ISBN:4334005179 新書 小室 直樹 光文社 1992/01 ¥805

この本、売ってるのかなぁ。いまはもうないと思う。
入手困難なんよな。
これをして「トンデモ本だ」と思ってる人が知り合いにいてるので、簡単に解説だけ書いておこうと思った。

この本は信長本なわけですが、信長の話はまぁいいのです。
それよりも、日本の歴史家がいかに「ええかげん」であるかが、この本を読んではっきりわかったというのが一番大きいんですな。

小室さんはアメリカまで留学して学問の基礎から学んだ人ですよ。ほんまもんの博士であって、トンデモ本なんか書く人ではない。なによりこの人はどの本一冊取っても、「学者」という枠からはずれたことは書かない。
(その外れていないという点で問題があることはある。それと学者の立場を離れて個人的意見を述べることもある。それもちょっと困る。でも概略すごい人です。)

信長と言えば「桶狭間の戦い」なわけですよ。
常識的に。

それはみんなそう思ってたし、山岡壮八の小説だってそうなってた。

で、みんな「狭間の戦い」と思ってたわけですよ、この本が出るまで。「はざま」ね、「はざま」。

みんな谷間で休んでた今川義元が織田信長の急襲にやられたんだと思ってたわけ。いまだにそう思ってる人は多いのよ。

でもね、もっとも歴史的事実に関して正確だと言われている「信長公記」(信長と同時代の太田牛一が書いた歴史書。信長に関する史実はこの本を頼りに推理するのが定番になっている。)の「読み方」自体がみんなええかげんやんけ、と暴いたのが小室さんなわけです。

だって、「信長公記」には「桶狭間」なんて一言も出てこないんだから。
出てくるのは「おけはざまやま」です。
「やま」なの、「やま」。

どこが「はざま」やねん、ちゅう話ですわな。
それも「一気にかけあがり」だったかなんだか、そういうことが書いてあるわけよ。どこをどう読んでも「谷」とか「はざま」には読めない。山を駆け上って攻めてるのよ。

そういう指摘を小室さんはしたわけです。

歴史家とか信長研究家とか、そういう人が偉そうに「推理」して、あてずっぽうで「おけはざまで信長が勝ったのは暑い日だから敵側が小手や具足を外していたからだ」とかなんとか、もう好き勝手言ってる横から、小室さん、ひょひょいと出てきて、一番学術的に信頼性の高い資料をじっくり読んで、「これは狭間ではない。山だ。」と指摘したのですよ。

たぶんね、みんな「はざま」という言葉と、義経のひよどり越えのイメージがあって、「谷間」と思っちゃったわけよ。

学者として実に正しい指摘なわけですよ。歴史学というのは、要するに資料読み学なわけですから。その基本の基本をピシッと筋を通して貫いただけなの。

で、その基本の基本をピシっと貫いただけで「ということになっている」というイメージだけ雰囲気だけの世界を完全にぶち壊してしまったわけです。

ということで、この後に緒方直人主演でNHKでテレビ化された織田信長では、この「やま」説を採用しておりました。
ま、誰もグゥの音も出ないわけですよ。これは。ようするにみんな基本資料もちゃんと読まずに、自分の思い込みだけで「語って」いたわけだから。
アホやん、そんなん。

山岡壮八もまぁアホですわな。でもまぁ、こらしゃーない。小説家やねんし。話をドラマチックにわかりやすくするなら、ひよどり超え風にした方が楽やし。
司馬遼太郎の「国盗り物語」も同じレベルの描写だったと記憶してます。
ま、小説家ですから。

誰も資料すらちゃんと読んでなかったというのが実際のところなんよな。

で、だ。

この本を読んだ時は「うわっ、資料読むとかキチンとやらなアカンよな」ということを学んだだけだったわけですが、その後、さまざまな勉強をしまして、この「資料をキチンと読み込む」ということがいかに重要なことであるかを後から私は学んだのでありますよ。

それは「宗教改革」です。

宗教改革が起こってプロテスタントが生まれるわけですが、その立役者となったのがカルヴァンです。
このカルヴァンが、何が偉かったかというと、「聖書を徹底して言葉どおりに読む」ということをした。
ここから宗教改革は生まれたわけです。
小室博士は、この故事にならっただけなんですよ、基本的には。

