米朝よもやま噺

2007年12月24日 読書
ISBN:4022503610 単行本 桂 米朝 朝日新聞社 2007/12/07 ¥1,365
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4022503610/249-9767057-8485143

この間、いつもどおり本屋を探索に出かけたら、こんな本がでておりまして。ついつい買ってしまいました。

よく知らなかったのですが、いま米朝さん、ラジオ番組をレギュラーで持ってるんですねぇ。最近はもう落語ができなくなって、昔のこととか思い出しながらいろいろしゃべったり、ゲストを招いて話をしたりするらしいのですが、それを一冊の本にまとめたものだそうです。

で、これが実に面白い。

米朝さんの弟子というと、なんと言っても枝雀さんと吉朝さんなんだけど、この二人の天才が二人ともに早くにお亡くなりになってるわけですね。師匠の米朝さんより先に、あちらへお引っ越しになってしまわれた。

で、そういう話もいろいろ読めるかな? と思ったら、枝雀、吉朝さんの話はほとんどなし。逆に、いま生きてる弟子の話がすごく多い。

たぶん、ゲストがそういう生きてる弟子達だったんでしょうね。なので、ざこば師匠とかの話がけっこうあったり、千朝さん(この人はうまい!)とかの話の方が多かったりする。

で、それより面白いのは、米朝さんが若かった頃のお話がけっこうたくさん出てくるって事です。つまり、米朝さんの師匠とか、先輩落語家の話ですね。

あるいは、もうすでに消えてしまった大阪の風習の話とか、とにかく今みんなが知らない昔の大阪の姿をいろいろとお話されていて、ここがまたやたらと面白いのであります。

読んでいて、ははぁそういう訳だったのか!と新発見したのは、昔の職人の話でした。

昔の職人さんは、植木屋さんにしても大工にしても、とにかく日当をいただいて仕事をするわけですが、朝から仕事にかかって、いかに早く仕上げてしまうかが腕の見せ所であり、自慢でもあったのだそうです。

なので、腕の良い職人ほど、仕事は午前中で終わらせてしまって、午後はゆっくり講釈を聞きに出かけたりするという、そういう感じだったらしい。

ああ、そういうことやったんか! なんですね。

いやいや、というのは、「青菜」という落語を、まるまる一席覚えてしまったんですが、やってるうちにどうにもこうにも、時間の流れがよくわからんところがあったからなんです。

「青菜」は、仕事が終わった植木屋を旦那さんが酒でもてなして、その時の様子を家に帰ってから真似てみるというお話なわけです。

で、これを私は、いまの勤め人の感覚で解釈してたから、旦那さんから柳陰だの鯉の洗いだのをふるまってもらう時間を夕方4時くらいと考えてたわけです。

でもそうすると、帰ってからの話がどうにもつながらないんですね。帰ってから友達が「風呂いこけ」と訪ねてくるし、だいたい嫁さんのお咲きさん自体、旦那に向かって「何寝とぼけてなはんの、まだ日も高いうちから」とかのセリフがけっこうあるわけですよ。

おかしいなぁ? いったい何時に帰ったのよ? とか思ってしゃべってたんですが、結局、旦那さんと飲んでた時間が多分、昼の2時とかそんな時間なわけですな。で、だからこそ冷えた柳陰を飲むんだわ。

うーむ。なるほど。と思いました。

米朝さんの話によれば、職人は昼からは講釈場で講釈を聞いてたって事ですけど、これも言うならいまでいう連続テレビ小説みたいなもので、毎日少しずつ「続き物」で話しをしてたんですってねぇ。だから講釈場には、ひと月券とかの「定期券」とかあったらしい。昼間の講釈場なんて職人だらけだったみたいですな。

で、またこの講釈場というのが、ありとあらゆる事をネタにしていて、歴史の面白いところをつまみ語りしたり、話題はとても豊富だったみたいで、たぶん時事ネタとか、あるいは、町のうわさ話や、ちょっとした物知り知識みたいなネタとか山のようにやってたんだろうと想像されるんですね。

で、どうも、米朝さんの幅広い知識というのは、そういう講釈場からの知識も、けっこう大きな背骨として入ってる感じなんですよねぇ。
なるほどなぁと。
昔の人はいまみたいにいろんなメディアがなかったから話芸を通じて教養を高めていたんだろうなぁと、すごく勉強になったのであります。
この本、なかなかに面白かったでありますね。

昔の職人は、仕事をさっさと切り上げて、講釈場で森羅万象のことを楽しみながら学習してたんだなぁという感じが解って実に面白く感じたのであります。いや、自分がライターという職人であり、現代版講釈士でもあるというような事が重なって、そう感じるんですけどね。

おもしろい本でした。

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