外である。
ということなんですよ。
しかし、人類がそれを成してきたからこそ生き延びているのは事実であって、結局、技術革新による解決は「見積り不能」というところに落ち着かざるを得ないんですね。
この「戦争か技術革新か」という二者択一において、明確に違ってくるのが人口の取り扱いなんですね。
戦争経済は人を減らします。それが算出可能な方法だからです。
でも、技術革新の解決法は、人を増やします。なぜなら、天才の発生率が上がるからです。
先が見えない現実があるなら、より可能性のある方をチョイスするしか道はなくて、そうなると数百人、あるいは数千人、数万人に1人の天才に賭けていくしかないわけです。まず母数を増やすということです。
いま、中国が大国になりつつあるのも、実は人口の多さが大きなアドバンテージになっているわけです。
日本で人材育成をしようとしたら、一億数千万人の中から天才を募るか、そうではない凡人の平均点を上げるかしかないですし、英才教育で天才を生み出すにしても、環境を整えるだけでも大変なわけです。
しかし、中国だと、もとから母数が多いので、オーディションの数をドーンと増やせばそれで英才教育の肩代りが出来てしまうんですね。お金が全然かからない。(笑)
大変なことです。
真の天才が1人生まれたら、実は国を救えます。あるいは全人類を救えます。ブッダやキリストがそうだったでしょうし、他にも技術革新の分野でたくさんの天才が現れています。
もしかしたらスティーブ・ジョブスもそういう天才の1人かも知れない。まぁちょっと小粒だけど。
しかし、その「天才度」というのは、決して「見積り」はできないわけです。予測もつかない事を生み出すからこそ天才なのだから、見積りできるわけがないんですね。
このあたりは、任天堂という会社にとっては、いままた見直されているドラッカーの経営理論である「問題解決の答えは、顧客にある。顧客に聞けば分かる」という考え方が全然役に立たないのと似ています。
任天堂の岩田社長はこともなげに、こう言います。
「お客さまを驚かす商売をしているのに、お客さまに答えを聞いていては、何もならない。」
ということです。
でも、実は、これは商売の本質なんですね。
なぜなら、商売はつねに「投資」からしか始まらないからです。
どれだけ売れるのか、その個数はわからなくても、商品をまず仕入れなければ、売れるはずがないんです。
「わからないけど投資する」
「予測できないけれど投資する」
これなくして、商売を始めることはできないんです。
(だから、賢い商売人は、小さい規模の投資から始めて、それを繰り返し、成功率の高いやり方を少しずつ修正しながら繰り返して安定した企業にしていくのです。これが鉄則。)
先日、取材した、ある自動車の部品製造会社さんの生産ラインも似たような事をしておられました。
当初、部品製造のラインを作ったとき、利益率はマイナス20%だったんだそうです。つまり赤字です。
部品を一個作るごとに、2割赤字ですよ!信じられます?
しかし、それを現場の改善で、少しずつ効率化していって、現在ではプラス20%だそうです。その差なんと40%!
これを現場のカイゼンだけでやってるわけです。ひとりひとり全員正社員で、その人のカイゼン能力を信じて、アイディアを出させて、そういうところまで持って行ってる。
これなんて、最初から見積り不能な話ですからね。見積りだけだと絶対赤字ですから。
明日のことは、わからない。でも、自分たちの能力を信じて投資する。
ということです。
これをしない限り、技術革新はやってこない。いまと違う、より良い明日は来ないわけです。
明日の事はわからない、というのは、しかし、自然の摂理にかなっています。
どんなに優れた人間でも、神様ではないのですから、明日の事はわかりません。
わからないものはわからない。
せいぜい人間にわかるのは、AよりBの方が確率が高い、という程度のことです。
そして、この確率の高さという数字だけを頼りにすると、結局は「見積りできる戦争が効率的な投資だ」というアホな結論に達してしまうわけです。
この、「先のことはわからない」「未来の事は見積り不能」という自然の摂理を、正しく認識しているかどうかで生き方や考え方が変わってくるんだろうなと僕は思うのです。
自然の摂理、神の御心に沿った判定をしているかどうかが、結局は、その人の人間としての大きさにつながると思います。
多くの場合、やはり戦争を引き起こして戦争経済でカタをつけようとする発想をする人たちは、とどのつまりは「将来は予測可能である」という大前提に立っていると思う。それはつまり人類の技術革新の連続性に、まったく視点が届いていないバカなんだと思うんですね。
予測も出来ない技術革新はある。
とするなら、そういう戦争のような「見積もれる未来」など無理してまでは選択しないわけです。
で、やっぱり、こういう「先のことはわからない」とする発想は、役人にはかなり苦手な概念みたいなんですね。あいつらは神の御心にしたがってねぇよなぁって思う。
消費税の論議もそうでしょうし、バラマキ批判も同じ事でしょう。子供手当なんて、上記の天才を生み出す論理から言えば、圧倒的に正しいわけです。
たとえば、天才が1万人に1人現れるとすれば、1万8000人だと1人しか天才は現れないんですが、2万人いれば二人あらわれることになります。それはつまり、
●イチローが二人いてる野球界
を考えれば、どれだけエキサイティングかわかる、ということです。
野球業界自体が根本から変わる可能性だってある。
「先の事は見積もれる」とするから、消費税導入などの理屈を述べるわけですが、実際には現実として「先のことは見積もれない」のが現実なわけです。だから、それは自然の摂理に反していて、そしてそれは自然の摂理に反しているから予測が大きく外れて、消費税3%→5%の増税時は、結果として税収ダウンになってしまったわけです。
その失敗の元々のミスは、
●もともと見積もれないものを、「見積もれる」と誤認定したから。
なわけですよ。
根本的なミスです。
バカの極みです。
でも、官僚の無誤謬性とか言う奴で、これは間違ってはいない事になってるわけです。
でも、そんなもの、「明日のことはわからん」のが現実ですからな。現実と乖離したことをしたら、そら失敗するわさ。
まぁ、まだまだ書きたいこともいろいろあるんですが、ともあれ、バラマキは良くないとか言ってる人を見ると「神様にでもなったつもりやろかねぇ。アホやなぁ。」としか思わないわけですよ。
欧米の投資会社、インキュベーターなんかは、何人もの起業家に資金提供をしますけど、その大半は失敗するわけです。
でも、10人に投資しても、1人が十倍以上の技術革新をしたら、それは理にかなうわけです。
それこそ本質的にバラマキです。ほとんどがムダになってるわけだから。
でも、それで良いのだし、それこそが自然の摂理にかなってるわけです。
現実をわかってる人は「先のことはわからん」とわかってる人なわけですよ。
だから「なんでも予測可能だ」「なんでも分かる」と思ってるタイプの人が、どれだけバカか、ということですね。
ともかく、そういうことを、ここのところ良く考えます。
「ない」というとちょっと変ですが、まぁ最近、自分なりに、大きく理解した事柄を少し。
人類の歴史は、結局、大きく二つの見方、考え方で成立していて、つねにその揺れの中で進化してきたんじゃないかなぁ、という、僕なりの哲学というか、考え方の基本が整理されてきたんです。
ざっくり言うと、不況に対する対処方法と言い換えてもいいかもしれませんが、人口が増えて、食い扶持が減ってきたときに選ぶ手段が2つあるということですね。
ひとつは戦争です。人を殺して食い扶持を保つというやり方。
もうひとつは技術革新です。狩猟生活から農耕文化に転換するようなやり方です。
結局、人類は、これを繰り返してきたんだろうな、という事ですね。
ここで大事なのは、「予測性」ということの違いです。
戦争をして人を殺すやり方は、実は簡単に予測可能なんです。とても確実、堅実に見えてしまう。いまの社会情勢が変わらないという前提で、戦争による破壊からその復興に関するまでの経済効果が、ある程度そろばんずくで算出できるわけです。
だから、戦争をやりたがる一派というのはなくならないのでしょう。
しかし逆に、技術革新によるやり方は、その効果が「予測不能」なんですよね。
たとえば、水田の技術を知らない狩猟民族に「タネを植えて、その実が出来るまで育てる」という考え方を伝えても、米俵一俵の収穫は想像外のはずです。
「土地が少ないなら、上に積み上げて行けばいいんだ!」と縄文時代の人間に言ったとしても、50階建てのビルなど、想像すること自体が困難だということです。
●真の技術革新は、常に想定外である。
ということなんですよ。
しかし、人類がそれを成してきたからこそ生き延びているのは事実であって、結局、技術革新による解決は「見積り不能」というところに落ち着かざるを得ないんですね。
この「戦争か技術革新か」という二者択一において、明確に違ってくるのが人口の取り扱いなんですね。
戦争経済は人を減らします。それが算出可能な方法だからです。
でも、技術革新の解決法は、人を増やします。なぜなら、天才の発生率が上がるからです。
先が見えない現実があるなら、より可能性のある方をチョイスするしか道はなくて、そうなると数百人、あるいは数千人、数万人に1人の天才に賭けていくしかないわけです。まず母数を増やすということです。
いま、中国が大国になりつつあるのも、実は人口の多さが大きなアドバンテージになっているわけです。
日本で人材育成をしようとしたら、一億数千万人の中から天才を募るか、そうではない凡人の平均点を上げるかしかないですし、英才教育で天才を生み出すにしても、環境を整えるだけでも大変なわけです。
しかし、中国だと、もとから母数が多いので、オーディションの数をドーンと増やせばそれで英才教育の肩代りが出来てしまうんですね。お金が全然かからない。(笑)
大変なことです。
真の天才が1人生まれたら、実は国を救えます。あるいは全人類を救えます。ブッダやキリストがそうだったでしょうし、他にも技術革新の分野でたくさんの天才が現れています。
もしかしたらスティーブ・ジョブスもそういう天才の1人かも知れない。まぁちょっと小粒だけど。
しかし、その「天才度」というのは、決して「見積り」はできないわけです。予測もつかない事を生み出すからこそ天才なのだから、見積りできるわけがないんですね。
このあたりは、任天堂という会社にとっては、いままた見直されているドラッカーの経営理論である「問題解決の答えは、顧客にある。顧客に聞けば分かる」という考え方が全然役に立たないのと似ています。
任天堂の岩田社長はこともなげに、こう言います。
「お客さまを驚かす商売をしているのに、お客さまに答えを聞いていては、何もならない。」
ということです。
でも、実は、これは商売の本質なんですね。
なぜなら、商売はつねに「投資」からしか始まらないからです。
どれだけ売れるのか、その個数はわからなくても、商品をまず仕入れなければ、売れるはずがないんです。
「わからないけど投資する」
「予測できないけれど投資する」
これなくして、商売を始めることはできないんです。
(だから、賢い商売人は、小さい規模の投資から始めて、それを繰り返し、成功率の高いやり方を少しずつ修正しながら繰り返して安定した企業にしていくのです。これが鉄則。)
先日、取材した、ある自動車の部品製造会社さんの生産ラインも似たような事をしておられました。
当初、部品製造のラインを作ったとき、利益率はマイナス20%だったんだそうです。つまり赤字です。
部品を一個作るごとに、2割赤字ですよ!信じられます?
