福島原発周囲20km圏内を太陽電池発電プラントにすれば良いのだ。
2011年4月11日コメント (2)非常に高い放射能汚染水が出ているということは、おそらくメルトダウンはすでに起こっていて、原発問題に厳しい目を向けている京大原子炉実験所の小出裕章さんの推測によれば再臨界もありうる、というか、すでに臨界している可能性もある、という話。
このあたりのことは、大阪ローカルのラジオ放送などには普通に出ていて、街のおっちゃん連中が「水素爆発があるかも知らんな」という話を、昼飯の会話でやっているのです。
しかし、こういう事実を、おそらく東京の人たちは知らない。
なんでこうなるかというと、地震という災害が、どこまで行っても地域災害だからです。
この「地震が地域災害だ」という冷徹な事実を、実は、地震被害に遭った地域の人はよく知っているのです。関西の場合は阪神大震災があったから、みんな身に染みて分かっている。
震災から1週間とか2週間、あるいはひと月たった頃なんて言うのは、電車の線路も復活していなくて、日常で一緒に仕事をしていた人とすら「ちょっと会えないよなぁ」という感じで、まさに被害のまっただ中だったのに、東京の朝ナマとかでは、「復興したあとの経済は?」みたいな話しかしてなくて、その温度差に唖然としたくらいです。
また、その後、NHKで「阪神淡路大震災から5年」という特集番組があった時、関西の人間は、「当然全国放送だよな」と思っていたのですが、あにはからんや、関西だけのローカル放送でした。阪神間では、5年というと、友人知人を失った悲しみや、思い出の場所が新しい建物に変わってしまったような出来事を、どう受け止めていけばいいのかまだわからない、というような状況だったわけですが、そんなもの、東京や、それよりもっと遠いところからしたら、それこそどうでも良い話だったわけです。
当時は、「この温度差はなんだ!」と、ずいぶん腹も立ったのですが、いま東北関東大震災の状況を大阪という多少距離のあるところから見ていて思うのは、「ある意味、地域災害だから良かったのだよな。」という事です。
阪神大震災の時だって、東京という経済圏がしっかり日常を支えてくれていたから、阪神の復旧が進んだという面は大きかったでしょうし、今回の状況も関西・大阪が冷徹に物事を見れるから良いのだというところはあると思います。
上記の小出さんの話にしても、関西は原発の被害を直接には受けないからこそラジオ放送では厳しい見方も冷静に受け止められるというところはあると思います。
そういう意味で行くと、もっと厳しい見方をしている広瀬隆さんの話なんかは、少なくとも僕はこと「日本は地震頻発地域である」「今後は地震の活動期に入っていくのである」という意見は重く見るべきだと思いますので、
●他国の動向とは関係なく、地震国家日本では原発はストップさせる。
というのが正しいと思います。
だから、現実問題、もうすでに我々日本人には「原発で電気を供給していく生活」というのは成立しなくなっている、と考えた方が良いと、関西に住む僕は思います。
が、しかし。
すでに情報統制に入ってしまっていると言っても過言ではない東京以北では、この「もう原発では無理だわな」という感覚、というか意見が、いまいち分かっていないのだろうな、と思うのです。
福島の後も、オバマは「原発推進」を叫んでいたし、フランスだって電気の75%以上を原発でまかない、ヨーロッパ各国に売電しているわけですから、原発推進の立場を崩しはしません。
また、またもや都知事におさまってしまった石原都知事あたりも「復興のためには電力が必要で、原発というものも、うんたらかんたら」と、ある程度は使っていくしかないと言うことを言ってたりする。
で、どれも別に間違ってはいないと思うのですが、それでもやっぱり、「もう原発はダメ」なんですね。少なくとも地震活動期に入った日本では無理。国土の狭い日本では無理なんです。
中国の地盤が岩盤で地震が起こらないというようなところに原発を建てて、そこからの電気を買うというのは有りでしょうけど、国内に原発は、もう国民感情として成立しないでしょう。
東京は、いまだ災害のさなかで、冷静に考えられる人も少ないし、たとえば斉藤和義が原発に関する正直な感想を歌った「みんなウソだったんだぜ」をyoutubeに流しても、いきものがかりの水野君がそれを「とてもいや」と表明するとか、とても感情的でとりとめもない話に終始してます。
でも、そういう事柄もひっくるめて、大阪から東京を見ていると「ああ、いま、まさにパニックの最中なんだなぁ」というのを冷徹に感じ取るという事でしかないわけですね。
