虹の彼方にウクレレバージョン
2008年9月15日 動画いろいろ「だいありのーと」を触ってたら、YouTubeもそのまま取り込めるようになってるではないですか。
おもしろいので、ちょっと試しにやってみました。
動画は私のヘタッピなウクレレ演奏動画です。
「だいあり」の今回のリニューアルは、基本的には良い感じだなぁと、僕は思ってるんですが、どうでしょ? まぁちょっと世間一般のブログ風になったので、個性はなくなってきたかな?と思うんですが、足跡とか秘密日記とか、コミュニケーション要素は過不足なく取り込んでいてバランスは良いかなぁと思うんですが。
ま、そんなことで。
おもしろいので、ちょっと試しにやってみました。
動画は私のヘタッピなウクレレ演奏動画です。
「だいあり」の今回のリニューアルは、基本的には良い感じだなぁと、僕は思ってるんですが、どうでしょ? まぁちょっと世間一般のブログ風になったので、個性はなくなってきたかな?と思うんですが、足跡とか秘密日記とか、コミュニケーション要素は過不足なく取り込んでいてバランスは良いかなぁと思うんですが。
ま、そんなことで。
今月もまた、ひと月に読んだ本をご紹介します。
8月に読んだのは、10冊。
●効率10倍 新・知的生産の方法
●任天堂Wiiのすごい発想
●110歳まで生きられる 脳と心で楽しむ食生活
●ワーキングプア 日本を蝕む病
●ワーキングプア 解決への道
●快適自転車ライフ
●ストップウォッチ勉強法
●脳を見える化する「思考ノート」
●脳が教える!1つの習慣
●エリートセックス
以下順に簡単に説明など。
-------------------------------
●効率10倍 新・知的生産の方法
書評済み。
「月10冊と50冊の差」
http://12917.diarynote.jp/200808081252550000/
を参照ください。
-------------------------------
●任天堂Wiiのすごい発想
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4827204187/503-1393334-5299133
ゲーム業界の内実紹介本。プレステが登場した前後は、この手の「ゲーム業界裏情報紹介ビジネス本」がたくさん出てましたねぇ。よく読んだものです。ずいぶん久しぶりに出てきたなぁって感じ。
Wiiの話ばかりかと思ったら、そうではなくて、この10年くらいのゲーム業界の大きな流れをざっくり紹介してる本で、まぁ知ってる事もかなり多かったので1日でサラリと読めました。
ゲーム業界の事をあまり知らない人にはお勧めですかね。
なんちゅうか、ゲームはするけどビジネス的な裏の話を全然わかってないゲームファンとかいてるから、そういう人は読んだ方がいいかも。
やっぱ単純に、スーファミ時代の任天堂は、あまりに殿様商売しすぎてたよねぇって思う。本当に。ちょっと引用してみましょう。
(引用開始)--------------------------
まず、ソフトメーカーに莫大な資金が必要だった。カートリッジ方式だったが、ソフトを焼き込む基板代とロイヤリティで2400円が任天堂の取り分となっていたという。6千円程度のソフトでこれだからソフトメーカーは厳しい。しかも前払い。しかも全量買い取り。しかもソフトメーカーが広告宣伝費や流通経費営業費も全て自前で負担しなければならない。任天堂は何もしない。
(引用終了)-------------------------
という事でしたからねぇ。だからカートリッジ方式はダメだっちゅうことで、CDで焼くプレステが出てきて成功したわけです。そら成功するよ。ねぇ。落語の「はてなの茶碗」のセリフ、「京都の人間はえげつないとは聞いてたけど、あまりに口銭(こうせん)のとりようが…。」という奴ですわなぁ。もうまるで落語のセリフそのままでんがな。
ま、このあたり、社長が岩田さんになってから随分変わったそうです。DSはいまだにカートリッジ方式だし、携帯ゲームはやはりカートリッジ方式が正しいと僕は思うのですが、さすがに家庭用ゲーム機のWiiの方はディスク方式に変わりました。基板代が多分何十分の一以下になってるだろうと想像されます。
でも、長い間、このソフトハウスに優しい、ディスク方式に移行ができなかったんよなぁ、任天堂は。そらボロ儲けしすぎてたら、簡単にはディスクには移行できまへんわなぁ。事業の収益構造そのものの変革をせなアカンわけですから。そら、ニンテンドー64が失敗するのも当たり前でおます。当然。
ともあれ、それでも任天堂は復活しました。その過ちから復活するまでをざっくり描いてるし、どこかに荷担した書き方ではなく客観的に描いてもいてるので、なかなか面白いです。ゲーム業界に興味のある方でしたらどうぞ。
-------------------------------
●110歳まで生きられる!脳と心で楽しむ食生活
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/414088231X/503-1393334-5299133
著者の家森幸男さんという方は、世界中の長寿な地域の人たちの食事を研究して、食事と病気との関連を研究されてる方です。カスピ海ヨーグルトを日本に持ち込んだ人でもあるらしい。その方の書かれた食事と健康に関する書籍です。
その研究対象は、例のグルジア(実は長寿国として大変有名なのです。)から、マサイの戦士たちまで、実にワールドワイドです。中国の山奥の村まで調査にでかけておられますね。
その調査の方法も、科学的な定量性を確保するために、尿と血液を定量採って持ち帰り分析するという手法でありまして、「24時間の尿採取」をするために、専用の「しびん」を開発してるのがスゴイというか笑えると言うかですな。
ただまぁ、長寿と言いながらも、家森さんの研究対象は、日本人の死亡原因のうちかなりの率を占めている脳卒中の予防というところに限られているというか、「脳卒中の予防」を大前提とした研究なんだというのは、ちょっと頭に入れておかないといけません。
で、そういう大きなところでさっ引いて読んでみるに、まぁ塩分は取りすぎないように、というのが一つ大切な事で、もう一つは大豆のイソフラボンは、やはり、かなり健康に効果が高いらしいという事がわかりますね。
この方は、大豆イソフラボンの研究でも第一人者のようで、そのものずばり「大豆イソフラボン」という本も出しておられるようです。大豆イソフラボンがすごいというのを発見した人なんじゃないかなぁ。良く知らないですが。
まぁこまかな話は置いといて、けっこう面白い本でした。
しかし、いちばん面白かったのは、この大豆研究の基礎が、ごくごく普通の一般の主婦の人たちの募金がきっかけでWHOに認められて世界的な研究に発展したっていうところです。なんか「食事と健康って関係あるに決まってるわよ。そんな事も研究されてなかったの?それは主婦として許せないわ! プンプン」という主婦の憤りがこの研究を生み出したのではないか? と感じて面白かったです。ヒモつきではない研究をされたという事なんでしょうね。いやまぁ、実態はわからないけど。
-------------------------------
●ワーキングプア 日本を蝕む病
●ワーキングプア 解決への道
この本は書評済み。
http://12917.diarynote.jp/200808291343590000/
必読の書なので、ぜひとも読んでください。
-------------------------------
●快適自転車ライフ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4007000476/503-1393334-5299133
ちょっと、いま、自転車が気になってるのです。
キチンとした、「走れる」自転車が欲しい。
そう思ったてので、前から勉強しなくちゃなぁと思ってたんですが、いったい誰の本を読めばいいのかがわからなかったわけです。
で、いろいろ人に話を聞くと、この疋田智さんの本が良いとは聞いてたんです。でも、なぜかきっかけがなくて読んでなかったんですね。
で、読まないままに「ま、とりあえずママチャリで通勤っちゅうのをしてみよう」と思って、この4月からやってたわけです。
詳しくは、
自転車ツーキニストになるまでの紆余曲折。
http://12917.diarynote.jp/200805231106010000/
を読んでいただくとして。
やってみると自転車通勤、かなり良いのですよ。たとえママチャリであっても。
でも、どうもママチャリだと距離が走れない。3㎞か、まぁせいぜい5㎞が限度なんじゃないの?というのがありまして。で、「良い自転車」「まっとうな自転車」を買いたくなってきたんですよ、私は。
で、たまたま、どこかのニュースサイトで、この「快適自転車ライフ」の著者の疋田智さんの記事が載っていて、そこのいろいろと自転車選びの基準とかがキチンと書かれてたんですね。
●エコ&健康&カッコイイ! ヒキタの自転車入門講座
http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/column/hikita/080729_bicycle/
この連載がかなり良いのです。「おお!これこそまさに私の求めていた情報!」と思った。
で、「自転車ツーキニスト」という言葉の生みの親という事もあり、前々から伝え聞いていたので、「やはりこの人の本から読むしかあるまい」と、この「快適自転車ライフ」を買って読んでみたわけであります。
いやー、素晴らしい。大正解でしたね。僕が知りたい事を、本当に丸々ていねいに書いてくださってるという感じ。
と言うことで、今は疋田さんのご著書にはまりまくり。連続して読んでおるのであります。来月の「読んだ本」では、疋田さんの本が数多く並ぶでありましょう。
で、この本において疋田さんは、「ママチャリまで含む自転車通勤」について書いておられるところが、とても好感が持てるのでありました。なんだかんだ言っても、日本においては自転車の入り口はママチャリになりがちですから。(でも実はママチャリこそが諸悪の根源という側面もあるのですが。そういう話は、またいずれ。これは多分絶対に書くでしょう。)
ちなみに表題の「快適自転車ライフ」は、本としてはおすすめしません。というのは、この本と同じ内容で、世の中の動きに合わせて、改訂して内容を修正、追加原稿もたっぷり入った、
大人の自転車ライフ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4334783619/503-1393334-5299133
という本が気軽に買える文庫本で出ているからです。読むならこっちの方が絶対にお得。何にも知らないものだから、両方買ってしまったのであります。
自転車の話は、また書くことになるでしょう。はい。
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●ストップウォッチ勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4847017846/503-1393334-5299133
えー、今度また書きますけど、私、自分のモチベーションを高めるために、キッチンタイマーとストップウォッチを、よく使ってるわけなのですよ。
で、これがかなり効果が高いんですね。読書量を増やすとか、英語の練習をするとか、そういう時に、何かと効果的なんです。
で、この本はそういう話っぽいなと思って読んでみましたら、まぁ、その通りだったんですが、うーん、ただものすごくちゃっちいキッチンタイマーと記録用の手帳を付録に付けてるので、本の内容が薄い。
そこがかなり問題でしてねぇ。
これでは女性向け雑誌の付録の冊子という感じになってしまう。
いやまぁタレント本だし、そこまで期待しちゃいかんのでしょうが。
ともあれ、「ストップウォッチ勉強法」と、キチンと「やり方」の方に焦点を当ててるところは買います。理念だけを語っているのではないところはよろしい。
うーん。でもあんまりお薦めはしにくいなぁ。内容は良いのに、もったいないです。
で、そういう話とは別にキッチンタイマーによるモチベーションアップ、という手法は大変効果的です。それに加えてこの本でも書いている「記録する」というのもすごく効果は高い。なので、構造としては、かなり良い本になるはずだった存在、と言えるでしょうね。内容をビジネスマンにも使える物にアレンジするとか、いろいろ、もうちょっと暖めてから出せば良かったかも…だなぁ。
ひたすらもったいない本です。
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●脳を見える化する「思考ノート」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4828414487/503-1393334-5299133
で、その記録するとか、文字化するという事を、もっと気軽の手軽にやりましょう!という事を書いてるのが、この本。
「もっと、ノートに書き込みしましょう。ノートを脳の補助装置として使いましょう!」という本です。僕としては大変お薦めの本。
これは良い本なので、また改めて書きたいと思います。
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●脳が教える!1つの習慣
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062144700/503-1393334-5299133
この本も、かなりの良書。
勉強でもダイエットでも、何でも良いのですが、何かを達成しようとして、やり始めて、それがキチンと継続して結果が出るところまで続けようと思うのなら、まず最初の一歩を小さく小さく取りなさい、という事が書かれた本です。
この本はお医者さんが書いた本でして、お医者さんが太っている人に運動が必要だと言う場合に、「一日に○○kcal減らす運動をしなければいけませんよ。」とか言ってもダメなのだ、という事なんですね。
「テレビでも見ながら足踏み運動からでも始めてください。」というのが良いと。
そんな運動、ダイエット効果なんかほとんどありません。ないのですが、実際にはこういうものすごく小さな一歩から始めた方が、継続性や効果・結果につながりやすい、という話なんです。
まぁ、これもここでけっこう何度も書いてますけど、まず「最初の一歩を小さく」なんですね。それが達成感も味わえるし、自分の心の内面に潜む「変わる事への抵抗感」も小さくしてくれるから良い、ということなんですね。
これもまた、とても良い本で、得るところがものすごく多かったので、改めて書評を書きたいです。(書けるかなぁ。どうも良い本ほど書評を書いてない気がする。)
-------------------------------
●エリートセックス
ごぞんじ!(かどうかは知りませんが)AV(アダルトビデオ)男優の加藤鷹さんが書かれた本。
やはり、どんな世界でも「第一人者」になった人は違うよなぁと思わされる内容でした。
一番感銘を受けたのは「AV女優は、なぜAV女優になったのか」というところの説明。これねぇ、AV業界にいてる人とか、風俗ライターというような人でも、みんな「お金のため」って答えるんですよ。
たとえば、「AV女優100人にアンケート調査!」とかやって質問すると「87%が『お金のため』でした! やっぱりね。」とか書いてるわけです。まぁ僕なんかもそういう答えを見て「やっぱりね。」とか思うクチだったわけですが、やはりさすがというか鷹さんは違う。
「そんなもん、ひとりひとり理由は違うよ。」って事でした。AV女優さんたちがAV女優になった理由は、語り出すとものすごく大変なわけです。それこそ前に書いたゲーテの「幸せな家庭は一様に同じだが、不幸な家族はそれぞれに個性的だ」という話と一緒なようです。
ここでも何度も書いてますけど、やっぱりアダルトチルドレンなんですなぁ。親子関係とか、そういうのが心の内面で複雑化してしまってるわけです。だから「なぜAV女優になったのか」を語り出したら、とても大変で、そんな事をいちいちじっくり聞いてくれる人も少ないから(鷹さんは、本番前に彼女たちとじっくり話しをするのだそうですが)とりあえず誰でも納得しやすい「お金のため」とだけ答えることが多いと。そういう事なんですね。
ああああ、そういう事だったのか! って思いますわね。そら、アンケートの小さな解答スペースには書ききれませんわねぇ。そら「お金のため」って書くのが一番ラクだわなぁ。そうかぁ、そういう事だったのかと改めて納得でありました。
いや、実際、おそらく風俗関係に進んでる人(男女問わず)は、アダルトチルドレンの人は多いだろうなぁとつくづく思うのでありますよ。いやほんと。
加藤鷹さんは、そんなアダルトチルドレンの知識なんか全然持ってないけど、もう、言ってることは完全にACの話で、しかも! そのACへの対処の仕方までキチンと実践の中から見つけてるという感じです。
まぁ、すごい人はすごいと。そういう事ですね。はい。
僕としては先月読んだ、「人生は勉強より『世渡り力』だ」の世界に冠たる「痛くない注射針」を作った技術者、岡野雅行さんと同等の「トップの人」の匂いを感じました。
トップに立つ人は同じ匂いがあるなぁって感じ。
この二人を対談させても面白いだろうにとか考えてしまった。
通じるところはきっとあるはずやけどなぁ。うーむ。
ま、今月はこんなところでした。
8月に読んだのは、10冊。
●効率10倍 新・知的生産の方法
●任天堂Wiiのすごい発想
●110歳まで生きられる 脳と心で楽しむ食生活
●ワーキングプア 日本を蝕む病
●ワーキングプア 解決への道
●快適自転車ライフ
●ストップウォッチ勉強法
●脳を見える化する「思考ノート」
●脳が教える!1つの習慣
●エリートセックス
以下順に簡単に説明など。
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●効率10倍 新・知的生産の方法
書評済み。
「月10冊と50冊の差」
http://12917.diarynote.jp/200808081252550000/
を参照ください。
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●任天堂Wiiのすごい発想
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4827204187/503-1393334-5299133
ゲーム業界の内実紹介本。プレステが登場した前後は、この手の「ゲーム業界裏情報紹介ビジネス本」がたくさん出てましたねぇ。よく読んだものです。ずいぶん久しぶりに出てきたなぁって感じ。
Wiiの話ばかりかと思ったら、そうではなくて、この10年くらいのゲーム業界の大きな流れをざっくり紹介してる本で、まぁ知ってる事もかなり多かったので1日でサラリと読めました。
ゲーム業界の事をあまり知らない人にはお勧めですかね。
なんちゅうか、ゲームはするけどビジネス的な裏の話を全然わかってないゲームファンとかいてるから、そういう人は読んだ方がいいかも。
やっぱ単純に、スーファミ時代の任天堂は、あまりに殿様商売しすぎてたよねぇって思う。本当に。ちょっと引用してみましょう。
(引用開始)--------------------------
まず、ソフトメーカーに莫大な資金が必要だった。カートリッジ方式だったが、ソフトを焼き込む基板代とロイヤリティで2400円が任天堂の取り分となっていたという。6千円程度のソフトでこれだからソフトメーカーは厳しい。しかも前払い。しかも全量買い取り。しかもソフトメーカーが広告宣伝費や流通経費営業費も全て自前で負担しなければならない。任天堂は何もしない。
(引用終了)-------------------------
という事でしたからねぇ。だからカートリッジ方式はダメだっちゅうことで、CDで焼くプレステが出てきて成功したわけです。そら成功するよ。ねぇ。落語の「はてなの茶碗」のセリフ、「京都の人間はえげつないとは聞いてたけど、あまりに口銭(こうせん)のとりようが…。」という奴ですわなぁ。もうまるで落語のセリフそのままでんがな。
ま、このあたり、社長が岩田さんになってから随分変わったそうです。DSはいまだにカートリッジ方式だし、携帯ゲームはやはりカートリッジ方式が正しいと僕は思うのですが、さすがに家庭用ゲーム機のWiiの方はディスク方式に変わりました。基板代が多分何十分の一以下になってるだろうと想像されます。
でも、長い間、このソフトハウスに優しい、ディスク方式に移行ができなかったんよなぁ、任天堂は。そらボロ儲けしすぎてたら、簡単にはディスクには移行できまへんわなぁ。事業の収益構造そのものの変革をせなアカンわけですから。そら、ニンテンドー64が失敗するのも当たり前でおます。当然。
ともあれ、それでも任天堂は復活しました。その過ちから復活するまでをざっくり描いてるし、どこかに荷担した書き方ではなく客観的に描いてもいてるので、なかなか面白いです。ゲーム業界に興味のある方でしたらどうぞ。
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●110歳まで生きられる!脳と心で楽しむ食生活
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/414088231X/503-1393334-5299133
著者の家森幸男さんという方は、世界中の長寿な地域の人たちの食事を研究して、食事と病気との関連を研究されてる方です。カスピ海ヨーグルトを日本に持ち込んだ人でもあるらしい。その方の書かれた食事と健康に関する書籍です。
その研究対象は、例のグルジア(実は長寿国として大変有名なのです。)から、マサイの戦士たちまで、実にワールドワイドです。中国の山奥の村まで調査にでかけておられますね。
その調査の方法も、科学的な定量性を確保するために、尿と血液を定量採って持ち帰り分析するという手法でありまして、「24時間の尿採取」をするために、専用の「しびん」を開発してるのがスゴイというか笑えると言うかですな。
ただまぁ、長寿と言いながらも、家森さんの研究対象は、日本人の死亡原因のうちかなりの率を占めている脳卒中の予防というところに限られているというか、「脳卒中の予防」を大前提とした研究なんだというのは、ちょっと頭に入れておかないといけません。
で、そういう大きなところでさっ引いて読んでみるに、まぁ塩分は取りすぎないように、というのが一つ大切な事で、もう一つは大豆のイソフラボンは、やはり、かなり健康に効果が高いらしいという事がわかりますね。
この方は、大豆イソフラボンの研究でも第一人者のようで、そのものずばり「大豆イソフラボン」という本も出しておられるようです。大豆イソフラボンがすごいというのを発見した人なんじゃないかなぁ。良く知らないですが。
まぁこまかな話は置いといて、けっこう面白い本でした。
しかし、いちばん面白かったのは、この大豆研究の基礎が、ごくごく普通の一般の主婦の人たちの募金がきっかけでWHOに認められて世界的な研究に発展したっていうところです。なんか「食事と健康って関係あるに決まってるわよ。そんな事も研究されてなかったの?それは主婦として許せないわ! プンプン」という主婦の憤りがこの研究を生み出したのではないか? と感じて面白かったです。ヒモつきではない研究をされたという事なんでしょうね。いやまぁ、実態はわからないけど。
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●ワーキングプア 日本を蝕む病
●ワーキングプア 解決への道
この本は書評済み。
http://12917.diarynote.jp/200808291343590000/
必読の書なので、ぜひとも読んでください。
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●快適自転車ライフ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4007000476/503-1393334-5299133
ちょっと、いま、自転車が気になってるのです。
キチンとした、「走れる」自転車が欲しい。
そう思ったてので、前から勉強しなくちゃなぁと思ってたんですが、いったい誰の本を読めばいいのかがわからなかったわけです。
で、いろいろ人に話を聞くと、この疋田智さんの本が良いとは聞いてたんです。でも、なぜかきっかけがなくて読んでなかったんですね。
で、読まないままに「ま、とりあえずママチャリで通勤っちゅうのをしてみよう」と思って、この4月からやってたわけです。
詳しくは、
自転車ツーキニストになるまでの紆余曲折。
http://12917.diarynote.jp/200805231106010000/
を読んでいただくとして。
やってみると自転車通勤、かなり良いのですよ。たとえママチャリであっても。
でも、どうもママチャリだと距離が走れない。3㎞か、まぁせいぜい5㎞が限度なんじゃないの?というのがありまして。で、「良い自転車」「まっとうな自転車」を買いたくなってきたんですよ、私は。
で、たまたま、どこかのニュースサイトで、この「快適自転車ライフ」の著者の疋田智さんの記事が載っていて、そこのいろいろと自転車選びの基準とかがキチンと書かれてたんですね。
●エコ&健康&カッコイイ! ヒキタの自転車入門講座
http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/column/hikita/080729_bicycle/
この連載がかなり良いのです。「おお!これこそまさに私の求めていた情報!」と思った。
で、「自転車ツーキニスト」という言葉の生みの親という事もあり、前々から伝え聞いていたので、「やはりこの人の本から読むしかあるまい」と、この「快適自転車ライフ」を買って読んでみたわけであります。
いやー、素晴らしい。大正解でしたね。僕が知りたい事を、本当に丸々ていねいに書いてくださってるという感じ。
と言うことで、今は疋田さんのご著書にはまりまくり。連続して読んでおるのであります。来月の「読んだ本」では、疋田さんの本が数多く並ぶでありましょう。
で、この本において疋田さんは、「ママチャリまで含む自転車通勤」について書いておられるところが、とても好感が持てるのでありました。なんだかんだ言っても、日本においては自転車の入り口はママチャリになりがちですから。(でも実はママチャリこそが諸悪の根源という側面もあるのですが。そういう話は、またいずれ。これは多分絶対に書くでしょう。)
ちなみに表題の「快適自転車ライフ」は、本としてはおすすめしません。というのは、この本と同じ内容で、世の中の動きに合わせて、改訂して内容を修正、追加原稿もたっぷり入った、
大人の自転車ライフ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4334783619/503-1393334-5299133
という本が気軽に買える文庫本で出ているからです。読むならこっちの方が絶対にお得。何にも知らないものだから、両方買ってしまったのであります。
自転車の話は、また書くことになるでしょう。はい。
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●ストップウォッチ勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4847017846/503-1393334-5299133
えー、今度また書きますけど、私、自分のモチベーションを高めるために、キッチンタイマーとストップウォッチを、よく使ってるわけなのですよ。
で、これがかなり効果が高いんですね。読書量を増やすとか、英語の練習をするとか、そういう時に、何かと効果的なんです。
で、この本はそういう話っぽいなと思って読んでみましたら、まぁ、その通りだったんですが、うーん、ただものすごくちゃっちいキッチンタイマーと記録用の手帳を付録に付けてるので、本の内容が薄い。
そこがかなり問題でしてねぇ。
これでは女性向け雑誌の付録の冊子という感じになってしまう。
いやまぁタレント本だし、そこまで期待しちゃいかんのでしょうが。
ともあれ、「ストップウォッチ勉強法」と、キチンと「やり方」の方に焦点を当ててるところは買います。理念だけを語っているのではないところはよろしい。
うーん。でもあんまりお薦めはしにくいなぁ。内容は良いのに、もったいないです。
で、そういう話とは別にキッチンタイマーによるモチベーションアップ、という手法は大変効果的です。それに加えてこの本でも書いている「記録する」というのもすごく効果は高い。なので、構造としては、かなり良い本になるはずだった存在、と言えるでしょうね。内容をビジネスマンにも使える物にアレンジするとか、いろいろ、もうちょっと暖めてから出せば良かったかも…だなぁ。
ひたすらもったいない本です。
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●脳を見える化する「思考ノート」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4828414487/503-1393334-5299133
で、その記録するとか、文字化するという事を、もっと気軽の手軽にやりましょう!という事を書いてるのが、この本。
「もっと、ノートに書き込みしましょう。ノートを脳の補助装置として使いましょう!」という本です。僕としては大変お薦めの本。
これは良い本なので、また改めて書きたいと思います。
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●脳が教える!1つの習慣
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062144700/503-1393334-5299133
この本も、かなりの良書。
勉強でもダイエットでも、何でも良いのですが、何かを達成しようとして、やり始めて、それがキチンと継続して結果が出るところまで続けようと思うのなら、まず最初の一歩を小さく小さく取りなさい、という事が書かれた本です。
この本はお医者さんが書いた本でして、お医者さんが太っている人に運動が必要だと言う場合に、「一日に○○kcal減らす運動をしなければいけませんよ。」とか言ってもダメなのだ、という事なんですね。
「テレビでも見ながら足踏み運動からでも始めてください。」というのが良いと。
そんな運動、ダイエット効果なんかほとんどありません。ないのですが、実際にはこういうものすごく小さな一歩から始めた方が、継続性や効果・結果につながりやすい、という話なんです。
まぁ、これもここでけっこう何度も書いてますけど、まず「最初の一歩を小さく」なんですね。それが達成感も味わえるし、自分の心の内面に潜む「変わる事への抵抗感」も小さくしてくれるから良い、ということなんですね。
これもまた、とても良い本で、得るところがものすごく多かったので、改めて書評を書きたいです。(書けるかなぁ。どうも良い本ほど書評を書いてない気がする。)
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●エリートセックス
ごぞんじ!(かどうかは知りませんが)AV(アダルトビデオ)男優の加藤鷹さんが書かれた本。
やはり、どんな世界でも「第一人者」になった人は違うよなぁと思わされる内容でした。
一番感銘を受けたのは「AV女優は、なぜAV女優になったのか」というところの説明。これねぇ、AV業界にいてる人とか、風俗ライターというような人でも、みんな「お金のため」って答えるんですよ。
たとえば、「AV女優100人にアンケート調査!」とかやって質問すると「87%が『お金のため』でした! やっぱりね。」とか書いてるわけです。まぁ僕なんかもそういう答えを見て「やっぱりね。」とか思うクチだったわけですが、やはりさすがというか鷹さんは違う。
「そんなもん、ひとりひとり理由は違うよ。」って事でした。AV女優さんたちがAV女優になった理由は、語り出すとものすごく大変なわけです。それこそ前に書いたゲーテの「幸せな家庭は一様に同じだが、不幸な家族はそれぞれに個性的だ」という話と一緒なようです。
ここでも何度も書いてますけど、やっぱりアダルトチルドレンなんですなぁ。親子関係とか、そういうのが心の内面で複雑化してしまってるわけです。だから「なぜAV女優になったのか」を語り出したら、とても大変で、そんな事をいちいちじっくり聞いてくれる人も少ないから(鷹さんは、本番前に彼女たちとじっくり話しをするのだそうですが)とりあえず誰でも納得しやすい「お金のため」とだけ答えることが多いと。そういう事なんですね。
ああああ、そういう事だったのか! って思いますわね。そら、アンケートの小さな解答スペースには書ききれませんわねぇ。そら「お金のため」って書くのが一番ラクだわなぁ。そうかぁ、そういう事だったのかと改めて納得でありました。
いや、実際、おそらく風俗関係に進んでる人(男女問わず)は、アダルトチルドレンの人は多いだろうなぁとつくづく思うのでありますよ。いやほんと。
加藤鷹さんは、そんなアダルトチルドレンの知識なんか全然持ってないけど、もう、言ってることは完全にACの話で、しかも! そのACへの対処の仕方までキチンと実践の中から見つけてるという感じです。
まぁ、すごい人はすごいと。そういう事ですね。はい。
僕としては先月読んだ、「人生は勉強より『世渡り力』だ」の世界に冠たる「痛くない注射針」を作った技術者、岡野雅行さんと同等の「トップの人」の匂いを感じました。
トップに立つ人は同じ匂いがあるなぁって感じ。
この二人を対談させても面白いだろうにとか考えてしまった。
通じるところはきっとあるはずやけどなぁ。うーむ。
ま、今月はこんなところでした。
読書量と読書時間の増やし方
2008年9月8日 読書この一年くらい、読書量を増やそうと思っていろいろやってきたんですけど、効果があるなと自分で思った方法をちょっとまとめてみます。
●ブログに書く
いや、実は、毎月「今月読んだ本」を書いてるわけですが、この「毎月読んだ本を記録してブログにまとめる」というのが、かなり良い読書推進エンジンになってるんですね。
なので、読書をしたい方にはお薦めです。
●手帳に赤ペンで記録する
それと、もう一つあるのは、手帳に読んだ本を記録するようになった、というのがあります。いちおう、僕的には「読了した本だけ紹介する」という形にしてますので、手帳には読了した本を、読了した日付のところに赤ボールペンで、目立つようにタイトルを書き込んでおります。
これが、読書スピードを上げるというか、自分なりに計画するのに役立ちますね。興味の湧く本が見つからない時も多いし、「読みたい本はあるけど、いまはそういう気分じゃないし」という時もあるわけです。
でも、手帳で赤色でタイトルを書き込んでおくと、「あ、6日も読了の赤色タイトルがない!」とわかるんですね。で、「あー、読みたいと思ってた本を読もう!」という気になってくるわけです。
手帳は普段使ってるスケジュール用のものなんですが、予定と「記録」を一冊でやってるのが、ラクで良いのです。(ちなみに予定はシャープペンシルで書きます。確定したことはボールペンで記帳。で、3色とか4色ボールペンを使うととっても便利って事です。)
●胸ポケットメモを利用
で、僕はいちおう手帳とは別に胸ポケットにも入る、小さなメモ帳も持ち歩いてるんですが、(ちょっとした思いつきとかを歩いてる時にもメモできるように、です。)その一頁がだいたいいつも「○月に読みたい本」というタイトルで本のタイトルリストになっております。
胸ポケットに入れるメモ帳は、思いつきを書き込んだり、今日のTO DOを書いたりするのに使ってるんですが、本屋で面白そうな本を見つけたら即、メモするようにしてます。
あんまりドカドカ買ってるとお金もかかるので、タイトルだけメモして買わないままという本もありますな。
で、このタイトルリストが、「今後読みたい本」「買いたい本」の一覧になります。これは本を買う時のメモでもあると同時に、この一ヶ月で読む本の予定リストにもなってるんですね。タイトルの頭に□(しかく)マークを書いて、買ったら■と、黒く塗りつぶす、あるいはチェックマークを入れるというようにしてます。
で、買って読み終わって、手帳に赤ペンでタイトルを書き込んだ本は、こっちのメモの方はタイトルを横線で消して読み終わった日付を書いております。まぁ一覧があった方が便利だし。
で、線で消してないタイトルが「読みたい本・買いたい本」の一覧ということになります。
●書店の検索端末を使う
で、最近は、大きめの本屋さんだと、本の検索端末があるんですよね。あれで本を探すときに、このタイトル一覧が役に立つんです。タイトルさえキチンとメモしておけば、まぁ一発で検索できます。
本屋の中をうろちょろしなくて済むし、まとめて数冊買うときにも便利なんですね。あんまり店員さんに聞いたりはしないのですよ。複数の本を買いたい時は、検索端末で検索して、書籍情報をプリントアウトして、それを手に書店内を移動する方が早いですね。
●ネット書店と立ち読み
で、本をアマゾンなどのネット書店で買うこともよくあるんですが、やっぱり、まずは立ち読みして、内容を確認してから買いたいじゃないですか。違います? なので書店での検索は僕には必須なんです。
当然、買うつもりだったけど、立ち読みしてみてやめた、と言うことも多いです。
で、同じく、このタイトルは、ネット書店での検索にも大変役立ちます。正確な書名を覚えてないと、ちゃんと検索にひっかかってくれないんですよね。だから、このタイトルのメモが重要なわけです。
●本を捨てる
で、いつも、このページで本を紹介する時、アマゾンへのリンクを張ってますけど、なんでそうしてるのかというと、みなさまへの利便性を考えて、というのもあるんですが、実は「捨てるため」というのもあるのです。
アマゾンへのリンクさえキチンととっておけば、いつでも購入できるわけですよ。最近はマーケットプレイスとかで古本も買える。
であるなら、タイトルさえアマゾンにリンクしてあるなら、捨ててもまた買える、という事になるわけです。
そうしないと、月に10冊で年120冊。本棚がいくらあっても足りないって事になりますんで。
●デジカメで本の背表紙を撮影する
でも、いまはまだ、昔の本を捨てるのに手一杯なんですよねぇ。やれやれ。昔買った本は、タイトルだけデジカメで撮影して捨てるようにしてます。が、今年捨てたのは、まだ10冊だなぁ。トホホ。
捨てる方法が確立されてないと、本の置き場に困ります。置き場に困ると、読み方が偏ったりしますから、まず捨てる方法の確立は大事だと思いますよ。
●速読より、「読書時間を作る」のが大切。