しかし、それを現場の改善で、少しずつ効率化していって、現在ではプラス20%だそうです。その差なんと40%!
これを現場のカイゼンだけでやってるわけです。ひとりひとり全員正社員で、その人のカイゼン能力を信じて、アイディアを出させて、そういうところまで持って行ってる。
これなんて、最初から見積り不能な話ですからね。見積りだけだと絶対赤字ですから。
明日のことは、わからない。でも、自分たちの能力を信じて投資する。
ということです。
これをしない限り、技術革新はやってこない。いまと違う、より良い明日は来ないわけです。
明日の事はわからない、というのは、しかし、自然の摂理にかなっています。
どんなに優れた人間でも、神様ではないのですから、明日の事はわかりません。
わからないものはわからない。
せいぜい人間にわかるのは、AよりBの方が確率が高い、という程度のことです。
そして、この確率の高さという数字だけを頼りにすると、結局は「見積りできる戦争が効率的な投資だ」というアホな結論に達してしまうわけです。
この、「先のことはわからない」「未来の事は見積り不能」という自然の摂理を、正しく認識しているかどうかで生き方や考え方が変わってくるんだろうなと僕は思うのです。
自然の摂理、神の御心に沿った判定をしているかどうかが、結局は、その人の人間としての大きさにつながると思います。
多くの場合、やはり戦争を引き起こして戦争経済でカタをつけようとする発想をする人たちは、とどのつまりは「将来は予測可能である」という大前提に立っていると思う。それはつまり人類の技術革新の連続性に、まったく視点が届いていないバカなんだと思うんですね。
予測も出来ない技術革新はある。
とするなら、そういう戦争のような「見積もれる未来」など無理してまでは選択しないわけです。
で、やっぱり、こういう「先のことはわからない」とする発想は、役人にはかなり苦手な概念みたいなんですね。あいつらは神の御心にしたがってねぇよなぁって思う。
消費税の論議もそうでしょうし、バラマキ批判も同じ事でしょう。子供手当なんて、上記の天才を生み出す論理から言えば、圧倒的に正しいわけです。
たとえば、天才が1万人に1人現れるとすれば、1万8000人だと1人しか天才は現れないんですが、2万人いれば二人あらわれることになります。それはつまり、
●イチローが二人いてる野球界
を考えれば、どれだけエキサイティングかわかる、ということです。
野球業界自体が根本から変わる可能性だってある。
「先の事は見積もれる」とするから、消費税導入などの理屈を述べるわけですが、実際には現実として「先のことは見積もれない」のが現実なわけです。だから、それは自然の摂理に反していて、そしてそれは自然の摂理に反しているから予測が大きく外れて、消費税3%→5%の増税時は、結果として税収ダウンになってしまったわけです。
その失敗の元々のミスは、
●もともと見積もれないものを、「見積もれる」と誤認定したから。
なわけですよ。
根本的なミスです。
バカの極みです。
でも、官僚の無誤謬性とか言う奴で、これは間違ってはいない事になってるわけです。
でも、そんなもの、「明日のことはわからん」のが現実ですからな。現実と乖離したことをしたら、そら失敗するわさ。
まぁ、まだまだ書きたいこともいろいろあるんですが、ともあれ、バラマキは良くないとか言ってる人を見ると「神様にでもなったつもりやろかねぇ。アホやなぁ。」としか思わないわけですよ。
欧米の投資会社、インキュベーターなんかは、何人もの起業家に資金提供をしますけど、その大半は失敗するわけです。
でも、10人に投資しても、1人が十倍以上の技術革新をしたら、それは理にかなうわけです。
それこそ本質的にバラマキです。ほとんどがムダになってるわけだから。
でも、それで良いのだし、それこそが自然の摂理にかなってるわけです。
現実をわかってる人は「先のことはわからん」とわかってる人なわけですよ。
だから「なんでも予測可能だ」「なんでも分かる」と思ってるタイプの人が、どれだけバカか、ということですね。
ともかく、そういうことを、ここのところ良く考えます。
輪行袋は前輪だけ外すタイプが簡単でおすすめです。
2010年7月27日 自転車 コメント (3)
先週、18日の日曜日に、久しぶりに輪行をしました。
自転車を、バラして手荷物扱いで電車で移動して、異動先でサイクリングを楽しむという、あれです。
前回は約1年前。以下の記事を参考にどうぞ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200908011355319224/
この輪行というのが、実に楽しいもので、「世の中には、こんな楽しいことが存在していたのか!」と、ウキウキしてしまう面白さなんですね。
で、今回収穫だったのは、
●輪行袋の見直しをした
という部分でした。
輪行したことのないツレが同行することになったので、輪行袋を追加購入する必要があったんですが、「どんなものを使おうか?」と見直しをしてみたんです。
輪行袋には、前輪だけを外すタイプのものがあるのは、前から知っていたのですが、ネットの評価などでは「前輪だけ外すタイプはかさばる」と不評だったんですね。
でも、とにかく手間が少なそうだし、一度試してみるかと買ってみたのですが、これが実に良かったのです。
製品はこれ。
[montbell] コンパクト リンコウバッグ クイックキャリー ( 品番 #1130224 )
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1130224
通常の輪行袋は、前輪と後輪の両方を外すのですが、後輪を外すためには、自転車を逆さにして、ハンドル部分で倒立させるとか、けっこう手順が増えてしまうんですね。
だいたい、ハンドルを足がわりに使うとなると、スピードメーターやらライトなどの備品も外さないといけなくなるし、面倒がすごく多い。
でも、前輪だけを外すタイプだと、自転車のスタンド自体で立たせたまま、前輪だけを外すということになるので、この段階で、かなり手間が削除されるんです。
で、通常、後輪も外すとなると、後輪のギア部分が剥き出しになってしまいますし、その部分の保護のためにも「エンド金具」というのをつけないといけないんです。
しかし、そんなエンド金具という道具が増えるという事自体が軽さこそが命の自転車の魅力を奪う行為でして、イマイチ感がどうしてもあったわけです。
でも、前輪だけを外すタイプだと、そういう手間もいりません。しかも、袋自体のデザインがいろいろと工夫が多くて、折りたたみなどの手間もすごく少なくなるように考えられていたんです。
「これは、かなり楽だなぁ」と感じまして、今回はこのタイプの輪行袋を使う事に決定して、実際に輪行に活用してみたわけです。
なにより、このタイプの輪行袋を選ぼうという気持ちを後押ししたのは、海外の輪行事情だったのです。
というのは、自転車利用先進国の間では、自転車はそのまま列車に載せられるというスタイルの国の方が多いわけです。つまりは、わざわざバラすという行為自体が、不自然なはずだ、という気持ちが強かったわけです。だから、その「自然さ」という流れに乗るのが正しかろう、という判断なわけです。
●バラしもせず、袋にも入れないというのが、本来のあり方だ。
っちゅうことですね。
でも、日本の電鉄会社のルールでは「袋に入れること」となってるわけですから、そこだけは守ろうと。
でも、それさえ守れるのなら、手間は最小限にすることが正しいぞ、と考えた、というわけなのです。
おそらく、「世界普遍価値」での判断というのは、こういうところでも、概ねは正解であることが多いはず、と考えたんですね。
が、いざやってみると、やっぱりこのタイプの輪行袋は、自転車がかさばるという大欠点があるわけです。
まぁ本当に、かさばる、かさばる。
普通に置くと、どんな置き方をしても、横幅が長いので、ドアからの搭乗者の邪魔になるか、あるいは車内の通路部分にはみ出して、通路部分を通る人の邪魔になるかになってしまう。
ですから、常に、自転車の横に付いていて、置き方を変えるという手間が発生するわけです。
「ああ、こりゃたまらんなぁ」と思って「やっぱり前輪だけ外すやり方は失敗だったか」とかなりへこんだのですが、「うーんどうしたものか?」と頭をひねっているうちに
●縦位置にして立てかける
という方法を思いついたのでした。
通常の前輪も後輪も外す方法とは違って、前輪だけ外すやり方だと、「厚み」がないんですね。
長い板状になっている感覚なのです。
なので、写真のように、立てかけるやり方で置くと、ものすごく空間が空くのですよ。
この置き方をすると、とにかく他のお客さんの迷惑になりにくいのです。
袋にも入れてるわけですから、タイヤの泥汚れとかが他のお客さんに付くということもないわけですし、
「こりゃあ、いい」
ってなもんです。
しかも、ここから先は列車の構造にもよるので「必ず出来る!」というわけではないのですが、この「板」を車両内の手すりなどにヒモでくくりつけてやると、かなりしっかりと固定できるんですよ。それこそ、あまり自転車に意識を集中することなく、座席に座って移動することも可能になるくらいなのです。
これは、なんでもないことなんですが、かなりストレスが低いです。前に輪行した時は、自転車が回りの迷惑にならないようにかなり気を使って気疲れしてしまったのですが、今回はそれがなかったんですよねぇ。
ということで、この「縦位置にして立てかける」という方法さえ取れば、「前輪を外す」タイプの輪行袋は、かなりおすすめです。ぜひ一度お試しください。
--------------------------------
ちなみに、この輪行袋を作ってる会社は、モンベルという大阪の会社なんですね。もともとは登山用品などを作っていて、どの製品も実際に試用を重ねて、実用的に使いやすいかどうかを繰り返し検討しているメーカーなんだそうです。
今回のこの輪行袋でも、輪行袋を折りたたんだ後に収納するための小さな袋がついているんですが、これが輪行袋自体に縫いつけられていて便利です。縫いつけられた収納袋を目標に輪行袋を折りたためばサッと収納できて収納があっと言う間でした。これが別パーツになっていると、「あれ?収納袋はどこに置いたっけ?」とかになりますし、折りたたみサイズの目算が立たなくて、「えーと」と考える手間が発生するわけです。でも、収納袋が一体化してると、「あのサイズにたためばいいのだ」と目標が自明ですから簡単なんですね。なんということのないことなんですが、場所や時間の限られる出先での収納においては、そういう気遣いが実に役立つ部分なのです。
また、袋の「スソ」部分はヒモをひっぱって絞る形になっているんですが、この引っ張って飛び出したヒモを、収納する小さな小袋も縫いつけられてるんですね。なので、引っ張ってすぐにその袋にヒモを収納できる。手間がすごく減るのです。
収納すれば、500mlのペットボトルくらいに小さくなるし、実に気配りのある商品だと思いますので、お勧めしたいです。
---------------------------------
また、「てすりにヒモで縛り付ける」と書きましたけど、わざわざヒモを用意せずに、「日本手ぬぐい」を少し多めに持ち歩く、というのがおすすめです。
日本手ぬぐいくらいの長さがあれば、肩掛け用のヒモをてすりにしばりつけるのに充分な長さですし、ほどけば普通に手ぬぐいとして活用できるので、すごく便利でした。暑くてたまらなかったんですが、汗拭きに大活躍です。
日本てぬぐいはいいですねー。カラフルでいろんなデザインがあるし、薄い生地なのでかさばらず、たためばハンカチなみ。頭に巻いて帽子代わりにもなるし、ほっかむりしてもいい。しかもヒモにもなって、カバンの中の小物整理とか、簡単な風呂敷代わりにも使えます。アウトドアに使うには抜群の威力を発揮しますので、折りたたんで2~3枚入れておくことをお勧めしたいです。
