歩くより遅く走る。「スロージョギング」はランニングの救世主だと思う。
2012年5月28日 読書 コメント (2)
スポーツに関しては、自転車が大好きで、いくらお手軽でも「ランニング」にだけは手を出さないぞ、と思ってきました。
というのは、実際に走ってみて、「これは体に悪い!」ということを直感的に感じ取ったからなんですね。
一時期、運動不足にならざるを得ない時期があって、なんとか短時間で運動をこなせる方法はないかと、いろいろ試していたときに、住んでいた場所の近くにランニングコースがあったのでそこを走ってみたんですが、どうにも「走る」というのは抵抗がありました。
まず第一に、アスファルトというのがおかしい。自然の地道じゃないし、こんなところを走ると言うこと自体、腰によいわけがない。
第二に、ランニングの基礎情報をいろいろ調べると「クツはしっかりと底の厚いものを」と書いてあったんですね。でも、ジョギングシューズなんて、それこそ1970年代に出てきたもので、それほど歴史があるわけでもない。
いろいろ調べてみると、ジョギングで普通に走ると、ウォーキングの7~8倍の衝撃が腰にかかり、かなりの腰の負担になることがわかったわけです。
で、第三に、これが決定的だったんですが、「走って」いたアスリートの大半が、実際に体を壊していたからなんですね。もっとも代表的なのがジョギングを流行させたジム・フィックス。この人アメリカでジョギングの大ブームを作った人ですけど、52歳でジョギング中に心臓麻痺を起こして死んでるんですよね。
その他にも、どう統計を取っているかがわからないのではっきりした事は言えないのですが、ランニング選手の8割が、なんらかの形で体を壊しているという情報も見聞きしたわけです。
とにかく、「先達がみんな体を壊している」というのが、ランニングというスポーツの偽らざる姿なんですね。
水泳選手で、60、70になっても泳いでる人というのは良く聞きますし、自転車になるともっとすごくて60になってから始めたという人が無茶苦茶に多いし、またそれが長続きしてます。
でもランニングはダメなんですね。どこかでみんな体を壊している。
最近では松村邦広がマラソンで死にかけたりしてますよね? 専門家がついていながらアレなんですよ? 危なっかしいことはなはだしい。
だから、ランニングだけは絶対にしないぞ、と思っていたんですが、テレビで表題にある「スロージョギング」の存在を知ってから、この発想がまるっきり逆になってしまったんですね。
●走る事が、人類を救う!
という気持ちにすらなっております。
というのは、この「スロージョギング」という奴が、僕が前々から「絶対に体に悪い」と感じてたジョギングの「変なところ」を、根っこから改革しているからなんですね。
まず、
●クツはなんでもいい。(足にしっかり固定さえしていれば)
ということです。
なんだそれ? と、僕はまず驚きました。着地の時の衝撃が、徒歩の8倍から9倍ですよ? なのに、なぜ「クツはなんでもいい」のか? ここからまず「なんじゃそりゃ?」が始まったわけです。
じゃ、なぜクツはなんでもいいのかというと、
●着地をカカトからではなく、つま先側からやる。
という事だからなんですね。
これが、驚天動地というか、青天の霹靂というか、「うおっ。わあああああ、それはすごいかも。」と、直感的に「ランニングの問題を根本解決しているのではないか?」という思いを抱かせたんです。
だいたい、カカトから着地するランニングフォームは、体重の衝撃を片足の一点に集中させてしまうフォームですから、これ、どう考えても体に良いわけないと感じてたわけです。
でも、これがつま先側で着地するとなるとどうなるかというと、「カカトが着地するまでに、足の筋肉全体で体を支える」という走り方にならざるを得ないわけです。
このランニングフォームの話をテレビで聞いた途端、「おお、これだ!」と感じて、試してみずにはいられなくなったわけです。
で、さっそく「スロージョギング健康法」という本を購入して、ほんの15分ですが、家の周りを走ってみました。
スロージョギング健康法 ゆっくり走るだけで、脳と体が元気になる!
By 田中 宏暁
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4023308528
すると!
これが実に良いわけです。カカトからの衝撃は全然感じない。その代わり、足の筋肉全体にかなり負荷がかかります。最初の日から数日は、足の裏やふくらはぎに、けっこうな筋肉痛を感じました。
でも、それも数日程度。すぐに足の筋肉が慣れて、ちーとも痛くなくなったんですね。
この「つま先側から着地する」走り方を「フォアフット走法」と言うのだそうですが、実際に走ってみた感覚を言えば、自転車での走りにすごく似てると僕は感じてるんですね。
自転車は腰を完全に車輪の上に載せるので、体への衝撃そのものはほとんどないんですが、足の筋肉だけは目一杯使う感じなわけです。
「フォアフット走法」も、足全体の筋肉を目一杯使う感じ。体のどこか一部だけを使っている感覚が少ない。偏った感じがないんです。そこがかなり自転車の足の動きに似ているなと感じさせます。
とくに、上記の「スロージョギング健康法」の著者である田中宏暁さんの推奨する方法だと、走るスピードを、まずは「歩く程度」あるいは「歩くより遅く」しなさいとされているんですね。
これがまた画期的です。
だって、走ってるのに、歩いてるより遅いんですぜ! なんじゃそりゃ? でしょ?
でも、これがいい。
すごくいい。
なぜか?
疲れないからです!
これがもう、全然疲れない。
疲れないのに、足の筋肉は目一杯使う。すごく運動になる。
なんだこれ? という感じなんですね。
で、この「歩く速度で走る」という走り方が良いところは、普通に歩いている人と一緒に、ぐちゃぐちゃ話しながら移動できると言う点。
つまり「散歩と共存可能」なんですね。
これがまた良いわけです。
お父さん、お母さん、奥さん、旦那さん。そういう家族と一緒に散歩に出るという感じで「走り」に出かけられる。
これがまたかなりの魅力です。
歩くスピードで走ると、それこそ散歩の楽しさがそのまま生きてくるんですね。花が咲いてたら、それを鑑賞し、楽しみつつ走るとか、そういう事がラクラクできる。
しかも、田中宏暁教授は「ニコニコペース」と呼んでらっしゃいますが、「会話できる程度のスピードで走る」というのが有酸素運動としても意味が大きいわけです。
誰か仲の良い人と、一緒に走ってもいいし、一緒に散歩してもいい。会話を楽しみつつ、風景を楽しみつつ、運動にもなる! こんな素晴らしいものはないなぁと思うわけです。
もともと散歩は大好きで「ランニングよりウォーキングでしょ」とずっと思っていたわけですけど、ここに来て、大きく発想が変わりました。どうせ外に出るなら、「ちょっとスロージョギング」という感じですね。
この走法と出会ってから約2ヶ月。いまでは、週に5~6回、40分程度は走っておりますが、せいぜい少しスピードを上げた時にちょっと汗をかく程度。しごく快適でとても気に入っておるのですね。
自転車も大好きなんですが、あれは「移動距離がとんでもなく長くなる」という特長がありまして、40分も走ったら、大阪だと大阪市の端から端まで確実に移動してしまうわけです。
ちょっと遠出したい時には、これほど便利なものもないんですが、「ちょっと運動しよう」と思うとハエを叩くのに大砲を使うというか、たいそうになりすぎてしまうんですね。
ちょっとハガキを出しに行く。ちょっと買い物に出かける。ちょっと散歩する。そういう気楽さでできるのがスロージョギングで、これだと「40分の予定だったけど、15分で戻って来ちゃった」とかもしやすいのです。近所の脇道を回って、家の近所をちょっと走るとかで充分効果があるし。
ネットでいろいろ調べてみたら、スロージョギングに関しては上記書籍の著者である田中教授がYoutubeでフォームの解説もしてくれてますし、
『 田中宏暁教授のスロージョギング講座 Part 1 』in 福岡大学
http://www.youtube.com/watch?v=f48d4kkZRGo
『 田中宏暁教授のスロージョギング講座 Part 2 』in 福岡大学
http://www.youtube.com/watch?v=lLveKzudzbQ&feature=relmfu
NHKのためしてガッテンのホームページでも紹介されています。
脳いきいきダイエット 超らくジョギング革命!
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20090610.html
スロージョギングの?に答えます
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20090805.html
で、これらの記事の中でも、僕が大きくスロージョギングに興味を持ったのは、「脳」に良い、という点でありました。
いろいろ読んでみると、ある程度のスピードで走ると海馬が太るという情報があり、認知症や統合失調症などにも良いらしいのです。
おおお、これはすごい! と思ったのですが、そのあたりは、以下の本などとともに、また別アーティクルで書くことにしましょう。
仕事に効く、脳を鍛える、スロージョギング 角川SSC新書 (角川SSC新書)
By 久保田 競, 田中 宏暁
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4047315575
バカはなおせる—脳を鍛える習慣、悪くする習慣
By 久保田 競
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4756147054
というのは、実際に走ってみて、「これは体に悪い!」ということを直感的に感じ取ったからなんですね。
一時期、運動不足にならざるを得ない時期があって、なんとか短時間で運動をこなせる方法はないかと、いろいろ試していたときに、住んでいた場所の近くにランニングコースがあったのでそこを走ってみたんですが、どうにも「走る」というのは抵抗がありました。
まず第一に、アスファルトというのがおかしい。自然の地道じゃないし、こんなところを走ると言うこと自体、腰によいわけがない。
第二に、ランニングの基礎情報をいろいろ調べると「クツはしっかりと底の厚いものを」と書いてあったんですね。でも、ジョギングシューズなんて、それこそ1970年代に出てきたもので、それほど歴史があるわけでもない。
いろいろ調べてみると、ジョギングで普通に走ると、ウォーキングの7~8倍の衝撃が腰にかかり、かなりの腰の負担になることがわかったわけです。
で、第三に、これが決定的だったんですが、「走って」いたアスリートの大半が、実際に体を壊していたからなんですね。もっとも代表的なのがジョギングを流行させたジム・フィックス。この人アメリカでジョギングの大ブームを作った人ですけど、52歳でジョギング中に心臓麻痺を起こして死んでるんですよね。
その他にも、どう統計を取っているかがわからないのではっきりした事は言えないのですが、ランニング選手の8割が、なんらかの形で体を壊しているという情報も見聞きしたわけです。
とにかく、「先達がみんな体を壊している」というのが、ランニングというスポーツの偽らざる姿なんですね。
水泳選手で、60、70になっても泳いでる人というのは良く聞きますし、自転車になるともっとすごくて60になってから始めたという人が無茶苦茶に多いし、またそれが長続きしてます。
でもランニングはダメなんですね。どこかでみんな体を壊している。
最近では松村邦広がマラソンで死にかけたりしてますよね? 専門家がついていながらアレなんですよ? 危なっかしいことはなはだしい。
だから、ランニングだけは絶対にしないぞ、と思っていたんですが、テレビで表題にある「スロージョギング」の存在を知ってから、この発想がまるっきり逆になってしまったんですね。
●走る事が、人類を救う!
という気持ちにすらなっております。
というのは、この「スロージョギング」という奴が、僕が前々から「絶対に体に悪い」と感じてたジョギングの「変なところ」を、根っこから改革しているからなんですね。
まず、
●クツはなんでもいい。(足にしっかり固定さえしていれば)
ということです。
なんだそれ? と、僕はまず驚きました。着地の時の衝撃が、徒歩の8倍から9倍ですよ? なのに、なぜ「クツはなんでもいい」のか? ここからまず「なんじゃそりゃ?」が始まったわけです。
じゃ、なぜクツはなんでもいいのかというと、
●着地をカカトからではなく、つま先側からやる。
という事だからなんですね。
これが、驚天動地というか、青天の霹靂というか、「うおっ。わあああああ、それはすごいかも。」と、直感的に「ランニングの問題を根本解決しているのではないか?」という思いを抱かせたんです。
だいたい、カカトから着地するランニングフォームは、体重の衝撃を片足の一点に集中させてしまうフォームですから、これ、どう考えても体に良いわけないと感じてたわけです。
でも、これがつま先側で着地するとなるとどうなるかというと、「カカトが着地するまでに、足の筋肉全体で体を支える」という走り方にならざるを得ないわけです。
このランニングフォームの話をテレビで聞いた途端、「おお、これだ!」と感じて、試してみずにはいられなくなったわけです。
で、さっそく「スロージョギング健康法」という本を購入して、ほんの15分ですが、家の周りを走ってみました。
スロージョギング健康法 ゆっくり走るだけで、脳と体が元気になる!
By 田中 宏暁
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4023308528
すると!
これが実に良いわけです。カカトからの衝撃は全然感じない。その代わり、足の筋肉全体にかなり負荷がかかります。最初の日から数日は、足の裏やふくらはぎに、けっこうな筋肉痛を感じました。
でも、それも数日程度。すぐに足の筋肉が慣れて、ちーとも痛くなくなったんですね。
この「つま先側から着地する」走り方を「フォアフット走法」と言うのだそうですが、実際に走ってみた感覚を言えば、自転車での走りにすごく似てると僕は感じてるんですね。
自転車は腰を完全に車輪の上に載せるので、体への衝撃そのものはほとんどないんですが、足の筋肉だけは目一杯使う感じなわけです。
「フォアフット走法」も、足全体の筋肉を目一杯使う感じ。体のどこか一部だけを使っている感覚が少ない。偏った感じがないんです。そこがかなり自転車の足の動きに似ているなと感じさせます。
とくに、上記の「スロージョギング健康法」の著者である田中宏暁さんの推奨する方法だと、走るスピードを、まずは「歩く程度」あるいは「歩くより遅く」しなさいとされているんですね。
これがまた画期的です。
だって、走ってるのに、歩いてるより遅いんですぜ! なんじゃそりゃ? でしょ?
でも、これがいい。
すごくいい。
なぜか?
疲れないからです!
これがもう、全然疲れない。
疲れないのに、足の筋肉は目一杯使う。すごく運動になる。
なんだこれ? という感じなんですね。
で、この「歩く速度で走る」という走り方が良いところは、普通に歩いている人と一緒に、ぐちゃぐちゃ話しながら移動できると言う点。
つまり「散歩と共存可能」なんですね。
これがまた良いわけです。
お父さん、お母さん、奥さん、旦那さん。そういう家族と一緒に散歩に出るという感じで「走り」に出かけられる。
これがまたかなりの魅力です。
歩くスピードで走ると、それこそ散歩の楽しさがそのまま生きてくるんですね。花が咲いてたら、それを鑑賞し、楽しみつつ走るとか、そういう事がラクラクできる。
しかも、田中宏暁教授は「ニコニコペース」と呼んでらっしゃいますが、「会話できる程度のスピードで走る」というのが有酸素運動としても意味が大きいわけです。
誰か仲の良い人と、一緒に走ってもいいし、一緒に散歩してもいい。会話を楽しみつつ、風景を楽しみつつ、運動にもなる! こんな素晴らしいものはないなぁと思うわけです。
もともと散歩は大好きで「ランニングよりウォーキングでしょ」とずっと思っていたわけですけど、ここに来て、大きく発想が変わりました。どうせ外に出るなら、「ちょっとスロージョギング」という感じですね。
この走法と出会ってから約2ヶ月。いまでは、週に5~6回、40分程度は走っておりますが、せいぜい少しスピードを上げた時にちょっと汗をかく程度。しごく快適でとても気に入っておるのですね。
自転車も大好きなんですが、あれは「移動距離がとんでもなく長くなる」という特長がありまして、40分も走ったら、大阪だと大阪市の端から端まで確実に移動してしまうわけです。
ちょっと遠出したい時には、これほど便利なものもないんですが、「ちょっと運動しよう」と思うとハエを叩くのに大砲を使うというか、たいそうになりすぎてしまうんですね。
ちょっとハガキを出しに行く。ちょっと買い物に出かける。ちょっと散歩する。そういう気楽さでできるのがスロージョギングで、これだと「40分の予定だったけど、15分で戻って来ちゃった」とかもしやすいのです。近所の脇道を回って、家の近所をちょっと走るとかで充分効果があるし。
ネットでいろいろ調べてみたら、スロージョギングに関しては上記書籍の著者である田中教授がYoutubeでフォームの解説もしてくれてますし、
『 田中宏暁教授のスロージョギング講座 Part 1 』in 福岡大学
http://www.youtube.com/watch?v=f48d4kkZRGo
『 田中宏暁教授のスロージョギング講座 Part 2 』in 福岡大学
http://www.youtube.com/watch?v=lLveKzudzbQ&feature=relmfu
NHKのためしてガッテンのホームページでも紹介されています。
脳いきいきダイエット 超らくジョギング革命!
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20090610.html
スロージョギングの?に答えます
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20090805.html
で、これらの記事の中でも、僕が大きくスロージョギングに興味を持ったのは、「脳」に良い、という点でありました。
いろいろ読んでみると、ある程度のスピードで走ると海馬が太るという情報があり、認知症や統合失調症などにも良いらしいのです。
おおお、これはすごい! と思ったのですが、そのあたりは、以下の本などとともに、また別アーティクルで書くことにしましょう。
仕事に効く、脳を鍛える、スロージョギング 角川SSC新書 (角川SSC新書)
By 久保田 競, 田中 宏暁
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4047315575
バカはなおせる—脳を鍛える習慣、悪くする習慣
By 久保田 競
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4756147054
あなたを天才にするスマートノート:岡田 斗司夫
2011年8月29日 読書
●自分自身を「検証」もできない人に、何事を成すこともできないのである。
あなたを天才にするスマートノート:岡田 斗司夫
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4163735704
権之助さんとこの日記で、ちょっと話題にしたので、ここでもキチンと紹介しておこうと思いました。岡田斗司夫の「スマートノート」。
手帳術に関しては、昔々のシステムダイアリーから、いろいろやってきたわけですが、最近はずっと「手帳に予定を書くくらいなら、行動記録をつけた方がはるかにマシ」と思うようになってきていて、結果として手帳は「行動記録台帳」になってしまってます。
いまや予定を手帳に書くという行為自体がほとんどないんですよねぇ。予定そのものはポストイットとかiPhoneのメモとかに書いておくだけ。どうせいつ予定が変わるかわからないし。手帳に書いても、まずシャープペンで書いておくだけです。
でも、行動記録はボールペンでしっかりと手帳に記録を残すんですね。あとで振り返るのに役立つので。仕事の請求にもつながりますから。手間がかかった仕事はやっぱりたくさん請求しないと話にならないですし。
で、そういう「行動記録」としてのノート活用ということを、実に上手に発想やアイディア展開にまでつなげた「ノート術」として提供してくれているのが、この「スマートノート」です。
基本はB5のノートを使うのですが、まぁそれは好みでしょう。A5とかでもやってやれなくはないと思う。
とにかく最初は一日に自分のしたことを5個書くだけ。それしかやらない。
で、それができるようになったら、今度はその5個に点数をつける。楽しかったら5点。嫌だったなぁと思ったら1点とか、そんな感じです。
その次のステップとかもいろいろ紹介されてるんですけど、とりあえず僕は、この最初の「自分が今日やった事を5つだけ記録する」という入り口のやり方を高く評価したいのですね。
なんというか、人間は、自分自身のありのままの姿を把握すると言うことが、難しいんですね。そこがなかなかできない。
で、逆に言えば、そこのところさえ把握できれば、「対処法」なんていうのは、いくらでも考えつくことができるし、考えついたら行動することもできるわけです。
ところが、自分の欠点とかダメなところとかは、いくら周りから指摘されても、自分で気づいてないと修正のしようがないわけです。
まわりからは、「もうちょっと勉強すればいいのに」と思われているのに、当人は「私は××というルールを破ってしまっていて、それがまずいのだ。」とか、自分勝手に、何かを反省したふりだけして、それで納得してるとか、そういうすれ違いが起きてしまう。
でも、実際に自分がやっていることを記帳するようにすると、何をしたら楽しいかとか、うまくいくかとか、わかってくるので、自然と良い方向に、自動的に進んでいくわけです。
人間、失敗するときというのは、実は同じ失敗を繰り返していたりするわけですよ。同じ事で叱られるとか、してませんか? みなさん。
でも、その「同じ失敗が何故起きるのか?」というのは、実は自分では、なかなか気づけないんです。
でも、行動記録を書くと、そのあたりが自然と、いつのまにか修正されていくんですね。
味見をしないコックは、いくらがんばってもおいしい料理を作ることはできないわけでして、自分の行動記録というのは、料理における味見と一緒なんです。
なので、まずは行動記録が手帳の基本。
ということで、この本をお薦めしておきます。
はい。
あなたを天才にするスマートノート:岡田 斗司夫
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4163735704
権之助さんとこの日記で、ちょっと話題にしたので、ここでもキチンと紹介しておこうと思いました。岡田斗司夫の「スマートノート」。
手帳術に関しては、昔々のシステムダイアリーから、いろいろやってきたわけですが、最近はずっと「手帳に予定を書くくらいなら、行動記録をつけた方がはるかにマシ」と思うようになってきていて、結果として手帳は「行動記録台帳」になってしまってます。
いまや予定を手帳に書くという行為自体がほとんどないんですよねぇ。予定そのものはポストイットとかiPhoneのメモとかに書いておくだけ。どうせいつ予定が変わるかわからないし。手帳に書いても、まずシャープペンで書いておくだけです。
でも、行動記録はボールペンでしっかりと手帳に記録を残すんですね。あとで振り返るのに役立つので。仕事の請求にもつながりますから。手間がかかった仕事はやっぱりたくさん請求しないと話にならないですし。
で、そういう「行動記録」としてのノート活用ということを、実に上手に発想やアイディア展開にまでつなげた「ノート術」として提供してくれているのが、この「スマートノート」です。
基本はB5のノートを使うのですが、まぁそれは好みでしょう。A5とかでもやってやれなくはないと思う。
とにかく最初は一日に自分のしたことを5個書くだけ。それしかやらない。
で、それができるようになったら、今度はその5個に点数をつける。楽しかったら5点。嫌だったなぁと思ったら1点とか、そんな感じです。
その次のステップとかもいろいろ紹介されてるんですけど、とりあえず僕は、この最初の「自分が今日やった事を5つだけ記録する」という入り口のやり方を高く評価したいのですね。
なんというか、人間は、自分自身のありのままの姿を把握すると言うことが、難しいんですね。そこがなかなかできない。
で、逆に言えば、そこのところさえ把握できれば、「対処法」なんていうのは、いくらでも考えつくことができるし、考えついたら行動することもできるわけです。
ところが、自分の欠点とかダメなところとかは、いくら周りから指摘されても、自分で気づいてないと修正のしようがないわけです。
まわりからは、「もうちょっと勉強すればいいのに」と思われているのに、当人は「私は××というルールを破ってしまっていて、それがまずいのだ。」とか、自分勝手に、何かを反省したふりだけして、それで納得してるとか、そういうすれ違いが起きてしまう。
でも、実際に自分がやっていることを記帳するようにすると、何をしたら楽しいかとか、うまくいくかとか、わかってくるので、自然と良い方向に、自動的に進んでいくわけです。
人間、失敗するときというのは、実は同じ失敗を繰り返していたりするわけですよ。同じ事で叱られるとか、してませんか? みなさん。
でも、その「同じ失敗が何故起きるのか?」というのは、実は自分では、なかなか気づけないんです。
でも、行動記録を書くと、そのあたりが自然と、いつのまにか修正されていくんですね。
味見をしないコックは、いくらがんばってもおいしい料理を作ることはできないわけでして、自分の行動記録というのは、料理における味見と一緒なんです。
なので、まずは行動記録が手帳の基本。
ということで、この本をお薦めしておきます。
はい。
マグネシウム文明論 (PHP新書)
2011年6月6日 読書
震災が起き、原発が爆発した数日後、3月の下旬には、すでにこの「マグネシウムを石油の代替エネルギーにする」という発想を、twitterのフォローしている人のtweetから見聞きはしておりまして。
いやもう、この矢部教授の話を聞いてるだけで、エネルギー問題なんぞは屁でもないのだという気になってしまってたんですが、
「いやあ、そうは言っても、どこかに穴があるに違いない」
と、半分眉唾だったんですね。
それで4月の末に、こういう新書が出ているのを知って、すぐに購入して一日で読み切ってしまいました。(で、すでにもう2~3回読み直してます。)
いやー、もう、面白くて仕方ない。
やっぱり、何回読んでも「穴」がないんだよなぁ。本当に。
で、「穴」がないよなぁということを、あのオタキングの岡田斗志夫も言ってるし、博覧強記の小飼弾も言ってる。そうなのよ、どうにも穴がない。
エネルギー問題は人類にとって大問題ですから、それこそキチンと考えている人はたくさんいて、特に日本はエネルギー資源がありませんから(本当は大嘘。地熱の資源埋蔵量は日本は世界第三位だし、風力もかなり強いから、心配ありません。ま、それはさておき。)、資源をなんとか確保しようと知恵をひねる人が、やはりちゃんといてる、と言うことです。
マグネシウムというのは、海の中に大量にあり(石油で起こすエネルギー量から類推できる可採年数は、なんと10万年です!)、そこから取り出して精錬して金属マグネシウムにしてやれば、通常の火力発電所でも燃やす事が可能なんだそうです。その重量あたりの熱量は、ガソリンの44メガジュール/kg に対して、25.5メガジュール/kg。石炭が30メガジュール/kgで木材が15メガジュール/kgですので、ほとんど石炭並みの熱量を得られるわけです。
しかも、マグネシウムは燃やしてもCO2を発生しないそうです。出るのは「酸化マグネシウム」という白い灰だけ。
で、矢部教授がすごいのは、ここからでして、この白い酸化マグネシウムを、再び精錬して、マグネシウムにしてやれば、循環エネルギーのサイクルが作れる、と言っておられます。
ただ、現在のマグネシウム精錬の方法は、ものすごい電圧をかけて精製する方法と、石炭10トンを使ってマグネシウム1トンを作る方法と2つしかなくて、だからそれでは意味がないわけです。
その基本問題を矢部教授は「太陽光励起レーザー」によって解消しようとされてるわけで、すでにそのレーザーの試作品はできていて、かなりの効率で太陽エネルギーをレーザーに変換しているのですね。
この実用化の道筋が、ほぼ見えているというところがまたすごい。
結局、エネルギー問題をある程度考えたことのある人なら、最終的に人類のエネルギー源は「太陽」にするしかないのだ、ということは、分かっていることでして、あとは取り出し方の問題だけ。
いまもっとも実用的なのは、やっぱり太陽電池でして、昼間の暑い日、あるいは空気の澄んだ秋口、春先などは、かなりのエネルギー量が確保できます。しかも無料で! しかも永遠に!
アホで科学知識のない人は、すぐに「太陽電池はコストが」とかいいますけど、太陽電池なんて、まさに半導体そのもの、それもかなりシンプルなPN型の半導体と言って良いものなわけですから、大量生産すればコストは劇的に下がる可能性がものすごく高い。
パソコンのCPUを見てみなさいっちゅうことですね。あんなもの太陽電池よりのはるかに複雑な構造のチップを「光印刷」というような技術で大量生産してるわけです。工場を造るのにはカネはかかりますが、大量生産すればコストはガックーンと落ちます。
で、変換効率がせいぜい15%だからダメとか言うバカも多いのですが、ガソリン車のエネルギー効率なんて8%から18%の間ですぜ? 旦那。 実用性がありゃ、別に効率なんざどうでもいいのさ。あほか。(ちなみに、すでに変換効率40%の太陽電池はドイツ・アメリカでは開発されてます。日本、遅れを取ってたらアカンで!)
変換効率は15%で良いから、どんどん普及させて価格を下げることの方がはるかに重要な局面に入っているのが太陽電池の技術なんですね。だから、科学知識と経済と生活と、全部をひっくるめて考えれば太陽電池を石油と組み合わせて使うというのが、現状ではやはりかなり正しい。(あ、あとベース電力としての風力も必須。)
ただし。
どうしようもない問題は、「電気は保存できない」と言う問題でして、太陽電池は、ここが弱い。
で、だからこそ、この矢部教授の太陽光励起レーザーによる太陽エネルギーの活用方法は意味が大きいのですね。矢部教授の、この精錬の方法なら、太陽エネルギーを「持ち運びの出来る物質」に変換できる、ということなんです。
これは、おそろしく画期的な事なんですよ。太陽エネルギー活用における最重要問題である、「夜の時間をどうすんねん問題」を、根本から解決してしまってるんです。すごい。画期的。
ちなみに、すでにマグネシウムを電池に活用する技術というのも、どんどん開発されていて、マグネシウム空気電池というのが注目されてます。
このマグネシウム空気電池は、電気自動車の燃料としても、かな可能性が高い。マグネシウム空気電池がすごいのは、「充電時間が不要」って事です。コンビニで乾電池を買うようにマグネシウム空気電池を買うと言うことができる。(多分、使い終わった電池と交換で。)
リチウム電池でもそれは可能だろう、と簡単に考えがちなんですが、誰かが充電しなければならないというのは同じ事ですし、なにより重さに対して得られるエネルギー量が違う。
リチウム電池とマグネシウム空気電池のエネルギー密度の違いは、なんと7.5倍です。同じ1キロの電池があれば、マグネシウムが7.5倍長く走れるということになります。
いまのリチウム電池による電気自動車がフル充電で、100km程度。これなら、都市部で街乗りに使うのなら、まぁ充分ですが、「街乗り」程度なら自転車と路面電車に負けます。自動車はこれからは、都市間交通の道具として使えないと意味がないんですね。でも、マグネシウム空気電池なら大丈夫。単純計算しても700キロくらいは走れますから、東京大阪間を1回の電池で余裕で走りきれるわけです。
ちなみに、現在のガソリン車の一回の給油で走れる距離は約200km程度。東京大阪間で、一回給油が必要です。
もひとつ言うならタクシーは天然ガスを使っていて、一回の給油で500km近いので、東京大阪間は無給油で走れます。
これ、けっこう重要な話。
このあたりの車の話は、まずキチンと考えておかないといけないのですが、とにかく車は、もう電気自動車が絶対です。分かってる人は、これも必ず言いますが、電気供給媒体が何になるかは確定していないけれども、自動車は必ず電気自動車になります。
なぜなら、ガソリン車だと上記でも書いたようにエネルギー効率が8-18%程度で、ほとんどがギアやらシャフトやらシフトやらの「摩擦」で消えていってしまうからです。
電気自動車だと、発電所(火力でも原発でもなんでも良いですが)からの送電ロスや充電池によるロスを勘案しても、元の重油からのエネルギー効率は30%以上になるんですね。だから自動車は電気自動車です。
ちなみに、電気自動車なら、慶應義塾大学教授の清水浩さんが作った「エリーカ」を知らないでどうのこうの言う人は、話にならないので勉強してから考えるように。
摩擦を減らすためにタイヤの中にモーターを入れて、6輪とか8輪で車を動かす。ものすごくエネルギー効率の良い車でして、これなら現在のリチウム電池でも航続距離は楽々300km。しかも、最高時速370km。その上、加速はモーターなので、常に最適回転数が出せ、8輪で安定しているから乗り心地も抜群だそうです。
どうですか、これ。ガソリン車なんて話にならないでしょうが?
(日経ビジネスオンラインがアホでして、「原発がダメになったから電気自動車にもかげりが見える」みたいなパァーな記事を書いてる。本当に程度が低いよなぁ、あそこは。まぁ5大紙系列は、基本的に記者クラブメディアなので程度が低いのは仕方ないのですが。)
もしエリーカにマグネシウム空気電池が載ったら、計算上では、一回の給電で本州の端から端まで移動することも可能ということになってしまう。あああ、ものすごいなぁ、これは。
しかも、このマグネシウム文明論の矢部教授のすごいところは、「海水からマグネシウムを取り出せば、残るのは真水であり、人類の水不足問題も解決できてしまう。」としている事。
ひとつの技術で、他の問題も一気に解決してしまってるのがすごい。
いや、その上、この人、その「海水からマグネシウムを取り出す仕組み」まで、作り出していて、しかもそれは「海水淡水化プラント」として事業化までしていて、すでに海外からプラント発注をたくさんうけているというところ。どっひゃーっていう話です。
で、ここまですごい事がなんで話題にならんのかなぁと思ってたんですが、上記の新書を読んでいて、以下の文章があるのを発見して「そりゃ話題にはならんわな」と納得したのです。
いわく、
●マグネシウム循環社会のビジョンを実現するために必要なのは、国からの補助金ではありません。経済的合理性が成り立っていることこそが、なにより重要です。
ということ。
つまり、必要としている人に必要としている技術を提供していけば、必然的に定着するから、マスコミだの何だのでやたら声高にアピールする必要もない、ということなわけです。
ああ、すごい。
これは本物だなぁって思う。
「海水淡水化プラント」は、あくまで「真水」の確保が目的ですから、エネルギーの話にまではなかなか広がりませんわね。でも、ちゃんと稼ぎながら、次のステップの資金やら研究情報などが、どんどんたまっていってるわけです。
肝心の太陽光励起レーザーによるマグネシウム精錬工場は、まだ出来てませんが、この本を読む限り、実現の度合いはかなり高そうで、しかも、マグネシウムは、いまや加工素材としてもニーズが高いから「マグネシウムを燃料として使う」以前に「材料」として売れるんですね。だから、研究開発の過程そのものが、普通に商売として成り立つ、というところがすごいのです。
そうやって太陽光レーザーで精錬をやれば、いままで電気というエネルギーによる力ずくでやってた金属精錬が、自然エネルギーを使った画期的な廉価技術になってしまうわけです。そら、金属が安くなりますよ。
もしマグネシウムがキロあたり円を切れば、石油とも充分競争力のあるエネルギーになるそうですから、ものすごく楽しみです。
このあたり、本当に日本の科学者でマジメにやってる人は、とんでもなくすごい人たちばかりで、この矢部教授もそうだし、上記のエリーカの清水さんもすごい。
これに加えて、オーランチオキトリウムという「身体の中に石油と同じ成分である炭化水素を作る能力がとても高い藻」を発見した、筑波大学大学院生命環境科学研究科の渡邉信教授なんて人もいてます。
このオーランチオキトリウムも画期的なようなので、これももうちょっと調べたいと思ってるんですが、概略、オーランチオキトリウムがあれば、日本が産油国になるということも夢ではない、ということのようですからねぇ。いや、すごい。
今年の夏は、日本全体が「節電だ」「電力不足だ」みたいな、アホな論議でわーわー言うのは、もう目に見えてるんですが、そういう低脳な論議をするヒマがあったら、ぜひとも、ここに紹介した3教授の話をじっくり聞いてみるべきだと思いますねぇ。
こういう視点もなしに、原発がどうたらこうたら言うてもしゃーないやろが。基本をしっかり見据えなさいよ、と言う気がして仕方ないです。はい。
ともあれ、「マグネシウム文明論」は、2011年の日本において、ぜひとも読まねばらならない、必須課題図書であります。
いやもう、この矢部教授の話を聞いてるだけで、エネルギー問題なんぞは屁でもないのだという気になってしまってたんですが、
「いやあ、そうは言っても、どこかに穴があるに違いない」
と、半分眉唾だったんですね。
それで4月の末に、こういう新書が出ているのを知って、すぐに購入して一日で読み切ってしまいました。(で、すでにもう2~3回読み直してます。)
いやー、もう、面白くて仕方ない。
やっぱり、何回読んでも「穴」がないんだよなぁ。本当に。
で、「穴」がないよなぁということを、あのオタキングの岡田斗志夫も言ってるし、博覧強記の小飼弾も言ってる。そうなのよ、どうにも穴がない。
エネルギー問題は人類にとって大問題ですから、それこそキチンと考えている人はたくさんいて、特に日本はエネルギー資源がありませんから(本当は大嘘。地熱の資源埋蔵量は日本は世界第三位だし、風力もかなり強いから、心配ありません。ま、それはさておき。)、資源をなんとか確保しようと知恵をひねる人が、やはりちゃんといてる、と言うことです。
マグネシウムというのは、海の中に大量にあり(石油で起こすエネルギー量から類推できる可採年数は、なんと10万年です!)、そこから取り出して精錬して金属マグネシウムにしてやれば、通常の火力発電所でも燃やす事が可能なんだそうです。その重量あたりの熱量は、ガソリンの44メガジュール/kg に対して、25.5メガジュール/kg。石炭が30メガジュール/kgで木材が15メガジュール/kgですので、ほとんど石炭並みの熱量を得られるわけです。
しかも、マグネシウムは燃やしてもCO2を発生しないそうです。出るのは「酸化マグネシウム」という白い灰だけ。
で、矢部教授がすごいのは、ここからでして、この白い酸化マグネシウムを、再び精錬して、マグネシウムにしてやれば、循環エネルギーのサイクルが作れる、と言っておられます。
ただ、現在のマグネシウム精錬の方法は、ものすごい電圧をかけて精製する方法と、石炭10トンを使ってマグネシウム1トンを作る方法と2つしかなくて、だからそれでは意味がないわけです。
その基本問題を矢部教授は「太陽光励起レーザー」によって解消しようとされてるわけで、すでにそのレーザーの試作品はできていて、かなりの効率で太陽エネルギーをレーザーに変換しているのですね。
この実用化の道筋が、ほぼ見えているというところがまたすごい。
結局、エネルギー問題をある程度考えたことのある人なら、最終的に人類のエネルギー源は「太陽」にするしかないのだ、ということは、分かっていることでして、あとは取り出し方の問題だけ。
いまもっとも実用的なのは、やっぱり太陽電池でして、昼間の暑い日、あるいは空気の澄んだ秋口、春先などは、かなりのエネルギー量が確保できます。しかも無料で! しかも永遠に!
アホで科学知識のない人は、すぐに「太陽電池はコストが」とかいいますけど、太陽電池なんて、まさに半導体そのもの、それもかなりシンプルなPN型の半導体と言って良いものなわけですから、大量生産すればコストは劇的に下がる可能性がものすごく高い。
パソコンのCPUを見てみなさいっちゅうことですね。あんなもの太陽電池よりのはるかに複雑な構造のチップを「光印刷」というような技術で大量生産してるわけです。工場を造るのにはカネはかかりますが、大量生産すればコストはガックーンと落ちます。
で、変換効率がせいぜい15%だからダメとか言うバカも多いのですが、ガソリン車のエネルギー効率なんて8%から18%の間ですぜ? 旦那。 実用性がありゃ、別に効率なんざどうでもいいのさ。あほか。(ちなみに、すでに変換効率40%の太陽電池はドイツ・アメリカでは開発されてます。日本、遅れを取ってたらアカンで!)
