液晶ディスプレイ用アームスタンド
2003年9月12日この間からの「心の旅」で、何冊も本を読んだのだけれど、その中にはいままで読んだ本の再読とかも多かった。
で、昨日あたりから、そういうプライベートに読んできた本が、あまりにも自宅の部屋で雑然と積み重ねられていることが問題だと気付き、自宅の整理のついでに、仕事に関する書籍は事務所に移動させるようにしていた。
「心の旅」をしながら、実はけっこう仕事の関連の書籍とかも読み直してたりする。自分の内面の問題って、全部つながってるしねぇ。なにかひとつだけに特定できるというもんでもないから。
で、今日も書籍の整理をしつつ、事務所に持っていったほうが良い書籍などを自宅でピックアップしていると、ヨドバシカメラから電話が入る。
「ご注文いただきました、ディスプレイアームが入って来ておりますので、地下一階の売り場までお越しください。」
だと。
長げぇ。
待ち焦がれたよ。注文したの、8月の中頃だぞ。やっとかよ。
とか思いつつ、こうなると書籍数冊とアームと両方持って街なかを移動するのは辛いので、書籍を入れたショッピングバッグは部屋に置いたまま家を出る。
しかし、考えたらグッドタイミングかもね。ちょうどいろいろ整理してる最中だから。
ということでヨドバシで受け取って事務所に出る。
やっさもっさと取り付けをしてみるが、いい!。
これはいい!
三軸あって自由度の高いディスプレイアームにしたから、液晶画面を右に左に、上に下にと、自在に移動できる。なんだかとっても快適。
となりの人に画面を見せる時も、ひょいと移動させれば画面が相手の側を向く。わざわざ椅子を引いて場所を作ってとか、そういうの要らない。正しいよなぁ、これが。
それから、こりゃいいわと思ったのが、ネット検索で資料を見たり、紙の資料を見ながらいろいろ検討してたとして、「見たくない」と思った時にパソコンの情報も紙の資料と同じように、視界から外に出せること。
デジタルのデータを紙の資料のように扱える。
こんな用途で使うつもりはなかったけれど、たぶん、これは画期的に違う。机の上での作業の意識が変る。
だっていままで紙の資料の整理のために別の机に移動したり、あるいは喫茶店に出かけたりとかしてたんだもん。
資料読みとかがきっとすごく快適になるね。
最初は机を広く使いたいというだけだったけれど、いざこのアームをつけてみると、求めていたのは、それだけじゃなかったと、いろいろ気付く。
「なんかわからんけど、アームにしたい」と、モヤモヤと思ってたんですよ。
でも、つけてみて分かったわ。
「パソコンいらんわ」
というタイミングが、少なからずあるんですよ、私の仕事では。そういうことに無意識に気付いていて、それで「なんかしらんがアームじゃな」だったんだねぇ。
これで事務所の机で書籍を読みつつメモを取るとかが、すごく快適にできるようになる。
仕事の上ではパンフレットを何冊も読み比べるとかも必要だしねぇ。
紙だけ、デジタルだけという切り分けじゃなくて、どちらも平行して自由に取捨選択できる感覚が実に良いってことですね。
ようするにねぇ、おおげさに言うなら、本当は世の中全部がつながってるんだってことだよね。デジタルもアナログも情報は情報だし、自分の意識も必要に応じてフォーカスを自在に入れ換えている。
それが自然な態度だってことですな。
だから、仕事は仕事で割り切るとか、プライベートは仕事に持ち込まないとか、そういうのはちょっとウソだという感じがしてきた。
やっぱり風邪で熱がある時は、まともな仕事はできないんだしさ。本当は全部ぴったりと寄り添いながら、くっついて存在しているし、つねに連携しながら、物事は起きている。
心の旅を経て、現実に戻り、そして、ディスプレイ用のアームスタンドの自由さを見て、そんなことを思うのであった。
で、昨日あたりから、そういうプライベートに読んできた本が、あまりにも自宅の部屋で雑然と積み重ねられていることが問題だと気付き、自宅の整理のついでに、仕事に関する書籍は事務所に移動させるようにしていた。
「心の旅」をしながら、実はけっこう仕事の関連の書籍とかも読み直してたりする。自分の内面の問題って、全部つながってるしねぇ。なにかひとつだけに特定できるというもんでもないから。
で、今日も書籍の整理をしつつ、事務所に持っていったほうが良い書籍などを自宅でピックアップしていると、ヨドバシカメラから電話が入る。
「ご注文いただきました、ディスプレイアームが入って来ておりますので、地下一階の売り場までお越しください。」
だと。
長げぇ。
待ち焦がれたよ。注文したの、8月の中頃だぞ。やっとかよ。
とか思いつつ、こうなると書籍数冊とアームと両方持って街なかを移動するのは辛いので、書籍を入れたショッピングバッグは部屋に置いたまま家を出る。
しかし、考えたらグッドタイミングかもね。ちょうどいろいろ整理してる最中だから。
ということでヨドバシで受け取って事務所に出る。
やっさもっさと取り付けをしてみるが、いい!。
これはいい!
三軸あって自由度の高いディスプレイアームにしたから、液晶画面を右に左に、上に下にと、自在に移動できる。なんだかとっても快適。
となりの人に画面を見せる時も、ひょいと移動させれば画面が相手の側を向く。わざわざ椅子を引いて場所を作ってとか、そういうの要らない。正しいよなぁ、これが。
それから、こりゃいいわと思ったのが、ネット検索で資料を見たり、紙の資料を見ながらいろいろ検討してたとして、「見たくない」と思った時にパソコンの情報も紙の資料と同じように、視界から外に出せること。
デジタルのデータを紙の資料のように扱える。
こんな用途で使うつもりはなかったけれど、たぶん、これは画期的に違う。机の上での作業の意識が変る。
だっていままで紙の資料の整理のために別の机に移動したり、あるいは喫茶店に出かけたりとかしてたんだもん。
資料読みとかがきっとすごく快適になるね。
最初は机を広く使いたいというだけだったけれど、いざこのアームをつけてみると、求めていたのは、それだけじゃなかったと、いろいろ気付く。
「なんかわからんけど、アームにしたい」と、モヤモヤと思ってたんですよ。
でも、つけてみて分かったわ。
「パソコンいらんわ」
というタイミングが、少なからずあるんですよ、私の仕事では。そういうことに無意識に気付いていて、それで「なんかしらんがアームじゃな」だったんだねぇ。
これで事務所の机で書籍を読みつつメモを取るとかが、すごく快適にできるようになる。
仕事の上ではパンフレットを何冊も読み比べるとかも必要だしねぇ。
紙だけ、デジタルだけという切り分けじゃなくて、どちらも平行して自由に取捨選択できる感覚が実に良いってことですね。
ようするにねぇ、おおげさに言うなら、本当は世の中全部がつながってるんだってことだよね。デジタルもアナログも情報は情報だし、自分の意識も必要に応じてフォーカスを自在に入れ換えている。
それが自然な態度だってことですな。
だから、仕事は仕事で割り切るとか、プライベートは仕事に持ち込まないとか、そういうのはちょっとウソだという感じがしてきた。
やっぱり風邪で熱がある時は、まともな仕事はできないんだしさ。本当は全部ぴったりと寄り添いながら、くっついて存在しているし、つねに連携しながら、物事は起きている。
心の旅を経て、現実に戻り、そして、ディスプレイ用のアームスタンドの自由さを見て、そんなことを思うのであった。
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