ちなみに、写真は「自転車柄の日本手ぬぐい」であります。けっこうお気に入りなのですぞ。(笑)
●自転車:ひとよみにっき内実用体験レポート-----------------(2009.09.29追記)
▼基礎的書籍紹介:自転車関連の情報をまとめておきます。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909290836391467/
▼自転車本体:TREK クロスバイク 7.5FX
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811231655512820/
▼地図:自転車とストリートビューと旧街道。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811280158586303/
▼階段克服:道、間違えました。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811291203343466/
▼ヘルメット:恥ずかしのヘルメット。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200812050904248688/
▼ライト:手回し充電ライト
http://hitoyomi.diarynote.jp/200812071125466947/
▼下着:【あったかい!】ミズノ ブレスサーモ アンダーウェア 半袖Vネック A92LN-502
http://hitoyomi.diarynote.jp/200901171257308230/
▼ブレーキ:衝突回避の秘密。(あ、自転車の話ですよ。)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200902190451325362/
▼天気予報サイト紹介:雨が降ると自転車に乗れない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903021357063086/
▼輪行:はじめての輪行。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200908011355319224/
--------------------------------------------------
●「ひとよみにっき」の自転車関連書き込みのみ表示
http://hitoyomi.diarynote.jp/?theme_id=7
●「ひとよみにっき」メニュー(ひとよみにっきのいろいろなテーマで一覧できます。)
http://kids1226.hp.infoseek.co.jp/hitoyomi/
自転車を、バラして手荷物扱いで電車で移動して、異動先でサイクリングを楽しむという、あれです。
前回は約1年前。以下の記事を参考にどうぞ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200908011355319224/
この輪行というのが、実に楽しいもので、「世の中には、こんな楽しいことが存在していたのか!」と、ウキウキしてしまう面白さなんですね。
で、今回収穫だったのは、
●輪行袋の見直しをした
という部分でした。
輪行したことのないツレが同行することになったので、輪行袋を追加購入する必要があったんですが、「どんなものを使おうか?」と見直しをしてみたんです。
輪行袋には、前輪だけを外すタイプのものがあるのは、前から知っていたのですが、ネットの評価などでは「前輪だけ外すタイプはかさばる」と不評だったんですね。
でも、とにかく手間が少なそうだし、一度試してみるかと買ってみたのですが、これが実に良かったのです。
製品はこれ。
[montbell] コンパクト リンコウバッグ クイックキャリー ( 品番 #1130224 )
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1130224
通常の輪行袋は、前輪と後輪の両方を外すのですが、後輪を外すためには、自転車を逆さにして、ハンドル部分で倒立させるとか、けっこう手順が増えてしまうんですね。
だいたい、ハンドルを足がわりに使うとなると、スピードメーターやらライトなどの備品も外さないといけなくなるし、面倒がすごく多い。
でも、前輪だけを外すタイプだと、自転車のスタンド自体で立たせたまま、前輪だけを外すということになるので、この段階で、かなり手間が削除されるんです。
で、通常、後輪も外すとなると、後輪のギア部分が剥き出しになってしまいますし、その部分の保護のためにも「エンド金具」というのをつけないといけないんです。
しかし、そんなエンド金具という道具が増えるという事自体が軽さこそが命の自転車の魅力を奪う行為でして、イマイチ感がどうしてもあったわけです。
でも、前輪だけを外すタイプだと、そういう手間もいりません。しかも、袋自体のデザインがいろいろと工夫が多くて、折りたたみなどの手間もすごく少なくなるように考えられていたんです。
「これは、かなり楽だなぁ」と感じまして、今回はこのタイプの輪行袋を使う事に決定して、実際に輪行に活用してみたわけです。
なにより、このタイプの輪行袋を選ぼうという気持ちを後押ししたのは、海外の輪行事情だったのです。
というのは、自転車利用先進国の間では、自転車はそのまま列車に載せられるというスタイルの国の方が多いわけです。つまりは、わざわざバラすという行為自体が、不自然なはずだ、という気持ちが強かったわけです。だから、その「自然さ」という流れに乗るのが正しかろう、という判断なわけです。
●バラしもせず、袋にも入れないというのが、本来のあり方だ。
っちゅうことですね。
でも、日本の電鉄会社のルールでは「袋に入れること」となってるわけですから、そこだけは守ろうと。
でも、それさえ守れるのなら、手間は最小限にすることが正しいぞ、と考えた、というわけなのです。
おそらく、「世界普遍価値」での判断というのは、こういうところでも、概ねは正解であることが多いはず、と考えたんですね。
が、いざやってみると、やっぱりこのタイプの輪行袋は、自転車がかさばるという大欠点があるわけです。
まぁ本当に、かさばる、かさばる。
普通に置くと、どんな置き方をしても、横幅が長いので、ドアからの搭乗者の邪魔になるか、あるいは車内の通路部分にはみ出して、通路部分を通る人の邪魔になるかになってしまう。
ですから、常に、自転車の横に付いていて、置き方を変えるという手間が発生するわけです。
「ああ、こりゃたまらんなぁ」と思って「やっぱり前輪だけ外すやり方は失敗だったか」とかなりへこんだのですが、「うーんどうしたものか?」と頭をひねっているうちに
●縦位置にして立てかける
という方法を思いついたのでした。
通常の前輪も後輪も外す方法とは違って、前輪だけ外すやり方だと、「厚み」がないんですね。
長い板状になっている感覚なのです。
なので、写真のように、立てかけるやり方で置くと、ものすごく空間が空くのですよ。
この置き方をすると、とにかく他のお客さんの迷惑になりにくいのです。
袋にも入れてるわけですから、タイヤの泥汚れとかが他のお客さんに付くということもないわけですし、
「こりゃあ、いい」
ってなもんです。
しかも、ここから先は列車の構造にもよるので「必ず出来る!」というわけではないのですが、この「板」を車両内の手すりなどにヒモでくくりつけてやると、かなりしっかりと固定できるんですよ。それこそ、あまり自転車に意識を集中することなく、座席に座って移動することも可能になるくらいなのです。
これは、なんでもないことなんですが、かなりストレスが低いです。前に輪行した時は、自転車が回りの迷惑にならないようにかなり気を使って気疲れしてしまったのですが、今回はそれがなかったんですよねぇ。
ということで、この「縦位置にして立てかける」という方法さえ取れば、「前輪を外す」タイプの輪行袋は、かなりおすすめです。ぜひ一度お試しください。
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ちなみに、この輪行袋を作ってる会社は、モンベルという大阪の会社なんですね。もともとは登山用品などを作っていて、どの製品も実際に試用を重ねて、実用的に使いやすいかどうかを繰り返し検討しているメーカーなんだそうです。
今回のこの輪行袋でも、輪行袋を折りたたんだ後に収納するための小さな袋がついているんですが、これが輪行袋自体に縫いつけられていて便利です。縫いつけられた収納袋を目標に輪行袋を折りたためばサッと収納できて収納があっと言う間でした。これが別パーツになっていると、「あれ?収納袋はどこに置いたっけ?」とかになりますし、折りたたみサイズの目算が立たなくて、「えーと」と考える手間が発生するわけです。でも、収納袋が一体化してると、「あのサイズにたためばいいのだ」と目標が自明ですから簡単なんですね。なんということのないことなんですが、場所や時間の限られる出先での収納においては、そういう気遣いが実に役立つ部分なのです。
また、袋の「スソ」部分はヒモをひっぱって絞る形になっているんですが、この引っ張って飛び出したヒモを、収納する小さな小袋も縫いつけられてるんですね。なので、引っ張ってすぐにその袋にヒモを収納できる。手間がすごく減るのです。
収納すれば、500mlのペットボトルくらいに小さくなるし、実に気配りのある商品だと思いますので、お勧めしたいです。
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また、「てすりにヒモで縛り付ける」と書きましたけど、わざわざヒモを用意せずに、「日本手ぬぐい」を少し多めに持ち歩く、というのがおすすめです。
日本手ぬぐいくらいの長さがあれば、肩掛け用のヒモをてすりにしばりつけるのに充分な長さですし、ほどけば普通に手ぬぐいとして活用できるので、すごく便利でした。暑くてたまらなかったんですが、汗拭きに大活躍です。
日本てぬぐいはいいですねー。カラフルでいろんなデザインがあるし、薄い生地なのでかさばらず、たためばハンカチなみ。頭に巻いて帽子代わりにもなるし、ほっかむりしてもいい。しかもヒモにもなって、カバンの中の小物整理とか、簡単な風呂敷代わりにも使えます。アウトドアに使うには抜群の威力を発揮しますので、折りたたんで2~3枚入れておくことをお勧めしたいです。
ちなみに、写真は「自転車柄の日本手ぬぐい」であります。けっこうお気に入りなのですぞ。(笑)
●自転車:ひとよみにっき内実用体験レポート-----------------(2009.09.29追記)
▼基礎的書籍紹介:自転車関連の情報をまとめておきます。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909290836391467/
▼自転車本体:TREK クロスバイク 7.5FX
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811231655512820/
▼地図:自転車とストリートビューと旧街道。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811280158586303/
▼階段克服:道、間違えました。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811291203343466/
