ISBN:4860811801 単行本 和田 秀樹 新講社 2007/11 ¥900
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4860811801/249-9767057-8485143

この数ヶ月、読んだ本の一覧を書いてますが、一冊一冊を取り上げて、というのが少なかったので、ちょっとまとめがてらやってみたいです。

著者の和田秀樹さんは精神科医ですが、最近はけっこうたくさんの本を書いておられます。1960年生まれで、私と同学年。
年が近いと気になる問題も同じだなぁと感じます。

この人の本では、前に

人は感情から老化する
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396110529/glfclb-22/ref=nosim

を読んだのですが、ようは40過ぎあたりから、感情の老化が始まりまして、つい怒りっぽくなったりするから気をつけよ、という内容だったのですね。

これは欧米で言うところのミッドライフクライシスというものに近い。
あと、前にここの日記で紹介した
http://diarynote.jp/d/12917/20051112173817

●40歳の意味
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4804716300/249-9767057-8485143

って本にも通じるのだけれど、30代の終わりから、40代にかけてというのは、感情の老化がはじまっていて、怒りっぽくなったり、あるいは逆に「今しかない!」とあわてて、無茶をしたりしがちなのです。

そういう「危機」に対して敏感な年齢だ、って事なんだと思います。
和田秀樹さんの場合は、精神医学の現場からアプローチしているのですが、なにより現場での体験をベースにしているので、現実的かつ、取り入れやすい提案が多いので、良い本だと思います。

この本で書かれている事を一言で言うなら、

●不機嫌は幼稚だ

ってことでしょう。これはしっかり心に刻まないといけないなぁって思うのです。不機嫌は幼稚だ。

なんで幼稚なのかと言えば、それは自分の要望を明確にして、実現していないという事の証明だからです。
たいていの不機嫌人間は、自分の不機嫌の理由がいまいちわかってないって事が多いわけですね。

で、なんでそれがわからないかというと、自分の要望が何なのかがわかってないからなんです。

で、なんで自分の要望がわかってないのかというと、自分の感情を素直に表現せずにガマンしたり押さえ込んだりとひねくり回してるからなのですね。うまく上手に自己表現が出来ていれば、不機嫌にはならない、というかなりにくいのだそうです。

でも、悪感情(怒り・不満・不機嫌)から抜け出せない人は、そういう自分の「わかっていない部分」をわかろうとしません。相手が悪いと考えてしまうのです。

でも本当は違うのですね。自分の不満を明確に自覚して、その不満を解決する方法を編み出して、それを実際にやってみてチャレンジする過程、みたいな事を日々やってないから相手にその「問題」すら伝わらず、それで物事が解決しなくて不機嫌だ、という事が多いわけです。

相手に非があるとする限り、これは解決不能ですわね。解決不能なものはずっと問題なままだから、そりゃおもしろくないです。

この問題解決に対して、和田秀樹さんは、まず「自分の性格を認めなさい」というところから説き起こします。和田さん自身、短気で、相手のスローモーな対応にイライラしがちなんだそうです。

この「自分が短気である」という自分の個性を、自分の個性としてキチンと認識せず、「私が普通だ、標準だ」と思うから、相手がスローって事になってしまうわけですね。

だから、自分が短気であるって事をちゃんと認めないといけない。

回りの人間がバカに見える事が良くあるんだけど、それは自分が賢いからいけないのであって、相手が悪いんじゃないって事ですな。わははははは。いや、実際そうなのよ。そういう事なんだもん、しょうがないよ、それは。

頭のいい人、要領のいい人は、そこのところを気をつけないと、感情生活が貧しくなってしまうので気をつけましょう。

(でも、これも本当はウソであって、人間にそれほど違いっていうのは少ない。実は解決された問題というのは、ものすごく多様な要素がからまりあって解決されていて、その細かな要素をひとつひとつきちんとふり返って整理していないから、それを自分で自覚できず、相手に伝えられなくてノウハウの共有ができなくなってる、というのが本当のところなのです。自分が得たノウハウをキチンと整理してないのが、本当はいけないのですが、まぁこれは「感情の整理」とはまた別の話なので、またそのうち。)

自分の性格を認めるというのは、自分の感情に気付く、と言うことでもありまして、それは不機嫌な人は自分の感情に疎いのだ、という事でもあります。

たとえば、この本で出ている例でいうと日曜日の繁華街での親子連れで、不機嫌そうにしているお父さん、というのがあります。

「本当は家でやすみたいのに」という自分の感情を押し殺して、無理して家族サービスしてるわけですね。ここに不機嫌の源泉がある。休みたいんなら休めばいいのだ、と和田先生はおっしゃる。で、「家でカレーを作って待ってるよ」とかの自分の出来る、ラクな対応を考えれば良いのだとおっしゃるわけです。

でも、ここで「相手に嫌われたくない」と相手優先をやるから、そこから自分の不満が始まるわけですね。で、「こんなに無理してるのに、それを察してもくれない!」と相手の非難が始まってしまうわけです。

いや、だから、休みたいなら、やっぱり休まないとダメだよ、それは。そうしないと解決しないよ。それが自分の望みなんだから! って事ですね。

ここをごまかすと、おかしな事になるわけです。要は。

身を引く大人であるよりも我を通す子供になって、で、それでさっさと謝る。「すまんすまん。わがまま言うて。」と。

こういう事を和田秀樹さんは言ってるのですが、面白かったのは「精神科医もカウンセリングを受けているのですよ」という話でした。
つまり、体重計が正確かどうかを確かめるために、ハカリに正確な重りを載せて「ハカリを測る」という事をするように、精神科医も心のチェックを受けているのですよ、という話なのです。

で、それで何が言いたいのかというと、

●ものの見方のゆがみや、心の反応パターンは自分でもなかなか気付かない

という事なわけですね。

で、この「自分のゆがみに気付けない」というところから、いかに抜け出すか、という方法や考え方がいろいろ書かれてるんですが、僕的に「なるほどなぁ、そうだなぁ」と思えたところだけをいくつか抜き書きすると、

●自ら積極的に人に関わり、人との関係の中から自分の「レベル」をチェックする。(良いにつけ悪いにつけ)
●「あるべき自分」にフォーカスを当てるのではなく、「ありのままの自分」にフォーカスを当てて、まずありのままの自分をほめる。認める。そして背伸びをしない。(当然欠点も直視しなくてはなりませんが、そうしないと良い点も発見できません。)
●EQ(心・感情の知能指数)は放っておくと年と共に衰えるので、感情の活性化策は、どうしても必要だ、という事。不機嫌ではなく上機嫌を「ワザ」として磨かないといけないゾ、と言うこと。
●すべての人間を好きになろう!という話。それもみんなを大好きになる必要などサラサラなくて、関係に応じて、少しだけ好きになれば、それで良いってこと。
●より良い人間関係のためには、ほど良い距離感が必要、ということ。

となります。
特に心に沁みたのは、「ほどほどの距離感」の話でしたなぁ。相手を好きだと思っていられる程度に、距離感を持っておかないと、どうしても「気付いてくれない」式の不満が出てしまうもんなぁ。

そういう事なんだよなぁと思いました。

とにかく上機嫌で行こう! 上機嫌で!
1月に読んだ本。
また、先月読んだ本の一覧。いちおうオススメの順番です。

ゼロから始める玄米生活―高取保育園の食育実践レシピ集
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4816706976/249-9767057-8485143
ゼロから始める玄米生活 2 おかず編
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4816707271/249-9767057-8485143
百歳まで歩く
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344410459/249-9767057-8485143
「感情の整理」が上手い人下手な人
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4860811801/249-9767057-8485143
寝ている間も仕事が片づく超脳力
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/434401409X/249-9767057-8485143
「ニッポン社会」入門
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4140882034/249-9767057-8485143
引き寄せの法則
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797341904/249-9767057-8485143

先月は、練習中の英語が追い上げに入ったので、月末に英語の文法書ばっかり読んでたので、英語関連以外で読了した本が少ないのであります。
ニッポン社会入門は個人的には大好きなんだけど、実用的な本でもないので、オススメ度は低いのです。人それぞれ、好みもありましょうし。

ちゅうことで順に紹介しましょう。

●ゼロから始める玄米生活

今月のいちばんのオススメがこの本。
これは福岡にある幼稚園で実践されている「玄米食」による食育メニューの本なんです。少し前に紹介した

粗食のすすめ
http://diarynote.jp/d/12917/20071110.html

を読んで以来、玄米食をはじめてまして、圧力鍋も買ったんですが、(この圧力鍋というのが、超便利! 超お勧め! なのですが、まぁこれは別の話なので。)そういう玄米食を幼稚園児に対して行っているという、そのメニュー集。

表紙の写真になっているのは玄米に枝豆と梅肉を混ぜ合わせただけのものなんですが、これがおいしい! (あ、よだれが出てきた。)

ほんとにね、玄米はうまいです。食うとうんちがたっぷりでます。食物繊維たっぷりだし、結局日本人の食生活って白米にしたところから狂い始めてるんじゃないかなぁって僕は思うのですが。

このあたりはまた紹介します。

●ゼロから始める玄米生活2おかず編

は、その玄米食にあわせたおかずはどんなものが良いかって本ですが、こっちはちょっとマニアックかなぁ。

ともかく、子供には甘いお菓子を与えるのではなくて、「おやつに玄米おにぎり」が良いし、子供たちも大喜びなのだってところはしっかりと頭に入れておいて欲しいです。玄米は、しっかり噛まないと食えません。で、噛むから甘いのです。これが大事。砂糖より米の甘さをしっかりと味わいましょう。

●百歳まで歩く

この本も、そのうちちゃんと紹介したいですな。理学療法士の人が書いた体の筋肉の仕組みと、そのメンテナンスに関する本ですな。

理学療法士って、けっこうすごいんですよねー。筋肉のエキスパートだよなぁ。「腰が痛い」とか言うと「ちょっと立ってみて」と立たせて、その体のゆがみから、「●●運動を一週間ほどしてみてください」とか言うのよね。で、その運動(背筋であったり腹筋であったり、それは人それぞれ)をやると、ウソのように痛みがなくなる。これは実体験なのでよく分かる。

結局、筋肉のバランスが悪くなって筋肉痛は起こるんだそうです。なるほどなぁ。

この本で「あ、そうやったんや!」と感心したのは、走る筋肉と歩く筋肉では使う筋肉が全然違うのだ、という話でした。やっぱり歩くのが基本やねんなぁとつくづく思う。

運動不足だからとランニングなんかしてもダメだっちゅうことでしょうな。やっぱり、まず歩かないと。それが基礎でしょう。やっぱり。

面白い本です。

●「感情の整理」が上手い人下手な人

この本は和田秀樹さんの本。同世代の方なので、関心が似てるのかも知れないですが、ようは年を取ってくると、怒りっぽくなるけど、それはちゃんとコントロール可能なんだよって本です。精神科のお医者さんですからな、実感こもってます。これも良い本。

まぁあれです、

▼どんなに偉くても不機嫌な人は幼稚にみえる

という事ですな。この一言に尽きる。

いくら大層な事を言ったところで、ようは「不機嫌」だったら、単に幼稚な言い訳でしかないって受け取られてしまうし、まぁ9割方そういうものですからな。不機嫌な時に前向きで健康な発想は生まれて来んからなぁ。いつも上機嫌で生きよう! で、それはちゃんと感情コントロールできるんだよ、って本です。これも良い本。

●寝ている間も仕事が片づく超脳力

えーと、この本もすごく良かったんです。レベル高い。脳の話で、脳の力と睡眠の関係について言及してない本は信用なりません。一番大事な所だと思います。それがちゃんと書かれてます。

とくに「自分の睡眠サイクルを把握しよう!」という事が書かれていた点に関しては、実はものすごく画期的なんだけど、これは書き出すと大変なので、またの機会にしましょう。

でも、この本は、テーマが散漫なのがすごく損してますなぁ。良い本なんだけど、いろいろな事について独自のアイディアとか出してるから印象が薄くなってしまう。もったいない。

●「ニッポン社会」入門

これは先日紹介しました。大好きな本です。
http://diarynote.jp/d/12917/20080124.htmlを参照してください。

●引き寄せの法則

えーと、これは、いまブームの「引き寄せの法則」の、いちばん中心になってる本ですかね。「引き寄せの法則」というタイトルの書籍は、3〜4冊(もっとかな?)出てますが、たぶん、この本がいちばんのブームの中心なんだろうなという印象は受けました。

ただまぁ、内容が「イタコ」とか「霊媒による自動筆記」のたぐいなのが抵抗のある人には抵抗があるでしょうねぇ。でも、言ってる内容的には、そうおかしな事は言ってないです。まぁ、まとも。各種の「スピリチュアル」な人達が、とどのつまり「豊かな常識」に沿った発言しかしないのと同種の結論ですね。イキイキと生きるという意味ではそれで良いのだから、それで良いわけです。最終的には。

なかなか「上機嫌」になれない人は、この本を読んでれば、日々上機嫌になれるんと違うん? みたいな事です。

ちなみに11月に読んだ本の一覧にあげた「引き寄せの法則(マイケル・J・ロオジェ)」とはまた別の著者の本です。
ISBN:4774300004 単行本 くもん出版 1996/02 ¥1,260
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4774300004/249-9767057-8485143

まえに、去年の10月20日の日記「後退する事が、実は進歩だったりする。」
http://diarynote.jp/d/12917/20071020.html
で紹介した英語トレーニングの書籍、

●どんどん話すための瞬間英作文トレーニング
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4860641345/249-9767057-8485143

が、そろそろ予定終了となりそうなのですが、この練習をする過程で、英文法の再学習の必要性を強く感じてきて、ちょこちょこと英文法の参考書の名著、

●総合英語Forest

http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4342010208/249-9767057-8485143

を読み直していたんです。

が、どうにも分量が多すぎて、「学習が進んでいる実感」が湧きにくかったんですね。いやまぁフォレスト自体はすごく良い本で、まぁ英文法ならこれ一冊でオーケー!と言われるのもよく分かる感じなんですが、なんちゅうかとっつきにくい。