斉藤和義の気持ちはとても素直な気持ちだと思うし、水野君が言ってる事も、そりゃそうだわねと思う。震災前にああいう歌を歌ってたんなら、反発も出なかったんだろうけど、でも、まさに事故が起きてしまったから腹が立つというのも当然の話ですよ。どっちが悪いということもないです。
で、一つ前の日記で原発に関する情報統制が起きているというような事を書きましたけど、ここの日記をずっと読んでくださっている方ならわかると思いますが、僕は別に「原発に関してだけ情報統制が行われている」と言ってるわけではないのですね。まえからずっと、いろんな問題に対して情報統制が行われていて、それが日本をかなり悪くしているという話をしてるわけです。
だから問題点は日本のマスメディアが独自取材をして、それを経営層が「ダメだ」と言っても放送するような「編集権の独立」がされていないのが問題なのだ、という根本問題に話しをシフトしておきたいと思うわけです。
この部分こそは、「地域の問題」ではなくて「全国民の問題」だからです。
この「地域の問題ではなく全国民の問題なのだ」という問いの立て方をしない話には、僕はあまり乗りたいとは思わないのですよ。
で、この話は「全国民=日本人」の話だから、オバマやフランスの政府がどうしたというのも関係ないわけですね。
だって世界の国家すべてが「地震多発地域」であるわけではないのですから。
でも日本は「地震多発地域」であり、少なくともこの国では、もう原発は無理なんですよ。
このあたりは、元原発の設計者であった大前研一さんの見通しが優れていると思うのです。スリーマイルを起こした後、アメリカは海外に原発を売るということ自体ができなくなったわけです。だから日本の原発産業も、もう国際競争力はなくなったと見るべきなんでしょう。
実際、日本の原発においては、もともと地域住民の反対が強く、土地の取得自体に大変な手間がかかります。福島にあれだけ原子炉が密集して建っていたのも、他に受け入れてくれるところがなかったからです。使用済み燃料が何千本も仮置きされていたのも、中間処理施設の土地取得ができなかったからです。もともと無理があったんです。
それが、この事故で「失敗は起こりうる」と全国ではっきりわかったのだから、もう日本中どこっへ行っても、どんな施設の土地取得は無理でしょう。原子力発電の運用自体もかなり条件付きでない限りは難しいと思います。
僕自身は経済活動も維持しつつ原発は全廃炉と思ってますが、それは数年から10年くらいのスパンを想定していて、どうしても無理だったら、夏のピークの時だけは1ヶ月くらいは動かしてもいいよ、という程度です。
(基本、原発は動かさなくても休眠している火力発電所を稼働させれば、ほとんどの電力はまかなえると思います。足りないのは夏のピークだけです。そこは多様な電気のミックスでやっていくべきでしょう。)
こまかい話は抜きますが、必要電力6000万キロワット/時でしたか?という「必要電力」の数値は、あくまで発電所の発電能力の積算です。
しかし「発電所からの電力供給」というのは、電線による熱放出ロスが40%はあるわけですから、真の利用者側の必要電力は、せいぜい4000万キロワット/時くらいのはずです。
これは、先の日記でも書きましたが、送電ロスが少ないコジェネや太陽電池を組み合わせてやれば、カバーできなくもない数値なんじゃないか?と僕は思ってます。専門家じゃないのでわかりませんけど、単純に考えても太陽電池システムは「売電」が導入メリットのひとつに掲げられております。つまり家一軒分以上の発電ができる、ということです。
ということは、東京電力側から見た「節電効果」は恐ろしく高いのですよ。
しかも、太陽電池は弱点として「年中電力が充分にまかなえるわけではない」と言うことを言われるわけですが、それは裏返して言うと「夏場の電力は充分にまかなえる」と言う事なんですね。
ということは、ピークカット効果がものすごく高いってことになる。
そうでしょ? 冷房をガンガンに回す時って、まさに太陽がガンガンに照りつけてるわけですから。太陽電池はフル稼働で使えます。「蓄電できない」というデメリットも、夏の暑い日には何の関係もないんです。
もちろん、太陽電池がもっとも効率的なのは昼の12時で、もっとも体感温度があがるのは昼2時前後というズレはあるんですけど、このあたりは氷を作って蓄熱するとかのシステムで充分に対応可能なわけです。