▼ヘルメット:恥ずかしのヘルメット。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200812050904248688/
▼ライト:手回し充電ライト
http://hitoyomi.diarynote.jp/200812071125466947/
▼下着:【あったかい!】ミズノ ブレスサーモ アンダーウェア 半袖Vネック A92LN-502
http://hitoyomi.diarynote.jp/200901171257308230/
▼ブレーキ:衝突回避の秘密。(あ、自転車の話ですよ。)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200902190451325362/
▼天気予報サイト紹介:雨が降ると自転車に乗れない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903021357063086/
▼輪行:はじめての輪行。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200908011355319224/
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●「ひとよみにっき」の自転車関連書き込みのみ表示
http://hitoyomi.diarynote.jp/?theme_id=7
●「ひとよみにっき」メニュー(ひとよみにっきのいろいろなテーマで一覧できます。)
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春からずっと、欠かさず「ゲゲゲの女房」を見ておりまして。
今週は、ずっとずっとずっと貧乏のズンドコ、じゃない、どん底だった水木しげるが、「ゲゲゲの鬼太郎」の週刊連載を開始する、というところまで来ていて、なかなかに面白いのであります。
しかし、ここまでが長かったですなぁ。
本当に貧乏の話ばーーーーーっかりで。
何せ水木先生、貸本マンガ専門で書いておられたわけですから。
いまの時代に「貸本マンガ家だったので、貧乏だった」というのは、かなり説明しないとさっぱり分からない話ですからね。
だいたい、貸本マンガと週刊誌とで、作家自体が違ってたんだ、と言う事自体知ってる人がいまや、もういないんじゃないの?というくらいに独自の世界でしたからなぁ。
当時の日本は戦後の高度成長期で、マンガも月刊誌から週刊誌に変わり、貸本マンガを読む人はものすごく減ってたわけです。しかも、その貸本マンガというのは貸本マンガ専用で描かれていたから、発行部数も少ないし、それほど多くの人に知られていたわけでもなかったんですね。
まぁ月刊誌以前は、かなりの人気だったらしいのですが、そういう時代はさすがに僕も良く知りませんし。
でも、赤塚不二夫が手塚治虫の「来るべき世界」とかのSFマンガにショックを受けたのは貸本マンガだったそうですから、それはやはりかなりの人気商売だったのでしょうね。ただ、貸本マンガの世界から大手出版社に乗り換えるのは、並大抵の苦労ではなかったようです。
で、この「ゲゲゲの女房」では、そういう独特の「貸本マンガ」の世界を描かないと、話にならないわけですよ。だから、4月の始めは、まぁ主人公の水木しげるの奥さんのおいたちとかをやって、5月くらいから「貧乏物語」が始まってたわけですが、5月6月とずーーーーっと貸本マンガという独特の世界の悲惨さを描いてばかりだったわけです。
いや、それどころか、貸本マンガの前に、水木先生は「紙芝居」の作家をしていた時期もあったので、「紙芝居」という業界がつぶれていった過程の話まで出てきてたわけです。
とにかく時流に乗り遅れた業界の話ばっかりが延々と続いてたわけです。
で、その貧乏のどん底に陥った水木しげるが言うセリフが、「漫画家はマンガを描いておれば、ええんです。」というもの。とにかく鬼気迫る感じで、ひたすら描く。原稿料が未払いでも、とにかく描く。どんどん描く。ただそれだけ。そこが良いのですなぁ。魅力的。
水木しげる先生は、戦争で左腕をなくされてるんですね。で、昔から絵を描いたり物語を考えるのが好きだった。だから、他の仕事をすると言っても、なかなか難しいでしょうし、もうマンガを描くしか他に道はないという事なわけです。まさに不退転でしてね。
で、この不退転の行動を、役者の向井理くんが演じてるのですが、これがまた大らかでなかなかに良いのです。まぁ水木さん自体が大らかな人だからこそではあるんでしょうが、貧乏だからと卑屈になってないところがすごく良かった。「描いて、女房・子供を食わせるんだ。」という、それだけ。シンプルで良いのです。
で、やっと、その苦労が報われるところまで話が進んできて、だから、いまが一番面白いわけですが、なんですね、この数ヶ月、ずっと「貧乏物語」を見続けてきたからこそ、いまの好機到来が面白いわけで、いきなり今週あたりからだけ見ていても、あんまり面白くはないかなぁ。
--------------
まぁ、それはそれとして。
水木しげるは、このドラマの中では母親から「シゲーさん」と呼ばれてたりするんですよね。このあたりが、僕と名前・呼び名・呼ばれ方が似ていて、かなり親近感を持ってしまうんですよ。
で、水木しげると言えば鳥取県の境港出身ということで、境港の水木しげるロードが有名ですが、実は「生まれ」は大阪だったりするんですよね。しかも、実は、いま僕が住んでる場所近くの生まれらしいのです。まさにゲゲゲ!と驚くばかりでして。
まぁNHKは、小沢さんの報道とかでも、おかしな事ばっかり言ってたし、全然信用してない、つまらん放送局なんですが、「ゲゲゲの女房」はまぁいいかな。
捏造報道とかばっかりしてないで「ゲゲゲ」だけやってりゃいいのに。
あ、相撲もどうでもいいや。いっそ「ちりとてちん」の再放送でもやれ!その方がよっぽど意味があるわい。
やれやれ。
今週は、ずっとずっとずっと貧乏のズンドコ、じゃない、どん底だった水木しげるが、「ゲゲゲの鬼太郎」の週刊連載を開始する、というところまで来ていて、なかなかに面白いのであります。
しかし、ここまでが長かったですなぁ。
本当に貧乏の話ばーーーーーっかりで。
何せ水木先生、貸本マンガ専門で書いておられたわけですから。
いまの時代に「貸本マンガ家だったので、貧乏だった」というのは、かなり説明しないとさっぱり分からない話ですからね。
だいたい、貸本マンガと週刊誌とで、作家自体が違ってたんだ、と言う事自体知ってる人がいまや、もういないんじゃないの?というくらいに独自の世界でしたからなぁ。
当時の日本は戦後の高度成長期で、マンガも月刊誌から週刊誌に変わり、貸本マンガを読む人はものすごく減ってたわけです。しかも、その貸本マンガというのは貸本マンガ専用で描かれていたから、発行部数も少ないし、それほど多くの人に知られていたわけでもなかったんですね。
まぁ月刊誌以前は、かなりの人気だったらしいのですが、そういう時代はさすがに僕も良く知りませんし。
でも、赤塚不二夫が手塚治虫の「来るべき世界」とかのSFマンガにショックを受けたのは貸本マンガだったそうですから、それはやはりかなりの人気商売だったのでしょうね。ただ、貸本マンガの世界から大手出版社に乗り換えるのは、並大抵の苦労ではなかったようです。
で、この「ゲゲゲの女房」では、そういう独特の「貸本マンガ」の世界を描かないと、話にならないわけですよ。だから、4月の始めは、まぁ主人公の水木しげるの奥さんのおいたちとかをやって、5月くらいから「貧乏物語」が始まってたわけですが、5月6月とずーーーーっと貸本マンガという独特の世界の悲惨さを描いてばかりだったわけです。
いや、それどころか、貸本マンガの前に、水木先生は「紙芝居」の作家をしていた時期もあったので、「紙芝居」という業界がつぶれていった過程の話まで出てきてたわけです。
とにかく時流に乗り遅れた業界の話ばっかりが延々と続いてたわけです。
で、その貧乏のどん底に陥った水木しげるが言うセリフが、「漫画家はマンガを描いておれば、ええんです。」というもの。とにかく鬼気迫る感じで、ひたすら描く。原稿料が未払いでも、とにかく描く。どんどん描く。ただそれだけ。そこが良いのですなぁ。魅力的。
水木しげる先生は、戦争で左腕をなくされてるんですね。で、昔から絵を描いたり物語を考えるのが好きだった。だから、他の仕事をすると言っても、なかなか難しいでしょうし、もうマンガを描くしか他に道はないという事なわけです。まさに不退転でしてね。
で、この不退転の行動を、役者の向井理くんが演じてるのですが、これがまた大らかでなかなかに良いのです。まぁ水木さん自体が大らかな人だからこそではあるんでしょうが、貧乏だからと卑屈になってないところがすごく良かった。「描いて、女房・子供を食わせるんだ。」という、それだけ。シンプルで良いのです。
で、やっと、その苦労が報われるところまで話が進んできて、だから、いまが一番面白いわけですが、なんですね、この数ヶ月、ずっと「貧乏物語」を見続けてきたからこそ、いまの好機到来が面白いわけで、いきなり今週あたりからだけ見ていても、あんまり面白くはないかなぁ。
--------------
まぁ、それはそれとして。
水木しげるは、このドラマの中では母親から「シゲーさん」と呼ばれてたりするんですよね。このあたりが、僕と名前・呼び名・呼ばれ方が似ていて、かなり親近感を持ってしまうんですよ。
で、水木しげると言えば鳥取県の境港出身ということで、境港の水木しげるロードが有名ですが、実は「生まれ」は大阪だったりするんですよね。しかも、実は、いま僕が住んでる場所近くの生まれらしいのです。まさにゲゲゲ!と驚くばかりでして。
まぁNHKは、小沢さんの報道とかでも、おかしな事ばっかり言ってたし、全然信用してない、つまらん放送局なんですが、「ゲゲゲの女房」はまぁいいかな。
捏造報道とかばっかりしてないで「ゲゲゲ」だけやってりゃいいのに。
あ、相撲もどうでもいいや。いっそ「ちりとてちん」の再放送でもやれ!その方がよっぽど意味があるわい。
やれやれ。
『菅敗』-菅直人首相参院選完敗の歌-
2010年7月12日コメント (3)選挙の総括をしたいとは思いつつ、今回は思うところがいろいろありすぎて、簡単に書けないんですよねぇ。
多分、概ね、今回の選挙は、誰1人として「予想通り」ではなかったんじゃないか?と思われます。
民主党も、官僚も、自民党も、マスコミも、国民も、みんな全員が「思惑とはかなり外れた」選挙結果だったように僕は思ってるんです。
そのあたりの事は、もう少しいろいろ調べてみて、また書きます。まだ、分析が済んでないんですよ。僕の中で。
ということで、今日は、そういう事とは別に、例の植草一秀さんが、すごく面白い替え歌を発表されたので、勝手に全文ご紹介。まぁ、問題があれば削除しますが、問題はなかろうと思いまして。
しかし、植草さん、こんな才能があったんだ。驚き。(笑)
植草さんのブログはご存じとは思いますが、
植草一秀の『知られざる真実』
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/
です。直に見に行く方が、より良いですよ。
ということで、以下コピペ。
(転載開始)--------------------------------------------
『菅敗』-菅直人首相参院選完敗の歌-
第22回参議院選挙菅直人首相完敗の歌
2010年7月12日 (月)
『菅敗』
(長渕剛「乾杯」のメロディーで)
かたい絆を あっさり捨てて
仁義を尽くさぬ 裏切りの日々
小沢を傷つけ 出世を喜び
総理の椅子に座った あの日
あれからどれくらい たったのだろう
参院議席を いくつ数えたろう
民主支援者は いまでも君の
心の中にいますか?
