E3というものがありまして。

Electronic Entertainment Expo (E3Expo) と言って、まぁゲーム関連の展覧会ってとこでしょう。
毎年春にアメリカでやってまして、ゲームの世界のワールドワイドな動きがわかるお祭り騒ぎになっております。

これがどうやら来年から大幅に規模縮小になってしまうようで、ああ、ゲーム業界の不況は、やっとアメリカでも姿をあらわし始めたか、というのが、この数日感じていたことなのであります。

日本とアメリカではいろいろと事情が違うのですが、まぁおおむね全体的な流れとして失速気味なのはしょうがないわけで。

それを考えると、ニンテンドーDSの快進撃というのはとんでもない。国内の販売台数だけでも、たった20ヶ月で1000万台を越えたそうですし、じゃあ900万台突破がいつだったかというと、7月の頭だったわけで、月に100万台売ってるってことになる。

すごいね、どうも。

で、ここまでの人気を達成したのは、やっぱり社長の岩田聡(さとると読むそうです。ずっとさとしだと思ってたよ。)さんの力が大きいわけです。

で、実は、最後のお祭り騒ぎをやったE3で、任天堂は「Wii」という、新しい家庭用ゲーム機の発表をやりました。

知っている人は知っている、ゲームのユーザーインターフェースに関わる大革命を提案している、新しいゲーム機で、位置センサなどをコントローラーに活用することで、実に自然な操作環境を提案しています。

くわしくはこちら。
http://www.nintendo.co.jp/n10/e3_2006/

従来のゲームコントローラーを、まるでテレビのリモコンのような形に刷新して、まったく新しいゲーム体験をユーザーに提供するということをしようとしています。

これが業界では大きな話題になっていて、ニンテンドーDSの快進撃に加えて、家庭用ゲーム機の革命まで引き起こそうとしている任天堂の岩田さんにいやでも注目が集まってしまうわけです。

で、この今年のE3の任天堂のカンファレンスの様子はインターネットで生中継されてたんですね。

Wiiの内容に興味のあった僕は、これをリアルタイムに見ていた。Wiiの内容紹介やらソフト紹介やらがあった後に、岩田さんが舞台に登場して、記念講演をはじめたわけです。

当然英語。

なんかね、これがもう、やたらとかっこいいわけですよ。
岩田さんと僕はほぼ同い年なので、くやしいなぁという気持ちもありつつ、あこがれの気持ちもある。あんな風になりたいぜって感じ。

聞いていると、BE動詞や助動詞、前置詞などのつなぎの発音はそうとう流暢なのに、ポイントとなるキーワードに関しては突然、母音の発音が余分に入ってしまう日本語発音になってるんですね、岩田さんのスピーチ。

日本語発音のところは日本人の僕には実に聞き取りやすくて、おかげで、スピーチの内容は素で聞いても7割は聞き取れました。

でも多分この日本語発音は「計算」なんだよなぁ。アメリカでは、自分の母国語の発音のクセを残している方が、自己のアイデンティティを保持しているという意味で尊敬されるんですね。

だからポイントとなるキーワードに関しては、ものすごい日本語発音だったんだと思います。そういう事もひっくるめて、実にかっこいいわけです。

タートルネックのセーターにジャケットという出で立ちで現れて、ボディアクションも豊かに英語でスピーチする岩田さん。
いやー、実にかっこよかった。

Wiiの話にさしかかると、ポケットからヒョイとWiiリモコンを取り出して会場の人たちに見せながら解説する。
いや、ほんとにカッコ良かったのでありました。

しびれる〜!!! って感じ。

で、これをまたリアルタイムで英語でそれなりに理解しながら聞けている自分もうれしかったりするわけですがね。あとで日本語訳と比べてみたら、そう大きくズレがなかったので、よけいうれしかった。

日本が世界に誇れるものなんて、実はそれほど多くはない。和食の栄養バランスと京都の歴史の長さと、物作りの異様なうまさと、あとはこのゲームエンタテインメントの面白さくらいのものだ。

それを社長自ら世界のアピールできる、この本物志向のすばらしさよ。なんて素敵なんだろうと感心してしまう。

しかもニンテンドーDSでの実績やE3でのWiiの熱狂的なまでの大絶賛という実績を、ちゃんと達成した上で、です。

有無を言わさぬ実力派経営者と言わざるを得ない。ほんとうにすごいと思うわけですね。
かっちょいい〜。しびれる〜。何度も言ってますが。

でね。

この岩田さんが、こういうすごい事ができる背景が知りたくてネットでいろいろちょろちょろ調べてみたわけです。家族構成とかなんとか。

そしたら驚いた!
岩田さんは、基本的に個人情報を非公開にしているというではありませんか!!

