最近だんだんと分かってきたこと。
安倍信者ってネトウヨであり、パーとバカばっかりなんですなぁ。

考えたら小泉政権の時から、自民党は「B層」を獲得することに躍起になっていた。

バカは数は多いし、だましやすいし、政党の支持者には都合がよいわけですよ。

そうやったんかぁぁぁぁぁぁぁぁ、という感じ。

バカだけ集めて運営してるのが安倍政権。

ひどいねぇ。


で。

ちょっとネトウヨの話も書きます。

ずっとネトウヨというのは、若くて純粋な若者が、薄汚い大人に騙されて保守の思想にかぶれてるとか、そういうノリなんだと、勝手に想像してました。

間違いでした。
すみません。

違うんですよね。

ネトウヨっておっさんなんよ。

それも40、50の。
恥ずかしいことに、私と同年代ですよ。

で、どういう奴かというと、まず、

●バカ

です。

中学校の時からバカで通ってたような奴がネトウヨになってる。

でも、バカでなくても、ちょっとマシ、という程度の奴でもネトウヨになってる。

それはどういう奴かというと、

●仕事しかしてこなかったおっさん

です。
政治のこととか、社会の仕組みのこととか、法律の基本とか、社会学とか、そういうような、幅広く社会を学問の視点でフラットに見るという習慣を持たずに「おっさん」になった奴。

そういうのが「ネトウヨ」になっている。

で、どういうふうに、そういう馬鹿やおっさんがネトウヨになっていくかというと、これ、すげーリアルなんやけど、

●世の中の変化についていけなくて、ネットの「日本はすごい」というような動画でのみ情報を取得。
(本を一冊読み切るような知力も気力も習慣も持っていないから、必然的にそうなる)

●日本はすごい、という話は、自分が何もしてなくても日本人だから、自分をほめてもらっているような快感を得られる。

●同窓会などで昔の知り合いがふたたびつながって、知識のない人間同士が誘い合って櫻井よしこみたいな、日本会議系のおかしな後援会に行く。

●理屈にもなっていないような屁理屈にまんまと感化されて「俺も何かしなきゃ」となる。

●簡単でスキっとする北朝鮮叩き、韓国叩き、中国叩きなどのヘイトの味を覚える。

●勉強しろとか間違ってるとか言われたら「お前は中国の手下だ!」とか言って相手を否定して安心感を得る。

とまぁこうなってるわけです。

とほほほほ。

情けなくなってきますなぁ。

そんなんでっせ。

本も読んでない。事実関係を確認するような基本的態度も身についてない。
(当然ながら、ネットで関連情報を自分でキーワードを入力して調べてみる、というような最低限のリテラシーも身についてない。〇〇さんが言ってたキーワードで検索してみよう…わ!ほんまや!というレベル。騙され放題。)

そういう40代、50代がわんさといて、そういうのが流れ流れて安倍信者になっとるわけです。

だから安倍政権は倒れない。

三権分立も知らないし、リヴァイアサンも知らないし、立憲主義もさっぱり分からん。

そういうアホが、この国の根幹を握ってる。というか、安倍とか、そういう適当な奴らのええようにこき使われてるわけです。

情けなくて涙が出るわ。
とほほほほ。

アホは数が多い。数が多いのは、政治の世界では絶対。
だからアホが支配する国になってる。

杉田水脈(すぎたみお)を見よ! あんなアホが比例代表で1位になってんねんで?
パァやんけ、あいつ。

でも、安倍信者は杉田を擁護するんですよ?

アホやがな。

LGBTとは何か? ということも知らんくせに「LGBTに税金投入するのは反対」なんですよ?

そんなバカは平気で「アホは人権なんかいらない。殺してもいいという法律を作りましょう。だってバカなんですよ? 人権なんかいらんでしょ?」
とか平気で言いよる。間違いない。

だから、アホバカの安倍信者は、杉田みたいなアホに殺されることになっても、文句は言えないわけです。あんな無茶苦茶な意見を擁護したんやから。

それはあかんやろ。
あんたが根拠のない、理不尽な理由で殺されてもええんか?
杉田を擁護するということは、そういうことやで?

と言いたい。

でも、そういう仕組みの理解すらできてない。

やれやれ。

情けないけど、それが実情ですわ。

もう、ただひたすら、そういう馬鹿な奴らも幸せになってくれよと祈るばかりです。

どうしたらええのかもわからんからね。

いまのままで彼らが幸せになれるとは思えないのだけれど。

いま、私が、こうして事態をフラットに把握できることに感謝して、筆を置きます。というかキーボードやな。キーボードから離れます。

はい。

大阪市の都構想がついえて、私は大変うれしいです。

でも、賛成してた人にはかなりのショックだったようで、その反動の大きさにこっちが驚いてしまう。
そんなに落ち込むなよ、中身の無い計画やったんやから、と思うんやけど、どうやら大阪人の何十万人かは「橋下維新教」という宗教にはまっていたらしく、そういう意味でショックが大きいらしい。

そうか、そうやったんかと思う。

いやね、ちょっと話題になったツイートに「反対派なんかおらんかったわ。私がわからなくて、橋下が説明せなアカンかったところをキチンと説明してくれたんが反対派と呼ばれる人やった。そやから反対派なんかおらん。説明派や。」というものがあったわけで。

これもう、そのとおりと思うんやけど、大阪市以外の人にはさっぱりわからんしねぇ。
やれやれだわ。

今回すごく嫌だったのは、「協定書には成長戦略書いてないし、ようわからんから反対に入れる。よく分からんかったら、まずは反対に入れるべしでしょ」というと、とたんに


ものすごーーーーーーく嫌な顔される


というのがあったわけです。

なんやこれ? と思った。
街なかで、たまたま知り合いと初対面の人と出会って、そういう話をしたら、ものすごく嫌な顔されたんですよ。

それがとにかく精神的にとっても嫌だった。
ものすごく理不尽な扱いを受けた感じがする。

そんなおかしな事言うてるか?

民主主義の仕組みとして考えて、そうなるやん。「分からん」かったら反対やんか。と思うねんけど、それが「とんでもないゴリ押し」と取られてるわけです。

はぁ~~?
なんですか、それは。
なんよなぁ。

1万人いて、賛成が3人、反対が2としましょう。賛成派は自分の計画を進めたい。反対派は、その計画を潰したい。残りの9千9百95人は「継続審議やけどいま確定はしない」だったとしましょう。

でも、賛成と反対しか投票でけへんのやったら、まずは反対に入れるでしょう。

また検討したらよろしがな。

チャンスなんかいくらでもあるがな。

「今度のチャンスが一回限り」というのは橋下君が言うてるだけや。

でも、こういう事を言うと「反対派はこれやから」と嫌がる。で、「どうせ既得権益で美味しい目をしてる人でしょ」というレッテル貼りですわ。

もう、ほんまに嫌やった。
説明派は即反対派と言われ、「既得権益にしがみついてる人」と言われる。

やれやれ。

ほんまにやれやれだわ。

そういう部分でレッテル貼りしてて、大阪人が一丸となられへんのが一番嫌やなぁ。
気分とか雰囲気やなくて、論理的にキチンと考えろやと思う。

600億かけて住所表示変えて、それがもとがとれるようになるまで10年とか、やってる場合と違うし。
特別区にするために移行期間に2年かかって、その間、大阪市がないから市政が完全にストップするとか、いまやってたら、そらアカンのと違うん?

ともあれ、都構想は正式になくなったらしいので、本当に良かったと思う。(橋下くんに本気でやり抜く気持ちはなかったんやと思う。だいたいあれだけ二重行政の解消を言うてたのに、負け戦会見で「それでも二重行政だけはなんとか解決しなければなりません」とか、一言も言わんかったやん。それがすべて。口だけやったということですがな。はっきりしてます。)

あとは、大将がおらんようになって、傷ついた賛成派の人たちが、ゆっくりでええから、自分の頭でちゃんと考えて、自分の意思で気持ちを癒し、反対派ではない、「説明派」の説明にちょっとずつ耳を傾けてくれる事やろなと思ってます。

とりあえず「反対派」が勝ったんやから。賛成派は負けたんやから。しっかり「反対派」の意見に耳を傾けてください。
たのんまっせ。
大阪の未来は、あんたらの気持ちの持ちようにかかってるんやから。

負けた。
間違ってた。
バカでした。

この三つをしっかりと心に刻んでほしいです。

(大将の橋下くんですら「間違ってたんでしょう」という言い方で自分のミスを認めてるんやから。「でしょう」やないわ。完璧に間違っとるわ、と僕なんかは思いますけど。)

なぜか急に書きたくなったので書きます。

今日は久しぶりに「依存症」の話です。

というのも実は、私、タバコをやめて、今日か明日か、ちょっと日にちは分からないのですが、2月の半ば、バレンタインデー前後で14年になるからなのです。

記憶ははっきりとはしてないのですが、とにかく2001年の年明け。
なぜか急に「タバコをやめよう」と決意しまして、「禁煙セラピー」という本を読んで、完全に断煙、いまもって一本もタバコを吸っていないのであります。

というか、たぶん、もう一生吸わないよね。ここまできたら。
なんせ満員電車とかで、「さっきタバコを吸ってました」というような人が隣にいたら「うわー、くせぇ、助けてくれ!」とか感じるようにまでなってますから。

人間変われば変わるものです。


ということで先に結論を書きますが、



●禁煙するなら「禁煙セラピー」がおすすめです。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4845405059



以上、終わり。

というくらいに、禁煙セラピーが僕的にはピッタリはまったんですね。
まぁ人によるでしょうけど、この「禁煙セラピー」を読んでやめられた、という人は多いです。
僕の周りにも数人はいてます。


で、ここからはネタバレなので、本当にやめたい人は読まない方がいいんですが、まぁなんでもバラしてしまう人なので書いてしまいますが、この禁煙セラピーの、本当のポイントは、




●まだやめるな! もっと吸え!




