バカに天才は理解できない。
2005年10月21日 ●じぶんの心マップ私はあまり賢くない。
なので、いろいろ勘違いもするし、間違いもする。
そのたびに本を読んだり、人に意見を求めたりといろいろやる。
だから、いつも考え方や発言を修正しないといけない。
で、そうやって努力していくと、だんだんゆっくりと「本当の天才」とか「きちんとした秀才」というものがどういうものかわかってくるのですな。
はっきり言ってバカに天才は理解できない。無理だ。だから世の中を渡り歩いて行くには、やっぱり勉強がどうしても必要だ。経験則と礼節、人の良さだけではやっていけないのである。
ほんとうに優れたことをする人は膨大な知識の上にわずかなインスピレーションを上乗せして仕組み全体の整合性を持たせたまま完全な解決策を編み出したりするものなのだ。
そのすごさは、多分、ほんとうにキチンと勉強しないとわからないんだろうと思う。
あまり賢くない私ですら、多少の勉強をすると、もっとバカな人間から理解されにくくなる。
天才にはバカが理解できるが、バカには天才が理解できないのだ。これはもう絶対だなぁ。つくづく思う。
たくさん努力して、たくさん勉強した人は、いろんなことが分る。でも勉強してない人間は、とにかく、ただひたすらバカなだけだ。努力して勉強した人間から「こいつバカだよなー」と見られていることすら理解できない。
バカな人。ほんとうに勉強しなさいよ。バカは罪です。きっぱり。
で、最近よく思うのは、田中角栄ってやっぱりものすごい天才やったんと違うんか、ということである。
あえて「角栄モデル」と名付けるけど、いまの小泉の路線って、単に角栄モデルをつぶしてるだけで、その先にあるのはアメリカへの従属化だけやもんな。
たぶん「角栄モデル」は、「自分のことは自分でするモデル」で、日本がアメリカに頼らずやっていくモデルだったんだと思う。
だから角栄はロッキードでアメリカに潰された。
この数年というか十年以上、政・官・財の癒着とかなんとか言われてたことも、アメリカによる実にロングスパンの宣伝効果による角栄モデルの破壊に主目的があったのではないか?
そう考えると公共の仕事には、「政・官・財の協力」が必要な分野も数多いのだということがパッと思い浮かぶ。
そういうことなんじゃないか?
田中角栄は不世出の大天才だった。このあいだ三十周忌があったらしいが、昔の田中派はみんな出てこなかったらしい。ほんとうに、この数年で政治的にはみんなコテンパンに潰されまくってしまったもんなぁ。
住宅金融公庫の仕組みを作ったのも角栄である。この仕組みなど、アメリカのモーゲージの金融的危うさと比べてみれば、はるかに合理的で優れているとも言える。(まぁ家の値段そのものが高止まりしてしまったのはよろしくないが。)
ともあれ天才の考えていることは、バカには理解できない。みなひたすらコツコツと勉強していくしか、本当は他に道はないのである。
そして勉強というのは、単に人より多く勉強に時間を割いて、コツコツ毎日、たとえ10分でも本を読み事実確認しながら検討を積み重ねるということでしかない。
首相の犯罪とか、造反議員とか、まぁレッテル貼りでうんぬんするのは、本当にダメだね。ダメだわ。ほんとうに。
レッテル貼りだけがうまくなるというのは、ひたすら「考えることの拒否」だよ。
重要なのは「レッテルはがし」だね。パッケージのデザインにだまされずに、ちゃんと品質をこそ見ることだ。
バカはレッテルはがしができない。
とにかく「わからなくて不安」なものには、次から次へとレッテル貼りをする。それで「勉強しなくていい安心感」を確保するんだよなぁ。
勉強するというのは、自分がバカであると自覚させられることそのものなんだよね。「わ、俺が間違ってましたすみません。」って感じ。
そこが勉強することの、けっこう辛い部分なんだ。
でも、バカは本当にこれができない。
辛いことを避ける。人によっては「そういう事を言うのは暴力だ」とかまで言う。
違うよ。おまえがバカなだけだよ。
そうホントのこと言うしかないんだけどねー。
ホントの事を言うと「暴力だ」とか非難されたりするのよなー。
困ったことだ。
バカがバカを自覚できなかったら、一生バカのまんまだよなー。
どうするつもりだよー。勉強しろよ、おまえバカなんだからってことなんだけどなー。
天才はバカのこともキチンとわかるし考えるけど、勉強途中の秀才にも至ってない私はバカの気持ちまで考えてる余裕なんてないのよなぁ。
で、多少でも勉強したら、その勉強した部分に関してはバカより数十倍明晰に問題把握ができている。だからバカが小理屈こねても「バカが」と完全に無視ができてしまう。(天才なら無視せずバカでもわかるように言い方を考えたりするだろうけど。私は天才ではなく「バカが努力して、ちょっとまともになった」程度なので余裕がないのである。脳みそがパンパン状態なのだ。天才みたいにゆとりはない。)
ともあれ、私もそう賢いわけではないので、バカの相手をするより、まず自分のバカさ加減に気づいて、より正確な真実の理解へ近づくことだと思っております。
ほんと、勉強した人間にはバカは丸見えである。
なにからなにまでお見通しなのだ。
でも、そういうことすらバカにはわかってない。
やっぱりバカでは、天才は理解できないのだ。