完敗!
いま君は人生の厳しく悲しい舞台を去り
はるか険しい道のりを歩き始めた
民主に幸せあれ!
スポットライトの 中の総理は
責任逃れに 血眼(ちまなこ)になる
消費税大増税 言い出したのは君
言い訳なんか しないほうがいい!
選挙の洗礼を 身体に浴びて
振りかえらずに そのまま引けばよい
風に吹かれても 雨に打たれても
信じた政策に 背を向けるな
完敗!
いま君は党内の歪んでねじれた舞台を去り
再編始まる道のりが開き始める
民主に出直しあれ!
完敗!
いま君は党内の歪んでねじれた舞台を去り
国民主権の道のりが開き始める
民主に再生あれ!
民主に再生あれ!
(転載終了)--------------------------------------------
多分、概ね、今回の選挙は、誰1人として「予想通り」ではなかったんじゃないか?と思われます。
民主党も、官僚も、自民党も、マスコミも、国民も、みんな全員が「思惑とはかなり外れた」選挙結果だったように僕は思ってるんです。
そのあたりの事は、もう少しいろいろ調べてみて、また書きます。まだ、分析が済んでないんですよ。僕の中で。
ということで、今日は、そういう事とは別に、例の植草一秀さんが、すごく面白い替え歌を発表されたので、勝手に全文ご紹介。まぁ、問題があれば削除しますが、問題はなかろうと思いまして。
しかし、植草さん、こんな才能があったんだ。驚き。(笑)
植草さんのブログはご存じとは思いますが、
植草一秀の『知られざる真実』
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/
です。直に見に行く方が、より良いですよ。
ということで、以下コピペ。
(転載開始)--------------------------------------------
『菅敗』-菅直人首相参院選完敗の歌-
第22回参議院選挙菅直人首相完敗の歌
2010年7月12日 (月)
『菅敗』
(長渕剛「乾杯」のメロディーで)
かたい絆を あっさり捨てて
仁義を尽くさぬ 裏切りの日々
小沢を傷つけ 出世を喜び
総理の椅子に座った あの日
あれからどれくらい たったのだろう
参院議席を いくつ数えたろう
民主支援者は いまでも君の
心の中にいますか?
完敗!
いま君は人生の厳しく悲しい舞台を去り
はるか険しい道のりを歩き始めた
民主に幸せあれ!
スポットライトの 中の総理は
責任逃れに 血眼(ちまなこ)になる
消費税大増税 言い出したのは君
言い訳なんか しないほうがいい!
選挙の洗礼を 身体に浴びて
振りかえらずに そのまま引けばよい
風に吹かれても 雨に打たれても
信じた政策に 背を向けるな
完敗!
いま君は党内の歪んでねじれた舞台を去り
再編始まる道のりが開き始める
民主に出直しあれ!
完敗!
いま君は党内の歪んでねじれた舞台を去り
国民主権の道のりが開き始める
民主に再生あれ!
民主に再生あれ!
(転載終了)--------------------------------------------
昨日の話の続きですが、官僚のような「無能な働き者」は処刑するしかないんです。
ようは、徹底的な排除ですね。
で、「無能な働き者」の代表が官僚なのだから、そういう人種をいかに黙らせるか?なんですけど、しかし、この官僚と言う奴の政治における力が、いまは強すぎるんです。
で、その官僚たちが、いかにして「権力の維持」をやっているかの「支配ツール」を使いこなしているか?というと、それはもう、ものすごくたくさんの手法があるんですね。
たとえば、歴代の首相が何故か国民の側を向かないようになっちゃうのも、「首相の発言の責任は重いのですよ!」と「教育」してがんじがらめにして、回りの人材も官僚スタッフばっかりにして「座敷牢」に閉じこめ、情報を与えずに「洗脳」し続ける、ということをやるからなんです。
で、こういう官僚の権力コントロールの手法を、次々に明かしてくれている本がありまして、それが、元内閣参事官で財務省の官僚でもあった高橋洋一氏が書いた、
「日本は財政危機ではない!」
なのであります。
どうです、このタイトル!
元財務相の人間が、こう言ってるんだから本当の話なんですよ。
しかも、この人、小泉政権の時に、さんざん郵政改革やら何やらでプランナーとして辣腕をふるった人なわけです。バリバリに現場の人です。
その現場の人が書いたこの本には、とにかく、いかに官僚が世論を誘導するかという話がたくさん載っていて。
「なるほど!」
「おお、そんな事をしてたのか!」
「うげげがえおごっっ。ずるい!」
という「官僚のズル」の種明かしが満載なんですね。そりゃもうひどいもんです。
その中でも特に「ああ、そうか、こらいかん」と思ったのが、
●やまびこ方式と過去官僚
という話。
これが実にやばい。
どういうことかというと、たとえば公務員の制度改革のように官僚にとって都合の悪い政策を内閣の政治家たちが実行し始めると、その場では反論せずに、「問題だよなぁ」というようなペーパーを作って怪文書として流すわけです。あるいはマスコミにリーク記事として流しても良いわけです。とにかく、山に向かって「おーい」と投げかけるわけですね。
そうすると、議員の中には、元官僚の政治家というのがいてるわけです。そういうのが「おう、仲間が困っとるな」と言う事で、それに反応して国会内とか、政党内とかで「いまの内閣の政策は、こういう問題があるではないか!どうするつもりだ!」と騒いで、政策を潰すように動くのだそうです。
こんな事やられたら、いつまでたっても、公務員の権力を減らしていくような改革はできないわけですよ。
で、こういうバカがいてるから、不況の真っ最中に消費税を上げる、などというトンデモ政策が普通に力を持ってしまうわけです。
いま、菅さんの回りにいてるのは、こういうタチの悪い、能力がないのに、やたらとこまごまと自分たちの「お得」になるようにだけ動く、「過去官僚」ばっかりなんですよ。
ちょっと調べたらわかりますけど。
ネットというのは便利ですから、すぐにわかります。
ほんとうに、どうでもいい、死んで欲しいというような存在が、この劣悪なる「過去官僚」どもなわけです。
ホントに死んで欲しい。邪魔やから。
だから、今度の選挙、つまり明日ですが、明日、何より重要な事は、そういう「過去官僚」の議員を落とす事なんですよ。
他に大事なことは一切ありません。
また、税金などの国のお金にまつわる部分で仕事をしてきた弁護士、税理士、司法書士なども、実はこういう「過去官僚」君たちに、すぐ洗脳されてしまいやすい業種ですから、そういう業種出身の人間も、できるだけ排除した方が、より良いと思います。
で、そうやってチョイスしていくと、結局、タレント議員しか残らないという話になったりするんですよ。
テレビや新聞は、すぐに「タレント議員はダメだ」と、ワンパターンのラベリングでダメ出ししますが、上記のような仕組み、そして昨日書いた「無能で怠け者」より「無能な働き者」をまっさきに処刑すべき、という話から言っても、タレント議員は最悪「無能な怠け者」にしかなりませんから大丈夫なんです。
なんでかというと、タレント議員だと「やまびこ」に、「あいや、わかった」と反応したりはしませんから、「え?そうなの?それっておかしくない?」と何もしないはずなんです。
ここが、ものすごく重要なわけです。
そういう人間を国会内に増やした方が、絶対に良いわけですよ。
おかしなやまびこに反応しない人を選ぶ方が、絶対に良い。
で、テレビや新聞がやたらと「タレント議員なんてダメ」というような論調を張る事こそ、まさに官僚たちの作戦なんです。そんなものに乗ってはいけません。
タレント議員が政治がわかってないからダメというなら、一般市民はもっとダメという話にしかならないじゃないですか。それはおかしい。まず生活者に近い人間をこそ、国会に送り込まないとダメなんですよ。
●過去官僚はダメ。
●士業出身者もダメ。
です。
ようは、そういう基準で選ぶ事が、非常に大切だと僕は思います。
--------------
さて、その「官僚が無能」という話に関しては、実は、この高橋洋一さんの「日本は財政危機ではない」を読むと、それこそ山のように実例を紹介してくれています。この本だけでなく、高橋さんは「さらば財務省」という本も書いていて、その中でさんざん官僚のダメさ加減を、これでもか!と紹介してくれてるんですね。
で、です。
この人は、官僚の中にあっても、「ようは官僚は政治家の言う事を聞く、国民の意思に従うことが大切なのだ」というまともな事を、キチンと言える人なわけです。かなりマシな人です。
で、また、さまざまな政策立案もされて、それを小泉政権の時にいろいろ実行してます。郵貯の民営化手順も、この人が組んだわけです。実務家でもあるし、それなりに実行力もあります。そして、財務省の人間ですから、国家財政の事はよーくわかっているし、経済の事も、他の官僚よりはるかに、よくわかってる人なわけですよ。
ようは、官僚の中でも、トップクラスと言って良いのです。
その高橋さんが、2008年10月10日発行のこの本の中で、サブプライムローンの問題について、こういう事を書いてるわけです。
(引用開始)--------------------
●サブプライム問題を恐れるな。
世界の金融はいま、サブプライムローン問題で揺れている。
サブプライムローン問題は、世界の経済に大打撃を与えた。このような大きなマイナス要因があるなかで、日本経済が四%も五%も成長するのはむずかしいのではないか、と思われる人もいるかもしれない。しかし、サブプライムローン問題は、ほとんど日本経済には関係がない。
(引用終了)--------------------
どうです、これ。2008年10月10日の段階で、
●サブプライムローン問題は、ほとんど日本経済には関係がない。
という、実に致命的な判断ミスをしてるわけですよ。世間に大量にいた経済評論家たちと、同じ種類のバカ解説に基づいて、根本的ミスをしてます。
何をアホな事言うてんねん! っちゅう話ですわ。バカな事を言うな!ですよ。
この後、どうなったかと言うとサブプライムローンが引き金になってリーマンショックになって、もっとも大きな被害を被ったのは、実は日本ですからね。企業が軒並み赤字になって。
こういう大きな問題で、判断ミスをしてしまうのが官僚です。
なぜミスをするか?