と、しつこいくらいに繰り返すことなんですね。


もっと吸いなさい。

もっともっと吸いなさい。

まだ、やめちゃだめだ。もっと吸いなさい。

いやいや、まだまだ、やめたらだめだよ。とにかく吸いなさい。

この本を読み終わるまでにやめたらダメだよ。とにかく、読み終えるまでドンドン吸いなさい。

とまぁ、こういう構成になっております。

もっと吸え、ガンガン吸え。一日の最大本数を超えるくらいに吸え!という勢いでお勧めしてくる。


で、本の内容はいったいどういうものかというと、「喫煙の無意味さ」を説いているのですね。
意味ないと。
喫煙なんて無駄の極みだと。
何の価値もないと。
「おいしい」? は! そんなもん勘違いですよ。完全な勘違いです。なぜなら…。
とまぁとにかくタバコの無価値さを徹底して論理的に説明します。

これが素晴らしいのですね。
実に理に適っています。


というのも、実は薬物中毒というのは、体の中にある薬物の量が減ってくると、それを安定させたくて摂取するわけですが、この時に生まれる快感というのは、体内の残存量が少なければ少ないほどに大きな快感になるわけです。

だから、「タバコがおいしい」というのは、ニコチンの体内残存量が少ない時にこそ感じることであって、体内残存量が多い時には、あまり快感はないわけです。
コンマゼロ点いくらかから、一気に100%に上ぼりつめるから快感なわけです。

これが、薬理作用としての薬物依存の基本的な仕組みなんですね。

なので、この快感と、タバコを吸うという行為を切り離させるために、この「禁煙セラピー」では、「とにかく吸え」と言うわけです。

体内残存量が95%で、それが100%になったところで、快感度はせいぜい5%。ちーとも「おいしく」ないわけです。

タバコを吸えば吸うほど、タバコが「おいしくない」ものになっていくわけです。上り詰める快感がなくなる。

で。

「吸う行為」に快感をあまり感じられなくなった時に、「もう充分、一生分タバコは吸ったよね? もう嫌というほど吸ったのだから、今日、人生最後の一本を吸って、それでもうタバコを吸うのは終わりにしましょう」と提案をしてくるのが、この本なのです。

実際、書籍を一冊読み終えるには、少なくとも数日から1週間くらいはかかるものです。その間、ずっと吸う本数を増やしていくのですから、そりゃ快感はなくなりますわね。
体はニコチン漬けですからね。

で、「快感」がなくなった段階で、スパッと一生吸わないモードにしてしまうわけです。
「おいしくない」と感じ始めてるわけですから、そりゃやめられますよ。

で、実は薬理作用としての「禁断症状」というのは、たかだか2週間くらいなんですね。
物理的に体がホメオスタシスを求めてタバコを吸いたい!と思うのは2週間だけ。

だから、ここを辛抱することさえできれば、あとはもう本当に「一生吸わないからだ」になってしまうわけです。

なので、基本、この本に書いてある通りにやってれば、まぁタバコはやめられます。
実に良い本です。

(本を読んでもやめられなかった人のために、アレン・カーさんは直接対話してのカウンセリングもやっておられたのですが、そのカウンセリングでも「もっと吸いなさい」とやってたものだから、アレン・カーさん自身が間接喫煙をし続けることになってしまって、アレン・カーさんは肺がんで亡くなるという実に悲しい結果になりました。)

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以上が、禁煙のおすすめの話なんですが、ここまではあくまで薬理作用との戦いの話でして、実際には「依存症」というのは心の状態の話ですから、実は薬理作用だけでは話は終わらないわけですわ。

実は、タバコを吸った快感というものは、いろいろな出来事にくっついて記憶に残るんですね。

うれしい事があった時とか、悲しかった時とか、そういう感情の動いた時にタバコを吸ったりすると、その「快感」と「感情の記憶」が結びついて、こびりついて取れなくなっちゃうんです。

こうなると、何かうれしい事があった時に「タバコを吸ったら、もっとうれしく感じる」という、実に厄介な状態になってしまう。

なので、このやっかいな状態を、ひたすら「それは勘違いよ。別にタバコを吸わなくても、うれしいことはそれだけでうれしいのだ」とキチンと自分で納得しないとダメなわけです。

実は、ここがかなり難しいんですね。

実際、ニコチンの禁断症状自体は2週間で消えましたが、僕の場合で困ったのは「夕日を見るとタバコが吸いたくなる」という、感情とニコチン補充感覚との結合でありました。

これはやっかいでしたねぇ。

夕日を見ながらタバコを吸うのが好きだったので、きれいな夕日を見るとタバコが吸いたくて仕方なくなってしまう。

これだけは、珈琲とか、他のものではダメなんですね。

この「夕日を見るとタバコが吸いたくなる」という、おかしな感情との結びつきが消えてなくなるまでには、たぶん5年から8年くらいかかりました。
けっこう頑固な「感じ方のクセ」でした。

でも、この感覚を超えると、あとはもう一直線。最初に書いたように、タバコを吸ったばかりの人が隣に来ただけで「うげー、助けてくれ」と感じるくらいタバコの煙が大嫌いになったわけです。


困ったことに、僕の知り合いで、二人ほど「もうタバコは吸ってないです。年に1本とか2年に1本とかですよ」とか言う人がいてるんですが、これはこの「感情と快感」が、かなり複雑に絡み合ってしまってる、「依存症をこじらせた人」でして、ちょっと困りましたなぁと思います。
それは禁煙とは言わないのよ。
依存症が余計ひどくなってるだけよ。
はやく治したほうがいいよー。って思います。

なんせ、「吸ってない期間」は、ずっと「我慢」してる状態ですからね。それは不幸だと思う。やめた方がええで。苦しいばっかりでしょ。とか思う。

吸わないとなったら、生涯吸わないのであります。それが本当に幸せなのですよ。
早く本当の幸せに気付いてもらいたいものだなぁと僕は思うのであります。

まぁ、風邪でもなんでも、こじれるとやっかいなのは同じなんですがね。

ま、そんなことで。

日々楽しい

2014年10月23日
最近は、ただひたすら、日々楽しい。

とくに何があるというわけではないし、仕事が順調というわけでもない。

でも楽しい。

で、それはやっぱり子供がいてるからやろなぁと思うわけです。

子供作って良かったなぁと思う。


最近は、あまり、むずかしいことも考えなくなってきた。

世の中、けっこうシンプルに考えた方がすっきりする。

お金は、ものすごく大事で、それこそなんでもかんでもできるし、なんだって買える。

世の中にあるものは、なんでも買えますねん。
間違いない。
ものすごいもんです。
家や車などのモノはおろか、名誉や地位、愛情や、人のやる気、時間だって買える。
本当に、世の中にあるものなら、なんでも買える。
「ある」ものならね。


でも、残念ながら、世の中に「ない」ものは買えないわけだす。


「ここにいてない人間の命を買いたい」


とか言うても、誰も買えないわけです。
だいたい誰に「売ってくれ」と言えば良いのですかな。
ないものは買えない。


で、人間って子供が創れたりするんよね。
すごいなぁと思う。

去年までいてなかった人間が、そこにおるねんで?
いやーすごいわ。これ。

祖父、父と生きてる人間を見送ることはやってきて、

「昨日までいてた人間がいなくなる」

ということのインパクトの大きさは分かってたんですけど、「去年までいなかった人間がいてること」という逆方向のインパクトは初体験なので、すごくエキサイティングですねぇ。

なんだ、これ。
驚くなぁ。

いやほんま。

なんちゅうかねぇ、子供を作るというのは、すごくすごいことなので、とても良いものですよ。
だから、体験してない人にはお勧めしたい。

結婚する前は、身の回りの人たちって「子供ができたら大変や」しか言わないのよね。
あれってどうなんやろ?
あんまり感心せんなぁ。

嫌なんやったらやめとけや。

とか思う。

で、実際僕は、かなり長い間独身をやってて、結婚をやめてたし。

嫌でやめてたら、プラマイゼロで安定するのだ。人生予定通り。子供が嫌なら、それを全うしたらよろしいがな。

嫌なんやったらやめとけ。
そういうことです。

でも、そういう自己抑制もできんと子供作っといて「大変や」とか勝手な事を言う人がすごーーーく多い。

かなわんで、それ。
かなり迷惑やと思う。
人間として、どうなんかなぁ。
そんな事言われた子供はどうなる。
「ボク(アタシ)は、生まれてこなかった方がいいの?」
と感じるしかないやんか。

それはアカンよなぁ。やっぱり。

--------------

ちょっと話はズレるんですが、よく独身者を結婚に導かせるために、「ちょっとは高望みをやめたら?」と説教する既婚者がいてるんですけど、あれもどうかと思う。

それおかしいで。

変やで。

そんな事したら、絶対アカンと思う。


だって、考えてもみてくださいよ。
結婚した相手に、


「私は希望のレベルを下げて、あなたと結婚したのです」


とか言われてみなさい。
不幸の極みですがな。

一生不幸や。

なんでそういう、おかしな言い方が、まかり通ってしまってるんやろ。


あれは、正しくは「もっと結婚相手の真の条件を、徹底的に真剣に明確化しなさい」と言うべきなのですよ。

「高望み」なんていうのは、「顔がいい」「金持ち」「性格が優しい」とかの、ものすごく抽象的で、具体性のない一般的な条件設定を、何も考えずに放置したままというだけの話なわけです。

そうじゃなくてさ、結婚って現実やから。

近所に住んでる方がいいとか、趣味で重なるところがあった方がいいとか、自分はこういう生き方をしようと思ってるから、それを尊重してくれる人がいいとか、そういう「本当に自分に必要な具体的条件」というのは、絶対にあるわけです。

だから、それを明確にするという工程が最低限必要なわけですよ。それをやってないから、世間一般でまかり通ってる「一般論としての好条件」で高望みする、という事になってるだけなわけです。ピンとがボケてるという話なわけ。

だから、こういう具体的条件を徹底的に明確化すると、どういう人が自分の結婚相手にふさわしいか、はっきりするから、そういう条件に合致した人と出会った時に即結婚できるわけですよ。

つまり、「高望み」というのは、「一般的好条件」でしかないので、そうではなくて「具体的に自分にとって必要な条件」を、しっかり考えることが大切なのであって、それは、


「理想の相手の条件」


を考えることなわけです。

だから「高望み」どころか「超理想の結婚相手とは何か?」を考えなくてはいけないんですよ。

なのに、みーーーーんな「高望みするな」とか言う。

あかんよ、それ。

普通、そんな事言われたら、まぁ結婚なんかしたくなくなるって。
一生不幸なんやもん。
ダメダメ。

なんで、あんなアホな言い方がまかり通ってるんやろ?

で考えてみてごらんなさいな。

「あなたは僕の(私の)理想の人です」

と言われたらどうなる?