で、僕が言いたい「マスコミがダメ」というのは、こういう「太陽電池の原子力に取って代わることが出来る可能性」というのを、東電に遠慮して流さない、ということを言うのです。
だって、太陽電池システムがバンバンできるということは、東電から電気を買わないでも良い、ということですから。だからそこをバンバンにテレビで取り上げることははばかられるわけですよ。これはもう、どうしてもそうなってしまう。
ちょっと考えれば分かるのですが、既存のエネルギー供給体制の側は、資金も潤沢ですから、原発の良さであるとか、安全対策であるとか、そっちにはカネを使いますが、自分が儲けを失うことになる太陽発電にカネをかけて宣伝することはないわけです。
せいぜいシャープが太陽電池を訴えるくらいしか勢力がない。
なので、太陽電池には未来がないかのようなイメージが蔓延してるんですね。でも、いろいろ調べていくと、太陽電池というのは欠点も多いわけですけれども、「夏場の暑い時期に電気が足りなくなる可能性」に対して、もっとも効果的な「対処療法」としての能力は高いとしか、僕には思えないわけです。
もちろん、価格が高いと言う問題があるにはあるんですが、これはすでにドイツがフィードインタリフという「太陽電池の開発コストを、従来発電システムだけに頼っている家庭の電気代に上乗せする価格体系」の導入で解決できることがわかってるわけですよ。前例がすでにある。残ってるのは政治的決断だけです。
だから、東電を配電・送電・発電の3社分割にして、配電会社ではフィードインタリフで太陽発電推進をさせ、ガスタービンとかのコジェネなども導入するようにすればエネルギー問題は、当面はそれほど心配する必要はないはずだと僕は思います。
原子力が電気の30%を担ってる、というのも休眠させている火力発電所の発電能力は入れない計算ですからね。原発が担っていた部分は20%とか15%とかだったかも知れないわけです。このあたりも「電気生産コストに対して8%の利益しか取れないという縛りがあるから、原子炉のような大規模発電所を作った方が利益が大きくなる」という電力会社が元々持っている根本問題から出てくる話ですし。
で、大事なのは、上記で示した斉藤和義と水野君の考え方、行動の仕方の違い、というのも、こういう「いままでとは違う、別の見方」の提示が欠けていたが故の問題なのだということなのですよ。
「こっちの方のやりかたでうまくいくかもよ」というのがあれば、希望がありますから、どうなんだ? と考える余裕も出てくる。
まぁ、いま東京に住む人達は、たとえば放射線量などの「地域情報」に右往左往しているような状態ですから、そこまで客観的な見方をする余裕はないのでしょうけど、大きく考えるなら、そういう方向にしかならないと僕は思います。
でも、こういう「国難」の時に大事なのは、国民が一致団結できるテーマをキチンと見据えることだと思うわけです。「地域情報」にまどわされてはいけないのですね。
そういう事をつらつら考えていたら、ふと思いついたのが福島原発の周囲の土地の事です。プルトニウムの半減期は24000年ですし、あの炉は、まだまだ、何年もあのままか、多少はマシにはなっても、おそらく半径10キロ20キロは人の住める地域にはならないと思われます。
(実際にはそれほど線量は高くない事も多いようですけれど。)
であるなら、この災害を奇禍として、失われてしまった国土を、よりよく活かすためにも、使用済み燃料の中間処理施設と、大規模な太陽電池発電プラントを、あの土地に作ったらどうなのか?と僕は思います。
太陽電池は日本では土地がないから無理だとかいいますが、福島の原発周辺なら大丈夫でしょう。で、そこでの売電収入を福島にプレゼントしてあげればいい。非難した人たちの生活資金に転化していけばいい。
これも、福島から何百キロも離れていて、生まれた土地を捨てる辛さに想いが至らない関西人だからこその発想だと思ってるんです。
でも、たぶんこれだけの国難を乗り越えると言うことは、そういう立場の違いをそのまま活かして一致団結するということだと思うんですよね。
別に、誰かが悪いと責めても意味も進展もあれへんし意味ないやん。斉藤和義も水野君も、別に悪いことも何もないと思う。素直に普通の日本人をやってるだけのことでしょう。
重要なのは、いま、自分がおかれた状況で、知っておいたら得になる情報を見過ごしているのではないか?という視点です。
それを補うには、マスメディアはあまりに制限が多すぎ、欠点が多すぎるメディアです。