単純な話で、「実体経済をわかっていないから」です。
普通に街なかにいてる八百屋さんのような、あたりまえの経済行為をやってないからです。
汗水垂らして働いていないからです。
自分の労働が、お客さまにどう判断されているのかを、日々真剣に敏感に感じ取ると言うことをやっていないからです。
そういう、当たり前で、もっとも重要な基礎情報に関して、「完全音痴」なのが、官僚という無能集団なんですよ。
こういう集団に日本をまかせてはいけません。
とくに、経済に関する事をまかせたら、どうしようもなく、とんでもない事をするのは火を見るより明らかなんです。
こういうバカばっかりだからこそ、貧血状態の国民に「献血しましょう!」と言うような消費税増税を提案するという愚かな事を言い出すわけです。
で、消費税増税して、国家の財政が良くなるならいいですけど、前に3%から5%に上げた時は、消費が冷え込んだので、結果として2兆7000億円も税収が落ち込んでしまったんですよ?
そういうことの全てが、全部、一切合切、
●官僚がアホやから。
起きている事なんですよ。
日本の不況は、はっきり「官製不況」なんです。官僚がアホで無能だから、「過去官僚議員」とか、「記者クラブ支配による新聞・テレビのコントロール」とか、迷惑なだけの支配の仕組み、ツールを山のように使って、日本を破滅へと向かわせているわけです。
ということですので、明日日曜日は、堂々と自信を持ってタレント議員に投票してください。
元官僚とか士業の人間とかに投票してはダメです。
国を誤りますぞ。
いや、ほんと。マジに。
そういうことです。
ようは、徹底的な排除ですね。
で、「無能な働き者」の代表が官僚なのだから、そういう人種をいかに黙らせるか?なんですけど、しかし、この官僚と言う奴の政治における力が、いまは強すぎるんです。
で、その官僚たちが、いかにして「権力の維持」をやっているかの「支配ツール」を使いこなしているか?というと、それはもう、ものすごくたくさんの手法があるんですね。
たとえば、歴代の首相が何故か国民の側を向かないようになっちゃうのも、「首相の発言の責任は重いのですよ!」と「教育」してがんじがらめにして、回りの人材も官僚スタッフばっかりにして「座敷牢」に閉じこめ、情報を与えずに「洗脳」し続ける、ということをやるからなんです。
で、こういう官僚の権力コントロールの手法を、次々に明かしてくれている本がありまして、それが、元内閣参事官で財務省の官僚でもあった高橋洋一氏が書いた、
「日本は財政危機ではない!」
なのであります。
どうです、このタイトル!
元財務相の人間が、こう言ってるんだから本当の話なんですよ。
しかも、この人、小泉政権の時に、さんざん郵政改革やら何やらでプランナーとして辣腕をふるった人なわけです。バリバリに現場の人です。
その現場の人が書いたこの本には、とにかく、いかに官僚が世論を誘導するかという話がたくさん載っていて。
「なるほど!」
「おお、そんな事をしてたのか!」
「うげげがえおごっっ。ずるい!」
という「官僚のズル」の種明かしが満載なんですね。そりゃもうひどいもんです。
その中でも特に「ああ、そうか、こらいかん」と思ったのが、
●やまびこ方式と過去官僚
という話。
これが実にやばい。
どういうことかというと、たとえば公務員の制度改革のように官僚にとって都合の悪い政策を内閣の政治家たちが実行し始めると、その場では反論せずに、「問題だよなぁ」というようなペーパーを作って怪文書として流すわけです。あるいはマスコミにリーク記事として流しても良いわけです。とにかく、山に向かって「おーい」と投げかけるわけですね。
そうすると、議員の中には、元官僚の政治家というのがいてるわけです。そういうのが「おう、仲間が困っとるな」と言う事で、それに反応して国会内とか、政党内とかで「いまの内閣の政策は、こういう問題があるではないか!どうするつもりだ!」と騒いで、政策を潰すように動くのだそうです。
こんな事やられたら、いつまでたっても、公務員の権力を減らしていくような改革はできないわけですよ。
で、こういうバカがいてるから、不況の真っ最中に消費税を上げる、などというトンデモ政策が普通に力を持ってしまうわけです。
いま、菅さんの回りにいてるのは、こういうタチの悪い、能力がないのに、やたらとこまごまと自分たちの「お得」になるようにだけ動く、「過去官僚」ばっかりなんですよ。
ちょっと調べたらわかりますけど。
ネットというのは便利ですから、すぐにわかります。
ほんとうに、どうでもいい、死んで欲しいというような存在が、この劣悪なる「過去官僚」どもなわけです。
ホントに死んで欲しい。邪魔やから。
だから、今度の選挙、つまり明日ですが、明日、何より重要な事は、そういう「過去官僚」の議員を落とす事なんですよ。
他に大事なことは一切ありません。
また、税金などの国のお金にまつわる部分で仕事をしてきた弁護士、税理士、司法書士なども、実はこういう「過去官僚」君たちに、すぐ洗脳されてしまいやすい業種ですから、そういう業種出身の人間も、できるだけ排除した方が、より良いと思います。
で、そうやってチョイスしていくと、結局、タレント議員しか残らないという話になったりするんですよ。
テレビや新聞は、すぐに「タレント議員はダメだ」と、ワンパターンのラベリングでダメ出ししますが、上記のような仕組み、そして昨日書いた「無能で怠け者」より「無能な働き者」をまっさきに処刑すべき、という話から言っても、タレント議員は最悪「無能な怠け者」にしかなりませんから大丈夫なんです。
なんでかというと、タレント議員だと「やまびこ」に、「あいや、わかった」と反応したりはしませんから、「え?そうなの?それっておかしくない?」と何もしないはずなんです。
ここが、ものすごく重要なわけです。
そういう人間を国会内に増やした方が、絶対に良いわけですよ。
おかしなやまびこに反応しない人を選ぶ方が、絶対に良い。
で、テレビや新聞がやたらと「タレント議員なんてダメ」というような論調を張る事こそ、まさに官僚たちの作戦なんです。そんなものに乗ってはいけません。
タレント議員が政治がわかってないからダメというなら、一般市民はもっとダメという話にしかならないじゃないですか。それはおかしい。まず生活者に近い人間をこそ、国会に送り込まないとダメなんですよ。
●過去官僚はダメ。
●士業出身者もダメ。
です。
ようは、そういう基準で選ぶ事が、非常に大切だと僕は思います。
--------------
さて、その「官僚が無能」という話に関しては、実は、この高橋洋一さんの「日本は財政危機ではない」を読むと、それこそ山のように実例を紹介してくれています。この本だけでなく、高橋さんは「さらば財務省」という本も書いていて、その中でさんざん官僚のダメさ加減を、これでもか!と紹介してくれてるんですね。
で、です。
この人は、官僚の中にあっても、「ようは官僚は政治家の言う事を聞く、国民の意思に従うことが大切なのだ」というまともな事を、キチンと言える人なわけです。かなりマシな人です。
で、また、さまざまな政策立案もされて、それを小泉政権の時にいろいろ実行してます。郵貯の民営化手順も、この人が組んだわけです。実務家でもあるし、それなりに実行力もあります。そして、財務省の人間ですから、国家財政の事はよーくわかっているし、経済の事も、他の官僚よりはるかに、よくわかってる人なわけですよ。
ようは、官僚の中でも、トップクラスと言って良いのです。
その高橋さんが、2008年10月10日発行のこの本の中で、サブプライムローンの問題について、こういう事を書いてるわけです。
(引用開始)--------------------
●サブプライム問題を恐れるな。
世界の金融はいま、サブプライムローン問題で揺れている。
サブプライムローン問題は、世界の経済に大打撃を与えた。このような大きなマイナス要因があるなかで、日本経済が四%も五%も成長するのはむずかしいのではないか、と思われる人もいるかもしれない。しかし、サブプライムローン問題は、ほとんど日本経済には関係がない。
(引用終了)--------------------
どうです、これ。2008年10月10日の段階で、
●サブプライムローン問題は、ほとんど日本経済には関係がない。
という、実に致命的な判断ミスをしてるわけですよ。世間に大量にいた経済評論家たちと、同じ種類のバカ解説に基づいて、根本的ミスをしてます。
何をアホな事言うてんねん! っちゅう話ですわ。バカな事を言うな!ですよ。
この後、どうなったかと言うとサブプライムローンが引き金になってリーマンショックになって、もっとも大きな被害を被ったのは、実は日本ですからね。企業が軒並み赤字になって。
こういう大きな問題で、判断ミスをしてしまうのが官僚です。
なぜミスをするか?
単純な話で、「実体経済をわかっていないから」です。
普通に街なかにいてる八百屋さんのような、あたりまえの経済行為をやってないからです。
汗水垂らして働いていないからです。
自分の労働が、お客さまにどう判断されているのかを、日々真剣に敏感に感じ取ると言うことをやっていないからです。
そういう、当たり前で、もっとも重要な基礎情報に関して、「完全音痴」なのが、官僚という無能集団なんですよ。
こういう集団に日本をまかせてはいけません。
とくに、経済に関する事をまかせたら、どうしようもなく、とんでもない事をするのは火を見るより明らかなんです。
こういうバカばっかりだからこそ、貧血状態の国民に「献血しましょう!」と言うような消費税増税を提案するという愚かな事を言い出すわけです。
で、消費税増税して、国家の財政が良くなるならいいですけど、前に3%から5%に上げた時は、消費が冷え込んだので、結果として2兆7000億円も税収が落ち込んでしまったんですよ?