それは幸せな結婚になるでしょう。

「希望を下げて、あなたと結婚しました」

とか言われたくないし、言いたくないし、そんな結婚生活したくないけどなぁ。

どうして「高望みするな」が決まり文句になってるんやろ。
あれはほんとうにイカンと思います。

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このあたり、実は「周りに良い相手がいてない」のではなくて、「自分が望む相手の条件すら、真剣に考えたことがない」というのが現実の姿なわけです。それも考えなくて、選んだり探したり出会ったりするわけないよなぁって思う。

で、これは、それこそパソコンを買うとか、そういう時のやり方と同じことなんですよ。

パソコンと結婚を一緒にするな!と叱られそうやけど、冷静に、論理的に考えたら、そういう事にしかならんのですよね。

つまり、

どんな事にパソコン使うの? とか、先に自分の要求条件を考えなければ、ノートパソコンを買うのかデスクトップマシンを買うのかすら決められない、というのと同じことですやん。

ノートにタブレット、デスクトップに、最近ではスマホまでありますが、どういう時に何を使いたいの? それはあなたの生活のどこでどう必要なの? という事を考える、という事ですわね。

マシンに優劣があるのではなくて、使い方や運用方法に自分への向き不向きがあるという事でしょう。

これは異性選びも同じことです。
「相手がいてない」
「いい人と出会えない」
のではなくて、
「自分がどう生きていきたいか考えてない」
という事なわけです。

自分がどうしたいかはっきりしたら、嫌でも「あ、このタイプだけはダメ」とかはっきりしますから。
そうすれば、本当に理想の人がすぐに見つかる。

米の中のゴマ粒を探そうと思っても、それは見つけるまでにものすごく時間がかかる。

でも、「この網の目の穴を通り抜けるものがゴマなのだ」と、こまかい目のフルイを手に入れれば、米粒の中のゴマ粒も、サッと見つけられるわけですよ。

条件というフルイも持たずに、闇雲にお見合いとかしてもほとんど意味ないですわ。

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と、ここに書いてるのは、基本、既婚者向けに書いてます。

ほんま既婚者の方々、発言には責任持とうよ。
ええかげんな事言うたら、あかんで。ほんまに。

ええかげんで、適当な事を言って、独身者という未経験者に悪い情報しか手渡さない先輩なんて、百害あって一利なしやと僕は思うのよなぁ。ほんまに。

なんかすごく長く書いてしまいました。
えらそうでごめんなさい。

でもまぁ、たぶん、考え方としては上記のような考え方が、おおむね正解だと思います。

(個別案件はいろいろバリエーションがあって、実は一筋縄ではいかないんですけどね。それこそアダルトチルドレンとか、自分の欲する条件自体をうまく掴めないという問題を抱えてるわけやし。これは個別案件。ここに書いたのは一般論です。)

パソコン選びも結婚相手選びも、ようは一緒。
乱暴ですけど、一般論としては、それが正解ということにしておきたいです。


どうしても最近、ここに書く事がほとんどなくて困ります。

でもまぁ、ちょっと書かないともったいない感じもするのでちょっと書きましょう。

最近は子供を預けて仕事をしてるので、保育園というのがなかなか面白くて新鮮です。
預けに行くのは私が行き、引き取りはうちの奥さんが行く。そんな感じ。

良く保育園が足りないから幼稚園とひとつにしたらいいのにとかいう話が出ますが、実際に保育園に行くと、まず施設の設備から違いますからな。子供用の便器とか、うんちをした子を洗える大型の洗面台とか。まぁ幼稚園にそういう設備をつけるのはなかなか難しいでしょう。それはよく分かります。
幼稚園は文部科学省が統括していて「教育」の場ですけど、保育所は厚生労働省がまとめていて「福祉厚生」として保育しているというのは根本的に別の事やなぁと思います。

0歳児、1歳児、2歳児、3歳児なんて、それぞれに全部課題が違う。その異なる課題にそれぞれに対応するわけやからなかなかに大変やろなぁと思います。
おそらくうちの子は、トイレトレーニングも保育士さんにかなりの部分をやっていただくことになるんやろうなぁと思う。
(その分、おむつが布おむつなのがけっこう大変。毎日おむつとおむつカバーを6セットずつ、親が洗うということになっている。そういう園の方針なのだからしょうがないですな。)

しかし、こうして書いてみると、子育て日記とかをネットに書きたくなる気持ちがよく分かりますなあ。
日々やってる事に関して書くのが一番簡単だし、また上の文科省と厚労省の話みたいな事もけっこう色々気づきとしてあったりするし。

同年代で子供がすでに大学生という友人(♂)がいてるのですが、だいたい彼は幼稚園と保育所の違い自体を全然知らんかったしねぇ。
なんやそれ、とは思うものの、まぁ奥さんを専業主婦で養っていけるだけの財力があったのだから良しとしよう。

でも、いざ子供を保育所に預けてみると、コミュニケーション能力などなどを考えても、親にとっても子供にとっても良いことの方が多いように感じます。
親も広く社会を知ることができるし、子供も子供のころから他人というか社会に慣れていて、生きやすいのではないか? という気がする。

保育所によっては学童保育(小学生などを、小学校が終わった後も親が帰るまで預かってくれるような仕組み)も併設してるところもあるので、(というか、うちの子の保育所はそういう場所)子供によっては、赤ちゃんの時から小学校を出るくらいまでずーっと保育所に通う子もいたりするそうで、幼稚園より、小学校より長い付き合いになったりもするらしい。

へー。そんなん知らんかったわ。

ということですわ。

そういう場所で育った子は、「世渡り力」が違いますわなぁ。地域情報も密接に入ってくるやろし。友達関係とかでも小学校しか行ってない子よりうんと有利という気がする。そんなことないの?
親が僕の友人みたいに「保育所と幼稚園の違い」も知らんかったら、これ、かなりのハンデなんと違うん? って思う。

世の中、広いよねぇ。地域社会といえども。
そういう感じを受けております。

個人メルマガを始めたら、その方が面白いし、メリットも大きいので、こっちに全然書かなくなってしまいました。
いかんなぁということで、ちょっと書きます。

ということで報告がてら。

昨年、子供が生まれまして、子育てがすごく面白い。
いやー、かわいい。完全に親ばかをやっております。

そういう事もあって、ここに書かなくなっちゃったというのもあるなぁ。
ここの日記書いてるより、子供を観察してるほうが面白いし、幸せですからなぁ。
どうもすみませんね。

あと、Windows8.1 を昨年の秋に導入。今年に入って8インチタブレットも購入。
良いですね、Windowsタブレット。

Winタブ持ってみて、あらためて気づいたけど、iPadにせよandroidタブレットにせよ、officeソフトは互換品しかないわけですよ。
それって結局仕事でつかえないのね。フォントの違いとかでレイアウトが崩れる心配あるし。レイアウト崩れがあると、得意先の人と意思の疎通が図れなかったりするわけですよ。電話でPDF見ながら話すとかパワポのデータ見ながら話すという時に「はぁ?」ってなっちゃうと、その時点でコミュニケーションが成立しないので、もう本当にアウトなわけです。

ということはタブレット人気とか言っても、本当に「ネットを見る」とか「写真を見せる」とかだけで、結局、エクセルで見積りも書けないし、パワポで企画書も書けない。何か「作る」ということができないのですわ。意味ないじゃん!

ちゅうことですわ。
その当たり前のことに改めて気づきまして。

で、そうなると、この数年、やたらiPhoneのいろいろなアプリをこねくり回してWindowsと連携させようとしてたのが、すごく馬鹿らしくなってきました。iPhoneマガジンとか見ても買う気も失せた。

とりあえず、使い慣れてるWindowsアプリが動く方がええわ。

となっちゃうのだなぁ。

携帯も、電話とメール類(LINEとか)専用に先祖返りして良いよ、とか思う。
まぁ、カメラは欲しいからそのあたりは機能アップして欲しいし、カメラをスキャナ的に使うようなソフトは便利なので良いけど、もうアプリがどうとかより電池が持つとか、そういうことの方が期待したい事柄ですな。テザリングとか。

うーん、なんかパソコンの話題ばっかりになってしもた。
まぁええか。
そんな感じの今日この頃です。

消費税、やられたらやり返す。
FaceBook見てたら、誰かがこの画像をシェアしてました。

いやー面白い。
新聞・テレビは消費税賛成世論を作ろうと画策してたもんなぁ。
この解答が、一番正解だわ。

大正解。

これで行こう、これで。

しばらく書いてなかったので、ちょっと書いてみます。

先日、大阪阿倍野の天王寺にでかけたら、焼きそばやクレープもやってるカフェで

「あべのミックス焼き」

というのを出してました。

べたべたやな~。さすがは大阪人。

ま、それはそれとして。

この間からアベノミクス賛成派の本を読んでたりするんですが、なんちゅうか、おおむねの理屈に間違いはないと思うんやけど、それでもあまりにおおざっぱすぎるというか、アメリカのQE1~3の真似というか、底が浅い感じはどうしてもしてしまいます。

そらまぁ、一般市民が資産の半分を株式で構成してるアメリカでは、貨幣を刷って経済に勢いをつけて株価を高めて景気を良くしようというのはまだわかるんですが、日本人は株を持ってるのは一部ですしねぇ。
だいたいアベノミクス賛成派の人ですらが、「一般人の基本給が上がるまでには3年かかる」とか言ってるわけで、「どうだろうか?」と思わざるを得ません。

まぁそれでも、まずは多少なりとも市場は動くし、残業はせざるを得なくなって、実収入自体はみんな上がるというのはある。まぁそれはそうやわな。

でも、どうも消費税の事をみんな軽く見過ぎてる気がする。アベノミクス推進派のほとんどは、「日本の不況はバブル処理を極端に厳しくやりすぎたから」とひとくくりに言っていて、それで終わってるんですね。

でも、実際のところバブルがはじけた後、多少景気が戻ってきた時期があって、で、その時に消費税が3%から5%に上がったわけです。
これで回復基調に水を差したというのは、ものすごく、とてつもなく大きいわけですよ。
そこをあまり誰も言わないのなぁ。

アベノミクス推進派は、ようはアメリカ様々の人たちで、FRBのバーナンキ議長の「貨幣を刷れば景気は回復する」という理屈を疑いもなく信奉してる感じが強い。

でも、バーナンキと論を同じくし、アベノミクスを絶賛しているポール・クルーグマンですらが、「増税ではなくて減税をせよ」とはっきり言ってるわけです。
まぁ、日本の事情を考慮してか、「必要に応じて限定的な減税策の導入も検討しても良いかもしれない」とか、日本向けの新聞とかにはトーンダウンして言ってますけど、書籍の中では「増税や支出の削減は、いま(不況の時)やるべきことではない!」と明言してる。

ようは、消費税増税って言うのは、アベノミクスとは矛盾してる政策なわけですよ。
極端に言えば、ブレーキふみまくりながら、同時にアクセルをベタ踏みしてるようなもんです。ものすごくおかしい。
なんやねん、異次元緩和って。ようは「ブレーキ踏みながらアクセルふかします。そやから踏みまくらなアカンのです」宣言なんと違うんか?

でも、日本はというか、自民党政権は、官僚とつるんで運営する手法を大切にする政権なので、そこははっきりとは言わない。(なんか、今年度は所得税が上がるから、消費税アップ分をそれでまかなえるので、それを財源に消費税導入を先延ばししてはどうかという話が出ているらしいですが。そういう風に、裏でドガチャカするのが自民党政治。それは理屈が一般人に見えにくくなるから、あまりやらない方がええんやけどなぁと僕は思うんですが。)

ちゅうか、このあいだから色々考えてるんですけど、

●日本の「消費税」は消費税ではない。

ですよね?
だって「消費」にだけかかる税金やないもん。
経済行為すべてにかかる税金やないですか。
でしょ?

