人類の月面着陸は無かったろう論/「サイエンス」は「再現す」である。
2004年7月21日 読書
ISBN:4198618747 単行本 副島隆彦 徳間書店 2004/06/21 ¥1,680
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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198618747/qid%3D1091018662/250-7844914-9426652
●表紙
http://snsi-j.jp/picture/img-box/img20040627101802.jpg
アポロ11号の月面着陸は、地球上で撮影された映像で、我々はそれに騙されただけだ。
という内容の本です。えー私は公的には「行ってるか、行ってないか、それはわからん。」という立場を取りますが、本音の本音は「こらぁ、まず間違いなく行ってないよなー。」です。
難しい事は省きますが、科学というか、サイエンスというのは「再現性による保証により成立する論理体系」と言い換えても良いと思うのです。
わかりやすく言うと、「同じ事をやったら、誰でもできる。」です。
これなくしてサイエンスとは言えないわけですね。科学論文とかは、なので「これこれの用具を使って、これこれの条件で、こういう具合にしたら、この数値が出る」という保証書というか手順書みたいなもんです。
サイエンスがすごいのは、この手順が「誰でもできる」というところに集約されます。人種も国家も宗教も関係ない。同じ手順でやったら、「誰でもできる」わけです。
で、「人類の月面着陸」ですが、実は、この「誰でもできる」という検証がされてないわけです。
そらまぁ、アポロは何回も月に行ったことになってるけどね。でも、その後、他の国が行ったとか、そういうのが全然ない。
で、ここで、最近になってブッシュ君が発表した宇宙計画が問題なのである。今年、2004年1月15日に発表された内容は、
(1)2010年に国際宇宙ステーション(ISS)を完成させ、そこでスペースシャトルを引退させる。
(2)大型ロケットと宇宙船を新規に開発し、2015年までに有人飛行を行い、続いて有人月着陸を実現させる。
(3)月面基地を作り、そこから火星有人飛行をめざす。
わかりますかしら。「人類月面着陸を2015年までにやる」と言ってるんですよ。
ちょっと待てや。
いっぺんやれたことが、なんでいまからやり直して10年もかかるねん。サイエンスは再現す、やで。なんで再現にそんなに時間がかかりまんねん、っちゅうことですわなぁ。
まぁ、月面着陸が行われて三十数年、まったく「再現」がされなかったというのもおかしなことだわなぁ。
宇宙空間にはものすごい宇宙線(放射線)があって、さえぎるのも大変だという話もあるけど、そんなことより科学のカナメ、「再現性」こそが問われるのよなー。
行ったか行ってないかはわからんです。証拠がないし。再現もされてるとは言い難いですから。事実としてそういうことなのよな。つまり。
-----------------------
この本の紹介はここまでなんですけど、ここで著者の副島氏のすごい点をひとつ書いておきます。
副島氏はこの「人類の月面着陸はなかった」ということを強く主張してるんです。で、それを人類に対する大罪とも言ってるんですが、「じゃあ現行の各種の法概念に照らし合わせてみて何罪にあたるかといえば、実はよくわからない。」というようなことを書いている点です。
国家が、自国の「国益」のためにこういう手法を選択したのであればそれは理にかなうこと、という見方もまた存在するのです。
科学的な事実の追及より、国家国民の生命と財産を守ることのほうが、実は政治とか国家運営のためには重要なんですね。
その大枠に関しては副島さんは外していない。ここが大したものだと思うのよなー。
つまり「科学は政治に隷属する」のです。実は。
で、正しくサイエンスをやっている者なら、ここのところは良くわかってるはずなんです。
あの天動説が一般的だった時代に地動説を証明する観察事実をつきとめたガリレオ・ガリレイは宗教裁判で負けた時に「それでも地球は回っている」と言ったことになってますが、これは後に舞台劇になった時にそういうセリフが有名になったというだけの話で、ガリレオは裁判ではなにも主張しなかったんですよ。
だって殺されたらかなわんもん。命大事ですよ。命あってのものだねですよ。
で、なにより「再現性」というサイエンスの力をガリレオは良くわかってたわけです。データはあって、それは誰が観察しても同じになる事を知っていた。
だから、宗教裁判とかそういうところで、いちいちギャースカ主張したりしないのよな。
観察方法を残し、静かに公表すればいい。あとはデータが語り、事実が国を超え、宗教を越え、人種を超えて世界に広がっていく。
これこそサイエンティストならではの「戦い方」なんですな。
拍手。
ということで、ここまで読んだ人で、最近の大ヒット本「バカの壁」を読んだ事のある人は、あれをもう一度最初から読み直して欲しい。
「なんや、このおっさん。ほんまにサイエンティストか?おい」と思わざるをえないことばっかりギャースカと騒いでるだけというのが、よくわかるはずなんですよ。
政府に役人が政治的に判断していることを学問的におかしいとか言ってる。何言うとんねん、おっさん。ねむたいこと言うてたら承知せんぞ。
文句があるんやったら、観察データ出せや。それが学者の仕事やんけ。それも無いならだまっとかんか。やかましいわ。アホ。
てなことで、最初の50ページで、あの本は嫌になっちゃったよ。
マジで。
ということで、私が書いた「バカの壁」評も、もう一度掲載しときます。