独身なのか、家族持ちなのかも不明。公開してないんだってさ。

いやー、かっこいいにもほどがある。
しびれまくる。
親だ子だというような関係性に寄りかかった論議を廃して、まったく「個人」として意見を発表し、その考えのもと企業を運営し、そしてここまでの実績を見せつけている。

あああああ、もう、本当にかっこいい。
なんてすごいんだろうか、この人はって思う。

「子供を作ったから、一つの大きな役割を果たしたという気にはなるよね」という話は良く聞くのだけれど、実はそんなことは当人以外には「どーーーーーーーーーーーでもいい」話なのである。

そうではなくて、社会は、世の中は、より多くの普通の人は、あなた個人が、何を成し、何を社会に提供するのか、その本道の部分での貢献しか評価はしないものなのである。

日本が西洋文化と出会い、大混乱に陥った時に、個人の努力で海外文化を吸収し、慶應義塾大学を生み出した福沢諭吉も「家庭を作り、子供をつくる事も大切だが、それだけでは人間として何かを成し遂げたとは、とても言えない。世のため、人のために、いったい何をやったのかこそが大切だ。」という事を言っていて、まさにそれこそが社会が求めている個人への「期待」であり、僕は、この考え方をこそ大切にするべきだと思います。

(福沢諭吉とガンジーは私注目の巨人なのです。目指すなら尊敬できる人を目指すべきです。)

で、こういう志の高さというようなところを、岩田さんは、すごく良くわかってると思うのですよ。

ほんっとーに素晴らしいと思う。
すごいよねぇ、こういう人。
そうそういないと思うなぁ。

で、岩田さんの言動をずーっと拾っていくと、どうも「妻子あり」の人に思えてしょうがないわけですよ。
Wiiリモコンの発案だとて「テレビのリモコンなら主婦の方でも、OLさんでも机の上に出しっぱなしにしておくのに、ゲームのコントローラーは『ちゃんとしまいなさい』とすぐに片付けられてしまう。その状況をなんとかしたかったんです。」という所から生まれてるんですよね。

こういう発想は、家庭で「愛する人がゲームをしない」という状況があってはじめて生まれると思うのですよ。

しかも、その家人を相当に愛している。相手がやりたいようにやらせていて、その様子をじっと見守っている。そうでなければ、この「リモコンは置きっぱなしだけれど、ゲームのコントローラーは片づけられてしまう」という観察報告は出てこないと思うのです。

なので多分岩田さんには妻も子もいて、その妻子をマスコミの目から離すために「個人情報非公開」にしているように感じられるのですね。いや、これは単なる想像でしかないけど。

ちゅうか、独身で「リモコン置きっぱなし状況」をキチンとリサーチできるとしたら、その方がよほどすごい。それこそ市場調査の超天才ですわね。まぁ、それはそれでおもしろいけど。

こういう事を、同年代の友人・知人たちと比べてしまうと、「お前ら、何やっとんねん。」と叱りつけたい気分になってしまうのですよね。

40過ぎると、何事をするにもおっくうになって、人生を捨ててしまってるような発想になって、タバコや酒やギャンブルや、そういう「依存物」に依存して生きるか、そうでなけりゃ「子供」に依存して生きる、くらいのことしかできなくなってる。

「大人になったら成長する必要はない」てなアホな理屈で勉強もせず、狭い視野のまま自分育てをもせず、その結果、感性豊かな子供たちよりよどんだ目でしか社会を見れず、そのよどんだ目でみた社会を「現実」と子供に思いこませて、自分の子供の可能性すらふさいでいるのに、「ちゃんと子育てしているまともな大人」だと思ってるような人が意外に多い。

