偶然出会う。
2003年11月22日ちょいと買いたいものがあって、夕方ヨドバシカメラまで出かけると、偶然に友人と出会う。
とは言っても、相手は彼女と一緒で、まぁ邪魔しても悪いから「おおっ」と声をかけてすぐにすれ違った。
ちゅうのも。んー、あんまり書けんが、まぁあまり表立って「つきあってます」とは言えない関係だからなのである。やっかいなこと、やっとるなーと思うのだけど、そういう関係なのだから仕方がない。
ある程度の年齢になってくると、人生の上り坂から下り坂に入って来て、そのあたりで人は惑う。
まだまだやれる。
いやしかし、もう時間はない。
このふたつの思いが強く反発しあう。
「人には可能性がある。」この言葉は、若い間は能力がないことのなぐさめに使われるだろう。しかし、40前後になってくると、それはまったく別の意味を持ってくるのだ。
「人には可能性がある。」ある程度がんばってきた人間なら、その可能性がすべて「実現可能である」ことも知ってしまっているのだ。若いときのように「できない」が前提にはならない。「できる」が前提になる。
努力して身につけたこともあれば、自然とできるようになったこともある。他人から見れば「すごいっ!」と言われることを身につけた自信もあるし、失敗も数多くしていて、それを避ける力もあれば、失敗しても乗り切れるノウハウも多少は持っている。
だから可能性は「本当にある」のである。
しかし。
時間だけはない。
若いときより格段に少ない。
残された時間は決して若いときのように無尽蔵にあるようには、とても感じられないのである。
だから、人生の上り坂の頂点、丘の上で人は惑う。自分の可能性への挑戦とこれからの時間の少なさの中で突拍子もないことをしたり、無茶なチャレンジをしたり、いろんなドラマを、生み出さなくてもいいのに生み出してしまう。
で。
この男もそうなのだ。
そして、その彼女もたぶんそうだろう。
なんだかなぁ、そういうギリギリの感じで無茶してる友人が多い。
この年齢になれば、それらの思いは必然的に出てくるらしい。
でも、それは当人にとっては必然には感じられないのだ。
何か焦りを感じる。何かをしないではいられない。いま自分を変えなければ一生変らない。
そういう衝動的な思いが「偶然、自分に湧き起こっている」かのように感じるのである。
ちゃうちゃう。
それは、ちゃうでぇ。
偶然とちごて、必然なんや。
人が生きてる限り、人生のど真ん中、頂点で、どうしても感じてしまう焦りなんや。
もっとしっかり自分を見直さな、アカンよ。
と思うのだが、どうにもこれが難しいみたいやなぁ。
みんな、みんな、焦りながら、のた打ち回って生きてるなぁ。
幸せになってくれよー。俺自身も含めて。
そんな気がする。
とは言っても、相手は彼女と一緒で、まぁ邪魔しても悪いから「おおっ」と声をかけてすぐにすれ違った。
ちゅうのも。んー、あんまり書けんが、まぁあまり表立って「つきあってます」とは言えない関係だからなのである。やっかいなこと、やっとるなーと思うのだけど、そういう関係なのだから仕方がない。
ある程度の年齢になってくると、人生の上り坂から下り坂に入って来て、そのあたりで人は惑う。
まだまだやれる。
いやしかし、もう時間はない。
このふたつの思いが強く反発しあう。
「人には可能性がある。」この言葉は、若い間は能力がないことのなぐさめに使われるだろう。しかし、40前後になってくると、それはまったく別の意味を持ってくるのだ。
「人には可能性がある。」ある程度がんばってきた人間なら、その可能性がすべて「実現可能である」ことも知ってしまっているのだ。若いときのように「できない」が前提にはならない。「できる」が前提になる。
努力して身につけたこともあれば、自然とできるようになったこともある。他人から見れば「すごいっ!」と言われることを身につけた自信もあるし、失敗も数多くしていて、それを避ける力もあれば、失敗しても乗り切れるノウハウも多少は持っている。
だから可能性は「本当にある」のである。
しかし。
時間だけはない。
若いときより格段に少ない。
残された時間は決して若いときのように無尽蔵にあるようには、とても感じられないのである。
だから、人生の上り坂の頂点、丘の上で人は惑う。自分の可能性への挑戦とこれからの時間の少なさの中で突拍子もないことをしたり、無茶なチャレンジをしたり、いろんなドラマを、生み出さなくてもいいのに生み出してしまう。
で。
この男もそうなのだ。
そして、その彼女もたぶんそうだろう。
なんだかなぁ、そういうギリギリの感じで無茶してる友人が多い。
この年齢になれば、それらの思いは必然的に出てくるらしい。
でも、それは当人にとっては必然には感じられないのだ。
何か焦りを感じる。何かをしないではいられない。いま自分を変えなければ一生変らない。
そういう衝動的な思いが「偶然、自分に湧き起こっている」かのように感じるのである。
ちゃうちゃう。
それは、ちゃうでぇ。
偶然とちごて、必然なんや。
人が生きてる限り、人生のど真ん中、頂点で、どうしても感じてしまう焦りなんや。
もっとしっかり自分を見直さな、アカンよ。
と思うのだが、どうにもこれが難しいみたいやなぁ。
みんな、みんな、焦りながら、のた打ち回って生きてるなぁ。
幸せになってくれよー。俺自身も含めて。
そんな気がする。
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