さて、いくら本を買っても、読む時間を作らない限り、これは読めません。なので、読む時間を作るというのが、まず何より大事です。
時間を作るのに、かなり効果が高いのは「テレビを見る時間を減らす」だと思います。あとムダなネットサーフィン。この2つは最優先で「削る」べし、ですね。
ただし、「なくす」というのはかなり難しいと思うので「削る」のが良いと思います。
自分でも「ムダよなぁ」と思ってる部分を「削る」のが良いです。無理をしては続かないですから。見たい人は見る。
逆に読書する時間を先に確定しておけ!という方もおられますね(本田直之さんとか)。
そういう人は、「一日の時間割を作ると良いですよ」ともおっしゃってるんですが、で、その通りだとも思うんですが、僕はそこまでの事はしてませんねぇ。
●未読本専用棚を作る。
これは前に紹介したかもしれませんが、未読本だけはまとめて出かける時に目に付くところに置いてます。出かける前に「どれを読もうか?」というのを考えてチョイスします。
このあたり、「その日の気分」っていうのがかなり大事なように思います。
●カバンに複数の本を入れる。
で、未読本の中から上位3冊くらいをカバンに入れます。3冊だと、まぁ、そのうち一冊は読まないでそのまま持って帰るって事になるんですけど、でも、3冊くらいは持って出ることにしてます。2冊の時も多いですけど、1冊という事はあり得ない。
というのは、気分が乗らないって事もあるからですね。そういう時は優先順位の低かった方の本を読みます。一冊目を読む気がなくても、二冊目を開くと気分が変わって読みたくなるというのはあります。
まぁテレビのチャンネルをちょこちょこ切り換えるザッピングと同じ気分ですね。ああいう感じを書籍でもやれば良いのであります。これは意外に効果が大きいです。
●行きつけの喫茶店を作る。
気が乗ってきたときに、家に帰るのがもったいないなぁと感じる時がタマにあります。電車の中だと集中して読むんですが、そのまま自宅に帰るといろいろ雑用をしてしまって読まないって事は多い。なので、そういう時にサッと入って読書空間になるような、行きつけの喫茶店を作っておくと良いのです。
この場合、喫茶店を選ぶ条件の一番目は「明るいこと」ですね。
これが意外に難しかったりします。
その他に机とか、いろいろあるんですが、まぁとにかく何軒か、お気に入りの喫茶店は見つけておいた方が良いと思います。
●自分なりのルールを作る。
知り合いの先輩ライターの方も「読書は通勤電車の中だけ」と決めておられます。読書は他の事と平行してやるってのが難しいですから。とくに男性の場合。
家に帰って奥さんとかと話す時間が阻害されたら問題だし、また、家にいてるんなら、家族とのコミュニケーションをこそ優先するのが当たり前ですからね。
もし家で読書をするのなら一人暮らしではない人の場合は、部屋にこもって「いまから読書するから」と家族に断るとかした方が良いくらいでしょう。
そういう、なにがしかのルールは決めておいた方が続くような気がします。
んー、こんなところかなぁ。
本当は、ここに「書いてあった事を実地で試す」って言うのが入るんですけど、これはまたちょっと視点が変わるので、項目を改めます。
とりあえずはこんなところかなぁ。
いろいろ、良い方法があったら、教えてくださいませ。>みなさま。
●ブログに書く
いや、実は、毎月「今月読んだ本」を書いてるわけですが、この「毎月読んだ本を記録してブログにまとめる」というのが、かなり良い読書推進エンジンになってるんですね。
なので、読書をしたい方にはお薦めです。
●手帳に赤ペンで記録する
それと、もう一つあるのは、手帳に読んだ本を記録するようになった、というのがあります。いちおう、僕的には「読了した本だけ紹介する」という形にしてますので、手帳には読了した本を、読了した日付のところに赤ボールペンで、目立つようにタイトルを書き込んでおります。
これが、読書スピードを上げるというか、自分なりに計画するのに役立ちますね。興味の湧く本が見つからない時も多いし、「読みたい本はあるけど、いまはそういう気分じゃないし」という時もあるわけです。
でも、手帳で赤色でタイトルを書き込んでおくと、「あ、6日も読了の赤色タイトルがない!」とわかるんですね。で、「あー、読みたいと思ってた本を読もう!」という気になってくるわけです。
手帳は普段使ってるスケジュール用のものなんですが、予定と「記録」を一冊でやってるのが、ラクで良いのです。(ちなみに予定はシャープペンシルで書きます。確定したことはボールペンで記帳。で、3色とか4色ボールペンを使うととっても便利って事です。)
●胸ポケットメモを利用
で、僕はいちおう手帳とは別に胸ポケットにも入る、小さなメモ帳も持ち歩いてるんですが、(ちょっとした思いつきとかを歩いてる時にもメモできるように、です。)その一頁がだいたいいつも「○月に読みたい本」というタイトルで本のタイトルリストになっております。
胸ポケットに入れるメモ帳は、思いつきを書き込んだり、今日のTO DOを書いたりするのに使ってるんですが、本屋で面白そうな本を見つけたら即、メモするようにしてます。
あんまりドカドカ買ってるとお金もかかるので、タイトルだけメモして買わないままという本もありますな。
で、このタイトルリストが、「今後読みたい本」「買いたい本」の一覧になります。これは本を買う時のメモでもあると同時に、この一ヶ月で読む本の予定リストにもなってるんですね。タイトルの頭に□(しかく)マークを書いて、買ったら■と、黒く塗りつぶす、あるいはチェックマークを入れるというようにしてます。
で、買って読み終わって、手帳に赤ペンでタイトルを書き込んだ本は、こっちのメモの方はタイトルを横線で消して読み終わった日付を書いております。まぁ一覧があった方が便利だし。
で、線で消してないタイトルが「読みたい本・買いたい本」の一覧ということになります。
●書店の検索端末を使う
で、最近は、大きめの本屋さんだと、本の検索端末があるんですよね。あれで本を探すときに、このタイトル一覧が役に立つんです。タイトルさえキチンとメモしておけば、まぁ一発で検索できます。
本屋の中をうろちょろしなくて済むし、まとめて数冊買うときにも便利なんですね。あんまり店員さんに聞いたりはしないのですよ。複数の本を買いたい時は、検索端末で検索して、書籍情報をプリントアウトして、それを手に書店内を移動する方が早いですね。
●ネット書店と立ち読み
で、本をアマゾンなどのネット書店で買うこともよくあるんですが、やっぱり、まずは立ち読みして、内容を確認してから買いたいじゃないですか。違います? なので書店での検索は僕には必須なんです。
当然、買うつもりだったけど、立ち読みしてみてやめた、と言うことも多いです。
で、同じく、このタイトルは、ネット書店での検索にも大変役立ちます。正確な書名を覚えてないと、ちゃんと検索にひっかかってくれないんですよね。だから、このタイトルのメモが重要なわけです。
●本を捨てる
で、いつも、このページで本を紹介する時、アマゾンへのリンクを張ってますけど、なんでそうしてるのかというと、みなさまへの利便性を考えて、というのもあるんですが、実は「捨てるため」というのもあるのです。
アマゾンへのリンクさえキチンととっておけば、いつでも購入できるわけですよ。最近はマーケットプレイスとかで古本も買える。
であるなら、タイトルさえアマゾンにリンクしてあるなら、捨ててもまた買える、という事になるわけです。
そうしないと、月に10冊で年120冊。本棚がいくらあっても足りないって事になりますんで。
●デジカメで本の背表紙を撮影する
でも、いまはまだ、昔の本を捨てるのに手一杯なんですよねぇ。やれやれ。昔買った本は、タイトルだけデジカメで撮影して捨てるようにしてます。が、今年捨てたのは、まだ10冊だなぁ。トホホ。
捨てる方法が確立されてないと、本の置き場に困ります。置き場に困ると、読み方が偏ったりしますから、まず捨てる方法の確立は大事だと思いますよ。
●速読より、「読書時間を作る」のが大切。
さて、いくら本を買っても、読む時間を作らない限り、これは読めません。なので、読む時間を作るというのが、まず何より大事です。
時間を作るのに、かなり効果が高いのは「テレビを見る時間を減らす」だと思います。あとムダなネットサーフィン。この2つは最優先で「削る」べし、ですね。
ただし、「なくす」というのはかなり難しいと思うので「削る」のが良いと思います。
自分でも「ムダよなぁ」と思ってる部分を「削る」のが良いです。無理をしては続かないですから。見たい人は見る。
逆に読書する時間を先に確定しておけ!という方もおられますね(本田直之さんとか)。
そういう人は、「一日の時間割を作ると良いですよ」ともおっしゃってるんですが、で、その通りだとも思うんですが、僕はそこまでの事はしてませんねぇ。
●未読本専用棚を作る。
これは前に紹介したかもしれませんが、未読本だけはまとめて出かける時に目に付くところに置いてます。出かける前に「どれを読もうか?」というのを考えてチョイスします。
このあたり、「その日の気分」っていうのがかなり大事なように思います。
●カバンに複数の本を入れる。
で、未読本の中から上位3冊くらいをカバンに入れます。3冊だと、まぁ、そのうち一冊は読まないでそのまま持って帰るって事になるんですけど、でも、3冊くらいは持って出ることにしてます。2冊の時も多いですけど、1冊という事はあり得ない。
というのは、気分が乗らないって事もあるからですね。そういう時は優先順位の低かった方の本を読みます。一冊目を読む気がなくても、二冊目を開くと気分が変わって読みたくなるというのはあります。
まぁテレビのチャンネルをちょこちょこ切り換えるザッピングと同じ気分ですね。ああいう感じを書籍でもやれば良いのであります。これは意外に効果が大きいです。
●行きつけの喫茶店を作る。
気が乗ってきたときに、家に帰るのがもったいないなぁと感じる時がタマにあります。電車の中だと集中して読むんですが、そのまま自宅に帰るといろいろ雑用をしてしまって読まないって事は多い。なので、そういう時にサッと入って読書空間になるような、行きつけの喫茶店を作っておくと良いのです。
この場合、喫茶店を選ぶ条件の一番目は「明るいこと」ですね。
これが意外に難しかったりします。
その他に机とか、いろいろあるんですが、まぁとにかく何軒か、お気に入りの喫茶店は見つけておいた方が良いと思います。
●自分なりのルールを作る。
知り合いの先輩ライターの方も「読書は通勤電車の中だけ」と決めておられます。読書は他の事と平行してやるってのが難しいですから。とくに男性の場合。
家に帰って奥さんとかと話す時間が阻害されたら問題だし、また、家にいてるんなら、家族とのコミュニケーションをこそ優先するのが当たり前ですからね。
もし家で読書をするのなら一人暮らしではない人の場合は、部屋にこもって「いまから読書するから」と家族に断るとかした方が良いくらいでしょう。
そういう、なにがしかのルールは決めておいた方が続くような気がします。
んー、こんなところかなぁ。
本当は、ここに「書いてあった事を実地で試す」って言うのが入るんですけど、これはまたちょっと視点が変わるので、項目を改めます。
とりあえずはこんなところかなぁ。
いろいろ、良い方法があったら、教えてくださいませ。>みなさま。
いやー、楽しかった。
実に幸せな気分でありました。
今年も、去年と同じく、ウクレレ関連の大きな発表会がありまして。
あ、調べてみるとどうも「ひとよみにっき」では書いた事がなかったか。
3年も前にちょろっと書いてますが。
http://12917.diarynote.jp/200506280333030000/
カッチョ良かった日2005年06月26日
ま、習いに行ってるウクレレ教室の発表会イベントってとこなんですが、今年はなんだか特別に楽しい感じがありましたねぇ。なんでやろ。
自分たちがやった演奏も、まぁまぁの完成度だったので、それはそれで楽しかったのだけど、やっぱり参加者全員がそれなりに質が高くなってきてる事が大きいのかも知れないですね。
みんなけっこうスキルが上がってきていて、聞いていて飽きないんですよ。単純に、とても楽しめる演奏がいくつもあった、というのが良かった理由かも知れません。
ウクレレという楽器自体が、この10年ずっと静かなブームのままで、このイベントへの参加人数もどんどん増えているんですね。なので、今年は二日間開催して、4部制という大所帯になっています。
また、大阪で開催ながら広島や高知からも参加メンバーがいて地域的な広がりも出ているわけです。そういう大所帯なのに、粒よりの演奏が普通に聴けるというのが楽しかったのかも知れないなぁって思います。
ま、練習すりゃ、誰でもうまくなるって事ですよ。
そういう当たり前の事実が、ものすごく楽しい事になっちゃってるなぁっていう。
まぁ、そういう事ですね。
いろんなレベルのうまさがあって、それがそれぞれに全部OK。全部「過程」として楽しいという、そういう感じがすごく良かったんだと思いますな。
たとえば、発表会のラストには、何曲か講師演奏というのもあるので、それを聞くのも楽しみなんですね。講師の方たちは、本職は別に持っていて、ギタリストだったり、ミュージシャンとしても仕事、活動をされてるわけです。
でも、まったくはじめて舞台にあがる素人の人も同じように同じ舞台にあがる訳です。そこに垣根がないんですな。
だから、素人から、プロのミュージシャンまでが、音楽の楽しさだけを共通項につながってるような感じでして、そこが、ウクレレという「未完成の楽器」「ゆるい楽器」特有のつながり方だなぁと思う。
ちょっと他の楽器だと、このゆるい感じはないだろうなぁ。
今年は、ある講師の方が、ウクレレの演奏コンテストで優勝をされたので、その超絶技巧のお披露目演奏もあったのですが、こっちがもともとウクレレを弾いているから、その超絶技巧のすごさがはっきりわかるわけです。「こらすごい」と、拍手鳴りやまず。
でも、まったく楽器を弾いたこともない人だと凄さとかわからなかったかもなぁって思うんですよね。やっぱりウクレレという楽器が媒介になってるから通じるところがあるわけで。
僕が参加して演奏した曲も、5人での合奏で、習ってる先生がアンサンブル(合奏)用の総譜を書いて、それで演奏したわけです。で、大きくは失敗したところとか、ミスしてしまったところがたくさんたくさんあったんですが、でも、そういうところは問題じゃなくて、リズムキープがキチンとできてるか、曲の盛り上がり部分を大きく弾くとかの「曲想」の部分をキチンと演奏しよう!というのがあって、そっちの方はまぁまぁうまくできた感じなんですね。で、そういうのは多分聞いてる方にも伝わってると思う。
そういう「音楽が好き」っていう感じ、音楽の空気のやりとりみたいな事がギュウギュウに詰まってる感じがあって、今年はとっても良かったなぁという事なのでありますよ。
4部あるうちの1部しか見てないし、実は今日もその発表会はやってるんですけどね。他の人たちももっと面白いのかも知れないなぁ。まぁさすがに今日は参加しないですけど。
ウクレレ。
やっぱり楽しいです。
どうですか? あなたも。
ま、てなことで。
--------------
追記:YouTubeにうちのチームの動画があったので、リンクしときます。良かったらどうぞ。
うちのチームの演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=frI3bskIpis
他のチームの演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=ToBYMb7o_ak&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=I-rsxz2Bsg4&feature=related
実に幸せな気分でありました。
今年も、去年と同じく、ウクレレ関連の大きな発表会がありまして。
あ、調べてみるとどうも「ひとよみにっき」では書いた事がなかったか。
3年も前にちょろっと書いてますが。
http://12917.diarynote.jp/200506280333030000/
カッチョ良かった日2005年06月26日
ま、習いに行ってるウクレレ教室の発表会イベントってとこなんですが、今年はなんだか特別に楽しい感じがありましたねぇ。なんでやろ。
自分たちがやった演奏も、まぁまぁの完成度だったので、それはそれで楽しかったのだけど、やっぱり参加者全員がそれなりに質が高くなってきてる事が大きいのかも知れないですね。
みんなけっこうスキルが上がってきていて、聞いていて飽きないんですよ。単純に、とても楽しめる演奏がいくつもあった、というのが良かった理由かも知れません。
ウクレレという楽器自体が、この10年ずっと静かなブームのままで、このイベントへの参加人数もどんどん増えているんですね。なので、今年は二日間開催して、4部制という大所帯になっています。
また、大阪で開催ながら広島や高知からも参加メンバーがいて地域的な広がりも出ているわけです。そういう大所帯なのに、粒よりの演奏が普通に聴けるというのが楽しかったのかも知れないなぁって思います。
ま、練習すりゃ、誰でもうまくなるって事ですよ。
そういう当たり前の事実が、ものすごく楽しい事になっちゃってるなぁっていう。
まぁ、そういう事ですね。
いろんなレベルのうまさがあって、それがそれぞれに全部OK。全部「過程」として楽しいという、そういう感じがすごく良かったんだと思いますな。
たとえば、発表会のラストには、何曲か講師演奏というのもあるので、それを聞くのも楽しみなんですね。講師の方たちは、本職は別に持っていて、ギタリストだったり、ミュージシャンとしても仕事、活動をされてるわけです。
でも、まったくはじめて舞台にあがる素人の人も同じように同じ舞台にあがる訳です。そこに垣根がないんですな。
だから、素人から、プロのミュージシャンまでが、音楽の楽しさだけを共通項につながってるような感じでして、そこが、ウクレレという「未完成の楽器」「ゆるい楽器」特有のつながり方だなぁと思う。
ちょっと他の楽器だと、このゆるい感じはないだろうなぁ。
今年は、ある講師の方が、ウクレレの演奏コンテストで優勝をされたので、その超絶技巧のお披露目演奏もあったのですが、こっちがもともとウクレレを弾いているから、その超絶技巧のすごさがはっきりわかるわけです。「こらすごい」と、拍手鳴りやまず。
でも、まったく楽器を弾いたこともない人だと凄さとかわからなかったかもなぁって思うんですよね。やっぱりウクレレという楽器が媒介になってるから通じるところがあるわけで。
僕が参加して演奏した曲も、5人での合奏で、習ってる先生がアンサンブル(合奏)用の総譜を書いて、それで演奏したわけです。で、大きくは失敗したところとか、ミスしてしまったところがたくさんたくさんあったんですが、でも、そういうところは問題じゃなくて、リズムキープがキチンとできてるか、曲の盛り上がり部分を大きく弾くとかの「曲想」の部分をキチンと演奏しよう!というのがあって、そっちの方はまぁまぁうまくできた感じなんですね。で、そういうのは多分聞いてる方にも伝わってると思う。
そういう「音楽が好き」っていう感じ、音楽の空気のやりとりみたいな事がギュウギュウに詰まってる感じがあって、今年はとっても良かったなぁという事なのでありますよ。
4部あるうちの1部しか見てないし、実は今日もその発表会はやってるんですけどね。他の人たちももっと面白いのかも知れないなぁ。まぁさすがに今日は参加しないですけど。
ウクレレ。
やっぱり楽しいです。
どうですか? あなたも。
ま、てなことで。
--------------
追記:YouTubeにうちのチームの動画があったので、リンクしときます。良かったらどうぞ。
うちのチームの演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=frI3bskIpis
他のチームの演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=ToBYMb7o_ak&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=I-rsxz2Bsg4&feature=related
最近思うのは、まず自分の精神をノーマルに調整しておくことですね。
よく言われる「コップ半分の水」の話。
コップに半分水が入っていて、それを「半分しか入ってない」と思うか、「半分も入っているか」と思うか、ですな。
どう解釈しても、どっちにしても事実は変わらない。
変わらないんだけど、どっちの見方もした上で、それでもやっぱり、「半分『も』」入ってると考えて選択していくって言うのが大事なんだと思います。
これが「半分『しか』」入ってないから「ああしよう」「こうしよう」だと、結局はうまく行かないと思うのですよ。やっぱり。
基本的に僕らは自由で、豊かに生きております。
だから、その良さを伸ばして行く方向で、まずは何事もチョイスしていきたいと思うのですな。
だから、「戦争反対」とかは言わない。「平和にするにはどうしたらいい?」は考えるけど。
そういうのが大事だと思う。
このあたりは、結局は「現実の捉え方」の問題なんですよね。で、「半分も」と積極的に捉えるには「半分しか」と考える考え方もしっかりシミュレートした上で、でもやっぱり「半分も」と意識的にチョイスして選択する、というのでないといけないわけです。
ところが人間というのは、幸福より不幸の方に敏感に反応するようにできてるんですね。
これはしょうがないわけです。
だって火事が起きたら飛び起きてすぐに逃げなきゃダメでしょ?本当の危機の時はじっくり考えてたら間に合わないもの。
なので、「半分しか」と考えた途端に反射的に不幸モードで世の中を捉えて、それでそのモードから抜け出せなくなるっていうのはあるわけです。
で、子供の頃は実は「生き抜く力」も弱いから(親にたよるしかない)、常に緊急非難モードになっていて、それで自分の精神のバランスを保つために考え方の根っこが歪んで「不幸が普通」というような世界の捉え方をしてしまう事があるわけです。
つまり「半分しかないのが当たり前なんだから、それが幸せなのだ」という感じ方になってしまう訳です。
そういう捉え方をしておくのが、一番合理的なわけですね。子供の間は。
「半分しかないのが幸せなのだ」は、でもしかし、かなり論理矛盾があるわけですよ。
正しくは「半分しかないけど、半分もあると捉えなおして、その半分をどう活かすかを考えれば幸せになれる。」なわけです。
ここはもう、根本的に違う。
で、その違いが、マザーテレサの考え方と言われる「反戦活動には参加しないけれど平和運動には参加する」なわけですね。
アダルトチルドレンという話をしょっちゅう出してますけど、このあたり、まさに「世の中の捉え方の基本基準が異なる」という事なんですね。
自分が「半分しかないけど、それが当たり前で、半分しかないのが幸せなのだ」と思い込もうとしていた人だから、自分でも良く分かるけど、「半分しかない」と思っていて、その半分しかないと思っている自分というものを見据えないと、これは絶対に幸せにはなれないわけですよ。
ようは「半分しかない」という愚痴をずっと抱え込んだままで、その愚痴を言ってる自分こそが「本物の自分」で、そういう愚痴を言ってる事こそが「幸せなのだ」という思いこみを持とうとしてる、という事ですから。
いやー、それは不幸にしかなりませんよ、って事でして。
やっぱり「半分しかないという見方もあるけど、半分もあるという見方もある。僕は半分しかないという見方をついついしてしまうタチやけども、やはり本当は半分もあるという見方をするべきなんだし、そういう見方をしよう。そして半分の水を賢く有意義に使っていこう」と考えないと、幸せにはたどり着きにくいんですね。
で、そのためには、まず、自分が「つい、半分『しか』という見方しかしてない」という事に気付かないといけない。
で、アダルトチルドレンの概念は、その根っこの根っこの「ものの見方の歪み」を気付かせてくれるから、かなり重要な概念だよ、という話なわけです。
ここのところをキチンとしないと、なかなか「考え方のクセ」って修正しにくいんですよね。
なので、いつも僕は考え方の根っこのところが狂ってきたら「それはイカン!」と整えるように意識してます。
でもこれ、自分に言うのは良いのだけれど、自分以外の人間に言うとなかなか理解されにくいのよなぁ。「その『半分しか』を前提にした判断はイカン!」と言ってるんですけど、そのあたりがどうにも理解されない。なんかこういう事を、そう「感じてる」人に言うと全人格を否定されたように感じてしまうのですよね。
でも、それは「感じてる」のではなくて、「考え方の根本に歪みが生じてる」って事なわけですよ、本当は。
「しかない」という不幸な捉え方を変更しないまま、「しかない」こそが幸せなのだと思い込もうとしてるわけですからな。
そら不幸にしかならん。幸福にはなれない。
これこそがまさにアダルトチルドレンの不幸の構造なわけです。
この構造に気付けるかどうかだって事なんですけどね。これがなかなか、気付くのが難しいんよなぁ。
だって火事の時は四の五の言わずに飛び起きて逃げなきゃいけないわけだから。
でしょ?
緊急避難モードになってる人に、何を言っても通用しないですから。
で、ACっていうのは、子供の頃からずーーーっと、「緊急避難」をやり続けてる人なわけですからねぇ。
いや、実際、そういう構造なんだと気がついた時は、ほんとびっくらこきましたから、私。
いやほんまに。
だから、「しか」発想に凝り固まってる人は、偏った見方からなかなか抜け出せないんですよ。それが習い性になってるから。で、「半分もある」という見方が存在している事自体に気付けないわけですよ。
これがねぇ、なかなか難しいなぁ。
そう思います。
でもまぁ、ほんとは世界は「半分もある水」で溢れてるんですけどね。
でもって、「半分しかない水を、もっと増やして行く方法」なんてのもあるわけでして。
でもまぁ、そこまでに至るには、やっぱりまず「半分しか」をやめて、とりあえずは「半分も」に一度はならないと「半分以上」にしていくのはちょっと無理なんよなぁって思うのですよ。それはやっぱり。
まぁ、そんな事を考えております。
よく言われる「コップ半分の水」の話。
コップに半分水が入っていて、それを「半分しか入ってない」と思うか、「半分も入っているか」と思うか、ですな。
どう解釈しても、どっちにしても事実は変わらない。
変わらないんだけど、どっちの見方もした上で、それでもやっぱり、「半分『も』」入ってると考えて選択していくって言うのが大事なんだと思います。
これが「半分『しか』」入ってないから「ああしよう」「こうしよう」だと、結局はうまく行かないと思うのですよ。やっぱり。
基本的に僕らは自由で、豊かに生きております。
だから、その良さを伸ばして行く方向で、まずは何事もチョイスしていきたいと思うのですな。
だから、「戦争反対」とかは言わない。「平和にするにはどうしたらいい?」は考えるけど。
そういうのが大事だと思う。
このあたりは、結局は「現実の捉え方」の問題なんですよね。で、「半分も」と積極的に捉えるには「半分しか」と考える考え方もしっかりシミュレートした上で、でもやっぱり「半分も」と意識的にチョイスして選択する、というのでないといけないわけです。
ところが人間というのは、幸福より不幸の方に敏感に反応するようにできてるんですね。
これはしょうがないわけです。
だって火事が起きたら飛び起きてすぐに逃げなきゃダメでしょ?本当の危機の時はじっくり考えてたら間に合わないもの。
なので、「半分しか」と考えた途端に反射的に不幸モードで世の中を捉えて、それでそのモードから抜け出せなくなるっていうのはあるわけです。
で、子供の頃は実は「生き抜く力」も弱いから(親にたよるしかない)、常に緊急非難モードになっていて、それで自分の精神のバランスを保つために考え方の根っこが歪んで「不幸が普通」というような世界の捉え方をしてしまう事があるわけです。
つまり「半分しかないのが当たり前なんだから、それが幸せなのだ」という感じ方になってしまう訳です。
そういう捉え方をしておくのが、一番合理的なわけですね。子供の間は。
「半分しかないのが幸せなのだ」は、でもしかし、かなり論理矛盾があるわけですよ。
正しくは「半分しかないけど、半分もあると捉えなおして、その半分をどう活かすかを考えれば幸せになれる。」なわけです。
ここはもう、根本的に違う。
で、その違いが、マザーテレサの考え方と言われる「反戦活動には参加しないけれど平和運動には参加する」なわけですね。
アダルトチルドレンという話をしょっちゅう出してますけど、このあたり、まさに「世の中の捉え方の基本基準が異なる」という事なんですね。
自分が「半分しかないけど、それが当たり前で、半分しかないのが幸せなのだ」と思い込もうとしていた人だから、自分でも良く分かるけど、「半分しかない」と思っていて、その半分しかないと思っている自分というものを見据えないと、これは絶対に幸せにはなれないわけですよ。
ようは「半分しかない」という愚痴をずっと抱え込んだままで、その愚痴を言ってる自分こそが「本物の自分」で、そういう愚痴を言ってる事こそが「幸せなのだ」という思いこみを持とうとしてる、という事ですから。
いやー、それは不幸にしかなりませんよ、って事でして。
やっぱり「半分しかないという見方もあるけど、半分もあるという見方もある。僕は半分しかないという見方をついついしてしまうタチやけども、やはり本当は半分もあるという見方をするべきなんだし、そういう見方をしよう。そして半分の水を賢く有意義に使っていこう」と考えないと、幸せにはたどり着きにくいんですね。
で、そのためには、まず、自分が「つい、半分『しか』という見方しかしてない」という事に気付かないといけない。
で、アダルトチルドレンの概念は、その根っこの根っこの「ものの見方の歪み」を気付かせてくれるから、かなり重要な概念だよ、という話なわけです。
ここのところをキチンとしないと、なかなか「考え方のクセ」って修正しにくいんですよね。
なので、いつも僕は考え方の根っこのところが狂ってきたら「それはイカン!」と整えるように意識してます。
でもこれ、自分に言うのは良いのだけれど、自分以外の人間に言うとなかなか理解されにくいのよなぁ。「その『半分しか』を前提にした判断はイカン!」と言ってるんですけど、そのあたりがどうにも理解されない。なんかこういう事を、そう「感じてる」人に言うと全人格を否定されたように感じてしまうのですよね。
でも、それは「感じてる」のではなくて、「考え方の根本に歪みが生じてる」って事なわけですよ、本当は。
「しかない」という不幸な捉え方を変更しないまま、「しかない」こそが幸せなのだと思い込もうとしてるわけですからな。
そら不幸にしかならん。幸福にはなれない。
これこそがまさにアダルトチルドレンの不幸の構造なわけです。
この構造に気付けるかどうかだって事なんですけどね。これがなかなか、気付くのが難しいんよなぁ。
だって火事の時は四の五の言わずに飛び起きて逃げなきゃいけないわけだから。
でしょ?
緊急避難モードになってる人に、何を言っても通用しないですから。
で、ACっていうのは、子供の頃からずーーーっと、「緊急避難」をやり続けてる人なわけですからねぇ。
いや、実際、そういう構造なんだと気がついた時は、ほんとびっくらこきましたから、私。
いやほんまに。
だから、「しか」発想に凝り固まってる人は、偏った見方からなかなか抜け出せないんですよ。それが習い性になってるから。で、「半分もある」という見方が存在している事自体に気付けないわけですよ。
これがねぇ、なかなか難しいなぁ。
そう思います。
でもまぁ、ほんとは世界は「半分もある水」で溢れてるんですけどね。
でもって、「半分しかない水を、もっと増やして行く方法」なんてのもあるわけでして。
でもまぁ、そこまでに至るには、やっぱりまず「半分しか」をやめて、とりあえずは「半分も」に一度はならないと「半分以上」にしていくのはちょっと無理なんよなぁって思うのですよ。それはやっぱり。
まぁ、そんな事を考えております。
取材ウィーク
2008年9月4日なんか最近、いろいろ書きたくてしょうがない。
なんなのでしょう。
今週は火曜日に京都、昨日が奈良は天理、明日が東京と出張ウィーク。
ショップの取材だったり展示会を見なけりゃいけなかったり。いろいろ。
昨日の天理は初めて行った土地で、なかなかに印象の強い街でしたなぁ。まさに天理教の宗教都市です。
なんちゅうか全国から信者さんが来るので、そのお泊まり用施設があるわけですが、そういう施設だらけやし。
前に「世界の十大新宗教」で多少は読んでたから少しは予備知識があったわけやけど、いざその場に行ってみると全然違いますな。
取材したショップも、全国の同業のショップとは明らかにやってる仕事のレベルが高い。実にきめ細やかな仕事をされているのだけれど、それはこの土地がもともと人とのつながりを大切にする場所だから、と言う部分がかなり大きいのです。
ショップの取材というのは販売促進などのノウハウを共有しましょう!という内容の記事に仕立てないといけないのだけれど、そんなもの、こんな宗教都市と同レベルで地域の人のつながりが強い土地なんてなかなかないから、どうまとめたものか悩んでしまいますなぁ。
実際、このショップのやり方がうまく行ってるのは、土地柄やもん。ほんまに。
しかし宗教をやってる人、あるいはそういう土地柄の人というのは、「文句」とか「愚痴」とかが、ものすごく少ないですなぁ。「ありがとうございます。みなさまのおかげです。」というような話ばっかりで、記事にならない事はなはだしい。
「こんな苦労がありまして、それを私は、こう工夫して乗り越えました。」とかの形にするのが、記事としては「お話し」として面白いんだけどねぇ。「ありがとうございます。みなさまのおかげです。」だと、そういう「ドラマ」にはならないのですよ。やれやれ。ちょっと原稿が書きにくい。
京都のお店も面白かったなぁ。あれも土地柄。詳しく書くと、いろいろ差し障りもあるので書かないですけど。
同業のショップを何店舗も回ると、本当に面白い話がいろいろ聞けて楽しい。同じ商売をしていても、工夫の仕方がそれぞれに違っていて、考え方のポイントも違う。
で、それは人間が違うのだから当たり前、という部分もあるけれど、同時に土地柄の違いというものもあって、それが如実に表れたりもするのですねぇ。
さて、来週は、この取材のまとめの週であります。どうやってまとめようかなぁ。うーむむむ。けっこう難しい。
なんなのでしょう。
今週は火曜日に京都、昨日が奈良は天理、明日が東京と出張ウィーク。
ショップの取材だったり展示会を見なけりゃいけなかったり。いろいろ。
昨日の天理は初めて行った土地で、なかなかに印象の強い街でしたなぁ。まさに天理教の宗教都市です。
なんちゅうか全国から信者さんが来るので、そのお泊まり用施設があるわけですが、そういう施設だらけやし。
前に「世界の十大新宗教」で多少は読んでたから少しは予備知識があったわけやけど、いざその場に行ってみると全然違いますな。
取材したショップも、全国の同業のショップとは明らかにやってる仕事のレベルが高い。実にきめ細やかな仕事をされているのだけれど、それはこの土地がもともと人とのつながりを大切にする場所だから、と言う部分がかなり大きいのです。
ショップの取材というのは販売促進などのノウハウを共有しましょう!という内容の記事に仕立てないといけないのだけれど、そんなもの、こんな宗教都市と同レベルで地域の人のつながりが強い土地なんてなかなかないから、どうまとめたものか悩んでしまいますなぁ。
実際、このショップのやり方がうまく行ってるのは、土地柄やもん。ほんまに。
しかし宗教をやってる人、あるいはそういう土地柄の人というのは、「文句」とか「愚痴」とかが、ものすごく少ないですなぁ。「ありがとうございます。みなさまのおかげです。」というような話ばっかりで、記事にならない事はなはだしい。
「こんな苦労がありまして、それを私は、こう工夫して乗り越えました。」とかの形にするのが、記事としては「お話し」として面白いんだけどねぇ。「ありがとうございます。みなさまのおかげです。」だと、そういう「ドラマ」にはならないのですよ。やれやれ。ちょっと原稿が書きにくい。
京都のお店も面白かったなぁ。あれも土地柄。詳しく書くと、いろいろ差し障りもあるので書かないですけど。
同業のショップを何店舗も回ると、本当に面白い話がいろいろ聞けて楽しい。同じ商売をしていても、工夫の仕方がそれぞれに違っていて、考え方のポイントも違う。
で、それは人間が違うのだから当たり前、という部分もあるけれど、同時に土地柄の違いというものもあって、それが如実に表れたりもするのですねぇ。
さて、来週は、この取材のまとめの週であります。どうやってまとめようかなぁ。うーむむむ。けっこう難しい。
天地がひっくりかえる。
2008年9月3日前から、アダルトチルドレンの話を書いてますが、自分がACだと気付く時って、かなり動揺するんですよね。
まさに天地がひっくり返るような驚きがあって、どうしてもその事実を受け入れがたかったりする。
自分が「当たり前だ」と思っていて、「普通の事だ」と感じてる事が「かなりおかしい」事らしいと、だんだんわかってくるわけですわ。
これねぇ、かなり強烈な体験なんですよねぇ。
昨日まで、当たり前だと思ってたことが、どうも、かなりおかしな事であるのではないか?という疑いが出てくる。
改めて冷静に考えてみると、この考え方っておかしいよな? あれ? って思う。
僕なんて、すごくこの過程がおかしな具合で訪れました。
まず、たまたま知り合った女の子が、かなりの重症のACだったわけです。
で、なんとなくヘンだよなぁ、と思ってた。
で、たまたま何かの流れで読んでいた岩月謙司さんの本に書かれていた「思い残し症候群」と、その子の言ってる事が、あまりに似てたので、その本を紹介してあげたわけです。
そしたら、「この本に書いてあること、私の事でしょ? そのままです!」と、ものすごく驚かれたわけです。
なんでそうなるのか。
つまり、「私はどうやら、何かが世間とはちょっと違っている。どうも幸せの実感とかがうまく持てない。私はどうもヘンだ。」という感覚が彼女にはあって、その孤独感に悩んでいたわけですよ。
そこでの意識は「私はかなり特殊だ」という事なんですね。
が、しかし。
その「思い残し症候群」の事が書いてある本には、その「特殊な感じ方」の事が、「症例のひとつ」として紹介されてるわけですよ。それは彼女にとっては、ものすごく驚くべき事だった訳です。特殊だと思っていた自分の「問題」が、「よくある症例」だったわけですから。孤独感とよくある症例って全然別の話じゃないですか? でも、実際には「よくある症例」なわけですよ。
これはねぇ、ほんとうに、まさに天地がひっくり返る感覚なんですよ。
で、彼女の方は、まぁ、そのまま自分の回復への道を歩んでいったのだろうと思うのだけど、その過程で「私は『思い残し症候群』だというのはわかったけど、シゲさんは?」と、マジで聞かれたわけです。
え?僕?
はて。
自分の事?
え?