で、ふと書店で、この「くもんの中学英文法」を手にしてみたら、これが実に良いのでありました。もう、復習にばっちり。

何がよいかというと、「ひとつ前のステップに戻るマーク」がついてる事なんですね。
この本、すべての項目が一頁一項目にまとめられていて、かならず例文で文法項目を解説してくれてるんですが、「この項目を理解するためには、一つ前のこのステップが理解できてないとわからないよ」というステップ番号が振ってあるんですね。

だから、ステップ48がわからなかったらステップ11に戻ればいいとかがすぐにわかる。
これが、かなりありがたい。

ものごとがわからない、というのは、「なにがわからないのかがわからない」という、どうしたらいいのか、どうしようもないという状況があって、それでムダな事の繰り返しをするってな事にもなってしまうのですね。

で、実際、不定詞がよくわからんと思ったら、実は「句」の概念がいまいちわかってなかったとか、そういう事はあるわけですよ。で、それが解ると、そうとうに楽になるとかね。まさに「もどってよかった」なわけですけど。

なので、この「どこに戻れば良いのか」が必要に応じて書かれているというのは、相当にありがたいわけです。これがいかにありがたいか。いや、ほんとに。実にありがたい。

「ああ、そうか、ここがわかってなかったから、全部わからんかったんや」みたいな事なんですね。いきなり大きなパースペクティブが得られるのですな。
なんというか、今一度、大きな視点に立って基本に引き戻してくれる事が悠々たる自信を生み出す原泉につながっていくわけです。

アマゾンでの書評を見てみると、「学習者にだけでなく、教える側の人間にも役立つ」と言う人がいて、「ああ、なるほど!!!」と思うのですよ。
教える側だって、相手が基礎項目のどこができてないのかなんて、なかなかわからないものなんですから。

「くもん」というのはペーパーテストをたくさんやらせる学習塾ですけど、実は、あそこの学習メソッドの根幹が、この「前のステップに戻る」なんですよね。

どんどんペーパーテストを軽々とこなしていた子供が、ある時スランプにぶち当たるんです。勉強が面白くないとか、やる気が出なくなるという所まで行く。実際、ペーパーテストの成績も良くないわけです。

そういう時にくもんでは「じゃあ昔のテストやってみようか」と学年で言うと2年分くらい逆戻りさせるんですね。

これがすごく大事なんです。

なんでかと言うと、たとえば、算数なら、実は一桁の足し算の練習の量が足りなくて計算スピードが遅くて、難しい問題に取り組めなくなってるとか、そういう事が多いわけです。

そういう子供は、テストの問題の解き方はわかってはいるんだけど、解くのに時間がかかるわけです。だからやってて辛い。なので面白くない。と、こうなる。

先生もそういう子供の相談に乗るのだけれど、確認してみると、別に問題の解き方が理解ができてないわけではない。ちゃんとわかっている。だからなんで成績が下がってきたのか、原因がわからない。とまぁ、そういう状態になるわけですよ。

こういう時に基本に戻って、2学年分くらいステップバックすることは、すごく意味が大きいのですね。

というのは、ステップバックして昔やった基礎的な学習をもう一度やってみると、これが実にラクラクできるわけです。やっていても楽しい。だからモチベーションも下がらないんですね。

歯をくいしばって、ヒーコラ言って、必死になって、上のステップを目指しても、そんなものは付け焼き刃なんです。意味はほぼない。というか害悪の方が圧倒的に多いんですね。時間はムダになって、しかも進歩はなく、欠けているところは永遠に埋まらないわけですから。

この例で言うと、簡単な足し算を解くスピードが欠けていた、ということですけど、そのほかいろんなレベルでの「欠落」ってのはあるわけです。いろいろな学習項目が無意識・潜在意識レベルまで身に付いてるかどうかって事なんですね。

たとえばひらかなの書き順とかさ。こんなもの考えてやるような事でもないし。

だから、もう、欠けているものは、欠けているんだって事ですね。
それは、欠けていると自覚して、あるいは自覚できないのなら、「何かが欠けているのだろう」と仮定して、とにかく欠けているところを補えるだろうと思える作業をする以外に方法はないわけです。

で、その欠けている事を補うためには「ステップバックする」っていうのは、ものすごく良い方法なわけです。

できない事を無理してやるより、うんと楽しくて、ラクで、確実にできるし、そういうラクにできることを、より正確に、より上手に、よりすばやく、安定して、力強くやるって事は、メンタルな事まで含めて、実力を高める上で、おそろしく重要なわけですよ。

そういう基礎ができてないと、ホントに先に進むのがものすごくしんどいわけです。
だいたい自分のどこで何が欠けているのかすらわからないって感じにしかなりませんからな。不安でしかない。それは辛い。
辛いのは嫌だ。
思いません?

だから出来ることを、もっと上手にやる、というチャレンジが良いって事なんです。

そのための、一番良い方法が、何ステップも前に戻るって方法なわけです。これは本当にラクで、楽しみながら成長する秘訣なわけです。

この「くもんの中学英文法」には、その「何ステップも一気にバックする知恵」がつまってるんですな。無駄なくステップバックできる。本当にすばらしい。

ちょこっと戻る程度じゃダメの事もけっこう多いしねぇ。ドカーンと戻らないとダメだったりする。

一冊で中学3年分の文法がまとめられていて、ちょうど僕も中学3年分のトレーニングが終わりかけてるので、いま練習中の項目を参考に見てみようと思ったら、いきなり、もっと前のステップに引き戻されるわけです。

で、その戻ったところに「ああ、そうか!この用法はこういうことだったのか!」とか、新鮮な発見があったりするのですね。
復習をするにはとにかく、この本は良くできてます。読んでいて改めて思ったのは文法用語の概念の意味が、いままでいまいちわかってなかったよなぁって事ですね。

この半年かけて例文をずーっと音読してたので、実例が体に入っていて、かなり「感覚」でわかるようになってきたのも大きいのですが。実例なくして文法概念なんかわからんわなぁって事ですな。

ほんと、よくわかるのは、中学3年の課題がしんどいのは中学1年の課題ができてないからだという当たり前の事なんですよ。
で、中学3年の課題を難なくこなしてる人は、やっぱり中学1年の課題を、おそろしくたくさんこなしているって事ですね。

それはどんな分野でも、まず間違いなく絶対です。基本です。基本。基本ができていなくて、応用は絶対に無理。そういう事です。当たり前なんだけど。

でも、自分がそうだったからよくわかるけど、できない人間というのは「できないところ」をできるようにしようとするわけですね。「できる事をしっかり、みっちり」とは考えない。

でも、それが失敗の原因なんですよ。
で、ありとあらゆる分野で「できないことをできるようにしよう」として失敗する。

違うんよなぁ。まず「できることをキチンとする」のが大事なんよなぁ。それをもっとうまく上手にやってると、難しい事にもチャレンジしようという、腹から、心から、底からの「やる気」、チャレンジ精神が、ふつふつと湧いてくるのであって、無理して「できないこと」をやっても、まぁ意味はないわけです。

このあたり、昔、ブラインドタッチの練習ソフトの開発に関わっていたこともあって、同じような事を感じるのですね。

たとえばブラインドタッチだと簡単なキーと難しいキーというのがあります。ホームポジションの位置のキーは簡単なんですけど、遠い位置のキーは失敗しやすいわけです。TとかYとかは、はじめのうちは、よく打ち間違える。

で、この時に「苦手キーの練習」というのを、どうしても、つい人間はやってしまうのですね。Tが苦手ならTばっかり練習するとかするんです。

でも、実はこれはトータルに見ると、よけい能力が下がる、最も悪い練習の仕方なわけです。

なんでかというと、「まだキチンと位置を覚えていないキー」の練習を「明確な基準もないまま」、「カン」で打ち込むから、「いまなんとか打てている基本のキー」までがたついて、ミスが膨大に増え始めてしまうんですね。

じゃあ、どうしたら良いか、というと、苦手キーの事はいったん忘れて、まず、「いまなんとか打てているキー」を「絶対確実に間違わず高速で打てる」ようにすることなんですね。つまりラクに打てるキーを、もっと上手に打てるように高めることなんです。

そうすると、「キチンと打てているキーの位置」を「基準値」にして、「苦手キーの位置」を正確に測れるようになるんです。

だから苦手キーを正確に打つためには、得意キーをもっと上手にしないとダメなんですね。
これがブラインドタッチを習得するのに、もっとも効率的な練習方法なんです。

もう、こういう事はね、絶対なんですよ、絶対。絶対の法則と思ったらいい。
基礎ができてないところに応用はないわけです。

ピラミッドの底面の石を積まずに一番てっぺんの1個を積めるはずがないんですな。
もう絶対です。

一時期、歩く機会が減って、まともな普通の運動ができなくて、仕方ないからとランニングしだした事があったけど、「走る」は「歩く」の代替品にはならないんですよね。「歩く」は「歩く」として必要なわけで。それは一年生の勉強と三年生の勉強は課題が違う、というのと同じ事なのです。

だから、正しく努力する人は、ピラミッドの底面の石を、飽きもせず、ただひたすらコツコツと、えんえん一段目の高さを積み続けるのです。
はたからはバカに見えるし、あまりに変化がないので、どうしても飽きちゃうんだけど、それでもやっぱり、ピラミッドの底面をキチンと積み尽くした人だけが、無駄なく確実に2段目を積めるわけですよ。
ほんと、それだけの事なんだ、こういう学習とかトレーニングってことは。
ほんとうにそう思う。

ちゅうことで、この「くもんの中学英文法」は、そのピラミッドの底面から頂上の最後の1個までの設計図と通り道をザクーーーっと紹介してくれてるマップみたいな本なので、なかなか良いです。
お気に入り。
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ISBN:4140882034 新書 コリン・ジョイス 谷岡 健彦:訳 日本放送出版協会 2006/12 ¥735

たまらなく好きだ。

というものがあります。で、この本がそれ。
なんなんだろう、この感情は。
とにかくたまらないものがあるんですねぇ。

日本人が日本人の感覚でなれ合っているのではなくて、イギリス人が、ある程度の世界普遍価値の判断のもと、「こういうところは日本人の素晴らしいところだ」と素直にほめてくれる。
そういうところがいいんでしょうね。

敬愛というのでしょうか。そういう普遍的な見地から物事を見る態度が備わっているという事自体に僕は敬服するのですが。
日本人にそういう視点や態度ってないからなぁ。だいたいワールドワイドに見て突出して「良い」のか「悪い」のかを判断する能力自体が、日本人には備わってないから。わからんもんなぁ、世界的な普遍的な標準的な価値観って。

(アメリカンな「グローバルスタンダード」ではありません。ワールド・バリューズ=世界普遍価値です。混同しないでね。このあたり平気で混同する人がいてるので。)

って、難しい話を書きましたが、内容はそんな堅苦しいところはひとつもないです。おちゃらけで楽しく、まさに抱腹絶倒。

いちばん笑ったのは、著者のコリンが神社にお参りに行って、日本人から「何かお願い事でもしたの?」と尋ねられたときの彼の返事。

「したよ。日本の神様はガイジンにもやさしいだろうから。」と言いたかったらしいのだけれど、「神」という発音は彼には難しく、どうしても「カマ」になってしまい、なおかつ「神」には何か敬称が必要なはずだと、頭に「お」をつけたのだそうです。

「オカマ」ですね。わははは。

まぁこれはくすぐり程度のお話しですが、異文化から見た日本のおかしみと、逆に素晴らしさがたくさんたくさん載っていて、どれもこれも本当に楽しい。
ニッポンのプールの整然としたルールの不思議さと、それを守る日本人の可愛らしさと、おかしなところ。
たった一本のネジを交換するために真摯に対応してくれる街の自転車屋さんの「紳士=ジェントルマン」加減。
銭湯という素敵な場所。
巣鴨のおばちゃんたちの平和な姿。
寒さがゆるんできて、表に出たくなってきたころに、日本中でいっせいにに開かれる「花見」というガーデンパーティーという文化の素敵さ。
とにかく見知った何もかもがガイジンという視点から見ると、ものすごく新鮮で素敵に見えるからたまらないのです。

著者のコリン・ジョイスは東京在住14年の新聞記者だけれど、はじめて日本に来たのは神戸の全寮制の学校に留学生として来日した時で、1年住んだらしい。で、その時の印象がまるまる1章使って書かれているのだけれど、これを読むと、関西人の僕としては、とても胸がキュンとしてしまうのだ。

なぜなのかよくわからないけれど、多分、ごく当たり前の日常が異邦人の目を通すことで、まるで自分が子供の時に感じていた感覚で見るように再発見できてしまうというか、そういう事なんだと思う。とにかくたまらなくて、胸がキュンとして、せつなくて、なつかしい気持ちでいっぱいになってしまう。

よかったなぁ、この星に生まれて。

そういう気持ちになってしまうのです。

読んでいて気付いたのだけれど、どうも僕はこういう「異邦人」ものが、とても好きであるらしいのですね。
もう長らく小説は読んでないのだけれど、いまだに好きで好きでたまらない小説がふたつあって、それはどちらもSFなのだけれど、それは、田中光二の「異星の人」

http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4894565986/249-9767057-8485143

と、筒井康隆の「旅のラゴス」。

http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4101171319/249-9767057-8485143

この二冊の小説を読んだ時のしみじみと染み入るような心豊かさが、このエッセイにもあって、本当に好きだなぁと感じるのです。

どれもこれも「異邦人」の旅の話なんだけれど、どうしてこんなに素敵なんだろう。
もし自分が小説を書くなら、こんなお話しをこそ書きたいなと思うのです。好きで好きでたまらない。たまらなく好きな世界です。

三冊とも、超がつくお勧め。つまらない小説を読むくらいなら、この三冊を繰り返し読んだ方がよっぽどマシ。ほんと。マジにそう思います。

ああ、良い本に出会えるっていうのは、本当に幸せだなぁ。
「ニッポン社会」入門でくやしいのは、大半が東京という都市を取り上げて描かれてる事。東京に住んでる人間だと、僕の8倍くらい感激して楽しめるに違いないのですよ。
ああ、くやしい! キー!!!(笑)

