先日から、続けていくつか書いてきた事が、全部、結局は「台風を撲滅しよう!」というような考え方に対するNOの表明だったのだなぁというのを、自分で納得する出来事が、先日ありました。

小学校時代から、えんえん腐れ縁の続いている友人がおるのですが、その男と例のごとく飲みに行ったわけですよ。
で、その時の会話。

友「俺は、ケータイに届く迷惑メールが嫌いでなぁ。」

私「はぁ? 好きな奴なんかおらんやろ。」

友「いや、送信してる奴らを刺したいくらいに嫌いなんや。憎い。」

私「まぁ、腹は立つけど、そこまで怒らんでもええやろ。」

友「いや、腹立つ。なんとかならんのか、これ。居場所特定できたら殺しに行く。」

私「おいおい、ぶっそうやな。」

友「いや、そのくらいムカつくっちゅう事や。」

私「まぁ、腹は立つけどな、そういう下らん事に腹を立てる事自体が大きなムダやで。怒るの自体を、やめときなはれ。」

友「いや、どうにかせんと、腹の虫がおさまらん。ケータイが鳴るたびにイラっと来るわ。あー、腹が立つ。」

私「いや、そやから、そんなに腹立てるから、よけいにイライラするんやがな。イライラする事自体が損やろが。そういうのは、何も考えずに淡々と消す。気にせず消す。慣れてきたら、他の事考えながらでも消せるようになるで。そういう対処法が一番やで。」

友「そんな事出来るかぁ! 消してる間にどんどん腹立ってくるがな。」

私「えー? そんなに腹立つか? でも、ほんま、そういう具合に腹を立てる事自体が一番ムダやねんって。そんなもんな、『台風を撲滅しよう』と言うのと一緒やで。腹立てようがどうしようが、大量にメールを送信するソフトとか技術が世の中にあるんやし、一定数の悪徳業者も今後もずっといてるやろし、どうしたって出てくるよ。」

友「いや、それでも許せんのや。殺してやりたいくらい憎い。憎いんや、俺は。(ちょっと怒り口調)」

私「いや、やめとけってそれ。ムダやから。ムダ。まず、その怒りを消せって。ほんまにムダやから。台風に『うっとおしい!』と怒っても意味ないやろ。それと一緒や。(私は叱り口調)」

友「何言うてんねん、こいつら、実際におるんやぞ。腹立つやんけ。死んだらええんじゃ。ボケが。(かなり怒りモード)」

私「いや、いや、そやから、怒る方がムダやねんって、それは。わからんやっちゃな。怒るなっ!(かなり怒りモード)」

友「なんでやねん! ええか、まぁ聞けよ。俺の携帯は、一定数メールが届いたら、昔のメールが消える設定になってるねん。ところがや。この迷惑メールが届くとやな、昔のメールが想定以上に消えてしもて、後で確認しようと思っても確認でけへんとかになるんやで。そんなもん許せるかぁ。そやろが!(怒って当然やろ、どや!という口調。)」

私「…なんじゃい。そんな事か。それは君が悪いだけやないか。」

友「は?」

私「君が悪いっちゅうてんの。」

友「なんで俺が悪いねん。」

私「当たり前やろが。そんなもん、昔のメールを残しときたかったら、ケータイメールのバックアップソフトとか売ってるから買ってきて残しといたらしまいやがな。それだけの事やろ。」

友「うーん。」

私「そんなもんな、迷惑メールに腹立ててるヒマがあったら、昔のメールをパソコンのハードディスクにでも保存しといたらしまいやがな。台風が来る前にベランダの植木を部屋の中に入れとくのと一緒。それをやってない君が悪い。」

友「うーむ。」

私「そういうな、いつまでもどこまでも、解決のつかない問題に対して、ただ怒り続けてるだけやから、実際に解決できる現実的な対処の方法を見逃してしまうんよ。ちゅうかね、だいたい、ようは、自分がやるべき事をやってないからこそ、そういう怒りが出てくるわけよ。『バックアップとっとかなあかんかな?』と思いつつ取ってない。その不安を、そのまま現実に『消失』につなげさせるのが迷惑メールで、不安を的中させられた、だから腹が立つっちゅう事なわけでしょ。違うか?そういう事でしかないねんで、それは。原因は迷惑メールではなくて、君の対処の不手際・サボリが原因やがな、そんなもん。ようは、そういうウジウジした思いが君にあるっちゅう事や。そんなもんな、一般論で言うなら、バックアップ取ってない方が悪いというだけの事やねんで。」