これが恐ろしい事に、その子の「ヘンさ」には気付いていたのに、自分の「ヘンさ」には全然気付いてなかったわけですよ。でも、彼女からすれば、「こういう事に気付けて、理解もできるという事は、この人も同じような問題を抱えているに違いない」となったわけです。
で、そこから、実は僕自身の苦しみが始まってしまったんですよね。
「いや、確かに、自分にはおかしなところがあるぞ。」と。
特に恋愛でしたね。
恋愛のパターンがおかしかった。
うまくいってる関係が、より親密になる端境期で、なぜか自分から関係を破壊してしまうような行動に出てしまうクセがあるわけです。いまだに完治してるとは言い難いのだけど、そういうのがある。
それを、その彼女に言われるまで、「汎用的な、けっこう多くの人が抱えてる問題」とは考えてなかったんですよ。「ヘンなところはあるよなぁ」とは思ってたけど、「思い残し症候群」とか、名付けられるくらいパターン化できるような、そういう種類のものとは思ってなかったわけです。
なにかトラウマがあって、それが何かは分らないけど、なにかがおかしい、くらいにしか思ってなかった。
で、「もしかして、僕も似たようなパターンが、この世に存在しているのかも。」と思って読んだのが、前にも紹介しましたが、
なぜいつも、あなたの恋愛はうまくいかないのか―アダルト・チルドレンの恋愛と結婚の神話
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4313860053/503-1393334-5299133
でした。
読んでみて「ぼ、僕のことが書いてある!」と、その彼女と同じ事を感じましたから。
それまでも、催眠療法だとか、箱庭療法だとかを受けて、自分の問題にそれなりにアプローチしてたんですけど、そういうチマチマした事より、この一冊に書かれていた実例と、なぜそういう問題が起きてしまうかの心の仕組みの解説の方が、はるかに、はるかに説得力を持ってたんです。
自分で実感できますから。「ああ、これ、この訳のわからない衝動って奴!これや!」とか。
それはもうね、天地がひっくり返るほどの驚きでした。
まさに、それまで、「この心の奥底から湧いてくる衝動こそが、本当の自分なんだ!」と思ってた感覚こそがまさに、自分で自分を騙すための、自分で仕組んだサバイバル用の偽の感情だったという事に気付くわけです。
いや、真剣にすぐに気付いた訳じゃないですよ。
「えええ、あの心の奥から湧いてくる『強い気持ち』が、本物の感情ではなくて、ありのままの自分から目をそむけさせるための偽物の感情だったの? そしたら、本当の自分ってどこにあるの?」
という、とんでもない堂々めぐりに、かなり悩みましたからね。
だいたい、何より、そういう「衝動」って、突然に湧いてきて、自分でコントロールできないわけですよ。
この「コントロールできない」という事自体がすでにおかしいんですけど、(こういうのは、キチンと味わえば、自然におさまるものなのです。)
「コントロールできないものを、コントロールしよとしても、それはできない相談だ!」
という本質的な矛盾に、ものすごくさいなまれたんですね。
コントロールでけへんから困ってるのに、それをコントロールしなければいけないという矛盾。
そういう事であります。
だから、この時の落ち込みは、かなり大変で二ヶ月くらい何も手につかなかった感覚でしたね。
で、この天地がひっくり返るような気づきの後に感じてきたのが、「んんん? とすると、いままで自分で気付いてきてなかった、あまり好きでもない考え方や、世の中の事柄の中に、自分の知らない、まともで、もっと幸せな世界への扉が、あったのか?」という事なんですよね。
いままで、自分のありのままの弱さや無力さ、恐怖感などを直視しないために、心のサバイバル機能が強烈な衝動を湧き起こさせて、ありのままの自分を見ないようにさせてたわけです。
でも、本当は、その弱い自分や、恐怖を感じている自分を、「そのままでいいんだよ。恐怖を感じたままでいいんだよ。そのまま生きていけばいいんだよ。」と受け入れる。「弱くてもいいんだよ、それでもちゃんと生きていけるし、そこから本当の幸せを実感できるんだよ。」というのを、自分でキチンと納得していけるようになってくると、世の中の、いままで見ていなかったところにこそ、どうやら自分が幸せになるためのヒントがある、と言うことがわかってくるわけです。
わかるかなぁ。この感覚。
こういう流れって、自分がACだった経験、それに気付けた人には、「うん、うん、うん、うん」と、ものすごく強く首を縦に振ってもらえる事だと、僕は確信してます。
本当にね、このあたりの心の大転換というのは、天地がひっくり返るほどの驚きがあるし、「ええええ、そそそそそうだったの!!!」というビックリ感があるんです。
たとえば、いままでは「普通なんてつまんないじゃん。ちょっと変わってなきゃ」とか思ってたのが、「普通で幸せ」になるとかね。
わざわざ不幸になるような考え方、たとえば、考え方のひん曲がった恋人を「改造して真人間にさせよう」と考えてしまうとかね。そういう事をしなくなる。
だって、自分がまともになるのだけで精一杯って感じになって来ますからな、このあたりになってくると。
「なななな、何? いままで×××(この部分は人それぞれ)が『幸せ』と感じていたけど、私の知らないところに、もっとちゃんとした、まともな幸せというのがあって、それを私は、まだ学習してないだけなの?」
という、とんでもない大転換にぶち当たるんですね。
これも、かなりキツイ。
でも、実はこれが真実なんですよね。
単に「幸せになるなり方」を、ちゃんと学べていなかっただけなんですわ。ようは親がそれを知らなかったから、受け継げていない。それだけの事なんですね。
「正しい受け答えの仕方」とか、そういうものはちゃんと世の中にあって、それはちゃんと効果を発揮するんですよ。
そういういろいろな事を知らないんですね。それだけの事なんです。
前にも書きましたけど、
幸福な家庭は一様だが、不幸な家庭はさまざまである。
(トルストイ「アンナ・カレーニナ」)
なのですよ。
本当に。
幸福になっていく道というのは、とても開かれていて、当たり前で、そんなに難しい道ではないんですね。
まず、自分が生きているという幸せを実感する。そして、日々良くなっていくんだと確信している。そして生まれながらにして自分は自由なんだという、もっとも根本的なところをちゃんと捕まえておく。
そういう事なんですよね。ようは。
ところが、そういう標準から外れる事こそが「個性なのだ」「自分の体験なのだ」というような、ちょっとした病気が発生してしまって、トルストイが言うように、「さまざまに異なる不幸」が発生してしまう、って事なわけです。
いや、実際、ACの言う意見は、それぞれに、とても個性的です。まぁ確かに面白い。
面白いんだけど、でも、たぶん、やっぱりそれでは幸せにはなれないんだよなぁ。それは。
あまり人間の自然な営みに沿ってないような無理のある考え方が多くって。
ここで、ACの事を書いてると、回復過程にある方から賛同の意見をいただいたり、「それ、私の事でしょ」と意見をいただいたりしてきたので、そういう部分でも、「回復の過程も同じだなぁ」という安心感があったりするんですよ、僕には。
ようは、まともに普通の感覚を取り戻せたら、どんどん普通に幸せを手に入れていけるって事ですね。
自分の衝動に振り回されずに、ちゃんと自分の弱さや恐怖感を直視していれば、怖いものは怖いんだ、それで当たり前なんだ、それは自然な感情なんだから、味わっているうちに小さくなっていくんだ、と言うことが分ってきます。
そうなれば、つい普通の発想に逆らってしまうとか、自分の「衝動」に振り回されるというような事も減っていくし、まぁ、さほど怖れることはないわけですよ。
ただ、最初はやっぱり天地がひっくり返るような衝撃がありますわなぁ。
それはしゃーないですわなぁ。
自分の内なる「子供」である、もろくて弱い心を守るためにガードを張ってきた結果なわけやから。
そのガードを外すのは、そら確かに怖い。
でも、それって実はプールから出て、地面の上にいてるのに、ずっとビート板を持ってないと「溺れてしまう!」と思ってるようなもので、全然意味ないんですけどね。
でもやっぱり「ビート板を手放したら溺れてしまう!!!!」ってずっとかたくなに、「思いこもう」としてしまうんですよねぇ。
うーん。
まぁ、しゃーないんですが。
そういう事を、最近は考えております。
まさに天地がひっくり返るような驚きがあって、どうしてもその事実を受け入れがたかったりする。
自分が「当たり前だ」と思っていて、「普通の事だ」と感じてる事が「かなりおかしい」事らしいと、だんだんわかってくるわけですわ。
これねぇ、かなり強烈な体験なんですよねぇ。
昨日まで、当たり前だと思ってたことが、どうも、かなりおかしな事であるのではないか?という疑いが出てくる。
改めて冷静に考えてみると、この考え方っておかしいよな? あれ? って思う。
僕なんて、すごくこの過程がおかしな具合で訪れました。
まず、たまたま知り合った女の子が、かなりの重症のACだったわけです。
で、なんとなくヘンだよなぁ、と思ってた。
で、たまたま何かの流れで読んでいた岩月謙司さんの本に書かれていた「思い残し症候群」と、その子の言ってる事が、あまりに似てたので、その本を紹介してあげたわけです。
そしたら、「この本に書いてあること、私の事でしょ? そのままです!」と、ものすごく驚かれたわけです。
なんでそうなるのか。
つまり、「私はどうやら、何かが世間とはちょっと違っている。どうも幸せの実感とかがうまく持てない。私はどうもヘンだ。」という感覚が彼女にはあって、その孤独感に悩んでいたわけですよ。
そこでの意識は「私はかなり特殊だ」という事なんですね。
が、しかし。
その「思い残し症候群」の事が書いてある本には、その「特殊な感じ方」の事が、「症例のひとつ」として紹介されてるわけですよ。それは彼女にとっては、ものすごく驚くべき事だった訳です。特殊だと思っていた自分の「問題」が、「よくある症例」だったわけですから。孤独感とよくある症例って全然別の話じゃないですか? でも、実際には「よくある症例」なわけですよ。
これはねぇ、ほんとうに、まさに天地がひっくり返る感覚なんですよ。
で、彼女の方は、まぁ、そのまま自分の回復への道を歩んでいったのだろうと思うのだけど、その過程で「私は『思い残し症候群』だというのはわかったけど、シゲさんは?」と、マジで聞かれたわけです。
え?僕?
はて。
自分の事?
え?
これが恐ろしい事に、その子の「ヘンさ」には気付いていたのに、自分の「ヘンさ」には全然気付いてなかったわけですよ。でも、彼女からすれば、「こういう事に気付けて、理解もできるという事は、この人も同じような問題を抱えているに違いない」となったわけです。
で、そこから、実は僕自身の苦しみが始まってしまったんですよね。
「いや、確かに、自分にはおかしなところがあるぞ。」と。
特に恋愛でしたね。
恋愛のパターンがおかしかった。
うまくいってる関係が、より親密になる端境期で、なぜか自分から関係を破壊してしまうような行動に出てしまうクセがあるわけです。いまだに完治してるとは言い難いのだけど、そういうのがある。
それを、その彼女に言われるまで、「汎用的な、けっこう多くの人が抱えてる問題」とは考えてなかったんですよ。「ヘンなところはあるよなぁ」とは思ってたけど、「思い残し症候群」とか、名付けられるくらいパターン化できるような、そういう種類のものとは思ってなかったわけです。
なにかトラウマがあって、それが何かは分らないけど、なにかがおかしい、くらいにしか思ってなかった。
で、「もしかして、僕も似たようなパターンが、この世に存在しているのかも。」と思って読んだのが、前にも紹介しましたが、
なぜいつも、あなたの恋愛はうまくいかないのか―アダルト・チルドレンの恋愛と結婚の神話
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4313860053/503-1393334-5299133
でした。
読んでみて「ぼ、僕のことが書いてある!」と、その彼女と同じ事を感じましたから。
それまでも、催眠療法だとか、箱庭療法だとかを受けて、自分の問題にそれなりにアプローチしてたんですけど、そういうチマチマした事より、この一冊に書かれていた実例と、なぜそういう問題が起きてしまうかの心の仕組みの解説の方が、はるかに、はるかに説得力を持ってたんです。
自分で実感できますから。「ああ、これ、この訳のわからない衝動って奴!これや!」とか。
それはもうね、天地がひっくり返るほどの驚きでした。
まさに、それまで、「この心の奥底から湧いてくる衝動こそが、本当の自分なんだ!」と思ってた感覚こそがまさに、自分で自分を騙すための、自分で仕組んだサバイバル用の偽の感情だったという事に気付くわけです。
いや、真剣にすぐに気付いた訳じゃないですよ。
「えええ、あの心の奥から湧いてくる『強い気持ち』が、本物の感情ではなくて、ありのままの自分から目をそむけさせるための偽物の感情だったの? そしたら、本当の自分ってどこにあるの?」
という、とんでもない堂々めぐりに、かなり悩みましたからね。
だいたい、何より、そういう「衝動」って、突然に湧いてきて、自分でコントロールできないわけですよ。
この「コントロールできない」という事自体がすでにおかしいんですけど、(こういうのは、キチンと味わえば、自然におさまるものなのです。)
「コントロールできないものを、コントロールしよとしても、それはできない相談だ!」
という本質的な矛盾に、ものすごくさいなまれたんですね。
コントロールでけへんから困ってるのに、それをコントロールしなければいけないという矛盾。
そういう事であります。
だから、この時の落ち込みは、かなり大変で二ヶ月くらい何も手につかなかった感覚でしたね。
で、この天地がひっくり返るような気づきの後に感じてきたのが、「んんん? とすると、いままで自分で気付いてきてなかった、あまり好きでもない考え方や、世の中の事柄の中に、自分の知らない、まともで、もっと幸せな世界への扉が、あったのか?」という事なんですよね。
いままで、自分のありのままの弱さや無力さ、恐怖感などを直視しないために、心のサバイバル機能が強烈な衝動を湧き起こさせて、ありのままの自分を見ないようにさせてたわけです。
でも、本当は、その弱い自分や、恐怖を感じている自分を、「そのままでいいんだよ。恐怖を感じたままでいいんだよ。そのまま生きていけばいいんだよ。」と受け入れる。「弱くてもいいんだよ、それでもちゃんと生きていけるし、そこから本当の幸せを実感できるんだよ。」というのを、自分でキチンと納得していけるようになってくると、世の中の、いままで見ていなかったところにこそ、どうやら自分が幸せになるためのヒントがある、と言うことがわかってくるわけです。
わかるかなぁ。この感覚。
こういう流れって、自分がACだった経験、それに気付けた人には、「うん、うん、うん、うん」と、ものすごく強く首を縦に振ってもらえる事だと、僕は確信してます。
本当にね、このあたりの心の大転換というのは、天地がひっくり返るほどの驚きがあるし、「ええええ、そそそそそうだったの!!!」というビックリ感があるんです。
たとえば、いままでは「普通なんてつまんないじゃん。ちょっと変わってなきゃ」とか思ってたのが、「普通で幸せ」になるとかね。
わざわざ不幸になるような考え方、たとえば、考え方のひん曲がった恋人を「改造して真人間にさせよう」と考えてしまうとかね。そういう事をしなくなる。
だって、自分がまともになるのだけで精一杯って感じになって来ますからな、このあたりになってくると。
「なななな、何? いままで×××(この部分は人それぞれ)が『幸せ』と感じていたけど、私の知らないところに、もっとちゃんとした、まともな幸せというのがあって、それを私は、まだ学習してないだけなの?」
という、とんでもない大転換にぶち当たるんですね。
これも、かなりキツイ。
でも、実はこれが真実なんですよね。
単に「幸せになるなり方」を、ちゃんと学べていなかっただけなんですわ。ようは親がそれを知らなかったから、受け継げていない。それだけの事なんですね。
「正しい受け答えの仕方」とか、そういうものはちゃんと世の中にあって、それはちゃんと効果を発揮するんですよ。
そういういろいろな事を知らないんですね。それだけの事なんです。
前にも書きましたけど、
幸福な家庭は一様だが、不幸な家庭はさまざまである。
(トルストイ「アンナ・カレーニナ」)
なのですよ。
本当に。
幸福になっていく道というのは、とても開かれていて、当たり前で、そんなに難しい道ではないんですね。
まず、自分が生きているという幸せを実感する。そして、日々良くなっていくんだと確信している。そして生まれながらにして自分は自由なんだという、もっとも根本的なところをちゃんと捕まえておく。
そういう事なんですよね。ようは。
ところが、そういう標準から外れる事こそが「個性なのだ」「自分の体験なのだ」というような、ちょっとした病気が発生してしまって、トルストイが言うように、「さまざまに異なる不幸」が発生してしまう、って事なわけです。
いや、実際、ACの言う意見は、それぞれに、とても個性的です。まぁ確かに面白い。
面白いんだけど、でも、たぶん、やっぱりそれでは幸せにはなれないんだよなぁ。それは。
あまり人間の自然な営みに沿ってないような無理のある考え方が多くって。
ここで、ACの事を書いてると、回復過程にある方から賛同の意見をいただいたり、「それ、私の事でしょ」と意見をいただいたりしてきたので、そういう部分でも、「回復の過程も同じだなぁ」という安心感があったりするんですよ、僕には。
ようは、まともに普通の感覚を取り戻せたら、どんどん普通に幸せを手に入れていけるって事ですね。
自分の衝動に振り回されずに、ちゃんと自分の弱さや恐怖感を直視していれば、怖いものは怖いんだ、それで当たり前なんだ、それは自然な感情なんだから、味わっているうちに小さくなっていくんだ、と言うことが分ってきます。
そうなれば、つい普通の発想に逆らってしまうとか、自分の「衝動」に振り回されるというような事も減っていくし、まぁ、さほど怖れることはないわけですよ。
ただ、最初はやっぱり天地がひっくり返るような衝撃がありますわなぁ。
それはしゃーないですわなぁ。
自分の内なる「子供」である、もろくて弱い心を守るためにガードを張ってきた結果なわけやから。
そのガードを外すのは、そら確かに怖い。
でも、それって実はプールから出て、地面の上にいてるのに、ずっとビート板を持ってないと「溺れてしまう!」と思ってるようなもので、全然意味ないんですけどね。
でもやっぱり「ビート板を手放したら溺れてしまう!!!!」ってずっとかたくなに、「思いこもう」としてしまうんですよねぇ。
うーん。
まぁ、しゃーないんですが。
そういう事を、最近は考えております。
福田さんが辞めるそうです。
2008年9月1日福田さんが辞めるそうです。安倍君の時と同じ、放り投げ辞任ですわな。
まぁ、ようするに、小泉がそれだけ、「修復不能なほど」、この国の仕組みをグシャグシャにしてしまった、という事ですな。
安倍くんも、病気になるほど苦労した。
福田さんくらい調整型の人で、常識人でも放り投げるしかなかった。
病根はすべて小泉が作ってるわけです。根本的におかしな事しかしとらんもん、あいつは。
変人はようするにキチガイという事でした。
それだけの事です。
ワーキングプアしかり、日雇い派遣しかり。郵政解散しかり。
国民の事なぞ一切何も考えず(一切です。まったくゼロ。)、自分の派閥や子飼いの手下が増える事だけ考えてた。正気の沙汰とは思えん。
小泉政治こそ、この国の矛盾そのものなのですよ。
ユダヤ金融筋が金主だったのは政策を見るだけで明らか。日本の政治家がガイジンの番頭になったら、そらアカンやろ。ほんまに。最低の奴やで。
で、悲しい事に、あの郵政選挙の時に、小泉側に票を入れたのが、まさに派遣業に踏みつけにされてる若い人だったり、ワーキングプアにさせられた人だったりしてるわけですよ。
そういう意味で、実に私は悲しいです。
本当に悲しい。
ちょっとは考えろよ。
騙されるなよ。
ほんまに。
あの時期、その手の人間が、僕が書いた「反小泉」の話に、一番反感持ってたのよなぁ。
ワシはお前らのために怒っとったんじゃ、ボケ!
と言いたい。
でも、それがわからんのやから困る。
劇場型政治の本当に怖い一面を見たと、私は思いました。
アホはあかんねん。
騙されるだけやねん。
そういう事やねん。
わからんか、ほんまに。
後継は麻生の単純バカなんやろうけど、あんな奴では、どうしようもなかろう。まだ福田さんの方がなんぼかマシだわな。
アキバだマンガだと言うてる時点で麻生はダメ。媚びてる奴に何が出来るねん、ちゅうことですわなぁ。
しかし、ほんまに、ほんまに、小泉はグシャグシャにしよったよなぁ、この日本を。
私ゃ辛いですよ。
ほんまに。
気付けよ!みんな!
あいつが諸悪の根源やねんから。
ほんまに!
ああ、愚痴にしかなってないなぁ。
この書き込み、二三日で消すかも、です。
単なる愚痴やし。
愚痴はみっともないものなぁ。
前向きな解決策を示さねばならんのだが。
…。やれやれ。
あ、ちなみに、日本ではあまり話題になってませんが、ほぼ、現在は世界大恐慌のスタート時点であるようです。
ですから、そういう経済の大荒れというとんでもない状況が首相という特権によりハッキリ見えたから福田さんはやめたのではないか? という気がします。
アメリカはサブプライム問題でガタガタです。英国も恐慌入りを認めたそうです。
日本はマスコミがすでに腐っているので、そういう世界情報も流れません。
ちゅうことでわかってるのは麻生君が今後ものすごいシワが増えるか、白髪が増えるかするって事だけですな。
はい。
まぁ、ようするに、小泉がそれだけ、「修復不能なほど」、この国の仕組みをグシャグシャにしてしまった、という事ですな。
安倍くんも、病気になるほど苦労した。
福田さんくらい調整型の人で、常識人でも放り投げるしかなかった。
病根はすべて小泉が作ってるわけです。根本的におかしな事しかしとらんもん、あいつは。
変人はようするにキチガイという事でした。
それだけの事です。
ワーキングプアしかり、日雇い派遣しかり。郵政解散しかり。
国民の事なぞ一切何も考えず(一切です。まったくゼロ。)、自分の派閥や子飼いの手下が増える事だけ考えてた。正気の沙汰とは思えん。
小泉政治こそ、この国の矛盾そのものなのですよ。
ユダヤ金融筋が金主だったのは政策を見るだけで明らか。日本の政治家がガイジンの番頭になったら、そらアカンやろ。ほんまに。最低の奴やで。
で、悲しい事に、あの郵政選挙の時に、小泉側に票を入れたのが、まさに派遣業に踏みつけにされてる若い人だったり、ワーキングプアにさせられた人だったりしてるわけですよ。
そういう意味で、実に私は悲しいです。
本当に悲しい。
ちょっとは考えろよ。
騙されるなよ。
ほんまに。
あの時期、その手の人間が、僕が書いた「反小泉」の話に、一番反感持ってたのよなぁ。
ワシはお前らのために怒っとったんじゃ、ボケ!
と言いたい。
でも、それがわからんのやから困る。
劇場型政治の本当に怖い一面を見たと、私は思いました。
アホはあかんねん。
騙されるだけやねん。
そういう事やねん。
わからんか、ほんまに。
後継は麻生の単純バカなんやろうけど、あんな奴では、どうしようもなかろう。まだ福田さんの方がなんぼかマシだわな。
アキバだマンガだと言うてる時点で麻生はダメ。媚びてる奴に何が出来るねん、ちゅうことですわなぁ。
しかし、ほんまに、ほんまに、小泉はグシャグシャにしよったよなぁ、この日本を。
私ゃ辛いですよ。
ほんまに。
気付けよ!みんな!
あいつが諸悪の根源やねんから。
ほんまに!
ああ、愚痴にしかなってないなぁ。
この書き込み、二三日で消すかも、です。
単なる愚痴やし。
愚痴はみっともないものなぁ。
前向きな解決策を示さねばならんのだが。
…。やれやれ。
あ、ちなみに、日本ではあまり話題になってませんが、ほぼ、現在は世界大恐慌のスタート時点であるようです。
ですから、そういう経済の大荒れというとんでもない状況が首相という特権によりハッキリ見えたから福田さんはやめたのではないか? という気がします。
アメリカはサブプライム問題でガタガタです。英国も恐慌入りを認めたそうです。
日本はマスコミがすでに腐っているので、そういう世界情報も流れません。
ちゅうことでわかってるのは麻生君が今後ものすごいシワが増えるか、白髪が増えるかするって事だけですな。
はい。
ワーキングプア―日本を蝕む病
2008年8月29日 読書
ワープア問題は、すごく気になっていたので、この「ワーキングプア」という言葉を世の中に知らしめたとも言える、NHKスペシャル「ワーキングプア」の本は、すごく気になっておりました。
で、
「ワーキングプア日本を蝕む病」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4591098273/503-1393334-5299133
と、
「ワーキングプア解決への道」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4591104230/503-1393334-5299133
の二冊を買って読んだのですが、装丁がかっしりした書籍の割に、内容はけっこうあっさりしていて、読みやすく、すぐに読み終えてしまいました。
とくに「日本を蝕む病」の方は、「ああ、映像の人が文章を書くと、こうなるんだなぁ」という感じで、映像として印象的なシーンがいくつも出てくるので、あまり本を読まないような人でも、小説を読むような感じで読めるのではないかと思います。僕としては、論理的になるほど! と唸らされることが少ない感じで少し物足りなかったのですが。
しかし、続けて「解決への道」まで読むと、海外取材が入っていて、ワーキングプアの問題が、決して日本だけの問題ではなくて、グローバル経済というとんでもないものが誕生したことによって、世界中で苦しみが生まれているんだなという事がよくわかります。
日本よりもっとひどい社会格差があるアメリカでは、ワープアがまさにプログラマやSEのようなホワイトカラーの代表というような人のところまで浸食しているという実情を紹介していて、ショッキングです。インドやイスラエルなどのすぐれた人材に、その職を奪われているんですね。まさにインターネットが生み出したワープアです。
日本のワープアも、決して当人にやる気がないとかそういう事ではなくて、社会環境のあまりの急変というのが、相当に大きいようなんですね。生産に関する仕事では、中国の安い労働力に仕事を奪われたとか、あるいは海外から違法労働者が「留学生」「実習生」名目で入国して、それがそのまま「実習」名目で労働している実態が紹介されていて「こりゃ悲惨だな」と思わざるを得ません。そういう安い労働力と闘っていれば、そら疲弊するよなぁって思う。
あと、大変なのは自宅や土地を持っている人。これが悲惨なんですな。いちおう住む場所は確保できているから良いように思うのですが、ただそれだけで収入がない。で、生活保護を受けるべきというような状態なのだけれど、家や土地を持っているから生活保護も受けられないわけです。なにより思い出がつまった家から離れたくないとか、代々受け継いできた農地を自分の代で手放すわけにはいかないとか、そういう思いもあるわけですね。で、そういう人が生活保護以下の暮らしをしている。
ワーキングプアっていうのは、そんなこんなで、みんな「生活保護以下」の暮らしをしてるんですよね。
で、日本人は、この問題の恐ろしさを、あまり真剣に考えてないんじゃないか? というところがあります。
この問題は、アダルトチルドレンの問題と同じで、遺伝のように、格差そのものを、子供が引き継いでしまうんですよ。世代継承されてしまうんですね。
で、恐ろしいのは、こういうものが世代継承されると、それは一つの固定化された層になるという事です。「貧困層」という固定化された社会階層が日本に固定化して生まれてしまう、という事なんですね。
で、これは、「可哀想だからなんとかしてあげないといけない」というような甘っちょろい話ではないわけですよ。貧困層は、そういう一定層があるという事が原因になって、さまざまな社会不安や問題を誘発する温床になるんです。
貧困層は勉強や学習をしている時間的ゆとりも精神的ゆとりもありません。将来を考える、という先読みして動く発想そのものも生まれてこないんですね。それは社会が教えていないから身に付いていないのであって、当人たちに「なんとかしろ」と言っても、それは無理なんです。
で、そういう不勉強は、たとえば不健康につながり病気を産みます。もうそれだけで、医療費がとんでもなく跳ね上がります。国家の財政に影響を与えかねないほどに。
また、貧困は犯罪の温床でもあります。ほったらかしにしたら、どんどん凶悪犯罪が増えて、その対策費が、これまたどんどん必要になってしまうわけです。
じゃぁどうしたらええねん? っちゅう事ですが、ここを日本の政治は全然考えていないわけです。対応策がない。この二冊の本を読むと、とくに「解決への道」ですが、海外の、日本より状況が悪い国(アメリカ・イギリス・韓国)では、とにかく効果が期待できる対策が取られてるわけです。
でも日本では、全然そういう対策が取られていない。なにより、ワーキングプアの問題が「自分に関係のある問題なのだ」という風に考えていないのが困りものです。
●貧困層の世代間固定。
こんな恐ろしい事がありますか?
僕は本当にゾっとする。
人間は、正しく「学ぶ方法」を身につければ、健康で快適な生活を営む知恵を身につけられるんです。その方法を身につける機会を失ってしまってるから、こういう貧困層が拡大してしまう訳ですが、そういう人たちは、前から言ってるように、自分たちの物事の捉え方や考え方が「悪い癖」になっていて、それでそういう状態になってしまっているのだ、という事を「直視」できないわけです。これはもうそういうものなんだからしょうがないと思う。環境やら何やらが、彼らをそうさせてるのですよ。彼らが悪いのではない。
だからこそ、なんとかこの問題を解決する仕組みを作らないといけないんですね。
貧困層の固定化、という事を考えると、本当にいますぐ解決への対策を考えないとヤバイという気持ちになります。
たとえば、ニューヨークでは、一時期、落書きが流行して、ニューヨークのストリート系の文化とまでもてはやされたりしてましたが、ああいう「落書き」こそ、実は貧困や犯罪の大きな原因になってたんですね。(これはこの本に書いてあった話ではなくて、この15年くらいの間に起きた一般的話題です。)
ニューヨークの犯罪率がものすごく高かったので、誰だっけ? NY市長が徹底して落書きの撲滅をしたら犯罪も減った、という話なんです。
小さい事をないがしろにしない。
という事なんです。
これは「割れ窓理論」とか「ブロークンウィンドウ理論」と言って、軽微な犯罪をこそ徹底して取り締まることで、大きな犯罪の誘発を未然に防ぐことができるという理論なんですね。で、かなり効果があるようなんです。
だから、ワープアの問題を「私とは関係ない」と思ってはいけないのですよ。
僕は前々から「派遣という業務形態をやたらと拡大することは問題だなぁ」とは思っていたのですが、それがワープア問題にまで一直線に直結するとまでは考えていなかったんですね。でも、現実は坂を転がるように急速に悪くなっています。
だから、もう、本当に、いまなんとか手を打たないとまずい、というくらいに大問題なんですよ。これは。
で、このあたりは、単にグローバリズムの台頭というだけではなくて、日本人が、「和」の文化を持っていて、それは「個」の文化とは相容れないという大きな問題があるよなぁとつくづく実感せざるを得ないんですね。
個人主義というのは、英語ではindividualismと言って、in、divideな、という意味なんです。つまり、これ以上分割できない最小単位、ってことです。
で、この個人主義が成り立つのは、一神教で個人が神さまとつながっているからなんですね。この神とのつながりがあるからこそ、「社会」は成立するんです。
しかし、日本は個人主義はありません。一神教ではないので、社会の最小単位は「最低二人」から始まる「和」なんですね。「輪」です。
三人でも四人でも五人でもいいけど、とにかくお互いに顔を見合わせている「輪」の関係こそが社会であって、それ以外に「社会のあり方」があるなんて、想像することすらできないのですよ。
しかし、この「和と個」の違いは、会社で使っているグラフ用紙が、5mm方眼なのか、3mm方眼なのかというような違いでありまして、簡単に吸収はできないんですね。欧米の文化をそのまま移植しても、そこにある3mm単位の細かい方眼線の存在に、日本人は気付けないわけです。
だから社会の仕組みにモレとかヌケが出てしまうんですね。
この本で言うと、取材班がアメリカに行って気付くのは、宗教団体などが社会活動として行っている炊き出しとかが、どれほど世の中を下支えしているか? という事なんです。政治以外に、キチンと機能する社会的集団があって、それが力はなくても最低限の必要な対応はしているという事なんですね。
これ、まさに「個」だからできる事なんです。「和」では難しい。普通に働いてる人が、まったく個人の立場からボランティアに回るのが普通になってる。ひとりひとりがバラバラだから、逆にこういう事ができるわけです。
で、大事なのはそこに大前提として、「神の前にはみな平等」という常識があるからこそできる事なんですよ。
日本人だとそうは行きません。「和=輪」から外れてしまうと、小林よしのりが言うところの「砂粒の個人」になってしまって、社会とのつながりそのものが消滅してしまう。「個人として社会に関わる」というモチベーションや発想そのものが生まれないし、生まれたところで、とんでもなくモロく、壊れやすい。
だから、このワープアの問題は、そう簡単な問題ではないのです。
アメリカなら、そのように、個人として関わってきた人たちが「この問題では、こういう対策が必要だなぁ」という事を具体的に実感していて、そして実際に「とにかく自分たちでやれることはやろう」と実践していて、で、その実践結果をもとにして、政府などが「じゃあ、その運動に補助金を出そう」とか、「その仕組みを公的に行おう」というような形につながっていくわけです。
でも、日本だと、個人で動いても個人で動くという事自体が、ものすごく強い意志を必要としてしまうわけです。
だから、この手の問題は、すぐに官僚が「机上の論理」で対応策を作って、それで効果が全然出なくて、で、どんどん状態が悪化していくって事なわけですね。
というような事なので、まずみなさん、とりあえずこの本は読んでみてください。
どうしたらいいのかわからないけど、とにかく実情を正しく知るというのが、何より重要な事のはずなんです。
そのあと、個人的に動ける人は動けばいいし、動けない人でも、政府の対応の善し悪しくらいは判定できる。(実情の確認ができてないと善し悪し自体が判定できないのです。)
と言うことで、この本は必読ですね。
大急ぎで、読みましょう。
で、
「ワーキングプア日本を蝕む病」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4591098273/503-1393334-5299133
と、
「ワーキングプア解決への道」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4591104230/503-1393334-5299133
の二冊を買って読んだのですが、装丁がかっしりした書籍の割に、内容はけっこうあっさりしていて、読みやすく、すぐに読み終えてしまいました。
とくに「日本を蝕む病」の方は、「ああ、映像の人が文章を書くと、こうなるんだなぁ」という感じで、映像として印象的なシーンがいくつも出てくるので、あまり本を読まないような人でも、小説を読むような感じで読めるのではないかと思います。僕としては、論理的になるほど! と唸らされることが少ない感じで少し物足りなかったのですが。
しかし、続けて「解決への道」まで読むと、海外取材が入っていて、ワーキングプアの問題が、決して日本だけの問題ではなくて、グローバル経済というとんでもないものが誕生したことによって、世界中で苦しみが生まれているんだなという事がよくわかります。
日本よりもっとひどい社会格差があるアメリカでは、ワープアがまさにプログラマやSEのようなホワイトカラーの代表というような人のところまで浸食しているという実情を紹介していて、ショッキングです。インドやイスラエルなどのすぐれた人材に、その職を奪われているんですね。まさにインターネットが生み出したワープアです。
日本のワープアも、決して当人にやる気がないとかそういう事ではなくて、社会環境のあまりの急変というのが、相当に大きいようなんですね。生産に関する仕事では、中国の安い労働力に仕事を奪われたとか、あるいは海外から違法労働者が「留学生」「実習生」名目で入国して、それがそのまま「実習」名目で労働している実態が紹介されていて「こりゃ悲惨だな」と思わざるを得ません。そういう安い労働力と闘っていれば、そら疲弊するよなぁって思う。
あと、大変なのは自宅や土地を持っている人。これが悲惨なんですな。いちおう住む場所は確保できているから良いように思うのですが、ただそれだけで収入がない。で、生活保護を受けるべきというような状態なのだけれど、家や土地を持っているから生活保護も受けられないわけです。なにより思い出がつまった家から離れたくないとか、代々受け継いできた農地を自分の代で手放すわけにはいかないとか、そういう思いもあるわけですね。で、そういう人が生活保護以下の暮らしをしている。
ワーキングプアっていうのは、そんなこんなで、みんな「生活保護以下」の暮らしをしてるんですよね。
で、日本人は、この問題の恐ろしさを、あまり真剣に考えてないんじゃないか? というところがあります。
この問題は、アダルトチルドレンの問題と同じで、遺伝のように、格差そのものを、子供が引き継いでしまうんですよ。世代継承されてしまうんですね。
で、恐ろしいのは、こういうものが世代継承されると、それは一つの固定化された層になるという事です。「貧困層」という固定化された社会階層が日本に固定化して生まれてしまう、という事なんですね。
で、これは、「可哀想だからなんとかしてあげないといけない」というような甘っちょろい話ではないわけですよ。貧困層は、そういう一定層があるという事が原因になって、さまざまな社会不安や問題を誘発する温床になるんです。
貧困層は勉強や学習をしている時間的ゆとりも精神的ゆとりもありません。将来を考える、という先読みして動く発想そのものも生まれてこないんですね。それは社会が教えていないから身に付いていないのであって、当人たちに「なんとかしろ」と言っても、それは無理なんです。
で、そういう不勉強は、たとえば不健康につながり病気を産みます。もうそれだけで、医療費がとんでもなく跳ね上がります。国家の財政に影響を与えかねないほどに。
また、貧困は犯罪の温床でもあります。ほったらかしにしたら、どんどん凶悪犯罪が増えて、その対策費が、これまたどんどん必要になってしまうわけです。
じゃぁどうしたらええねん? っちゅう事ですが、ここを日本の政治は全然考えていないわけです。対応策がない。この二冊の本を読むと、とくに「解決への道」ですが、海外の、日本より状況が悪い国(アメリカ・イギリス・韓国)では、とにかく効果が期待できる対策が取られてるわけです。
でも日本では、全然そういう対策が取られていない。なにより、ワーキングプアの問題が「自分に関係のある問題なのだ」という風に考えていないのが困りものです。
●貧困層の世代間固定。
こんな恐ろしい事がありますか?