ともあれ、本当に面白くて良い本です。おすすめ。

突っ込む作業。

2008年1月22日
突っ込むと書いてますが、何の話かというと、「知識」の事なのであります。
知識を突っ込むという話でして。

これを作業のごとくやらねばならんのですな。
受け取る事も必要なんですが、身の回りの人に対してもやらねばならない。

昨日も打ち合わせに出かけたのですが、その若いデザイナーさんに、クライアントさんの発展してきた経緯とか、いま置かれている業界でのポジショニングとかを、とにかく大急ぎで「突っ込んで」きたのであります。

大前提となる知識がないと、これはどうしても意見にズレが出るんですね。仕事がうまく行かない。

だから、もう、ドドドドドドーっと知ってる事をしゃべり倒すという事をしてきたわけですが、そういう事が必要な事が、どうしてもあるのです。

この大前提となる知識なくして、まともな提案やアイディア等を出せるわけがないのでありますよ。だから一緒に仕事をする人はみな知識ベースを揃えておかねばならない。特に広告の仕事とかだと時間の余裕もあんまりないので、もう本当に思い切り高速でドカドカドカと大前提となる話を一席ぶってきたのであります。

で、そういう事をやると、やっとまともにアイディアの積み上げ、交換、発展的展開案が出せるようになってくるわけです。
知識が欠けているところで何をやっても効率が悪いだけでしてね。

まぁ30分くらいずっと話をしてたんですが、けっこう疲れましたです。

で、考えてみたら、書籍というのは、こういう「ドドドドドドーっと話す」という事を紙の上でやってくれている事な訳ですよね。で、そういうものがなんとなんと2000円とか、そういう廉価な値段で森羅万象、販売されとるわけですよ。

いやー、しかし、こんな有り難いものはないですな。

でも、この何年もずっと出版不況なんだそうで。みんな本を読まなくなっちゃったらしいのですね。ああ、もったいない。

正直、インターネットで検索しても、「〜ということになっている」という一般論、ようするにゴミの情報の方が多いので、真に役立つ知識に到達するのはなかなか難しいんですね。いや、ほんとに。

良い書籍に一冊めぐりあうと、そこには「体系」が書かれているので、そこから学べる事はとても多いし、参考書籍一覧なんかが載ってたりすると、それはもう宝の山だったりするわけです。

だからやっぱり紙の本を読まないとダメなわけでして。いくらアマゾンで検索しても「参考図書一覧」までは掲載してないのよなぁ。そこまでやってくれりゃアマゾンだけでもそうとうな事ができるので、切に希望するのですが、まぁこれはなかなか難しかろう。

とにかく、知識はどんどん突っ込んでおかないとなぁと思います。判定するのは後。とにかく突っ込む。そういう事ですなぁ。いやほんと。
えー、「痛快!憲法学」の内容をmixiの方にも転載したら、マイミクさんから少しコメントをいただきまして、そのコメントの返信として書いたメッセージを、こちらにも載せておきます。

ようは言いたいのは「知るのは楽しい、喜びなのである。」という話なのですよ。そこを言い損ねている気がしたので。

(以下mixiのコメント欄に書き込んだコメントの転載)--------------------------
>●●さん

そうですねー。小室先生はとにかくすごいですね。

でも、なんて言うのか、この日記で言いたいのは、タイトルにもある「知る喜び」の話なんですよ。

「そうか! そうだったのか!」というよろこびですね。
それについて言いたかったのです。

小室先生のご著書はそういう気持ちにさせてくれるのがうれしい。その喜びをこそ強調したいんですね。
だから、他にすごい人がいるならもっと教えて欲しいとか、そういう事なんですけど。「そうだったのか!」という喜びを、もっともっと得たいなぁ、という話なんです。基本は。

でもまぁ、なかなか小室先生なみの超弩級の「ふへー、そうだったのか!」を感じさせてくれる人は、そうそういないですけどね。

ああ、よろこびたい!
(転載終わり)-------------------------------

と言うことであります。
まぁねぇ、この「おおすごい!」と思える人ってなかなかいないんですけどね。
で、ジャンルによって「すごさ」がまた全然違ったりするからなぁ。

たぶん小室先生のお話なんて、欧米では「いや、そりゃ普通の常識にしか過ぎんよ」という程度の話でして、それをわかりやすく書いてくれてるのがすごい、というだけなんですよね。

逆に、前にここで紹介した書籍の中には世界的にみても「なるほど」と世界の人をうならせるような内容の本もあるわけです。
たとえば「粗食のすすめ」なんか、そういう内容の本ですわね。

ミクロにすごいというのと、マクロにすごいというのは、また全然違うのだ! という事なんだろうけど。

ともあれ、世間にはすごい人っていうのがゴマンとおられますね。いろいろ読んで、学ばせていただきたいと思います。いやほんとに。

知るよろこび。

2008年1月12日 読書
痛快!憲法学 ― Amazing Study of Constitution & Democracy
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797670312/249-9767057-8485143

ふと、自分の日記を見てみると、どうもこの小室直樹の痛快!憲法学そのものの紹介をしてないようなのですね。
自分で驚きました。

なんせ、この10年でみても、もっとも感銘を受けたというか、勉強になった、エポックメイキングな書籍だったから。

アマゾンでの評価も非常に高いですし(38人の評価があって、星5点満点で4.5)、この本はその後に「日本人のための憲法原論」というタイトルで愛蔵版が出てます。実際、再販する価値は高いです。本当に良い内容ですから。

日本人のための憲法原論
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797671459/249-9767057-8485143

で、再販されたこの「憲法原論」は、僕もこの「ひとよみにっき」で紹介してるんですよね。

http://diarynote.jp/d/12917/20070213.html

でも、どうも、肝心の自分が読んだ「痛快!憲法学」は紹介してなかったみたいなんです。いや、正確には買って読み始めた時には一度紹介してるんですけどね。

http://diarynote.jp/d/12917/20010515.html

でも、このころはまだ、ここに書籍紹介の機能とかなかったもんなぁ。

ともあれ、この本は読みやすくて面白くて、そのくせワールドワイドな「世界の常識」が、手に取るようにわかるので、超おすすめです。もちろん愛蔵版のほうの「憲法原論」も内容は同じなので、同じく超お勧め。どっちを読んでも良いです。

この本が読みやすいのは、「無知なる編集者シマジ」という対談相手が出てくるところですね。何かの雑誌連載だったのかなぁ?
とにかく、無知なる人間が「よーわからん」と質問をするので、そこで碩学たる小室先生が「よろしい、ではわかるように教えてさしあげよう」と細かく解説をする、という構造になってるんですね。そこが、この本の価値を何倍にも高めてるんだと思います。

難しい話でも「ああ!そういう事だったのか!」と染み入るように頭に入ってきて、本当にね、「知るよろこび」というものを実感できるように作られてるんですよ。

「そうですか。知らないのですか。それなら仕方ないですね。わかるように教えて差し上げます。」

という感じです。

知り合いに、良く本を読まれる年長の先輩がおられて、ちゅうか私のコピーライティングの師匠っちゅうか、昔上司だった方なんですけど、毎週一冊は何かしら読んでおられるので、この本をお薦めしたら、やっぱりすごく高評価でした。「おもしろい!勉強になった!」と感激しておられた。ちょうど一回り上の方なんですけどね。偉いよなぁ、年下の人間から勧められた本を素直に読まれるのだから。敬服してしまう。

数ある小室直樹の書籍の中でも、おそらくこの本が最高傑作だろうと思われるのですね。タイトルの通り「憲法」について語ってるわけですけれど、憲法の概念やら意味を、それが生まれるに至った欧米の歴史やら宗教との関連やら、社会学の基本やらまでふまえて幅広い視点から、あますところなく語っておられる。

この一冊で、おそらく小室先生の書籍3冊から4冊分の内容が凝縮して入っていると言っても過言ではないと思うのです。

考えてみるに、小室直樹という人には、僕は、この本を含めて3回、仰天させられています。

一度目は、「ソビエト帝国の崩壊―瀕死のクマが世界であがく」という書籍。

ソビエト帝国の崩壊―瀕死のクマが世界であがく
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B000J8688G/249-9767057-8485143

調べてみると1980年に出てるんですね、この本。しかも小室直樹のデビュー作だそうですが、これを僕は、出た時に読んでます。

1980年というと、ゴルバチョフ書記長の就任が1985年なので、ペレストロイカがはじまるはるか前です。、そういう時に「ソ連崩壊!」とやったわけですから、実に大胆だったのです。
確かソ連がいろんな国に侵攻したりして危険な感じがあったから、僕は書店で手にしたんだと思うのですね。

しかし、実際、1991年にソ連は崩壊しましたからね。それを小室先生は10年近く前に的確に予測してたんです。はっきり断言してたもんなぁ。すごいです。やっぱり小室直樹は。

ただ、この書籍を読んでから、ソ連が崩壊してロシアになるまでに随分とタイムラグがありましたので、僕としてはその凄さを完全には実感できなかったんです。「なんかソ連崩壊を予測してた人がいてたなぁ。誰だっけ? 小室直樹だっけ?」という程度の感じでしょうか。

その後も時たま小室先生の本は読んでたように思うのですが、あまり記憶がなく、次にびっくりしたのは、

「信長の呪い―かくて、近代日本は生まれた」

http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4334005179/249-9767057-8485143

でしたね。

僕の祖父という人が平成になる前、昭和の終わりになくなったのですが、その祖父がよく「徳川家康を読め。」と言ってたんですね。山岡荘八の「徳川家康」が全巻うちにはあったんです。

しかし、僕はとにかく「歴史」というのが苦手で苦手で、避けて通ってたところがあったのです。なので祖父が死んでから「ちょっとは歴史も学ばなくては」と思ったのですが、山岡荘八の徳川家康って全部で28巻くらいあったんですよね。「こらしんどい」と思ったので、短い方の「織田信長」をまず読んだわけです。山岡荘八版のを。

そしたら信長という人がやたらと面白くてですね、はまってしまったわけです。で、そこから信長に関する書籍を次から次へとどんどん読んだ。多分10冊以上だと思いますね。小説も司馬遼太郎の「国盗り物語」も津本陽の「下天は夢か」も読んだし、戦記としての資料本とかも読んだわけです。

その最後にたどりついたのが小室直樹の「信長の呪い」でした。

これは前に、この日記でも一度紹介してます。
http://diarynote.jp/d/12917/20050102.html

小室先生がこの本で言っていて「わ!すごい!」と驚かされたのは「桶狭間は『はざま』での戦いではないですよ。『山』の上の戦いですよ。」という事です。

桶狭間の戦いと言えば信長ものの定番ですから、いちばん華やかなトピックなわけですが、これを山岡荘八は、「桶狭間の谷で休んでいた今川義元を信長は山の上からの奇襲で射止めた」という描き方をしてるのです。で、多分、司馬遼太郎も津本陽もよく似たような描き方だったと思うのです。(このあたりはちょっと記憶があやふや。津本陽は違ったかもしれません。)

とにかく桶狭間と言えば「はざまに山から攻め込む信長」という感じで描かれる、表現されるのが普通だったんです。

でも、もっとも信用に足る一次資料である「信長公記」(しんちょうこうき)には、ちゃんと「おけはざまやま」と書いてあるわけです。「やま」ですね。明確に。「信長公記」というのは、信長が死んだ時に信長に仕えていた人だったかな? そういう人で、昔の事を思い出しながら(人に確認しながらかもしれない)書きつづったのが「信長公記」でして、もっとも信頼に足る資料なわけです。

で、それはもう有名で、いろんな資料本にも、必ず「信長公記」という名前は出てくるわけですよ。
なのにみんな、桶狭間と言えば「はざまに山から攻め込む信長」だったわけです。
一番大事な一次資料の読み込みをやってない。そういう事なんですね。でも小室さんは学者ですから、そういう基礎的な事を、まずキチンとやっている。それだけの事なんですけど、それが実はすごい。

「多くの方は『狭間』という単語から、義経のひよどり越えと勘違いされたのでしょう。」ってなもんです。
そうです。義経のひよどり越え。馬できつい傾斜の斜面を駆け下りて攻め込んだ「奇襲」です。それと区別がついてなかったわけです。なんてええかげんやねん!てなもんです。

でもまぁ山岡荘八とかは小説家だしねぇ。ドラマチックにするためには、多少誇張とかしないとどうしようもないし、それで筆がすべってしまったんでしょう。
でも小室先生は学者ですから。「歴史資料は、まず一次資料の読み込みです。」と、別に何の躊躇もなく、ストレートに世間の間違った常識をひょいとひっくり返してしまわれたわけで。

もう、それだけでも僕は目うろこでしたから。「そそそそ、そーだったのか!」です。まさに「知るよろこび」です。信長の時代では、野営は山の上に陣を取るのが常識だったそうです。そりゃそうですわね。敵がどこから来るかとか見張れるんだし。わざわざ谷間で休むわけがない。(笑)

「でも、だからこそ、桶狭間の戦いは信長の見事な奇襲だったのですよ。」と小室先生はおっしゃる。「そんな堅牢で攻めにくい山の上の敵陣に正面突破で突っ込んでいくなど、正気の沙汰ではないのです。そこが信長のすごいところだったのですよ。」と、こう解説をされるわけです。

山の下にいる信長は、自分たちの手勢がどの程度なのかも今川方にバレている。だから普通の武将なら攻め込むこと自体をしない。なのに平気で突っ込んでいった。そこが奇襲なのだと小室先生は分析される。今川方もあまりの非常識に虚をつかれて対応が後手に回ったのだ、という事なんですね。

「あああああ、なるほどー。」でありました。

いや実際しかし、「信長公記」を見ると、そうとしか読めない記述ばかりなんですよねぇ。読み手が勝手に「はざまやま」を「はざま=狭間=谷間」と誤解しただけの話でして。

とにかくこれに僕はもうびっくりしまして。「世間の常識がいかに怪しいか」「一次資料にあたる事がいかに重要か」という事を思い知らされたのであります。さすがは学者だなぁという、学者の真骨頂ですね。