タバコ好きが「タバコはおいしいよ。このタバコのない人生なんて考えられない。タバコを吸ってない奴なんて人生をムダにしてるだけだ。」とか言うのと同じように、「子供は可愛いよ。子供のいない人生なんて考えられない。子供を作っていない人間なんて人生をムダにしているだけだ」と言う人までいてたりする。

こういう人は「自分とは異なる生き方」を否定することでしか自分を肯定できないという悪癖に陥ってしまってるだけで、その考え方自体が、すでにものすごく歪んだ病気状態なんだけれども、そのこと自体に気づけないわけです。

なんで「自分とは異なる生き方」を否定しなければならないかというと、自分の生き方が空っぽだからなわけですね。

自分の生き方の中身が充実している人は、岩田さんみたいに「私はこう考えて、こう実行してきた。そして、こういう結果になりました。」とストレートに普通に自分を語る。

タバコや酒や子供などに依存してる人は、自分に自信がないから、話の中心は

●自分以外の生き方の否定
●自分ではない存在への依存

と、どこまでも「じぶん」がないのである。
まぁ、哀れなものだと思う。

で、見ている限り、40歳になった前後が、こういう精神の危機がひどくて、40前後でうまくそれを処置できているかどうかで、人生の後半戦への準備態勢の整え方が変わってくるように見えるのです。

この年になると離婚したり、急に職を変わったり、バクチに手を出したり、不倫に走ったり、ほんとにみんな苦しんでいる。

僕自身、この数年で精神の危機に直面したからそのあたりの心情がよくわかる。

この時期をうまく乗り越えるかどうかは、本当に大事なんだと思うのですよね。

そういうこともひっくるめて、岩田さんのかっこよさは特筆ものです。

自分の上に岩田さんのような目標にして間違いのない人がいて、で、自分の下に「なにやってんねん、おまえら」というような友人知人がグシャって固まって存在していて、「さて、どうしたものか」と考えた時に、やっぱり私は「自分が自ら自分自身を鍛えて、より成長を目指すしかない。」って思うのですな。

実際アカンもん。「自分と違う生き方を否定して自己肯定した気になってるアホ」の相手していても。

上を向いてる人には、「それはおかしいのではないか?」と声をかけると「おお、確かに! よう教えてくれた! ありがとう!」と自己修正をすばやくかけて、するすると成長の階段を駆け上がって行かれるわけですが、「他者否定して、それを自分の価値として肩代わりしてる」ような人は、注意しても絶対に自分の悪いところを直さない。反省すらしない。完全にバカなまま。

そういうのは、相手をしていても、まったく意味がないのですな。100回注意しても自分の間違っているところに気付こうとしない。

まぁ、確かに、タバコ吸ってる人に「あなた、薬物中毒ですよ。」と言って、気分のいい奴はいない。

でも、それが事実であり、真実なのだからしょうがないよね。

で、どうでも良い他人なら、最初から注意もしないけど、親しい友人・知人なら、それはやっぱり心を鬼にしてでも「それは薬物中毒だ」と事実を突きつけますわね。少なくとも私は。

で、やっぱり尊敬できる人は、そういう事実を突きつけると、「おお、確かに。わしが間違ってたわ。よく教えてくれた。ありがとう」と感謝してくれるし、その後も良い関係が続くのですが、耳に痛いことを言われて反発するだけの人は、まぁほんと、くだらない間違いをずーーーーーっと永遠に繰り返し続けております。

で、もう、それはしゃーないよなぁと思うわけで。
「おお、その通りやな。ありがとう!」と言える人とだけ付き合いたいし、僕自身がそうなっていけるように努力したいしね。

やっぱ下を引き上げていくより、上の岩田さん目指す方が正しいんだと思うわけですよ。
人生はもう残り短いんだし。堂々巡りのくだらなさに付き合っているわけにもいかないし、なによりつまらない。

で、注意をしてもちゃんと活かせるツーカーの人だとて何人かはちゃんといてるんだし、関係を広げていくなら、そっちがいいですよ、それは。当然やん。ねぇ。

まぁ、そういうようなことであります。

コメント

どん太
どん太
2006年8月3日18:59

後半の部分激しく同意します。
まあ、自分がミッドライフクライシスさなかなので
自戒の意味こめつつ。

シゲ
シゲ
2006年8月4日1:05

ありゃ、どん太さんに反応していただけるとは光栄です。どっちかって言うと僕もどん太さんに叱責されるタイプの男のような気がしておりますので。(笑)
しかし、「40歳の危機」はミッドライフクライシスって言うんですか。知らなかった。勉強になります。
僕はここの日記でも前に紹介した「40歳の危機」という本で知りました。
大きくは実は40歳というのは社会的な地位・能力にせよ、思考能力にせよ、人生におけるピーク、山頂にあたるところにあると考えられ、「これから下っていくのだ」という恐怖が危機をまねくのだそうです。

