エネルギー進化論: 「第4の革命」が日本を変える (ちくま新書)
2012年4月9日
エネルギー進化論: 「第4の革命」が日本を変える (ちくま新書)
飯田 哲也
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4480066438
最近また原発再稼働とかいろいろ騒がれていて、テレビでの論議なんかを見ると、すごーーーーーーく浅いよなぁと思うことがとても多いのです。
(どう浅いと思うか? という事については、秘密日記で。あまりに当たり前な事なので、いちいち書くような事でもないのです。)
でもまぁ、そういう話は横においといて。
ここで紹介する本は、これからのエネルギー問題を考える上で「発想」として頭に置いておかないといけない話が満載の書籍です。
こういう「発想」自体が頭にないのに、エネルギー問題がどうたら、原発がどうたら、発言するほうがおかしい。
最低限、この本くらいは読んだ上で「じゃあ、どうしよう?」と考えると言うことをして欲しいと思うのですよね。そうでないと、馬鹿馬鹿しくて話しをする気にもなれない。
------------------
●「発想」とはどういうことか。
上の文章で「発想」という言葉を使いましたが、基本的に、エネルギー問題というのは、いまやもう「技術」の話ではないんですね。あたりまえのことですが。
すでにして「生活」のことだし、「政治」の事だし、我々の「生き方」のことなんですよ。
そこがすでに問われているわけです。
だから、これまでの生活に対する何の反省もなく、夜中までずっと起きていて、電気をムダに使うゲームばっかりやっていて、暖房便座が素敵だ! と思うような価値観のままの人は、「ちょっと、迷惑やから、論議に参加せんとってくれんか?」とお願いするしかない。
(権利がないとは言わないし、そういう意見も反映させないといけないのですが、緊急の時は「悪いけど社会体制の根幹が固まってから言うて。申し訳ないけど。」と謝って、ちょっとだまってもらっておくしかないです。申し訳ないけど。根幹を考えなければいけない時に、そういう人は「根幹とは何か」自体が皆目検討がつかなくて、そのことで自分が論議を引っかき回している極悪人になってしまっているのだという自覚自体が持てないですよね。困ったことに。教養がない人というのは、総じてそういうものです。)
とまぁ、難しい事を書きましたが、話はそれほど難しいわけでもないんです。
たとえば、この本で紹介されている「電力会社のエネルギー対策」に関して。
普通で考えれば、電気が足りない! という時には
●電力量を増やす
か、
●使用量を減らす
かしかないわけです。
で、そこで日本ではどうなるかというと、電力量を増やす方で「原発再稼働」しか話が出てこないし、減らす方では「一般人が我慢する」しか話が出てこないわけです。
でも、カリフォルニアの発電会社では、
●節電技術を無償で一般人に配る。
という「発想」を持ったのだよ、という事が、この本では紹介されてるんですね。
発電所を建てるとか、あるいは高い石油を購入して火力発電でガンガンに電気を創るという発想から離れて、
●発電所がLED電球を一括購入して、電灯が必要なところに大量無償配布する。
という発想を持った、ということです。
それでもええんですよ。
発想として。
それで電力の需給は保たれるわけでしょ?
そこが一番大切なことなんです。
で、上で「夜中にゲームしてる人」の話を書きましたけど、だからここで言いたいのは、
●そんなにおもろいゲームが、山盛りあるか?
ということですな。
いま、ゲームっておもろないですよ。
そこに気付くことで、かなり大きな節電になるはずですわ。
つまり「気付くこと」で発電するのと同じ効果が期待できるんですよ。
大事なのはここです。
もっと言うなら、
●ロープレで架空のキャラを育てるより、勉強して自分のスキルを上げる方がメリット大!
ということに気付く、というエネルギー対策もアリですよって事です。
本を読みなされよ。
電気なんかいらんで。
ほんまに。
そういう根本的な事を、まずしっかりと考えな、話にも何にもなりまへんわ、っちゅうことです。
そういう発想があると、
●ゲームより、勉強の方がおもろい。
になるわけですから、これだけでかなりのエネルギー対策になる。
違いますか?
しかも、日本人の知的レベルアップまで果たされる。
そういう事ですがな。
ですんで、少なくとも、上記の
エネルギー進化論: 「第4の革命」が日本を変える (ちくま新書)
くらい読め!