本来の消費税って、たとえばアメリカだったら、州ごとに消費税率を自由に変更できて、たとえば人口流出が止まらない州が消費税を下げて人を呼んだり、人口が増えて社会サービスが追いつかない州が消費税を上げて流入を制限し、サービスが足りていない部分の補填に使ったりと、そういう役目を担っている税金ではないですか。

だから普通、流通工程すべてにかけるのではなくて、最終的な「消費」にのみ課税するのが消費税なのであって、全行程に課税するのは「経済行為税」とか「完全流通税」とか、なんか、そういう名前にしなきゃおかしい。なんで「消費税」やねん。ちゃうやんけ、こんなもん。

だから、たとえば、海外の経済学の偉い学者に、「不況の時の消費税の扱いはどんなもんでしょ?」とか聞いても、それほど的確な答えを出せるわけがない。いやまぁ、日本の税制の歪みを事細かに知ってる学者なら問題ないけど、そのあたりはいろいろですわな。

でもアベノミクス推進派の人たちは、もう単純に「バーナンキ偉い!」「ポール・クルーグマンすごい!」で終わってる。

いやー、もっと中身をちゃんと精査せーよ。ほんまに。

最近すごく思うのは、アベノミクスを本当に成功させたいのなら、とにかく消費税制の根本的見直しをせなどうしようもないで、ということなんですよね。

というのは、


●消費税制は、日本の高度な技術力をスポイルする税制だ。


と、最近やっと気がついたからなんです。

本当は、この項目だけで1アーティクル書くべきなんでしょうけども、ざっくり説明しますと、


●日本の消費税制は、高度な分業化を阻害する税制だ。


ということになります。

単純に考えてください。日本の消費税は消費税ではなくて、実態は「流通構造完全課税システム」ですから、流通構造が複雑になるほど、たくさん課税されるんですね。

おなじ1000円の商品があったとしても、


●A社から仕入れてB社がお客に売る

という2回流通だけの場合と、

●A社から仕入れて、それを加工したB社がC社に売り、それをD社がとりまとめて、E社がお客に売る

という5段階流通だった場合とでは、税金のかかる率が全然変わってくるわけです。

AとB二段階で、仮に仕入れ率が50%だったとして500円で仕入れて1000円で売ったら25円と50円の税金がかかって、75円ですけど、A~Eの5段階だとA社が62.5円で売ったものを、E社が1000円で売ったら、中間の流通工程税で96.875円取られるわけです。

なんやねん、これ。

おかしいやないか。

日本は資源のない国で、いかに付加価値をつけるかで食ってきた国やぞ?

なんでその途中の付加価値を付ける行為に、アホみたいな税金かけとんねん?

こんな仕組みを温存してたら、そら日本の高度な技術力も育ちませんわなぁ。


着物とか好きな人ならよく知ってると思うけど、京都の西陣とか、京都の呉服業界というのは徹底した分業で生き残ってきたわけです。

糸を撚る人、生地を織る人、染め専門でやる人、図柄を考える人、反物だけで売る人、仕立て専門、売り専門、洗い、張り替えetc.

そういう高度な分業が成り立つのは、良い製品を求めるお客さまに、効率的に良い製品を届けるために、各専門家が独立して生計を立てられる仕組みだったからこそなわけです。

この考え方と文化があるからこそ、日本のモノ作り企業は強かった。
いや、実際、任天堂にせよ、京セラにせよ、ロームとかいろいろいろいろ、京都企業はそういう分業の文化を背景に職人の独立を応援して世界の市場を席巻してきたわけです。

その文化を根本から破壊するのが、この消費税なわけだ。


●一律5%を、一律8%にします。


ですと。
なんやその、工夫のなさは。

「%あげたら財政どうにかなるんと違うん」って、それ小学生の発想やん。子供か。

こんな幼稚な事しか言えない官僚なんかいらんよなぁ。
官僚の仕事してへんもん。

アホな役人に国の経済が殺されまっせ。


うーん。

やっぱり、ちょっと消費税上げは凍結すべしですな。現実問題として。

(本当は、消費税制そのものを根本から作り直す必要があるし、僕は消費税減税して所得税を上げよ!という意見なんですけど、まぁそれは置いておいて、まず凍結が先ですな。うむ。)

実際、アベノミクスで「異次元緩和」とかやったというのは、ようは日本の「消費税」が、実質「流通工程完全課税システム」という、


●すべての業種で一律に経済がスローダウンするしか他に結果の出ない最悪の税


という現実があるからだと、僕は思うのですよ。
で、この消費税が簡単に廃止できないのは、


●ほとんどの省庁に還元されておかしくない

という、その「おしなべて全部性」にあるのだろうと思うのです。たぶんどの省庁も多少なりとも得をするから反対しないという構造ですな。
だって「全流通工程完全課税」ですよ? 福祉目的とか言ってても「財源の性質から言ってもっと汎用的な運用をするべきだ」とか理屈をつければ、どの省庁だってぶんどれるじゃないですか。
ほんとうにどうしようもない最悪税であります。

ちゅうことで、アベノミクスをほんとうに一般人の昇給にまでつなげるなら、消費税の見直しをする以外に手はないと。私はそう言いたいのであります。

で、実際には「消費税を上げないと、国債の信用が落ちるからダメだ」みたいなしみったれたクソみたいな意見に邪魔されて消費税そのものは、せいぜい凍結するのが精一杯だろうとは思うので、そういう事とは関係ない私は、

●世の景気の浮き沈みにも左右されないキチンとした営業力

を身につけるしかないなと、そう思うわけであります。

結論はそこに行きますねぇ。
政治になんか頼ってられないですわ。
いや実際。

ま、そんなことで。
最近、ここはあんまり書いてないので、ちょっと書こうかなと。

仕事用にブログを立ち上げ、メルマガも発行するようにしたのですが、これが面白い。

知ってる人と、改めてつながるというか、そういう感じがなかなか楽しいのですね。

メルマガは、たかだか月に一度程度しか出してないのですが、それでも送信数はいまのところ50通は送ってるわけです。
得意先から仕事仲間、友人関係まで、比較的親しい人だけを選んでも、このくらいの数にはすぐなっちゃいますからね。
それに加えて、ブログやホームページから登録してくださった方とかもいてるし、日々読者数は増進中なわけで。

で、メールを書く作業そのものは、ひとりの人にメールするのとさして変わらない。いや、ブログを一日分書くのと同じ程度の手間なわけですけど、読み手の数は一気に数十倍になるわけです。
そうすると、意外なところから、意外な反応とかが返ってきたりして、それがまた面白いのですよね。

ブログのコメントだと、よほど何か言いたい人しか書き込まないわけですけど、メルマガだとけっこう気楽にお返事をいただいたりする。
これがなかなか楽しいわけです。ちょっと近況報告を伝えあったりして。

一対一のメールだと、意見が通じにくい事でも、一対多のやりとりだと「僕もシゲさんと同じ意見です!」なんていう反応がいただけたりします。

それに、メルマガの良いところは社内のセキュリティーが厳しいビジネスマンにも、的確にアプローチできる、というところなんですね。
ホームページだと、社内からのアクセスが禁止されてるところとかもあったりするわけですが、メルマガだとそうはならない。

何より、メルマガを読んでいても仕事をさぼっているようには見えないですしね。だから多分、けっこう読んでもらえてるよな、という実感があるわけです。

まぁ、普通の人ならFaceBookで情報発信すりゃあいいというだけの事なんでしょうけど、FaceBookは、友達になった人のいろんな書き込みを読まなきゃいけないし、「いいね」もしなきゃいけなしで、けっこう手間なんですよねぇ。

で、手間のかかる割には「私にだけ届いた情報」という感じがしないし、書き込みも誰が読むかわからんけど書くという感じになりがちなんですよね。だって友達の多い人だと、数日ぶりにアクセスしたら知り合いの書き込みが山のように書き込みがあって読み飛ばさざるを得ないでしょうし。

始めるまでのハードルはかなり高いのですけど、いざ始めてみるとこれはいいなぁとしみじみと思うのであります。

だいたい何より、個人営業でひとりで仕事をしてると、知り合いのところにマメに営業で顔を出すということができないわけです。仕事が重なってくるとなおさらです。

でも、メルマガを発行してれば、とりあえずは忘れられる事はないわけですね。そこはかなり大きいと思います。
合間の15分で、得意先回りを一気に済ませられるようなもんですから。こんな便利なものはないのです。

メルマガの内容だって、ようは「営業マンの雑談」に毛の生えた程度で充分なのですし。
まぁ、後ろ向きの事とか、愚痴とかを書かずに、自分も含めてみんなが楽しめるような事柄を書こうとは心がけてますけど、そのくらいのところさえ気をつけてれば問題なしですからね。

えーと、あー、あとアイディアプロセッサソフトのFreeMindの話も書きたかったんだけど、それはまたそのうち。

てなことで。

今年の手帳。
最近どうも、ここに書くことが少なくなってるので、ちょっと書いてみようかと。

で、2月のいまごろになって、今年の手帳の話。
まぁ旧暦の正月が昨日だったのだから、まぁいいか。

えー、この二年は博文館の手帳である、SAGESSE(サジェス)24を使っておったのです。
http://www.hakubunkan.co.jp/hakubunkanshinsya/2013/180.html

これは、週間表示がバーチカルなうえに、完全24時間表記で、普通だと使いにくいんですが、まぁ、うまく工夫すると、かなり便利に使えるのです。

ですが。

同じSAGESSE(サジェス)のシリーズに「24」ではなく「ビジネス手帳」なるものがあって、これが前々から妙に気になっておったのです。
http://www.hakubunkan.co.jp/hakubunkanshinsya/2013/sagessebusiness.html

どうしてかというと、添付写真を見てもらうとわかるのですが、このサジェス・ビジネス手帳には、月間ブロックのページにガントチャート表示の予定表がついてるんですね。

これが欲しかった。

複数の仕事を平行して走らせたり、その成果をチェックしたり、というときに、これがなかなか便利なのですよ。
最近チマチマした仕事とか、印刷物をネットにも展開する仕事だとか、平行作業が多かったのと、たとえば週に何度か筋トレをするのに、その予定、あるいは結果(成果)を記録するとか、そういうのを一覧でパッとわかるというのが良いわけです。

自分の課題をガントチャートにして、手帳で持ち歩くと。で、合間合間にチェックすると。

これは良いなーと思うわけです。
公式ブログとかもはじめたし、その更新日時を書き込んでおくとかね。
一ヶ月が一覧でパッとわかる。

また、「今月はこれとこれは課題だよね」というのを、毎月いくつかリストアップして進行度合いをチェックするのにも良いわけです。

ただ、残念な事に、このサジェス・ビジネス手帳はサジェス24とは違って週間表示のページは、従来の手帳と同じホリゾンタルスタイルでして、月曜から日曜まで、上から下に並ぶ方式で、これがちょっと気に入らない。

月間ブロック+ガントチャートがあって、それで週間が完全24時間制のバーチカルタイプがあるといいなぁと思うんですけどね。

(週間表示がバーチカルというのは、ようはGoogleカレンダーの表示に合わせる、ということですな。あ、でも最近Googleカレンダーは、それほどこまめには使ってないからいいのか。うむ。)

ということで、いまごろになって、今年の手帳の話題でした。

いやー、二月になってしまいました。
最近は、仕事用のブログとメルマガを書くようになったので、ここのような個人的なブログを書かなくなってきてしまったのですねぇ。
うーむ。いかんな。

ネットでもちゃんとやると、けっこう反応があって面白いんですよねぇ。ホームページでちゃんと仕事が取れたりするし。ブログのアクセスも多いし、ホームページもテーマを絞ってやってみると、けっこう関連のページからリンクされたりするわけです。
面白い。