キリスト教もイスラム教もユダヤ教もどれも基本的に「啓典宗教」と言って、基準となる書物をこそ最上位において、その基準に従うのをよしとする宗教なわけです。

で、ヨーロッパにおける宗教権力の腐敗は、この聖書を誰にも読ませず、勝手に免罪符を売りつけたりして進んでいたわけですよ。それを聖書を徹底精読することで打ち崩したわけです。簡単にシンプルに書いてしまえば。

小室さんは、そういう歴史のあり方に素直に従ったまでです。で、その著作がこの一冊です。

別に、偉そうな自分なりの哲学を打ち立てる必要もないし、英雄のように度胸のある行動をとらなくてもいい。せめて、本が目の前にあるならキチンと読め。

それだけのことです。

ましてや歴史書は人類の先達の残した(残したということは残す意義のあった、ということです。)大切な宝ですからな。判断は読んだ後でよし、です。

ということで、明らかに読んでもいない人が、この本をして「トンデモ本」よばわりしたので、ここに書きました。

で、いつもならそういうことは「読んでから言え」とだけ言って、本の内容にまでは言及しないんですけどね。(これを言われて読む人間は少ない。でも、読む前に内容を要約して教えるとかはしない。それこそ僕の読み方が間違っているかもしれないわけだから。でも、読まない人は本当に読まない。あかんよなぁ。ほんま。)
でも、この本はどうも絶版みたいだし、とにかくざっくり書くだけ書くことにしました。

ごちゃごちゃ偉そうに言ってる人が偉いんではないのです。コツコツ一次資料にあたって、正しく読み解く作業をしている人が偉いのです。

ま、とにかくすごいですよ、小室先生は。この一次資料にキチンとあたるという態度だけでも、どれだけ人生に大きく役立っていることか。なんてことないことなんですけどな。でもここ一番で、とにかく強烈な効果があります。どんなときでも。この態度は。

小室博士は、尊敬してます。本当に。はい。
ISBN:4198618747 単行本 副島隆彦 徳間書店 2004/06/21 ¥1,680

●アマゾン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198618747/qid%3D1091018662/250-7844914-9426652

●表紙
http://snsi-j.jp/picture/img-box/img20040627101802.jpg

アポロ11号の月面着陸は、地球上で撮影された映像で、我々はそれに騙されただけだ。

という内容の本です。えー私は公的には「行ってるか、行ってないか、それはわからん。」という立場を取りますが、本音の本音は「こらぁ、まず間違いなく行ってないよなー。」です。

難しい事は省きますが、科学というか、サイエンスというのは「再現性による保証により成立する論理体系」と言い換えても良いと思うのです。

わかりやすく言うと、「同じ事をやったら、誰でもできる。」です。

これなくしてサイエンスとは言えないわけですね。科学論文とかは、なので「これこれの用具を使って、これこれの条件で、こういう具合にしたら、この数値が出る」という保証書というか手順書みたいなもんです。

サイエンスがすごいのは、この手順が「誰でもできる」というところに集約されます。人種も国家も宗教も関係ない。同じ手順でやったら、「誰でもできる」わけです。

で、「人類の月面着陸」ですが、実は、この「誰でもできる」という検証がされてないわけです。
そらまぁ、アポロは何回も月に行ったことになってるけどね。でも、その後、他の国が行ったとか、そういうのが全然ない。

で、ここで、最近になってブッシュ君が発表した宇宙計画が問題なのである。今年、2004年1月15日に発表された内容は、

(1)2010年に国際宇宙ステーション(ISS)を完成させ、そこでスペースシャトルを引退させる。
(2)大型ロケットと宇宙船を新規に開発し、2015年までに有人飛行を行い、続いて有人月着陸を実現させる。
(3)月面基地を作り、そこから火星有人飛行をめざす。

わかりますかしら。「人類月面着陸を2015年までにやる」と言ってるんですよ。

ちょっと待てや。
いっぺんやれたことが、なんでいまからやり直して10年もかかるねん。サイエンスは再現す、やで。なんで再現にそんなに時間がかかりまんねん、っちゅうことですわなぁ。