僕は本当にゾっとする。
人間は、正しく「学ぶ方法」を身につければ、健康で快適な生活を営む知恵を身につけられるんです。その方法を身につける機会を失ってしまってるから、こういう貧困層が拡大してしまう訳ですが、そういう人たちは、前から言ってるように、自分たちの物事の捉え方や考え方が「悪い癖」になっていて、それでそういう状態になってしまっているのだ、という事を「直視」できないわけです。これはもうそういうものなんだからしょうがないと思う。環境やら何やらが、彼らをそうさせてるのですよ。彼らが悪いのではない。
だからこそ、なんとかこの問題を解決する仕組みを作らないといけないんですね。
貧困層の固定化、という事を考えると、本当にいますぐ解決への対策を考えないとヤバイという気持ちになります。
たとえば、ニューヨークでは、一時期、落書きが流行して、ニューヨークのストリート系の文化とまでもてはやされたりしてましたが、ああいう「落書き」こそ、実は貧困や犯罪の大きな原因になってたんですね。(これはこの本に書いてあった話ではなくて、この15年くらいの間に起きた一般的話題です。)
ニューヨークの犯罪率がものすごく高かったので、誰だっけ? NY市長が徹底して落書きの撲滅をしたら犯罪も減った、という話なんです。
小さい事をないがしろにしない。
という事なんです。
これは「割れ窓理論」とか「ブロークンウィンドウ理論」と言って、軽微な犯罪をこそ徹底して取り締まることで、大きな犯罪の誘発を未然に防ぐことができるという理論なんですね。で、かなり効果があるようなんです。
だから、ワープアの問題を「私とは関係ない」と思ってはいけないのですよ。
僕は前々から「派遣という業務形態をやたらと拡大することは問題だなぁ」とは思っていたのですが、それがワープア問題にまで一直線に直結するとまでは考えていなかったんですね。でも、現実は坂を転がるように急速に悪くなっています。
だから、もう、本当に、いまなんとか手を打たないとまずい、というくらいに大問題なんですよ。これは。
で、このあたりは、単にグローバリズムの台頭というだけではなくて、日本人が、「和」の文化を持っていて、それは「個」の文化とは相容れないという大きな問題があるよなぁとつくづく実感せざるを得ないんですね。
個人主義というのは、英語ではindividualismと言って、in、divideな、という意味なんです。つまり、これ以上分割できない最小単位、ってことです。
で、この個人主義が成り立つのは、一神教で個人が神さまとつながっているからなんですね。この神とのつながりがあるからこそ、「社会」は成立するんです。
しかし、日本は個人主義はありません。一神教ではないので、社会の最小単位は「最低二人」から始まる「和」なんですね。「輪」です。
三人でも四人でも五人でもいいけど、とにかくお互いに顔を見合わせている「輪」の関係こそが社会であって、それ以外に「社会のあり方」があるなんて、想像することすらできないのですよ。
しかし、この「和と個」の違いは、会社で使っているグラフ用紙が、5mm方眼なのか、3mm方眼なのかというような違いでありまして、簡単に吸収はできないんですね。欧米の文化をそのまま移植しても、そこにある3mm単位の細かい方眼線の存在に、日本人は気付けないわけです。
だから社会の仕組みにモレとかヌケが出てしまうんですね。
この本で言うと、取材班がアメリカに行って気付くのは、宗教団体などが社会活動として行っている炊き出しとかが、どれほど世の中を下支えしているか? という事なんです。政治以外に、キチンと機能する社会的集団があって、それが力はなくても最低限の必要な対応はしているという事なんですね。
これ、まさに「個」だからできる事なんです。「和」では難しい。普通に働いてる人が、まったく個人の立場からボランティアに回るのが普通になってる。ひとりひとりがバラバラだから、逆にこういう事ができるわけです。
で、大事なのはそこに大前提として、「神の前にはみな平等」という常識があるからこそできる事なんですよ。
日本人だとそうは行きません。「和=輪」から外れてしまうと、小林よしのりが言うところの「砂粒の個人」になってしまって、社会とのつながりそのものが消滅してしまう。「個人として社会に関わる」というモチベーションや発想そのものが生まれないし、生まれたところで、とんでもなくモロく、壊れやすい。
だから、このワープアの問題は、そう簡単な問題ではないのです。
アメリカなら、そのように、個人として関わってきた人たちが「この問題では、こういう対策が必要だなぁ」という事を具体的に実感していて、そして実際に「とにかく自分たちでやれることはやろう」と実践していて、で、その実践結果をもとにして、政府などが「じゃあ、その運動に補助金を出そう」とか、「その仕組みを公的に行おう」というような形につながっていくわけです。
でも、日本だと、個人で動いても個人で動くという事自体が、ものすごく強い意志を必要としてしまうわけです。
だから、この手の問題は、すぐに官僚が「机上の論理」で対応策を作って、それで効果が全然出なくて、で、どんどん状態が悪化していくって事なわけですね。
というような事なので、まずみなさん、とりあえずこの本は読んでみてください。
どうしたらいいのかわからないけど、とにかく実情を正しく知るというのが、何より重要な事のはずなんです。
そのあと、個人的に動ける人は動けばいいし、動けない人でも、政府の対応の善し悪しくらいは判定できる。(実情の確認ができてないと善し悪し自体が判定できないのです。)
と言うことで、この本は必読ですね。
大急ぎで、読みましょう。
お仕事用のホームページというのを作ってあると、前に書きました。
で、そこから新しいお仕事が発生したと言うことも書きましたが。
で、それでアクセスくださった方と話してた時に、その方がどんなキーワードでアクセスされたのかがわかったんですね。
で、よくよく聞くと「いや、このキーワードでヤフーで二頁目か三頁目に出てましたよ。」とおっしゃるわけです。
へ?
そんなに前に出てる?
と思いまして。
別にアドワーズみたいな、ああいうキーワード広告とかも出してないし期待もしてなかったんですが、言われたキーワードでyahooで検索してみると、確かに2頁目になってる。
ふへー。そうやったんかぁ。
という感じですねぇ。
まぁ狙い通りの感じでうれしくはあります。
そのキーワードを言ってしまうと、即アクセスできちゃうし、ここのページはどっちかというとプライベートで置いておきたいので書きませんけど。
まぁしかし面白いもんですな。ちょこちょこ更新はしてたけど、その程度の事をやってれば、ある程度は上位になるんやなぁと。
お知り合いの印刷会社さんは、ある具体的なサービスが検索サイトでの1番になりはったんですよ。
そしたら、もう、完全に世界が違うわけですわ。
新聞から取材が来る、雑誌から問い合わせが来る、テレビから出演依頼が来る、という感じなわけです。その具体的サービスの担当営業の方は、もうけっこうマスコミに何度も登場されて、マスコミ慣れしておられたりしてますからな。
これね、ようは「1番と2番の差」なんですよ。
2番以降のところは、自分が何番手なのかすらわからないんです。僕みたいに自分から調べてみてはじめて「ああ、うちはこんな状態だったのか」ってわかる。
でも、1番手は違うんですよ。「うちが一番なんだ」というのがはっきりと分るんです。情報が向こうの方からやってきますから。自分でシコシコ調べる手間はいらないわけです。それが1番と2番の差なんですね。
サービス内容とかは、そんなに変わらないんだろうけど、でも1番と2番は圧倒的に違うんです。
それが、この事から良くわかりましたねぇ。
ちゅう事で、仕事用のホームページというのは、持っておかないとあきませんなぁ、という話でした。
まぁ会社員とかやってる人には関係ないのかも知れないですけどね。お店をやってるとか、自営業でやってるとかだと、これはかなり違うと思います。
…って、なんかビジネスコンサルのブログみたいな日記になってしもた。(そういうのを読むのがけっこう好きだったりするのですが。)
ま、こういう日記もたまにはよろしいでしょう。
で、そこから新しいお仕事が発生したと言うことも書きましたが。
で、それでアクセスくださった方と話してた時に、その方がどんなキーワードでアクセスされたのかがわかったんですね。
で、よくよく聞くと「いや、このキーワードでヤフーで二頁目か三頁目に出てましたよ。」とおっしゃるわけです。
へ?
そんなに前に出てる?
と思いまして。
別にアドワーズみたいな、ああいうキーワード広告とかも出してないし期待もしてなかったんですが、言われたキーワードでyahooで検索してみると、確かに2頁目になってる。
ふへー。そうやったんかぁ。
という感じですねぇ。
まぁ狙い通りの感じでうれしくはあります。
そのキーワードを言ってしまうと、即アクセスできちゃうし、ここのページはどっちかというとプライベートで置いておきたいので書きませんけど。
まぁしかし面白いもんですな。ちょこちょこ更新はしてたけど、その程度の事をやってれば、ある程度は上位になるんやなぁと。
お知り合いの印刷会社さんは、ある具体的なサービスが検索サイトでの1番になりはったんですよ。
そしたら、もう、完全に世界が違うわけですわ。
新聞から取材が来る、雑誌から問い合わせが来る、テレビから出演依頼が来る、という感じなわけです。その具体的サービスの担当営業の方は、もうけっこうマスコミに何度も登場されて、マスコミ慣れしておられたりしてますからな。
これね、ようは「1番と2番の差」なんですよ。
2番以降のところは、自分が何番手なのかすらわからないんです。僕みたいに自分から調べてみてはじめて「ああ、うちはこんな状態だったのか」ってわかる。
でも、1番手は違うんですよ。「うちが一番なんだ」というのがはっきりと分るんです。情報が向こうの方からやってきますから。自分でシコシコ調べる手間はいらないわけです。それが1番と2番の差なんですね。
サービス内容とかは、そんなに変わらないんだろうけど、でも1番と2番は圧倒的に違うんです。
それが、この事から良くわかりましたねぇ。
ちゅう事で、仕事用のホームページというのは、持っておかないとあきませんなぁ、という話でした。
まぁ会社員とかやってる人には関係ないのかも知れないですけどね。お店をやってるとか、自営業でやってるとかだと、これはかなり違うと思います。
…って、なんかビジネスコンサルのブログみたいな日記になってしもた。(そういうのを読むのがけっこう好きだったりするのですが。)
ま、こういう日記もたまにはよろしいでしょう。
「台風撲滅コンセプト」は間違っている。
2008年8月24日先日から、続けていくつか書いてきた事が、全部、結局は「台風を撲滅しよう!」というような考え方に対するNOの表明だったのだなぁというのを、自分で納得する出来事が、先日ありました。
小学校時代から、えんえん腐れ縁の続いている友人がおるのですが、その男と例のごとく飲みに行ったわけですよ。
で、その時の会話。
友「俺は、ケータイに届く迷惑メールが嫌いでなぁ。」
私「はぁ? 好きな奴なんかおらんやろ。」
友「いや、送信してる奴らを刺したいくらいに嫌いなんや。憎い。」
私「まぁ、腹は立つけど、そこまで怒らんでもええやろ。」
友「いや、腹立つ。なんとかならんのか、これ。居場所特定できたら殺しに行く。」
私「おいおい、ぶっそうやな。」
友「いや、そのくらいムカつくっちゅう事や。」
私「まぁ、腹は立つけどな、そういう下らん事に腹を立てる事自体が大きなムダやで。怒るの自体を、やめときなはれ。」
友「いや、どうにかせんと、腹の虫がおさまらん。ケータイが鳴るたびにイラっと来るわ。あー、腹が立つ。」
私「いや、そやから、そんなに腹立てるから、よけいにイライラするんやがな。イライラする事自体が損やろが。そういうのは、何も考えずに淡々と消す。気にせず消す。慣れてきたら、他の事考えながらでも消せるようになるで。そういう対処法が一番やで。」
友「そんな事出来るかぁ! 消してる間にどんどん腹立ってくるがな。」
私「えー? そんなに腹立つか? でも、ほんま、そういう具合に腹を立てる事自体が一番ムダやねんって。そんなもんな、『台風を撲滅しよう』と言うのと一緒やで。腹立てようがどうしようが、大量にメールを送信するソフトとか技術が世の中にあるんやし、一定数の悪徳業者も今後もずっといてるやろし、どうしたって出てくるよ。」
友「いや、それでも許せんのや。殺してやりたいくらい憎い。憎いんや、俺は。(ちょっと怒り口調)」
私「いや、やめとけってそれ。ムダやから。ムダ。まず、その怒りを消せって。ほんまにムダやから。台風に『うっとおしい!』と怒っても意味ないやろ。それと一緒や。(私は叱り口調)」
友「何言うてんねん、こいつら、実際におるんやぞ。腹立つやんけ。死んだらええんじゃ。ボケが。(かなり怒りモード)」
私「いや、いや、そやから、怒る方がムダやねんって、それは。わからんやっちゃな。怒るなっ!(かなり怒りモード)」
友「なんでやねん! ええか、まぁ聞けよ。俺の携帯は、一定数メールが届いたら、昔のメールが消える設定になってるねん。ところがや。この迷惑メールが届くとやな、昔のメールが想定以上に消えてしもて、後で確認しようと思っても確認でけへんとかになるんやで。そんなもん許せるかぁ。そやろが!(怒って当然やろ、どや!という口調。)」
私「…なんじゃい。そんな事か。それは君が悪いだけやないか。」
友「は?」
私「君が悪いっちゅうてんの。」
友「なんで俺が悪いねん。」
私「当たり前やろが。そんなもん、昔のメールを残しときたかったら、ケータイメールのバックアップソフトとか売ってるから買ってきて残しといたらしまいやがな。それだけの事やろ。」
友「うーん。」
私「そんなもんな、迷惑メールに腹立ててるヒマがあったら、昔のメールをパソコンのハードディスクにでも保存しといたらしまいやがな。台風が来る前にベランダの植木を部屋の中に入れとくのと一緒。それをやってない君が悪い。」
友「うーむ。」
私「そういうな、いつまでもどこまでも、解決のつかない問題に対して、ただ怒り続けてるだけやから、実際に解決できる現実的な対処の方法を見逃してしまうんよ。ちゅうかね、だいたい、ようは、自分がやるべき事をやってないからこそ、そういう怒りが出てくるわけよ。『バックアップとっとかなあかんかな?』と思いつつ取ってない。その不安を、そのまま現実に『消失』につなげさせるのが迷惑メールで、不安を的中させられた、だから腹が立つっちゅう事なわけでしょ。違うか?そういう事でしかないねんで、それは。原因は迷惑メールではなくて、君の対処の不手際・サボリが原因やがな、そんなもん。ようは、そういうウジウジした思いが君にあるっちゅう事や。そんなもんな、一般論で言うなら、バックアップ取ってない方が悪いというだけの事やねんで。」
友「うーん」
私「で、もひとつ言うならや。その『自動的に消える設定にしておきながら、消えると腹が立つ』というのは、もともと矛盾してる事であって、それは君自身が、ケータイメールの履歴に対して、特定の中途半端な思いや問題点があるからに決まってるんや。で、それは、君と○○さんとの関係が…(以下自主規制:笑)」
というような話があったわけでありまして。
まぁ、ここから先は、いろいろ大人の事情がからんだ、いろんな話が展開されたので、そこはオフレコにしておきますけど、これ、ようは、先の「運用」の話とまったく同じであります。
このあたり、
そうか「運用の問題なんだよ」と言えば良かったのか。
http://diarynote.jp/d/12917/20080822.html
で書いた話と同じですわね。「迷惑メール送付業者を殺したい」というのと、「ウィルス対策ソフトをみんなが導入しなければウィルスが撲滅できない」というのとは、まったく同じ発想ですわ。まさに「台風撲滅コンセプト」。まーーったく意味なんぞおまへん。無意味。ムダ。
で、結局は「運用システムが不備」「バックアップを取っていない」などの自分の側のサボリの問題を直視していないって事なわけですよ。要は。
で、なんでそれが直視できてないかというと、「消したくないのに消せるようにしたままである」という状態自体に、何らかのコンプレックスが潜んでいるという事なわけです。でも、それは個別別個の問題なので、どうのこうの言えないんですけど。
そのあたりは、自分で線引きしてくれっちゅう話ですわな。必要なデータはバックアップを取る。不要なものは削除するなり、「消えてもかまわん」と自分で決める。そんなもん覚悟の問題だけです。「このあたりのデータは消えても別にかまわんわ。」と確認しとくだけでオーケー。そういうことな訳ですよ。でも、そういう事をしてないから迷惑メールやウィルスに異様に腹が立つわけで。
まぁ、子供っちゅうかなんちゅうか、そういう事でしかないのです。
でも、世の中、そういう本質を考えない人が多いわけで、「台風撲滅コンセプト」の最たるものが、「反戦運動」なんだろうと思うのです。それが、このあいだ書いた、
私は反戦運動には参加しません。
http://diarynote.jp/d/12917/20080815.html
の話でしてね。
反戦運動は平和運動ではありませんからな。いくら反戦運動に参加しても、世の中の平和は1グラムも増えないし、1ミリだって動かない。
平和を作るためには、目の前の飢えてる人に施しをしてあげないと意味がない。家族のひとりひとりの個性を暖かく見守らなければ意味がない、とまぁ、マザーテレサはおっしゃる、というか、説く以前に、「即実践」されてるわけです。
この「即実践」ってのが偉いなぁって思うんですよ。僕も「反戦!って叫んでる奴はムダな事をしてるだけや!」と言う事を書いてるわけですが、それを書いてるヒマがあったら、もっと世の中の平和が生まれる何かを考えて、それを書いた方がマシなわけですわ。僕自身のバックアップの取り方の方法とかを伝えるとかね。その方が意義は大きい。
ただ、そういうバックアップの取り方を伝えても「台風撲滅コンセプト」が正しい考え方なのだと勘違いし続けてる人には、全然通じないって事になるのが、とても迷惑なわけです。「そんな事してても、台風は撲滅でけへんやんけ!」とか言うのです。やれやれ。ι(´Д`)υ
その台風撲滅コンセプトの最たるものが、冒頭の友人との会話なのでありますよ。実にわかりやすい。
そういう迷惑メールや、ウィルス問題が、台風レベルの事柄であるかどうかとかは、冷静になって見てみりゃわかるやろうにと思うのですが、たとえば、何らかのコンプレックスとかを持ってる人だと、その「冷静に見る」と言うことができてなかったりするわけで、そうなると自分の心を見るという作業をしてもらうしかない、ほっとくしかないってことになるのですな。
そのあたり、「台風撲滅コンセプト」が世界的に膨張しまくりまくって、止めようがなくなっている状態なのが「地球温暖化対策」の話ですね。いまやほとんど「地球温暖化ヒステリー」になってますな。で、それを「それはおかしい」と水をかけてくれてるのが、
エコほど怪しい主張はない。
http://diarynote.jp/d/12917/20080729.html
で紹介した、武田邦彦さんの「偽善エコロジー」なわけです。
偽善エコロジー
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980808/503-1393334-5299133
精神的なコンプレックスやヒステリー状態が全地球規模で広がっちゃってるってことなんだと思うんですよね。
だいたい、台風なんて撲滅できんわけでね。地球の温暖化も一緒でしょう。でもそういう「よくない状況」を「撲滅したい」「撲滅できる」と考える事自体がすでに病気なんだよ、という事が省みられていないように思えます。
冷静に科学的に考えてる人よりは、明らかにヒステリーだ、という人の方が多い。排出権という政治的な道具までできたことで炭素税やら炭素投資なんてものができて証券化されてるので、「新幹線に乗ったらエコです。」とかの本末転倒なキャンペーンまで誕生してたりする。新幹線に乗ったら、売り上げをそういうエコ証券を買うのに使うとか、そういう仕組みなんでしょう。詳しくは知らんけど。なんかそういうのっておかしくない? それより「新幹線に乗らずに済ます」方が環境には良いって。それはやっぱり。本質的論議としては。
で、やっぱり、ここには多分、なんらかのコンプレックスがあるって事なんだと思うのですよ。上記の私の友人が「自動的に消える設定をしているのに消えたら怒る」という矛盾を持ってたのと同じ、何らかのコンプレックスをみんなが持ってるって事です。
そういう「台風撲滅コンセプト」を声高に叫ぶ人は、基本的にそういう人でしょう。
ようは、台風を悪者にしておけば、自分のサボリや問題点などの「悪さ」を直視せずに済むって事なんですね。で、その後ろめたさが多少なりとも自覚できてるからこそ、「台風」を必要以上に悪者にしなければならなくなるし、「撲滅」までエスカレートするわけです。
-----------------------------------------
●撲滅できないものを悪者に仕立て上げれば、
永遠に真の問題点である
「自分の心」と向き合わなくても済む。
-----------------------------------------
からなんですね。要は。そこまで逃げんでもええやろと思うのですが。(笑)
結局、この間の「運用」の話に出てきた私の仕事上のお知り合いの方の、
「そういう人に限ってWinnyとか入れてるしねぇ」
というのと同じです。問題点が自分の中にあるからこそ、誰かを「悪者」に仕立て上げなければ済まなくなっちゃうわけです。
ああ、やれやれι(´Д`)υ。
ほんとに、やれやれι(´Д`)υだよねぇ。もう。
困った事だ。
で、こういう人は、そういう具合に「台風を悪者に仕立て上げる」という事をしてるから、永遠に「自分が悪者である」部分に気付かないわけです。
ちゅうか気付きたくないんやろうけど。
それはつまり結局、心の問題なんですね。
だから、最終的に行き着くところは「アダルトチルドレン」の話になっちゃうわけですよ。
ウィルス対策ソフトの話そのものは「それは運用の問題なんですよ」で話は終わってしまう。台風の話なら「台風撲滅とか言うても意味ないでしょ?」って事にもなる。
でも、「自分の心を見たくない」「誰かを悪者にしておかないと心の安静が得られない」というのはシステム運用の問題でもなければ、災害対策や環境問題の話でもないわけです。ようはコンプレックスやトラウマなど、心の問題を、その人が抱えている、というのが問題なわけであって、それを振りかざして話をしても意味など、まったくないわけですよ。
「まず先に、自分の心に問題があることを認めなさいよ。」って話でしてねぇ。
だからアダルトチルドレンの問題が重要なんですよ。心の溝掃除をしてないと気持ちが流れないのでありますよ。
という事で、アダルトチルドレンの話なら、
やっぱりどうしてもウォイティツ
http://diarynote.jp/d/12917/20060225.html
とか、さんざん書いてるので、今日はもうしませんけど。
「だめんずうぉーかー」とか、本当に「親子関係のつまづきで物事のとらえ方に歪みがおきやすい人」って言うのは、ものすごく多いよなぁって思う。いやほんとに。
まず、その心の問題がピラミッドの底辺なので、そこがグラついてたら、すべてのモノの見方が歪んじゃうよなぁって話であります。
事実を見たがらないのが、この手の病気だから。
まぁエコの話題とか見てると、ほんまにみんな病気やもんなぁ。
みーーーーんな「台風撲滅コンセプト」で動いてるし。
いやー、困った事だ。
小学校時代から、えんえん腐れ縁の続いている友人がおるのですが、その男と例のごとく飲みに行ったわけですよ。
で、その時の会話。
友「俺は、ケータイに届く迷惑メールが嫌いでなぁ。」
私「はぁ? 好きな奴なんかおらんやろ。」
友「いや、送信してる奴らを刺したいくらいに嫌いなんや。憎い。」
私「まぁ、腹は立つけど、そこまで怒らんでもええやろ。」
友「いや、腹立つ。なんとかならんのか、これ。居場所特定できたら殺しに行く。」
私「おいおい、ぶっそうやな。」
友「いや、そのくらいムカつくっちゅう事や。」
私「まぁ、腹は立つけどな、そういう下らん事に腹を立てる事自体が大きなムダやで。怒るの自体を、やめときなはれ。」
友「いや、どうにかせんと、腹の虫がおさまらん。ケータイが鳴るたびにイラっと来るわ。あー、腹が立つ。」
私「いや、そやから、そんなに腹立てるから、よけいにイライラするんやがな。イライラする事自体が損やろが。そういうのは、何も考えずに淡々と消す。気にせず消す。慣れてきたら、他の事考えながらでも消せるようになるで。そういう対処法が一番やで。」
友「そんな事出来るかぁ! 消してる間にどんどん腹立ってくるがな。」
私「えー? そんなに腹立つか? でも、ほんま、そういう具合に腹を立てる事自体が一番ムダやねんって。そんなもんな、『台風を撲滅しよう』と言うのと一緒やで。腹立てようがどうしようが、大量にメールを送信するソフトとか技術が世の中にあるんやし、一定数の悪徳業者も今後もずっといてるやろし、どうしたって出てくるよ。」
友「いや、それでも許せんのや。殺してやりたいくらい憎い。憎いんや、俺は。(ちょっと怒り口調)」
私「いや、やめとけってそれ。ムダやから。ムダ。まず、その怒りを消せって。ほんまにムダやから。台風に『うっとおしい!』と怒っても意味ないやろ。それと一緒や。(私は叱り口調)」
友「何言うてんねん、こいつら、実際におるんやぞ。腹立つやんけ。死んだらええんじゃ。ボケが。(かなり怒りモード)」
私「いや、いや、そやから、怒る方がムダやねんって、それは。わからんやっちゃな。怒るなっ!(かなり怒りモード)」
友「なんでやねん! ええか、まぁ聞けよ。俺の携帯は、一定数メールが届いたら、昔のメールが消える設定になってるねん。ところがや。この迷惑メールが届くとやな、昔のメールが想定以上に消えてしもて、後で確認しようと思っても確認でけへんとかになるんやで。そんなもん許せるかぁ。そやろが!(怒って当然やろ、どや!という口調。)」
私「…なんじゃい。そんな事か。それは君が悪いだけやないか。」
友「は?」
私「君が悪いっちゅうてんの。」
友「なんで俺が悪いねん。」
私「当たり前やろが。そんなもん、昔のメールを残しときたかったら、ケータイメールのバックアップソフトとか売ってるから買ってきて残しといたらしまいやがな。それだけの事やろ。」
友「うーん。」
私「そんなもんな、迷惑メールに腹立ててるヒマがあったら、昔のメールをパソコンのハードディスクにでも保存しといたらしまいやがな。台風が来る前にベランダの植木を部屋の中に入れとくのと一緒。それをやってない君が悪い。」
友「うーむ。」
私「そういうな、いつまでもどこまでも、解決のつかない問題に対して、ただ怒り続けてるだけやから、実際に解決できる現実的な対処の方法を見逃してしまうんよ。ちゅうかね、だいたい、ようは、自分がやるべき事をやってないからこそ、そういう怒りが出てくるわけよ。『バックアップとっとかなあかんかな?』と思いつつ取ってない。その不安を、そのまま現実に『消失』につなげさせるのが迷惑メールで、不安を的中させられた、だから腹が立つっちゅう事なわけでしょ。違うか?そういう事でしかないねんで、それは。原因は迷惑メールではなくて、君の対処の不手際・サボリが原因やがな、そんなもん。ようは、そういうウジウジした思いが君にあるっちゅう事や。そんなもんな、一般論で言うなら、バックアップ取ってない方が悪いというだけの事やねんで。」
友「うーん」
私「で、もひとつ言うならや。その『自動的に消える設定にしておきながら、消えると腹が立つ』というのは、もともと矛盾してる事であって、それは君自身が、ケータイメールの履歴に対して、特定の中途半端な思いや問題点があるからに決まってるんや。で、それは、君と○○さんとの関係が…(以下自主規制:笑)」
というような話があったわけでありまして。
まぁ、ここから先は、いろいろ大人の事情がからんだ、いろんな話が展開されたので、そこはオフレコにしておきますけど、これ、ようは、先の「運用」の話とまったく同じであります。
このあたり、
そうか「運用の問題なんだよ」と言えば良かったのか。
http://diarynote.jp/d/12917/20080822.html
で書いた話と同じですわね。「迷惑メール送付業者を殺したい」というのと、「ウィルス対策ソフトをみんなが導入しなければウィルスが撲滅できない」というのとは、まったく同じ発想ですわ。まさに「台風撲滅コンセプト」。まーーったく意味なんぞおまへん。無意味。ムダ。
で、結局は「運用システムが不備」「バックアップを取っていない」などの自分の側のサボリの問題を直視していないって事なわけですよ。要は。
で、なんでそれが直視できてないかというと、「消したくないのに消せるようにしたままである」という状態自体に、何らかのコンプレックスが潜んでいるという事なわけです。でも、それは個別別個の問題なので、どうのこうの言えないんですけど。
そのあたりは、自分で線引きしてくれっちゅう話ですわな。必要なデータはバックアップを取る。不要なものは削除するなり、「消えてもかまわん」と自分で決める。そんなもん覚悟の問題だけです。「このあたりのデータは消えても別にかまわんわ。」と確認しとくだけでオーケー。そういうことな訳ですよ。でも、そういう事をしてないから迷惑メールやウィルスに異様に腹が立つわけで。
まぁ、子供っちゅうかなんちゅうか、そういう事でしかないのです。
でも、世の中、そういう本質を考えない人が多いわけで、「台風撲滅コンセプト」の最たるものが、「反戦運動」なんだろうと思うのです。それが、このあいだ書いた、
私は反戦運動には参加しません。
http://diarynote.jp/d/12917/20080815.html
の話でしてね。
反戦運動は平和運動ではありませんからな。いくら反戦運動に参加しても、世の中の平和は1グラムも増えないし、1ミリだって動かない。
平和を作るためには、目の前の飢えてる人に施しをしてあげないと意味がない。家族のひとりひとりの個性を暖かく見守らなければ意味がない、とまぁ、マザーテレサはおっしゃる、というか、説く以前に、「即実践」されてるわけです。
この「即実践」ってのが偉いなぁって思うんですよ。僕も「反戦!って叫んでる奴はムダな事をしてるだけや!」と言う事を書いてるわけですが、それを書いてるヒマがあったら、もっと世の中の平和が生まれる何かを考えて、それを書いた方がマシなわけですわ。僕自身のバックアップの取り方の方法とかを伝えるとかね。その方が意義は大きい。
ただ、そういうバックアップの取り方を伝えても「台風撲滅コンセプト」が正しい考え方なのだと勘違いし続けてる人には、全然通じないって事になるのが、とても迷惑なわけです。「そんな事してても、台風は撲滅でけへんやんけ!」とか言うのです。やれやれ。ι(´Д`)υ
その台風撲滅コンセプトの最たるものが、冒頭の友人との会話なのでありますよ。実にわかりやすい。
そういう迷惑メールや、ウィルス問題が、台風レベルの事柄であるかどうかとかは、冷静になって見てみりゃわかるやろうにと思うのですが、たとえば、何らかのコンプレックスとかを持ってる人だと、その「冷静に見る」と言うことができてなかったりするわけで、そうなると自分の心を見るという作業をしてもらうしかない、ほっとくしかないってことになるのですな。
そのあたり、「台風撲滅コンセプト」が世界的に膨張しまくりまくって、止めようがなくなっている状態なのが「地球温暖化対策」の話ですね。いまやほとんど「地球温暖化ヒステリー」になってますな。で、それを「それはおかしい」と水をかけてくれてるのが、
エコほど怪しい主張はない。
http://diarynote.jp/d/12917/20080729.html
で紹介した、武田邦彦さんの「偽善エコロジー」なわけです。
偽善エコロジー
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980808/503-1393334-5299133
精神的なコンプレックスやヒステリー状態が全地球規模で広がっちゃってるってことなんだと思うんですよね。
だいたい、台風なんて撲滅できんわけでね。地球の温暖化も一緒でしょう。でもそういう「よくない状況」を「撲滅したい」「撲滅できる」と考える事自体がすでに病気なんだよ、という事が省みられていないように思えます。
冷静に科学的に考えてる人よりは、明らかにヒステリーだ、という人の方が多い。排出権という政治的な道具までできたことで炭素税やら炭素投資なんてものができて証券化されてるので、「新幹線に乗ったらエコです。」とかの本末転倒なキャンペーンまで誕生してたりする。新幹線に乗ったら、売り上げをそういうエコ証券を買うのに使うとか、そういう仕組みなんでしょう。詳しくは知らんけど。なんかそういうのっておかしくない? それより「新幹線に乗らずに済ます」方が環境には良いって。それはやっぱり。本質的論議としては。
で、やっぱり、ここには多分、なんらかのコンプレックスがあるって事なんだと思うのですよ。上記の私の友人が「自動的に消える設定をしているのに消えたら怒る」という矛盾を持ってたのと同じ、何らかのコンプレックスをみんなが持ってるって事です。
そういう「台風撲滅コンセプト」を声高に叫ぶ人は、基本的にそういう人でしょう。
ようは、台風を悪者にしておけば、自分のサボリや問題点などの「悪さ」を直視せずに済むって事なんですね。で、その後ろめたさが多少なりとも自覚できてるからこそ、「台風」を必要以上に悪者にしなければならなくなるし、「撲滅」までエスカレートするわけです。
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●撲滅できないものを悪者に仕立て上げれば、
永遠に真の問題点である
「自分の心」と向き合わなくても済む。
-----------------------------------------
からなんですね。要は。そこまで逃げんでもええやろと思うのですが。(笑)
結局、この間の「運用」の話に出てきた私の仕事上のお知り合いの方の、
「そういう人に限ってWinnyとか入れてるしねぇ」
というのと同じです。問題点が自分の中にあるからこそ、誰かを「悪者」に仕立て上げなければ済まなくなっちゃうわけです。
ああ、やれやれι(´Д`)υ。
ほんとに、やれやれι(´Д`)υだよねぇ。もう。
困った事だ。
で、こういう人は、そういう具合に「台風を悪者に仕立て上げる」という事をしてるから、永遠に「自分が悪者である」部分に気付かないわけです。
ちゅうか気付きたくないんやろうけど。
それはつまり結局、心の問題なんですね。
だから、最終的に行き着くところは「アダルトチルドレン」の話になっちゃうわけですよ。
ウィルス対策ソフトの話そのものは「それは運用の問題なんですよ」で話は終わってしまう。台風の話なら「台風撲滅とか言うても意味ないでしょ?」って事にもなる。
でも、「自分の心を見たくない」「誰かを悪者にしておかないと心の安静が得られない」というのはシステム運用の問題でもなければ、災害対策や環境問題の話でもないわけです。ようはコンプレックスやトラウマなど、心の問題を、その人が抱えている、というのが問題なわけであって、それを振りかざして話をしても意味など、まったくないわけですよ。
「まず先に、自分の心に問題があることを認めなさいよ。」って話でしてねぇ。
だからアダルトチルドレンの問題が重要なんですよ。心の溝掃除をしてないと気持ちが流れないのでありますよ。
という事で、アダルトチルドレンの話なら、
やっぱりどうしてもウォイティツ
http://diarynote.jp/d/12917/20060225.html
とか、さんざん書いてるので、今日はもうしませんけど。
「だめんずうぉーかー」とか、本当に「親子関係のつまづきで物事のとらえ方に歪みがおきやすい人」って言うのは、ものすごく多いよなぁって思う。いやほんとに。
まず、その心の問題がピラミッドの底辺なので、そこがグラついてたら、すべてのモノの見方が歪んじゃうよなぁって話であります。
事実を見たがらないのが、この手の病気だから。
まぁエコの話題とか見てると、ほんまにみんな病気やもんなぁ。
みーーーーんな「台風撲滅コンセプト」で動いてるし。
いやー、困った事だ。
そうか「運用の問題なんだよ」と言えば良かったのか。
2008年8月22日えー、この二三日でNHK編・著「ワーキングプア」二巻を読んで、「うーむそうだったのか」とか「やっぱりなぁ」とか、いろいろ思うところは多かったので、すごくいろいろ書きたいのですが、まぁ、それはちょっと置いといて。
仕事用のホームページをコツコツ作ってずっとオープンにしてるのですが、7月の末あたりに、そのホームページから問い合わせがありまして、新しいお仕事が発生。お話しをしてみると、実に相性が良いというか、馬の合う方と巡り会え、まぁ新規にお仕事をさせてもらっておるのですが。
昨日は、その方からの仕事で、ある大企業さんの工場の取材。まぁデカイ工場で、歩いた歩いた。
で、まぁ、この1年くらいで、ほんとうにいろいろな企業さんの工場を見て回る機会が多くて、モノづくり日本は、やっぱり人づくりと技術の伝承こそが支えてるんだよなぁと実感しておりまして、そういう事と上記のワーキングプアの問題とのからみで、本当に派遣業法ってのは天下の悪法だよなぁとつくづく思ったわけですが、それもまた余談。この事は、また改めてしっかり書きたいです。
で、その取材の帰り、馬の合うその方が運転される車で大阪まで戻ったわけですが、帰り道の間、あれやこれやの雑談。
そしたらまぁ、いろいろと考えてる事とか、体験してきたこととか、物事のとらえ方とか大変近似値だったので、あらためて感心したわけであります。