あー、そうか、世の中、こんな風に回ってるんやなぁとか思って、なかなか楽しい。

んーと。

あー、ここで書くことがあんまりないなぁ。

あ、最近読んだ本で「胎児は見ている」というのがあって、それはまぁ言わば胎教や新生児教育が、その子の人生にどう影響するか? という話なんですけど、前からここで書いてきた「アダルトチルドレン」の話より、もっと根源的で根深い話かもしれないなぁと、かなり深く納得しましたです。

なるほどー、そうだったのか! と、納得することがすごく多かった。

んーと。
まぁそんなところですかね。

えっと。
また書きます。

なんかグダグダやな。
まぁええか。

ではでは。


いまごろですが、あけましておめでとうございます。
おそくなりましたが、あけましておめでとうございます。

年末は、自民党の大勝があって、小選挙区選挙の悪い点がそのまま反映されちゃったなぁ、やれやれという感じでした。

アベノミクスとか言ってますが、「日本独特の酷税」である消費税をどうにかせずに経済が上向くはずがないので、なんだかなぁと思ってしまいます。

こんな一年ですが、それでもしぶとく、我々は生きていかねばなりません。
まず身近な人と、しっかりつながって、落ち込んでる人がいたら、はげましてあげましょう。

不況は「社会的な未来への恐怖心」がベースです。
ひとりずつが、前向きで希望を持って生きていくことが、とりあえずは重要な対策になります。

改めて、また書きますけど、「消費税」などと名前はついてますが、他の国の消費税に比べると、日本の消費税は「例外」となる項目が少なく、生活必需品にまで課税される点で、どうしようもなくヒドイ、酷税、重税であります。


●超重量級の過酷・冷酷な酷税:すべての国民が迷惑する悪魔の全業種吸い上げ式:売上税


、というのが実態でありまして、こんなとんでもない税制は、とにかくいったんチャラにしないと、話にならんというのが本当のところだと思うのです。

だいたい何より、国の全税収が消費税導入以後、下がりまくってるわけですから。
そら、ひとつの商品について、川上から川下まで税金をかけて、しかも、年金生活者の食料費にまで課税するんですから、これほどひどい税制なんかないでしょう。

「消費税」と言うなら生活必需品は例外処理にし、税率を地方ごとで自由に設定できるようにして、消費を都市部ではなく地方に呼び込めるようにしてはじめて、多少の意味が出てくるというもので、全国一律なんでも「5%」では、東京だけの一人勝ちになるに決まってますわね。人材・流通・商品の多様性、すべて東京が一番なんですから。

本来は「田舎なら2%、都会だと15%」とかの差があって、それによって地方に、たとえば通販の会社を呼び込むとかですね、そういう政策というものがあるのが当然なわけです。
「通販会社を創設するなら、●●県がいいよね。あそこは消費税2%だし」とかになるわけです。それが本来の「消費税」。つまり地方財源の一環として考えるべきものなわけです。

(で、当然所得税とのセットで、どう組み合わせれば経済を好転させながら税収アップができるか? まで制度設計しないとダメです。それができてはじめて官僚と違うんか? と思うんですがねぇ。ところが、いまの財務省は、ただただ、「消費税アップありき」しかない。完全にパーです。気が狂ってる。アホ。無能。バカ。マヌケ。)


まぁ、そんなことを思ってたら、こういう組織があったんですねぇ。
知らなかった。


●こんにちは!消費税をなくす全国の会です。
http://no-shouhizei.com/

ああ、これいいなと思いました。
全国に154万人の会員がおられるそうです。

もう、ほんとうにね、「消費税なくせ」の一点に集中したいです。
他は是々非々あっても、「消費税なくせ」だけは譲らない。
そういうスタンスでないといけない。

いや、ほんの30分ほど前に知ったばかりなので、まだ入会してないし、変な「裏」がないか、キチンと検証もしてないんですけど、なんか直観的に「これなら良いかも」と感じたので、そのまま紹介してます。

まぁほんと、まず、どうあっても「消費税をなくせ」ですよ。
誰もメリットがないんですから。

なんとなんと、官僚たちにとってすらメリットがないんですよ? だって国の税収そのものが減ってるんですから。
話にならない。

だから、とにかく、消費税をなくすこと。
この一点で、全国民(庶民・大衆はもちろん、アホでマヌケで物事をしっかり考えていない官僚たちも含めての全国民、ということです。官僚は経済が下向いても、自分の生活に直結せんから、気付けないし、考えがうまく構築できないんですわ。いわば「経済的思考にハンディキャップのある業種」なんです。ここをキチンとわかってあげましょう。)が、集結しないといけない。

財務省だけでなく、経産省の役人も、国交省の役人も、文科省の役人も、地方公務員のひとりひとりに至るまで、



●役人という「業種」は心の底から経済オンチなのである。



という、事実を、正しく認識していただきたいと思います。


まず、経済を立て直すためには、「消費税をなくすこと」。

これしかないよ。
ほんとに。

さて、そろそろ今年も終わり。

ろくでもない選挙結果でしたが、私個人の今年一年は、いろいろな意味で「達成」できた年でありました。

こまかい話は横に置いておいて。

ようは、世間はどうあれ、自分個人を充実させるのは、自分自身しかない、という当たり前の話であります。

ろくでもない世間でも、自分がろくでもない人間になってはいかんのであります。

今年の最後に忘年会で、僕がずっと言ってたのは、

「明日のことは、神様にしかわからないわけでしょ? だったら、明日良くない世界になるかもしれないから、いまその最悪の世界を見越して行動するというのは、明日を決めてかかっている態度で、それって『俺は神様より偉い』と思ってるようなことじゃないですか? でも実際は、明日のことは分からないのが人間なのだから、人間に出来ることは、つねに自分にとって最良の方に、常に『賭けて』、行動することしかないわけですよ。つまり『少しでも良くなると思える方に賭けていく』以外に選択肢なんかないんです。『どうせ悪くなっていくんだから』と、『悪くなる方に賭ける』のは、まさに神様を越えたつもりの大バカ者だ、ということですよね。」

という話でした。

あなたは、大バカ者になりたいですか? それとも「明日の事はわからないから、最善を尽くす」人間になりたいですか?

僕が言えるのは、それだけです。

来年は、なんとか良い年にしていきましょう。
そういう努力をする以外に、人間に道はないのです。

来年もよろしくお願いいたします。

結局、選挙が終わったら「連携する」とか言って、公約も違うのに維新、自民、民主、公明あたりは手を結ぶのが見えているので、そういう党を避ける、というのが、今回の私の選択であります。

で、本来なら未来の党に入れたいんだけど、うちの選挙区には未来の党の候補者がいないので大変困るわけです。

うちの選挙区の候補は、公明(53男、自民、維新推薦)と、民主(29歳男)と、共産党(31歳、女)。

だいたい見てよ、この公明党の候補者。自民と維新の推薦ですよ。こんなん、維新も結局は自民党とバラしてるようなもんでしょ? なんでそんなところに投票せなあかんねん。アホくさい。

自民党が勝ったら、安倍君が石原君に「憲法改正を論議しましょう!」と呼びかけて、即中国と戦争になります。

だから、公明党の支持者である、創価学会のみなさんも、「心の平安を求める宗教人が戦争に加担するのは間違っている」と考えて、公明党の候補者に入れてはいけません。それが本来の人としての生き方です。そういう大切な事をひんまげてまで教義に生きるのは結果として不幸にしかならないですよ。そういう事を、よく考えてください。



●創価学会員だけど、維新、自民、民主、公明には入れない。



ぜひ、これを実行してください。いや、せめて、そういう事も考えてください。それが戦争を避ける重要な道です。

選挙前になると、創価学会の人が、あなたの廻りにもやってきて、公明党に入れてくださいとお願いに来ると思いますが、「戦争に走りそうな自民のお手伝いをすることが宗教的に正しいと思いますか? いまからでもいい、維新、自民、民主、公明には投票しない道を選びましょう」と、呼びかけてあげてください。

彼らだって「なんかおかしい」と思ってるはずなんです。「自民党とかに利用されてるだけと違うの?」と思ってる。この数年の選挙で公明党はどんどん議席を失ってきたんだし。

いまこそ宗教人は、宗教心に目覚めるべきです。
あなた自身があなた自身の教祖になるときがきたんですよ、と教えてあげましょう。

選挙前になったら、やたらとかかってくる同窓生をじゃけんに扱わず、心をこめて説得してあげましょう。
これがまず、いまの絶望的な状況をわずかにでも変えるための大切な発想だと思います。



●○○さんに投票して



ではなくて、


●維新、自民、民主、公明には入れないで。

です。

積極的な投票を行うのではなく、消極的に「イヤなものは避ける」です。

今回だけは、この考え方をみんなで共有しましょう。

せめてもの選択だと思います。

今回の選挙では、はっきり言って、

●民主
●自民
●維新
●公明
●みんな

は、政策変わりません。
違うのは「日本未来の党」くらいのものです。

で、選挙前に急に動き出した、石原慎太郎と安倍晋三くんは、スポンサーに米国兵器商につながるような人がいて、(石原くん、安倍くんと直接つながるとかの下手はうたんでしょうけど。間接的につながる。)中国との戦争を後押ししようとしてるという見方があります。

ああ、あるよな、それ。

と思う。

言ってるのは例のごとく副島隆彦さんです。
以下、副島さんところの掲示板から引用。

(引用開始)-----------------------------------
 今度の選挙では、480の議席のうち、野田たち民主党は120まで激減するだろう。自民党が130ぐらい、維新が100人ぐらい、公明党が20,みんなの党が10ぐらいだ。これを 合計すると何と380になる。憲法改正(石原慎太郎が生涯の悲願にしていそうなコトバだ)に必要な360を超える。 あーあ。あーあーあー、だ。

 それ以外の「戦争への道反対」の小沢一郎たちは、全部で120議席しかとれない冷酷に計算して、こうなる。
(引用終了)-----------------------------------

ネットで調べていたら、日本を含むアジアを統括してるアメリカの代理人ジョセフ・ナイあたりは、もうずいぶん前から、

1)中国と日本を戦争させる。
2)アメリカが仲介に入る。
3)その交渉の流れで、竹島付近の資源をアメリカが取る

という策略があるんだそうです。以下のブログとか見てください。

●尖閣諸島問題の裏に米国の影:日本と中国との戦争を誘導せよ。ジョセフ・ナイ著「対日超党派報告書」
http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11330107816.html

あああ、やれやれです。

いくらがんばっても、日本未来の党で120人取れるかどうかが限界でしょう。まぁ130取れれば、憲法改正は防げるけど。

ということで、今回、戦争反対の人は、

●民主
●自民
●維新
●公明
●みんな

に入れたらダメよ、っちゅう話です。

まぁ、それだけですけどね。

しかし、石原にしろ、安倍にしろ、トートツやったし、総選挙の日程確定もトートツ。しかもいろいろ戦争に向けての要素が揃いすぎてる。なんか裏があるとしか思えんよねぇ。

ジョセフ・ナイ
アーミテージ
ジェラルド・カーティス(CIA)

あたりが全部シナリオを作ってるわけですわ。で、官僚がそれに乗ってる。(上手に動いたら、国際機関の理事とかいろいろの天下りというか天登りができる。そういうエサにつられる。)

やれやれ。

でもまぁ、大きくは、そういうシナリオでしょうな。

イヤんなるね。
なんとか防げるように努力しましょう。
はい。

すみません。
私、勉強不足でした。

原発には反対の立場のつもりだったんですが、それでも「まぁ原発ゼロまでは10年はかかろう」と思っていたし、今後数年間は「10%くらいは原発で電気をまかなっていても仕方なかろう」と考えてたんです。

でも、そういう中途半端な考え方は、かなり古くさくて、捨て去ってしまうべき考え方のようですね。

●いますぐ原発ゼロでオーケー!