変換効率は15%で良いから、どんどん普及させて価格を下げることの方がはるかに重要な局面に入っているのが太陽電池の技術なんですね。だから、科学知識と経済と生活と、全部をひっくるめて考えれば太陽電池を石油と組み合わせて使うというのが、現状ではやはりかなり正しい。(あ、あとベース電力としての風力も必須。)
ただし。
どうしようもない問題は、「電気は保存できない」と言う問題でして、太陽電池は、ここが弱い。
で、だからこそ、この矢部教授の太陽光励起レーザーによる太陽エネルギーの活用方法は意味が大きいのですね。矢部教授の、この精錬の方法なら、太陽エネルギーを「持ち運びの出来る物質」に変換できる、ということなんです。
これは、おそろしく画期的な事なんですよ。太陽エネルギー活用における最重要問題である、「夜の時間をどうすんねん問題」を、根本から解決してしまってるんです。すごい。画期的。
ちなみに、すでにマグネシウムを電池に活用する技術というのも、どんどん開発されていて、マグネシウム空気電池というのが注目されてます。
このマグネシウム空気電池は、電気自動車の燃料としても、かな可能性が高い。マグネシウム空気電池がすごいのは、「充電時間が不要」って事です。コンビニで乾電池を買うようにマグネシウム空気電池を買うと言うことができる。(多分、使い終わった電池と交換で。)
リチウム電池でもそれは可能だろう、と簡単に考えがちなんですが、誰かが充電しなければならないというのは同じ事ですし、なにより重さに対して得られるエネルギー量が違う。
リチウム電池とマグネシウム空気電池のエネルギー密度の違いは、なんと7.5倍です。同じ1キロの電池があれば、マグネシウムが7.5倍長く走れるということになります。
いまのリチウム電池による電気自動車がフル充電で、100km程度。これなら、都市部で街乗りに使うのなら、まぁ充分ですが、「街乗り」程度なら自転車と路面電車に負けます。自動車はこれからは、都市間交通の道具として使えないと意味がないんですね。でも、マグネシウム空気電池なら大丈夫。単純計算しても700キロくらいは走れますから、東京大阪間を1回の電池で余裕で走りきれるわけです。
ちなみに、現在のガソリン車の一回の給油で走れる距離は約200km程度。東京大阪間で、一回給油が必要です。
もひとつ言うならタクシーは天然ガスを使っていて、一回の給油で500km近いので、東京大阪間は無給油で走れます。
これ、けっこう重要な話。
このあたりの車の話は、まずキチンと考えておかないといけないのですが、とにかく車は、もう電気自動車が絶対です。分かってる人は、これも必ず言いますが、電気供給媒体が何になるかは確定していないけれども、自動車は必ず電気自動車になります。
なぜなら、ガソリン車だと上記でも書いたようにエネルギー効率が8-18%程度で、ほとんどがギアやらシャフトやらシフトやらの「摩擦」で消えていってしまうからです。
電気自動車だと、発電所(火力でも原発でもなんでも良いですが)からの送電ロスや充電池によるロスを勘案しても、元の重油からのエネルギー効率は30%以上になるんですね。だから自動車は電気自動車です。
ちなみに、電気自動車なら、慶應義塾大学教授の清水浩さんが作った「エリーカ」を知らないでどうのこうの言う人は、話にならないので勉強してから考えるように。
摩擦を減らすためにタイヤの中にモーターを入れて、6輪とか8輪で車を動かす。ものすごくエネルギー効率の良い車でして、これなら現在のリチウム電池でも航続距離は楽々300km。しかも、最高時速370km。その上、加速はモーターなので、常に最適回転数が出せ、8輪で安定しているから乗り心地も抜群だそうです。
どうですか、これ。ガソリン車なんて話にならないでしょうが?
(日経ビジネスオンラインがアホでして、「原発がダメになったから電気自動車にもかげりが見える」みたいなパァーな記事を書いてる。本当に程度が低いよなぁ、あそこは。まぁ5大紙系列は、基本的に記者クラブメディアなので程度が低いのは仕方ないのですが。)
もしエリーカにマグネシウム空気電池が載ったら、計算上では、一回の給電で本州の端から端まで移動することも可能ということになってしまう。あああ、ものすごいなぁ、これは。
しかも、このマグネシウム文明論の矢部教授のすごいところは、「海水からマグネシウムを取り出せば、残るのは真水であり、人類の水不足問題も解決できてしまう。」としている事。
ひとつの技術で、他の問題も一気に解決してしまってるのがすごい。
いや、その上、この人、その「海水からマグネシウムを取り出す仕組み」まで、作り出していて、しかもそれは「海水淡水化プラント」として事業化までしていて、すでに海外からプラント発注をたくさんうけているというところ。どっひゃーっていう話です。
で、ここまですごい事がなんで話題にならんのかなぁと思ってたんですが、上記の新書を読んでいて、以下の文章があるのを発見して「そりゃ話題にはならんわな」と納得したのです。
いわく、
●マグネシウム循環社会のビジョンを実現するために必要なのは、国からの補助金ではありません。経済的合理性が成り立っていることこそが、なにより重要です。
ということ。
つまり、必要としている人に必要としている技術を提供していけば、必然的に定着するから、マスコミだの何だのでやたら声高にアピールする必要もない、ということなわけです。
ああ、すごい。
これは本物だなぁって思う。
「海水淡水化プラント」は、あくまで「真水」の確保が目的ですから、エネルギーの話にまではなかなか広がりませんわね。でも、ちゃんと稼ぎながら、次のステップの資金やら研究情報などが、どんどんたまっていってるわけです。
肝心の太陽光励起レーザーによるマグネシウム精錬工場は、まだ出来てませんが、この本を読む限り、実現の度合いはかなり高そうで、しかも、マグネシウムは、いまや加工素材としてもニーズが高いから「マグネシウムを燃料として使う」以前に「材料」として売れるんですね。だから、研究開発の過程そのものが、普通に商売として成り立つ、というところがすごいのです。
そうやって太陽光レーザーで精錬をやれば、いままで電気というエネルギーによる力ずくでやってた金属精錬が、自然エネルギーを使った画期的な廉価技術になってしまうわけです。そら、金属が安くなりますよ。
もしマグネシウムがキロあたり円を切れば、石油とも充分競争力のあるエネルギーになるそうですから、ものすごく楽しみです。
このあたり、本当に日本の科学者でマジメにやってる人は、とんでもなくすごい人たちばかりで、この矢部教授もそうだし、上記のエリーカの清水さんもすごい。
これに加えて、オーランチオキトリウムという「身体の中に石油と同じ成分である炭化水素を作る能力がとても高い藻」を発見した、筑波大学大学院生命環境科学研究科の渡邉信教授なんて人もいてます。
このオーランチオキトリウムも画期的なようなので、これももうちょっと調べたいと思ってるんですが、概略、オーランチオキトリウムがあれば、日本が産油国になるということも夢ではない、ということのようですからねぇ。いや、すごい。
今年の夏は、日本全体が「節電だ」「電力不足だ」みたいな、アホな論議でわーわー言うのは、もう目に見えてるんですが、そういう低脳な論議をするヒマがあったら、ぜひとも、ここに紹介した3教授の話をじっくり聞いてみるべきだと思いますねぇ。
こういう視点もなしに、原発がどうたらこうたら言うてもしゃーないやろが。基本をしっかり見据えなさいよ、と言う気がして仕方ないです。はい。
ともあれ、「マグネシウム文明論」は、2011年の日本において、ぜひとも読まねばらならない、必須課題図書であります。
エコノミスト 2011年 5/24号 [雑誌]
2011年5月28日 読書 コメント (1)
自然エネルギーに関する現状が実に詳しく書かれてます。
おすすめ。
基本的に、エネルギーの未来は前途洋々なんだけどなぁ。だから実は原発はどっちでもいいわけです。
でも、エネルギーっていうのは、もう昔から「利権」として政治の道具にどうしてもなるし、そうなりやすい形態の方が好まれるから、権力者のためのものになりがちなんですよねぇ。
だいたい電気だって、最初は家庭用の発電機とか、そういうのから始まっていたのに「火事が危ない」だのなんだのということが理由になって発電所から各家庭の一括で送るような形になって発展していったわけです。
政治がからんで、利権にならないと社会に定着しないという、実にやっかいな問題があります。
自然エネルギーは、誰もメリットのある素晴らしいものなんですけど、「特定の誰かが得をして、そのことを使って社会を支配する道具として使える」ものにはなりにくいのですよね。あまりに開かれたエネルギーだから。
自然エネルギーは利権にならんって事。ここが自然エネルギーのもっとも弱い点だろうと思います。
こればっかりは、一般民衆ががんばるしかないんやけど…。道は遠いなぁ。
おすすめ。
基本的に、エネルギーの未来は前途洋々なんだけどなぁ。だから実は原発はどっちでもいいわけです。
でも、エネルギーっていうのは、もう昔から「利権」として政治の道具にどうしてもなるし、そうなりやすい形態の方が好まれるから、権力者のためのものになりがちなんですよねぇ。
だいたい電気だって、最初は家庭用の発電機とか、そういうのから始まっていたのに「火事が危ない」だのなんだのということが理由になって発電所から各家庭の一括で送るような形になって発展していったわけです。
政治がからんで、利権にならないと社会に定着しないという、実にやっかいな問題があります。
自然エネルギーは、誰もメリットのある素晴らしいものなんですけど、「特定の誰かが得をして、そのことを使って社会を支配する道具として使える」ものにはなりにくいのですよね。あまりに開かれたエネルギーだから。
自然エネルギーは利権にならんって事。ここが自然エネルギーのもっとも弱い点だろうと思います。
こればっかりは、一般民衆ががんばるしかないんやけど…。道は遠いなぁ。
1分間自己革命―自分を大切に生きる心のトレーニング
2010年8月27日 読書
まえに紹介したはずだと思っていたのですが、検索してみると、どうもキチンと紹介した頁が出てこないので、こんなに大事に思っている本なのに、紹介しそこねているようです。なので、ちゃんと紹介しようと思います。
1分間自己革命―自分を大切に生きる心のトレーニング
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4478730350
です。
初版が1986年。もう25年も前の古い本です。
今年は、年初から少し読書量を増やそうと思っていて7月までで70冊くらい読んだのですが、そういう読み飛ばす感覚とは別に、じっくり味わいながら再読するという事もしようと思って、もう、何度も読んでいるこの本を、また読み直しました。
自己啓発書の類は、それこそ何冊も読んでいるんですが、とどのつまりは、この本に帰ってくるなぁとしみじみ思います。結局、この本を越えてる自己啓発書には、いまのところ出会っていない、というのが本当のところです。
内容は、ストーリー仕立てになっていて、人生をより良く生きたいと考えたひとりの男が、人生の師として、身近なところで幸せそうに暮らしている「おじさん」にその秘訣を聞きに行く、というものになっています。
一冊を通して語られているのは、気ぜわしい毎日でも、意識して立ち止まり、判断を停止して「自分のための1分間」をとりなさい、ということです。
たった1分間でいい。
そのほんの少しの「自分のための1分間」で、「いますぐ自分のために実践できる、もっとも単純な事はなんだろう?」と自分に問いかけ、それを行う、ということをやりなさいと勧めているのですね。
なんでもない事のように感じられるかも知れませんが、これはとても効果的です。
簡単に言えば、禅で行う内観を、日常でも活用しましょうという事ですね。あるいは、瞑想の簡易版を1分間に限定して、一日に何度もやってみてはどうですか? という提案でしょう。
しかし、そういう技法は、あくまで技法であって、この本が良いのは、その技法がなぜ効果的で、人生に大きな影響を与えるのか? という事を、シンプルな言葉でまとめてあることです。なぜ「自分のための1分間を取ると良いのか?」ということが、ていねいに描かれているところが、無理なくテーマが染みこんでくるポイントだと思います。
たとえば、ストーリーに沿って、大切なポイントが太書きで示されるのですが、それはこんな感じ。
============================
まず自分自身を大切にしなければ、
どんなことも、また何人をも
大切にすることはできない。
============================
考えてみれば当たり前なんですけれども、単純ではあるけれど、物事の本質を突いたひと言です。
あるいは、こんな感じ。
============================
ほかの人々に
自分をこう扱ってほしいと思うように、
自分自身のことも扱う。
============================
このひと言も、どうと言うことはないように見えますが、「お客さまをもてなすように自分を扱う」ではなく、「他者から、自分をこう扱って欲しいと思うように、自分を扱う」であるところがすごく重要なんです。
「お客さまを扱うように自分を扱う」だと、自分を他人扱いしてるわけだから、自己疎外が始まってしまうんですよね。そうではなくて、「他の人から、こういうように扱ってもらったらうれしいよなぁ。」という自分の希望を、自分の手で、自分に対して行う、ということが大事なわけです。
先日書いた日記、
ひとり暮らしと自己責任。
http://hitoyomi.diarynote.jp/201008101717005209/
とも内容は重なりますが、このあたりは同じですね。いつもきれいな下着があったら気持ちいいな、と思って洗濯をするというのと同じ事です。そこに自分自身への「ケア」があるということが大事なんですね。自分への「ケア」を自分でやる、ということです。
こういう事の大切さは、ひとり暮らしをしないと、なかなか身に付かない部分も大きいのですが、ひとり暮らしをしていなくても、
一日に何度も「自分のための1分間」を取る。
と言うことをしていれば、ひとり暮らしをしているのに近い効果はあるはずです。
大事なことは、その「自分のための1分間」を取ってから後の行動は、何をしたにせよ、自分自身に「充足」をもたらす、ということなんですね。
満ち足りる。
自己充足があるから、他者との関係においても、多くを期待せず、相手の状況をそのまま受け入れる余裕が出てくるという流れなのです。
その流れを、自分から生み出すことが出来る、ということなんですね。
これは、まだまだ僕にはできていない事ですが、
============================
1分間で自分の態度は変えられる。
しかも、この1分間で、
自分の一日の全てを変えられる。
============================
という事も、この本には入っています。イライラしたら、自分のための1分間を取って、悪い考え方に凝り固まっていないかを自己チェックする、という事なんですね。そして、良い考え方に入れ替える。
まぁ、これは1分間ではなかなかできないと思いますが、それでも、その変更を1分間くらい試してみるのは悪くはないはずです。たった1分なんですから。
1分というのは、短いようでいて、意外と使いでのある、有用な時間単位なんですよね。
それを知る、というだけでも、かなり重要な事です。
その1分間を「自分自身の叡智に問いかける」ために使う。
それだけで、かなり結果の異なる人生が生まれてくるんです。
だから、1日に何度も、「自分のための1分間」をとりなさい、と言う結論になってくるわけです。
人は、いつのまにか、自分ではない、「世間の風潮」や、「世の流れ」のためにかけずり回っていたりするんです。
でも、そんなあなたの人生は、いったい誰のための人生ですか?
世間のためのもの? 家族のためのもの? 人類社会のためのもの?
そのどれもが正解でしょうけれど、まず最初は「自分自身のためのもの」から始めないと始まらないんです。
自分が不幸せで、不機嫌になってる人の話は、結局誰も聞いてくれはしないものなのです。
だからこの本では、自分が充足したら、身の回りの人にも、「まず自分を大切にする態度を身につけてもらうようにしましょう。」という提案をしています。
============================
ほかの人たちが自分のことを大切にすれば、
彼ら自身が幸せになるだけでなく、
わたしも幸せになる。
============================
ということなんです。
単純に言って、身の回りにいてる、「不機嫌な人間」がひとりでも減れば、それは自分にとってもありがたい事だ、ということなんですね。
で、その人の不機嫌は、その人自身で解決してもらうしかないわけですから。
このあと、この本には、「愛されることよりも愛する事を優先しよう」とか、「良い人間関係は、自分を大切にしている人間同士の間で生まれる」というような話に進展していきますし、そういう「お互いを大切に生きる」生き方が、広く社会に広がる事を望む話にもつながっていくのですが、まぁ、このあたりは、かなり高度な話なので、僕にはまだまだ実感できません。(だからこそ、何度も読んでるわけですが。)
それでも、やっぱり、ひとりひとりが、まず最初に何をすべきか?というと、とどのつまりは、
「自分自身のための1分間を取る」
というところに戻るんですね。
すべては、そこからしか始まらないわけです。やっぱり。
とにかく、まず自分自身の叡智に問いかける。
「いますぐできることで、私自身を大切にできる事は何だろうか?」と。
その答えこそが、次の1分間にするべきことなんです。
この自己の内観的態度を忘れていると、人間はいつのまにか、「社会的うわべ」だけのために働くロボットのようになってしまい、不機嫌でやる気の出ない、つまらない毎日がやってきてしまうわけです。
そういうようなことで、僕は、この本を、ことあるごとに読み返してます。通読したのは数回ですけど、お気に入りの部分は、それこそ何度も読み直しているんですね。とくに、この1~2年は。
「やっぱり名著だよなぁ」と、しみじみ思います。
とても良い本です。
もう絶版のようで、アマゾンのマーケットプレイス(古本取り次ぎサービス)とかでしか手に入らないようですし、値段も中古取り扱いで50円とかの投げ売り価格と、コレクター商品扱いでの1980円とかの、とんでもない混在になってしまっている本ですが、興味のある方はぜひ。
僕にとっては、フリーランスのライターとして仕事をすることになったきっかけを作ってくれた本でもあるので、とても思い出深い本なのです。
おすすめです。
1分間自己革命―自分を大切に生きる心のトレーニング
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4478730350
です。
初版が1986年。もう25年も前の古い本です。
今年は、年初から少し読書量を増やそうと思っていて7月までで70冊くらい読んだのですが、そういう読み飛ばす感覚とは別に、じっくり味わいながら再読するという事もしようと思って、もう、何度も読んでいるこの本を、また読み直しました。
自己啓発書の類は、それこそ何冊も読んでいるんですが、とどのつまりは、この本に帰ってくるなぁとしみじみ思います。結局、この本を越えてる自己啓発書には、いまのところ出会っていない、というのが本当のところです。
内容は、ストーリー仕立てになっていて、人生をより良く生きたいと考えたひとりの男が、人生の師として、身近なところで幸せそうに暮らしている「おじさん」にその秘訣を聞きに行く、というものになっています。
一冊を通して語られているのは、気ぜわしい毎日でも、意識して立ち止まり、判断を停止して「自分のための1分間」をとりなさい、ということです。
たった1分間でいい。
そのほんの少しの「自分のための1分間」で、「いますぐ自分のために実践できる、もっとも単純な事はなんだろう?」と自分に問いかけ、それを行う、ということをやりなさいと勧めているのですね。
なんでもない事のように感じられるかも知れませんが、これはとても効果的です。
簡単に言えば、禅で行う内観を、日常でも活用しましょうという事ですね。あるいは、瞑想の簡易版を1分間に限定して、一日に何度もやってみてはどうですか? という提案でしょう。
しかし、そういう技法は、あくまで技法であって、この本が良いのは、その技法がなぜ効果的で、人生に大きな影響を与えるのか? という事を、シンプルな言葉でまとめてあることです。なぜ「自分のための1分間を取ると良いのか?」ということが、ていねいに描かれているところが、無理なくテーマが染みこんでくるポイントだと思います。
たとえば、ストーリーに沿って、大切なポイントが太書きで示されるのですが、それはこんな感じ。
============================
まず自分自身を大切にしなければ、
どんなことも、また何人をも
大切にすることはできない。
============================
考えてみれば当たり前なんですけれども、単純ではあるけれど、物事の本質を突いたひと言です。
あるいは、こんな感じ。
============================
ほかの人々に
自分をこう扱ってほしいと思うように、
自分自身のことも扱う。
============================
このひと言も、どうと言うことはないように見えますが、「お客さまをもてなすように自分を扱う」ではなく、「他者から、自分をこう扱って欲しいと思うように、自分を扱う」であるところがすごく重要なんです。
「お客さまを扱うように自分を扱う」だと、自分を他人扱いしてるわけだから、自己疎外が始まってしまうんですよね。そうではなくて、「他の人から、こういうように扱ってもらったらうれしいよなぁ。」という自分の希望を、自分の手で、自分に対して行う、ということが大事なわけです。
先日書いた日記、
ひとり暮らしと自己責任。
http://hitoyomi.diarynote.jp/201008101717005209/
とも内容は重なりますが、このあたりは同じですね。いつもきれいな下着があったら気持ちいいな、と思って洗濯をするというのと同じ事です。そこに自分自身への「ケア」があるということが大事なんですね。自分への「ケア」を自分でやる、ということです。
こういう事の大切さは、ひとり暮らしをしないと、なかなか身に付かない部分も大きいのですが、ひとり暮らしをしていなくても、
一日に何度も「自分のための1分間」を取る。
と言うことをしていれば、ひとり暮らしをしているのに近い効果はあるはずです。
大事なことは、その「自分のための1分間」を取ってから後の行動は、何をしたにせよ、自分自身に「充足」をもたらす、ということなんですね。
満ち足りる。
自己充足があるから、他者との関係においても、多くを期待せず、相手の状況をそのまま受け入れる余裕が出てくるという流れなのです。
その流れを、自分から生み出すことが出来る、ということなんですね。
これは、まだまだ僕にはできていない事ですが、
============================
1分間で自分の態度は変えられる。
しかも、この1分間で、
自分の一日の全てを変えられる。
============================
という事も、この本には入っています。イライラしたら、自分のための1分間を取って、悪い考え方に凝り固まっていないかを自己チェックする、という事なんですね。そして、良い考え方に入れ替える。
まぁ、これは1分間ではなかなかできないと思いますが、それでも、その変更を1分間くらい試してみるのは悪くはないはずです。たった1分なんですから。
1分というのは、短いようでいて、意外と使いでのある、有用な時間単位なんですよね。
それを知る、というだけでも、かなり重要な事です。
その1分間を「自分自身の叡智に問いかける」ために使う。
それだけで、かなり結果の異なる人生が生まれてくるんです。
だから、1日に何度も、「自分のための1分間」をとりなさい、と言う結論になってくるわけです。
人は、いつのまにか、自分ではない、「世間の風潮」や、「世の流れ」のためにかけずり回っていたりするんです。
でも、そんなあなたの人生は、いったい誰のための人生ですか?
世間のためのもの? 家族のためのもの? 人類社会のためのもの?
そのどれもが正解でしょうけれど、まず最初は「自分自身のためのもの」から始めないと始まらないんです。
自分が不幸せで、不機嫌になってる人の話は、結局誰も聞いてくれはしないものなのです。
だからこの本では、自分が充足したら、身の回りの人にも、「まず自分を大切にする態度を身につけてもらうようにしましょう。」という提案をしています。
============================
ほかの人たちが自分のことを大切にすれば、
彼ら自身が幸せになるだけでなく、
わたしも幸せになる。
============================
ということなんです。
単純に言って、身の回りにいてる、「不機嫌な人間」がひとりでも減れば、それは自分にとってもありがたい事だ、ということなんですね。
で、その人の不機嫌は、その人自身で解決してもらうしかないわけですから。
このあと、この本には、「愛されることよりも愛する事を優先しよう」とか、「良い人間関係は、自分を大切にしている人間同士の間で生まれる」というような話に進展していきますし、そういう「お互いを大切に生きる」生き方が、広く社会に広がる事を望む話にもつながっていくのですが、まぁ、このあたりは、かなり高度な話なので、僕にはまだまだ実感できません。(だからこそ、何度も読んでるわけですが。)
それでも、やっぱり、ひとりひとりが、まず最初に何をすべきか?というと、とどのつまりは、
「自分自身のための1分間を取る」
というところに戻るんですね。
すべては、そこからしか始まらないわけです。やっぱり。
とにかく、まず自分自身の叡智に問いかける。
「いますぐできることで、私自身を大切にできる事は何だろうか?」と。
その答えこそが、次の1分間にするべきことなんです。
この自己の内観的態度を忘れていると、人間はいつのまにか、「社会的うわべ」だけのために働くロボットのようになってしまい、不機嫌でやる気の出ない、つまらない毎日がやってきてしまうわけです。
そういうようなことで、僕は、この本を、ことあるごとに読み返してます。通読したのは数回ですけど、お気に入りの部分は、それこそ何度も読み直しているんですね。とくに、この1~2年は。
「やっぱり名著だよなぁ」と、しみじみ思います。
とても良い本です。
もう絶版のようで、アマゾンのマーケットプレイス(古本取り次ぎサービス)とかでしか手に入らないようですし、値段も中古取り扱いで50円とかの投げ売り価格と、コレクター商品扱いでの1980円とかの、とんでもない混在になってしまっている本ですが、興味のある方はぜひ。
僕にとっては、フリーランスのライターとして仕事をすることになったきっかけを作ってくれた本でもあるので、とても思い出深い本なのです。
おすすめです。
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読書に「読了リスト」は、超便利ですよ。昨年読んだ本は87冊でした。
2010年2月8日 読書 コメント (4)去年の途中から、「読了した本のタイトルだけは記帳しておく」という事にし始めました。
これがなかなかに調子がよろしくて、月に読む本の冊数がとりあえずは増えるのです。
何冊も読んでいるとわかりますが、同ジャンルの本を数冊(10冊前後)読むと、それだけでその分野に関してはかなりの知識がつきます。
とはいえ、同じジャンルの本を読むのが効率的とはいえ、やっぱり飽きてしまうので、いろいろ平行して読むのが飽きなくて良いわけです。
で、あっち読み、こっち読みというのを繰り返して行くんですね。
でも、それを続けていると、何を読んだのか読んでないのかさっぱりわからなくなりますので、とりあえずは記帳するようになってきたわけです。
で、ある程度リストがたまってきたところで、「この本は面白かったなぁ」とか「この本はイマイチだったなぁ」などの評価をする。…と言っても、そのリストのタイトルのところにちょろっと赤丸をつけるとか、その程度のことなんですけどね。
あるいは、読了した本の中で、同ジャンルの本をチョイスして、一カ所にまとめるとかします。で、書き込みしたり線を引いたりした部分をざっと見直して、再読の価値があれば、傍線を引いたところだけを何度か読み直して、それが残すに値すればノートに書き写す。そうでなければそのまま捨てる、というようにしてます。
ようするに、保存・活用・廃棄のために、この「読了リスト」がすごく役立つんですよ。
最近はアマゾンとかもありますので、タイトルさえ間違っていなければ、細かな情報はネットで検索できるので、とりあえずはタイトルさえ控えておけばそれで良いわけです。
僕の場合はB5のツイストリングノートをタテ3分割にして、左端から順に書いてるだけでして、このノートがタテ36行ありますので、3分割すると約100冊分くらいのタイトルは記帳できることになります。まぁ、この一枚で1年分というところでしょうか。もう少しスピードを上げて、今年はなんとか120冊から150冊は読むようにしたいと思っているのですが、それでも表裏の両面を使い切るには至らないと思うのですね。なので、B5一枚で1年というパターンは変わらないかなぁと。
手間はものすごく少ない割に、読書量を増やすためのモチベーションアップに効果が高く、しかも、自分の学習過程の把握にも大きく役立ち、メモした後のリストの活用範囲も大きいので、僕は多くの皆様に、この方法をお勧めしたいです。なかなかにメリット大であります。
「読了リスト」ぜひご活用ください。
これがなかなかに調子がよろしくて、月に読む本の冊数がとりあえずは増えるのです。
何冊も読んでいるとわかりますが、同ジャンルの本を数冊(10冊前後)読むと、それだけでその分野に関してはかなりの知識がつきます。
とはいえ、同じジャンルの本を読むのが効率的とはいえ、やっぱり飽きてしまうので、いろいろ平行して読むのが飽きなくて良いわけです。
で、あっち読み、こっち読みというのを繰り返して行くんですね。
でも、それを続けていると、何を読んだのか読んでないのかさっぱりわからなくなりますので、とりあえずは記帳するようになってきたわけです。
で、ある程度リストがたまってきたところで、「この本は面白かったなぁ」とか「この本はイマイチだったなぁ」などの評価をする。…と言っても、そのリストのタイトルのところにちょろっと赤丸をつけるとか、その程度のことなんですけどね。
あるいは、読了した本の中で、同ジャンルの本をチョイスして、一カ所にまとめるとかします。で、書き込みしたり線を引いたりした部分をざっと見直して、再読の価値があれば、傍線を引いたところだけを何度か読み直して、それが残すに値すればノートに書き写す。そうでなければそのまま捨てる、というようにしてます。
ようするに、保存・活用・廃棄のために、この「読了リスト」がすごく役立つんですよ。
最近はアマゾンとかもありますので、タイトルさえ間違っていなければ、細かな情報はネットで検索できるので、とりあえずはタイトルさえ控えておけばそれで良いわけです。
僕の場合はB5のツイストリングノートをタテ3分割にして、左端から順に書いてるだけでして、このノートがタテ36行ありますので、3分割すると約100冊分くらいのタイトルは記帳できることになります。まぁ、この一枚で1年分というところでしょうか。もう少しスピードを上げて、今年はなんとか120冊から150冊は読むようにしたいと思っているのですが、それでも表裏の両面を使い切るには至らないと思うのですね。なので、B5一枚で1年というパターンは変わらないかなぁと。
手間はものすごく少ない割に、読書量を増やすためのモチベーションアップに効果が高く、しかも、自分の学習過程の把握にも大きく役立ち、メモした後のリストの活用範囲も大きいので、僕は多くの皆様に、この方法をお勧めしたいです。なかなかにメリット大であります。
「読了リスト」ぜひご活用ください。
読書のスピードコントロールということ。
2009年11月13日 読書 コメント (3)最近、タイトルのとおり、「読書のスピードコントロール」というのが、えらく気になってきております。
というのは、長年小説は読まずにいて、ビジネス本とか、そういう「実用書」ばっかり読んできてたのに、ここのところ小説も読むようになってきたからなんですね。
小説は、夜寝る前の楽しみということで、枕元に置いてあるんですが、「読めたら読む」くらいの軽い気持ちでやりはじめたんですよ。
で、まぁ実用書じゃないんだし、ゆっくり読めばいいやと思って、たとえば全5章あるような小説なら、「今日は1章だけ」とか決めて読んでたわけです。ゆーっくり進むつもりで。
でも、こういう事をしてると、「はやく続きが読みたい!」ってなってくるんですよね。で、帰って寝る前に小説を読むのが楽しみになってくる。なんちゅうか、朝の連続テレビ小説とか毎日続くドラマがあるじゃないですか? ああいう感じになってくる。
で、そのくせ、昼間に電車の中で読む本とかの方は、今まで通りにビジネス本のたぐいだったりするわけですよ。いくら小説の続きが読みたくても、持って出なけりゃ読めないわけです。
で、寝る前のゆったり読書をやってると、今度はビジネス本の読み方がちょっと変わってきたんですね。
「こういう本は小説やないんやし、役に立てたいところだけを、どうチョイスするかやで。」という気持ちになりまして。で、ある日、電車の中で、「とにかく1頁10秒くらいのつもりで、ざーっと流し読みしてみよう。」と思ったわけです。
1頁10秒以下となると、1冊20~30分くらいで、いちおう全ページに目を通せるわけですが、そうなると、電車に乗ってる時間内で一冊に目を通せるということになるわけです。「ああ、時間的にもちょうどいいや。」と思ってやってみたら、まぁだいたい電車に乗ってる間で一冊目を通すだけはできたんですよ。
で、その全体に目を通した本を、今度は頭から順に読み直したんですけど、ここでびっくり現象が起きたんですねぇ。
というのは、読み直してみると、「あれ?、ここはもう読んだよ。」というところばっかりになってるんです。ざっくり20~30分で読んだのと、数時間かけて読んだ内容と、実質そんなに違わないんですね。多少言い回しのくどいところを、キチンと読んだかどうかの違いがある程度なわけです。
いやー、これにはびっくりした。
どうも、30分くらいで、とにかく流し読みしたところで、「得られるネタ」に関してはじっくり数時間かけて読むのと変わらんやんけ!ということなんですわ。
で、どうも、この流し読みがうまく行ったのは、夜の「楽しみ読書」をはじめたからこそ、という気がするんですね。読む楽しみとかモチベーションとかが一定の高さで保たれているから、ビジネス書を読むときに「ちょっとスピードをあげようか」というのがスッとできるんじゃないかなぁ?
なんかそんな気がします。
もちろん内容にもよりますが、読む目的さえ明確で、「読む楽しみ感覚」が維持できてれば、意外に速読って難しいものではないのかも?という気がしてきました。
逆に、じっくりゆっくり、味わいながら、楽しみながら読む本を、うまく生活時間に取り入れた方が、たくさんの本を上手に読みこなせるのかもしれないなぁと思えてきたのであります。
いやまぁ、まだそれほど、うまくコントロールできてるわけではないんですがね。
ま、そんなことで。
というのは、長年小説は読まずにいて、ビジネス本とか、そういう「実用書」ばっかり読んできてたのに、ここのところ小説も読むようになってきたからなんですね。
小説は、夜寝る前の楽しみということで、枕元に置いてあるんですが、「読めたら読む」くらいの軽い気持ちでやりはじめたんですよ。
で、まぁ実用書じゃないんだし、ゆっくり読めばいいやと思って、たとえば全5章あるような小説なら、「今日は1章だけ」とか決めて読んでたわけです。ゆーっくり進むつもりで。
でも、こういう事をしてると、「はやく続きが読みたい!」ってなってくるんですよね。で、帰って寝る前に小説を読むのが楽しみになってくる。なんちゅうか、朝の連続テレビ小説とか毎日続くドラマがあるじゃないですか? ああいう感じになってくる。
で、そのくせ、昼間に電車の中で読む本とかの方は、今まで通りにビジネス本のたぐいだったりするわけですよ。いくら小説の続きが読みたくても、持って出なけりゃ読めないわけです。
で、寝る前のゆったり読書をやってると、今度はビジネス本の読み方がちょっと変わってきたんですね。
「こういう本は小説やないんやし、役に立てたいところだけを、どうチョイスするかやで。」という気持ちになりまして。で、ある日、電車の中で、「とにかく1頁10秒くらいのつもりで、ざーっと流し読みしてみよう。」と思ったわけです。
1頁10秒以下となると、1冊20~30分くらいで、いちおう全ページに目を通せるわけですが、そうなると、電車に乗ってる時間内で一冊に目を通せるということになるわけです。「ああ、時間的にもちょうどいいや。」と思ってやってみたら、まぁだいたい電車に乗ってる間で一冊目を通すだけはできたんですよ。
で、その全体に目を通した本を、今度は頭から順に読み直したんですけど、ここでびっくり現象が起きたんですねぇ。
というのは、読み直してみると、「あれ?、ここはもう読んだよ。」というところばっかりになってるんです。ざっくり20~30分で読んだのと、数時間かけて読んだ内容と、実質そんなに違わないんですね。多少言い回しのくどいところを、キチンと読んだかどうかの違いがある程度なわけです。
いやー、これにはびっくりした。
どうも、30分くらいで、とにかく流し読みしたところで、「得られるネタ」に関してはじっくり数時間かけて読むのと変わらんやんけ!ということなんですわ。
で、どうも、この流し読みがうまく行ったのは、夜の「楽しみ読書」をはじめたからこそ、という気がするんですね。読む楽しみとかモチベーションとかが一定の高さで保たれているから、ビジネス書を読むときに「ちょっとスピードをあげようか」というのがスッとできるんじゃないかなぁ?