特にPC。
ウィンドウズ95が世間を席巻するよりもかなり前からITというかデジタル業務というものをどう考えるべきなのか? というのを考え、実践してきたというあたりもお互いに意識的にも近くて、話が合うことはなはだしい。
で、話をしているうちに、たまたまバックアップか何かの話からウィルス対策ソフトの話になりまして。これがまた意見が一致。
その方曰く。
「やっと最近になって理解してもらえるようになってきたけど、ウィルス対策ソフトを入なくては、とか言う人がいたりするんですよ。で、いや、それは『運用』の問題ですよ。『運用』がしっかりしてたら、それは不要ですって言うんやけど、これがなかなかわからんみたいでねぇ。」
と一言。
「おお、その通り!」と私は思ったわけですが、「あ、そうか、こういうのは『それは運用の問題なんですよ』と言えば良かったのか!」と気付いた次第。いやまぁ「運用の問題ですよ。」と言っても、わからん人の方が多いと、この方も言っておられるからなかなかやっぱり通じにくいのかも知れないですが。
ようはバックアップをキチンと取るとか、自分がパソコンというシステムを「運用」するにあたっての、運用の仕方を決める、構築するという事こそが重要で、そこさえキチンとしてたら、別にウィルス対策ソフトなんか導入する必要なんかないって話なんですけどね。運用体制をキチンと仕組みとして構築してないから「データ消えたら大変や」となってウィルス対策ソフトに走るわけで、そんなもん入れても屁のつっぱりにもならない。
という事を私は当然の如く正しく理解しているわけですが、これをまた全然理解できないタイプの人がいてるわけで、そのあたりに頭を悩ますし「困ったことだなぁ」と思ってたわけですが、そういう話をするより早く、この方、
「そんなもん、運用さえキチンと決まってたら、ウィルス対策ソフトなんか一切必要ないですやん。ねぇ。」と、これまた至極当然の事をおっしゃる。その通り! やねんけど、こういう事を正しくストレートに言える人がなかなかいてないのよなぁ。
いつバックアップを取り、システムが壊れたときにどうやって復旧させるのか。たとえば起動可能なHDを用意するとか、最悪ヨドバシでPCを買う事にするとか、とにかく問題発生時に対する対策を会社として確定しておく、あるいは個人として確定しておく、仕組みとして作っておく、という事ですね。これが運用という事です。
たとえば「いざとなったらヨドバシでPCを買えばいい」という割り切った運用を考えるのなら、それに備えていつでもPCを買えるだけのお金を封筒にいれて棚に保管しておくとかしないといけないわけですね。そこまでの事をひっくるめて「運用方法の確定」という事なわけです。
この「運用」ということさえ、しっかり確立してれば、別にウィルス対策ソフトなんか導入する必要は一切ないって話なわけです。運用の方法なんて千差万別だから。
あたりまえの話なんですが。
ところが、この運用の仕組み化という、とにかくまず自分で確定しておかないとしょうがない事を決めておかないものだから、自分の心の中で不安だけが一人歩きして、ウィルス対策ソフトに頼るという事になるわけですよ。
だからそれは運用の問題なんだって事ですな。ウィルス対策っていうのは、「自分のミスでデータを消してしまう危険性」とか、「落雷や停電でデータが消えてしまう、あるいはソフトやPC本体が壊れてしまう危険性」までひっくるめて、安定運用が阻害されたときのリスクマネジメントの問題でしかないわけですよ。あくまで、その一要因でしかない。
そんな事は当たり前の話でして。
ところが、僕の回りにもいてるけど、どうやら、その方の回りにもそこら辺がわかってない人がいて、まあ、単に勉強不足なだけなわけですけど、そういう人に限って「ウィルス対策ソフトを入れないと!」とか言うわけですわ。
そんなもん入れても、なんの問題解決にもなってないっちゅうに。運用ルールの確立とかこそが本質的対策やっちゅうに。
という事ですわな。
なんでこんな簡単な話がわからんねん、アホちゃうか? と思うわけですが、でも、やっぱり、かなりの程度、そういう本質から外れた人が、かなり世の中には多いみたいなんですねぇ。
その方の言葉にいちいち「その通り!」と納得しながらも、「ああ、そうか、世の中には勘違いしてる人がこんなに多いのか」とも思いましたですな。
なんせその方曰く、
「たとえば、私は作業するパソコンとインターネットするパソコンとは分けて使ってます、作業はスタンドアローンのノートパソコンでしかしてないからネットからのセキュリティ対策とか考える必要ないでしょ。と言ってもわからんのやねぇ、そういう人は。運用って事がやっぱりわかってないんやなぁ。」
となる。
ああ、そうですわね。その通り。インターネット用の回線と、社内用のLANを完全に切り分けてしか使わないという対策を取っている会社はけっこう多いわけですよ。自分のマシンで全部をやるという便利さはなくなるけど、ウィルス対策ソフトを入れるよりはるかに効果高いですわな。
そんなもん、結局運用の問題ですわ。
という事やねんけど、その方曰く
「でも、こういう事がわからん人は、なんぼ言うてもわからんのですねぇ。ほんまに。」と嘆いておられたわけです。
その嘆きまで、私、まったく同じなのであります。ああ、その通り。分らん奴はどこまで行っても分ってない。やっぱり多分、パソコンのシステムの運用の問題とか、そういう事に対する勉強不足なんやろけど。
ちゅうか、多分、それ以前にどうもパーソナルとは何か、個人というのはどういう概念か? というあたりから正しく理解してないのが問題であるように、私は思うのでありますが。
結局、和と個の問題なんですな。
日本人にとっての社会的最小単位は「和=輪」なんですね。それより小さい単位がない。輪というのはようは二人以上の集団の事でして夫婦、恋人、家族、あたりが最小単位なわけですよ。たったひとりの個人、神と契約によってつながる「一個人」という考え方は元々、物理的にも精神的にも存在してないわけです。
なので、日本における「個人主義」というのは、「輪の中で、相手に対してどう要求するのが効果的か」という関係性としてしか存在できないわけです。そういう関係性なしにとにかくたった一人の個人というのはない。
でも、欧米の「個人」ってのは、まさにたったひとりの個人ですからな。他の人間との関わりを想定していない「個」の話でして、パソコンって言うのは、その「まったくの個人」を前提にした設計なわけです。ここがもう、根本問題として大きく横たわってるわけですからなぁ。
だから、本来パソコンなんてものは「個の確立」ができてない人間にとっては、ストレスのかたまりにしかならないわけですよ。
だって、あなた「データが消してしまえるように設計されている」んですよ? こんなもの「輪」の中で相手の事まで先回りして考える日本文化を持つ家電メーカーなら最初から「消せる機能」なんてものは搭載しませんからな。全データを全部残すのを標準機能として設計しますから。
だから、本来パソコンというのは、個別にひとりひとりが、個人として、自分のための「運用ルール」とか「運用システム」を一個ずつ決めていかないといけない、おそろしく面倒くさい道具なわけですよ。その運用ルールの一切合切、すべてが使う側の「自由」として残されてるわけです。ルールをシステムの中に入れてないわけです。「ルールは自分で作ってね」ということですね。
で、このあたりの事がまさに本質やなぁと思う一言を、その人がまたおっしゃった。
「そういう分ってない人に限って、Winny 入れてたりするんですよねぇ。ほんまに。」
って。
おおおお、まさにそうですよ! その通り! なんでそういう事をするのか、私にゃさっぱりわかりませんが、「運用」を分ってたら Winny なんか入れるわけないんですよねぇ。そんな危なっかしいシステムを、自分のパソコンの中に入れるという事自体がナンセンスです。考えられないし、信じられない。入れたいとすら思わないわけですよ、私なんかは。
でも、その人のおっしゃる通りで、少なくとも僕の知ってる「ウィルス対策ソフト入れるべし」人間って、やっぱりWinnyとかの泥棒ソフトを入れてる、あるいは擁護するとかしてるわけで。
なんだかなぁと。
なんなんですかね、あれは。たとえばメールソフトを何を使えば安全か? という観点から選んだりせずに、ウィンドウズにオマケでついてくるアウトルックエクスプレスのままにしてたりするんですなぁ。で、Winnyも入れてたりして、で、その運用の不安定さを「ウィルス対策ソフト」でごまかしてるわけです。本末転倒でしょうなぁ、それはやっぱり。
(ちなみに私のメーラーはBecky! であります。もともとDOS時代にエディタソフトElisとして生まれた経緯がありまして、編集作業とかがすごく快適で、アホくさくてオマケソフトなぞ使えないのであります。メールソフトは、仕事をする上で、最重要ソフトと思ったので、DOSからウィンドウズに乗り換える時に、徹底的に調べて、「うむ、これに決定!」と熟考して決めたもので、いまだに変更の必要なしですね。すばらしいソフトです。もともと、DOS時代にElisを愛用していたのですが、そのElisがBecky!に成長したという事も知らずに購入しまして、あとから元がElisであった事を知って「そうだったのか!」と感心してしまった経緯があるんですがね。良いソフトです。ほんとに。)
ともあれ、その方の話を聞いてわかった事は、やっぱり「ウィルス対策ソフト」を入れろ入れろと言う人は、ようするに運用の仕組みを構築できてない人だって事なんですよ。どこぞも同じかぁ、そういう事ねって事です。
で、どうも、何を勘違いしてるのか、「ウィルス対策ソフト」はウィルスを絶滅させるソフトやと思ってるらしいのですよね、こういう人は。
いやー、それは「台風撲滅運動」をやってるのと同じでしょう。完全にまったく意味ないよって事なんですが。でも「悪を討つ」という気持ちで「ウィルス対策ソフト」を入れるのが必然って考えてるんですなぁ。アホちゃうかとしか私は思わないんですが。
先の日記でも書きましたが、これぞまさに「戦争反対運動」なわけで、私はそんなものには参加しないのであります。平和を作るための運動=運用の仕組みを構築するの方を最優先でやるのであります。戦争反対運動に効果なんかほとんどおませんからなぁ。
ともあれ、まったく同様の問題で「世の中やっぱり、困った子ちゃんが多いのね」という事が良く分かっただけでも、この方との出会いはありがたいものでありました。
で、ウィルス対策ってのは、パソコンの故障や自分のうっかりミスまで含めた「緊急時の運用ルール確定」の中の一項目でしかない、「運用の問題にしかすぎない」という当たり前の事をあらためて言語化・明文化できて、気持ち的にすっきりしたのでありました。
パソコン活用者全員が、一人残らず適正な運用ルールを持っていれば、ウィルス問題なぞ屁でもないくだらない問題でしかないって事です。
でも、平和運動より戦争反対運動に力を入れてしまうタイプの人ってのは多いんだよなぁ。本当に。それは平和とは何か? っちゅうことがわかってないからなんだけど、その根幹には、たとえばアダルトチルドレンであることによる、物事の「見方のゆがみ」があるとか、そういう事も実は含まれてたりするんですよね。
ま、そんなことで誰かに出会う事で、「ああそうか」と思える事もあるわけで、とても良い出会いだなぁと有りがたく思った次第。
おもしろいねぇ、インターネットって。
仕事用のホームページをコツコツ作ってずっとオープンにしてるのですが、7月の末あたりに、そのホームページから問い合わせがありまして、新しいお仕事が発生。お話しをしてみると、実に相性が良いというか、馬の合う方と巡り会え、まぁ新規にお仕事をさせてもらっておるのですが。
昨日は、その方からの仕事で、ある大企業さんの工場の取材。まぁデカイ工場で、歩いた歩いた。
で、まぁ、この1年くらいで、ほんとうにいろいろな企業さんの工場を見て回る機会が多くて、モノづくり日本は、やっぱり人づくりと技術の伝承こそが支えてるんだよなぁと実感しておりまして、そういう事と上記のワーキングプアの問題とのからみで、本当に派遣業法ってのは天下の悪法だよなぁとつくづく思ったわけですが、それもまた余談。この事は、また改めてしっかり書きたいです。
で、その取材の帰り、馬の合うその方が運転される車で大阪まで戻ったわけですが、帰り道の間、あれやこれやの雑談。
そしたらまぁ、いろいろと考えてる事とか、体験してきたこととか、物事のとらえ方とか大変近似値だったので、あらためて感心したわけであります。
特にPC。
ウィンドウズ95が世間を席巻するよりもかなり前からITというかデジタル業務というものをどう考えるべきなのか? というのを考え、実践してきたというあたりもお互いに意識的にも近くて、話が合うことはなはだしい。
で、話をしているうちに、たまたまバックアップか何かの話からウィルス対策ソフトの話になりまして。これがまた意見が一致。
その方曰く。
「やっと最近になって理解してもらえるようになってきたけど、ウィルス対策ソフトを入なくては、とか言う人がいたりするんですよ。で、いや、それは『運用』の問題ですよ。『運用』がしっかりしてたら、それは不要ですって言うんやけど、これがなかなかわからんみたいでねぇ。」
と一言。
「おお、その通り!」と私は思ったわけですが、「あ、そうか、こういうのは『それは運用の問題なんですよ』と言えば良かったのか!」と気付いた次第。いやまぁ「運用の問題ですよ。」と言っても、わからん人の方が多いと、この方も言っておられるからなかなかやっぱり通じにくいのかも知れないですが。
ようはバックアップをキチンと取るとか、自分がパソコンというシステムを「運用」するにあたっての、運用の仕方を決める、構築するという事こそが重要で、そこさえキチンとしてたら、別にウィルス対策ソフトなんか導入する必要なんかないって話なんですけどね。運用体制をキチンと仕組みとして構築してないから「データ消えたら大変や」となってウィルス対策ソフトに走るわけで、そんなもん入れても屁のつっぱりにもならない。
という事を私は当然の如く正しく理解しているわけですが、これをまた全然理解できないタイプの人がいてるわけで、そのあたりに頭を悩ますし「困ったことだなぁ」と思ってたわけですが、そういう話をするより早く、この方、
「そんなもん、運用さえキチンと決まってたら、ウィルス対策ソフトなんか一切必要ないですやん。ねぇ。」と、これまた至極当然の事をおっしゃる。その通り! やねんけど、こういう事を正しくストレートに言える人がなかなかいてないのよなぁ。
いつバックアップを取り、システムが壊れたときにどうやって復旧させるのか。たとえば起動可能なHDを用意するとか、最悪ヨドバシでPCを買う事にするとか、とにかく問題発生時に対する対策を会社として確定しておく、あるいは個人として確定しておく、仕組みとして作っておく、という事ですね。これが運用という事です。
たとえば「いざとなったらヨドバシでPCを買えばいい」という割り切った運用を考えるのなら、それに備えていつでもPCを買えるだけのお金を封筒にいれて棚に保管しておくとかしないといけないわけですね。そこまでの事をひっくるめて「運用方法の確定」という事なわけです。
この「運用」ということさえ、しっかり確立してれば、別にウィルス対策ソフトなんか導入する必要は一切ないって話なわけです。運用の方法なんて千差万別だから。
あたりまえの話なんですが。
ところが、この運用の仕組み化という、とにかくまず自分で確定しておかないとしょうがない事を決めておかないものだから、自分の心の中で不安だけが一人歩きして、ウィルス対策ソフトに頼るという事になるわけですよ。
だからそれは運用の問題なんだって事ですな。ウィルス対策っていうのは、「自分のミスでデータを消してしまう危険性」とか、「落雷や停電でデータが消えてしまう、あるいはソフトやPC本体が壊れてしまう危険性」までひっくるめて、安定運用が阻害されたときのリスクマネジメントの問題でしかないわけですよ。あくまで、その一要因でしかない。
そんな事は当たり前の話でして。
ところが、僕の回りにもいてるけど、どうやら、その方の回りにもそこら辺がわかってない人がいて、まあ、単に勉強不足なだけなわけですけど、そういう人に限って「ウィルス対策ソフトを入れないと!」とか言うわけですわ。
そんなもん入れても、なんの問題解決にもなってないっちゅうに。運用ルールの確立とかこそが本質的対策やっちゅうに。
という事ですわな。
なんでこんな簡単な話がわからんねん、アホちゃうか? と思うわけですが、でも、やっぱり、かなりの程度、そういう本質から外れた人が、かなり世の中には多いみたいなんですねぇ。
その方の言葉にいちいち「その通り!」と納得しながらも、「ああ、そうか、世の中には勘違いしてる人がこんなに多いのか」とも思いましたですな。
なんせその方曰く、
「たとえば、私は作業するパソコンとインターネットするパソコンとは分けて使ってます、作業はスタンドアローンのノートパソコンでしかしてないからネットからのセキュリティ対策とか考える必要ないでしょ。と言ってもわからんのやねぇ、そういう人は。運用って事がやっぱりわかってないんやなぁ。」
となる。
ああ、そうですわね。その通り。インターネット用の回線と、社内用のLANを完全に切り分けてしか使わないという対策を取っている会社はけっこう多いわけですよ。自分のマシンで全部をやるという便利さはなくなるけど、ウィルス対策ソフトを入れるよりはるかに効果高いですわな。
そんなもん、結局運用の問題ですわ。
という事やねんけど、その方曰く
「でも、こういう事がわからん人は、なんぼ言うてもわからんのですねぇ。ほんまに。」と嘆いておられたわけです。
その嘆きまで、私、まったく同じなのであります。ああ、その通り。分らん奴はどこまで行っても分ってない。やっぱり多分、パソコンのシステムの運用の問題とか、そういう事に対する勉強不足なんやろけど。
ちゅうか、多分、それ以前にどうもパーソナルとは何か、個人というのはどういう概念か? というあたりから正しく理解してないのが問題であるように、私は思うのでありますが。
結局、和と個の問題なんですな。
日本人にとっての社会的最小単位は「和=輪」なんですね。それより小さい単位がない。輪というのはようは二人以上の集団の事でして夫婦、恋人、家族、あたりが最小単位なわけですよ。たったひとりの個人、神と契約によってつながる「一個人」という考え方は元々、物理的にも精神的にも存在してないわけです。
なので、日本における「個人主義」というのは、「輪の中で、相手に対してどう要求するのが効果的か」という関係性としてしか存在できないわけです。そういう関係性なしにとにかくたった一人の個人というのはない。
でも、欧米の「個人」ってのは、まさにたったひとりの個人ですからな。他の人間との関わりを想定していない「個」の話でして、パソコンって言うのは、その「まったくの個人」を前提にした設計なわけです。ここがもう、根本問題として大きく横たわってるわけですからなぁ。
だから、本来パソコンなんてものは「個の確立」ができてない人間にとっては、ストレスのかたまりにしかならないわけですよ。
だって、あなた「データが消してしまえるように設計されている」んですよ? こんなもの「輪」の中で相手の事まで先回りして考える日本文化を持つ家電メーカーなら最初から「消せる機能」なんてものは搭載しませんからな。全データを全部残すのを標準機能として設計しますから。
だから、本来パソコンというのは、個別にひとりひとりが、個人として、自分のための「運用ルール」とか「運用システム」を一個ずつ決めていかないといけない、おそろしく面倒くさい道具なわけですよ。その運用ルールの一切合切、すべてが使う側の「自由」として残されてるわけです。ルールをシステムの中に入れてないわけです。「ルールは自分で作ってね」ということですね。
で、このあたりの事がまさに本質やなぁと思う一言を、その人がまたおっしゃった。
「そういう分ってない人に限って、Winny 入れてたりするんですよねぇ。ほんまに。」
って。
おおおお、まさにそうですよ! その通り! なんでそういう事をするのか、私にゃさっぱりわかりませんが、「運用」を分ってたら Winny なんか入れるわけないんですよねぇ。そんな危なっかしいシステムを、自分のパソコンの中に入れるという事自体がナンセンスです。考えられないし、信じられない。入れたいとすら思わないわけですよ、私なんかは。
でも、その人のおっしゃる通りで、少なくとも僕の知ってる「ウィルス対策ソフト入れるべし」人間って、やっぱりWinnyとかの泥棒ソフトを入れてる、あるいは擁護するとかしてるわけで。
なんだかなぁと。
なんなんですかね、あれは。たとえばメールソフトを何を使えば安全か? という観点から選んだりせずに、ウィンドウズにオマケでついてくるアウトルックエクスプレスのままにしてたりするんですなぁ。で、Winnyも入れてたりして、で、その運用の不安定さを「ウィルス対策ソフト」でごまかしてるわけです。本末転倒でしょうなぁ、それはやっぱり。
(ちなみに私のメーラーはBecky! であります。もともとDOS時代にエディタソフトElisとして生まれた経緯がありまして、編集作業とかがすごく快適で、アホくさくてオマケソフトなぞ使えないのであります。メールソフトは、仕事をする上で、最重要ソフトと思ったので、DOSからウィンドウズに乗り換える時に、徹底的に調べて、「うむ、これに決定!」と熟考して決めたもので、いまだに変更の必要なしですね。すばらしいソフトです。もともと、DOS時代にElisを愛用していたのですが、そのElisがBecky!に成長したという事も知らずに購入しまして、あとから元がElisであった事を知って「そうだったのか!」と感心してしまった経緯があるんですがね。良いソフトです。ほんとに。)
ともあれ、その方の話を聞いてわかった事は、やっぱり「ウィルス対策ソフト」を入れろ入れろと言う人は、ようするに運用の仕組みを構築できてない人だって事なんですよ。どこぞも同じかぁ、そういう事ねって事です。
で、どうも、何を勘違いしてるのか、「ウィルス対策ソフト」はウィルスを絶滅させるソフトやと思ってるらしいのですよね、こういう人は。
いやー、それは「台風撲滅運動」をやってるのと同じでしょう。完全にまったく意味ないよって事なんですが。でも「悪を討つ」という気持ちで「ウィルス対策ソフト」を入れるのが必然って考えてるんですなぁ。アホちゃうかとしか私は思わないんですが。
先の日記でも書きましたが、これぞまさに「戦争反対運動」なわけで、私はそんなものには参加しないのであります。平和を作るための運動=運用の仕組みを構築するの方を最優先でやるのであります。戦争反対運動に効果なんかほとんどおませんからなぁ。
ともあれ、まったく同様の問題で「世の中やっぱり、困った子ちゃんが多いのね」という事が良く分かっただけでも、この方との出会いはありがたいものでありました。
で、ウィルス対策ってのは、パソコンの故障や自分のうっかりミスまで含めた「緊急時の運用ルール確定」の中の一項目でしかない、「運用の問題にしかすぎない」という当たり前の事をあらためて言語化・明文化できて、気持ち的にすっきりしたのでありました。
パソコン活用者全員が、一人残らず適正な運用ルールを持っていれば、ウィルス問題なぞ屁でもないくだらない問題でしかないって事です。
でも、平和運動より戦争反対運動に力を入れてしまうタイプの人ってのは多いんだよなぁ。本当に。それは平和とは何か? っちゅうことがわかってないからなんだけど、その根幹には、たとえばアダルトチルドレンであることによる、物事の「見方のゆがみ」があるとか、そういう事も実は含まれてたりするんですよね。
ま、そんなことで誰かに出会う事で、「ああそうか」と思える事もあるわけで、とても良い出会いだなぁと有りがたく思った次第。
おもしろいねぇ、インターネットって。
福岡正信さん逝かれる。
2008年8月19日自然農法の福岡正信さんが17日にお亡くなりになりました。
95歳だったそうです。
ちょっといろいろあって、感慨深いです。
みんな知ってるんやろか? どうなんやろ?
僕は、一時期、有機農法で畑作業を、半分趣味みたいにしてやってた時期があったんで、福岡正信さんの事はすごく頭に残ってるんですよね。
書店に行けば、福岡さんの「わら一本の革命」というご著書が出てますので、気になる方は立ち読みでもパラパラっと見ていただくと、へぇ〜って思うんじゃないかなぁ。
有名なところでは「粘土団子」による砂漠化地帯の緑化活動があります。何種類もの種や菌を混ぜ合わせて団子を作り、それを砂漠化してしまった地域に飛行機でばらまくという事をされるんですが、それで見事に砂漠が緑化してるんだそうです。
近年では、オーガニックとか食の安全とかが意識されて「有機農法」っていう言葉がかなり一般的になってきましたけど、福岡正信さんが言う「自然農法」というのは、こういう「有機農法」とはまた全然違うものなんですね。このあたりが、多分一般の人には良く分からないところなんだろうなぁ。って思う。
有機農法は、基本的には農薬とか化学肥料を使わない農業なわけです。それはそれで安全だし、長年確立されてきた世界でもあるんで、それは受け継いでいかにゃいけないと思うんですが、実は、その「有機農業」と言うのも、「農業」と言う限りは、「人間による人工的な自然への関わり」なのであって、自然そのものとは少し違っていたりするんですね。だいたい、畝を立てるってあたりから「自然」ではないわけですよ。本来は。
で、「人間が生きているという事自体が奇跡であるよなぁ」と思ってる私としては、有機農法ですら「まだ人間が知らない自然の生命力を無意識に抑えつけてる農法なのかもなぁ」という気持ちがありまして、本当の事を言うと本気で農業をやるなら福岡正信さんに弟子入りでもしないと満足できない人間なんだろうなぁ、というのが気持ちの中にあるわけです。
というのは、福岡正信さんの自然農法というのは有機農法ではなくて自然農法ですから、播種と刈り入れの時にしか作業をしないんですね。下草を刈ったり、土寄せをしたり、追肥をしたりというような、作物が育つプロセスに、事細かに関わるという事自体をしないんです。自然のあらゆる事柄を理解して、その組み合わせの妙でバランスを取って作物を作る。まぁ、だから、超超ムズカシイ、ものすごく高度な農業とも言えます。
たとえば、ミカン農家は、通常、苗木を買ってきてミカン畑を作るわけですよ。一時期和歌山で暮らしてたから、その実感もあります。ミカンの花の匂いってすごいのよなぁ。まぁそれはそれとして、そういう苗木をそのまま植えて行くと、あの丸まっちぃ形になったミカンの低木の木になります。
あれは、ああいう低木になるように苗木の時からハサミが入ってるんだそうです。ようは取り入れするのがラクなわけです。でも、ミカンを福岡さんが自然農法で、種から植えると、背の高い針葉樹みたいな形に木が育って、それはそれは甘くて大きな実をつけるんだそうです。まぁ取り入れは大変だと思うけど。
そういうような違いがあるわけですね。
で、僕は基本、福岡さんにあこがれてたわけですが、でも、有機でみんなでやってるわけですから、そういう話をするのがはばかられてですね、あんまりそういう話ができなかったんですねぇ。
いまにして思えば、僕自身が「人間が生きているという事自体が奇跡であるよなぁ」と思ってる人なんだから、これは根っこの部分の物事のとらえ方なんだから、それは、もうしょうがないんだって素直に思えるんだけど、当時はこういう事をうまく説明できなかったんだと思います。
ちゅうか、いまでもうまく説明できませんけどね。
「有機」が現実問題としては、良い選択なんだけど、でも目指すべきは福岡さんなんじゃないのかなぁ、というのがずっと心の中にくすぶっておるのでありまして。
そのあたりは、先日紹介した「偽善エコロジー」にも通じる、「ほんまのところ、真実っちゅうのはどうやねん?」という問いかけの気持ちが、やはり僕には強いよなぁって事なんですけどね。
まぁ、そういうような事で、エコとか環境とか考えるなら、まず福岡さんの自然農法と有機農法の違いみたいな事を考えた上で、方針決定をしてくれと思うんですよね。だから「減農薬」とかをある程度認めるような発想っていうのは「うーん…。現実問題としては仕方ないのかも知れないけど…」って、ちょっと抵抗を感じますねぇ。いや、あまりに神経質なのも嫌いなんですけど、「まだ人間が理解していない、より良い答え」が、自然界の中に眠ってるかもしらんやん、とは思ってしまうんですよね。単に自然の実態を知らないだけなんと違うんか? とかいう気持ちがどうしても出てしまう。
だいたい、普通のお米と餅米の違って言うのも、ようは突然変異だったわけですよ。自然に生まれたものの中から、特殊な特徴のある種を残しておいて、それを別個の育てた結果なわけです。で、それは、米を、苗の時から、ありのままに、そのままに見つめていたからだろうと思うのですよね。ひたすら、そのまま、ありのままを見つめるような人が歴史のどこかにいたんですよ。
その人は「決まったやり方」だけで生きてたんではないと思うのですね。生まれてきた命の「奇跡」を、そのまま奇跡として見つめてたはずだと思うのです。
で、これこそが生きて学ぶと言うことの根本の根本なんじゃないのかなぁって思うのですよ。本当に大事で、世の中を突き動かしていく知識や学問は、常識にはなっていない。そういう気がします。
よく「雑草」という言葉がありますが、あの「雑草」の意味をみなさんはご存じですか? あれはあくまで「いま畑で育てている目的作物とは異なる品種」の事を言うのであります。だから大豆を育てている畑に、前年植えたジャガイモの種芋が残っていて、それが芽を出したら、それは「雑草」なんです。雑草という言葉は、そういう農業用語から出ているのであって、「雑草」という種類の草があるわけではないのですね。
だから、餅米を効率を考える農業の発想で見ていくと、普通は未熟品とか不生育品とか、そんな風に思われても仕方ないはずなんですよね。
ただ、その餅米と普通の米とを見極めるだけの「目」とか判断力というのは、一朝一夕には身に付かないわけですよ。よほどの知識と覚悟がないとできない。であるなら、やはり「有機農法」から入るのが正攻法である、という事なんですけどね。
前から書いてるように、毎日歩く、と言うこともやらずに、いきなり走っても、全然楽しくないだろうし、肉離れを起こすばっかりだってことなんです。
でも、あこがれはあこがれとしてあるよなぁ。
という事で、いろいろな意味をこめて、福岡正信さんの死には考えさせられました。
ほんとうの意味での巨人です。すばらしい方だと思います。「人類の資産」とも言うべきグレートな方で、我々人類は、また一人、巨大な方を失ったのだなぁと思う。
心からご冥福をお祈りいたします。
95歳だったそうです。
ちょっといろいろあって、感慨深いです。
みんな知ってるんやろか? どうなんやろ?
僕は、一時期、有機農法で畑作業を、半分趣味みたいにしてやってた時期があったんで、福岡正信さんの事はすごく頭に残ってるんですよね。
書店に行けば、福岡さんの「わら一本の革命」というご著書が出てますので、気になる方は立ち読みでもパラパラっと見ていただくと、へぇ〜って思うんじゃないかなぁ。
有名なところでは「粘土団子」による砂漠化地帯の緑化活動があります。何種類もの種や菌を混ぜ合わせて団子を作り、それを砂漠化してしまった地域に飛行機でばらまくという事をされるんですが、それで見事に砂漠が緑化してるんだそうです。
近年では、オーガニックとか食の安全とかが意識されて「有機農法」っていう言葉がかなり一般的になってきましたけど、福岡正信さんが言う「自然農法」というのは、こういう「有機農法」とはまた全然違うものなんですね。このあたりが、多分一般の人には良く分からないところなんだろうなぁ。って思う。
有機農法は、基本的には農薬とか化学肥料を使わない農業なわけです。それはそれで安全だし、長年確立されてきた世界でもあるんで、それは受け継いでいかにゃいけないと思うんですが、実は、その「有機農業」と言うのも、「農業」と言う限りは、「人間による人工的な自然への関わり」なのであって、自然そのものとは少し違っていたりするんですね。だいたい、畝を立てるってあたりから「自然」ではないわけですよ。本来は。
で、「人間が生きているという事自体が奇跡であるよなぁ」と思ってる私としては、有機農法ですら「まだ人間が知らない自然の生命力を無意識に抑えつけてる農法なのかもなぁ」という気持ちがありまして、本当の事を言うと本気で農業をやるなら福岡正信さんに弟子入りでもしないと満足できない人間なんだろうなぁ、というのが気持ちの中にあるわけです。
というのは、福岡正信さんの自然農法というのは有機農法ではなくて自然農法ですから、播種と刈り入れの時にしか作業をしないんですね。下草を刈ったり、土寄せをしたり、追肥をしたりというような、作物が育つプロセスに、事細かに関わるという事自体をしないんです。自然のあらゆる事柄を理解して、その組み合わせの妙でバランスを取って作物を作る。まぁ、だから、超超ムズカシイ、ものすごく高度な農業とも言えます。
たとえば、ミカン農家は、通常、苗木を買ってきてミカン畑を作るわけですよ。一時期和歌山で暮らしてたから、その実感もあります。ミカンの花の匂いってすごいのよなぁ。まぁそれはそれとして、そういう苗木をそのまま植えて行くと、あの丸まっちぃ形になったミカンの低木の木になります。
あれは、ああいう低木になるように苗木の時からハサミが入ってるんだそうです。ようは取り入れするのがラクなわけです。でも、ミカンを福岡さんが自然農法で、種から植えると、背の高い針葉樹みたいな形に木が育って、それはそれは甘くて大きな実をつけるんだそうです。まぁ取り入れは大変だと思うけど。
そういうような違いがあるわけですね。
で、僕は基本、福岡さんにあこがれてたわけですが、でも、有機でみんなでやってるわけですから、そういう話をするのがはばかられてですね、あんまりそういう話ができなかったんですねぇ。
いまにして思えば、僕自身が「人間が生きているという事自体が奇跡であるよなぁ」と思ってる人なんだから、これは根っこの部分の物事のとらえ方なんだから、それは、もうしょうがないんだって素直に思えるんだけど、当時はこういう事をうまく説明できなかったんだと思います。
ちゅうか、いまでもうまく説明できませんけどね。
「有機」が現実問題としては、良い選択なんだけど、でも目指すべきは福岡さんなんじゃないのかなぁ、というのがずっと心の中にくすぶっておるのでありまして。
そのあたりは、先日紹介した「偽善エコロジー」にも通じる、「ほんまのところ、真実っちゅうのはどうやねん?」という問いかけの気持ちが、やはり僕には強いよなぁって事なんですけどね。
まぁ、そういうような事で、エコとか環境とか考えるなら、まず福岡さんの自然農法と有機農法の違いみたいな事を考えた上で、方針決定をしてくれと思うんですよね。だから「減農薬」とかをある程度認めるような発想っていうのは「うーん…。現実問題としては仕方ないのかも知れないけど…」って、ちょっと抵抗を感じますねぇ。いや、あまりに神経質なのも嫌いなんですけど、「まだ人間が理解していない、より良い答え」が、自然界の中に眠ってるかもしらんやん、とは思ってしまうんですよね。単に自然の実態を知らないだけなんと違うんか? とかいう気持ちがどうしても出てしまう。
だいたい、普通のお米と餅米の違って言うのも、ようは突然変異だったわけですよ。自然に生まれたものの中から、特殊な特徴のある種を残しておいて、それを別個の育てた結果なわけです。で、それは、米を、苗の時から、ありのままに、そのままに見つめていたからだろうと思うのですよね。ひたすら、そのまま、ありのままを見つめるような人が歴史のどこかにいたんですよ。
その人は「決まったやり方」だけで生きてたんではないと思うのですね。生まれてきた命の「奇跡」を、そのまま奇跡として見つめてたはずだと思うのです。
で、これこそが生きて学ぶと言うことの根本の根本なんじゃないのかなぁって思うのですよ。本当に大事で、世の中を突き動かしていく知識や学問は、常識にはなっていない。そういう気がします。
よく「雑草」という言葉がありますが、あの「雑草」の意味をみなさんはご存じですか? あれはあくまで「いま畑で育てている目的作物とは異なる品種」の事を言うのであります。だから大豆を育てている畑に、前年植えたジャガイモの種芋が残っていて、それが芽を出したら、それは「雑草」なんです。雑草という言葉は、そういう農業用語から出ているのであって、「雑草」という種類の草があるわけではないのですね。
だから、餅米を効率を考える農業の発想で見ていくと、普通は未熟品とか不生育品とか、そんな風に思われても仕方ないはずなんですよね。
ただ、その餅米と普通の米とを見極めるだけの「目」とか判断力というのは、一朝一夕には身に付かないわけですよ。よほどの知識と覚悟がないとできない。であるなら、やはり「有機農法」から入るのが正攻法である、という事なんですけどね。
前から書いてるように、毎日歩く、と言うこともやらずに、いきなり走っても、全然楽しくないだろうし、肉離れを起こすばっかりだってことなんです。
でも、あこがれはあこがれとしてあるよなぁ。
という事で、いろいろな意味をこめて、福岡正信さんの死には考えさせられました。
ほんとうの意味での巨人です。すばらしい方だと思います。「人類の資産」とも言うべきグレートな方で、我々人類は、また一人、巨大な方を失ったのだなぁと思う。
心からご冥福をお祈りいたします。
私は反戦運動には参加しません。
2008年8月15日コメント (1)今日は終戦記念日であります。
ラジオやテレビでは、「間違いは二度と繰り返しません」だの、「反戦平和」だの、何度も繰り返されてました。
でもね。
それはそれで、悪いとは言わないけど、僕はあえて、表題の言葉をそのまま言いたい。
●私は反戦運動には参加しません。
と。
なんでか?
