知らない世界を知ると言うこと。
2007年8月21日唐突に書きたくなったので書いてみます。
それは「知る」という事です。
友人や知り合いなど、久しぶりに会った時に、昔と話題の種類が全然変ってなかったりすると、すごく妙な気持ちになります。
たとえば昔、マンガ好きだった奴と会って話すと、昔通りマンガの事しか話さない、みたいな…。
そういうのがもう、たまらなくつまらないのですね。
なんと言えばいいのか…。
長く生きてきて、「知らない世界を知ろう」としなかったのか、君は、っていう気持ちになります。
この半年で、住み家を、生まれた場所に戻してみたのですが、それに際して中学校時代の友人で、不動産業を営む男に、いろいろと相談に乗ってもらったわけです。
で、ちょうど10年ぶりぐらいで話をしたのですが、実に面白かった。
成長してるんですね。
「知らない世界を知る」という事をやっている。学習してるんです。いろんな事を。
で、こっちもいろいろ学習しているので、そういう話をすると、実に味わい深い。
仕事の運営の話。家庭生活の運営の話。男と女の行き違いの話。人生の中間地点にいて、どう生きていくべきかというような話。勉強するという事に関しての話。まぁほんとにいろいろ話しても充分、お互いに経験も重ねていて、思索が深まっているというのを感じるわけです。
そうだよなぁって思う。知らない世界を、知っていこうとすれば、こういう事になるよなぁって思うわけです。
知らない世界を知るためには、まず自分が「知らない」という事を自覚しないといけないんですね。
ある種の自己否定なんです。
自己否定なんだけど、あくまで「私の視野には限界があるのだ」という割り切りという種類の否定、「考え方の否定」であって、「自分自身の否定」ではないんですけどね。
逆に「強い自己肯定」があるからこそ、「ちょっとやそっとでは、私は揺るがないさ!」と「知らない世界」に首を突っ込めるんですが。
まぁそんなことで、視野を日々広げてる人間の話は、実に面白い。
しかし、これが、十年一日、話題が変らない知り合いというのもいてるわけです。興味の幅が同じ。たとえばアニメだとか。ゲームだとか。いやまぁ何だっていいんだけど、ずっと同じ種類の何かなわけです。パソコンとかね。
ようするに興味の幅、視点、そのものが狭いんです。
聞いててバカバカしくて疲れる。
なんでそういう事になるのかなぁって思って考えてたら、ようは「苦手なものには近づかない」という生活態度なんだろうな、という結論に達しました。
苦手には近づかない。
だからたとえば、歴史の知識が弱いとすると、そこはほったらかしにする。まったく強化しようとしない。
で、その代わり、「知っている事の知識の強化」を行い、世の中のすべての事を「自分の知っている世界」からの歪んだ視点だけで見る、とかをするわけですね。
いやー、それはアカンやろ。単に世間が狭いだけやんけ、とか思うんだけど、そういうバランスの悪さには気付かないんだよなぁ、そういうタイプの人間は。
ようするに「見たくないものは見たくない」だから、まぁしょうがないと言えばしょうがないんだと思うけど。
なんか、そういう事って、「そんなんで、生きてる意味ある?」とか思ってしまう。
学ぶべき事なんて、それこそ世の中に、いくらでもあるのに。
どうなんでしょうね、こういう事って。どうでもいいのであんまり考えてないですけど、そら「知ってる事にばかり詳しくなる」だけなら、あんまり考えなくて良くて、楽でいいよなぁとは思う。でもそれでいいんだろうか?
まぁ、よーわからんです。
人生は、もっと多様で、ものすごいストーリーとドラマが隠れてるよ、とか思うんですけどねぇ。
まぁ、いいや。そういう人も幸せならそれで良し。
という事で。
それは「知る」という事です。
友人や知り合いなど、久しぶりに会った時に、昔と話題の種類が全然変ってなかったりすると、すごく妙な気持ちになります。
たとえば昔、マンガ好きだった奴と会って話すと、昔通りマンガの事しか話さない、みたいな…。
そういうのがもう、たまらなくつまらないのですね。
なんと言えばいいのか…。
長く生きてきて、「知らない世界を知ろう」としなかったのか、君は、っていう気持ちになります。
この半年で、住み家を、生まれた場所に戻してみたのですが、それに際して中学校時代の友人で、不動産業を営む男に、いろいろと相談に乗ってもらったわけです。
で、ちょうど10年ぶりぐらいで話をしたのですが、実に面白かった。
成長してるんですね。
「知らない世界を知る」という事をやっている。学習してるんです。いろんな事を。
で、こっちもいろいろ学習しているので、そういう話をすると、実に味わい深い。
仕事の運営の話。家庭生活の運営の話。男と女の行き違いの話。人生の中間地点にいて、どう生きていくべきかというような話。勉強するという事に関しての話。まぁほんとにいろいろ話しても充分、お互いに経験も重ねていて、思索が深まっているというのを感じるわけです。
そうだよなぁって思う。知らない世界を、知っていこうとすれば、こういう事になるよなぁって思うわけです。
知らない世界を知るためには、まず自分が「知らない」という事を自覚しないといけないんですね。
ある種の自己否定なんです。
自己否定なんだけど、あくまで「私の視野には限界があるのだ」という割り切りという種類の否定、「考え方の否定」であって、「自分自身の否定」ではないんですけどね。
逆に「強い自己肯定」があるからこそ、「ちょっとやそっとでは、私は揺るがないさ!」と「知らない世界」に首を突っ込めるんですが。
まぁそんなことで、視野を日々広げてる人間の話は、実に面白い。
しかし、これが、十年一日、話題が変らない知り合いというのもいてるわけです。興味の幅が同じ。たとえばアニメだとか。ゲームだとか。いやまぁ何だっていいんだけど、ずっと同じ種類の何かなわけです。パソコンとかね。
ようするに興味の幅、視点、そのものが狭いんです。
聞いててバカバカしくて疲れる。
なんでそういう事になるのかなぁって思って考えてたら、ようは「苦手なものには近づかない」という生活態度なんだろうな、という結論に達しました。
苦手には近づかない。
だからたとえば、歴史の知識が弱いとすると、そこはほったらかしにする。まったく強化しようとしない。
で、その代わり、「知っている事の知識の強化」を行い、世の中のすべての事を「自分の知っている世界」からの歪んだ視点だけで見る、とかをするわけですね。
いやー、それはアカンやろ。単に世間が狭いだけやんけ、とか思うんだけど、そういうバランスの悪さには気付かないんだよなぁ、そういうタイプの人間は。
ようするに「見たくないものは見たくない」だから、まぁしょうがないと言えばしょうがないんだと思うけど。
なんか、そういう事って、「そんなんで、生きてる意味ある?」とか思ってしまう。
学ぶべき事なんて、それこそ世の中に、いくらでもあるのに。
どうなんでしょうね、こういう事って。どうでもいいのであんまり考えてないですけど、そら「知ってる事にばかり詳しくなる」だけなら、あんまり考えなくて良くて、楽でいいよなぁとは思う。でもそれでいいんだろうか?
まぁ、よーわからんです。
人生は、もっと多様で、ものすごいストーリーとドラマが隠れてるよ、とか思うんですけどねぇ。
まぁ、いいや。そういう人も幸せならそれで良し。
という事で。
コメント