逆転裁判(実写版)
昨日から公開になった、カプコンのゲームの映画化作品である「逆転裁判」を、昨日、レイトショーで見てきました。

いや、しかし、あの長い原作を、よくもまぁあそこまで破綻無く一本にまとめ上げたものだと、本当に感心してしまいますね。三池崇史監督は実にすごい。特に、原作が持つコメディ調の雰囲気を、独自の映像表現と間合いですくい上げてるところや、証拠データが法廷の空間に3Dデータとして浮かび上がるなどのアイディアは、ゲームの映画化という意味で白眉であります。

主要登場人物が相互に絡み合う、複雑な過去の事件も、かなり省略はあるもののキチンと紹介されているというのに、あの「トノサマン」まで一応は登場するし、かの姫神サクラらしき人物やら、原作の入門編を兼ねた第一話の山野 星雄まで、カツラ飛ばしのシーンごと再現されている。まぁ、原作ファンとしては満足するしかないサービスっぷりで、その内容の濃さに驚いてしまいます。

三池崇史監督自身が原作の1-3までをやり終えて制作にとりかかったらしく、映画の冒頭でいきなり、シリーズを通して繰り返しテーマとして描かれている霊媒師の綾里家の描写から始まるというのが「やってくれるじゃないか」という気分にさせてくれるのであります。
映画としても、総合的に見て、けっこう楽しめる内容だと思いますのでおすすめです。

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それはそれとして。
この「逆転裁判」という作品は、いろんな意味で時代の転換点を象徴していて、そういう意味でも、僕はとても重要な作品なんだと思っています。

だいたい、「裁判」というドライな仕組み自体が、日本人のウェットな心情とはそぐわないはずだったのです。20世紀までの日本であれば。

たとえば、それまでの「裁判」と言えば、遠山の金さんとか、大岡越前の「大岡裁き」とかが主流だったわけです。
「大岡裁き」なんてものは、母親が2人いて、「子供の親はどちらか?」という問題を、越前が「子供を両方から引け。そうすれば母親が分かる。」と言って引っ張らせ、手を離した方を「子供が痛がっているのを可哀想に思った」という理由で母親として認定するという話です。人情話と言えば言えるけれども、「いま、ここで引っ張らずにいたら、一生子供と一緒に暮らせない、それは嫌だ」と思ったら、たとえ子供が嫌がっても、強く引っ張る方が親だという解釈だって成り立つわけです。つまり、

●裁判官の心証次第

というのが、日本の司法制度だった、と言っても過言ではないのです。

しかし、証拠を中心にして、検察と弁護側が「攻める側」と「守る側」という立場を違えて論議を尽くすというのが、いまの日本で採用されている裁判制度の「本当のあり方」なわけですね。

この「本当のあり方」というのを、わかりやすく解説してくれて、何も分かっていない「大岡裁き」レベルの一般大衆に教えてくれたのが、この「逆転裁判」だったのだと僕は思っているわけです。

検察と弁護側で「異なる立場」を守るというのが、非常に重要で、少なくとも2つの複数の視点で物事を検証するという2重の仕組みがそこで守られるわけです。検事は被告を「有罪」と見て証拠固めをし、弁護側は被告を「無罪」と見て証拠の解釈を成立させる。これは「真実に近づくための役割分担」という事であって、別に検事が悪者で、弁護人が正義というわけではありません。当然、検事が正義で弁護士が悪なのでもない。同じ被告を「有罪という視点から見る」と言うことと、「無罪という視点から見る」という2重の見方を「必ず行う」というセーフティーネットとして機能させている、と言うことなのです。

この2方向からの見方を徹底させると言うことを、ある程度、誇張・強調して描いているのが、この「逆転裁判」で、「逆転」のタイトルが示す通り、本当に「もう有罪間違いなし」という状況から、証拠と証言の矛盾を突くという「解釈」だけで無罪を勝ち取るような大逆転の連続になるのが実に面白かったわけです。

●すべては、モノの見方次第。

なのであって、それを仕組みとしてパッケージ化してるのが「裁判」という洋風の制度なんだよ、というのが、実にわかりやすかったわけです。
それが「逆転裁判」というゲームの真骨頂でありました。
そういう裁判制度が持つシステムのあり方の「こころ」というか、考え方の根本をおもしろおかしく強調しながら教えてくれた啓蒙的作品だったと言っても良いと僕は考えていたのです。

実際、この数年で、日本の司法制度が、実は本質的にどこまで行っても「大岡裁き」しかやっていない、前近代的な仕組みでしかなかったんだということがフロッピーディスクデータ改ざん事件の前田検事などで明らかになってきましたし、(前田・大坪二人をトカゲの尻尾切りで済ませようとしてますが、本質は法務省のトップ連中が「大岡裁き」程度の発想しかないのは明白です。ああいうのは徹底糾弾しないといけない。)このゲームの中でも狩魔豪という「証拠のねつ造・隠蔽」検事が登場します。(ああ、ものすごいネタバレ。)

ゲームの中の狩魔のねつ造・隠蔽工作なんて、それこそ体を張った大変な隠蔽工作で、本来そこまでやらないと証拠の改ざんのしようがない、というのが「当然」なのに、フロッピー前田の低知能なねつ造のレベルの低さといい、あのフロッピー前田程度のお気楽改ざんが事件になってしまってるということは、現実としては証拠の厳格な保管なんてこと自体がないに等しいのだということが嫌でも透けて見えてきます。