で、小室先生は「信長の呪い」で、「近代日本が廃藩置県によって、すみやかに体制移行が行えたのも、実は信長の時代に天下統一を目指した政治体系を作り上げていたからである。明治政府の基礎を作ったのは信長である。」と結論づけているのですね。

ま、単純に言えば政治体制としては、徳川300年というのは、何の変化も進化もなかった空白の時代だったってだけの事なんですけどね。でも、それが我々の国のありのままの姿だって事です。

ま、そんな事で、「ソ連」「信長」と二度びっくりして、それからこの憲法学で三度目のびっくりに遭遇したわけですが、そんなこんなをひっくるめても、この「痛快!憲法学」は飛抜けて面白いし、「ソ連」「信長」を超える出来の良さなんです。
わかります? 「ソ連」「信長」を超えるんですよ? この「憲法学」は。そのくらい、この本は良い出来です。

先日から、「今月読んだ本」というのを紹介してますけど、そういう流れの中で「去年読んだ本の中からベストテンでも選ぼうかなぁ」とか考えてたら、「それよりも、この十年で感銘を受けた本を何冊か紹介した方がいいよなぁ」と思いまして、で、いろいろ考えていくと、どーーーーーーーしてもこの「憲法学」が1位になっちゃうんですよねぇ。

どーーーーーーーしても1位なんよなぁ。ほんとに。ほんとうに価値ある本だと思います。他の本は読まなくても、この本だけはぜひ、って感じですねぇ。

憲法とは何か? という学問的な基礎の部分から始まって、民主主義が生まれてきた欧米の体制変化の流れや、第二次大戦など大きな戦争が生まれてしまったその背景、経済の仕組みの基礎的知識、社会学の基礎、宗教に関する基礎知識などなど、欧米文化を日本人が「せめて骨格だけでも」理解するのに役立つ知識、補助線的解説が山盛り入っているわけです。この「憲法学」には。

この一冊を読むだけで、欧米文化理解における「狭間を谷間と思いこんで読み間違うような、無知や思いこみによる勘違い・間違い」をかなりのところまで矯正できるんですね。そこが本当に素晴らしいのです。本当に素晴らしいのであります。

だからやっぱり「十年に一冊の名著よなぁ」と思って、自分のブログでどう紹介してたかな? と検索してみると、驚くべき事に、あまりキチンと紹介してないわけですよ。この重要な本を。

「ああ、俺ってバカだなぁ」であります。
こんなに知るよろこび、「なるほどー」と精神の安定を与えてもらえた名著に関して、「自分の喜び」の部分をちゃんと記していないのが、けっこう恥ずかしい事だなと分ってきたので、それをどうしても書きたくなったのでありました。

とにかく名著です。読んで損はないです。「痛快!憲法学」の方は、たぶん絶版で、もう買えないと思うので、「日本人のための憲法原論」で良いですから、勉強したい方はぜひぜひに。

てなことでした。

2008/01/12 12:33 追加-------------------

ちょっと気になってmixiでの評価も見てみたら、みなさん実に的確にほめてる。ほめ方がすごく正しかったので、勝手に抜粋して紹介してしまいます。このくらい短ければ引用しても許される範囲でしょうし、みんな「読むべし!」って人だから引用しても「どうぞどうぞ」と認めてくれるでしょう。(シゲ)

(書評抜粋開始)---------------------
●今までの常識が覆る。 驚きの連発。
憲法学という難しさはなし。 明日を見る目が変わる。

●痛快です。(5点満点だけど)星、8つぐらいあげたいです。

●世に改憲、護憲と情緒的な論議ばかりが目につきますが、
そもそも憲法とは何か、民主主義とはどういうものかという基本的な
事柄の理解がなければ、考えたつもりでも
ステレオタイプな見方しか生まれません。

●すげぇ〜面白い本!
本格推理小説本みたいなナゾナゾ満載!
自分の無関心と無知のあり様にことさら懺悔。。

●とても解り易い憲法入門書。冗談も入れながら面白く、楽しく読めるぜ!
これを読めば憲法は大体理解出来る!

●読みやすさという点でも、高校生ぐらいの読解力があれば楽に読めるはず。
#個人的には、高校で学ぶ現代社会に取り入れて欲しいくらいの内容です。

●本当に面白いです!正直、この本読んだら法学部行きたくなると思う。
法律や憲法なんて難しくてわけわからんもの…そんな風に
考えてる人はゼッタイゼッタイ一読する価値がある本。

●憲法について知りたいなと思って、俺と同じように何の知識もないとこからはじめたい、という人には、最高におススメの一冊です!

●2007年度の現時点で読んだ中で もっとも面白い。
今までの「常識」が こんなにも「真実」と違っていたのか。
今まで、あまりに知らない自分がいた ことに気がついた。

●面白い。ギャグではなくいたって真面目な本なのですが、
この作者が天才すぎるのでしょうがないです。

●読みやすいし、面白い!

●これは憲法解釈の本ではありません。憲法そのものの本です。
結構面白いよ。憲法は私たちの味方であり、武器なんですね。

●わかりやすーい
公民の教科書にしませう

●憲法の本で唯一感動した。
小室さんの本を読むと間違いなく賢くなれる。

●小室直樹の著書の中では一番面白いと思う一冊です。

●「憲法を語るとは人類の歴史を語るに他ならない」
という大きな視点が魅力

●これまで読んだ本の中で、自分に与えた影響の大きさでは5本の指に入る。

●まず"憲法とは何なのか”っていうところから勉強しないと議論にならない。

●素晴らしい!
全ての日本人が読むべき本だと思う。

●学生時唯一三度読みかえし、これで 憲法は優取れました。

●憲法とは何か?民主主義とは何か?これほど分かりやすく、
面白い本はないだろう。憲法についてかかれる本の多くは、
何が言いたいかわからない本ばかりの中で、民主主義の誕生・
憲法の誕生・法の誕生を歴史を振り返って、一つずつ丹念に
論じてくれる。

●表紙はそれこそきわものだけど、思うに中身は今まで読んできた
どんな憲法の教科書よりも優れている。有名なエリート政治家養成所、
松下政経塾でも教科書に使われたとか。

●社会学は歴史(…もっと言うと成立した時期の思想)の
理解無くして体得できない

●私は憲法の解説本をたくさん読んだが、 この「痛快!憲法学」を
超える本はなかった。 断言できる。必読の本である。

(書評抜粋終わり)------------
けっこうビジネス書、それも成功ノウハウのたぐいを読むのが好きで、あっちを読んだり、こっちを読んだりといろいろとかじってきて、ひとつ、とても大きな「基準値」があるなぁと思い至っております。

それは、価値基準というか、目標とするテーマを、大きく4分類して「愛、富、健康、自己実現」にわけて課題設定したり、あるいは自分の状況をチェックしたりするのが、バランスが良くて良い、という事なんですね。

このあたりの話は、いろんな書籍にチラホラと出てくるんです。で、自分でいろいろ目標設定してみたり、実際に行動して振り返ってみたりして思うのは、大きくはこの四つのテーマをバランス良く求めていくところに安定した幸せがあるように思うのです。

「ハピサク」という言葉があって、僕はそれが好きなんですけど、ようはハッピーとサクセスの両方を取ろうってことなんですね。経済的成功だけがあっても幸せじゃないし、いくら精神的に幸せでも経済的に満たされていなかったら、その幸せ自体がおびやかされることもあるわけです。

だから「愛・富・健康・自己実現」というのは、それぞれがそれぞれのテーマを支え合っている事柄なわけです。
このバランスをつねにチェックしていないと人間はバランスが悪いように思いますね。

で、バランスが悪い人は、どれか一つに突出したりしてます。お金儲けだけに走っていて家族を省みない、なんていうのはよく聞くお話ですが、愛だけに走って富を考えないとか、愛も富も得るために健康を無視してがんばってしまうとか、愛も富も健康も得ているけれど、自己実現ができていなくて「すべてあるのに不満だ」とか、まぁ世間にある問題の大半は、このバランスを見るというところから、けっこう解決策が見えてくるように思います。

愛も、富も、健康も、自己実現も、すべて独立した別個の価値基準なのだ、という事を頭に入れる事が大切なんですね。

たとえば愛の項目は、家族愛や恋人との関係、夫婦愛、親子愛とかありますが、これが「愛だけ」になってしまうと、それはやっぱり行き過ぎだと思うのですね。経済やら健康やら自己実現やらの価値基準も、愛と同じくらい重要な基準値なのですが、「愛こそすべて」とかになってる人もいてて、それも困りものだなと思います。

当然、富=経済的価値だけで物事を判断するのもおかしいですよね。いくらお金があっても、墓場までは持って行けないし、大金抱えて誰からも愛されず、一人で死ぬなんてばかばかしいですもんね。

で、気付いてないけれど、愛も経済も、肉体の健康なくしてはうまく回っていかないわけですよ。疲れた頭でビジネスの仕組みは作れないし、体力的に疲れていては、家族に優しい言葉をかける余裕も生まれません。当然、エッチだってできるわけもないですし。

で、この愛も経済も健康をも支えるのが心の平安でありまして、それは日々成長している自分の自己実現感がなくては得られないのですね。

自己実現のテーマはとても幅広いですが、趣味の世界で「●●ができるようになる」というような手軽ではじめやすいものから、さまざまな教養を得るような学習や、哲学的な思索を深めるというような抽象的な事まで含まれるでしょうけども、そういう精神の奥深いところでの満足感ですね。家族や仲間との関係から生まれるのではなくて、まったくの自分ひとりから生まれる欲求を満たすという行為であり、成長を伴う課題です。

考えるべきテーマをいろいろいくつもリストアップしている書籍とかも多いですけど、結局この4分類で考えるのが座りが良いというか、うまくバランスが取れていると思うのです。複数の人が少しずつ異なる表現をしていたり、項目数が増えていたりすることも多いですが、おおむねこの四つで分類できるように思います。

この四つは四つともに別の価値観ですから、どれが一番正しいって事はないわけで、その中でどこでどうバランスを取るか? って事なんだと思います。

で、この四つは別の価値観なんだけど、決して相互に矛盾はしないんですよね。経済的にうまく行ってれば愛情生活もうまく行きやすいですし、それらを支えるのが健康なのだから、健康生活がうまく行ってる方が全ての事柄に対しても積極的になれてメリットが大きいわけです。当然、自己実現ができてなければ知識欲やら物事の理解とか解決策へのアプローチとかも充実しないですよね。

それぞれのテーマが、それぞれのテーマを下支えする関係になっているわけです。

で、この四つをうまくバランス良くやっていくためには、四つそれぞれ別個にキチンと対処を考えないとうまく行かないって事だと思うのですよ。

いろいろな本を読んできて、こういうとらえ方は、ごく当たり前だと思っていたのですが、どうも世の中、そうでもないみたいだ、という事が解ってきまして、ちょっと書いてみたくなったんですね。

どうも、ついうっかり、どの1項目かを置き去りにしてしまっていたり、あるいはどれか一つに突出していたりして、それでバランスを崩している人が意外に多いのかもしれないと思ってきたんです。「え? みんな、あんまりこういうバランスとか、考えてなかったん?」って言うふうに思うのです。

年のはじめ、今年の目標設定とかするときに、この四項目で考えたりすると、おおむね悪いバランスにはならないように思いますです。
たまたま、自分の目標設定をしていくのに、ふと気付いたのでシェアする気持ちで書きました。

ザク〜っとした、バク〜〜っとした、ものすごくおおざっぱなとらえ方ですけど、こういう大きな考え方の枠組みで物事を捉えておくと、人生の柔軟性を失わずに済むんじゃないかなぁって思うのです。

ま、とりあえずそんな事で。
12月に読んだ本。
またmixiから転載です。
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さて、また、先月読んだ本の一覧です。

■12月に読んだ本

中国 赤い資本主義は平和な帝国を目指す
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/482841407X/249-9767057-8485143
日本の十大宗教
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980603/249-9767057-8485143
米朝よもやま話
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4022503610/249-9767057-8485143
マリッジ・プレミアム
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4906638651/249-9767057-8485143
図解 マンダラ チャート
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4413009207/249-9767057-8485143
お金は銀行に預けるな
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/433403425X/249-9767057-8485143
寝ながら仕事術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4757304293/249-9767057-8485143
ザ・シークレット
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4047915572/249-9767057-8485143
直感のちから
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4796880224/249-9767057-8485143

いちおう面白かったもの順です。今月は豊作だったなぁという感じ。どれもなかなかおもしろかったです。「ザ・シークレット」と「直感のちから」以外は、どれもお勧めですね。

「ザ・シークレット」と「直感のちから」は、どちらもスピリチュアル系の書籍です。「ザ」の方は世界で860万部売れたとか言う話で、書店でも、ものすごい平積みになってるので読みましたが、TVのスペシャル番組をそのまま文字起こしした形になっていて、いろんな人の意見をつぎはぎにした書籍なので、一貫したメッセージとして弱いという感じ。

「直感」の方は、悪い本ではないですが、「直感と常識と論理を平行して使いましょう」という一言で、ほぼ一冊読んだのと同じです。

この2冊以外は、どれもかなり面白かったのですが、「十大新宗教」「よもやま話」は、すでに紹介したので割愛。残りを順に一言書評していきます。

●中国 赤い資本主義は平和な帝国を目指す
これは、またまた副島隆彦氏の著作ですが、新境地ですね。中国文化と政治に関する解説本。ものすごい荒い作りの書き方で、行き届いた分析とは言えないんですが、日本人が中国という国を知るための一番大きなところでのラフスケッチが読み取れるという感じです。ザクっと読んで、まぁ忘れてしまっても良い、くらいの気持ちで読むと良い本です。でもおおむね良書。おもしろいです。

●マリッジ・プレミアム
これは「結婚すると、どういう良い事があるか?」を真面目に考えた本です。この本で大切な事は、アメリカの億万長者の92%が離婚経験なしという点です。結婚すると、(1)健康(2)才能(3)財産の三つの面で「プレミアム=特典」を受けられる、という考え方を紹介しており、夫婦関係における「危機」についてもていねいに状況と乗り越え方を書いてあるのが素晴らしい点でしょう。一読の価値はあります。