マスメディアでは必要な情報を得ることができない。ということを、多くの日本人が知って欲しいと僕は思います。
このあたりのことは、大阪ローカルのラジオ放送などには普通に出ていて、街のおっちゃん連中が「水素爆発があるかも知らんな」という話を、昼飯の会話でやっているのです。
しかし、こういう事実を、おそらく東京の人たちは知らない。
なんでこうなるかというと、地震という災害が、どこまで行っても地域災害だからです。
この「地震が地域災害だ」という冷徹な事実を、実は、地震被害に遭った地域の人はよく知っているのです。関西の場合は阪神大震災があったから、みんな身に染みて分かっている。
震災から1週間とか2週間、あるいはひと月たった頃なんて言うのは、電車の線路も復活していなくて、日常で一緒に仕事をしていた人とすら「ちょっと会えないよなぁ」という感じで、まさに被害のまっただ中だったのに、東京の朝ナマとかでは、「復興したあとの経済は?」みたいな話しかしてなくて、その温度差に唖然としたくらいです。
また、その後、NHKで「阪神淡路大震災から5年」という特集番組があった時、関西の人間は、「当然全国放送だよな」と思っていたのですが、あにはからんや、関西だけのローカル放送でした。阪神間では、5年というと、友人知人を失った悲しみや、思い出の場所が新しい建物に変わってしまったような出来事を、どう受け止めていけばいいのかまだわからない、というような状況だったわけですが、そんなもの、東京や、それよりもっと遠いところからしたら、それこそどうでも良い話だったわけです。
当時は、「この温度差はなんだ!」と、ずいぶん腹も立ったのですが、いま東北関東大震災の状況を大阪という多少距離のあるところから見ていて思うのは、「ある意味、地域災害だから良かったのだよな。」という事です。
阪神大震災の時だって、東京という経済圏がしっかり日常を支えてくれていたから、阪神の復旧が進んだという面は大きかったでしょうし、今回の状況も関西・大阪が冷徹に物事を見れるから良いのだというところはあると思います。
上記の小出さんの話にしても、関西は原発の被害を直接には受けないからこそラジオ放送では厳しい見方も冷静に受け止められるというところはあると思います。
そういう意味で行くと、もっと厳しい見方をしている広瀬隆さんの話なんかは、少なくとも僕はこと「日本は地震頻発地域である」「今後は地震の活動期に入っていくのである」という意見は重く見るべきだと思いますので、
●他国の動向とは関係なく、地震国家日本では原発はストップさせる。
というのが正しいと思います。
だから、現実問題、もうすでに我々日本人には「原発で電気を供給していく生活」というのは成立しなくなっている、と考えた方が良いと、関西に住む僕は思います。
が、しかし。
すでに情報統制に入ってしまっていると言っても過言ではない東京以北では、この「もう原発では無理だわな」という感覚、というか意見が、いまいち分かっていないのだろうな、と思うのです。
福島の後も、オバマは「原発推進」を叫んでいたし、フランスだって電気の75%以上を原発でまかない、ヨーロッパ各国に売電しているわけですから、原発推進の立場を崩しはしません。
また、またもや都知事におさまってしまった石原都知事あたりも「復興のためには電力が必要で、原発というものも、うんたらかんたら」と、ある程度は使っていくしかないと言うことを言ってたりする。
で、どれも別に間違ってはいないと思うのですが、それでもやっぱり、「もう原発はダメ」なんですね。少なくとも地震活動期に入った日本では無理。国土の狭い日本では無理なんです。
中国の地盤が岩盤で地震が起こらないというようなところに原発を建てて、そこからの電気を買うというのは有りでしょうけど、国内に原発は、もう国民感情として成立しないでしょう。
東京は、いまだ災害のさなかで、冷静に考えられる人も少ないし、たとえば斉藤和義が原発に関する正直な感想を歌った「みんなウソだったんだぜ」をyoutubeに流しても、いきものがかりの水野君がそれを「とてもいや」と表明するとか、とても感情的でとりとめもない話に終始してます。
でも、そういう事柄もひっくるめて、大阪から東京を見ていると「ああ、いま、まさにパニックの最中なんだなぁ」というのを冷徹に感じ取るという事でしかないわけですね。
斉藤和義の気持ちはとても素直な気持ちだと思うし、水野君が言ってる事も、そりゃそうだわねと思う。震災前にああいう歌を歌ってたんなら、反発も出なかったんだろうけど、でも、まさに事故が起きてしまったから腹が立つというのも当然の話ですよ。どっちが悪いということもないです。
