TOEIC受けて来ました。
2006年3月29日mixiのほうには書いたのですが、こっちにも転載しておきたくなったので、一部、加筆・修正して載せておきます。
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この日曜日はTOEICのテストでした。
受験するのは、二回目。去年の夏に受けて、この春です。
去年は、リスニングにしても、リーディングにしても、とにかくスピードが全然足りないってのがよく分かりまして。
単語とかでわからないものとかほとんどないんだけど、とにかく時間が全然追いつかない。
リスニングは、小難しい単語は聞き取りやすいわけですが、すごく基本的な単語の弱く発音している音とか、連接、脱落、変化などしている音の聞き取りが全然できなくて、お手上げでした。
いやまぁテストのナレーションのスピードとかは、普通のスピードというか、どっちかというと、脱落・省略の少ない、ゆったりとしたスピードの設問読み上げなんですけど、こっちに理解能力がないので、全然追いつかないという状態だったわけです。
が、しかし。
今回は、けっこう追いついた。
いやー自分でもうれしくなってしまいましたね。
この半年の成果が反映されてる。
とくに音読。
去年の12月に入る前くらいから、本格的に中学の英語教科書の音読を続けてたのですが、これがやっぱり圧倒的に効果的だったように思いますね。
TOEIC受験したことがある人ならわかると思いますが、例の写真だけが問題用紙に出されて、そこに音声説明が四つ付いて「どの説明がもっともふさわしいですか。」というアレ。
アレがねぇ。前はもう、全然わかんなかったのですよ。五問に一問くらいボヤーッと聞き取れる程度だった。
でも、今回は八割がた聞き取れたんですねー。
いやー、うれしい!!
英語やってて、ここまで「伸び」を実感できたのは、はじめてなので、とってもうれしいです。
音読やったら、こんなに違うもんなの〜?
びっくりーー!!!
テストそのものは、多分けっこうポカミスとかひっかけ問題にひっかけられたりとかしたと思うので、さして点数は伸びてるとは思わないんですが、この「伸びてる!」という実感があることが、すごく大事なんですね。やる気がでるから。
音読は効果高いなー。ほんと。
まぁあれです、中学校の英語教科書って、文型的にはモレ・ヌケとかないだろうし、すごく良いのだと思うのですが、いかんせん、内容がつまらない点が大欠点なんですけど、まぁそれでも、これだけ効果あったら十分だわ。
点数はどうでもいいです。
私はもう大変感激しました。
もっといろいろ頑張ろうっと。
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以上がmixiで書いたこと。
こっちでは、これに加えて「苦手を克服すると、すごく安心」って一言を付け加えたい。
苦手なことを、どう理由をつけようと、ほったらかしにすると「不安」しか生まれないのですね。
で、その不安もほったらかしにすると、他者攻撃しか生まれないのです。
僕が知ってる限りで「こらひどいなー」と思ったのがTOEICを、英語の勉強もせずに受験して、それで、おそらくは聞き取りとか全然できなかったんだと思うんだけど、自分の実力の無さを深く実感するとかいう、当たり前の感想も述べずに、いきなり「なんだあのTOEICの試験官は。バイトとして学びも何もない仕組みだ!」とか文句言った人。
あのなー、まず「わっ、俺、全然聞き取れなかったよ。」とかの、当たり前の、ありのままの自分を受け入れるってことをやれよ。
って思ったわけで。
いやまぁ、いきなりなんの予備知識もなしに受験すりゃ、そりゃショック受けるわさ。
でも、それで試験官のバイト制のことに話をずらしても、何の発展性も意味もないじゃん。
単なる時間の無駄だ。
まず、うそいつわりのない、自分の能力値そのものを、ちゃんと自覚することだよなぁ。
で、その「ありのままの自分」を受け入れるところからしか「学習」は始まらないのだ。
でも、異文化である英語とかに、いきなりぶちあたると、そういう「ショック症状」が出ちゃう人も出てくるんだなぁと。
そういうことを強く思います。
でもねぇ、苦手を克服すると、すごい自信になるよ。
で、そのためには「ありのままの自分」を正しく認識するのが、まず第一歩なんだよ。
