ウクレレの事をもう少し。

ウクレレ大好きで、日々ずっと楽しんでる訳ですが、このウクレレが、どうにも楽しくない時が一時期ありました。

そりゃもう、何をどうやっても面白くないんですな。弾ける曲を練習しなおしても面白くないし、簡単な基礎練習をやっても面白くない。

で、面白くないとミスが増えます。で、ミスが増えるとよけいつまらなくなる。

なんだぁこれは? と、もう大変悩んでおったわけです。

悩んでいた時はウクレレ教室に通い出して三四ヶ月たった時だったから、何をやっても楽しかったし、いろいろ課題も見えていた時期で、「あれも練習したい、これも練習したい」と、いろいろごちゃごちゃとやっている時でした。気持ち的には飽きるはずがない、というような段階だったわけですね。

でまた、仕事も忙しくて、山のように原稿を書いてもいたんですね。だから合間の楽しみであるウクレレが「楽しくない」ものになってしまうと、それこそ面白くなくて「うーん困ったなぁ」と思っておりました。

が、しかし、なんで面白くなかったのかは、それからしばらくして判明することになったのでありました。

ある日突然、腕が痛い。手が痛い。
腱鞘炎であります。
まぁ二週間ほど右腕が全然使えませんでした。(笑)

ウクレレどころではなくて、仕事もできない。しょうがないので音声入力ソフトは導入するわ、慣れた愛着のあるJISカナ入力とはおさらばして、ローマ字入力に転換するわ、仕事の環境の大変な大変更までせねばならなくなってしまったわけですが。

仕事でキーボードは打つ、仕事につまったら気分転換にウクレレを弾くという事で、心の気分転換はできていたけれども、指の肉体的休息は得られず、全然休むヒマがなくて指や腕が悲鳴をあげてたんですね。ようするにやる気が出なくなっていたのは、「疲労」のせいだったわけです。

肉体的な疲労が、ゆっくり、うっすらと蓄積していて、「気分」にまで影響していたわけです。

ははぁ、こんな事もあるのか。

と新たな発見をしたものです。気分として楽しいものだから、自分が疲労してるんだという事に気付かなかったわけです。精神的には楽しくてしょうがないんだけど、体が拒否反応を起こしていたわけで。

なんと言うのでしょうか。やっぱりバランスなんですね。つねに「全体を見渡す意識」というのが必要なんです。

で、前に紹介しました岡本浩一さんの「上達の法則」
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8A%E9%81%94%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87%E2%80%95%E5%8A%B9%E7%8E%87%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%84%E5%8A%AA%E5%8A%9B%E3%82%92%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B-%E5%B2%A1%E6%9C%AC-%E6%B5%A9%E4%B8%80/dp/4569621988

の続編とも言える書籍、「スランプ克服の法則」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E5%85%8B%E6%9C%8D%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87-%E5%B2%A1%E6%9C%AC-%E6%B5%A9%E4%B8%80/dp/4569629814

という本を読んだら、ちゃんとスランプの原因のひとつに「肉体的疲労」がリストアップされていて、「肉体疲労に気付かないこともあるから注意が必要だ」という事までキチンと書かれてあったのでした。

まいった。やっぱり岡本さんの本は優れている。大したもんだと感心したわけなんですが。

そう考えてみると、ウクレレ教室のカリキュラムの組み方が実にうまい。基本が「月に3回の練習」となっているのですね。

月曜日が練習の日なので、「毎週月曜を練習とかすりゃぁいいのに、なんで中途半端に月三回なんだよぉ」と思ってたのですが、どうもこれ、こういう教室運営の長年のノウハウの結果であるように思えるんですね。

一ヶ月というのは、4.5週ですので、月曜日というのは4回から5回あることになります。で、僕のクラスの場合は「第一月曜はお休みで月三回」となっておりまして。

ようするに「お休み」が計画的に組み込まれておるわけです。この予定の組み方だと二週間あるいは三週間くらい休みになる事も出てくるわけですが、これが逆に「月のリズム」になってくるわけです。

単に「毎週月曜」だけだと、「週のリズム」しかないんですね。でも、月に一週は最低でも休みがあると「月のリズム」が組み込まれることになる。視点が一段階、上のレベルに上がるわけです。

具体的にはそんな難しい事までは考えてなくて、こういう変則的なスケジュールの中に身を置くと、それこそ機械的に「毎週行けばいいんだ」という単純な発想にはならずに、いやでも「今日は練習のある日だったかな?どうかな?」と考えざるを得ないのですね。教室で配られた予定表(名刺サイズの予定表をくれるので、それを財布に入れておりますが。)を見て確認する作業が必要になるわけです。

で、この「今日はどうだっけ?」と確認する作業が、まさに自分を振り返る行為そのものになってるわけです。お休みがあるから、その間の週にウクレレ以外の事もできる。肉体的にも精神的にも余裕が生まれるわけです。ここが思ってた以上に重要なわけです。

自分との対話、ですね。

何かをやってる自分、というのは、それはそれで偉いのですが、ちゃんと休んでる自分もまた偉いわけです。休息を取るということは必要な事であって、その必要な事をキチンとやっているかどうか、という事です。

だから長く続けるには「休みの管理」というのが必要で、それは言い方を変えるなら「計画的にサボる」という事でもあります。

まずは、これが必要なんですね。何事をするにしても。
この「計画的にサボる」という事無しに、何事かを長期的に成し遂げるというのは、相当に難しいようだ、というのが、この時に気付いた出来事でした。

楽しい気分を維持するためには、「計画的にサボる」という事が必要なわけです。

ものすごく抽象的な言い方になりますが、「やっていないことが、やってる事になる」とでも言いましょうか。「『やらない』をやっている」と言いましょうか。そういう気分が大切なんですね。

もっとひっくり返して言うなら、「休む」から、「続けるかやめるか」を自分に問いかけることができる、とも言えるわけです。単に毎週やるだけというのは惰性にしか過ぎません。

愛情と惰性は違う。違うけれども、じゃぁどう違うのよ? って事でもあります。

惰性でやってると、本当に自分がそのことを「好き」なのかどうかも、よくわからなくなってくるんですね。だから好きなことを、いったんさぼって、「続けるのか、やめるのか」を自分に問いかけないといけないわけですね。さぼる事も大切な意志なわけです。だから、本当に愛情があるなら、上手にサボらないといけない。

まぁ、さぼり過ぎるのも問題なんですがね。
去年の年末は仕事が忙しすぎて、二回連続してウクレレ教室をお休みしたんですが、そうすると一ヶ月休んだことになってしまって、久しぶりに教室に行ったら、指ならしの基礎練習で、すでに腕が痛い。なまってたんですねー。腕が。それも筋肉ごと落ちてる。握力が落ちてるからネックを握る力が落ちてたわけで。

どっひゃーでしたな。
あんまりさぼると、こういう揺り戻しがあるのかぁ! でありました。
やりすぎもいけないけど、さぼりすぎもダメって事ですな。

ともあれ、続けるというのは「日常」にするという事ですから、無理して続くわけはないのであります。どう上手に生活に組み込むのかが大切。で、そのためには、まず「休み」をちゃんと組み込むこと、というのが大事なわけでありました。

ともあれ、趣味は自分の楽しみでありまして、まさに自分を愛することの基本であります。
そこから見えてくる事は多々あるなぁと感じております。

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