ISBN:4804716300 単行本 町沢 静夫 大和出版 2002/03 ¥1,575
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まず、この本のレビューをアマゾンから引用する。

「30代から40代に移る時期に、誰にも第2の思春期ともいうべき心の危機が訪れる。この『40歳の危機』とその乗り越え方をわかりやすく、かつ学問的にも納得できるように解説する。」

ということだ。

このあいだ「忠告はむずかしい」としたタイトルで「自分セラピー」という本を紹介したけれど、そこに至るには、まずこの本を読もうとした大前提があったのですよ。

それは、自分と同じ年齢の知り合いから友人などの、この数年の、実にドラスティックな変化の事なのであります。

まず、同じ時期に親しい友人が二人離婚した。

離婚の理由がまた、実ははっきりしない。とても仲の良い夫婦でどっちの夫婦もケンカをしたりとか言い争ったりとか、そういうことではないのだ。浮気がひどいとかそういうことでもない。強いて言えば「漠然とした不安で」という感じ。

端から見ていて、離婚する理由がいまひとつわからないのだけれど、それが当人にとってはとても深刻な問題であったらしいのだ。

そういう「漠然とした不安」の背景が、この本を読んで実に素直に納得できたのだ。

40歳というのは、実はまだまだ大人ではない。肉体的には大人だが、「社会」という枠組みの中では、やっと自分のポジショニングが固まって、自分のやりたいことなどが無理なくできるようになってくる、「やっとちゃんとした成人」になったところというのが実際的な状況なのだ。

そして、平均寿命を仮に80歳とすると、実は人生の後半にさしかかり「残り人生」のほうが、「これまでの人生」よりも少なくなってくる時期でもある。

つまり、残り人生の短さを具体的体感で「見通せて」しまう年齢、ということでもあるわけだ。

ここから、三十代の後半から四十代のはじめにかけて、精神的な危機に直面することになる。

「残り人生は短いのに、私には達成したことなんてほとんどない」とかの焦りが出てくるのだ。

これが若い時の焦りと異なるのは、

●残り時間を見通せる
●肉体的にも精神的にも能力値がピークに来ている

という二点があるからだ。

若いときの焦りは、まさに裏付けのない焦りなのだが、40代の焦りは残り時間も計算できる上に、「いまがまさに能力のピークで、これからは下降線でしかない」という現状認識によるリアルさが加わるのである。

なので、精神的な不安度は青少年の不安度とは全く違うし、この時期を乗り越えるというのはけっこう難しいのである。

そういうことを考えると、離婚した二人の知り合いだけでなく、同世代の知人・友人が、軒並みさまざまな問題をかかえていておかしな状態になっているのが良く分かるのだ。

離婚した人間は「やり直すなら、いまが最後のチャンスなのだ」と思うのである。他に理由があるわけでもない。この「いましかない」という気持ちの強さが離婚の原因なのだ。

そのほか、子供ができなかった夫婦は、別れるか、夫婦でバクチにはまるような依存症になってるのが多く、子供ができているところは、男が浮気、女が奥様ならぬ「外様」になってすれ違いが激しくなって会話もない家庭崩壊状態へと突き進むか、子供だけが命と子供依存になっているか、である。

で、ここに「たとえば」と書いた例は、全部実例なのだ。私の知っている親しい同年代の人間(妻帯者)が、軒並みこうなっているわけだ。(独身者はこの年齢で独身というのがすでに問題。)

こっちは客観的に見ているので良く分かるが、驚くぐらいステレオパターンなのは、これらの状況が悪くなったのは、この五・六年の間に集中しているのである。時期があまりに重なっている。この数年で一気に問題が吹き出した感じが強い。

これらは、同年代の人間なのだけれど、年上の方を思い出してみると、得意先の人で、優良企業に勤めていて、まさに調整役が得意で企業にいてるほうが絶対に向いているという人から「独立しようと思ってるのだが」と相談を受けたのが、その方がちょうど40過ぎたところだったなぁとか。

営業とデザイナー二人三脚で順調にやってる人が袂を分って別会社としてやり始めた、あるいはそういう事に対する悩みとかを耳にしたのが40過ぎだったとか、そらもう例に事欠かない。
どれもこれもが40歳を区切りにというのがやたらと多かったのだ。

他にもまだまだいろいろあるのだけれど、やっぱり40なのだなぁ。40歳を前後に、その「危機」がやってくるんだと思う。これは中学生の頃の声変わりとかと同じで、「成長の過程でみなが通るところ」なのだから避けようがないんだろうなと思う。

能力値は最大に高まっている。何かするなら今しかない。だから思い切って無茶なことを理由もなくするか、その内面の不安を何か別のものでごまかすかどっちかするしかない。

でもなぁ、これは「直視」する以外に解決する方法はないんだよ。人は年を取る。それはつまり老いるということなのだ。それは要するに「いずれ死ぬ」ということで、この「死」を受け入れるためには、「生きている意味」を自ら獲得する以外に方法などないのだ。

そこでバクチや子供に肩代わりをしてもらおうとしても無理だし、そういういままでの自分の人生をいったんちゃらにして離婚してやりなおそうと思っても、必ず「うまくいく人生」が手に入るとは限らない。

これらの唐突な「出来事」はひとえに、自分の人生の見直し・再整理の不足なのである。キチンと自分の内面を見ていないから、突発的な対処法に頼ってみたり、自分の内面とは関係のない依存対象にすがってみたりしているだけなのだ。

昔アグネス・チャンが唄った「ひなげしのうた」だっけ? そんな歌があったが、あの歌詞で、

●丘の上、ひなげしの花で、占うのあの人の心。
 来る来ない帰らない帰る〜

という一節があったけれど、まさにあれなのだ。

人生の坂道を上って行くと、ちょうど40歳のところで頂上に着く。いままでの人生の長さから、将来を見通すと、いまが丘の上で、これからは下っていく人生かも知れないと「感じる」わけだ。

そこでどこへ行くのかに迷う。来る来ない、帰らない帰る。である。

でも、そこが頂上で、とにかく降りていくより他に道はないというのだけは直視するしかないのである。下っていくなら、ゆるやかに楽しくだ。

登山でも、登りより下りのほうがカラダの負担は大きいと言う。しっかりと自分を見つめて自分の心の整理をするしかないのだ。

だから、この時期を上手に過ごし、内面の充実を図るということが、すごく大事なのだ。

しかしどうにも、この「自分の内面を見る」ということが、みんな出来ないみたいなんだよなー。
見ないとだめなんだけど。
どこへいっちゃうか分らなくなるよ、この時期をいいかげんに過ごすと、って思う。

下り坂をうまく楽しく、上手に生きてこそ人生なのだ。それができてはじめて、「本当の大人」になれるのだ、ということを、ほんと、みんなに学んで欲しいと思うのよなー。

うむ〜。

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