●お金は銀行に預けるな
順序はちょっと変わりますが、先にこの本を紹介します。
これは、例の10倍勉強法の勝間和代さんの投資に関する本ですが、もともと証券アナリストとして活躍された第一人者なわけで、内容はばっちり。まさに教科書とも言うべき内容です。いままで、こういう地に足の着いた投資指南書がなかったことの方がおかしいのですが、さまざまな投資について過不足なく紹介しつつ、どういう投資法が良いのかを教えてくれてます。

この本を読んで自覚したのは、僕自身は投資に対する知識が低いと思ってたのですが、自分で思ってるよりかは、ずいぶんと基礎知識はある方だったのだという点でありました。この本でお勧めしてるのは、結局はインデックス型の投信で手数料を抑えて、四分法とドルコスト法の考え方で、安定して年5%程度を狙う、超安定型投資のお勧めですから、僕がずっと考えてたのとまったく一緒。

で、ただそうなると、この勝間さんの本より「みんなの投資」という本の方が実践的で僕は好きなんですが。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478620725/glfclb-22/ref=nosim

勝間さんの本は「考え方」までは教えてくれるけど、具体性に欠けるしなぁ。まぁ教科書としては勝間さんの方がいいです。

あと、しかし勝間さんは「日本人の長時間労働」というものを、あまりに敵視しすぎてるところが難点。まぁ外資系でばかり働いてきた人だからしょうがないけど。日本人には聖書がないから、働く場で「人を読み合う」と言うことを倫理の基礎にしていて、だから精神衛生のために長時間労働が必要になる、という部分があるんですよね。そういう視点が欠けてるよなぁ。うーむ。ま、小さな問題ですが、そういう視点が欠けてるので、「面白み」がない。まぁしゃーないけど。

●図解 マンダラ チャート
これは、昨年から使ってるマンダラ手帳の本です。この本を、「お金は銀行に」の後に紹介してるのは、このマンダラチャートの考え方が、欧米の合理主義を越えて、アジア、あるいは日本人のネイティブなモノのとらえ方に合致した発想法や理想実現の手法を模索してるからです。

マンダラ手帳に関しては詳しく紹介するのが面倒なので、割愛しますが、この数ヶ月、欧米式のやり方であるマインドマップを僕は取り入れて、いろいろ活用してみたんですね。ソフトもあるので買って試してみたんですが、あれはあれでなかなか良いものなんです。マインドマップは良い。

でも、現実的な実用上で言うと、マンダラ手帳の方が、はるかにシステマチックで効果が高いという気がします。このあたりはまたしっかりと書評を書きたいと思っているのですが、この本の言葉を一言引用すると、「鳥の目、蟻の目に加えて、魚の目が必要だ。」という言葉に集約されます。

人間は生きてる限り、複数のテーマ・課題を抱えていて、それらが平行して相互に影響しあっているんですね。それを鳥瞰すると言うことと、個別に分析して子細に検討する事というのは誰でもするし、鳥の目と蟻の目でチェックするというのは欧米的なとらえ方として、よくある考え方なんです。

でも、現実的に大事なのは、個別にバラバラなテーマの相互関係のバランスをいかに合理的にチェックするかという「テーマ間を自由に行き来する魚の目」なんですよね。それをマンダラチャートなら実現できる、とする本です。なかなか面白いんです。
まだもっと書きたいけど、これはまたしっかり書きます。

●寝ながら仕事術
この本は、タイトルがふざけているというか、ものすごいおちゃらけに見えてしまうんですが、このタイトルがふざけたものに見えてしまう、という事が、いまのこの世の苦痛のはじまり、という感じがします。

えー、これも書き出すと長くなるので、短くまとめると、この本の著者は例の進学校「灘高」の出身者で、灘高ではしっかり学習するために「たっぷり睡眠を取れ」というのが当たり前の常識として定着していた、というのが重要情報です。で、この著者は、そういう環境の中で「不眠症」になってしまった事に悩んで「睡眠」というものをキチンと考えるようになったという事ですね。

ともあれ「睡眠を削って頑張る」という考え方が、けっこう今の世の中にははびこってますが、それは明確に間違いであることがよく分かる本です。これもなかなか面白かったです。

ま、こんなところでしょうか。
それぞれ、また個別に書評を書くこともあるかと思います。
ということで、今日はここまで。
ではでは。
新年になりました。

表を家族連れが談笑しながら歩くのが聞こえます。駅に向かうのか、近くの神社に向かうのかわかりませんけど、いつもはそんなの聞こえないので、やっぱりお正月らしさを感じますねぇ。

さて、年末あたりから、ずっとぼんやりと考えていたのですが、今年は、というか、これからもずっと、人生の大きなテーマとして「幸せを与える人になる」と言うことを考えて行きたいなぁと思うようになってきました。

いや、さらっとした簡単なテーマのように見えてしまうのだけれども、実はけっこう難しいんですよね。

何が難しいかというと、自分以外の人に対して幸せを与えるためには、まずなんと言っても、自分自身が幸せでないと、与えようがないからなんですね。

ここがとっても難しい。

アダルトチルドレンの話をずっと書いてきたりしましたけども、だいたいACの人間だと、自分が「不機嫌な状態」になっているという事自体を、客観的に把握すること自体が苦手なんです。

ここがキチンと把握できてはじめてコントロールも可能なんですが、そこに気付いてないとコントロールのしようもないんですね。で、これがコントロールできていないと「コントロールできていないのは他者のせいだ」となってしまう訳です。これはもうほぼ必然的な結論です。

で、そこから「解決不能な問題」というのが生まれてしまうわけです。問題の原因が自分にはなく相手にあるのだから、コントロール不能で、解決できないという事になってしまうんですね。

なので、やはり、まず自分の心を愛で満たす、一杯にする、という事をやらないといけないのです。自分というコップを満たすくらいに、自分に愛を注ぐ。この自分に愛を注ぐ量が足りないと「不満」だという事になります。

でも、これを人間は、まだ8割しか満たされていないとか、半分くらいしか満たされていないと感じているとき(自覚のない、無意識レベルでの不満も含みます。)に、他者に対して愛情を注ごうとするから、満足度8割が7割に、5割が4割に減ってしまって、結果として、「不満」が増えてしまうんですね。

「(こっちの自分用の愛情を減らしてまで、)半分しかない水を、わざわざ分けてやったのに、なんだ!その態度は!」とかになってしまう。

このあたりが「幸せを与える」と言うことの難しさですね。

だからまず、徹底して、自分のコップを愛という水で満たして、そこから、いつも水が溢れている状態にできるようにしたいわけです。この余った、余裕のある部分でのみ、本当に他者に幸せを与えられる無償の愛を出す事が可能になるわけですから。

やっと最近、そういう人になりたいな、と思うようになってきた、ということですね。まだまだ「自分を満たす」という事自体ができてないんですけど、ただ方向としてはこっちなんだよな、というのは分ってきたってことですね。

だから、だいたい、まず、自分を満たした状態にすると言うこと自体が、ものすごく難しいと思うのです。そう簡単ではありません。(少なくとも僕にとっては、です。)

でも、これを平気で簡単にやってる人、というのも世の中にはちゃんといてるしねぇ。親子関係とかが良かったんだろうなとか思うんですけど、できる人には簡単なんだろうとは思う。でも、とにかく僕には難しい。

で、この難しさがどういうところから発生するかというと、自分に優しくできているかどうか? という「内面の認識」から始めないといけないのが難しいのですね。

自分に優しくするというのは、どういう事かというと、「デキない自分を許す」という事なんですよね。言い方を変えれば「出来ていない自分を認めてあげる」という事なんです。失敗する自分を好きになること、かも知れない。

でも、ここをまず間違える事が多いんですよね。「自分に優しくする」というと、出来ていない自分を直視せずに「私はちゃんとやっている」とムリクリの自己肯定をすることを「自分に優しくすること」だと勘違いすることが多いんです。僕を含めて、誰でもそうなんだけど。

できていないのに、できてるとするのは、単なる自己欺瞞でしかなくて、自分に甘いだけなんですよね。で、実は「できてる人間」なんて、この世には存在しないんです。

なんでかというと、「上には上がある」「より良い選択肢は、いついかなる時にもある」からなんです。「できてる」と思うという事は、その可能性に気付いてないという事だから、それはつまり「できてない」って事なんです。

だから成長するためには、つねに自分を「できていない」として、自分の問題点を発見し続けて、しかもそれを日々許し続けるという事が必要なわけです。

重要な事は、自分の欠点を愛するためには、実は自分の欠点を「認識」する必要があるって事なんですね。そこを認識しなくなると、「私はできている」と思いこんでしまうという構造になってしまうわけですね。

存在していないもの、認識できていない事を愛そうとしても、それは不可能です。

だから、実は、自分を愛するためには、自分の欠点や弱点、ダメな所を、怖がらずに、勇気を持って直視する必要があるんですね。

これが辛い。

かなり辛い。

そうとうに苦しいし、ものすごい自己嫌悪に襲われる。自分の心理的抵抗がとてつもなく大きいんですね。

(普通に健康に育ってる人でも難しいようです。僕のようにACだと、もっともっと難しいのです。)

ありのままの「醜い自己」を見ないといけない訳です。見たくないわね、そんなもの。でも、そこを見ないと幸せな自分というものはあり得ないんですよ。

で。

一度この「醜さ」を認識してしまえば、そこはもう、逆に愛らしいとさえ感じるようになるのには、それほど時間はかからないんです。なんだかんだ言っても、それも自分なんだし。愛するより他にないわけですよ。自分そのものなんだから。

(いやまぁ、ここをずっと責め続けてしまうACもいてますが、それはやめた方がいいのでやめましょう。意味ないです。もっと自分を愛しましょう。このあたりはまた別の話なので、ここでは書きません。)

で、ここが満たされてはじめて、本当に満たされた気持ちというのが生まれてくるわけです。なかなか難しいんだけど。ほんと、簡単じゃないんよなぁ。

なので、実は「自分に優しくする」というのは、かなり辛い作業なんですね。「自分に甘くなる」というのとは、全然逆の事だから。(で、自分に甘いだけの自分というのも自分であって、これも愛せなきゃなぁとは思うんだけど、まぁ甘いだけだと「人生の効率」が悪いから、これはできるだけ排除したいと思います。)

だから、自分に対して「甘く」ではなく「優しく」するって、実はそんなに簡単じゃないんだよなぁ、これ。ほんとに。

で、不機嫌だったりイラついたり、ムカっときたりするというのは、たいていの場合「自分の問題点」を正しく認識できていない場合が多いのですね。
ここを正しく認識できれば、人間というのは精神的な意味でも「自己修復能力」というのはあるみたいで、スッと問題を解決する方向に気持ちが動いていくように思います。

なので、幸せというのは、ようは「自己認識の問題」なんだよなぁと、つくづく思うのです。
だから、幸せを与える人、というのは、まず何より自分が幸せな人なのだよなと思っているのであります。
自分の問題点を正しく認識して、それを許し、自己修復機能にゆだねる、みたいな。

まだまだいろいろ書きたい気もするんですが、内面の話って細かく検討すると堂々巡りにもなりがちなので、このへんでキリをつけておきます。

ではでは、今年もよろしくお願いします。
椿三十郎は映画業界の古典落語か。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000M2DJHC/glfclb-22/ref=nosim

黒沢明の名作「椿三十郎」のリメイク。織田裕二版、森田芳光監督作品を一週間ほど前に見て参りました。

で、感想なんですけど、それがこの一週間くらいで大分変っちゃったんですねぇ。

見てすぐ後は「うーむ、悪くないけど、やっぱり織田裕二では辛い。」という印象だったんです。ラストシーンの室戸半兵衛(豊川悦司)との、あの対決も違うし。(かなり大きく違います。内容は内緒。)

でも、日を追うごとに、「いや、けっこう織田君、良かったかも。」となってきまして、ネットでの評判とかも見てみると、昔の三船・黒沢版を知らない若い世代が純粋に「面白かった」と言ってるのを見て「ああ、死んだ人と比べてる僕が間違ってました。」という意見に大きく変ったのでありました。

ネットの評価で「うまいこと言うなぁ」と思ったのが「三船は父親的ヒーローで、織田は兄貴的ヒーロー」という評価なんですね。

「ああ、そうか」と思いました。

頼れる、デキる兄貴としての椿三十郎なんですね。そういう見方で見ると、そりゃ面白いよなと。いま一番求められているのは、そういうヒーローだもんな、って思い直したって事ですね。ようは時代にマッチしてるって事です。

頭は切れる、剣の腕は立つ。純粋な若者に対して優しくて、でもまだ、ギラギラしたところは残っていて、年寄りの諫めに対しては頭があがらない。そう考えると、まさに「兄貴」なんですね。もともとシナリオにそういう要素がちゃんと入ってる。

今回、森田監督は大胆にもシナリオのセリフはほぼそのまま、まったく変えていないと言っても良いくらいにそのままにしてます。

であるにもかかわらず、映画のテイストは三船・黒沢版とはまったく違って、明るく健康的で、よりヒューマンな世界に変ってるんですね。(より軽くなったとも言える。)

それは、間の取り方であったり、解釈の仕方であったり、演出に違いであったり、たくさんたくさん違いはあるんです。

でも、やっぱり、昔の三船敏郎で見てしまった僕としては、そういうシナリオの新解釈にまで気持ちが到達してなかったんですね。どうしても三船との比較で見てしまう。
これは良くないですね。いまの時代の人がいまの時代に作ってるんですから、いまの時代の人がどう感じているのかをちゃんと理解しないと。