まぁ、月面着陸が行われて三十数年、まったく「再現」がされなかったというのもおかしなことだわなぁ。

宇宙空間にはものすごい宇宙線(放射線)があって、さえぎるのも大変だという話もあるけど、そんなことより科学のカナメ、「再現性」こそが問われるのよなー。

行ったか行ってないかはわからんです。証拠がないし。再現もされてるとは言い難いですから。事実としてそういうことなのよな。つまり。

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この本の紹介はここまでなんですけど、ここで著者の副島氏のすごい点をひとつ書いておきます。

副島氏はこの「人類の月面着陸はなかった」ということを強く主張してるんです。で、それを人類に対する大罪とも言ってるんですが、「じゃあ現行の各種の法概念に照らし合わせてみて何罪にあたるかといえば、実はよくわからない。」というようなことを書いている点です。

国家が、自国の「国益」のためにこういう手法を選択したのであればそれは理にかなうこと、という見方もまた存在するのです。
科学的な事実の追及より、国家国民の生命と財産を守ることのほうが、実は政治とか国家運営のためには重要なんですね。

その大枠に関しては副島さんは外していない。ここが大したものだと思うのよなー。

つまり「科学は政治に隷属する」のです。実は。
で、正しくサイエンスをやっている者なら、ここのところは良くわかってるはずなんです。
あの天動説が一般的だった時代に地動説を証明する観察事実をつきとめたガリレオ・ガリレイは宗教裁判で負けた時に「それでも地球は回っている」と言ったことになってますが、これは後に舞台劇になった時にそういうセリフが有名になったというだけの話で、ガリレオは裁判ではなにも主張しなかったんですよ。
だって殺されたらかなわんもん。命大事ですよ。命あってのものだねですよ。

で、なにより「再現性」というサイエンスの力をガリレオは良くわかってたわけです。データはあって、それは誰が観察しても同じになる事を知っていた。

だから、宗教裁判とかそういうところで、いちいちギャースカ主張したりしないのよな。
観察方法を残し、静かに公表すればいい。あとはデータが語り、事実が国を超え、宗教を越え、人種を超えて世界に広がっていく。

これこそサイエンティストならではの「戦い方」なんですな。

拍手。

ということで、ここまで読んだ人で、最近の大ヒット本「バカの壁」を読んだ事のある人は、あれをもう一度最初から読み直して欲しい。

「なんや、このおっさん。ほんまにサイエンティストか?おい」と思わざるをえないことばっかりギャースカと騒いでるだけというのが、よくわかるはずなんですよ。

政府に役人が政治的に判断していることを学問的におかしいとか言ってる。何言うとんねん、おっさん。ねむたいこと言うてたら承知せんぞ。
文句があるんやったら、観察データ出せや。それが学者の仕事やんけ。それも無いならだまっとかんか。やかましいわ。アホ。

てなことで、最初の50ページで、あの本は嫌になっちゃったよ。
マジで。

ということで、私が書いた「バカの壁」評も、もう一度掲載しときます。

http://diarynote.jp/d/12917/20030903.html

んー、あー、「サイエンスは再現すである。」我ながら、素晴らしい表現じゃなー。あースゴイスゴイ。
ISBN:4828411127 単行本 副島 隆彦 ビジネス社 2004/03/27 ¥1,575

知る人ぞ知る副島隆彦(そえじま・たかひこ/ふくしまじゃないからね。)さんである。私は心底尊敬する。世界基準の知性を持つ人である。

テレビにはあまり出ない。が、このあたりは何も言うまい。とにかくテレビの政治番組なんか見てるヒマがあったら副島さんの本を読みなさい。その方が500倍勉強になる。

でも。

実はいままで、もう何冊も何冊も副島さんの書籍は読んでるのだけれど、一冊たりともこういう場などでは紹介してこなかったのであります。実は読む人を選ぶのである。日本的な土俗の考えに染まりすぎてる人が読むと腹が立って大嫌いになるという可能性も高いのだ。

それまでにどれだけたくさん勉強してきたかとか、そういうことで内容を理解できるかどうかなどで差が出るのです。

だから、いままで紹介してこなかった。副島氏の本は、バカが読むと床に叩きつけたくなるくらい気に入らない、てなことになるのである。いままでの本は、まぁほとんど全部そういう要素があった。