ということにしかならないわけですね。
---------------------
このほかにも、「脱『ひとり勝ち』文明論 」とか、いろいろ読んでおくべき本もありますけど、それは置いといて。
ごく身近な例で「ああ、アホやなぁ。」と思った事をちょっと書いておきますと、大阪のミナミのある商業施設で「冬の電力不足に対応するためエスカレーターを一部停止しています。」というのが貼り出されていたのです。
これなどまさに「我慢しましょう」だけなわけです。
意味あるか?それ?
この施設では、トイレの熱風によるハンドドライヤーも停止されていて、「ご協力ください」なわけです。
でもね。
そのくせ暖房は入ってるわけですよ。
バカじゃないの?
そんなもん、エスカレーターは動かして、暖房を落とし、「節電にご協力ください。当施設のショップでは暖かい冬の衣服セールを開催中!今年の冬は厚着をファッショナブルに楽しみましょう!」とかやれば、テナントのショップも儲かるし、みんなが「厚着を楽しむ」方向に動けば、社会的な意味での節電にもつながる。いろんなところが暖房を下げてもOKになるわけですよ。
そんなもんね、一商業施設が「ムダなエレベーター止めました」なんてやって、何の意味があるというのですかね? その施設の電気代がちょっと(本当にちょっとだけです)浮くというだけの話でして、何の社会性もない。
いや逆に「しんどい目をして我慢、我慢」という悪しき風潮を生むだけですわ。
世の中、こういうアホが多すぎる。「みんなが良くなるように考えよう」、というような社会性がないんです。
何か行動して、その結果、良くなるか?
それを考えないと。
どうしたらうまくいくのかな? と考えないと。
そうしないと、単なる我慢にしかならず、それは結局、つまらない愚痴とか無意味な皮肉とかしか生み出さないと思う。
トイレの熱風ハンドドライヤーだって、停止せずに「もし、お持ちならハンカチをお使いください。」とかやって、全施設でハンカチフェアをやるとか、販促用のおまけにハンカチをつけたら良いのですよ。
それでハンカチを楽しむ風潮が生まれて「いつでもどこでもハンドドライヤーを使わない文化」が生まれたら、その方が、圧倒的に節電になる。
でしょ?
そういう「発想の転換」をしないと意味ないんですよ。
で、そういう発想の話が、この本にはいろいろ書いてあります。
まぁ、この本に書いてあるのも、あくまで一例ですから、他もいろいろあるとは思うのでみんなで考えてみたら良いと思うのですがね。
飯田 哲也
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4480066438
最近また原発再稼働とかいろいろ騒がれていて、テレビでの論議なんかを見ると、すごーーーーーーく浅いよなぁと思うことがとても多いのです。
(どう浅いと思うか? という事については、秘密日記で。あまりに当たり前な事なので、いちいち書くような事でもないのです。)
でもまぁ、そういう話は横においといて。
ここで紹介する本は、これからのエネルギー問題を考える上で「発想」として頭に置いておかないといけない話が満載の書籍です。
こういう「発想」自体が頭にないのに、エネルギー問題がどうたら、原発がどうたら、発言するほうがおかしい。
最低限、この本くらいは読んだ上で「じゃあ、どうしよう?」と考えると言うことをして欲しいと思うのですよね。そうでないと、馬鹿馬鹿しくて話しをする気にもなれない。
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●「発想」とはどういうことか。
上の文章で「発想」という言葉を使いましたが、基本的に、エネルギー問題というのは、いまやもう「技術」の話ではないんですね。あたりまえのことですが。
すでにして「生活」のことだし、「政治」の事だし、我々の「生き方」のことなんですよ。
そこがすでに問われているわけです。
だから、これまでの生活に対する何の反省もなく、夜中までずっと起きていて、電気をムダに使うゲームばっかりやっていて、暖房便座が素敵だ! と思うような価値観のままの人は、「ちょっと、迷惑やから、論議に参加せんとってくれんか?」とお願いするしかない。
(権利がないとは言わないし、そういう意見も反映させないといけないのですが、緊急の時は「悪いけど社会体制の根幹が固まってから言うて。申し訳ないけど。」と謝って、ちょっとだまってもらっておくしかないです。申し訳ないけど。根幹を考えなければいけない時に、そういう人は「根幹とは何か」自体が皆目検討がつかなくて、そのことで自分が論議を引っかき回している極悪人になってしまっているのだという自覚自体が持てないですよね。困ったことに。教養がない人というのは、総じてそういうものです。)
とまぁ、難しい事を書きましたが、話はそれほど難しいわけでもないんです。
たとえば、この本で紹介されている「電力会社のエネルギー対策」に関して。
普通で考えれば、電気が足りない! という時には
●電力量を増やす
か、
●使用量を減らす
かしかないわけです。
で、そこで日本ではどうなるかというと、電力量を増やす方で「原発再稼働」しか話が出てこないし、減らす方では「一般人が我慢する」しか話が出てこないわけです。
でも、カリフォルニアの発電会社では、
●節電技術を無償で一般人に配る。
という「発想」を持ったのだよ、という事が、この本では紹介されてるんですね。
発電所を建てるとか、あるいは高い石油を購入して火力発電でガンガンに電気を創るという発想から離れて、
●発電所がLED電球を一括購入して、電灯が必要なところに大量無償配布する。
という発想を持った、ということです。
それでもええんですよ。
発想として。
それで電力の需給は保たれるわけでしょ?