テストってのは、そういうための「気づきの機会」なんだから、そういう利用の仕方をしないと、それこそ損だよ。ほんと。
って言いたいわけです。
人生は「安心」して生きるのが、大目標であって、そのためには、自分の「苦手」を、いくら心が痛くても直視して、それを修正することで乗り越え、自信をつけ、ずっと続く「安心」をその場で得る、ってのが基本ですわ。
これを「バイト制度がうんたら」と言って「ありのままの出来てない自分」の直視・受け入れもせずにいたら、それを無意識下に抑圧することにしかならない。
結局、テストを受けたことで無意識領域で「ああダメだ」という感情が根強く残って、妙なひん曲がったプライドとか、そんなものに頼るしかなくなっちゃう。よけい不安が増長されて、安心立命が得られないってことにしかならないんですな。
何もわざわざテスト受けて、不安を膨らませる必要はない。
ありのままの自分を受け入れて、そのままの自分で行くか、あるいはちゃんと勉強するかを決めればいい。それだけのことなのです。
「いくら心が痛くても、ありのままの自分の間違いやダメなところは、ちゃんと直視するしかなかろうが」と、そういう人には指摘するんだけど、そういうことを言うと「心に痛みを感じさせようとしているあなたは、私の心をガンガンと殴る暴力人間だ」とか言われるのですよ。
まいるよなぁ。
その「ありのままの自分を認める痛み」だけは、自分で引き受けるしかないよ。
他の誰も、その痛みだけは、かぶってくれないよ。
で、最初はちょっと痛いんだけど、直視さえすれば、道はいくらでもあるんだ。
大事なのは直視。
自分自身を直視する力。
それこそが「自分を大切にする」ってことなんだけどねぇ。
うむー。
ま、そういうことが言いたかった。
まぁね、私も46にもなって、いまごろTOEIC受験でもないもんだとも思うんだけどねぇ。でも、こうして「伸びた実感」があると、やっぱりすごいうれしいのよなぁ。
これこそ生きる喜びでしょう。
5年計画で、なんとか900点台まで持っていきたいと思ってるんだけど、さて、どうなりますか。
なんとか実現させたいですね。
TOEIC受けて、最近よく思うのは、「英語身につけるなんて無理〜」と、よく思うんだけど、でもちゃんと身につけてしゃべってる日本人もちゃんといてるもんなーってこと。
やれてる人がいてるんだからさ、そういう人の言うことを良く聞いて、真似していくことだよ、やっぱそれは。
ほんとにそれだけのことだと思いますです。
ま、そんなことで。
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この日曜日はTOEICのテストでした。
受験するのは、二回目。去年の夏に受けて、この春です。
去年は、リスニングにしても、リーディングにしても、とにかくスピードが全然足りないってのがよく分かりまして。
単語とかでわからないものとかほとんどないんだけど、とにかく時間が全然追いつかない。
リスニングは、小難しい単語は聞き取りやすいわけですが、すごく基本的な単語の弱く発音している音とか、連接、脱落、変化などしている音の聞き取りが全然できなくて、お手上げでした。
いやまぁテストのナレーションのスピードとかは、普通のスピードというか、どっちかというと、脱落・省略の少ない、ゆったりとしたスピードの設問読み上げなんですけど、こっちに理解能力がないので、全然追いつかないという状態だったわけです。
が、しかし。
今回は、けっこう追いついた。
いやー自分でもうれしくなってしまいましたね。
この半年の成果が反映されてる。
とくに音読。
去年の12月に入る前くらいから、本格的に中学の英語教科書の音読を続けてたのですが、これがやっぱり圧倒的に効果的だったように思いますね。
TOEIC受験したことがある人ならわかると思いますが、例の写真だけが問題用紙に出されて、そこに音声説明が四つ付いて「どの説明がもっともふさわしいですか。」というアレ。
アレがねぇ。前はもう、全然わかんなかったのですよ。五問に一問くらいボヤーッと聞き取れる程度だった。
でも、今回は八割がた聞き取れたんですねー。
いやー、うれしい!!
英語やってて、ここまで「伸び」を実感できたのは、はじめてなので、とってもうれしいです。
音読やったら、こんなに違うもんなの〜?
びっくりーー!!!