友「うーん」

私「で、もひとつ言うならや。その『自動的に消える設定にしておきながら、消えると腹が立つ』というのは、もともと矛盾してる事であって、それは君自身が、ケータイメールの履歴に対して、特定の中途半端な思いや問題点があるからに決まってるんや。で、それは、君と○○さんとの関係が…(以下自主規制:笑)」

というような話があったわけでありまして。
まぁ、ここから先は、いろいろ大人の事情がからんだ、いろんな話が展開されたので、そこはオフレコにしておきますけど、これ、ようは、先の「運用」の話とまったく同じであります。

このあたり、

そうか「運用の問題なんだよ」と言えば良かったのか。
http://diarynote.jp/d/12917/20080822.html

で書いた話と同じですわね。「迷惑メール送付業者を殺したい」というのと、「ウィルス対策ソフトをみんなが導入しなければウィルスが撲滅できない」というのとは、まったく同じ発想ですわ。まさに「台風撲滅コンセプト」。まーーったく意味なんぞおまへん。無意味。ムダ。

で、結局は「運用システムが不備」「バックアップを取っていない」などの自分の側のサボリの問題を直視していないって事なわけですよ。要は。
で、なんでそれが直視できてないかというと、「消したくないのに消せるようにしたままである」という状態自体に、何らかのコンプレックスが潜んでいるという事なわけです。でも、それは個別別個の問題なので、どうのこうの言えないんですけど。

そのあたりは、自分で線引きしてくれっちゅう話ですわな。必要なデータはバックアップを取る。不要なものは削除するなり、「消えてもかまわん」と自分で決める。そんなもん覚悟の問題だけです。「このあたりのデータは消えても別にかまわんわ。」と確認しとくだけでオーケー。そういうことな訳ですよ。でも、そういう事をしてないから迷惑メールやウィルスに異様に腹が立つわけで。
まぁ、子供っちゅうかなんちゅうか、そういう事でしかないのです。

でも、世の中、そういう本質を考えない人が多いわけで、「台風撲滅コンセプト」の最たるものが、「反戦運動」なんだろうと思うのです。それが、このあいだ書いた、

私は反戦運動には参加しません。
http://diarynote.jp/d/12917/20080815.html

の話でしてね。

反戦運動は平和運動ではありませんからな。いくら反戦運動に参加しても、世の中の平和は1グラムも増えないし、1ミリだって動かない。
平和を作るためには、目の前の飢えてる人に施しをしてあげないと意味がない。家族のひとりひとりの個性を暖かく見守らなければ意味がない、とまぁ、マザーテレサはおっしゃる、というか、説く以前に、「即実践」されてるわけです。

この「即実践」ってのが偉いなぁって思うんですよ。僕も「反戦!って叫んでる奴はムダな事をしてるだけや!」と言う事を書いてるわけですが、それを書いてるヒマがあったら、もっと世の中の平和が生まれる何かを考えて、それを書いた方がマシなわけですわ。僕自身のバックアップの取り方の方法とかを伝えるとかね。その方が意義は大きい。

ただ、そういうバックアップの取り方を伝えても「台風撲滅コンセプト」が正しい考え方なのだと勘違いし続けてる人には、全然通じないって事になるのが、とても迷惑なわけです。「そんな事してても、台風は撲滅でけへんやんけ!」とか言うのです。やれやれ。ι(´Д`)υ

その台風撲滅コンセプトの最たるものが、冒頭の友人との会話なのでありますよ。実にわかりやすい。

そういう迷惑メールや、ウィルス問題が、台風レベルの事柄であるかどうかとかは、冷静になって見てみりゃわかるやろうにと思うのですが、たとえば、何らかのコンプレックスとかを持ってる人だと、その「冷静に見る」と言うことができてなかったりするわけで、そうなると自分の心を見るという作業をしてもらうしかない、ほっとくしかないってことになるのですな。

そのあたり、「台風撲滅コンセプト」が世界的に膨張しまくりまくって、止めようがなくなっている状態なのが「地球温暖化対策」の話ですね。いまやほとんど「地球温暖化ヒステリー」になってますな。で、それを「それはおかしい」と水をかけてくれてるのが、