しかし、この本は良い。安心して勧められる。これならいいや。安心してみんなに「読んでごらん、おもしろいから。」といえる。つまり、「床に叩きつけたくなる」とかにならない。

そういう意味でお勧めなのである。

内容に関しては紹介しません。書店で手に取って確認して、読んでみたいなと思った人だけ読んでください。この人はほんとうにすごいです。

どうすごいのか、この本の最初の一ページの最初の三行と、最後の三行を引用する。

(引用開始)---------------
この本は、緊急出版の本である。私は、この本を本当にたったの一週間で書き上げなければならない。今日は、2004年3月9日(火曜日)だ。この本が、日本全国の主要書店の棚に並ぶのは、4月の初めである。
(中略)
私はたったの一週間で一冊書き上げて見せる。それでも私はこれまで一冊たりとも粗末な内容のいい加減な本を書いて出版したことがない。それは私、副島隆彦の本の読者になってくださった皆さんにはよくお分かりのことと思う。
(引用終り)---------------

ということです。

で、付け加えて副島本読者として言うなら、「その通り!内容の粗末な本など一冊たりともなかったぞ!」である。

一週間で本を書く。しかも品質に自信を持って。こんなことができる人間はザラにはいません。すごいです。私も一冊二冊は書いたことがあるのでわかる。一週間で一冊。とんでもないです。恐ろしいです。半端でなくすごいです。

で、私はもう何冊も副島さんの本を読んでます。だから保証しますが、どれもこれも世界レベルです。(この世界レベルというのがどういう意味かはちょっと解説が必要なんだけどなぁ。うーん。またいずれ書きます。)

副島さんは小室直樹の弟子であることを、この書籍の中でも言っておられますが、私は小室先生の書籍も、もう何冊も何冊も読ませていただいてます。とんでもなく勉強になります。小室先生も半端ではありません。

しかし、このあたり、いろいろな書籍を読んだり比較検討しつつ自分で確かめてこないと、結局は納得できないものです。「あーあの人のファンなのね」というような程度の理解しかできないでしょう。学問というのがわかってない人は、まぁそうなります。

そうじゃないんだよ。学問っていうのは証明されつつ進むもんなんだよ。この人たちは日々検証されながら進んでる人たちなんだよ。とだけは言っておきたい。ま、それも「検証」する意欲のある人間にしかわからんことですから、これ以上は言わない。

ということで、ここで私と副島さんのご本の出会いについてだけ、ちょっと書いておきます。そういう話の方がよっぽど意味があるので。

------------

阪神大震災の時、あまりに国が国民を見殺しにするような政策が多く、かつまたテレビで報道される国民の姿が、あまりにお上に忠実なのが気持ち悪く、「この報道を海外の人たちが見たらどう感じるのだろうか。金日成の葬式の泣き女みたいに"ヘンなの"と感じるのではないだろうか」という思いを持ちまして、私は英語の勉強をはじめたのです。

言っておきますが、その時で35才です。
しかも、「Itの複数形はIt’s?」と平気で言うほどのアホでした。
普通なら、もう間に合わん、というようなことでしょうけど、でも私は気持ち悪いのは嫌だったので、とにかくコツコツやりはじめた。

細目は省きますが、そこまで実力がないと、勉強しても実力はまったく進まないんです。ですから、なんとか効率的に勉強がしたくて、「英語の学習の仕方」というような本とか、その他参考書やテキストなどなど、何十冊も買っては読んだのです。

まぁそうだなぁ、当時で二十冊は読んだかなぁ。中学校の英語の参考書からやりはじめましたから。毎日一時間。赤ペン持って。

しかし、どれもこれも帯に短しタスキに長し。さして役には立たなかった。

その時、この副島さんの「道具としての英語 基礎の基礎」に出会った。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796616500/ref=sr_aps_b_/250-8146917-6509803

この人、予備校の英語の教師もされてましたからね。で、この本を読んだ。たまたまタイミングとか出会いが良かったということもあるだろうけれども、少なくとも僕は、この一冊で頭の中の霧が一気に晴れた。

