椿三十郎は映画業界の古典落語か。
2007年12月30日 映画
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000M2DJHC/glfclb-22/ref=nosim
黒沢明の名作「椿三十郎」のリメイク。織田裕二版、森田芳光監督作品を一週間ほど前に見て参りました。
で、感想なんですけど、それがこの一週間くらいで大分変っちゃったんですねぇ。
見てすぐ後は「うーむ、悪くないけど、やっぱり織田裕二では辛い。」という印象だったんです。ラストシーンの室戸半兵衛(豊川悦司)との、あの対決も違うし。(かなり大きく違います。内容は内緒。)
でも、日を追うごとに、「いや、けっこう織田君、良かったかも。」となってきまして、ネットでの評判とかも見てみると、昔の三船・黒沢版を知らない若い世代が純粋に「面白かった」と言ってるのを見て「ああ、死んだ人と比べてる僕が間違ってました。」という意見に大きく変ったのでありました。
ネットの評価で「うまいこと言うなぁ」と思ったのが「三船は父親的ヒーローで、織田は兄貴的ヒーロー」という評価なんですね。
「ああ、そうか」と思いました。
頼れる、デキる兄貴としての椿三十郎なんですね。そういう見方で見ると、そりゃ面白いよなと。いま一番求められているのは、そういうヒーローだもんな、って思い直したって事ですね。ようは時代にマッチしてるって事です。
頭は切れる、剣の腕は立つ。純粋な若者に対して優しくて、でもまだ、ギラギラしたところは残っていて、年寄りの諫めに対しては頭があがらない。そう考えると、まさに「兄貴」なんですね。もともとシナリオにそういう要素がちゃんと入ってる。
今回、森田監督は大胆にもシナリオのセリフはほぼそのまま、まったく変えていないと言っても良いくらいにそのままにしてます。
であるにもかかわらず、映画のテイストは三船・黒沢版とはまったく違って、明るく健康的で、よりヒューマンな世界に変ってるんですね。(より軽くなったとも言える。)
それは、間の取り方であったり、解釈の仕方であったり、演出に違いであったり、たくさんたくさん違いはあるんです。
でも、やっぱり、昔の三船敏郎で見てしまった僕としては、そういうシナリオの新解釈にまで気持ちが到達してなかったんですね。どうしても三船との比較で見てしまう。
これは良くないですね。いまの時代の人がいまの時代に作ってるんですから、いまの時代の人がどう感じているのかをちゃんと理解しないと。
で、そういう事を考えて行ったとき、「ああ、落語がそうじゃないか!」と思い至ったんです。
落語も、いくつも名作があるわけですけど、それらは演者が変れば、まったく別物に変るわけです。で、その違いこそを楽しむものなわけです。
考えてみたら、椿三十郎も、そういう古典落語のような、味わいのある、受け継いでいくべき映画作品なのかな? という気になったわけですよ。
欧米でも映画のリメイク作品というのはたくさんありますから、日本でも、もっとやって良いのではないかな? という気持ちになったんですね。
とくに、これだけシナリオを変えずにやるというのは、ある意味「リメイクのお手本」になるかも知れないという風に感想が変ってきたんです。
だって落語で演者が変ったときに、演者の個性の違いを引き合いに出して批評したら、それはルール違反ですもんね。「松鶴は春団次と違ってたからオモロない」とか言ったら「違うのは当たり前じゃ!ボケ!」と怒られますわな。そういう事です。
確かに、椿三十郎というシナリオが、もともと「三船敏郎ありき」で書かれたものだけに辛いっていうのは少しあるんですよね。アテ書きなんだなぁ、セリフにしても。もう少し織田君らしいセリフとかに、部分的に変更しても良かったような気はする。「〜だぜ。」っていう言い方がけっこう多かったんですが、これは三船が用心棒で三十郎をやったイメージを継承しての言い回しだったろうと思うし「だぞ」とか「なんじゃないか?」とか語尾の変更くらいはしても良かったのにな、とは思います。
でも、逆に言えば、そういう無茶な事までちゃんと着地させてるところは、織田君・森田ともに、大したもんだってことになるわけです。大した演技力、演出力だと脱帽するしかないわけです。
で、そういう事まで考えていくと、ラストの対決の殺陣がまったく変ったって言うのが、じっくり考えると、実に正しい選択だったって思うのですよね。
映画のストーリーとテーマ性から考えると森田版の方が、実はシナリオの良さを、より引き出してるんです。実は。ある意味、オリジナルを超えているのかも知れないって思うわけです。