それは、この言葉を発したのが、かの有名なマザーテレサである、という事だからです。
アメリカのある反戦活動家が、影響力あるマザーテレサに、「あなたが反戦活動に参加してくだされば大きな力になります。ご参加くださいませんか。」と言ったとき、マザーテレサは「私は反戦運動には参加しません。でも、平和のための活動になら喜んで参加しますよ。」と答えたのだそうです。
この話が、僕はとても好きでして。
ちゅうか、前に付き合ってたケアマネの彼女も、この言葉がすごく好きで「そうだよね」と言ってたものでした。
で、ちょっとネットを探してみたんですが、出典がはっきりしないので、この言葉自体を、本当にマザーテレサがこう言ったのかどうか分らないんですが、実際にマザーテレサは反戦活動には全然参加しなかったらしいので、まぁ本当の事なんでしょう。
この話は、知ってる人は良くご存じだと思うのですが、知らない人はまったく知らないだろうなぁって思うのです。
特に「私は争いが嫌いだ。戦争ハンターイ!」と、口やかましく反戦を唱えている人は、まず全然知らないだろうなと思うわけで。
戦争を作らないためには、まず平和を、それも身近なところの平和を、きめ細かく、キチンと生み出す必要があるんです。そこをないがしろにして、反戦ばっかり言ってる人は、あぶなっかしくて、信用できないんですね。少なくとも僕は。
「戦争反対!」と言ってれば戦争がなくなるなんて事はないわけです。だからヒステリックに、戦いや争い、武器などを毛嫌いするだけの人の話は、まぁ、あほくさくて聞いてられないのであります。
いくら、武器を封印し、戦争を抑え込んだところで、その「戦争のない世界」で、子供が親によって虐げられていたら、それは戦争より不幸です。
この日記で、よくアダルトチルドレンの話を出すのは、そういう日常の不幸を解消して「平和」を生み出すことにこそ、とても大きな意義を感じるからなんですね。反戦平和を叫んでも、あんまり意味があるとは思えません。
それより、いま自分がアダルトチルドレンであるという事にすら気付いてない人に(普通、気付いてなかったりするんですよねぇ。「私は普通ですよ。」とか思ってる。僕がそうだったから、よくわかるんですが。)「あ、私はアダルトチルドレンだったんだ」と気付いてもらう方が、何千億倍も世の中が平和で幸せなものになるんですよね。
このあたりは、ACであることに自覚的に気付けた人には「うん、うん!」と強い賛同をいただけると思うんですが。
ACと気付いて、心の溝掃除をした後の、流れの清らかさ、気持ちよさが、いかに素敵なものか! と僕は思うのです。世の中が全然逆転して見えてきたりしますからねぇ。いままで「普通」だったものが「不幸」に、いままで「バカっぽい」と感じてたことが「素晴らしい愛の行為」に。そのくらい逆転してしまうんですよね。
たとえば、ネグレクト(=無視)。
ACは、自己表現能力が低く、親に「失敗した自分」を受け入れてもらった経験自体が少ないので、望みがかなわないときに、「ふん」と横を向いたり、無視したりするのを、「普通の態度」だと思ってたりするわけですよ。
でも、それは自己評価が低くて、自己表現能力が欠如しているだけの話なんですね。
で、あえてここで、マザーテレサの言葉を引用するなら。
●愛の反対は憎しみではなく、無関心である。
という事を言わねばなりません。
マザーテレサは、こういう事も言っておられます。
●この世で最大の不幸は戦争や貧困などではない。寧ろそれによって見放され、“自分は誰からも必要とされていない”と感じる事。
そうだよなぁって思うのです。誰だって、いつだって、どこであっても、命ある人は全て必要な存在です。意味なく生きている人なんていない。生きている意味を見失う事はあるかも知れないけれど、当人がそれを見失っていても、回りの人はちゃんと意味を見いだしている。大事に思っている。
だから「私は必要とされていない」と感じる事自体が、まさに不幸そのものなんですよね。
前に、これまた別の女の子と飲んでいて、その子が「たとえば、みんなで飲み会があって、自分がいくらスパゲッティを食べたくても、回りでカレーを食べる話で盛り上がってたら、『カレーでいいよ』って調整するくらいの分別はあるわよ。」って言ってて、僕はすぐに、「いや、君、それは間違ってるよ。それ、君、『自分さえがまんしたらみんがが幸せになる』と考えてるやろ? それは論理的に絶対的間違いやで。だって、それをしたら、君は必ず『食べたいスパゲッティを食べられなかった不幸な子』になるんやで? つまり、君は自分で確実に一人『不幸』な人間を生み出してるって事や。しかし『私はスパゲッティを食べたい』と発言して、必ず不幸な人間が生まれるか? それは論理的に『不明』や。だから、君のその『私さえがまんしたら、みんな幸せ』というのは、論理的に、根本的に、絶対間違いなんやで。」と説教してしまったんですよねぇ。
いやまぁ、嫌われましたけど。わははははは。
ともあれ、今日のマスコミ報道を聞いていて「10年一日、進歩ないよなぁ、日本のマスコミって。やれやれ。」と思ってしまいました。
いや、実際ほんと、「戦争反対!」などと叫ぶヒマがあったら、自分の心の溝さらえをして、「あ、私ってACだったんだ!」と気付く方が、どれだけ、どれだけ、どれだけ社会を平和にするか。本当に。
マザーテレサが、1981年4月に初来日したときに、
「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります。」
とおっしゃったらしいのだけど、まさにこれですよ。
愛はまず手近なところから始まるんです。
それも、まず自分の心の中からだと思う。
親兄弟子供への態度も大事なんだけど、まず自分の心と対話してあげることですよねぇ。そう思う。そうして自分に対して優しくすることとは、どういう事なのか、どれだけ気持ちよくて、楽しいのか、という事を実感することが、まず最初でしょうね。
で、そうやって「自分に優しくした」経験を、そのまま身の回りの人にも伝える、手渡すって事だと思います。
と言うことで、最後に、またまたマザーテレサの素敵な言葉を引用して終わります。
(引用開始)-----------------------------
1979年に受けたノーベル平和賞(略)インタビューの中で、「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたマザー・テレサの答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を大切にしてあげてください」。
(引用終了)-----------------------------
以上です。
ラジオやテレビでは、「間違いは二度と繰り返しません」だの、「反戦平和」だの、何度も繰り返されてました。
でもね。
それはそれで、悪いとは言わないけど、僕はあえて、表題の言葉をそのまま言いたい。
●私は反戦運動には参加しません。
と。
なんでか?
それは、この言葉を発したのが、かの有名なマザーテレサである、という事だからです。
アメリカのある反戦活動家が、影響力あるマザーテレサに、「あなたが反戦活動に参加してくだされば大きな力になります。ご参加くださいませんか。」と言ったとき、マザーテレサは「私は反戦運動には参加しません。でも、平和のための活動になら喜んで参加しますよ。」と答えたのだそうです。
この話が、僕はとても好きでして。
ちゅうか、前に付き合ってたケアマネの彼女も、この言葉がすごく好きで「そうだよね」と言ってたものでした。
で、ちょっとネットを探してみたんですが、出典がはっきりしないので、この言葉自体を、本当にマザーテレサがこう言ったのかどうか分らないんですが、実際にマザーテレサは反戦活動には全然参加しなかったらしいので、まぁ本当の事なんでしょう。
この話は、知ってる人は良くご存じだと思うのですが、知らない人はまったく知らないだろうなぁって思うのです。
特に「私は争いが嫌いだ。戦争ハンターイ!」と、口やかましく反戦を唱えている人は、まず全然知らないだろうなと思うわけで。
戦争を作らないためには、まず平和を、それも身近なところの平和を、きめ細かく、キチンと生み出す必要があるんです。そこをないがしろにして、反戦ばっかり言ってる人は、あぶなっかしくて、信用できないんですね。少なくとも僕は。
「戦争反対!」と言ってれば戦争がなくなるなんて事はないわけです。だからヒステリックに、戦いや争い、武器などを毛嫌いするだけの人の話は、まぁ、あほくさくて聞いてられないのであります。
いくら、武器を封印し、戦争を抑え込んだところで、その「戦争のない世界」で、子供が親によって虐げられていたら、それは戦争より不幸です。
この日記で、よくアダルトチルドレンの話を出すのは、そういう日常の不幸を解消して「平和」を生み出すことにこそ、とても大きな意義を感じるからなんですね。反戦平和を叫んでも、あんまり意味があるとは思えません。
それより、いま自分がアダルトチルドレンであるという事にすら気付いてない人に(普通、気付いてなかったりするんですよねぇ。「私は普通ですよ。」とか思ってる。僕がそうだったから、よくわかるんですが。)「あ、私はアダルトチルドレンだったんだ」と気付いてもらう方が、何千億倍も世の中が平和で幸せなものになるんですよね。
このあたりは、ACであることに自覚的に気付けた人には「うん、うん!」と強い賛同をいただけると思うんですが。
ACと気付いて、心の溝掃除をした後の、流れの清らかさ、気持ちよさが、いかに素敵なものか! と僕は思うのです。世の中が全然逆転して見えてきたりしますからねぇ。いままで「普通」だったものが「不幸」に、いままで「バカっぽい」と感じてたことが「素晴らしい愛の行為」に。そのくらい逆転してしまうんですよね。
たとえば、ネグレクト(=無視)。
ACは、自己表現能力が低く、親に「失敗した自分」を受け入れてもらった経験自体が少ないので、望みがかなわないときに、「ふん」と横を向いたり、無視したりするのを、「普通の態度」だと思ってたりするわけですよ。
でも、それは自己評価が低くて、自己表現能力が欠如しているだけの話なんですね。
で、あえてここで、マザーテレサの言葉を引用するなら。
●愛の反対は憎しみではなく、無関心である。
という事を言わねばなりません。
マザーテレサは、こういう事も言っておられます。
●この世で最大の不幸は戦争や貧困などではない。寧ろそれによって見放され、“自分は誰からも必要とされていない”と感じる事。
そうだよなぁって思うのです。誰だって、いつだって、どこであっても、命ある人は全て必要な存在です。意味なく生きている人なんていない。生きている意味を見失う事はあるかも知れないけれど、当人がそれを見失っていても、回りの人はちゃんと意味を見いだしている。大事に思っている。
だから「私は必要とされていない」と感じる事自体が、まさに不幸そのものなんですよね。
前に、これまた別の女の子と飲んでいて、その子が「たとえば、みんなで飲み会があって、自分がいくらスパゲッティを食べたくても、回りでカレーを食べる話で盛り上がってたら、『カレーでいいよ』って調整するくらいの分別はあるわよ。」って言ってて、僕はすぐに、「いや、君、それは間違ってるよ。それ、君、『自分さえがまんしたらみんがが幸せになる』と考えてるやろ? それは論理的に絶対的間違いやで。だって、それをしたら、君は必ず『食べたいスパゲッティを食べられなかった不幸な子』になるんやで? つまり、君は自分で確実に一人『不幸』な人間を生み出してるって事や。しかし『私はスパゲッティを食べたい』と発言して、必ず不幸な人間が生まれるか? それは論理的に『不明』や。だから、君のその『私さえがまんしたら、みんな幸せ』というのは、論理的に、根本的に、絶対間違いなんやで。」と説教してしまったんですよねぇ。
いやまぁ、嫌われましたけど。わははははは。
ともあれ、今日のマスコミ報道を聞いていて「10年一日、進歩ないよなぁ、日本のマスコミって。やれやれ。」と思ってしまいました。
いや、実際ほんと、「戦争反対!」などと叫ぶヒマがあったら、自分の心の溝さらえをして、「あ、私ってACだったんだ!」と気付く方が、どれだけ、どれだけ、どれだけ社会を平和にするか。本当に。
マザーテレサが、1981年4月に初来日したときに、
「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります。」
とおっしゃったらしいのだけど、まさにこれですよ。
愛はまず手近なところから始まるんです。
それも、まず自分の心の中からだと思う。
親兄弟子供への態度も大事なんだけど、まず自分の心と対話してあげることですよねぇ。そう思う。そうして自分に対して優しくすることとは、どういう事なのか、どれだけ気持ちよくて、楽しいのか、という事を実感することが、まず最初でしょうね。
で、そうやって「自分に優しくした」経験を、そのまま身の回りの人にも伝える、手渡すって事だと思います。
と言うことで、最後に、またまたマザーテレサの素敵な言葉を引用して終わります。
(引用開始)-----------------------------
1979年に受けたノーベル平和賞(略)インタビューの中で、「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたマザー・テレサの答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を大切にしてあげてください」。
(引用終了)-----------------------------
以上です。
ボイスレコーダーの新調。
2008年8月14日
もうひと月以上前に、英語の普段聞き用の機器を新調しました。
よそのブログにコメントで書いてたんですが、ちょっとこっちにも書いておきたくなったので、大幅に書き足してみました。
買ったのは、VoiceTrek V-61 というボイスレコーダー。写真の右側の黒い奴です。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B000OCUHRU/503-1393334-5299133
製品情報はこちら。
http://olympus-imaging.jp/product/audio/v61/index.html
前から左側にあるサンヨーのボイスレコーダーは使っていたんですが、なんせ容量が256MB。さすがに入れられるデータが少ないので頼りなく感じてきておりまして、ちょっと容量の大きいのが欲しくなったんですね。で、こんどは2GB。だいたい8倍です。このくらいあれば、けっこういろいろ入れても大丈夫。
で、僕は前からmp3機器より、ボイスレコーダー派なんですが、何故かというと、
----------------------
1.●小型でもスピーカーがついているから。
というのが、かなり大きな理由になっておるのです。
なんでかというと、英語のテキスト等をやっていて、急に発音やアクセント等を確認したくなった時に、このスピーカーがあるかないか? っていうのが、かなり重要な機能になるからなんですね。
電車の中や、喫茶店とかで、ちょっこっと音の確認をしたいだけなのに、わざわざイヤホンをつけるというのは、かなり面倒なんですよ。スピーカー付きだと、そんな時もスピーカーを耳にあててパッと確認できます。
この小さなタイミングの差が意外に「やる気」に影響するんですよね。イヤホンを付けはずししてると、何を確かめたかったのかがぼやけてしまったりしますし、確認したあと、イヤホンをクルクルっと巻いて保存する手間がまた面倒くさいわけです。
まぁずっと聞きっぱなしにすればいい、と思いがちですが、ヒアリングとリスニングは違うものでして、意識して聞く、「リスニング」をするためには、よほど集中して聞かないと意味ないんですよね。 音読を兼ねるかシャドウイングをするか、どちらかでないと、すぐに、聞いてるだけの「ヒアリング」になってしまう。
それなら、スピーカで集中してポイントポイントで聞く方がはるかにマシです。
------------------
あと、これは仕事柄ですが、当然の事ながら
2.●録音ができる
というのが、ボイスレコーダーのもう一つのメリットです。仕事で取材をする時などに録音できます。
もちろんそれだけでなく、他にも、「自分の発音を確かめる」とかにも使えますし、僕は先生について習ってないので関係ないですが、ネイティブの先生についてならってる人なら先生に各種テキストを朗読してもらって練習素材が簡単に作れるわけですから、かなりメリットは大きいはずです。
僕の場合で言うと、ウクレレの練習にはけっこうボイスレコーダーが役立っております。先生の模範演奏を録音して、ネットにあげておいて、それをみんなで聞いて練習する、とかしてますから。前の機種もこの機種もステレオ録音ができるので、良いのです。
しかし、ボイスレコーダーはステレオ録音できるのが増えてきてうれしいですね。モノラルだと、複数人数の会議記録などでは、似た声の人の発言が区別つけにくいんですよ。でもステレオだと、位置で特定できて非常にラクです。このあたりの快適さは、ちょっとわからない事でしょうね。
------------------
あと、忘れちゃならないのが、
3.●wma等windousメディアプレーヤーのファイルが聞ける
というのがあります。
たしか、これ、iPodでは聞けません。
これは、企業さんだと、社長・会長クラスの人の演説とかを配布する必要ってのがあって、それが「だれでも聞けるように」と、たいていメディアプレーヤー用のファイル形式になってるからなんですね。
まぁ、そんなものmp3に変換すればいいんだし、そういう変換ソフトも持ってるんですが、好きで何度も何度も聞く、音楽用ファイルを変換するのは手間と感じなくても、仕事で一時期しか聞かないのが分ってるファイルで、そういう手間が出るのは、あまり好きじゃないんですよね。「めんどくせー」とか思ってしまう。
で、ボイスレコーダーに入れておくと、ちょっとした合間に付属スピーカーで聞いておくとかできるわけで、なかなかに便利なのです。
--------------------
とまぁ、ここまでが「なんでボイスレコーダーなのか」というお話しでして。
一般的にはiPodなんでしょうけど、こういう用途を大前提にしていると、実はiPodっていうのは、まったく選択肢に入ってこないんですよねぇ。残念ながら。カッコイイとは思うんですけど。
で、僕的には「容量さえ2GBくらいあれば、なんでもいいや」というつもりで、ちょっとパンフレットを集めて検討してみただけだったんですが、このVoiceTrek V-61、前から「こういう機能がついてたらいいんだけどなぁ」というのが全部ついていて、感激して買っちゃったってものなのです。
--------------------
まず、
4.●再生速度変更。
音声の声の高さを変えずに早聞き、遅聞きができる。英語学習にはもちろん便利なんですが、先日、他のライターさんが取材した打合せファイルを聞かないといけなかったときにも、かなり急いで聞けて、すごく重宝しました。まぁ、あんまり早聞きにすると音質が悪くなって聞き取りにくいんですけど、それでもかなり効果的でしたね。これはいいわ。
当然、英語のリスニングやシャドウイングにも効果的です。スピードコントロールもできるので、ほんのちょっとだけ遅くとかも可能なんですよねぇ。ありがたいです。
5.●ちょっと前再生(一押しで数秒前に戻る:秒数設定可能)
で、聞き直しをするのに、この「ちょっと前再生」があると、けっこう便利ですね。巻き戻しボタンを一回だけ押した時に「3秒前」に戻るのか「5秒前」に戻るのかとか、設定しておいて、必要分戻れるんです。「1秒」に設定しておいて「3回押しで3秒」とかもできます。(あ、当然A-B間リピート機能もあります。)
6.●ノイズキャンセリング機能内蔵
で、感心したのがノイズキャンセリング機能ですね。いちおう、録音できるから、本体にもともとマイクがあるわけです。ですから、本体から回りのノイズを拾って、それを相殺する波形を重ねて、まわりのノイズを打ち消す機能ってのを、本体内に備えてるんですね。
mp3機器でも、この機能を持つ機種がチラホラでてますけど、基本的にイヤホンの側に、音を拾うためのマイクがついてないとだめなんですよ。だから「ノイズキャンセリング機能専用イヤホン」になってしまうんですね。
でも、ボイスレコーダーだと、まぁ機能は低いのかもしれないけど、いちおう簡易的にノイズキャンセルを、普通のイヤホンで実現できてしまうわけです。電車の中で聞くときとか、多少は効果があるように思います。
こういう「聞くための機能」が、こんなに機能アップしてるとは思ってなかったんで、このVoiceTrek V-61 思ってた以上に便利であったのですよ。
ほかにも、
7.●音声自動起動録音
というのがあって、これは誰もしゃべっていない無音時間が発生したら、その間録音を中断して、音が発生した時に、また再開する、というものなんですが、これもいろいろ便利なんですよね。会議録ではまだ使ったことがないんですが、自分の思いつきをメモするために録音するとかに、かなり良いです。静かな道とかだとけっこう効果あります。文章を考えてる時間は無音になりますから。適当に考えながらしゃべったものが、聞いてみると普通につながってるのは不思議な感覚です。
ちょっと応用ですが、何かの音声データを聞きながら、気付いた事をメモするとかに、便利だなと思うんですよ。手が巻き戻し操作とかでふさがってる時にメモするのってしにくいですから。英語のシャドウイング練習の結果録音にも使えそうだなぁとか思ってます。(まだ使ってないけど。っちゅうか、あんまりシャドウイングってしてないけど。)
8.●USBコネクタ内蔵で、直接データ取り込み
で、これは前に使ってた機種で不便にしてたので、最初から期待してた機能。まぁ、最近のUSBメモリにもなるmp3機器と同等の機能ですけど、いざ使ってみると、これはやっぱりありがたいですね。前の機種の時はいつもケーブルを持ち歩いてましたから。
というわけで、なかなか奥の深い機械でございますが、ここしばらくで購入した商品のなかでは、かなり満足度の高い製品でしたねぇ。
音楽を聴くならiPodってのはわかってるんですが、このボイスレコーダーは、当然音楽も聴けますし、上記のように仕事で音声データを扱う事がある人、あるいは英語学習をしたい方で、音楽もちょっとは聞きたいっていうような事なら、iPodより、こっちにしといた方が圧倒的に得だと思いますよ。
かなりのお薦め製品だと思います。
よそのブログにコメントで書いてたんですが、ちょっとこっちにも書いておきたくなったので、大幅に書き足してみました。
買ったのは、VoiceTrek V-61 というボイスレコーダー。写真の右側の黒い奴です。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B000OCUHRU/503-1393334-5299133
製品情報はこちら。
http://olympus-imaging.jp/product/audio/v61/index.html
前から左側にあるサンヨーのボイスレコーダーは使っていたんですが、なんせ容量が256MB。さすがに入れられるデータが少ないので頼りなく感じてきておりまして、ちょっと容量の大きいのが欲しくなったんですね。で、こんどは2GB。だいたい8倍です。このくらいあれば、けっこういろいろ入れても大丈夫。
で、僕は前からmp3機器より、ボイスレコーダー派なんですが、何故かというと、
----------------------
1.●小型でもスピーカーがついているから。
というのが、かなり大きな理由になっておるのです。
なんでかというと、英語のテキスト等をやっていて、急に発音やアクセント等を確認したくなった時に、このスピーカーがあるかないか? っていうのが、かなり重要な機能になるからなんですね。
電車の中や、喫茶店とかで、ちょっこっと音の確認をしたいだけなのに、わざわざイヤホンをつけるというのは、かなり面倒なんですよ。スピーカー付きだと、そんな時もスピーカーを耳にあててパッと確認できます。
この小さなタイミングの差が意外に「やる気」に影響するんですよね。イヤホンを付けはずししてると、何を確かめたかったのかがぼやけてしまったりしますし、確認したあと、イヤホンをクルクルっと巻いて保存する手間がまた面倒くさいわけです。
まぁずっと聞きっぱなしにすればいい、と思いがちですが、ヒアリングとリスニングは違うものでして、意識して聞く、「リスニング」をするためには、よほど集中して聞かないと意味ないんですよね。 音読を兼ねるかシャドウイングをするか、どちらかでないと、すぐに、聞いてるだけの「ヒアリング」になってしまう。
それなら、スピーカで集中してポイントポイントで聞く方がはるかにマシです。
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あと、これは仕事柄ですが、当然の事ながら
2.●録音ができる
というのが、ボイスレコーダーのもう一つのメリットです。仕事で取材をする時などに録音できます。
もちろんそれだけでなく、他にも、「自分の発音を確かめる」とかにも使えますし、僕は先生について習ってないので関係ないですが、ネイティブの先生についてならってる人なら先生に各種テキストを朗読してもらって練習素材が簡単に作れるわけですから、かなりメリットは大きいはずです。
僕の場合で言うと、ウクレレの練習にはけっこうボイスレコーダーが役立っております。先生の模範演奏を録音して、ネットにあげておいて、それをみんなで聞いて練習する、とかしてますから。前の機種もこの機種もステレオ録音ができるので、良いのです。
しかし、ボイスレコーダーはステレオ録音できるのが増えてきてうれしいですね。モノラルだと、複数人数の会議記録などでは、似た声の人の発言が区別つけにくいんですよ。でもステレオだと、位置で特定できて非常にラクです。このあたりの快適さは、ちょっとわからない事でしょうね。
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あと、忘れちゃならないのが、
3.●wma等windousメディアプレーヤーのファイルが聞ける
というのがあります。
たしか、これ、iPodでは聞けません。
これは、企業さんだと、社長・会長クラスの人の演説とかを配布する必要ってのがあって、それが「だれでも聞けるように」と、たいていメディアプレーヤー用のファイル形式になってるからなんですね。
まぁ、そんなものmp3に変換すればいいんだし、そういう変換ソフトも持ってるんですが、好きで何度も何度も聞く、音楽用ファイルを変換するのは手間と感じなくても、仕事で一時期しか聞かないのが分ってるファイルで、そういう手間が出るのは、あまり好きじゃないんですよね。「めんどくせー」とか思ってしまう。
で、ボイスレコーダーに入れておくと、ちょっとした合間に付属スピーカーで聞いておくとかできるわけで、なかなかに便利なのです。
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とまぁ、ここまでが「なんでボイスレコーダーなのか」というお話しでして。
一般的にはiPodなんでしょうけど、こういう用途を大前提にしていると、実はiPodっていうのは、まったく選択肢に入ってこないんですよねぇ。残念ながら。カッコイイとは思うんですけど。
で、僕的には「容量さえ2GBくらいあれば、なんでもいいや」というつもりで、ちょっとパンフレットを集めて検討してみただけだったんですが、このVoiceTrek V-61、前から「こういう機能がついてたらいいんだけどなぁ」というのが全部ついていて、感激して買っちゃったってものなのです。
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まず、
4.●再生速度変更。
音声の声の高さを変えずに早聞き、遅聞きができる。英語学習にはもちろん便利なんですが、先日、他のライターさんが取材した打合せファイルを聞かないといけなかったときにも、かなり急いで聞けて、すごく重宝しました。まぁ、あんまり早聞きにすると音質が悪くなって聞き取りにくいんですけど、それでもかなり効果的でしたね。これはいいわ。
当然、英語のリスニングやシャドウイングにも効果的です。スピードコントロールもできるので、ほんのちょっとだけ遅くとかも可能なんですよねぇ。ありがたいです。
5.●ちょっと前再生(一押しで数秒前に戻る:秒数設定可能)
で、聞き直しをするのに、この「ちょっと前再生」があると、けっこう便利ですね。巻き戻しボタンを一回だけ押した時に「3秒前」に戻るのか「5秒前」に戻るのかとか、設定しておいて、必要分戻れるんです。「1秒」に設定しておいて「3回押しで3秒」とかもできます。(あ、当然A-B間リピート機能もあります。)
6.●ノイズキャンセリング機能内蔵
で、感心したのがノイズキャンセリング機能ですね。いちおう、録音できるから、本体にもともとマイクがあるわけです。ですから、本体から回りのノイズを拾って、それを相殺する波形を重ねて、まわりのノイズを打ち消す機能ってのを、本体内に備えてるんですね。
mp3機器でも、この機能を持つ機種がチラホラでてますけど、基本的にイヤホンの側に、音を拾うためのマイクがついてないとだめなんですよ。だから「ノイズキャンセリング機能専用イヤホン」になってしまうんですね。
でも、ボイスレコーダーだと、まぁ機能は低いのかもしれないけど、いちおう簡易的にノイズキャンセルを、普通のイヤホンで実現できてしまうわけです。電車の中で聞くときとか、多少は効果があるように思います。
こういう「聞くための機能」が、こんなに機能アップしてるとは思ってなかったんで、このVoiceTrek V-61 思ってた以上に便利であったのですよ。
ほかにも、
7.●音声自動起動録音
というのがあって、これは誰もしゃべっていない無音時間が発生したら、その間録音を中断して、音が発生した時に、また再開する、というものなんですが、これもいろいろ便利なんですよね。会議録ではまだ使ったことがないんですが、自分の思いつきをメモするために録音するとかに、かなり良いです。静かな道とかだとけっこう効果あります。文章を考えてる時間は無音になりますから。適当に考えながらしゃべったものが、聞いてみると普通につながってるのは不思議な感覚です。
ちょっと応用ですが、何かの音声データを聞きながら、気付いた事をメモするとかに、便利だなと思うんですよ。手が巻き戻し操作とかでふさがってる時にメモするのってしにくいですから。英語のシャドウイング練習の結果録音にも使えそうだなぁとか思ってます。(まだ使ってないけど。っちゅうか、あんまりシャドウイングってしてないけど。)
8.●USBコネクタ内蔵で、直接データ取り込み
で、これは前に使ってた機種で不便にしてたので、最初から期待してた機能。まぁ、最近のUSBメモリにもなるmp3機器と同等の機能ですけど、いざ使ってみると、これはやっぱりありがたいですね。前の機種の時はいつもケーブルを持ち歩いてましたから。
というわけで、なかなか奥の深い機械でございますが、ここしばらくで購入した商品のなかでは、かなり満足度の高い製品でしたねぇ。
音楽を聴くならiPodってのはわかってるんですが、このボイスレコーダーは、当然音楽も聴けますし、上記のように仕事で音声データを扱う事がある人、あるいは英語学習をしたい方で、音楽もちょっとは聞きたいっていうような事なら、iPodより、こっちにしといた方が圧倒的に得だと思いますよ。
かなりのお薦め製品だと思います。
「苦手」は逃げると着いてくる。
2008年8月11日 ●じぶんの心マップ今日は歯医者の日でした。
治療が完結して、定期検診のみになってたんですが、先日の検診で、昔に治療したところが少し膿んでるのがわかり、即治療。4回ほど通わなければなりません。
しかし。
我ながら進歩したなぁと、今日、治療の帰りに思ってたわけです。
もうね、歯医者、大嫌いなわけですよ。
いまでも嫌いだし。
出来る限り行きたくない。
もう、嫌いで嫌いで、どうしようもない。
でも、嫌いだからこそ、実はキチンと歯医者に通い通す事が出来なくて、ずっと、延々、終わりなく、いろんな歯医者さんを渡り歩いたわけですよ。
だってそうですよね。とにかく痛みが出たとか、そういう自覚できる「不都合」が起きた時だけ歯医者に行って、で、痛まない他の虫歯の治療が終わっていないのに、痛みのある虫歯の治療さえ終わったら「もういいや」と思って通わなくなってたわけですから。
そりゃ、いつまでたっても、歯医者と縁の切れる事はないし、痛い時にしか行かないから、治療も大変の事になるし、よけいに歯医者が嫌いになるわけです。
結局ね、苦手なものを、イヤだイヤだと逃げ回っていると、いつまで経っても、延々追いかけられて、逃げられない。逆に他の人よりたくさん歯医者に通わなければいけなくなってるわけです。
まぁ、アホな話ですわねぇ。
でも、こういう事って多いんですよ。
逃げるから、逃れられないって事。
一番の問題に向き合っていないから、こういう事になるわけです。
一番大事な問題には、覚悟を決めて、キチンと向き合う事なんです。
それをしないといけない。
少年ジャンプのマンガか何かに書いてあったと思うけど、死ぬ覚悟で戦場に向かう人間は、一回死ぬだけなんです。死ぬ恐怖は一度だけ。
でも、死ぬ覚悟もなしに戦場に向かったら、死ぬ恐怖に延々と何百回もさらされる事になる。ひたすら。えんえん。際限なく。いつまでも。どこまでも。終わりなく。永遠に。繰り返し。解き放たれることなく。まさに無間地獄です。
そんなん嫌でしょ?
だから現実を直視しないといけないわけですよ。
キチンと現実を見れば、たとえば歯医者なら、怖くても完璧に治療できるまで通って、あとは定期検診というのがベストの選択だという事ははっきり見えてくるんです。そこにしか答えはありません。当たり前の話なんですが。
でも、「苦手」意識があると、まず、この現実認識ができないわけですね。逃げ腰だから現実が見えないわけです。
逃げてると、この事実が見えない。
なんで見えないかというと、見ないように見ないようにしてるからなんですね。
見ないようにしてたら、そら見えんわなぁ。
でも、人間ってそういうものなんですよね。
じゃ、どうしたらいいのか? って言うと、結局、「人の言う事は素直に聞く」って事に尽きるんでしょうねぇ。
自分の事って、自分じゃなかなか分らないんですよ。でも、他者から見れば丸わかりなわけです。だから、他者からの言葉は、できるだけ素直に聞く。そういう事ですね。
まぁ、「素直に聞く」っていうのが、一番難しい事なのかも知れないけど、でもやっぱりそうなんだよなぁ。
いま思い出してみると、その歯医者さんにどうしてキチンと通うようになったかというと、そこの歯医者さんには、歯科医の先生とは別に、大変よくできる歯科助手の人がいたんですね。
ご存じの方はご存じかもしれませんが、歯科助手というのは、実は資格は要りません。なので、医療行為には関われないんですが、その周辺に関することはできる。歯科衛生士さんとはまた別の職種ですから。
で、この歯科助手さんが、この医院では初診の人の病状の聞き取りを引き受けてた訳です。状態を聞いてアンケートとか治療計画の基礎資料みたいなものを作る役目ですね。
で、僕もいろいろお話しをしたわけですが、そこで「いやー、歯医者は正直苦手でして」という話をしたんですよ。そしたら、その人、にっこり笑って、
「そうですねー。歯医者を好きな方ってほとんどいらっしゃいませんよねー。できるなら行きたくないって思ってらっしゃる方がほとんどですから。ですから、通うのは、これっきりにしませんか? 完治するまで通う。その後は一生虫歯とは関係ない生活をする。どうですか?」
と、おっしゃった。
どうもね。
この一言が、結局は、僕の通院を支えてくれたように、いまになって思うのですよ。
「歯医者に通うのはこれっきり。」
「これで最後」
「おさらば!」
いいじゃん!
それ、いいじゃん!