で、一つ前の日記で原発に関する情報統制が起きているというような事を書きましたけど、ここの日記をずっと読んでくださっている方ならわかると思いますが、僕は別に「原発に関してだけ情報統制が行われている」と言ってるわけではないのですね。まえからずっと、いろんな問題に対して情報統制が行われていて、それが日本をかなり悪くしているという話をしてるわけです。
だから問題点は日本のマスメディアが独自取材をして、それを経営層が「ダメだ」と言っても放送するような「編集権の独立」がされていないのが問題なのだ、という根本問題に話しをシフトしておきたいと思うわけです。
この部分こそは、「地域の問題」ではなくて「全国民の問題」だからです。
この「地域の問題ではなく全国民の問題なのだ」という問いの立て方をしない話には、僕はあまり乗りたいとは思わないのですよ。
で、この話は「全国民=日本人」の話だから、オバマやフランスの政府がどうしたというのも関係ないわけですね。
だって世界の国家すべてが「地震多発地域」であるわけではないのですから。
でも日本は「地震多発地域」であり、少なくともこの国では、もう原発は無理なんですよ。
このあたりは、元原発の設計者であった大前研一さんの見通しが優れていると思うのです。スリーマイルを起こした後、アメリカは海外に原発を売るということ自体ができなくなったわけです。だから日本の原発産業も、もう国際競争力はなくなったと見るべきなんでしょう。
実際、日本の原発においては、もともと地域住民の反対が強く、土地の取得自体に大変な手間がかかります。福島にあれだけ原子炉が密集して建っていたのも、他に受け入れてくれるところがなかったからです。使用済み燃料が何千本も仮置きされていたのも、中間処理施設の土地取得ができなかったからです。もともと無理があったんです。
それが、この事故で「失敗は起こりうる」と全国ではっきりわかったのだから、もう日本中どこっへ行っても、どんな施設の土地取得は無理でしょう。原子力発電の運用自体もかなり条件付きでない限りは難しいと思います。
僕自身は経済活動も維持しつつ原発は全廃炉と思ってますが、それは数年から10年くらいのスパンを想定していて、どうしても無理だったら、夏のピークの時だけは1ヶ月くらいは動かしてもいいよ、という程度です。
(基本、原発は動かさなくても休眠している火力発電所を稼働させれば、ほとんどの電力はまかなえると思います。足りないのは夏のピークだけです。そこは多様な電気のミックスでやっていくべきでしょう。)
こまかい話は抜きますが、必要電力6000万キロワット/時でしたか?という「必要電力」の数値は、あくまで発電所の発電能力の積算です。
しかし「発電所からの電力供給」というのは、電線による熱放出ロスが40%はあるわけですから、真の利用者側の必要電力は、せいぜい4000万キロワット/時くらいのはずです。
これは、先の日記でも書きましたが、送電ロスが少ないコジェネや太陽電池を組み合わせてやれば、カバーできなくもない数値なんじゃないか?と僕は思ってます。専門家じゃないのでわかりませんけど、単純に考えても太陽電池システムは「売電」が導入メリットのひとつに掲げられております。つまり家一軒分以上の発電ができる、ということです。
ということは、東京電力側から見た「節電効果」は恐ろしく高いのですよ。
しかも、太陽電池は弱点として「年中電力が充分にまかなえるわけではない」と言うことを言われるわけですが、それは裏返して言うと「夏場の電力は充分にまかなえる」と言う事なんですね。
ということは、ピークカット効果がものすごく高いってことになる。
そうでしょ? 冷房をガンガンに回す時って、まさに太陽がガンガンに照りつけてるわけですから。太陽電池はフル稼働で使えます。「蓄電できない」というデメリットも、夏の暑い日には何の関係もないんです。
もちろん、太陽電池がもっとも効率的なのは昼の12時で、もっとも体感温度があがるのは昼2時前後というズレはあるんですけど、このあたりは氷を作って蓄熱するとかのシステムで充分に対応可能なわけです。
で、僕が言いたい「マスコミがダメ」というのは、こういう「太陽電池の原子力に取って代わることが出来る可能性」というのを、東電に遠慮して流さない、ということを言うのです。
だって、太陽電池システムがバンバンできるということは、東電から電気を買わないでも良い、ということですから。だからそこをバンバンにテレビで取り上げることははばかられるわけですよ。これはもう、どうしてもそうなってしまう。