エコほど怪しい主張はない。
http://diarynote.jp/d/12917/20080729.html

で紹介した、武田邦彦さんの「偽善エコロジー」なわけです。

偽善エコロジー
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980808/503-1393334-5299133

精神的なコンプレックスやヒステリー状態が全地球規模で広がっちゃってるってことなんだと思うんですよね。

だいたい、台風なんて撲滅できんわけでね。地球の温暖化も一緒でしょう。でもそういう「よくない状況」を「撲滅したい」「撲滅できる」と考える事自体がすでに病気なんだよ、という事が省みられていないように思えます。
冷静に科学的に考えてる人よりは、明らかにヒステリーだ、という人の方が多い。排出権という政治的な道具までできたことで炭素税やら炭素投資なんてものができて証券化されてるので、「新幹線に乗ったらエコです。」とかの本末転倒なキャンペーンまで誕生してたりする。新幹線に乗ったら、売り上げをそういうエコ証券を買うのに使うとか、そういう仕組みなんでしょう。詳しくは知らんけど。なんかそういうのっておかしくない? それより「新幹線に乗らずに済ます」方が環境には良いって。それはやっぱり。本質的論議としては。

で、やっぱり、ここには多分、なんらかのコンプレックスがあるって事なんだと思うのですよ。上記の私の友人が「自動的に消える設定をしているのに消えたら怒る」という矛盾を持ってたのと同じ、何らかのコンプレックスをみんなが持ってるって事です。
そういう「台風撲滅コンセプト」を声高に叫ぶ人は、基本的にそういう人でしょう。
ようは、台風を悪者にしておけば、自分のサボリや問題点などの「悪さ」を直視せずに済むって事なんですね。で、その後ろめたさが多少なりとも自覚できてるからこそ、「台風」を必要以上に悪者にしなければならなくなるし、「撲滅」までエスカレートするわけです。

-----------------------------------------
●撲滅できないものを悪者に仕立て上げれば、
永遠に真の問題点である
「自分の心」と向き合わなくても済む。
-----------------------------------------

からなんですね。要は。そこまで逃げんでもええやろと思うのですが。(笑)

結局、この間の「運用」の話に出てきた私の仕事上のお知り合いの方の、

「そういう人に限ってWinnyとか入れてるしねぇ」

というのと同じです。問題点が自分の中にあるからこそ、誰かを「悪者」に仕立て上げなければ済まなくなっちゃうわけです。

ああ、やれやれι(´Д`)υ。

ほんとに、やれやれι(´Д`)υだよねぇ。もう。

困った事だ。

で、こういう人は、そういう具合に「台風を悪者に仕立て上げる」という事をしてるから、永遠に「自分が悪者である」部分に気付かないわけです。
ちゅうか気付きたくないんやろうけど。

それはつまり結局、心の問題なんですね。

だから、最終的に行き着くところは「アダルトチルドレン」の話になっちゃうわけですよ。

ウィルス対策ソフトの話そのものは「それは運用の問題なんですよ」で話は終わってしまう。台風の話なら「台風撲滅とか言うても意味ないでしょ?」って事にもなる。

でも、「自分の心を見たくない」「誰かを悪者にしておかないと心の安静が得られない」というのはシステム運用の問題でもなければ、災害対策や環境問題の話でもないわけです。ようはコンプレックスやトラウマなど、心の問題を、その人が抱えている、というのが問題なわけであって、それを振りかざして話をしても意味など、まったくないわけですよ。

「まず先に、自分の心に問題があることを認めなさいよ。」って話でしてねぇ。

だからアダルトチルドレンの問題が重要なんですよ。心の溝掃除をしてないと気持ちが流れないのでありますよ。

という事で、アダルトチルドレンの話なら、

やっぱりどうしてもウォイティツ
http://diarynote.jp/d/12917/20060225.html

とか、さんざん書いてるので、今日はもうしませんけど。

「だめんずうぉーかー」とか、本当に「親子関係のつまづきで物事のとらえ方に歪みがおきやすい人」って言うのは、ものすごく多いよなぁって思う。いやほんとに。

まず、その心の問題がピラミッドの底辺なので、そこがグラついてたら、すべてのモノの見方が歪んじゃうよなぁって話であります。
事実を見たがらないのが、この手の病気だから。

まぁエコの話題とか見てると、ほんまにみんな病気やもんなぁ。
みーーーーんな「台風撲滅コンセプト」で動いてるし。

いやー、困った事だ。

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