甘く見ていた。

2005年10月25日 ■時事
最近つくづく思うのは、真に権力を持つものの力に強大さだ。

いまの小泉政権などマスコミの付和雷同と民主党のすり寄りがなければ成り立たない。

夏の政変など、あれは憲法違反である。本来なら良識あるマスコミがいっせいに「小泉、狂ったか」と書いて当然の事なのだ。だからそうなると思っていた。

しかしマスコミこそが権力に買われた犬に成り下がっていた。このあたりを甘く見ていた。

マスコミが弱くても対立政党が叩くかと思ってたら党首戦でアメリカべったりのミニ小泉みたいな前原が党首になった。だからそういう首相の憲法違反みたいなことを全然追求しない。

民主党もアメリカに買われてしまってたんだなぁと唖然とするばかりである。

これだけおかしなことが起きているのに、日本の一般大衆は何も気づかない。政府の間違いを正す役目を野党が担わず「小泉政権を越える改革をする」なんて言ってたら話にならない。政治そのものが単なる儀式にしかならないじゃないか。

そういうおかしなことをおかしいと感じない感覚は、結局、毎日毎日の積み重ねから来ていたんだなぁと思う。
マスコミが結局はずっと「小泉礼賛」をやってきたからだ。

ずっと、「ここ一番という時には、民衆はだまされずに自分の得になるほうを選ぶ」と思っていたから、ものすごい敗北感である。

権力者は小泉でもブッシュでもなく、石油流通を握るロックフェラーだろう。持ってる金の量が桁違いなんだなぁとつくづく思うだけだ。

いままで「証拠もないのにごちゃごちゃ書くのはイカン」と清廉潔白なジャーナリズムの基本に則って考えてたけど、こうもあからさまに法の精神を踏みにじったりしている現状を見ていると証拠がなくても書かなくては仕方ないという気になってきた。

マスコミも政治もコントロールできるようになってしまったら、戦争だとて計画的に起こせる。このまま行くと、反北朝鮮、反中国の風潮が自動的に作られ、アジア人同士が争って、ぶっ壊れた都市をアメリカの企業が立て直すというつまらない結果しかやってこない。

戦争はおしなべて「在庫処理」である。爆弾の在庫処理でビルを潰して、立て直して建築業の在庫も、ありとあらゆる商材の在庫処理も行える。だから簡単にはなくならないのだ。

あとはいかにその損な役割から逃げるかだ。戦争の場所など、別にどこだっていいのだ。在庫処理さえできれば。そんな損な役回りは引き受けないほうがいい。

ソ連が潰れて、アメリカが帝国になった段階で、「ああ徳川政権と一緒や」と思った。徳川帝国が誕生したときにやったのは、敵対する能力のありそうな藩のいじめであった。

なんくせつけて、従わなかったら潰すのである。それを何度か繰り返して、もう敵が出てこないようなところまで圧倒した後に参勤交代という財力の無駄遣い政策を出して、未来永劫徳川政権が続く仕組みにしてしまった。

いまのアメリカのやってることは徳川家康と一緒である。そんなもん、徳川家康の歴史を見れば簡単にわかる。

だから日本は、あの戦国時代を無事に生き延び、織田、豊臣、徳川すべての政権に仕えて、しかも権力者からのキツイ徴税にも、農業の技術改革で見事に対応し、徳川政権の中でも発言力を増して行った加賀の前田藩のようになるべきだというのが、私の基本的なスタンスだった。

日本の物作り能力には、そこまでの力があるのだ。現場の力で生き抜いてきた国民なのだから、そこでがんばるしかないだろうと思っていた。

アメリカの属国の立場はキチンと守った上で、兵役・戦役だけはうまくかわし、アメリカが弱った時に後ろからアメリカの首を絞める。そういう存在であるべきだと思ってた。

でもなぁ、最近は徳川家康も読まないんだよな、みんな。どんどんアメリカの策謀にはまっていって、それに気づかないだけ、なんだよなぁ。後ろから首を絞めるなんて発想すら持てないくらいにバカになってる。

自国がマスメディアから政治体制に至るまで、完全に握られているのに、それにも気づかずに、アメリカのイスラム圏叩きに「反対!」とか言ってたりして。よその国を見てる場合じゃないって言うのに。

ほんと、この9月の選挙結果には落ち込みました。「ここまでみんなアホやったんか」ということで。

でもどうもあきらめるにはまだはやいのかもなぁとも思う。
自民党圧勝と言っても得票数をみれば、本当に僅差なのだ。管理される属国として、いつのまにやら小選挙区制なんかを導入させられちゃったからこんな結果になったけど、まだまだ小泉以外を選ぶ人は多い。52:48くらいの差なんだよなー、得票数で見ると。

ともあれ、アメリカの石油メジャーや金融を掌握しているロックフェラーこそが帝王なのであってブッシュや小泉は手駒でしかない。そんな奴見たこともないから、「よーわからん」と思ってたが、この世の中の異常さを見るにつけ、「あやつってなかったら、こんなことは成立しない」とはっきりわかったので、もうあからさまにする。

半端じゃない資金と組織力がなければ、こんどの選挙戦みたいなことできないわなぁ。それをつくづく思った。

今回は本当にあからさまだった。郵政改革反対を唱えたものでも、「未来ビジョンがない」という理由だけだった野田聖子あたりは、なんだかんだ言っても議員生命はながらえた。

しかし、アメリカの要望をまとめた年次改革要望書の存在にまで言及し、「小泉政権はアメリカの言いなりになりすぎだ」とまっこうから反アメリカの理由を持ってきた小林こうきは、小池百合子を対立候補に持ってこられ、議員にもなれなかった上に、選挙が終わった翌日だったかに、スタッフの選挙違反で挙げられてしまったのである。

こんなもん「なんかなんくせつけておとしめてやる」ことを前提に選挙期間中ずっと監視してなきゃできんじゃろう。見せしめなんじゃないかねぇ。そうとしか思えない。ひどいもんだ。

果たしてこれが法治国家か。小室直樹じゃないけど、「すでに憲法は死んでいる」だなぁ。まったく。

ま、愚痴はやめよう。
絶望していたとしても、絶望しながら、前に向かってただ歩くのである。歩くことをやめてはいけない。それだけのことだ。

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