なんかそんな気がします。
もちろん内容にもよりますが、読む目的さえ明確で、「読む楽しみ感覚」が維持できてれば、意外に速読って難しいものではないのかも?という気がしてきました。
逆に、じっくりゆっくり、味わいながら、楽しみながら読む本を、うまく生活時間に取り入れた方が、たくさんの本を上手に読みこなせるのかもしれないなぁと思えてきたのであります。
いやまぁ、まだそれほど、うまくコントロールできてるわけではないんですがね。
ま、そんなことで。
小室直樹先生、老いて、なお軒昂なり。
2009年5月17日 読書mixiのほうでマイミク登録させていただいてる方が、小室直樹先生ご出演の動画を紹介してくださっておりました。
おおお、小室先生ですか、と言うことで拝聴いたしました。
http://video.google.com/videosearch?q=%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9&hl=en&emb=0&aq=f#
小室先生のご著書は、いろいろ拝読してまして、ほんとうにすごい方で、とても尊敬してしまうわけですが、ではいったいどういう人なのか? というと経歴等は、僕は実は良く分かってなかったんですよ。
で、この動画の最初に小室先生の紹介がちょろっと入っていて、その紹介だけでもとんでもなくすごいので感心しました。
「本日は、法学博士であり、政治学者、経済学者でもある小室直樹さんをお招きしています。
小室さんは、1932年東京生まれ、京大で数学・物理学を学んだ後、大阪大学大学院で経済学を学び、その後アメリカへ留学し、(ミシガン大学大学院へフルブライト留学) 心理学・統計学・社会学を学んだ後、帰国後、人類学・法学・政治学を学ぶという非常に多彩な方です。」
と、こうなる。いや、しかし幅広い。
で、はたと気になってwikipediaを調べてみたわけですよ。すると、まぁなんちゅうか、やっぱり小室先生は、師事した先生がまたすげぇなと驚くことになりました。
政治学は丸山眞男から学んでるし、社会学はマックス・ヴェーバーの翻訳者、大塚久雄から直接教えを受けているし、社会人類学は川島武宜からと、王道中の王道というか、大御所ばっかりじゃん! すげーな、これはって思う。ああ、知らなんだ、という感じです。
アメリカ留学中だって、マサチューセッツ工科大学大学院(あのMITの大学院ですよ!)で、近代経済学の父と呼ばれるポール・サミュエルソン(オバマ政権の国家経済会議委員長を務めているローレンス・サマーズのおじさん)から学んでるし、ハーバード大学の大学院にも行ってる。まぁすごいっちゅうか、なんちゅうか、あれですな、超・超・超、スーパーハード勉強オタクって感じですわね。
で、さて動画の内容は、というと、これが日本教とはなんぞやという話し。
日本人がネイティブにもっている宗教観を「日本教」と名付けたのは、イザヤ・ベンダサンこと「日本人とユダヤ人」を書いた山本七平さんですが、小室先生は、この山本七平さんの後押しもあって、かの「ソビエト帝国の崩壊」を出版されたわけです。
なので、小室先生も、基本的に「日本教」ということに関しては深く研究されておられて、その内容は、この動画を見る限り山本七平の考え方を受け継いだ上で、それを越えるほどに深まっているなぁと感心する内容でありました。
「空気読めよ」のKYという言葉も、結局は、『「空気」の研究』を書いた山本七平さんの業績がベースになっているのであって、小室先生もまた、その業績の上に、より高い見地を求めておられるようです。この動画の中でも「空気」というものの怖さを論じておられますね。
山本七平さんの著書の数々を、僕は読んでないわけですが、それでも山本さんの考え方に通じている人たちは山本学派と呼ばれているくらいで日本人による日本人研究の、非常に重要な学派だということは言えるでしょう。
ちなみに、僕は「ソビエト帝国の崩壊」を1980年の初版時に読んでまして、すごく面白く読んだんですが、これがその後、本当にソ連が崩壊(1991年)してしまいまして、その崩壊の過程を、実に見事に10年以上前に言い当ててたということで、小室さんの評価が、ますます高まったという事なんですね。
でもって、僕がよく話題に出す副島隆彦さんは、この小室直樹さんの弟子筋にあたる人でして、副島さんも、アメリカ経済の崩壊を、5年も前から崩壊の過程まで含めて言い当てていたということで、いまや大注目の言論人になってしまいました。
師弟ともに「予言」して当ててしまってるわけです。それもかなり規模の大きな予測を。
この間も、梅田の旭屋書店に行ったら、副島さんの新刊の『日米「振り込め詐欺」大恐慌』が店頭の一番目立つところにずららららーと並んでいて、「ああ、いい扱いをしてもらえるようになったんだなぁ」と、感慨深かったです。(って言いつつこの本は買ってないし読んでないんですがね。)
副島さんがアメリカ経済崩壊を言い当てた「やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる」は、この日記でも5年前に紹介してます。
http://12917.diarynote.jp/?month=200404
しかし、いま読んでも感心するけど、僕、ものすごく勧めてるんですよねぇ、この本を。
副島隆彦の、他のどの本でもなく、この「やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる」を勧めてる。我ながら感心してしまいますな。
で、小室先生も、まず何より「ソビエト帝国の崩壊」がおもしろかったんですよね。とにかくそれだけ内容がズバ抜けていたわけです。超飛抜けて面白かったんですよ。1980年当時は。
僕は本が好きで、よく読みますが、とにかく週に6日くらいは本屋に寄るわけですよ。で、チラチラチラと表紙を見て、気になる本だけをパラパラとページをめくって見ていくわけですね。
で、興味が出たら買うけど、興味が湧かなかったら買わない。
で、上記の「ソビエト」も「アメリカ」も、手にしてパラパラっと見ただけで「わ、面白そう!」だったわけですわ。
そういうのはね、もう、本の方が光り輝いてるというか、語りかけて来るというか、そういうのがあるんですね。
これは週6日、本屋に行ったら、誰でも自然と身に付きます。全然違うねんもん、内容が。まったく。まるきり。ズバ、抜けている。
せこい話ですが、本を買うっちゅうことは、自分でお金を出す、ということで、買う時に、ものすごく逡巡するわけですよ。「買って損せんかなぁ」とか。
ここが、ものすごく大事でね。
こういう発想は図書館で本を借りてたら絶対に身に付かないんです。だから本は買うのが大切。
(今後、情報はどんどん「お金を出さないと有用なものが得られない」という方向になっていくと思います。無料は基本的にダメ。名前やメアドを登録するタイプのは、まだちょっとマシ。それは自分のメアドを「売った」という事なんですよね。だから、まぁ数十円の価値はある。でもその程度です。で、自分で金を出すからこそ、そこではじめて、「自分にとって本当に必要な情報」が、「自分で納得できる」となるんです。なので図書館で本を借りたりしたりしてるだけでは、まず「自分が納得できる情報」が得られないです。まぁそれでも良いという人はそれでも良いのですが。)
で、上記の「アメリカ本」も「ソビエト本」も、「うわー、絶対読みたいわ、これ。」という内容だったわけです。喜んで金を払った。そういう事ですね。それだけ優れてたんです。
本屋でお金を出して本を買ってたら、そういう事は一発でわかるようになります。なんせ、自分の身銭を切ってるわけですから。
逆に言うと、ここで身銭を切らないと、何も身に付きません。一切身に付きません。それは確実であります。絶対と言っていいでしょう。
まぁそういうものです。
よくWinnyとかのファイル共有ソフトで、動画や音楽ファイルをタダで泥棒している人がいてますが、こういう「価格対内容比」を真剣に検討する機会を、自ら失わせている人という事で、まぁほとんど白痴の行為ではないでしょうかね。なんというバカでムダな事をしておるのか、と思う。
タダだと真剣にチョイスせんじゃないか!
それでは「読者としての能力」が、いつまでたっても身に付かないのでありますよ。「良いモノを見抜く力」ですね。それが身に付かないのなら、本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見たりしても全然意味がない。質の低いものをただダラダラと見てても、あんまり感動しないのになぁと思うだけなのであります。
一冊1500円くらいの本を、まぁ月に5冊くらいで7~8千円です。4冊しか読めなかったら6千円くらい。年間で100冊、7~8万円くらいですね。やっぱりそのくらいは読みたいし、投資して損はないです。超お得ですから。毎月6千円をどんな情報に投資するのか? を真剣勝負で考える。これが大事です。週5~6日書店に行って、買わなくともパラパラと一回に2~3冊はチェックしますから、月に数十冊はチェックした上で4~5冊を選ぶわけです。その真剣に選ぶ行為が大事なわけです。
これをやってないと、本当にパァーになります。
で、そういう真剣勝負をやっていると、小室さんや副島さんの本に目が行くようになるわけです。予言が当たってから「おおお、すごい!」となるのではなくて、予言が当たる前に「おおお、この本はすごい!」というのがわかるようになるんです。それは知識とかの問題ではなくて、身銭を切って本を買うかどうかが分かれ目なんです。
まぁファイル共有ソフトを使ってコンテンツ泥棒していて、で、Winnyを「技術発展の可能性がなくなる」とか言って擁護しているようなパァな人種は、ずーっと白痴なままなわけですよ。どこまで行っても。
それは、その人の「学ぶ姿勢」が崩れてるんだから、もともと話にならない、というだけの事なんですね。姿勢が崩れたら、それはもう何も積み上がらない。どうしようもないヘナヘナです。
最近は、その手の姿勢の崩れた人間がすごく増えたので、こういう悪い「空気」が消えてくれることを、本当に心から望みますね。まさに「空気」の悪い側面です。
しかし、学ぶ人は「空気」にとらわれずに、きちんと学んでいます。
小室直樹と副島隆彦は師弟関係ですが、上記の動画で司会をしている橋爪大三郎さんも小室直樹さんの弟子。橋爪さんの著作も1冊か2冊読みましたが、堂々たるものです。
まぁ同じく小室直樹の弟子の宮台真司は、援交を肯定したりして「おひおひ、それはちょっとまずくないか?」と思うこともあるので、同世代として情けない気もするんですが、まぁ、それでも概ねはまともな学問の基礎はできてるように思います。
で、副島さんの弟子筋にあたるのがこの間も紹介しましたけど、中田安彦さんとかだったりするわけで、最近は中田さんのブログがけっこう楽しみだし、ここに師弟関係の大きな、知の流れというものを感じるんですよね。
僕は上方落語が好きなんですが、上方落語の世界で言うなら、やはり米朝と枝雀。この師弟関係というものが、大きな柱のひとつでしょう。(松鶴・鶴瓶、文枝・三枝というのもあるけど、それは横に置いておきます。)で、江戸落語だと、まずは立川談志・志の輔の師弟が大きな柱かな。
で、文化はそういう師弟関係による継承で成り立っているところが、とても大きいと思います。
で、学ぶという事は、師を選ぶという事でもあって、その師を選ぶのだって図書館やらWinnyで泥棒してるだけでは絶対に無理なんですね。
なんでかというと、「自分を読む」という事ができないからです。
泥棒ソフトや無料の図書館だと「世間が勝手にやってくる」だけです。自分が「何を真剣に望んでいるのか?」という問いかけがとてもしにくいシステムなんです。
しかし、自分で本を買って読むということは、常に「私はこれを読みたいと思っているのか?」と自分に真剣に問いかけることが必要になってきます。
それが「市場にさらされる」という事の良い側面のひとつなわけです。(それがすべてとは言いませんが、効果は最も高いでしょう。)
そうやって、「自分を読む」という過程を通り抜けた後の素直な選択として「師を選ぶ」という行為があるわけです。
落語の世界で言うと、明石家さんま・笑福亭松之介という師弟も、さんまらしい師匠の選び方だなぁと感心するわけです。さんまは「自分を読む」のに長けてたんだろうなぁと思う。
僕が「ソビエト帝国の崩壊」「やがてアメリカ発の大恐慌が襲い来る」を「おもしろい!」と思ったのも、たぶん「これから世の中はどうなっていくのか?」ということにこそ、僕自身が興味を持っていたからでしょう。
だから、「自分を読む」という事ができないと、良い師を選べないんです。
特定の師を選ぶというのは、そういう「素直な自分」を含めた、真剣勝負の結果です。まぁ偶然出会うって事もありますけども。
小室先生も文化人類学を学ぶ際に、かの山口昌男を訪ねて、土下座した事があるらしいんですねぇ。まぁ山口さんが土下座に驚いて師事できなかったらしいですが。(笑)
でも、ここでも山口昌男という超大御所が出てくるところがすごい。
小室直樹さんというと、ちょっと極端なもの言いとかが取り上げられて、エキセントリックな人のように思われがちですが、実際には、超オーソドックスな方でして、どんな学問でも全部、まず基礎を大切にされますし、基礎文献や基本文献をこそ重視される方です。で、その基礎文献から、すごい発見をしたりするから、またすごいわけです。
上記の動画でも、日本のアマテラスオオミカミの神話と西洋の神話比較から、勤勉性というものの捉え方の日本と他国との大きな違いをつかみとってるのがすごい。
そういうエッセンスを紡ぎ出せるのは、まさに王道中の王道から、コツコツと積み重ねてきたからこそなわけで、そういう意味でも信用できるし尊敬できる、知の巨人だと思います。
この動画では、最後に橋爪大三郎さんが、「これからの日本にとって必要な事は?」という問いに「そんなのカンタンにわからないよ」と言いつつ「まぁまず海外の宗教をキチン基礎から学ぶことではないですか?」と答えられ「そういう初等向けの本でも書きますかな」と言っておられる。
小室先生、まだまだ軒昂。有り難いことです。
-------------------
せっかくなので、小室先生のご著書を紹介しておきましょう。
小室学の入門としては、
痛快!憲法学 ― Amazing Study of Constitution & Democracy
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797670312
日本人のための憲法原論
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797671459
がベストオブベストでしょう。この本を読んで衝撃を受けたという方はとても多いようですが、書かれていることは、基本的には「世界の常識」レベルの話です。
でも、それが「衝撃」になるというのが、日本の不幸なんですよねぇ。
宗教に関しては、
日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4198611688
が、すごく良かったです。この本なんかは、日本の高校の教科書とか課題図書にしても良いくらいに内容の良い本です。こういう世界の宗教観を知らずして、世界中のニュースを読み解く事もできません。
このあたりは、コツコツ学習する以外に手はないんですね。宗教というのは生きて行くことの基本的なルールや価値観の根っこですから。分っている者同士なら、「空気」と同じでよくわかるけど、他国の人間は、基礎からコツコツ学ぶ以外に手はありません。
そういう事です。
おおお、小室先生ですか、と言うことで拝聴いたしました。
http://video.google.com/videosearch?q=%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9&hl=en&emb=0&aq=f#
小室先生のご著書は、いろいろ拝読してまして、ほんとうにすごい方で、とても尊敬してしまうわけですが、ではいったいどういう人なのか? というと経歴等は、僕は実は良く分かってなかったんですよ。
で、この動画の最初に小室先生の紹介がちょろっと入っていて、その紹介だけでもとんでもなくすごいので感心しました。
「本日は、法学博士であり、政治学者、経済学者でもある小室直樹さんをお招きしています。
小室さんは、1932年東京生まれ、京大で数学・物理学を学んだ後、大阪大学大学院で経済学を学び、その後アメリカへ留学し、(ミシガン大学大学院へフルブライト留学) 心理学・統計学・社会学を学んだ後、帰国後、人類学・法学・政治学を学ぶという非常に多彩な方です。」
と、こうなる。いや、しかし幅広い。
で、はたと気になってwikipediaを調べてみたわけですよ。すると、まぁなんちゅうか、やっぱり小室先生は、師事した先生がまたすげぇなと驚くことになりました。
政治学は丸山眞男から学んでるし、社会学はマックス・ヴェーバーの翻訳者、大塚久雄から直接教えを受けているし、社会人類学は川島武宜からと、王道中の王道というか、大御所ばっかりじゃん! すげーな、これはって思う。ああ、知らなんだ、という感じです。
アメリカ留学中だって、マサチューセッツ工科大学大学院(あのMITの大学院ですよ!)で、近代経済学の父と呼ばれるポール・サミュエルソン(オバマ政権の国家経済会議委員長を務めているローレンス・サマーズのおじさん)から学んでるし、ハーバード大学の大学院にも行ってる。まぁすごいっちゅうか、なんちゅうか、あれですな、超・超・超、スーパーハード勉強オタクって感じですわね。
で、さて動画の内容は、というと、これが日本教とはなんぞやという話し。
日本人がネイティブにもっている宗教観を「日本教」と名付けたのは、イザヤ・ベンダサンこと「日本人とユダヤ人」を書いた山本七平さんですが、小室先生は、この山本七平さんの後押しもあって、かの「ソビエト帝国の崩壊」を出版されたわけです。
なので、小室先生も、基本的に「日本教」ということに関しては深く研究されておられて、その内容は、この動画を見る限り山本七平の考え方を受け継いだ上で、それを越えるほどに深まっているなぁと感心する内容でありました。
「空気読めよ」のKYという言葉も、結局は、『「空気」の研究』を書いた山本七平さんの業績がベースになっているのであって、小室先生もまた、その業績の上に、より高い見地を求めておられるようです。この動画の中でも「空気」というものの怖さを論じておられますね。
山本七平さんの著書の数々を、僕は読んでないわけですが、それでも山本さんの考え方に通じている人たちは山本学派と呼ばれているくらいで日本人による日本人研究の、非常に重要な学派だということは言えるでしょう。
ちなみに、僕は「ソビエト帝国の崩壊」を1980年の初版時に読んでまして、すごく面白く読んだんですが、これがその後、本当にソ連が崩壊(1991年)してしまいまして、その崩壊の過程を、実に見事に10年以上前に言い当ててたということで、小室さんの評価が、ますます高まったという事なんですね。
でもって、僕がよく話題に出す副島隆彦さんは、この小室直樹さんの弟子筋にあたる人でして、副島さんも、アメリカ経済の崩壊を、5年も前から崩壊の過程まで含めて言い当てていたということで、いまや大注目の言論人になってしまいました。
師弟ともに「予言」して当ててしまってるわけです。それもかなり規模の大きな予測を。
この間も、梅田の旭屋書店に行ったら、副島さんの新刊の『日米「振り込め詐欺」大恐慌』が店頭の一番目立つところにずららららーと並んでいて、「ああ、いい扱いをしてもらえるようになったんだなぁ」と、感慨深かったです。(って言いつつこの本は買ってないし読んでないんですがね。)
副島さんがアメリカ経済崩壊を言い当てた「やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる」は、この日記でも5年前に紹介してます。
http://12917.diarynote.jp/?month=200404
しかし、いま読んでも感心するけど、僕、ものすごく勧めてるんですよねぇ、この本を。
副島隆彦の、他のどの本でもなく、この「やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる」を勧めてる。我ながら感心してしまいますな。
で、小室先生も、まず何より「ソビエト帝国の崩壊」がおもしろかったんですよね。とにかくそれだけ内容がズバ抜けていたわけです。超飛抜けて面白かったんですよ。1980年当時は。
僕は本が好きで、よく読みますが、とにかく週に6日くらいは本屋に寄るわけですよ。で、チラチラチラと表紙を見て、気になる本だけをパラパラとページをめくって見ていくわけですね。
で、興味が出たら買うけど、興味が湧かなかったら買わない。
で、上記の「ソビエト」も「アメリカ」も、手にしてパラパラっと見ただけで「わ、面白そう!」だったわけですわ。
そういうのはね、もう、本の方が光り輝いてるというか、語りかけて来るというか、そういうのがあるんですね。
これは週6日、本屋に行ったら、誰でも自然と身に付きます。全然違うねんもん、内容が。まったく。まるきり。ズバ、抜けている。
せこい話ですが、本を買うっちゅうことは、自分でお金を出す、ということで、買う時に、ものすごく逡巡するわけですよ。「買って損せんかなぁ」とか。
ここが、ものすごく大事でね。
こういう発想は図書館で本を借りてたら絶対に身に付かないんです。だから本は買うのが大切。
(今後、情報はどんどん「お金を出さないと有用なものが得られない」という方向になっていくと思います。無料は基本的にダメ。名前やメアドを登録するタイプのは、まだちょっとマシ。それは自分のメアドを「売った」という事なんですよね。だから、まぁ数十円の価値はある。でもその程度です。で、自分で金を出すからこそ、そこではじめて、「自分にとって本当に必要な情報」が、「自分で納得できる」となるんです。なので図書館で本を借りたりしたりしてるだけでは、まず「自分が納得できる情報」が得られないです。まぁそれでも良いという人はそれでも良いのですが。)
で、上記の「アメリカ本」も「ソビエト本」も、「うわー、絶対読みたいわ、これ。」という内容だったわけです。喜んで金を払った。そういう事ですね。それだけ優れてたんです。
本屋でお金を出して本を買ってたら、そういう事は一発でわかるようになります。なんせ、自分の身銭を切ってるわけですから。
逆に言うと、ここで身銭を切らないと、何も身に付きません。一切身に付きません。それは確実であります。絶対と言っていいでしょう。
まぁそういうものです。
よくWinnyとかのファイル共有ソフトで、動画や音楽ファイルをタダで泥棒している人がいてますが、こういう「価格対内容比」を真剣に検討する機会を、自ら失わせている人という事で、まぁほとんど白痴の行為ではないでしょうかね。なんというバカでムダな事をしておるのか、と思う。
タダだと真剣にチョイスせんじゃないか!
それでは「読者としての能力」が、いつまでたっても身に付かないのでありますよ。「良いモノを見抜く力」ですね。それが身に付かないのなら、本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見たりしても全然意味がない。質の低いものをただダラダラと見てても、あんまり感動しないのになぁと思うだけなのであります。
一冊1500円くらいの本を、まぁ月に5冊くらいで7~8千円です。4冊しか読めなかったら6千円くらい。年間で100冊、7~8万円くらいですね。やっぱりそのくらいは読みたいし、投資して損はないです。超お得ですから。毎月6千円をどんな情報に投資するのか? を真剣勝負で考える。これが大事です。週5~6日書店に行って、買わなくともパラパラと一回に2~3冊はチェックしますから、月に数十冊はチェックした上で4~5冊を選ぶわけです。その真剣に選ぶ行為が大事なわけです。
これをやってないと、本当にパァーになります。
で、そういう真剣勝負をやっていると、小室さんや副島さんの本に目が行くようになるわけです。予言が当たってから「おおお、すごい!」となるのではなくて、予言が当たる前に「おおお、この本はすごい!」というのがわかるようになるんです。それは知識とかの問題ではなくて、身銭を切って本を買うかどうかが分かれ目なんです。
まぁファイル共有ソフトを使ってコンテンツ泥棒していて、で、Winnyを「技術発展の可能性がなくなる」とか言って擁護しているようなパァな人種は、ずーっと白痴なままなわけですよ。どこまで行っても。
それは、その人の「学ぶ姿勢」が崩れてるんだから、もともと話にならない、というだけの事なんですね。姿勢が崩れたら、それはもう何も積み上がらない。どうしようもないヘナヘナです。
最近は、その手の姿勢の崩れた人間がすごく増えたので、こういう悪い「空気」が消えてくれることを、本当に心から望みますね。まさに「空気」の悪い側面です。
しかし、学ぶ人は「空気」にとらわれずに、きちんと学んでいます。
小室直樹と副島隆彦は師弟関係ですが、上記の動画で司会をしている橋爪大三郎さんも小室直樹さんの弟子。橋爪さんの著作も1冊か2冊読みましたが、堂々たるものです。
まぁ同じく小室直樹の弟子の宮台真司は、援交を肯定したりして「おひおひ、それはちょっとまずくないか?」と思うこともあるので、同世代として情けない気もするんですが、まぁ、それでも概ねはまともな学問の基礎はできてるように思います。
で、副島さんの弟子筋にあたるのがこの間も紹介しましたけど、中田安彦さんとかだったりするわけで、最近は中田さんのブログがけっこう楽しみだし、ここに師弟関係の大きな、知の流れというものを感じるんですよね。
僕は上方落語が好きなんですが、上方落語の世界で言うなら、やはり米朝と枝雀。この師弟関係というものが、大きな柱のひとつでしょう。(松鶴・鶴瓶、文枝・三枝というのもあるけど、それは横に置いておきます。)で、江戸落語だと、まずは立川談志・志の輔の師弟が大きな柱かな。
で、文化はそういう師弟関係による継承で成り立っているところが、とても大きいと思います。
で、学ぶという事は、師を選ぶという事でもあって、その師を選ぶのだって図書館やらWinnyで泥棒してるだけでは絶対に無理なんですね。
なんでかというと、「自分を読む」という事ができないからです。
泥棒ソフトや無料の図書館だと「世間が勝手にやってくる」だけです。自分が「何を真剣に望んでいるのか?」という問いかけがとてもしにくいシステムなんです。
しかし、自分で本を買って読むということは、常に「私はこれを読みたいと思っているのか?」と自分に真剣に問いかけることが必要になってきます。
それが「市場にさらされる」という事の良い側面のひとつなわけです。(それがすべてとは言いませんが、効果は最も高いでしょう。)
そうやって、「自分を読む」という過程を通り抜けた後の素直な選択として「師を選ぶ」という行為があるわけです。
落語の世界で言うと、明石家さんま・笑福亭松之介という師弟も、さんまらしい師匠の選び方だなぁと感心するわけです。さんまは「自分を読む」のに長けてたんだろうなぁと思う。
僕が「ソビエト帝国の崩壊」「やがてアメリカ発の大恐慌が襲い来る」を「おもしろい!」と思ったのも、たぶん「これから世の中はどうなっていくのか?」ということにこそ、僕自身が興味を持っていたからでしょう。
だから、「自分を読む」という事ができないと、良い師を選べないんです。
特定の師を選ぶというのは、そういう「素直な自分」を含めた、真剣勝負の結果です。まぁ偶然出会うって事もありますけども。
小室先生も文化人類学を学ぶ際に、かの山口昌男を訪ねて、土下座した事があるらしいんですねぇ。まぁ山口さんが土下座に驚いて師事できなかったらしいですが。(笑)
でも、ここでも山口昌男という超大御所が出てくるところがすごい。
小室直樹さんというと、ちょっと極端なもの言いとかが取り上げられて、エキセントリックな人のように思われがちですが、実際には、超オーソドックスな方でして、どんな学問でも全部、まず基礎を大切にされますし、基礎文献や基本文献をこそ重視される方です。で、その基礎文献から、すごい発見をしたりするから、またすごいわけです。
上記の動画でも、日本のアマテラスオオミカミの神話と西洋の神話比較から、勤勉性というものの捉え方の日本と他国との大きな違いをつかみとってるのがすごい。
そういうエッセンスを紡ぎ出せるのは、まさに王道中の王道から、コツコツと積み重ねてきたからこそなわけで、そういう意味でも信用できるし尊敬できる、知の巨人だと思います。
この動画では、最後に橋爪大三郎さんが、「これからの日本にとって必要な事は?」という問いに「そんなのカンタンにわからないよ」と言いつつ「まぁまず海外の宗教をキチン基礎から学ぶことではないですか?」と答えられ「そういう初等向けの本でも書きますかな」と言っておられる。
小室先生、まだまだ軒昂。有り難いことです。
-------------------
せっかくなので、小室先生のご著書を紹介しておきましょう。
小室学の入門としては、
痛快!憲法学 ― Amazing Study of Constitution & Democracy
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797670312
日本人のための憲法原論
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797671459
がベストオブベストでしょう。この本を読んで衝撃を受けたという方はとても多いようですが、書かれていることは、基本的には「世界の常識」レベルの話です。
でも、それが「衝撃」になるというのが、日本の不幸なんですよねぇ。
宗教に関しては、
日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4198611688
が、すごく良かったです。この本なんかは、日本の高校の教科書とか課題図書にしても良いくらいに内容の良い本です。こういう世界の宗教観を知らずして、世界中のニュースを読み解く事もできません。
このあたりは、コツコツ学習する以外に手はないんですね。宗教というのは生きて行くことの基本的なルールや価値観の根っこですから。分っている者同士なら、「空気」と同じでよくわかるけど、他国の人間は、基礎からコツコツ学ぶ以外に手はありません。
そういう事です。
なんか、このDIARYのサイト、画像が三つまでアップロードできるようになったんだそうです。
なので、お試しで三つあげてみたいなぁと。
で、上げるのは、先日読んだ本で、
たった100円で願望実現! A6ノートで思考を地図化しなさい マインドマップを超える超簡単ノート術「シンプルマッピング」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4198626359
に書いてあった手法をそのまま試してみた、ある本のまとめ用のマインドマップ(シンプルマップ)の画像が1枚目であります。ちゅうか、前に紹介した、MVpenでデジタル化したので、そのデータなんですけどね。
(手書き文字ばっかりなのに、部分的にフォント文字が入ってるのは、寝床の中でお気楽にMVpen化したので、机ではなくフワフワの状態で、ペンの情報を認識してなかったところがあったのですよ。なので、その部分はMVpenの標準ソフトで文字を追加して補足しておいたのであります。普通はちゃんと認識するんですがね。まぁ私の使い方が、あまりにお気楽すぎた、というこおtです。わはは。)
で、それでデジタル化したデータを、パワポでいろいろいじってみたのが、その次の図。
で、MVpenのおまけでついてくるテキスト変換ソフト「Myスクリプトノート」の正規版での図形変換状態が、その次の図。テキトーに描いた丸囲み線がきれいな楕円に変換されて、その中に書いた手書きの文字がテキストに変換されてるのがわかると思いますが、テキストデータが欲しい時は、こっちで変換して、エディタとかWordとかに取り込みます。
このソフトも賢いのよなぁ。これはこれでかなり便利。
(私が愛用しているマインドマップソフト「マインドマッパー」というソフトは、テキストで階層の深さをtabによる順位付けさえしてあれば、自動的にストン!とマップにしてくれる「マルチノード取り込み」っちゅう機能を持ってるので、本格的にマインドマップを作りたい時は、こっちのソフトでデータを取り込みます。いちいちテキスト入力する手間が省けてうれしい!)
「シンプルマッピング」は、100円のA6ノート(文庫本サイズ:見開きで使うので、実際にはA5サイズのマップです。)で、マインドマップを作って、それをヒマな時間にちょこちょこ見たり、書き足したり、書き直したりすると良いよ、という事を書いてある本でして、そういうマップ化の作業を紙のノートでやると、複数のマップを何度も見返せるし、マップの書き直しもしやすいし、なかなか良いのです。
で、どうせ何度も見るなら、MVpenでデジタル化して、文字を太くしたり大きくしたり色をつけたりして、印象を強くして、シコシコとスルメのように、何度も噛むのが良いだろうと思うのだ。
こうすると、いろいろと頭に良く入ります。
MVpenがあるとデジタル化が簡単でいいなぁ。惚れたよ、私は。
とにかく、頭にたたき込みたい本の内容は、まず、こういうマインドマップづくりからはじめて、取り組んで行くのが賢いかもなぁと思ってます。なんかある程度「体系」として整ってる知識を、頭にたたき込むのに、マインドマップはとても適してると思います。
使い方が意外と難しいんだけどねぇ。マインドマップって。
で、私の場合は、パワーポイントが使い慣れてるので、手書きの文字がストロークデータとしてそのまま取り込めるMVpenと組み合わせると、かなり強力にうれしいのですよ。
パワポの「グループ化」「複数選択」の機能が大好きでねぇ。
それを使ってどんどんグループ化しては拡大縮小したり、特定の複数項目の背景色やら線の色・太さをいじったりとか、ちゃっちゃかやるのです。
そういうのが好き。
MVpenの付属ソフト「ノートテイカー」のデータが、そのままパワポの線画データとして読み込める(カットアンドペーストができる)のがわかったので、楽しみつついろいろ使っております。
自分の手書き文字が拡大・縮小・太さ/色変更とかできるというのは、なかなか新鮮な体験ですよ。これは面白いなぁ。
印象にも残りやすいです。お手軽に考える・復習するって言うような時はこれがいいなぁ。簡単でいいや。
シンプルマッピングでは、「本を読んだら、本を閉じて、自分の記憶だけでマップを書け」とノウハウを提案してくれていて、そのやり方を真似てまとめてみると、本当に自分が印象に残っているところを、
●自分の言葉
でまとめられるので良いのです。
シンプルマッピングもおすすめ。
MVpenもおすすめ。
マイスクリプトノートって言うソフトもおすすめ。
それから、この課題に使った「営業マンは断ることを覚えなさい」もおすすめです。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4837976549
ま、てなことで。
なので、お試しで三つあげてみたいなぁと。
で、上げるのは、先日読んだ本で、
たった100円で願望実現! A6ノートで思考を地図化しなさい マインドマップを超える超簡単ノート術「シンプルマッピング」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4198626359
に書いてあった手法をそのまま試してみた、ある本のまとめ用のマインドマップ(シンプルマップ)の画像が1枚目であります。ちゅうか、前に紹介した、MVpenでデジタル化したので、そのデータなんですけどね。
(手書き文字ばっかりなのに、部分的にフォント文字が入ってるのは、寝床の中でお気楽にMVpen化したので、机ではなくフワフワの状態で、ペンの情報を認識してなかったところがあったのですよ。なので、その部分はMVpenの標準ソフトで文字を追加して補足しておいたのであります。普通はちゃんと認識するんですがね。まぁ私の使い方が、あまりにお気楽すぎた、というこおtです。わはは。)
で、それでデジタル化したデータを、パワポでいろいろいじってみたのが、その次の図。
で、MVpenのおまけでついてくるテキスト変換ソフト「Myスクリプトノート」の正規版での図形変換状態が、その次の図。テキトーに描いた丸囲み線がきれいな楕円に変換されて、その中に書いた手書きの文字がテキストに変換されてるのがわかると思いますが、テキストデータが欲しい時は、こっちで変換して、エディタとかWordとかに取り込みます。
このソフトも賢いのよなぁ。これはこれでかなり便利。
(私が愛用しているマインドマップソフト「マインドマッパー」というソフトは、テキストで階層の深さをtabによる順位付けさえしてあれば、自動的にストン!とマップにしてくれる「マルチノード取り込み」っちゅう機能を持ってるので、本格的にマインドマップを作りたい時は、こっちのソフトでデータを取り込みます。いちいちテキスト入力する手間が省けてうれしい!)