そらもうね、この一冊でいきなりいろんな英文が、そうとう読めるようになったのですよ。

これはすごい。

以来、私はこの人の「英語の参考書」に関しては絶大な信頼を置くようになった。

で、この人がアメリカの政治評論の本も書いているのは知ってたんだけど、それは全然信用してなかったのね。英語の学習書に関しては絶大な信頼を置いてましたが、「アメリカの政治ィ? そらまぁ向こうの新聞とか直接読める人やから、そういうこともできるやろけどなぁ。まぁ眉唾ね。」という態度でありました。

が、しかし。その後数年して、副島さんの政治評論の本を何冊も読んで、副島英語本がどうしてあれだけ分かりやすくて役に立ったのかの理由が良くわかった。

半端じゃないんです。

欧米の500年にわたるヨーロッパ近代の歴史を、かの小室直樹から学び、学問=サイエンスとはどういう体系で組み上げられているのかを体得した上で、ヨーロッパ・アメリカの現在の社会の仕組みを政治構造から理解した上で、ひとつひとつの英単語の語源にまで遡った上で、把握して、そうして噛み砕いた上で、日本人にわかりやすく解説を書いていたから、副島英語本は役に立ったんです。

それが良くわかった。

逆に言うなら、こういう文化の厚みがわからなければ、英語などという異文化の言葉は理解できないのである。
そういうことだったんだと痛感したわけです。
それこそ痛感です。体にビシッ、です。

副島さんの本を読んだ上で、副島さんの視点からのアメリカ批判等を知った後では、各種のマスコミ等での世界情勢の記事とか批判とか、あまりに甘ちゃんで聞いてられないっす。
ましてや、そういう世の中の風潮に流されてる程度の意見とかは、もうアホくさい。

反米とか言うんなら、せめて副島レベルの知識を持った上で言え、だわなぁ。ほんと。

結局、副島さんの政治関連の書籍も10冊以上読んでますなぁ。全部面白かったし、素晴らしかった。半端ではありません。この本もあまりに面白くて2日で読んでしまいました。

そういう本です。
ISBN:406212274X 単行本 本田 健 講談社 ¥1,500

なんとなく気にはなってたんだが、この日ふと手に取ってみたくなった。
日本の高額納税者12000人にアンケートを取って、答えてくれた人1000人のデータと、ごく普通の人のアンケートを比較して整理した内容。

データっていうのは強い。
つくづくそう思う。
あっと言う間に読んじゃったもんなぁ。
一日とか二日とか。そんなんで読めました。
仕事の合間合間に。

感想としては「普通やん」です。なんですけど、普通に普通のことを誠実にやり通すことが、いかに大変なことなのかというのが、実によくわかった。

世の常識とか、みんながこうだから、ということに惑わされずに、正しいと思うこと、自分がしたいと思うこと、楽しいと感じること、出会う人を喜ばせたいと思うことをやり抜いてる人たちだったんですねぇ、金持ちっていうのは。

そうなんやー、と感心した。で、前から思ってたけど、金持ちになる人は考え方に矛盾がないのよなー。全部が統合的に首尾一貫した論理なんよなー。うまく言えんけど。

いやー、面白かったです。

まぁ、データに語らせている書籍なので、「だからどうした」というテーマ性みたいなのはないです。だから感動とかそういのはないねんけど、単純に面白かったですね。

もっとちゃんとマジメに働こう。勤勉にやろう。自分の能力をもっと活かそう。世の中の多くの人に私の能力を利用してもらいたい、とかそんなことを考えましたね。

ま、できるかどうかは簡単ではないんですけどね。

だってあれやもん、金持ちが大事に思うことのナンバーワンが「誠実であること」というものやねんけど、それがどんな状況での「誠実さ」かというと、自分の会社が潰れかけて首くくらなあかんかも知らんというような時にも正直に銀行さんとかに財務状況を正確に伝えて助けを請うというようなシビアなレベルの「誠実さ」やねんもん。半端やおまへん。

そーか、そういうことかと思ったです。はい。
とくに理由はないのだけれど、「偶然の一致」ネタが好きである。
世の中には不思議な「偶然の一致」というのがたくさんあるのである。