というのが、現状をしっかり見つめた上での「現実的なチョイスのひとつ」であるようです。

つまり、繰り返しますが、

●いますぐ原発ゼロでも、現実的に、大きな問題は発生しない。

というのが掛け値無しの現実であるようなのです。

と、こう感じたのは、まず、

●再エネ買い取り制度を見直すドイツ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121119/239583/

という日経ビジネスオンラインの記事があったからです。

この記事、驚くべき事が山のように書かれていたんですが、とにかく、全体として「脱原発」を宣言したドイツでは、再生エネルギー(太陽電池とか、風力とかです。)がものすごく伸びて、原発を止めても全然問題ない状態になっている、という話なんです。

逆に、再生エネルギーのうち、太陽電池だけが伸びすぎてしまって、それにあわせて電力調整用に火力発電所を増設しなくてはならなくなったらマズイので、そのあたりの調整が必要とか、そういう話なわけです。

「えええー、そうなの?」とかびっくりしますが、いくつか記事を引用しましょう。

(引用開始)--------------------------------------
 こうした状況の中、アルトマイヤー環境大臣は、10月11日にFITなど再生エネ普及政策を再構築すると発表した。

(中略)

一方で再エネ電力の2020年導入目標を、現行の35%から40%に引き上げる。

 40%という目標は、再エネ推進者をなだめるために強引に上げるのはなく、制御可能な伸びに収めるという意図を込めた数字である。というのも、現状のトレンドでは再エネが2022年に50%にもなり、様々な歪みが生じかねないのである。

 昨年「エネルギー変革」を発表し、35%の目標を提示した際は、努力目標とみなされていたが、いまでは誰もが実現を疑っていない。
(引用終了)--------------------------------------

です。

再エネ(再生可能エネルギー)の比率が、35%! というだけでもびっくりなんですが、それを40%に引き上げるんです。40%という数値だけでも「なんじゃそりゃ!」というとんでもない数字ですけど、その数字の実態が「このままだと50%になっちゃうから、ちょっと増えすぎ。40%に抑えようよ。」という努力目標だ、っちゅう話なわけです。

どうっすか、これ。
フィードイン・タリフ、固定買取制度を早くから導入していたドイツでは、太陽電池の導入が猛スピードで進んで、もう、いまや、原発なんか全然いらない状態になってるわけです。

ただまぁ、猛スピードすぎて、太陽電池ばっかり伸びたから、風力とのバランスで電力量を調整するとか、火力でバランス取るとかができなくなっちゃうから、「頼むから40%で抑えておいておくれ」っちゅう話なわけですよ、要するに。
自然エネルギーは出力不安定だから、あんまり比率が高くなりすぎると、それを調整する仕組みも膨れあがっちゃうから、ちょっと抑えようって話なわけです。

それと、良く聞く話に「ヨーロッパはフランスの原子力に頼っているのだ」というのがあるんですが、これも実際には違うようです。なんせドイツ、原発を7基も停めたのに、電力の「輸出超過」なんだそうです。


(引用開始)--------------------------------------
 ドイツの発電量に占める再エネの比率は、2000年は6%に過ぎなかったが、2010年は17%に、2011年は20%に上昇した。
2011年は、同年に7基停止した原発を初めて上回った。
2012年に入っても勢いは衰えず、上半期で24%と急上昇し、9カ月累計では26%まで上がっている。10年強でシェアが2割増えたことになる。

(中略)

 これだけ電源が増えると、優先性が担保されているだけに発電量は増え続け、2012年は電力輸出超過が大きくなることが確実な情勢である。
ドイツは電力自由化が実施されて以降常に輸出超過であるが、2011年は7基の原発が止まったこともあり超過量は減少した。しかし、本年に入り輸出の勢いが増している。
(引用終了)--------------------------------------

ね?

なんじゃこりゃ。ですよ。

実際、「国民の生活が第一」の政治家たちが、わざわざドイツまで出かけて、その現状を視察してるんですけど、フランスの原発というのは、「冷却水の不足により夏はフル稼働出来ず、冬は暖房用の電力需要で手一杯なために輸出が困難」なんだそうです。
「国民の生活が第一」の森ゆうこ議員の視察メッセージがありますのでごらんください。



http://www.seikatsu1.jp/germany/germany1.html
(引用開始)--------------------------------------
森ゆうこ 参議院幹事長 参議院議員
「ドイツの脱原発は仏原発の電気で不足分を補えるから成り立つのだという批判がありますが」という私の直截な質問に、アルトマイヤー環境相は「Nein!」と即答した。

仏の原発は冷却水の不足により夏はフル稼働出来ず、冬は暖房用の電力需要で手一杯なために輸出が困難なことに加え、仏国内でも原発依存率を下げる議論が始まっているからだという。

今回お会いした全ての人々が、政財界、消費者など立場や課題解決についての意見の相違はあっても脱原発は揺るがないと異口同音に語っていた。
日本が未だに脱原発を決めていないという小沢代表の説明に彼らが怪訝な顔をしたのも無理はない。
(引用終了)--------------------------------------

いやまぁ、いろいろありますけど、やっぱりドイツは前を行ってる。(まぁドイツは2022年に原発全廃なんですけどね。いますぐゼロというわけではないです。ただ、その目標に向かってる手順がとてもしっかりしてるのと、発電量などの現実的な数字が予想を大きく上回っているというのが、日本人が注目すべきポイントだな、ということです。)

減税日本の河村たかしと亀井静香が「脱原発」を略称とする政党を立ち上げたり、滋賀県の嘉田由紀子知事が「卒原発」を旗頭に政党を作ると言ったりしてるのも、ようはこういうドイツでの成功が、想定以上に成果を上げてるからなんですね。

いや、もちろんフィードイン・タリフや送発電分離など、新しい仕組みには、いろいろ問題もありますし、いま現実、ドイツではそういう新しい現実に対して、どう対処しているかでもめているのは確かなんです。

電気代が一時的に高騰しているし、それが富裕層優遇につながってしまってるとか、なんだかんだ調整しないといけない問題はあるわけです。(再生エネルギーが増えすぎて困る、というのも問題の中のひとつでしょう。)

でも、とにかく「エネルギー総量のうち、かなりの量を再生エネルギーでまかなえる」というのは、もう完全に証明されたと言って良いと僕は感じました。

ともあれ、「国民の生活が第一」の脱原発視察団のページも、実際に脱原発を推進している国の現状がよく分かって、大変有意義なのではないか? と感じました。
これも参考にされることをお勧めします。

脱原発視察@ドイツ|国民の生活が第一
http://www.seikatsu1.jp/germany/index.html

しかしなんですな、日本のテレビは、発電も送電も握っているコングロマリットである電力会社がタニマチなので、「原発は危険だ!」と叫びながらも、とどのつまりは「容認」している橋下くんの維新ばっかり取り上げるけど、ちょっとは小沢さんの「国民の生活が第一」も取り上げなさいっちゅうのよね。

私は大阪人ですけど、いまやもう橋下君は見放しましたからね。

●民主野田+自民安倍+維新橋下・石原=原発容認・TPP賛成・増税断行 組

ですから。
こういうのはいらん。

いまは、

●脱原発
●反TPP
●反消費税増税

でしょ。
(っちゅうか、ほんとうは、消費税減税を私は求めたいのですが。消費税を5%から毎年1%ずつ下げて、5年でゼロにする。その代わり所得税を上げる形を取る。この方が絶対に経済はうまく回りますよ。確実ですわ。そんなん検証するまでもないと僕は思う。景気を良くするには減税。そんなもん経済の世界常識でっせ。)


脱原発・反TPP・反消費税増税なら、

国民の生活が第一、河村・亀井新党、嘉田由紀子新党、みどりの風、新党日本とか、けっこうな数があります。
そういう党を選べばよろしい。
ちゃんと、現場まで取材に行って調べた上で政策を、

●脱原発
●反TPP
●反消費税増税

と策定してるみたいやし。

ところが、現有勢力である、

×自民党
×民主党
×維新の会
×公明党

はダメ。口先だけ「地域主権」とか、もっともらしいことを言うてるだけで、実際には、原発容認やし、消費税増税派ですからね。

そんなもん、いらん。消えろ。なくなれ。ドブに捨てろ。ということです。

ところが、テレビでは、実質、衆議院議員の数が「第三党」である「国民の生活が第一」を全然紹介せず、維新の会のような「隠れ自民党」を「第三極」とか言うわけですよ。
違うやン。全部「官僚べったり党」やん。第一極やん。どこからどう見てもそうやん。

・原発容認・TPP賛成・増税断行

やねんから「官僚の味方」でしかないやん。話にならん。いらんわ、こんなもん。

ということで、とりあえず、今回の選挙の争点は、

●脱原発
●反TPP
●反消費税増税

ですわね。
この3つについて反対意見を述べてるところは、全部ダメです。もうはっきりした。ドイツに続きましょう。それがすでに「現実的」なチョイスなんだとはっきりしたんやし。
テレビ局と、原子力村は、ものすごい悪あがきして、維新を第三極とか言うてるけど、ちゃんちゃらおかしい。
だって、

●自民党
●民主党
●維新の会
●公明党

みんな論点いっしょやん。おなじアホ政党やん。海外視察もしてへん井の中の蛙やん。
いらん。
ほんまにいらんわ。こんな烏合の衆。

今回は、とにかく、上記四つの政党には投票したらアカンということだけははっきりした。
(あ、みんなの党もあきませんけどね。)

ま、そんなことで。

言うたらなんですけどね、痴漢冤罪事件。
ものすごい数があります。
なんでそんなにたくさんあるかというと、あれは、


●私人による逮捕


だからなんです。

「なんやねん、その『私人による逮捕』っちゅうのは?」

という話になりますが、ようは痴漢された女性が「この人がやりました!」と「自己申告」したら、それが即「逮捕扱いになる」ということなんです。

証拠もへったくれもないんですよ。

「かよわい女性が、勇気を出して言い出したのだから、信じてあげよう。」

だけなんです。
ただそれだけ。

ちょっと待てや、どういう判断基準やねん。こんな基準で国民を逮捕してええんか?