でも、50、60の危機を脱した人の話を聞くと「ああ、その時期はそんなことも思ってたけど、いざ年を食うとそうでもなかったわ。」って言われる事が多いです。この時期だけなんですね。

それと、この任天堂社長の話でも書きましたけど「お手本になる生き方をしている人にあこがれて、そっちへ行こうとする」という気持ちや行動自体が、危機の脱出に効果があるように思います。上を見るって事です。

これが同年代の友人とつるむだけとか、家族との慣れきったコミュニケーションだけとかに終始してしまうと、思考の堂々巡りがはじまって、自らドツボにはまるという事になるような気がします。

特に親しい人間というのは「もっと気遣ってくれてもいいじゃないか」という思いを持ってしまうので、注意とかしても、すぐに「怒り」の方にスイッチが入ってしまうので、「切磋琢磨」というのがやりにくいのですね。同年代同士が危機にある時に批判しあうと悪い方にしか行かないように思います。

なので、やはり、まず自分が脱出することのように思うのです。上を見て。到達出来そうにないくらい、高い理想を掲げて、とにかく一?でも一ミリでもいいからはい上がる。

そういう事だと思います。
それをしないと、ただひたすらズルズルとイライラした毎日を繰り返すだけになるように思うのです。

理想の自分をイメージする、というのが、やはり効果が高いのではないのか、と思いますです。はい。

どん太
どん太
2006年8月4日21:23

なるほどね。

>同年代同士が危機にある時に批判しあうと悪い方にしか行かないように思います。

これいえてますね。

>上を見て。到達出来そうにないくらい、高い理想を掲げて、とにかく一?でも一ミリでもいいからはい上がる。

最近この上を見る、を忘れてだめになってたのをやっと自覚しました。
ここほんと実感です。

シゲ
シゲ
2006年8月4日22:13

そうですねぇ、上を見るのを忘れちゃうんですよね。実際にはいくらでも上に行けるのに。

趣味でもいいし、仕事の課題でもいいし、別になんだって良くて、何かにチャレンジしてると燃える。それで人間は元気になれます。(ま、デカい目標のほうが燃える期間が長くなってより良いのですが、小さくてもまぁ良しですわ。)

でもねぇ。

どん太さんみたいに「自分で気付く」ことができる人は、まぁ、いいんです。ほっといても勝手に上を目指すから。

問題は、いくら「ちょっとは上を見ろよ」と指摘しても、一切人の話を聞かないタイプの人間です。

自分が成長してないことに気付きたくないんですかねぇ。よくわからん。

ここの日記は基本的に、そういう「気付こうとしない人間」向けに書いてるんですよ。ずっと。

ところが、反応してくださるのは、どん太さんみたいに「ほっといてもどうにかなる」人ばっかりだったりするわけです。

とほほほほって思いますねぇ。

「あんた間違ってますよ」と言って「ありゃ、その通りだわ。ありがとさん。」と言える人には、僕が書いてる事など当たり前の話であって別に役には立たないと思うのですよ。

で、わかってない人向けに書いてるのに、そっちの方の人はひたすら自分の「自己欺瞞」の中に入り込んで隠れて出てこないんですね。自分のからっぽさを見つめるという事をせずに、「子供を育てることこそが生きる価値だ」とか言ってたりとかね。
いや、子供の事はどうでもいい。自分のからっぽさに気付けと言うてるのだ。子供は関係ない。と、いくら言ってもわからない。
で、自分のからっぽさの自覚がないから、はなから「上を見る」ことの必要性や重要性がわかってないわけですよ。

いくら、こういう書き込みをしても、返答があるのは、どん太さんみたいなまともな人だけですね。
閉じこもる人は、結局本質的に閉じこもったままだなぁ。

ため息。

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索