で、こういうのは相当に眉唾が多く、表題の本も例のごとく「ムー」系列の書籍なので、まぁ息抜き程度に読んだのである。

ここのところさぁ、ちょっと内面的な問題を真剣に考えすぎてたから、リラックスしたかったんだよ。

そしたら、この本の後半に南方熊楠の話が出てくる。知る人ぞ知る、日本が世界に誇る博覧強記の粘着気質の天才である。
ま、南方熊楠の話はおいとく。僕も詳しくは知らないし。熊楠については、ちょっとちゃんと勉強しようと思ってるんだけど。

で、熊楠がこの「偶然の一致」というものをどうとらえるかのヒントをくれているということが、この本には書かれてある。
簡単に書くと「偶然と言っても偶然とは言い切れない。偶然が幾千万年も続くわけではない。だから、筋道の良い偶然をやりあてて、離さないようにするしかないのだ。」というようなことらしい。

大事なのはこの「やりあて」である。
筋道の良い偶然だけを「やりあて」て、それを離すなと言っておられるのである。

これはある意味、勘を働かせよということでもあり、論理を強化せよということでもある。すじみちの良いものを意味ある一致として「やりあて」、自分のものにせよ、ということなのだ。

「すじ」というのは将来ずっと伸びていく素質があること、「みち」というのは将来への見通し。その良さげなものを選び取って離すなということらしい。

なるほどな、と思う。

世の中には、「偶然」という言葉と、その反語としての「必然」という言葉があるのだけれど、実は、その間の「蓋然」という言葉もちゃんと存在しているのだ。要するにそういうことなんだろうと、勝手に解釈する。

ともかく非論理的でも、何らかの偶然の一致なりシンクロニシティがあった場合、その「すじみち」の良いものを「やりあて」て、自分のものにしていくべしということのようだ。

これはなかなかするどい指摘という気がする。
人間論理だけでは壁にぶつかるのである。
感情や直感だけでは狂ったまま自滅する恐れもあるのである。そのどちらでもない所へ、いかにしてたどり着くかというのが、人間が生きていく上での大いなる智恵なのではないのか。

そう考えると、「やりあて」という概念は、なかなかにするどいなぁと感心せざるを得ない。

うーむ、ひとつ、光明が見えてきた気がする。

バカの壁

2003年9月3日 読書
最初、新刊で出た時、タイトルが面白そうだったので、手に取ってみるが、内容があまりに幼稚だったので、買わずにいた。

すると、知り合いの何人もが「面白い」と言ってくるのである。「なんだとぉ、あれが面白いだとぉ。どーかしてるんじゃないか、君たち。」と思って、確認のために買ってみる。

ダメ。最初の50ページくらいを読んだところで、養老氏の知性の低さ、内容のなさ、書いてることの間違い、いいかげんさに呆れて、読み進むこともできず。とにかくやたらとおかしな記述が多い。

しょうがないので、結論部分を先に読んでみる。そしたら驚くなかれ、結論がない。「んー、よーわからん」という結論である。アホカ、お前は。伝えるべきこともないなら書くなよ。

果たして、こんな学者がいて良いものかと思って著者略歴を見てみると、どーも、今現在は何の研究もしてないようだ。

ははーん、だから何の症例等の具体的データすらないような、こんなカスみたいな本でも出さざるを得ないのかと納得する。ようするにこの人、いまや学者じゃなくて、エッセイストでしかないんじゃないか。だから内容が無くても書かないと生活できないんだ。悲惨だね。

ともあれ、海外の大学などに留学して、向うで数年間でも学問の基礎の基礎の基礎をやった人なら絶対にごちゃまぜにしないような事柄(政治と学問との関係など)を平気でごちゃまぜに書いていて、平然としている。良かったねぇ、養老クン、この本が外国語に翻訳されないで。いやー、良かった良かった。国内言論人万歳だ。

学者が現場を持たなくなったのに、学者面して学問とは、みたいなことを語るというのは、卑怯である。ちゃんと現場を持って、そのデータから書籍を作っているような人が山のようにいてるっていうのに。まぁ、そういうデータに裏付けられたような本っていうのは読む側にパワーがいるから売れないんだけどね。

養老クンみたいな世捨て人老人の酒場の愚痴みたいな内容の方が、誰もにわかりやすいというのはある。ま、その愚痴が面白いといえば面白いのか。私ゃどうでも良いが。

とはいえ、このタイトルをつけた編集者は天才よなー。日本人の「異文化は存在しないことになっている」というカッコつけの文化の問題に対して、「壁はあるんだ」と明晰にするというアプローチで日本人の文化意識をコロッと変えさせたと思うね。