「シンプルマッピング」は、100円のA6ノート(文庫本サイズ:見開きで使うので、実際にはA5サイズのマップです。)で、マインドマップを作って、それをヒマな時間にちょこちょこ見たり、書き足したり、書き直したりすると良いよ、という事を書いてある本でして、そういうマップ化の作業を紙のノートでやると、複数のマップを何度も見返せるし、マップの書き直しもしやすいし、なかなか良いのです。
で、どうせ何度も見るなら、MVpenでデジタル化して、文字を太くしたり大きくしたり色をつけたりして、印象を強くして、シコシコとスルメのように、何度も噛むのが良いだろうと思うのだ。
こうすると、いろいろと頭に良く入ります。
MVpenがあるとデジタル化が簡単でいいなぁ。惚れたよ、私は。
とにかく、頭にたたき込みたい本の内容は、まず、こういうマインドマップづくりからはじめて、取り組んで行くのが賢いかもなぁと思ってます。なんかある程度「体系」として整ってる知識を、頭にたたき込むのに、マインドマップはとても適してると思います。
使い方が意外と難しいんだけどねぇ。マインドマップって。
で、私の場合は、パワーポイントが使い慣れてるので、手書きの文字がストロークデータとしてそのまま取り込めるMVpenと組み合わせると、かなり強力にうれしいのですよ。
パワポの「グループ化」「複数選択」の機能が大好きでねぇ。
それを使ってどんどんグループ化しては拡大縮小したり、特定の複数項目の背景色やら線の色・太さをいじったりとか、ちゃっちゃかやるのです。
そういうのが好き。
MVpenの付属ソフト「ノートテイカー」のデータが、そのままパワポの線画データとして読み込める(カットアンドペーストができる)のがわかったので、楽しみつついろいろ使っております。
自分の手書き文字が拡大・縮小・太さ/色変更とかできるというのは、なかなか新鮮な体験ですよ。これは面白いなぁ。
印象にも残りやすいです。お手軽に考える・復習するって言うような時はこれがいいなぁ。簡単でいいや。
シンプルマッピングでは、「本を読んだら、本を閉じて、自分の記憶だけでマップを書け」とノウハウを提案してくれていて、そのやり方を真似てまとめてみると、本当に自分が印象に残っているところを、
●自分の言葉
でまとめられるので良いのです。
シンプルマッピングもおすすめ。
MVpenもおすすめ。
マイスクリプトノートって言うソフトもおすすめ。
それから、この課題に使った「営業マンは断ることを覚えなさい」もおすすめです。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4837976549
ま、てなことで。
仕事で疲れたら、瞑想しよう。 1日20分・自分を浄化する習慣
2008年12月3日 読書
最近、世界的大恐慌のおかげで、取引先からの仕事が激減しております。
まぁ、欧米に進出してる取引先が多いので直撃なんですけどね。まぁしゃーない。
仕事が減ると、不安になるもので、この心の焦りを、いったいどうしたものかと考えてたんですが、そんな時に書店で見つけたのが、この本です。
●仕事で疲れたら、瞑想しよう。 1日20分・自分を浄化する習慣
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797346558
もともとは、いま使ってる手帳、
●マンダラ手帳
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B001GOL602
の活用法を書いた、
マンダラ手帳術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4798020621
という本を読んでいたら、そこに「座禅・瞑想をしなはれ」って事が書いてあって、ああ、これは良いかもな、と思ったという事なんですね。
座禅をして、何やら観念・想念が湧いてきたら、バケツにたまった水のように思って、バサっと捨てる。でまた湧いてきたらばさっと捨てる。これを繰り返しなさいと、まぁ、簡単に書いてあったんですね。
で、実際に試してみると、なかなかに良い感じ。こわばってしまっていた、自分の心がほぐれる感じがあったわけです。
で、そういう状態を一度体験してから、書店をブラブラしてたときに、この「仕事で疲れたら瞑想しよう」を見つけたわけです。
この「仕事で疲れたら…」の方には20分という、ひとつの大きな目安が示されていて、これがなかなか魅力的でした。まぁ実際には30分以上、できれば1時間とか、そのくらい座り続ける、あるいは瞑想し続けるのが良いのでしょうが、藤井さんは、それよりも20分くらいを毎日続けるのが良いとおっしゃるわけです。いやまぁ続くのなら5分でもいいよ、長く続けることが大事だ、とお考えなわけですね。
ただ、実際に瞑想をやって、湧いてきた雑念を払って、ある程度「心の洗濯」ができたかな? と思えるようになるまで、まぁ20分くらいはかかるんじゃないの? という事なんですね。
なので、いまも毎日やってみてるんですが、どうもこれ、すこぶる調子が良いです。
あまりクヨクヨもしないし、自然と前向きな気持ちになるし、いろんな事がうまくかみ合っているような感覚になってきますね。
著者の藤井さんという方は外資系企業の社長も務められた方で、海外の経営トップで瞑想を実践している人は想像以上に多い、という話なんですね。
で、実際に瞑想をしているトップで有名な人間というと、アップルのスティーブ・ジョブスだったりするわけですよ。
おおお、そうなのか!ジョブスがやってるのか!なら真似しよう!って感じであります。
ミーハーなのよ、私。すんません。(笑)
でも、やってみると、これはかなり効果が高いと実感するんですね。
で、ちょっと瞑想関連の書籍とか書店で調べてみたんですけど、意外に書籍自体は幅広く売られているんです。なのに目立たない。
なんで目立たないかというと、いろんなジャンルに分散してたりするからなんですね。
心理学・宗教・精神世界・スポーツ関係の、それぞれの棚の隅に「瞑想」と名の付く本が置いてあったりするという感じなんです。
この本の著者の藤井さんも書いておられますが、「瞑想」と聞くと、日本人はどうしてもすぐに宗教的なイメージで判断してしまって、怖がるか、バカにするか、のどちらかの態度を取ってしまうんです。(そうでなければ盲信するか、なんですが。)
これはもう本当にもったいない話で、恐がりも、馬鹿にもせず、ありのままを試すという事をしてみないといけません。どんなものなのか、「わかってない」のだから「わかろう」とすることですね。なので僕は試してみた、という事なんですが。
で、数冊立ち読みして、「瞑想を人に勧めたいのですが、良いのでしょうか?」というFAQの載ってる本がありまして、「どんどん勧めなさい」と書いてあったので、この文章を書いてる、というところがあります。
「どんどん勧めなさい」と言ってたのは、アルボムッレ スマナサーラさん(スリランカ上座仏教シャム派の日本大サンガ主任長老なのだそうです。よーわからんけど。)なんですがね。前に「怒らないこと」という本を読んで、けっこう感銘を受けたので、この人が「勧めてよし」というなら良いだろうと、そう思ったわけです。こういう心に関する事って言うのは、意外に「勧めずに、相手の自由意志にまかせてあげなさい」って言うのが多いし、それが普通なんですよね。でも、そう言うことを一番言いそうな、スマナサーラさんが、積極的に勧めなさいと言ってるんだから、やっぱり瞑想はそういう「誰もに勧めてかまわない、どんどん勧めるべき技術・ノウハウ」なんだなぁと確認できた、ということです。
まぁあれです、確かに、ヨガとか、そういう体操系とは違って、ただ座って自分の心を見つめるだけですからね。副作用もあるわけないし、どんどん勧めたらいいんだと思いました。
良いものは共有しましょう。
瞑想は良いです。
で、この「仕事に疲れたら」の「はじめに」に書いてあった事を、ちょっと引用します。
(引用開始)----------------------------------
瞑想という大きな助けが、あなたの目の前にある。それを活用しない手はない。
実際、瞑想には驚くべき効用がある。
まずストレスを解消する。ストレスのせいで発揮できなかった能力が目覚めてくる。集中力が向上し、創造力が増してくる。アイデアが浮かぶ。人間関係がよくなる。そして運がよくなる。
これらが一連のまとまりとして自分の身の上に実現するのだ。
しかも、何の道具も、お金もいらない。危険はなく、努力さえ不要である。
「でも瞑想って宗教っぽい」「何となくうさんくさい」と誤解しているとしたら、あまりにも、もったいない。
瞑想は科学的技術だ。安心していい。疑うことなく、静かに座って瞑想を始めることをおすすめする。これらは、自分の体験からいえることだ。
私は、瞑想の達人でも何でもない。気軽に二十数年間、毎日、瞑想を通じて自分の存在と静かに対峙(たいじ)してきただけの人間である。
自分で決定したことが、「自然」に助けられて実現するようになったのだ。人生の転機を、瞑想が、いつも大いなる伴侶として助けてくれた。瞑想が人生を幸せなものにしてくれたといえる。
瞑想を気軽にやってみることだ。あなたの人生が瞑想によってよりよい方向に変わって行くことを、私は強く確信している。
(引用終了)----------------------------------
とまぁ、こんな感じなんですがね。
もう、まさに、この一文がすべてだと思います。
瞑想はかなり良いですね。
何がどういいのかっていうのは、あまりに個人的な感想になってしまって、言ったところで理解不能になると思うので書きませんけど、とにかくいいです。
この一文で、最後の一行に「私は強く確信している。」というのがありますが、こういうところに「強く」という強調文を入れることは珍しいです。
多分、絶大な威力を感じておられるから、「強く」とあえて強調されてるんだろうなぁと思います。
で、僕自身の実感で言うと、とにかく背筋を伸ばして座って(椅子でも良いそうですよ。)、「雑念捨て」という基本さえ守れば、はじめて瞑想した、その日から効果があるように感じます。人にもよるんでしょうけど、僕はそう感じましたね。
ちょっと深い話になるので、項を分けようかと思ってたんですが、ちょろっとだけ書くと、ようは「思想や考えは、道具ではあるが、あなたではない」って事なんです。
主義主張や、あるべき姿、その他いろいろありますが、思想でも考え方でもなんでも良いのですが、そういうものは道具としてはとても便利で、自分の幸せを実現するためには役立てれば良いわけです。
しかし、その便利な考え方に囚われてしまって、「この考え方が私を支えているのだ」とか「この考え方こそが私だ」と思ったところから、不幸が始まるんですね。
「考え」は、「私」ではありません。「考え」は道具です。
だから、自分と道具がくっついてしまって、一体化している部分を、毎日洗って、ちゃんと分離しとく作業というのが、瞑想だと思うと良いと、僕は思います。
下着に洗濯が必要なように、心にも洗濯が必要で、それは毎日やらなくちゃいけないよ、という事です。
毎日お風呂に入って、体を清潔にするのが、あれほど気持ちよくて、健康にも良いのだから、心もお風呂にいれてやりましょうよ、ということです。
そういう意味で、瞑想はよろしいな。
最近で言うと、自転車、MVpen、瞑想のみっつが大のお気に入りです。
その中でも、この瞑想はお金もかからないし、危険もまったくないので、一番のお勧めだ、ということになります。
瞑想。ぜひやってみてください。
僕も「強く」おすすめします。
まぁ、欧米に進出してる取引先が多いので直撃なんですけどね。まぁしゃーない。
仕事が減ると、不安になるもので、この心の焦りを、いったいどうしたものかと考えてたんですが、そんな時に書店で見つけたのが、この本です。
●仕事で疲れたら、瞑想しよう。 1日20分・自分を浄化する習慣
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797346558
もともとは、いま使ってる手帳、
●マンダラ手帳
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B001GOL602
の活用法を書いた、
マンダラ手帳術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4798020621
という本を読んでいたら、そこに「座禅・瞑想をしなはれ」って事が書いてあって、ああ、これは良いかもな、と思ったという事なんですね。
座禅をして、何やら観念・想念が湧いてきたら、バケツにたまった水のように思って、バサっと捨てる。でまた湧いてきたらばさっと捨てる。これを繰り返しなさいと、まぁ、簡単に書いてあったんですね。
で、実際に試してみると、なかなかに良い感じ。こわばってしまっていた、自分の心がほぐれる感じがあったわけです。
で、そういう状態を一度体験してから、書店をブラブラしてたときに、この「仕事で疲れたら瞑想しよう」を見つけたわけです。
この「仕事で疲れたら…」の方には20分という、ひとつの大きな目安が示されていて、これがなかなか魅力的でした。まぁ実際には30分以上、できれば1時間とか、そのくらい座り続ける、あるいは瞑想し続けるのが良いのでしょうが、藤井さんは、それよりも20分くらいを毎日続けるのが良いとおっしゃるわけです。いやまぁ続くのなら5分でもいいよ、長く続けることが大事だ、とお考えなわけですね。
ただ、実際に瞑想をやって、湧いてきた雑念を払って、ある程度「心の洗濯」ができたかな? と思えるようになるまで、まぁ20分くらいはかかるんじゃないの? という事なんですね。
なので、いまも毎日やってみてるんですが、どうもこれ、すこぶる調子が良いです。
あまりクヨクヨもしないし、自然と前向きな気持ちになるし、いろんな事がうまくかみ合っているような感覚になってきますね。
著者の藤井さんという方は外資系企業の社長も務められた方で、海外の経営トップで瞑想を実践している人は想像以上に多い、という話なんですね。
で、実際に瞑想をしているトップで有名な人間というと、アップルのスティーブ・ジョブスだったりするわけですよ。
おおお、そうなのか!ジョブスがやってるのか!なら真似しよう!って感じであります。
ミーハーなのよ、私。すんません。(笑)
でも、やってみると、これはかなり効果が高いと実感するんですね。
で、ちょっと瞑想関連の書籍とか書店で調べてみたんですけど、意外に書籍自体は幅広く売られているんです。なのに目立たない。
なんで目立たないかというと、いろんなジャンルに分散してたりするからなんですね。
心理学・宗教・精神世界・スポーツ関係の、それぞれの棚の隅に「瞑想」と名の付く本が置いてあったりするという感じなんです。
この本の著者の藤井さんも書いておられますが、「瞑想」と聞くと、日本人はどうしてもすぐに宗教的なイメージで判断してしまって、怖がるか、バカにするか、のどちらかの態度を取ってしまうんです。(そうでなければ盲信するか、なんですが。)
これはもう本当にもったいない話で、恐がりも、馬鹿にもせず、ありのままを試すという事をしてみないといけません。どんなものなのか、「わかってない」のだから「わかろう」とすることですね。なので僕は試してみた、という事なんですが。
で、数冊立ち読みして、「瞑想を人に勧めたいのですが、良いのでしょうか?」というFAQの載ってる本がありまして、「どんどん勧めなさい」と書いてあったので、この文章を書いてる、というところがあります。
「どんどん勧めなさい」と言ってたのは、アルボムッレ スマナサーラさん(スリランカ上座仏教シャム派の日本大サンガ主任長老なのだそうです。よーわからんけど。)なんですがね。前に「怒らないこと」という本を読んで、けっこう感銘を受けたので、この人が「勧めてよし」というなら良いだろうと、そう思ったわけです。こういう心に関する事って言うのは、意外に「勧めずに、相手の自由意志にまかせてあげなさい」って言うのが多いし、それが普通なんですよね。でも、そう言うことを一番言いそうな、スマナサーラさんが、積極的に勧めなさいと言ってるんだから、やっぱり瞑想はそういう「誰もに勧めてかまわない、どんどん勧めるべき技術・ノウハウ」なんだなぁと確認できた、ということです。
まぁあれです、確かに、ヨガとか、そういう体操系とは違って、ただ座って自分の心を見つめるだけですからね。副作用もあるわけないし、どんどん勧めたらいいんだと思いました。
良いものは共有しましょう。
瞑想は良いです。
で、この「仕事に疲れたら」の「はじめに」に書いてあった事を、ちょっと引用します。
(引用開始)----------------------------------
瞑想という大きな助けが、あなたの目の前にある。それを活用しない手はない。
実際、瞑想には驚くべき効用がある。
まずストレスを解消する。ストレスのせいで発揮できなかった能力が目覚めてくる。集中力が向上し、創造力が増してくる。アイデアが浮かぶ。人間関係がよくなる。そして運がよくなる。
これらが一連のまとまりとして自分の身の上に実現するのだ。
しかも、何の道具も、お金もいらない。危険はなく、努力さえ不要である。
「でも瞑想って宗教っぽい」「何となくうさんくさい」と誤解しているとしたら、あまりにも、もったいない。
瞑想は科学的技術だ。安心していい。疑うことなく、静かに座って瞑想を始めることをおすすめする。これらは、自分の体験からいえることだ。
私は、瞑想の達人でも何でもない。気軽に二十数年間、毎日、瞑想を通じて自分の存在と静かに対峙(たいじ)してきただけの人間である。
自分で決定したことが、「自然」に助けられて実現するようになったのだ。人生の転機を、瞑想が、いつも大いなる伴侶として助けてくれた。瞑想が人生を幸せなものにしてくれたといえる。
瞑想を気軽にやってみることだ。あなたの人生が瞑想によってよりよい方向に変わって行くことを、私は強く確信している。
(引用終了)----------------------------------
とまぁ、こんな感じなんですがね。
もう、まさに、この一文がすべてだと思います。
瞑想はかなり良いですね。
何がどういいのかっていうのは、あまりに個人的な感想になってしまって、言ったところで理解不能になると思うので書きませんけど、とにかくいいです。
この一文で、最後の一行に「私は強く確信している。」というのがありますが、こういうところに「強く」という強調文を入れることは珍しいです。
多分、絶大な威力を感じておられるから、「強く」とあえて強調されてるんだろうなぁと思います。
で、僕自身の実感で言うと、とにかく背筋を伸ばして座って(椅子でも良いそうですよ。)、「雑念捨て」という基本さえ守れば、はじめて瞑想した、その日から効果があるように感じます。人にもよるんでしょうけど、僕はそう感じましたね。
ちょっと深い話になるので、項を分けようかと思ってたんですが、ちょろっとだけ書くと、ようは「思想や考えは、道具ではあるが、あなたではない」って事なんです。
主義主張や、あるべき姿、その他いろいろありますが、思想でも考え方でもなんでも良いのですが、そういうものは道具としてはとても便利で、自分の幸せを実現するためには役立てれば良いわけです。
しかし、その便利な考え方に囚われてしまって、「この考え方が私を支えているのだ」とか「この考え方こそが私だ」と思ったところから、不幸が始まるんですね。
「考え」は、「私」ではありません。「考え」は道具です。
だから、自分と道具がくっついてしまって、一体化している部分を、毎日洗って、ちゃんと分離しとく作業というのが、瞑想だと思うと良いと、僕は思います。
下着に洗濯が必要なように、心にも洗濯が必要で、それは毎日やらなくちゃいけないよ、という事です。
毎日お風呂に入って、体を清潔にするのが、あれほど気持ちよくて、健康にも良いのだから、心もお風呂にいれてやりましょうよ、ということです。
そういう意味で、瞑想はよろしいな。
最近で言うと、自転車、MVpen、瞑想のみっつが大のお気に入りです。
その中でも、この瞑想はお金もかからないし、危険もまったくないので、一番のお勧めだ、ということになります。
瞑想。ぜひやってみてください。
僕も「強く」おすすめします。
マスキングテープの本。
2008年11月17日 読書 コメント (3)
このあいだ、書店に行くと、
マスキングテープの本
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4072620882
というのを売っていて。
前から住友3Mの
「貼ってはがせるテープ」
http://www.mmm.co.jp/office/tape/811_1.html
というのが好きで使い続けてたんですが、たまたまその書店では、本と一緒にマスキングテープの「mt」も売ってたので、ためしに買ってみたのです。
そしたら!
こんな良いもの、いままで知らなかったのか!
というくらいに良い!
これはいいなぁ。
ほんとうにいい。
しっかりとまるのに、はがしやすくて、糊残りもほとんどない。
で、カラーバリエーションも豊かで、なによりとにかく楽しい。
この「マスキングテープの本」にもマスキングテープの活用例が写真でわんさと紹介されてるのですが、、それはもうとにかく全部楽しい。
中でも、家具にクレヨンで子供がいたずら描きして大変、というのを、全部マスキングテープでさせてる、なんていうのは、なかなかにアイディアですなぁ。
いや、実際、なんでもない小箱でも、マスキングテープでペタペタするだけで、すごく楽しくなる。
この本をパラパラと眺めるだけで、どれほど楽しいことか。
いやー、面白い。
で、このマスキングテープの雑貨向け展開である「mt」って商品が、やたらと良いので、ちょっとネットでぐぐってみたら、
mtのホームページ
http://www.masking-tape.jp/
というのがあって、そこに、この商品開発にいたった経緯とかが書いてあったのですね。
●mt誕生物語
http://www.masking-tape.jp/story/2008/01/1.html
なんかね、この話好きだなぁ。
特に後半、カラフルなマスキングテープが出来て、工場でテープの検品とかしてる人がウキウキしてる話とか、すごくいい。
たぶん「業務用の味気ないもの」を作ってるっていう意識しかなかったんだと思うんだけど、カラフルにバリエーションを揃えて、雑貨展開をすることで「楽しみの提供」をするという作業に変わったんだと思うのですよ。
やっぱり、人は人に喜びを与える事が楽しいのですよね。
そういう意味で、良いお話しだった。
「好き」って事が一番強いなぁって思う。
誰でもみんな、いろんな仕事を一所懸命にしてるんだと思うけど、それって当人は「たいしたことない」と思っていても、キチンと役目を果たすべく努力してるのなら、それはそれは素晴らしい事なんだよ、って思うし、そこには限りない可能性があるんだよなぁって思う。
日本人ってみんな、こんな感じで「業務用だし」と、あまり注目されることもなく、ただコツコツがんばってるだけなのかもしれないけど、でも、それって素晴らしい事なんだよねぇって思う。そういう実例って感じがした。
で、たとえば、「デザイン」っていう発想力が、こんな風に世界を広げていくなら、それはそれは素晴らしい力だよなぁって思う。
具体的には商品の色を少し変えただけの話なんだけど。ね。
マスキングテープの使い方は色々考えられると思うけど、僕はものすごく単純に、2㎝~3cmくらいちぎって、端を折り返して、そこに項目名を書き、ノートの端にピョコンと頭を出してインデックスタブとして使ってます。これがもう、実に便利。すごく便利。
色もきれいだしなぁ。
いきなり色違いで10巻ほど買ってしまいましたよ。10色もあれば、それこそいろいろ活用できますです。
で、また、その色選びがデザイナーさんがやってるだけに絶妙。
「そうだよ、そう! こういう色が欲しかったのよ!」って感じ。
これは久々のヒットだなぁって思います。
いやー、いいもの買った。
マスキングテープの本
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4072620882
というのを売っていて。
前から住友3Mの
「貼ってはがせるテープ」
http://www.mmm.co.jp/office/tape/811_1.html
というのが好きで使い続けてたんですが、たまたまその書店では、本と一緒にマスキングテープの「mt」も売ってたので、ためしに買ってみたのです。
そしたら!
こんな良いもの、いままで知らなかったのか!
というくらいに良い!
これはいいなぁ。
ほんとうにいい。
しっかりとまるのに、はがしやすくて、糊残りもほとんどない。
で、カラーバリエーションも豊かで、なによりとにかく楽しい。
この「マスキングテープの本」にもマスキングテープの活用例が写真でわんさと紹介されてるのですが、、それはもうとにかく全部楽しい。
中でも、家具にクレヨンで子供がいたずら描きして大変、というのを、全部マスキングテープでさせてる、なんていうのは、なかなかにアイディアですなぁ。
いや、実際、なんでもない小箱でも、マスキングテープでペタペタするだけで、すごく楽しくなる。
この本をパラパラと眺めるだけで、どれほど楽しいことか。
いやー、面白い。
で、このマスキングテープの雑貨向け展開である「mt」って商品が、やたらと良いので、ちょっとネットでぐぐってみたら、
mtのホームページ
http://www.masking-tape.jp/
というのがあって、そこに、この商品開発にいたった経緯とかが書いてあったのですね。
●mt誕生物語
http://www.masking-tape.jp/story/2008/01/1.html
なんかね、この話好きだなぁ。
特に後半、カラフルなマスキングテープが出来て、工場でテープの検品とかしてる人がウキウキしてる話とか、すごくいい。
たぶん「業務用の味気ないもの」を作ってるっていう意識しかなかったんだと思うんだけど、カラフルにバリエーションを揃えて、雑貨展開をすることで「楽しみの提供」をするという作業に変わったんだと思うのですよ。
やっぱり、人は人に喜びを与える事が楽しいのですよね。
そういう意味で、良いお話しだった。
「好き」って事が一番強いなぁって思う。
誰でもみんな、いろんな仕事を一所懸命にしてるんだと思うけど、それって当人は「たいしたことない」と思っていても、キチンと役目を果たすべく努力してるのなら、それはそれは素晴らしい事なんだよ、って思うし、そこには限りない可能性があるんだよなぁって思う。
日本人ってみんな、こんな感じで「業務用だし」と、あまり注目されることもなく、ただコツコツがんばってるだけなのかもしれないけど、でも、それって素晴らしい事なんだよねぇって思う。そういう実例って感じがした。
で、たとえば、「デザイン」っていう発想力が、こんな風に世界を広げていくなら、それはそれは素晴らしい力だよなぁって思う。
具体的には商品の色を少し変えただけの話なんだけど。ね。
マスキングテープの使い方は色々考えられると思うけど、僕はものすごく単純に、2㎝~3cmくらいちぎって、端を折り返して、そこに項目名を書き、ノートの端にピョコンと頭を出してインデックスタブとして使ってます。これがもう、実に便利。すごく便利。
色もきれいだしなぁ。
いきなり色違いで10巻ほど買ってしまいましたよ。10色もあれば、それこそいろいろ活用できますです。
で、また、その色選びがデザイナーさんがやってるだけに絶妙。
「そうだよ、そう! こういう色が欲しかったのよ!」って感じ。
これは久々のヒットだなぁって思います。
いやー、いいもの買った。
脳を「見える化」する思考ノート
2008年11月4日 読書 コメント (1)
■ノートは再読することが大事。
●脳を「見える化」する思考ノート
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4828414487
今日は、先日紹介した「東大ノート」の本と共通テーマで、ノートテイキングについて。
書店では、あんまり売れてるように見えないんですけど、この本は「ノートというものを、どう使うべきなのか」というのが、キチンと書かれていて、かなりの良書だと僕は思ってます。
この本で書かれているのは、
●自分が解決したい課題やテーマを、
ノートに余白を大目にして書き込み、
繰り返し見る事で何度も考え、
余白にアイディアを書き足して、
解決策や思索を深めていく。
という仕組みの提案で、単純に言うと、ただそれだけの本なんです。
言ってるのはそれだけ。
僕は、仕事のノートとは別に、思考とか発想だけをまとめるノートを、この春から用意して使い始めたのですが、その使い方に役立つところがたくさんありまして、「おお、これは良い!」と即買いしたわけです。
が、どうも世間の評判はあまり良くないみたいなんですねぇ。実際、アマゾンの評価を見ても、あんまり良い事が書いてない。
そうかなぁ? 僕はすごく良いと思ったんやけどなぁ…。
たぶん、
●ふつうの人は、自分のノートをあまり読み返したりしない。
んでしょうね。
メモやノートというのは通常、
1)書くことで覚える。
2)書いて忘れる。
というところに効能があって、だからこそ
●読み返すのはメモした内容を忘れしまった時
になってるんだと思うんです。
でも、メモやノートの効能には、
3)再読して思索を深める。
という部分もありまして、この本は、そういう用途でノートを使いたいと思っている人には、とても良いヒントになる書籍だ、ということになると思います。
この本で紹介されているのは、たとえば、考えるべき事を行間をたっぷりとって箇条書きにして、それを読み返しながら答えを考えていくというような手法です。
まぁ、紙のノートで「アイディア・プロセッサ(アウトラインプロセッサー)」を実現するというようなやり方ですね。
(えー、アイディア・プロセッサについては説明省略。パワーポイントで左に各ページのタイトルが出て、右窓に本文用紙が表示されているような形がアイディア・プロセッサの基本形です。全体の流れを見ながら、細目を考えていく、という文章作成用ツールとでも言いましょうか。)
こういうやり方は、勉強ノートとか、研究ノートとか、思索ノート、あるいは芸人さんならネタ帳ですか。そういうような継続して思考を記録するノートテイキングの手法としては、けっこう基本的で普遍的な方法だと思うのです。あんまりやってる人は少ないのかもしれないけど。
考えるためにノートを取る、と言うことをやっていると、ノートを見ること=考える事になってきて、かなり効果が高いんですね。
「忘れてから見る」わけではないので、どんどん刺激を受けて、発想が回転して行くんです。
そういう意味で、この本で提唱されてる思考を「見える化」するというのは、とても良いと僕は思いますね。
-------------
東大生のノートが美しいというのも、おそらくは忘れる前に見直すという「再読」を考えてのノートテイキングの手法なわけです。
そうするとその記憶は一時記憶・短期記憶から長期記憶に移行しやすいんですよね。短期間にどれだけ回すかって事が大切なわけですから。きれいなノートだと再読した時にパッと頭に情報が蘇りやすいわけです。
このあたりは、「エビングハウスの忘却曲線」をググってください。ネットで検索すれば、この程度の知識はいくらでも出てくる。すごい世の中になったもんですねぇ。
ようは、「忘れないうちに復習してしまう」というのが、長期記憶として定着させるには効果的って事です。
このあたりの人間の頭の仕組みを考えた上での勉強法に関しては、何度も繰り返しての紹介になりますけど、
●だれでも天才になれる科学的な勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4844062034/249-9767057-8485143
がとても参考になります。
90頁くらいの薄い本なので、ぜひとも一読をお勧めしたいですね。
-------------
それはさておき、僕はこの「思考ノート」の考え方を取り入れて、独自にいろいろ活用しやすい方法とか編み出してるんです。
この「思考ノート」の本では、B5のノートなどを使って、1頁で1項目で必ず「タイトル」をつけ、余白をたっぷりとって書きなさい、となってるんですが、僕はB6のノートで見開き活用にして、基本は左頁にだけ書き、読み返して思いついた発想は、右頁にまたがって書く、というやり方にしてます。
その他にも、再読に力を入れるために、
●先にノートに頁数を入れておく
●頁数は必ず赤色で書き込む(検索に便利)
●関連頁は、各項目のタイトル横にページ数を書いておき、
頁ジャンプがしやすいようにする。
●目次・索引の頁を巻末に先に確保
●目次・索引は読み返しをしながら、ポストイットに。
●頁に「耳」をつけるインデックスタグとして「ふせんポストイット」を活用
というような工夫をいろいろやってます。
それぞれ、いろいろ細かく解説したいんですが、あんまりここで書く内容でもないので割愛。
ともあれ、こういう風にすると、それなりに便利に使えて、あんまりノートパソコンを持ち歩こうという気になれなくなっちゃうんですね。
ノートパソコンは「見える化」に関しては、かなり非効率なので。アイディア・プロセッサ以外は、あんまり便利と思わないなぁ。
まぁ、原稿書きにはパソコンは必須なんですけど。
でも、「書く内容」をしっかり固めるには、紙の上で練る方が、何かと便利なように思います。
ということで、この話題は、またそのうち、続きを書きますね。
ではでは。
関連記事---------------
●モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
●抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
●脳を「見える化」する思考ノート
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4828414487
今日は、先日紹介した「東大ノート」の本と共通テーマで、ノートテイキングについて。
書店では、あんまり売れてるように見えないんですけど、この本は「ノートというものを、どう使うべきなのか」というのが、キチンと書かれていて、かなりの良書だと僕は思ってます。
この本で書かれているのは、
●自分が解決したい課題やテーマを、
ノートに余白を大目にして書き込み、
繰り返し見る事で何度も考え、
余白にアイディアを書き足して、
解決策や思索を深めていく。
という仕組みの提案で、単純に言うと、ただそれだけの本なんです。
言ってるのはそれだけ。
僕は、仕事のノートとは別に、思考とか発想だけをまとめるノートを、この春から用意して使い始めたのですが、その使い方に役立つところがたくさんありまして、「おお、これは良い!」と即買いしたわけです。
が、どうも世間の評判はあまり良くないみたいなんですねぇ。実際、アマゾンの評価を見ても、あんまり良い事が書いてない。
そうかなぁ? 僕はすごく良いと思ったんやけどなぁ…。
たぶん、
●ふつうの人は、自分のノートをあまり読み返したりしない。
んでしょうね。
メモやノートというのは通常、
1)書くことで覚える。
2)書いて忘れる。
というところに効能があって、だからこそ
●読み返すのはメモした内容を忘れしまった時
になってるんだと思うんです。
でも、メモやノートの効能には、
3)再読して思索を深める。
という部分もありまして、この本は、そういう用途でノートを使いたいと思っている人には、とても良いヒントになる書籍だ、ということになると思います。
この本で紹介されているのは、たとえば、考えるべき事を行間をたっぷりとって箇条書きにして、それを読み返しながら答えを考えていくというような手法です。
まぁ、紙のノートで「アイディア・プロセッサ(アウトラインプロセッサー)」を実現するというようなやり方ですね。
(えー、アイディア・プロセッサについては説明省略。パワーポイントで左に各ページのタイトルが出て、右窓に本文用紙が表示されているような形がアイディア・プロセッサの基本形です。全体の流れを見ながら、細目を考えていく、という文章作成用ツールとでも言いましょうか。)
こういうやり方は、勉強ノートとか、研究ノートとか、思索ノート、あるいは芸人さんならネタ帳ですか。そういうような継続して思考を記録するノートテイキングの手法としては、けっこう基本的で普遍的な方法だと思うのです。あんまりやってる人は少ないのかもしれないけど。
考えるためにノートを取る、と言うことをやっていると、ノートを見ること=考える事になってきて、かなり効果が高いんですね。
「忘れてから見る」わけではないので、どんどん刺激を受けて、発想が回転して行くんです。
そういう意味で、この本で提唱されてる思考を「見える化」するというのは、とても良いと僕は思いますね。
-------------
東大生のノートが美しいというのも、おそらくは忘れる前に見直すという「再読」を考えてのノートテイキングの手法なわけです。
そうするとその記憶は一時記憶・短期記憶から長期記憶に移行しやすいんですよね。短期間にどれだけ回すかって事が大切なわけですから。きれいなノートだと再読した時にパッと頭に情報が蘇りやすいわけです。
このあたりは、「エビングハウスの忘却曲線」をググってください。ネットで検索すれば、この程度の知識はいくらでも出てくる。すごい世の中になったもんですねぇ。
ようは、「忘れないうちに復習してしまう」というのが、長期記憶として定着させるには効果的って事です。
このあたりの人間の頭の仕組みを考えた上での勉強法に関しては、何度も繰り返しての紹介になりますけど、
●だれでも天才になれる科学的な勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4844062034/249-9767057-8485143
がとても参考になります。
90頁くらいの薄い本なので、ぜひとも一読をお勧めしたいですね。
-------------
それはさておき、僕はこの「思考ノート」の考え方を取り入れて、独自にいろいろ活用しやすい方法とか編み出してるんです。
この「思考ノート」の本では、B5のノートなどを使って、1頁で1項目で必ず「タイトル」をつけ、余白をたっぷりとって書きなさい、となってるんですが、僕はB6のノートで見開き活用にして、基本は左頁にだけ書き、読み返して思いついた発想は、右頁にまたがって書く、というやり方にしてます。
その他にも、再読に力を入れるために、
●先にノートに頁数を入れておく
●頁数は必ず赤色で書き込む(検索に便利)
●関連頁は、各項目のタイトル横にページ数を書いておき、
頁ジャンプがしやすいようにする。
●目次・索引の頁を巻末に先に確保
●目次・索引は読み返しをしながら、ポストイットに。
●頁に「耳」をつけるインデックスタグとして「ふせんポストイット」を活用
というような工夫をいろいろやってます。
それぞれ、いろいろ細かく解説したいんですが、あんまりここで書く内容でもないので割愛。
ともあれ、こういう風にすると、それなりに便利に使えて、あんまりノートパソコンを持ち歩こうという気になれなくなっちゃうんですね。
ノートパソコンは「見える化」に関しては、かなり非効率なので。アイディア・プロセッサ以外は、あんまり便利と思わないなぁ。
まぁ、原稿書きにはパソコンは必須なんですけど。
でも、「書く内容」をしっかり固めるには、紙の上で練る方が、何かと便利なように思います。
ということで、この話題は、またそのうち、続きを書きますね。
ではでは。
関連記事---------------
●モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
●抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
東大合格生のノートはかならず美しい
2008年10月28日 読書 コメント (9)
■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
今日は、
東大合格生のノートはかならず美しい
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4163706208
という本のご紹介。
オビに「偏差値50アップ」「塾はいらない」「ノートさえあれば」と、刺激的な見出しが踊ってますが、まぁ、実際そうだよなぁと思わせる内容であります。
とにかく、この本はいろいろな意味で衝撃的でした。勉強法につながるような本ですが、カラー写真満載で、実際のノートの実例がいくつも出てくるんです。それがすごかった。
著者の太田あやさんは、「進研ゼミ」の編集者からフリーになった方で、東大生のノートを見て、その美しさに驚き、同じように東大生の使っていたノートを集め続けてみたら、どれもがとても美しくてびっくりした、ということらしいんですね。で、その結果をまとめた本なわけです。集めたノート、200冊。表紙の折り返しにその集められたノートの表紙写真がずらりと並んでいます。
で、本の中身も、そのノートの中身の紹介でして、どれもこれも、実に美しく整理されているのです。章や節の良く分かる構造。見開き単位での合理的なフォーマットの作り方。読み直しながら書き込みできるように余白を取ったゆとりの書き方。
どれもこれも、ああ、そうか、頭の良い人というのは、頭の中身がこういう具合に合理的に整理されているのだなぁと感じさせる内容です。
とにかく写真で実物を見せているので、実に強力なインパクトがあります。ぜひご一読ください。
この本を見るだけで、仕事でのメモやノートの取り方が大きく変わると思いますし、この本で紹介されているテクニックを応用したノート取りを続けていくだけで、半年後、1年後に、自分の頭の中身が、必ず変わると実感できる内容です。
当然、受験期の学生にも効果があると思いますから、どんどん見た方が良いです。
が、しかしまぁ、大人の方が、この効果の高さはわかるかもなぁ。
いや、というのは、しかし、アマゾンでのこの本の評価なんです。もう、本当にやっかみだらけなんですよ。やっぱり東大ってのはそういうものなんですねぇ。東大受験して失敗したような人がグチグチ文句ばっかり言ってるっていうのばっかり。
そういう人たちには、「いやいや、あなた、やっぱりノート取りは大事ですよ。社会に出てから、やっと気付きましたよ、私は。あなたがた、それに失敗したから東大受験に失敗したんですよ。で、いまだにノートの取り方の重要性に気付いてないから、そういうやっかみしか言えないんですよ。」と私は言いたいのです。
なんせ、僕なんかは、芸大とかに進んだ人間で、受験自体をパスしたような人だから、そういうブランドに対する偏見はなくて、なにより、ライター稼業をしているので、現実の社会において「取材メモ=ノートテイキング」というテクニックが、いかに重要かを知ってるから、このノートの実例たちに圧倒される、という事なんですね。
で、たぶん、そっちの方がかなり重要な情報でしょう。
東大がうんとかすんとかどうでも良いですよ。
単純な話、やっぱり仕事が良くできる人は、どんどんメモを取っているんですよね。やり方はいろいろだろうけど、見てる限りはやっぱりメモを取るというのは生きる基本とすら言えます。
まえに、映画「ラストサムライ」の中で、インディアン文化を学んだ上で、インディアン文化殲滅に動き、それを悔やみながらも、また日本文化を学びながら、今度はサムライの心を大切にしようとする米国人、トム・クルーズ演ずる主人公ネイサン・オールグレンが、とにかく一冊の手帳を手にしていて、いろいろメモするシーンが出てくるんですね。文化研究としてのノートテイキング。
異文化研究のためには、こういう野帳とか、まぁKJ法もそうですけど、具体的事実をどんどん記帳していって、後から整理していくという過程がどうしても必要なわけですよ。だから、「知らない事を知る」ためには、ノートテイキングは絶対なわけです。そう言うことが象徴的に描かれていて、「ラストサムライ」は、あんまり良い映画とは思わなかったけど、僕にとっては印象的だったんです。あのノートが。
だから、そういう「メモを取る」「ノートを取る」というような基本部分こそが、本当に、国を超え、時代を超えて役立つテクニックでありまして、この本は、まさにそういう基本をズシンとした重みで伝えてくれる良書だなと僕は思うのです。
勉強してない人は、まずこれを立ち読みでいいから見るべきだと思うのです。いやほんとに。
というのは、まぁ確かに、この本は、受験にも役立つだろうし、この本自体ある程度受験市場を見て構成されてるとは思うのですけど、正直言って、このノート群の美しさは、一朝一夕に生まれるものではないと思うんですよ。
小学校の時から物事を整理して考える習慣と、それをつねに紙に書き付けることで、頭の「外部脳」としてノートを使う、という考え方と実際に試して試行錯誤した経験がないと、この美しさは無理だろうなぁ、って思うのです。
実際、この本で紹介されてるノートは、本当にすごく「美しい」んです。
それは別に色を使ってるとか(使ってるノートも多いけど)、図がきれいだとか(手描きですごくきれいな図が描いてあったり、コピーして貼ってあったりするけど)という事ではなくて、なによりも、
●再読したときに見やすいフォーマットを持っている。
という事なんですね。
つまり、再読する必要性を心の底から、体の芯からわかっている人間の取っているノートなんだって事なんです。
それをわかってるからこそ、授業を受けている最中に、「再読するためのノート」をすばやく美しく書くテクニックを身につけてるって事ですね。
それは、つまりは、
●人間は忘れる。
という事を、嫌というほど痛感している、という事です。
で、そしてそれを克服するためには、
●繰り返し覚える以外に道はない
と言うことも分ってる、ということですね。
だから、これだけの美しいノートが取れる。
という事は、それだけ「メモやノートを取らずに復習できず、忘れてしまった苦い経験をキチンと持っている」という事につながるんです。だから、それは小学校からの積み重ねだよなぁって思う。
そこがわかってなければ、これだけ美しい文字で、ていねいにノートを取る、なんて事は絶対にできません。
ほんと、繰り返すしかないんだから。学習なんて。
それ以外に道はない。
だから時間がかかるのよ。
東大へ行くような人間は、それを子供の頃からやってるって事です。
高校になってから、あわてて学習塾とか予備校とか、そういう選択を考えている段階で、実はアウトなんだよなぁっていうのを、ノートの現物という圧倒的な証拠で綴ってくれている、という本なのであります。
だから、このズシリとした重さを、立ち読みで良いから見ましょう!と僕は言いたいわけです。
実は私、この数年で、メモ取りの作業がどんどんアナログ化してきていまして、やたらと紙のノートの数が増えてるんですね。
最初は、仕事でのメモを、それまでは仕事ごとに茶封筒を作って、そこにメモを一緒に入れるというようなやり方をしてたんですけど、それをやめて一冊のノートにずっと書いていくというやり方に変えたわけです。で、それを繰り返し見るようにし始めたんですね。
そしたら、これが実に良いのです。いろんな意味でトータルに良い。仕事のスケジュールやポイントがいつも頭に入っているし、思いついた事を書き加えて、原稿書きにつなげるスピードが上がったりと、とにかく効率がすごく良いのです。
なので、最近はあんまりノートパソコンを持ち歩かなくなってきてしまったくらいで。
で、逆にノートの数がすごく増えてるんですね。
いまつけてるノートは、
●仕事用ノート(モレスキンA5サイズ?)
