サウンド・オブ・ミュージック
2005年9月11日 映画
もう、我々は明日に向かって生きて行かなければならない。
そこで、先日からお気に入りの、この映画を紹介したい。
もうね、知ってる人はよくご存じの名作です。
習いに行ってるウクレレ教室で「私のお気に入り」が課題曲になりまして、みんなで合奏してたのですが、もう先生が「私のお気に入り」を大絶賛してるのですよねー。「いい曲だなー」って。
いやまぁ確かに曲だけ聴いてるとメロディラインは同じでありながらコード進行でマイナーからメジャーに切り替わったり実にアレンジメントがおもしろいし良い曲だなとは思うんだけど、でも実際の映画の中でどうなのかなーと思っていて、で、ちょうど英語の勉強もしてることだしと思ってDVDを買ったのであります。
この映画には、「私のお気に入り」だけではなく、「ドレミの歌」「エーデルワイス」と有名な曲が目白押しなので、それだけでも見る価値があるだろうと思ったんですね。
ただ、子供のころにテレビで吹き替え版を見た記憶があって、その時はあまり感激しなかった記憶があったので、どうなのかなーと思ったんだけど、実際見てみたら、とんでもなかった。
もうね、素晴らしいの一言。
ほんとうに良い作品ですわなー。なんでしょうねぇ。これ。ほんとにいいわ。
とくに感激したのは「ドレミの歌」。
この歌、こんなに素晴らしい曲だったのかと感心した。
というか、感激して涙が出そうになった。
家庭教師のマリアが歌も知らないという7人兄弟の子供たちにドレミファから教えるシーンなわけだが、ていねいに教えていくさまがそのまま見事なミュージカルシーンになっていて、子供たちとザルツブルグの町の中を移動していくシーンが実に楽しげなわけ。で、例のソードーラーファーミードーレーのくだりの後にいったん歌が中断して、主人公のマリアと子供たちの会話がある。
マリア「よくできたわ」
子供「でも何にも意味がないんだもの」
マリア「じゃあ言葉をつけましょう。ひとつの音に、ひとつの言葉。こうよ。」
When you know the notes to sing
You can sing most anything
(歌の音階を知っていれば、ほとんど何でも歌えるの。)
と、こうなる。
「音階を知っていれば、ほとんど何でも歌えるの。」だ。
つまり、「基礎さえキチンとやれば、さまざまなあらゆることに応用が可能なのだ!」ということなのである。
ドレミファという無意味な言葉の連なり(それだけでも相当に楽しい。)の後に、このワンフレーズ。
はじめて歌を唄った子供に「一曲歌えたら、あとはほとんど全部歌えるよ」と言ってる。そういう歌なのだ。
すばらしい。
ほんとうにすばらしい。
大事なのは基礎をキチンと学ぶことなのだ。音楽ならドレミファ。
英語ならABCの発音。
人生なら「ありがとう」「ごめんなさい」とかかな。
ほんとうに一番簡単なところさえできれば、あとは本当に自由自在なんだ。そのいちばん最初のとっかかり、取り組み方、みたいなものが、人の可能性のすべてを決める。
もともとマリアは修道僧見習いだから、多少宗教的影響はあるし、もともと音楽が発展してきたのは、宗教音楽が基礎を作ったというのもあるとは思う。
でも、この映画で描かれているのは、そういう「政治」的なことではなくて、もっと人が生きることの基本としての「notes=音階」なんだと思う。
いちばん基本になる事をこそ、大切にしなくちゃいけないよ。そして、その「基礎」さえできたら、君はなんでも思い通りにやれるし、生きていけるんだよ。という事を力強く唄ってくれてるわけです。
ほんと、原典には触れてみないとわからんもんだねー。「ドレミの歌」は、翻訳不能な歌詞だから仕方ないんだけど、やっぱり日本語訳の「ドレミの歌」では、全然伝わらないよなー。
前後編の三時間もので、間にはインタールードまで入ってますが、全然飽きさせないし、後半にいたっては、マリアと父フォントラップ大佐と子供たちが、ナチスから逃げるサスペンスものにもなるし、なによりナチに対する批判精神も見事なんですね。
なにより、映画として面白いわけです。
しかも、このお話しが実話をもとに作られた話だってところがすごいんよなー。
もうすでに三回見て、こんどは英語の勉強がてら字幕無しの英語台詞で見てます。
いやー、ほんと。いい映画です。
みなさまもぜひ。