逮捕というのは、もともと、犯罪を行ったという疑いのある者が、証拠隠滅をするか、逃亡するか、どっちかの可能性がある時に、身柄を拘束して、それをできなくするために行われるものなわけです。

ウィキペディアは公的な情報としては弱いですが、それでも常識としては良いアウトラインを示してくれているし、中立的な意味もあるので引用しますと、

(引用開始)----------------------
逮捕は逃亡および罪証隠滅の虞がある場合に行われるので、逆に言えばそれがなければ被疑者を逮捕する必要はない。その場合は任意出頭による取調べ等の捜査を行った後に(いわゆる在宅事件)、原則として関係書類および証拠物とともに事件を検察官に送り、移管する。これで警察における捜査は終了。マスコミでは書類送検と呼ぶ(訴訟手続上、身柄の有無にかかわらず検察官送致という)。
(引用終了)----------------------

ということでして、
●逃亡
●証拠隠滅
の可能性がなければ、逮捕する意味なんか、これっぽっちもないわけです。

で、タイトルの森本アナウンサーですが、NHKのアナウンサーで「おはよう日本」という全国放送で司会をしていたような人間ですよ? どう考えたって、

 ●逃亡のおそれ

自体、考えられないじゃないですか。

日本全国のかなり多くの人が顔を知ってるような、有名人ですよ? 逃げられないじゃないですか。
指名手配されたら、一発でつかまりますよ。

僕だって名前は知らんかったけど顔は知ってました。顔を見ただけで「あれ? あの人NHKに出てた人やんか。」ってなる。

だから、だいたい最初から、当人が「逃げよう」と思うはずないじゃないですか。

で、それに加えて「私人による現行犯逮捕」ですよ。私は知り合いの中年男性2人が、普通の一般女性に電車やバスの中で痴漢と間違われた話を聞いてます。で、そのどちらも、本当の痴漢犯人は、

●信じられないような場所から手を伸ばして痴漢を働く

という事実も見聞きしております。

●本物の痴漢は、ダミーの男を一人、間に置いた位置から痴漢する。

のです。

よくよく考えたら、そらそうなんですわ。「混んだ電車で見つからないように痴漢する」なら、これは絶対ダミーを使うに決まってます。手さえひっこめればいいわけですから。

だから「私人による逮捕」という事自体、「証拠」としてあまりに弱いわけですよ。だからこの場合の「証拠隠滅」というのは、「電車の状況」そのものですから、本当に証拠隠滅をしないようにしようとしたら、その被害者のまわりにいた人間20人くらいをまとめて拘束する以外に手はないんです。

だから、
●逃亡のおそれ
●証拠隠滅
のどっちも、もとからありません。
現実問題としてない。

そやのに「逮捕」? なんやそれ? あまりにおかしい。
しかもその逮捕のニュースが堂々とNHKで報じられてるわけです。
どうよそれ。

●見せしめ逮捕なんと違うんか?

って、どうしても思ってしまうんですよね。これ。
「痴漢」って、主婦層からは絶対「敵」とレッテルを貼られますから。何も知らない人ほど、簡単にレッテル貼りをしますから。もう決定的に強力な手段ですわな。

だから、NHK内部でもめたとか、権力闘争があったとか、報道の是非で対立があったとか、そういう事くらいしか僕には考えられないですわ。警察とNHKの上の方とでつるんでハメたと。そんな風にしか思えない。

●全国区のアナウンサーが痴漢するか?

ということです。
いくらなんでもなぁ。
それはやらんやろ。

それはないで。

どこかのお触りバーに行くとかはあるやろけど、「アナウンサーが痴漢」、ありえへんわ。いくらなんでも、そんなリスキーすぎる事をやるか? 顔が売れまくってる人ですよ? おかしすぎるでしょ。いくらなんでも。

と思って、ツイッターで森本健成さんの名前を検索したら、もう、僕と同じように考えてる人の書き込みだらけですね。
いわく「原発の番組の司会をしていた。その関係で権力者から手が入ったのではないか?」とか、そういう周辺情報だらけ。

なかでも「それはあるやろなぁ」というのが、


●冤罪を生み出すための秘密部隊があるに違いない


という推測。

これが、実に頷ける。
だって女性捜査員を一人、混んだ電車の中に入れておけば、いつでもできるんですから。女性が手を掴んで「この人が痴漢です」とやればおしまい。
ものすごく簡単に政敵なりなんなりをハメられるわけです。

いや、まぁ、こんな話は推測でしかないです。

でも、問題は、そういう推測があまりに簡単に成立してしまう現状です。

であるなら、まず少なくとも、痴漢事件における被害者からの自己申告に頼りすぎた、「私人による逮捕」を改めねばならないでしょう。「私人による逮捕」ではなくて「被害届」に変更すべきです。

実際、被害にあった女性は、たいていの場合、自分が「逮捕」したとは思っていないわけですよ。「被害を受けたの事実よ! ものすごい精神的苦痛を味わったのよ!」というのが本質なのですから、キチンと「被害届」にしてください。
で、そうなれば、駅員さんは現状保存が大切になってきますから、被害者の方の廻りにいた人たち数人に声をかけ、住所を聞いてそれがわかったら返すとか、そういう対応に変えられるはずなんです。
それがまともなやり方でしょう。

でも、警察は、いっこうに「私人による逮捕」を改めない。

ここが、「おかしい」と疑われる根本なんです。

ここがおかしいのです。

で、そんな現場検証もできないような事件で、精神的にもひどいショックを受けている人間の自己申告だけを「私人による逮捕」と押し切って逮捕してしまうおかしな状況がある限り、痴漢で現行犯で捕まった人間は、すべて「疑わしきは罰せず」で無罪とするしかありません。

つまり、「私人による逮捕」をやっている限り、法の精神から考えても、


●痴漢犯罪の被疑者は全員無罪


なんです。
そうにしかならない。
女性のみなさんは、この結論がものすごく理不尽に感じられるでしょうけど、それは結論が理不尽なのではなくて、

「私人による逮捕」

が理不尽なんですよ。

●被害を訴えただけなのに「逮捕人」にさせられた

という理不尽さなわけです。

これこそおかしな話の究極ですよ。
そっちをじっくり考えて欲しい。

なんでやねん。

●被害のひどさを訴えたいのに、警察のお先棒かつがされたわ!

ということなんですよ。
精神的に傷ついている事につけこんで、警察が自分の仕事をさぼる肩代わりを被害者におしつけてるわけです。
捜査の手間を省かせて、あなたに「逮捕人」をタダでやらせているわけです。

女性の被害のひどさ、精神的動揺につけこんで、ただ働きさせてるって事です。

このあまりのひどさに気付いていただきたいと思います。


ということで、こういう状況がある限り、何がどうあろうと、森本健成さんは無実、無罪です。もう、絶対的にそうです。
無罪にしないと、権力の暴走が止まらない。あるいは「権力が暴走したのではないのか?」という疑いは絶対に晴れない、ということです。


旅のラゴス

2012年11月13日
筒井康隆の小説に「旅のラゴス」というのがあって、これがけっこう好きなんですね。

久しぶりに読みたくなって文庫本を買いました。

で、読んでみると最初の12頁でもう、たまらない。なんだかしらないけど、ものすごくいい。

「あー、そうか、立ち読みでこの最初の話を読んで、気に入ったから買ったんだよなぁ。」

と思い出した次第。


最初の12頁の部分だけ書きます。

旅をしているラゴスは、腕力に自信もなく、危険地帯を通るには一人では危ないので、ある旅の集団に身を寄せます。
ウマやウシとともに移動するその民族は、急に寒波が来て、このままでは寒さで旅がうまくいかなくなると憂い、「集団転移」をすることにするのですね。

これはテレポートなんです。
みんなが心を合わせてテレポートするシーンがある。

その集団のリーダーは独身中年のポルテツ。この牧畜民族でのルールはリーダーは独身に限られるんですね。リーダーは独身の方が私利私欲に走らないから妻帯者より適任という通念が、この民族にはあるんです。(だいたいこのあたりの発想が、結婚の遅かった私にはグッと来るわけですが。「そうやで! その通りやで!」って思う。)

ただ、このポルテツ、集団転移の誘導役の経験は少ないので、いままで集団転移で何度か失敗してるんですね。八年前には半数が取り残されるという失敗もしている。

「集団転移には人の配置が重要だ」と老人を真ん中に置き、子供を外側に置く。
「では故郷のイメージングをしよう。」と、故郷の風景の細目を語り出す。

でも集団転移を何度も経験しているラゴスには、それらがことごとく間違っているように見えるんですね。意を決して、ポルテツに「そのやり方ではダメだ」といいに行くんですが、独身リーダーは、ラゴスが経験豊富なパイロットであると知ると、全ての権限をラゴスに譲るわけです。(ここがまたいい。権威主義ではないんですよねぇ。)

そしてラゴスがパイロット役をするわけですが、ラゴスは、この民族の故郷の風景すら知らないわけです。なのに、パイロット役ができるのか? と心配になる。

でも、それは関係ないんですね。ラゴスはとにかく人とけものをルール無用で押しくらまんじゅうのように真ん中に集め、こう言うんです。

-------以下引用---------------
「皆さん。眼を閉じてください。さあ、周囲の人たちやけものたちと同化しましょう。当然の事ですが、あなたの今立っている場所は、あなたのいちばん愛している者にかこまれた場所である筈ですね。あなたの前にいるひと、あなたの隣にいるひとやけもの、あなたのうしろのひと、すべてについて考えてください。あなたの傍にいるそのひとを、あなたがどれだけ愛しているか、心の中で教えてあげてください。あなたの傍にいる馬、牛、あなたは彼をどんな風に愛しているのでしょう。考えることによって、それを彼らに教えてやってください。そしてまた、あなたの傍にいるそのひとや、そのけものは、どれほどあなたを愛してくれているのか、想像してください。それぞれのひとと、けものに、心の中で話しかけてください。あなたは皆を愛しています。みんなもあなたを愛しています。」
 約三分、おれは沈黙した。
「次に故郷のシュミロッカ平原を思い浮かべてください。その平原の中で、あなたがいちばん好きなもの、あなたがいちばん美しいと思っているものを想像してください。どんなところなんでしょうね。わたしも早く見たい。皆さんがわたしにいちばん先に見せたいもの、それを思ってください。」
おれはまた、約三分沈黙した。
「さぁ。これからシュミロッカへ行きますよ。一歩前進すればわたしたち全員がシュミロッカにいるのです。実際に一歩前進しなくてもかまいません。頭の中で、一歩前進することを想像すればいいのです。(以下略)」
-------引用終了---------------

こうして一団は一歩前進してシュミロッカへ移動したわけです。
これが最初の12頁。

もうね、涙出ますね。
ぽろぽろ泣いちゃいますね、私は。

なんちゅうか、最近不況で世の中うまく行ってないですけど、それはポルテツみたいに「こうすればいいはずだ」という善意の勘違いでうまく行ってないだけなんじゃないの?

もっと身の回りの人を、もっと愛そう。というか、愛していることに気付こうよって思う。
とりあえずはまずそれです。

そうすれば「一歩前進」するんと違うんかな? で、それだけでええんと違うんか?