室戸半兵衛と三十郎の葛藤を考えれば、森田版の殺陣の方が、より三十郎の内面に入り込んでいて正しいわけです。(地味だけど。笑)
そんなこんなを考えていくと、森田芳光版「椿三十郎」は、名作リメイクの本当に良いお手本とも言うべきリメイクになっているんじゃないかなかぁって思うのですね。
その功績を挙げるなら、
●若い世代を楽しませた
●家族で見れるエンタテイメントにまとめた
●クロサワは世界のブランドであり、それを次の世代に継承した
●白黒だった作品をカラー化して見やすくした
●シナリオを尊重して古典として残した
●演出にさまざまな工夫をして新解釈を付け加えた
●作品としてのテーマ性を一環させた
と、悪いところなしになってしまうんですね。まさにリメイクのお手本として素晴らしいし、今後、いろいろな名作をリメイクするなら、こういうところを、ぜひ見習ってリメイクして欲しいとまで思うくらいに素晴らしいわけです。
三船・黒沢版を知ってる僕としては、どうしてもついつい、細かい点で昔の作品の方を思い出してうんぬん言ってしまいがちですけど、トータルに総合的に考えて、これはいまの時代、ベストのリメイクなんじゃないかな? と思うのです。
森田芳光は三船のような野性味溢れるキャスティングを考えるよりも、「映画俳優としてのスター」としての織田裕二を選んだ。だから若い世代が幅広く楽しめるという良さが生まれたんですね。阿部寛だったら良かったんじゃないか? とか考えたんですが、そうなるとマニアックなリメイクにしかならないんですよね。やっぱり「スター」でないとダメなんだと思う。
という事で、やっぱり「世界のクロサワ」の良さ・面白さは、若い世代にも受け継いで欲しいので、この素晴らしいリメイクは、この正月にぜひとも見て欲しいなぁと、ふと思ったので、日記に書いたという次第。
実際単純に面白いし、家族で見るには最適ですから。
で、昔の三船版を知ってる人には「ラストが違うよー。地味だけど、これはこれでなかなか。さぁ、気になってきたやろ!」と煽っておきます。
やっぱり古典落語があるように、日本映画にも古典があって良いし、古典として残す、引き継ぐという見地から見れば、この森田芳光の作り方はベスト。お手本になると思います。
という事で、お正月には、ぜひ! おすすめです。(古い世代は「三船」を期待せずに見に行くべし! であります。)
黒沢明の名作「椿三十郎」のリメイク。織田裕二版、森田芳光監督作品を一週間ほど前に見て参りました。
で、感想なんですけど、それがこの一週間くらいで大分変っちゃったんですねぇ。
見てすぐ後は「うーむ、悪くないけど、やっぱり織田裕二では辛い。」という印象だったんです。ラストシーンの室戸半兵衛(豊川悦司)との、あの対決も違うし。(かなり大きく違います。内容は内緒。)
でも、日を追うごとに、「いや、けっこう織田君、良かったかも。」となってきまして、ネットでの評判とかも見てみると、昔の三船・黒沢版を知らない若い世代が純粋に「面白かった」と言ってるのを見て「ああ、死んだ人と比べてる僕が間違ってました。」という意見に大きく変ったのでありました。
ネットの評価で「うまいこと言うなぁ」と思ったのが「三船は父親的ヒーローで、織田は兄貴的ヒーロー」という評価なんですね。
「ああ、そうか」と思いました。
頼れる、デキる兄貴としての椿三十郎なんですね。そういう見方で見ると、そりゃ面白いよなと。いま一番求められているのは、そういうヒーローだもんな、って思い直したって事ですね。ようは時代にマッチしてるって事です。
頭は切れる、剣の腕は立つ。純粋な若者に対して優しくて、でもまだ、ギラギラしたところは残っていて、年寄りの諫めに対しては頭があがらない。そう考えると、まさに「兄貴」なんですね。もともとシナリオにそういう要素がちゃんと入ってる。
今回、森田監督は大胆にもシナリオのセリフはほぼそのまま、まったく変えていないと言っても良いくらいにそのままにしてます。
であるにもかかわらず、映画のテイストは三船・黒沢版とはまったく違って、明るく健康的で、よりヒューマンな世界に変ってるんですね。(より軽くなったとも言える。)
それは、間の取り方であったり、解釈の仕方であったり、演出に違いであったり、たくさんたくさん違いはあるんです。
でも、やっぱり、昔の三船敏郎で見てしまった僕としては、そういうシナリオの新解釈にまで気持ちが到達してなかったんですね。どうしても三船との比較で見てしまう。
これは良くないですね。いまの時代の人がいまの時代に作ってるんですから、いまの時代の人がどう感じているのかをちゃんと理解しないと。