●思考・発想用ノート(B6ダブルリングノート)
●日記(B6ダブルリングノート)
●手帳(マンダラ手帳)
●アイデァ展開用メモ(マンダラフォーマットメモ帳)
●内面心理記録ノート(手帳に挟み込み:ハンディピック)
●英語用ノート(B6ダブルリングノート)
●夢の記録帳(B6ダブルリングノート)
●胸ポケット専用思いつきメモ(名刺サイズ:ロルバーン)
●各種記録用紙(A4クリアファイルにA4用紙を保管)
と、10種類もあるんです。
でも、これが意外に破綻しないんですねぇ。それぞれに役目もフォーマットも全部違うから。ちょうど、学校に行ってた頃、英語と国語と歴史とでノートが違ってたような感じです。全然ごちゃまぜにならないんですよね。
だいたい、ノートによっては5日に一度くらいしか書かないものも多いし、毎日つけるけど、先にエクセルとかでフォーマットを作っておいて、そこに記帳するだけだから5秒で済むというのもありますからね。
ノートを開いた段階で、すぐ一覧ができて、すぐ書き込める。しかもテーマごとに分かれてるから、最初から整理されてるのと同じ。置き場所などでテーマが違うとかもあるし(日記は寝床ですし、手帳はカバンの中ですからね。)パソコンよりはるかに便利です。
パソコンみたいに、停電で困るとか、そういうのがないし。
だから、紙のノートって大事なんだよなぁって、最近はつくづく思うのでありますよ。
ほんとに。
だから「東大ノート」に感激したって部分も大きいんですよねぇ。
あー、なんかちょっと趣味の文具の話に流れてしまったので、この話はここまでにします。
ではでは。
関連記事--------------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
今日は、
東大合格生のノートはかならず美しい
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4163706208
という本のご紹介。
オビに「偏差値50アップ」「塾はいらない」「ノートさえあれば」と、刺激的な見出しが踊ってますが、まぁ、実際そうだよなぁと思わせる内容であります。
とにかく、この本はいろいろな意味で衝撃的でした。勉強法につながるような本ですが、カラー写真満載で、実際のノートの実例がいくつも出てくるんです。それがすごかった。
著者の太田あやさんは、「進研ゼミ」の編集者からフリーになった方で、東大生のノートを見て、その美しさに驚き、同じように東大生の使っていたノートを集め続けてみたら、どれもがとても美しくてびっくりした、ということらしいんですね。で、その結果をまとめた本なわけです。集めたノート、200冊。表紙の折り返しにその集められたノートの表紙写真がずらりと並んでいます。
で、本の中身も、そのノートの中身の紹介でして、どれもこれも、実に美しく整理されているのです。章や節の良く分かる構造。見開き単位での合理的なフォーマットの作り方。読み直しながら書き込みできるように余白を取ったゆとりの書き方。
どれもこれも、ああ、そうか、頭の良い人というのは、頭の中身がこういう具合に合理的に整理されているのだなぁと感じさせる内容です。
とにかく写真で実物を見せているので、実に強力なインパクトがあります。ぜひご一読ください。
この本を見るだけで、仕事でのメモやノートの取り方が大きく変わると思いますし、この本で紹介されているテクニックを応用したノート取りを続けていくだけで、半年後、1年後に、自分の頭の中身が、必ず変わると実感できる内容です。
当然、受験期の学生にも効果があると思いますから、どんどん見た方が良いです。
が、しかしまぁ、大人の方が、この効果の高さはわかるかもなぁ。
いや、というのは、しかし、アマゾンでのこの本の評価なんです。もう、本当にやっかみだらけなんですよ。やっぱり東大ってのはそういうものなんですねぇ。東大受験して失敗したような人がグチグチ文句ばっかり言ってるっていうのばっかり。
そういう人たちには、「いやいや、あなた、やっぱりノート取りは大事ですよ。社会に出てから、やっと気付きましたよ、私は。あなたがた、それに失敗したから東大受験に失敗したんですよ。で、いまだにノートの取り方の重要性に気付いてないから、そういうやっかみしか言えないんですよ。」と私は言いたいのです。
なんせ、僕なんかは、芸大とかに進んだ人間で、受験自体をパスしたような人だから、そういうブランドに対する偏見はなくて、なにより、ライター稼業をしているので、現実の社会において「取材メモ=ノートテイキング」というテクニックが、いかに重要かを知ってるから、このノートの実例たちに圧倒される、という事なんですね。
で、たぶん、そっちの方がかなり重要な情報でしょう。
東大がうんとかすんとかどうでも良いですよ。
単純な話、やっぱり仕事が良くできる人は、どんどんメモを取っているんですよね。やり方はいろいろだろうけど、見てる限りはやっぱりメモを取るというのは生きる基本とすら言えます。
まえに、映画「ラストサムライ」の中で、インディアン文化を学んだ上で、インディアン文化殲滅に動き、それを悔やみながらも、また日本文化を学びながら、今度はサムライの心を大切にしようとする米国人、トム・クルーズ演ずる主人公ネイサン・オールグレンが、とにかく一冊の手帳を手にしていて、いろいろメモするシーンが出てくるんですね。文化研究としてのノートテイキング。
異文化研究のためには、こういう野帳とか、まぁKJ法もそうですけど、具体的事実をどんどん記帳していって、後から整理していくという過程がどうしても必要なわけですよ。だから、「知らない事を知る」ためには、ノートテイキングは絶対なわけです。そう言うことが象徴的に描かれていて、「ラストサムライ」は、あんまり良い映画とは思わなかったけど、僕にとっては印象的だったんです。あのノートが。
だから、そういう「メモを取る」「ノートを取る」というような基本部分こそが、本当に、国を超え、時代を超えて役立つテクニックでありまして、この本は、まさにそういう基本をズシンとした重みで伝えてくれる良書だなと僕は思うのです。
勉強してない人は、まずこれを立ち読みでいいから見るべきだと思うのです。いやほんとに。
というのは、まぁ確かに、この本は、受験にも役立つだろうし、この本自体ある程度受験市場を見て構成されてるとは思うのですけど、正直言って、このノート群の美しさは、一朝一夕に生まれるものではないと思うんですよ。
小学校の時から物事を整理して考える習慣と、それをつねに紙に書き付けることで、頭の「外部脳」としてノートを使う、という考え方と実際に試して試行錯誤した経験がないと、この美しさは無理だろうなぁ、って思うのです。
実際、この本で紹介されてるノートは、本当にすごく「美しい」んです。
それは別に色を使ってるとか(使ってるノートも多いけど)、図がきれいだとか(手描きですごくきれいな図が描いてあったり、コピーして貼ってあったりするけど)という事ではなくて、なによりも、
●再読したときに見やすいフォーマットを持っている。
という事なんですね。
つまり、再読する必要性を心の底から、体の芯からわかっている人間の取っているノートなんだって事なんです。
それをわかってるからこそ、授業を受けている最中に、「再読するためのノート」をすばやく美しく書くテクニックを身につけてるって事ですね。
それは、つまりは、
●人間は忘れる。
という事を、嫌というほど痛感している、という事です。
で、そしてそれを克服するためには、
●繰り返し覚える以外に道はない
と言うことも分ってる、ということですね。
だから、これだけの美しいノートが取れる。
という事は、それだけ「メモやノートを取らずに復習できず、忘れてしまった苦い経験をキチンと持っている」という事につながるんです。だから、それは小学校からの積み重ねだよなぁって思う。
そこがわかってなければ、これだけ美しい文字で、ていねいにノートを取る、なんて事は絶対にできません。
ほんと、繰り返すしかないんだから。学習なんて。
それ以外に道はない。
だから時間がかかるのよ。
東大へ行くような人間は、それを子供の頃からやってるって事です。
高校になってから、あわてて学習塾とか予備校とか、そういう選択を考えている段階で、実はアウトなんだよなぁっていうのを、ノートの現物という圧倒的な証拠で綴ってくれている、という本なのであります。
だから、このズシリとした重さを、立ち読みで良いから見ましょう!と僕は言いたいわけです。
実は私、この数年で、メモ取りの作業がどんどんアナログ化してきていまして、やたらと紙のノートの数が増えてるんですね。
最初は、仕事でのメモを、それまでは仕事ごとに茶封筒を作って、そこにメモを一緒に入れるというようなやり方をしてたんですけど、それをやめて一冊のノートにずっと書いていくというやり方に変えたわけです。で、それを繰り返し見るようにし始めたんですね。
そしたら、これが実に良いのです。いろんな意味でトータルに良い。仕事のスケジュールやポイントがいつも頭に入っているし、思いついた事を書き加えて、原稿書きにつなげるスピードが上がったりと、とにかく効率がすごく良いのです。
なので、最近はあんまりノートパソコンを持ち歩かなくなってきてしまったくらいで。
で、逆にノートの数がすごく増えてるんですね。
いまつけてるノートは、
●仕事用ノート(モレスキンA5サイズ?)
●思考・発想用ノート(B6ダブルリングノート)
●日記(B6ダブルリングノート)
●手帳(マンダラ手帳)
●アイデァ展開用メモ(マンダラフォーマットメモ帳)
●内面心理記録ノート(手帳に挟み込み:ハンディピック)
●英語用ノート(B6ダブルリングノート)
●夢の記録帳(B6ダブルリングノート)
●胸ポケット専用思いつきメモ(名刺サイズ:ロルバーン)
●各種記録用紙(A4クリアファイルにA4用紙を保管)
と、10種類もあるんです。
でも、これが意外に破綻しないんですねぇ。それぞれに役目もフォーマットも全部違うから。ちょうど、学校に行ってた頃、英語と国語と歴史とでノートが違ってたような感じです。全然ごちゃまぜにならないんですよね。
だいたい、ノートによっては5日に一度くらいしか書かないものも多いし、毎日つけるけど、先にエクセルとかでフォーマットを作っておいて、そこに記帳するだけだから5秒で済むというのもありますからね。
ノートを開いた段階で、すぐ一覧ができて、すぐ書き込める。しかもテーマごとに分かれてるから、最初から整理されてるのと同じ。置き場所などでテーマが違うとかもあるし(日記は寝床ですし、手帳はカバンの中ですからね。)パソコンよりはるかに便利です。
パソコンみたいに、停電で困るとか、そういうのがないし。
だから、紙のノートって大事なんだよなぁって、最近はつくづく思うのでありますよ。
ほんとに。
だから「東大ノート」に感激したって部分も大きいんですよねぇ。
あー、なんかちょっと趣味の文具の話に流れてしまったので、この話はここまでにします。
ではでは。
関連記事--------------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
この国は議員にいくら使うのか
2008年10月23日 読書 コメント (2)
今回紹介するのは、「9月に読んだ本」でもちょろっと紹介しましたが、政治に関する新書。「この国は議員にいくら使うのか」について。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4827550468
この本を読んで、僕はもう完全に発想が変わってしまったので、そこらあたりをザクっと紹介します。
ずっと、「役人が多すぎるし、まともな仕事をしとらん。まず役人の人員削減せなあかんよな」と思ってたんです。
で、この考え自体は変わってないんだけど、今までは、「だから政治家の権限を高めて、政治家主導にせないかん。」と思ってたし、「いまのように官僚が作った法案に政治家が乗るという形でなく、本来の政治家が法を作る議員立法をもっとやってもらわな困る」と思っていたし、「そのためには政治家には、調査や議員立法のための人員確保も必要だから、それなりの資金を与えないとしょうがないよなぁ」と思ってたんですね。
でも、この考え方こそが、大間違いなのだと、この本を読んで、良く分かりました。
著者の河村たかしさんは、民主党の議員(衆議院)さんですが、僕とはまったく逆で、
●「職業議員」こそ、金の無駄遣いの最たるものだ。政治改革をやるなら、まず議員という仕事はボランティアでやるものだ、という世界標準のやり方にするところからやらねば絶対に無理だ。
と言っておられる方なわけです。
あ、そうか。
そりゃそうだ!
なわけですよ。
議員がボランティアなんてことは、当たり前の話なんです。市民一人一人が経済活動などして生きていて、その生きている経済環境や、目指す活動の方向が違って、ぶつかってしまう時に、「これは話し合って調整せにゃ、埒が行かんぞ。」と考えるのが政治なわけです。
立場の違いを話し合いで調整するっていうのが民主主義だし、それが議会の存在意義だって話しなんですね。問題が起きてる部分だけをうまく解決すれば、本来は「こんな面倒な仕事やっとれんよ。」と言って、さっさと議会から去り、自分の仕事に戻る、っちゅうのが本来的なあり方なわけです。
で、そういう本来的なやり方をやってると、みんなが市民生活と議員を兼業という形になって、たとえば決まり事を整理するとか、こまかい所まで手が回らんから「調整業務専任の人間もいないとちょっと不便だわなぁ」ということで役人、官僚を専任で雇っているわけですよ。
だから、本来は「専任の人間なんて必要最小限で良いよなぁ」と議員の側が思っているのが当たり前なわけです。政治なんてもともと実体経済とかけ離れた、「調整のための話し合い作業」なわけだから、それ専門でやってても利益なんて出ないってのが大前提ですから。「やりたかねぇよ、こんな面倒な仕事。」ってなるのが普通は、というか世界標準の考え方からいけば当たり前なわけです。
ところがこれが、「議員を職業にしている」って人が出てきたから、おかしな事になってるんだ、と河村さんは言うわけですよ。職業になってしまってたら、それは役人と同じ事なわけですな。名前は政治家って事になってても、本質は官僚と一緒って事です。そういう議員ばっかりだから、無駄金を使ったおかしな法案しか出てこないのだ、としてるわけです。
なんでこんな事になってしまったのか? というと、河村さんは、戦後のGHQが主導して作った国会法に問題があるのだ、と指摘されてます。戦前は、この議員はボランティアっていうのが、まだまだ大前提としてあったらしいんですね。
で、だからこそ、戦後の大混乱期には、みんな復興で忙しくて「政治になんか関わっておれんがな」ということで議員に良い人材が集まらないのではないかと懸念されたらしいのですよ。そこで、「議員を高給にせねば!」と言う事になったようなんですね。
(引用開始)-------------------------------------
(引用終了)-------------------------------------
という事なんですって。
ようするに「政治家は、役人より給料が上」というルールが定められてるって事です。
さぁ、このルールを悪用するのはいったい誰? っちゅうことですな。
そら役人ですわな。
ようは、官僚が政治家に近づいて甘い言葉で給料を上げておいて、それから自分がその下に付くって事です。ようは自分の給料を上げるために政治家を金で取り込んでいるんですよ。ああ、恐ろしい。
我々の税金は、そういう最悪な仕組みのために、次々と値上げされてるっちゅうわけです。
とんでもない。
許せん話なわけでして。
政治家を金で縛り付けて、まず甘い汁を吸わせてから、自分の給料も上げる、という事を延々戦後ずっと繰り返してきたってことです。なんちゅうずる賢い奴らなんや、官僚という奴は、っちゅう話しです。
高潔でない政治家は、みんなこの「鼻薬」をかがされて、「歳費の取り放題システム」の側に荷担するようになっちゃったって話でしてね。
だから、本来ボランティアであるべき政治家が、専任化してしまって、「準官僚」に成り下がってるってことなんですね。
河村さんいわく、いまや議会と霞ヶ関で、同じ事を二重でやっとるだけだと。同じ審議を二回くりかえしてるだけってのがほとんどで、こんなムダはなかろうとおっしゃる。だからまず議員改革を先にやらないかんのだと。
まさにその通り! ですなぁ。
この本では、具体的に「文書交通通信滞在費」「地方議員の政務調査費」「議員報酬」「政党助成金」「議員年金」「議員宿舎」「議員会館」「運転手付き黒塗り高級車」と、細目がどのように給付されているのかの実態とムダをつまびらかにしてます。
で、後半では、それでも、わずかにこういうムダそのものを廃絶していってる数少ない地方議会の例とかを対談の形で二、三件紹介してるのですが、読んでて「わー、こらかなわんなぁ」と思うのが、こういう余分な金を「減らしましょう」と言った途端に、回りの甘い汁を吸ってる議員たちから、どれだけいじめられるのか? の実態が書いてあると言うことであります。
ここがね、ほんまにかなわん。
「おまえら、そんなに税金にぶら下がって生きていきたいんか? 最低やな。」
としか思えないわけでね。
そら、「職業議員」なんてのが当たり前の世界で「議員はボランティアじゃ」とかやったら、猛反発くらいますわなぁっちゅうのが、実に陰湿に感じ取れます。
本来的論議で論戦を挑むのではなくて、本筋とは関係ないところから、そういう「議員の金のもらいすぎを正そう」としてる議員をネチネチといじめてるわけですよ。
もう、本当にいやらしくて、最低なのであります。
こいつら、ほんまに根が腐っとるよなぁ、という事です。
あまりに陰湿だわ。
なので、後半の対談部分もぜひお読みください。
ほんまに、この本は必読だと思いますです。はい。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4827550468
この本を読んで、僕はもう完全に発想が変わってしまったので、そこらあたりをザクっと紹介します。
ずっと、「役人が多すぎるし、まともな仕事をしとらん。まず役人の人員削減せなあかんよな」と思ってたんです。
で、この考え自体は変わってないんだけど、今までは、「だから政治家の権限を高めて、政治家主導にせないかん。」と思ってたし、「いまのように官僚が作った法案に政治家が乗るという形でなく、本来の政治家が法を作る議員立法をもっとやってもらわな困る」と思っていたし、「そのためには政治家には、調査や議員立法のための人員確保も必要だから、それなりの資金を与えないとしょうがないよなぁ」と思ってたんですね。
でも、この考え方こそが、大間違いなのだと、この本を読んで、良く分かりました。
著者の河村たかしさんは、民主党の議員(衆議院)さんですが、僕とはまったく逆で、
●「職業議員」こそ、金の無駄遣いの最たるものだ。政治改革をやるなら、まず議員という仕事はボランティアでやるものだ、という世界標準のやり方にするところからやらねば絶対に無理だ。
と言っておられる方なわけです。
あ、そうか。
そりゃそうだ!
なわけですよ。
議員がボランティアなんてことは、当たり前の話なんです。市民一人一人が経済活動などして生きていて、その生きている経済環境や、目指す活動の方向が違って、ぶつかってしまう時に、「これは話し合って調整せにゃ、埒が行かんぞ。」と考えるのが政治なわけです。
立場の違いを話し合いで調整するっていうのが民主主義だし、それが議会の存在意義だって話しなんですね。問題が起きてる部分だけをうまく解決すれば、本来は「こんな面倒な仕事やっとれんよ。」と言って、さっさと議会から去り、自分の仕事に戻る、っちゅうのが本来的なあり方なわけです。
で、そういう本来的なやり方をやってると、みんなが市民生活と議員を兼業という形になって、たとえば決まり事を整理するとか、こまかい所まで手が回らんから「調整業務専任の人間もいないとちょっと不便だわなぁ」ということで役人、官僚を専任で雇っているわけですよ。
だから、本来は「専任の人間なんて必要最小限で良いよなぁ」と議員の側が思っているのが当たり前なわけです。政治なんてもともと実体経済とかけ離れた、「調整のための話し合い作業」なわけだから、それ専門でやってても利益なんて出ないってのが大前提ですから。「やりたかねぇよ、こんな面倒な仕事。」ってなるのが普通は、というか世界標準の考え方からいけば当たり前なわけです。
ところがこれが、「議員を職業にしている」って人が出てきたから、おかしな事になってるんだ、と河村さんは言うわけですよ。職業になってしまってたら、それは役人と同じ事なわけですな。名前は政治家って事になってても、本質は官僚と一緒って事です。そういう議員ばっかりだから、無駄金を使ったおかしな法案しか出てこないのだ、としてるわけです。
なんでこんな事になってしまったのか? というと、河村さんは、戦後のGHQが主導して作った国会法に問題があるのだ、と指摘されてます。戦前は、この議員はボランティアっていうのが、まだまだ大前提としてあったらしいんですね。
で、だからこそ、戦後の大混乱期には、みんな復興で忙しくて「政治になんか関わっておれんがな」ということで議員に良い人材が集まらないのではないかと懸念されたらしいのですよ。そこで、「議員を高給にせねば!」と言う事になったようなんですね。
(引用開始)-------------------------------------
このGHQの議会改革で「議員=高級」という歳費の高額化を招く法律が成文化された。昭和22年(1947年)に施行された国会法の第35条がそれだ。
●議員は、一般職の国家公務員の最高の給料額より少なくない歳費を受ける
これはつまり「国会議員は高級官僚、事務次官クラスよりもワンランク上の給料をもらえる」と言うことを意味している。
裏を返せば、事務次官をはじめとする高級官僚たちは、国会議員の歳費が上がらなければ自分たちの給料を上げられないということだ。
こうして、国会議員と国家公務員という、本来であれば税金の使い道をチェックする側とされる側の両者の思惑が一致し、「お手盛り」の高額歳費が生まれる流れが出来てしまった。
(引用終了)-------------------------------------
という事なんですって。
ようするに「政治家は、役人より給料が上」というルールが定められてるって事です。
さぁ、このルールを悪用するのはいったい誰? っちゅうことですな。
そら役人ですわな。
ようは、官僚が政治家に近づいて甘い言葉で給料を上げておいて、それから自分がその下に付くって事です。ようは自分の給料を上げるために政治家を金で取り込んでいるんですよ。ああ、恐ろしい。
我々の税金は、そういう最悪な仕組みのために、次々と値上げされてるっちゅうわけです。
とんでもない。
許せん話なわけでして。
政治家を金で縛り付けて、まず甘い汁を吸わせてから、自分の給料も上げる、という事を延々戦後ずっと繰り返してきたってことです。なんちゅうずる賢い奴らなんや、官僚という奴は、っちゅう話しです。
高潔でない政治家は、みんなこの「鼻薬」をかがされて、「歳費の取り放題システム」の側に荷担するようになっちゃったって話でしてね。
だから、本来ボランティアであるべき政治家が、専任化してしまって、「準官僚」に成り下がってるってことなんですね。
河村さんいわく、いまや議会と霞ヶ関で、同じ事を二重でやっとるだけだと。同じ審議を二回くりかえしてるだけってのがほとんどで、こんなムダはなかろうとおっしゃる。だからまず議員改革を先にやらないかんのだと。
まさにその通り! ですなぁ。
この本では、具体的に「文書交通通信滞在費」「地方議員の政務調査費」「議員報酬」「政党助成金」「議員年金」「議員宿舎」「議員会館」「運転手付き黒塗り高級車」と、細目がどのように給付されているのかの実態とムダをつまびらかにしてます。
で、後半では、それでも、わずかにこういうムダそのものを廃絶していってる数少ない地方議会の例とかを対談の形で二、三件紹介してるのですが、読んでて「わー、こらかなわんなぁ」と思うのが、こういう余分な金を「減らしましょう」と言った途端に、回りの甘い汁を吸ってる議員たちから、どれだけいじめられるのか? の実態が書いてあると言うことであります。
ここがね、ほんまにかなわん。
「おまえら、そんなに税金にぶら下がって生きていきたいんか? 最低やな。」
としか思えないわけでね。
そら、「職業議員」なんてのが当たり前の世界で「議員はボランティアじゃ」とかやったら、猛反発くらいますわなぁっちゅうのが、実に陰湿に感じ取れます。
本来的論議で論戦を挑むのではなくて、本筋とは関係ないところから、そういう「議員の金のもらいすぎを正そう」としてる議員をネチネチといじめてるわけですよ。
もう、本当にいやらしくて、最低なのであります。
こいつら、ほんまに根が腐っとるよなぁ、という事です。
あまりに陰湿だわ。
なので、後半の対談部分もぜひお読みください。
ほんまに、この本は必読だと思いますです。はい。
読書量と読書時間の増やし方
2008年9月8日 読書この一年くらい、読書量を増やそうと思っていろいろやってきたんですけど、効果があるなと自分で思った方法をちょっとまとめてみます。
●ブログに書く
いや、実は、毎月「今月読んだ本」を書いてるわけですが、この「毎月読んだ本を記録してブログにまとめる」というのが、かなり良い読書推進エンジンになってるんですね。
なので、読書をしたい方にはお薦めです。
●手帳に赤ペンで記録する
それと、もう一つあるのは、手帳に読んだ本を記録するようになった、というのがあります。いちおう、僕的には「読了した本だけ紹介する」という形にしてますので、手帳には読了した本を、読了した日付のところに赤ボールペンで、目立つようにタイトルを書き込んでおります。
これが、読書スピードを上げるというか、自分なりに計画するのに役立ちますね。興味の湧く本が見つからない時も多いし、「読みたい本はあるけど、いまはそういう気分じゃないし」という時もあるわけです。
でも、手帳で赤色でタイトルを書き込んでおくと、「あ、6日も読了の赤色タイトルがない!」とわかるんですね。で、「あー、読みたいと思ってた本を読もう!」という気になってくるわけです。
手帳は普段使ってるスケジュール用のものなんですが、予定と「記録」を一冊でやってるのが、ラクで良いのです。(ちなみに予定はシャープペンシルで書きます。確定したことはボールペンで記帳。で、3色とか4色ボールペンを使うととっても便利って事です。)
●胸ポケットメモを利用
で、僕はいちおう手帳とは別に胸ポケットにも入る、小さなメモ帳も持ち歩いてるんですが、(ちょっとした思いつきとかを歩いてる時にもメモできるように、です。)その一頁がだいたいいつも「○月に読みたい本」というタイトルで本のタイトルリストになっております。
胸ポケットに入れるメモ帳は、思いつきを書き込んだり、今日のTO DOを書いたりするのに使ってるんですが、本屋で面白そうな本を見つけたら即、メモするようにしてます。
あんまりドカドカ買ってるとお金もかかるので、タイトルだけメモして買わないままという本もありますな。
で、このタイトルリストが、「今後読みたい本」「買いたい本」の一覧になります。これは本を買う時のメモでもあると同時に、この一ヶ月で読む本の予定リストにもなってるんですね。タイトルの頭に□(しかく)マークを書いて、買ったら■と、黒く塗りつぶす、あるいはチェックマークを入れるというようにしてます。
で、買って読み終わって、手帳に赤ペンでタイトルを書き込んだ本は、こっちのメモの方はタイトルを横線で消して読み終わった日付を書いております。まぁ一覧があった方が便利だし。
で、線で消してないタイトルが「読みたい本・買いたい本」の一覧ということになります。
●書店の検索端末を使う
で、最近は、大きめの本屋さんだと、本の検索端末があるんですよね。あれで本を探すときに、このタイトル一覧が役に立つんです。タイトルさえキチンとメモしておけば、まぁ一発で検索できます。
本屋の中をうろちょろしなくて済むし、まとめて数冊買うときにも便利なんですね。あんまり店員さんに聞いたりはしないのですよ。複数の本を買いたい時は、検索端末で検索して、書籍情報をプリントアウトして、それを手に書店内を移動する方が早いですね。
●ネット書店と立ち読み
で、本をアマゾンなどのネット書店で買うこともよくあるんですが、やっぱり、まずは立ち読みして、内容を確認してから買いたいじゃないですか。違います? なので書店での検索は僕には必須なんです。
当然、買うつもりだったけど、立ち読みしてみてやめた、と言うことも多いです。
で、同じく、このタイトルは、ネット書店での検索にも大変役立ちます。正確な書名を覚えてないと、ちゃんと検索にひっかかってくれないんですよね。だから、このタイトルのメモが重要なわけです。
●本を捨てる
で、いつも、このページで本を紹介する時、アマゾンへのリンクを張ってますけど、なんでそうしてるのかというと、みなさまへの利便性を考えて、というのもあるんですが、実は「捨てるため」というのもあるのです。
アマゾンへのリンクさえキチンととっておけば、いつでも購入できるわけですよ。最近はマーケットプレイスとかで古本も買える。
であるなら、タイトルさえアマゾンにリンクしてあるなら、捨ててもまた買える、という事になるわけです。
そうしないと、月に10冊で年120冊。本棚がいくらあっても足りないって事になりますんで。
●デジカメで本の背表紙を撮影する
でも、いまはまだ、昔の本を捨てるのに手一杯なんですよねぇ。やれやれ。昔買った本は、タイトルだけデジカメで撮影して捨てるようにしてます。が、今年捨てたのは、まだ10冊だなぁ。トホホ。
捨てる方法が確立されてないと、本の置き場に困ります。置き場に困ると、読み方が偏ったりしますから、まず捨てる方法の確立は大事だと思いますよ。
●速読より、「読書時間を作る」のが大切。
さて、いくら本を買っても、読む時間を作らない限り、これは読めません。なので、読む時間を作るというのが、まず何より大事です。
時間を作るのに、かなり効果が高いのは「テレビを見る時間を減らす」だと思います。あとムダなネットサーフィン。この2つは最優先で「削る」べし、ですね。
ただし、「なくす」というのはかなり難しいと思うので「削る」のが良いと思います。
自分でも「ムダよなぁ」と思ってる部分を「削る」のが良いです。無理をしては続かないですから。見たい人は見る。
逆に読書する時間を先に確定しておけ!という方もおられますね(本田直之さんとか)。
そういう人は、「一日の時間割を作ると良いですよ」ともおっしゃってるんですが、で、その通りだとも思うんですが、僕はそこまでの事はしてませんねぇ。
●未読本専用棚を作る。
これは前に紹介したかもしれませんが、未読本だけはまとめて出かける時に目に付くところに置いてます。出かける前に「どれを読もうか?」というのを考えてチョイスします。
このあたり、「その日の気分」っていうのがかなり大事なように思います。
●カバンに複数の本を入れる。
で、未読本の中から上位3冊くらいをカバンに入れます。3冊だと、まぁ、そのうち一冊は読まないでそのまま持って帰るって事になるんですけど、でも、3冊くらいは持って出ることにしてます。2冊の時も多いですけど、1冊という事はあり得ない。
というのは、気分が乗らないって事もあるからですね。そういう時は優先順位の低かった方の本を読みます。一冊目を読む気がなくても、二冊目を開くと気分が変わって読みたくなるというのはあります。
まぁテレビのチャンネルをちょこちょこ切り換えるザッピングと同じ気分ですね。ああいう感じを書籍でもやれば良いのであります。これは意外に効果が大きいです。
●行きつけの喫茶店を作る。
気が乗ってきたときに、家に帰るのがもったいないなぁと感じる時がタマにあります。電車の中だと集中して読むんですが、そのまま自宅に帰るといろいろ雑用をしてしまって読まないって事は多い。なので、そういう時にサッと入って読書空間になるような、行きつけの喫茶店を作っておくと良いのです。
この場合、喫茶店を選ぶ条件の一番目は「明るいこと」ですね。
これが意外に難しかったりします。
その他に机とか、いろいろあるんですが、まぁとにかく何軒か、お気に入りの喫茶店は見つけておいた方が良いと思います。
●自分なりのルールを作る。
知り合いの先輩ライターの方も「読書は通勤電車の中だけ」と決めておられます。読書は他の事と平行してやるってのが難しいですから。とくに男性の場合。
家に帰って奥さんとかと話す時間が阻害されたら問題だし、また、家にいてるんなら、家族とのコミュニケーションをこそ優先するのが当たり前ですからね。
もし家で読書をするのなら一人暮らしではない人の場合は、部屋にこもって「いまから読書するから」と家族に断るとかした方が良いくらいでしょう。
そういう、なにがしかのルールは決めておいた方が続くような気がします。
んー、こんなところかなぁ。
本当は、ここに「書いてあった事を実地で試す」って言うのが入るんですけど、これはまたちょっと視点が変わるので、項目を改めます。
とりあえずはこんなところかなぁ。
いろいろ、良い方法があったら、教えてくださいませ。>みなさま。
●ブログに書く
いや、実は、毎月「今月読んだ本」を書いてるわけですが、この「毎月読んだ本を記録してブログにまとめる」というのが、かなり良い読書推進エンジンになってるんですね。
なので、読書をしたい方にはお薦めです。
●手帳に赤ペンで記録する
それと、もう一つあるのは、手帳に読んだ本を記録するようになった、というのがあります。いちおう、僕的には「読了した本だけ紹介する」という形にしてますので、手帳には読了した本を、読了した日付のところに赤ボールペンで、目立つようにタイトルを書き込んでおります。
これが、読書スピードを上げるというか、自分なりに計画するのに役立ちますね。興味の湧く本が見つからない時も多いし、「読みたい本はあるけど、いまはそういう気分じゃないし」という時もあるわけです。
でも、手帳で赤色でタイトルを書き込んでおくと、「あ、6日も読了の赤色タイトルがない!」とわかるんですね。で、「あー、読みたいと思ってた本を読もう!」という気になってくるわけです。
手帳は普段使ってるスケジュール用のものなんですが、予定と「記録」を一冊でやってるのが、ラクで良いのです。(ちなみに予定はシャープペンシルで書きます。確定したことはボールペンで記帳。で、3色とか4色ボールペンを使うととっても便利って事です。)
●胸ポケットメモを利用
で、僕はいちおう手帳とは別に胸ポケットにも入る、小さなメモ帳も持ち歩いてるんですが、(ちょっとした思いつきとかを歩いてる時にもメモできるように、です。)その一頁がだいたいいつも「○月に読みたい本」というタイトルで本のタイトルリストになっております。
胸ポケットに入れるメモ帳は、思いつきを書き込んだり、今日のTO DOを書いたりするのに使ってるんですが、本屋で面白そうな本を見つけたら即、メモするようにしてます。
あんまりドカドカ買ってるとお金もかかるので、タイトルだけメモして買わないままという本もありますな。
で、このタイトルリストが、「今後読みたい本」「買いたい本」の一覧になります。これは本を買う時のメモでもあると同時に、この一ヶ月で読む本の予定リストにもなってるんですね。タイトルの頭に□(しかく)マークを書いて、買ったら■と、黒く塗りつぶす、あるいはチェックマークを入れるというようにしてます。
で、買って読み終わって、手帳に赤ペンでタイトルを書き込んだ本は、こっちのメモの方はタイトルを横線で消して読み終わった日付を書いております。まぁ一覧があった方が便利だし。
で、線で消してないタイトルが「読みたい本・買いたい本」の一覧ということになります。
●書店の検索端末を使う
で、最近は、大きめの本屋さんだと、本の検索端末があるんですよね。あれで本を探すときに、このタイトル一覧が役に立つんです。タイトルさえキチンとメモしておけば、まぁ一発で検索できます。
本屋の中をうろちょろしなくて済むし、まとめて数冊買うときにも便利なんですね。あんまり店員さんに聞いたりはしないのですよ。複数の本を買いたい時は、検索端末で検索して、書籍情報をプリントアウトして、それを手に書店内を移動する方が早いですね。
●ネット書店と立ち読み
で、本をアマゾンなどのネット書店で買うこともよくあるんですが、やっぱり、まずは立ち読みして、内容を確認してから買いたいじゃないですか。違います? なので書店での検索は僕には必須なんです。
当然、買うつもりだったけど、立ち読みしてみてやめた、と言うことも多いです。
で、同じく、このタイトルは、ネット書店での検索にも大変役立ちます。正確な書名を覚えてないと、ちゃんと検索にひっかかってくれないんですよね。だから、このタイトルのメモが重要なわけです。
●本を捨てる
で、いつも、このページで本を紹介する時、アマゾンへのリンクを張ってますけど、なんでそうしてるのかというと、みなさまへの利便性を考えて、というのもあるんですが、実は「捨てるため」というのもあるのです。
アマゾンへのリンクさえキチンととっておけば、いつでも購入できるわけですよ。最近はマーケットプレイスとかで古本も買える。
であるなら、タイトルさえアマゾンにリンクしてあるなら、捨ててもまた買える、という事になるわけです。
そうしないと、月に10冊で年120冊。本棚がいくらあっても足りないって事になりますんで。
●デジカメで本の背表紙を撮影する
でも、いまはまだ、昔の本を捨てるのに手一杯なんですよねぇ。やれやれ。昔買った本は、タイトルだけデジカメで撮影して捨てるようにしてます。が、今年捨てたのは、まだ10冊だなぁ。トホホ。
捨てる方法が確立されてないと、本の置き場に困ります。置き場に困ると、読み方が偏ったりしますから、まず捨てる方法の確立は大事だと思いますよ。
●速読より、「読書時間を作る」のが大切。
さて、いくら本を買っても、読む時間を作らない限り、これは読めません。なので、読む時間を作るというのが、まず何より大事です。
時間を作るのに、かなり効果が高いのは「テレビを見る時間を減らす」だと思います。あとムダなネットサーフィン。この2つは最優先で「削る」べし、ですね。
ただし、「なくす」というのはかなり難しいと思うので「削る」のが良いと思います。
自分でも「ムダよなぁ」と思ってる部分を「削る」のが良いです。無理をしては続かないですから。見たい人は見る。
逆に読書する時間を先に確定しておけ!という方もおられますね(本田直之さんとか)。
そういう人は、「一日の時間割を作ると良いですよ」ともおっしゃってるんですが、で、その通りだとも思うんですが、僕はそこまでの事はしてませんねぇ。
●未読本専用棚を作る。
これは前に紹介したかもしれませんが、未読本だけはまとめて出かける時に目に付くところに置いてます。出かける前に「どれを読もうか?」というのを考えてチョイスします。
このあたり、「その日の気分」っていうのがかなり大事なように思います。
●カバンに複数の本を入れる。
で、未読本の中から上位3冊くらいをカバンに入れます。3冊だと、まぁ、そのうち一冊は読まないでそのまま持って帰るって事になるんですけど、でも、3冊くらいは持って出ることにしてます。2冊の時も多いですけど、1冊という事はあり得ない。
というのは、気分が乗らないって事もあるからですね。そういう時は優先順位の低かった方の本を読みます。一冊目を読む気がなくても、二冊目を開くと気分が変わって読みたくなるというのはあります。
まぁテレビのチャンネルをちょこちょこ切り換えるザッピングと同じ気分ですね。ああいう感じを書籍でもやれば良いのであります。これは意外に効果が大きいです。
●行きつけの喫茶店を作る。
気が乗ってきたときに、家に帰るのがもったいないなぁと感じる時がタマにあります。電車の中だと集中して読むんですが、そのまま自宅に帰るといろいろ雑用をしてしまって読まないって事は多い。なので、そういう時にサッと入って読書空間になるような、行きつけの喫茶店を作っておくと良いのです。
この場合、喫茶店を選ぶ条件の一番目は「明るいこと」ですね。
これが意外に難しかったりします。
その他に机とか、いろいろあるんですが、まぁとにかく何軒か、お気に入りの喫茶店は見つけておいた方が良いと思います。
●自分なりのルールを作る。
知り合いの先輩ライターの方も「読書は通勤電車の中だけ」と決めておられます。読書は他の事と平行してやるってのが難しいですから。とくに男性の場合。
家に帰って奥さんとかと話す時間が阻害されたら問題だし、また、家にいてるんなら、家族とのコミュニケーションをこそ優先するのが当たり前ですからね。
もし家で読書をするのなら一人暮らしではない人の場合は、部屋にこもって「いまから読書するから」と家族に断るとかした方が良いくらいでしょう。
そういう、なにがしかのルールは決めておいた方が続くような気がします。
んー、こんなところかなぁ。
本当は、ここに「書いてあった事を実地で試す」って言うのが入るんですけど、これはまたちょっと視点が変わるので、項目を改めます。
とりあえずはこんなところかなぁ。
いろいろ、良い方法があったら、教えてくださいませ。>みなさま。
ワーキングプア―日本を蝕む病
2008年8月29日 読書
ワープア問題は、すごく気になっていたので、この「ワーキングプア」という言葉を世の中に知らしめたとも言える、NHKスペシャル「ワーキングプア」の本は、すごく気になっておりました。
で、
「ワーキングプア日本を蝕む病」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4591098273/503-1393334-5299133
と、
「ワーキングプア解決への道」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4591104230/503-1393334-5299133
の二冊を買って読んだのですが、装丁がかっしりした書籍の割に、内容はけっこうあっさりしていて、読みやすく、すぐに読み終えてしまいました。
とくに「日本を蝕む病」の方は、「ああ、映像の人が文章を書くと、こうなるんだなぁ」という感じで、映像として印象的なシーンがいくつも出てくるので、あまり本を読まないような人でも、小説を読むような感じで読めるのではないかと思います。僕としては、論理的になるほど! と唸らされることが少ない感じで少し物足りなかったのですが。
しかし、続けて「解決への道」まで読むと、海外取材が入っていて、ワーキングプアの問題が、決して日本だけの問題ではなくて、グローバル経済というとんでもないものが誕生したことによって、世界中で苦しみが生まれているんだなという事がよくわかります。
日本よりもっとひどい社会格差があるアメリカでは、ワープアがまさにプログラマやSEのようなホワイトカラーの代表というような人のところまで浸食しているという実情を紹介していて、ショッキングです。インドやイスラエルなどのすぐれた人材に、その職を奪われているんですね。まさにインターネットが生み出したワープアです。
日本のワープアも、決して当人にやる気がないとかそういう事ではなくて、社会環境のあまりの急変というのが、相当に大きいようなんですね。生産に関する仕事では、中国の安い労働力に仕事を奪われたとか、あるいは海外から違法労働者が「留学生」「実習生」名目で入国して、それがそのまま「実習」名目で労働している実態が紹介されていて「こりゃ悲惨だな」と思わざるを得ません。そういう安い労働力と闘っていれば、そら疲弊するよなぁって思う。
あと、大変なのは自宅や土地を持っている人。これが悲惨なんですな。いちおう住む場所は確保できているから良いように思うのですが、ただそれだけで収入がない。で、生活保護を受けるべきというような状態なのだけれど、家や土地を持っているから生活保護も受けられないわけです。なにより思い出がつまった家から離れたくないとか、代々受け継いできた農地を自分の代で手放すわけにはいかないとか、そういう思いもあるわけですね。で、そういう人が生活保護以下の暮らしをしている。
ワーキングプアっていうのは、そんなこんなで、みんな「生活保護以下」の暮らしをしてるんですよね。
で、日本人は、この問題の恐ろしさを、あまり真剣に考えてないんじゃないか? というところがあります。
この問題は、アダルトチルドレンの問題と同じで、遺伝のように、格差そのものを、子供が引き継いでしまうんですよ。世代継承されてしまうんですね。
で、恐ろしいのは、こういうものが世代継承されると、それは一つの固定化された層になるという事です。「貧困層」という固定化された社会階層が日本に固定化して生まれてしまう、という事なんですね。
で、これは、「可哀想だからなんとかしてあげないといけない」というような甘っちょろい話ではないわけですよ。貧困層は、そういう一定層があるという事が原因になって、さまざまな社会不安や問題を誘発する温床になるんです。
貧困層は勉強や学習をしている時間的ゆとりも精神的ゆとりもありません。将来を考える、という先読みして動く発想そのものも生まれてこないんですね。それは社会が教えていないから身に付いていないのであって、当人たちに「なんとかしろ」と言っても、それは無理なんです。
で、そういう不勉強は、たとえば不健康につながり病気を産みます。もうそれだけで、医療費がとんでもなく跳ね上がります。国家の財政に影響を与えかねないほどに。
また、貧困は犯罪の温床でもあります。ほったらかしにしたら、どんどん凶悪犯罪が増えて、その対策費が、これまたどんどん必要になってしまうわけです。
じゃぁどうしたらええねん? っちゅう事ですが、ここを日本の政治は全然考えていないわけです。対応策がない。この二冊の本を読むと、とくに「解決への道」ですが、海外の、日本より状況が悪い国(アメリカ・イギリス・韓国)では、とにかく効果が期待できる対策が取られてるわけです。
でも日本では、全然そういう対策が取られていない。なにより、ワーキングプアの問題が「自分に関係のある問題なのだ」という風に考えていないのが困りものです。
●貧困層の世代間固定。
こんな恐ろしい事がありますか?