http://diarynote.jp/d/12917/20030903.html
んー、あー、「サイエンスは再現すである。」我ながら、素晴らしい表現じゃなー。あースゴイスゴイ。
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http://snsi-j.jp/picture/img-box/img20040627101802.jpg
アポロ11号の月面着陸は、地球上で撮影された映像で、我々はそれに騙されただけだ。
という内容の本です。えー私は公的には「行ってるか、行ってないか、それはわからん。」という立場を取りますが、本音の本音は「こらぁ、まず間違いなく行ってないよなー。」です。
難しい事は省きますが、科学というか、サイエンスというのは「再現性による保証により成立する論理体系」と言い換えても良いと思うのです。
わかりやすく言うと、「同じ事をやったら、誰でもできる。」です。
これなくしてサイエンスとは言えないわけですね。科学論文とかは、なので「これこれの用具を使って、これこれの条件で、こういう具合にしたら、この数値が出る」という保証書というか手順書みたいなもんです。
サイエンスがすごいのは、この手順が「誰でもできる」というところに集約されます。人種も国家も宗教も関係ない。同じ手順でやったら、「誰でもできる」わけです。
で、「人類の月面着陸」ですが、実は、この「誰でもできる」という検証がされてないわけです。
そらまぁ、アポロは何回も月に行ったことになってるけどね。でも、その後、他の国が行ったとか、そういうのが全然ない。
で、ここで、最近になってブッシュ君が発表した宇宙計画が問題なのである。今年、2004年1月15日に発表された内容は、
(1)2010年に国際宇宙ステーション(ISS)を完成させ、そこでスペースシャトルを引退させる。
(2)大型ロケットと宇宙船を新規に開発し、2015年までに有人飛行を行い、続いて有人月着陸を実現させる。
(3)月面基地を作り、そこから火星有人飛行をめざす。
わかりますかしら。「人類月面着陸を2015年までにやる」と言ってるんですよ。
ちょっと待てや。
いっぺんやれたことが、なんでいまからやり直して10年もかかるねん。サイエンスは再現す、やで。なんで再現にそんなに時間がかかりまんねん、っちゅうことですわなぁ。
まぁ、月面着陸が行われて三十数年、まったく「再現」がされなかったというのもおかしなことだわなぁ。
宇宙空間にはものすごい宇宙線(放射線)があって、さえぎるのも大変だという話もあるけど、そんなことより科学のカナメ、「再現性」こそが問われるのよなー。
行ったか行ってないかはわからんです。証拠がないし。再現もされてるとは言い難いですから。事実としてそういうことなのよな。つまり。
-----------------------
この本の紹介はここまでなんですけど、ここで著者の副島氏のすごい点をひとつ書いておきます。
副島氏はこの「人類の月面着陸はなかった」ということを強く主張してるんです。で、それを人類に対する大罪とも言ってるんですが、「じゃあ現行の各種の法概念に照らし合わせてみて何罪にあたるかといえば、実はよくわからない。」というようなことを書いている点です。
国家が、自国の「国益」のためにこういう手法を選択したのであればそれは理にかなうこと、という見方もまた存在するのです。
科学的な事実の追及より、国家国民の生命と財産を守ることのほうが、実は政治とか国家運営のためには重要なんですね。
その大枠に関しては副島さんは外していない。ここが大したものだと思うのよなー。
つまり「科学は政治に隷属する」のです。実は。
で、正しくサイエンスをやっている者なら、ここのところは良くわかってるはずなんです。
あの天動説が一般的だった時代に地動説を証明する観察事実をつきとめたガリレオ・ガリレイは宗教裁判で負けた時に「それでも地球は回っている」と言ったことになってますが、これは後に舞台劇になった時にそういうセリフが有名になったというだけの話で、ガリレオは裁判ではなにも主張しなかったんですよ。
だって殺されたらかなわんもん。命大事ですよ。命あってのものだねですよ。
で、なにより「再現性」というサイエンスの力をガリレオは良くわかってたわけです。データはあって、それは誰が観察しても同じになる事を知っていた。
だから、宗教裁判とかそういうところで、いちいちギャースカ主張したりしないのよな。
観察方法を残し、静かに公表すればいい。あとはデータが語り、事実が国を超え、宗教を越え、人種を超えて世界に広がっていく。
これこそサイエンティストならではの「戦い方」なんですな。
拍手。
ということで、ここまで読んだ人で、最近の大ヒット本「バカの壁」を読んだ事のある人は、あれをもう一度最初から読み直して欲しい。
「なんや、このおっさん。ほんまにサイエンティストか?おい」と思わざるをえないことばっかりギャースカと騒いでるだけというのが、よくわかるはずなんですよ。
政府に役人が政治的に判断していることを学問的におかしいとか言ってる。何言うとんねん、おっさん。ねむたいこと言うてたら承知せんぞ。
文句があるんやったら、観察データ出せや。それが学者の仕事やんけ。それも無いならだまっとかんか。やかましいわ。アホ。
てなことで、最初の50ページで、あの本は嫌になっちゃったよ。
マジで。
ということで、私が書いた「バカの壁」評も、もう一度掲載しときます。
http://diarynote.jp/d/12917/20030903.html
んー、あー、「サイエンスは再現すである。」我ながら、素晴らしい表現じゃなー。あースゴイスゴイ。
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