そういうことの全てが、全部、一切合切、
●官僚がアホやから。
起きている事なんですよ。
日本の不況は、はっきり「官製不況」なんです。官僚がアホで無能だから、「過去官僚議員」とか、「記者クラブ支配による新聞・テレビのコントロール」とか、迷惑なだけの支配の仕組み、ツールを山のように使って、日本を破滅へと向かわせているわけです。
ということですので、明日日曜日は、堂々と自信を持ってタレント議員に投票してください。
元官僚とか士業の人間とかに投票してはダメです。
国を誤りますぞ。
いや、ほんと。マジに。
そういうことです。
官僚は、「無能な働き者」だなぁ。処刑するしかあるまい。
2010年7月9日タイトルは、「ゼークトの組織論」からのパクリです。
「無能な働き者は、処刑するしかあるまい。」
という話。
ゼークトというのは、ドイツの軍人で、敗戦によって軍備を10万人に制限され、参謀本部も禁止されたという「緊縮財政」の中で軍の再建をしたということで有名なハンス・フォン・ゼークトなんですが、「ゼークトの組織論」は、そのゼークトが言った(と言うことになってますが、本当かどうかはわかりません。僕も未確認。)軍人の「タイプ分け」の話です。
「ゼークトの組織論」いわく、軍人は4種類に分類されると言います。
それは「有能・無能」「働き者・怠け者」の2つの基準の掛け合わせで4象限で考える、というもの。簡単に整理すると、
●有能な者の中にも、
・怠け者
・働き者
の2種類がおり、
●無能な者の中にも
・怠け者
・働き者
がいる。
ということですね。
で、この「ゼークトの組織論」が、誰が言ったのかは別にして、いろいろなところで繰り返し語られる理由は、この
●怠け者
●働き者
の評価が一般とまったく逆だから、なんですね。
基本、「怠け者」の方を上位に位置づけてるんですよ。
引用しますね。
(引用開始)----------------------
●有能な怠け者。これは前線指揮官に向いている。
理由は主に二通りあり、一つは怠け者であるために部下の力を遺憾なく発揮させるため。そして、どうすれば自分が、さらには部隊が楽に勝利できるかを考えるためである。
●有能な働き者。これは参謀に向いている。
理由は、勤勉であるために自ら考え、また実行しようとするので、部下を率いるよりは参謀として司令官を補佐する方がよいからである。また、あらゆる下準備を施すためでもある。
●無能な怠け者。これは総司令官または連絡将校に向いている、もしくは下級兵士。
理由は自ら考え動こうとしないので参謀や上官の命令どおりに動くためである。
●無能な働き者。これは処刑するしかない。
理由は働き者ではあるが、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、さらなる間違いを引き起こすため。
(引用終了)-----------------------
という事です。
この「ゼークトの組織論」って、いろんな経営論とかで、いつも引き合いに出される話なんですよねぇ。
なんでこんなに引用されるのか?って言うのが問題で、それはやっぱり、最後の、
●無能な働き者。これは処刑するしかない。
というところが、仕事をしている人間の琴線に触れる部分があるからなんですよね。やっぱり。
具体的に仕事をしていて、この「無能な働き者」ほど、邪魔で、仕事において排除したくなる存在というのはいないんですよねぇ。
「お前、わかってへんのやったら黙っとけぇ!ボケが!」と怒鳴りつけたくなる。
トンチンカンな事を言って、話をおかしな方向にばかり誘導してしまう。「おいおいおい、そんな事どうでもええやろ」とか思うわけです。で、誰もが「邪魔な奴やなぁ」と思ってるんですな。
で、「これなら、無能で何もしない奴の方が、よっぽどマシでっせ。」とならざるをえないわけです。
そういう実感がすごくあるわけですよ。僕なんかまさに「無能で怠け者」だから、一番よく解る。
有能で働き者の参謀が情報を的確に集めて、それを有能で怠け者の現場指揮官に手渡せば、一番手間なく手柄を立てやすい計画をチョイスしれくれるわけだから、「無能の怠け者」には、それが一番ありがたいわけですよ。
ところが、「無能で働き者」というわけのわからん存在が世の中にはおりまして、そういう奴が社会や世間を引っかき回すわけですよ。
僕は無能人間なんで、無能な奴のアホな発想「だけ」は、すぐわかるわけです。何もわからずに「マジメさ」だけで行動したり発言してるアホというのは、もう本当にすぐにわかる。
同じ無能の匂いがするからでしょうねぇ。
「あああああ、こいつアホや。黙っとれ!」という気になるわけです。
で。
この「バカで真面目」というものの代表が官僚ですわ。
もう、本当に、そう言うしかない。
きゃつらの「自分が正しい」という根拠は、いつもいつも「私たちが真面目だから」という自己撞着に帰結していて、聞いていてあきれる。
「官僚の無誤謬性」という言葉を知ってますか?
これは「官僚は決して間違いを犯さない」という官僚制度の「大前提」の話なんですよ。
信じられない!
間違いを犯さない人間なんかいてませんって!
しかし、日本の国家体制は「官僚の無誤謬性」を前提に動いてるんですよ。
どうにかしてくれ。
---------------
官僚の話はともかく。
一般の人間でも、この「無能な働き者」って言うのがいてて、かなり僕は嫌いです。
向こうへ行け!邪魔や、お前ら!
と言いたくなる。
それは僕が無能で怠けものだからなんですよね。
無能な人間が、まず最初にしないといけない事は、
●自分が無能である。
ということに気づく事です。
この「自分が無能であることに気づく」というのが、だいたい難しい。けっこう困難をともなう課題なんですよ。人間、自分の価値を高く認識したいですから。
ま、このあたりは話が長くなるので、ちょっと置いておきます。
で、次にしなければいけないのが、
●能力を高める
という事です。「無能で怠け者」の人間が、まず先にしないといけないのは、まず「有能性」を身につける事なんですよ。
なんでか?というと、能力を身につけるためには、「怠けて」はいられないからです。
当然でしょ?
もともと特殊な才能がある人は別にして、そうでない普通人なら、何かの能力を身につけるために精一杯の努力をするしかないわけですよ。
だから、まず、本を読むとか、詳しい人の話を聞くとか、そういうことを、コツコツ、コツコツと続けていくしかないわけです。
他の道はありませんわ。
僕が本を読むことを、ずっとオススメし続けてるのは、それが「怠け者」には、一番簡単で手軽だからなんですね。本当は体験して体当たり実行して学んでいくのが一番良いのですが、そこまでの行動力はなかなかないです。僕は。
(まぁ、仕事で体験してきた事は、かなりの知識になっているので、そこは僕自身にとってもかなり重要なリソースではありますが、とりあえず、その話は横に置いておきます。)
でも、実は「働き者」になるのは、すぐできるんですね。なんか世間のクソ真面目な「常識」のようなものに則って、それらしい発言をしていれば、カッコはつきますから。
消費税増税にしても、「将来の子ども達に」とか「しっかりとした福祉を」とか、そういう「絵に描いた餅」を提示されて、すぐに飛びつくバカが「無能な働き者」ですな。
将来の子ども達のためにって、いま貧血を起こしてる母親に献血を迫ったら、将来の子どもも生まれませんがな。死んでしまいますがな。
当然の話ですやん。
「消費税を取って、生活苦を増やして、それを社会保障で補います!」とか言うてまんねんで?
それを「正しい!」と思ってる方がよっぽどどうかしてる。
なんでそこまで「働き者」なんよ。
それやったら、最初から消費税取れへんかったらええんやないかい!
っちゅう話なんですけどねぇ。
まあ、困ったことですわ。
「無能な働き者は、処刑するしかあるまい。」
という話。
ゼークトというのは、ドイツの軍人で、敗戦によって軍備を10万人に制限され、参謀本部も禁止されたという「緊縮財政」の中で軍の再建をしたということで有名なハンス・フォン・ゼークトなんですが、「ゼークトの組織論」は、そのゼークトが言った(と言うことになってますが、本当かどうかはわかりません。僕も未確認。)軍人の「タイプ分け」の話です。
「ゼークトの組織論」いわく、軍人は4種類に分類されると言います。
それは「有能・無能」「働き者・怠け者」の2つの基準の掛け合わせで4象限で考える、というもの。簡単に整理すると、
●有能な者の中にも、
・怠け者
・働き者
の2種類がおり、
●無能な者の中にも
・怠け者
・働き者
がいる。
ということですね。
で、この「ゼークトの組織論」が、誰が言ったのかは別にして、いろいろなところで繰り返し語られる理由は、この
●怠け者
●働き者
の評価が一般とまったく逆だから、なんですね。
基本、「怠け者」の方を上位に位置づけてるんですよ。
引用しますね。
(引用開始)----------------------
●有能な怠け者。これは前線指揮官に向いている。
理由は主に二通りあり、一つは怠け者であるために部下の力を遺憾なく発揮させるため。そして、どうすれば自分が、さらには部隊が楽に勝利できるかを考えるためである。
●有能な働き者。これは参謀に向いている。
理由は、勤勉であるために自ら考え、また実行しようとするので、部下を率いるよりは参謀として司令官を補佐する方がよいからである。また、あらゆる下準備を施すためでもある。
●無能な怠け者。これは総司令官または連絡将校に向いている、もしくは下級兵士。
理由は自ら考え動こうとしないので参謀や上官の命令どおりに動くためである。
●無能な働き者。これは処刑するしかない。
理由は働き者ではあるが、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、さらなる間違いを引き起こすため。
(引用終了)-----------------------
という事です。
この「ゼークトの組織論」って、いろんな経営論とかで、いつも引き合いに出される話なんですよねぇ。
なんでこんなに引用されるのか?って言うのが問題で、それはやっぱり、最後の、
●無能な働き者。これは処刑するしかない。
というところが、仕事をしている人間の琴線に触れる部分があるからなんですよね。やっぱり。
具体的に仕事をしていて、この「無能な働き者」ほど、邪魔で、仕事において排除したくなる存在というのはいないんですよねぇ。
「お前、わかってへんのやったら黙っとけぇ!ボケが!」と怒鳴りつけたくなる。
トンチンカンな事を言って、話をおかしな方向にばかり誘導してしまう。「おいおいおい、そんな事どうでもええやろ」とか思うわけです。で、誰もが「邪魔な奴やなぁ」と思ってるんですな。
で、「これなら、無能で何もしない奴の方が、よっぽどマシでっせ。」とならざるをえないわけです。
そういう実感がすごくあるわけですよ。僕なんかまさに「無能で怠け者」だから、一番よく解る。
有能で働き者の参謀が情報を的確に集めて、それを有能で怠け者の現場指揮官に手渡せば、一番手間なく手柄を立てやすい計画をチョイスしれくれるわけだから、「無能の怠け者」には、それが一番ありがたいわけですよ。
ところが、「無能で働き者」というわけのわからん存在が世の中にはおりまして、そういう奴が社会や世間を引っかき回すわけですよ。
僕は無能人間なんで、無能な奴のアホな発想「だけ」は、すぐわかるわけです。何もわからずに「マジメさ」だけで行動したり発言してるアホというのは、もう本当にすぐにわかる。
同じ無能の匂いがするからでしょうねぇ。
「あああああ、こいつアホや。黙っとれ!」という気になるわけです。
で。
この「バカで真面目」というものの代表が官僚ですわ。
もう、本当に、そう言うしかない。
きゃつらの「自分が正しい」という根拠は、いつもいつも「私たちが真面目だから」という自己撞着に帰結していて、聞いていてあきれる。
「官僚の無誤謬性」という言葉を知ってますか?