なので、いろいろ勘違いもするし、間違いもする。
そのたびに本を読んだり、人に意見を求めたりといろいろやる。
だから、いつも考え方や発言を修正しないといけない。
で、そうやって努力していくと、だんだんゆっくりと「本当の天才」とか「きちんとした秀才」というものがどういうものかわかってくるのですな。
はっきり言ってバカに天才は理解できない。無理だ。だから世の中を渡り歩いて行くには、やっぱり勉強がどうしても必要だ。経験則と礼節、人の良さだけではやっていけないのである。
ほんとうに優れたことをする人は膨大な知識の上にわずかなインスピレーションを上乗せして仕組み全体の整合性を持たせたまま完全な解決策を編み出したりするものなのだ。
そのすごさは、多分、ほんとうにキチンと勉強しないとわからないんだろうと思う。
あまり賢くない私ですら、多少の勉強をすると、もっとバカな人間から理解されにくくなる。
天才にはバカが理解できるが、バカには天才が理解できないのだ。これはもう絶対だなぁ。つくづく思う。
たくさん努力して、たくさん勉強した人は、いろんなことが分る。でも勉強してない人間は、とにかく、ただひたすらバカなだけだ。努力して勉強した人間から「こいつバカだよなー」と見られていることすら理解できない。
バカな人。ほんとうに勉強しなさいよ。バカは罪です。きっぱり。
で、最近よく思うのは、田中角栄ってやっぱりものすごい天才やったんと違うんか、ということである。
あえて「角栄モデル」と名付けるけど、いまの小泉の路線って、単に角栄モデルをつぶしてるだけで、その先にあるのはアメリカへの従属化だけやもんな。
たぶん「角栄モデル」は、「自分のことは自分でするモデル」で、日本がアメリカに頼らずやっていくモデルだったんだと思う。
だから角栄はロッキードでアメリカに潰された。
この数年というか十年以上、政・官・財の癒着とかなんとか言われてたことも、アメリカによる実にロングスパンの宣伝効果による角栄モデルの破壊に主目的があったのではないか?
そう考えると公共の仕事には、「政・官・財の協力」が必要な分野も数多いのだということがパッと思い浮かぶ。
そういうことなんじゃないか?
田中角栄は不世出の大天才だった。このあいだ三十周忌があったらしいが、昔の田中派はみんな出てこなかったらしい。ほんとうに、この数年で政治的にはみんなコテンパンに潰されまくってしまったもんなぁ。
住宅金融公庫の仕組みを作ったのも角栄である。この仕組みなど、アメリカのモーゲージの金融的危うさと比べてみれば、はるかに合理的で優れているとも言える。(まぁ家の値段そのものが高止まりしてしまったのはよろしくないが。)
ともあれ天才の考えていることは、バカには理解できない。みなひたすらコツコツと勉強していくしか、本当は他に道はないのである。
そして勉強というのは、単に人より多く勉強に時間を割いて、コツコツ毎日、たとえ10分でも本を読み事実確認しながら検討を積み重ねるということでしかない。
首相の犯罪とか、造反議員とか、まぁレッテル貼りでうんぬんするのは、本当にダメだね。ダメだわ。ほんとうに。
レッテル貼りだけがうまくなるというのは、ひたすら「考えることの拒否」だよ。
重要なのは「レッテルはがし」だね。パッケージのデザインにだまされずに、ちゃんと品質をこそ見ることだ。
バカはレッテルはがしができない。
とにかく「わからなくて不安」なものには、次から次へとレッテル貼りをする。それで「勉強しなくていい安心感」を確保するんだよなぁ。
勉強するというのは、自分がバカであると自覚させられることそのものなんだよね。「わ、俺が間違ってましたすみません。」って感じ。
そこが勉強することの、けっこう辛い部分なんだ。
でも、バカは本当にこれができない。
辛いことを避ける。人によっては「そういう事を言うのは暴力だ」とかまで言う。
違うよ。おまえがバカなだけだよ。
そうホントのこと言うしかないんだけどねー。
ホントの事を言うと「暴力だ」とか非難されたりするのよなー。
困ったことだ。
バカがバカを自覚できなかったら、一生バカのまんまだよなー。
どうするつもりだよー。勉強しろよ、おまえバカなんだからってことなんだけどなー。
天才はバカのこともキチンとわかるし考えるけど、勉強途中の秀才にも至ってない私はバカの気持ちまで考えてる余裕なんてないのよなぁ。
で、多少でも勉強したら、その勉強した部分に関してはバカより数十倍明晰に問題把握ができている。だからバカが小理屈こねても「バカが」と完全に無視ができてしまう。(天才なら無視せずバカでもわかるように言い方を考えたりするだろうけど。私は天才ではなく「バカが努力して、ちょっとまともになった」程度なので余裕がないのである。脳みそがパンパン状態なのだ。天才みたいにゆとりはない。)
ともあれ、私もそう賢いわけではないので、バカの相手をするより、まず自分のバカさ加減に気づいて、より正確な真実の理解へ近づくことだと思っております。
ほんと、勉強した人間にはバカは丸見えである。
なにからなにまでお見通しなのだ。
でも、そういうことすらバカにはわかってない。
やっぱりバカでは、天才は理解できないのだ。
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