って思ったわけです。
もう、延々ね、あっちの歯医者に行っては途中でやめ、こっちの歯医者に行っては行かなくなって、というのを繰り返してましたからね。ずーーーーっと。
で、たぶん、二年に一度くらいはどうしようもなくなった時だけ歯医者に行ってたんですよねぇ。
でも、そういう悪循環から抜け出せるのだ! と言うことを、この時、大きな筋道として解説してもらった、という事が、かなり大きかったよなぁ、と、今になって思うのであります。
で、この「歯医者に通うのは、これっきり。」って話は、まさに「死ぬのは一度だけ」の話と同じだよなぁとつくづく思ったわけです。
怖がって逃げてるだけだと、恐怖は延々、解決されることなく着いてくるわけです。くっついてくる。ずっと。あー、いやいや、そんなの。
だから、やっぱり、ちゃんと覚悟しないとダメなんですよね。歯医者。痛いけど通う。怖いけど通う。そういう気持ちにならないとダメなわけです。
延々形のない恐怖におびえるより、具体的に「治療に痛み15分」を怖がる方が、はるかにマシだもの。そういう事なんですよね。
そこが、本当に、死ぬほど大事。
ちゃんと目の前の現実を見据えて、覚悟しないとダメってことです。
なんか今日はそういう事を思い出しつつ、感慨にふけっておったのであります。
治療が完結して、定期検診のみになってたんですが、先日の検診で、昔に治療したところが少し膿んでるのがわかり、即治療。4回ほど通わなければなりません。
しかし。
我ながら進歩したなぁと、今日、治療の帰りに思ってたわけです。
もうね、歯医者、大嫌いなわけですよ。
いまでも嫌いだし。
出来る限り行きたくない。
もう、嫌いで嫌いで、どうしようもない。
でも、嫌いだからこそ、実はキチンと歯医者に通い通す事が出来なくて、ずっと、延々、終わりなく、いろんな歯医者さんを渡り歩いたわけですよ。
だってそうですよね。とにかく痛みが出たとか、そういう自覚できる「不都合」が起きた時だけ歯医者に行って、で、痛まない他の虫歯の治療が終わっていないのに、痛みのある虫歯の治療さえ終わったら「もういいや」と思って通わなくなってたわけですから。
そりゃ、いつまでたっても、歯医者と縁の切れる事はないし、痛い時にしか行かないから、治療も大変の事になるし、よけいに歯医者が嫌いになるわけです。
結局ね、苦手なものを、イヤだイヤだと逃げ回っていると、いつまで経っても、延々追いかけられて、逃げられない。逆に他の人よりたくさん歯医者に通わなければいけなくなってるわけです。
まぁ、アホな話ですわねぇ。
でも、こういう事って多いんですよ。
逃げるから、逃れられないって事。
一番の問題に向き合っていないから、こういう事になるわけです。
一番大事な問題には、覚悟を決めて、キチンと向き合う事なんです。
それをしないといけない。
少年ジャンプのマンガか何かに書いてあったと思うけど、死ぬ覚悟で戦場に向かう人間は、一回死ぬだけなんです。死ぬ恐怖は一度だけ。
でも、死ぬ覚悟もなしに戦場に向かったら、死ぬ恐怖に延々と何百回もさらされる事になる。ひたすら。えんえん。際限なく。いつまでも。どこまでも。終わりなく。永遠に。繰り返し。解き放たれることなく。まさに無間地獄です。
そんなん嫌でしょ?
だから現実を直視しないといけないわけですよ。
キチンと現実を見れば、たとえば歯医者なら、怖くても完璧に治療できるまで通って、あとは定期検診というのがベストの選択だという事ははっきり見えてくるんです。そこにしか答えはありません。当たり前の話なんですが。
でも、「苦手」意識があると、まず、この現実認識ができないわけですね。逃げ腰だから現実が見えないわけです。
逃げてると、この事実が見えない。
なんで見えないかというと、見ないように見ないようにしてるからなんですね。
見ないようにしてたら、そら見えんわなぁ。
でも、人間ってそういうものなんですよね。
じゃ、どうしたらいいのか? って言うと、結局、「人の言う事は素直に聞く」って事に尽きるんでしょうねぇ。
自分の事って、自分じゃなかなか分らないんですよ。でも、他者から見れば丸わかりなわけです。だから、他者からの言葉は、できるだけ素直に聞く。そういう事ですね。
まぁ、「素直に聞く」っていうのが、一番難しい事なのかも知れないけど、でもやっぱりそうなんだよなぁ。
いま思い出してみると、その歯医者さんにどうしてキチンと通うようになったかというと、そこの歯医者さんには、歯科医の先生とは別に、大変よくできる歯科助手の人がいたんですね。
ご存じの方はご存じかもしれませんが、歯科助手というのは、実は資格は要りません。なので、医療行為には関われないんですが、その周辺に関することはできる。歯科衛生士さんとはまた別の職種ですから。
で、この歯科助手さんが、この医院では初診の人の病状の聞き取りを引き受けてた訳です。状態を聞いてアンケートとか治療計画の基礎資料みたいなものを作る役目ですね。
で、僕もいろいろお話しをしたわけですが、そこで「いやー、歯医者は正直苦手でして」という話をしたんですよ。そしたら、その人、にっこり笑って、
「そうですねー。歯医者を好きな方ってほとんどいらっしゃいませんよねー。できるなら行きたくないって思ってらっしゃる方がほとんどですから。ですから、通うのは、これっきりにしませんか? 完治するまで通う。その後は一生虫歯とは関係ない生活をする。どうですか?」
と、おっしゃった。
どうもね。
この一言が、結局は、僕の通院を支えてくれたように、いまになって思うのですよ。
「歯医者に通うのはこれっきり。」
「これで最後」
「おさらば!」
いいじゃん!
それ、いいじゃん!
って思ったわけです。
もう、延々ね、あっちの歯医者に行っては途中でやめ、こっちの歯医者に行っては行かなくなって、というのを繰り返してましたからね。ずーーーーっと。
で、たぶん、二年に一度くらいはどうしようもなくなった時だけ歯医者に行ってたんですよねぇ。
でも、そういう悪循環から抜け出せるのだ! と言うことを、この時、大きな筋道として解説してもらった、という事が、かなり大きかったよなぁ、と、今になって思うのであります。
で、この「歯医者に通うのは、これっきり。」って話は、まさに「死ぬのは一度だけ」の話と同じだよなぁとつくづく思ったわけです。
怖がって逃げてるだけだと、恐怖は延々、解決されることなく着いてくるわけです。くっついてくる。ずっと。あー、いやいや、そんなの。
だから、やっぱり、ちゃんと覚悟しないとダメなんですよね。歯医者。痛いけど通う。怖いけど通う。そういう気持ちにならないとダメなわけです。
延々形のない恐怖におびえるより、具体的に「治療に痛み15分」を怖がる方が、はるかにマシだもの。そういう事なんですよね。
そこが、本当に、死ぬほど大事。
ちゃんと目の前の現実を見据えて、覚悟しないとダメってことです。
なんか今日はそういう事を思い出しつつ、感慨にふけっておったのであります。
あー、ふと気付いたので書きたくなりました。
タモリの赤塚不二夫さんへの弔辞が、実に素敵で、「いいなぁ」と思ってたんですが、どうも、あれ、アドリブでしゃべった内容で、手に持っていた紙は白紙だったらしい。
●タモリの弔辞
youtube(弔辞:ノーカット版)
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=EEbcF__-jSo
全文(日刊スポーツ)
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20080807-393012.html
確かに、こまかく言葉を見ていくと「ライブみたいなものをしていた時」とか、言葉の選び方に荒いところがあって紙の上で添削した硬さからは解き放たれてるな、とは感じてたのです。
ネットでは、あれもギャグの一つかなとか色々言われてたわけですが、今朝起きた時に、「あ、フリージャズか!」と気がついて、なんか、この事を書きたくなったのでした。
ジャズというのは、コード進行が決まってる範囲内でアドリブ演奏をしたりするわけですが、そのアドリブ部分だけがどんどん進化していってどんどん理論部分などの決めごとから離れていって「一切音楽理論に則らない」というところまで行ったのがフリージャズなんだそうで。
タモリは一時期、このフリージャズの大家である山下洋輔と共演したりもしてたし、そういう部分をこそ、赤塚不二夫も好んでいたというのがあるんだと思う。
だから、あれは単なる弔辞じゃなくて「はじめての弔辞」というアドリブ作品なんだよね、きっと。
で、さすがにいちおう様式には従っているわけさ。手に紙を持って。弔辞のスタイルは踏襲している。
で、その「はじめての弔辞」という作品を演奏しているタモリが、まさに赤塚不二夫というギャグ作家の作品であったのだ、というオチまでついている。
別にそんなオチは演る前には考えてなかったんでしょう。
あの「様式」に従ってフリー演奏をしたら、自然と口から出た言葉なんだろうねぇ。
これはもう、「タモリの『はじめての弔辞』って作品があってさぁ」と、語り継がれていく歴史みたいな事なんじゃないかなぁとすら思う。
ちゅうか、日本人なら、日本文化史として、そう記録しておく方が良いというような事なんでしょう、きっと。
人と人とのつながりが、「作品」として残っていく。二重三重におもしろくて、素敵で、ほんのちょっぴりだけ悲しい。よくできてるだけに。
昨日から北京オリンピックだったらしいけど、それより、この「はじめての弔辞」の方が、うんと世界新記録って感じがするなぁって思います。
(ということなので、youtubeも日刊スポーツの全文も削除せずにずっと残しておいて欲しいなぁと私は思うのでした。)
合掌。
タモリの赤塚不二夫さんへの弔辞が、実に素敵で、「いいなぁ」と思ってたんですが、どうも、あれ、アドリブでしゃべった内容で、手に持っていた紙は白紙だったらしい。
●タモリの弔辞
youtube(弔辞:ノーカット版)
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=EEbcF__-jSo
全文(日刊スポーツ)
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20080807-393012.html
確かに、こまかく言葉を見ていくと「ライブみたいなものをしていた時」とか、言葉の選び方に荒いところがあって紙の上で添削した硬さからは解き放たれてるな、とは感じてたのです。
ネットでは、あれもギャグの一つかなとか色々言われてたわけですが、今朝起きた時に、「あ、フリージャズか!」と気がついて、なんか、この事を書きたくなったのでした。
ジャズというのは、コード進行が決まってる範囲内でアドリブ演奏をしたりするわけですが、そのアドリブ部分だけがどんどん進化していってどんどん理論部分などの決めごとから離れていって「一切音楽理論に則らない」というところまで行ったのがフリージャズなんだそうで。
タモリは一時期、このフリージャズの大家である山下洋輔と共演したりもしてたし、そういう部分をこそ、赤塚不二夫も好んでいたというのがあるんだと思う。
だから、あれは単なる弔辞じゃなくて「はじめての弔辞」というアドリブ作品なんだよね、きっと。
で、さすがにいちおう様式には従っているわけさ。手に紙を持って。弔辞のスタイルは踏襲している。
で、その「はじめての弔辞」という作品を演奏しているタモリが、まさに赤塚不二夫というギャグ作家の作品であったのだ、というオチまでついている。
別にそんなオチは演る前には考えてなかったんでしょう。
あの「様式」に従ってフリー演奏をしたら、自然と口から出た言葉なんだろうねぇ。
これはもう、「タモリの『はじめての弔辞』って作品があってさぁ」と、語り継がれていく歴史みたいな事なんじゃないかなぁとすら思う。
ちゅうか、日本人なら、日本文化史として、そう記録しておく方が良いというような事なんでしょう、きっと。
人と人とのつながりが、「作品」として残っていく。二重三重におもしろくて、素敵で、ほんのちょっぴりだけ悲しい。よくできてるだけに。
昨日から北京オリンピックだったらしいけど、それより、この「はじめての弔辞」の方が、うんと世界新記録って感じがするなぁって思います。
(ということなので、youtubeも日刊スポーツの全文も削除せずにずっと残しておいて欲しいなぁと私は思うのでした。)
合掌。
効率が10倍アップする 新・知的生産術
2008年8月8日 読書 コメント (1)
■月10冊と50冊の差。
今日は昨日読み終えた、勝間和代女史の
効率が10倍アップする 新・知的生産術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4478002037/503-1393334-5299133
のご紹介。
最近、「今月読んだ本」で毎月読んだ本をリストアップして書くと、どっちでも良いような本にも一言二言書く、なんてことになって、そのくせ、「これはいろいろ書きたい」という本への言及が、後回しになっちゃうなぁと感じて、これはいかん!という事で書くことにしたのであります。
というのも、この本に「アウトプットを高めよう」という話が載っていて、ああ、その通りだなぁと思ったからなんですね。こつこつとアウトプットをしていれば、アウトプット力が高まってくるからやるべきだって事なんですね。
勝間さんのご本は、
●無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4887595441/503-1393334-5299133
●無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4887595867/503-1393334-5299133
●お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践 (光文社新書)
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/433403425X/503-1393334-5299133
に続いて4冊目ですが、勝間さんの勉強法・ノウハウで、いままで「ちょっと変だなぁ」と思ってた部分がかなりこの「新・知的生産術」でクリアされていてスッキリした気はします。
ひとつに思っていたのは、勝間さんの知的生産の方法には、あまり紙媒体が登場しないと言う点。そこが気になっていて、書店で勝間さんの手書き色紙を見て「あ、あんまり上手い字じゃないなぁ、だからか。」と感じてたのですが、この本では、そのあたりの自分の偏りがまずいと感じられたのか「紙でもデジタルでも、なんでもいいからまずメモしましょう」という、当たり前のことがちゃんと書かれてました。(浅いけど。)
で、実際、勝間さんもウェストポーチにメモ帳を必ず入れてるんだそうです。ボイスレコーダーも使うけど、人の前では失礼になって使いづらいという事だそうで。
ノートパソコンを持ち歩くっていうのは、悪くないけど、現実問題としてはメモ帳をポケットに入れておいて、気がついた時にどんどんメモするって方が圧倒的に自分の発想を掬うには便利なんですよね。
だから、ちょっとやっぱり勝間さんはデジタルの方に傾き過ぎだと思うなぁ。この本でも、メモとか紙とかの優位性については言及してるけど、具体的な道具については一切語ってないんです。多分、紙はデジタル化する前のテンポラリなものとしてしか考えてないんだろうなぁって思う。
まずペン習字を二週間くらいでいいから練習して、メモを取るときにあわてず、自分が読むときに読みやすい字を書くように気をつける、というだけで、情報整理のあり方がかなり変わるだろうに。あと、自分の手書きの字を好きになること。それだけで、かなり文章自体が変わってくるはずなんだけどなぁ。もったいない事です。
まぁいいや、話がズレた。アウトプットが大切って事でした。
僕の読書歴で言うと、実は子供の頃にマンガが好きで、たくさんマンガは読んでたんですが、自分でもマンガを書きたくて、各種の「マンガ入門」の本を買ったという経験があるわけです。
石ノ森章太郎も手塚治虫もそういう「マンガの描き方」のような本を書籍として書いてるんですね。実は、僕にとって活字との接し方というのが、そういうハウツー物が子供の頃の印象深い形態のひとつとして存在してたので、「本は、読んだら、実際にやって試してみること」というのが、当たり前になってるところがあるんです。
なので、やたらとハウツー物の本が好きでして。
そういう意味で行くと、勝間さんの本は良いのですよね。ノウハウが実行しやすい具体的な形で書いてあって。当然、そのまま真似てもあんまり意味ないですけど。
ともあれ、本は、読んだら試さないと意味がない。
逆に言うなら、何かをやり始めよう、行動しようと思って本を読む、って事でもありますね。そういう姿勢が大事だろうなぁって思う。
まぁそういう人間なので、どんどん小説が読めなくなっちゃうんですけど。いや、小説も大事なんだけどね。まぁ、それはそれとして。
勝間さんも、読んだら試すって人らしく、そういう意味では共感するところの多い本でした。逆に言うと新鮮味は少なかったんですけど。7割くらいは同じような事を考えてるなぁって感じがしました。
ただ、違う部分3割が、やっぱりこの人はすごいんですけどね。
違う部分3割で「そうかぁ、なるほど」と思ったのは、「フレームワーク」という考え方の部分。これは新鮮かつ「そういう考え方でいくのは効率的だ」と、かなり刺激を受けました。やっぱり優れてる人は違うね。
でもまぁ、このあたりは、まだ僕が咀嚼しきれてないし、同じ勝間さんでも別の著作で「勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレームワーク力 ビジネス思考法の基本と実践」というのが出てるので、そっちを読んでから、また書くことにします。
ともあれ、この「7割は同じ発想だけど、3割は違う」っていうのは、要するに読んでる本の冊数の違いだなぁって事を思いました。
私で読了分月7−8冊。途中でやめたり、かじり読みでまぁいいやとしたものまで含めて、だいたい10冊ですが、勝間さんは月50冊ですからね。
速読のスキルも、お金を払って身につけて、ってことですから。
それに英語が出来るから、ものによっては英語の本も読んでおられる。
そういう差です。
速読のスキルもちょっとは身につけないといけないなぁって思いますね。まぁ、その前に、まず、出来ることをする、という事でテレビを見ずに本を読む時間をなんとか作り出せって言うのが、普通の人へのメッセージとして重要なんでしょうけど。
少なくとも僕はもう、それはクリアしちゃってるからなぁ。
読んだらわかる事ですし、僕自身はすでに実行してる事なので、わざわざ書くのもどうかと思うのですが、「そのとおり!それが一番!」と思った事を、ちょっとまとめますと、
●TO DO LIST より NOT TO DO LIST
これは上記のテレビを見るな!と同じ事ですね。自分の生活の中で「やめるべきこと」をリストアップして、やめるなり減らすなりしましょうって事です。
テレビの他にも、酒、タバコ、ゲームなどなど、けっこういろいろあります。
僕だとすでにタバコはやめてるので問題ないんですが、一年ほど前から酒の味を覚えて、毎日のように飲むようになっちゃったんで、これを減らさないといけない。ちゅうか、やめないとダメですね。あと、エロページを含む、ネットサーフ。これも減らすかやめるかしないといけない。(でも性的なものを「排除」するというのは、人間の本質からかけ離れているので、それはウソですね。減らせても排除はできんだろうな。)
速読も大事なんだけど、普通の人なら、まず「読む時間の確保」が先なんですね。で、その時間の確保にテレビ視聴時間を減らすというのは相当効果が高いです。
テレビにも有用な情報はあるんですが、万人受けさせるために内容が薄くなっていて、情報取得の時間効率がとても悪い、というのが勝間さんの指摘。まさにその通りなんですよ。書店での立ち読みや、書籍による情報取得の効率と、テレビでの情報取得の効率を考えると、僕の実感では20倍くらい違うと思う。テレビはひたすら、自分が知りたい事とは関係ないことを、えんえんずっと見てないとダメなんですよね。「ここだ!」という時に必ずCMが入るし。まぁ「無料」で広告してる媒体なんだから、しょうがないですけど。
やはり情報はお金を払って得るというのが一番で、それは結局「コスト的に見れば同じ事」になると勝間さんはおっしゃる。一万円払って得られる情報の質は、どの媒体でも結局は同じ事なんですね。2000円の本を5冊買うか、500円の本を20冊買うかは、結局同じなのだ、という話です。そういう意味で行くと、無料のテレビ放送で、一万円分の価値のある情報は、まず得られないって事ですね。
ここは、肝に据えておいた方がよろしい。実際その通りですから。
●お金より情報が大事
これは、この本の最初に書いてあった事なんですが、なんとなくは思っていながら、こうもはっきり書かれると、「そうか!そうだったのか!」と改めて気付かされる事で、僕はかなりショックを受けた一言でした。この一言を読んでしばらく、半日くらいかなぁ、「お金より情報が大事、お金より情報が大事、お金より情報が大事…」と、えんえん念仏を唱えるみたいにつぶやいてました。
上記の「テレビを見るな」と同じ事なんですが、いまの世の中、「お金がいちばん」というような時代になってしまっているように見えるんですが、その実、実態は「お金を出して情報を買っていて、それが大事だから金をつぎ込んでる」わけですよ。
つまりそれは「お金より情報が大事」って事なんです。
だから、本を読まないとダメなんですね。本です。本。もう、これは絶対。
●情報ソースは自分と他人と良書
で、勝間さんが上げてる大事な情報ソースは3つ。自分自身と他者の頭と良書なんですね。これも、僕はライターをやっていて、インタビューが仕事になっているので、すごく良く分かる。
「お金より情報が大事」と分れば、では情報はどこから生まれるのか? と考えなくてはなりません。で、情報が生まれているところは、テレビとかではなくて、人間の頭の中なんですね。
良い情報を自分の頭に入れて、キチンとフレームワークに沿って考えれば、それなりのアイディアや発想とかは出てきます。これをうまく掬うことです。これがまず一番重要な情報。
(ただし、ゴミを入れたらゴミしか出ないという問題がありまして、インプットしてない人は、まず先にインプットを増やさないと、良いアイディアも出ません。これまた当たり前の事です。)
他人の頭というのは、違う立場の人と実際に接してお話しをうかがうって事ですね。僕で言うと、この日記とかには書けないですけど、仕事上で企業の社長さんにインタビューしたり、ノーベル賞クラスの学者さんの講演DVDを文字起ししたりする機会がかなりあるんですが、そういう時の情報は、すごく有用です。本を10冊読むよりインパクトが大きいです。
で、次が良書。
これは言わずもがなです。本が良いのは、持ち歩いて空き時間にちょっとでも読み進められる事ですね。これを毎日5分からでいいからやってるかやってないかは、ロングスパンで見た時に、とんでもなく大きな差になると思います。
●生活習慣の技術がすべての基礎
これも、当たり前の事なんですが、「継続は力なり」です。本当に、これは大きな力でして、この継続力をつけるために生活を見直しましょうと勝間さんはおっしゃってる。
で、睡眠や食事から見直していきましょうとおっしゃる。勝間さん曰く、「睡眠は投資なんです。」という事。ちょっと目の前の楽しさに釣られて、つい夜更かしするのは、生活資金が足りなくてキャッシュローンを借りてるのと同じだという事なんですね。
効率の悪い頭でボケボケで、内容のない薄っぺらな情報を見てるというのは、金利がべらぼうに高いお金を借りてるような事で、賢い人がするべきことではない。
睡眠時間は、確実に確保することで体の修復、情報の整理が着実に行われてリターンが大きい。確実な投資であると考えなさいって事なんです。
これもその通りでして、僕が前から書いてる「後退することこそが進歩すること」にもつながるんですね。学習していて進歩できない時は、ワンステップ前の知識や学力が足りてない事がとても多いんです。そういう時は、自分が確実にできる基礎に立ち戻って問題点がないかを確認するのが、とても効果が高い。
そういう意味で、もっとも効果の高い「立ち戻り」は、まさに生活習慣でして、睡眠量を増やし、早寝して、朝の時間を有効活用し、食生活も質素にしていくというのが、結果的に、ありとあらゆる分野に良い効果を生むんですね。
僕はまだまだ、この基礎ができてないんですが、いまは早寝早起きにチャレンジ中であります。
あ、あと砂糖とか白米とか白いものは避けよ、ってのも勝間さんの言う事であり、僕も感じてる事ですなぁ。砂糖は中毒性があるよなぁ。やばい。
中毒というのと依存というのは一体化したものですからな。アダルトチルドレンってのが人への依存というのと同じで、依存に偏るのはヤバイです。
●バックアップは複数持つ。
あと、これはあまりに当たり前の事で、わざわざ言うほどの事でもないんですが、まぁ一時期ウィルス対策ソフトが大事かどうかとかの話をやりとりしたことがあるので、ちょっと。
勝間さんは、ノートPCを使ってるので、日々バックアップを取ってるそうです。当然ですわね。ノートパソコンも複数台持って、どれか壊れても他のノートで仕事ができるようにしてるそうです。
このあたりは当たり前の事で、僕も自宅と仕事場でパソコンは二台あって、それぞれにメールの記録は完全に二重に保管してあるし、仕事で自分が書く原稿に関しては、全部をひとつのテキストにまとめて、自宅と仕事場と、自分のホームページにバックアップと3つのバックアップを取ってます。
仕事帰りには毎回(とも限らないけど、まぁ週に4回から5回)は、そのテキストをFTPするわけですね。
で、自宅に帰ると、そのテキストを自宅のPCに取り込みます。
これで、まぁ必要な情報はキチンとバックアップがとれる。どれかパソコンが壊れても心配はない。これが自己責任って事ですね。こういう事を日々やってれば、別にウィルスなんて恐いものではないわけですよ。
さる世界的大企業の親会社さんのお仕事をさせていただいた時も、そのグループ会社の全データを預かるようなデータセンターというのを、そういう大企業さんだと持ってます。データを管理する専門の建物を建ててるんですね。耐震性のある独自設計の建物で、すごいものでした。
で、そこで何をやってるかというと、ものすごいセキュリティがかかっていて、IDカードを持ってないと入れないブースの中で、膨大な数のサーバーが、24時間、えんえんデータをバックアップし続けてるわけですよ。
データがなくなったら、自分の企業の終わりですからな。
自己責任の社会っていうのは、こういう自分の「お金より大事な情報」を、自分で徹底して守る社会って事です。
当たり前だけど。
だから、とにかく「何を残しておかなければいけないのか?」を自分に問いかけて、絶対に必要な情報に関しては、日々バックアップを取るって事ですね。
で、大事なのは、この「自分への問いかけ」で、ここを正しく考えないと、どうでも良いゴミ情報までバックアップするという愚行に走ることになる。
で、そういうような愚行に走ると、どんどんバックアップを取るのが面倒になって、大事な情報ですら複数持っていないという状態になっちゃうんですね。
で、そういう不安がある人が、「ウィルス対策ソフト」に頼ったりしてたりする。
いやー、ウィルス対策ソフトなんか、屁の役にも立ちませんよ。あんなもの。だっていたちごっこなんだから。こっけいとしか思えない。
大事な情報は、まず自分だって事です。
自分にとってエッセンシャルな情報って何だ? と自分に問いかけることでしょう。
だいたいパソコンは壊れる。(笑)
勝間さんの文章を引用します。
(引用開始)--------------------------
■ノートパソコンは「定期的に壊れる」ことを前提に
とはいえ、ノートパソコンは定期的に壊れます。水をかけてしまったり、落としたり、理由もなく立ち上がらなくなります。
銀行のオンラインシステムや大きなウェブショッピングのシステムなどは、必ずシステムの二重化を行っており、24時間何かトラブルがあった場合にでも、動き続けるように設計されています。
私たちのノートパソコンも同じなのです。ノートパソコンは必ず壊れます。したがって壊れた後にあわてないために、下記のようなリスクマネジメントをお薦めします。これも生産性を落とさないための技法の一つです。
(引用終了)--------------------------
とあって、その後に、
・パソコン2台以上用意
・バックアップを定期的に(バックアップソフトの紹介)
・メールはローカル以外にGmailでも保存
・ノートの修理も速いサービスを選択
・電池も同じものを二個用意し定期的に交換して使う。
となっておりまして、まぁ実に見事に「ウィルス対策ソフト」なんてものは紹介されてすらいない。見事だなぁ、さすがに外資系に勤めてた人は違う。
日本人だと、この発想に「でも、ウィルスって伝染して他人に迷惑かけるじゃん」っていう気遣いが入るんですよね。だから「ウィルス対策ソフトを入れるのは礼儀だ」みたいな事を考えてしまう。
でも、それ以前にパソコンは壊れますから。最近の台湾製のボードなんか、「技術の進化を考えれば、パソコンは買い換えが必然。3年以上使えるパソコンを設計するのはコストのムダ」って発想ですしね。だからパソコンはウィルス以前に、まず壊れるんです。そうなってるんです。
なので、まずデータは自己責任でつねにバックアップを取る以外に手はないし、ウィルス以前にPCが壊れた時を想定してないとダメって事です。PCって、もともとそういう文化を背景に発展してきた道具なんだから、それはしょうがないよって事でね。
まぁ、僕的には「そんな事当たり前やん」って話なんですけど、まぁ勝間さんがわざわざリストにして書いてると言うことは、こういう当たり前の事も考えつかない人の方が多いってことなんだろうなと逆に気付いて紹介しました。
僕的には上記の対策のうち、
・電池も同じものを二個用意し定期的に交換して使う。
というのが「ああ、それは良いな」と思いました。携帯電話だとバッテリーってアホほど高いのだけど、ノートパソコンの場合は、本体に比べると、まぁまぁそこそこの値段であるし。良いアイデァですねぇ。
--------------------------
まぁ、こんなとこかな、この本に関しては。
でも、おおむね一般人にはお勧め出来る内容だと思います。情報の整理・集約度が高いので、あまり情報整理・知的生産関連の書籍を読んでない人(それこそ月1冊と読まない人)には、モレ・ムダがなくて良い本だと思います。あんまり読んでない人には、こういう集約度の高い本をお薦めしたくなりますわね。
(このモレ・ムダがないってのが、また勝間さんならではのノウハウなんですが、それはまた。)
今日は昨日読み終えた、勝間和代女史の
効率が10倍アップする 新・知的生産術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4478002037/503-1393334-5299133
のご紹介。
最近、「今月読んだ本」で毎月読んだ本をリストアップして書くと、どっちでも良いような本にも一言二言書く、なんてことになって、そのくせ、「これはいろいろ書きたい」という本への言及が、後回しになっちゃうなぁと感じて、これはいかん!という事で書くことにしたのであります。
というのも、この本に「アウトプットを高めよう」という話が載っていて、ああ、その通りだなぁと思ったからなんですね。こつこつとアウトプットをしていれば、アウトプット力が高まってくるからやるべきだって事なんですね。
勝間さんのご本は、
●無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法
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●無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4887595867/503-1393334-5299133
●お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践 (光文社新書)
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/433403425X/503-1393334-5299133
に続いて4冊目ですが、勝間さんの勉強法・ノウハウで、いままで「ちょっと変だなぁ」と思ってた部分がかなりこの「新・知的生産術」でクリアされていてスッキリした気はします。
ひとつに思っていたのは、勝間さんの知的生産の方法には、あまり紙媒体が登場しないと言う点。そこが気になっていて、書店で勝間さんの手書き色紙を見て「あ、あんまり上手い字じゃないなぁ、だからか。」と感じてたのですが、この本では、そのあたりの自分の偏りがまずいと感じられたのか「紙でもデジタルでも、なんでもいいからまずメモしましょう」という、当たり前のことがちゃんと書かれてました。(浅いけど。)
で、実際、勝間さんもウェストポーチにメモ帳を必ず入れてるんだそうです。ボイスレコーダーも使うけど、人の前では失礼になって使いづらいという事だそうで。
ノートパソコンを持ち歩くっていうのは、悪くないけど、現実問題としてはメモ帳をポケットに入れておいて、気がついた時にどんどんメモするって方が圧倒的に自分の発想を掬うには便利なんですよね。
だから、ちょっとやっぱり勝間さんはデジタルの方に傾き過ぎだと思うなぁ。この本でも、メモとか紙とかの優位性については言及してるけど、具体的な道具については一切語ってないんです。多分、紙はデジタル化する前のテンポラリなものとしてしか考えてないんだろうなぁって思う。
まずペン習字を二週間くらいでいいから練習して、メモを取るときにあわてず、自分が読むときに読みやすい字を書くように気をつける、というだけで、情報整理のあり方がかなり変わるだろうに。あと、自分の手書きの字を好きになること。それだけで、かなり文章自体が変わってくるはずなんだけどなぁ。もったいない事です。
まぁいいや、話がズレた。アウトプットが大切って事でした。
僕の読書歴で言うと、実は子供の頃にマンガが好きで、たくさんマンガは読んでたんですが、自分でもマンガを書きたくて、各種の「マンガ入門」の本を買ったという経験があるわけです。
石ノ森章太郎も手塚治虫もそういう「マンガの描き方」のような本を書籍として書いてるんですね。実は、僕にとって活字との接し方というのが、そういうハウツー物が子供の頃の印象深い形態のひとつとして存在してたので、「本は、読んだら、実際にやって試してみること」というのが、当たり前になってるところがあるんです。
なので、やたらとハウツー物の本が好きでして。
そういう意味で行くと、勝間さんの本は良いのですよね。ノウハウが実行しやすい具体的な形で書いてあって。当然、そのまま真似てもあんまり意味ないですけど。
ともあれ、本は、読んだら試さないと意味がない。
逆に言うなら、何かをやり始めよう、行動しようと思って本を読む、って事でもありますね。そういう姿勢が大事だろうなぁって思う。
まぁそういう人間なので、どんどん小説が読めなくなっちゃうんですけど。いや、小説も大事なんだけどね。まぁ、それはそれとして。
勝間さんも、読んだら試すって人らしく、そういう意味では共感するところの多い本でした。逆に言うと新鮮味は少なかったんですけど。7割くらいは同じような事を考えてるなぁって感じがしました。
ただ、違う部分3割が、やっぱりこの人はすごいんですけどね。
違う部分3割で「そうかぁ、なるほど」と思ったのは、「フレームワーク」という考え方の部分。これは新鮮かつ「そういう考え方でいくのは効率的だ」と、かなり刺激を受けました。やっぱり優れてる人は違うね。
でもまぁ、このあたりは、まだ僕が咀嚼しきれてないし、同じ勝間さんでも別の著作で「勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレームワーク力 ビジネス思考法の基本と実践」というのが出てるので、そっちを読んでから、また書くことにします。
ともあれ、この「7割は同じ発想だけど、3割は違う」っていうのは、要するに読んでる本の冊数の違いだなぁって事を思いました。
私で読了分月7−8冊。途中でやめたり、かじり読みでまぁいいやとしたものまで含めて、だいたい10冊ですが、勝間さんは月50冊ですからね。
速読のスキルも、お金を払って身につけて、ってことですから。
それに英語が出来るから、ものによっては英語の本も読んでおられる。
そういう差です。
速読のスキルもちょっとは身につけないといけないなぁって思いますね。まぁ、その前に、まず、出来ることをする、という事でテレビを見ずに本を読む時間をなんとか作り出せって言うのが、普通の人へのメッセージとして重要なんでしょうけど。
少なくとも僕はもう、それはクリアしちゃってるからなぁ。
読んだらわかる事ですし、僕自身はすでに実行してる事なので、わざわざ書くのもどうかと思うのですが、「そのとおり!それが一番!」と思った事を、ちょっとまとめますと、
●TO DO LIST より NOT TO DO LIST
これは上記のテレビを見るな!と同じ事ですね。自分の生活の中で「やめるべきこと」をリストアップして、やめるなり減らすなりしましょうって事です。
テレビの他にも、酒、タバコ、ゲームなどなど、けっこういろいろあります。
僕だとすでにタバコはやめてるので問題ないんですが、一年ほど前から酒の味を覚えて、毎日のように飲むようになっちゃったんで、これを減らさないといけない。ちゅうか、やめないとダメですね。あと、エロページを含む、ネットサーフ。これも減らすかやめるかしないといけない。(でも性的なものを「排除」するというのは、人間の本質からかけ離れているので、それはウソですね。減らせても排除はできんだろうな。)
速読も大事なんだけど、普通の人なら、まず「読む時間の確保」が先なんですね。で、その時間の確保にテレビ視聴時間を減らすというのは相当効果が高いです。
テレビにも有用な情報はあるんですが、万人受けさせるために内容が薄くなっていて、情報取得の時間効率がとても悪い、というのが勝間さんの指摘。まさにその通りなんですよ。書店での立ち読みや、書籍による情報取得の効率と、テレビでの情報取得の効率を考えると、僕の実感では20倍くらい違うと思う。テレビはひたすら、自分が知りたい事とは関係ないことを、えんえんずっと見てないとダメなんですよね。「ここだ!」という時に必ずCMが入るし。まぁ「無料」で広告してる媒体なんだから、しょうがないですけど。
やはり情報はお金を払って得るというのが一番で、それは結局「コスト的に見れば同じ事」になると勝間さんはおっしゃる。一万円払って得られる情報の質は、どの媒体でも結局は同じ事なんですね。2000円の本を5冊買うか、500円の本を20冊買うかは、結局同じなのだ、という話です。そういう意味で行くと、無料のテレビ放送で、一万円分の価値のある情報は、まず得られないって事ですね。
ここは、肝に据えておいた方がよろしい。実際その通りですから。
●お金より情報が大事
これは、この本の最初に書いてあった事なんですが、なんとなくは思っていながら、こうもはっきり書かれると、「そうか!そうだったのか!」と改めて気付かされる事で、僕はかなりショックを受けた一言でした。この一言を読んでしばらく、半日くらいかなぁ、「お金より情報が大事、お金より情報が大事、お金より情報が大事…」と、えんえん念仏を唱えるみたいにつぶやいてました。