で、そういう事を考えて行ったとき、「ああ、落語がそうじゃないか!」と思い至ったんです。

落語も、いくつも名作があるわけですけど、それらは演者が変れば、まったく別物に変るわけです。で、その違いこそを楽しむものなわけです。

考えてみたら、椿三十郎も、そういう古典落語のような、味わいのある、受け継いでいくべき映画作品なのかな? という気になったわけですよ。

欧米でも映画のリメイク作品というのはたくさんありますから、日本でも、もっとやって良いのではないかな? という気持ちになったんですね。

とくに、これだけシナリオを変えずにやるというのは、ある意味「リメイクのお手本」になるかも知れないという風に感想が変ってきたんです。

だって落語で演者が変ったときに、演者の個性の違いを引き合いに出して批評したら、それはルール違反ですもんね。「松鶴は春団次と違ってたからオモロない」とか言ったら「違うのは当たり前じゃ!ボケ!」と怒られますわな。そういう事です。

確かに、椿三十郎というシナリオが、もともと「三船敏郎ありき」で書かれたものだけに辛いっていうのは少しあるんですよね。アテ書きなんだなぁ、セリフにしても。もう少し織田君らしいセリフとかに、部分的に変更しても良かったような気はする。「〜だぜ。」っていう言い方がけっこう多かったんですが、これは三船が用心棒で三十郎をやったイメージを継承しての言い回しだったろうと思うし「だぞ」とか「なんじゃないか?」とか語尾の変更くらいはしても良かったのにな、とは思います。

でも、逆に言えば、そういう無茶な事までちゃんと着地させてるところは、織田君・森田ともに、大したもんだってことになるわけです。大した演技力、演出力だと脱帽するしかないわけです。

で、そういう事まで考えていくと、ラストの対決の殺陣がまったく変ったって言うのが、じっくり考えると、実に正しい選択だったって思うのですよね。
映画のストーリーとテーマ性から考えると森田版の方が、実はシナリオの良さを、より引き出してるんです。実は。ある意味、オリジナルを超えているのかも知れないって思うわけです。
室戸半兵衛と三十郎の葛藤を考えれば、森田版の殺陣の方が、より三十郎の内面に入り込んでいて正しいわけです。(地味だけど。笑)

そんなこんなを考えていくと、森田芳光版「椿三十郎」は、名作リメイクの本当に良いお手本とも言うべきリメイクになっているんじゃないかなかぁって思うのですね。
その功績を挙げるなら、

●若い世代を楽しませた
●家族で見れるエンタテイメントにまとめた
●クロサワは世界のブランドであり、それを次の世代に継承した
●白黒だった作品をカラー化して見やすくした
●シナリオを尊重して古典として残した
●演出にさまざまな工夫をして新解釈を付け加えた
●作品としてのテーマ性を一環させた

と、悪いところなしになってしまうんですね。まさにリメイクのお手本として素晴らしいし、今後、いろいろな名作をリメイクするなら、こういうところを、ぜひ見習ってリメイクして欲しいとまで思うくらいに素晴らしいわけです。

三船・黒沢版を知ってる僕としては、どうしてもついつい、細かい点で昔の作品の方を思い出してうんぬん言ってしまいがちですけど、トータルに総合的に考えて、これはいまの時代、ベストのリメイクなんじゃないかな? と思うのです。

森田芳光は三船のような野性味溢れるキャスティングを考えるよりも、「映画俳優としてのスター」としての織田裕二を選んだ。だから若い世代が幅広く楽しめるという良さが生まれたんですね。阿部寛だったら良かったんじゃないか? とか考えたんですが、そうなるとマニアックなリメイクにしかならないんですよね。やっぱり「スター」でないとダメなんだと思う。

という事で、やっぱり「世界のクロサワ」の良さ・面白さは、若い世代にも受け継いで欲しいので、この素晴らしいリメイクは、この正月にぜひとも見て欲しいなぁと、ふと思ったので、日記に書いたという次第。

実際単純に面白いし、家族で見るには最適ですから。
で、昔の三船版を知ってる人には「ラストが違うよー。地味だけど、これはこれでなかなか。さぁ、気になってきたやろ!」と煽っておきます。

やっぱり古典落語があるように、日本映画にも古典があって良いし、古典として残す、引き継ぐという見地から見れば、この森田芳光の作り方はベスト。お手本になると思います。

という事で、お正月には、ぜひ! おすすめです。(古い世代は「三船」を期待せずに見に行くべし! であります。)
ISBN:4344980603 新書 島田 裕巳 幻冬舎 2007/11 ¥756
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980603/249-9767057-8485143

この本は、二週間ほど前に読んだ本ですが、かなり面白かったんですよね。

島田裕巳というと、オウム事件の時に、オウムを擁護してケッチン食らった人という印象しかないんですけど、そういう軽いところのある人だからこそ、日本の「新宗教」を総覧的にザザザザザーっと見るには最適の人なのかもな、という気がしました。

紹介されているのは、
●天理教
●大本
●生長の家
●天照皇大神宮教と璽宇
●立正佼成会と霊友会
●創価学会
●世界救世教、神慈秀明会と真光系教団
●PL教団
●真如苑
●GLA(ジー・エル・エー総合本部)
と、有名どころが過不足無く適切に並んでる感じ。

それと、いちおうあとがきに紙幅の都合上、「金光教」「阿含宗」「善隣教」を取り上げられなかったと断わり書きがあって、簡単な説明がありました。

ということで、これだけ並ぶと、本当に日本人の、この何十年かの精神のありようが、いかに変化してきたのかがわかるから面白いのであります。

ここに並ぶ「新」宗教は、古くは明治時代くらいに生まれて、現代まで生き残っているような宗教ばかりなんですね。
で、島田氏の紹介文を読んでいくと、海外からの文明がやってきて、日本人のライフスタイルが変化するのにあわせて、宗教というものの姿形も変化してきたのだな、というのが本当によくわかるんです。

まぁ言わば、「宗教のカタログ雑誌」という感じで、この本は面白いです。
でも、神道やら仏教やらキリスト教などの王道路線の話は全然出てきませんので、まさにファッション・カタログのノリなんですね。それぞれの宗教の個性の違いみたいなことがよくわかる。

で、やっている宗教的儀式とかを見ていくと、まさに日本の土着の文化から産まれてきているなぁというのがわかって、実に面白いのです。

たとえば、田舎から都会に出てきた若者が、村の寄り合いに集まるような感じで立正佼成会・霊友会の「法座」に集まってきたとか、島田氏はおおむね、これらの宗教を時代の変化の中でのニーズに位置づけた紹介をしているので読みやすいのです。

上に●で紹介した順で個々の宗教が紹介されているのですが、実は勃興した時代の古いものから順に並べられていて、日本人の精神史が明治から昭和にかけて、どのように変化してきたかという、「日本人の精神史」になっているところがグッジョブ! という感じなんですね、この本。

どうもこの間から、落語といい、力餅食堂といい、明治から昭和にかけての大衆文化というところに興味が行ってるので、とにかくやたらと面白くて仕方ないのであります。

僕自身、この数年、地球全体の捉え方からはじまって、世界の宗教の概略(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・儒教)学習をしてきてたのですけど、ここに来て、やっと日本の現代に近づいて来れた、という感じなのですね。あー、長かった。

個人的に「やっぱり面白いなぁ」と思ったのは、ひとつは何と言っても、「大本(おおもと)」ですね。
日本の宗教史において、この大本というのは、別格的に重要なんじゃないかなぁと思います。知ってる人は知ってるけど、出口なおと出口王仁三郎(おにざぶろう)の、あの「おおもと」です。

大本がやっぱり「おおもと」なんだなぁと思うのは、「手かざし」などのヒーリングですね。これがそのまま真光系の教団とかにも継承されてるんですな。ああ、やっぱりそうだったのかって思う。で、どうもこの「手かざし」の系統は、力餅食堂じゃないけど、「のれんわけ」で広がってるところがあって、すぐにみんな手かざしができるものだから、みんな勝手に新宗教を作ってしまってるというような印象があります。

このあたり、この島田さんの本には書いてないけど、「レイキ」の歴史と重ね合わせると、かなり面白いと思うんですよね。
「レイキ」は、ようするに「霊気」の事なんですけど、「手当」「てかざし」による病気の治療・ヒーリングというものが、実はハワイに渡ってそこから全世界に広がり、たとえばイギリスでは「レイキ」というのは一般名詞化してるほどの普通の治療法として定着してるんですよね。

驚くなかれ、アメリカにもレイキは渡っていて、病院によっては補助治療行為として認知されてるから、保険がきく場合すらあるんですよ。そのくらい「レイキ」は一般化してる。

で、レイキのテクニック修得法に関してはここでは語りませんけど、ようはレイキもこれら新宗教と同じ時代に広がっているわけなんです。

ただ、大本や真光の手かざしが宗教と一体化しているのに対して、レイキは宗教とは関係なかったというところが違うんですね。で、宗教と関係なくなったレイキは、国内では消滅に近いくらい小さくなって逆に世界に定着した。で、国内では大本やら真光系で宗教とともに生き延びたって事何じゃないかな?と僕は見ました。

このあたりは想像で書いてますす。でもまぁ、レイキと手かざしは多分同じものですよね。きっと。もともとそういうものがあるんだと思う。人間には。それが何らかの形で「師から弟子に伝えられる技術」として伝承されるようになったんだと思うんですね。まさに力餅食堂みたいに。

で、どうもそのおおもとが、やっぱり「大本」であるような気がするのであります。

大本というのは僕は妙な因縁がありまして、僕が若かりし頃、コピーライターになりたての頃に、ある印刷会社さんから、ある銀行の京都の綾部支店オープンに関するオープン企画の依頼が来たのですよ。

で、僕は当時、会社に入りたてで、やる気もあったものだから、「綾部という土地がわからないと、企画も立てようがないので、現場を見に行ってきてもいいですか?」と気軽に言ってしまったんですよね。

でも、京都の綾部なんて、大阪からでもかなり時間のかかる場所だったわけです。当時はとくに。
普通ならそういう事を言っても「なにもわざわざ行かなくてもいいよ」と言われそうなものなんですが、どういうわけかその時は、会社の僕のボスが僕のやる気を買ってくれて、わざわざ印刷会社さんにかけあって、「電車賃だけで良いですから取材費出してもらえませんかね」と予算枠を取ってくださって出かける事になったんです。

これねぇ、いまから考えると、どう考えてもおかしいんですよ。そんなもん、片田舎の銀行の支店のオープン企画なんだから、まぁポケットティッシュでも配りましょか? にしかならないんですよ。いくら考えたって良いアイディアが出るわけがない。

なのに、何故か僕は「綾部に行かないと」と思って、ボスは「行かせてやりたい」になって、そんでもって印刷会社さんも「ええですよ」になったんです。もう、ものすごく不思議で。

で、その綾部こそ、大本の発祥の地というか、本拠地というか、そういう場所なわけですよ。で、僕はその取材に行く日まで、大本の名前も出口王仁三郎の名前も知らなかったわけです。

で、とにかく現地に行って市役所で歴史を調べて、大本の本山の山の上まで昇って、とにかく、やたらと精神的な意味で気持ちが良かったんですね。何かに導かれるかのようなイメージが僕にはありまして、別にどうということのない出張ではあったんですけど、僕の人生の中ではかなり大きな出来事として印象に残ってるんです。

そういう事があってから、もうずっと大本が気になって気になって仕方なくなってしまっておりましたからねぇ。

で、実際、この本を読んでも、やっぱり大本の存在というのは、いろいろと大きいですな。

この本にはそのほかPL教団の事も書いてあるけど、高校・大学と南大阪に通ってた私としては、かの有名なPLタワーの正式名称(超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念搭)がわかったり、高校の頃から読んでいたウルフガイの平井和正が関わったGLAが出てきたりと、自分とのからみで理解できるところも多くて、実に面白かったのであります。

それはともあれ、明治以降の西洋文明が入ってから後の「日本人の精神史」を考えるには、けっこう流れが分りやすくて面白い書籍だと思います。おすすめです。
先日、ふと自宅近くを歩いていて、力餅食堂があるのを見たのです。
「あー、まだちゃんと営業してたんや。」とか思って。

力餅食堂。

ご存じですか? 知らない人の方が多いでしょうね。なんせ関西ローカルの食堂ですから。なんちゅうか、昔からある、うどん、そば、ドンブリもの定食類などを出してる、とても庶民的な食堂の名前です。

特徴的なのは、名前の通りで、お持ち帰り専用のおはぎ(ぼたもち)やら、赤飯やらを、つねに置いてるってところ。これがまた昔ながらの作りでおいしいのですよ。(最近はほとんど買いませんけど。かれこれ30年以上も。:笑)

いま何店舗あるのか知らないんですけれど、関西圏には、この力餅食堂って、けっこうあるんですよね。

で、これが、実は明治から続く古いのれんのお店なのだ、ということを、ふと気になってグーグルしてみて知って、「へぇ〜」って驚いたのであります。

なんとか力造って人が初代なんだけど、そこからどんどんのれん分けされて、お店が増えていったんですね。

力餅食堂に関しては、ググると、ここがトップに出てきます。

力餅食堂の謎
http://ha6.seikyou.ne.jp/home/osarukun/zatuwa3top.htm

便利な世の中になったねぇ、ほんとに。

サイトを見てると、なかなか面白くて、味わいがありますな。
これぞ、私たちの日本、って趣があるんじゃないかって思う。
好きだなぁ。

いまで言えばフランチャイズみたいなもんですけど、あくまで日本の昔からある「のれん分け」の制度ですから、お店で修行して一人前になったら、名前だけ分けてもらって独立して自分の店が持てる、というだけで、資本関係もなければ経営に対する縛りもないというそういう昔ながらのやり方で広がったものらしいのですね。

ということなので、どこの力餅食堂もたいていは、実質的に家族経営の、ごく当たり前の街の大衆食堂なわけです。椅子やらテーブルもお店ごとにちがうし、メニューも全然違う。

ただ共通するのは、力餅という名前と「のれん」があって、ぼたもちを売っているという事だけ。

でもねぇ、これがなんちゅうか、昭和のノスタルジーというか、大枠、気持ちよいのですよ。
単純に考えても、イートインとテイクアウトの両方のメニューをキチンと持っているというだけでも、かなり優れた営業形態なわけです。どっちか片方だけで伸びてきたお店が、大きくなってくると結局はイートイン&テイクアウトの両面で対応するようになるのだから。