ちょっと考えれば分かるのですが、既存のエネルギー供給体制の側は、資金も潤沢ですから、原発の良さであるとか、安全対策であるとか、そっちにはカネを使いますが、自分が儲けを失うことになる太陽発電にカネをかけて宣伝することはないわけです。
せいぜいシャープが太陽電池を訴えるくらいしか勢力がない。
なので、太陽電池には未来がないかのようなイメージが蔓延してるんですね。でも、いろいろ調べていくと、太陽電池というのは欠点も多いわけですけれども、「夏場の暑い時期に電気が足りなくなる可能性」に対して、もっとも効果的な「対処療法」としての能力は高いとしか、僕には思えないわけです。
もちろん、価格が高いと言う問題があるにはあるんですが、これはすでにドイツがフィードインタリフという「太陽電池の開発コストを、従来発電システムだけに頼っている家庭の電気代に上乗せする価格体系」の導入で解決できることがわかってるわけですよ。前例がすでにある。残ってるのは政治的決断だけです。
だから、東電を配電・送電・発電の3社分割にして、配電会社ではフィードインタリフで太陽発電推進をさせ、ガスタービンとかのコジェネなども導入するようにすればエネルギー問題は、当面はそれほど心配する必要はないはずだと僕は思います。
原子力が電気の30%を担ってる、というのも休眠させている火力発電所の発電能力は入れない計算ですからね。原発が担っていた部分は20%とか15%とかだったかも知れないわけです。このあたりも「電気生産コストに対して8%の利益しか取れないという縛りがあるから、原子炉のような大規模発電所を作った方が利益が大きくなる」という電力会社が元々持っている根本問題から出てくる話ですし。
で、大事なのは、上記で示した斉藤和義と水野君の考え方、行動の仕方の違い、というのも、こういう「いままでとは違う、別の見方」の提示が欠けていたが故の問題なのだということなのですよ。
「こっちの方のやりかたでうまくいくかもよ」というのがあれば、希望がありますから、どうなんだ? と考える余裕も出てくる。
まぁ、いま東京に住む人達は、たとえば放射線量などの「地域情報」に右往左往しているような状態ですから、そこまで客観的な見方をする余裕はないのでしょうけど、大きく考えるなら、そういう方向にしかならないと僕は思います。
でも、こういう「国難」の時に大事なのは、国民が一致団結できるテーマをキチンと見据えることだと思うわけです。「地域情報」にまどわされてはいけないのですね。
そういう事をつらつら考えていたら、ふと思いついたのが福島原発の周囲の土地の事です。プルトニウムの半減期は24000年ですし、あの炉は、まだまだ、何年もあのままか、多少はマシにはなっても、おそらく半径10キロ20キロは人の住める地域にはならないと思われます。
(実際にはそれほど線量は高くない事も多いようですけれど。)
であるなら、この災害を奇禍として、失われてしまった国土を、よりよく活かすためにも、使用済み燃料の中間処理施設と、大規模な太陽電池発電プラントを、あの土地に作ったらどうなのか?と僕は思います。
太陽電池は日本では土地がないから無理だとかいいますが、福島の原発周辺なら大丈夫でしょう。で、そこでの売電収入を福島にプレゼントしてあげればいい。非難した人たちの生活資金に転化していけばいい。
これも、福島から何百キロも離れていて、生まれた土地を捨てる辛さに想いが至らない関西人だからこその発想だと思ってるんです。
でも、たぶんこれだけの国難を乗り越えると言うことは、そういう立場の違いをそのまま活かして一致団結するということだと思うんですよね。
別に、誰かが悪いと責めても意味も進展もあれへんし意味ないやん。斉藤和義も水野君も、別に悪いことも何もないと思う。素直に普通の日本人をやってるだけのことでしょう。
重要なのは、いま、自分がおかれた状況で、知っておいたら得になる情報を見過ごしているのではないか?という視点です。
それを補うには、マスメディアはあまりに制限が多すぎ、欠点が多すぎるメディアです。
マスメディアでは必要な情報を得ることができない。ということを、多くの日本人が知って欲しいと僕は思います。
コメント
わざわざ、ごあいさついただきありがとうございます。日記少し読ませていただきました。いろいろ感じ入るところがありました。反省する、ということは本当に難しいですね。
これからもよろしくお願いいたします。