僕は本当にゾっとする。
人間は、正しく「学ぶ方法」を身につければ、健康で快適な生活を営む知恵を身につけられるんです。その方法を身につける機会を失ってしまってるから、こういう貧困層が拡大してしまう訳ですが、そういう人たちは、前から言ってるように、自分たちの物事の捉え方や考え方が「悪い癖」になっていて、それでそういう状態になってしまっているのだ、という事を「直視」できないわけです。これはもうそういうものなんだからしょうがないと思う。環境やら何やらが、彼らをそうさせてるのですよ。彼らが悪いのではない。
だからこそ、なんとかこの問題を解決する仕組みを作らないといけないんですね。
貧困層の固定化、という事を考えると、本当にいますぐ解決への対策を考えないとヤバイという気持ちになります。
たとえば、ニューヨークでは、一時期、落書きが流行して、ニューヨークのストリート系の文化とまでもてはやされたりしてましたが、ああいう「落書き」こそ、実は貧困や犯罪の大きな原因になってたんですね。(これはこの本に書いてあった話ではなくて、この15年くらいの間に起きた一般的話題です。)
ニューヨークの犯罪率がものすごく高かったので、誰だっけ? NY市長が徹底して落書きの撲滅をしたら犯罪も減った、という話なんです。
小さい事をないがしろにしない。
という事なんです。
これは「割れ窓理論」とか「ブロークンウィンドウ理論」と言って、軽微な犯罪をこそ徹底して取り締まることで、大きな犯罪の誘発を未然に防ぐことができるという理論なんですね。で、かなり効果があるようなんです。
だから、ワープアの問題を「私とは関係ない」と思ってはいけないのですよ。
僕は前々から「派遣という業務形態をやたらと拡大することは問題だなぁ」とは思っていたのですが、それがワープア問題にまで一直線に直結するとまでは考えていなかったんですね。でも、現実は坂を転がるように急速に悪くなっています。
だから、もう、本当に、いまなんとか手を打たないとまずい、というくらいに大問題なんですよ。これは。
で、このあたりは、単にグローバリズムの台頭というだけではなくて、日本人が、「和」の文化を持っていて、それは「個」の文化とは相容れないという大きな問題があるよなぁとつくづく実感せざるを得ないんですね。
個人主義というのは、英語ではindividualismと言って、in、divideな、という意味なんです。つまり、これ以上分割できない最小単位、ってことです。
で、この個人主義が成り立つのは、一神教で個人が神さまとつながっているからなんですね。この神とのつながりがあるからこそ、「社会」は成立するんです。
しかし、日本は個人主義はありません。一神教ではないので、社会の最小単位は「最低二人」から始まる「和」なんですね。「輪」です。
三人でも四人でも五人でもいいけど、とにかくお互いに顔を見合わせている「輪」の関係こそが社会であって、それ以外に「社会のあり方」があるなんて、想像することすらできないのですよ。
しかし、この「和と個」の違いは、会社で使っているグラフ用紙が、5mm方眼なのか、3mm方眼なのかというような違いでありまして、簡単に吸収はできないんですね。欧米の文化をそのまま移植しても、そこにある3mm単位の細かい方眼線の存在に、日本人は気付けないわけです。
だから社会の仕組みにモレとかヌケが出てしまうんですね。
この本で言うと、取材班がアメリカに行って気付くのは、宗教団体などが社会活動として行っている炊き出しとかが、どれほど世の中を下支えしているか? という事なんです。政治以外に、キチンと機能する社会的集団があって、それが力はなくても最低限の必要な対応はしているという事なんですね。
これ、まさに「個」だからできる事なんです。「和」では難しい。普通に働いてる人が、まったく個人の立場からボランティアに回るのが普通になってる。ひとりひとりがバラバラだから、逆にこういう事ができるわけです。
で、大事なのはそこに大前提として、「神の前にはみな平等」という常識があるからこそできる事なんですよ。
日本人だとそうは行きません。「和=輪」から外れてしまうと、小林よしのりが言うところの「砂粒の個人」になってしまって、社会とのつながりそのものが消滅してしまう。「個人として社会に関わる」というモチベーションや発想そのものが生まれないし、生まれたところで、とんでもなくモロく、壊れやすい。
だから、このワープアの問題は、そう簡単な問題ではないのです。
アメリカなら、そのように、個人として関わってきた人たちが「この問題では、こういう対策が必要だなぁ」という事を具体的に実感していて、そして実際に「とにかく自分たちでやれることはやろう」と実践していて、で、その実践結果をもとにして、政府などが「じゃあ、その運動に補助金を出そう」とか、「その仕組みを公的に行おう」というような形につながっていくわけです。
でも、日本だと、個人で動いても個人で動くという事自体が、ものすごく強い意志を必要としてしまうわけです。
だから、この手の問題は、すぐに官僚が「机上の論理」で対応策を作って、それで効果が全然出なくて、で、どんどん状態が悪化していくって事なわけですね。
というような事なので、まずみなさん、とりあえずこの本は読んでみてください。
どうしたらいいのかわからないけど、とにかく実情を正しく知るというのが、何より重要な事のはずなんです。
そのあと、個人的に動ける人は動けばいいし、動けない人でも、政府の対応の善し悪しくらいは判定できる。(実情の確認ができてないと善し悪し自体が判定できないのです。)
と言うことで、この本は必読ですね。
大急ぎで、読みましょう。
で、
「ワーキングプア日本を蝕む病」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4591098273/503-1393334-5299133
と、
「ワーキングプア解決への道」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4591104230/503-1393334-5299133
の二冊を買って読んだのですが、装丁がかっしりした書籍の割に、内容はけっこうあっさりしていて、読みやすく、すぐに読み終えてしまいました。
とくに「日本を蝕む病」の方は、「ああ、映像の人が文章を書くと、こうなるんだなぁ」という感じで、映像として印象的なシーンがいくつも出てくるので、あまり本を読まないような人でも、小説を読むような感じで読めるのではないかと思います。僕としては、論理的になるほど! と唸らされることが少ない感じで少し物足りなかったのですが。
しかし、続けて「解決への道」まで読むと、海外取材が入っていて、ワーキングプアの問題が、決して日本だけの問題ではなくて、グローバル経済というとんでもないものが誕生したことによって、世界中で苦しみが生まれているんだなという事がよくわかります。
日本よりもっとひどい社会格差があるアメリカでは、ワープアがまさにプログラマやSEのようなホワイトカラーの代表というような人のところまで浸食しているという実情を紹介していて、ショッキングです。インドやイスラエルなどのすぐれた人材に、その職を奪われているんですね。まさにインターネットが生み出したワープアです。
日本のワープアも、決して当人にやる気がないとかそういう事ではなくて、社会環境のあまりの急変というのが、相当に大きいようなんですね。生産に関する仕事では、中国の安い労働力に仕事を奪われたとか、あるいは海外から違法労働者が「留学生」「実習生」名目で入国して、それがそのまま「実習」名目で労働している実態が紹介されていて「こりゃ悲惨だな」と思わざるを得ません。そういう安い労働力と闘っていれば、そら疲弊するよなぁって思う。
あと、大変なのは自宅や土地を持っている人。これが悲惨なんですな。いちおう住む場所は確保できているから良いように思うのですが、ただそれだけで収入がない。で、生活保護を受けるべきというような状態なのだけれど、家や土地を持っているから生活保護も受けられないわけです。なにより思い出がつまった家から離れたくないとか、代々受け継いできた農地を自分の代で手放すわけにはいかないとか、そういう思いもあるわけですね。で、そういう人が生活保護以下の暮らしをしている。
ワーキングプアっていうのは、そんなこんなで、みんな「生活保護以下」の暮らしをしてるんですよね。
で、日本人は、この問題の恐ろしさを、あまり真剣に考えてないんじゃないか? というところがあります。
この問題は、アダルトチルドレンの問題と同じで、遺伝のように、格差そのものを、子供が引き継いでしまうんですよ。世代継承されてしまうんですね。
で、恐ろしいのは、こういうものが世代継承されると、それは一つの固定化された層になるという事です。「貧困層」という固定化された社会階層が日本に固定化して生まれてしまう、という事なんですね。
で、これは、「可哀想だからなんとかしてあげないといけない」というような甘っちょろい話ではないわけですよ。貧困層は、そういう一定層があるという事が原因になって、さまざまな社会不安や問題を誘発する温床になるんです。
貧困層は勉強や学習をしている時間的ゆとりも精神的ゆとりもありません。将来を考える、という先読みして動く発想そのものも生まれてこないんですね。それは社会が教えていないから身に付いていないのであって、当人たちに「なんとかしろ」と言っても、それは無理なんです。
で、そういう不勉強は、たとえば不健康につながり病気を産みます。もうそれだけで、医療費がとんでもなく跳ね上がります。国家の財政に影響を与えかねないほどに。
また、貧困は犯罪の温床でもあります。ほったらかしにしたら、どんどん凶悪犯罪が増えて、その対策費が、これまたどんどん必要になってしまうわけです。
じゃぁどうしたらええねん? っちゅう事ですが、ここを日本の政治は全然考えていないわけです。対応策がない。この二冊の本を読むと、とくに「解決への道」ですが、海外の、日本より状況が悪い国(アメリカ・イギリス・韓国)では、とにかく効果が期待できる対策が取られてるわけです。
でも日本では、全然そういう対策が取られていない。なにより、ワーキングプアの問題が「自分に関係のある問題なのだ」という風に考えていないのが困りものです。
●貧困層の世代間固定。
こんな恐ろしい事がありますか?
僕は本当にゾっとする。
人間は、正しく「学ぶ方法」を身につければ、健康で快適な生活を営む知恵を身につけられるんです。その方法を身につける機会を失ってしまってるから、こういう貧困層が拡大してしまう訳ですが、そういう人たちは、前から言ってるように、自分たちの物事の捉え方や考え方が「悪い癖」になっていて、それでそういう状態になってしまっているのだ、という事を「直視」できないわけです。これはもうそういうものなんだからしょうがないと思う。環境やら何やらが、彼らをそうさせてるのですよ。彼らが悪いのではない。
だからこそ、なんとかこの問題を解決する仕組みを作らないといけないんですね。
貧困層の固定化、という事を考えると、本当にいますぐ解決への対策を考えないとヤバイという気持ちになります。
たとえば、ニューヨークでは、一時期、落書きが流行して、ニューヨークのストリート系の文化とまでもてはやされたりしてましたが、ああいう「落書き」こそ、実は貧困や犯罪の大きな原因になってたんですね。(これはこの本に書いてあった話ではなくて、この15年くらいの間に起きた一般的話題です。)
ニューヨークの犯罪率がものすごく高かったので、誰だっけ? NY市長が徹底して落書きの撲滅をしたら犯罪も減った、という話なんです。
小さい事をないがしろにしない。
という事なんです。
これは「割れ窓理論」とか「ブロークンウィンドウ理論」と言って、軽微な犯罪をこそ徹底して取り締まることで、大きな犯罪の誘発を未然に防ぐことができるという理論なんですね。で、かなり効果があるようなんです。
だから、ワープアの問題を「私とは関係ない」と思ってはいけないのですよ。
僕は前々から「派遣という業務形態をやたらと拡大することは問題だなぁ」とは思っていたのですが、それがワープア問題にまで一直線に直結するとまでは考えていなかったんですね。でも、現実は坂を転がるように急速に悪くなっています。
だから、もう、本当に、いまなんとか手を打たないとまずい、というくらいに大問題なんですよ。これは。
で、このあたりは、単にグローバリズムの台頭というだけではなくて、日本人が、「和」の文化を持っていて、それは「個」の文化とは相容れないという大きな問題があるよなぁとつくづく実感せざるを得ないんですね。
個人主義というのは、英語ではindividualismと言って、in、divideな、という意味なんです。つまり、これ以上分割できない最小単位、ってことです。
で、この個人主義が成り立つのは、一神教で個人が神さまとつながっているからなんですね。この神とのつながりがあるからこそ、「社会」は成立するんです。
しかし、日本は個人主義はありません。一神教ではないので、社会の最小単位は「最低二人」から始まる「和」なんですね。「輪」です。
三人でも四人でも五人でもいいけど、とにかくお互いに顔を見合わせている「輪」の関係こそが社会であって、それ以外に「社会のあり方」があるなんて、想像することすらできないのですよ。
しかし、この「和と個」の違いは、会社で使っているグラフ用紙が、5mm方眼なのか、3mm方眼なのかというような違いでありまして、簡単に吸収はできないんですね。欧米の文化をそのまま移植しても、そこにある3mm単位の細かい方眼線の存在に、日本人は気付けないわけです。
だから社会の仕組みにモレとかヌケが出てしまうんですね。
この本で言うと、取材班がアメリカに行って気付くのは、宗教団体などが社会活動として行っている炊き出しとかが、どれほど世の中を下支えしているか? という事なんです。政治以外に、キチンと機能する社会的集団があって、それが力はなくても最低限の必要な対応はしているという事なんですね。
これ、まさに「個」だからできる事なんです。「和」では難しい。普通に働いてる人が、まったく個人の立場からボランティアに回るのが普通になってる。ひとりひとりがバラバラだから、逆にこういう事ができるわけです。
で、大事なのはそこに大前提として、「神の前にはみな平等」という常識があるからこそできる事なんですよ。
日本人だとそうは行きません。「和=輪」から外れてしまうと、小林よしのりが言うところの「砂粒の個人」になってしまって、社会とのつながりそのものが消滅してしまう。「個人として社会に関わる」というモチベーションや発想そのものが生まれないし、生まれたところで、とんでもなくモロく、壊れやすい。
だから、このワープアの問題は、そう簡単な問題ではないのです。
アメリカなら、そのように、個人として関わってきた人たちが「この問題では、こういう対策が必要だなぁ」という事を具体的に実感していて、そして実際に「とにかく自分たちでやれることはやろう」と実践していて、で、その実践結果をもとにして、政府などが「じゃあ、その運動に補助金を出そう」とか、「その仕組みを公的に行おう」というような形につながっていくわけです。
でも、日本だと、個人で動いても個人で動くという事自体が、ものすごく強い意志を必要としてしまうわけです。
だから、この手の問題は、すぐに官僚が「机上の論理」で対応策を作って、それで効果が全然出なくて、で、どんどん状態が悪化していくって事なわけですね。
というような事なので、まずみなさん、とりあえずこの本は読んでみてください。
どうしたらいいのかわからないけど、とにかく実情を正しく知るというのが、何より重要な事のはずなんです。
そのあと、個人的に動ける人は動けばいいし、動けない人でも、政府の対応の善し悪しくらいは判定できる。(実情の確認ができてないと善し悪し自体が判定できないのです。)
と言うことで、この本は必読ですね。
大急ぎで、読みましょう。
効率が10倍アップする 新・知的生産術
2008年8月8日 読書 コメント (1)
■月10冊と50冊の差。
今日は昨日読み終えた、勝間和代女史の
効率が10倍アップする 新・知的生産術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4478002037/503-1393334-5299133
のご紹介。
最近、「今月読んだ本」で毎月読んだ本をリストアップして書くと、どっちでも良いような本にも一言二言書く、なんてことになって、そのくせ、「これはいろいろ書きたい」という本への言及が、後回しになっちゃうなぁと感じて、これはいかん!という事で書くことにしたのであります。
というのも、この本に「アウトプットを高めよう」という話が載っていて、ああ、その通りだなぁと思ったからなんですね。こつこつとアウトプットをしていれば、アウトプット力が高まってくるからやるべきだって事なんですね。
勝間さんのご本は、
●無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4887595441/503-1393334-5299133
●無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4887595867/503-1393334-5299133
●お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践 (光文社新書)
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/433403425X/503-1393334-5299133
に続いて4冊目ですが、勝間さんの勉強法・ノウハウで、いままで「ちょっと変だなぁ」と思ってた部分がかなりこの「新・知的生産術」でクリアされていてスッキリした気はします。
ひとつに思っていたのは、勝間さんの知的生産の方法には、あまり紙媒体が登場しないと言う点。そこが気になっていて、書店で勝間さんの手書き色紙を見て「あ、あんまり上手い字じゃないなぁ、だからか。」と感じてたのですが、この本では、そのあたりの自分の偏りがまずいと感じられたのか「紙でもデジタルでも、なんでもいいからまずメモしましょう」という、当たり前のことがちゃんと書かれてました。(浅いけど。)
で、実際、勝間さんもウェストポーチにメモ帳を必ず入れてるんだそうです。ボイスレコーダーも使うけど、人の前では失礼になって使いづらいという事だそうで。
ノートパソコンを持ち歩くっていうのは、悪くないけど、現実問題としてはメモ帳をポケットに入れておいて、気がついた時にどんどんメモするって方が圧倒的に自分の発想を掬うには便利なんですよね。
だから、ちょっとやっぱり勝間さんはデジタルの方に傾き過ぎだと思うなぁ。この本でも、メモとか紙とかの優位性については言及してるけど、具体的な道具については一切語ってないんです。多分、紙はデジタル化する前のテンポラリなものとしてしか考えてないんだろうなぁって思う。
まずペン習字を二週間くらいでいいから練習して、メモを取るときにあわてず、自分が読むときに読みやすい字を書くように気をつける、というだけで、情報整理のあり方がかなり変わるだろうに。あと、自分の手書きの字を好きになること。それだけで、かなり文章自体が変わってくるはずなんだけどなぁ。もったいない事です。
まぁいいや、話がズレた。アウトプットが大切って事でした。
僕の読書歴で言うと、実は子供の頃にマンガが好きで、たくさんマンガは読んでたんですが、自分でもマンガを書きたくて、各種の「マンガ入門」の本を買ったという経験があるわけです。
石ノ森章太郎も手塚治虫もそういう「マンガの描き方」のような本を書籍として書いてるんですね。実は、僕にとって活字との接し方というのが、そういうハウツー物が子供の頃の印象深い形態のひとつとして存在してたので、「本は、読んだら、実際にやって試してみること」というのが、当たり前になってるところがあるんです。
なので、やたらとハウツー物の本が好きでして。
そういう意味で行くと、勝間さんの本は良いのですよね。ノウハウが実行しやすい具体的な形で書いてあって。当然、そのまま真似てもあんまり意味ないですけど。
ともあれ、本は、読んだら試さないと意味がない。
逆に言うなら、何かをやり始めよう、行動しようと思って本を読む、って事でもありますね。そういう姿勢が大事だろうなぁって思う。
まぁそういう人間なので、どんどん小説が読めなくなっちゃうんですけど。いや、小説も大事なんだけどね。まぁ、それはそれとして。
勝間さんも、読んだら試すって人らしく、そういう意味では共感するところの多い本でした。逆に言うと新鮮味は少なかったんですけど。7割くらいは同じような事を考えてるなぁって感じがしました。
ただ、違う部分3割が、やっぱりこの人はすごいんですけどね。
違う部分3割で「そうかぁ、なるほど」と思ったのは、「フレームワーク」という考え方の部分。これは新鮮かつ「そういう考え方でいくのは効率的だ」と、かなり刺激を受けました。やっぱり優れてる人は違うね。
でもまぁ、このあたりは、まだ僕が咀嚼しきれてないし、同じ勝間さんでも別の著作で「勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレームワーク力 ビジネス思考法の基本と実践」というのが出てるので、そっちを読んでから、また書くことにします。
ともあれ、この「7割は同じ発想だけど、3割は違う」っていうのは、要するに読んでる本の冊数の違いだなぁって事を思いました。
私で読了分月7−8冊。途中でやめたり、かじり読みでまぁいいやとしたものまで含めて、だいたい10冊ですが、勝間さんは月50冊ですからね。
速読のスキルも、お金を払って身につけて、ってことですから。
それに英語が出来るから、ものによっては英語の本も読んでおられる。
そういう差です。
速読のスキルもちょっとは身につけないといけないなぁって思いますね。まぁ、その前に、まず、出来ることをする、という事でテレビを見ずに本を読む時間をなんとか作り出せって言うのが、普通の人へのメッセージとして重要なんでしょうけど。
少なくとも僕はもう、それはクリアしちゃってるからなぁ。
読んだらわかる事ですし、僕自身はすでに実行してる事なので、わざわざ書くのもどうかと思うのですが、「そのとおり!それが一番!」と思った事を、ちょっとまとめますと、
●TO DO LIST より NOT TO DO LIST
これは上記のテレビを見るな!と同じ事ですね。自分の生活の中で「やめるべきこと」をリストアップして、やめるなり減らすなりしましょうって事です。
テレビの他にも、酒、タバコ、ゲームなどなど、けっこういろいろあります。
僕だとすでにタバコはやめてるので問題ないんですが、一年ほど前から酒の味を覚えて、毎日のように飲むようになっちゃったんで、これを減らさないといけない。ちゅうか、やめないとダメですね。あと、エロページを含む、ネットサーフ。これも減らすかやめるかしないといけない。(でも性的なものを「排除」するというのは、人間の本質からかけ離れているので、それはウソですね。減らせても排除はできんだろうな。)
速読も大事なんだけど、普通の人なら、まず「読む時間の確保」が先なんですね。で、その時間の確保にテレビ視聴時間を減らすというのは相当効果が高いです。
テレビにも有用な情報はあるんですが、万人受けさせるために内容が薄くなっていて、情報取得の時間効率がとても悪い、というのが勝間さんの指摘。まさにその通りなんですよ。書店での立ち読みや、書籍による情報取得の効率と、テレビでの情報取得の効率を考えると、僕の実感では20倍くらい違うと思う。テレビはひたすら、自分が知りたい事とは関係ないことを、えんえんずっと見てないとダメなんですよね。「ここだ!」という時に必ずCMが入るし。まぁ「無料」で広告してる媒体なんだから、しょうがないですけど。
やはり情報はお金を払って得るというのが一番で、それは結局「コスト的に見れば同じ事」になると勝間さんはおっしゃる。一万円払って得られる情報の質は、どの媒体でも結局は同じ事なんですね。2000円の本を5冊買うか、500円の本を20冊買うかは、結局同じなのだ、という話です。そういう意味で行くと、無料のテレビ放送で、一万円分の価値のある情報は、まず得られないって事ですね。
ここは、肝に据えておいた方がよろしい。実際その通りですから。
●お金より情報が大事
これは、この本の最初に書いてあった事なんですが、なんとなくは思っていながら、こうもはっきり書かれると、「そうか!そうだったのか!」と改めて気付かされる事で、僕はかなりショックを受けた一言でした。この一言を読んでしばらく、半日くらいかなぁ、「お金より情報が大事、お金より情報が大事、お金より情報が大事…」と、えんえん念仏を唱えるみたいにつぶやいてました。
上記の「テレビを見るな」と同じ事なんですが、いまの世の中、「お金がいちばん」というような時代になってしまっているように見えるんですが、その実、実態は「お金を出して情報を買っていて、それが大事だから金をつぎ込んでる」わけですよ。
つまりそれは「お金より情報が大事」って事なんです。
だから、本を読まないとダメなんですね。本です。本。もう、これは絶対。
●情報ソースは自分と他人と良書
で、勝間さんが上げてる大事な情報ソースは3つ。自分自身と他者の頭と良書なんですね。これも、僕はライターをやっていて、インタビューが仕事になっているので、すごく良く分かる。
「お金より情報が大事」と分れば、では情報はどこから生まれるのか? と考えなくてはなりません。で、情報が生まれているところは、テレビとかではなくて、人間の頭の中なんですね。
良い情報を自分の頭に入れて、キチンとフレームワークに沿って考えれば、それなりのアイディアや発想とかは出てきます。これをうまく掬うことです。これがまず一番重要な情報。
(ただし、ゴミを入れたらゴミしか出ないという問題がありまして、インプットしてない人は、まず先にインプットを増やさないと、良いアイディアも出ません。これまた当たり前の事です。)
他人の頭というのは、違う立場の人と実際に接してお話しをうかがうって事ですね。僕で言うと、この日記とかには書けないですけど、仕事上で企業の社長さんにインタビューしたり、ノーベル賞クラスの学者さんの講演DVDを文字起ししたりする機会がかなりあるんですが、そういう時の情報は、すごく有用です。本を10冊読むよりインパクトが大きいです。
で、次が良書。
これは言わずもがなです。本が良いのは、持ち歩いて空き時間にちょっとでも読み進められる事ですね。これを毎日5分からでいいからやってるかやってないかは、ロングスパンで見た時に、とんでもなく大きな差になると思います。
●生活習慣の技術がすべての基礎
これも、当たり前の事なんですが、「継続は力なり」です。本当に、これは大きな力でして、この継続力をつけるために生活を見直しましょうと勝間さんはおっしゃってる。
で、睡眠や食事から見直していきましょうとおっしゃる。勝間さん曰く、「睡眠は投資なんです。」という事。ちょっと目の前の楽しさに釣られて、つい夜更かしするのは、生活資金が足りなくてキャッシュローンを借りてるのと同じだという事なんですね。
効率の悪い頭でボケボケで、内容のない薄っぺらな情報を見てるというのは、金利がべらぼうに高いお金を借りてるような事で、賢い人がするべきことではない。
睡眠時間は、確実に確保することで体の修復、情報の整理が着実に行われてリターンが大きい。確実な投資であると考えなさいって事なんです。
これもその通りでして、僕が前から書いてる「後退することこそが進歩すること」にもつながるんですね。学習していて進歩できない時は、ワンステップ前の知識や学力が足りてない事がとても多いんです。そういう時は、自分が確実にできる基礎に立ち戻って問題点がないかを確認するのが、とても効果が高い。
そういう意味で、もっとも効果の高い「立ち戻り」は、まさに生活習慣でして、睡眠量を増やし、早寝して、朝の時間を有効活用し、食生活も質素にしていくというのが、結果的に、ありとあらゆる分野に良い効果を生むんですね。
僕はまだまだ、この基礎ができてないんですが、いまは早寝早起きにチャレンジ中であります。
あ、あと砂糖とか白米とか白いものは避けよ、ってのも勝間さんの言う事であり、僕も感じてる事ですなぁ。砂糖は中毒性があるよなぁ。やばい。
中毒というのと依存というのは一体化したものですからな。アダルトチルドレンってのが人への依存というのと同じで、依存に偏るのはヤバイです。
●バックアップは複数持つ。
あと、これはあまりに当たり前の事で、わざわざ言うほどの事でもないんですが、まぁ一時期ウィルス対策ソフトが大事かどうかとかの話をやりとりしたことがあるので、ちょっと。
勝間さんは、ノートPCを使ってるので、日々バックアップを取ってるそうです。当然ですわね。ノートパソコンも複数台持って、どれか壊れても他のノートで仕事ができるようにしてるそうです。
このあたりは当たり前の事で、僕も自宅と仕事場でパソコンは二台あって、それぞれにメールの記録は完全に二重に保管してあるし、仕事で自分が書く原稿に関しては、全部をひとつのテキストにまとめて、自宅と仕事場と、自分のホームページにバックアップと3つのバックアップを取ってます。
仕事帰りには毎回(とも限らないけど、まぁ週に4回から5回)は、そのテキストをFTPするわけですね。
で、自宅に帰ると、そのテキストを自宅のPCに取り込みます。
これで、まぁ必要な情報はキチンとバックアップがとれる。どれかパソコンが壊れても心配はない。これが自己責任って事ですね。こういう事を日々やってれば、別にウィルスなんて恐いものではないわけですよ。
さる世界的大企業の親会社さんのお仕事をさせていただいた時も、そのグループ会社の全データを預かるようなデータセンターというのを、そういう大企業さんだと持ってます。データを管理する専門の建物を建ててるんですね。耐震性のある独自設計の建物で、すごいものでした。
で、そこで何をやってるかというと、ものすごいセキュリティがかかっていて、IDカードを持ってないと入れないブースの中で、膨大な数のサーバーが、24時間、えんえんデータをバックアップし続けてるわけですよ。
データがなくなったら、自分の企業の終わりですからな。
自己責任の社会っていうのは、こういう自分の「お金より大事な情報」を、自分で徹底して守る社会って事です。
当たり前だけど。
だから、とにかく「何を残しておかなければいけないのか?」を自分に問いかけて、絶対に必要な情報に関しては、日々バックアップを取るって事ですね。
で、大事なのは、この「自分への問いかけ」で、ここを正しく考えないと、どうでも良いゴミ情報までバックアップするという愚行に走ることになる。
で、そういうような愚行に走ると、どんどんバックアップを取るのが面倒になって、大事な情報ですら複数持っていないという状態になっちゃうんですね。
で、そういう不安がある人が、「ウィルス対策ソフト」に頼ったりしてたりする。
いやー、ウィルス対策ソフトなんか、屁の役にも立ちませんよ。あんなもの。だっていたちごっこなんだから。こっけいとしか思えない。
大事な情報は、まず自分だって事です。
自分にとってエッセンシャルな情報って何だ? と自分に問いかけることでしょう。
だいたいパソコンは壊れる。(笑)
勝間さんの文章を引用します。
(引用開始)--------------------------
■ノートパソコンは「定期的に壊れる」ことを前提に
とはいえ、ノートパソコンは定期的に壊れます。水をかけてしまったり、落としたり、理由もなく立ち上がらなくなります。
銀行のオンラインシステムや大きなウェブショッピングのシステムなどは、必ずシステムの二重化を行っており、24時間何かトラブルがあった場合にでも、動き続けるように設計されています。
私たちのノートパソコンも同じなのです。ノートパソコンは必ず壊れます。したがって壊れた後にあわてないために、下記のようなリスクマネジメントをお薦めします。これも生産性を落とさないための技法の一つです。
(引用終了)--------------------------
とあって、その後に、
・パソコン2台以上用意
・バックアップを定期的に(バックアップソフトの紹介)
・メールはローカル以外にGmailでも保存
・ノートの修理も速いサービスを選択
・電池も同じものを二個用意し定期的に交換して使う。
となっておりまして、まぁ実に見事に「ウィルス対策ソフト」なんてものは紹介されてすらいない。見事だなぁ、さすがに外資系に勤めてた人は違う。
日本人だと、この発想に「でも、ウィルスって伝染して他人に迷惑かけるじゃん」っていう気遣いが入るんですよね。だから「ウィルス対策ソフトを入れるのは礼儀だ」みたいな事を考えてしまう。
でも、それ以前にパソコンは壊れますから。最近の台湾製のボードなんか、「技術の進化を考えれば、パソコンは買い換えが必然。3年以上使えるパソコンを設計するのはコストのムダ」って発想ですしね。だからパソコンはウィルス以前に、まず壊れるんです。そうなってるんです。
なので、まずデータは自己責任でつねにバックアップを取る以外に手はないし、ウィルス以前にPCが壊れた時を想定してないとダメって事です。PCって、もともとそういう文化を背景に発展してきた道具なんだから、それはしょうがないよって事でね。
まぁ、僕的には「そんな事当たり前やん」って話なんですけど、まぁ勝間さんがわざわざリストにして書いてると言うことは、こういう当たり前の事も考えつかない人の方が多いってことなんだろうなと逆に気付いて紹介しました。
僕的には上記の対策のうち、
・電池も同じものを二個用意し定期的に交換して使う。
というのが「ああ、それは良いな」と思いました。携帯電話だとバッテリーってアホほど高いのだけど、ノートパソコンの場合は、本体に比べると、まぁまぁそこそこの値段であるし。良いアイデァですねぇ。
--------------------------
まぁ、こんなとこかな、この本に関しては。
でも、おおむね一般人にはお勧め出来る内容だと思います。情報の整理・集約度が高いので、あまり情報整理・知的生産関連の書籍を読んでない人(それこそ月1冊と読まない人)には、モレ・ムダがなくて良い本だと思います。あんまり読んでない人には、こういう集約度の高い本をお薦めしたくなりますわね。
(このモレ・ムダがないってのが、また勝間さんならではのノウハウなんですが、それはまた。)
今日は昨日読み終えた、勝間和代女史の
効率が10倍アップする 新・知的生産術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4478002037/503-1393334-5299133
のご紹介。
最近、「今月読んだ本」で毎月読んだ本をリストアップして書くと、どっちでも良いような本にも一言二言書く、なんてことになって、そのくせ、「これはいろいろ書きたい」という本への言及が、後回しになっちゃうなぁと感じて、これはいかん!という事で書くことにしたのであります。
というのも、この本に「アウトプットを高めよう」という話が載っていて、ああ、その通りだなぁと思ったからなんですね。こつこつとアウトプットをしていれば、アウトプット力が高まってくるからやるべきだって事なんですね。
勝間さんのご本は、
●無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4887595441/503-1393334-5299133
●無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4887595867/503-1393334-5299133
●お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践 (光文社新書)
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/433403425X/503-1393334-5299133
に続いて4冊目ですが、勝間さんの勉強法・ノウハウで、いままで「ちょっと変だなぁ」と思ってた部分がかなりこの「新・知的生産術」でクリアされていてスッキリした気はします。
ひとつに思っていたのは、勝間さんの知的生産の方法には、あまり紙媒体が登場しないと言う点。そこが気になっていて、書店で勝間さんの手書き色紙を見て「あ、あんまり上手い字じゃないなぁ、だからか。」と感じてたのですが、この本では、そのあたりの自分の偏りがまずいと感じられたのか「紙でもデジタルでも、なんでもいいからまずメモしましょう」という、当たり前のことがちゃんと書かれてました。(浅いけど。)
で、実際、勝間さんもウェストポーチにメモ帳を必ず入れてるんだそうです。ボイスレコーダーも使うけど、人の前では失礼になって使いづらいという事だそうで。
ノートパソコンを持ち歩くっていうのは、悪くないけど、現実問題としてはメモ帳をポケットに入れておいて、気がついた時にどんどんメモするって方が圧倒的に自分の発想を掬うには便利なんですよね。
だから、ちょっとやっぱり勝間さんはデジタルの方に傾き過ぎだと思うなぁ。この本でも、メモとか紙とかの優位性については言及してるけど、具体的な道具については一切語ってないんです。多分、紙はデジタル化する前のテンポラリなものとしてしか考えてないんだろうなぁって思う。
まずペン習字を二週間くらいでいいから練習して、メモを取るときにあわてず、自分が読むときに読みやすい字を書くように気をつける、というだけで、情報整理のあり方がかなり変わるだろうに。あと、自分の手書きの字を好きになること。それだけで、かなり文章自体が変わってくるはずなんだけどなぁ。もったいない事です。
まぁいいや、話がズレた。アウトプットが大切って事でした。
僕の読書歴で言うと、実は子供の頃にマンガが好きで、たくさんマンガは読んでたんですが、自分でもマンガを書きたくて、各種の「マンガ入門」の本を買ったという経験があるわけです。
石ノ森章太郎も手塚治虫もそういう「マンガの描き方」のような本を書籍として書いてるんですね。実は、僕にとって活字との接し方というのが、そういうハウツー物が子供の頃の印象深い形態のひとつとして存在してたので、「本は、読んだら、実際にやって試してみること」というのが、当たり前になってるところがあるんです。
なので、やたらとハウツー物の本が好きでして。
そういう意味で行くと、勝間さんの本は良いのですよね。ノウハウが実行しやすい具体的な形で書いてあって。当然、そのまま真似てもあんまり意味ないですけど。
ともあれ、本は、読んだら試さないと意味がない。
逆に言うなら、何かをやり始めよう、行動しようと思って本を読む、って事でもありますね。そういう姿勢が大事だろうなぁって思う。
まぁそういう人間なので、どんどん小説が読めなくなっちゃうんですけど。いや、小説も大事なんだけどね。まぁ、それはそれとして。
勝間さんも、読んだら試すって人らしく、そういう意味では共感するところの多い本でした。逆に言うと新鮮味は少なかったんですけど。7割くらいは同じような事を考えてるなぁって感じがしました。
ただ、違う部分3割が、やっぱりこの人はすごいんですけどね。
違う部分3割で「そうかぁ、なるほど」と思ったのは、「フレームワーク」という考え方の部分。これは新鮮かつ「そういう考え方でいくのは効率的だ」と、かなり刺激を受けました。やっぱり優れてる人は違うね。
でもまぁ、このあたりは、まだ僕が咀嚼しきれてないし、同じ勝間さんでも別の著作で「勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレームワーク力 ビジネス思考法の基本と実践」というのが出てるので、そっちを読んでから、また書くことにします。
ともあれ、この「7割は同じ発想だけど、3割は違う」っていうのは、要するに読んでる本の冊数の違いだなぁって事を思いました。
私で読了分月7−8冊。途中でやめたり、かじり読みでまぁいいやとしたものまで含めて、だいたい10冊ですが、勝間さんは月50冊ですからね。
速読のスキルも、お金を払って身につけて、ってことですから。
それに英語が出来るから、ものによっては英語の本も読んでおられる。
そういう差です。
速読のスキルもちょっとは身につけないといけないなぁって思いますね。まぁ、その前に、まず、出来ることをする、という事でテレビを見ずに本を読む時間をなんとか作り出せって言うのが、普通の人へのメッセージとして重要なんでしょうけど。
少なくとも僕はもう、それはクリアしちゃってるからなぁ。
読んだらわかる事ですし、僕自身はすでに実行してる事なので、わざわざ書くのもどうかと思うのですが、「そのとおり!それが一番!」と思った事を、ちょっとまとめますと、
●TO DO LIST より NOT TO DO LIST