ほんと、この「逆転裁判」のゲーム版をやった後で、フロッピー前田の事件記事を、読みなおして欲しいものです。いかに日本の司法システムがでたらめかつ、えーかげんかが、よーーーーーーーくわかるから。いやほんま。
もう、現実がマンガで、ゲーム内司法制度の方がまとも、というとんでもない状態に成り下がっているわけです。

結局、この欧米の検事側と弁護側で役割分担をして戦う裁判制度というものは、ディベートの仕組みそのものなのです。役割を分担して、違う角度から真実を追究するという仕組みは、別にケンカをしてるのではなくて、より幅広い見方をするための、最低限、最小限の「システム化」なわけです。

そりゃもちろん、検察と弁護というニ律対向という形だけでなく、3つの立場とか、4つ、5つの立場とか、より多くの立場からの見方があった方が良いわけですが、まずは最低限2つの見方を両方とも見る、という「保証」がなければならない、ということですね。たった二つ、ニ律対向を実現するだけでも、証拠遵守とか、ルールは数多くあるわけですから。

結局、「裁判官だけの心証判定」というのは、単に「単独の見方」でしかなく、そうしないための最小限のシステム「せめて2つの見方を徹底する」というのが近代的な裁判の仕組みであり、ディベートはそういう「多様な見方」をするための、入り口の入り口であると言えます。

はっきり言って2律対抗であるディベートの仕組みを受け入れられない人が3律、4律対向の考え方をするなんて事は絶対に無理なのでありまして、「AかBか2つに一つというのは乱暴だ」とか言う言い方をする人がいてますけど、「ならどうしたらいいの?」と聞いたときに、「心情を考える」とか、「細部の違いをすくい取る」とかなんとかごちゃごちゃ言うのですが、ようは複数の意見を採用せずに、「Aであると言ったらAなんだ」をごり押しする「単数の意見で押し切るやり方」が良いという、無茶苦茶な意見ばかりであることがほとんどなんですよね。ここが本当に困った事なんです。

つまり「多様な見方が必要だ」と言ってるように見えて、実は、昔ながらの「『大岡裁き』が良い=単数の見方(心証)が良い」ということしか言ってないバカが多いわけです。で、どうも日本の法務省のトップ自体が、そういうバカばかりらしい。やれやれだなぁ。ホントにどうにかして欲しい。

知ってる人は知ってると思いますが、ディベートは、論議するテーマを決めて基礎的資料を揃えたあと、「賛成」の側に回るか「反対」の側に回るかは決まってないんですよね。サイコロで決めたり、くじ引きで決めたりするんだそうです。
そんなもの、基礎資料をしっかり読み込んでテーマとなる議題への理解が深まっていれば、それこそ論理構築は賛成の側でも反対の側でも自由に言えなきゃダメなわけです。

実際僕もコピーライターですからよく分かりますが、昔コピーライターの募集で筆記試験があったところは、良く特定テーマに関する賛成意見と反対意見の両方のコピーを書け、というのを出しておりました。当然ですよね。そういう事をするのがコピーライティングの仕事なんですから。

だから、キチンと調べて勉強してる人は、賛成派に回っても、反対派に回っても強いのです。
ようは、どれだけ深く考えているか? こそが問われるわけですから。

そしていま、大衆が、より深く考えるように変わって来つつある、ということなんではないか? と僕は思います。

昨日も「逆転裁判」のレイトショーで入ったスクリーンが、思ったより座席数が多かったので「へぇー、こんな大きなスクリーンでやる映画やったんや!」と感心してしまったくらいでした。

日本はゆっくり変わりつつあるんだな、というのを感じましたね。

ともあれ、「逆転裁判」、なかなか面白い映画ではありました。

(追記:えー、ただし、「逆転裁判4」は、どうもシナリオを、あの巧さんが書いてないらしく、どーーーーーーーしようもない駄作です。まさに上記のような事がわかっていないままに書かれたっぽい。逆転裁判やるなら1,2,3だけで。4はやめましょう。ほんとに4はダメ。あれはあかん。ほんとにだめ。いやー、もう、ほんとにやめてくれ。)

コメント

きゃおる
2012年2月12日13:51

我が家的には、真宵ちゃんがアレなのはないわ~!と大ブーイングです。

シゲ
2012年2月13日8:21

>きゃおるさん
書込みありがとさん。ま、原作イメージ優先だと、そりゃブーイングは必須ですぜ。
それを言うなら、御剣→優男すぎ、糸鋸→イケメン過ぎだし、それより何より一般男子的希望としては、千尋→胸の露出少な過ぎなんてブーイングが確実に成立しますからなぁ。
まぁ、そのあたりは「小さな事だよ」と考えたいですね。全体のまとまり方は一級品だと思います。

きゃおる
2012年2月13日20:07

高校生たちからは
ぼくらの千尋さん返せーと悲鳴が上がっています。わはは。

シゲ
2012年2月14日10:41

>きゃおるさん
「いや、君らのもんと違うから。おっちゃんのんやから。」と、言い聞かせてやってください。
しかし、うちの嫁ですら「壇れい、胸ないで。」と冷たくあしらってましたからなぁ。もうちょっと別のキャスティングを検討しても良かったのかも知れないとは思いますな。
いや、そんでもシナリオが良かったから良しとする。
うむ。

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