そう思えてくるわけです。


僕はラゴスになりたいです。

ほんとに。

最近、FaceBookで、昔付き合っていた彼女とお友達登録した。

書き込みも頻繁だったので、いろいろがんばってるなぁと思ったら、「入籍しました」という書き込みがあり。

ああ、良かったなぁと、本当に心から思えるのであります。
こっちも結婚したしねぇ。
いやー、本当に良かった。
なんか肩の荷が降りたような気持ちになったのであります。

非常に遅い結婚だったので、そのあたりの感慨というものは、かなり深いのですよね。
結局、結婚して男女の関係がうまく回っていくかどうかは、夫婦相互の成長の程度によるんだと思うからです。

自分の事を低く見過ぎていたり、逆に身の程知らずに高望みばかりしていたり。長々独身生活を続けていて、いろいろな人達と(男も女も両方)話をしてきたので、そのあたりの「自分をふりかえる事」が、いかに恋愛・結婚において重要であるかが身に染みてわかるのであります。

不思議なもので、結局、自分自身の事を過不足なく、客観的に、ありのままに見つめられるかどうかなんですよね。

たいていは「ありのままの自分」で行くのがもっとも良い方法なんです。だって飾ってたり背伸びしたりして続くわけがないんですから。

ところが人間、この「ありのままの自分」って言うのがわからない。
自分自身の過小評価と過大評価ばっかり抱え込んでいて、「適正評価」が空っぽ、というひとがすごく多いんじゃないですかね。

というか、結婚が遅くて、相手がなかなか見つからない人って、これがものすごく多いと思います。
というか、自分がそうだったわけですけどね。

でも、実際、この「適正評価」っていうのは、実は一人じゃなかなかつかめないものなんですよ。たいていの人は、まず間違いなく自分を「過大評価と過小評価のかたまり」としてしか見ていないんです。適正評価というのは「他者の目を通して」はじめて気付ける種類の事柄なんですね。

自分で最悪の欠点だ、と思ってるところを、異性に良いところと評価されたり、自分の最大の長所だと思っている点を「最悪」と評価されたりして、はじめて「ああ、そうか、私は○○だけど見方によっては××とも感じられるのだな」というように両面が見えてきて、うまくバランスが取れるわけです。

これ、実は別に「付き合っている異性」である必要まではないんですけどね。ちょっと好きだなと思う人とか、そういう人でもかまわないわけです。ようはオープンに意見交換をできる人であればちゃんと教えてもらえるし、自分の別視点からの評価もキチンとわかるわけです。

で、実は、このフラットでオープンな意見交換、ということができれば、後はそう難しくなく交際・恋愛・結婚まで至れると思うんですよ。
でも、自分自身のとらえ方が偏っている限り、この「オープンな意見交換」ができないので、すごくフラットな「+の面からも-の面からも見る」というスタンスができなくなってしまうわけです。そこがまぁだいたい、つまづきの始まりでしょうね。

で、この「オープンな意見交換」っていうのは、別に恋愛関係にだけ必要なわけではなくて、仕事の上でも重要なわけですね。取引先との関係が上下関係ではなく対等であるとか、そういうことであれば良いというか。そういう事なんですよ。

オープンな意見交換ができれば、欠点を美点に変換していくことが、それこそ何の努力も必要なく「考え方の変更」だけでできてしまうし、自分の「長所だと思っていた欠点」の上手な修正の仕方もストンと理解できてしまうわけです。

で、別に誰かと交際するのではなく、日常の普段の人と人とのコミュニケーションがどんどんフラットでオープンになっていって、自分のありのままの姿が、そのまま「流通させられる自分」に変わっていくわけです。理解してもらいやすい自分が作りやすいというか、相手から期待されている行動・態度とのすり合わせがラクになっていく。

こういう客観的な自分を知っていく過程を、どんどん、どんどん、「簡単で誰にでもできるレベル」に落としていくと、とどのつまり、もっとも重要なのは、


●おはようございます。

●こんにちわ。

●ありがとうございます。


という、あいさつを、いかにタイミング良く、上手に言うか? という事になると私は考えているのですよ。
多分、ここから始めるのが、一番効果が高いと思う。

あいさつがキチンとできれば、とりあえず身の回りの人間との「オープンな意見交換」までの時間がかなり短縮されるので、そこで「客観的視点」がキチンと得られるわけです。

そうしたら、それを素直に受け入れて、良いところは伸ばし、悪いところは修正すればいい。

で、そうやっていくと、異性の友人とかもできて恋愛・結婚まで至るわけですが、でも人間、自分のありのままの姿はわかっても、「付き合う相手に理想を要求する」というのはなかなか止められないんですね。つい、自分の理想と相手とを比べて怒るとかしてしまう。まぁたいてい男女でうまくいかないのは8割「期待しすぎ」なんじゃないか? というくらいでして。

で、この「期待しすぎ」というのも、ようは「オープンな意見交換」ができれば修正できるはずなので、実は男女間でうまくいかなくなってきたときも、

●おはよう。

●おかえり。

●ありがとう。

●おやすみ。

とかのあいさつを大切にすれば、けっこううまく回っていくと思うのであります。
いやまぁ、すれ違いだしたら、なかなかこの簡単な事ができなくなっちゃうし、あいさつをキチンとしたところで、すれ違いが修復されるまで、かなり時間がかかるんだろうけれども、それでもやっぱり、あいさつは大事ですわね。毎日のことやねんから。

まぁ、そのくらい、この「あいさつという、もっとも簡単な第一歩」は強力だよって事です。

なので、異性問題で悩んでいる人(彼・彼女ができない)には、とにかく「あいさつだけはキチンとしなされ」と強力にお勧めしたいです。

とりあえずあいさつだけはキチンとやっておく、という方が、下手に積極的なアプローチをするより、はるかに重要かも知れない。いやほんと。マジで。

で、この「日常的なあいさつをキチンとする」などという普通の事こそが、恋愛成就においてすら、もっとも効果的な方法なのだ、というあたりを実感できるという事が、僕自身が成長したことなんだろうなぁと思うわけです。

そういう事もわかってなかったんですよ、この私は。
で、わかってなかったから、なかなか「他者とオープンに意見交換をする」ということができなかったんだなぁとしみじみ、つくづく感じるのですよ。

まぁ、あいさつは大事にしましょう。たとえ夫婦の間であっても。ね。

今回、PCを乗っ取り、他人のパソコンを操作して、警察に誤認逮捕をさせた犯人が名乗りをあげましたが、これは明確に警察と検察が悪いんです。

しかも、その「悪い」部分は、別にサイバー捜査技能がないとか、そういう話ではないわけです。

それ以前に、


●確たる証拠もないのに、状況証拠だけで逮捕し判決する悪習が蔓延している。


から起きた事件なんですわ。


もう、このあたり、私はずーーーーーっと前から書いてますわね。

で、なんでそういう事になるかといえば、法の精神の根幹である「疑わしきは罰せず」とか、「疑わしきは、被疑者の利益に」とかの大前提が守られていないからです。

そんなもんね、


●キチンと捜査したら、必ず真実をあぶり出せる。


などという「神話」を前提に行動したら、絶対にダメですよ。人間は神様やないんやから。失敗して当たり前なんですよ。
だから警察は「誤認逮捕」だけはしたらアカン。疑わしい人は、証拠がない限り、つねに「無罪」です。
それこそが法の精神の根幹でしょう。

いくら、かなり怪しい人間でも、明らかな証拠がない限り、絶対に処罰しない。そういう態度を基本方針として貫きますと宣言せんとアカンのです。

そのために、社会に不安が起きるのは、しゃーないんです。
個人の小さな犯罪の恐怖より、国家権力の暴走と無辜の人間の人生をぶちこわす冤罪の方がはるかに怖い。その恐ろしさの度合いを比べたら、はるかに「小さな個人の犯罪」の方が、害が少ないんですから。
どっちの方が、「よりマシか?」ということです。ここに気付かない限り、この問題は絶対に解決しません。

だから、警察は「今後誤認逮捕はしません。」と宣言し、「疑わしきは罰せずこそが本道です」と大衆を教育し、「警察は何やっとんねん。お前らは無能か!」と一般市民から罵倒されたら、反論せず、頭を垂れて「申し訳ありません」と、ひたすら罵倒に耐えるという覚悟をしないとダメなんです。それこそが公務員、公僕の本来の仕事なんですから。

でも、それをやってないからなぁ。

そこがガタガタなんです。日本は。
見込み捜査。見込み逮捕。
いやそれのみならず、見込み判決まである。

本当にひどい。
本当にひどい。
本当にひどい。

これでもし警察が「信用失墜を取り返すために、威信をかけて捜査を強化する」とかしたら、それこそ圧倒的、徹底的、根本的な税金の無駄遣いであり、より悪い方向に進むだけです。

そんなアホな事をするより、今後「疑わしきは罰せず」が法の精神の根幹なのだ、ということを、必死になって告知していくことの方がはるかに正しいのですよ。

でもまぁ、すでに各地域の警察が連携して合同捜査態勢を取ったとかですな、アホの極みの極みの方向に進んでますからな。

ほんまに、ほんまに、ほんまに、アホですわ。

アホの極み。

そのうち、サイバー捜査部署の立ち上げとか、そういうどうでもいい、税金の無駄遣い的判断に進みますよ。

あかんって、そんな事やったって。「昨日と同じ事をやるのが正しい」お役所が、「昨日と違う事をやるのが正しい」IT技術と張り合ってもムダになるだけ。
それより、一般のIT企業と、どううまく共同捜査態勢を取れるかこそがすべてなんですって。

で、そのためには、

●絶対に誤認逮捕だけはしない。

という鉄の意志が警察・検察には必要だ、ってことです。誰が誤認逮捕する機関の協力をするんですか。あたりまえじゃないですか。

ほんとにバカじゃないか?警察・検察は。
痴漢の誤認逮捕なんて、たぶん80%を越えてると思うし。
それを平気でほったらかしにしてるんやから、もう、本当に嫌になります。

そんな警察に協力したらアカンよ、IT企業のみなさん。
「誤認逮捕は絶対しません。疑わしきは罰せずを絶対に遵守します。」と宣言しない限り、手伝ったらアカンのですわ。

そんな冤罪の手伝いしたいと思いますか?
思わんでしょ?

嫌やで、他人の人生をめちゃめちゃにする手伝いなんて。
絶対に嫌。

当然ですがな。


だからこそ「疑わしきは罰せず」が、公務員である警察・検察には死ぬほど大事なんです。
もっと言うなら、命より大事、です。
悪いけど、ここは「命より大事」なんですよ。
この部分では、公務員に人権はないです。
また「警察の信頼失墜」とかの人間としての尊厳もありません。
「逮捕もでけへんのか!」という罵倒に耐えてください。公務員である限り、そういう意味での尊厳はないんです。罵倒を受け入れて「はい無能です。」と頷いてください。
それこそが仕事です。

でも、ここがわかってる人は、そう多くはないでしょうねぇ。やれやれ。

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