これは上記のテレビを見るな!と同じ事ですね。自分の生活の中で「やめるべきこと」をリストアップして、やめるなり減らすなりしましょうって事です。
テレビの他にも、酒、タバコ、ゲームなどなど、けっこういろいろあります。
僕だとすでにタバコはやめてるので問題ないんですが、一年ほど前から酒の味を覚えて、毎日のように飲むようになっちゃったんで、これを減らさないといけない。ちゅうか、やめないとダメですね。あと、エロページを含む、ネットサーフ。これも減らすかやめるかしないといけない。(でも性的なものを「排除」するというのは、人間の本質からかけ離れているので、それはウソですね。減らせても排除はできんだろうな。)
速読も大事なんだけど、普通の人なら、まず「読む時間の確保」が先なんですね。で、その時間の確保にテレビ視聴時間を減らすというのは相当効果が高いです。
テレビにも有用な情報はあるんですが、万人受けさせるために内容が薄くなっていて、情報取得の時間効率がとても悪い、というのが勝間さんの指摘。まさにその通りなんですよ。書店での立ち読みや、書籍による情報取得の効率と、テレビでの情報取得の効率を考えると、僕の実感では20倍くらい違うと思う。テレビはひたすら、自分が知りたい事とは関係ないことを、えんえんずっと見てないとダメなんですよね。「ここだ!」という時に必ずCMが入るし。まぁ「無料」で広告してる媒体なんだから、しょうがないですけど。
やはり情報はお金を払って得るというのが一番で、それは結局「コスト的に見れば同じ事」になると勝間さんはおっしゃる。一万円払って得られる情報の質は、どの媒体でも結局は同じ事なんですね。2000円の本を5冊買うか、500円の本を20冊買うかは、結局同じなのだ、という話です。そういう意味で行くと、無料のテレビ放送で、一万円分の価値のある情報は、まず得られないって事ですね。
ここは、肝に据えておいた方がよろしい。実際その通りですから。
●お金より情報が大事
これは、この本の最初に書いてあった事なんですが、なんとなくは思っていながら、こうもはっきり書かれると、「そうか!そうだったのか!」と改めて気付かされる事で、僕はかなりショックを受けた一言でした。この一言を読んでしばらく、半日くらいかなぁ、「お金より情報が大事、お金より情報が大事、お金より情報が大事…」と、えんえん念仏を唱えるみたいにつぶやいてました。
上記の「テレビを見るな」と同じ事なんですが、いまの世の中、「お金がいちばん」というような時代になってしまっているように見えるんですが、その実、実態は「お金を出して情報を買っていて、それが大事だから金をつぎ込んでる」わけですよ。
つまりそれは「お金より情報が大事」って事なんです。
だから、本を読まないとダメなんですね。本です。本。もう、これは絶対。
●情報ソースは自分と他人と良書
で、勝間さんが上げてる大事な情報ソースは3つ。自分自身と他者の頭と良書なんですね。これも、僕はライターをやっていて、インタビューが仕事になっているので、すごく良く分かる。
「お金より情報が大事」と分れば、では情報はどこから生まれるのか? と考えなくてはなりません。で、情報が生まれているところは、テレビとかではなくて、人間の頭の中なんですね。
良い情報を自分の頭に入れて、キチンとフレームワークに沿って考えれば、それなりのアイディアや発想とかは出てきます。これをうまく掬うことです。これがまず一番重要な情報。
(ただし、ゴミを入れたらゴミしか出ないという問題がありまして、インプットしてない人は、まず先にインプットを増やさないと、良いアイディアも出ません。これまた当たり前の事です。)
他人の頭というのは、違う立場の人と実際に接してお話しをうかがうって事ですね。僕で言うと、この日記とかには書けないですけど、仕事上で企業の社長さんにインタビューしたり、ノーベル賞クラスの学者さんの講演DVDを文字起ししたりする機会がかなりあるんですが、そういう時の情報は、すごく有用です。本を10冊読むよりインパクトが大きいです。
で、次が良書。
これは言わずもがなです。本が良いのは、持ち歩いて空き時間にちょっとでも読み進められる事ですね。これを毎日5分からでいいからやってるかやってないかは、ロングスパンで見た時に、とんでもなく大きな差になると思います。
●生活習慣の技術がすべての基礎
これも、当たり前の事なんですが、「継続は力なり」です。本当に、これは大きな力でして、この継続力をつけるために生活を見直しましょうと勝間さんはおっしゃってる。
で、睡眠や食事から見直していきましょうとおっしゃる。勝間さん曰く、「睡眠は投資なんです。」という事。ちょっと目の前の楽しさに釣られて、つい夜更かしするのは、生活資金が足りなくてキャッシュローンを借りてるのと同じだという事なんですね。
効率の悪い頭でボケボケで、内容のない薄っぺらな情報を見てるというのは、金利がべらぼうに高いお金を借りてるような事で、賢い人がするべきことではない。
睡眠時間は、確実に確保することで体の修復、情報の整理が着実に行われてリターンが大きい。確実な投資であると考えなさいって事なんです。
これもその通りでして、僕が前から書いてる「後退することこそが進歩すること」にもつながるんですね。学習していて進歩できない時は、ワンステップ前の知識や学力が足りてない事がとても多いんです。そういう時は、自分が確実にできる基礎に立ち戻って問題点がないかを確認するのが、とても効果が高い。
そういう意味で、もっとも効果の高い「立ち戻り」は、まさに生活習慣でして、睡眠量を増やし、早寝して、朝の時間を有効活用し、食生活も質素にしていくというのが、結果的に、ありとあらゆる分野に良い効果を生むんですね。
僕はまだまだ、この基礎ができてないんですが、いまは早寝早起きにチャレンジ中であります。
あ、あと砂糖とか白米とか白いものは避けよ、ってのも勝間さんの言う事であり、僕も感じてる事ですなぁ。砂糖は中毒性があるよなぁ。やばい。
中毒というのと依存というのは一体化したものですからな。アダルトチルドレンってのが人への依存というのと同じで、依存に偏るのはヤバイです。
●バックアップは複数持つ。
あと、これはあまりに当たり前の事で、わざわざ言うほどの事でもないんですが、まぁ一時期ウィルス対策ソフトが大事かどうかとかの話をやりとりしたことがあるので、ちょっと。
勝間さんは、ノートPCを使ってるので、日々バックアップを取ってるそうです。当然ですわね。ノートパソコンも複数台持って、どれか壊れても他のノートで仕事ができるようにしてるそうです。
このあたりは当たり前の事で、僕も自宅と仕事場でパソコンは二台あって、それぞれにメールの記録は完全に二重に保管してあるし、仕事で自分が書く原稿に関しては、全部をひとつのテキストにまとめて、自宅と仕事場と、自分のホームページにバックアップと3つのバックアップを取ってます。
仕事帰りには毎回(とも限らないけど、まぁ週に4回から5回)は、そのテキストをFTPするわけですね。
で、自宅に帰ると、そのテキストを自宅のPCに取り込みます。
これで、まぁ必要な情報はキチンとバックアップがとれる。どれかパソコンが壊れても心配はない。これが自己責任って事ですね。こういう事を日々やってれば、別にウィルスなんて恐いものではないわけですよ。
さる世界的大企業の親会社さんのお仕事をさせていただいた時も、そのグループ会社の全データを預かるようなデータセンターというのを、そういう大企業さんだと持ってます。データを管理する専門の建物を建ててるんですね。耐震性のある独自設計の建物で、すごいものでした。
で、そこで何をやってるかというと、ものすごいセキュリティがかかっていて、IDカードを持ってないと入れないブースの中で、膨大な数のサーバーが、24時間、えんえんデータをバックアップし続けてるわけですよ。
データがなくなったら、自分の企業の終わりですからな。
自己責任の社会っていうのは、こういう自分の「お金より大事な情報」を、自分で徹底して守る社会って事です。
当たり前だけど。
だから、とにかく「何を残しておかなければいけないのか?」を自分に問いかけて、絶対に必要な情報に関しては、日々バックアップを取るって事ですね。
で、大事なのは、この「自分への問いかけ」で、ここを正しく考えないと、どうでも良いゴミ情報までバックアップするという愚行に走ることになる。
で、そういうような愚行に走ると、どんどんバックアップを取るのが面倒になって、大事な情報ですら複数持っていないという状態になっちゃうんですね。
で、そういう不安がある人が、「ウィルス対策ソフト」に頼ったりしてたりする。
いやー、ウィルス対策ソフトなんか、屁の役にも立ちませんよ。あんなもの。だっていたちごっこなんだから。こっけいとしか思えない。
大事な情報は、まず自分だって事です。
自分にとってエッセンシャルな情報って何だ? と自分に問いかけることでしょう。
だいたいパソコンは壊れる。(笑)
勝間さんの文章を引用します。
(引用開始)--------------------------
■ノートパソコンは「定期的に壊れる」ことを前提に
とはいえ、ノートパソコンは定期的に壊れます。水をかけてしまったり、落としたり、理由もなく立ち上がらなくなります。
銀行のオンラインシステムや大きなウェブショッピングのシステムなどは、必ずシステムの二重化を行っており、24時間何かトラブルがあった場合にでも、動き続けるように設計されています。
私たちのノートパソコンも同じなのです。ノートパソコンは必ず壊れます。したがって壊れた後にあわてないために、下記のようなリスクマネジメントをお薦めします。これも生産性を落とさないための技法の一つです。
(引用終了)--------------------------
とあって、その後に、
・パソコン2台以上用意
・バックアップを定期的に(バックアップソフトの紹介)
・メールはローカル以外にGmailでも保存
・ノートの修理も速いサービスを選択
・電池も同じものを二個用意し定期的に交換して使う。
となっておりまして、まぁ実に見事に「ウィルス対策ソフト」なんてものは紹介されてすらいない。見事だなぁ、さすがに外資系に勤めてた人は違う。
日本人だと、この発想に「でも、ウィルスって伝染して他人に迷惑かけるじゃん」っていう気遣いが入るんですよね。だから「ウィルス対策ソフトを入れるのは礼儀だ」みたいな事を考えてしまう。
でも、それ以前にパソコンは壊れますから。最近の台湾製のボードなんか、「技術の進化を考えれば、パソコンは買い換えが必然。3年以上使えるパソコンを設計するのはコストのムダ」って発想ですしね。だからパソコンはウィルス以前に、まず壊れるんです。そうなってるんです。
なので、まずデータは自己責任でつねにバックアップを取る以外に手はないし、ウィルス以前にPCが壊れた時を想定してないとダメって事です。PCって、もともとそういう文化を背景に発展してきた道具なんだから、それはしょうがないよって事でね。
まぁ、僕的には「そんな事当たり前やん」って話なんですけど、まぁ勝間さんがわざわざリストにして書いてると言うことは、こういう当たり前の事も考えつかない人の方が多いってことなんだろうなと逆に気付いて紹介しました。
僕的には上記の対策のうち、
・電池も同じものを二個用意し定期的に交換して使う。
というのが「ああ、それは良いな」と思いました。携帯電話だとバッテリーってアホほど高いのだけど、ノートパソコンの場合は、本体に比べると、まぁまぁそこそこの値段であるし。良いアイデァですねぇ。
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まぁ、こんなとこかな、この本に関しては。
でも、おおむね一般人にはお勧め出来る内容だと思います。情報の整理・集約度が高いので、あまり情報整理・知的生産関連の書籍を読んでない人(それこそ月1冊と読まない人)には、モレ・ムダがなくて良い本だと思います。あんまり読んでない人には、こういう集約度の高い本をお薦めしたくなりますわね。
(このモレ・ムダがないってのが、また勝間さんならではのノウハウなんですが、それはまた。)
学ばないから自殺に走る。
2008年6月4日 読書 コメント (12)
6/4 夜:一部修正しました。
----------------------------------
昨日、書店で齋藤孝の新著「なぜ日本人は学ばなくなったのか」というのが出てたので買ったのです。
なぜ日本人は学ばなくなったのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062879433/503-1393334-5299133
まだ、30頁くらいしか読んでないけど、まさに我が意を得たり、という感じ。
見事です。
前書きから引用します。
(引用開始)--------------------
(略)現在「勤勉なる日本人」は、神話と化した。実態は「学び嫌いの日本人」である。「バカ」という言葉は品がないのであまり使いたくはないが、そうとでも表現するしかない事態が日本を浸食している。
私の言う「バカ」とは、もちろん生まれつきの能力や知能指数ではない。「学ぼうとせずに、ひたすら受け身の快楽にふけるあり方」のことだ。
(略)
いくらでも学ぶ道があるのに、ゲームや友人同士のメールに時間を湯水のように注ぎ込んで疑いを持たない、そんなあり方を、私はどうしても看過できない。
(引用終了)----------------------------
という時代認識が、まずとても共感できます。日々、強い焦りを感じるほどにジリジリと感じている事を見事に言い表してくれてるなぁって思います。
ひとりやふたりの事ではないのです。日本人全体がそういう「気分」になっている。そこが問題だと思う。
で、「そうだよ!その通りだよ!」と思ったのが、続いての一節。
(引用開始)-----------------------------
なぜなら、学ぶ意欲とは、未来への希望と表裏一体だからだ。学ばない人間、向上心を持たない人間は、自分を明日を今日よりも良い日だと信じる事ができない。
(引用終了)-----------------------------
Yes! その通り! まさに私は、これを言いたい!
明日を希望で一杯にするためには、まず自分が学ぶことなのだ、という当たり前の前提を忘れてやしまへんか? おっさん! ニイチャン! ギャルども!
とまぁ思うわけだ。
このところ自殺が「流行って」いて、(こんなものが「流行る」という事自体がおかしい。そのおかしさに気付けよ! 日本人!全員正座! 内観せよ!いますぐ! 仕事も食事もゲームもケータイもやめて、すぐ正座して内観せい! 自分をみつめて、自分と語り合えっちゅうねん。)ワイワイ騒がれてますが、一番の根幹は「みなが学ぶ意欲をもたなくなった」のが大きな原因なんですよ。はっきりと!
もうちょっと齋藤さんの前書きの続きを引用します。
(引用開始)-------------------------------
ゲームやバラエティ番組が「生きる力」を与えてくれるわけではない。生命力は、努力して磨き、身につけた技によって、現実を生き抜く力となる。
(引用終了)-------------------------------
これです、これ。
自分磨き、自分育て。学習。
これ以外に先の見えない明日に対する適切な処方はないんです。明日を的確に生きるには、キチンと自分育てをすることなんです。
ここには、付け加えて、アップル・フェローとしても名高いアラン・ケイの「もっとも的確な未来予想は、その未来を自ら発明することである」という名言も加えておきたいんですが。(言い回しは間違ってるかも、です。)自分で作る未来が、一番的確なのですよ。
ではなぜ、こういう状態になったのか? という原因を、齋藤さんは、こう理由づける。
(引用開始)-------------------------------
(略)私の端的な回答は「リスペクト」という心の習慣を失ったからだ、ということです。
かつての日本人には何かに敬意を感じ、あこがれ、自分自身をそこに重ね合わせていくという心の習慣が、ごく自然に身に付いていました。
(略)
たとえば、孔子の『論語』(講談社学術文庫)を学ぶとき、まず「子、のたまはく」の一言が出てきます。要するに「先生がおっしゃるには」と孔子への敬意を込め、だからこそ身につける価値があるという意味も含めているわけです。
(引用終了)-------------------------------
となります。
リスペクト。
つまり尊敬ですね。
あこがれ、という言葉も齋藤さんはよく使うけれど、それも大事。
尊敬とあこがれがあってはじめて、「そこへ私も行きたい」となるわけです。で、この「そこへ行きたい」という気持ちこそが、学ぶ意欲であって、明日への投資であり、明日への希望となるものなのです。
心に、あこがれの灯をともせ、という事ですね。
ああいう素晴らしい人、碩学たる人物、良き人になりたいと思う心のベクトルみたいなものが人間が充実した生を生きるには必要なのだと思います。
このあこがれや尊敬の心を齋藤さんは「垂直の関係」と捉えてます。自分より大きなものに敬意を払う、という態度ですね。そこに向かって自分を作っていく関係。下から上に向かっていく、あるいは、あこがれる人の大きさと自分の内面の精神的未熟さを比較して自分の至らなさに思い至るという関係。これを垂直軸でとらえておられます。
で、いまという時代は、「ひたすら水平的に、何かいいものはないか、おもしろいものはないかと探し回っているだけ」と見破っておられる。
こういう水平的なさまよい状態を、「最近の世の中はこれを『自分探し』と称しているが…」と批判的な視点で見ておられます。
そりゃそうだよなぁって思うんですよ。垂直の関係を意識していなかったら、自分の「伸び」が感じられないんですよね。水平だけでは、何年たとうが、何十年たとうが、同じ事なんです。
垂直の関係、あこがれと尊敬があってはじめて、空間軸によるさまよいではなく、時間軸による「成長」という希望を得る事ができるわけです。
これがね、明日に期待を持てずに自殺する人の根源的な不幸なんだと思う。この垂直軸を、どういうわけか80年代以降、日本人は失ってしまったと齋藤さんはおっしゃるわけです。そうだよなぁ、まさにその通りだ! って思う。いまの若い人なんかは特にそういう垂直軸のない時代の被害者になってしまってるよなぁって思うんですよ。
テレビとネットというのが、こういう「水平志向」に輪をかけていると、齋藤さんはおっしゃる。テレビに学者が出た時に、とにかく良いことや正論を言ってもカットされ、失敗したり失言した部分ばかりが使われる、権威を引きずり下ろして、「みんながフラット」になるようにばかりしている、「フラット化が加速している」と言われるわけです。
「フラット化」! 実に言い得ていると思う。
いまの時代、こればっかり。
ひたすらひきずりおろして、「わしと同じ人間じゃろが」と言って、勉強しない方になじませようとする。
アホか。
知ったことか。
そんな事してたら、最後には自殺するくらいしか道がなくなるわい!って思うんですよね。
二三日前に、築山節さんの「脳と気持ちの整理術」という本も読んだのですが、
脳と気持ちの整理術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4140882506/249-9767057-8485143
これもなかなか良いことが色々書いてあって、その中で「脳はもともと『省力化』に向かうようにできている」から「ラクな事だけやっていると、そのラクな事の中から嫌な事を発見して、それすらしなくなっていく」と言う話があって、結果的にどんどん脳の能力が下がっていってしまう話が書いてあったのですよ。
まさにこれ!
世の中がフラット化していくと、回りを自分と同じ「低さ」に合わせさせようと、「引きずり下ろし」作業がはじまる。
で、フラット同士の間では「相対的上下感覚」はないことになるし、マヒしてしまうので、全体を見渡した時には、レベルがドンドン、ガンガンに下がって行ってるのに、「フラット化された社会の住人」は全然気付かない、というような状況になる。
こんな恐ろしい事はないですよ。
こういう社会状況が、嫌で嫌で仕方ない。
助けてくれ!と叫びたくなってしまうんですね。
で、本を読め! とやたらと言ってるわけですが、実は出版界はものすごい不況です。売れてるのはコミックスとジュニア小説とかそういうのだけで、そのコミックスですら売り上げにかげりが出てきてる。ようはみんな本も読まなくなってるんです。
で、そういう事とはまったく別に、世の「フラット化」とは全然関係なく、「私は私」とキチンと勉強しまくるような一派というかグループもどんどん出てきてるわけですね。
そういう人は逆に「月50冊読んでます」とかなわけです。速読の技術をキチンと身につけて。
この極端な差!
なんなんだ、これは。
やっぱりね、せめて「尊敬とあこがれ」の気持ちくらいは、日本人の重要な文化として維持しないとイカンよなぁって思うんです。
思うんですが、昔のように簡単には「尊敬の心」が育みにくくなってるんですね。
なんでかというと、学校の教師の質が下がった。学校の教師自ら「フラット化」の手先だったりするくらいですから。ゆとり教育なんて、その代表例だよなぁって思う。(本来の意味はちょっと違ってたようなんですが、とどのつまり運用側である学校&親の環境に本来的あり方を問う能力がなかったってことでしょうけど。)
ゆとり教育なんかやってしまって、結果として残ったのは「勉強なんかしなくてもいいんだよ。お前がお前でありさえすれば。」という存在を認めるという部分だけ。
いや、それはそれで大事なんだけどね。でも勉強もしなくちゃダメなんだよ、それは。明日のために。時間軸のために。
そうしないでズブズブやってきたから、「自殺が流行る」という、このどうしようもないグズグズの日本に成り下がってしまったんじゃないか。
そういう社会状況の悪影響を受けて、本すら読まずに、テレビばっかり見て、ゲームで貴重な時間を超浪費して、ケータイの通話量を減らすことも考えずに値段が高いと文句を垂れるような人種がすごく増えた。
で、そういう人間に限って「リスペクト」の大切さを理解していない。
たとえば、僕の知ってる人間などでは、読んでもいない本の著者を「トンデモ本」作者扱いした発言をして、自分の無知と努力不足を直視しないようにするという情けない行為・発言をしてたりするわけです。
まぁ当人は自分の弱いところを見ずに済んで、「ああ良かった」かも知れないですけどな。私ゃ、尊敬し、リスペクトしている著者をトンデモ扱いされて腹が立つこと、この上ない。
こんな奴、まさに社会の自殺の原因を作ってるような許されざる人間だから、横っ面はり倒して、けり倒して、ボコスコに殴り倒してやりたいくらいに立腹してるわけですが、この立腹の感情的構造を理解することすらできないわけですよ、勉強しない人間には。理解する能力自体がない。
「バカな事を言うな」と言っても、こっちが怒ってる原因、その重さ、自体を推し量れないわけです。能力がない。
怒るだけ損って事なわけですよ。これは。
で、いまの社会、そこまで「フラット化」が当たり前になってるわけです。権威というものが権威であるというだけで否定されるんですね。
違うっちゅうに。
権威は真に素晴らしい権威は、知やノウハウなどを学ぶのにも効率的で、素晴らしいものなのです。尊敬やあこがれは絶対に重要なことなのです。
で、その過程でどうしても形だけの「権威」っていうのも出てくるけど、これもある程度はしょうがない。
で、一番重要な事は真に意味ある権威を守る事だから、まったく中身のない権威は、絶対に、どうあっても引きずりおろさないと行けないって事なのです。
だから、その権威の中身があるかないかを判定する能力を、「下」の側が見る目を養っておかなければいけないってことなんですよ。
本物の実力があるかどうかをしっかり見極める目を持たなくてはいけない。その判定力を身につけるために、人との関係などの倫理観をはじめ、さまざまな視点を身につけていかなければならないって事なのです。それが学習です。
だから勉強は日本人全員に必須なわけです。(欧米なら倫理観は聖書などに書かれてますから、読むのは一冊で済みますが、日本にはそんなものはないので、いろいろ読むしかありません。)
つまり「権威の善し悪し」を判定する能力自体が、バカには備わっていないって事なわけです。
だから、なんでもかんでも引きずりおろそうとするんですね。なんでもフラット化。クソもミソもいっしょか! おまえら、ウンコで作ったミソラーメンでも食っとけ! という話です。
これが、自然発生的に生まれた状況なら仕方ないのですが、先日も
派遣業者など「人買い」である。
http://diarynote.jp/d/12917/20080526.html
で書いたように、政府と企業が結託して、「低賃金労働者層」という「アホ」を計画的に再生産して、日本をどんどんダメ化している、というのがいまの日本の現実なわけですよ。
こういうウソを見破る事こそが、学習する意味なんです。
見破れないままだと、ダマされるだけです。それはやっぱりどうしたって「アホ」「バカ」でしかないのです。
どうすんねん、そんなにアホばっかり再生産して。アホが「マトモ」をアホの側に引きずり降ろして、意味があるんか?
ええ?
自分の味方になるような、本物の権威、優れた人物まで、「フラット化」して、お前に得はあるのか?
ただ、さまよう「自分探し」や、薄ら寒い消費文化に流されるだけやないか!
何で、そこまでお前らのカスみたいな低レベル化に合わせなアカンねん。嫌なこった。と思うばかりでねぇ。勉強せいよ、勉強!って思う。
ほんまにね、一人でも多く、勉強する人が増えて欲しいと思います。それも緊急に、です。
って、愚痴ばっかり言っててもしょーがないので、僕的にはこうした発言等も含めて、ネットとかも活用しながら、勉強会とか、そういうのを、出来る範囲で作っていこうかなぁといろいろ考えておるのであります。
ここで書いた書評とかも、ある程度まとめてホームページ化しようかなぁとか、いろいろ考えておるのであります。
まず自ら動かないとダメですよね。
文句ばっかり言っててもダメ。
勉強しないと、素晴らしい先達のご著書ですら「トンデモ本」としか思えないという白痴状態にしかなれませんから。判定能力自体が失われるわけですから。こんな薄ら寒いことはありませんぜ。
齋藤さんの、この本の感想は、また改めて書きますけど、ともあれ、最近、強く強く感じていた事を、見事に言い当ててくれてる文章を読んだので、うれしくて書いてしまいました。
ま、そんな事で。
----------------------------------
昨日、書店で齋藤孝の新著「なぜ日本人は学ばなくなったのか」というのが出てたので買ったのです。
なぜ日本人は学ばなくなったのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062879433/503-1393334-5299133
まだ、30頁くらいしか読んでないけど、まさに我が意を得たり、という感じ。
見事です。
前書きから引用します。
(引用開始)--------------------
(略)現在「勤勉なる日本人」は、神話と化した。実態は「学び嫌いの日本人」である。「バカ」という言葉は品がないのであまり使いたくはないが、そうとでも表現するしかない事態が日本を浸食している。
私の言う「バカ」とは、もちろん生まれつきの能力や知能指数ではない。「学ぼうとせずに、ひたすら受け身の快楽にふけるあり方」のことだ。
(略)
いくらでも学ぶ道があるのに、ゲームや友人同士のメールに時間を湯水のように注ぎ込んで疑いを持たない、そんなあり方を、私はどうしても看過できない。
(引用終了)----------------------------
という時代認識が、まずとても共感できます。日々、強い焦りを感じるほどにジリジリと感じている事を見事に言い表してくれてるなぁって思います。
ひとりやふたりの事ではないのです。日本人全体がそういう「気分」になっている。そこが問題だと思う。
で、「そうだよ!その通りだよ!」と思ったのが、続いての一節。
(引用開始)-----------------------------
なぜなら、学ぶ意欲とは、未来への希望と表裏一体だからだ。学ばない人間、向上心を持たない人間は、自分を明日を今日よりも良い日だと信じる事ができない。
(引用終了)-----------------------------
Yes! その通り! まさに私は、これを言いたい!
明日を希望で一杯にするためには、まず自分が学ぶことなのだ、という当たり前の前提を忘れてやしまへんか? おっさん! ニイチャン! ギャルども!
とまぁ思うわけだ。
このところ自殺が「流行って」いて、(こんなものが「流行る」という事自体がおかしい。そのおかしさに気付けよ! 日本人!全員正座! 内観せよ!いますぐ! 仕事も食事もゲームもケータイもやめて、すぐ正座して内観せい! 自分をみつめて、自分と語り合えっちゅうねん。)ワイワイ騒がれてますが、一番の根幹は「みなが学ぶ意欲をもたなくなった」のが大きな原因なんですよ。はっきりと!
もうちょっと齋藤さんの前書きの続きを引用します。
(引用開始)-------------------------------
ゲームやバラエティ番組が「生きる力」を与えてくれるわけではない。生命力は、努力して磨き、身につけた技によって、現実を生き抜く力となる。
(引用終了)-------------------------------
これです、これ。
自分磨き、自分育て。学習。
これ以外に先の見えない明日に対する適切な処方はないんです。明日を的確に生きるには、キチンと自分育てをすることなんです。
ここには、付け加えて、アップル・フェローとしても名高いアラン・ケイの「もっとも的確な未来予想は、その未来を自ら発明することである」という名言も加えておきたいんですが。(言い回しは間違ってるかも、です。)自分で作る未来が、一番的確なのですよ。
ではなぜ、こういう状態になったのか? という原因を、齋藤さんは、こう理由づける。
(引用開始)-------------------------------
(略)私の端的な回答は「リスペクト」という心の習慣を失ったからだ、ということです。
かつての日本人には何かに敬意を感じ、あこがれ、自分自身をそこに重ね合わせていくという心の習慣が、ごく自然に身に付いていました。
(略)
たとえば、孔子の『論語』(講談社学術文庫)を学ぶとき、まず「子、のたまはく」の一言が出てきます。要するに「先生がおっしゃるには」と孔子への敬意を込め、だからこそ身につける価値があるという意味も含めているわけです。
(引用終了)-------------------------------
となります。
リスペクト。
つまり尊敬ですね。
あこがれ、という言葉も齋藤さんはよく使うけれど、それも大事。
尊敬とあこがれがあってはじめて、「そこへ私も行きたい」となるわけです。で、この「そこへ行きたい」という気持ちこそが、学ぶ意欲であって、明日への投資であり、明日への希望となるものなのです。
心に、あこがれの灯をともせ、という事ですね。
ああいう素晴らしい人、碩学たる人物、良き人になりたいと思う心のベクトルみたいなものが人間が充実した生を生きるには必要なのだと思います。
このあこがれや尊敬の心を齋藤さんは「垂直の関係」と捉えてます。自分より大きなものに敬意を払う、という態度ですね。そこに向かって自分を作っていく関係。下から上に向かっていく、あるいは、あこがれる人の大きさと自分の内面の精神的未熟さを比較して自分の至らなさに思い至るという関係。これを垂直軸でとらえておられます。
で、いまという時代は、「ひたすら水平的に、何かいいものはないか、おもしろいものはないかと探し回っているだけ」と見破っておられる。
こういう水平的なさまよい状態を、「最近の世の中はこれを『自分探し』と称しているが…」と批判的な視点で見ておられます。
そりゃそうだよなぁって思うんですよ。垂直の関係を意識していなかったら、自分の「伸び」が感じられないんですよね。水平だけでは、何年たとうが、何十年たとうが、同じ事なんです。
垂直の関係、あこがれと尊敬があってはじめて、空間軸によるさまよいではなく、時間軸による「成長」という希望を得る事ができるわけです。
これがね、明日に期待を持てずに自殺する人の根源的な不幸なんだと思う。この垂直軸を、どういうわけか80年代以降、日本人は失ってしまったと齋藤さんはおっしゃるわけです。そうだよなぁ、まさにその通りだ! って思う。いまの若い人なんかは特にそういう垂直軸のない時代の被害者になってしまってるよなぁって思うんですよ。
テレビとネットというのが、こういう「水平志向」に輪をかけていると、齋藤さんはおっしゃる。テレビに学者が出た時に、とにかく良いことや正論を言ってもカットされ、失敗したり失言した部分ばかりが使われる、権威を引きずり下ろして、「みんながフラット」になるようにばかりしている、「フラット化が加速している」と言われるわけです。
「フラット化」! 実に言い得ていると思う。
いまの時代、こればっかり。
ひたすらひきずりおろして、「わしと同じ人間じゃろが」と言って、勉強しない方になじませようとする。
アホか。
知ったことか。
そんな事してたら、最後には自殺するくらいしか道がなくなるわい!って思うんですよね。
二三日前に、築山節さんの「脳と気持ちの整理術」という本も読んだのですが、
脳と気持ちの整理術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4140882506/249-9767057-8485143
これもなかなか良いことが色々書いてあって、その中で「脳はもともと『省力化』に向かうようにできている」から「ラクな事だけやっていると、そのラクな事の中から嫌な事を発見して、それすらしなくなっていく」と言う話があって、結果的にどんどん脳の能力が下がっていってしまう話が書いてあったのですよ。
まさにこれ!
世の中がフラット化していくと、回りを自分と同じ「低さ」に合わせさせようと、「引きずり下ろし」作業がはじまる。
で、フラット同士の間では「相対的上下感覚」はないことになるし、マヒしてしまうので、全体を見渡した時には、レベルがドンドン、ガンガンに下がって行ってるのに、「フラット化された社会の住人」は全然気付かない、というような状況になる。
こんな恐ろしい事はないですよ。
こういう社会状況が、嫌で嫌で仕方ない。
助けてくれ!と叫びたくなってしまうんですね。
で、本を読め! とやたらと言ってるわけですが、実は出版界はものすごい不況です。売れてるのはコミックスとジュニア小説とかそういうのだけで、そのコミックスですら売り上げにかげりが出てきてる。ようはみんな本も読まなくなってるんです。
で、そういう事とはまったく別に、世の「フラット化」とは全然関係なく、「私は私」とキチンと勉強しまくるような一派というかグループもどんどん出てきてるわけですね。
そういう人は逆に「月50冊読んでます」とかなわけです。速読の技術をキチンと身につけて。
この極端な差!
なんなんだ、これは。
やっぱりね、せめて「尊敬とあこがれ」の気持ちくらいは、日本人の重要な文化として維持しないとイカンよなぁって思うんです。
思うんですが、昔のように簡単には「尊敬の心」が育みにくくなってるんですね。
なんでかというと、学校の教師の質が下がった。学校の教師自ら「フラット化」の手先だったりするくらいですから。ゆとり教育なんて、その代表例だよなぁって思う。(本来の意味はちょっと違ってたようなんですが、とどのつまり運用側である学校&親の環境に本来的あり方を問う能力がなかったってことでしょうけど。)
ゆとり教育なんかやってしまって、結果として残ったのは「勉強なんかしなくてもいいんだよ。お前がお前でありさえすれば。」という存在を認めるという部分だけ。
いや、それはそれで大事なんだけどね。でも勉強もしなくちゃダメなんだよ、それは。明日のために。時間軸のために。
そうしないでズブズブやってきたから、「自殺が流行る」という、このどうしようもないグズグズの日本に成り下がってしまったんじゃないか。
そういう社会状況の悪影響を受けて、本すら読まずに、テレビばっかり見て、ゲームで貴重な時間を超浪費して、ケータイの通話量を減らすことも考えずに値段が高いと文句を垂れるような人種がすごく増えた。
で、そういう人間に限って「リスペクト」の大切さを理解していない。
たとえば、僕の知ってる人間などでは、読んでもいない本の著者を「トンデモ本」作者扱いした発言をして、自分の無知と努力不足を直視しないようにするという情けない行為・発言をしてたりするわけです。
まぁ当人は自分の弱いところを見ずに済んで、「ああ良かった」かも知れないですけどな。私ゃ、尊敬し、リスペクトしている著者をトンデモ扱いされて腹が立つこと、この上ない。
こんな奴、まさに社会の自殺の原因を作ってるような許されざる人間だから、横っ面はり倒して、けり倒して、ボコスコに殴り倒してやりたいくらいに立腹してるわけですが、この立腹の感情的構造を理解することすらできないわけですよ、勉強しない人間には。理解する能力自体がない。
「バカな事を言うな」と言っても、こっちが怒ってる原因、その重さ、自体を推し量れないわけです。能力がない。
怒るだけ損って事なわけですよ。これは。
で、いまの社会、そこまで「フラット化」が当たり前になってるわけです。権威というものが権威であるというだけで否定されるんですね。
違うっちゅうに。
権威は真に素晴らしい権威は、知やノウハウなどを学ぶのにも効率的で、素晴らしいものなのです。尊敬やあこがれは絶対に重要なことなのです。
で、その過程でどうしても形だけの「権威」っていうのも出てくるけど、これもある程度はしょうがない。
で、一番重要な事は真に意味ある権威を守る事だから、まったく中身のない権威は、絶対に、どうあっても引きずりおろさないと行けないって事なのです。
だから、その権威の中身があるかないかを判定する能力を、「下」の側が見る目を養っておかなければいけないってことなんですよ。
本物の実力があるかどうかをしっかり見極める目を持たなくてはいけない。その判定力を身につけるために、人との関係などの倫理観をはじめ、さまざまな視点を身につけていかなければならないって事なのです。それが学習です。
だから勉強は日本人全員に必須なわけです。(欧米なら倫理観は聖書などに書かれてますから、読むのは一冊で済みますが、日本にはそんなものはないので、いろいろ読むしかありません。)
つまり「権威の善し悪し」を判定する能力自体が、バカには備わっていないって事なわけです。
だから、なんでもかんでも引きずりおろそうとするんですね。なんでもフラット化。クソもミソもいっしょか! おまえら、ウンコで作ったミソラーメンでも食っとけ! という話です。
これが、自然発生的に生まれた状況なら仕方ないのですが、先日も
派遣業者など「人買い」である。
http://diarynote.jp/d/12917/20080526.html
で書いたように、政府と企業が結託して、「低賃金労働者層」という「アホ」を計画的に再生産して、日本をどんどんダメ化している、というのがいまの日本の現実なわけですよ。
こういうウソを見破る事こそが、学習する意味なんです。
見破れないままだと、ダマされるだけです。それはやっぱりどうしたって「アホ」「バカ」でしかないのです。
どうすんねん、そんなにアホばっかり再生産して。アホが「マトモ」をアホの側に引きずり降ろして、意味があるんか?
ええ?
自分の味方になるような、本物の権威、優れた人物まで、「フラット化」して、お前に得はあるのか?
ただ、さまよう「自分探し」や、薄ら寒い消費文化に流されるだけやないか!
何で、そこまでお前らのカスみたいな低レベル化に合わせなアカンねん。嫌なこった。と思うばかりでねぇ。勉強せいよ、勉強!って思う。
ほんまにね、一人でも多く、勉強する人が増えて欲しいと思います。それも緊急に、です。
って、愚痴ばっかり言っててもしょーがないので、僕的にはこうした発言等も含めて、ネットとかも活用しながら、勉強会とか、そういうのを、出来る範囲で作っていこうかなぁといろいろ考えておるのであります。
ここで書いた書評とかも、ある程度まとめてホームページ化しようかなぁとか、いろいろ考えておるのであります。
まず自ら動かないとダメですよね。
文句ばっかり言っててもダメ。
勉強しないと、素晴らしい先達のご著書ですら「トンデモ本」としか思えないという白痴状態にしかなれませんから。判定能力自体が失われるわけですから。こんな薄ら寒いことはありませんぜ。
齋藤さんの、この本の感想は、また改めて書きますけど、ともあれ、最近、強く強く感じていた事を、見事に言い当ててくれてる文章を読んだので、うれしくて書いてしまいました。
ま、そんな事で。
本を読まない人はサルである!