そこが一番大切なことなんです。
で、上で「夜中にゲームしてる人」の話を書きましたけど、だからここで言いたいのは、
●そんなにおもろいゲームが、山盛りあるか?
ということですな。
いま、ゲームっておもろないですよ。
そこに気付くことで、かなり大きな節電になるはずですわ。
つまり「気付くこと」で発電するのと同じ効果が期待できるんですよ。
大事なのはここです。
もっと言うなら、
●ロープレで架空のキャラを育てるより、勉強して自分のスキルを上げる方がメリット大!
ということに気付く、というエネルギー対策もアリですよって事です。
本を読みなされよ。
電気なんかいらんで。
ほんまに。
そういう根本的な事を、まずしっかりと考えな、話にも何にもなりまへんわ、っちゅうことです。
そういう発想があると、
●ゲームより、勉強の方がおもろい。
になるわけですから、これだけでかなりのエネルギー対策になる。
違いますか?
しかも、日本人の知的レベルアップまで果たされる。
そういう事ですがな。
ですんで、少なくとも、上記の
エネルギー進化論: 「第4の革命」が日本を変える (ちくま新書)
くらい読め!
ということにしかならないわけですね。
---------------------
このほかにも、「脱『ひとり勝ち』文明論 」とか、いろいろ読んでおくべき本もありますけど、それは置いといて。
ごく身近な例で「ああ、アホやなぁ。」と思った事をちょっと書いておきますと、大阪のミナミのある商業施設で「冬の電力不足に対応するためエスカレーターを一部停止しています。」というのが貼り出されていたのです。
これなどまさに「我慢しましょう」だけなわけです。
意味あるか?それ?
この施設では、トイレの熱風によるハンドドライヤーも停止されていて、「ご協力ください」なわけです。
でもね。
そのくせ暖房は入ってるわけですよ。
バカじゃないの?
そんなもん、エスカレーターは動かして、暖房を落とし、「節電にご協力ください。当施設のショップでは暖かい冬の衣服セールを開催中!今年の冬は厚着をファッショナブルに楽しみましょう!」とかやれば、テナントのショップも儲かるし、みんなが「厚着を楽しむ」方向に動けば、社会的な意味での節電にもつながる。いろんなところが暖房を下げてもOKになるわけですよ。
そんなもんね、一商業施設が「ムダなエレベーター止めました」なんてやって、何の意味があるというのですかね? その施設の電気代がちょっと(本当にちょっとだけです)浮くというだけの話でして、何の社会性もない。
いや逆に「しんどい目をして我慢、我慢」という悪しき風潮を生むだけですわ。
世の中、こういうアホが多すぎる。「みんなが良くなるように考えよう」、というような社会性がないんです。
何か行動して、その結果、良くなるか?
それを考えないと。
どうしたらうまくいくのかな? と考えないと。
そうしないと、単なる我慢にしかならず、それは結局、つまらない愚痴とか無意味な皮肉とかしか生み出さないと思う。
トイレの熱風ハンドドライヤーだって、停止せずに「もし、お持ちならハンカチをお使いください。」とかやって、全施設でハンカチフェアをやるとか、販促用のおまけにハンカチをつけたら良いのですよ。
それでハンカチを楽しむ風潮が生まれて「いつでもどこでもハンドドライヤーを使わない文化」が生まれたら、その方が、圧倒的に節電になる。
でしょ?
そういう「発想の転換」をしないと意味ないんですよ。
で、そういう発想の話が、この本にはいろいろ書いてあります。
まぁ、この本に書いてあるのも、あくまで一例ですから、他もいろいろあるとは思うのでみんなで考えてみたら良いと思うのですがね。
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