で、そういう事を考えて行ったとき、「ああ、落語がそうじゃないか!」と思い至ったんです。
落語も、いくつも名作があるわけですけど、それらは演者が変れば、まったく別物に変るわけです。で、その違いこそを楽しむものなわけです。
考えてみたら、椿三十郎も、そういう古典落語のような、味わいのある、受け継いでいくべき映画作品なのかな? という気になったわけですよ。
欧米でも映画のリメイク作品というのはたくさんありますから、日本でも、もっとやって良いのではないかな? という気持ちになったんですね。
とくに、これだけシナリオを変えずにやるというのは、ある意味「リメイクのお手本」になるかも知れないという風に感想が変ってきたんです。
だって落語で演者が変ったときに、演者の個性の違いを引き合いに出して批評したら、それはルール違反ですもんね。「松鶴は春団次と違ってたからオモロない」とか言ったら「違うのは当たり前じゃ!ボケ!」と怒られますわな。そういう事です。
確かに、椿三十郎というシナリオが、もともと「三船敏郎ありき」で書かれたものだけに辛いっていうのは少しあるんですよね。アテ書きなんだなぁ、セリフにしても。もう少し織田君らしいセリフとかに、部分的に変更しても良かったような気はする。「〜だぜ。」っていう言い方がけっこう多かったんですが、これは三船が用心棒で三十郎をやったイメージを継承しての言い回しだったろうと思うし「だぞ」とか「なんじゃないか?」とか語尾の変更くらいはしても良かったのにな、とは思います。
でも、逆に言えば、そういう無茶な事までちゃんと着地させてるところは、織田君・森田ともに、大したもんだってことになるわけです。大した演技力、演出力だと脱帽するしかないわけです。
で、そういう事まで考えていくと、ラストの対決の殺陣がまったく変ったって言うのが、じっくり考えると、実に正しい選択だったって思うのですよね。
映画のストーリーとテーマ性から考えると森田版の方が、実はシナリオの良さを、より引き出してるんです。実は。ある意味、オリジナルを超えているのかも知れないって思うわけです。
室戸半兵衛と三十郎の葛藤を考えれば、森田版の殺陣の方が、より三十郎の内面に入り込んでいて正しいわけです。(地味だけど。笑)
そんなこんなを考えていくと、森田芳光版「椿三十郎」は、名作リメイクの本当に良いお手本とも言うべきリメイクになっているんじゃないかなかぁって思うのですね。
その功績を挙げるなら、
●若い世代を楽しませた
●家族で見れるエンタテイメントにまとめた
●クロサワは世界のブランドであり、それを次の世代に継承した
●白黒だった作品をカラー化して見やすくした
●シナリオを尊重して古典として残した
●演出にさまざまな工夫をして新解釈を付け加えた
●作品としてのテーマ性を一環させた
と、悪いところなしになってしまうんですね。まさにリメイクのお手本として素晴らしいし、今後、いろいろな名作をリメイクするなら、こういうところを、ぜひ見習ってリメイクして欲しいとまで思うくらいに素晴らしいわけです。
三船・黒沢版を知ってる僕としては、どうしてもついつい、細かい点で昔の作品の方を思い出してうんぬん言ってしまいがちですけど、トータルに総合的に考えて、これはいまの時代、ベストのリメイクなんじゃないかな? と思うのです。
森田芳光は三船のような野性味溢れるキャスティングを考えるよりも、「映画俳優としてのスター」としての織田裕二を選んだ。だから若い世代が幅広く楽しめるという良さが生まれたんですね。阿部寛だったら良かったんじゃないか? とか考えたんですが、そうなるとマニアックなリメイクにしかならないんですよね。やっぱり「スター」でないとダメなんだと思う。
という事で、やっぱり「世界のクロサワ」の良さ・面白さは、若い世代にも受け継いで欲しいので、この素晴らしいリメイクは、この正月にぜひとも見て欲しいなぁと、ふと思ったので、日記に書いたという次第。
実際単純に面白いし、家族で見るには最適ですから。
で、昔の三船版を知ってる人には「ラストが違うよー。地味だけど、これはこれでなかなか。さぁ、気になってきたやろ!」と煽っておきます。
やっぱり古典落語があるように、日本映画にも古典があって良いし、古典として残す、引き継ぐという見地から見れば、この森田芳光の作り方はベスト。お手本になると思います。
という事で、お正月には、ぜひ! おすすめです。(古い世代は「三船」を期待せずに見に行くべし! であります。)
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