そこで、先日からお気に入りの、この映画を紹介したい。
もうね、知ってる人はよくご存じの名作です。
習いに行ってるウクレレ教室で「私のお気に入り」が課題曲になりまして、みんなで合奏してたのですが、もう先生が「私のお気に入り」を大絶賛してるのですよねー。「いい曲だなー」って。
いやまぁ確かに曲だけ聴いてるとメロディラインは同じでありながらコード進行でマイナーからメジャーに切り替わったり実にアレンジメントがおもしろいし良い曲だなとは思うんだけど、でも実際の映画の中でどうなのかなーと思っていて、で、ちょうど英語の勉強もしてることだしと思ってDVDを買ったのであります。
この映画には、「私のお気に入り」だけではなく、「ドレミの歌」「エーデルワイス」と有名な曲が目白押しなので、それだけでも見る価値があるだろうと思ったんですね。
ただ、子供のころにテレビで吹き替え版を見た記憶があって、その時はあまり感激しなかった記憶があったので、どうなのかなーと思ったんだけど、実際見てみたら、とんでもなかった。
もうね、素晴らしいの一言。
ほんとうに良い作品ですわなー。なんでしょうねぇ。これ。ほんとにいいわ。
とくに感激したのは「ドレミの歌」。
この歌、こんなに素晴らしい曲だったのかと感心した。
というか、感激して涙が出そうになった。
家庭教師のマリアが歌も知らないという7人兄弟の子供たちにドレミファから教えるシーンなわけだが、ていねいに教えていくさまがそのまま見事なミュージカルシーンになっていて、子供たちとザルツブルグの町の中を移動していくシーンが実に楽しげなわけ。で、例のソードーラーファーミードーレーのくだりの後にいったん歌が中断して、主人公のマリアと子供たちの会話がある。
マリア「よくできたわ」
子供「でも何にも意味がないんだもの」
マリア「じゃあ言葉をつけましょう。ひとつの音に、ひとつの言葉。こうよ。」
When you know the notes to sing
You can sing most anything
(歌の音階を知っていれば、ほとんど何でも歌えるの。)
と、こうなる。
「音階を知っていれば、ほとんど何でも歌えるの。」だ。
つまり、「基礎さえキチンとやれば、さまざまなあらゆることに応用が可能なのだ!」ということなのである。
ドレミファという無意味な言葉の連なり(それだけでも相当に楽しい。)の後に、このワンフレーズ。
はじめて歌を唄った子供に「一曲歌えたら、あとはほとんど全部歌えるよ」と言ってる。そういう歌なのだ。
すばらしい。
ほんとうにすばらしい。
大事なのは基礎をキチンと学ぶことなのだ。音楽ならドレミファ。
英語ならABCの発音。
人生なら「ありがとう」「ごめんなさい」とかかな。
ほんとうに一番簡単なところさえできれば、あとは本当に自由自在なんだ。そのいちばん最初のとっかかり、取り組み方、みたいなものが、人の可能性のすべてを決める。
もともとマリアは修道僧見習いだから、多少宗教的影響はあるし、もともと音楽が発展してきたのは、宗教音楽が基礎を作ったというのもあるとは思う。
でも、この映画で描かれているのは、そういう「政治」的なことではなくて、もっと人が生きることの基本としての「notes=音階」なんだと思う。
いちばん基本になる事をこそ、大切にしなくちゃいけないよ。そして、その「基礎」さえできたら、君はなんでも思い通りにやれるし、生きていけるんだよ。という事を力強く唄ってくれてるわけです。
ほんと、原典には触れてみないとわからんもんだねー。「ドレミの歌」は、翻訳不能な歌詞だから仕方ないんだけど、やっぱり日本語訳の「ドレミの歌」では、全然伝わらないよなー。
前後編の三時間もので、間にはインタールードまで入ってますが、全然飽きさせないし、後半にいたっては、マリアと父フォントラップ大佐と子供たちが、ナチスから逃げるサスペンスものにもなるし、なによりナチに対する批判精神も見事なんですね。
なにより、映画として面白いわけです。
しかも、このお話しが実話をもとに作られた話だってところがすごいんよなー。
もうすでに三回見て、こんどは英語の勉強がてら字幕無しの英語台詞で見てます。
いやー、ほんと。いい映画です。
みなさまもぜひ。
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