2008年4月24日 読書 コメント (2)
最近ちょっと書いてないので、書こうと思ったら、「だいありのーと」のアマゾンへのリンクが張れない状態。
ま、しょうがないので、写真載せて適当に。
紹介するのは、元日本マイクロソフト社長の成毛眞さんの
●本は10冊同時に読め!
―生き方に差がつく「超並列」読書術
本を読まない人はサルである!
(知的生きかた文庫 な 36-1) (文庫)
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4837976913/503-1393334-5299133
リンクさせていただいてるgonzagaさんが読んでらしたし、タイトルがけっこうアジってるので、ちょっと読んでみたら1日で読めちゃったよ。
副題のついてる「本を読まない人はサルである!」というフレーズが、まぁ、この本のすべてですな。「そのとおりだ!」と思っていきおいこんで読んだけど、それだけだった、という本。(笑)
言い方はアクが強くて、腹が立つ人は腹が立つだろうけども、まぁ、「ほんまの事やねんもんしゃーないやん」という感じ。実際、本を読まない奴は、掛け値なしにバカだもん。現実的に。
でも、事実をそのまま述べたところで、書籍としては、あんまり面白くないって事な訳ですね。「本を読まない人はサルである!」「そうです。その通り。でも、そんな事実を今更言ってどうする。」って感じです。
パァな奴はずっとゲームしたりテレビ見たりしてるだけですよ。ほんまに。パァはずっとパァです。
テレビを消して本を読むという、そういう簡単なことができないんだから、そういう人間は、この本の存在も知らないよなぁ。
そういう意味で、この本は、「そのとおりだよね」と普通に賛同はするものの、強くお勧めはしないのです。
実際、前半は「本を読んだら出世するぜ」とか、「金が稼げるぞ」みたいな話で、そのくせ、齋藤孝さんみたいに、「どうすれば読書習慣が身に付くか」みたいな親切なノウハウ伝授がないんです。そういう意味で読む価値自体がない。残念ながら。
(ちなみに、齋藤孝さんは「●文庫100冊●新書50冊をまず読みなさい」と明確に数値目標を示してる。目標の明確さ、という意味で、成毛さんよりはるかに意義が高いのですよ。とくに読書習慣のついてない人にはわかりやすい。この150冊を4年くらいで仕上げろと期間まで明示してるし。すごくわかりやすい。こういう事こそが、本当は大切なのです。)
という事で、前半部はあまりにも当たり前の事しか書かれてなくてつまらなかったんですね。「10冊同時に読め!」という言い方にしても、「そんな事、テキトーな気まぐれ読書家ならみんなやっとるわい!ボケ!」というレベルのものです。だって10冊同時に読了せよ」じゃなくて、「読みたいものだけ読めば良い。」であり、「つまらないものは途中でやめてよろしい」なんだもの。それはさんざんやってるって。みんな。
じゃ、なんでわざわざ紹介するかというと、この本、後半がやたらと面白いのですよ。
たとえば、お勧めの本が「おおお、それは面白そう!」と感じるわけです。
「モーセと一神教」ジークムント・フロイト
とかね。僕はユングの方が好きで、フロイトを追いかけてなかったので、このフロイトが最後に書いた本というのを全然知らなかったのですよ。
この本って、ようは、「モーセはユダヤ人ではなく、エジプト人だったのではないか」という仮説を立てて論証してる本なんだってさ!
これだけで、もう無茶苦茶に面白いじゃないか。
あのフロイトが! ああ、そうだったの!知りませんでした、私! ごめんなさい! という感じ。
世の中、面白いことはまだまだあるんだなぁって思う。ほんとに。
他にもいろいろ紹介してくれてるんだけども、どれもこれもやたらと食指が動く。たまりません!
そういう意味で、この本は面白かったのですよ。
で、読み進んでいくと、この本の最後の方で、こういう記述にぶつかって、わたしはぶったまげる事になるのでありますよ。
(引用開始)--------------------
(私の)親は小中学校を通じて1円もおこづかいをくれなかったが、本だけは別であった。近所の本屋で気に入った本を選べば、ツケ払いで買えたのである。選んだ本は本屋の人が家まで届けてくれて、トイレの下のほうにあった引き戸の中に本を置いていった。それを親が確認して、OKが出た本にはお金を払い、ダメな本は本屋に戻すというシステムだった。
(引用終了)--------------------
だとさ。
な、なんなんだ、このシステムは!!!
すごいじゃないか!
子供の自主性と、お金の使い方と、なんだかんだをひっくるめて考えて、かなり(偏ってはいるが)効果の高そうな教育手法であるような気がするのですよ。
いいですか、「1円もおこづかいをくれなかった」んですよ? かなりイビツです。(笑)
でも、書籍に関しては自分で選んで、親が良いと判断したらいくらでもOKなわけですよ。
これはすごいなぁ。
成毛眞の親がどういう人だったのかが、ものすごく知りたい。
「本を読まない人はサルである」みたいな言わずもがなの事を書いてるヒマがあったら、この親の事を書け! バカモノ! 私は、あんたの新鮮味のないゴタクより、あんたの親の作ったシステムの方がはるかに気になるゾ、と思いましたなぁ。
なんで、こんな重要な事が、こういう「読書」について書かれた本の、全170P中の165Pになって出てくるのか、という事の方が、僕にとってははるかに大きな謎であります。最初に書けよ!「はじめに」で書け! こういう事は。ふんとにもう! 何やってるんだ成毛眞は。だめだなぁ、こいつ。良き読者ではあるが、書き手としてダメだって思う。
多分純粋に「本好き」なんでしょうね。それも原日本人的な意味で「本好き」なんよね。
僕の仮説ですが、ある程度知的な素養を持つ日本人は、現実問題として「読書家」になるより他に道がないんだと思うんです。
なんでかというと、日本は敬典宗教ではないから。つまりキリスト教の聖書のように「倫理基準」を明確化する聖典が確定されていないから、です。
だから、あるていど知的に成長した人は、倫理基準を求めて、多様な倫理構築のシミュレーションをするしかなくて、そのためには、多様なモデル習得をせざるを得ず、その方法として「本を読む」以外に道がないわけです。
聖書が「倫理の基準値」として明確化されてたら、とにかく原点ゼロをそこに求めて、そこから考えを進めていけるわけですけど、日本人にはそれがない。だから山のように本を読んで、多様なモデルシミュレーションをする以外に良い方法を思いつけなくなるわけです。
そういう意味では、成毛眞さんって、ほんっとーに原日本人だなぁ、と思う。たとえば、こういう発言。
(引用開始)--------------------
拠(よ)るべきものを持たない無宗教の私にとって、本は人生のすべてである。
(引用終了)--------------------
人生のすべて!
人生のすべて!
人生のすべてですよ!人生のすべて!
いや、そうなるしかないんだけどさ。聖書もタルムードもコーランも持たない日本人なら、そうなるしかない。時代とともに変化する倫理観を、必死になって色んな本を読みながら微調整し続ける以外に、日本人の倫理観を確立する方法は皆無なのですから。
皆無です。皆無。敬典宗教じゃないんだから、こればっかりはしょうがないんです。
そういう意味では、成毛眞さんは、そういう日本人としての限界も可能性もキチンと分ってる人ではあるって事ですが。
(敬典宗教でない日本では、だから、たとえばDNA技術の倫理基準を考える、だとか、死刑の問題について考えるとか、優生保護法における子殺しの善し悪しを論じるとか、そういう「命」に関して論議すること自体が「不可能」なんですね。定規がないのに、紙のサイズを伝達できないというのと同じ事です。政府直属のプロジェクトチームで、そういう問題の法的落しどころを探るとかやってるけど、「大変やろなぁ、基準値もなしにそういう基準を決めなきゃならんのやから。ごくろうさまです。」としか思えない。
なので、こういうことに関して、本も読まずに自分の考えを固めようとかしてる人間は、単なるバカです。考えてるヒマがあるなら、本を読め、っちゅう事ですな。考えるだけ時間の無駄。答えが出るわけないねんもん。その「答えがでるはずがない」という事を知らない、という事がいかに不幸か。って事なんですけどね。でも、不幸な人間はずっと不幸なままを望んだりするから困る。)
無宗教の日本人は本を読む以外に、まともな倫理観の育成は無理なわけです。
そこのところを正しく自覚してるだけでも成毛眞は大したものです。
それと、「本好き」としては、大先輩というか、かなり上のレベルの人なんだなぁって思う。
こんなしょうもない本を書かずに純粋な書評の本を書いて欲しかったなぁ。
ようは「おもろい本って、まだまだあるでしょ。出し惜しみせずに、もうちょっと教えてよ。」っちゅう事でした。
と言うことで締め。
●本を読まない人はサルである!
ちゅうことであります。
はい。
ま、しょうがないので、写真載せて適当に。
紹介するのは、元日本マイクロソフト社長の成毛眞さんの
●本は10冊同時に読め!
―生き方に差がつく「超並列」読書術
本を読まない人はサルである!
(知的生きかた文庫 な 36-1) (文庫)
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4837976913/503-1393334-5299133
リンクさせていただいてるgonzagaさんが読んでらしたし、タイトルがけっこうアジってるので、ちょっと読んでみたら1日で読めちゃったよ。
副題のついてる「本を読まない人はサルである!」というフレーズが、まぁ、この本のすべてですな。「そのとおりだ!」と思っていきおいこんで読んだけど、それだけだった、という本。(笑)
言い方はアクが強くて、腹が立つ人は腹が立つだろうけども、まぁ、「ほんまの事やねんもんしゃーないやん」という感じ。実際、本を読まない奴は、掛け値なしにバカだもん。現実的に。
でも、事実をそのまま述べたところで、書籍としては、あんまり面白くないって事な訳ですね。「本を読まない人はサルである!」「そうです。その通り。でも、そんな事実を今更言ってどうする。」って感じです。
パァな奴はずっとゲームしたりテレビ見たりしてるだけですよ。ほんまに。パァはずっとパァです。
テレビを消して本を読むという、そういう簡単なことができないんだから、そういう人間は、この本の存在も知らないよなぁ。
そういう意味で、この本は、「そのとおりだよね」と普通に賛同はするものの、強くお勧めはしないのです。
実際、前半は「本を読んだら出世するぜ」とか、「金が稼げるぞ」みたいな話で、そのくせ、齋藤孝さんみたいに、「どうすれば読書習慣が身に付くか」みたいな親切なノウハウ伝授がないんです。そういう意味で読む価値自体がない。残念ながら。
(ちなみに、齋藤孝さんは「●文庫100冊●新書50冊をまず読みなさい」と明確に数値目標を示してる。目標の明確さ、という意味で、成毛さんよりはるかに意義が高いのですよ。とくに読書習慣のついてない人にはわかりやすい。この150冊を4年くらいで仕上げろと期間まで明示してるし。すごくわかりやすい。こういう事こそが、本当は大切なのです。)
という事で、前半部はあまりにも当たり前の事しか書かれてなくてつまらなかったんですね。「10冊同時に読め!」という言い方にしても、「そんな事、テキトーな気まぐれ読書家ならみんなやっとるわい!ボケ!」というレベルのものです。だって10冊同時に読了せよ」じゃなくて、「読みたいものだけ読めば良い。」であり、「つまらないものは途中でやめてよろしい」なんだもの。それはさんざんやってるって。みんな。
じゃ、なんでわざわざ紹介するかというと、この本、後半がやたらと面白いのですよ。
たとえば、お勧めの本が「おおお、それは面白そう!」と感じるわけです。
「モーセと一神教」ジークムント・フロイト
とかね。僕はユングの方が好きで、フロイトを追いかけてなかったので、このフロイトが最後に書いた本というのを全然知らなかったのですよ。
この本って、ようは、「モーセはユダヤ人ではなく、エジプト人だったのではないか」という仮説を立てて論証してる本なんだってさ!
これだけで、もう無茶苦茶に面白いじゃないか。
あのフロイトが! ああ、そうだったの!知りませんでした、私! ごめんなさい! という感じ。
世の中、面白いことはまだまだあるんだなぁって思う。ほんとに。
他にもいろいろ紹介してくれてるんだけども、どれもこれもやたらと食指が動く。たまりません!
そういう意味で、この本は面白かったのですよ。
で、読み進んでいくと、この本の最後の方で、こういう記述にぶつかって、わたしはぶったまげる事になるのでありますよ。
(引用開始)--------------------
(私の)親は小中学校を通じて1円もおこづかいをくれなかったが、本だけは別であった。近所の本屋で気に入った本を選べば、ツケ払いで買えたのである。選んだ本は本屋の人が家まで届けてくれて、トイレの下のほうにあった引き戸の中に本を置いていった。それを親が確認して、OKが出た本にはお金を払い、ダメな本は本屋に戻すというシステムだった。
(引用終了)--------------------
だとさ。
な、なんなんだ、このシステムは!!!
すごいじゃないか!
子供の自主性と、お金の使い方と、なんだかんだをひっくるめて考えて、かなり(偏ってはいるが)効果の高そうな教育手法であるような気がするのですよ。
いいですか、「1円もおこづかいをくれなかった」んですよ? かなりイビツです。(笑)
でも、書籍に関しては自分で選んで、親が良いと判断したらいくらでもOKなわけですよ。
これはすごいなぁ。
成毛眞の親がどういう人だったのかが、ものすごく知りたい。
「本を読まない人はサルである」みたいな言わずもがなの事を書いてるヒマがあったら、この親の事を書け! バカモノ! 私は、あんたの新鮮味のないゴタクより、あんたの親の作ったシステムの方がはるかに気になるゾ、と思いましたなぁ。
なんで、こんな重要な事が、こういう「読書」について書かれた本の、全170P中の165Pになって出てくるのか、という事の方が、僕にとってははるかに大きな謎であります。最初に書けよ!「はじめに」で書け! こういう事は。ふんとにもう! 何やってるんだ成毛眞は。だめだなぁ、こいつ。良き読者ではあるが、書き手としてダメだって思う。
多分純粋に「本好き」なんでしょうね。それも原日本人的な意味で「本好き」なんよね。
僕の仮説ですが、ある程度知的な素養を持つ日本人は、現実問題として「読書家」になるより他に道がないんだと思うんです。
なんでかというと、日本は敬典宗教ではないから。つまりキリスト教の聖書のように「倫理基準」を明確化する聖典が確定されていないから、です。
だから、あるていど知的に成長した人は、倫理基準を求めて、多様な倫理構築のシミュレーションをするしかなくて、そのためには、多様なモデル習得をせざるを得ず、その方法として「本を読む」以外に道がないわけです。
聖書が「倫理の基準値」として明確化されてたら、とにかく原点ゼロをそこに求めて、そこから考えを進めていけるわけですけど、日本人にはそれがない。だから山のように本を読んで、多様なモデルシミュレーションをする以外に良い方法を思いつけなくなるわけです。
そういう意味では、成毛眞さんって、ほんっとーに原日本人だなぁ、と思う。たとえば、こういう発言。
(引用開始)--------------------
拠(よ)るべきものを持たない無宗教の私にとって、本は人生のすべてである。
(引用終了)--------------------
人生のすべて!
人生のすべて!
人生のすべてですよ!人生のすべて!
いや、そうなるしかないんだけどさ。聖書もタルムードもコーランも持たない日本人なら、そうなるしかない。時代とともに変化する倫理観を、必死になって色んな本を読みながら微調整し続ける以外に、日本人の倫理観を確立する方法は皆無なのですから。
皆無です。皆無。敬典宗教じゃないんだから、こればっかりはしょうがないんです。
そういう意味では、成毛眞さんは、そういう日本人としての限界も可能性もキチンと分ってる人ではあるって事ですが。
(敬典宗教でない日本では、だから、たとえばDNA技術の倫理基準を考える、だとか、死刑の問題について考えるとか、優生保護法における子殺しの善し悪しを論じるとか、そういう「命」に関して論議すること自体が「不可能」なんですね。定規がないのに、紙のサイズを伝達できないというのと同じ事です。政府直属のプロジェクトチームで、そういう問題の法的落しどころを探るとかやってるけど、「大変やろなぁ、基準値もなしにそういう基準を決めなきゃならんのやから。ごくろうさまです。」としか思えない。
なので、こういうことに関して、本も読まずに自分の考えを固めようとかしてる人間は、単なるバカです。考えてるヒマがあるなら、本を読め、っちゅう事ですな。考えるだけ時間の無駄。答えが出るわけないねんもん。その「答えがでるはずがない」という事を知らない、という事がいかに不幸か。って事なんですけどね。でも、不幸な人間はずっと不幸なままを望んだりするから困る。)
無宗教の日本人は本を読む以外に、まともな倫理観の育成は無理なわけです。
そこのところを正しく自覚してるだけでも成毛眞は大したものです。
それと、「本好き」としては、大先輩というか、かなり上のレベルの人なんだなぁって思う。
こんなしょうもない本を書かずに純粋な書評の本を書いて欲しかったなぁ。
ようは「おもろい本って、まだまだあるでしょ。出し惜しみせずに、もうちょっと教えてよ。」っちゅう事でした。
と言うことで締め。
●本を読まない人はサルである!
ちゅうことであります。
はい。
百歳まで歩く―正しく歩けば寿命は延びる!
2008年3月7日 読書
■走る前に歩こう!
百歳まで歩く―正しく歩けば寿命は延びる!
ISBN:4344410459 文庫 田中 尚喜 幻冬舎 2007/11 ¥480
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344410459/249-9767057-8485143
最近は、長生きしようと決めているので、こういう本に興味が行く。この世は楽しくて素敵な場所だから、長くとどまっていたいのだ。
なんとなく買っただけなので、最初はスポーツトレーナーか何か、そういう人が書いた本なのかな? と思っておりましたが、そうではなくて著者は理学療法士さん。PTとか呼ばれたりもしますが。
理学療法士というのは、体の骨格やら筋肉やらの付き方の知識をキチンと頭に入れた上で、肉体的なリハビリテーションのサポートをされたりするようなお仕事ですね。
この理学療法士さんというのは、実は本当にすごくて、なんちゅうか体のエキスパート、という気がします。
前に付き合ってた彼女が、しょっちゅう腰が痛いという人だったので、やたらと腰をもまされていたのだけれど、一度医者に診てもらったら?という話になって、病院に行くと、お医者さんの診察はすぐに終わって、即理学療法士さんの診断に移ったのだそうです。
で、腰が痛いと言うと、「そこに立ってみてください」と姿勢のチェック。「あー、だいぶ体を反らせて立ってますね。」と体のゆがみを一発で判断。「これからしばらく腹筋の運動をしてください。」と言われ、それを一週間続けたら、見事に腰痛がなくなって、私も腰もみから解放された、という事がありました。
理学療法士さんってすごいなぁと感心してしまったのですよ。
で、いろいろ面白いなぁと思うところの多かった本なのですが、とにかく歩くという事を推奨されていて、大事なのはここだと思うのです。
(引用開始)-----------------------------
では、歩くために使われる筋肉の数はどれくらいなのでしょう。
歩くという行為には全身の筋肉が使われていて、歩行のときの推進力として使われる筋肉は、全身の筋肉の3分の2に当たります。全身の筋肉の数が400種類ですから、実に約260種類の筋肉が前に進むたびに使われていることに。加えて、二足歩行では体を支え、バランスを取るためにも筋肉が使われるので、歩行ほど参加する筋肉の数が多い日常動作もありません。
(引用終了)------------------------------
ということなわけです。要するに歩くという行為は筋肉を鍛えるためにとても良いわけです。
で、ここで言う鍛えるというのには、遅筋と速筋の違いという事があります。
(引用開始)-------------------------------
しかし最近では、こうした形状で筋肉を分類することはほとんどしなくなりました。トレーニングや体の動かし方を考えて筋肉を捉えることが主流になるにつれ、形状よりも性質による分類のほうが重要になってきたわけです。
瞬発力や持久力などで、筋肉を大きく2種類に分類する考え方です。筋肉の性質で瞬発力のある筋肉が「速筋(そっきん)」で、持久力がある筋肉を「遅筋(ちきん)として分けます。
(引用終了)-------------------------------
中年になったら、まずこの「遅筋」を鍛えなさいと、この田中さんはおっしゃる。
(引用開始)-------------------------------
困ったことに、中年になってスポーツジムで筋トレを始めた人に膝を痛める、腰を悪くするなどの故障が多発していますが、これはマシーンを使ったトレーニングなど速筋だけを集中的に鍛えた結果です。
(引用終了)-------------------------------
つまり持久力を支える遅筋が不足しているから故障するという話な訳です。このあたりを田中さんは「相撲」を例に出して話しておられます。
(引用開始)-------------------------------
相撲の練習では、昔からシコと鉄砲が基本です。なかでも柱に向かってゆっくり押し出す鉄砲が、遅筋を鍛えます。しかし、近年の相撲部屋では専用のトレーニングルームを設置しているところもあり、従来のシコと鉄砲を重視した練習より、トレーニングマシーンを使った練習が多く行われるようになりました。
その結果、遅筋よりも速筋がきたえられることになりました。で、最近の取り組みは瞬発力のある相撲が中心になり、持久力のある相撲が少なくなった。がっぷり組合ったまま水入りになるような、見応えのある相撲はなかなか見られないなぁ…、というのが、私の感想です。
また、昔に比べると、力士がケガで休場することが多くなりました。このことにも、遅筋を鍛える事がおろそかになっていると、理学療法士の立場からは推測しているのですが…。繰り返しますが、すばやく力強く収縮し、柔軟性において劣る速筋、その速筋を中心に鍛えていると、ケガをしやすいのです。
この力士の話を中高年のみなさんに置き換えても同じで、中高年も速筋中心ではなく遅筋を中心に動かすべきなのです。
(引用終了)-------------------------------
と、こうなるわけです。
このあたりは、陸上競技などで、ケガをしない体を作るための「マフェトン理論」を生み出したフィリップ・マフェトン博士の話と共通してますな。というか、田中さんは、マフェトン理論くらいは知ってるんでしょうね。
マフェトン理論については、
http://www.ne.jp/asahi/ja/asd/saitou/tore1.htm
が詳しいのです。
中年になって、筋肉が落ちてくると、ついついすぐに「スポーツジムで筋肉を鍛えなきゃ」とか思うわけですが、それはあまりに単純すぎる発想なんですね。
まず、キチンと歩くという当たり前の事をしないとダメなわけです。基礎工事を飛ばして高層建築はできないわけで、まず毎日数千歩くらいは歩かないと。
(歩き方に関しても田中さんはいろいろ書いておられます。一日一万歩って言うけどそんなに必要ないのではないか? それより姿勢をキチンとして歩くべきだとか、いろいろ。)
運動不足だと、ついつい「がんばって運動して取り返すぞ」とか思うわけですけど、その発想自体が間違ってるのですね。
そうじゃなくて、たとえば家の中で掃除や洗濯をマメにやるとか、買い物に毎日出かけるとか、そういう日常の普通の動きをたくさん増やすのが、まっさきに必要で、そういう歩くというような普通の動きで持久力が整えられて、それによって「長く体を動かしても疲れない」体の基礎ができる。それからランニングとかをすると、そういう順番があるわけですよ。運動してない人って、まず寝っ転がってテレビ見てるとか、パソコンにへばりついてるとかしかしてないので、まぁ、まずは家の中で動く、でしょうね。それから毎日歩く、でしょう。いきなりランニングじゃないよなぁ。
ものすごく基本的な話なので、引用はしませんが、筋肉というのは、拮抗筋と言って、つねに反対側に動かす筋肉がセットで存在してるそうなんですね。腹筋と背筋みたいに。で、そのバランスが崩れて、どちらかだけに頼ると体が歪んでしまって、僕の彼女みたいに、しょっちゅう腰が痛いとか言わなくてはならなくなるわけです。
これは、ようは「同じ動きばかりやってる」からいけないわけですよ。一日中運転してる仕事だとか、座って作業するだけの仕事とか。
同じ事ばっかりやってるから、筋肉バランスが崩れて変な負担がかかっておかしくなるわけです。でも、歩く動作だと使う筋肉の数が多いし、体のバランスを取るためには、それこそたくさんの筋肉をつねに連動させて動かさなければならない。だから「歩く」は体に良いわけです。
歩いてないから、走って済まそうっていうのは、だから根本的に完全に間違いな訳です。だって走る筋肉って特殊な動きですから。
歩くためには、重心を前に送り出す大臀筋やヒラメ筋を使う比率が高いのですが、これらの筋肉は遅筋の比率が高いそうです。でも走る時はハムストリングって言う遅筋の少ない筋肉ばかりをコキ使うことになるようです。
(引用開始)----------------------------
そして重心を前方に移動させることのできる筋肉には、もう一つハムストリングがありましたが、ハムストリングは大臀筋やヒラメ筋に比べると、遅筋よりも疲れる筋肉の速筋の割合が高く、歩行のスピードを上げる時や、走るときなどによく使われます。ハムストリングが使われる時は走る動作と同じで、体の前方に重心があり、膝がまがっていることなどがあります。大臀筋やヒラメ筋が体の後ろから重心を押し出すのに対し、ハムストリングは前から重心を引き寄せるのです。
(引用終了)----------------------------
だから、座り仕事しかしてない人間が「運動不足だし、走るか」とか言うのは、一番よろしくないというか、効率の悪い筋肉の鍛え方をしているとしか言えないわけですね。
まず「歩く」が先でしょ、って事です。注意しないと。
この本に書いてあったと思うのだけど(どこに書いてあったか、ちょっと見あたらない。他の本で読んだのかなぁ。)人体骨格標本とか見ていてもわかるんですが、腹回りの骨って、実は背骨しかありません。
これはどういう事かというと、人間の体は筋肉でこそ支えられているって事なんですね。で、拮抗筋の説明でもわかったように、それはバランスによって成立しているんです。すべての筋肉をおしなべて使うことによって、無理なく痛みのない、よい状態で体を支えていられるというわけです。
で、筋肉というのは、使わなければ減っていきますから、全体をまんべんなく利用するのが一番良いという事になるわけですが、そうするための一番効果的な方法が「歩く」だ、という事になるわけです。
で、てんびんばかりの釣り合っている状態なら、少しの力で傾きが生じますから、バランス良い運動に、あんまり激しい動きって必要ないって思うんですね。まぁ負荷はかけないといけないでしょうけど。で、速筋も鍛えないといけないけど。でもまぁおしなべて、全体をバランス良く使ってれば痛みもなく筋肉を保てるって事な訳です。
ちゅうことは、やっぱり歩くが一番だよなぁって思うのでありますよ。
これは、別の本で読んだのだけれど、人間の体重の7割は上半身にあるんだそうです。頭が重いですからね。だから、その重い頭のある上半身を支えるために、人間の体の筋肉の7割が下半身にあるんだと思う。
で、それらをバランス良く鍛えるには歩くのが一番だって事になるわけですよ。
とりあえず、基本的な考え方だけ紹介しましたけど、この本のいちばん面白いところは、年代別で、いろいろなエクササイズを提案してるところです。
年齢によって鍛えるべき筋肉は違ってくるんだそうです。40代になって20代のマネをしていても意味ないし、同じ動きばっかりやってても、年食ってから欠けがちになる筋肉を年齢に応じて補完してやるとかしてなければ、意味がないわけです。
なので、年齢別のエクササイズが図解入りで紹介されてるとかが、なかなか良いのであります。
ともかく、基本は歩く事ですわな。やっぱり。
そうそう、それと、WiiFitが良くできてると思ったのは、やっぱりこの本を読んだ後だったからなんですよね。あれは、体のバランスをチェックする装置の上で体を動かさせるし、トレーニングが何十種類も入っているのはとても正しい。雨でもやれるし記録はつけられるし、なかなか良いのじゃないかなと。
とまぁ、こんな事書いてますが、中年太りの場合は、運動より先に食う量を減らすことが最優先なので、そこは先にやりましょうね。運動は後でも良いのだ。
このあたりは例の「いつまでもデブと思うなよ」からの引用なんですけど、それはまた。
ともあれこの本はなかなか良かったです。
百歳まで歩く―正しく歩けば寿命は延びる!
ISBN:4344410459 文庫 田中 尚喜 幻冬舎 2007/11 ¥480
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344410459/249-9767057-8485143
最近は、長生きしようと決めているので、こういう本に興味が行く。この世は楽しくて素敵な場所だから、長くとどまっていたいのだ。
なんとなく買っただけなので、最初はスポーツトレーナーか何か、そういう人が書いた本なのかな? と思っておりましたが、そうではなくて著者は理学療法士さん。PTとか呼ばれたりもしますが。
理学療法士というのは、体の骨格やら筋肉やらの付き方の知識をキチンと頭に入れた上で、肉体的なリハビリテーションのサポートをされたりするようなお仕事ですね。
この理学療法士さんというのは、実は本当にすごくて、なんちゅうか体のエキスパート、という気がします。
前に付き合ってた彼女が、しょっちゅう腰が痛いという人だったので、やたらと腰をもまされていたのだけれど、一度医者に診てもらったら?という話になって、病院に行くと、お医者さんの診察はすぐに終わって、即理学療法士さんの診断に移ったのだそうです。
で、腰が痛いと言うと、「そこに立ってみてください」と姿勢のチェック。「あー、だいぶ体を反らせて立ってますね。」と体のゆがみを一発で判断。「これからしばらく腹筋の運動をしてください。」と言われ、それを一週間続けたら、見事に腰痛がなくなって、私も腰もみから解放された、という事がありました。
理学療法士さんってすごいなぁと感心してしまったのですよ。
で、いろいろ面白いなぁと思うところの多かった本なのですが、とにかく歩くという事を推奨されていて、大事なのはここだと思うのです。
(引用開始)-----------------------------
では、歩くために使われる筋肉の数はどれくらいなのでしょう。
歩くという行為には全身の筋肉が使われていて、歩行のときの推進力として使われる筋肉は、全身の筋肉の3分の2に当たります。全身の筋肉の数が400種類ですから、実に約260種類の筋肉が前に進むたびに使われていることに。加えて、二足歩行では体を支え、バランスを取るためにも筋肉が使われるので、歩行ほど参加する筋肉の数が多い日常動作もありません。
(引用終了)------------------------------
ということなわけです。要するに歩くという行為は筋肉を鍛えるためにとても良いわけです。
で、ここで言う鍛えるというのには、遅筋と速筋の違いという事があります。
(引用開始)-------------------------------
しかし最近では、こうした形状で筋肉を分類することはほとんどしなくなりました。トレーニングや体の動かし方を考えて筋肉を捉えることが主流になるにつれ、形状よりも性質による分類のほうが重要になってきたわけです。
瞬発力や持久力などで、筋肉を大きく2種類に分類する考え方です。筋肉の性質で瞬発力のある筋肉が「速筋(そっきん)」で、持久力がある筋肉を「遅筋(ちきん)として分けます。
(引用終了)-------------------------------
中年になったら、まずこの「遅筋」を鍛えなさいと、この田中さんはおっしゃる。
(引用開始)-------------------------------
困ったことに、中年になってスポーツジムで筋トレを始めた人に膝を痛める、腰を悪くするなどの故障が多発していますが、これはマシーンを使ったトレーニングなど速筋だけを集中的に鍛えた結果です。
(引用終了)-------------------------------
つまり持久力を支える遅筋が不足しているから故障するという話な訳です。このあたりを田中さんは「相撲」を例に出して話しておられます。
(引用開始)-------------------------------
相撲の練習では、昔からシコと鉄砲が基本です。なかでも柱に向かってゆっくり押し出す鉄砲が、遅筋を鍛えます。しかし、近年の相撲部屋では専用のトレーニングルームを設置しているところもあり、従来のシコと鉄砲を重視した練習より、トレーニングマシーンを使った練習が多く行われるようになりました。
その結果、遅筋よりも速筋がきたえられることになりました。で、最近の取り組みは瞬発力のある相撲が中心になり、持久力のある相撲が少なくなった。がっぷり組合ったまま水入りになるような、見応えのある相撲はなかなか見られないなぁ…、というのが、私の感想です。
また、昔に比べると、力士がケガで休場することが多くなりました。このことにも、遅筋を鍛える事がおろそかになっていると、理学療法士の立場からは推測しているのですが…。繰り返しますが、すばやく力強く収縮し、柔軟性において劣る速筋、その速筋を中心に鍛えていると、ケガをしやすいのです。
この力士の話を中高年のみなさんに置き換えても同じで、中高年も速筋中心ではなく遅筋を中心に動かすべきなのです。
(引用終了)-------------------------------
と、こうなるわけです。
このあたりは、陸上競技などで、ケガをしない体を作るための「マフェトン理論」を生み出したフィリップ・マフェトン博士の話と共通してますな。というか、田中さんは、マフェトン理論くらいは知ってるんでしょうね。
マフェトン理論については、
http://www.ne.jp/asahi/ja/asd/saitou/tore1.htm
が詳しいのです。
中年になって、筋肉が落ちてくると、ついついすぐに「スポーツジムで筋肉を鍛えなきゃ」とか思うわけですが、それはあまりに単純すぎる発想なんですね。
まず、キチンと歩くという当たり前の事をしないとダメなわけです。基礎工事を飛ばして高層建築はできないわけで、まず毎日数千歩くらいは歩かないと。
(歩き方に関しても田中さんはいろいろ書いておられます。一日一万歩って言うけどそんなに必要ないのではないか? それより姿勢をキチンとして歩くべきだとか、いろいろ。)
運動不足だと、ついつい「がんばって運動して取り返すぞ」とか思うわけですけど、その発想自体が間違ってるのですね。
そうじゃなくて、たとえば家の中で掃除や洗濯をマメにやるとか、買い物に毎日出かけるとか、そういう日常の普通の動きをたくさん増やすのが、まっさきに必要で、そういう歩くというような普通の動きで持久力が整えられて、それによって「長く体を動かしても疲れない」体の基礎ができる。それからランニングとかをすると、そういう順番があるわけですよ。運動してない人って、まず寝っ転がってテレビ見てるとか、パソコンにへばりついてるとかしかしてないので、まぁ、まずは家の中で動く、でしょうね。それから毎日歩く、でしょう。いきなりランニングじゃないよなぁ。
ものすごく基本的な話なので、引用はしませんが、筋肉というのは、拮抗筋と言って、つねに反対側に動かす筋肉がセットで存在してるそうなんですね。腹筋と背筋みたいに。で、そのバランスが崩れて、どちらかだけに頼ると体が歪んでしまって、僕の彼女みたいに、しょっちゅう腰が痛いとか言わなくてはならなくなるわけです。
これは、ようは「同じ動きばかりやってる」からいけないわけですよ。一日中運転してる仕事だとか、座って作業するだけの仕事とか。
同じ事ばっかりやってるから、筋肉バランスが崩れて変な負担がかかっておかしくなるわけです。でも、歩く動作だと使う筋肉の数が多いし、体のバランスを取るためには、それこそたくさんの筋肉をつねに連動させて動かさなければならない。だから「歩く」は体に良いわけです。
歩いてないから、走って済まそうっていうのは、だから根本的に完全に間違いな訳です。だって走る筋肉って特殊な動きですから。
歩くためには、重心を前に送り出す大臀筋やヒラメ筋を使う比率が高いのですが、これらの筋肉は遅筋の比率が高いそうです。でも走る時はハムストリングって言う遅筋の少ない筋肉ばかりをコキ使うことになるようです。
(引用開始)----------------------------
そして重心を前方に移動させることのできる筋肉には、もう一つハムストリングがありましたが、ハムストリングは大臀筋やヒラメ筋に比べると、遅筋よりも疲れる筋肉の速筋の割合が高く、歩行のスピードを上げる時や、走るときなどによく使われます。ハムストリングが使われる時は走る動作と同じで、体の前方に重心があり、膝がまがっていることなどがあります。大臀筋やヒラメ筋が体の後ろから重心を押し出すのに対し、ハムストリングは前から重心を引き寄せるのです。
(引用終了)----------------------------
だから、座り仕事しかしてない人間が「運動不足だし、走るか」とか言うのは、一番よろしくないというか、効率の悪い筋肉の鍛え方をしているとしか言えないわけですね。
まず「歩く」が先でしょ、って事です。注意しないと。
この本に書いてあったと思うのだけど(どこに書いてあったか、ちょっと見あたらない。他の本で読んだのかなぁ。)人体骨格標本とか見ていてもわかるんですが、腹回りの骨って、実は背骨しかありません。
これはどういう事かというと、人間の体は筋肉でこそ支えられているって事なんですね。で、拮抗筋の説明でもわかったように、それはバランスによって成立しているんです。すべての筋肉をおしなべて使うことによって、無理なく痛みのない、よい状態で体を支えていられるというわけです。
で、筋肉というのは、使わなければ減っていきますから、全体をまんべんなく利用するのが一番良いという事になるわけですが、そうするための一番効果的な方法が「歩く」だ、という事になるわけです。
で、てんびんばかりの釣り合っている状態なら、少しの力で傾きが生じますから、バランス良い運動に、あんまり激しい動きって必要ないって思うんですね。まぁ負荷はかけないといけないでしょうけど。で、速筋も鍛えないといけないけど。でもまぁおしなべて、全体をバランス良く使ってれば痛みもなく筋肉を保てるって事な訳です。
ちゅうことは、やっぱり歩くが一番だよなぁって思うのでありますよ。
これは、別の本で読んだのだけれど、人間の体重の7割は上半身にあるんだそうです。頭が重いですからね。だから、その重い頭のある上半身を支えるために、人間の体の筋肉の7割が下半身にあるんだと思う。
で、それらをバランス良く鍛えるには歩くのが一番だって事になるわけですよ。
とりあえず、基本的な考え方だけ紹介しましたけど、この本のいちばん面白いところは、年代別で、いろいろなエクササイズを提案してるところです。
年齢によって鍛えるべき筋肉は違ってくるんだそうです。40代になって20代のマネをしていても意味ないし、同じ動きばっかりやってても、年食ってから欠けがちになる筋肉を年齢に応じて補完してやるとかしてなければ、意味がないわけです。
なので、年齢別のエクササイズが図解入りで紹介されてるとかが、なかなか良いのであります。
ともかく、基本は歩く事ですわな。やっぱり。
そうそう、それと、WiiFitが良くできてると思ったのは、やっぱりこの本を読んだ後だったからなんですよね。あれは、体のバランスをチェックする装置の上で体を動かさせるし、トレーニングが何十種類も入っているのはとても正しい。雨でもやれるし記録はつけられるし、なかなか良いのじゃないかなと。
とまぁ、こんな事書いてますが、中年太りの場合は、運動より先に食う量を減らすことが最優先なので、そこは先にやりましょうね。運動は後でも良いのだ。
このあたりは例の「いつまでもデブと思うなよ」からの引用なんですけど、それはまた。
ともあれこの本はなかなか良かったです。