最近ではファミレス各社がテイクアウトに力を入れたり出前を受け付けたりしてますけど、そんなのは家族経営で小回りのきく大衆食堂では、当たり前の事だしねぇ。

しかしのれん分けというのは面白くて、たとえば一富士食堂なんていうのも、大阪には何店もみかけるんですけど、たぶんあれも、元はのれん分けしたお店だったんでしょうね。企業の昼食の食堂サービスをやってる一富士フーズだっけ? そんな会社も確かあったし。のれん分けしたあとは、名前が一緒というだけで、それぞれ全然別のお店になってるんですよねぇ。

最近落語をしゃべっていて、明治の時代・風俗とかに興味が出てきてたから、そういう昔のやり方とかが、よけいに面白かったです。

私の死んだじいさんは、明治36年だか、そのあたりの生まれだったんですが、そのじいさんが良く「力餅で赤飯買(こ)うてこい」とか「力餅でそばでも食べよか」と言ってた記憶があるのですよ。まさに明治からの生活を支えてきたお店なんだろうなぁって思う。それもごくごく普通の一般庶民による家族経営で。

いいなぁって思うんですよね。そういうところが。「のれん」というロゴの力と餅と飯という持ち帰り&イートインの二面作戦という「アイディア」だけで、今日まで生き残ってきてるってことなんでしょうな。そういうのがすごく面白いと思う。

こういうのを見てると、人生って面白いなぁって思うんですよ。僕は。うまく言えないけど。

うーん。いちど久しぶりにおはぎを買いに行こうかなぁ。うむ。

米朝よもやま噺

2007年12月24日 読書
ISBN:4022503610 単行本 桂 米朝 朝日新聞社 2007/12/07 ¥1,365
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4022503610/249-9767057-8485143

この間、いつもどおり本屋を探索に出かけたら、こんな本がでておりまして。ついつい買ってしまいました。

よく知らなかったのですが、いま米朝さん、ラジオ番組をレギュラーで持ってるんですねぇ。最近はもう落語ができなくなって、昔のこととか思い出しながらいろいろしゃべったり、ゲストを招いて話をしたりするらしいのですが、それを一冊の本にまとめたものだそうです。

で、これが実に面白い。

米朝さんの弟子というと、なんと言っても枝雀さんと吉朝さんなんだけど、この二人の天才が二人ともに早くにお亡くなりになってるわけですね。師匠の米朝さんより先に、あちらへお引っ越しになってしまわれた。

で、そういう話もいろいろ読めるかな? と思ったら、枝雀、吉朝さんの話はほとんどなし。逆に、いま生きてる弟子の話がすごく多い。

たぶん、ゲストがそういう生きてる弟子達だったんでしょうね。なので、ざこば師匠とかの話がけっこうあったり、千朝さん(この人はうまい!)とかの話の方が多かったりする。

で、それより面白いのは、米朝さんが若かった頃のお話がけっこうたくさん出てくるって事です。つまり、米朝さんの師匠とか、先輩落語家の話ですね。

あるいは、もうすでに消えてしまった大阪の風習の話とか、とにかく今みんなが知らない昔の大阪の姿をいろいろとお話されていて、ここがまたやたらと面白いのであります。

読んでいて、ははぁそういう訳だったのか!と新発見したのは、昔の職人の話でした。

昔の職人さんは、植木屋さんにしても大工にしても、とにかく日当をいただいて仕事をするわけですが、朝から仕事にかかって、いかに早く仕上げてしまうかが腕の見せ所であり、自慢でもあったのだそうです。

なので、腕の良い職人ほど、仕事は午前中で終わらせてしまって、午後はゆっくり講釈を聞きに出かけたりするという、そういう感じだったらしい。

ああ、そういうことやったんか! なんですね。

いやいや、というのは、「青菜」という落語を、まるまる一席覚えてしまったんですが、やってるうちにどうにもこうにも、時間の流れがよくわからんところがあったからなんです。

「青菜」は、仕事が終わった植木屋を旦那さんが酒でもてなして、その時の様子を家に帰ってから真似てみるというお話なわけです。

で、これを私は、いまの勤め人の感覚で解釈してたから、旦那さんから柳陰だの鯉の洗いだのをふるまってもらう時間を夕方4時くらいと考えてたわけです。

でもそうすると、帰ってからの話がどうにもつながらないんですね。帰ってから友達が「風呂いこけ」と訪ねてくるし、だいたい嫁さんのお咲きさん自体、旦那に向かって「何寝とぼけてなはんの、まだ日も高いうちから」とかのセリフがけっこうあるわけですよ。

おかしいなぁ? いったい何時に帰ったのよ? とか思ってしゃべってたんですが、結局、旦那さんと飲んでた時間が多分、昼の2時とかそんな時間なわけですな。で、だからこそ冷えた柳陰を飲むんだわ。

うーむ。なるほど。と思いました。

米朝さんの話によれば、職人は昼からは講釈場で講釈を聞いてたって事ですけど、これも言うならいまでいう連続テレビ小説みたいなもので、毎日少しずつ「続き物」で話しをしてたんですってねぇ。だから講釈場には、ひと月券とかの「定期券」とかあったらしい。昼間の講釈場なんて職人だらけだったみたいですな。

で、またこの講釈場というのが、ありとあらゆる事をネタにしていて、歴史の面白いところをつまみ語りしたり、話題はとても豊富だったみたいで、たぶん時事ネタとか、あるいは、町のうわさ話や、ちょっとした物知り知識みたいなネタとか山のようにやってたんだろうと想像されるんですね。

で、どうも、米朝さんの幅広い知識というのは、そういう講釈場からの知識も、けっこう大きな背骨として入ってる感じなんですよねぇ。
なるほどなぁと。
昔の人はいまみたいにいろんなメディアがなかったから話芸を通じて教養を高めていたんだろうなぁと、すごく勉強になったのであります。
この本、なかなかに面白かったでありますね。

昔の職人は、仕事をさっさと切り上げて、講釈場で森羅万象のことを楽しみながら学習してたんだなぁという感じが解って実に面白く感じたのであります。いや、自分がライターという職人であり、現代版講釈士でもあるというような事が重なって、そう感じるんですけどね。

おもしろい本でした。
ISBN:4635062597 単行本 内山 りゅう 山と溪谷社 2005/07 ¥3,360
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4635062597/249-9767057-8485143
またmixiからの転載。最近こればっかしですな。
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毎月読んだ本を紹介してますが、考えたら、この素晴らしい本を紹介してなかったので、紹介しておきます。

田んぼの生き物図鑑(内山りゅう)
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4635062597/249-9767057-8485143

写真家の内山りゅうさんが撮影された、日本の「田んぼ」を中心とした生き物(植物も含みます)の写真図鑑です。

図鑑なので、机の上に置いて、ときおりパラパラと眺めるというような読み方しかしてなくて「読了」したわけではないので「今月読んだ本」には入れてなかったんですが、まぁほんとに素晴らしい本であります。

田んぼというのは、春から収穫のある秋までは水を張ってお米を育てていますが、晩秋から冬にかけては水を抜いた更地になります。

お正月の凧揚げなどというのは、まさにそういう更地になった田んぼなどでやるもので、風物詩というものはちゃんと背景のありますし、僕自身、子供の頃に母方の田舎で水の抜かれた田んぼで走り回った記憶があります。

しかし、この水が張ってあったりなかったりする、という環境があることによって、生き物の生態系は大きくごろっと変るわけですね。端的に言うと、水がしばらくなくても生き残れるような生き物だけが残る。そういう人間との関わりの中で自然が変化していって、日本の田園風景は形作られてきたのだ、という事がとても良く分かる一冊です。

自然、自然と言いますが、人間も自然のひとつであり、そこには自然への「関わり方」というものがあります。何らかの形で影響を与えずにはおれないわけです。

この本には外来種がどのように自然環境に影響していくのか? という事についてもいろいろ豊富に書かれていて、それもまた面白い点です。
外来種の影響など、人間の関わりがなくて生まれる事はないので、このあたり、本当に慎重にして欲しいなぁと僕は思います。

ともあれ、田んぼというのは、人間が自然に積極的に関わってきて生まれている小宇宙なのだなぁという事がとても良く分かる一冊で、大変お勧めであります。

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ちなみに、なんでこの本を知ったのか? というと、実はお仕事で、この作者の内山りゅうさんのインタビューをしたからなんですね。

もう、ちょうど一年前になりますが、内山さんのお宅におうかがいして、いろいろお話しをさせていただいたのです。

もともと内山さんは水中写真家という肩書きを持っておられるのですが、水中は水中でも「海」ではなく「川」。淡水専門で潜っておられるカメラマンで、実はそういうカメラマンというのは、とても珍しいのだそうです。

内山さんいわく、日本ほど川の水が綺麗な国も珍しいのだそうで、外国では川の水をそのまま飲める国なんてほとんどないのだそうです。内山さんは、海外へでかけての撮影もたくさんされていて、その日本独自の河川の美しさに気付かれたのだそうです。

日本でも、いまでは川の水をそのまま飲むなんて考えられないですけど、本の数十年前までは、そういう川が当たり前だったのだからちょっと考えさせられます。

最近落語に興味が湧いてきてるので、過去の大阪についてもいろいろ読んだりするのですが、大阪はもともと埋め立て地で、井戸が出にくい。だから水壷を各家庭において水を買ってたらしいのですが、それをどこで汲んできたかと言うと、上流の水ほど値段が高くてけっこう山に近い場所からくみ出してたようですが、一番安いところでは、長堀で汲んだ水を道頓堀で売るというような事もあったらしいのですね。歩いて15分の距離ですよ!

そういう水と親しんでいた環境というのが、自分の祖父とか曾祖父の時代にはキチンとあったのだから、ちょっとちゃんと考えないといけないなと思います。ちゃんと戻さないとなぁ。

内山さんは、淡水の水中写真家として、良い仕事がしたいからと、東京から和歌山の白浜にある和歌山空港のそばに移り住まれておられるんですね。和歌山にはまだまだ自然の残った川や田んぼがたくさんあるので、それを撮影したい、という事なんだそうです。

和歌山空港のそばなら出版社などのある東京へもすっと行けると言うことで、生活と仕事の拠点としてうまく機能しているご様子でした。家の中に水槽がたくさんあって、それもまた圧巻だったのです。

ずっとすごい人が世の中にはいてるよなぁと感心してたのですけれど、肝心のご著書を読んでなかったので、まずはやっぱりこの本だろうと思って買って読んでみたら圧倒された、というような事であります。

自分の興味を活かして、世の中の役に立つことをしていくという生き方の部分でもとても良い刺激を受けた方です。

こうありたいな、と思って、そっちの方に動いていこうとすると言うこと。それがとても大切だなぁと思うのですね。
で、しかもそれは、やってて楽しいって事なんですね。そのやってて楽しいを仕事にしていて、それで世の中との関わり、影響というものが成り立っている。そういうところが素晴らしいなぁと思うのであります。

そういう方向に生きていきたいと思います。
またmixiから転載。
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この土日は、仕事場の出入りの人たちと一緒に、ちょっとした小旅行でありました。
行き先は岡山の倉敷大原美術館と、閑谷学校。

外注スタッフ、と言えば言えなくもないのだけれど、直接仕事に関わるというのは少なくて、季節ごとに飲み会したり、時折旅行に出かけたりするという感じ。
いまの事務所のデザイナーさんのやっていた前の会社のスタッフで、いまだに交流が続いている人とか、フリーのイラストレーターだったりカメラマンだったりと職種はクリエイティブ関係なので、まぁ美術館とかは、良い選択でありました。なんと13人という大所帯。この集まり、けっこう、なかなか楽しいのであります。

倉敷の大原美術館は、前にも出かけたことがあるので内容は分っていたけれど、やはり改めて見てみると、その幅の広さに感心してしまいますね。モネやらマネやら印象派の有名どころの作品がずらりとならんでいるし、ロートレックにゴーギャン、ルノワールにピカソと有名な作家の作品がずらり。しかも国内の有名作家の作品も佐伯祐三やら梅原龍三郎やら目白押し。その上、彫刻もロダンにジャコメッティがあるし、ほんとにたいしたものです。

ウィキペディアから引用すると、
「大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎(1880年–1943年)が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎(1881年–1929年)に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである。」という事になります。

今回、せっかくだからと最近の美術館にはよく備え付けられている音声ガイドを借りていろいろ聞きながら回ったので、よりいっそう楽しかったですね。モネの睡蓮とか、児玉虎二郎が直接モネから買い付けに出かけてるんですねぇ。知らなかった。

次の日は世界最古の庶民学校と言われる閑谷学校へ。江戸時代に武士だけでなく、広く庶民からも学生を募り、儒学やらを教えていたというもの。

これもウィキから引用すると、
「岡山藩は学校領を設け藩財政より独立させ、学田や学林を運営させた。これにより、もし転封や改易により藩主が交替となった場合においても学校が存続するよう工夫した。ここに岡山藩がこの学校をいかに重要視していたか、その一端が窺える。」
となっていて、その先見性と体制の確かさに感心してしまう。

ついでに引用すると、
「建造物のうち、講堂が国宝に指定され、小斎・飲室・文庫・聖廟・閑谷神社・石塀など24棟が国の重要文化財に指定されている。」
ということなんですが、とにかく居心地の良い場所で、「ああ、ここなら本当に心静かに勉強できただろうなと思わせられる良い場所でした。なんせ山の中ですからね。とても静かで気持ちの良い空間だったのであります。

奇しくも、絵と学校という事で仕事とプライベートの学習という、いまの僕の生活に直接関わりの大きいテーマでの旅行になったので、いろいろと思うところは大きかったのであります。

大所帯だったので、マイクロバスを仕立てての旅行となりまして、移動もラクラク。時間も比較的のんびりできたし、なかなかに快適だったのであります。食事もおいしかったしなぁ。ほかにもあちこち見たし。