テストそのものは、多分けっこうポカミスとかひっかけ問題にひっかけられたりとかしたと思うので、さして点数は伸びてるとは思わないんですが、この「伸びてる!」という実感があることが、すごく大事なんですね。やる気がでるから。
音読は効果高いなー。ほんと。
まぁあれです、中学校の英語教科書って、文型的にはモレ・ヌケとかないだろうし、すごく良いのだと思うのですが、いかんせん、内容がつまらない点が大欠点なんですけど、まぁそれでも、これだけ効果あったら十分だわ。
点数はどうでもいいです。
私はもう大変感激しました。
もっといろいろ頑張ろうっと。
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以上がmixiで書いたこと。
こっちでは、これに加えて「苦手を克服すると、すごく安心」って一言を付け加えたい。
苦手なことを、どう理由をつけようと、ほったらかしにすると「不安」しか生まれないのですね。
で、その不安もほったらかしにすると、他者攻撃しか生まれないのです。
僕が知ってる限りで「こらひどいなー」と思ったのがTOEICを、英語の勉強もせずに受験して、それで、おそらくは聞き取りとか全然できなかったんだと思うんだけど、自分の実力の無さを深く実感するとかいう、当たり前の感想も述べずに、いきなり「なんだあのTOEICの試験官は。バイトとして学びも何もない仕組みだ!」とか文句言った人。
あのなー、まず「わっ、俺、全然聞き取れなかったよ。」とかの、当たり前の、ありのままの自分を受け入れるってことをやれよ。
って思ったわけで。
いやまぁ、いきなりなんの予備知識もなしに受験すりゃ、そりゃショック受けるわさ。
でも、それで試験官のバイト制のことに話をずらしても、何の発展性も意味もないじゃん。
単なる時間の無駄だ。
まず、うそいつわりのない、自分の能力値そのものを、ちゃんと自覚することだよなぁ。
で、その「ありのままの自分」を受け入れるところからしか「学習」は始まらないのだ。
でも、異文化である英語とかに、いきなりぶちあたると、そういう「ショック症状」が出ちゃう人も出てくるんだなぁと。
そういうことを強く思います。
でもねぇ、苦手を克服すると、すごい自信になるよ。
で、そのためには「ありのままの自分」を正しく認識するのが、まず第一歩なんだよ。
テストってのは、そういうための「気づきの機会」なんだから、そういう利用の仕方をしないと、それこそ損だよ。ほんと。
って言いたいわけです。
人生は「安心」して生きるのが、大目標であって、そのためには、自分の「苦手」を、いくら心が痛くても直視して、それを修正することで乗り越え、自信をつけ、ずっと続く「安心」をその場で得る、ってのが基本ですわ。
これを「バイト制度がうんたら」と言って「ありのままの出来てない自分」の直視・受け入れもせずにいたら、それを無意識下に抑圧することにしかならない。
結局、テストを受けたことで無意識領域で「ああダメだ」という感情が根強く残って、妙なひん曲がったプライドとか、そんなものに頼るしかなくなっちゃう。よけい不安が増長されて、安心立命が得られないってことにしかならないんですな。
何もわざわざテスト受けて、不安を膨らませる必要はない。
ありのままの自分を受け入れて、そのままの自分で行くか、あるいはちゃんと勉強するかを決めればいい。それだけのことなのです。
「いくら心が痛くても、ありのままの自分の間違いやダメなところは、ちゃんと直視するしかなかろうが」と、そういう人には指摘するんだけど、そういうことを言うと「心に痛みを感じさせようとしているあなたは、私の心をガンガンと殴る暴力人間だ」とか言われるのですよ。
まいるよなぁ。
その「ありのままの自分を認める痛み」だけは、自分で引き受けるしかないよ。
他の誰も、その痛みだけは、かぶってくれないよ。
で、最初はちょっと痛いんだけど、直視さえすれば、道はいくらでもあるんだ。
大事なのは直視。
自分自身を直視する力。
それこそが「自分を大切にする」ってことなんだけどねぇ。
うむー。
ま、そういうことが言いたかった。
まぁね、私も46にもなって、いまごろTOEIC受験でもないもんだとも思うんだけどねぇ。でも、こうして「伸びた実感」があると、やっぱりすごいうれしいのよなぁ。
これこそ生きる喜びでしょう。
5年計画で、なんとか900点台まで持っていきたいと思ってるんだけど、さて、どうなりますか。
なんとか実現させたいですね。
TOEIC受けて、最近よく思うのは、「英語身につけるなんて無理〜」と、よく思うんだけど、でもちゃんと身につけてしゃべってる日本人もちゃんといてるもんなーってこと。
やれてる人がいてるんだからさ、そういう人の言うことを良く聞いて、真似していくことだよ、やっぱそれは。
ほんとにそれだけのことだと思いますです。
ま、そんなことで。
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