上記の「テレビを見るな」と同じ事なんですが、いまの世の中、「お金がいちばん」というような時代になってしまっているように見えるんですが、その実、実態は「お金を出して情報を買っていて、それが大事だから金をつぎ込んでる」わけですよ。
つまりそれは「お金より情報が大事」って事なんです。
だから、本を読まないとダメなんですね。本です。本。もう、これは絶対。
●情報ソースは自分と他人と良書
で、勝間さんが上げてる大事な情報ソースは3つ。自分自身と他者の頭と良書なんですね。これも、僕はライターをやっていて、インタビューが仕事になっているので、すごく良く分かる。
「お金より情報が大事」と分れば、では情報はどこから生まれるのか? と考えなくてはなりません。で、情報が生まれているところは、テレビとかではなくて、人間の頭の中なんですね。
良い情報を自分の頭に入れて、キチンとフレームワークに沿って考えれば、それなりのアイディアや発想とかは出てきます。これをうまく掬うことです。これがまず一番重要な情報。
(ただし、ゴミを入れたらゴミしか出ないという問題がありまして、インプットしてない人は、まず先にインプットを増やさないと、良いアイディアも出ません。これまた当たり前の事です。)
他人の頭というのは、違う立場の人と実際に接してお話しをうかがうって事ですね。僕で言うと、この日記とかには書けないですけど、仕事上で企業の社長さんにインタビューしたり、ノーベル賞クラスの学者さんの講演DVDを文字起ししたりする機会がかなりあるんですが、そういう時の情報は、すごく有用です。本を10冊読むよりインパクトが大きいです。
で、次が良書。
これは言わずもがなです。本が良いのは、持ち歩いて空き時間にちょっとでも読み進められる事ですね。これを毎日5分からでいいからやってるかやってないかは、ロングスパンで見た時に、とんでもなく大きな差になると思います。
●生活習慣の技術がすべての基礎
これも、当たり前の事なんですが、「継続は力なり」です。本当に、これは大きな力でして、この継続力をつけるために生活を見直しましょうと勝間さんはおっしゃってる。
で、睡眠や食事から見直していきましょうとおっしゃる。勝間さん曰く、「睡眠は投資なんです。」という事。ちょっと目の前の楽しさに釣られて、つい夜更かしするのは、生活資金が足りなくてキャッシュローンを借りてるのと同じだという事なんですね。
効率の悪い頭でボケボケで、内容のない薄っぺらな情報を見てるというのは、金利がべらぼうに高いお金を借りてるような事で、賢い人がするべきことではない。
睡眠時間は、確実に確保することで体の修復、情報の整理が着実に行われてリターンが大きい。確実な投資であると考えなさいって事なんです。
これもその通りでして、僕が前から書いてる「後退することこそが進歩すること」にもつながるんですね。学習していて進歩できない時は、ワンステップ前の知識や学力が足りてない事がとても多いんです。そういう時は、自分が確実にできる基礎に立ち戻って問題点がないかを確認するのが、とても効果が高い。
そういう意味で、もっとも効果の高い「立ち戻り」は、まさに生活習慣でして、睡眠量を増やし、早寝して、朝の時間を有効活用し、食生活も質素にしていくというのが、結果的に、ありとあらゆる分野に良い効果を生むんですね。
僕はまだまだ、この基礎ができてないんですが、いまは早寝早起きにチャレンジ中であります。
あ、あと砂糖とか白米とか白いものは避けよ、ってのも勝間さんの言う事であり、僕も感じてる事ですなぁ。砂糖は中毒性があるよなぁ。やばい。
中毒というのと依存というのは一体化したものですからな。アダルトチルドレンってのが人への依存というのと同じで、依存に偏るのはヤバイです。
●バックアップは複数持つ。
あと、これはあまりに当たり前の事で、わざわざ言うほどの事でもないんですが、まぁ一時期ウィルス対策ソフトが大事かどうかとかの話をやりとりしたことがあるので、ちょっと。
勝間さんは、ノートPCを使ってるので、日々バックアップを取ってるそうです。当然ですわね。ノートパソコンも複数台持って、どれか壊れても他のノートで仕事ができるようにしてるそうです。
このあたりは当たり前の事で、僕も自宅と仕事場でパソコンは二台あって、それぞれにメールの記録は完全に二重に保管してあるし、仕事で自分が書く原稿に関しては、全部をひとつのテキストにまとめて、自宅と仕事場と、自分のホームページにバックアップと3つのバックアップを取ってます。
仕事帰りには毎回(とも限らないけど、まぁ週に4回から5回)は、そのテキストをFTPするわけですね。
で、自宅に帰ると、そのテキストを自宅のPCに取り込みます。
これで、まぁ必要な情報はキチンとバックアップがとれる。どれかパソコンが壊れても心配はない。これが自己責任って事ですね。こういう事を日々やってれば、別にウィルスなんて恐いものではないわけですよ。
さる世界的大企業の親会社さんのお仕事をさせていただいた時も、そのグループ会社の全データを預かるようなデータセンターというのを、そういう大企業さんだと持ってます。データを管理する専門の建物を建ててるんですね。耐震性のある独自設計の建物で、すごいものでした。
で、そこで何をやってるかというと、ものすごいセキュリティがかかっていて、IDカードを持ってないと入れないブースの中で、膨大な数のサーバーが、24時間、えんえんデータをバックアップし続けてるわけですよ。
データがなくなったら、自分の企業の終わりですからな。
自己責任の社会っていうのは、こういう自分の「お金より大事な情報」を、自分で徹底して守る社会って事です。
当たり前だけど。
だから、とにかく「何を残しておかなければいけないのか?」を自分に問いかけて、絶対に必要な情報に関しては、日々バックアップを取るって事ですね。
で、大事なのは、この「自分への問いかけ」で、ここを正しく考えないと、どうでも良いゴミ情報までバックアップするという愚行に走ることになる。
で、そういうような愚行に走ると、どんどんバックアップを取るのが面倒になって、大事な情報ですら複数持っていないという状態になっちゃうんですね。
で、そういう不安がある人が、「ウィルス対策ソフト」に頼ったりしてたりする。
いやー、ウィルス対策ソフトなんか、屁の役にも立ちませんよ。あんなもの。だっていたちごっこなんだから。こっけいとしか思えない。
大事な情報は、まず自分だって事です。
自分にとってエッセンシャルな情報って何だ? と自分に問いかけることでしょう。
だいたいパソコンは壊れる。(笑)
勝間さんの文章を引用します。
(引用開始)--------------------------
■ノートパソコンは「定期的に壊れる」ことを前提に
とはいえ、ノートパソコンは定期的に壊れます。水をかけてしまったり、落としたり、理由もなく立ち上がらなくなります。
銀行のオンラインシステムや大きなウェブショッピングのシステムなどは、必ずシステムの二重化を行っており、24時間何かトラブルがあった場合にでも、動き続けるように設計されています。
私たちのノートパソコンも同じなのです。ノートパソコンは必ず壊れます。したがって壊れた後にあわてないために、下記のようなリスクマネジメントをお薦めします。これも生産性を落とさないための技法の一つです。
(引用終了)--------------------------
とあって、その後に、
・パソコン2台以上用意
・バックアップを定期的に(バックアップソフトの紹介)
・メールはローカル以外にGmailでも保存
・ノートの修理も速いサービスを選択
・電池も同じものを二個用意し定期的に交換して使う。
となっておりまして、まぁ実に見事に「ウィルス対策ソフト」なんてものは紹介されてすらいない。見事だなぁ、さすがに外資系に勤めてた人は違う。
日本人だと、この発想に「でも、ウィルスって伝染して他人に迷惑かけるじゃん」っていう気遣いが入るんですよね。だから「ウィルス対策ソフトを入れるのは礼儀だ」みたいな事を考えてしまう。
でも、それ以前にパソコンは壊れますから。最近の台湾製のボードなんか、「技術の進化を考えれば、パソコンは買い換えが必然。3年以上使えるパソコンを設計するのはコストのムダ」って発想ですしね。だからパソコンはウィルス以前に、まず壊れるんです。そうなってるんです。
なので、まずデータは自己責任でつねにバックアップを取る以外に手はないし、ウィルス以前にPCが壊れた時を想定してないとダメって事です。PCって、もともとそういう文化を背景に発展してきた道具なんだから、それはしょうがないよって事でね。
まぁ、僕的には「そんな事当たり前やん」って話なんですけど、まぁ勝間さんがわざわざリストにして書いてると言うことは、こういう当たり前の事も考えつかない人の方が多いってことなんだろうなと逆に気付いて紹介しました。
僕的には上記の対策のうち、
・電池も同じものを二個用意し定期的に交換して使う。
というのが「ああ、それは良いな」と思いました。携帯電話だとバッテリーってアホほど高いのだけど、ノートパソコンの場合は、本体に比べると、まぁまぁそこそこの値段であるし。良いアイデァですねぇ。
--------------------------
まぁ、こんなとこかな、この本に関しては。
でも、おおむね一般人にはお勧め出来る内容だと思います。情報の整理・集約度が高いので、あまり情報整理・知的生産関連の書籍を読んでない人(それこそ月1冊と読まない人)には、モレ・ムダがなくて良い本だと思います。あんまり読んでない人には、こういう集約度の高い本をお薦めしたくなりますわね。
(このモレ・ムダがないってのが、また勝間さんならではのノウハウなんですが、それはまた。)
いつもの今月読んだ本シリーズ。
今月は当りが多かったのでうれしかった月です。読んだのは以下の9冊。いちおう、おもしろかったもの順です。
●落語の国から覗いてみれば
●偽善エコロジー
●人生は勉強より「世渡り力」だ
●いつでもやる気の英語勉強法
●毎朝1分で人生は変わる
●妻との修復
●「世逃げ」のすすめ
●「朝10分の習慣」で1日がぜんぶうまくいく。
●宇宙を味方にしてお金に愛される法則
------------------------------
●落語の国から覗いてみれば
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062879476/503-1393334-5299133
今月はこれがいちばん面白かったなぁ。今年読んだ本の中でもかなりの面白さでありました。著者は、文春で「ホリイのズンズン調査」の連載を持ってる堀井 憲一郎さん。語り口が楽しい人。
で、この本では落語をベースに江戸時代の生活ってどんなものだったのかを資料や堀井さんの見識を加えつつ整理して、そこから現代をすこ〜しだけふり返るというもの。
素敵だったのは、ホリイさんが、「上方落語と江戸落語のバイリンガル」だってところですね。この手の本の著者って、どっちかの世界しか知らない事が多いんですよ。でも、両方を知っていて「この話ならこの人」とか書かれると、自分の知ってる落語家さんの評価から類推して、自分が知らない関東の落語家さんの実力まで推し量れる。それがなかなかに良いのです。
現代社会のきつさと、江戸時代の日本文化、つまりネイティブな日本の生活感というものを引き比べて「いまは辛いね」とか「昔は大変だったね」とか語る本でして、ほんとうに、実に面白いです。
また詳しいレビューとか書きたいなぁ。
●偽善エコロジー
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980808/503-1393334-5299133
これは、レビュー済み。
http://diarynote.jp/d/12917/20080729.html
かなり面白いですわね。
ぜひお読みください。
●人生は勉強より「世渡り力」だ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4413042042/503-1393334-5299133
これは、知ってる人は知ってる「痛くない注射針」を開発した町の技術者岡野雅行さんの本。
いろいろ面白かったんだけど、いちばん感心したのは、読書に関する、あるエピソードのくだり。
岡野さんは「金型」の技術屋さんで、金型をベースに「プレス」をやってる工場が生産をするわけです。まぁ、鯛焼き屋さんと、その金型屋さんみたいなもので、全然別業種なわけですよ。
で、岡野さんは金型だけでなくプレスにも手を出したかったわけです。でも、プレスの技術を知らない。で、尊敬している先輩に相談すると、「本があるじゃないか。外国のプレスの本を買って読め。」と、こう言われたわけです。
「外国の本なんて、俺に読めるわけがない」と岡野さんが言うと、「お前も職人だ、図面とかイラストとかを見てるだけでかなりわかる。見るだけでも勉強になる。」と言われたので、とても高額な「プレス便覧」という本を岡野さんは買って、20年、毎日眺めて暮らしたのだそうだ。
(引用開始)---------------------
俺は、その本を二十年間、毎日、眺めてすごした。それでプレスの基本も覚えたし、プレスの技術が奥の深いもんだって事も分った。その人がアドバイスをくれなかったら、その本と出会わなかったら、ここまで本腰を入れてプレスの技術と取り組むことはなかったかも知れない。
(引用終了)---------------------
と書かれてます。
いや、まさに「本」というものの素晴らしさを語る名エピソードなんだけど、「あ、この話って岡野さんの事だったのか!と、僕は逆の面から驚かされたのですよ。
この話を最初に知ったのは、神田昌典の「お金と英語の非常識な関係(上下)」を読んだ時でして、神田昌典は、このエピソードを引用して「あなたに英語の実力がなかろうとも、とにかくいきなり英語の書籍を”活用”したら良いのです。発想を変えましょう!」という事を書いてたわけです。
で、僕の好きな齋藤孝さんも、確か何かの本で、このエピソードを引用して、本を読むことの意義の深さを説いておられた。
でも、結局は元ネタは岡野さんだったんじゃないか! とネタバレしたって事ですね。やっぱり「世界初」とか、ガンガンにやってる人は違うわなぁって事です。
知ってるか知らないかは別にしまして、最近の携帯電話が薄くなったのも、実は岡野さんの金型技術のおかげ。リチウム電池を入れるためのケースっていうのを、一枚の板金から、深絞りというプレス加工のやり方で作ったからできたわけです。一枚の板をちょっとずつプレス機で打ち出して「継ぎ目のないケース」を作ったから、防水処理とか余分な工程が不要になって薄くできたわけ。これも世界初なんでしょう、たぶん。
日本の強さっていうのは、実はこういうところにあるんですよ。町工場がすごかったりする。
ま、面白い本でした。多分インタビューによる聞き書きなので、ちょっと内容は薄いですけどな。でも、その分読みやすいです。一日でさーっと読めてしまいました。
●いつでもやる気の英語勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/453404285X/503-1393334-5299133
今月は、英語の学習工程がガラっと変わってしまった月でして、そのきっかけになったのが、この本。
実は、この本、今年の2月には購入して、7割がた読んでたんです。ただ、読了してなかったので、ここでは紹介してなかったんですが。けっこうそういう本があるんよねぇ。途中で読むのをやめた本が。
で、じゃあ、なんで、いまごろ読了したかというと、いま、先月に引き続いて「早起き」にチャレンジ中で、その関連で、
●毎朝1分で人生は変わる
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4763198181/503-1393334-5299133
という本を読んだからなのです。
で、この本が僕的に、すごくはまった。
いや、こまかい話は書きませんけど、僕が最近いろいろ試したりしているやり方とすごく似たことを、この本の著者の三宅裕之さんは実践されてたんですよ。しかも、僕がいろいろ考えてたやり方より、はるかに洗練されたやり方で。
なので「あ、こりゃすごい」と思って読んでたのですが、そのうち、いろいろなエピソードが、どうにもどこかで聞いたような話になってきて、そこで初めて気がついたのですが、実は上記の「いつでもやる気の英語勉強法」も同じ三宅さんの著書だったわけです。
で、そう気付いたから、あわてて、「いつでもやる気」を読み返しまして、そこに紹介されてる「この教材は良かった」と書かれてた教材を実際に書店で購入して読み始めたわけです。
そしたら、もう。目ウロコ! 「ああ、そうか! こういう風に練習したら良かったんや!」というような事とか「そうか、うまくいかなかったのは、これがいかんかったのか!」という事とかが、それぞれの教材にしっかりとわかりやすく書かれてるわけです。
すごいじゃん、これ。
ってなもんなんですが。
でも、三宅さんという人、「この教材が良いですよ」とは言ってくれてるんだけど、「どう素晴らしいのか」にまでは、あんまり言及されてなかったんですよね。なので、軽くサラっとスルーしてしまってたわけです。
やっぱりねぇ、「良い」と書かれてるって事は、やっぱり良いのだから、キチンと受け取らないとダメですわねぇ。いやー表面だけ見てたなワシ。反省反省って感じなのです。
ということで、英語に関しては根本から学習予定の変更が起こってしまいました。このあたりは、またおいおい。
●妻との修復
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062879344/503-1393334-5299133
この本もすごく面白かった。夫婦仲がうまく行ってないご主人! 読んでごらんなさい! まぁ面白いから。
●「世逃げ」のすすめ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4413042042/503-1393334-5299133
えーと、この本もなかなか素晴らしかったです。日本人にわかりやすい口調で宗教のあり方、捉え方、活かし方をサラっと書いてくれてます。
僕的には、キリスト教の予定説を「予定説」という言葉すら使わずに上手にかみ砕いて説明できてるところに大感心しました。
勉強とかお金とか、見栄えに知名度。そういう世間のものさしとは別に、もうひとつ別のモノサシを持ちなさい、それが「心のやすらぎ=宗教」なんですよ、という事を書いておられる本です。
で、「仏のモノサシ」には目盛りがありません。天皇さんのいのちとホームレスのいのちはどっちが重いかなんて測れないし、測ってはいけないのですよ、と、こう説明されてるわけですね。
で、「仏のモノサシ」は「何だってよいものは、何だってよいのだ」という基準であり、これが「キリスト教のモノサシ」になると、おなじように目盛りはないのだけれど、「神がいかなる判断をくだされるかは、人間にはわからない」と言うことになる、という説明なんですね。
ああ、見事だ。
仏教とキリスト教の違いと実用性を、実にシンプルなたとえ話にまとめておられる。
で、この著者の「ひろさちや」さん。実は日本のお坊さんたちの事はボロクソに言うてはります。
いやまぁ、その通りなんだけどね。
ボロクソに言われてもしゃーないんよなぁ、日本の坊さんたちは。
個人的に素晴らしい僧侶さまも、いてるかも知らんけど、いろんな意味で日本の寺社仏閣はボロボロであります。「目盛りのないモノサシ」としての安心感自身がない。ようは、人の心の闇を救う能力自体が、すでにないって事ですね。
それは廃仏毀釈のせいであったり、檀家制度のためであったり、いろいろな事はあるんだけど、とにかく、日本にはまともな「機能する宗教」ってのがないんです。それが事実です。人の心の闇を救えない。救う能力と思想基盤がないんです。
だから年間3万人も自殺者が出るんですよ。
こういう状況であるにもかかわらず、そういう心のセーフティーネットが存在してないのが日本なんだ、という事を、まぁ、一般の普通の日本人は気付いてもいません。
そういう状態こそが、かなりあやうい状態なんだけど、でも気付いてないんだからしゃーないわなぁ。
そういう話であります。
うまく「世逃げ」ができてればいいんだけど、まぁたいていは無理ですわなぁ。
こういう事を言っても、わからん人には全然わからんし、トンチンカンに、お守りとか持って安心したつもりになってたりするんよなぁ。
やれやれ。
●「朝10分の習慣」で1日がぜんぶうまくいく。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4763198181/503-1393334-5299133
えーと、この本も「早起き」関係で読んだ本です。まぁまぁ面白かった。
●宇宙を味方にしてお金に愛される法則
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4877712194/503-1393334-5299133
えーと、この本は例の「引き寄せの法則」系統の本です。この手の本を読むのは、まぁ私の趣味みたいなものでして。あー、そうか無意識に、「宗教」の代わりにしてるのかも知れません。はい。
今月は当りが多かったのでうれしかった月です。読んだのは以下の9冊。いちおう、おもしろかったもの順です。
●落語の国から覗いてみれば
●偽善エコロジー
●人生は勉強より「世渡り力」だ
●いつでもやる気の英語勉強法
●毎朝1分で人生は変わる
●妻との修復
●「世逃げ」のすすめ
●「朝10分の習慣」で1日がぜんぶうまくいく。
●宇宙を味方にしてお金に愛される法則
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●落語の国から覗いてみれば
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062879476/503-1393334-5299133
今月はこれがいちばん面白かったなぁ。今年読んだ本の中でもかなりの面白さでありました。著者は、文春で「ホリイのズンズン調査」の連載を持ってる堀井 憲一郎さん。語り口が楽しい人。
で、この本では落語をベースに江戸時代の生活ってどんなものだったのかを資料や堀井さんの見識を加えつつ整理して、そこから現代をすこ〜しだけふり返るというもの。
素敵だったのは、ホリイさんが、「上方落語と江戸落語のバイリンガル」だってところですね。この手の本の著者って、どっちかの世界しか知らない事が多いんですよ。でも、両方を知っていて「この話ならこの人」とか書かれると、自分の知ってる落語家さんの評価から類推して、自分が知らない関東の落語家さんの実力まで推し量れる。それがなかなかに良いのです。
現代社会のきつさと、江戸時代の日本文化、つまりネイティブな日本の生活感というものを引き比べて「いまは辛いね」とか「昔は大変だったね」とか語る本でして、ほんとうに、実に面白いです。
また詳しいレビューとか書きたいなぁ。
●偽善エコロジー
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980808/503-1393334-5299133
これは、レビュー済み。
http://diarynote.jp/d/12917/20080729.html
かなり面白いですわね。
ぜひお読みください。
●人生は勉強より「世渡り力」だ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4413042042/503-1393334-5299133
これは、知ってる人は知ってる「痛くない注射針」を開発した町の技術者岡野雅行さんの本。
いろいろ面白かったんだけど、いちばん感心したのは、読書に関する、あるエピソードのくだり。
岡野さんは「金型」の技術屋さんで、金型をベースに「プレス」をやってる工場が生産をするわけです。まぁ、鯛焼き屋さんと、その金型屋さんみたいなもので、全然別業種なわけですよ。
で、岡野さんは金型だけでなくプレスにも手を出したかったわけです。でも、プレスの技術を知らない。で、尊敬している先輩に相談すると、「本があるじゃないか。外国のプレスの本を買って読め。」と、こう言われたわけです。
「外国の本なんて、俺に読めるわけがない」と岡野さんが言うと、「お前も職人だ、図面とかイラストとかを見てるだけでかなりわかる。見るだけでも勉強になる。」と言われたので、とても高額な「プレス便覧」という本を岡野さんは買って、20年、毎日眺めて暮らしたのだそうだ。
(引用開始)---------------------
俺は、その本を二十年間、毎日、眺めてすごした。それでプレスの基本も覚えたし、プレスの技術が奥の深いもんだって事も分った。その人がアドバイスをくれなかったら、その本と出会わなかったら、ここまで本腰を入れてプレスの技術と取り組むことはなかったかも知れない。
(引用終了)---------------------
と書かれてます。
いや、まさに「本」というものの素晴らしさを語る名エピソードなんだけど、「あ、この話って岡野さんの事だったのか!と、僕は逆の面から驚かされたのですよ。
この話を最初に知ったのは、神田昌典の「お金と英語の非常識な関係(上下)」を読んだ時でして、神田昌典は、このエピソードを引用して「あなたに英語の実力がなかろうとも、とにかくいきなり英語の書籍を”活用”したら良いのです。発想を変えましょう!」という事を書いてたわけです。
で、僕の好きな齋藤孝さんも、確か何かの本で、このエピソードを引用して、本を読むことの意義の深さを説いておられた。
でも、結局は元ネタは岡野さんだったんじゃないか! とネタバレしたって事ですね。やっぱり「世界初」とか、ガンガンにやってる人は違うわなぁって事です。
知ってるか知らないかは別にしまして、最近の携帯電話が薄くなったのも、実は岡野さんの金型技術のおかげ。リチウム電池を入れるためのケースっていうのを、一枚の板金から、深絞りというプレス加工のやり方で作ったからできたわけです。一枚の板をちょっとずつプレス機で打ち出して「継ぎ目のないケース」を作ったから、防水処理とか余分な工程が不要になって薄くできたわけ。これも世界初なんでしょう、たぶん。
日本の強さっていうのは、実はこういうところにあるんですよ。町工場がすごかったりする。
ま、面白い本でした。多分インタビューによる聞き書きなので、ちょっと内容は薄いですけどな。でも、その分読みやすいです。一日でさーっと読めてしまいました。
●いつでもやる気の英語勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/453404285X/503-1393334-5299133
今月は、英語の学習工程がガラっと変わってしまった月でして、そのきっかけになったのが、この本。
実は、この本、今年の2月には購入して、7割がた読んでたんです。ただ、読了してなかったので、ここでは紹介してなかったんですが。けっこうそういう本があるんよねぇ。途中で読むのをやめた本が。
で、じゃあ、なんで、いまごろ読了したかというと、いま、先月に引き続いて「早起き」にチャレンジ中で、その関連で、
●毎朝1分で人生は変わる
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4763198181/503-1393334-5299133
という本を読んだからなのです。
で、この本が僕的に、すごくはまった。
いや、こまかい話は書きませんけど、僕が最近いろいろ試したりしているやり方とすごく似たことを、この本の著者の三宅裕之さんは実践されてたんですよ。しかも、僕がいろいろ考えてたやり方より、はるかに洗練されたやり方で。
なので「あ、こりゃすごい」と思って読んでたのですが、そのうち、いろいろなエピソードが、どうにもどこかで聞いたような話になってきて、そこで初めて気がついたのですが、実は上記の「いつでもやる気の英語勉強法」も同じ三宅さんの著書だったわけです。
で、そう気付いたから、あわてて、「いつでもやる気」を読み返しまして、そこに紹介されてる「この教材は良かった」と書かれてた教材を実際に書店で購入して読み始めたわけです。
そしたら、もう。目ウロコ! 「ああ、そうか! こういう風に練習したら良かったんや!」というような事とか「そうか、うまくいかなかったのは、これがいかんかったのか!」という事とかが、それぞれの教材にしっかりとわかりやすく書かれてるわけです。
すごいじゃん、これ。
ってなもんなんですが。
でも、三宅さんという人、「この教材が良いですよ」とは言ってくれてるんだけど、「どう素晴らしいのか」にまでは、あんまり言及されてなかったんですよね。なので、軽くサラっとスルーしてしまってたわけです。
やっぱりねぇ、「良い」と書かれてるって事は、やっぱり良いのだから、キチンと受け取らないとダメですわねぇ。いやー表面だけ見てたなワシ。反省反省って感じなのです。
ということで、英語に関しては根本から学習予定の変更が起こってしまいました。このあたりは、またおいおい。
●妻との修復
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062879344/503-1393334-5299133
この本もすごく面白かった。夫婦仲がうまく行ってないご主人! 読んでごらんなさい! まぁ面白いから。
●「世逃げ」のすすめ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4413042042/503-1393334-5299133
えーと、この本もなかなか素晴らしかったです。日本人にわかりやすい口調で宗教のあり方、捉え方、活かし方をサラっと書いてくれてます。
僕的には、キリスト教の予定説を「予定説」という言葉すら使わずに上手にかみ砕いて説明できてるところに大感心しました。
勉強とかお金とか、見栄えに知名度。そういう世間のものさしとは別に、もうひとつ別のモノサシを持ちなさい、それが「心のやすらぎ=宗教」なんですよ、という事を書いておられる本です。
で、「仏のモノサシ」には目盛りがありません。天皇さんのいのちとホームレスのいのちはどっちが重いかなんて測れないし、測ってはいけないのですよ、と、こう説明されてるわけですね。
で、「仏のモノサシ」は「何だってよいものは、何だってよいのだ」という基準であり、これが「キリスト教のモノサシ」になると、おなじように目盛りはないのだけれど、「神がいかなる判断をくだされるかは、人間にはわからない」と言うことになる、という説明なんですね。
ああ、見事だ。
仏教とキリスト教の違いと実用性を、実にシンプルなたとえ話にまとめておられる。
で、この著者の「ひろさちや」さん。実は日本のお坊さんたちの事はボロクソに言うてはります。
いやまぁ、その通りなんだけどね。
ボロクソに言われてもしゃーないんよなぁ、日本の坊さんたちは。
個人的に素晴らしい僧侶さまも、いてるかも知らんけど、いろんな意味で日本の寺社仏閣はボロボロであります。「目盛りのないモノサシ」としての安心感自身がない。ようは、人の心の闇を救う能力自体が、すでにないって事ですね。
それは廃仏毀釈のせいであったり、檀家制度のためであったり、いろいろな事はあるんだけど、とにかく、日本にはまともな「機能する宗教」ってのがないんです。それが事実です。人の心の闇を救えない。救う能力と思想基盤がないんです。
だから年間3万人も自殺者が出るんですよ。
こういう状況であるにもかかわらず、そういう心のセーフティーネットが存在してないのが日本なんだ、という事を、まぁ、一般の普通の日本人は気付いてもいません。
そういう状態こそが、かなりあやうい状態なんだけど、でも気付いてないんだからしゃーないわなぁ。
そういう話であります。
うまく「世逃げ」ができてればいいんだけど、まぁたいていは無理ですわなぁ。
こういう事を言っても、わからん人には全然わからんし、トンチンカンに、お守りとか持って安心したつもりになってたりするんよなぁ。
やれやれ。
●「朝10分の習慣」で1日がぜんぶうまくいく。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4763198181/503-1393334-5299133
えーと、この本も「早起き」関係で読んだ本です。まぁまぁ面白かった。
●宇宙を味方にしてお金に愛される法則
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4877712194/503-1393334-5299133
えーと、この本は例の「引き寄せの法則」系統の本です。この手の本を読むのは、まぁ私の趣味みたいなものでして。あー、そうか無意識に、「宗教」の代わりにしてるのかも知れません。はい。
昨日は、ウクレレの仲間うちで練習。
9月に発表会があるのですが、もうあと4回しか練習の機会がない。その割には仕上がりが実に悪い。やばいよねぇって事になって自主トレをすることになったのであります。
僕らの自主トレは、いつもカラオケルームなのでありまして。
みんな仕事の帰りに集まるのだから、時間が自由に設定できて、軽い食事などもその場でとれるカラオケルームは、大変にありがたいのですね。
最近、どうにも先生の課題がキツイわけです。今回の曲も、いつもなら、「どんな曲がやりたいですか?」と聞いてくれて、あれをやろう、これをやろうとひとしきり話をするのだけれど、今回は数ヶ月前から、先生の方でオリジナルの総譜を用意されてて、「譜面書いたし、これをやりましょう」って感じだったのですわ。
で、これがまた、タンゴでありまして、リズムが難しい。
何が難しいって、リズムみたいな、基本的なところをキチンとやるのが一番難しいのですな。いや、ほんとに。
うちのウクレレ教室の先生は、そのリズムに実にうるさい人で、いまだに授業の最初の数分間は運指とリズムの基礎訓練をやるのです。
で、これがまた、半年単位で、ちょっとずつ難しい基礎訓練に変えていたりする。「今回からは、このチームの基礎練習はこれでいきます。」とか。常に課題を少しだけ高くしてるわけです。
いや、しかし、このやり方は実にまっとうなんですけどな。一気にやるより、少しずつちょっとずつ負荷を高める方が良い。長続きするし、長く続けた時の効果がすごいわけです。
でもまぁ、自主トレは先生がいないので、基礎練習はなし。(笑)
だって、発表会まで時間ないし。とにかく通して弾く。
で、まず最初の一回目を録音しておいたのであります。
一番下手な状態を、まず知る。
で、みんなで聞く。
「ボロボロですねぇ」って話になって。
これは実はTOEICを受けて学んだ事なのですね。
TOEICと資格試験は考え方自体が違っていて、資格試験だと「合格」しないと意味がありません。
でも、TOEICは、「現在の実力値」を指し示す「ハカリ」なわけです。減量するのに、体重計に乗る、体重計と同じ事。現実の自分の英語力を測るのに最適なモノサシなわけですね。
だから、TOEICは、いちばん成績の悪い時に受けるのがベスト。なぜなら、次に受けた時の「伸び」が楽しみだから。
という事と同じで、後の伸びが楽しいと思ったので、自主トレの頭一回目を録音しといたというわけです。
が、しかし、ほんまに、あまりにひどかった。ボロボロ。
ちゅうことで、けっこうみんな真剣に練習するようになりまして、とりあえず、個人のパートをガンガンにそれぞれに練習。
で、そのあと全員で合わせる事数回。そろそろ利用時間いっぱいになってきたので、最後の一回だけを、また録音して終了。
これをネットでHPにあげておいて、みんなで聞くという事にするわけですが、聞き直してみると、やっぱり、最初のボロボロ演奏に比べると、格段にそろってるし、まともに聞けるものになってる。
考えてみると、たかだか1時間半とかの練習時間で、これだけ合うっていうのも、先生が基礎にうるさい人だからでしょうねぇ。
多分そういう事だと思うのだ。
やっぱり基礎に勝るものはない。付け焼き刃では音楽とかをキレイに演奏するのは無理なんよなぁ。やっぱし。
ちゅうことで、多少は進歩が見られて、ちょっとほっとしている私ではありました。
9月に発表会があるのですが、もうあと4回しか練習の機会がない。その割には仕上がりが実に悪い。やばいよねぇって事になって自主トレをすることになったのであります。
僕らの自主トレは、いつもカラオケルームなのでありまして。
みんな仕事の帰りに集まるのだから、時間が自由に設定できて、軽い食事などもその場でとれるカラオケルームは、大変にありがたいのですね。
最近、どうにも先生の課題がキツイわけです。今回の曲も、いつもなら、「どんな曲がやりたいですか?」と聞いてくれて、あれをやろう、これをやろうとひとしきり話をするのだけれど、今回は数ヶ月前から、先生の方でオリジナルの総譜を用意されてて、「譜面書いたし、これをやりましょう」って感じだったのですわ。
で、これがまた、タンゴでありまして、リズムが難しい。
何が難しいって、リズムみたいな、基本的なところをキチンとやるのが一番難しいのですな。いや、ほんとに。
うちのウクレレ教室の先生は、そのリズムに実にうるさい人で、いまだに授業の最初の数分間は運指とリズムの基礎訓練をやるのです。
で、これがまた、半年単位で、ちょっとずつ難しい基礎訓練に変えていたりする。「今回からは、このチームの基礎練習はこれでいきます。」とか。常に課題を少しだけ高くしてるわけです。
いや、しかし、このやり方は実にまっとうなんですけどな。一気にやるより、少しずつちょっとずつ負荷を高める方が良い。長続きするし、長く続けた時の効果がすごいわけです。
でもまぁ、自主トレは先生がいないので、基礎練習はなし。(笑)
だって、発表会まで時間ないし。とにかく通して弾く。
で、まず最初の一回目を録音しておいたのであります。
一番下手な状態を、まず知る。
で、みんなで聞く。
「ボロボロですねぇ」って話になって。
これは実はTOEICを受けて学んだ事なのですね。
TOEICと資格試験は考え方自体が違っていて、資格試験だと「合格」しないと意味がありません。
でも、TOEICは、「現在の実力値」を指し示す「ハカリ」なわけです。減量するのに、体重計に乗る、体重計と同じ事。現実の自分の英語力を測るのに最適なモノサシなわけですね。
だから、TOEICは、いちばん成績の悪い時に受けるのがベスト。なぜなら、次に受けた時の「伸び」が楽しみだから。
という事と同じで、後の伸びが楽しいと思ったので、自主トレの頭一回目を録音しといたというわけです。
が、しかし、ほんまに、あまりにひどかった。ボロボロ。
ちゅうことで、けっこうみんな真剣に練習するようになりまして、とりあえず、個人のパートをガンガンにそれぞれに練習。
で、そのあと全員で合わせる事数回。そろそろ利用時間いっぱいになってきたので、最後の一回だけを、また録音して終了。
これをネットでHPにあげておいて、みんなで聞くという事にするわけですが、聞き直してみると、やっぱり、最初のボロボロ演奏に比べると、格段にそろってるし、まともに聞けるものになってる。
考えてみると、たかだか1時間半とかの練習時間で、これだけ合うっていうのも、先生が基礎にうるさい人だからでしょうねぇ。
多分そういう事だと思うのだ。
やっぱり基礎に勝るものはない。付け焼き刃では音楽とかをキレイに演奏するのは無理なんよなぁ。やっぱし。
ちゅうことで、多少は進歩が見られて、ちょっとほっとしている私ではありました。