すでに120万部っていうんだから、すごい。これはまさにタイトルの勝利である。編集者がどれほどの切れ者であるのか証明とも言える。まぁ、この程度の老人の愚痴でも、正しくタイトルをつける=(読み方の方向付けを読者に対して提示する)ということができれば、強力なるメッセージになるということですな。

しかし、養老のおっさんはほんとにボケナスである。一神教なら異文化は異文化のままに共存できるが、多神教では異文化は抑圧されるしかないのである。なぜなら地球はひとつであって、そこに考え方の違う人種がたくさん住んでいるからです。日本人用の地球と欧米人用の地球が別々にあるわけではない。

欧米の一神教というのは、異文化がぶつかり合ったからこそ「でも、この世を作った誰かさんがいて、この世で生きている私たちは同じ世界を共有しているではないか」という共通点のみを大切にした結果生まれているのである。そんなこと当たり前じゃないか。話にならないのである。

多神教の考え方は「あいつはあいつ、俺は俺」である。そこに交渉はない。没交渉推進思想である。そんなもので異文化が理解しあえると思うなよ、バカ。

バカの壁とは、養老猛司その人のことである。あ、自分で言ってるのかこの人「バカの壁とは自分の内側にある」って。まぁその意味ではその通りですなぁ。そのままバカをやってなさい。

まぁせめてエッセイとして面白けりゃ認めてもいいんだけどなぁ。でも、どう読んでもエッセイとして文章としての面白さがあるとも思えない。
これはそうとうにひどい本であります。こんな本を読むくらいなら、まず世界の宗教について概略をまとめてある書籍でもザクッと読む方が、はるかに、はるかに、はるかに、はるかに、有用である。

入国拒否

2001年7月5日 読書
漫画家の小林よしのりが「台湾論」という台湾レポートマンガを台湾で発売した。

で、そのことで、台湾政府から入境(入国)拒否されたのだけれども、その件に関する、ことの顛末を取り上げた書籍、「入国拒否 〜『台湾論』はなぜ焼かれたか〜」を読み終わる。

勘違いされると困るので書いておくけど、「台湾論」は、ものすご〜く親台湾的アプローチで描かれたマンガです。別に入国拒否されたからと言って、台湾はひどい国だ!と書いてあるわけではない。

それどころか、台湾のガイドブック的要素もあって、すごく読みやすいし、一度読むと台湾のことが大好きになってしまうような内容です。

でも、その「自由に台湾と交わる日本のマスメディアにかかわる人間」を邪魔とする一派が、この世の中には存在してて、そういう人が台湾のマスメディアを動かして入国拒否ということが起きたのです。なんでそうなるのって思うでしょ? そのあたりの解説が書いてあるから面白いわけです。

小林よしのりに関しては、全面的に賛成するわけでもないんだけども、こと「台湾と日本の関わりを考える意味について」という面においては、おおいにうなづけるところがある。

日本人って何やろ。21世紀という時代の中で、いま日本人が見つめなければならない「国」の意識って何やろ?「世界」は日本をどう捉えてるんやろ。本来この国が担わなければならない役割は何やろ?とかいろいろ考える。

「台湾論」も軽やかながらにシビアな内容で、面白かったが、この「入国拒否」もまた、台湾人、金美齢さんとの対談で、べらぼうに面白い。

良いか悪いか考えるとか、道徳的にどうかとか、政治的にはどうなんだ、文化的にはどうなんだと、いろいろ意見もあるだろうけれども、とりあえず対談の内容そのものが単純に面白いのです。

なんでもないことのようだけど、この「単純に面白い」ってのは大事なんだよねぇ。この種の本では。

内容判断は読み終わってから各人がすれば良いと思うんだけれども、とにかく読んでて面白いから、おすすめしたいですね。

いや、人によるよ。おもしろいと思うかどうかは。左翼ではなく「サヨク」がキライな人でないとちょっと辛いかも知れないってのはあるかな。

まぁ、そういうバイアスは多少あるけど、それを抜きにしても、やっぱり面白いですなぁ。これは。

お勧め。

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