これは「官僚は決して間違いを犯さない」という官僚制度の「大前提」の話なんですよ。
信じられない!
間違いを犯さない人間なんかいてませんって!
しかし、日本の国家体制は「官僚の無誤謬性」を前提に動いてるんですよ。
どうにかしてくれ。
---------------
官僚の話はともかく。
一般の人間でも、この「無能な働き者」って言うのがいてて、かなり僕は嫌いです。
向こうへ行け!邪魔や、お前ら!
と言いたくなる。
それは僕が無能で怠けものだからなんですよね。
無能な人間が、まず最初にしないといけない事は、
●自分が無能である。
ということに気づく事です。
この「自分が無能であることに気づく」というのが、だいたい難しい。けっこう困難をともなう課題なんですよ。人間、自分の価値を高く認識したいですから。
ま、このあたりは話が長くなるので、ちょっと置いておきます。
で、次にしなければいけないのが、
●能力を高める
という事です。「無能で怠け者」の人間が、まず先にしないといけないのは、まず「有能性」を身につける事なんですよ。
なんでか?というと、能力を身につけるためには、「怠けて」はいられないからです。
当然でしょ?
もともと特殊な才能がある人は別にして、そうでない普通人なら、何かの能力を身につけるために精一杯の努力をするしかないわけですよ。
だから、まず、本を読むとか、詳しい人の話を聞くとか、そういうことを、コツコツ、コツコツと続けていくしかないわけです。
他の道はありませんわ。
僕が本を読むことを、ずっとオススメし続けてるのは、それが「怠け者」には、一番簡単で手軽だからなんですね。本当は体験して体当たり実行して学んでいくのが一番良いのですが、そこまでの行動力はなかなかないです。僕は。
(まぁ、仕事で体験してきた事は、かなりの知識になっているので、そこは僕自身にとってもかなり重要なリソースではありますが、とりあえず、その話は横に置いておきます。)
でも、実は「働き者」になるのは、すぐできるんですね。なんか世間のクソ真面目な「常識」のようなものに則って、それらしい発言をしていれば、カッコはつきますから。
消費税増税にしても、「将来の子ども達に」とか「しっかりとした福祉を」とか、そういう「絵に描いた餅」を提示されて、すぐに飛びつくバカが「無能な働き者」ですな。
将来の子ども達のためにって、いま貧血を起こしてる母親に献血を迫ったら、将来の子どもも生まれませんがな。死んでしまいますがな。
当然の話ですやん。
「消費税を取って、生活苦を増やして、それを社会保障で補います!」とか言うてまんねんで?
それを「正しい!」と思ってる方がよっぽどどうかしてる。
なんでそこまで「働き者」なんよ。
それやったら、最初から消費税取れへんかったらええんやないかい!
っちゅう話なんですけどねぇ。
まあ、困ったことですわ。
今日も、緊急で経済に関する有用な情報を紹介します。
何度も紹介してます、岩上安身さんが、経済アナリストの菊池英之さんとともに、参議院選挙を前に、いまの「消費税増税論議」がいかに間違っているかの基礎知識を整理して語ってくださっています。
緊急国民財政会議(その1)
http://iwakamiyasumi.com/archives/1911
緊急国民財政会議(その2)
http://iwakamiyasumi.com/archives/1926
緊急国民財政会議(その3)
http://iwakamiyasumi.com/archives/1932
どうぞ、ごらんください。
また、状況が状況ですので、コピー・拡散、自由だそうです。
ぜひ、ぜひぜひぜひぜひぜひぜひぜひ、ご覧ください。
テレビ・新聞はウソばっかりで、ものすごく偏っているんです。
しかも、いまや、こういう情報を、頭に入れて考えない人ばっかりになっていて、大変危険です。
------------------------
何が危険なのかを、ちょっとかいつまんでお知らせします。
いま、日本人の多くが、「消費税増税は必要」というマスメディアの「洗脳」にさらされている、ということなんです。
しかもそれが、ウソの情報に基づく、捏造報道なのだ!という事なんです。
たとえば、新聞では、大手5社がそろって「G20において日本は削減目標で例外扱いになったのは恥ずかしい」と、あたかも日本が飛抜けて借金が多いかのように社説を書きました。
しかし実際は、
「(日本の財政に)差し迫ったリスクが見受けられない」(ストロスカーン専務理事)
からだったのです。このあたりのウソのからくりは、もう、ここでは書きません。
ここしばらく、こういう話題ばっかり書いてますので、さかのぼって読んでください。
とにかく、いまマスコミでは、連日「消費税増税は正しい」という洗脳報道ばかりが続いています。そして、それらのほとんどが「ウソだらけ」なんです。
現実は、財務省に「調教」された新聞・テレビなどの記者クラブメディアが、「消費税増税やむなし」という、うそっぱちの捏造報道をしているだけです。
だから、せめて、こういうネットでは、マスコミには載らない意見をできるだけ拡散して、共有し、我々国民、一般市民が団結して抵抗しなければいけません。
消費税率を上げても、こんな経済情勢だと、不況が加速して、肝心の政府の税収が減る公算の方がはるかに強いんですから。
消費税率を10%に上げて、それで本当に税収があがって、プライマリーバランスが良くなるなら、まだ文句も言いません。
しかし、実際には、1997年に消費税を3%から5%に上げたことで金融恐慌が起き、消費は一気に冷え込んで、消費税の税収は4兆円増えたけど、所得税と法人税あわせて6兆7千億円も減って、結局2兆7千億円の赤字を増やしただけだったんです。それが現実なんです。
●消費税率を上げたら、税収が下がってしまった。
というのが現実なんですよ。
それが現実。
実際に1997年に、日本で起きた出来事。
まず、そういう事実の確認もしていないのが、現在のマスコミ報道なのです。
その金融恐慌のつまづきから抜け出すためには、僕は、消費税率を下げれば良いのだと思っています。率を下げれば量が増えるんです。税収が上がる公算が高い。
まぁ、僕の意見は別にして、とにかく「消費税増税」だけが正しいわけではないということを、もっともっと正しく広く知って、考えて欲しいと思います。
●テレビ・新聞「しか」見ないと、洗脳される。
ということだけは、しっかりしっかりしっかりと、頭に刻み込んで欲しいと思います。
何度も紹介してます、岩上安身さんが、経済アナリストの菊池英之さんとともに、参議院選挙を前に、いまの「消費税増税論議」がいかに間違っているかの基礎知識を整理して語ってくださっています。
緊急国民財政会議(その1)
http://iwakamiyasumi.com/archives/1911
緊急国民財政会議(その2)
http://iwakamiyasumi.com/archives/1926
緊急国民財政会議(その3)
http://iwakamiyasumi.com/archives/1932
どうぞ、ごらんください。
また、状況が状況ですので、コピー・拡散、自由だそうです。
ぜひ、ぜひぜひぜひぜひぜひぜひぜひ、ご覧ください。
テレビ・新聞はウソばっかりで、ものすごく偏っているんです。
しかも、いまや、こういう情報を、頭に入れて考えない人ばっかりになっていて、大変危険です。
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何が危険なのかを、ちょっとかいつまんでお知らせします。
いま、日本人の多くが、「消費税増税は必要」というマスメディアの「洗脳」にさらされている、ということなんです。
しかもそれが、ウソの情報に基づく、捏造報道なのだ!という事なんです。
たとえば、新聞では、大手5社がそろって「G20において日本は削減目標で例外扱いになったのは恥ずかしい」と、あたかも日本が飛抜けて借金が多いかのように社説を書きました。
しかし実際は、
「(日本の財政に)差し迫ったリスクが見受けられない」(ストロスカーン専務理事)
からだったのです。このあたりのウソのからくりは、もう、ここでは書きません。
ここしばらく、こういう話題ばっかり書いてますので、さかのぼって読んでください。
とにかく、いまマスコミでは、連日「消費税増税は正しい」という洗脳報道ばかりが続いています。そして、それらのほとんどが「ウソだらけ」なんです。
現実は、財務省に「調教」された新聞・テレビなどの記者クラブメディアが、「消費税増税やむなし」という、うそっぱちの捏造報道をしているだけです。
だから、せめて、こういうネットでは、マスコミには載らない意見をできるだけ拡散して、共有し、我々国民、一般市民が団結して抵抗しなければいけません。
消費税率を上げても、こんな経済情勢だと、不況が加速して、肝心の政府の税収が減る公算の方がはるかに強いんですから。
消費税率を10%に上げて、それで本当に税収があがって、プライマリーバランスが良くなるなら、まだ文句も言いません。
しかし、実際には、1997年に消費税を3%から5%に上げたことで金融恐慌が起き、消費は一気に冷え込んで、消費税の税収は4兆円増えたけど、所得税と法人税あわせて6兆7千億円も減って、結局2兆7千億円の赤字を増やしただけだったんです。それが現実なんです。
●消費税率を上げたら、税収が下がってしまった。
というのが現実なんですよ。
それが現実。
実際に1997年に、日本で起きた出来事。
まず、そういう事実の確認もしていないのが、現在のマスコミ報道なのです。
その金融恐慌のつまづきから抜け出すためには、僕は、消費税率を下げれば良いのだと思っています。率を下げれば量が増えるんです。税収が上がる公算が高い。
まぁ、僕の意見は別にして、とにかく「消費税増税」だけが正しいわけではないということを、もっともっと正しく広く知って、考えて欲しいと思います。
●テレビ・新聞「しか」見ないと、洗脳される。
ということだけは、しっかりしっかりしっかりと、頭に刻み込んで欲しいと思います。