しかしまぁ、年末ってのだけは問題でしたが。忘年会代わりにという企画で出てきたものだったけど、さすがに時間のやりくりにヒーハー言う事になってしまったですよ。

いやまぁ、楽しかったからいいんだけど。

落語と英語。

2007年12月13日
えー、またまたmixiからの転載であります。
いや、ま、転載するほどの大した内容やないんですが。
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最近どうも変な具合なのです。

というのは英語の練習。
これをやっていると、どうにもストレスがたまっていけないのですよ。

自分の国の言葉じゃないですからね、本に書かれた文章を声に出して読むという事自体が難しいわけです。
ましてや、同じ意味の言い換えができるわけでなし、上手に感情表現を抑揚で出せるわけでなし。
ちゅうか、本からちょいと目を離して一文そらんじてみるだけでも、複数形のSが抜けたり、過去分詞があやしくなったりしてしまうわけです。

で、いま良くは知らないのですが、NHKの朝の連続ドラマが、落語に関する話らしく、仕事で一緒になったデザイナー君がやたらと落語の話をいろいろするものだから、もともと落語好きだったので、つい手持ちの文庫本やら、ネットのテキストデータやらで、お気に入りの話を読み直したりしてしまったのですね。

すると。

これがどうもいけません。

まず、「音読」したくて仕方なくなってしまうわけです。なんせ、上方落語のテキストですから、抑揚も感情表現も言い換えも自由自在ですからな。それでついつい「わいのオジキっちゅう人が南農人橋御祓筋をちょっと入ったところに住んどおって」とか「清水の音羽の森の落としてや、茶碗もひびのもりの下露」とか「わが母さんじゅさんさいのおり」とか「鞍馬から牛若丸が出でまして、名も九郎判官」とか、まぁそういうのを読み上げては遊んでしまったわけです。

そしたら、これがえらく楽しくて。

いろいろやってるうちに、落語を2席ほど、ほぼ完全に覚えてしまったのですねぇ。

仕事場の行き帰り、歩く距離を稼ぐために一駅二駅ほど遠い駅まで歩いてから電車に乗ったりしてるので、そういう時に、「つい」やってしまう。まるまる一席。

で、これがまた楽しくていけません。落語なんちゅうものは、もともと歴史の風雪に耐えて生き残ってきた「おもしろ話」ですからな。思い出し思い出し演じてみるだけで、充分に面白い。自分で話して自分で笑ってしまうのですよ。もともと繰り返し聞いても面白いようにできてるわけですから、そらそうなりますわな。

別にどこぞで高座にかけるわけでもないのに、昼間と言わず夜と言わず、町なかを、落語をしゃべりながら歩いてるオッサンですから、かなりおかしな奴であります。

しかし、自分でしゃべってみると、やっぱり人間国宝、米朝さんのテキストは、よーでけたあるなぁと感心してしまいます。ムダがなくて、必要なだけリアル。登場人物がちゃんと生きて呼吸をしている語り口。すごいもんです。

自分でしゃべってみると、良く分かるのですが、あんまり自分にあわない部分というのは、適当に割愛してしまったほうが自分が楽しいし、逆に気に入ったところは丁寧に演じたくなったりするもので、これが何度繰り返ししゃべっても、やるたびに面白いんですねぇ。いやー、落語っちゅうのは不思議なもんですよ。

青菜あたりの短い話で20分くらい、長いものでも1時間まではかからないので、ちょっとした合間に楽しんだりはできるものなのですね、これが。

ちゅうことで、また妙な趣味ができてしまいました。青菜とまんじゅう怖いを覚えてしまったので、次あたりは、はてなの茶碗とかやろうかなぁ。

英語の練習をすればするほど、反動で落語もしゃべりたくなるので、まるで振り子のような感じなんですがね。おもしろいもんですな、人間っちゅうもんは。

ま、そんなことで。

ひみつ日記だけ。

2007年12月9日
ちょっとプライベートでいらついた事があったので、ひみつ日記。
11月に読んだ本
ちょっと遅いですが、11月に読んだ本の一覧。

(1)粗食のすすめ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4101056218/249-9767057-8485143
(2)一瞬で自分を変える法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/483795670X/249-9767057-8485143
(3)5文型とNLPで英語はどんどん上達する
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4478980918/249-9767057-8485143
(4)ドル覇権の崩壊
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4198620105/249-9767057-8485143
(5)エネルギーバス
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4902444615/249-9767057-8485143
(6)引き寄せの法則(マイケル・J・ロオジェ)
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/406214381X/249-9767057-8485143
(7)幸せな宝地図であなたの夢がかなう(コミック版)
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4777107507/249-9767057-8485143
(8)ようこそ成功指定席へ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4763197061/249-9767057-8485143
(9)わずか3秒の「しぐさ」で成功をつかむ!
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4408323039/249-9767057-8485143
いちおうお勧めの順というか、面白かったもの順です。
さすがにこれだけあると、アマゾンとかへのリンクは面倒くさいので、興味を持たれた方は、ご自分で検索ください。

このリストの中で、いちばん大きな刺激を受けたのは、何と言っても「粗食のすすめ」でしたねぇ。
食を考える、という意味では、ものすごく重要で、基礎文献と言って良いように思います。ようは、昔ながらの食生活が一番なんじゃないの? って本ですが。

とにかく3ヶ月は、読む本の冊数を増やそうと思ってるので、年内はこの調子でもうちょっと読んでいきたいですね。やはり、まず読む量を増やすというのが、すごく大事だとわかりました。
だいたい、「粗食のすすめ」自体が、先月読んだ「年収10倍アップ時間投資法」に載ってたもので、あれを読んでなければ、この大切な書籍には出会えてないわけですから。やはり「量」というのが、ひとつの重要な補助線になるなぁという実感です。

あと、今月の収穫はNLP。

・一瞬で自分を変える法
・5文型とNLPで英語はどんどん上達する
・引き寄せの法則(マイケル・J・ロオジェ)

が、実はNLP関連の書籍です。
「一瞬で…」を読んで、かなりNLPに興味を持ちました。残り2冊も、かなり面白いです。

NLPに関しては、またそのうち。でも、はっきりわかったのは、NLPと銘打ってる本は、たいていテクニックの総覧みたいになってるから、本質的な「心」がわからないって事ですね。これもまた、読書量を増やして、いろいろ当たっていくしかないって事の証のひとつですな。

あと、四位に挙げた「ドル覇権の崩壊」は、例の副島隆彦の著書ですが、例のロン・ポールの「ドル覇権の終焉」という演説を、そのまままるまる一章を割いて、解説付きで紹介してます。元の演説の3倍以上の長さになってるけど、間に副島節が入っていて楽しめるのと、的確な必要知識・情報の挿入によって、ものすごくわかりやすくなってのが良いです。

あとは成功哲学とかそういう奴ばっかりだなぁ、今月は。
読み残した本をざっと目を通して「捨てる」っていうのも、やらないといけないので、いまいちの本も入らざるを得ないのが辛いですね。もっと捨てないと本棚がえらいことになる。(というか、もうなってる。)

毎月、こういうのを書くのは、自分の指標にもなって良いかもなぁとか思ってますので、来月も書くかも。まぁいま読書量倍化3ヶ月の最中だから、来月もやるでしょうな。

ま、そんなことで。
ISBN:483795670X 単行本 本田 健 三笠書房 2006/11 ¥1,470
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/483795670X/249-9767057-8485143

う〜ん、そうだったのか! とうなってしまった一冊。
ずっとアダルトチルドレンの知識をもとに、いろいろ書いてきてましたが、ずっとNLP(神経言語プログラミング)に関してだけは、いまひとつ良い印象がなかったので、あんまり読まずにいたのですね。

というのも、NLPの立場の人は、つねに「トラウマに問題解決の原因を求めても問題は解決しない」という事を言ってたから。

いやー、それはおかしい、根本問題に気付いてなかったから、私は苦しかったし、それに気付いてから随分ラクになったのだよ、と思ってたので、どうにもNLPというのは信用ならなかったんですね。

でも、これもまたアダルトチルドレン関連の書籍と同じで、現場臨床に基づいてテクニックをまとめたものがNLPなので、NLPとタイトルの付いてる書籍はどうしても総花的になってしまい、その結論・総論として「トラウマに注目しても解決にならない」になっているのだと、この本を読んでわかりましたね。

ずっとNLPは気になっていてNLPと名の付いた書籍は立ち読みでサラッと流し読みはしてきたんですけど、テクニックの総まとめみたいな本ばかりで心に響かなかったのですよ。

でもどうも、NLPの本質をちゃんと受け止めて整理してる本っていうのは、タイトルにNLPというような総花的な文言は入らないみたいですな。

という事で、この本ですが、訳者が「幸せな小金持ちシリーズ」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4763184237/249-9767057-8485143

や「ユダヤ人大富豪の教え」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4479790764/249-9767057-8485143

を書いた本田健さんなので、多少は気にはしてた本だったのですが、タイトルがあまりに軽くて敬遠していたんですね。

ただ先日、たまたま、この「一瞬で自分を変える法」の続編である「一瞬で「自分の夢」を実現する法」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/483795684X/249-9767057-8485143

が、いつもはあまり行かない書店にどーんと並んでいて、少し気になったので前作である、この「自分を変える法」を手にとってみた、という事なのであります。

読むまで、NLPの概念に沿って展開されている本だとは知らなかったのですが、いざ読み出すと、これがやたらと面白いんですねぇ。

「一瞬で自分を変える」などと書いてあるから眉唾に感じるわけですけど、でも実際、自分の感情というのは、回りの出来事に敏感に反応していて、一瞬一瞬変化し続けているわけです。

で、マイナス思考になるとか、物事を悪い方に考えるというのは、一種の「クセ」のようなもので、自分の中に悪いクセが何個も何十個も入っているというだけの話で、それをどんどん良く捉えるように書き換えてやれば良いわけです。

それは「悪い捉え方をした、その一瞬」にこそ修正の必要があるわけで、まさにタイトル通り「一瞬で自分を変える法」なんですね。これはなかなかに面白いです。

テクニックはいろいろ書いてありますが、その概念を学ぶだけでも役に立ちます。

良く言われる「コップ半分の水は、『半分しか入ってない』のか『半分も入っている』のかと、捉え方で意味がまったく変ってしまう」という話も、まさにNLPのテクニックそのものだったんですね。

この本、アメリカでの初版がなんと1986年でして、20年も前の本なんですよ。「そうかぁ、こういう事を、すでに20年も前からやってたのか」と感慨深いものがあります。

日本では、NLPのいろいろなテクニックのわかりやすいところだけが、いろんな書籍のいろんな部分に掲載されたりしてきたって事なんだろうなという気がしました。

それに、テクニックだけではダメなんですよね。NLPの技法は汎用的に役立つけど、それらはあくまでテクニックで、個別事情に応じて最適のテクニックを活用してくれるようなカウンセラーにつかないと、あまりに深く根付いてしまった「クセ」には難しいのかも知れないし、やはりNLPに長けたカウンセラーにつくのが、ベストなんでしょうけど、でも、この書籍に紹介されているテクニックや考え方を知るだけでも、そうとうに面白いのです。

たとえば、自分の悪いクセの解消に、悪いクセの原因行動と、それが解消されてうまく行くようになった自分のイメージとをワンセットでイメージする手法、なんていうのは「あ!なるほど!」と目ウロコでした。

悪いクセを持っているという事を、逆に力として利用するわけですね。悪い考え方や行動が出てきた時に、理想の姿もセットで思い出すようにイメージングして、で、頭のスクリーンの中で悪いクセを縮小し、良いクセを拡大する。で、その良い状態をしっかりと味わう。(どれだけ臨場感を持って味わうかがポイントなようですね。色・匂い・音などなど。)

これだけでも相当に現実的に役立つテクニックであります。
すでに自分がアルコール依存症になりかけているという人が、飲みたいなと思った瞬間に、二日酔いではない、快適な目覚めをイメージするようにセットしておくとかね。こういう「瞬間」を日々積み重ねて、イメージ練習していく、というものなわけです。

これはあくまでテクニックのひとつではありますけど、発想として、ものすごく新鮮でした。悪癖の力を逆に活用させてしまうわけですから。実に面白い。

まぁもちろん、これは自分の悪癖を自覚してないと、全然効果がないテクニックで、酒を飲む事自体を問題視してない場合には役に立たないわけですけど、その場合でも「何が嫌で、どうなりたいか」というのは、みんな考えてるわけで、その「嫌」と「ありたい自分」をワンセットでイメージングすれば、かなり効果があるって事ですわ。

これねぇ、ブラインドタッチの練習とそっくりなんですよね。実は一時期ブラインドタッチの練習ソフト(シェアウェア)の開発をやってた時期がありまして、いろいろ調べてたんですが、練習する過程で、「苦手なキー」というのが出てくるんです。「Y」とか「?」はかなり打ちにくく感じたりします。でも、その時、「Y」とか「?」を打つ練習したらダメなんですよね。そうではなくて、打ちやすいキーを、もっと素早く正確に打てるようにする。つまり、苦手キー以外の能力をもっと磨く、という事をするのです。これが正解なんですね。

なんでかというと、キーの数は決まってますから、他のキーが完全に打てるようになったら、苦手キーは「それら得意キーとは異なる指の動かし方をするキー」として、必然的に間違わなくなるからなわけです。

たとえば、「Y」は、たいてい「U」と打ち間違うんです。あるいは「T」とか。それなら「U」や「T」を正確に練習すれば、「そうではない打ち方がYだ」と必然的に体が覚えてくれるんですね。

これと結局は同じ事だなぁと思うのです。一日は24時間ですから、「良いことを考える時間」を増やせば、嫌でも「悪く捉えてしまう時間」は減っていくわけです。だから得意な所を、うまく伸ばせば良い訳です。

まぁ実際には、こういうテクニックだけでは「良い生き方」が身に付くわけでもないのだろうとは思いますが、アダルトチルドレンの概念だけでは、どうにもうまくいかないなぁという部分も多々ありましたので、僕的には大発見だったのでありますよ。

特に、ここをご覧になっている方には、けっこう面白い書籍かもしれませんなぁと思ってご紹介した次第であります。ご一読あれ。

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